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ひろゆき氏、京アニ事件に私見「『死刑だから助けなくていい』という判断があってもいいような」

日刊スポーツ 1/25(木) 15:39 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/8f37c30ef3337cc58feef85a2829c405f0e20841

 

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2ちゃんねるの開設者で元管理人であるひろゆきこと西村博之氏が、京都アニメーション放火殺人事件での死刑判決について言及し、死刑への意見を述べた。

ひろゆき氏は、死刑になるための人を助けた医療関係者の努力を考えると、死刑だから助けなくてもいいという判断があってもいいようなと私見を述べた。

この投稿にはユーザーから、被害者のためや未来のために犯人の動機や供述を知りたいとの声が寄せられた。

(要約)

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「ひろゆき」こと西村博之氏(2022年10月撮影) 

 

 「2ちゃんねる」開設者で元管理人の「ひろゆき」こと西村博之氏(47)が25日、X(旧ツイッター)を更新。36人が死亡した2019年7月の京都アニメーション放火殺人事件をめぐり、殺人罪などに問われた青葉真司被告(45)の裁判員裁判で、京都地裁の増田啓祐裁判長が死刑判決を言い渡したことについて言及した。 

 

【写真】放火火災が発生した「京都アニメーション」のスタジオ 

 

 ひろゆき氏は「何はどうあれ被害の甚大さから死刑というのはわかるんだけど」と切りだし「死刑になるための人を助けた医療関係者の努力を考えると、『死刑だから助けなくていい』という判断があってもいいような、、、」と私見をつづった。 

 

 この投稿にユーザーからは「犯人のためではなく、事件の全貌を知りたい被害者のためとも言えると思う」「裁判に出るための治療みたいなものなのかな」「生きて更生して欲しいから助けるじゃなくて何故こんな惨い事件を起こしたのかという未来への参考資料として被告人の犯行の動機や供述を聴きたいからじゃないんですか?」などの声が上がった。 

 

 

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(まとめ)  

 

・大阪梅田のクリニックの事件で犯人が死亡したことで、真相究明や責任追及が困難になり、遺族の気持ちが宙に浮くことについて、裁判での公正な裁きや真相の解明が必要との意見や疑問がありました。

一方で、死刑判決が出るまでの期間は事件の解明や犯人に対する裁きにとって重要との声もありました。

医療従事者には命を助けることが責務であり、裁判所が裁くべきであると考える意見もありました。

また、さまざまな立場からの議論が必要であるとの声が挙がりました。

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・大阪梅田のクリニックの事件では、犯人が死亡したためにその後の責任追及、真相究明が出来なくなったことで、ご遺族の気持ちが宙に浮いたままと聞く。どのような形であれ、司法の場で裁かれることが被害者側に対しては必要なこと。「どうせ死刑になるのだから、助けなくていい」とは、傍観者のある意味無責任な発言。あの様な事件で大切な人を殺された人の気持ちになればとてもではないが、そのような発言は出来ないと思う。 

 

 

・何故こんな惨い事件を起こしたのかという未来への参考資料を裁判所なのかどこか知らんが、十数年後に破棄しない事を祈る。サカキバラだっけ資料廃棄されてしまったの? 頭の抜けた担当者の所為で貴重な裁判資料が無に帰さない事を祈ります。またこのような凄惨な事件が二度と起きませんように祈り後世にに伝えていきたいと思います。 

 

 

・死刑になるかどうかはその時点ではわからないですからね。 

犯人死亡で真実が隠れてしまいますし、次の事件を防げなくなる可能性もあります。 

例えば誰かの命令を受けていた場合、同様の事件が実行犯を変えて続くかもしれません。 

 

思うところもあったでしょうが、あれだけの重傷から回復させ、判決に至るまでの治療をしっかりした、医療関係者はプロフェッショナルだと思います。 

 

 

・手塚治氏のブラックジャックという作品にも同じようなテーマを取り上げた話がありました。こちらは医療従事者からの視点でしたが、子供ながらこのテーマを深く感じた事が印象に残っています。答えは各々の立場で変わり、決して正解は出ないですが、このような議論を続けることは、とても大切だと考えます。 

 

 

・米山さんとのバトル以降最近発言に気をつけてるなと思ってたら……やっぱりひろゆきくん。被害者や遺族の気持ちも刑罰の意味もまるでわかってないな。 

自分のした罪の重さも自覚する事なく早々と死なれるのと、どれだけの重い罪を犯したのか認識しさらに贖罪の気持ちを持って形に処されるのとでは同じ死という結果でもその意味が全く異なってくる。 

ひろゆきは申し訳ないけどいい年してまだまだ思慮が浅すぎるしなかなか進歩がない。 

 

 

・死刑にするか判断するのは裁判所であり、医療関係者ではありません。警察でもありません。裁判にかけられてもいない人を死刑になるからと誰がどうやって判断するのですか?ケースによっては、搬送の時点では加害者なのか被害者なのかはっきりしないこともあるでしょうし、殺人なのか事故なのか断定できないケースもあるでしょう。勝手に判断して治療を止めて、殺人ではなかったと判明したらどうするのですか? 

この方、医療のことも裁判や司法のことも何も知らないのでは? 

