( 125744 )  2024/01/05 22:21:33  
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がれきの下、寄り添う2人 亡くなった90代祖父と孫娘 石川・能登島

時事通信 1/5(金) 13:34 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/e52b5728980ab16fadc286b4a4053ec3173d1310

 

( 125745 )  2024/01/05 22:21:33  
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石川県七尾市の能登島で能登地震が発生し、90歳代の中山弘幸さんと孫娘が避難中に家屋倒壊に巻き込まれ亡くなった。

中山さんは能登島東部の長崎町で農作業に従事し、家族と暮らしていた。

孫娘は避難を呼び掛けるために中山さんのもとに向かったが、震度6強の揺れが発生し、家屋の崩壊に巻き込まれた。

被災者の家族や近隣住民は突然の死を悼んでいる。

(要約)

( 125747 )  2024/01/05 22:21:33  
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亡くなった中山弘幸さんらが避難した際に通った道=4日午後、石川県七尾市 

 

 能登地震で震度6強に襲われた石川県七尾市の能登島では、90代の中山弘幸さんと孫娘が避難中に家屋倒壊に巻き込まれ、命を落とした。 

 

【動画】30メートルの大津波(2011年) 

 

 2人はがれきの中で寄り添うように倒れているのが見つかり、近隣住民や親族は突然の死を悼んだ。 

 

 中山さんは能登島東部の長崎町で、妻、長男と3人で暮らしていた。町会長の室屋繁昭さん(71)や親族によると、毎日のように自宅近くの田んぼや畑で農作業にいそしんでいた。いとこの男性(75)は「昔は船を出して刺し網漁をしていたこともある。まめな人で、じっとしているのは寝る時だけだ」と話す。 

 

 この正月休みには次女夫婦と孫娘が遊びに来ていた。被災の数分前、同市で震度3の揺れが起きると、孫娘は避難を呼び掛けるため、畑に出ていた中山さんの元へ向かったという。 

 

 しかし、中山さんと孫娘が自宅に戻る途中、6強の揺れが発生。畑と自宅の間にある家屋が崩れて下敷きとなった。住民らが慎重にがれきを取り除くと、2人は寄り添うように倒れていた。 

 

 いとこの男性は「みんなが『中山さんは100歳まで生きる』と言っていた。お疲れさまと言いたいが、残念だ」と寂しげに語った。  

 

 

( 125746 )  2024/01/05 22:21:33  
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被災者の方々の体験や感情を共有し、犠牲者への哀悼や早期の復興を願うコメントが多く見られます。

震災時に家族や家屋の耐震性を考える必要性や、高齢者や過疎地域の課題も述べられています。

また、政府や自治体の対応に対する批判や被災地支援への願いが表明されているとともに、今の時点での報道内容への疑問も示されています。

全体的に、被災地への心からの支援や冥福を祈るコメントとともに、今後の震災対策や対応についての考察や疑問も含まれています。

(まとめ)

( 125748 )  2024/01/05 22:21:33  
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・だいぶ長い時間揺れてた。大阪在住ですが、マンション高層階で横揺れで震度3とは言い難い揺れだった。気分が悪くなるほどの。 

おじいちゃん、お孫さんもしっかり守りながら亡くなったのかと思うと涙が出ます。 

どうか安らかに。 

少しでも早く今回の地震被害者の方が普通の暮らしに戻れますように。 

 

 

・阪神淡路大震災の時、神戸にいく予定をたまたま変更し京都にいて、すごい揺れを経験しました。 

 

あの時報道で見た惨状と、今回の能登地震は同じものを感じました… 

 

阪神淡路大震災から何年も経過し時代は変わっていても、やっぱり自然災害には人間はもろく、勝てないなと痛感しました。 

 

ひとりひとりが地震へ備える意識を強く持って生きていかないといけないですね。 

 

 

・もしかしたらお爺ちゃんが孫娘を守ろうとしたのかもしれない 

もしかしたら孫娘がお爺ちゃんを守ろうとしたのかもしれない 

寄り添って発見されたと知りそう感じました 

孫って無条件でかわいいっていうし、孫も年老いた祖父母を大事に思うから 

 

おふたりが一緒に天国でやすらかに過ごせますように 

 

 

・天災で家族を亡くしたらどんな気持ちで向き合えばいいか私には分かりません。「これがこの人の運命だったんだ」と思えるまでどれくらいの時間がかかるだろうか。 

どんな状況だとしても、子供には親よりも長く生きて欲しいと思ってしまいます。 

大切な人を亡くされた方々に穏やかな日常が戻られますように。 

 

 

