( 126437 ) 2024/01/08 12:27:43 2 00 「言葉が出なかった」 能登半島地震で出動の消防隊員が見た現場毎日新聞 1/8(月) 8:34 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/1c1e6f0ed6870b90a79daff4a1a9ebd5baebd6c6 |
( 126440 ) 2024/01/08 12:27:44 0 00 県緊急消防援助隊として倒壊した家屋の捜索活動をする小田さん(右)ら=大津市提供
「想像以上にひどい」。1日午後4時10分に発生した石川県能登半島を震源とする地震。倒壊家屋の被災者を救助するために現地に派遣された滋賀県緊急消防援助隊県大隊の小田浩文大隊長(58)=大津市消防局警防課長=は3日朝、現場を前にしてつぶやいた。限られた人員や資機材で巨大災害に立ち向かった小田さんが感じたこととは――。【飯塚りりん】
【写真】崩れた実家の前で涙 妹は最期まで子供を守った
◇即日出動も…
県緊急消防援助隊は、石川県の近隣県で構成される第1出動都道府県大隊として迅速な出動が求められていたため、滋賀県内の各消防本部からの計38隊で編成された132人が1日午後6時48分、大津市消防局から石川県珠洲市に向けて出動した。しかし、被災地に着くまでの道のりは長かった。
集結場所の同県消防学校(金沢市)までは陸路で到着したが、能登半島に入ると道路の陥没や隆起が激しく、電線も垂れ下がっていたため、陸路でのアクセスを断念。一部の部隊が海上自衛隊の艦船で金沢港から乗船したが、津波の影響で倒木があり、危険性が高かったため、このルートも断念した。ヘリ輸送を待って海自艦内で一夜を明かした。小田さんによると、隊員たちは現場に到着できないというジレンマを抱え、「早く被災者に手を差し伸べ、一人でも多くの人を救出したい」という思いを募らせていたという。
珠洲市の宝立町鵜飼地区に入り、倒壊した家屋に取り残された被災者の捜索を始められたのは3日の午前9時ごろだった。2階建て家屋の1階部分は潰され、電柱や家屋は津波が流れた方向に倒れていた。県外ナンバーの車も多く、子供たちが帰省していた様子もうかがえた。深刻な現場を前に「もっと早く着きたかった」という思いもちらついたが、72時間以内であれば生存者を救える可能性も高く、迅速にできるだけ広い範囲を捜索することを徹底した。現場に重機は到着しておらず、本格的な機器を積んだ消防車もない状況で、のこぎりなどを使って活動を進めた。
特に困難を極めたのが、どこに何人の被災者がいるのか、という情報を集めることだった。帰省してきた人が多かったことや、住民基本台帳と居住状況が整合しないケースもあり、地元の消防団をはじめとした近隣住民が知っている情報を手がかりに捜索した。
◇発見できたが
捜索は日付が変わるまで続き、同隊は15件の捜索にあたったが、救出できたのは高齢者5人で、全員亡くなっていた。また、避難所などで体調が悪化した人の救急搬送もした。
道具や時間さえあれば救出・救助できた現場も数多くあったといい、救出を見守る家族らに「現状で持てる力で出来ることはここまでで、申し訳ない」と伝えると、「ここまでやってもらってありがとうございます」、「救出できる人を先に救出してほしい」との言葉をかけてもらったという。涙を流して握手を求める被災者もいた。小田さんは「人間の心の温かさを感じるとともに、最後まで助けることができなかったことにやるせなさを感じ、言葉が出なかった」と振り返る。
小田さんら第1次隊は、現場で受け取ったねぎらいの言葉や被災者の思いを第2次隊の計39隊133人に引き継ぎ、4日の午後7時ごろに帰隊。その後、第2次、第3次隊が重機を使うなどして再捜索にあたっている。
小田さんが珠洲市での活動から感じたのが、顔の見える関係の大切さだ。現場にたどり着くまでや情報収集で他機関との連携の大切さを痛感し、「日ごろから警察、自衛隊、地元の消防団などと密接な関係をつくり、情報を共有する中で、災害が起きた際に精度の高い情報をつかめるようにしたい」と思いを定めたという。更に、近隣住民から被災者の情報を入手できたことを踏まえ、「迅速な救出にもつながるので、日ごろから地域でのつながりを大切に生活してほしい」と、県民に呼び掛けた。
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( 126439 ) 2024/01/08 12:27:44 1 00 地震発生から現場での救援活動開始までの遅れや、孤立した地域への救助隊の到達困難さが深刻な課題となっていることへの懸念が多く見られます。
一方で、自衛隊や消防隊員、そして救援活動に従事する人々への感謝の声や、現場での状況を理解していない批判的な意見に対する反論も見受けられます。
