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不登校経験者8割、人気の訳は「ぬるい学校」の真意 立花高校、「学校破壊」で自由度高める意義とは

東洋経済education×ICT 1/21(日) 8:02 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/21a28ee348e03f28e4ef53ef0e693759c309ec04

 

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福岡県福岡市の立花高等学校では30年以上にわたり不登校生徒の自立支援に力を入れ、近年は不登校経験者の8割が入学希望者となっている。

同校の人気の背後には、通常の学校とは異なる教育システムや環境があり、生徒が自分のペースで学ぶことができるためだという。

校長は、独自の教育方針や学校のあり方から常識を打ち破ることに挑戦し、個々の生徒のニーズに合わせた支援を目指している。

不登校問題が社会的な課題となっている現状では、同校の取り組みに注目が集まっている。

(要約)

( 130959 )  2024/01/21 13:36:09  
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写真:東洋経済education × ICT 

 

この10年、増え続けている小中学校の不登校児童生徒数。文部科学省の2022年の調査では29万9048人と過去最高を更新した。こうした中、約30年前から不登校生徒の自立支援に力を入れてきたのが立花高等学校(福岡県福岡市)だ。同校には近年、定員以上の入学希望者が殺到するが、その多くが不登校経験者だという。なぜ、不登校を経験した子どもやその保護者は同校を目指すのか。学校長の齋藤眞人氏に話を聞いた。 

 

【画像】職員室は昼休みも生徒たちでにぎわっている 

 

立花高等学校には近年、福岡県内だけでなく、関東圏など遠方からも受験者が集まる。その8割が不登校経験者だ。募集定員は150名だが、ここ数年は専願入試の時点で200名を超え、9月の後期入学者の試験を実施できていないという。生徒から「校長ちゃん」の愛称で親しまれている学校長の齋藤眞人氏は、志願者が殺到する理由について、こう分析している。 

 

「1つは、不登校の子の選択肢が少ないこと。近年、通信制高校やフリースクールなど進路の選択肢は以前より増えています。しかし、出席日数が足りないと合格の対象とならない全日制の高校はまだ多く、本校のように不登校生の自立支援を掲げる全日制高校は珍しい。そのため全日制を希望する子は、必然的に本校が候補になるのでしょう。もう1つの理由は、本校が『学校らしくない学校』であること。『こういう学校なら行きたい』と思う子が増えているのだと思います」 

 

「学校らしくない学校」とは、どういうことか。 

 

同校には1957年の創立以来、受け継がれてきた教育理念がある。それは、創設者の安部清美氏の教育格言「一人の子を粗末にする時、教育はその光を失う」というものだ。 

 

1970年代後半に全国から中途退学者を受け入れ始めた同校では、1994年に学内不登校委員会を設置。1996年には登校が難しい生徒のために教員が放課後に公民館などに出向く学校外教室や、適応指導学級(現サポート学級)を設けるなど先進的な取り組みを行ってきた。 

 

さらに2003年には全日制・単位制を導入し、必修を含む77単位以上を修得して3年以上在籍すれば卒業できるようにした。学年で教育課程を区切っていないので留年という概念がなく、学力に応じた基礎学習のサポートや、生徒たちの希望を基に展開している「ワールド」という授業などもあり、生徒たちは自分のペースで興味や関心に応じた科目を学べる。約30年にわたり、不登校生徒の自立支援に力を入れてきた同校ならではのシステムだ。 

 

「長らく私が訴えていることですが、学校はもっと柔らかくあってよいと思います。だから私たちは、生徒さんが安心して過ごせることを何より大切にしています。校則はほぼありませんし、学校という価値観で語れないほど同調圧力がなく、先生も高圧的な接し方をしません。個々の特性に配慮した環境も整えています。本校の教育システムはそうしたマインドそのもの。誤解を恐れずに言えば、“ぬるい学校”なんです」 

 

ただし、生徒の自己選択、自己決定が認められているというのは、裏を返せばリスクを背負うのも生徒だということ。齋藤氏はこう続ける。 

 

「例えば本校では、授業に出ない選択も認められますが、休んで出席日数が足りなくなったらその結果を背負うのは生徒さんだと考えています。つまり“ぬるい学校”と言ったのは、甘い学校というわけではなく、自由度が高い学校だということ。そんな本校の雰囲気に憧れて入学を希望する子が多いのですが、それだけ今の学校は圧が強いということではないでしょうか」 

 

 

齋藤氏は、全国的に不登校が増え続けて社会問題化している状況について、「不登校が増えたと騒ぐのは、子どもたちに問題があると言っているのと同じ」だと指摘する。 

 

