( 131219 ) 2024/01/22 12:15:00 2 00 7種類の医療機器で生きる次男 気の休まらない日々、父は「復職ほぼ諦めている」withnews 1/22(月) 10:01 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/96990dbf93d3c5c9ce50a66f96dc0b2509b29d7f |
( 131222 ) 2024/01/22 12:15:00 0 00 次男は多くの医療機器を使っています
子どもに障がいがあったり、医療的ケアが必要だったりする家庭では、働きたくても働けない親や、在宅・時短勤務などを組み合わせつつどうにか働いている親がいます。中には夫婦どちらかが仕事を辞めざるを得ないケースも。妻が退職して、自身も休職中の男性(35)は、24時間人工呼吸器が必要で意思疎通の難しい次男を介護し、気が休まらない日々を送っています。(withnews編集部・河原夏季)
【画像】医療的ケアが必要な次男
鼻から胃に通したチューブで1日4回栄養を入れ、1日に何十回とたんを吸引するーー。千葉県に住む小学校教諭の男性は、24時間人工呼吸器が必要な医療的ケア児の次男(6)と妻(46)、小学2年の長男(7)と暮らしています。
次男は予定日より約4カ月早く、妊娠23週のときに570gで生まれました。
たまった髄液が脳を圧迫する水頭症となり、新生児集中治療室に1年入院。3歳のときに気管切開の手術をし、生活には7種類の医療機器を使っています。
泣いたり動いたりすることはできず、意思疎通も難しい状態です。
保育園に入園を希望しましたが、安全面を理由に受け入れ先は見つからず、中学校教諭だった妻は3年育休を取った後に退職しました。
血中酸素濃度を測るパルスオキシメーター。アラーム音が鳴ることもあります
夜、男性は次男の介護ベッドのそばに布団を敷いて眠りますが、睡眠時間は計4時間ほど。午後9時にその日最後の栄養を1時間かけて注入し、片付けます。
常夜灯の下、夜中に数回、次男の体位を変えたり、アラーム音で起こされたり。次男は生活リズムが整わないため、未明に目覚めることも多いといいます。
「『毎日これでは生きていけない』と気がおかしくなりそうになることもあった」と振り返ります。
一時的に施設に預ける一時休息(レスパイト)サービスはありますが、預け先で体調を崩して入院したことがあり、その後は利用を控えているそうです。
急な高熱などで体調を崩しがちな次男は、2カ月に1度は入退院を繰り返します。
妻が育休中だった当初、日中は妻、夜は男性が仕事後に病院に直行して泊まり込みました。入院すると短くても半月はそんな生活が続きます。昨年11月にも次男は入院し、男性が付き添っていました。
医療的ケアが必要な次男
次男の誕生後、男性は勤務先の学校で、通常学級から受け持つ児童が少ない特別支援学級の担任に変えてもらったそうです。
職場の同僚たちは「お子さんのことを大事にしてね」と気遣ってくれました。休暇制度は整っていて申請しやすいものの、担任は1人しかいないため、休みにくさを感じていたといいます。
児童の登校時間に合わせて午前8時前に出勤し、翌日の準備や会議で残業が必要でも午後6時には職場を離れるようにしていました。
授業の準備には万全を期していましたが、限界もありました。寝不足のあまり、休み時間に机に顔を伏せて寝たり、児童下校後の保健室で仮眠を取ったりしたこともあったそうです。
さらに暮らしを大きく変えるきっかけが、長男が一時不登校になったことでした。
再び学校に通い出したものの、妻は長男に付き添い、日中は学校で過ごしています。男性は次男の面倒をみるため、昨春から介護休業を取りました。
以前は家族4人、同じ部屋で寝ていましたが、夜中も急に鳴る医療機器のアラーム音が長男の睡眠を妨げ、負担になっていたのではないかと気づき、寝室を別にしました。
次男ばかりに気が向いていたわけではありません。ただ、働いていた頃は長男の相手をする余裕がなく、今思えば「長男は満たされない気持ちがあったのかもしれない」と振り返ります。
来年度、小学生になる次男は、長男と同じ小学校の特別支援学級に通うことになりました。
次男の就学先を決める際、男性は何度も行政側と話し合いを重ねたそうです。
地域の小学校にも親の付き添いは必要ですが、車で片道1時間の特別支援学校に通学するよりは負担が軽くなります。
それだけでなく、長男が再び学校に行けなくなった場合でも、同じ小学校に通っているほうが教育機会や親の就労を継続したまま臨機応変に対応できます。
男性の懸念は家族のことばかりではありません。気が休まらない日々の中で持病が悪化し、家族の負担を増やすことにならないか、常に不安を抱えています。
リラックスしたり1人になったりする時間はほぼありません。週1回、児童発達支援の事業所に次男を連れていった帰りにショッピングモールで飲む1杯のコーヒーが、気持ちのリフレッシュにつながります。
「来春復職したとしても、仕事とケアを両立しつつ、入院時は付き添うという生活がいつまでできるのか分かりません」と話す男性。多忙な教員生活を思うと、「復職はほぼ諦めている」といいます。
今後については、ウェブデザインの勉強をして在宅で働くなど、あらゆる可能性を考えているそうです。
「育児や介護と両立できる柔軟な働き方を模索していきたい」。男性は前を向いています。
出かける際は多くの荷物が必要です
医療的ケアが必要な子どもは、全国でおよそ2万人いるとされます。
厚生労働省の「医療的ケア児者とその家族の生活実態調査報告書」(2020年)によると、生活上の悩みや不安について最も多かったのが、「慢性的な睡眠不足」(71.1%)でした。
「いつまで続くかわからない日々に強い不安を感じる」と答えた家族も70.4%と多く、60%近い家族が「きょうだい児がストレスを抱えているように感じる」と答えました。
日々の生活では、90%近い家族が「希望する形態で仕事につく」ことを望んでいるのに対し、そのうちの約80%が「行えていない」としています。
自由回答では、「医療的ケアが必要な子どもが産まれたことで仕事を辞めなければならなくなった。その事で家計が圧迫され、将来にとても不安を感じている」(母親)、「自分一人の収入しかない上に入院、手術、付き添い費などがかかり家計を圧迫している」(父親)という意見が寄せられました。
佛教大学社会福祉学部の田中智子教授
障がい児や医療的ケア児を育てる親の労働環境について、佛教大学社会福祉学部教授の田中智子さん(障がい者福祉)は、「十分な収入が得られないことは、将来の低年金など、親の高齢期の暮らしにも関わります」と指摘します。
「子どもに優先的に支出し続け、親自身の老後資金の準備ができないまま高齢期を迎える例もあり、深刻です」
親が仕事を辞めざるを得ない背景には、障がい児のケアを家族に依存しすぎている状況があります。
田中さんは、公的な支援は家族によるケアを前提としているため、親を「含み資産」として組み込んでいると説明します。
「学校教育に関わるサポートは本来、親頼みではなく公的に保障されるべきです。学校に親が付き添えなければ教育を受ける権利が保障されないのは、問題があります」と強調します。
