( 133403 )  2024/01/28 20:09:57  
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モデル・インフルエンサーとして活躍する蒼川愛さん ©石川啓次/文藝春秋 

 

 恋愛リアリティ番組『バチェラー・ジャパン』シーズン1に参加し、2023年10月に初の著書『 蒼川愛という生き方。 』(フローラル出版)を上梓した蒼川愛さん(29)。現在は1児の母として子育てをしながら、モデル・インフルエンサーとして活動している。 

 

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 蒼川さんは学生時代、過度なダイエットで拒食症になったことがあるという。なぜ彼女は、そこまで自分を追い詰めてしまったのか。自己肯定感が低かった幼少期、ダイエットを始めたきっかけ、拒食症になるまでの経緯などを聞いた。(全2回の1回目/ 2回目 に続く) 

 

◆◆◆ 

 

――蒼川さんはどのような幼少期を送られたのでしょうか。 

 

蒼川愛さん(以下、蒼川) 母親が地元の島根で教員をしていたので、私自身も島根で生まれ育ったんです。でも父親が転々と単身赴任をしていて、一緒に住んだことがなくて。だからずっと、母と私の2人暮らしでした。 

 

 父と会う機会というと、年に何回か旅行先で会ったり、海外に一緒に行ったりだったんですが、それも現地集合・現地解散みたいな感じで。だから不思議な関係の家族ではありますね。 

 

――お父さんとはどのようなご関係ですか。 

 

蒼川 いまだに少し人見知りしてしまいますね。最近は割とタメ口で話せるようになりましたが、以前は敬語で「お父さん、元気ですか」みたいな。父も私に敬語でしたし。でも仲が悪いというわけではなく、それが普通でしたね。 

 

――蒼川さんは幼少期、どのような子どもでしたか? 

 

蒼川 恥ずかしがり屋で、人前に出るのが苦手でした。特に初めての場に出るときとか、ピアノのコンクール、合唱コンクールとかはガチガチに緊張しちゃって。 

 

 私、自分のことをあまり好きになれなかったタイプなんですね。それが始まったのは小学校の頃だったかな。地元の合唱団に入っていたんですが、そこでずば抜けてなんでもできる子がいたんです。その子とは同じ学校でもあったんですけど、何かとその子と自分を比べてしまうようになって。 

 

――成長してからもそういう風に誰かと自分を比べてしまいましたか。 

 

 

蒼川 そうですね、それこそ中学生くらいになると容姿や体型を気にするようになって。容姿のコンプレックスを抱えるようになったきっかけは、同級生の男の子から「デブ」と言われてしまったことです。 

 

 今考えると、当時、特別太っていたわけではなく、体重55kgくらいの普通の体型だったのですが。思い当たる節と言いますか、毎日紙パックのココアを飲んでいたりとか、甘いものを日常的に摂取していたこともあって、「体重が増えてしまったのかもしれない」と思うようになりました。 

 

――55kgだと平均体重くらいですが、意識してしまうようになりますよね。 

 

蒼川 はい、一気に自分を客観的に見てしまったというか「あ、私ってデブなんだ」と思ってしまって。それからダイエットを決意して、母に協力してもらいながらご飯を少なめにするとか、揚げ物はノンフライヤーを使って作ってもらったり、基本はお鍋で蒸し野菜を食べるようにしたり。 

 

 最初はそんな感じでヘルシーなダイエットだったんですけど、だんだん行き過ぎて制限に制限を重ねるようになっていったんです。食べたものをカロリー手帳に書いて「1日に何カロリーしか食べちゃダメ」と数字で管理をしていると、割とそうなりやすいらしいんですが。 

 

――ダイエットを始めたのはいつごろからですか。 

 

蒼川 中学2年生だったと思います。それから徐々にエスカレートして拒食症になり、高校1年生の夏前くらいに入院することになりました。 

 

――拒食症になった当時、どういった変化がありましたか。 

 

蒼川 身長163cmで体重が38kgくらいしかなく、身体が骨と皮だけのガリガリになってしまって、生理が来なくなりましたね。適正体重を下回った頃から来なくなって、7年くらい止まっていました。入院する前には街ですれ違った人から「細っ」と言われるくらい痩せていました。 

 

 でも、自分が病的に痩せていることに気付けていなかったので「ちゃんと成果が出ているんだな」と嬉しい反面、「まだ全然太いからもっと細くならなきゃ」と思ってしまって。 

 

 最初のうちは「40kgを切ったらヤバい」というリミッターみたいなものが自分の中にあったんですが、その40kgを下回ってからが「もっと、もっと」とストイックになっていっちゃって……。 

 

――周りは、痩せていく蒼川さんを見てどのような反応でしたか。 

 

蒼川 母はずっと心配してくれていました。「大丈夫? 心配だわ」という感じで。周りからも「ちゃんと食べてる?」と心配されるようになりました。 

 

 

――入院するに至ったのは、お母さんから病院に行ってみるよう勧められたからでしょうか。 

 

蒼川 そうだったと思います、その頃にはもう限界だったので。「いつまでこういった生活を続ければいいんだろう」というか「誰かに終わらせてほしい」というか、そんな感じでしたね。 

 

――入院中は、どういった生活をしていましたか。 

 

蒼川 精神病棟に入院していたんですが、入院後すぐ、目標体重を決められました。当時は38kgだったので、46kgになったら退院できることになって。 

 

 行動制限療法という治療なのですが、「食事は1日何キロカロリー」というのが決まっていて、食事内容は決められていましたし、行動も制限されていました。 

 

 個室だったので部屋にはトイレがあったのですが、食事を吐くことを防止するためにガムテープで塞がれていて。実際に使うことができなくなっていました。それは衝撃的でしたね。 

 

――ではお手洗いは、共用のトイレを使用していたのですか。 

 

蒼川 そうですね。看護師さんに「今からトイレに行きます」と報告して同行してもらって、吐かないかどうかすぐそばで見守られながら……。 

 

 そういう生活が続いたこともしんどかったのですが、精神病棟なので、夜中になると患者さんが声をあげながら廊下を歩いていたりする環境に、当時の私は適応することができませんでした。「早く退院したい」という気持ちが強まり、目標体重に届く前に、2週間くらいで退院させてもらうことになりました。 

 

――退院したとき、体重は何キロくらいまで戻っていましたか。 

 

蒼川 40kgか、41kgくらいだったと思います。早く退院したかったので、母がサンドイッチを作ってきてくれたりしたときには、これ見よがしに食べて「ちゃんと食べられるから、退院できるから」というのをアピールしてましたね。与えられるものはひたすら食べる、という。 

 

――拒食症の症状が落ち着いたのは、それくらいからですか。 

 

蒼川 そうですね、退院してからはまず「もう入院はしたくない」というモチベーションがあったのと、あとは勉強に打ち込むことで食欲をコントロールできるようになりました。私の場合、拒食症を根本から治療していたわけではなかったと思うので、衝動みたいなものがなくなることはなくて。勉強をストイックにやることで、ごまかしながら共存するようにしていましたね。 

 

 そのとき勉強をがんばったおかげで指定校推薦で大学に進学できましたが、それからまた拒食と過食を結構くりかえしてしまって。なので結局、摂食障害は中学2年生から始まって、大学2年か3年生くらいまで続きました。 

 

撮影=石川啓次/文藝春秋 

 

『バチェラー』参加後に誹謗中傷で激ヤセ→突然の妊娠発覚→シングルマザーに…モデル・蒼川愛(29)が振り返る“激動の日々” へ続く 

 

吉川 ばんび 

 

 

 
 

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