「最も重要なのは学校を居心地よくすること。文科省が示す不登校対策『COCOLOプラン』でも『みんなが安心して学べる場所にする』ことが盛り込まれ、少しずつ変わってきているのは感じますが、このマインドこそが最重要として掲げられるべきだと思います」 

 

とくに児童生徒を学校に戻すことが大前提だった従来の不登校対策について、「避難所に逃げてきた子を被災地に戻すようなもの」と齋藤氏は表現する。被災地も人が住める状況になっていなければ戻れないように、「学校を心地よく整えなければ子どもたちは戻れない」と同校では考えている。 

 

「これまで多くの学校では『1人でいる子に手を差し伸べて引き上げる』『引きこもっている子の手を引っ張って学校に来させる』といった介入型支援が行われてきました。しかし、介入型支援は『あの子は俺がこう声をかけて回復したよ』といった具合に生徒さんの頑張りが教員の自己満足にすり替わりやすい。生徒さんも『あの先生じゃないとだめ』と依存してしまいますし、逆にその教員と噛み合わない生徒さんにとっては地獄です」 

 

そのため同校では、生徒の自主性と自立を大切にする「伴走型支援」を目指しているという。 

 

「手を差し伸べるのではなく、生徒さんが立ち上がりたいと思ったときに掴める手がそこにあるかどうか。そこにとことんこだわっています。『どうしたと?』から入って『どうしたいと?』と聞き、『先生はどうしたらいいと?』と問いかけるようにしています」 

 

しかし、そうした伴走型支援は簡単なものではないだろう。教員にとって苦しい面もあるのではないか。とくに新しく赴任してきた教員にはいかにして同校のやり方を伝えていくのか。 

 

「おっしゃるとおり、先生方の葛藤や大変さは相当なものだと思います。私たちが受けたことのない教育をやっているので、『怒鳴ればうまくいくのでは』と考えてしまうこともあるでしょう。しかし、最低限のことを伝え、私が日々思うところなどを毎朝Slackで共有していますが、意思統一を図るようなことはしていません。共通理解という名の下に先生の個性を均一化すれば、従来型の教育スタイルと変わらなくなってしまいますから。大人が思想的に統一されるのは危険で、『待って、それは違うんじゃない?』と言えることが重要だと思っています。そうした中で醸成される職員室の柔らかい雰囲気を私は何よりも信頼しており、新任の先生にもその雰囲気に自然な形で染まっていってくださればと考えています」 

 

 

生徒の自主性や自立を大切にする同校は、卒業生の将来を見据えた取り組みも行っている。 

 

「進路としては大学や専門学校への進学あるいは就職があり進路指導自体も他校となんら変わりませんが、知的障害や発達障害のある生徒さんの中には就労支援施設を選ぶ子も多いです。卒業して社会に出るまでもう少し準備を要する子のための支援も行っています」 

 

具体的には、パイルアップたちばなという株式会社を設立して子会社化し、就労継続支援A型事業所として校内の学食「ママズカフェ」を運営している。卒業生は同社と雇用契約を結び、調理、接客、校舎内外の清掃などを担う。このように卒業後までシームレスに就労支援を行う私立高は非常に珍しい。 

 

「学校法人が福祉事業所を併設するという先例がなく立ち上げに苦労しましたが、7年前に認可が取れました。A型事業所は雇用主と雇用契約を結ぶことで最低賃金が保障されているのですが、とくに本校は家計を支える立場の生徒さんも極めて多く、一定のお給料をもらいながら就労支援を受けられるというメリットがあります。定員は10名で在籍期間は2年をメドにしていますが、申請すれば延長も認められます。これまで4~5名がここから社会に出ていきました」 

 

このように1人ひとりを大切にする同校の人気は高まっているというが、選抜はどのように行っているのだろうか。 

 

「当初は他校さんでも十分やっていける力を有する子たちより、本校でしかなかなか高校生活を送ることができないであろう子たちから合格を出そうとしていました。しかし、それを先読みして『学校に毎日行ったら立花に受からんよ』『通知表は1で揃えなさい』と子どもに言う保護者が出てきたのです。これでは中学校の先生の教育の足を引っ張ることになりますし、そもそも『わざと学校に行かない、点数を取らない』というテクニックを覚える必要なんてありませんよね。こうした状況を受け、学力と面接を同列で評価する選抜に変えました」 

 

しかし、入学希望者は年々増え続けており、毎年数十名の不合格者を出さなければいけない状況が続く。そうした中、同校は2022年に学校の敷地内にフリースクールを作った。 

