( 132726 )  2024/01/26 15:21:35  
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・若い世代の中に、ひろゆき氏の意見に共感する人が増えている一方で、その考えを否定し、法的な手続きや医療倫理について強調する意見も存在する。

(まとめ)

( 132728 )  2024/01/26 15:21:35  
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・それが結構ひろゆきにやられた考えの若い世代が増えてるよ。何でも外国がよくて日本が遅れてるとかこの産業は意味ないとか本気で感化されて語ってくる就職希望の学生が結構いる。本当に貴重だけど地味な産業が潰されかねない。 

 

 

・嫌いな相手を主観で判断して医療行為に手心を加えるってのを肯定してしまうと極論、ひろゆき氏を嫌う医師が彼の診断を適当にして死に至ることをしても「許されて」しまうのですが、それを理解せずに語ってるんでしょ。容疑者とは違う?私的な判断で生死を決めるならどちらも本質はかわりませんよね。医師の好き嫌い、主観で生殺与奪を握られるってのはそういうことだからね。だから医師の方々は職業倫理に則って今日もどんな酷い人間相手でも頑張ってくれてます。 

 

 

・ほんと短絡的意見が増えたと思う。 

裁判するのは量刑以外にも理由はあってそれら含めて無駄だと言っているようなもの。 

 拡大解釈したらとんでもないことになりかねない… 

 

被害者感情抜きにして真実を明らかにし、多角的に再発防止へ繫げることが社会全体にとってとても重要。 

 

 

・普段米山さんの言動には賛同できない点も多いですが、これに関しては正しいと思っています。様々な考えもあることは別にいいのですが、倫理観や知識が伴っていない若者が、ひろゆきの発言はすべて正しいかのように捉えてしまいがちです。 

 

このような事件を引き起こした背景を知る為にも必要ですし、何より裁判を受けさせ、罪を言い渡すという法治国家の根幹にかかわる部分です。 

 

 

・意見としては米山さんの意見が正しいと思いますが、最近よく思うけどどっちが正しいとか、論破することとかにばっかり拘って他人の意見をバッサリバッサとかって記事が多くて、嫌な気持ちになります。「間違っている意見であっても、気持ちは分かる」っていうような優しいコメントであふれていてほしいものです。 

 

 

・見当違いな意見かもしれませんが、江戸時代の町方役人。 

つまり町奉行配下の与力とか同心が腰に差してた刀は、ナマクラでした。 

修練を積んだ人が振ったら、竹刀でも人はシにますが、江戸市民に対する生殺与奪の権利は将軍様にあって 

末端のサムライには許されなかったからです。 

時代劇では、ただの十手持ち。つまり岡っ引きが番所で拷問したりしてましたが、酷すぎる時代考証です。 

 

 

・俺は法学部出だということもあるけど、そうでなかったとしても、私的に歴史を学んできた者として、こういった考え方が、近代民主主義社会において、いかに危険なものか骨身に染みてわかっているつもりだけど、この人みたいに、簡単にこういうことが言えるのって、結局、知識を持っているだけで、血肉にはなっていないんだろうね。 

同時に、今のネット社会というのは、こういう人が安易にこういう発言をして、知識や識見のない有象無象のネット民が、こういう意見に付和雷同してしまうおそれがあるわけだから、本当に恐ろしい世の中だと思うよ。 

 

 

・刑法は被害者感情を反映させるだけのものではなく、社会を安定させるためのものでもあります。 

誰かが独断で死なせていいと判断することは、リンチ(私刑)に当たりますから、これも法の理念からして認められないのは当然です。 

この程度の論理も理解できないのは、情けない。 

加えていえば、裁判を通してこの事件の背景を探ること自体が、今後の社会の安定のための材料ともなる訳で、簡単に死なせないことは、我々の未来のためにも重要です。 

 

 

・効率だけを追い求めると、「どうせ死刑になる人間を、大金を掛けて助ける必要性があるのか?」という考えになるんだろう。 

 

ブラックジャックでは、「死刑にするために助けたんじゃない!」というコメントもありましたので、医師免許も持たれていた手塚先生でも持たれていた葛藤なんだろう。 

 

ただ法治国家として存在する以上、裁判を受ける権利は守られないといけないし、それを十分にわかった上で治療した医師はスゴイと思う。 

 

 

・容疑者ですが、かなり重度の熱傷で助からなくてもおかしくなかったが、結果、助かりました。 

これは今できる医療行為、医療技術を集結して治療した結果です。 

恐らくですが、チャレンジ的な試みもあったはずです。 

でも、言い方は悪いですが失敗しても遺族にとがめられないため、躊躇なく様々な治療に取り組めたはずです。 

そして結果を残した。 

これは今後同じような重度熱傷患者への治療する際の参考事例になると思います。 

そういった意味でも助けた意味はあると思います。 

 

そして、法廷で事故を起こした経緯を自ら話した。 

遺族はそれを知ることができた。 

 

これでも死刑になるから助けなくてよかったのでしょうか? 