日々の介助、サービスの利用調整、学校の調整、付き添い――。
田中さんは「子育ての範疇(はんちゅう)を超えた役割を課され、親たちは消耗しています。ケアの家族依存という構造は、ケアを他者に託すイメージが持てないことで、親子双方にとっての『親亡き後』への強い不安にもつながります」と話します。
「障がいのある子どもの親が生き生きと働ける職場のあり方を考えることは、心身の不調を抱えていたり、親の介護中だったりする人たちも含め、すべての人の働きやすさにつながります。障がい児の親の就労問題への対応は、将来の社会のありようを示す試金石になると考えています」
※この記事は、withnewsとYahoo!ニュースによる共同連携企画です。
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( 131221 ) 2024/01/22 12:15:00 1 00 医療が進歩し、以前では助からなかった命も救えるようになったことで、生きることができるようになる子供も増えています。
(まとめ) | ( 131223 ) 2024/01/22 12:15:00 0 00 ・医療が発展していない昔なら自然と亡くなっていた子も、今では生かせてしまう。
身内や医療関係者からしたら生かせる命は救わなきゃと思うとはわかるけれども…これは生きてる方も何も出来ずつらいだろうし、身内が承諾したら安楽死という選択肢もあっていいと思う。
・我が家の息子は9歳の時に事故で脳死状態になり呼吸器などが必要な医療児になりました。4ヶ月程入院しその後自宅介護となりました。胃瘻、人工呼吸器など24時間体制でしたが関わってくれた相談員の方々が色々調べて役所などの手続きを動けない私の代わりに動いてくれました。私達家族のリフレッシュも兼ねて病院側も毎月3〜4日程お預かり入院も受け入れて頂きヘルパー、入浴支援の手配、ヘルパーが来れない日は日中預かりなどを使用して買い物など行けていました。最後は運動が出来ないので筋力が落ち心臓筋肉低下で亡くなりましたが約2年間たくさんの方々に協力してもらいました。担当して頂いた相談員さんには本人だけでなく上の子供が無理なく生活出来るように色々考えてくれていました。現在では私と娘も介護職員として仕事をさせてもらってます。
・厳しい事を言ってしまうけど、医療の弊害じゃないのかな。 医療で無理やり生かしてしまう事が、本人とその家族の幸せを奪っているような。ご本人も、現在の状態で生かされている事が本当に幸せなのか。 医学的に可能な治療を施さなければ、殺人罪になってしまうとか、そういう背景はないか。 医療のやりすぎはないのか。 よく考えるべきだと思う。
・我が家の娘も進行性の疾患で近い将来人工呼吸器のお世話になる事はほぼ確実です。肢体不自由かつ知的障害もあり立つことも歩くことも出来ません。 上の二人の子供もできる範囲内で娘とも仲良く世話もしてくれ現状寝返りは数回しなければいけませんが夜も良く寝てくれるので特にストレスはありませんが、体重も30㌔以上に増え今後息子も家を出て寮生活になる中私が仕事で遅くなった時の担いで階段の登り降りや入浴等日常のケアは喫緊の課題です。夫婦共に慢性の腰痛と肩痛で身体はバキバキ、これ以上病状が進行したらどうなるんだろうと心配は尽きません。 でもケラケラ笑ってお話しや一生懸命歌詞の分からない歌を歌う顔を見ていると良く皆さんが仰っている産まれる前に云々とか安楽死がどうこうとかは絶対に思わないんですよね。可愛くて仕方ないんです。家族みんな頑張れている理由って結局そこしかないよなあと思っています。
・欧米では安楽死が合法化されつつあるのに、日本はまだその議論すら進んでない。障がいがある子供の親の苦労は想像を絶する。24時間の介護、睡眠不足、仕事との両立…これはもう過酷すぎる。安楽死が選択肢としてあることで、少しでも心の重荷が軽くなるかもしれない。日本も欧米を見習って、安楽死に関する真剣な検討が必要だと思う。
・少子化で子どもの数がどんどん減っているにもかかわらず、特別支援学校や特別支援学級に在籍する子どもの数はものすごい勢いで増えています。(約10年で2倍のペース)私は大学で特別支援の単位を取りましたが、そのときに教授がその理由として大きく分けて2つあると話していました。一つは医療の発展です。以前ならば生きることが難しかった重度の障害児が、今は生きていくことが可能になったということ。もう一つが女性の高齢出産化です。授業でグラフを見たのですが、女性が35歳を超えると障害児の生まれる可能性がかなり高くなり、40歳を超えると飛躍的に高くなります。 今後、医療は発展することはあっても衰退することはないでしょう。高齢出産化も進むことはあって後退することはないのではないかと思います。この問題は個人で解決できることではなく、社会全体で考えていかなければならないと思います。
・昔重症心身障害施設に勤めていたことがありますが、人工呼吸器が必要な方やたん吸引が必要な方などは目を離すことが出来ず、職員は勤務時間の8時間仕事として責任をもって見てればいいけど家族となると24時間、特に母親などその子に人生捧げるようになってしまい家族で負担出来るキャパを超えていると思います。 入所施設も足りておらず、やっと入所出来たというご家族もおられましたし、入所させることへの後ろめたさを抱えているご家族も多かったです。施設の環境が素晴らしいとはいえず、そこで任せられないとなってしまう方もいるだろうと思いますがそもそも入所出来る施設がありません。 国はなんでも在宅の方針ですが家族のケアを前提としてるいため、家族の疲弊は測りしれないと思います。 家族の自己責任として片付けていいのでしょうか。
・子供となるとかなり難しい選択になるだろうが、これを高齢者ではすべきではないとはっきり思う。知り合いのご両親共に意識のないまま(いわゆる植物人間)10年以上病院にいて費用はほとんどかからないからとその知人はたまに洗濯物のために病院へ行っていた。もちろん回復の見込みもなく亡くなったがその間の医療費は莫大だったと思う。反対に働き盛りでガンになった友人は子供もまだ小さいからと薬はジェネリック一択で検査の費用もキツいなといつも言っていた。どこに国が医療費負担すべきなのかもっと突っ込んでほしい。もちろん家族や大切な人なら高齢であると言うことは助けない理由にはならないがそれでも財源は無限にあるわけではない。 今の時代、命の選択は非難を受けるとは思うが長い目で判断することや余裕のない社会になってきたことを思えば選択せざるを得ないのではないだろうか。
・知り合いの息子さんがこのようでした。 奥さんがたまたま看護師だったので、 むしろ希望して自宅で見ておられましたが、10才ごろに亡くなられました。 看護師である母がいても10年。さいごはどんな様子だったのか、 尋ねることもできません。精一杯やれた、と思っているなら よいのですが、もっとできることがあったはず、と思うようなら しんどい話です。 今また、看護師をしておられますが、資格のある職種だからこそで、 記事の父親のように、サラリーマンの場合は、子供を見送った後の 就職はたいへんでしょうね。