 

「県の決まりで定員は増やせません。一方で、高校生対象のフリースクールがほとんどないという現状もありました。そこで、不登校経験者の子たちの居場所をつくることにしたのです。現在は2名が在籍しています。勉強したり、ボードゲームをしたり、学校の外へ行ってみたり、過ごし方は自由。指導は本校の教員が行い、本人が希望すれば本校の授業を受けることもできるようにしています」 

 

さまざまな角度から独自の教育を行ってきた同校。今後取り組みたいことについて、齋藤氏は「学校破壊」を挙げる。 

 

「当たり前だと思い込んでいたことを大胆に変えていきたいということです。これまでも固定担任を廃止し、3人1組のチーム担任制を取り入れるなど、当たり前を変えてきました。これにより生徒さんからは『担任の当たり外れがなくなった』という声が聞かれるほか、先生方はフレックス勤務が可能となって年休も取りやすくなったと言います。本校はずっと生徒さんも先生方も『生徒らしさ・先生らしさ』にとらわれず、服装も自由、化粧もピアスもOK。でも、学校として崩壊しているわけではありません。当たり前を壊し、自由度を高める意義を今後も発信していけたらと思っています」 

 

不登校児童生徒数が毎年のように過去最高を更新し、学校のあり方から見直す必要が出てきている中、今後も同校の取り組みには注目が集まりそうだ。 

 

(文:吉田渓、写真とイラスト:立花高等学校提供) 

 

東洋経済education × ICT編集部 

 

 

( 130958 )  2024/01/21 13:36:09  
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(まとめ) 

- 個々の学校に対する意見は様々で、ぬるい学校を歓迎する人、不登校の問題を見直す必要があるという人、自由な学校の卒業生のその後が気になるという人など、幅広い意見がある 

- 不登校に対しては、柔軟な選択肢が必要だとする声と、社会に出た際の問題があるとする懸念から反対する声がある 

- 教育制度や社会に対する意識の違い、メディア報道による影響、親の教育方針に関する意見があり、その影響が高校や社会に及んでいるとの指摘も見られた 

- 社会に出た際の生き方や働き方について懸念する声もあり、学校教育だけでなく、社会全体の在り方や受容性についても議論されている

( 130960 )  2024/01/21 13:36:09  
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・不登校になるぐらいなら、毎日登校して子供達が伸び伸びと学習できる場所はあってもいいと思いますね。もちろん自立出来るかという問題はありますが、登校さえ出来ないとなると社会と断絶してしまいます。子供達のメンタルや体力を力付けるという意味では良い取り組みだと思いますね。通っている中には発達障害がある子もいます。そうなるとコミュニケーション障害のために人とうまく付き合えない問題も出てきます。彼らにこそ好きなこと、得意なことを伸ばす機会が必要です。一番まずいのは不登校の子供達がそのまま大人になり、スキル皆無のまま社会に出れないことです。 

 

 

・いい考えだとおもいます。いわゆる学校っぽい学校じゃない場所があっても何の問題もない。そういう学校に魅力を感じる生徒も多くいると思うので。一方で、旧態依然の学校形式を求める人もいるでしょう。みんなで同じ方向を向いて、朝決まった時間に集まり同じ場所で三年間勉強する、、、その形に魅力を感じる生徒も当然いるでしょう。大事なのは選択肢が多くあること、だと思うので、いろんな形のものが増えていけばいいと思います。 

 

 

・理想だよね。でもそのコストをすべての学校や教師が賄えるのか?コストを負担する覚悟が社会にあるのか?って事が問題の原因じゃないの? 

教育予算の順位が36位でも学力順位がトップテン内になるのは、子供には人数も学習内容も詰め込んで我慢させて、教師にはタダで働かせ放題にしているからでは?そして、それを認め推進してきたのはメディアの報道による所が大きいと思うけど?この記事の様に、理想は語るがコストに触れない報道を続けてきたから、高い理想や目標を掲げながら、実現化する為の予算も人材も付けてこなかったからでは? 

