( 133031 )  2024/01/27 15:37:04  
00

中学校の修学旅行で行われた指導が物議を醸している(写真はイメージです) Photo:PIXTA 

 

 修学旅行中、風呂上がりに水滴がついていないかをチェックするために、教師が生徒の裸を目視検査する指導がある。そんな記事が一部で話題になっている。学校側は指導の正当性を主張しているようだが……。令和の時代になっても教育現場で時代錯誤な指導がなくならないのはなぜなのか。(フリーライター 鎌田和歌) 

 

● 修学旅行中の入浴指導 全裸での目視チェックはアリなのか 

 

 近年、「性的同意」や「性的自己決定権」といった言葉をしばしば目にするようになった。子どもの頃からプライベートゾーンについて教えたり、人と接触する際に相手の意思を確認・尊重したりすることの大切さが、少しずつ教育現場でも広まりつつあるようだ。 

 

 それだけに驚きを持って受け止められたのが、西日本新聞が報じた記事だ。 

 

 「修学旅行の風呂上がり『水滴チェック』あり? 裸の生徒を教員が目視検査…中学校は『必要な指導」』(Yahoo!ニュースへの配信は1月22日/西日本新聞サイト内では有料記事)によれば、福岡都市圏の市立中に通う女子生徒の保護者から寄せられた声が、記事のきっかけ。 

 

 修学旅行中、風呂上がりに教員から裸で万歳をさせられた上で目視による「水滴チェック」が行われ、中学2年生の娘は「気持ち悪かった」と話したという。西日本新聞が学校側に取材すると、それぞれの浴場に同性の教員2人を配置し、入浴指導が行われたそうだ。 

 

 また、これは九州を中心に全国の学校で行われているようであり、「見直す考えはない」「気持ち悪いと感じる子がいるなら、指導の意図が伝わっていないだけではないか」といった教員たちの声が紹介されている。教育現場では、あくまでも共同入浴場での必要な「マナー指導」であるという認識のようだ。 

 

 個人的な印象を先に書くと、まるで刑務所のようだと感じた。特に小中学校では今も管理教育が強い印象があるが、それにしてもこれは子どもの尊厳を傷つける行為ではないか。 

 

 

 また、体を十分に拭く行為を「体が冷えないように」ではなく、まずマナーの問題と捉えることにも違和感がある。水滴がついたまま脱衣所に移動すれば、確かに床が濡れて他人の迷惑になってしまうが、思春期の裸を人に見せたくないといった事情で、早く服を着たい子どももいる。マナーの前に、そもそも子どもが集団行動の中で全裸にならなければならない状況が特殊だと考えた方がよいのではないか。温泉や銭湯での共同入浴は日本の文化とはいえ、それが好きではない人は存在する。 

 

 近年では、スクール水着も表面積が広いものが主流になりつつあることを考えてみても、時代錯誤ではないかという感想を持つ。 

 

● 「意味がわからない」「迷惑をかけないよう必要」 ネット上の意見から見えること 

 

 ネット上での反応を見てみよう。 

 

 【意味がわからないという意見】 

 

 「気持ち悪い」「意味がわからない」「刑務所」「軍隊ばり」「同性でも裸を見られるのは気分悪い」「ブルマ世代だけど、その頃ですらこんなのなかった」「令和の話なの?」「たとえ同性でも先生に裸を見られたくない」「子どもの人権無視」「セクハラ」など。 

 

 【自分たちも経験したという意見】 

 

 「私たちのときもあった」「九州じゃないけど小学校のときにあった」「小中高でチェックあった。嫌だけどそういうものだと思っていた」など。 

 

 ※「九州だけどなかった」という意見もあった 

 

 【他にもルールがあったという意見】 

 

 「修学旅行の風呂時間が短いため、髪の毛を短く切る必要があった」「ドライヤーの使用も禁止だった」など。 

 

 【理解を示す意見】 

 

 「施設側に迷惑をかけないよう必要なもの」「脱衣所に水滴ついたまま出て床を濡らす人が多いのも事実」「口で教えるだけじゃわからない子がいる」など。 

 