・次男はチューブで苦しさもあるし辛いよね。 長男も父母との日常生活や遊びに行く事も出来ずに辛いよね。 父も母も、仕事や長男次男それぞれの事を悩み辛いよね。 睡眠不足、ストレスや子供達に対する申し訳なさ等辛いよね。 何にも出来ない自分達の不甲斐なさに 苦しむ事もあるだろと思いますが、 親の想いは必ず子供達に伝わっていると思います。頑張り過ぎない様にして下さいね。
・自然な状態では生きていくことができない。かといって親としてはできるだけのことをしてあげたい。とてもよく分かります。高齢者の延命治療をどうするのかという話とは質が違うのですから。
でも、もう限界だと思った時の選択肢になにがあるのか、せめてその道筋くらいは親が決められるようにしてあげるべきではないでしょうか。
・母が亡くなる時、蘇生して人工呼吸器を付けるか聞かれました 事前に確認しておいた本人の希望通り断りました ホスピスだったので受け入れられてそのまま亡くなったのですが、その事を親族に何か言われたら何と答えたら良いのか悩みました 私にとっては最低の母親でしたが、叔母にとっては大切な姉で 私の姉にとっては大好きな母だったので ただ、今はその決断が正解だったと思っています
だから全身管着けて無理やり生かされてる人を見ると思います それが本人の希望なのかと 多くの医療機関では当たり前に助けます でもその前に確認して欲しいです
・家族共倒れを起こしていますね。 ご家族の立場からも大事なお子さんであるのは言うまでもないです。 しかしながら何としても生きてほしいのであれば、レスパイトや入院、重症心身障害施設なども利用しなければ、家族の収入も現象するし心身共に大変お辛いと思います。 この先、ご両親も年齢を重ねるわけで、長男にケアや介護を担ってもらうのは、人生に関わることです。 他人がどうこう言うことではないと思いますが、預けて面会の時間を楽しむことも選択肢の1つだと思う次第です。 どうか、ご家族皆さんがお元気で…
・気管切開をするしない、胃ろうをするしない、おそらく家族が判断を迫られます。その時は何としてでも生きててほしいからお願いしてしまうでしょうが、1度決めてしまうとあとからは止める事ができない。永遠に命が尽きるまで続きます。家族が辛いですね。延命の先が見えているときならまだしも、産まれた子供は辛いです。産まれた子が自然に生きられない覚悟も受け入れて出産に臨むべしです。それでもこうなってしまった以上は24h在宅介護ではなく医療機関に頼れるよう国が整えるべきだと思うんですがまだまだ個人負担が大きすぎです。
・医療が進んで昔なら助からない命が助かるようになったゆえのケースだと思うが 例えば今回のように超未熟児で産まれる等で重篤な障害が一生に渡り残ると予想される場合救命の治療を続けるかどうかを両親が判断することは出来ないんだろうか。その場合医師は医療放棄やなんらかの罪に問われるんだろうか。医師を守る法律も必要だ。 今 末期癌等では延命治療はせず緩和治療で一生を終える人も増えている。新生児の場合は本人の意志を確認できないから難しいんだろうけど、両親や兄弟たちの人生も考えた場合杓子定規に救命だけに進むのもどうなんだろうと思った。
・漫画のコウノトリでもこのような話題に触れていましたね。家族は医療人ではないし、してはいけないと言う内容のセリフが印象的だった記憶があります。 病院スタッフが懸命に繋いでくれた命。もちろん初めからそんな想定をして出産を心待ちにしていた訳でもないと思うから、その後の一生を思うと果てしないと感じて、未来を悲観してしまうのも当然だと思います。親だから、家族だからと全てを背負うのも限界があると思います。
・なんと言うか、この場合親は自分の子供を守るために全てを捨てる覚悟ができてるけど、子供はそうではない。自分の人生をめちゃくちゃにしている次男に怒りがあるかもしれない。生かしたい気持ちはあるかもしれないが、意思疎通どころか、寝たきり状態では、重荷になってしまうし、家族が壊れてしまう原因なら、安楽死が出来るようにしてあげるのも大切だと思う。
・医療的ケアの必要な家族がいました。 周りに何を言われようと生きていてほしかったし、そばにいたかった。そのためなら睡眠不足てあっても何でもやると思っていたし、何でもやるようにしていました。 でも、亡くなってから思ったことは、わたしの自己満足だったのかも知れないということ。 チューブに繋がれて、ご飯もチューブで流されて、意思疎通も出来ず、ただ生かされて…私は1分1秒でも長く一緒にいたかったので幸せだったけど、本人は幸せだったのかな…と思います。 客観的に見れば、過度な医療ケアをせず安楽死するのが1番幸せなようにも思えます。特に介護する側が仕事をやめたり、きょうだい児がさみしい思いをするならなおさら。 私も介護中に言われたのですが、未来のある人の人生を優先で考えないと、介護が終わったとき失ったものの多さに立ち直れなくなるかもしれません。
・難しい問題ですが、障害者本人を除く他の家族の負担が大きい中で生かす必要があるのか、最近考えます。 ちょっと前までは長く生きることができなかった命を他の人の犠牲の上で生かす…生物の自然な営みからするとすごく不自然な状態です。 治ることがないケースは、無理に延命しない選択肢も必要なフェーズになってきたのではないでしょうか。 生きていてくれるだけで救われるご家庭もありますが、記事のご家庭は長男さんへの影響もあり、未来ある長男さんへリソースを振ってほしいと思ってしまいます。
・健常の子でも夜中に数回お世話が必要で24時間付きっきりで目を離せない。ガーゼが鼻にかかっただけでも、母乳を吐き戻しただけでも、本人の鼻水でも窒息してしまうか弱さ。 2人目を1〜3年差で続けて産むとママは5年くらいはまともに寝れない。 でも、だんだん少しずつまとめて寝れるようになってくる希望があるから不眠続きでも育児に頑張れるのかもしれない。
・医療が進化して不妊治療が出来たり仮死状態で産まれた子の蘇生が出来たり、昔なら「残念ながら…」で終わっていたのに。 出産にはリスクが付き物。高齢出産なら更にハイリスク。 低体重や早産も昔なら助けられなかったが、現代医療では助けられる。ただそれは心臓が動いているだけで様々な医療サポートが必要な状態。助けてもらってありがとうとなっても、その後とてつもない負担が待っている。 私は医療に携わっていてハイリスク出産や障がい児出生も見てきたが、自分ならその後の生活を耐えられないと思う。入退院を繰り返す子供の親の中には疲弊のあまり、「正直、入院してくれてる方がラク」と言う親もいる。無責任と非難できないくらい心身共に家族は追い詰められている。 医療の進化には功罪両面がある。
・自分の子供がこのように、もしコミュニケーションも全く取れない、今の発達した医療に生かされているだけの状態でも、ご両親としては生きていてほしいと思うのでしょうか? 自分の人生を全て捧げ、金銭的にも恐らく圧迫され、そして順当にいけば親である自分の方が先に死に、障害のある子供が残される…
勿論生きていてほしいと願うのなら、第三者は何も云えませんが、選択肢として安楽死を用意してあげられないのかな…と思います
