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「よく言った」『朝生』“最大のタブー”「番組がおもしろくないのは人の話をさえぎるから」音喜多駿氏のツッコミに賛同

SmartFLASH 1/28(日) 14:50 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/fa3a086e17b9fda71194115ec916e2a65834e5c3

 

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日本維新の会・音喜多駿参院議員がテレビ番組『朝まで生テレビ!』で、若者が政治に興味を持たない理由についてコメントし、その発言が話題となっている。

音喜多氏は番組が「おもしろくない」と指摘し、司会の田原氏と意見が対立。

SNSでは音喜多氏に賛同する声が多く挙がった。

音喜多氏は番組後に自身のSNSで出演について説明し、田原氏に敬意を表した。

田原氏の番組での振る舞いには批判もあるようだ。

(要約)

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 1月26日深夜に放送された『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)に出演した、日本維新の会・音喜多駿参院議員の発言が注目を集めている。 

 

【写真】至るところに資料が積まれ、勉強家であることを雄弁に物語る書斎。しかし希代のジャーナリストも、年には勝てないのかもしれない 

 

 それは番組終盤、「若者はなぜ政治に興味を持たないか」が話題となったときだった。司会の田原総一朗氏に話を振られた音喜多氏は「それは、政治の話がおもしろくないからですよ」と話し始めた。続けて 

 

「たとえば、この番組はおもしろくないんですよ。10代、20代が観ておもしろいと思うか。それは、みんな話をさえぎるからですよ。みんな、人の話を聞かないで、怒鳴り合って、ワーワーやってる」 

 

 と、持論を展開。ここで田原氏が「まったく違うと思う!」と割り込むと「いやいや、そうだと思いますよ」と反論。さらに 

 

「怖いわけですよ。ワーワーやって、(机を)バーンとやってるのが。もっとフレンドリーにいかないと。田原さん、思いがあるのはわかるんですけど、やっぱり人の話を最後まで聞くとか、丁寧に対応するとか、政治の世界にはないわけですよ。この番組にもないわけですよ」 

 

 と主張した。これに対し、SNSでは 

 

《音喜多さんよく言った 田原総一朗は自分が都合悪いと人の話し横切るだけ 他局で映画でも放送されてたら、こんな番組なんて見ないよ》 

 

《音喜多議員も色々言われてる人だけど、これに関しては、よくぞ言ったなw》 

 

《音喜多駿氏をまったく支持していませんが、田原氏が話をさえぎって話すから番組が楽しくないという意見は同意します》 

 

《てかなんで音喜多なんかが言う前に誰も言わない? まああんな番組もう見る価値ないから見ないに限るよ》 

 

 など、音喜多氏の発言に賛同する意見が多数みられた。 

 

 番組終了直後の27日朝7時過ぎ、音喜多氏は自身のXを更新。「-ついに出禁か?!『朝まで生テレビ』最大のタブーに突っ込んでみた-」と題して 

 

《「朝生」というのはそういう番組だとわかってはいるのですが、肝心なところでカットインが続いてなかなか大事な話を続けさせてもらえず。4時くらいまで頑張ってはみたものの、フラストレーションも頂点に達し、さすがに思いました。これはアカンと。限界だと》 

 

 と、“最大のタブー”にふれた経緯を説明。 

 

《もちろんバランスの問題で、相手の発言を制圧しあうほど喧々諤々の激論を見せるのがときに大事なこともあるでしょう。でも、最初から最後までそういう罵りあいの討論じゃ、若い人が興味を持つなんて難しいですよね。 

 

 と、言いたいことを言わせてもらい、たいへん失礼いたしました。しかしながら、出演者の方々の意見は大変勉強になりました。また、そんな発言をした若輩者に笑顔で対応してくださる田原総一朗さんの懐の深さに、改めて敬意を表します》 

 

 とつづった。 

 