ひろゆきさん、これは訂正した方がよいかと思います。 

 

 

 

・容疑者の段階で、目の前の命を助けない医師の方が怖すぎます。 

 

被害者心情的には気持ちはわかりますが、ですが被害者心情だけだと見える物も見えなく成ると思います。 

 

これだけの事に成ったのですから、真実を語る責任は努めて頂きです。 

私は、あれだけのダメージ負って、よく命を救ったと思ってます。 

 

結果、死刑判決を受け死刑囚にまったと言う事です。 

 

でもなぁ・・・って凄く思わせられますね。 

 

 

・別記事によると治療に携わった医師は、罪と向き合い、死刑を受け入れさせるため、ここで死なせるわけにはいかなかったと仰ってますね。 

 

自分が起こした火災でそのまま死んでしまったら裁判も行われなかったですし、何故こんなことが起きたのか分からないままになっていたでしょう。 

死刑になることが明らかな事件だったからこそ、彼をそのまま死なせないことに重要な意味があったのだと思います。 

 

 

・死刑執行だけでなく、執行されるまでの期間も含めて極刑なのだと私は思います。 

独房で一人することもなく、生産的なことも出来ず、好きなものを食べることも出掛けることも当然出来ず、刑務作業などに携われればまだ少しは社会にとって必要とされているかもと思えるかもしれませんが、それすら許されないようです。 

 

そして死んで償うためだけにただ食事を与えられ、数年間生かされる、その執行日がいつかは分からない。 

例えその歳月の間に何かを学び、過ちに気づき、許しを得たい、やり直したいと思ったとしても出来ることは何もない。 

控えめに考えてもあのまま死んだほうがよかったと思えるでしょうね。 

それを死刑と結果は同じだからと混同するのは違うと思います。 

 

 

・死刑に関してはこれまでも、是非を問われてきた。 

被害者加害者当事者間で決めるのではなく。第三者が法で裁くのが法治国家。 

そのプロセスの中で、刑が確定するまでは、死刑囚ではないのだから、ひろゆき氏は結論ありきでそう考えたものであり、。その結論ありきの考えは、冤罪を生む要素の一つだから、排除しないといけない。 

生まれたての赤ん坊が生まれた時から、先天的に犯罪者に値することは決してなく、その後の人生において、後天的な要素も含めて、結果として犯罪を犯す。日本の裁判は事件そのものだけでなくそれに至る経緯を含めて、熟考し、本人に死をもって償わせる責任があると判断し死刑を申し渡す。それでも刑が執行する前に病気になれば治療はしないといけないと思う。でも、家族や近い人が被害者になってもその考えを保てるかと言われれば分からない。解せないと思うかもしれない。 

 

 

・私も米山氏と高須氏の考えに賛同します。 

刑が確定するまでということもありあますし、医師として相手に関係なく最善をつくされるのは素晴らしいことだと思います。 

今回の件は、恐らく死刑になることは予想できていましたが、遺族からするとなぜこのようなことが起きたのかなど知りたいことが多くあると思います。 

また、今後同様の犯罪を行うものをなくすためにもしっかりと調べる必要があり、そのためには被疑者の生存は不可欠だと思います。 

効率だけを考えるのであれば、死刑になる者を救うのであればその分他のことをとなるのかもしれませんが、それは目の前の効率だけであり実際には効率がいいわけではない。 

 

 

・法は秩序のためにある、と思っています。世の中がまずまず問題なく回っていくための、こういうことをするとこういう罰を受けてもらいますから、やめてくださいね?ってもんかと。 

医療のみなさまは、人の上下なぞ関係なく、助ける、って使命で、お仕事してくださってると思ってます。 

大罪人を前にして、思うことはあっても、被告の命をつなぎ、法廷の場で見聞きできるまでにした、担当医の意思が、彼の状態を見聞きすると感じられます。 

 

 

・正直言って、専門家2人(米山氏は弁護士の資格も持っているから実質3人分)にその該当ジャンルで批判されたら、専門外の知識を誰が書いたのかわからないwiki等のネット上コンテンツでかき集めただけのコメンテーターでは太刀打ちできないですね。 

言い負かそうとしてもそれは所詮ディベートのテクニックで、議論の目的であるはずの「問題点の解決」にはつながらない。 

今のひろゆき氏は、将棋で言う所の「読み切られた(負けてそれを認めざるを得ない状態になっていて、それを実現する指し手を対戦相手が見つけた)」状況ですね。 

最近、ひろゆき氏は論客としては明らかに追い詰められている状態ですね。 

 

 

・助けるのではなく、瀕死の火傷を負った患者への手術の経験値を上げるための実験台みたいに捉えていたので私は普通に許せました。術法を試したりデータ取りしたり。本人から許可なんぞ得なくてもいろいろできるのは日本の医療技術の向上にも資するのではないでしょうか。 

 

 

・米山議員と高須院長のご見解は尤も至極です。 

被告であっても適正な治療を受けてから裁判での審議を経て罪が確定する。 

私怨や感情で裁判のプロセスを省略する事は法治国家では在り得ません。遺族感情を指摘する意見も有りますが、その遺族感情を晴らす為の制度が裁判なんじゃないでしょうか。 

例え死刑判決が確定しても納得出来ないかも知れませんが、人生とは理不尽の連続です。犯罪の連鎖を生まぬようお互いの主張を整理するのが裁判であり法律なんじゃないでしょうか? 

ひろゆきさんの奇を衒ったような如何にも見透かしているが如き見解は、ご自身の考えの薄っぺらさを露呈するばかりで賛同しません。 

過去のヒロユキさんの見解に賞賛の声が挙がる事へ違和感を覚えていましたが、最近はコメントの底の浅さが顕著になってると感じます。 

そもそもこれが本来の姿ですかね? 