・わたしの祖母も90代。このくらいの年齢で畑仕事ができるくらいだから、しっかりしていたのだろうと思う。わたしも大きな地震が来たら、心配して畑に向かったと思う。どんな場所かわからないけれど、ひらけた場所ならその場に留まることで助かっていたかもしれない。一瞬の判断で運命が変わるなんてやるせない。ただ、真っ先に飛んでいったことから、祖父と孫娘どちらも大切に想っていたことが伝わってくる。 

 

 

・阪神・淡路大震災を被災した身として、この手の記事は当時のことを思い起こして本当に辛い、、。 

東灘で被災したので、似たような状況で助けも来ず、近所の人達と瓦礫を必死にどけて、それでも眼の前で命が消えゆく光景が昨日の事のように甦ります。 

御冥福をお祈りすると共に、政府は今以上に最大限の支援を行うべきです。 

 

 

・当時の様子が伝わりました。 

ただ、今も亡くなった方や行方不明の方が絶えず報道されている中で、このような記事を見ると、注目を集めたいだけで、今伝えるべきことではないのではないかと少し引っかかりました。 

1年後とか数年後ならいいのかと問われれば正直分かりませんが、少なくとも今書くべきことではない気がします。 

震災で命を落とすなんて思ってもなかった人たちにとって、美談のように扱われて晒されることはどうなんだろうかと、とても哀しい気持ちになりました。 

御遺族が望んだことであればいいですが。 

 

 

・私ジジイも阪神淡路大震災に宝塚の実家が全壊しました。後日新聞に掲載された中に、、 

 

あの日、神戸のパン屋さんが早朝から仕込みに入り、地震直後奥さんが自宅近くのお店に走っていくと、パン窯の下敷きにご主人がなって生きているけど脱出ができず、近くに火の手があがり、逃げてというご主人の命懸けの声でその場を離れ、やがてパン屋の建物は火に覆われてしまったという話が、今だに忘れられない記憶です。 

お辛いと思います、心より哀悼をさせて頂きます。 

 

 

・田舎だと、避難する途中で耐震がしっかりしていない家屋の間の細い道、もうまちなかでは減っている倒壊しそうなブロック塀などの間を通ることも想定されます。 避けようと思ってもそこを通らないとどこにも出れないこともある すごく難しいですが、どの家でも耐震補強されていると、こういったことが減るのかなぁと思いました。高齢の方はもういつ亡くなってもいいから、といいますけど、孫や子供ら親戚が帰省することもありますよね?遊びに来ることも。 その時、万が一一生後悔するかしないか、の視点で考えてもらうのもいいかもしれない。 

 

 

・当日はよくわかりませんでしたが、夜明けて倒壊家屋の多さが見えてくると、当時の被害者の数は全体像を表していないと思わされました。姿と声が見えなければ、その現場に人がたどり着けなければ、数字には出ない。あの人がいないと伝えて、それを集計してくれる誰かがいなければ、不明者数にもならない。そして、安否不明者とは、多くが家屋の下敷きになっている人のことではないでしょうか。 

 

最初はあった呼びかけの声が聞こえなくなり、運び出されて、被害者となるまで、数字にいない人。その安否不明者は250人に上るそうです。 

 

反転に反転を重ね、今は過剰な自粛ムードへの批判がありますが、とりあえず私は自粛自体を目的にしようとして娯楽を消費してないわけではありません。阪神大震災当時の兵庫県民として、息はあるが身動きができず、衰弱、中には火が到達し亡くなられた人たちのことを思い出し、何かを楽しむ気が起きないだけです。 

 

 

 

・今後も倒壊した家屋や焼け跡から辛いニュースが届くのでしょうね 

コロナ禍で会えなかった人に久し振りに会えて団欒していたタイミングでの震災、お孫さんとお爺さんとで励まし合っていたのかな…残念です 

亡くなられた方のご冥福をお祈りします 

 

救助隊の方も諦めずに今も声を掛け続けてくれてありがとうございます 

奇跡が起こることを願ってます 

 

 

・記事を読んでおじいちゃんが自分の命に変えても孫を守ろうとした情景が真っ先に浮かびました。 

もしかしたら自分だけなら逃げられたかも知らない、でも愛するお孫さんが下敷きになるのを守りに行ったのかもしれない。 

読むだけで悲痛な記事ですが、命を懸けてでも大切な命を守ろうとした行動はご立派だなと思いました。 

どうか安らかに。 

 

 

・今回の能登半島地震、1月1日発生で最悪の事態となってしまった。 

 

お正月は都会に出ていた人が帰省したり、正月を休暇目的で旅行するなどして地方の農村や漁村部の人口密度が上がる時期で、ましてや元旦となれば、神社やお寺などにも多くの人が参拝するし、観光客でにぎわう、そこを突かれた。 

 

そして、被災者の救援や救出も正月休みで一番重要な三が日に体制が組めず、政府や自治体の出遅れ感が漂う。 

 

