( 126386 )  2024/01/07 23:55:56  
00

料理研究家の枝元なほみさん(68)は、「一病息災」で自分の病気と向き合い、料理活動を続けている。

彼女は、演劇から料理への転機や、間質性肺炎で体力が落ちた経験を語っている。

彼女は詩人の言葉や友人たちの協力を得て、自宅での活動や夜のパン屋さんの取り組みを通じて、社会的な活動も続けている。

彼女は病気や高齢で体がしんどくても、できることはあると述べ、自分の経験を役立てることができると気づいた。

(要約)

( 126388 )  2024/01/07 23:55:56  
00

 有名人に、病気や心身の不調に向き合った経験を聞く「一病息災」。今回は、料理研究家の枝元(えだもと)なほみさん(68)です。 

 

【図解】乾いたせき 息切れは間質性肺炎かも…一般的な肺炎とはどう違う? 

 

青木久雄撮影 

 

 調理の学校に通ったことはない。大学時代に演劇に関心を持ち、劇団「転形劇場」で活動した。皆の食事を引き受けて「飯炊き」をするうちに、料理の面白さに目覚めた。10年ほどして劇団が解散し、料理が仕事になった。「時代が良かったのね。料理本がよく売れた。家庭料理を長年作ってきて、早い、うまい、安いなど、ひと通りやり尽くした感じもしたの」 

 

 2023年初め、間質性肺炎が悪化して体力が落ち、思うように動けなくなった。酸素吸入は、料理で直火(じかび)が使えなくなるから避けたい。今の自分にできることは何だろうと考えていた。 

 

 そんな時、20歳代からの友人である詩人の伊藤比呂美さんが、羽田空港で「超かっこいい男」を見た、と知らせてきた。背の高いトレンチコートの中年が、鼻にチューブを付け、キャリーで酸素ボンベを引いて、さっそうと歩いていた。「酸素吸入をしているから、かえって男っぷりが上がって見えたと言うのよ」 

 

 病気と共に生きる姿を見てもらえば、同じような人を励ませるのではないか。夏の終わり、テレビ出演があった。スタジオでは酸素のチューブを付け、直火でなく電磁調理器で、モロヘイヤのつけそばを作った。 

 

 「病気や高齢で体がしんどくても、できる調理法はある。たとえば冷凍した葉物を袋の中でもんで細かくすれば、刻む必要がないでしょ」。病気の経験も役立てられることに気づいた。 

 

青木久雄撮影 

 

 今、力を入れているのは「夜のパン屋さん」の活動だ。間質性肺炎であることがわかった2020年から始めた。都内のベーカリーが売れ残りの処置に困っていると聞いたのがきっかけだった。 

 

 職人が丹精込めた食物を無駄にしたくない。いくつもの店からパンを買い取り、夜間、都心の神楽坂や田町、大手町で週1~3回販売する。フードロス対策と同時に雇用を生み出す試みでもある。 

 

 それ以前から、ホームレス支援の雑誌「ビッグイシュー」のインタビューを受けて共感し、この事業を手がける基金の共同代表を引き受けるなど、社会的な活動を続けてきた。 

 

 病気になって確かにできないことは増えた。「でもね、今できることを持ち寄ればいいのよね。自分でパンを売りに行けなくなったけど、皆がそれぞれできることをやって、任せ合っている」 

 

 「夜のパン屋さん」では、月に1度、古民家で1日カフェを開いてきた。そこで提供する食事や菓子を準備するために、前日、友人やスタッフが自宅に集まり、台所に立ってくれる。ラスクやマフィンを焼き、カボチャ、ニンジン、キャベツを切って下ごしらえする。 

 

 「体調がよくない時は、私はソファからあれこれ言うだけ。活動は経済的にはギリギリだけど、人と人との関係性が支えになってます」(文・小屋敷晶子) 

 

 

 
 

IMAGE