 

 

・被害者からしたら、犯人死亡で終わりが一番やるせない気がする。 

 

公判を見れたことで納得できないことを納得できた遺族もいるだろうし。 

犯人死亡で何もわからないより、理解不能でもそれを確認できることとは大きな違いがある。 

 

死刑として再度同じ状況で刑を執行してほしいものだ。死刑囚でも死の尊厳が守られるのに、被害者はどうなるんだろうね。 

 

 

・「死刑だから助けなくて良い」ってのは 医療従事者は考えないと思う そもそも刑罰は後からついて来るもので 治療時は推定無罪の状態。うちの機関にも連れて来られる時があるけど 拘束されて警察官が付いてくる以外は普通の人だし。治療しないと言う考えは誰も無いと思う。死刑かどうか決まって無いのに医師が見捨てたらダメだろ。きちんと刑の確定と罪の償いをさせるべきだろう。それよりたまにいる死刑執行をしない法務大臣の方が問題かと。嫌なら法務大臣を引き受けるなって 

 

 

・治療にあたったドクターのインタビュー記事を読んだ事があります。犯人に『何が何でも君を助ける。君には生きて話さなければいけない義務があるのだから。』というようなことをおっしゃったそうです。『死刑になるのだから助けなくていい』と思うのは人事だからでは?遺族にしてみたら黙って死なれたらやるせないと思うし ドクターには『助けなくていい』という選択はなかったと思います。 

 

 

・犯罪者を助けるのではないと思う。 

被害者とその遺族にとって、何故自分たちが被害に遭ったのか、それを知ることが救いになるかは分かりませんが、少なくとも何も分からずに加害者が亡くなってしまうよりは良いのではないか。怒りをぶつける先があるのとないのでは、被害者の心情を考えるとあった方が良いと思います。 

医療従事者に、犯罪者の命を助けることを問うのは愚問。 

どのような場面であっても、戦争時であっても医療従事者はいのちを奪うのではなく、助ける為に行動するものだと思います。 

 

 

 

・被害者のご遺族からすると、事件で一緒に亡くなるよりもちゃんと裁判で裁いた上で刑として執行してもらう方がまだマシなんじゃないかと思うけど、莫大な医療費はどこから出たのか?とか一生懸命助けてくれた医療従事者の方々の努力を考えると複雑ですね。 

 

 

・遺族としては、悲しい、悔しいの感情の後は、なぜ身内が死ななければならなかったのかが知りたいという衝動にかられると思います 

第三者としては、二度とこんな事件が起こらないようどうしたらいいのか、こんな加害者が生まれないためにどうしたらいいのか、知恵を絞るきっかけになるという点では、加害者が生きているということが、非常に大きいことだと思います 

 

 

・自分としてはあの悲惨な放火事件で犯人も大火傷して、にもかかわらず医療従事者の方々の懸命な努力により、裁判に出廷するまで回復された事に、医療従事者の方々は人として凄いな、のひと言です。 

昔、手塚治虫さんのブラック・ジャックって漫画でも、死刑と分かってても手術をして死刑囚が最後に感謝してたシーン。 

それとは逆に死刑と分かっていてわざわざ手術させたのか!と憤るシーン。 

それぞれの人間の葛藤を上手く表現したヒューマンドラマでした。 

なんかそれを思い出しました。 

青葉被告が今回の死刑判決、そして自分を治療してくれた医療従事者にどう思うか? 

もう本人がどう感じているのか、ただそれだけです。 

 

 

・話が少し変わりますが、自殺企図の患者が医療機関に搬送された場合、「どうせ自殺したいんだから、救命しなくてもいいじゃん」とはなりません。 

 

その昔、飛び降り自殺未遂で搬送された患者を救命しましたが、半年後に焼身自殺を図り、今度は救命出来ませんでした。とても虚しい気持ちになりましたが、それでも1回目の自殺未遂の際に「救命しなければ良かった」とは一切思いませんでした。 

 

医療経済的には無駄だとは思わなくはありませんが、経済と倫理はまた別次元の話だと思います。どんな背景があっても目の前の患者を救うのが医療従事者の最低限の責務だと思います。 

 

 

・自分も最初は死刑相当の重罪なら治療する必要があるのか? と思っていた。生きたかったは被害者の方なのにと。 

 

けど、生きてることで裁判が出来る。例え判決に時間をかけたとしてもそれまでの過程ややりとりが記録や記事になってより多くの人に遺族の無念さ、被告に対しての怒り、この事件でどれほど多くの人達が苦しんだのかをこの先伝えていき、心に残してゆくには必要だと感じました。 

 

 

・無罪推定の原則とは、「何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される」という、近代法の基本原則である。 

被疑者死亡で真実が有耶無耶になるぐらいなら、結果として死刑でも、少しでも真実が明らかになる方が、それを公表されることが、被害者家族の無念を多少なりとも解消されるし、同様な犯罪の抑止に繋がるし、被告にも罪の意識を感じさせることになると思います。被告が犯した行為は、明らかに常軌を逸した行為であることは間違いないが、それを死刑判決が出るであろうと推計して必要な措置をせず、放置することはできないと思う。軽い冗談だとしても、論者としての発言としては無責任だと思う。 

 

 

・正直この事件があったとき、大火傷を負った犯人の命を絶対に助けて欲しいと思った。 

動機の解明もさることながら、この犯人は 

五体満足で助けなくもていい、本人の意識だけはっきりした状態で生きて火傷の治療の苦しみを味わいながら裁判で己の罪の深さを後悔し、まず間違いない死刑になるだろうからその日が来る恐怖に怯えながら数年間生きて欲しいと思った。 

楽な終わり方をさせてはならないと感じました。 

 

 

・いわゆる「死に得」は許さないという奴で、確かに無駄なようにも見えるが 

ただの焼死と自分の犯した罪を裁判で突き付けられ、死刑判決の上いつ執行になるかわからない不安を経てからの絞首刑では全く話が違う。そして何より、今後の類似犯防止の為にも動機や実行の詳細を当人に問えるのは大きな事。 