「田原氏は現在89歳。『朝生』では1987年の放送開始以来、ずっと司会を続けています。番組の激論スタイルで人気を博しましたが、近年は田原氏の“暴走”が目立ち、批判も多い。2022年末の放送では、たかまつなな氏の発言をさえぎり『だったら、日本から出て行け!この国に絶望的だったら出てきゃいい』と声を荒らげ、大炎上。2023年10月には国民民主党の玉木雄一郎代表の発言中に『うるさい! 黙れ!』とブキ切れ、話題となりました」(週刊誌記者) 

 

「激論」と「言い争い」を、はき違えてはいないだろうか――。 

 

 

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田原総一郎を中心にしたテレビ朝日の討論番組『朝まる』に対する視聴者の意見や批判が多くありました。

主な指摘点としては以下のような内容が挙げられました。

 

 

1. 若者を相手にする場合、テーブルを叩くなどの過剰な行動で威圧的になることがあり、若い世代との意思疎通が難しい。

 

2. 過剰な自己主張や意見の遮断が目立ち、議論の本質が欠ける番組内容となっている。

 

3. 時代に合わない司会者の姿勢や振る舞いが指摘され、番組全体の更新が望まれる。

 

4. 議論番組においても、他者の意見を聞くことや相手を尊重することが大切であり、司会者の役割としても重要視されている。

 

5. 過去の出演者や司会者との比較が行われ、番組の質や進行の変化について不満が表明された。

 

6. 若者目線や現代的な視点から見た場合、番組の内容や司会者の対応が古いと感じられている。

 

7. 司会者による意見の押し付けや議論の乱れが指摘され、番組の在り方に対する疑問が示された。

 

 

視聴者からの声には、田原総一郎の司会ぶりや番組内容に対する批判が多く含まれており、番組の古臭さや議論の質の低下、司会者の対応に関する不満が明確に表れています。

(まとめ)

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・昨年かな?若い方を主体にした朝生の回が有って、同様にテーブルを叩く等の行為で田原さんが威圧的過ぎると指摘されていた。 

田原さんの最大の悪い所は、自身の経験・得ている情報を絶対視して、そのそれ等と食い違う意見が出ると真っ向否定する。 

でも、相手だって経験が有って取得した情報も有る訳だから、その違いを議論するのが本来の番組の根幹な気がする。 

 

 

・若い世代って相手と意思を疎通し合う時に、メール等を使って文字でやり取りしてきたもんね。文字でやり取りする場合、自分の話を遮られることなく、最後まで伝えられる。そうやって会話をキャッチボールする方が慣れているのではないかな。 

一方で電話での会話は苦手だということをよく聞く。さすがに対面しての会話が苦手というのはあまり耳にしないが、ただ会話に関しても彼らの世代なりの暗黙のルールやテンポみたいなものは存在するのだと思う。 

自分は50代だから仕事でもつい電話を多用してしまうけど、最近はできるだけ電話したい衝動を抑えて、「文字」で連絡取るようにしている。 

 

 

・初めて全国放送した回だと思うけど大晦日深夜にこの番組を見たときは衝撃的だった。その数年前にニュースステーションが始まりニュースショーが民放で芽吹いた時期であり日本の夜明けを感じたのだが、そこから失われた30年になるとは全く思わなかった。 

当時は猛獣使いと言われた田原さんだったけど今は耄碌しちゃって癇癪持ちだしもうとっくに潮時だよね。年取ると自分のことが見えなくなるんだな。教訓にしよ。 

 

 

・シンプルにその通りなのだろうと思う。小学校の学級会でもこんなではない。遮る、遮る、が続いたら、結局何の話なのか分からない。だから面白くないのは当然。特に日本語は結論が最後なので、ちゃんと聞いていないと肯定なのか否定なのかも分からなくなってしまう。割って入った本人も、相手が何を言おうとしていたのか本当に分かって反論しないと反論にならないじゃないかと呆れてくる。そんなことが繰り返されたらただの騒音。 