このような状況を見て、自分に何かできることはないだろうかという思いはあるが、ただ祈ることしかできないことに心が沈む・・・ 

 

 

・被害が明らかになるにつれ胸が痛くなる。輪島珠洲能登町など半島の被害は甚大。たくさんの亡くなられた方ご家族へお悔やみを申し上げます。 

全国から懸命の被災者支援が行われている。通行止め道路にも関わらず自衛隊艦船ホバークラフト海上輸送で激震地に重機が入って救助活動、道路復旧作業が行われていることに感謝します。 

 

 

・私自身も阪神淡路大震災の被災者で神戸では同時多発的に火災が発生し助けを求める人が窓から手を振っていたが消防隊もそれ以上進めない状況で涙ながらに手を合わせるしかなかったと後に語っていた。こういった悲劇が至る所で起きていた思うと心が痛い。どうか1日も早い平穏な生活と時間がかかるかもしれないが被災された方々の心の傷が癒えますように。私自身もできることをしていこうと思います。 

 

 

・ちょうど地震のとき私も能登島にいました。 

とてつもない揺れで死を感じました。家族も一緒におり、まずは島を出なければと急いで車を走らせました。 

地割れや土砂崩れ、落石、液状化など本当に運良く避難することができました。能登島大橋から出られましたが、そのあとすぐに通行止めとなっていました。 

能登島東部は地震のあとから孤立しているとの話もあり、こういった悲しいニュースが出てきて残念です。あの時は全員が必死に行動していたと思います。 

能登島は本当に素敵なところなので力強く復興してほしいと思います。 

 

 

・天災とは云え、此の様な悲劇が幾つも起きたろう事を思うと、手を合わせる前から胸に込み上げる感情を抑えられ無い。マスコミからの連日の知らせには意気消沈させられる。だが、無責任にも此方は気分だけで済む。被災地に身を置かれる方達は、飲食に光熱に物資は勿論の事だが、足らずの中で懸命に助け合いの生活を送られている。どうか一人でも多く助かり、天寿を全うして頂きたい。全国から集まる救助救援の皆さん方の、懸命な働きと称賛に値する成果を期待したい。 

 

 

・私も東日本大震災で被災しました。決して他人事ではありませんし、当時日本全国の方々からの支援物資や応援の言葉が身に沁みました。あの時のありがたさは今も忘れておりません。亡くなられた方には心底お悔やみ申し上げるとともに避難所に身を寄せている方々には、1日でも早く立ち直っていただきたいと思います。東日本大震災で当時被災した地域の市町村には防災備蓄倉庫が建設され日用品をはじめ防災食料品などもあるはず。全数まではいかなくとも半数を今すぐ提供すべき。3.11で被災した東北6県の知事さん、早急に判断して支援物資を移送してほしい。あの当時支援して頂いた御恩を今こそお返しすべき。 

 

 

・少しずつ奥の方にいくと建物の崩壊が酷く、がれきの下敷きになってる人のニュースがでてきてますね辛い。重機がもって早く輪島とか珠洲市とかに搬入出来れば、そちらの方も変わるのかもだけど陸路ではガレキ除去しないと辿り着けない、空路では重量制限的な物、海路だと地震に備えるものもあるし港がどうかって問題もあるだろうし本当に陸の孤島 

 

もう発生から4日を少し過ぎた頃だろうか、まだギリ生きてる人はいるかもだけど・・・、ここからの生存は本当に厳しくなるんだろうな 

本当に神頼みしか出来ないけど、一人でも多く助かって欲しい 

 

 

・あれだけ多くの家屋が倒壊しているわけだから、未だに救出されずにいる人も多いだろう。時間が経つに連れて、悲しいニュースが多くなってきている。 

半島で道路が寸断され、なかなか救助が進まないのは仕方ないのかもしれないが、お正月で普段会えない人との再開など、いろいろ楽しみにしていた人も多かったハズ。 

こんなことになってしまい、気の毒でしかない。 

一人でも多く救出され、1日でも早く復興されることを望みます。 

 

 

 

・避難中に倒壊に巻き込まれて… 都会だとここまで脆そうな家は多くないですが確かに築100年ぐらいの木造家屋は存在しますね。避難するは良いけど、避難する道も大事ということ。できるだけ広い道を、建物からできるだけ離れて避難するのが大切なんですね。 

 

 

・本当に悲しい話だ。 

あの日、大きく津波警報が流れたが、津波の被害よりも 

最初の報道では流れなかった、建物倒壊での被害者が多かったのだと思う。 

古い家が多かったとか色々言われているが、あの揺れと家事の中では 

上にどんな頑丈な建物が建っていようと、関係なかった。 

現在、行方不明者が一刻も早く救われますように。 

そして、 

被害者の方々のご冥福をお祈りいたします。 

 

 

