( 125960 ) 2024/01/06 13:38:48 0 00 ・気動車で運転されていた当時は当たり前に西戸崎〜宇美で直通運転されていたけど、蓄電池電車へ置き換えられ充電がどこかで必要となり既に架線が張られている香椎が充電拠点となったことで充電時間を確保するため系統分割されましたね。 もっとも直通客は通勤通学時間帯に限られ昼間はそんなに多くないことから問題はないようです。更に遡ればアクアエクスプレスなどが鹿児島線から直通運転されていたけど、足の遅い気動車ということもあり香椎線内の遅れが原因で鹿児島線のダイヤに影響を及ぼすという理由で中止されていましたが、電車化された最近になって再開されました。
・元々が宇美や志免周辺で産出される石炭を西戸崎の港まで運ぶために敷設された鉄道なので同じ名称になっているが、旅客は直通する列車でも香椎で多くの旅客が入れ替わる。このため、現在では原則として香椎駅で系統が分かれている。志免には国(鉄道省)が運営していた炭坑があってSL用の石炭を産出していた。立派な縦坑やぐらや坑口跡、香椎線からの引き込み線の遺構が今でも少し残っている。 篠栗線との立体交差地点に今は長者原駅があって、両線の乗り換えが多く篠栗線の快速も停車するが、もともとは別会社であったため交差地点に長らく駅がなかった。周辺の人口が増え福岡市内へのアクセス改善のためJR化後にようやく駅が開設された。現在の香椎線は、香椎だけでなく長者原も重要な乗換駅として多くの乗降があり、乗客が入れ替わる。 なお、同線の和白駅は西鉄(貝塚線)と隣接して乗り換えができるが、一旦改札を出ての乗り換えとなる。
・このケースとは異なるけど、かつて士幌線と広尾線を直接行き来していた大平原号は、糠平から帯広を通って広尾までぶち抜いていた。この列車が走った1969年は、まだ十勝三股駅のバス代行前ではあったが、糠平折り返しだった。広尾駅は1面1線の駅だったが、延伸構想があっただけあって、とても広い敷地で、いつでもホームを増やすことができる作りだった。
・記事で取り上げられているJR以外の、起点駅と終点駅が他の鉄道路線と接続していない例では、(ゆいレールは沖縄なので他の鉄道と接続がないのは当然なので例外)
名鉄の三河線は知立で運行系統が分かれているけど、猿投と碧南の両末端駅では他の鉄道路線と接続していない。 両駅共に、かつては先に路線が続いていたが、廃止されて末端駅となった。
・香椎線は香椎でほぼ分断されてて乗り通そうと思ったら宇美から西戸崎方面にしないと、西戸崎から宇美は香椎での接続が悪い。 旅客流動が香椎線から乗って香椎から鹿児島本線乗換がほとんどだから接続が悪いのは仕方ないけど。
・実際は途中駅で連絡があるわけだし。 香椎線の場合は、貨物の全盛期なら港や炭鉱を結んでいたことで機能を果たしていたことになる。 今は乗り通す乗客はいないわけで、2つの盲腸線をスルー運転しているという解釈でいいと思う。
・完全孤立路線って沖縄のゆいレールしか存在しない。起終点駅が繋がってないということなら上毛電鉄があるけど、赤城駅で東武と接続してる。近鉄田原本線は駅名上では完全孤立路線だけど、両端ともに乗り換え可能だから該当しないでしょうね。
・記事にあった勝田線が存続していたら、今頃ドル箱路線だったかもね 香椎線の終点宇美駅あたりまでの周辺は福岡市のベッドタウン、ひょっとしたら地下鉄空港線が接続することになったかもしれない 旧産炭地の路線が次々と廃線になる中で、一緒に消えていった