 

 

・医師が目の前の患者を分け隔てなく治療することは素晴らしいことだと思う。 

医師に死刑の判断させて死刑執行まで行わせる精神的な負担を求めるのは間違っている。 

 

あと犯人がその場で自殺でもしたならば罪の意識があったと考えられるが逃げているし裁判でも京アニを批判していることから判決を聞かずに死亡していたら自身が罪を犯したことすら分からずにいたのではないのか、毎日毎日朝が来るたびに死刑執行が言い渡されるかも知れない恐怖も罰だと思う。 

 

 

 

・今回の事件で辛い思いをされた方に対して仇討の機会が相手に物理的に何もできなかろうとも、暴言を浴びせかけ、思いを叫び、憎しみをぶつける事ができる事は少しは救済になるのではないかとも思います。 

この加害者が死刑になろうとも、死者は生き返る事もなく、残された遺族の人生は続きます。 

医療従事者の皆様も人間で本当は心の葛藤もあるのだと思います。 

裁判で事実が明らかになり背景が明らかにされた事を受け、今後同じような事が起きないような法の整備や行政のサポートに関しての動きなどに繋がれば多くの人の心が救われるのだと思います。 

 

 

・素人でも死刑確実と思える凶悪犯が瀕死の時に助けるかどうかと言う問題は海外ドラマなどでは時々取り上げられている。医療ドラマでは助けるべきだと言う事になる。医者同士でも意見が分かれるが結局は救命処置を行う。瀕死だから常に助けられる訳ではないのだが。一方、刑事ドラマの場合は助けない事も有る。そもそも、凶悪犯は射殺するのが当然と言う価値観で作られている。これはドラマの話だし、アメリカと日本では考え方が違うとはいえ、問題意識を持っているのは同じのようだ。今回の件についてはやはり助けるのが正しいのだろう。但し、犯人を助けるために他の患者が後回しにされることが無いならばと言う条件付きで。犯罪者が犯行と同時に死んでしまった場合、真相究明できないし遺族は怒りや悲しみのやり場が無い。第3者でも非常に歯痒い思いがする。凶悪犯罪であればあるほど正当な手続きで有罪認定するのは無意味な事ではないと思う。 

 

 

・遺族にしてみれば 自分の犯した罪の重さに向き合って欲しいと思う あっけなく死んでもらっては困る 

ちゃんと 死ぬという事実は同じかもしれないが死刑と言う自分に課せられた罪を背負って償ってほしい  

裁きをきちんと受けてほしいと 担当医の医師も話されてたと思う 

結果は同じかもしれないが過程において全く違うと思う 

 

 

・今回は死刑判決が出たので米山氏の仰るとおりで、大多数は同意見で異論反論は少ないだろう。ただこれが犯行時は心身衰弱状態で責任能力はなく死刑回避となっていたらどうだろう?「無罪にするために助けたのではない」という感情が渦巻くこともあるのでは・・・。かくいう自分も殺人を犯すなんて、その時の精神状態はまともじゃないのが当然だから、犯行当時の精神状態で無罪になるのは納得いかないと常々思っている。重ねて言うが今回は死刑判決だから覆い隠されたが、潜在的にはひろゆき氏の言うコスト面だけじゃなくそのほかの感情も含めて氏に賛同する意見も決して少なくないとは思う 

 

 

・これはひろゆき氏の考えの方が良くないと思うかな。 

自分で起こした事件に自分も巻き込まれて死にました、では被害者はもちろん被害者遺族の感情はどこへという話になると思う。 

治療出来る状態なら治療し、罪に向き合わせる。 

それでもなお被害者遺族が救われることにはならないけど、それが出来るか出来ないかは大きな違いを持つと思います。 

 

 

・感情的にはひろゆきの意見も分かるけど、法治国家はルールが大事。 

それに裁判には罪を裁くって意図以外に、真実の追求と再発防止って目的もある。 

例え死刑確定の人でも、なぜ犯罪を犯したかって経緯を明確化し、再犯防止に役立てる必要もあるだろう。 

 

 

・何故生かしたのかは治療に当たった医師が説明している。裁判を受けてもらわなければ遺族や生存者のためにならない。被害者の権利を侵害することがあってはならず、医道を守るのと同時に被害者の権利を守ったベストな形であった。ひろゆきの言い分は最近マスコミなんかもやたらと行使する私刑に当たり、法の上に情緒や感情がある無法情治国家の在り方だ。ちゃんと被告の言い分を聞き、動機を確認したらそれに対して求刑してが正しい道で遺族も何で殺されたかの原因究明がマストのはず。 

 

 

・医師の立場からいったら、たとえ犯罪人であっても、診療治療の要請があった場合は拒否できないでしょう。ただし、すすんでそういった人間の診療を志願するか否かについては、選択の自由はあるでしょうけど。 

むしろ、裁きを受けさせるために、何が何でも救命治癒させるという考えかたが合理的なわけで、拒否する理由はないとも言えますよね。 

 

 

・医師としての見解は、米山、高須両氏のようなものなんだろうけれど、多分法律、行政の立場の当事者としては、「きちんとプロセスを踏んで法による適切な処罰を下したい」という思いなんだろう。 

そして多くの一般国民目線では、あそこで死なれたら単なる「勝ち逃げ」のような消化不良の思いしかないと思う。 

いずれにせよ、「死刑になる蓋然性が高いなら、助けない方が良かった」というのは、逆張りネタとしても筋が悪い。 

もしそういう判断があるとしたら、「死刑のない国」かつ「量刑の甘い国」で、助けたらいずれ出所してしまう可能性がある場合か。 

 

 

・どんなに腹立たしくても、裁判が終わるまでは生かすのが正しいのだと思う。けれど、腑に落ちないのは、相変わらずの精神状態判定が裁判に及ぼす事への疑問だ。「心神喪失ならば殺人しても良いのか?」 