・涙が出ます。22歳の時に吹田の実家で阪神淡路大震災を経験しました。震度5弱でしたが、平屋の借家に当時住んでいましたが、パッと目が覚めて畳の部屋でしたが立ち上がりましたが、トランポリンの上を歩いている様なグニャグニャな感覚を今でも覚えています。幸い土壁がもろもろと崩れて部屋の飾り物が倒れただけで済みましたが、今回の地震は自宅の大阪市内のマンションの4階でしたが、建物が1分くらいフラフラっと揺れたままで、船酔いみたいな感覚で、電柱の架空線も上下に揺れていました。他人事では無いなっていつもニュースを見るたびに思います。ご冥福をお祈りします。 

 

 

・状況を想像するしかできませんが辛い報告ですね。 

残されたご家族の心境を思うと胸が締め付けられる思いです。 

 

自身の最期をどんな状況で迎えるのか、せめて大切な人に寄り添う形で、そう思うとお二人の状況は少しだけでも救われたような気がします。 

 

ありきたりな言葉しか残せませんが、1日も早く1人でも多くの方がご家族と再会できることを願います。 

 

この震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します。 

 

 

・哀しい最期だな、お孫さんはお爺さんを迎えに行ったが、帰り道で倒壊に巻き込まれた。お二人とも無念だったでしょう。畑に残っていたら助かっていたに違いない。運命とは残酷なものだ、親御さんも失意のどん底にあると思います。胸中を察するにかける言葉も見つからない。 

 

お爺さん、天国でお孫さんを守ってやれなかったことを悔いているかも知れない。人生にはどうしようもない事が降りかかってくる。 

 

謹んでお二人のご冥福をお祈りいたします。 

 

 

・奥能登に親族がいて避難生活をしています。水も食料もなく、電気もガスもなく灯油も無いため乳幼児を含めた300人程が金沢大学能登学舎に身を寄せあって救助を待っています。  

携帯の電波も届かず、かろうじてLINEで連絡がとれましたが、常時電源をいれていることもできず、連絡不通になって24時間以上が経過しました。 

どなたでもいいですので、公的な支援の手が行き届く様にSNS等で拡散お願いします。この避難所に限らず多くの地域で支援物資すら届かない地域があります。 

 

 

・昨日今日と珠洲と門前に仕事に行ったけど、「大型含む車両通行可」なだけで、まともに走る事が出来るのはほんの一部のみ。 

 

後は隆起・地割れ・土砂崩れがそこかしこにあり、片側交互通行や警察による誘導でGWの映像なんかで見る渋滞より遥かに酷い。 

 

何かしたい・手伝いたいと言う気持ちは心底有り難いが、現実問題として奥能登に行くのは本当に止めて欲しい。 

 

七尾辺りはまだ道路がマシな状態だが、断水が続いていて復旧の見込みが立ってないから、取り急ぎそちらにも水が大量に欲しい。 

 

 

・三重県ですが、経験したことのない揺れ方(音もなく静かにゆっくりスィングする感じ)で、 

自分が目眩を起こしてるのか?と思う感じでした。 

今日仕事先で同僚も同じことを言ってました。 

 

うちの地域では震災後、避難する時は自治会から配られた 

黄色いリボンを門扉などに結ぶことになっています。 

独居の高齢者も多いので、倒壊時などに在宅かどうか分かりやすくするためです。 

倒壊などで困るのは、数十年間管理されていない戸建ての住宅。 

角地(電柱がないのが幸い)で樹木がかなり大きくなって 

倒れてくるのが心配ではあります。。 

 

 

・被災地は被災者の水や食糧に毛布や防寒着にトイレが足りません 

救助にあたる警察や消防にだって当然足りない。自衛隊なら自分達の 

分も被災者の分もやっと少しづつ用意できるくらいでしょう。 

海外からや国内でのボランティアも衣食住を持ち込めるとは思えません 

せめて主要道路網や水道電気が復旧しないと救助者自身が被災地で 

足を引っ張る事になってしまいます。 

 

 

・被災された方の中には普段は石川にいない人たちも多かったでしょうね。孫娘となると、残された家族は、いかなければよかったとか、いろいろな後悔が頭の中をぐるぐるしてるでしょうが、決して自分を責めないでほしいです。。。同じく亡くなったおじい様も、一緒に死ぬなんて息が絶えていく中悲しいかったことでしょう。本当に辛いです。 

 

 

 

・当時震災の映像ニュースで流れてて見たが、土煙があがっていて家屋がすぐに倒れていたのが分かった。本当にあっという間に瓦礫が崩れて来たのだろう。恐ろしい。ご冥福をお祈りいたします。 

 

 