あと、副次的にではあるが被害者やその遺族への物事の節目としても、彼の処刑は必要な事だ。 

一番気の毒なのは、死刑になるとわかっているのに治療をしなきゃいけない医療スタッフの皆さんだが、そこは役職柄、勘弁してもらうしかなかろう。 

 

 

・働く時人は、相手や社会のためになるという倫理観に支えられる。感謝され喜ばれ社会が少し良くなるとか。 

京アニ事件の犯人を治療した医療関係者の皆さんは、瀕死の犯人を救うために自分のできる限りを尽くし、少しでも容体が良くなるように努力したという。医療関係者の皆さんも人間。自分の患者はたくさんの若者を殺した悪魔のような殺人者。おそらく死刑判決が出て助けた命を失うことが予想できる。そんな人間を救うことは本人やご遺族、社会のためになるのだろうか。ずいぶん苦悩なさったことだろう。それでも職を全うし、犯人を助けた。そして「こんなに優しくしてもらったことはない」という言葉が犯人の口から引き出された。この一言は深い自省の言葉とは言えない。でも獣のような人間が言えた感謝の言葉は人間というものに対し微かな希望を感じさせた。死刑執行時、ご遺族や医療関係者の方々はどう感じることになるのだろう。 

 

 

・そもそも医療従事者は目の前の命を助けることを目的とし、司法は法律に基づいて刑罰を下すという目的があるわけで、同じ次元で考えるものではないと思う。 

 

この犯人の治療をした医師の話では、以前、大やけどからこの犯人の命を救った治療方法が生かされて、そのあとに命を落としてもおかしくない大やけどを負った人の命も救えたという報道を見た。 

少なくとも、この犯人に関しては「どうせ死刑になるんだから、助けなくてもよい」として治療をしていなかったら助けられなかった命もあるということ。 

 

 

 

・結果、助からなかったとしたら仕方ないですが、生き残った被害者や遺族のためにもなぜ事件を起こしたのか本人の口から聞き、正規の手続きを経て罰としての死刑宣告を受けさせることは先に進むために必要な行程でしょう。 

それにいつくるかわからない執行の時をただ待つだけの日々は被告にとって辛く怖いものでしょうから意識のないまま死ぬよりも、罰として意味のあることだと思います。 

 

 

・昔のブラックジャックの一話に某国の反政府活動家が撃たれて瀕死のところをBJが助けたんだが、銃殺刑で処刑されたことに対して私は殺させるために助けたのかって叫ぶシーンがあったが、助ける側がある一方で司法制度に基づき刑を執行する側もある。 

死刑囚だろうと奴隷だろうと少なくとも生きる権利は与えられるべきだと思う。 

 

 

・裁くのは裁判官で医療の現場の人は裁判官でも裁く側の人間でもないと思います、医療現場の人は命を助けるあるいはケアするとかそういう精神の人で頭下がりますそういう方が多いからこそ安心して医療受けるというのが日本にあって素晴らしいと思います、もし医療側にも勝手に命裁く権利とか与えれば怖い事になると思います、日本人が素晴らしいのは自分の役割や精神をきっちり自覚して動いてるところだと思います。 

人様を裁かないそういう謙虚な精神性が日本人の一般人にあると思います、最近ではネットで正論とか振りかざしたり裁きたがる人多いようですが正論や理屈では通らないもっと深い精神性が日本人にはあると思います。 

 

 

・まー事件の真相を知るには犯人を生かすという選択肢しかないからね、犯人が生きていなければ動機などは聞けないわけだし。それとはまた別の話で医療従事者は眼の前の患者がどんな人間であろうがその患者の命を助ける事が責務だからね、その責務を果たしたまでの話だろう。そして人間だから医療従事者としての責務とは別で個人的な思いは色々あったとは思うけどね。 

 

 

・莫大な治療費を公費で支払い拘留しておきながら裁判での死刑判決と死刑執行も公費。全てが税金で行われている。捜査も含めて,青葉死刑囚に関する公費は,1億円ではすまないだろう。しかし,米国では,無差別大量殺人後,犯人が射殺されたり自殺したりして事件がが終わる事が多い。被害者や被害者家族からすれば,やり逃げされたのと同じ。あの世に逃げられたら謝罪させる事もできなくなる。日本では金と手間をかけてでも死に逃げを許さない点で,米国より厳しいのではないかと思える。 

 

 

・犯人が死亡して事件の真相が分からなくなることでより一層ご遺族を苦しめることになると思う。今回の事件の犯人の治療を担当された医師の方も、そのことを十分理解した上で治療にあたっていました。 

どうせ死なせるんだからと思うかもしれないが、事件の真相を解明し、犯人に自分が一体何をしてしまったのかを理解させ、自分の犯した罪の重さを理解させるためにも、たとえ死刑になる可能性が高くても、助けなければいけないと思います。 

 

 

・これ確かに一瞬よぎるんだけどさ 

でもやっぱりあのまま死なれたら 

遺族は感情の持っていき場がないかなとも思うし 

ちゃんと治った状態になってからきちんと判決を受けて 

受刑に至るっていうのは 

司法の意義においても被害者遺族にとっても 

結構重要なんじゃないかなぁ 

 

 

・現場検証や証拠集め、証言などを得て有罪判決がやっとでるのは冤罪などが起きない為だから、そういうのをすっ飛ばして誰が判断するのかという問題もある、本当にこの人がガソリンをまいたのか?という確定も無い訳だし。 

 

裁判をやるというのもやはり意味がある、法治国家にとって裁判は非常に重要、もし裁判なしで裁けるとなれば民間で自力救済やリンチが今よりも横行する。 

 

それと青葉の精神や器質性疾患、生い立ちを分析してまたこのような事件が起こらない様に対策するようにもしたい。 

 

