( 132923 )  2024/01/27 05:35:15  
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遺族は「死刑判決になったよって報告したばかりなのに」 青葉被告側が控訴 京アニ放火殺人事件

関西テレビ 1/26(金) 15:17 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/15dc5ed7aaf0dcc6cb509cd5be172dbe7ba17331

 

( 132924 )  2024/01/27 05:35:15  
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京都アニメーション放火殺人事件で有罪判決を受けた青葉真司被告の弁護人が控訴したことが分かった。

判決では死刑が言い渡されたが、弁護側は青葉被告の重度の妄想性障害を主張していた。

被害者の遺族は控訴について驚きや疑問を持っており、長い時間を要することを残念がっている。

(要約)

( 132926 )  2024/01/27 05:35:15  
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青葉真司被告 

 

京都アニメーション放火殺人事件の裁判員裁判で、25日、京都地方裁判所で死刑判決を受けた青葉被告の弁護人が控訴したことが分かりました。 

 

青葉真司被告(45)は5年前、京都アニメーションの第1スタジオに火をつけ、36人を殺害した罪などに問われていました。 

 

25日の判決で、京都地裁は青葉被告の責任能力を認めた上で、「人命の尊さを全く省みずに、36人の被害者の生命を奪った罪の責任は極めて重い。死刑を回避しうる事情を見出すことはできない」として死刑を言い渡しました。 

 

廷内スケッチ(25日 京都地裁) 

 

京都地裁は、青葉被告の弁護人から死刑判決を不服として、26日付で控訴の連絡があったことを明かしました。 

 

裁判で弁護側は、青葉被告は重度の妄想性障害だったとして「心神喪失によって無罪、もしくは心神耗弱によって減刑されるべき」「死刑が選択されるべきではない」と主張していました。 

 

石田奈央美さん 

 

遺族の受け止めです。 

 

控訴を受け、事件で犠牲となった石田奈央美さんの母親は以下のように話しました。 

「さっき控訴したと聞きました。やっぱり控訴したなと思いました。驚きはないです。ようやく死刑判決が下って安心したところで、今日の朝、奈央美とお父さんに、死刑判決になったよって報告したばっかりなのに。翌日に控訴なんて。また、判決が確定するのに、ものすごい時間がかかるんでしょうね。こればっかりはどうしようもない、そんな思いです。控訴を取り下げてほしい思いはあるけど、もうしょうがないんやろうね。残念です」 

 

寺脇(池田)晶子さん 

 

また、事件で犠牲となった寺脇(池田)晶子さんの夫は、判決翌日に控訴したことに疑問を呈しました。 

 

【寺脇(池田)晶子さんの夫】「(青葉被告は)判決に関しては受け入れていたような気が僕はしています。控訴する必要があったのか、なかったのか。青葉さんにも弁護人さんにも、本当に考えてほしい」 

 

関西テレビ 

 

 

( 132925 )  2024/01/27 05:35:15  
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(まとめ)被告側が控訴することは想定内で、控訴審や最高裁まで進む可能性があると考えられます。

一方で、多くの人々が死刑判決を支持し、迅速な執行を望んでいる声も見られます。

また、法廷での争いを通じて被告人が罪と向き合い、反省する機会とする考え方もあります。

さまざまな意見がありますが、法の下での正当な手続きを尊重するとともに、被害者や遺族の気持ちを十分に配慮することが求められるようです。

( 132927 )  2024/01/27 05:35:15  
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・被告が断らない限り控訴は想定内。 

控訴審で事実認定の見直しが成され一審での判決が覆らない限り 

上告は難しいと考えますが、判決が『死刑』だけに最高裁まで 

縺れる可能性はゼロとは言い難い。 

日本で裁判が行われる限り、こればかりは如何しようも有りません。 

死刑判決に関して一番の問題は法務大臣が執行を行わない事です。 

法律では判決後6カ月以内に執行するとなっていますが、それを守る 

法務大臣が居ません。 

現在106人の死刑囚が居ますが2023年の執行数はゼロです。 

 

 

・今回の控訴も弁護人の一存による物なのでしょう。 

最高裁まで行けば、その間、被告は生き続ける事が出来る。 

結果、これ程の人命を奪った事件、死刑は揺るがないと思う。 

そうでなければ、亡くなられた方やそのご遺族は報われない。 

 

この被告を救った医療チームは、良く命を救ってくれたと思う。もし、そのまま全身火傷で逝ってしまっては、事件の動機やご遺族への謝罪もされないままとなってしまう。 

生きて事件を振り返り、亡くなられた方々の人生を知り、事件の重大さを知り、命の尊さを知り、最後に死刑と向き合って死んで詫びて欲しい。 

 

死刑執行は、当日の朝、看守が監獄を歩み、立ち止まった死刑囚が執行される事となっている。 

この早朝に看守が歩む足音が、死刑囚には恐怖で毎日精神的なストレスを繰り返すそうだ。 

もし、自分の前で止まったら、泣き叫ぶ、失禁、腰が抜けるなど極度の無気力状態になるそうだ。まあ、当然に報いだろう。 

 

 

・犯罪者の人権や能力云々は確かに大切な事かも知れないが、被害者負担や社会的負担とバランスが取れてない様に感じる。これ以上引き伸ばしえ更に遺族や被害者に負担強いて、それが本当に正しい法なのか、客観的に法整備が必要だと強く思う。 

 

 

・権利であり、なくせとは言えないけれど、多大な労力やお金、時間を使って瀕死の容疑者を助けるべきだったのだろうかと思ってしまいます… 

 

真実を話させる時間でもあり、そういうのを研究したい方たちにとって、また教育や福祉で何か長期的に生かせるのかもしれませんが、時間をかける意味を考えさせられます。 

判決までの時間、控訴して再審の時間… 

本当に必要なんだろうか、誰が幸せなのだろうか。 

 

 

・私もやっぱりなと思いました。 

アニメ界の一線で活躍されていた方々。 

突然炎に巻かれ焼き殺された無念さは勿論。 

そのご家族の心中は測り知れず、言葉になりません。 

いつ執行されるかわからない状況は耐えがたいでしょう。 

 

 

・弁護人としては、被告のために最大限の仕事をしなければならず、控訴もそれに含まれます。 

今回の控訴は被告人本人がしたものではなく、弁護人が行ったものなので、被告人が取り下げることもできます。もちろん、被告人には控訴審、そして上告審の裁判官の判断を仰ぐ権利はありますので、そこは尊重されなければなりません。 