・今回の地震では咄嗟に外に出たとして家屋の倒壊から逃れられたか分からないが、古い家ほど安全な場所を見つけておいて、少しの揺れでも普段からそこに出るというのを訓練がてらでもやらなければならないのかもしれない。建物を耐震にできれば一番いいが。日本人は良くも悪くも揺れに慣れているから、震度3,4くらいでは驚かない分、行動が遅れる面もあるのかもしれない。 

この記事の場合は畑の真ん中にいた方が安全だったかもしれないけれど…。避難の行動はしたのに身を結ばなかったのは残念ながらですね…。 

 

 

・犠牲になった孫娘の方がおいくつかわかりませんが、90代の祖父母で20代の孫もいます。 

戦争のせいで少し当時は平均の結婚年齢よりズレていたり、親の世代も兄弟が数人いれば長子と末子で年齢差があったりするので。 

 

寄り添って避難されていたのですね、優しくて思いやりのあるご家族だった事と思います。心よりご冥福をお祈りいたします。 

 

 

・今回の震災では古い木造民家の倒壊による人命の被害が目立つ気がする。自分の住まいは東海地方なので決して他人事ではない。借金(住宅ローン)を抱えてでも、耐震性の高い住居が大事だと感じた。心よりご冥福をお祈りします。 

 

 

・古い家屋もそうですが、ブロック塀もです。今にも崩れそうな古いブロック塀をそのままにしているお宅、まだまだ見かけます。早く何とかして下さい。人命に関わる事だと思うのです。お願いします。 

 

 

・ご冥福をお祈りします。 

こういった悲しい災害が今後起きないように自分の身は自分で守りながらもご近所と連携しながら助け合える環境が必要ですね。なかなか昨今ではそんなコミュニティも築く事難しいですが。 

 

 

・心からのご冥福をお祈りします。 

最期は2人で寄り添っていたのはもうダメだと思ったのかな。そう言う事を考えると非常に悲しいです。残された家族からすればなんとも言えない気持ちだと思います。せめて今安否不明の方々が一刻も早く生還できる事を願います。 

 

 

・もうこれから建てる家は、震度7に耐えられる構造にしないとダメだね。そして海岸沿いや川沿いに建てないといけない場合は鉄筋コンクリート造。そして2階建て以上にして、最悪の場合、屋上に避難できるようにするとか。じゃないとこんなふうに津波がすぐに来たり、こんな規模の地震がきたら、本当に誰も助からないと思う。 

 

 

・阪神大震災で家を失い、周りでたくさんの方が亡くなられました。私は生き残れましたが、この記事を読んで涙が出てきました。本当に地震はこわいです。早くみんな助けてもらえますように。政府は早急に対策、動いてほしいです。 

 

 

・惜しいことだ。 

およそ倒壊被害を免れるためには「野外の開けた場所への避難」が出来るかどうかにかかっている。 

 

条件ぴったりの場所にいたのにわざわざ路地に入って被害に会うというのは教育や訓練の不足を感じる。 

 

私が逃げるなら学校の運動場のような場所だ。 

どこが「安全」なのか、学校でもっと教えるべきだろう。 

 

特に前震余震でどこが最大値になるかわからないことと併せて教育せねば実害は減らせない。 

 

「開けた場所にいたなら、そのまま高台へ」 

「死ぬのは津波か家屋の下敷きかのどちらかだ」 

たったそれだけのことをちゃんと教えてほしい。 

 

今回の犠牲を無駄にしないでほしい。 

 

 

 

・90代の方の孫娘となると30代位の方でしょうか、真っ先にお爺ちゃんを心配し大きな揺れの中でも、お爺ちゃんを支え避難しようとされていた、本当に優しいお孫さんですね。 

お爺さんは可愛い孫娘を巻き込んでしまい無念だった事でしょう…御二方のご冥福をお祈りします。 

 

 

・報道も被害の大きさを伝えたいんだろうけど、家族が亡くなって途方に暮れている人とかそういった人にカメラを向け話を聞く必要はあるんでしょうか。避難所で困ってる人の話を伝えるのは必要なのかもしれませんが…ちょっとひどいように思います。 

 

 

・様々な人生があり、助け合いの精神もあるとは思いますが、今はまだ個々の美談を喧伝する時ではないのでは……と思います。 

悼む気持ちはご家族が十分にお持ちでしょうから、個々人は静かにしておいてあげてほしいです。 

 

むしろ、国からの救助の遅れ・スフィア基準を未だ守れない政府・動きの遅い総理へのマクロ視点での批判が今メディアに求められていることではないでしょうか。 

 

 

・リアルタイムの地震中継で、土煙が上がっているのを見たから、とんでもない被害が出る事は簡単に予想できました。 

 

自分がまきこまれたらどうしたらいいか。 

家の耐震化は必須です。 

 

 

