( 128720 ) 2024/01/15 12:31:17 0 00 (写真:読売新聞)
「覚えているか。お前とは一度、会ったことがある」
【写真】日中友好のキーマンとして活躍していた鈴木さん、党の重鎮にかわいがられた
黒く分厚いカーテンに閉ざされた取調室で、男がボソリと話しかけてきた。
日中青年交流協会の理事長だった鈴木英司さん(66)=当時59歳=が2016年7月15日に北京で中国当局に拘束されて4、5日目のことだ。
浅黒い肌、ぎょろりとした目、オールバックの髪形。特徴のある男だ。数時間ほど記憶をたぐり、ハッとした。確か6年前、中国・遼寧省での植林事業に「北京からのボランティア」として参加していた。
疑問が頭の中で渦巻いた。なぜ植林に男が送り込まれていたのか。自分は、その頃から監視されていたのか。
30年以上も日中交流に携わった「友好人士」である鈴木さんの拘束生活は、ここから6年余り、2279日に及ぶことになる。(大阪社会部 南部さやか)
ホテル「二十一世紀飯店」は、北京市中心部の日本大使館の向かいにある。この界隈(かいわい)は日本人が多く暮らし、1階の料理店「蕎麦人(そばじん)弁慶」は手打ち蕎麦が評判だった。
2016年7月15日、日中青年交流協会理事長だった鈴木英司さんは、そこで友人と昼食を済ませ、ひとりタクシーに乗った。シンポジウムの準備に4泊5日で出張し、帰国するところだった。
空港でタクシーを降りた直後のことだ。見知らぬ男に声をかけられた。
「ニーシーリンムーマ(お前が鈴木か)?」
そうだと応えた瞬間、複数の男にワンボックスカーに押し込まれた。目隠しをされて走ること1時間。安ホテルの一室のような場所に連れ込まれ、男らは「北京市国家安全局」と名乗った。安全局はスパイを摘発する国家安全省の下部組織だ。
訳も分からぬまま、取り調べが始まった。10日ほどして、日本大使館員が面会に来たが、話を聞いてがくぜんとした。拘束は、中国の法律で「居住監視」と呼ばれる措置で、当面、解放は難しいという。期間は最低3か月とも言われ、来月は高校の同窓会だったと思い出した。
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