そちらの問題のほうが大きいし、今後の殺人事件の判断に重要な基準になる。 

 

 

 

・個人的な見解を述べるにしても、影響力の強い人が誤解をうむような発言は避けるべきだとだと思う。誤った内容を正しいと捉える人たちもでてくるだろうからね。 

ひろゆきさんが誤ったところを米山さんが指摘されたことは受け入れるべきこと。勝ち負けの話ではないと思うので。 

 

 

・直接関係ないような話に聞こえるでしょうが 

昨今、スキー場の管理区域外滑走・コース外滑走をして「自分勝手に」遭難し 

救助を依頼して来る事例が多く報道されますが 

これに対して、そんなの放っておけばいい、救助する必要もない 

と云うようなコメントが散見されます。 

 

これは確かに救助者側にも危険を及ぼしかねない「愚行」なのですが 

であっても、救急要請があった場合には即時対応するのが救助隊の任務なのです。 

そこに個人的な感情が入り込んではならないのです。 

ただしそこに掛かる費用分担等に関しては別の問題です。 

もちろん救助隊員個人に金銭が入る事はあり得ません。 

  

もちろん救助隊員自らの命が最優先であることは当たり前ですが 

この種の話になると 

救助側の苦労や危険性ばかりが表に出てしまい 

最も重要な「人の命を守る」事が二次的になっている気がしてなりません。 

 

 

・先日の記事で、東大生と院生に聞いた総理大臣になって欲しいランキング、というやつで、ひろゆきさんが上位に入っていて、やっぱり勉強が出来るのとは違うからな、と思った。 

選挙権が18歳以上になった今、SNSでもっともらしいことを無責任に発言して人気を得ている人に靡く若い世代が心配です。 

なのでそういう人たちには、こういう風にひろゆきさんの間違いを真っ直ぐに正してくれた米山さんの意見も目にして、誰かに流されるのではなく、自分の頭で考えて、自分の責任で選択していけるようになってほしいと思います。 

これで、米山さんを盲信するのではなく、ね。 

 

 

・もちろん、動機等が加害者から語られるならばそれは有要な裁判であろう。 

ただ、現実はどうだろ?弁護士は仕事とは言え死刑回避の為に被害者の感情を逆撫でするような弁論が多々ある。 

もちろん、ひろゆきが違うと言うのは簡単だろうけど本当に100%間違いか?と問われたらそうとも言えないよね。 

どちらにせよ、被害者がいかに救われるかを考えた裁判が本物の裁判かと。 

 

 

・重大犯罪を犯した人間を実際に治療(手術)した医師が知り合いで、一度酔って胸の内を話してくれたことがありました。何も返すことができない、本当に心苦しい話でした。倫理的にも職業的にも治療は当たり前であることは前提で、でも生理的などうしようもない強烈な憎悪があったと。人を助けたくて医師になったのに、命をゴミ同然に扱う輩を全力で救うことに葛藤して、もし俺が、ここで「うっかり間違えて」この血管を切ってしまったら、こいつを娑婆に戻す可能性が消えるんだと、その方が人の為なのではないか、人を助けるとはなにかと、一瞬でもよぎると、メスが身震いしたと言っていました。そしてその後の裁判の報道を見て、法の下に立たせる目的を果たせたはずなのに、虚しさだけが残ったという話でした。この話を聞いてから私は、犯罪者の治療にあたる医療従事者について、部外者が口を出せる領域ではないと思いました。 

 

 

・若い人たちはひろゆき氏の発言で終始せずに 

そこから発生した議論にも目を通してほしい。 

ひろゆき氏がつねに論理で勝つからといって、それが正しいとは限らない。 

世の中の意見の一つぐらいに留めて、そこから発生する様々な意見や見解をみて 

思考の範囲を広げて欲しい。 

 

 

・この三人が対談すると面白そうだな。もはや米山さんは天敵だな。ひろゆきの。自分の意見をさも正しいかのように平然と主張すれば正しいわけではないことがひろゆき支持層にも伝わるといいと思います。 

 

 

・発信力の高い方達は、失言の余地が少ない場面で知識が不充分なまま発言するのは慎重になるべきだと考える。 

反論を真摯に受け止めて議論出来れば問題無いが、この場合は再反論までされた上に別の識者がそれをフォローしている。 

箱館戦争で敵味方分け隔て無く治療に当たった旧幕府軍の高松凌雲医師は、病院に押し入った新政府軍に「治療中の患者に敵味方は無い、元気になった後は好きにしろ」という主旨を訴えて検め済みの御墨付きを得ていた。 

この件と状況は違うし昔話と言われればそれまでだが、ひろゆき氏の発言を見て、今はいったい何年なのか?と思ってしまった。 

 

 

・ひろゆきの無知な言い分も事件直後だったら、やり場のない怒りを抱えた国民のはけ口として共感は得られたかもしれない。 

しかしひろゆきの意見は数年たった今、発信されてしまうと、いわゆる人間として直感的で非常にウェットで心情的な意見だが理性的な考察がまったくない。たいていはみんな一度はそれを思うが、「法律上裁かねばならない」とか「真実究明をすることが今後につながる。」、みたいな理性的な意見を聞いて仕方ないにしろ納得するのである。 