・東日本大震災で被災しました。 

こういう記事を見るとあの当時を思い出し胸が苦しくなります。 

おじいちゃん、お孫さんを守ろうとしてたんだよね。 

とても優しいおじいちゃんだったと思う。 

お二人の御冥福をお祈りするとともに安らかに天国で過ごされますように… 

 

 

・毎日悲痛なニュースが更新されて胸が苦しい。 

当事者でなくてもこんな気持ちなので被災地の方々の苦しみは想像を絶するんだろうと思うといたたまれない。 

正月ということで帰省中の方がたくさんいらっしゃったのも被害拡大になってしまっていて言葉も出ない。 

 

 

・こんな辛い現実を知って、何も出来ない自分の無力さに腹が立つ。何か出来る事は無いだろうか。 

個人的な支援の受け入れはまだできないし、募金活動もしてないし、ただ現実だけ見ているのは辛すぎる。被災された方々が一日でも早く、元の生活に戻れる事を祈ってます。 

 

 

・今回の地震は同じような家が軒並み倒れているけど、耐震性はどうだったんだろうか? 命より大切なものはないのだから 家を鉄骨造にするとか補強するとか投資は必要だがする必要があるんじゃないんだろうか… 

 

 

・帰省してるから助かった命もあるけど、 

帰省してなかったら助かってたいのちもあったと思うとやるせない。 

2年前3年前ならコロナで帰省してなかったかもしれないのに、そこで帰省しなかったからお正月帰省していた人も多かったのでは 

 

 

・過疎、限界集落、高齢者。 

耐震性の問題が露呈しても建て替えて住む人がいない。 

正月帰省がなければ若い人の被害は少なかっただろう。 

歴史ある街でも自然災害で消滅する。 

後世に語り継がれても地震の不安の残る街に住む人は少ない。 

真の復興は問題山積である。 

 

 

 

・今回の能登半島地震は、甚大な被害が出ているので、 

類似したニュースが今後も報じられると思います。 

 

その度に悲しい気持ちになります。 

 

一人でも多くの方が助かってほしいです。 

 

 

・お気の毒としか言いようがありません。 

地方では古い家並みが多く、耐震基準を満たしていない家がたくさんあるようです。国の力で補助金を出すなどして耐震補強するなりできないのでしょうか。自治体の補助は聞きますが、国が補助金を出しているというのは聞いたことがありません。 

 

 

・テレビをみると、すべての住宅が倒壊しているわけではなく、比較的新しい家は、そのままで、古い家が潰れている感じがした。 

もう年だから、まだ住めるから、とそのままにしないで、せめて耐震工事をして欲しいと思います。 

家が倒壊して、家族、親戚、近所のかたが巻き込まれたり、道路を塞ぎ、支援物資を運ぶ妨げになるのは、防がないと。 

一瞬で倒壊しなければ、自分も逃げられます。 

自分のため、他人のためになりますので。 

 

 

・古い建物から離れることで命が救われるかもしれないと改めて思いました 

大変な日々を過ごしている被災者支援を1日、1秒でも早く助けてあげたい 

政府の迅速な対応を願っています 

 

 

・震災の被害状況が、日々残念で痛ましく悲しい結果で気持ちのやりようがない。被災地で不安な日々を過ごしている被災者の方々に 

今、国民が皆さんに心から励まし 

のエールを送っています 

頑張れ、頑張れ、息子も警察官で 

被災地で頑張っています 

 

 

・阪神でも東日本でも発災直後には自衛隊の偵察機が飛んですぐ行動に移していたと記憶しているけど、今回は当日出動要請が出て、では出動は翌朝から、みたいな感じで初動が遅い感じだった。投入人数も泥縄式に増やしている感じで、政府は被害の規模を見誤っていたのではないか? 

 

 

・いつも思うんだが、戦争で使用している装備で救助に熱源感知システムは、使えないのだろうか? 

精度で無理なのか、数が無いのかなぁ。。。 

災害に備えてハイテク装備を開発して使用する事も考える必要があると思う。 

 

 

・亡くなった方々のご冥福をお祈り申し上げます。 

私は石川県のことはよくわかりませんが、空き家などが多い地域なのでしょうか。 

都心でも空き家のまま放置された家が問題になっいますよね。避難中にそれらが倒壊して人が死んだらどうするんだろう、と思います。更地ならそんな危険はないのに。 

うちの子が通う小学校への道にやはり放置された空き家があります。いざとなれば小学校に避難しないといけないけど、あの家がとうかいしたら学校にたどり着くのが困難になるな…と思っています。 

 

 

・非常に残念です。地震さえ来なければ、と思いますが。後、家も、震災対策は、必ずしておくべきです。震度7でも、十分耐えられる家に、私は、してます。東北地方の方々は、一刻も早く震災対策耐震性強化の家作りをしていただきたいです。 

 

 