 

・難しい問題で答えはない問いだと思います 

 

結果からすると死刑ですが、確定するまではどんなに可能性が高くても死刑とは決めきれないところが難しい 

過去の事件で被害者が語ることなく死んでいってしまったときの世間のモヤモヤ感も記憶がある 

論文で、死刑囚は病死ではなく生命力がある状態で死を与えられることに人々が刑罰の意義を感じられるという論文を読んだことがある 

実際死刑囚の獄中死には世間の批判強い…そもそも早く執行しろという声も多いが 

 

そう考えると裁判までは生かすべしとは思いますが、医療従事者の苦労を思うとどうせ死ぬんだし、とも思う 

 

青葉被告を治療した医師はよく記事に書かれるね 

彼は医療従事者としての信念を持って彼をあえて生きるように治療したらしいです 

 

 

・どっかの記事でありましたね。 

医者はしっかりとした裁判を被告にしてほしいと思って助けたと。 

医者の判断で生かすも殺すもできるのであれば法の機能が壊れると思います。 

 

まぁ明らかな犯罪者と被害者がいれば被害者を優先することくらいはしてほしいですが… 

その判断も医師に委ねるのは難しい。 

感情としては簡単ですが、しっかりとした仕組みとして考えると医者は医者の役割を全うするだけにかぎるんじゃないですかね。 

 

 

 

・「ブラックジャック」で同じような題材の話ありました。 

ブラックジャック自身はわざわざ死刑にするために被告の命を助けたことに法廷の傍聴席から怒りの声を上げました。どちらかというとひろゆき氏に近い主張ですかね。 

とは言っても、最初から死刑と決めつけるのも早計ですし、本人が話してくれないと事件の細部がわからないですし、やはり助けるしかないのかなと思います。 

 

 

・まぁ『極論脳だけ生きてれば記憶は引き出せるし』というとこまで医療になるのか科学分野というべきか技術が進んでいるのであれば『肉体を救う必要はない』という議論はあってもいいとは思う。 

が、現時点では『(イヤイヤな部分はあれど)助けないと真相がわからない』という方向で助けるしか選択肢がないのではないかと個人的には思う。 

 

 

・証拠集めの為に助けると言う意見があるが、数千万円の治療費が掛かり、 

全額が税金で支払われている事実を考えた事があるのだろうか。 

これから死刑が執行されるまでも治療と収監費が毎日何万円と費やされて 

行く。日本は死刑確定後に6カ月以内に執行しないといけないし、 

大臣が承認したら5日以内に実行しないといけないが、死刑を行った 

大臣は総理大臣になれないと言われている等の理由で殆ど行われない。 

毎日何万円も死刑囚の為に注ぎ込まれている現実も考慮した方が良い。 

 

 

・救急の医療者が助けることと、死刑判決が出ることは関連がないと思う。 

助けるまでが仕事で、その人の後の人生まで背負う必要はない。 

例えば、医療で治っても、危険な薬物を接種するのを辞められない人の心配までしなくていい。それは、別の専門医の仕事。 

医療者が、更にストレスを抱えること無く、ひたすら助けることだけに集中させてあげてください。 

 

 

・そういう効率の問題では無い。 

 

法治国家として容疑者にちゃんと裁判を受けさせて裁く。 

 

こういう国民と国家の間の信頼関係が崩れることが一番危険。 

 

交通事故で複数人の被害者が死亡していて、1人の加害者が怪我をしているときに、加害者は医療行為を装って殺してしまっても良い、というような話になってしまう。 

 

効率で考えるべき事柄と、効率では考えられない事柄がある。 

 

 

・犯人のしに逃げは遺族にとってもやるせないし、許せないと思う。亡くなった方が戻ってくることは無くても、あえて生かして、改めて犯人にキッチリ罪を償わせたいのが遺族感情と思う。もし自分が遺族であったら、楽に往かせたくはないと思うし、被害者と同じ恐怖と苦しみを与える刑を執行してほしいと思うだろう。 

 

 

・京アニの犯人が助かって本当に良かったと思います。医療関係者の皆さんには心から敬意を表します。 

なぜ事件が起きたのか、犯人はどう考えていたのかを知ることができました。 

まだリハビリなどあると思いますが、どうか元気になって事件の事をしっかりと反省してから死刑になって下さい。 

命の重さを自分自身の死刑と向き合いながら36名の命と後遺症や心の傷で苦しんでいる人、ご遺族の人たちの思いとしっかりと向き合ってから自分の命で償って下さい。 

死刑制度があって本当に良かったと思います。ただ、犯人の死刑執行のボタンを押す職員さんや執行を判断する法務大臣の心労だけは忘れずにいたいと思います。 

 

 

・事件の当初は何故こんな犯人を助ける必要が有るの?と自分は思いましたが、治療に当たった医師の方の記事を見て、個人の思い・医師としての使命・遺族・被害を受けた方々への思いなど自分は本当に浅はかだったと反省しました。ひろゆき氏はその様な記事とかは読んで居られないのでしょうか?読んでいて、その様な事を書かれるのであれば、真意を記載して欲しい。 

 

 

・治療にあたった医師はどうだったかわからないが、医療者は割とクールじゃないかな。目の前の患者に出来る治療をおこない、助かるか助からないかは運だったり本人の生命力だったり。医療者としてやることは一緒で、これが精神的に一番楽。 

 

 

・この事件、生まれて初めて犯人の生還を祈りました。あれだけの惨劇を引き起こしておいて一緒に死んでチャンチャン、じゃ被害者や遺族は浮かばれません。これだけの事件を起こしたんです、仮に現場で犯人が死んだとしたら、犯人にとってこんなに楽な事はないじゃないか、そんな事を思いました。 