 

 

結果は変わらんとは思うけどね。 

 

 

・控訴は時間稼ぎだろう。最高裁まで控訴してとて棄却されて死刑判決は確定する。 

今控訴しとかなければ刑が確定してしまい即死刑囚になってしまい法務大臣がハンコ付けば死刑執行される。控訴しとけば少なくとも最高裁での判決が出るまでは執行されることはないから延命狙いなのだろう。 

法務大臣も確定したら即座にハンコを押す事を願う。 

 

 

・そもそも、過失でない限り、重大な犯罪を犯す時の心理はまともなわけなく、冷静なわけなく、かなり異常な心理状態に違いない。 

いや犯罪は基本、そうい心理状態でしょう。 

ゆえに心神耗弱や喪失はどの程度か。 

重大犯罪では鑑定の上、判断するんだろうから。 

でも問題ないとする判断ある以上、何が目的なんだろか。 

イタズラに時間稼ぎしても、毎日のように重大犯罪の多い今、裁判所の負担を増大してるに過ぎない。 

 

 

・まぁこればかりは国民の正当な権利だから、まわりからは何とも言えませんが、ご遺族の方も言われている通り、大方の予想通りという感じではあります。 

起訴内容には争いがなく、責任能力の有無が争点だったかと思いますが、責任は問えるとした裁判所の判断が不服ということなんでしょうかね。 

とても責任能力の欠如した人間の犯行とは思えないし、控訴したところで高裁で判断が覆るとも思えませんが、判決が判決なだけに、最高裁まで争うつもりのような気がします。 

 

 

・税金で生きながらえることが良いのか悪いのか。冤罪の可能性があるとか言う人もいるが、この人以外に絶対に犯人はいない犯罪の場合は速やかに執行するべき。それが、ご遺族の感情にも一区切りつくことに繋がると思う 

 

 

 

・36人の命を奪っても、いつ執行されるか分からない刑の執行を待つのは耐えられないのでしょうか?この方にも言い分はあるのかもしれませんが、流石に36人の命を殺めた人がシャバに出る事は無いように思われます。この期に及んで腹を括れない辺りは、人間の弱さを感じますし、36人を支えてきた人々の存在にまで考えが及ばない辺りは、人生の学びが至らなかった感を感じます。 

 

 

・一審から死刑判決受け入れたら、それはそれで被告が死刑を望んで、執行するみたいで…裁判中に反省の様子があるならともかく、したことの重みも全くわからないまま執行ってのもなんかもやっとする。 

 

でも遺族からすると、苦しみの時間が増えてしまう。どうあっても犠牲者が帰ってこない以上、本人の罪の意識などどうでもいいからさっさと確定して、執行してほしいというのもあるだろうし。 

 

いずれにしても罪深い事件です。 

 

 

・人の命を簡単に奪って、心神喪失だからとかの理由で死刑は重いから控訴 

 

何の罪も無い人達の命が大量に奪われて、その犯行理由さえも誰も理解出来ない妄想でガソリン撒いて放火殺人。 

 

弁護士も仕事だろうけど理解に苦しむ。 

 

今の時代、そういう弁護士はSNSでも叩かれる事もあり得る。 

 

遺族感情を考えると、日本の法律を見直すべきだと思う。 

 

 

・被告の罪を軽くするための手段として用いてるんだろうけど、何でもかんでも精神疾患や、それに基づく妄想や心神耗弱だったという主張する弁護士のやり方を、ベテランの精神科医が怒ってた。 

こんなことをされると、精神疾患や人格障害を抱えてる人たちの全てが凶悪犯であるかのように世間から捉えられ、地域で生活することが難しくなる、と。 

今回のケースは、被害妄想はあったのだろうが、普通に日常生活が送れていたし、犯行も計画的なので、完全に責任能力はある。 

なので、極刑以外の判決はありえない。 

 

 

・上級審に控訴することは 国民の権利 なのだから それ自体を批判する気はない。 

すでに事実関係などで 証拠調べをする必要はないのだから責任能力判断の部分だけ迅速に判断し高裁、 最高裁と早く結論を出して刑を確定するだけ。 

この人物の命を長らえさせるために費用をかけて多くの人が努力したのは きちんと裁判で裁くためだったのだからこれ以上 費用 手間をかけることなく早く結論を出してもらいたい 

 

 

・控訴・上告という制度がありこれは被告の権利でも有りまた、弁護人の職責でもありましょう。 

その権利を行使する事は致し方ない事と思います。 

しかしこれだけの数の死傷者を出してしまった訳ですから、庶民感情からしても極刑止むなしと言いたいところですね。 

死刑廃止論を唱える方も居られる事とは思いますが、ではどうやってこれらの被害者やご遺族の方の悼んだ気持ちを癒す術が有るのかと言えば、言葉に詰まる事も暫し。 

司法サイドに於かれましては難しい判断だとは思いますが、被害者・ご遺族様のお気持ちを最大限に汲み取ったご判断を願うしかありません。 

 

 

・控訴されたら裁判員裁判って何なのでしょうか?結局弁護士と検察、裁判官で決めるのだったら選ばれた市民の方の苦労は無視、プロの方がやればよろしいと思います。市民感覚からしたらこのケースは死刑判決以外はないと思います。元々市民という素人にこのような中途半端な責務を追わせる意味がわかりません。 

プロがプロとして市民感覚を学習すべき事案だと思います。 

 

 

・被害者の火傷する煙を吸い込み 火の手が迫る中 待ってくれと言っても逃げることができなかった それに比べれば加害者は裁判をし、弁護士もつけてもらえ医療も受けれる猶予あり、ここで加害者の待ってくれを許しては、被害者が取り残され理解者を得られない無念さがあり、加害者と平等ではないように思う。 

 

 

・遺族は、昨日の判決を受けて控訴しないで刑に服して欲しいと願っていたが、その願いが無惨にも打ち破れて仕舞い、やっぱり控訴したのかと落胆の声が聴こえてくるようで、残念な事ですが、大阪高裁に舞台を移して、公判前整理手続きから始まりまして、公判開始から判決まで相当な時間をようするようで、その間、遺族が抱える辛さを思うと大変辛いですね。 

弁護側の権利とは言え、被告本人と再度話して、控訴取下げで一審判決確定して欲しいと思います。 

 

 

・死刑判決が出た時に、被告は「死」についてどの様に感じたのでしょうか。恐怖だったと思いますが、それ以上に被害に合われた方は、恐怖だったと考えて頂きたい。盗作されたなどと妄想を膨らませ怒りを放火という手法で実行して多くの命を奪いました。 

遺族は、あなたの妄想の怒りよりもっと怒っています。反省は遺族は求めていないと思います。 

せめて、判決を素直に受け入れてくれる事で少しは反省していると思ってくれるのではないでしょうか。 

あなたに出来る事は、判決を受け入れる事だけです。 

 

 

 

・弁護士の仕事は『依頼人の利益が最優先』ですよね。 

事件が起こるとマニュアル通りに「心神耗弱により無罪」とか言ってますけど、事件に向き合わせきちんと責任を取らせることも依頼人の利益になるのでは? 