 

あと、意見より、事実が知りたいのだ。 

誰が何を考えているということはもちろん大事だが、それも事実に基づいた話であればこそ。 

能力がないのかわざとなのか、意見と事実をごちゃまぜにしたり、証拠がないことを声高に叫んだりして、しかも割り込みばかりだったら、そりゃ面白くない。 

 

 

・朝生の初期の頃は自分が出演者の中で一番年上でもなかったということもあるのか、猛獣・珍獣たちをバランスよく指名しつつ、乗っかるべきところは乗っかり斬り捨てるべきところは斬り捨てたりと上手く番組を回していた印象だけど、今や自分が一番高齢で、また加齢故なのかただ徒に(自分よりは)若い者の意見を遮るだけの厄介な猛獣になり果てている。そういう所を振り返る冷静さはもはや期待できないのかな。 

 

 

・ときどき田原さんはもごもごと何を言っているのかわからないことがあります。番組スタッフと何か利害関係があって続けているのかもしれませんが、そろそろ新しい司会者に交代したほうが良いと思います。 

 

 

・昔はこの番組には勢いというか、力があった。舛添や菅直人など、政治家の登竜門みたいなところがあり、麻原とか大川隆法なども登場、沖縄の米軍基地問題とか、この番組で決着をつけようという?現地中継の討論をやっていて、あの頃の田原総一郎は気配りあり、頭もキレていた。保守派の西部邁や綺麗事な正義、大島渚、右翼なニーチェ研究者、西尾幹二、デーブスペクター、銀行出身の若林さんとか気の強い金美齢、個性豊かでしたね。あれを観ていた若者の視聴者もいい年になって、田原さんがまだ司会をやっていること自体、凄いことだと思いますね、年寄りは怒りっぽく、同じことを繰り返し易くなるんで、多めにみてあげましょう! 

 

 

・私が大学生だった30年前、この番組は同級生も見ていた、つまり若者の番組だった。 

舛添要一、栗本慎一郎、政治家になる前の高市早苗や福島瑞穂といった論客もいて、天皇制とか、同和問題とか、タブーにも切り込んでいた。 

白熱した議論が面白かったし、田原総一郎も高圧的な自説を押し付けるというよりも論客を捌いていたと思う。 

それもいわば、昭和的な熱量で、今はそんなやり方では無理。 

司会者を変えるのはもちろんだが、大学生が注目するやり方を考えたほうがいい。 

 

 

・次回、音喜多が出るかどうかは分からないが、田原総一朗が話を遮ったり机を叩いたり(個人的には)人を指差したりした時に誰かが(田原さんそういうところなんですよ)って言ったら面白くなると思うんだけどね。ましてや人に話を振っておいて「違う」だの話に割り込むのだけはやめてもらいたい。 

 

 

・人の話をきちんと聞くことが出来る人が政治をやってたら、こんな日本には成っていないです。宮根さんも似ているが、じぶんが発言するとき、相手の発言を遮って発言するので、司会者の欲しい回答だけを選っているように思える。でも、政治討論番組は、発言が次の国会などに用いられる訳では無いので、どれだけ長時間議論しようとも、微塵も法律や政策に影響しないから、面白くないのだと感じます。 

 

 

 

・自分は高校生だけど、中学生の頃から録画するほど大好きな番組。個人的にはあの大人たちの白熱する議論っていうのが昭和感があって好きだけど、確かにこの番組では田原さんがいきなり声を荒げたり、今週金曜日の放送でも他の論者が話している際にも「それは違う!」と話を遮ってたし、よく修羅場と化す時が多いように思う。 

見る人が少ないのは単に番組が深夜帯だからとかってよりも、田原さんの雰囲気が少しでも変われば番組も少しは変わるのかなと思う 

 

 