 

 

・社会に出たら様々な職業に就いて多様な働き方をして社会生活を送るわけだから、学生のうちから自分に合ったところを選択できる環境は大切だと思う。学校はとにかく窮屈。決められたことを決められた通りにやらなければいけない。そこからはみ出した子は学校に行けなくなるし、行っている子の中にも、精神的にも肉体的にもきつい子は沢山いると思う。 

 

 

・色々な選択肢ができて良いですね。 

気になるのは、生徒さん達のその後です。 

是非追跡取材お願いしたいです。 

このようなゆるい学校を経験して、普通に社会人として生きていけているのでしたら、もっとゆるい学校を増やして良いと思います。 

 

 

・学校に馴染めない生徒の中には発達障害の生徒もいるかと思います。人間関係がうまくいかず、結果不登校になってしまうケースもあります。 

記事の学校のように、困っている未成年に手を差し伸べて、馴染みやすい環境を作ること自体には良い取り組みのように感じます。 

しかし、問題はそのお子さんの将来です。 

学校は自分に合わせて対応してくれるかもしれない。それは親が学費を払ってくれてるから。 

親の力を使えるうちは良い。卒業して自力で生きていくことになった場合、社会がその子に合わせてくれるだろうか。 

「発達障害だから」という理由で約束守れない。仕事は限定的な事しか行えない。 

それを許して受け入れてくれる環境が多くあるようには思えない。 

本人も保護者も自分の状況を理解しているかが重要だと思います。 

A型事業所に進まれるならわかりますが、一般の企業に勤めれると思ってるのでしょうかね。 

当事者の思考が知りたいです。 

 

 

・私は逆で、自由にさせられたらとことんやらなくなってしまう。 

だから、この選択を取って自分でやる子って、めちゃくちゃすごいと思う。 

決まってるから、やらなきゃいけないから、っていう縛りがないとどうにもやれない私からしたら、なんという自主性、なんという積極性かと驚く。 

私はそんな歳の時、責任取れないもん。そんな風に自分の行動の責任を取らなきゃいけなくなるということが怖いし背負いきれないって思う。だから決められたことはとりあえずやっておこう、的な考え。 

だからほんとそれを背負えるってことがすごいな! 

みんな本当しっかりしてる。 

 

 

・昔、個々の高校の入試問題をみせられたことがある。「入試の日にこの問題を出すから事前に勉強せよ」ということで、入試問題が事前配布されていたのである。問題は「数学」ならやさしい四則演算であり、「英語」の場合は「アルファベットの大文字を活字体で書け」というようなものであった。 

 

その頃の立花高校は「学力的に入ることができるような高校がなく、進学先がないから仕方なく入る」というイメージでみられていた。ビーバップハイスクールの主人公のモデルになった人物の出身校でもあるらしい。 

 

時は流れ、今は選ばれる高校になっている。不登校などで悩む子供の駆け込み寺として機能し、さらに新たな歩を始めるための場としても注目されている。 

これはかなり素晴らしいことである。 

 

 

・子の学校もぬるいんだけど、ぬるい学校って規律の面では緩く自由なんだけど、何かをするときはすべて自主性が求められるから積極的な子の総取りになるよ 

(何かをするように求められることもないので、不登校経験者であったりまた発達障害等を抱えた子もぬるっと何もせずに存在できるという面もある) 

そこのバランスをどう取ってるのかが気になるところ 

記事にあるように、今後も志望者が増えれば、「ぬるい学校」であるからゆえに積極的に革新的に学校作りに参画したいタイプの子も増えるだろうし、自由を履き違えた子(家庭)も増え、そうなると、消極的だったり、コミュニケーションが苦手な子は居場所こそあるけど、何も経験できない場になっていくように感じる 

 

 

・例えば、子供は公立に行った方がたくましくなるという親もいるけど、公立にいくからたくましくなるんじゃなく、たくましい子供だから、公立でもやっていけるんだよ。雑な言い方をすれば、うさぎはライオンにはなれないし、その逆も同じ。何が言いたいかというと、人それぞれ適性ってのがあって、本人の生まれ持っての”気質”に合わない事をやっても適応はできないという事。だから、社会に出るまでのルートや社会に出てからの生き方含めて多様性が認められ、選択肢が増えたのはいい事と思う。皆が同じ価値観で、同じようなコースを生きるのが当たり前というふうな教育方針が昔からの国の政策でもあったわけだけど、そこからこぼれ落ちても、自分はダメな人間だと、声も上げられず苦しんだ人間は昔からいたと思うよ。SNSがなかったから表面化しなかっただけでね。そもそもが、皆が同じなんて幻想だから。 

 

 

 

・この色々な経験をしている学生が集まると、多様性についても自然に学べる環境のように感じた。生徒と教員とで協働的に学ぶことで、人との関わりについて何より学ぶことができている。教科の学習についても、最低限の学び方ができれば良しとしているような気がする。何にしても良い取り組みだと思う。詳しく知りたい。 

 

 

