( 124134 )  2023/12/23 10:57:51  
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岸田文雄首相が提唱する「資産運用立国」について、日経新聞の上級論説委員兼編集委員である小平龍四郎氏は、日本が世界の金融センターを目指すには市場への信頼がまだ足りないと指摘しています。2024年の導入予定の新NISAや株価の高騰は注目されていますが、過去のバブル期の例を挙げて、現在の株高が「史上最高値の更新」ではなく「バブル崩壊後の高値更新」に過ぎないと述べています。

バブル期には東京が「世界一の国際金融センター」になると期待されましたが、バブル崩壊後、不良債権処理の遅れなどが影響し、香港やシンガポールに抜かれる現状があります。また、1997年の「日本版ビッグバン」構想やメリルリンチの日本市場進出も根付かず、証券会社や株式市場への信頼回復が課題となっています。

小平氏は、証券会社や株式市場への信頼確立が必要と強調し、市場関係者の主体的な動きを促しています。信頼が確立されなければ、日本の金融市場の再活性化は難しいとして、「今回も同じだった」という悔恨を避けるためにも、市場関係者の積極的な取り組みが求められています。

(要約)

( 124135 )  2023/12/23 10:58:15  
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 岸田文雄首相が掲げた「資産運用立国」。海外ファンドなどを誘致するための規制緩和が打ち出されたほか、2024年からは新たに拡充された少額投資非課税制度(NISA)も始まる。東京証券取引所は「資本コストと株価への意識向上」を企業に呼びかけている。

 株式市場は日経平均株価の33年ぶり高値更新に沸く。2024年のどこかの時点では、史上最高値の更新すら視野に入ってくるかもしれないという。

 日経新聞の上級論説委員兼編集委員である小平龍四郎氏は「とはいえ、日本が世界の金融センターを目指すには、いまだ市場への信頼が足りない」と語るーー。

新NISAと株高で東京は世界の金融センターになれるのか

 筆者は外国人投資家からよく、こんな質問を受ける。

 Is this time different? /「今回は違うのか?」

 気持ちはよく分かる。ベテランの市場関係者ほど、「資産運用立国」構想や目先の株高に強い既視感を抱いてしまうものなのだ。

 例えば、今から35年ほど前のバブル期。東京は「世界一の国際金融センター」になるとはやされた。1987年4月3日付の日本経済新聞朝刊は「国際金融センター『東京』、いずれロンドン抜く」と題して、以下のようなニューヨーク特派員電を伝えている。

 米有力調査会社のハドソン・ストラテジー・グループ(本社ニューヨーク)はこのほど「金融市場の国際化」についてのリポートをまとめた。それによるとニューヨーク、東京、ロンドンの三大国際金融センターのうち東京市場の成長スピードが一番速く、いずれロンドン市場を大きく追い抜くとしている。ウォール街では「最近の日本の台頭ぶりをみると、三大金融センターから、いずれ東京とニューヨークの二大金融センターになりかねない」との声まで上がっている。

(中略)

 市場変化の最大の要因は日本。東京市場での株式や債券の売買量が八〇年代に入って飛躍的に増加した。日本からの資本輸出の制約が緩和されたことでユーロ円市場も飛躍的に大きくなった。こうした動きを背景に、日本は金融サービス面で「モノマネ」(イミテーター)から「革新者」(イノベーター)に変身する可能性が大きくなっている。

(中略)

 ロンドンは着実に成長しており、証券引受業務や外国為替業務だけでなく、多様な金融サービスを提供できる場としての機能を持ちつつある。しかし、東京市場の成長度合いが早過ぎ、結果的には東京市場がロンドン市場を追い抜いてしまう、と報告書は指摘している。

 バブル崩壊で株価は長期下落の局面に入り、「国際金融都市」のユーフォリアはものの見事に消え去った。不良債権の処理や改革の遅れが災いし、今ではロンドンを抜くどころか、香港やシンガポールに先んじられ、インドや中東諸国に激しく追い上げられているのが現下の東京の実情。株高に沸いているとはいえ、あくまで「バブル崩壊後の高値更新」であって、「史上最高値の更新」を続ける米国とはレベル感が違う。タカネ、タカネと表情を緩ませている人を見ると、個人的には「どうしてそんなにうれしいのだろう」と素朴な疑問も抱いてしまう。

では、バブル期はどうだったのか。メリルリンチが日本でリテールに進出した頃のこと

 さて、バブル崩壊から少し時間が経過した1997年。時の橋本龍太郎内閣は「日本版ビッグバン」の構想をぶち上げ、東京市場の再活性化を試みた。目玉は固定制だった株式委託手数料の完全自由化と有力な外資系証券、資産運用会社の誘致。同年11月に破綻した山一証券の店舗と人員を引きつぎ、米メリルリンチ(現バンク・オブ・アメリカ)が日本で個人向け証券業務への参入を決めたのは、まさに象徴的な出来事だった。フィナンシャル・アドバイザーという相談員が顧客の財産や人生計画を把握し、それに沿った資産運用を助言するスタイルを持ち込もうとした。バブル期に悪名をとどろかせた日本の証券会社の短期回転売買と一線を画し、長期の視点に立って顧客に寄り添う資産管理型営業への期待が高まった。