無為に裁判を長引かせて無理やり「無実」を主張するより、罪を償わせることが弁護士の倫理に反するとは思わないんですけどね。 

むしろ、無理な主張の為に被害者や関係者や家族の皆さんを更に傷つけることこそ倫理に反していると思います。 

 

 

・もし、私が裁判員になってこの裁判の審理に臨み、その結果が今回の様な控訴の形になったとしても、悔しさはあるが残念とは思わないと思う。それはもっと詳しい法律のプロ達が更なる視点からこの裁判について見て判断するからである。ご遺族の怒りはごもっともという事もあるが、一方で裁判員の判断は正当性を持つのか?という視点からも控訴はやむ無しという事も言えるのではなかろうか。 

 

 

・刑事事件における控訴・上告は、14日間という厳しい期間制限が設けられていることもあり、検察官、被告人のほか原審の弁護人も独断で申立をすることが認められており、申立の段階では控訴・上告の理由を明記する必要も無い(控訴や上告の理由は、その後に提出する控訴趣意書や上告趣意書によって明らかにすべきものとされている)。 

そして、刑事弁護の世界では死刑判決に対する控訴・上告は当然視されており、司法修習の刑事弁護科目でも「死刑判決に対しては必ず控訴するように」と教えられているので、弁護人による控訴は想定の範囲内。 

もっとも、弁護人が控訴した場合でも、被告人自身に控訴審で争う意思が無ければ、被告人が自ら控訴を取り下げ、それにより有罪判決が確定することも実務上よくあることなので、現段階では青葉被告に、控訴審で争う意思があるかどうかはまだ断定出来ない。 

 

 

・まあ、控訴するでしょうねそりゃ 

しなければ死刑確定だし、これだけの事件だから法務大臣が法律の規定通りに死刑確定から半年以内に執行のハンコ押す可能性もある。最高裁までやると思うよ、やっても死刑は変わらないと個人的には思うが、やらなければすぐ執行されるリスクあるし、人は殺しても自分は死にたくないんでしょうね。最高裁までやるのは法治国家なんだから良いとして、確定したあとは法務大臣はちゃんと半年以内の執行をしてほしい。この事件では冤罪の可能性もないだろうし、引き伸ばすのは良くないと思う 

 

 

・控訴期間は2週間あるが、判決翌日早々に控訴した。予想通りの控訴ではあったが、弁護士は最初から控訴を決めていたに間違いない。よくある弁護士の売名行為である。今回の裁判が犯人が他にいるのではというのが争点ならば控訴もやむを得ないかもしれないが、今回事件の犯人は被告以外にいないのは明らかである。しかし、過去死刑判決を受け、その時は周囲も自身も誰しもが犯人と認めた事件が、何十年も経過していくうち、受刑者が犯人ではないと再審請求して無罪、つまり冤罪となり変わることもあり得る。今回の控訴が何十年か先に無罪に変わらなければ良いが。ただ、ひとつだけ言いたいことは無実と無罪とは別物だということを知っていて欲しい。 

 

 

・当たり前の話ですが凄惨な事件を起こす人の心理状態は概ね喪失しています。 

 

頭がクリアで善悪の判断が付き、心に余裕もあるのに凄惨な事件を起こす稀な人のことをサイコパスといいます。 

 

控訴をそそのかした弁護士のこの弁が通るのであれば世の中の殆どの大罪は無罪となります。 

 

つまり弁護士の存在が罪の助長となるということです。 

 

 

・控訴はあるでしょう、被告が望んでるかどうかは別として弁護士はそうするでしょう、被告が相当強くそれこそ命を懸けて断らない限り、控訴しないと弁護士に次から仕事が来ないんじゃ…が闇かと、この辺りケープフィアーとか昨日何食べた?でも出てくる部分ですね。 

ただこの被告の場合、その後に第4の審判と言われる審議の後、早々に刑が執行される可能性は高いと思います。 

第4の審判は、真犯人が他にいる可能性がある、警察検察がやらかした可能性がある、情報を聞き出せる可能性がある場合は執行せずに引っ張る可能性が高いとみてます。死刑したら軌道修正効きませんから。 

袴田事件とか死刑が執行されず、一方で航空機乗っ取りとか小学校襲撃とか繁華街突撃とかは早々に死刑が執行されたのもこの辺りかと。 

もっとも毒カレー事件は良く踏み切ったな…と思ってますが。 

 

 

・勝手に地獄に転げ落ちていきそうだったところを現代医学と名医の手によって一命を取り留めさせる。 

出廷できるまでになった被告を改めて法の下に完全に処罰し、その命をもって償わせるというのは、大変意義深いものがあると思う。 

 

 

・遺族の心情を考えると非常に残念なことですが、これは予想された行動でやっぱりかという感じです。このまま、被告は最高裁まで粘るでしょうね。最高裁で被告の上告が棄却されて、死刑判決が確定した後もおそらく再審請求をして粘るでしょう。世の中広いというかわからないというべきか被告を支援する人達も出てくるでしょうからね。本当に刑の執行という形で決着するのは早くて15~20年後くらいでしょうか?それが日本の現状だと思います。 

 

 

・取り返しのつく犯罪を犯した場合。 

例えば、万引きとか、窃盗とかは、更生を踏まえて刑罰を決めればいいが。 

今回のような、取り返しのつかない殺人の場合は、精神鑑定うんぬんや、更生の余地より、被害者や遺族の立場から刑罰を決めるのがいいと思う。 

 

 

 

・やはり控訴となりましたか。 

いつも思うのですが、犯人かどうか疑問が残る場合の控訴は当然なのですが、犯人であることが明白で責任能力を争う場合、結果として最高裁で刑が確定するまで「被告の反省、罪との向き合い」は始まらないのだと感じてしまいます。 

批判されるような考え方ですが、一審の判決を素直に受け入れるような犯人は、刑を執行せず、一生罪と向き合って貰いたいと思う反面、控訴して最高裁まで争うような犯人は、反省が期待できないので、刑が確定後は速やかに執行してもらいたい、そんな感情を持ってしまいます。 

この事件の場合、死傷者数から執行しない選択肢は無いでしょうが、それでも一審を素直に受け入れる位に後悔しているなら、罪と向き合う時間が暫くあっても良いかなと。 

 

 

・被告の命を救った医師たちと同様に、控訴審や場合によっては最高裁の審理において準備・手続きにあたる人々とか判決を下す裁判官たちは尊重されるべきでしょ? 