・若い人たちは知らないでしょうけど、朝生初期メンバーの映画監督大島渚さんが出演中に熱くなっておもわず放った伝説の「バカヤロー」発言。 

これがその後の朝生の方向性を決定づけた出来事になったんだと思っています。 

学級委員会的な討論番組しか目にしてこなかった当時の視聴者にとっては衝撃的なハプニングでした。半面、世間の耳目を集めて大いに話題になりました。視聴率もずいぶんとれたでしょう。 

「よっしゃ、数字をとるためにはこれでいこう」 

スタッフも田原さんもそう確信して、以来、プロレス的な芸風での司会を続けられているんだと思います。 

 

 

・まぁ出てるメンツも似たような人ばかりだし、究極のマンネリだよね。 

たまに「暴力的なほど全ての人の意見にくってかかる人」が出るけど、彼なんかはマンネリ打破のために、カンフル剤として出しているのだろうか。 

田原総一朗の「聞き直し」も非常に気になる。 

相手に2回言わすためにわざと聞き直してるのか、それとも本当に聞こえてないのか。 

今時、田原にちゃんと聞かせようと思ったら、専用スピーカーを彼の前に置くとか、いくらでも方法があるはず。それでもスタッフは用意しないのは、何か意図があるのだろうか。しょっちゅう聞き直すから、あれだけで観る気をなくす。 

田原総一朗の仕切りが無茶苦茶になってきているので、話があちこち飛ぶし、 

秩序のない話し合いほど観てて辛いものはない。 

 

 

・すっごい昔、野坂昭如が出てたころは、政治討論バラエティとして面白い部分もあった。 

眠気を誘うような時間になると、野坂がわけわからんことで怒鳴って目が冷めて笑えて…って感じ。 

今(と言っても10年くらい前が最後だけで)は変な論破をしたいんか、真面目な話をつまんねぇ理屈語って、それが終わる前に田原が止めて、さらにワケワカラン奴が変なこと言う。 

真面目に、本気で耳を傾けたとしても、全部の放送を見たところで記憶に残る話がない。 

こたつ記事にすら取り上げられないほど、話のまとまりが無いだろ? 

ずいぶん久しぶりに朝生の話題を目にした。 

 

 

・私も番組観させ頂きました。 

午前0時起床、勘違いで、1時30分の番組開始でしたが。 

たしかに、田原さんは皆さんなに、 

これについてどう思う? と質問され 

指名された方が、意見を述べている最中に 

自身の意に沿わない場合、それは違うとか、そうではないとか、同じ質問を繰り返したり、質問した相手の意見を遮って自己主張したり、他の方に振ったりとか、発言されている方に対して大変失礼な振る舞いで、見苦しかったと思います。 

大重鎮だから、忖度あると思いますが時代の変化を感じます。 

ただ、次は東京地検特捜部の方を呼ばれるとお約束されていましたので、裏金問題に対しての捜査と処分について、是非とも詳しくご質問ください。 

楽しみにしています。 

 

 

・遮るから面白くないというのは違うけれど、司会者を罵倒するという「タブー」に挑戦したという点は高く評価できます。そもそもこの番組の売りは「タブーに切り込む」ですから。 

 

MCに関して番組が面白くならないのは、ぶった切り方の問題でしょう。ぶった切ることそのものが悪いわけではない。つまらない意見を延々と述べる人もいるので、そういうのはぶった切ってくれなければ、面白くないのです。逆に、議論が噛み合ってきたところでぶった切られては、「邪魔をするな」ということになる。その絶妙なセンスが、かつてはまずます保たれていたのだろうと思いますが、近年は失われてきているということかと。司会者の思考が偏りすぎて、視聴者の思考にフィットしなくなっているか、もしくは回転が悪くて議論についていけていないか。そういうことだと思います。 

 

 