最後には、被災地の方々や被災者に向けた祈りや支援への決意が表明されているコメントも多く見られました。
(まとめ) | ( 126441 ) 2024/01/08 12:27:44 0 00 ・地震発生直後の救助隊の動きについては、意外にこれまであまり報道がありませんでした。すごく関心を持って読みました。 現地へ行こうにも交通手段がない。これが、今回の地震の、これまでの災害との大きな違いだと思います。 発生から2時間後に出動したのに、現地で救援活動を始められたのが3日目の朝。 「道具や時間さえあれば救出・救助できた現場も数多くあった」の言葉に、ちょっと涙が出てきました。
今回は自治体が住民基本台帳に基づく安否不明者を公表しましたが、おそらく避難所などで聞き取り調査を行ってリストを作成したんでしょう。こういうことは都会や新興住宅地では不可能です。住民どうしのつながりの強い土地だからできたことなんでしょう。 それでも救助隊が来ないことには、地元の人だけでは何もできない。
いろんな点で、いままでにない災害だと思います。亡くなられた方のご冥福をお祈りします。
・珠洲市で実際に被災した者です。 道が寸断されてしまい孤立。電気、水道はもちろんなし。電波も入らず全く情報がない中皆で励ましあい、それぞれができることをしました。自衛隊ヘリが近くに来てくれた時に私達を見つけてくれてありがとう。と思いました。その後自衛隊が来てくれました。遅い!!という怒りの感情はなかったです。土砂で道が寸断されていたり、道路が隆起したり断裂しているのを見ているからです。道も安定しない、大きな余震が続く中、わざわざ危ないところに来てくださって本当にありがたかったです。 一緒に被災している人以外の人(自衛隊の方や、消防隊員の方)を見るだけで安心しました。 本当にありがとうございました!!!
・津波の映像をテレビで見ましたが何もかも押し流しているのに恐怖を覚えました、消防隊員の方達も未だに地震が起きているなかでの活動は本当に頭が下がる思いです、ご自身の命を守りながら活動されることをされてほしいと思います。
・「72時間の壁」と言われるようになり久しいですが、地震で家屋が倒壊したらその場で圧死するという惨事を避けなければ「72時間」は生まれません。 阪神淡路大震災での15分以内即死率は50%、東灘区から芦屋市にかけて一番ひどい地区は90%という集計があります。もしそうだとしたらいかに早く出動できたとしても間に合わなかったのかもしれません。 タンスや食器棚が「支え」になって崩れた屋根から空間を作ってくれる場合もあるし、逆にそのタンスによって挟まれることもあります。基本は倒れる物の横に寝ない(居ない)、揺れが収まるまで机の下に避難する、原則の通り行動できるかは、日ごろの意識と訓練だと思います。
・救難隊や救護隊、自衛隊が災害現場に到着できても、見渡す限り倒壊家屋だらけの現場で効率よく救助を進めるには「情報」が必要。
どこに誰が住んでるか、何人家族か、など。 地域のつながりがあれば情報が共有でき、いざというとき有効。
私の町内も年々人が減り、祭りの運営が難しくなってるが、お互いの顔が判る地域のつながりとして祭りは大事だと考えている。
・災害現場の最前線に立つ人は誰もがこう言うことに立ち会うのだろうな。 部外者からしたら想像もできないが、それでも前を向く姿には敬意を表するしかない。自身も大切にしつつ頑張って任務に当たって欲しい。
・救助作業をされている方々には今以上に望むものはない。心から感謝して頭は上がらず涙を堪えるのが精一杯です。こんな状況の中、早く到着したかったの言葉に誠意と心を感じました。それより、作業中に怪我をされたり、この寒い中で体調を崩される方が心配です。
・被災した方が支援が遅い!とお話されていました。状況がわからないから不安で、避難所で過ごすことで不満も出ると思います。こんか、地震そのものが家屋の倒壊を招くものだったこと、家屋そのものの耐震性の低さは犠牲者を増やしたし、支援を難しくしたと思います。阪神淡路大震災や東日本大震災とはまた違う震災になっていますよね。とりあえず、募金を続けます。
・対応が遅い、自衛隊の人数が少ない、政府は何やってんだ、何で海外の応援を断った!と、批判ばかりしていた人達に読んで貰いたい内容ですね。第一陣の自衛隊員が荷物を背負って歩いて被災地に入ってるんですよ!人員だけ多くてもどうしょうもない状況だったのです!暖かい部屋から批判しても何も解決しない。批判する前に募金活動でもして下さい。
・震災にあわれた皆様大変な苦労をされていらっしゃる事だと思います 何も出来なくてすみません ただ涙してニュースを見ることしか私には出来ません 本当に申し訳ございません 少しでもご協力できるよう尽力いたします 心の火を絶やさずにどうか希望を持って下さい