「どうせ極刑なんだから延命に付き合っても無駄」なんて、法を遵守して働く人たちを侮辱しているに等しいよ。 

どれほど感情的に許しがたくとも、法の下での権利の行使は認めるしかない。 

被告の延命だけでなく、法を守るために働く人ひいては法に守られる全ての国民にとって大事なことだよ。 

 

 

・控訴理由が聞きたいけど、弁護人は会見もせず逃げ回っているから、ただの死刑執行の先延ばし策かと思われます(笑)。これだけの死傷者を出した事件の実行犯に死刑判決は庶民感情からしたら当たり前だと思うがね。弁護人は被告人の利益のために動くから、法律論をかざして無実を主張し続けるのだろうけど、その前に一人の弁護士としての正義を自問自答して欲しい。上告までいけば10年近くかかるだろうし、再審請求なんかやりだしたらいつまでも確定しない。控訴判決まで数年、その後の上告棄却まで1、2年。長い裁判になりそうだな。 

 

 

・小学生とか迄ならともかく、事件当日まで普通に犯行の準備まで計画出来ていた大人に対し、『心神喪失によって無罪』っていうのは、被害者が泣き寝入りで、被害者より加害者の人権の方が尊重されているように感じてしまう。 

精神疾患は専門医でも明確に判断する事は難しいでしょうから、死刑→無期懲役とか、20年以上の禁固とかならわかるけど、流石に無罪主張っていうのは…法律も見直すべきではないだろうか? 

 

 

・そりゃあ、死刑判決の場合、弁護人は控訴するわな。死刑判決は極めて重大な判決だから最高裁まで持って上げるのが法律家としての常道だろう。けれども控訴、上告でこのケースで死刑が回避されることになれば世論は黙っていないと思うが。少々妄想があろうが何だろうが結果が重大過ぎる。「善悪の判断が付かない状況だった」という言い訳はいくら控訴、上告しても通用しないだろう。 

 

 

・最高裁の判断が求められるような案件でもないので控訴審止まりだと思いますが、棄却される可能性が高いということを被告も理解しているはずです。控訴が棄却されて判決が確定した場合、冤罪の可能性がゼロであるため、死刑執行の優先度は格段に上がるので、言うなれば、時間稼ぎにための控訴と言えます。 

 

 

・裁判員制度が始まり、一審の判決に弁護側、検察側場合によっては裁判官も 

納得出来ない結果になる事は増えてきていると思う。 

 

今回の責任能力については今後争っても意味は無いだろうけど、背後関係をどう捉えるかが焦点となるのでしょう。 

 

素人目線では、様々な情状を考慮しても死刑を覆すのは、厳しいのではないのでしょうか? 

 

 

・時間稼ぎ以外の何者でもなくて、死刑判決は変わらないでしょ。 

考え方を変えて、生き延びれらるかもと思って控訴しても結局は死刑になるんだから、死刑になるかもしれないという恐怖にら怯えなが生きる時間を与えることができると前向きに考えるしかない。 

そんなことよりも、被害に遭われた方々にさらなる苦痛を与えることが何よりも許せない。 

 

 

・弁護人が控訴手続きをしても「控訴」を決断したのは被告人だろ。報道はまるで弁護人が控訴したように書いているが、弁護人は単なる「代弁人」であるはず。それがいつの間にか裁判の主人公のごとくにしゃしゃり出ている。 

被害者やその遺族は、弁護人の高邁なご高説に基づく主張を聞きたいんじゃない。知りたいのは被告人がどのような意思でもって控訴したのかだ。それを報道では平気で「今後は弁護側が控訴するかどうかです」などという言い回しをする。「被告人が控訴するかどうかです」というニュアンスの違いを被害者や遺族の立場で考えてみろ。もう少し被害者や遺族に配慮しろ。 

 

 

・これだけ社会に大きな衝撃を与えた事件でも弁護する側にしたら減刑とかさせたい物なのでしょうか?それは本当に減刑に値すると思ってやるのではなく自分の弁護士としてのハク付けにしか思えない。控訴はいいがそれでも死刑は免れないと思う。確定したら即日執行してほしい。法務大臣の器量に期待したいです。 

 

 

 

・控訴することによって青葉被告の罪をより考えさせ、ご遺族に言葉を述べる機会を増やしたと考えることもできる。 

控訴しようが、死刑は確実だろう。早く執行させろという意見もあるだろう。でも、大やけどをおおい、自分で自由に身体を動かす事もできない。ただベッドの上で痛みをこらえながら執行を待つ。これほど重い罰もないと思う。私は死刑確定のうえで、さらに自分のことの重大さを突き詰めることが死刑よりも重い処罰であると考える。 

 

 

・個人的にはですが、これで良かったかなと。本人は極刑を望みますなどと反省の弁を持っていたがやはり生に執着したことで遺族へのさらなる冒涜を行った。だがこれで判決が変わるとは到底思えない。 

死ぬことを望んだ死刑よりも、生きることを望んだ死刑判決の方が、より苦しんで死んでいってほしいと望む遺族もいるのではないだろうか。36人も殺した人間がどんな理由があろうと、死刑以外の判決でいい道理などないと思う。あるのなら、むしろその道理が歪んでいる。 

 

 

・仮に、万が一無期懲役になったとしてもあの火傷の後遺症では死刑より生きていく方が辛いのではないかな?外に出たとしても人に頼らないともうまともな生活できないし、自由になったとして、彼の世話を請け負う施設があるとも思いません。結果、死刑よりつらい最後になるかと。 

まぁ最高裁まで行ったとしても結果は覆らないとは思いますが。冤罪はあり得ないので確定したらわりとすぐ実行されるでしょう。 

 

 

・日本だけではありませんが、刑法では責任主義という概念が有ります。 

責任主義とは、行為者に対する責任非難ができない場合には刑罰を科すべきではないとする原則。 

「責任なければ刑罰なし」という原則として知られ、罪刑法定主義とともに近代刑法理論の根本原理となっています。 

いわゆる「精神的に正常では無かった……」ってやつも含まれます。 

 

しかしながら、青葉容疑者のような極端な場合では、「人喰いヒグマと変わらない」、そう判断しても良いのでは無いでしょうか? 