・我が子も480グラムで、生まれてすぐ輸血や手術、目のレーザー治療など凄く大変でした。まわりは心配していましたが、それをよそに普通に歩けて、運動もでき、ゲームや動物が好き、優しい子に育ちました。もちろん背が低かったり、まわりとは違うなと感じることも多々ありますが、とにかく、生きてくれていてよかった。こういう子もいるので、やはり目の前の命に全力を尽くす事は医師看護師の使命であり、その命を選べないという事は仕方ない事だと思います。 その後について安楽死が選べたとしても我が子にそれを選ぶ親はいるのかなと疑問もあります。
・自分も人工呼吸器つけないと生きられないと言われて、当時田舎の小さな病院が自分のために何千万の機器を購入したようですが、母は頑なに拒み、病院をはしごして都心の病院に辿り着き、虚弱体質だったものの、何度も蘇生して、
今生きてます。
これがよかったのか自分でもわかりません。 感謝するときもあれば生きづらいときもある。 体力頑張ってるけど疲れやすい でもそのとき選んだその選択が今いちばん正しいんだと、思います。
・他人事だから言えるのだけど、3歳の時に諦めるという選択にはならなかったのかな?と思う。 気管切開してからのデメリット、親はいいとしても長男くんへの負担が一生付きまとうと考えなかったのかな? 私が長男くんなら、上に書いたこと言ってしまいそうだし成人になる前にでも家と縁きって出ていきたい気持ちになると思う。
・私も24時間人工呼吸器の娘を育てています。 だいぶ落ち着いてきたので送迎付きのデイサービスを利用し、訪問看護などが来る日は実母に手伝ってもらいながら時短で働いています。 寝不足ですが夜間の体位交換や吸引も私や夫の育児であり仕事です。 きょうだいのこともあるのでたまにキャパオーバーになりますが、誰かに偏りたくない一心で必死に毎日をこなしている。という日々です。 日中仕事をしていることが生き甲斐なので、なんとかやれるだけ頑張りたいです。
・医療が発達して長生きさせられるようになった弊害で、肉体の使用期限は延ばせても脳の使用期限を延ばせないせいで認知症患者は爆増してる現代。 年寄りは1割の値段で治療を受けられてしまうのでコンビニ感覚で病院に行く人ばっかりだよね。 結果、脳は使用期限切れで認知症だけど肉体だけは元気なので暴れるという手がかかるお年寄りばかりが増えている。 本来は既に亡くなってるはずの人が普通に生きられるのは素晴らしい事なんだけど、それが正しいかどうかは難しい問題だよね…。 生かされてる側も苦しいだろうし、それを支えてる人も苦しいよね…。
・昔は医師や助産師、産婆さんが生まれてくる子供の状況を見て、自力では生きられないと判断した場合は親と相談して処置してたんだよね。 その前に、バイタル維持医療機器の無かった昔の医療水準では直ぐに死んだ。 子供が4〜5人いる時代だったからそれでも良かった。
それが、医療の進歩で自力で生きられない子供も医療機器で生命だけは維持できるようになったから医療ケア児が増えた。 子供が少い時代に、それでも生みたいとなるのかな? 親子がどういう人生になるかまで想像がつかないままに。
・ご両親はこのお子さんが低体重で産まれた時に 「なんとか生き延びて欲しい」と願ったはずです。そう思ったからには生きていて欲しいんです。 だから自分達が無理してでも生かしてあげないといけないと思ってるのではないでしょうか。 障害者施設で働いていますが、 ご両親が交代で介護されているケースのお子さんはとても愛情を注がれており、医療機関になら安心して預けれても、施設には抵抗がある…と言う感じがします。 病院が医療ケアが必要な人達の専門的施設を併設すれば家族も預けやすいのではないかと思う。
・少子高齢化で税収はどんどん減っていく中で、国が福祉に充てられる金額を増やすのも難しくなっていくと思います。 医療の進歩は大変素晴らしいと思いますが、その一方で、子供だけではなく医療ケアが必要な人が増えていく・医療ケアが必要な状態で長く生きることができてしまうという側面も考えていかなくてはならないですよね。 何が正解で、いや正解はないのかも知れないですが… 今できることは、もしもの時のために保険に入り、少しでも多く貯蓄するぐらいしか思いつかないです。
・知り合いの話ですが、治ることがない病気で、人工呼吸で痰の吸引が必要で、普通の生活は不可能、食事もできない、話すこともできない。 手術をして生き延びることが本人や家族の幸せかわからないので、手術するかしないか選んでくださいと赤ちゃんの時に医師に言われたそうです。 手術したら、一生人工呼吸は外せません。外せば殺人になります。でも手術をしない(できるだけ自然に任せる)という選択はあると。 手術しなければ命はとても短くとても残酷で辛い質問ですが、これは必ず聞いたほうが良いのではないかと思いました。 医療的ケア児は、家族や周りの支援が必ず必要です。個人的には、ある程度心の余裕をもって育てられないのであれば手術しない方が良いのではと思います。
・今は医療が発達して助けられるだけに、思い悩むことが多いですね。そもそも助ける技術がなければしょうがないけど、助けられれば胃ろうするか、気管切開するか、人工呼吸器つけるかを迫られる。できるだけのことをして生かしてやりたい気持ちはわかるけど、一度やったら辞められないんだよね。 心臓が動いていれば生きているということなのか、無理矢理生かすことが正しいのか考える必要があると思う。結局は死生観の問題で、臓器提供とかと同じで欧米のようにはなかなかいかないんだろうけどね。
・記事を読んだだけでも、どれほど過酷な日常を過ごしているのか分かります。 健常児なら、乳児の頃は大変でも、一歩ずつ成長して、また、それが幸せで、いずれは父ちゃん母ちゃんベッタリではなくなります。 記事のような子は、恐らくは生きてる限り手厚い看護が必要ですよね。 我が子は可愛い、愛しい。 でも、それで家族が疲弊してまで生かす意味って、何だろうと思う。 健常児のお兄ちゃんの事を考えると、それが大変な重荷になり、親が死んだ後まで面倒を見なければならないなら、彼の人生だって狂ってしまう。 心のどこかで、フッとあの世に返せないかなと思ったって、誰にも責める権利なんかないと思う。 もしある日に、次男が亡くなってしまったら、恐らくは安堵の気持ちの方が大きいと思う。 懺悔はその後で、しっかりすれば良いと思う。 私が身内なら、そう言ってあげたい。
・小児科病棟で働く看護師です。医療的ケアが必要な子供たちを急性期から慢性期まで見ています。実際、子供が呼吸器をつけないと生きられない状態になったとき、家族は100%子供の命を助けてほしいと願います。医療者も全力で子供の命と向き合います。その結果、このような医療的ケア児となったとしても、それはその子の個性。注入や吸引も子育てと同じ。家族の負担は確かに大きいです。看護師をしてても大変だなと感じることは多い。家族が少しでも休めるような制度や施設をもっと作るべき。しかし、看護師として何年も働いても医療的ケア児を見るのはご老人の看護よりはるかに難しく知識も技術もかなり必要。ただ看護師を配置すればいいだけじゃないことはわかってほしい。奇跡を紡いで助けた命です。その子も家族も幸せを感じなから過ごしてほしいと願うばかりです。