・今の若者から敬遠されている事は少なからずあると思います。その世代から見たらお爺ちゃんお婆ちゃんが喧嘩している姿などスルーしたくなるでしょうね。一方で政治家の本音も世代別有権者数を考えた場合、若者より高齢者でしょうから先の日本は後々今より住みにくく税金大国になる可能性も秘めているようにも思えます。優秀な若者はどんどん日本から離れる選択をするでしょう。人口減少確定している日本。国会議員数も極端ですが半分でもいい未来が待っていると思います。 

 

 

・90年代前後は面白い番組だった。 

 

政治改革論議の主役は石破さんだった。 

当時から言っていることは正しいけれど回りくどい言い方は現在と同じ。 

そして論議の中心は、汚職撲滅ではなくて選挙制度改革(小選挙区導入)だった。 

 

オウム対幸福の科学も興味深かった。 

私見では軍配はオウムだった。 

 

デーブ・スペクターが右翼の野村氏の前で「皇太子(現上皇)は鹿馬ですね」と言った時、野村氏の顔面の変化がすごかった。 

田原さんが、すかさず「日本人には絶対言えないですが、デーブは米国人ですから」とかばっていた。 

 

大島渚監督や野坂昭如もユニークな視点の論客だった。 

 

5~6年、毎月見ていたが、全部ビデオに撮ってCMカットして昼間見ていた。 

 

 

・この番組は何度も見ています。 

田原さんがどういうつもりでやってるかは分かりませんが、観てる方からすると議論を交わしてお互いヒートアップしていく様を楽しむ番組なのかな?と思っています。 

内容は政治的な事を扱っていますが、結局声の大きい人が勝つだけで毎回番組としての結論も何もありませんし、観ていて政治的な知識が身につく訳でもない。 

今で言うとブレイキングダウン的なガチンコ感を楽しむ番組だったのかな。 

それを演出するのにすぐに大声を出す田原さんはうってつけのタレントだったと。 

 

日本の世間は何かと、眉間に皺を寄せて感情的になる事が真面目で真剣だという風潮が強いですが、若者の方が冷静で、だんだんそうではなくなってきている。 

良いことだと思います。 

 

 

・昔、寝落ちしてそのまま点いてた時に少し見たが、確かに自分が気に入らない意見を遮り、また他の人の考えを理解しようとせず(まだ理解してここが自分と違うとか、間違いを指摘するとかならいいが)、自分以外の意見は全て否定する感じだった。 

人の意見を聞かず喚き散らし、柔軟な思考が出来ない人なのだなとの印象を持ちました。 

 

結果、番組としての「この問題の結論はこうなりました」的なものもなく、「なんなんだ」と思った記憶があります。 

 

 

 

・政治課題やそれに関する物事に対して色々な解釈と提言があるということを認識するのにはまぁまぁ良い番組なのかなと。 

それらによって何らかの意見や方針を取りまとめるような番組ではないしそんな意図は無いだろうし。 

それからすると番組として司会者としてもう少しまともに意見の交通整理は要るのかと思うな。 

 

 

・十年近く前に見た映画でヒトラー最後の12日間という作品があって、いまの田原はあの作品に出てたブルーノ・ガンツ演じるヒトラーに近い状態だとは思った。誰の助言も受け入れず机を叩いてしわがれた大声を出す…番組を見てその映画を思い出したんです。 

 

 

・人の話を最後まで聞くことは素晴らしいことだと思います。しかし、テレビ討論でそれを厳格に守りすぎると、「A氏が発言を始めたので、その発言が終わってから発言しようとした。しかし、A氏の発言が終わる頃にB氏が話し始めた。B氏の話が終わったので、自分が話し始めたら、すぐにC氏が割り込んできたので話すのをやめた。C氏に反論しようと構えて聞いていたら、C氏の話の終わりかけでD氏が話をかぶせてきてまた話せなかった。」というようなことがありそうな気がします。 

実際の会議や懇親会等では、他人の話を絶対に遮らないようにすると、自分が話すチャンスが減ってしまうこともあるように思います。 

 

 