 

死刑になるとしても執行までに相当の時間があるはずです。この間、ずっと罪と向き合って欲しい、そう思います。 

 

 

 

・法が正しく裁くために、加害者は一定程度健康な状態である必要があるというだけ。事件当時の心理状況や計画、能力等も大事な判断材料なのだから、瀕死の状態で出廷するわけにはいかない。死刑が執行されるかどうかは確定判決が出るまで本来分からないのだから、医療が介入することは何ら不自然なことではない。物事には順序や意味があることも多く、いつも結果だけを最短で追い求めていて良いものでもないと思う。 

 

 

・自分が遺族なら…また何年も裁判のために怒りの気持ちを持ったままというのはキツイ。 

許すことはないけど、発言により新たな怒りが発生していくなら自分がダメになるだろう。会社側や同じ遺族同士で最大限の配慮や思いやりを持ってくれるとして毎年その日に弔うことができれば、もう犯人のことはどうでもいいと思うかもしれない。究極なところだと思う。自分はひろゆき側なんだな 

 

 

・治療した医師は、法の裁きを受けさせるためにも今ここで死なせるわけにはいかないという考えだったそうですね。高額な報酬を得ているとはいえ、神経をすり減らして難度の高い治療をしたのを無駄と断じてしまうのは失礼ではないでしょうか。 

ひろゆきの言う「助けなくていいという判断」?、では誰が判断するのかということですよ。我が国は法治国家ですから、だれが見ても死刑だろうという状況でもちゃんと法に則って裁判をする、当然です。 

 

 

・そのまま死なせてしまったら動機の解明、被告の言い分もわからないままです。今回、被告の命が助けられたため裁判で動機が明らかになり被害者の方々には全く否がないことも明らかになっています。動機が明確にならないままだったら被害者のご遺族は「なぜ」と思いながら生きていかなければなりません。いずれにしても辛いです。 

 

 

・世の中の凶悪犯がどんな精神構造でどういう経緯で犯行に至ったかを本人の口から吐かせることは 

ご遺族の感情に配慮する意味でも、犯罪心理学における今後のデータとしても、十分に意義があると思います。 

 

 

・ひろゆき氏のコメントに対して、死刑の是非に関する意見が分かれるのは理解できると思います。一方で、死刑が適切な刑罰であると考える立場もある一方で、死刑囚にも人権があるとする声もあります。医療や心理的なサポートについても、被告人の心理状態や更生の可能性を考慮する視点は重要です。社会的な観点から、公正な判決と共に個別のケースに適した対応が求められるのではないでしょうか。 

 

 

・青葉被告を助けた医師の言葉として「死に逃げることを許さない」というものがあったと記憶しています。 

法治国家として、死刑判決を受けさせることに意味があると思います。 

36人もの人を殺して死刑が確実視される青葉被告に対しても正当な裁判を受けさせる、たとえ悔悛を示さなくとも、正しい判決を下すことが重要です。 

97%死が確実視された青葉被告を死なせて死に得させないように全力を尽くして命を助ける、医師たちは崇高な仕事をしたと思います。 

被告のためというより、被害者のため以上に、事件の真相を聞き出すため以上に、医師として、法治国家の一員としての仕事であったはずです。 

 

 

・死刑って決まってたわけでもないし医療従事者が勝手にそう判断するのはまずいのでは。心神耗弱だった可能性もあるし事件の詳細がまるでわからないまま死なせるのもどうかと。おそらくコスト面とか考えての発言だと思うんですがなんでもかんでもコスト最優先で考えるべきじゃないと思います。 

 

 

・日本には建前だけで『人を殺してはいけない』という精神を持った法律は存在しないし、現行法にある国家による代理報復殺人を多くの人が容認し求めることもあるんだから、別にそれでいいと思うならいいんじゃない?  

 

『死刑はそれを行った時点で、誰が、何人亡くなろうと、どんな事件であっても全て終結する。』 

それは誰もが当然に認識していること。 

被害者や遺族、ジャーナリストらが生きている受刑者に、しばらく時間が経ってから事件について聞く、話すということをさせないというのは、第三者にとっては多くの人が亡くなった事件の一つでしかないと言っているも同然だし、誰かにやらせるのはいつものことだから、そう思うなら法改正をするように議員に『陳情』したり立候補すればいいだけ。  

議員自身の制限をする法律ではないから、やってくれるかもよ? 

その瞬間、現行法以上に日本では殺人は容認され、同時に矛盾も容認することになるけどね。 

 

 

・あっていいわけないだろ。 

そりゃ、一切罪に問われない人間ですってんなら見殺しておけ…と思うことはあるかもしれんが。 

どうしてこんなことを起こしたのかは犯人の口から語られないと全て明らかにならない。それを知る意味は大いにあるとおもう。おそらく被害者遺族としても。 

償うためよりまず真相を知るため。そのために生かす必要はある。 

 

 

 

・これ私も思ったんだけど、、、どうせ死刑になる人間を長い時間かけて命救ってどうなんだろうと、、、もちろんご遺族の気持ちを思えば今の日本での極刑は死刑なんだろけど、、、せっかく助けた命だし、死刑なら作業とかもしなくていいし(ただいつ執行になるかの恐怖心はあるだろけど)死刑よりもっと犯罪を犯した人間が死ぬまで苦しい思いをするような刑罰はないのだろうかとも思う 

 

 