 再び当時の報道をふり返ろう。1998年6月30日付の日経金融新聞は、メリルリンチの日本でのリテール業務の始まりをこう記した。

 米大手証券メリルリンチが山一証券の人員と支店を引き継いで設立した「メリルリンチ日本証券」が七月一日の長野支店を第一号店として営業を始める。年内には三十三の全支店を開設する予定で、米国流の「資産管理型営業」を全国で展開する。野村証券もメリル日本の開業に先手を打つ形で、パソコンを駆使するなど同社の「資産管理型営業」のテコ入れを始めた。個別の金融商品の売り込みが何よりも優先された日本のリテール(個人営業)市場はメリルと野村という日米二大勢力の競争を通じて、洗練された形へと姿を変え始めた。

 メリル日本はファイナンシャル・コンサルタント(FC)など千人強の営業要員を擁する。全員を米国のトレーニングセンターに送り、研修が十分にできたと判断した支店から開業する方針。このため、長野支店を開いた後、大手町(七月八日)、渋谷(七月第三週)、池袋(同四週)など出店は五月雨的にならざるをえないという。七月中に二十九店を開き、残りの四店は八月以降となる。

 メリル日本の営業スタイルは「従来の証券個人営業とは順序が違う」(熊谷邦彦副社長)。株式や投資信託などの個別商品の魅力を全面に押し出していたのが従来のリテール営業だったのに対し、メリル日本は「まず顧客のリスク許容度や財産状況の把握から入る」(熊谷氏)。顧客ひとりひとりの資産配分モデルを作り、その上で個別の金融商品を選択する。開業に合わせて用意した二十四本の投信も「ポートフォリオ構築の上で十分かどうかという観点で精査した」(熊谷氏)といい、七本はメリルグループ以外から選んだ。

 しかし、メリルは数年で日本の個人営業を大幅に縮小した。直接の原因は米国でインターネットバブルがはじけ、メリルを始めとする米国の証券会社が痛手を負ったことだが、日本には長期投資が根づく決定的な要素が欠けていたという背景もある。何が欠けていたかといえば、それは「信頼」にほかならない。

 当時はまだバブル期の強引な営業手法の記憶が、少なからず投資家の間に残っていた。「預けていたNTT株を無断で売却された」「絶対に上がると言われて買った株が急落して損をした」「中身のはっきりしない投資信託を押しつけられた」――。今の基準に照らせばルール逸脱も甚だしい営業慣行からの脱却を、証券会社が懸命に進めていた過渡期でもあった。ひと言でいって、メリルの日本市場への進出は早すぎた。米国では当然のコンサルティングの手法を提示され、日本の顧客は戸惑いが先行した。

証券会社の信頼回復には、市場関係者が主体的に動く必要がある

 今はどうか。さすがにバブル期のような強引で、時に法を逸脱する営業スタイルは姿を消した。それでも十分な信頼を得ているかといえば、微妙な面は残る。

 調査会社マイボイスコム(千代田区)は「信頼感や安心感があると思う証券会社」のアンケート調査を定期的に実施している。2023年6月実施の第14回調査で、最も信頼できる証券会社としてあげられたのは、最大手の野村証券。以下、大和、SBI、楽天と続くのだが、比率はそれぞれ28.2%、18.4%、16.5%、11.1%と必ずしも高くない。(複数回答可)実は最も多い回答は「いずれもない」で、44%を占めた。

 やや古いが、日本証券業協会の2021年度調査でも「証券会社のイメージ」としてあげられた意見で最も多かったのは「敷居が高い」(42.1%)、次いで「あまり信頼できない」(27.9%)。「経済情報を発信している」(22.8%)といった肯定的な見方もある一方、「勧誘がしつこい」(15.2%)との声も根強く聞かれる。

 こうした調査を見る限り、証券会社はまだバブル崩壊で失った信頼の回復の途上にあると言えるのではないか。最近でもデリバティブ(金融派生商品)を組み込んだ仕組み債の販売や、株式新規公開(IPO)での価格操作など、なんとも古くさい不祥事はくり返し報じられる。

 証券会社が十分に信頼される存在でなければ、株式市場への信頼感も急には高まらない。株価が適正に形成され、長期的に上昇するという期待が醸成されなければ、「上がれば売る」という短期売買こそが合理的な選択肢ということにもなる。最近は、確定拠出型企業年金にもっと株式投資信託を入れるべきだという声もあるが、そうした政策を実施するためにも前提となるのは、株式市場への信頼にほかならない。

 「失われた10年」という言葉が広がったのは、2000年前後。バブル崩壊後の日本経済の低迷を示した言葉だが、いつしかそれが「20年」「30年」と上書きされていった。ぼやぼやしていると「35年」「40年」と累増しかねない。

 時間の経過は決して解決にはならない。証券会社や株式市場への「信頼」を確立するには、市場関係者が主体的に動く必要がある。そうでなければ、改革の期待が盛り上がり消えていった過去が再びくり返される。「今回も同じだった」(“This time was NOT different”)という悔恨とともに、日本は“失った”35年に突入してしまう。

小平龍四郎

 
 

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