・何年も、意思疎通も自力での生命維持もできずただ心臓が動いているという状態にすることを「命を救う」と表現することに違和感をおぼえる。
医師は目の前の患者の命を繋ぐことが仕事なのだろうけど、こうなることやその可能性の高低は予測できないのだろうか。予測できるのなら、最初の段階で治療をやめる選択肢を示すことはできないのかな。「命を繋いだ結果どうなるか」は 、家族が受け止めることなんだし。
・この家族は幸せを感じることってあるんだろうか。みんなでくだらないことで大笑いできることってあるんだろうか。 もし、長男が子どものうちに両親が亡くなったら?次男も大切な家族なのは分かる。死なせないように必死なんだろうけど、回復の見込みもなく、無理やり生かされている命を守ることで、長男が子どもとして、人間としてちゃんと生きられているのか…。 1人のために3人の人生が犠牲になることがあってはいけない。
こういう状況で人工呼吸器のスイッチを切る選択肢を与えることを国として考えてほしい。
・私の息子も医療的ケア児です。 うちは夫の協力はあまり得られず家庭ではほぼ1人で育児と看護をしています。 通所などの施設も充実してきてパートに出たこともありますが、体調不良や急な長期入院などで休まざるを得ない日が度々起こり退職しました。 きょうだい児ももちろん風邪を引いたりしますが、ケア児はその何っっ倍です。夜中のケアもあるから毎日寝不足で、仕事に支障が出ることも多々ありました(T ^ T) 今は在宅ワークをしていますが、仕事と育児と看護、なんとか両立できる生活に至るまで長い年数かかりました…。看護にもっと時間を使いたいな、きょうだい児の相手をしたいなと思いますが、将来のことを思うと収入が必要なので。。。
・親戚のお姉ちゃんの子供がまさしく寝たっきり。兄妹いるけど、親亡き後どうすんだろって訪問する度思います。本人は話せれないしたくさん管に繋がれ瞬きしながら天井を見たっきり。いろいろなサービス使ってるみたいだけど、結局のところ親は離れられないし看ないとならない。本人もまだ中学生の年齢だし天井見て1日が終わる人生をどう思ってるのか。人間って酷だなと思う。生き抜くのが当たり前だけど、病気を患っている人で、自分の生命の終わりを自分で決めれるのも選択肢としてあってもいいのではと考えちゃう。
・難病、特定疾患の場合は自治体によっては24時間対応可能なヘルパーさんを入れることはできますし、ヘルパーさんも研修を受けることで吸引が可能になります。訪問看護サービスもありますし。社会資源を活用できるよう自治体が支援してあげるといいですが、待ってるだけでは来てくれませんから病院の地域支援や相談員が機能してればいいけれど、コロナ禍で病院もその点の連携が弱くなった感じがします。
・ただ生きてくれさえすれば‥!とおっしゃる方もいますが、生きているというよりはただ生かされているだけなんですよね。 災害などで何かひとつでも医療機器が使えなくなったら、この子は命が危険に晒されてしまう。
毎日細い糸をそっと手繰るように、ご家族は必死に生きているのでしょう。
医療の発達はありがたい事もたくさんあるけれど、そうで無い事もあるように思います。
・医療の負の側面が、顕在化したことと思われる。 生きる権利だとか資格とか当然のように言われるが、人間だって神では無い。他の動物と異なり、自然に逆らって延命すれば、このような結果は当然のこと。医療というものを否定するわけでは無いが、ただの延命にすぎない人工呼吸器、心肺装置、胃瘻などは1週間とか1ヶ月の期限付きにすべきでは無いであろうか?自然の摂理に逆らうことは、いかがなものかと思われる。 介護離職して10年親の介護をしたが、いつか分からないがいつか終わるものなので、つづけられた。たとえどんな医療を受けたとしても、多くの人は望むようには死ねません。医療は医療を受ける本人のため。延命すること、尊厳死、安楽死はもっと検討議論されて良いかと。
・同情なのかなんなのかわからないけど、涙が出た。 我が子が同じ状況になったら、自分も生きて欲しいと思うだろうけど、その後の生活で自分も妻もすり減り続けることに耐えられるかどうかわからない。 この記事のお父さんが前を向いてることがとてもすごいことだと思う。 行政はこういったご家庭の支援をより一層強化してもらいたい。
・障害を持って生まれてくる子どもの割合は増えているのか変わらないのか。
発達障害なども、今は理解というか分かってきたことも多くて診断がつくことが多くなって『多くなったように見える』とは思うが、実際には障害を持って生まれてくる子どもの割合はどうなのか気になるところ。
不妊治療などが必要な人も増えているのか、そういう話が出来る世の中になってきたから増えたように見えるのか分からない。
男女共に妊娠に必要な機能が正常でないとならないし、今の日本での生活はそれを正常なまま保って家庭をということが十分望めるのか。
食品や飲酒喫煙(受動喫煙含)や睡眠にストレス等、様々なことが影響すると思う。
何か分かることがあればなぁ…。 将来の子供のために子どものうちから避けるべきことがあるなら分かるといいのだけれど…。
・自分にも子供がいる。ふたりともありがたいことに、不自由なく、元気に過ごしている。 子供たちは文字通り、命より大切だ。この子達のためなら、どんなことも厭わないと思う。 だから、この方の行動や気持ちは痛いほど理解できる。 だけど、子供達の幸せを願うと、考えてしまう。この次男のために人生を犠牲にして、言葉は悪いが…無理やり生かして、今後どうするのか。次男はこの状態で生き永らえて幸せなのか?両親が死んだ先に次男には何が待ち受けているのか。長男の幸せは?家族としての幸せは?「次男を生かす」ということが唯一目標になってしまい、他の事はどうでも良くなってないか?あるいは他の事はどうにもならなくなってないか? これは、果たして当事者全員のために良い状況なのだろうか。 我々は客観的に見てるから、どう考えても異常であると気づける。関係ない人間だから、次男のせいで何もかも…とか思えちゃう。しんどい問題ですね。
・一昔前なら生きていけなかった人が生きていけるようになった。医学の発展で幸せを見る人もいるがその代償に地獄を見る人もいる。キレイ事だけじゃないのが現実。自分の身になれば大切な人には生きていて欲しいと思う反面、そのエゴを通すためにどんな状態でも生かされ、まわりの人達の人生を奪ってまで生きたくはないとも思う。
・出生前診断で障害があると分かったら、正直諦めると思う。批判されると思うけど、綺麗事で介護はできない。自分が老いたら誰が面倒見るのか、お金はどうするのか。365日休みなし、夜も吸引やら、オムツ交換、体位交換…。働きながらだと、もっと大変だと思います。一生懸命支援しているご両親を尊敬致します。
・昔なら、絶命していたであろうケースでしょう。 社会的な問題になっている。こういう命をどうすべきかの正解はないし、きれいごとでも済まない。 終末期医療とは別なのだが、共通する部分もある。 意思確認ができないと思うが、ご本人にとって何が幸せかも考える必要がある。