・皮膚移植の方法が世界初のことで治療法のサンプルとしては大成功だったことを考えれば、この治療法が実用されて恩恵に与る人も出てくるはず。もちろん被告人としてその事件のきっかけや起こした事件の全容を知る上での責任が全うされることを願うが、医療の点から見ればある種の寄与をした1人ではないかと思う。その上で死刑を求刑されて執行されるのであれば、ご遺族の心情がすべて救われるわけではないが、証言台に立つ青葉被告人が未治療のまま死んで良いとは言い切れない気がする 

 

 

・それぞれがそれぞれの立場で誠実に仕事をした。その結果―― 

 

見殺しにしていては知り得なかった事を知る事が出来た。 

判例にもなった。 

 

死んで(殺して)終わりにしてはならないと思う。 

人類の経験を後世に残すことで英知となるのだと思う。 

 

 

・ある意味で正解かも知れないけど、そうすると、 

遺族の気持ちは何処へやればいいのか…と言う気もするし、 

あくまで今回の件に限っては、自分もあっさり治るわけじゃなく、 

現状に戻すまでに辛い治療もあったはず。 

そこまでが第一の罰で第二の罰が裁判からの死刑判決。 

願わくば、いつ死ぬか(執行されるか)わからない恐怖を、 

それこそトチ狂う寸前まで、十二分に味わわせてから、 

第三の罰としてやってほしいわ。 

 

それに、お医者さんだったら、 

助かる見込みがある人間を助けないという選択肢はないと思うし、 

刑量を決めるのは医者ではない以上、 

「どうせ死刑だから…」の判断で治療云々というレベルじゃないと思うんだが。 

 

 

・医師や看護師のことを考えれば、彼らに対して助けるなと言うのは難しいですね。助けないと言葉で言うのは簡単だが、そのためには見殺しにしろという命令に医療関係者が従わないといけない。彼らの責任感や使命感、矜持がその命令に従うことを許さないと思う。 

 

 

・虚しさが残ることではあるけど、救命できる可能性がある人がそこにいて、それが善人だろうが弱者だろうが極悪人だろうが、その人が死んでもいいと判断するのは医師でも救急救命士でもない 

気持ちは分かるが、なかなか難しい問題 

 

 

・死刑だからてのは(いくら一般常識的に過去の事と比べて濃厚でも) 

ソレを決めるのは裁判であり法であって、あの時点では何も決まってないから 

一般感情で「どうせ死刑だから助けるな」とか恐ろしい話になる、それじゃあ私刑だ 

 

加害者は罪と向き合うべきだし 

真実を明らかにするべきだ裁判によって、その上でくだされた今回の死刑を重く受け止めてくれ 

まだ裁判続くと思うけど刑がくだされるまで罪に向き合い続けてくれ 

 

 

・医師の方々は犯人だろうが被害者であろうが、助かるであろう命に対しては何としてもと思いがあります。 

ほぼ絶望的な火傷を負った卑劣な犯人をこのまま死なせて闇に葬ってはいけない使命感もあったはずです。 

 

 

・ひろゆき氏は、面白い視点で意見を言うことが目的になりすぎている。 

残念ながら、ひろゆき氏には、法学や経済学や政治学といった社会科学系の基礎的な知識が乏しいと感じる事がある。 

地球の上に自然体系があるように、人間の社会は民主主義の社会の場合は、緻密な生態系が法律や経済システムによって人工的に作られている。 

大学の専攻が人文科学系の人の場合、この緻密にできた人工的な生態系である社会のシステムについて知識が無いために、面白い視点で意見を言うことが優先されて、残念な意見となることがしばしば起こります。 

ひろゆき氏は、まだお若く、頭も柔らかいのですから、ぜひ、今後は社会科学の基礎知識について興味をもたれて、更なる飛躍を期待したいです。 

 

 

・確かに、重罪な患者を治療するんですから、医師も看護師も人間であり、特別な感情はあると思います。 

しかし、病院では認知患者等、暴力を受ける看護師、罵声を浴びる看護師、日常茶飯事です。 

自分が痛い目にあっても、それでも 

精一杯その患者のために看護します。 

病院とはそういうものです。 

この人には治療しません、その選択肢はないんです。 

簡単に割り切れる話ではありません。 

 

 

 

・あってもいいと言われても医療倫理としてあらゆる性別年齢立場人種犯罪歴などの属性に限らず全力で治療する原則があるのだから、その原則をわざわざ凍結させるための司法手続きやら行政手続きを個別的に閣議決定して支持する方が余計に面倒臭いんじゃないのか? 

現場の医師や担当病院の裁量で判断とされても、それはそれで病院側も評判に関わるし、記者会見を開いたりメディア対応もしなきゃいけなくなり、余計な心理的・業務内の負担がプラスオンされるだけでしょ。 

 

 

・なんか段々と発言が幼稚になってきたなぁ・・・ 

死刑っていうのは、あくまでも司法の手続きを経た上 

での判決だから、未決、未審理状態で予断をもって 

裁く事があれば、それは「私刑」でしかない。 

どんな判決が「予想」をされようとも審判に臨む状態は 

可能な限りフラットにするのが法治国家の義務。 

彼の好きなタイパやコスパと相反するけど、そこを軽視 

すると、一気に歯止めが効かなくなるよ。 

 

 

・めちゃくちゃ高額な医療費が使われたはずだし、それを誰が払うのかは気になるなりこの犯人に責任能力があるのは当たり前だし、裁判なんてやらなくても歪んだ生き方をしてきたのは想像通りだったな。失われた命が戻るわけでもないし、この費やされた金と時間を被害者家族への慰謝料に使った方がよっぽど有意義だと思うけどね。 

 

 