 

 

・こればかりは日本ですので。被害者の心情、何よりもお亡くなりになられた方の無念を考えると何ともやるせない。また、犯罪者と言え最善の治療に当たられた医療従事者の方々、死刑になろうとわかる被告を助けるお気持ち感服します。 

事件を起こすまでの被告の環境は過酷なものがあると思われるが、その状況を乗り越え生きている人が多数いるのも世の中です。トラップに落ち引っかかっている人、まず周りや行政、病院など相談して独りよがりにならないで欲しい。もしかしたらトラップから抜け出せるかも。被告はしっかり懺悔して欲しい。 

海外なら死刑判決ならその日の内に死刑になる国もある。 

 

 

・弁護士の仕事はこういうもの。 

自分の担当する被告人の有利になるようにしていくのが義務で、弁護人までが死刑の判決で結構ですなんていうのは職務が果たせていない。 

個人としての想いと弁護士としての義務は切り離されないといけない。 

よく被告人に対する非難を弁護士にまで浴びせる人がいるが、だったら、こんな極悪人の弁護をするのは嫌ですと言って誰も弁護士にならなかったら裁判は停まってしまう。 

唯一、あるのは被告人自身が自分の意思で控訴を取り下げることだ。 

それは弁護士の判断より優先される。 

 

 

・遺族の気持ちは充分理解できます。 

ただし日本は法治国家なので、法律として控訴が認められている以上、控訴すること控訴できること自体を批判はしてはならないと思います。 

控訴したところで判決は変わらないと思います。悪あがきをしても結論は変わらないことを思い知らせ、被告に深い後悔をさせるために必要な手続だと割り切ることが必要です。 

 

 

・死刑か無期懲役か。 

 

被告人が健常者でなく身体障害者である現実を照らして見れば、なかなか即死刑執行に持ってゆくのは難しいのではないか? 

 

彼を治療して命を残した医療行為は讃えるべきものです。 

 

そして、事件の原因究明と類似犯罪の防止策に結びつくことが重要で、意味のあることと思います。 

 

 

・遺族の方が死刑を望み続けている状態だとして、それは端から見れば確かに痛ましく不幸であるとは思う。しかしもし何らかの理由で死刑が回避されたらその理不尽さでもっと大きな不幸に苛まれるだけだと思う。 

被害者遺族の想いがどのようなものであれ、 情状酌量の余地がない罪にはその罪に対する最大の罰を社会は責任を持って与えます。これが前提にないと憎しみに囚われすぎなくてもいいんだよの類いは言ってはいけないと思う。 

 

 

・被告人はやったことが残忍だし、判決も当然。 

ただ、控訴を申請した弁護士さんを責めている人は違うと思う。仕事は引き受けた以上できるだけのことはやる。それは弁護士に関わらずどの仕事でも同じでしょう? 

それに、控訴の申請は何も被告側だけに求められた権利じゃなくて、原告側にも認められている。原告側は控訴してもいいけど被告は控訴してはいけないなんてなればそれこそ裁判自体がおかしなことになるんじゃないかな? 

 

 

 

・人を死刑にしようというのに一審だけで精査するのはあまりに拙速だと思うよ 

死刑判決を争う裁判は全て最高裁まで争うべきだと思うし、和歌山カレーみたいに新証拠や新事実が出てきたら再審請求だって通すべき 

それでこそ誠実な司法が行われると思うし、その結果死刑ならどちらもやりきったと思えるんじゃないか 

大切な人の命を奪われた立場なら人命の尊さを十分理解していると思うから少しの間我慢して欲しい 

 

 

・法治国家である以上、控訴について外野が何か言ったところでどうこう出来ることではないことは重々承知の上ではあるが、ご遺族の皆様の気持ちを考えると胸が痛くなる。被告は反省の弁は述べているものの従来の主張は繰り返しているので、もう命ある限り被告には何を言っても考えを曲げさせることは不可能なのだと思う。最高裁まで縺れることは考えたくないが、身勝手な逆恨みで36人もの尊い命を奪い、多くの方々に多大な悲しみと苦しみをもたらしたこの筆舌に尽くしがたい重罪に対して日本の司法が正当な判決を下すことを切に願い、犠牲者の方々全ての御霊に哀悼の意を捧げたい。 

 

 

・物事は発生してからの責任論しか出来ないが為の悲劇は今後も繰り返されるでしょう。此処にも此迄の経緯を無視した結果論が社会を支配する構造です。該当被告人は抑、人生の最終目的を未だ達成する事なく今世を彷徨い歩く屍の如き存在感を社会に知らしめています。救いようが無い快楽主義的犯行とは異なるが為の成功の光と影が見え隠れするのは私だけでしょうか?問題は起きてしまった事実しか弁護出来ないが為に被害者遺族が納得出来ないのも至極当たり前なのが現実です。救済を求めるのでは無く此の教訓から我々は何を学ぶかは人としての成長の臨界点を越える為の試練の様な気がしてなりませんが皆様は御機嫌如何でしょうか? 