・対応が遅いとか言ってる人にこの記事読んでほしいです。あの混乱の中で、2時間余りで 現地に向かって出発しておられたなんて、全く知りませんでした。大変な状況で、複雑な思いがあることとお察ししますが、とにかく頑張っていただきたいです。
・ツイッターなどで対応を批判するのを見たりしますが、道路の寸断、なかなか物資も届けられないなど、また電波が届かない地域が多かったりで今まで以上に大変な状況なんではないでしょうか。 批判だけするのは違うと思います。
・珠洲市の火災現場の映像を見ながら阪神淡路大震災の時の状況を思い出した。須磨区・長田区・兵庫区などとてつもない範囲で火災が発生した。須磨区の板宿地域では商店街などで全壊した後生き埋めになった住人がそのまま火災で焼け死んでいった。中には必死で父親を助け出そうとしたがかなわず中から「もうええ、お前は逃げろ」と言われ泣きながらその場を離れるしかなかった人たちもいた。
当時の地獄絵図を記した長田区に派遣された警察官の記録は涙なしには読めない。当時読売新聞に掲載された。「阪神淡路大震災 警察官 手記」で検索すれば今もいろいろなところで読めますよ。
・地震発生から出動までは3時間未満だったのに、捜索開始が地震発生後41時間後だったということですね。 初動態勢を批判する人が多く見られますが、じっくりと検証していただきたいと思います。
・こういう声が官邸に届いていなんです。 どうなってんでしょうこの国。 そろそろ岸田総理は自衛隊機で空からでいいので一度現場を見るべきだ。 何をやるべきか自分の頭で考えて欲しい。 そして勇気と希望を被災者に力強く発信して欲しい。 官邸にパワーを感じない。
・この消防隊の人は頑張って仕事してますけど 正月休みたかった公務員が多かったせいで初動が遅れましたよね…岸田さんは新年会で忙しかったみたいですし 公務員の無駄なイベントを税金に使うぐらいなら災害対応に使って欲しいですな
・被災地出身者で親族が避難所に居ます。今来ると益々道路が渋滞混乱するので来ないで欲しい。と言われてます。何も役に立ってない己に腹が立ち忸怩たる思いの毎日です。被災地の映像を見る度に知ってる所ばかりで涙しか出ません。
・日本は災害の多い国で、こういった出来事がある度に対応や対策の見直しをしているけど、それでも毎回違う問題が見えてくるんですね。 この記事でかなり現地の詳細が分かりました。
・災害がある度に警察、消防、自衛隊の皆さまの即応していただける活動、宿泊、食事なども自己完結型の活動に頭が下がります。本当にありがとうございます。
・絶対に自衛隊員が1000人や2000人では足りなかったと思う。外国の救助隊を多く受け入れていれば少しでも多くの被災者を助けられたのでは。政府の対応が甘かったとは思う。
・>「救出できる人を先に救出してほしい」との言葉をかけてもらったという。
とても難しい判断だと思う、経験と勘による判断なんだろうけど、こう言った災害現場にはゼロかイチじゃ無いケースがとても多いんだろうな。
・地震の経験が生かされているのか、想定外の事が多すぎるのか。いずれにしても、犠牲者や遺族の気持ちを無駄にしてはいけない。裏金で金儲けしてる場合じゃないぞ。
・連日連夜、震度5~7で揺さぶられたら気持ち砕けるな、その場で再建する意欲を失わせないためにも緊急事態と権限移譲、責任は取る、の、覚悟を見せるべき。
・・人間の心の温かさ ・顔の見える関係の大切さ
いま一度、あらためて考えさせられる言葉を ありがとうございます。
・本当に動きが遅いですね 全国の救助隊をかき集めて、 昼も夜もなく24時間救助に当たらせればいいだけなのに なぜそんな簡単なことができないのか! 二次災害が起きても別の場所で災害が起きてもそんなことはどうでも良い! 一刻も早く被災者を救助するのが最優先だ! キシダには本当に腹が立ちます
・消防署員だけでなく、実質ボランティアで活動している消防団員にも注目してください。
・救助隊が向かうも道路が寸断。 3.11の時もあったし、うーん、どうしたらこの課題を解決出来るのだろうか?
・救助隊、ご苦労様です。人命が優先です
・この話を聞いて、初動がおそいと言える人がいるんだろうか
・海外の救援を受けないとかアホな事を言っていた非国民がいたが、人数多くても、全員そのまま活動で来ると思っている。アホが多いね。地震で道が寸断、ヘリしか行けないような場所に人数多く行っても無駄に物資が必要になるだけ。
・「想像以上にひどい」 ... テレビを見ていると涙がとまらない。神様は最悪の仕事をした。
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