・こういう場所を確保することは大事だと思います 

一方で「普通の」学校について、まず学校のルールを守るなど当たり前のことをもっと指導できるように手当てしてほしい 

知り合いの経験だと、校則違反の髪染め・ピアス・だらしない格好などを指導したところ親が指導のしかたについて怒鳴り込んできたなど、唖然とさせられることを聞いています 

 

 

・これは実業高校にこそ求められる考え方だと思います。卒業にあたってはいくつか国が定める資格を取れば卒業認定でいいと思います。 

 

一方で、普通科で自由なら何すんのという感じです。ま、国が高卒認定の資格を課して、合格すれば文句は言えませんが・・。 

 

通信に在籍する高校生が10%に近づいている時代なので、おじさんの価値観も変えないといけないのでしょうが、何でそうなったのって思いますね。 

 

 

・現状の超緩い大学を認めるなら、こういう高校があっても全く問題ないのでは。 

逆にこの高校を問題と思うなら、明らかに大学生レベルの学力がなくても 

卒業してる大学生が膨大な数になってる現状をもっと直視したほうが良いと思う。 

 

 

・多様な生徒の受け皿としてこんな学校あっても良いと思います。今の子どもたちの中には規則のない自由、楽に流れる子も多いので、とりあえず高卒資格が欲しいのなら通信と合わせて立花という選択肢もありかな。でも私はこの学校では働きたくないし、子どもを行かせたいとも思いません。そのくらい地域の評判、元職員からの評判は良くないです。 

 

 

・批判している人の意味がわからない。 

アメリカの高校ってこんな感じですよね。 

高校は義務教育ではないのだから 

高校に何を求めているのでしょうか。 

 

ここではどうやったら卒業できるか自分で考えて 

単位を取得していくってことですよね。 

それを教員がサポートする。 

ほとんど選択肢がない高校より 

自ら考えて選択する方がよっぽど力がつくと思う。 

 

不登校だった生徒たちが社会とつながることって 

素晴らしいと思いますが。 

第一歩であってそこから色んな道に繋がって 

いくのだと思います。 

 

このような所がなければ、 

第一歩にさえ到達できない子どもがいる。 

 

完璧ではないかもしれない。 

でも模索しながらでも生徒のよい居場所に 

なってくれることを願います。 

 

 

・怒鳴る先生は今はほとんど居ない。ただそのせいで遅刻や欠席を当たり前にする甘い考えの生徒が年々増えている 

 

健康なのに授業が合わないから「自分で勉強して東大へ行く」などと言って学校を休む生徒に限って、全ての成績は平均以下というのがオチである 

 

誰もが自分を律する事の出来るような生徒なら良いが現実は甘くない。実際それが出来る生徒はたとえ学校という組織内でも、上手くこなす力があり、むしろその力こそが社会で必要とされている 

 

 

・この学校の卒業生を積極的に採用したいという経営者はなかなかいないだろう。 

 

高卒資格取得、ひきこもり防止には有効だが 

卒業後に社会人としてやっていける人間に育つのかは疑問である。 

 

学力を身に着けるだけなら通信制でできる。 

協調性や社会性を養うことが 

通学制の学校の意義だろう。 

 

 

・この調子でぬるい社会になったら良いと思うが 

不備があるとすぐSNSで晒して攻撃したり、 

理不尽な事で電話掛けまくるクレーマーとか 

社会人に対しては、どんどん厳しい方向に向かってるんだよね。 

ぬるい学校でぬるく生活してきた人が耐えられるのか!?という問題ならまだしも、 

他責思考で、自分に優しく他人には厳しい、 

って人間が増えてるような気がして恐ろしいです。 

 

 

・学校だけが理想を追い求めても、社会がこのような状況を受け入れられるようにならなければ、結局ここで生きていた生徒も社会へ出たときに詰んでしまうのではないでしょうか。学校や一部の理解者だけでこの問題を解決することは難しいと思います。問題提起、きっかけづくりとしてこのような取り組みは大きな意味を待ち、大切だと思いますが、最終的には社会全体での理解や受容、体制づくりが大切なのではないでしょうか。自分も何もできていないのですが。 

 

 

 

・自分の周囲をみると、不登校でも高校さえ出てしまえば何とかなっている。どこにでもいる「普通の社会人」になってる。 

 

高校出てないとかなり大変だと思う。通信でも十分なにも問題ないから高校は出たほうがいい。 

 

良い悪いとか正解とか不正解ではなく、現実問題。 

 

 

・受験により実質的に能力別編成ができること、希望して入学してきた時点で本人に通学の意志があること、単位で卒業進級を促すことができることなど高等学校独自の強みを使っているのに、義務教育の支援を介入型と批判的に述べているのは如何なものか…。そもそも高校なんて通う義務がないのだから、集団生活に馴染まず不登校だった子が集団生活が前提である全日制に通う必要はどこにあるのだろう? 

