( 126952 ) 2024/01/09 22:26:16 0 00 邸宅の母屋内にたたずむ角栄氏(山本皓一氏撮影)
8日午後、東京都文京区目白台の田中角栄元首相の旧邸宅が全焼する火災があった。旧邸宅は「目白御殿」と呼ばれ、国政を動かす舞台にもなった。邸内で角栄氏の密着取材を続け、写真集『田中角栄全記録』(集英社)などの作品があるフォトジャーナリストの山本皓一氏が当時を振り返った。
【写真】全焼した旧田中角栄邸
出火したのは敷地内の2階建ての建物で、約800平方メートルを全焼した。長女で元外相の真紀子さん(79)は「火元の建物で線香をあげていた」と話しているという。夫で元防衛相の直紀さん(83)もいたが、いずれもけがはなかった。警視庁大塚署は9日、実況見分を行い、出火原因を調べる。
旧邸宅は、1972年から74年の首相在任時を中心に政治家や陳情者らが訪れた。
「写真嫌い」として知られた角栄氏だったが、山本氏は知人の紹介で秘書だった早坂茂三氏と知り合い、83年の正月に邸内に入った。
「正月は田中派軍団から、官僚、芸能人まで立ち替わりで訪れていた。他社は脚立を立てて塀越しに撮影を試みていたが、多くの人に紛れ、邸内に入り込むことができた。ただ、私は石ころ同然の扱いで、カメラを向けると後ろを向かれ、撮れなかった。早坂氏の助言もあり毎日のように通いつめ、陳情者の履物整理などを手伝ううち、『あの男は何者だ』といわれて覚えてもらった。自然な表情が撮れるようになった」
金権政治の象徴ともいわれた目白御殿だが、山本氏は「豪勢な調度品もない『普通の家』だった。角栄氏の現実主義的な一面がみえた」と明かす。
山本氏は「早坂氏と『角栄氏と孫の写真を撮れれば』と話していると、突然『そんなに孫の顔がみたいか』と声が聞こえ、角栄氏本人が後ろに立っていた。母屋に連れられ、孫と映った写真が飾られていた長い廊下を通り、奥の部屋に向かうと、真紀子さんと孫がいて、角栄氏は孫の頰をつつき始めた。夢中でシャッターを切った」という。
角栄氏は1993年12月16日に死去した。山本氏は「昨年で亡くなって30年だった。角さんとの思い出とともに儚(はかな)さが残る」と語った。
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