 

 

・死刑判決だと被告人に控訴する気がなくても弁護人は控訴するでしょ。 

その後、被告人に死刑を受け入れる意思があるなら、被告人から控訴取り下げの依頼を受ける。 

でないと後になってから、「控訴する意思はあったのに、弁護人が控訴を怠ったので刑が確定した」と、弁護人は被告人から訴えられる可能性があるからね。 

 

 

・遺族にとっては、とても辛いことです。 

もちろん、死刑しかないと思います。 

どんな境遇でも他人を殺すなんて言語道断。 

 

一方で、昨今、このようなタイプの犯罪者が目立つ印象がある。 

一貫して、家庭環境が悪かったことが共通点な気もする。 

日本では、親と子の関係がとても強力で国でも引き離すことは容易ではない。 

ただ、虐待、ネグレクトなど、家庭環境の悪さがのちの犯罪に繋がる可能性は決して低くないと思う。もちろん、そんな環境の中でも懸命に生きている方もいるのは知っている。 

ただ、そのような子供達をもっと保護できる環境を整えていか必要があるのではないかと強く感じる。親と子がいることが当たり前という意識が日本は特に高いと感じるが、必ずしもそれが正しいのだろうか?子供達を守れない社会があってよいのだろうか? 

 

 

・犯罪する人自体既に健常者ではないと思うから、犯罪者全てが心身衰弱で法の裁きが出来なくなる法律ですね。有責な行為という犯罪の概念を変えなければ被害者及びその家族はいつまで経っても浮かばれない事になりますよ。 

 

 

・贖罪の機会 

 

どんな被告にも罪が確定するまでは一応の権利はある。でも、誰がどう考えても一般論では極刑以外ありえない。日本人の多くが司法に、弁護士にどこかの不信感を持つのはこういうところだと思う。弁護士は仕事なので、依頼を受けたら弁護しなくてはいけないのかもしれない。でも、その一方で被告人を諭すのも倫理的に必要な気もする。 

 

自身の犯した罪と向き合い、奪った命の重さを心から反省し、執行されるまでを贖罪の機会としてほしい。そんな考えを持つような人はこんな非道な犯罪をしないのかもしれない。まともな神経ではないから非道な犯罪に走れるというのもある意味その通りなのかもしれないけれども、そんなことは単なる詭弁。 

 

裁判中は執行されないので、実際の執行は相当先だと思う。それは悪あがきの時間ではなく、あくまで贖罪のための時間。 

 

 

・死刑判決の場合は弁護士が必ずといっていい程控訴するのですね。 

まぁこれは想定内なのですが、被告に少しでも良心の呵責があるのなら自ら取り下げて受け入れるべきだと思います。 

死刑制度云々は賛否両論あると思いますが、今の法の最高刑が死刑である以上妥当な判決だと思います。 

 

 

・考え過ぎだと思いますが、弁護士は被告に生きることへの執着を持たせようとしてるのではないでしょうか。 

このままだと、被告の望んだ死刑により、罪を悔いることもなく死刑が執行されてしまう。 

 

それより、判決を引き延ばして、様々な批判や侮蔑を感じさせて罪の意識を持たせ、さらには生きていたいと思わせて、死刑への恐怖を持たせようとしてるのではないでしょうか。 

 

ギリギリまで、大罪人として生きることへの厳しさを味あわせてから死刑の方が、罪人の思い通りにはならないという示しにもなるのではないでしょうか。 

 

 

・残念だけど、公平な裁判を受ける権利や上訴する権利は国民全員が享受し、国民の不断の努力によって保持していかなければならない大事な権利。勿論遺族の気持ちを思うと辛いけど、感情論で蔑ろにして良いものではない。 

私たちが普段交通違反や政府批判などをして、その場で警官に射殺されたり、その場で略式法廷を開かれて即日処刑されたりしないのは、長い歴史の中で基本的人権をはじめ、諸々の権利を勝ち取り守り抜いてきたからです。 

感情に任せて大事な権利を自ら手放すようなことは言うべきではない。 

 

 

 

・やはり控訴してきたか。着眼点には気がついていた。ここからは弁護士の腕の見せ所だ。たしかに心神喪失など、その他に関する条件は確かに法律にはある。2名の医師が別々の意見を主張しているだけに、これは慎重に裁判をしなければいけない。それが法治国家である。決めつけは良くない。それなら憲法も法律もないことになる。 

 

 

・自分が余程の事をして、多くの人を苦しめていると思えるなら、控訴はしなかったはず。 

 

弁護士の意見に感化されてるのかは分からないけれど、 

 

死刑と言われて、分かりましたと言って欲しいです。それが、本来の今出来る最大限の反省だと思う。 

 

 

・控訴が被告の願いでなく弁護人が行ったことがポイント。「弁護人としては、被告のために最大限の仕事をしなければならず」とのコメを見たが、私の見る限り「弁護人としては、自分のために最大限の仕事をしなければならず」としか思えない。国選弁護人としてこんなおいしい仕事をそうやすやすと終わらせてたまるか!という声が聞こえるような気がする。 

 

 

・個人的には、被告は割と理解力のある人のような印象があります。盗作が被告の妄想だとしても、被告の主張にも一応は耳を傾け、妄想だったことも含めて、被告がそれなりに審理に納得し、とんでもない見当違いのことをしたと理解した上で、刑を確定させて欲しいです。 

 

 

・国選弁護人ですよね。 

ということは税金負担ですよね。 

ならば被告と弁護士との控訴に至るまでの経緯を公表する必要があるのでは? 

弁護士の個人的主義による死刑制度反対や営利目的によ控訴誘導をしてないですよね? 

 

死刑判決確定後は法に従い6か月以内の刑の執行を粛々と進めるべき。 

死刑囚のために衣食住+医療費まで税金で負担することは無駄以外の何物でもない。生かすなら被告の親族に負担させるべき。 

 

 

・彼の今に至るまでの生い立ちまた、コンビニ強盗して刑を終えてからの支援のあり方を必死に語っていた番組があったけど、それを聞くと青葉被告もまた、社会の中で弱者であるが故の被害者でもあるともとれた。 

しかしだからと言ってあんなに大勢の人に最悪な死を与え、今も苦しみ続ける被害者を出しておいて、自分は守られ生き続けるって言うのはどうかと。 

控訴は当然するだろうなとは思ったけど、そうである以上遺族の方、被害者の方に自分の行いを心から詫び続けなければならない。 

詫びた所で亡くなった方が生き返るのでもなく、被害者の方が事件前の状態になるわけでも無いけど、でもその方々の声を受け止めて詫び続けて欲しい。 

そのためにまだ生かされいるのだと思って。 

 

 

・控訴するだろうとは思っていましたが、近年稀に見る凶悪犯罪で、精神不安定を理由に無罪になったら、司法がどうのというより、犯罪者の精神鑑定について見直しが必要なんじゃないかと思う。 

 

 

・もう心神喪失を理由にするのは辞めた方がいいんじゃないですか? 