 

 

・ぬるい‥この言葉がある意味でクセモノという気もするのです。 

 

例えば、所謂ストイックに自分を律する人であれば、むしろぬるい環境を嫌がるでしょう(ぬるま湯に浸かっていると自分が駄目になると) 

正直、私自身もそういうところがあります。 

確かに、他律でなく自律の出来るものなら、自らに課題を与えて成長できるのでしょうけれど。 

 

変な例えですが、厳しく冷たい流れの清流で生きる渓流魚などは磨かれた美しい姿をしています。一方、それこそぬるい淀んだ沼地にいるナマズやフナはどんな感じなのでしょう。 

どちらを望むか(自分がどうありたいか)は人によるのでしょうけれども。 

 

 

・不登校で引きこもりだけど、こちらの高校ならいってもいいのかなって思えるならば、これは良いと思う 

 

学校から引きこもったままで、外にでて1人で買い物も出来ないし、ましてや働くなんて出来ないっていう人も実際いるんだよ 

意外といるんだよね(頭は良いのにとかも聞く) 

 

何より社会、他の人との関わりを少しでも持っていられたら、成長とともに見えてくるものも変わる可能性はある 

別に必要以上に友達作れというのではなく、他にこういう奴がいるんだ、って遠くで見てるだけでも違うと思う 

 

 

・記事の内容は美しい。建学の精神を大切に護り実現へ向けて努力し続けていると。 

それを実現するための教員の皆さんの大変さ、必要になってくるコスト、大多数の卒業生のその後、現在のこの高校でのシステムでも馴染めなくなるようなケース、もっと生々しい現実が知りたい。 

記事が綺麗すぎて。学生の指導に悩む立場の人間として、本当であるならとても羨ましくも見えて、でも何処かで「そんな綺麗にはいかないでしょ」とも見えて。自分の心が荒んでしまったのでしょうか。 

 

 

・不登校の増加は大きな問題で対策が必要です。しかし緩い環境で嫌なことはしない。好きなことだけする。方向では社会にでてやっていけるのでしょうか。一部のまじめな労働者で支えるのですか。この国はどうなってしまうのでしょうか。今の学校制度が時代に合わないのです。根本的な改革が必要ですが、政治家は政局でそれどころではないですね。選んでいるのは国民ですが 

 

 

・自由に勉強できて伸ばせる。足かせのような矯正型教員が排除できて良いと思います。全ての学校でもっと自由に学ばせてあげたい。現行の教育は,知識はついてもこどもの自己肯定感は上がっていません。それどころか下がっている。もっと当事者意識のある子どもが増えれば日本は良くなると思います。 

 

 

・繊細な子が増えてるのか、大人が余りにも寄り添い過ぎなのか…簡単に辛いなら学校行かなくていいよーとしてしまうと甘えてしまう子もいるだろうな。 

フリースクールを卒業した後は普通に働けるのかな?一般的な企業は殆どの子が無理なんじゃないかな? 

 

 

・私学だからできる事ですね。 

結局、手に負えない子に対しどうしたら選択肢を拡めてあげれるかとかあるかと思うんです 

 

寮や留学、島流しもですが 

経済力ないとさせてあげれませんから親もがんばらないと。 

 

 

・良いかと思います。勉強で1番大切なのは、本人のできるようになりたいという気持ち。それがなければ、大人が何したところで無駄。選択肢が増える中で、フィットするものが見つかれば良い。 

 

 

 

・>進路としては大学や専門学校への進学あるいは就職があり進路指導自体も他校となんら変わりませんが、知的障害や発達障害のある生徒さんの中には就労支援施設を選ぶ子も多いです。 

 

 

すごい取り組みをしている学校だな。 

これって、集団への適応の難しい子どもの背景にある重い現実。 

記載がないけれど、就労継続支援A型事業所って障害者総合支援法に定められた文字通り障害者を支援する施設。 

多くの子どもがコース変更先として選択する通信制高校も含めて、ここまで理解して対応できる学校、教員っていない。 

 

 

・学校らしくない学校か… 

次は会社らしくない会社でしょうか? 