・過疎や高齢化が進んでいる地域ほど脆い地盤に建っている脆い建物が多いイメージがあるなぁ… 

記事読んでるだけで、辛くなった。 

頑張って欲しいですね。 

ただ、今は無理に頑張ろうとしないで欲しいな。 

気持ちの整理ついてからでいいので。 

 

 

 

・いたたまれない気持ちになる。地震の怖さを知るには、経験しないとわからないのかも。「小学校の時に机の下に」こんなレベルではない。家がのしかかってくるのでは、耐えられない。ご冥福をお祈りします。 

 

 

・こういう記事を読むのは本当に辛いです。 

阪神淡路大震災で親戚知人を無くした時もいたたまれなかった。 

震災とはいえ昨日までいた人が急に居なくなるのは本当に悲しい事です。 

ご冥福をお祈り申し上げます。 

 

 

・まだまだあちこちの集落で、誰がどこで不明なのかさえ判明していない。これからカウントが進むにつれ、被災者や死傷者は増え続ける可能性が高い。 

 

政府の対応は「小出し」の一言。お金も人員も資機材も、何もかもそうだ。 

 

馳知事は金沢市内の支援物資を集める基地の視察。岸田総理はわざわざ越年させた裏金対策をこの期に及んで本腰を入れ始める始末だ。 

 

連絡道路が限られた半島部、高齢化が50%超えの過疎集落の被災。元日夕方の手薄な時期、津波に土砂災害に建物倒壊にと、対応に不利な条件が重なる不運。 

 

だが一番の不運は、決断力と実行力を根本的に欠いた総理大臣、閣僚、知事の任期中に発生したことだと思う。 

 

彼らではダメだ。 

救える命も救えなくなる。 

 

 

・痛ましい。 

この度の地震で犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。 

また被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。 

そして一日も早い復興をお祈り申し上げます。 

 

 

・せめておじいさんと孫娘が畑にいる時に大地震が発生していたら、外だから難を逃れたのかも知れない。そう思うと助かるタイミングもあるし、運命は紙一重だと思う。安らかに。 

 

 

・悲しいことばかりです。 

 

亡くなられた方には心よりご冥福をお祈りいたします。ご遺族の方には、心よりお悔やみを申し上げます。 

まだ見つかられていない方の発見を心よりお祈りいたします。 

 

残されたご家族には、どうか諦めず 

生きてほしいです。 

 

 

・痛ましい惨状を伝えるニュースだ。まだまだこれからも似たような状況があるだろう。リミットである72時間が経過した今、冷たい言い方にはなるがそうなる。年始早々、暗い話からのスタートだ。 

 

 

・がれきの下で寄り添う2人、亡くなった90代祖父と孫娘というタイトルを 

見ただけで、悲しい気分になる 

 

遺族や仲のいい友人たちは、とてもつらい気分でしょう 

 

被災地に明るいニュースが来ることを願っています 

 

 

・各都道府県で災害時のボランティア、物資受け入れ即時実施の事前整備を行って欲しいです。きっと救える命の数は増えるはずです。 

 

 

・東日本大震災でもあった光景ですね。津波に飲まれたおじいちゃんと孫。 

おじいちゃんが孫を抱きしめたまま亡くなったいたそうな。 

いたたまれないですね。やるせない気持ちになります。 

岸田政権の対応の遅さ。自衛隊投入の人数の少なさ。台湾からの支援を断る愚かさ。 

食料や飲み物の支援も届いていないのに、復興住宅建設発言とか空気読めないバカさ加減。 

冬場なのに発災から72時間も人の命が保つと思ってるなら、今すぐに首相を交代した方がいいですね。 

 

 

 

・地震に遭遇し亡くなるまでに交わした言葉やお互いに労わるさまが伺われ、この悲遇を心から悲しく、無慈悲な運命を恨みたくなります。この悲報に接し、心からお悔やみを申し上げ、ご冥福をお祈りします。合掌! 

 

 

・うちの祖父母もそのくらいの年齢だが、もう素早く外には逃げられないよ。孫娘の自分らが背負って逃げてあげようとするかもしれないけど、多分それで少し時間を取ってしまうのかな。けどだからって置いて行けないよな。 

 

 

・自衛隊の第一陣が5000人態勢で初動していればねえーーとも思う。 

政府の甘い、危機感の乏しい判断が、今となっては悔やまれる。 

阪神淡路大震災を上回るマグニチュード7・6。 

それで、自衛隊初動1000人。官邸スタッフは危機管理のシロウト集団ですね。まったく危機管理が機能していません。国民の生命と財産を守る・・・なんて、岸田さんにはとても無理なお仕事のようです。 

内心、応援していましたが、地震対応で、完全に見限りました。 

何も期待はできません。 

 

 