・生で見ていた人間からすると、少し違う印象。確か、音喜多さんが「若い人にとって、この番組は面白くない」って言った時に田原さんが逆ギレせず、ある意味冷静に、「なんで面白くないんだ」って聞いた結果、多少の間があって「人の話を遮るから」というやりとり。 

若者を集めて田原カフェを定期的に開くほど、若者の意見の大切さを分かっている田原さんは、音喜多さんに対し、冷静に若者がみない理由を聞いたのに、人の話を遮るからと答えられ、本質を回答してないと感じて、「違う」と言ったのだと思う。 

どちらが正しいとかではなく、あくまで生で見ていた人間(30代)の感想です。 

 

 

・討論番組を観ていてもそうですね。多くの政治家が人の話の上から被せる。後は、コメンテーターに呼ばれている人の中にもいますね。某大学の某国の女史。観ていてまぁ見苦しい。討論番組でさえ人の話を聞かない連中に国民の声なんて届かない。 

いっその事各年代毎に裁判員制度みたいに無作為で抽選して選んだほうが良いとさえ思えてくる。 

 

 

・見てました、ひやひやしながら。 

さすがの 御大も もうあまり呂律が 回らなくなり、見ていて、反応速度もかなり遅いのに、人の話を途中で遮る時だけは、とても強引でパワフルな事この上なかったです。同じ質問の回数も少しくどかったような気がします。 

この御大の代わりを務められる人物など思い浮かびませんし、 かと言って 妙に優しく笑顔でニコニコされても気色悪いですし、難しい所ですね。 本人が自身で 進退を決するのが一番理想的ですが、自制が効かなくなった際 一体誰が引導を渡すのか、関係者も頭を悩ませているのではないでしょうか? 

(杞憂だったら本当にごめんなさい。生テレビ草創期からずっとこの方のど迫力を何十年も堪能させてもらってきたものですから…) 

 

 

・地上波故に制約だらけで双方の主張が半分以下となり更に田原氏が口を挟み遮り強引に黙れせたり途中で次と飛ばすので、衛星波で田原氏が居ない討論番組を観てます。同じテーマでも質が全く違い双方の主張が伝わり理解出来るのです。残念ながら田原氏の役目は終り進行役を変え討論内容と出演議員、識者もリセットするべき時代です。田原氏のままではせっかく招いた議員、識者も気の毒ですよ。 

 

 

・大島渚さんと野坂昭如さんが元気だった頃の朝生は面白かったなぁ。 

そもそもこの番組は問題提起しても解決が目的ではなく、コメンテーターの持論のぶつけ合いが見せ場になっている。 

だが、それ一辺倒で続けるにはもう何年も前からしんどさは見えていた。 

テレビタックルにしても、もう国民は持論をごちゃごちゃ言うより問題に対して明確な答を出して実施をすぐさまして欲しい生活を強いられています。 

音喜多さんの言ってる事はその時の出演者に対してというよりも、番組の在り方自体の言葉かと思います。 

今はこの手の番組の必要性は無いんじゃないかな。 

 

 

・番組録画で観ましたが、音喜多氏は早口で遮らないと喋り続けていたと思います。この番組の良さは声の大きな人の意見がまかり通らない所だと思っています。司会者が遮らなくなったら、大声や早口でまくし立てる人の意見ばかりがまかり通る様になってしまうと思います。よく観ていると田原氏は政治家に事前に取材していて、憶測で発言した人に対して「ちがう」と遮る場面がよくあります。番組が面白くないのは、参加者が昔に比べてイマイチなのと、昔の様にスタジオに一般の人を入れなくなったからだと思います。昔は一般の学生と参加者の論争もあって、見応えがありました。 

 

 

・Aが話しているとBが話を妨げ、それをCが更に横槍入れるから、結局Aの話が聞けない。 

田原氏も高齢でゴモゴモ何を言っているのか聞き取れない。どんどんフラストレーションが溜まる。単純に見辛いんだよ。 

生放送で編集出来ないから司会者が整理しないと。それが田原氏の役割だと思うが、この人はこの人で自分の主張を言ってるだけだからカオスになる。 

こういう討論番組があっても良いと思うが、刷新は必要だと思う。 

 