 ざっと見る限りでは、「湯船にタオルを入れないなどの入浴指導の必要性はあるものの、目視チェックはやりすぎでは」という反応が多いように見えた。一方で、「口頭で教えるだけでは伝わらないし、大人でもマナーを守らない人がいるからこそ指導が必要だ」という反応もあった。 

 

 しかし、これも個人的な意見となるが、マナーを守れない人への「懲罰」を前提としているような全体への指導は、やはり違和感がある。脱衣所を濡らしてしまったら、服を着てから自分たちで清掃する、ではダメなのだろうか。 

 

 様々な児童・生徒がいる教育現場で、これが合理的な指導とされるに至る経緯があったのかもしれないが、それにしても納得しづらい。大人がされて嫌なことを子どもになら仕方ない、とする風潮は、そろそろ変えていかなければいけないのではないか 

 

● 令和になっても繰り返し話題になる おかしな校則や指導、今後は? 

 

 教育現場でのおかしな校則は、ここ10年ほどの間にも繰り返し話題になっている。 

 

 スカートの丈や髪型の指定は定番だが、寒い時期でもコートやマフラー、タイツなどの着用が認められていなかったり、下着の色の確認まで行ったり……といったケースは「人権侵害では」という声がある。 

 

 【参考】 

「ブラック校則」で下着の色を男性教師が確認、防寒着NG…ひどすぎる実態」(2022年5月11日、ダイヤモンドオンライン/岩瀬めぐみ) 

https://diamond.jp/articles/-/302250 

 

 

 この記事では、女子のポニーテール禁止の理由として「うなじがセクシーで男子を誘惑するのでダメだと言われた」という例が紹介されている。さすがに極端なケースではないかと思いたいが、とはいえ校則の多くが「集団の中で風紀を乱さないように」といった理由であることを考えると、案外少なくないのかもしれない。 

 

 中には生徒が声を上げたことにより校則を変えたケースも報道されているが、そのような変化が見られつつあっただけに、「水滴チェック」が一部で残っている様子であることに改めて驚く。 

 

 1980年代、90年代には「校内暴力」といえば荒れた生徒による教師への暴力のことで、教師から生徒への体罰は問題視されてこなかった。ドラマの中で教師が生徒を順にビンタするシーンが「名場面」として放映されていたし、今の40代以上は児童・生徒への体罰が当然のことだった時代を過ごしている。親たちも「子どもを先生に躾けてもらうのはありがたい」と思っていた時代だ。 

 

 今でも特に部活動で行き過ぎた指導(体罰)は見られるとはいえ、昔よりは体罰に対する世間の目が厳しくなった。大人を指導する目的で殴ったら犯罪なのだから、子どもに対してだって同様であろうという意識に徐々に社会が移行しつつある。 

 

● 文科省も腰を上げた 問われる教育現場での「生徒の尊厳」 

 

 冒頭で述べた通り、近年では「性的同意」や「性的自己決定権」への意識が高まり、学校で行う性教育が改めて見直されつつある。 

 

 たとえば、学校で行われる健康診断では、脱衣して並ばせる習慣があったが、今月、文科省が原則として着衣のまま検査を受けてOKとするように通知を出した。 

 

 【参考】 

「学校の健康診断、検査に支障なければ原則『着衣OK』文科省が通知」(2024年1月22日/朝日新聞) 

https://digital.asahi.com/articles/ASS1Q66GCS1QUTIL011.html 

 

 これについては、上半身裸での検査に疑問の声が上がった際、「集団検診での時短のためにはやむを得ない」とか、「正確な検査のためには必要だ」といった声があったと記憶している。しかし通知が出たということは、着衣のままでも基本的に検査は可能であると判断されたのだろう。 

 

 今後も、教育現場での指導はなるべく児童・生徒の尊厳を守る方向に改善していってほしい。それぞれの尊厳が守られて初めて、他者との相互理解も進むのではないか。 

 

鎌田和歌 

 

 

 
 

IMAGE