話は変わるがこの記事で面白いと思ったのは、リベラルバリバリの米山氏を保守バリバリの高須氏が賞賛しているところ。 

思想信条関係なく、医療人としての職業倫理が不変である事が素敵だと思った。 

言及するまでもないが、ひろゆき氏のようななんの専門性もない人物の感じた稚拙な意見をキッズや知力の低い層に広めていくような世相やアベマやリハックのようなマスコミのやり方は危険だとも感じた。 

 

 

・今回の被害者の中に直接ではないですが知人を通じて存じ上げる方がいました。結果、物理的には何の足しにもならないかもしれませんが、生きて被告に死刑判決を突き付ける事ができた意味は大きいと思います。被告が今回の判決にどれだけ向き合えるかは知りませんが、少なくともあのまま死なれては、本人からすれば自分の正義を貫き通して死んだような気持ちで人生終えられたでしょうしね。 

 

 

 

・若い子が「それ意味あるんですか?」てすごく最近よく言ってますが、意味があるかどうかは、お前らが決める事じゃないとずっと思ってます。お前らに判断されてたまるか。その道の専門が何十年と経験を積んで、その上で、それでも「やっぱり必要ない」となったものだけが、初めて省けます。コスパ、効率主義の行き過ぎで、それこそ、もはや本来の物事の「意味」を見失っています。 

 

 

・現行法が完璧だと思ってないので、ゆろゆきの意見も一理あるなと思います。 

凶悪犯罪者でも極悪人でも誰でも同等の人権が保証されていること自体おかしいと思ってます。 

犯罪被害者やその御家族以外の人間が加害者の人権を持ち出して発言するのは止めた方がいいのでは? 

米山さんや高須さんの意見は残された被害者御家族たちを傷つけている可能性もあります。 

裁判前であっても凶悪犯罪を犯した事が明らかになっている人間の人権は完全には保障しなくてもいいのではないかな? 

 

 

・自分が遺族だったら心中されたらたまったもんじゃないって思います。 

判決の間は自分はどうなるんだろう?という不安だったり、死刑判決後もいつ死刑になるか怯えながら過ごす日々だったり、精神的に苦痛を感じて処刑の日を迎えてほしいと思う。 

 

 

・遺族や被害者の方々に対しての言葉が出てこないのが気になります。確かに結果は同じかもしれないけど、本人の言葉は大事で意味はある。どうせ死刑…は部外者意見なんだろうなと思う。亡くなった父が生前同じ病院に入院していて、父が主治医に“犯罪者やのに大変やな”と声をかけると、言葉を選ぶように“病院なんでね…”とだけ言って苦笑いだったそうです。 

 

 

・日本大好きの方の中に、死刑廃止について海外では主流だと言われると、犯罪者をすぐ射殺するのにと主張する人がいる。ひろゆきの思想もこれと変わらないんだろうと思う。射殺は、仮にその犯罪が死刑に相当してあまりあるものであっても、必要な状況以外で行ったら正当な業務行為とは言えない。刑事ドラマでは見たことのあるような話だが、これを区別できなければ法治国家ではないと思う。 

 

 

・若い子を屁理屈で扇動している姿がずっと気になっていましたが、米山さん、高須先生が正論で説教してくださりほんと安心しました。 

 

この方のご両親は、一体どういう教育や育て方をして、このような人間に育ってしまったのか? 

この方の著作などより、この方のご両親の『育児理論』や『子育て本』、『しつけの在り方』などを紹介した書籍の方が売れる気がします。 

 

【親の顔を見てみたい】とはほんとに良く言ったものだと、顔を見る度に思います。 

 

 

・法曹界•医療界と無関係な人間からしても、米山氏、高須氏に完全同意ですが、そもそも論として、心神喪失者に対する法律の建て付けには極めて大きな疑問を抱いています。個人的には、どの様な凶悪犯罪に対しても心身喪失が認定された途端に極端に量刑が変化することに対する判断は、見直されて然るべきだと思います。 

 

 

・裁判で証言させるのは被告を免罪すべきかどうか見定めると言うよりも事件の全容を明らかにする事で同様の事件の再発を防ぐためのデータを得ると言う社会的意義があるんじゃないか。どこかの先進国面したカウボーイ国家みたいに現場で蜂の巣にして処刑してしまったら動機も何もわからないし間違って無実の人間を殺してしまうなんて笑えない事態も多発する。 

 

 

・高須先生の言う通りかと。 

法律云々の前に、目の前の命を助けるのが医師の役割。 

犯罪者を捌くのは裁判所のお仕事。 

警察官は犯罪者を取り締まるのがお仕事。その延長で殺してしまうことはあっても、その後、しっかりと捜査がされ、裁判がされると思う。 

医師に人を裁く重荷を負わせてはいけないと思う。 

 

 

・米山氏の指摘した法的な手続き面もあるが、青葉被告の場合は、皮膚を培養して移植する世界で初めての治療を受けたという貴重な例。治療を行う事で医学的な知見を得られる、後に救われる命がある、という側面もあるはず。 

 

 

 

・死刑判決になるまでは死刑囚ではない。 

これが全てではないか。 

犯したことから死刑になるのが容易に推測できたとしても、判決確定まではあくまで「青葉容疑者」で一人の人間として人権は尊重されるべきであるということだろう。本音では助けたくないという気持ちも理解できるが、そこを崩してしまっては法として成り立たなくなってしまうのでは。 

 

 

・死刑制度に反対してせっかく助かった命を無駄にさせるなと言う意見なら分からなくも無いがまだ出ていない死刑の可能性から治療しない選択肢を考えさせるのは更なる医者への負担にしかならない 

死刑が確定している囚人の治療に関して延命しなかったり安楽死させたりが刑の執行になりうるかの議論がしたいのならそれも分かる 

ひろゆき氏の事実をありのまま言っているだけと言いつつ自分の意見を紛れ込ます手法ですが流石に今回は無理があると思うしコメンテーター等で起用する場合は発言に対して起用した側も配慮をしなければならない 

 

 

・「どうせ死刑なだろうから」と医師が治療の手を緩めて死に至らしめたとすると、それは医師が「独断で人を裁いた」ことになるのでは? 