 

学校は「子供の居場所」としての役割があるから学校らしくない学校でも良いかもしれない。 

だけど、会社は「誰かの役に立って利益を産み出す」役割を求められています。その役割を無視した会社が世の中に受け入れられるとは思えませんが… 

 

その先には社会らしくない社会でしょうか?誰かのために妥協しながら支えあうことなく、自分のために妥協せずに孤立し潰しあう社会でしか生きていけない人間を作ってしまうのであれば、学校らしくない学校や会社らしくない会社はよく考えなければ動物とは異なる我々人類の祖先が考え出した社会という概念すらも破壊してしまうかもしれません。 

 

 

・「商売ですから」ってぶっちゃけて言えばいいのに 

 

>生徒の自主性や自立を大切にする同校は 

そんなものねえから不登校なんだろ、自主性なんていう耳障りの良い言葉で誤魔化してきた結果が不登校だろ。 

 

自主性は大事だけど社会性というベースがある上での話なんだよ 

社会は人との関係性で存在しているからな、自主性よりも社会性が優先されるし大事とハッキリ言ってあげるべきなんだよ。 

だから学校ぐらい行け、意味や意義なんて考えるな、そういう社会としてすでに成立しているんだから「関わり方」を考えろってね。退学にならない範囲でサボるとかちょっと顔出して「欠席」は避けるとか、そういう意味ではこの学校も選択肢の一つにはなるだろう(そこは良いと思う) 

 

自主性を大事にするので不出社社会人として頑張ります!なんて言ってる大人がいたらだれが相手するよ? 

弱者過保護は弱者のためにもならないしモンスターを生むだけだと思うわ 

 

 

・その後に社会人となってどんな風に生きているのか追跡ドキュメンタリーみたいなのも見たいです 

 

それなりに社会に的こうして生きていけるのであれば安心できるし 

 

 

・学校が学習以外にもいろいろやらないといけない。単なる住所が近いってだけで、親しく「しないといけない」のは辛いよな。 

旧来の姿の学校と、「学習機関」として特化した学校の2種類があればいいのに。 

 

 

・高校卒業してから自分の特性に合った仕事を見つける方が大変そう。 

どうやって働いていくか、どういう仕事ならできるか、そこを見極める必要があると思う。ゆるい仕事なんて無いですから。 

 

 

・仮に高校や大学でこういった自由度があるぬるい学校が増えたとして 

社会に出て就職したらその自由度のほとんどがなくなる 

出社時間が決まってるし自分の好きなことだけをやれるわけもない 

最初は勉強漬けみたいなもんだし 

自由にやりたいなら自分で起業するしかない 

この記事が美談に聞こえるけどその後の生徒達がちゃんと世の中に溶け込めてるのかという現実がある 

 

 

・30代半ばですが、私の高校生の頃の某都立高校はそれこそ校則なんてあってないようなもので、自由だったけどな。宿題もそんななく、勉強も強制されなかった。楽しかったなー。 

 

 

・学校滞在が長くなってることも不登校増加の要因かと。 

小学高学年で下校は週4日3時半、中学生は4時です。 

朝8時からだから先生も子供もどんだけブラックなんだと思う。 

先生も当然イライラしてるそうです。 

 

遅刻とか早退とかしやすい雰囲気を。 

 

 

・満遍なく基礎学力をつける事も大切だと思うう。しかし、もし我が子が繊細なタイプで学校に通えずに単位を落とし精神を病むくらいなら自由な学校に行かせたい。 

 

 

 

・義務教育を越えた高校や大学は自立して生活するために必要な知識、態度、技能、を学ぶ機関だと思っています。 

この種の機関を経て経済活動ができればいいけどね。 

 

 

・>しかし、それを先読みして『学校に毎日行ったら立花に受からんよ』『通知表は1で揃えなさい』と子どもに言う保護者が出てきたのです。 

>これでは中学校の先生の教育の足を引っ張ることになりますし、 

>そもそも『わざと学校に行かない、点数を取らない』というテクニックを覚える必要なんてありませんよね。 

 

開いた口が塞がらないとはまさにこのことか。 

結局、子供の教育ではなく、親が教育できていないのが 

教育の大きな問題点なのよな。 

モンスターペアレントなんて最たるものだが。 

 

 

・ぬるい学校→ぬるい会社→ぬるい社会→ぬるい日本→ぬるい世界  

 

ん? ぬるい日本まではいい、でもぬるい世界はないと思う。実際ぬるい日本は最早 後進国、なのに先進国の真似をする。 

 

ん?ぬるく育った生徒は ぬるい会社がなければ大抵引きこもるか一部は自営業する。まぁ生活保護あるからなんとかなるが。 

 