・90代で畑仕事していたの?なんと健常な方でしょう。100までどころが130歳まで生きられたのでは?そう思うと残念です。そして何より孫娘。若くして無念だったでしょう。1人でなかったのは幸いであった。ご冥福を祈ります。 

 

 

・お互いを守ろうとしていたのかも知れないですね。穏やかなお正月がこんな悲劇に見舞われるとは誰も想像してなかったでしょう。お二人の御冥福を御祈り申し上げます。 

 

 

・タイトルだけで胸が締め付けられます。 

どうかもうこれ以上幸せな家族や大事な人達、日々頑張っていた被災地の方達を奪わないでほしい。 

何も日常が変わらず今日もご飯を食べた。 

買い物も行った。やれる事と言ったら募金。そんな自分がなんて無力なのかと。 

大金持ちだったらな、自家用ヘリでも持ってたらな。 

 

 

・富山の中学生もそうだが祖父母に会いに行ったり両親の実家に里帰りしてる時に大地震に遭って亡くなった人や子供達がいると思うとすごく切なくなる、帰省しなければ大地震に遭うことも亡くなることもなかったはずなのに 

 

 

・元自衛官です、自然災害には分散して対処しなければいけないはずです。 

相当数ではなく過分の人数、広範囲の部隊が必要ではないでしょうか 

あと、ネットの誹謗中傷やら規制、取り締まりしてください 

 

 

・震災家屋倒壊は、世界中で起きている。 

妊娠中の母子も世界では死んでいる。 

イスラエルの攻撃でパレスチナの赤ちゃんも死んでいる。震災で死ぬより戦争で死ぬのはもっと残酷だ。海保機の生きたまま焼け死にもかなり悲惨な事件。 

 

人の死に方は、さまざまだが、死に方は選べない。 

 

 

・誰のせいでもなく、美しい歴史ある土地や人が犠牲になってしまった。それも元旦に。木造住宅を復興させてほしい。復興をきっかけに日本の林業や大工さんが盛り上がればいいと思う。日本には木造が合うんだから。 

 

 

 

・倒壊家屋を写す報道を見る限りでは、圧倒的に瓦屋根が多いように見られる。 

またまた耐震基準前の建物なのかな? 

もし、瓦の重さが倒壊に繋がる事実があるなら、建築法で規制することべきでは? 

この国に住むなら、地震からは逃げられないのだから、、、 

 

 

・自分の命にかえてもこの可愛い孫娘の命を助けてくださいと切に切に祈ったことと思います。どうかお二人とも安らかにお眠りください。ご冥福をお祈り申し上げます。 

 

 

・今回の地震の揺れ方(縦揺れ、横揺れ時間)と、熊本地震の揺れがどうであったのか、落ち着いてからでもいいので比較をして欲しい。 

今回、熊本地震に比べて震度6強地域での全倒壊がかなり多い様に感じる。 

これが震度は同じで揺れ方が違うからなのか、耐震性なのか。 

 

耐震性であるなら、全県強制力をもって耐震工事を義務化する。していない家は住ませない位の措置はあっていいと思う。 

 

 

・切なくて涙が出てしまう。古い家屋だと思うので仕方はないとは思うが、補強助成を出すとかで、何とかならなかったのだろうか。 

ご冥福をお祈りいたします。 

 

 

・間に合わないのなら状況を説明して他国の支援を仰だ方がよいのでは。個人的な支援では出来る限度があるが国の支援なら可能性が上がると思う。なぜ政府は頼ろうとしないのか良く解らない。時間が遅れることで救出出来なかった命は政府にも責任があると思う。出来ることは全て試してから反省すべきだと思う。 

 

 

・当然家族も心配でしょうがこのような緊急事安全な場所ならその場に止まり様子を見てからの移動する慎重な行動を。まず自分の命を第一に。 

 

 

・お見舞い申し上げます。 

何年間に一度、いや毎年これからは悲しい災害があるような気がします。またそれを経験し繰り返し日本人は立ち上がって来たのでしょう。 

このお二人様の弔いのためにも明日の被災者を減らすよう皆で考え気をつけて行きましょう。 

合掌 

 

 

・正月でたくさん人が集うときを狙うなんてやはり神様なんているわけない。おそらく初詣で家内安全願った人もいたはずなのに。自分は初詣のあと事故で骨折して行かなくなりました 

 

 

・自衛隊の投入は1000人で十分だったのか? 

他国の救助隊受け入れ拒否は的確な判断だったのか? 

災害対策予算は少なすぎやしないか? 

 

岸田は冬休みでも取ってたかと言うくらい判断が遅い!! 

死亡した人の中には岸田の判断の遅さが原因で命を落とした人がいると思う 

 

 

・言葉も無いですわ、ご冥福をお祈りする事しか出来ません。 

一人でも多くの方が助かる様願っております。 

 

 

 

 
 

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