 

 

・元々、暴力がペンと同等の力で支配していた昭和の時代に始まった番組です。 

 

昭和一桁の人たちが、暴力的な迫力をバックに、それでいてロジカルな 

言論展開を行うので昭和や平成初頭の学生中心にウケていた。 

野坂昭如、大島渚、小田実なんかがその筆頭です。 

そこに、指をこねこねシながらアカデミズムの代表的な西部邁や舛添要一が参戦して猛烈に面白いコンテンツになった。あの頃は僕も毎月楽しみにしてましたよ。 

今は駄目ですね。時代に全く合わない。田原総一朗さんも老いた。 

 

一定の文化的財産を作ったということで、もう終わりにすべきなんでは? 

 

 

・田原さんは、司会ではなく討論者の一人として出演したらいいと思う。 

「討論番組の司会」とは、パネラー達の意見を引き出したり調整したりして、番組を主旨に沿って進行するのが役目であって、司会自身が討論者の意見を遮って自身の意見を述べだしたら番組が成立しない。田原さんも一応「今日は〇〇さんに是非これを聞きたい!」とは冒頭に言うんだけど、いざ番組が始まるとそれもどこへやら、結局は田原さん自身の持論を展開し出す。 

あの時の放送見てたけど、維新支持でないが「音喜多氏よく言った!」と思った。しかし田原さんが「そうは思わない」と返した時はがっかりした。やはり自覚していないんだと。 

私は田原さんが嫌いな訳ではないし、これまで長年報道番組に貢献してきた実績は大と思うけど、もはや司会には向かなくなったのは間違いない。司会者はテレ朝が別の人を就任させ、田原さんはパネラーの一人として出演されたらいいと思います。 

 

 

・私もこの番組好きでしたが見なくなったのは田原氏の司会が自分の思う結論に誘うように誘導しようとして自分の思う意見に対しては最後までしゃべらせるけど、自分と違う意見には「ちょっと待って!」と直ぐに発言を遮って議論を打ち切ってしまうから。 

 

司会者が出しゃばってうまく仕切れないと議論番組は成り立たないと思います。 

 

 

・音喜多氏の話も一理あるが、そもそもこの番組は話を遮らなかったら、延々と自論を述べる方々ばかりの出演とお見受けします。だから、番組を面白くさせるには「議論の最低ルールを決めて」、喧々諤々議論にはツッコミや遮りもあると思います。ただ、89歳の経験豊富なジャーナリストでもMCで仕切りを任せるにはちょっと難しいですね。 

 

 

・テレビは公共のものであり、国民に公平に情報を流し真意を問うものであると思います。司会者は私見に対して反論があればとりあげず。自分に賛同する者ばかり取り上げ片寄っている。冷静、公平にとらえるようにすることが必要と思います。 

 

 

・「朝生」を視聴しなくなって10年は経過します。視なくなった原因は田原総一郎の司会と、責任を取らない言いっ放しの発言が散見されるようになったからです。 

討論では無く怒鳴り合いばかりで議論になりません。しかも田原総一郎の想定した展開にならないと無理矢理展開を変えてしまう。 

番組制作の責任者が田原総一郎のままなのかもしれませんが、それにしても著しく公平性の欠いた番組構成です。 

呂律が回らず会話のレスポンスが遅いのですから、既に生放送の討論番組に対応出来る能力はありません。 

恥の上塗りにしかなりませんから、早く引退して下さい。 

 

 

・今までよくやってきたのだから3月の番組改編で田原さん交代で良いのでは?番組名は残して司会者を若い方に代えて続ければ良いでしょう。若かりし頃の田原氏を知るだけに今の姿は見ていてつらいです。 

 

 