・女性も働く社会になり、キャリア優先で卵子凍結して高齢出産という選択肢をとる人が増えてきた。しかし卵子凍結をして高齢出産が出来たとしても障害児が産まれるリスクが上がっただけで、この話の様にキャリアどころでは無くなり、色んな大変さを背負って生きて行かないといけなくなる。35歳以上出産だと体力も違うし、子育てしながら仕事なんて本当大変。卵子凍結なんて婚期を更に遅らせるだけなので、まず相手を見つけて結婚する事をおすすめします。
・酷な話だが、助けて本当に良かったのかと思う例だ。 医師は命を助けるのが仕事、然しその後の家庭の生活等考える立場ではない。 命が維持されるには、不眠不休の医療介護が必然で、それでも先の展望が見えるのであれば、頑張れるが意志の疎通も本人の脳の組織の改善も見込めない、医療機器で呼吸が維持されるだけでは、家族全員が疲弊するとともに崩壊してしまうだろう。 一定の経過後、医師の診断を仰ぎ医療等補助をやめるのを可能にすべきではないのか。 法律制定しないと、医師も両親も殺人罪に問われるから、現状を維持しなければならない 本当に矛盾だらけだ。
・事故であれ病気であれ老衰であれ寿命と言うのは個々に違うものである、がしかし自分の子で助かるならと一生懸命になるのが親であってほしいと個人的には思う、でも時間が経つにつれ延命の子供はそれなりに成長していく、足首が突っ張ったり体が捻ってきたりと様々な変化(成長)があるのを目の当たりにしていかなきゃいけない、自自分の子は9か月で硬膜下血腫になり在宅看護が難しくなり長良医療センターで19歳の生涯を閉じたが果たしてそれが良かったのか?その間の苦痛は相当なものだろうと伝わってくる、代われるものなら変わってやりたいと思う日々で辛い物だった、余談が過ぎたが24h医療施設はあるから市民課のケアマネージャーに聞いてみましょう共に倒れたら元も子もない。
・長男が可哀想。 きっと旅行にも行けないのでは? 施設に預けて体調を崩したのも、たまたまかもしれないし、預けたくない気持ちも分かりますが、長男のためと自分達のためにリフレッシュする時間を作った方がいいんじゃないですか。 家族間だけでストレスを溜め込むより、他人に頼る事も考えた方がいいと思いますよ。
・他人の喜びや生きがいはわからないけど看取ることすらできないってどうかと思う。 医療の進歩し過ぎもどうかなと考えてしまう。 原因はわからないけど居なかったら不登校にならなかったかも、もっと寄り添えたかもと思ったりします。 コミュニケーションが取れない、自発呼吸もできない。楽にさせてあげられないのでしょうか?長男をその分可愛がるのは違うかもしれませんが長男は大人になったらわかるかもしれないけど今は甘えたい盛、悲しい気持ちを無理して我慢なんてのはあると思う。
・延命医療が今のように発達していなかった頃は、殘念ながらこのような障害の子供は亡くなっており、介護に明け暮れる生活の家族は今より少なかったと思います。 それでも家族の心を考えると、生きていて欲しいと強く思うのもまた確かな事です。 これらのことを思うと、やまゆり園事件について、もう一度考えてみたいと思います。
・これは子供さんですから、もっと悲惨かも、介護保険すらないですので、何かほかの施設に預けるという選択もない。 ただ施設には預ける気はないとも思えますが、医療費はたぶん全額公費負担などでカバーできているはずですが、我が子の分ではなく、介護する側の分です。 介護者だって看護には、健康で病気などせずに、栄養も運動も多少なり必要でしょうが、それをカバーするにはやはりお金です。 どうにもこの国は、こういう方には、どうぞ生活保護を受けてくださいと推奨しているようにしか見えません。 私など介護保険対象の(65歳未満)妻に対して、自宅で介護か、それこそ離婚して他人となり、本人は生活保護によるあらゆる助成、私自身は、そうなれば自由に外で働けますから、好き勝手な生活です。 そしてこの場合、介護保険は満額利用プラス生活保護費、私が介護だとレンタル代の数千円のみ、これがまともな介護支援?さすが厚労省のやることです。
・うーんと言われそうだが、今の医療の発達で医者としては生かしたい。しかしずっと病院にいてお医者さんがみてくれる(実際問題ベット数と看護師の数で無理なのだろう)なら家族としてもよい選択と思うがこの記事の家族のようにもう家庭崩壊一歩手前までいって、「生きてる」というのは重要視されることだろうか? 長男だって、次男がもし生後すぐダメだったら今と違う人生では?(これから先も) 年があいてないから覚えてもいないだろう。
なんでも欧米の真似をすればよいわけではないが、機械に7つも繋がれて管まみれで、意思の疎通もなく動けない。 それは人として生きていると言えるのだろうか…と。
・難しい問題だと思う。 わが子を生かしたいという親の思いもわからなくはないけど、生かすことによって働き手の損失や医療費の損失など、生かす以上のデメリットがあることもあると思う。 この先元気になるかもしれないが見切りも必要だと思う。
・医療が発達してかつてであれば亡くなる命が生き残れるようになった結果、希望という名の蟻地獄ができている気がします。
誰が生きたいのか、誰が生かせたいのか その見極めはきちんとしないといけない。 我が子であれば自分で呼吸ができないという時点で 医療的ケアを断り、亡くなるまで側にいることを選んだかな。我が腹から産まれた子を最後まできちんと見届けたい。
・身動きできないまま何十年も生き続けないといけないなんて、本人にとっても生き地獄なんじゃないか? 周りの献身と愛があったとしても、健康で自由な体で生まれたかっただろうに。 周りも仕事諦め、疲れ、したい事もできなくなる。 綺麗事ではないと思います。意見にもあるように、安楽死を認めてほしいです。
・かなり年上の奥様、そして重い障害の残ったお子様…まだまだ働き盛りというか男盛りでしょうに、家族と向き合って頑張られて…。奥様もたくさんの葛藤あったでしょう…。年子の育児はただでさえ大変で、長男くんへの関わりを疎かにしたと自身を責められ…。我が子の介護で仕事まで奪われて…このままでご夫婦と長男くんが幸せになれるとは思いません…。疲弊しきった両親を見て、長男くんは次男くんをどう思うのか…そこにあたたかい感情が芽生えるのか…。私は、この記事を読んで、いつかの忌まわしい事件を思い出してしまいました。重度障害のある本人、ご家族…施設に預けるというのは逃げること、捨てることと同じなのか…難しい問題ですね。頭では分かっていても、幼い我が子は可愛いんですよね。でもあまりにもご家族みんなが、幸せから遠ざかってしまっていると思います。
・医療の発展を願うばかりです。 家族の生活、時間や金銭の負担を考えての 意見もあると思うけど、いざ出産、育児をしてみると、合理性や生産性だけで、決断なんて出来ないと思った。 論語と算盤じゃないけど、我が子に抱く気持ちはそれだけ特別。 決断や生活費の確保も、もちろん大事ですが、キャリアを捨ててでも、子供に尽くしたいと思う。
・昔だったら助けられなかった命が今では救うことができる結果、このような家庭が増えてるよね。 医者は救える命は救わなくてはいけないのだろうけど、家族からしたら‥。言い方悪いけれど、救う前に家族に選択肢を与えるべきだと思う。 生かされてる子も家族も大変すぎるし、意思疎通もできないなんて。 こういう事態になるのが怖くて妊娠に踏み切れない女性もいると思う。