それを理由にするなら身元引受人や医療機関など見守りを怠った人がいたら、その人達も悪いってことになりますよ… 

 

これだけの人の命を勝手な理由で奪っておいて、心神喪失だから無罪なんて、ならないにしても遺族からしたらこんなひどい話はない 

 

心神喪失でこんなことを起こして減刑されるというなら今後一生隔離するしか国民の命の安全はなくなってしまいます 

 

 

・精神的に異常があるから無罪や減刑にするというなら、犯罪を止める手段は精神異常者の行動を制限もしくは抑留するしかない。 

でもそれをやると次第にエスカレートして、誤認逮捕が増えると思われる。 

犯罪のリスクを可視化できれば行動制限に繋げてもいいとは思うけど。 

 

 

・遺族の方には申し訳ないが、これは控訴審で最高裁まで持ち込んで判例を明確にしなくてはならない事案だと思います。 

 

判決文では弁護側の主張した妄想性障害を認めつつ、犯行を思いとどまれるだけの責任能力はあったとしているので、これが判例として記録されれば同様の裁判が円滑に進むようになります。 

 

 

 

・大きな事件はここまで容疑者を晒し者にしないといけないかとおもうと怖い。事件で多くの死傷者を出したのは確かだし死刑など極刑になってしまうのは確かだ。我々は関係ないと思いながら書き込みをしている。私自身情けないと思った。こんな大きな事件は今後起きないように防止のためにここまで大きく報道しているのだろうか。 

 

 

・「心神喪失によって無罪、もしくは心神耗弱によって減刑されるべき」 

 

この人は正気じゃなかったからこんな事して貴方のお子さん亡くなったけど、わざとじゃないから無罪だよね? 

と、お子さんを亡くされた方々の前で言ってるようなものです 

こんなむごい事を「べき」と強い言葉付けて聞かされるご遺族の方々に 

なんと言って励ましてあげれば良いのか言葉が見つからないけれど 

どんな理由でも許されないと思う人の方が圧倒的に多いから、弁護側の無神経な言葉に辛くならないで欲しい 

 

 

・こちらでも数多くの人が死刑を望んでいましたが、この犯人は表向きはアニメを見て勉強した善人の言葉を並べているだけで本心は全く反省していない様に思えました。 

そんな状態で死刑を言い渡しても、当人は罪の重さも自分に非がある事も理解していないので控訴するでしょう。 

 

おそらく犯人は心のどこかでアニメの様な大逆転が起こる事を期待しているのではないかと思います。 

アニメは現実には起こりえない救済が物語中に行われます。 

この牢獄から出て自由になれたら正直に生きていこうと期待しているかもしれません。 

反省していたらそうはならないでしょう。 

自分が悪いのではない、全て周りが勝手に自分に押しつけている事だ。 

 

であれば控訴の棄却等で、現実を理解させるしかないと思います。 

 

 

・弁護団も仕事だろうがこれを無罪主張はいかがなものかと。全ての凶行に言えるのは心身衰弱やら妄想やら精神鑑定やらで無罪はどうかと。司法は被害者を救うべきで報いを受けさせるよう考え直した方が良い。 

 

 

・はじめに断ると「精神鑑定をなぜするのか」その理由について、自分は知らないし、調べたこともない。 

ただこれだけは言える。殺人の現行犯として証拠を押さえられたのなら、被疑者を死刑にするのは『正しい』。個人の権利が明確に定義づけされ尊重される社会であるなら、殺人は被害者のすべてを踏みにじる行為だし、犯罪と見なされる。 

逆に、殺人犯を生き延びさせ放免するなら、「犯罪と見なしていない」ことになる。何かおかしいだろうか? 

日本で犯罪の遺族が苦しめられるのは、司法機関が『殺人犯を厳罰にしない』から。 

かつてイスラエルでは、故意の殺人に関しては、「金銭で損害賠償などという逃げ」「懲役で処罰」はそもそも認められず、殺人犯は有罪判決受けたら、被害者にいちばん親等の近い男子が、公衆の面前で討った。 

残念ながら日本では、刑法も欠陥あり、過去の判例でしか判断できない人間が、裁定の権限を行使するのだから、最悪だ。 

 

 

・遺族やそれを見守る国民感情からしても納得はいかないけど、全国民を敵に回してでも被告人の罪を軽くするのが弁護士の仕事。まるで反省をしていない被告人が素直に死刑を受け入れるとも思えないし。なので控訴は仕方ないでしょう。取り下げる可能性もあるので、とりあえず2週間は待ってみましょう。 

 

 

・判決に対する青葉被告の気持ちが何らかの形で公開されると分かりやすいのだが。 

控訴は弁護人によるものだが、例え被告が取り下げず控訴が決定したとしても、死刑が不服の控訴かは分からない。弁護人はあくまでも無罪を主張し心身喪失の正常ではない人間の仕業という見立てだが。被告は自らの意思で行った事実も想像を絶する犠牲者を出した事実も理解しており弁護人の言い分とは掛け離れている。ただし被告は京アニに懐いた恨みの根拠は事実に基づき妄想ではないと信じている。裁判での妄想による一方的な怨みという事実認定が一番堪えているだろう。 

 

 

・弁護人はいかに被告人の為と言え36人の命奪った事は事実である以上残された遺族の心情を考えるべきでは無いか。何でもかんでも控訴すれば良いとい言うのは,弁護人の自己満足と思うが、勿論控訴は権利がある以上周りがとやかく言う事では無いが、遺族がこれからも苦しみを最高裁まで抱えていく事を弁護人は考えてもいいのでは無いか 

 

 

・この事件では被告はどうあっても 

死刑は免れないと思う。 

 

これは別の見方をすればどの様に弁護しても 

結果は変わらないという事になるでしょう。 

 

どうやっても結果が変わらない裁判。 

 

穿った見方をすれば弁護人にとって 

これほど「楽な」裁判はない様に思える。 

 

結果が同じになるから、弁護の結果に 

責任を問われる事はまず無いでしょうし 

これだけの重大な事件の弁護を担当した 

という事で、弁護人自身の経歴に、一種の「箔」 

が付くのかもしれない。 

また当然裁判が長引けばそれだけの報酬が入る。 

 

言い過ぎを覚悟の上で言いますが、日本の裁判制度は 

弁護士の為にあるのでは無いかと思ってしまいます。 

 

 