 

・高校からは形式的ではあるが、各クラスに副担任をおいているけど、副担任にイジメ問題の相談をする親はほとんどいない。 

 

 

・生徒さん、校長ちゃんって…… 

ぬるいのもいいけど、言葉遣いはきちんとしてほしい。 

学校なんだから、国語(日本語)は、校長先生も含めて、しっかり学んでほしい。 

 

 

・まぁ本当に怖いのは社会に出てからなんよな。高校、大学は意外となにもしなくてもいいし、守られてるねん。社会に出てからをいきなりできるかやと思う。 

 

 

・出席日数が足りないと合格できない公立高校がまだある、との記述には違和感。 

まだ、ではなくて、出席日数が足りなければ合格できないのは当然のこと。 

 

公立高校は税金でやっているので。 

 

 

・「例えば本校では、授業に出ない選択も認められますが…」 

とあるが、それなりに授業準備をしているだろうに、事情もなく休まれたのでは教員も浮かばれないのでは。 

 

 

・そこいらの学校もドンドンぬるくなっているよ。 

学校が、常に見守る(=監視)しており、のどが詰まらないように菓子も割って与える「老人のデイサービス」化していっている。 

今回、その最先端を我々は紹介してもらったのさ。 

 

 

・こういう選択肢が増えるのは、良いことだと思います。 

厳しかろうが、ぬるかろうが、甘かろうが、学んでいくのは本人だからね。 

 

 

 

・かつては校則など有って無いようなものだった。それが学校の良さだった。無論、全校ではないが。制服は着たいやつが着るでいい。 

 

 

・東洋経済プレジデント現代ビジネスみたいな経済誌が収入を得るためにアクセス数が増えるような教育記事を意図的に配信 

→学校現場へ圧力 

 

この手法でどれだけ公教育が迷惑を受けているか 

 

 

・ぬるい学校を卒業したあとのことまで考えてないなら無責任極まる学校。ぬるい会社やぬるい仕事まで用意してあげてほしい 

 

 

・いいとは思います。受け皿は多いに越した事はないし。ただ社会に出た時に落差を感じると思う。 

 

 

・“自由” には “責任” が伴うことを早い段階で認識した自分にとって、いまの若者が 

どう捉えているのかを知りたい 

 

 

・中学のコミュニケーション至上主義の内申制度をやめたら学校行きやすくなると思う。 

 

 

・とりあえず高校までは居場所が確保できそうだが、卒業生のその後が気になる 

 

 

・昔は不登校なんてほとんど無かった。 

今はゆとりだとか個性だとか甘えてるヤツばかり。。。だから日本がおかしくなる。 

 

 

・学校が楽しくて先生になったような人がほぼ全てだろうから、難しかろうな 

これまで半ば見下してきたような人たちばかりで 

 

 

・学校が個人に合わせるか、個人が学校や社会に合わせるか?どちらかだと思う。 

 

 

 

・高校生まではいいけどその先の進路で詰むのよねこの手のぬるい学校。 

 

社会なんていじめパワハラ当たり前。 

 

 

・将来まともに働けて、約束を守る人間になれるかどうか。それに尽きると思う。 

 

 

・文科省、調査してる?単位出して、卒業認定するんだろうけど、大丈夫か不安になる。 

 

 

・こういう学校があってもいいと思いますが、同じ会社では働きたくないですね 

 

 

・立花高校と言えば、ビーバップハイスクールのモデルとなった高校ではないですか。 

 

 

・私服で単位制だと大学のような雰囲気になるね。 

 

 

・「伴走型支援」率直に良い表現だと思いました。 

 

 

・社会でぬるく生きてる人のわりを食う人がたくさんいるんだよな 

 

 

・おそらく前に倣いや右向け右が出来ない人たちなのでしょう。 

 

 

・自己責任という言葉を曖昧にしているだけだろ。生徒のためでもなんでもない。 

 

 

 

・ブラブラしているより遥かいい。 

 

 

・菊リンはいるのかな? 

 

 

・ぬるいって言い方よ。 

 

 

・福岡県では常に最底辺レベルの代表的学校として知られていた。親からも「勉強しなかったら立花高校に行くようになるぞ」とか言われたりして。 

 

 

・まぁ「不登校」でも構わないかと。 

普通に勉強出来るなら。 

問題は「単なる怠け者」。 

 

 

・学校で自殺させるより 

マシ。 

むしろ在宅スペシャリストになったほうがよい。 

 

 

・だめなガキが育ってしまう国になりました 

 

 

 

 
 

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