・香椎線と勝田線は,今でいう西鉄がつくった路線です。戦時買収したのち国鉄が貧乏になり,福岡市の通勤路線になり得たのに閑散路線にしてしまった,悲しい路線です。 戦時買収された路線のうち,もとの鉄道会社に返還されたのは,わずか1路線。富山地鉄の富山港線だけです。
・小さい時、沿線に叔母が住んでいました。 急行さんべ号の間合いで、朝のラッシュ時の西戸崎→博多をグリーン車を含む米ヨナ(トリ)所属キハ58系7両編成が走ってました。 皆生温泉(鳥取県)の車内広告を見て、この列車遠いところから来たんだなと思いました。
・まぁ令和6年の今にも生きる…現役のローカル運炭線にて、炭鉱本家の筑豊本線に連絡する支線は、後藤寺線と平成筑豊鉄道を除き、上山田線などJR化と通学客が多くも廃止…
それに比べて香椎線は、西戸崎(志賀島)や海の中道駅(海浜公園・マリンワールド等)、沿線レジャー化アクセス成功例、香椎は公私の高校が5校(特に公立は宇美町まで通学区 )、
同沿線には、歴史ある香椎宮・宇美八幡宮あり、他住宅街や団地が多く、長者原駅は篠栗線に乗換え…博多駅アクセス、須恵中央駅は県立高校あり多数の通学客、そう言った地元の沿線客に、今日の香椎線は支えられてると思われます…。
追伸、香椎線酒殿(さかど)駅では、勝田線の志免駅へ貨物線接続ルートが有り、もし後者が残るも、同貨物線を旅客化には未知数でしょう…。
・弥彦線もかつてはそんな路線でしたね。1985年3月末に東三条駅-越後長沢駅間が廃止され、現在の路線となっていますが。 同日に勝田線も廃止され、香椎線が唯一の路線となりました。
・鉄路は繋がっているから非常時にも役立つのに、国鉄民営化後 いまやバラバラ。 明治から投入して建設してきた社会インフラを ただただ消耗するだけでは、国鉄民営化については見直す時期かもな。
・国鉄時代は長者原駅が無く(篠栗線の方も)国鉄線同士が駅のない状態で交差する珍しい路線だった。 後は添田線(後に廃線)と田川線(現・平成筑豊鉄道田川線)と東海道線と南武線浜川崎支線。 私鉄だったら西武多摩湖線と国分寺線位? いずれも出自が買収路線という理由から。
・この路線の電車はパンタグラフのすり板の摩耗が少ないだろうな。本線での竹下への回送くらいしか集電しての走行はないから。
・西戸崎は船で抜けられるし、宇美はバスで太宰府に抜けられるので、盲腸線では乗り潰しの効率が良いほうですが
・氷見線と城端線を直通運転…という話がチラホラ出てるけど、確か第三セクター移行後の話だったような。
・晩年の下津井電鉄や頸城鉄道が正真正銘の「孤立」鉄道でしょうね。両端どころか中間でも接続なかったんだから。
・香椎を境に別の路線と見た方が妥当。城端線+氷見線が同様のパターン
・私鉄でも、名鉄瀬戸線や西武多摩川線など自社とは接続しない路線がありますね。
・昔の弥彦線が越後長沢まであった頃は両端行き止まりでした。
・香椎って点と線に出てきた場所ね。 鉄ちゃんが好きそうな話だ。
・かつては弥彦線もそうだったが1984年に南部区間が廃線になった
・末端駅と終点駅はどう違うの?
・香椎線が元は私鉄なことには触れないのね。
・これは鉄道マニアの皆さんもご存じなかったでしょう。 良記事ですね。
・起点西戸崎、 終点宇美では。
・だから何って話だな。途中駅でも全く他の路線と接続してないのならともかく。
・若松駅は?
・読んでみたら、ガッカリだった
・そりゃそんな路線はあるさね 移動の手段なんだから
・乗りに行ったけど、だから何って感じ。
・全検とかはどこにどうやって行くのですか?
・氷見線と城端線は?
・DENCHA
|
![]() |