・医療が発達して助かる幼い命が増えた事は素晴らしい事です。 しかし医療は命を助けるだけ、その後の障害がなくなるまで医療が発達している訳ではない。そのあとは家族で面倒みてねでは家族はたまったものではないと思う。 この家族では長男が可哀想です。家族で出かけるとか親に甘えて甘やかされるという子供として当たり前のことができない。 弟と同じであなたも大事な子供で愛しているといくら言われても寂しさを埋める事はできないでしょう。
・自閉と軽度知的で支援学校に通っている息子がいる母です。 多動でショートスリーパーでもある子なので、夜も子供に危険がないか気を張ってるので、学校やデイに通って昼間に仮眠を取らないと家事さえままならない感じです。
小学生になった今では夜も長めに寝てくれるようになりましたが、未就学児の時は時短勤務してたので、本当にしんどかったです。仕事で会社に通う生活してる親御さんたちは常に疲れた顔されてる人が多くて、障害児の親同士の付き合いは、あんまり明るく振る舞えない雰囲気もあります。
子供と同じ支援学校の子供がデイから行方不明になって亡くなる事故も数年前にあり、歩けないお子さんとまた違う命の危険が常にあります。でも一見、見た目が普通なので、学校とデイ以外では配慮されることがほとんどないので、夫は会社員ですが、私はフリーランスで仕事をしています。 普通でいることに執着しなくなって、大分楽になりました。
・頑張ってくださいとはとても言えない。 自分も親の介護で昨年会社を辞めざるを得なくなった。ウチの場合、介護保険で使えるサービスでは、全然助けにならないとわかったからだ。自分しか親に寄り添う24時間の介護はできないと思った。 結局、昨年末、母親は亡くなったけど、自分にできる限りの事はやったと思う。後悔はしてない。けど、介護期間中は他のスキルアップの勉強の余裕は全くなかった。 自分の場合は一年ぐらいの期間だったけど、記事のご家族は一生の問題だ。被介護者を気遣う、あの緊張の毎日が、一生というのはもの凄く過酷だと思う。 家族に記事のような人が加わる可能性は誰にでも存在すると思う。その場合は当人の幸福よりも、家族の幸福を目指すような補助が必要だと思う。家族だけが負担しなきゃならない現況では、一般社会に、障害者は迷惑だという認識しか生まれないと思う。
・これからが大変だと思う。 体は大きくなっていく。大人の体になっていく。 本来は親はもう見ない成人男性の体をケアする。 親は老いて腕力や体力もなくなっていく。 自分等が死んだあと、この子はどうなるのか心配で死ぬに死ねないという気持ちになるんだろう。
正直、自分等の父母に頼れないのか? 介助じゃなくても炊事洗濯掃除。長男のケア。
今後、子供が40代50代になってきた時、長男がどう思うか、どう関わるか、結婚しましたいるか、稼ぎはどのくらいか、そこも重要になってくる。
大変以外の道はない。 役所、勤務先等とよく話し合い、出来るなら仕事はやめないほうが良い。
学校の仕事も、授業は難しいが、他の先生たちのサポート業務を家でできるようにしてもらうとか。 試験作り、採点とか家でできることもあるだろう。
・以前預けた時に体調を崩して入院したからそれから利用してないと書かれてるけど、毎回そうなるわけでもないだろうからレスパイト目的でのショートステイを月に1〜2回くらいは利用した方がいいし、空きがあればすぐに施設入所できるように希望を入れておけばいいと思う。 親御さんたちやもうひとりの子供さんの人生のためにも。
・倫理的な部分はあまりにも難しいので触れないが、この状態が維持できるのかどうかが不透明なのは間違いない。 今の日本は「事故やミスなどが人命にかかわる」仕事を担おうとする人が急減している。そうなると「一人の医療従事者がより多くの患者を担当する」→「ミスが増え、人命が失われる」→「その度にSNS民は冷淡な言葉を吐き掛ける」→「その仕事に就く人が減る」→「さらに現場の負担が増える」という悪循環が起こっている。医療に限らず、教育やバス運転手も同様だ。
正直、SNSで弱者をマウントしてご満悦になっている方々がその対価を支払え、と思っている。最近、貴族身分の権限が行き過ぎて、国すら脆くしていると感じている。
・冷たい事を言ってしまうと、生きさせてしまう事の意義はあるのか?と。 24時間人工呼吸器とか、それはもう生きてるといえるのか。
障害が残り全く手が離せなくなるとこの先誰も幸せにならず何も生み出さない。 預けるとか面倒を見てもらうとなると、程度の差はあれど親の負担が減るという事は、他の誰かがその分を負担してるって事。 働いた分費やして、何をしてるかわからない上、公金補助があるにしても、それを賄ってる他の人からすると全くもっていらない出費でしかないわけで。
医療機器の一角を占領してしまい、他の子の治療にも問題をきたす。
子供だけじゃなく、老人とかでも本来自然死するレベルで、この先もうどうにもならないとなったら安楽死の選択も必要では? 現状、どんな事があれど死に追いやったり医療放棄したら殺人とか、それこそおかしな話やろに。
んで、こうゆう事を議論もしないのは結局綺麗事での保身優先からやね。
・草食ネズミであるデグーは、虫を餌として与えても食べたりしませんが、 重い障害のある我が子は食べてしまうそうです。
そうした自然の摂理を乗り越える人間の愛には感服しますが、 綺麗事ではすまない現実が伸し掛かるのですね。
・ここまで重度の子、七種類の医療機器を常につけるような子を、普通学校の支援級に入れた。そこが一番恐ろしい。 親の都合はあるでしょう。けれど、先生たちは医療の専門家ではありませんよ??
支援級には、他に支援が必要な子がたくさんいるのに、七種類の医療機器を理解して、その操作をしなければならないなんて。同じ教員だったら、それがどれほどの負担になるか考えてもらいたかった。
この子を生かすのは親の都合ではないのかもしれない。国の都合なのかもしれませんけれど。
いつまで無理やり生かすのかな。このシステムはいつまで持つのだろうか。 親の都合なら親が完璧に育てればいいけれど、国の都合なら国がやるべきだと思う。
・批判覚悟でコメントさせてください。
この方は持病があったり、長男さんが 不登校でそこにも手がかかったりと... それを医療ケア児の次男さんのせいの ような書き方が気になります。 入院してしまったのもレスパイトのせい のような書き方ですが、色々が重なっての ことではないでしょうか。頑なにレスパイトを拒否せず別のレスパイト先を探すなど してみては?障害のあるない関わらず復職 している親は、親を頼れなくても病児に預けたり、夫婦で協力したりと工面していますよ。
私の子供は、グレー境界線知能で 知的も引っかからず、多動も身障でもない ため手帳ももらえません。 行政に相談しても、就学前に〜と濁されます。 声をあげてもはぐらかされ、 ただただ生きずらさ と育てにくい子供と向き合う日々です。 これはこれでしんどいですよ。 私も不労所得がほしいです。 大変な人はたくさんいますよ...