・ひろゆきからしたら、青葉を助けたこと、裁判の間、死刑に処するまでの間の全期間、青葉を世話し続けなきゃならんけどどうすんのって言いそうだが。 

ついでに青葉を絞首刑にするためには刑務官が物凄い精神的苦痛を伴うかもしれないし、 

助けた医者は確かにプロフェッショナルとして当然のことをしてるだろうが、 

後のことを考えたらどっちが合理的だろうか・・・ 

 

 

・選択肢としてはあっても良いと考えれる。 

 

昨今、救急医療は多忙だ。 

死刑相当と事前の判断があったとき、他の被害者もしくは一般の方々を優先して医療行為を行うのはアリだと思う。 

 

そういう意味で、この選択肢はあっていい。 

 

ただ、事件解明とか、裁判や判決をきちんと受けさせる、という観点からは、生きていた方が良いだろうね。 

 

なんの罪の無い人を置き去りにしてまで、被告の医療行為を優先させるのは反対だ。 

 

 

・ブラックジャックにも「二度死んだ少年」という話があり、BJが「死刑にするために助けたんじゃない!」と叫ぶ場面が印象的でした。 

医療従事者のことを思うと複雑ですが…裁判で全てを明らかにしなければならないので、現状では助けるしかないですよね。 

 

 

・ちょっと私には理解できない。 

そして、この被告を助けた医師の言葉を知ると、やはり、被害者の方の事を思って助けられたとすら思いました。 

 しかし、これが、「死刑になるだろうから助けなくていい。」との発言が賛同されるのなら、生まれつき障害を持った子供さんの場合も、同じように「長く生きられないから治療しない。」とかに、なってしまうのでしょうか? 

犯罪者とそうでない人を、ごっちゃにしているかもしれないけれど、やはり、医療関係者は、目の前の患者を助ける事だけに集中しているだろうし、それは、善人・悪人とかは、全く関係無いでしょうね。 

 

 

・この被告、これだけの大やけどを負っていれば、生きていく方が苦しいのではないでしょうか? 

であるならば、彼にとって今回の判決は渡りに船なのかも知れません。 

 

彼が今のまま生きていくことが苦しくて、今回の判決を受け入れることを望むのであれば、 

生かしてその業を深さを思い知ってもらうというのも… 

 

 

・これはさすがに違う。 

他の方々も書かれているように、 

色々な事をはっきりさせるためにも 

むしろ医療行為は必要だった。 

 

何より助けずあのまま死なせたら 

半ば犯人の望んだ形になって 

遺族の方々が悔やんでも悔やみ切れないと 

思います。 

 

 

・自ら犯した事の重大さを振り返り、十分反省し、被害者や残された者の無念を思い知り、命を絶たれる恐怖と苦しみも味わって貰うためにも助けることは必要だったと思います。 

 

 

 

・あくまで判決後裁かれなければならないと私は思う。 

感情としては理解できるが判決を受けて罰するという形でないと 

どうせ死刑だからと判決前に死なせるでは 

司法ではなくなってしまう気がする。 

 

死刑はあくまで人を殺すということではなく罪に対する罰としての 

形であり判決前に判断を下すのは見殺し人殺しの私怨、 

感情になってしまうのではないかと思う。 

明らかに死刑で犯人も揺るがないだろうと思っても 

精査する時間は必要かと思う。 

万が一の事例だった場合が最悪だからね。 

 

 

・気持ちはわかるがそこまでして助けた意味はあったと思う。被告が自己満足のまま死ぬより、独善性を裁判員に指摘されいい返せなかった記事は少しでも被害者の鬱憤をはらせたと思う。なにより「どうせ死刑だから助けなくていい」という風聴がまかりとおると、冤罪の人間まで助からないおそれが出てくる。(例えば松本サリン事件の被害者) 

 

 

・合理的に考えれば彼の発言は理解出来るし、 

私も基本的にそうであっても良いと思う。 

その反面に死刑になる人を治療する事は無駄な事だが、 

これこそ「民主主義」だと思っている。 

つまりは民主主義とは無駄で時間の負担もあるだろうが、 

その民主主義の手順と形式を整える事は必要経費だと考える。 

「明日死刑」だとしても前日まで必要であれば治療を行い、 

健康とは言わずとも手間をかけるのが民主主義の形、 

裁判でも「恐らくは死刑」だと思われても、 

三審制で裁判を行う事は被告の権利であり無駄な事だが、 

これを多少は負担を強いても行うのが民主主義であり、 

結果が大凡分かっている事を手順を踏まずに 

即断できるのが共産主義や独裁主義って事でしょうから、 

民主主義を維持する為の負担だと私は考えている。 

 

 

・傍聴しましたが、遺族や被害者の中では「死刑しかない」や「一生罪を背負って塀の中で生きて死んで欲しい」など意見がありましたが、異口同音におしゃっていたのは「このような裁判を通じ、遺族たちが悲しみを共有できたのはせめてもの慰めになる」との言葉でした。ひろゆき氏の言葉の根底には「排除の理論」があるような気がしてならないです。 

 

 

・法を犯した者に、粛々と法に則った措置をし(それが救命であろうとも)、粛々と起訴し、粛々と裁判のもとで真実を『追求』する。 

その結果が、今回は死刑という判断であっただけ。この流れに何の文句があると言うのか?ひろゆき氏は、医療関係者に『執行』の重みを背負えとでも言うのか? 