医師の使命はやはり人命を救うことだと思うのでこのケースでの担当医師の治療行為は賞賛に値すると思います。 

 

 

・勿論人を殺すと言うことはとんでも無いことであり司法国家としては裁判を受け真っ当に処罰される事は当然ですが、人を殺したら即死刑にしろと言う風潮は時の流れとともにもはや若者だけでは無くおっさん世代をも蝕み始めていますね 将来的に日本は人を殺したら理由など問答無用で死刑になってしまう恐ろしい国になる可能性があります 最早世知辛いと言う言葉さえ虚しい気がします 

 

 

・何よりも裁判をしないと何故、そんなことをしてしまったのか永久に分からない 

これを明らかにしないと遺族も納得しないだろうし、類似の犯罪を未然に防ぐための対応策を考えることもできない 

 

 

・私は治療して裁判を受けさせる方が残酷で、 

犯人にとっては辛い事のような気がする。 

だからむしろ治療した方がいいとも。 

遺族たちに死刑判決を見せてあげたいと言うのもあるし。 

 

あのまま犯人が死んでいたら、 

過ちを認識させる事も、世間に晒される事も無かったから、 

多くの命を奪ったのに、独り勝ち状態になってしまう。 

 

 

・何人たりとも人を裁く権利はないってよく言うよね。司法制度も完璧ではないし、むしろ被害者目線ではなく、加害者に寄り添ってる印象を誰もが持つ。特に今回のような犯罪者に多くの常識のある人が許せる行為でないとしてる犯罪において、犯罪者を治療する必要があるの?って誰もが思うでしょね。 

まあ、例えば医師が自分の子供を目の前で殺されて、その犯人が重症を負っていたら、その医師はヒポクラテスの誓いを守るのか?って反論されると誰もが黙るでしょうね。 

結局のところ、いざとなると綺麗事では済まされないが、人はルールを持って行動しなければ社会システムが崩壊すると言う過去の経験を積んで司法制度を作り上げたから、それを拠り所にするしかない。 

 

 

・医者です。 

このケースで救命処置をしないという選択肢はありません。そもそも搬送されてきた段階で、重大犯罪の容疑者であろうが総理大臣であろうができる範囲の治療を行います。バックグラウンドなどを考慮するとしてもその後の治療の話であり救命処置の段階ではありません。 

 

 

・ひろゆきは言っている事が適当。でも「だからそれが元で仕事を失うか」と言ったら全くそうでは無い。ひろゆきからしたら放言も金の卵、言っていた事が間違っていたとしても別に経済的なダメージは無いに等しい。逆にこうやって話題になればより自分への注目度が高くなるからむしろプラスでしょ。 

 

つまりひろゆき相手にドヤっている人が増えれば増えるほどひろゆきも得をする構図。米山さん、今後もひろゆきの収入の為に頑張って下さいねw 

 

 

・医者も人間ですからやはり医者としての使命と人としての情がせめぎ合うんじゃないですかね。どうせ死刑だからという治療拒否する理由よりも目の前に瀕死の患者がいて自分がそれを救うだけの力があるから治療したという理由が優っただけな気がします。コレが自分の家族が犠牲になったとかの個人的な理由が加味された場合どういう態度を取ったかは興味があります。 

 

 

 

・確かに普通に考えれば死刑だけど、じゃ残された遺族は?何で妻が夫が子供が死ななければならなかったのか?ちゃんと本人の口から真実を知りたいはず。犯人が死んでしまったら何も真実が明らかにならない。そうゆう意味でも罪を犯した人でも命を救わなければならないのでは? 

 

 

・この方、政治思想やら不祥事のご対応などで嫌いだし、信用ならないのですが、こういった医学と法学に関しては理知的… 

実社会で少し揉まれているか、与党側の考えなら大臣も出来たような… 

それはさて置き、かっちゃん先生の言い様はわかりますので、補足すると、今回は個別の思想がかち合うケースで、法的に治療を行わないのもまずいし、判決前に刑を決めつけるのもまずい。心情を別にして。 

なので、一連の関係者の皆様による行為は全く正しい。 

ひろゆき氏が言われるのは、俺が決める、と言っているに等しく、誰が見てもそうだとしても、これを認めるとその人のルールによって社会を営んでいかないといけないが、周りにいませんか?勝手な個人ルールを押し付けてくる人。 

このルールで罰則を与えてくるのは憲法も禁止しているリンチ(私刑)です。 

法治国家に所属する人間として最も守らないといけないものを破る意見には賛同しかねます。 

 

 

・これからも米山氏とかっちゃんのようなマインドを持った人たちが医師として活躍してくれることを願う。 

ひろゆきが言ったような判断を一人で下して仕事するかしないか決めるような医師に当たったらたまったもんじゃない。 

 

それにしても 

 

>これに医師・弁護士の資格を持つ立憲民主党の米山隆一氏が反応。 

 

どんだけ頭いいの。 

医師と弁護士の資格を取るにはどれくらいの時間とお金が必要なの。 

 

 

・元来裁判の手順はきちんと踏んで執り行う事に意味が有ると思いますので 

最低限判決までは生かすべきですね 

生かしたからこそ今回の流れがあるのですし 

確か現場で亡くなったらどうなっていたかという類例もありました 

 

 

・ひろゆき氏の考えは、助ける価値のない者は切り捨てていいという考えで、賛成できません。助ける助けないが個人の判断になり、恣意的な運用になり得る可能性があります。きちんと手続きを踏むことが必要だと思います。 

 

 

・限られたリソースの使い方として腹立つけど,怒りや恨みを消化する猶予を得るためには役に立ったのかなとは思う.ひょっとすると,もっといろいろ話が聞けて,納得に近いものが得られる可能性もあったわけだし,仕方がないコストだったかも,と思うことにする. 