・この事件の判決を死刑以外で確定させたら、 

日本の司法公安は本当に終わると思います。 

 

まず、36人もの命を奪った犯人が死刑にならなかったという前例を作れば、 

模倣犯が出たときにこの判例が基になり量刑が決められてしまいます。 

 

残念ながら前例主義の日本ではそうなります。 

 

その前に、絶対に模倣犯が出ます。 

その抑止力としてもこの事件の判決は死刑でなければなりません。 

 

日本の司法から死刑がなくなれば、 

日本の治安は一気に悪化するでしょう。 

死刑制度は日本の治安維持の最後の砦です。 

 

「死刑になるかもしれない。」 

これが犯罪の抑止力になっている事実もあるはずなので、この事件は絶対に死刑でなければならないのです。 

 

 

 

・医者が被告に裁判を受けさせる為に治療した 

弁護士が被告に2審を受けさせる為に控訴した 

 

一見すると同じように見えるけど 

遺族が受ける感情は果たして同じだろうか? 

 

前者は納得できても後者はキツいんじゃ無い? 

 

法律に関係する連中はもっと遺族に配慮してやれよ 

本人が控訴するなら全責任は本人にあって 

遺族は被告を軽蔑もできるが 

弁護士が被告の意思に関わらず控訴し 

遺族が弁護士を軽蔑するのも法を盾に批判するのは 

法そのものが歪んでるだろう 

 

 

・今後の裁判でも結果が変わらないことを祈る。 

妥当な判決だと思うし、素直に受け入れてほしくもあるが、抗うならその分寿命が延びるとはいえ、変わることのない現実と裁判結果に絶望してもらいたい。 

早く死刑に処されてほしい反面、死ぬだけで済むより苦痛と絶望の生で罪の重さを刻み込んでから救いのない死刑という結末を迎えてほしくもある。 

死刑執行は、受刑者と遺族にとって救いであるか否か。 

 

 

・凶悪犯であっても控訴する権利はあります 

遺族のやっぱりは頂けないですね 

 

さて、控訴したからと高裁で却下される場合があるし、仮に通ったとしたら、遺族は最高裁まで争えばいいです。 もしかしたら高裁の判断を無くして 

一審の死刑を再度言い渡されるかもしれない 

 

とにかく、裁判所の判断には従いましょう 

 

 

・いつも思いますが 

いくら凶悪な犯行で、精神異常もない 

健康な体の犯人でも 

弁護士が就いてくれて 

弁護士もその加害者に弁護するのを見て 

いくら弁護士という仕事でも 

どんな感情で弁護しているのかと思います。 

その加害者に就いた弁護士も 

その加害者によって家族が一生治らない後遺症、 

または亡くなったりしても 

加害者に就いた場合には、同じ様な弁護が出来るのかと思います。 

まず、その様な事案には弁護に就かないでしょうが、いくら仕事で平等に扱うと言っても 

加害者に死刑を望まない事が出来るのかを 

聞いてみたいです。 

私は弁護士でないし、なろうと思っても 

手が届かない職種ですが 

やはりこう言った凶悪犯人には 

死刑しかないだろうと思います。 

 

 

・犯人は今、死にたくない、なんとかして生きて行きたい、と感じているかも知れないが、それ以上に誰に対しても何も罪を犯さず、人々を喜ばせ楽しませようと努力して生き続けてきた大勢の人達の命を奪ったことに間違いはないんだから、その罪を償うようにしないのだろうか、と思う人の方が多い気がする。 

地下鉄サリン事件の犯人らも死刑を受けたのだから、同じように“独断と偏見”による罪なのなら死刑は免れないだろう。 

この期に及んでいざ、自分の目の前に“死刑”という死を突き突きつけられ、どう感じたのか。それを、36人分の人生と照らし合わせてほしい。これら36人の人たちは、忘れないでほしい。家族や大切な人たちに「さよなら」を言うことも「これまでありがとう」とか、言う自由をさえ奪われていきなり死なされ、それも無理やりに死なされたんだと。 

 

 

・裁判を続けて何回も話しているうちに自身の犯した罪に向き合えるのでその方が罪を償うことになると思う。 

極刑は避けられないと思う。あとは本人がどれだけ改心するかだ。被告にも言い分があるのは解る。でもそれが殺人をしていい理由にはならない。殺害した人数だけを見ればとんでもない凶悪犯である。 

 

 

・この国の死刑廃止論者が支持を得にくいのは、「分が悪い」と沈黙するから。 

ご都合主義ではない絶対的死刑廃止論者なら、今回のこの事件とこの被告人に対してでも「死刑にしてはならない」と主張するだろう。つまりこの国の死刑廃止論者は「場に応じて条件に緩急をつけている」と思われても仕方ない、単なるご都合主義者なのだ。「誰がどんな情状酌量の余地などゼロ、事実関係に争うものが毫もない凶悪犯罪を犯したとしても何人たりとも絞首台に送ってはならない」という廃止論者は見たことも聞いたこともない。今回の判決のような時こそ、メディアの前面に出て日頃からの論を主張してほしい。 

 

 

・往生際が悪いように見えますが、公正な司法の場で戦ってる以上、こればかりは被告側の権利を認めるしかありません。 

被告の治療に当たった医師も、弁護士も、決して感情的に被告を擁護しているわけではなく、司法の正当性を守るために、法に則り職務を全うしてるだけです。 

仮に3審とも死刑判決であった場合、開き直ってる青葉被告でも多少なり罪を認識させられるのではないでしょうか? 

 

 

・割と素直な人っぽいよね。そこら辺は小学校を襲ったやつとは違う。 

 

医者にも諭され正直に思ってることを下手に隠さずに隠せずに喋ってるように見えるしな。 

 

だから、素直に弁護士にもう少し頑張りましょうと言われたら、それにも素直なんだと思う。 

おそらく死刑についても受け入れてると想像するけど、そう言われたらそうなるだろうな。そこを争う強さがあったら、少しくらいの妄想になんか負けない。 

 

 

・被害者や被害者遺族の方には申し訳ないが、これは想定されていたこと。 

最高裁までいくのは自明の理。 

時間はかかりますが必ず司法がまともな判断を下すと信じて待ちましょう。 

感情的になるなとは言いませんが感情的で動いてもなにも良いことはありません。 

日本は法治国家であり粛々と公正な裁判で断罪してもらいましょう。 

 

 

 

 
 

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