法治国家ならば法に背いた者を罰するのも、法をもってしてでなくてはならない。執行の重さは個人ではなく、国家全体で負うべきものである。この方はいちいち発言が軽すぎる。 

 

 

・こういう犯罪行為そのものが明らかで、0.0000001%も疑う余地がない件に関しても推定無罪は有効なんですよね。 

それが現代の民主主義国における裁判の基本というか鉄則というか原則なので、判決が確定するまではどうせ死刑だしほっとくかとかは認められない。 

 

なので、死刑になる人を助けるとか無駄じゃんとかは(多分ですが)自身の感情を抑え、ベストを尽くした医療従事者への侮辱・冒涜でしかない。 

 

 

・医者に判断する権利はないと思います。 

倫理観では犯人であっても善悪関係なく命を救うのが医者だと思います。 

これは戦時中、敵兵士を手当した医師の行為は反逆罪なのかと同じ様な議論に思います。命を救うのが医者であり、命の危険にある人を救うのは当然に思います。 

 

死刑は法律で裁判で判断するべきだと思います。 

 

 

・ひろゆきさんの言うようにその判断はあってよいですね。 

被害者心情のため(殺すために)に人命を助ける、というのは医道に沿ってないですよ。 

 

しっかり裁判をして今後に活かすというのも詭弁。こんな犯罪、未来にも防ぎようがない。 

 

結局、「殺されたから、殺したい」っていう、極めて原始的な、そして本質的な被害者の欲望に、理屈を後付けしているだけではないか? 

 

本件の被告を「生かしたいから助けたい」と言えるのは、「死刑ではなく、生きててほしいから」という被害者だけですね。そういう人がいるから生かした、となっててほしいです。 

 

 

・ひろゆきは医療関係者の努力と言っているけども、この意味はコストの意味であって医療関係者の心情という意味ではないと思う。 

彼のここでの考え方は超合理的であって、あえて秩序や法や人の感情などは除外した意見を言ってる。 

私も凶悪犯の背景や動機に興味がないのでひろゆきの考え方が理解できると思う。 

もちろんきちんと裁判をする国の方がまともであるので、コストだけを見た場合こういう考え方になるというだけ。 

 

 

・同意見です。これだけの事やって死刑確実なのに 

わざわざ生かすのは裁判やら税金やら時間も無駄だと思う。 

さらに確定してもすぐに執行しない事が多いから 

余計に無駄だと思う。 

今後の犯罪抑止のためにも確定したら即日執行すべき。 

 

 

 

・裁判を受けさせて司法の下でキッチリと裁きを下す事に一定の意味がある 

それで被害者遺族の気持ちが晴れる訳では無いだろうけど何も分からぬまま勝手に死なれてしまう方が遺族としてのツラさは大きい 

 

「助けるため」の治療ではなく「裁判を受けさせるため」の治療 

そんな事は治療した側の人もわかってると思う 

 

 

・意味は有ります。死刑とは明日執行されるかもしれない、今朝呼ばれるかも知れない。 

そんな恐怖を執行される迄毎日毎日何年も耐える刑です。 

簡単に死ねる様な罪では済まされないので必要です。 

ただ、完全介護だろうから税金の無駄遣いの観点から早めの執行を。 

 

 

・仮にあのとき犯人死亡してたら、動機など分からず被害者や被害者遺族の怒りのぶつけ先もなかったでしょう。 

火傷治療は地獄並の苦しみだったと思います。そのうえで、罪に向き合わせ、死刑判決がくだされた。医療者は正しかったと思います。 

 

 

・裁判で真相が明らかになるって幻想だと思うので、個人的には理解できないですね。被告も捜査機関側も都合の悪い事は隠すでしょうし、認められないでしょう。罪を問う事と真実を明らかにする事は同時に成立しにくいと思います。 

 

 

・まだその時点では、刑は確定していない。 

精神異常で無罪とか、誰かにやらされて有期刑とか、まだ、いくらか可能性がある。助けて真実を明らかにして、罪の意識をもって執行台へ行くのがベスト。 

 

 

・『死刑だから助けなくていい』という判断があってもいいって事件が解明されなくてもいいってことなんだろうか? 

犯人が「やってやったぜ」と思いながら満足して死を迎えるのと、しっかり裁判を受けて自分としてしまったことを自覚し、とてつもない後悔と反省の日々を送り最後を迎えなくてはご遺族が報われない。 

 

 

・この被告を治療した医師に関する記事もあったよね。さまざまな葛藤や、本人とのやりとりがあったそうで、読んで心を打たれた。 

 

ひろゆきは、中学生のようなコメントしていないで、そういった記事も読んで学び、もう一歩大人になって欲しい。 

 

 

・そこに山があるから登山をする人がいるように、そこに病んでいる人がいるから救うのも、医者の心根だと思います。トリアージなども別の問題としてありますが、神ならぬ人間が人間を救おうとする営みに合理性をきっちりと当てはめなくてもいいのではないでしょうか。死刑になる人に食事を与えることも、斬首を控えた石田三成が柿を食べなかったことも、理屈で割り切れないものもあるだろうと思います。 

 

 

・この国において判例は非常に重要。今回責任能力があると裁判所が判断したことは判例として残っていくわけです。 

今回のように大量虐殺をしておいて、妄想癖や思い込みごときで罪を逃れられると思うなと。 

責任能力がないと裁判所が判断したなら助けなくて良かったてのも分かりますが、どうせ死刑なんだから助けなくて良かったは暴論です。 

自殺願望のある異常者の巻き添えになったとしたら?助けなかったらそいつの目的は果たされてしまう訳です。助けた上で刑の執行によって死んでいく。巻き添えになった被害者のご遺族からすれば加害者の死に方て大事なんじゃないでしょうか? 

 

 

・効率だけで考えるなって事でしょ。 

 

そりゃ今の医療体制やあれだけの犠牲者をだして極刑が真っ当であったとしても、被害者家族の事や司法のあり方を考えたら法の裁きを全力を尽くして受けてもらわねばならないってことかな。どうでもいいけど。 

 

 

 

 
 

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