 

 

・もし目の前に死にかけのテロ犯とその被害者がいたとして、どちらかしか助けられないとしたらどうするか。 

どちらを選ぶにしても、テロ犯なら死んでも構わないのではという考えがよぎらない人間はいないだろう。 

ひろゆき氏の考えが正しいとは思わないが、人間がそこまで理性的でないのも事実。 

 

 

・正しいか間違いかで言えば、ひろゆきは間違っているが、実際事件当時も懸命に治療がされていることに疑問を投げかけるような書き込みは多かった気がする。 

 

今回の事件では、被告はきちんと反省してるような証言をしてる上で死刑判決が出たからよかったけど、もし仮に遺族の心を逆撫でするような証言ばかり行った上で心神喪失で無罪になっていたら、「やっぱりあの時助けるべきじゃなかった」って空気になってたと思う。 

 

 

・米山さんの言う通りだと、思うんですけど。 

識者でなく、ある意味芸人枠ですから。 

真実だけ言えば、いい存在じゃ無いですしね。 

世の中が、識者扱いしなくなったのは米山さんのおかげで、案外ひろゆきさんも無責任な発言出来る様になって、ホッとしてるかもなと思いました。 

 

 

・個人的には、被告か助かって意味があったと思う。 

あのまま死んでたら何でこんな事件を起こしたのか想像しか出来なかった。例え理不尽な理由しか述べられなかったとしても、「何故」という問に答えが出るから。 

そして、法によって適正に裁く。例え死刑一択だとしても、それが法治国家の在り方だろう。 

亡くなられた方、今なお後遺症に苦しむ方、そしてご家族の方々には、また違う思いがあるだろうけど…。 

 

 

 

・ひろゆきがどういう意図で書いたか知らんが、字面通り見るなら、明らかにツイートしていることはおかしい。どんな人間であっても、法的に裁くのは裁判官であって、警察にはならない。相手を殺めるのが許されるのも日常生活では正当防衛か緊急避難のみ、それも訴えられれば裁判所でその正当性が争われるってのが日本の国内法。 

ひろゆきに盲信している人も一旦自分の頭で考えてほしいと思う。 

 

 

・きちんと議論しておくと、こういう死刑確実な人間を巨額の医療費を費やして治癒してやるのは、感情的には大いなる矛盾です。 

しかしながら、米山氏もいうように近代人権思想は人権を最優先にするよう社会の枠組みや法制度を構築してきたので、有罪判決が下るまで被疑者は推定無罪により、一般人と平等に扱われるべきです。だから他の京アニ被害者と同様、医療を受けて、治癒される資格がある。 

 

問題はこの矛盾感をいかに捉えるかですが、「人権重視のコスト」というのが最も相応しい表現でしょう。 

 

類似した事例に、中国や北朝鮮等は独裁者による国家意志の決定が迅速で、有事の際などに国力を総動員できるなどの利点がある。 

これに対し民主主義国の米国では、戦争などの非常事態も政党間の議席争いの材料にされてしまい、実に非効率です。 

これを一般に「民主主義のコスト」と呼びます。 

 

それを知っていれば、もう矛盾など感じないと思いますね。 

 

 

・昔、「ブラックジャック」のエピソードで犯罪者の黒人の男の子の命を助けた後、裁判で男の子に死刑判決を告げた裁判官に向かってブラックジャックが「何故、生き返らせたんだ!」的なセリフを言うシーンがあったんだけれど、今回の犯人に対しては全くそんな同情的な感情は沸かない。 

 

 

・色んな視点での意見の一端なのでは? 

今回に限らず、被害に遭われた方々には、その全く罪のない命を意見を発する場を与えられずに奪われた。 

事実を追求するためだとは分かっていても、犯罪を犯した人間には治療を受けて意見を述べる場が用意された。…そういう一面もあるという事。 

最近米山氏も高須先生も、少し切り取りかな?と感じてしまう。 

他人の意見にあーだこーだ言わずに、ご自身の意見を述べていれば良いのに。 

 

 

・昔流行した「FBI心理分析官」って本に書いてあったが、こういう犯罪起こす人間の異常心理を研究するためのサンプルにするために絶対に一生壁の外には出さない前提で生かしておくっていう発想は専門家的には有りらしい。 

 

 

・裁判で有罪が確定するまではあくまで無罪が原則だからねぇ 

個人的には今回の場合は助けなくてもいいかなとは思うけれど、救命の努力は必要とは思うよねぇ 

災害時の場合のトリアージとは意味が違うからねぇ 

 

懸命に努力された医療チームは称賛しますが、 

それが医療関係者の普通の仕事という考え方もあります 

 

医者の判断で犯罪者だからと救命しないでいいということにはならないからねぇ 

 

 

・法学部を出ているから一応は法の趣旨はわかるし”法の下の平等”で確定するまでは容疑者にも尊厳があるのもわかる。 

 

だけど、海外では死刑が無い代わりに”被疑者死亡”が多いのは有名な話で「抵抗したから止むを得ず射殺しました」が通用する社会。 

今回の件も身勝手な逆恨みであることは取り調べるまでもない。自然死でもよかったのでは? と思うところもある。 

 

 

・ひろゆきさん知識はおありなんでしょうけど・・・。 

人の命をどのように考えるかは、育まれるものなのだなと思いました。 

 

学歴や知識を持っていなくても、その人が育った環境や、人とのご縁で育まれていくのが倫理観なのですね。 

 

人を傷つけない。命を助ける。医者ではなくても、当たり前のことでは? 