・重度訪問介護といって、比較的長い時間見守り含め、喀痰吸引や胃ろうにも対応できるヘルパーが来てくれる制度があります。 ただ、市区町村でもその制度を知らない自治体が多いです。勉強してきちんと国の制度を使って欲しいです。生きてることが誰かの足枷になるなんて悲しすぎます。
・正直申し訳ないがそこまでしないと生きられない命を存続させるならある意味仕方ない。明らかに100年前なら生きてられないだろうし。その子があることで親として生きてられるならそれ以下にはできないがだからといって回復の見込みがないならそれ以上の支援もどうなのか?自分ならそこまで子供にかまえるかできないと思うのですごいがなんでも支援援助が無限にはできないだろうと思う。
・終末医療として自ら選ぶなら胃ろうや人工呼吸器をしないってこともあるだろうけど、目の前の小さな我が子の治療では命最優先になるのはわかる その際医療管理の大変さは十分に説明されているのかなとは思う
・ここまで自分の子供に尽くしているのだから、仮に安楽死制度があったとてこの親が選択することはないと思う。余裕で生活保護申請できる状況なのに、働くという選択肢が消えていないことがすごいと思う。 自分の子供が障害児で頻繁な見守り・介護が必要な状態だから働けない世帯はたくさんいると思う。医療や福祉のリソースがこういった障害児にもっと割くことができれば、現役であるその親が働くことができ、納税することができるようになるため、長期的にみたらそっちの方がいいと感じる。
・自分は人の手を煩わせてまで生きるのは…と思うので、それこそ認知症になりオムツが必要、徘徊などの症状が出始めたら尊厳死を選びたい。 でも子どものことだと選べないかもしれない…。 安楽死や尊厳死を選ぶ=自分が殺したという認識になってしまうかも。 家族に選ばせるのも酷だと思うけど、医師の判断で勝手にという訳にも行かず。難しい。
・昔産婆さんが障害のある子は○○してたと聞いたけど。今はそうはいかないだろうし責任感と愛情をもってご両親が介護されてると思うけど一生と考えた時にきついものがありますよね。 仕事に行ける環境整備も必要だろうが現実的には厳しいだろうな。少しでも息抜き出来る時間があればいいですね。せめて週何回か入院出来るようにしてもらうとか。
・私も同じ状況で重度障害の次男にかかりっきりになり、最初に夫が鬱病になって家庭が破綻して母子家庭になって自分も仕事をしなければならなくなり、とても過酷な仕事だったけど子どもから離れる時間ができて解放された気持ちになった。 しかし、仕事も育児も介護も過酷で数年後には自分の方が力尽き、勤務先で倒れて入院したりと周囲にも迷惑をかけ続けたあと自分が希少ガンの末期状態な事が判明。自分自身が身体障害者になり余命宣告を受けた。 そんな状態でも重度障害の子を私に代わって「看てくれる人」はこの世にはいない。私がこの世から去ったら、兄弟子が私の代わりにこの地獄を味わって人生を犠牲にされてしまうだろう。 小さい頃はなんとしてでも生きていてほしいと願った子だけど、今はただ、私が看取れるようにと願っている。
・安楽死と言いますが、生まれて来た顔、一生懸命に生きようとしている心臓の鼓動、呼吸、泣き声、母の母乳、ミルクを飲む姿を見て、安楽死と言う決断は、とても難しい思います。親ならば、生まれて来たからには、何か天命があるはずと思うのが普通です。出来る事ならお腹の中にいる時点で、問題がある事を発見出来るよう医療がもっと発達する事を願うと同時に、現在、このような状況にある親御さんの負担が少しでも減るような政策を期待します。
・重心施設に通わせながら、生活費を稼ぐためにそこで雇ってもらっています。つまりは結局24時間一緒です。 夜はアラーム鳴りっぱなし、時間で決められた注入、頻回な発作対応に吸引、吸入、大量の服薬、体位交換、、、毎日夜勤をやっているような状態です。入院も頻回。寝不足疲労困憊のなか、施設まで片道1時間近く運転して仕事してまた帰って夜対応。もちろん家事も兄弟児の育児もあります。 でも私が「もう無理」と言ってしまったらこの子は施設入所しかないし、頑張るしかないんですよね。日々命がけです。家でみるということが、想像以上にずっと大変なことを政府には知って欲しい。最愛の子供とこのまま消えてしまえたらと思ってしまう親のギリギリの状態を知って欲しい。もっと助けが欲しい、、、。
・重心施設に通わせながら、生活費を稼ぐためにそこで雇ってもらっています。つまりは結局24時間一緒です。 夜はアラーム鳴りっぱなし、時間で決められた注入、頻回な発作対応に吸引、吸入、大量の服薬、体位交換、、、毎日夜勤をやっているような状態です。入院も頻回。寝不足疲労困憊のなか、施設まで片道1時間近く運転して仕事してまた帰って夜対応。もちろん家事も兄弟児の育児もあります。 でも私が「もう無理」と言ってしまったらこの子は施設入所しかないし、頑張るしかないんですよね。日々命がけです。家でみるということが、想像以上にずっと大変なことを政府には知って欲しい。最愛の子供とこのまま消えてしまえたらと思ってしまう親のギリギリの状態を知って欲しい。もっと助けが欲しい、、、。
・自分の家族だったらと思うと胸が苦しくなる。 確かに医療が発達したから助かる命がある。 NICUもICUも痴呆症などもケアしてくれる場所は昔はなかった。 全ての人が平等に医療を受けれるが 助かっても意思が戻ることなくただ肉体だけが生きる命をいつまでも延命するのはどこかで法律で線引きしなければ 家族も本人も辛い。
・この記事を読んで一番最初に思ったのが、7歳の長男が気の毒だなと。我慢してることが多いと思うし、親としてやってあげられないことも多々あると思います。心身ともに健やかに育って欲しいです。
・日本人は人の死について考え直すタイミングかもしれない。何歳であろうと、生き物は口から食べられなくなったときが寿命だと思う。 昔なら生きられなかった命を生かすことが本当に幸せに繋がるのだろうか。この記事を読む限り、そうは思えない。安楽死も選択肢のひとつに入れてあげてほしい。 コロナ禍ワクチン禍で、金儲けしか考えていない医者が多い事が分かった。彼らの勧める医療は本当は間違っているのではないか。
・特別支援学校へは医療ケア児も送迎サービスを利用できるようになったと思います。特別支援級は周りのこどもたちとの交流がさかんなので、流行り病に感染するリスクはレスパイト先よりも多いと思います。復職を望むならば、福祉サービスをフルで活用するしかないと思います。
・早産未熟児低体重、生命が維持できるのは医学が発達した現代の日本に生まれたから。最貧国や内戦中の地域だったら、見捨てられる子です。その前に不衛生から生きていないだろう。 どんな子でも可愛いと思うのが親でしょうが、これでは親だけでなく家族全員が自分の人生を歩めない。特に障害ある「きょうだい」を持った兄弟姉妹は色々我慢させられ、親亡き後は介護も期待される。 安楽死の法整備が必要なケースの一つです。
大正生まれで戦前までナースだった祖母から聞いた話し。 医師が認めた場合の障害がある乳児は出産直後にその場で息を止めたと言っていた。そして親には死産と伝えたらしい。 知的障害はまだわからないので、これは見た目でわかるレベルの障害です。 それが言い訳じゃないし、今は殺人にあたいするので、不可能ですが、それを法的に安楽死の許可を出すのも今生きている人を守ることになると思う。
・申し訳ないけど、ここまでして命を継続させるのは誰の判断なのか、誰の為なのか疑問に思う。 非常に不謹慎な言い方なのは承知で言うと、自然に生きられる子供しか正直要らないけど、現代の日本はそれを許してくれないので、子供を産む事を諦めました。 まず犠牲になるのが母親だし、自分の身に置き換えると自分が耐えられず壊れると思う。 少子化になるのは金銭的問題だけではない。
・医療的なケアなどを含めて両親が次男さんにかける時間が圧倒的に多いと思う。もちろん、長男さんにも愛情を注いでいると思いますが、長男さんのケアもしっかりしてあげて欲しい。
・夫が在宅医療をしています クリニックの方針は積極的な治療はしないです 皆さん御高齢でご家族も、延命治療はしない方針を固めて、クリニックに来ておられる方ばかりです
夜間体調が悪くなると、きて下さいと連絡がきます やれることは点滴くらいですが、病院に運ぶ運ばないで家族の方達が、何度もクリニックに電話をしてきます 方針は決まっているけど、実際、家族が苦しんでいたら病院に運んでほしい でも病院にいくと結局延命治療されてしまう かなり家族全員で意思を固めていないと救急車を呼んでしまいそうです
病院の院長は変り者扱いされていますが、日本が遅れているだけかなとも思います
・医療ミスからわたしも 植物人間になりました。 嚥下障害から全身の神経の麻痺 長い時間をかけて かろうじて 神経の回復が果たされ かろうじた日常ができるようにはなったものの 障害手帳や障害年金といったものは何もありません 薬のミスからでした 親元を頼って親に寄生するように 7年 8年生きてます。 植物人間というのはどのみち 後遺症になっていたり 完全回復は無理であって 下手すれば 中途半端な回復になると障害手帳が取り上げられたりしてしまって生きられないんじゃないかな って思うことも自ら体験して感じました 経済的困難というものです
薬のミスの場合には証明ができませんし PMDA も機能しませんし 大学病院は機能する証明する場所じゃなく ごまかす場所で同業の方を持つ場所ではめられました。 それでもベッドから脱出して 医療費がかからないようになったは 幸運だと信じてます
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