 

 

・矛盾を容認している現実世界のため、双方の言い分が正しいと思います。 

 

医療は限りある資源です。 

それを、わざわざ死刑になる人に投じるのか。 

いやいや、目の前の人を助けるのが医療だと。 

 

どちらも正解です。 

 

簡易な例えだと、戦地で瀕死の兵士がいます。助ければその兵士はまた人を殺しに行くし、殺されに行く。 

 

助けるのが正しいのか、そのまま死なせるのが正しいのか。 

 

これは立ち位置により、答えは真逆になります。 

 

 

・「死刑になるための人を助けた医療関係者の努力を考えると、『死刑だから助けなくていい』という判断があってもいいような、、、」 

 

人を沢山殺したから助けなくていい、だと犯罪者と同類になってしまう。 

苦しんでいる人が居れば助ける、それが通常の人の感情です。 

それと、犯人に生き死にを選択出来る自由も無くさないと。 

犯罪者が生きるのも死ぬのも決めるのは他人(法律)です。その時が来るまでどうぞ生かされて下さい。 

 

 

 

・これは正しいと思います。正しいと思うからこそ同じ意味で高須委員長の「医道は法律より上位にあると信じている昔かたぎのかっちゃんなう。」 

これもどうかと、通常は違法な行為でも緊急避難等人道的観点で許される条項が用意されています。 

法治国家である以上、法は最高位に位置し、法に不備があれば法を改善するように動くべきでしょう。 

 

 

・医師が量刑を判断する訳ではないからね。 

 

それに、遺族の方も犯人が死んでしまって理由も何も分からないよりは、犯人が何を思って犯行に及んだかを知りたいのではないかと思う。 

たとえそれが納得いかない理由でも、怒りを覚えるだけの内容であっても。 

 

 

・自費ならいいし、国民健康保険は言ってれば、保険を使ってもいい。 

親権者・扶養・相続の関係者が支払うならいいんじゃないかな。 

今後発生しうる、恩赦とかの適用は考え物だな。 

 

 

・死に逃げを許さず、きちんと裁判を受けさせた医師は素晴らしいと思う。 

同じ死なれるのでも、死に逃げで死なれるのと刑の執行で死なれるのでは遺族の受け止め方も全く違ってくると思う。 

 

 

・今回の件は米山氏が正論、つか、誰が考えても米山氏が正しいというそれだけ。 

ただ、常にひろゆき氏の言うことがが間違っているわけでも、常に米山氏が正しいわけでもない。 

ひろゆき氏も、自分の発信が間違っていたことに気がついていると思うよ。性格的に自分ミスを取り繕っているだけのように見受ける。 

 

 

・最近ひろゆき氏の劣化とほころびが見るに堪えないが、それが面白い。米山氏がひろゆき氏の理論武装の縫い目をほどく役割をしており、ひろゆき氏の戦略とその欠点を見事に暴いている。米山氏もひろゆき氏も極端な二人でシチュエーション次第で長所と短所の出方の振れ幅が大きい人たち。ポケモンで行ったら水タイプ最強のひろゆきと、草タイプ最強の米山氏で、どちらも最強だが、ひろゆきにとって単純に相性が悪く毎度コテンパンにされるといった感じ。 

 

 

・ひろゆき氏の話は、視点が面白いとか、なるほどと思うこともあれば、それは違うなと、違和感あるなと思うこと、両方あります。気になることは、裏をとります。「話半分」です。 

米山氏、高津氏の話も、話半分とは言わないが、半分よりちょっとだけマシかな?今回の京アニの件は、この両氏の意見の方が納得いきます。 

 

 

・いやいやいや 

36人も殺しておいて精神的に問題が無いわけがないし、どう解釈したら死刑以外の結論が出るのかという事を言っているのでは? 

責任能力の有無も同じで、それがあるなら有罪つまり死刑だし、責任能力が無いというのならそれは飼い犬が人を噛み殺したのと同じ事でやはり死刑となり、どうやっても死刑は免れないのでは? 

つまり医者が治療をするのはそういうルールというだけなので、ルールを変えるべきではという事なのでは? 

 

 

・米山氏のコメントには反論しようがないですね。 

自分もその通りだと思います。 

ただ、ひろゆき氏は「生かすなら状況証拠だけで死刑が決まる裁判システムを変えないと意味がない」と続けて示してます。 

重犯罪者を見殺しにしろと言っているのではなく、裁判システムを見直すべきと訴えているのではないでしょうか? 

 

現状の裁判システムの批判している事を伝えるか伝えないかで、この記事の意味合いが大きく変わると思うのですが? 

 

 

・あと、刑事裁判は真実の追及の側面があるので、感情面では複雑なところはありますが被疑者の命は可能な限り助け、裁判を全うさせる必要はあるのでしょう 

 

 

 

 
 

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