・今時人の発言を大声で遮り台バンしたらそれだけでアウトですよね。若くなくても「コイツめんどくせー」って感じにしかならない。 

 

学生運動リアルタイム世代がTVに多数出演していた頃は、視聴者も、その下の世代であっても許容できる、時としてエンターテイメントととしてであったかもしれないが、ものだったが、今やそのリアタイ世代が希少種となってしまい絶滅危惧種の断末魔としか受けとられない状況になってしまってるんだと思う。エンタメ性も微塵もない。田原氏が自ら変わることは無いと思うので番組側が決断するときが来ていると思う。 

 

数年前は三浦氏が介護士的な役割していたと思うのだが、今はそれやってないのかな? 

 

 

・テレビで見た感じは音喜多さんも怖いですけどね。 

政治家の人は声が良い人が多いけど、音喜多さんは甲高くて早口。さながら山本太郎さんの話し方似ています。元俳優さんだから、山本太郎さんは声はいいけど、ゆっくり話すとさらに怖い。 

それに遮らないとどうなるか。 

音喜多さんのような好奇心旺盛で多弁な人は立板に水の如く話し続けるんですよ。 

時間を区切られたら話をやめると思うかもしれませんが、みんなストップウォッチ持って話すわけではない。 

しかも一般的には頭が良い人や真面目な人が遅刻しないわけでもないんです。要領の良さはやはりしきりに現れるというか、遮る必要がないなら司会者はいらないはずですが、いらないなら議長が三権の長になったはずがない気がします。 

議会運営の進行上、議長や司会者はやっぱり大事で、司会者のうまさが討論番組の面白さだから、田原総一郎さんでないなら、朝生は私は見る気がしないかもしれません。 

 

 

・地上波自体がオールドメディアで、その代表格たる番組なんだからそりゃそう。 

面白くないと言うよりかは、本気じゃないと言った方が良いかもしれないが。 

人は本気で生産性のある真面目な取り組みを共にしたいと思った時は、 

お互いの話をきちんと聞き、意図を汲み取り、目線合わせと擦り合わせを行う。 

それをしないということは、真面目で真摯に向き合ってはいないということ。 

 

 

 

・司会者に進行や捌きに問題があるのかもしれないけれど、番組開始~20年位前まではこの番組を観てなぜ今このテーマを取り上げているのかを理解し、自分なりに思考したり本を読んだりしていたけれど、(前述のとおりの問題はあるにせよ)パネリストに日本の知性をキャスティングできなくなっていることも原因の一つではないか。 

 

 

・私も大学時代から番組は見ていましたが、田原さんは歳を重ねるごとに怒りっぽくなって来て、見ている方もイラつく場面が多々あります。しかし、社会人になってから私も出張などで飛行機に乗る機会があり、田原さんを良く目にすることが多くなって来ました。羽田からずっとノートを出して何かメモを取ったり読書をしたりと歳を召されても常に勉強されているんだなと感心した次第です。確かに朝生の初期は田原さんは今より穏やかだった気がしますが、昔からパターンは一緒ですよ。だから面白いと言うこともありますが、今ではあの発言はパワハラまがいと言われてもおかしくはないかもしれませんね。 

 

 

・田原総一朗氏が活躍した1980・90年代は、主力メディアであったテレビ番組で 

「こうなんだよっ︎」 

と大声で騒いでいれば、世論が形成できていたんですね。実際に当時は『ディベート』という新概念に魅力があったんです。 

しかしその後2000年代以降にSNSが発展すると、上述の前世代的な情報発信が 

「只のノイジー・マイノリティだわ」 

と露呈して白けるようになったんですね、多くのサイレントマジョリティの存在が判りやすくなったので。 

田原総一朗氏は(多分彼自身は気付いていないフリをしているだけだけど)もう少し、若者がこうやって 

「情熱が無いのでなく、騒ぎ立てる老人を見透かして辟易している」 

事実を、ちゃんと受け容れるべきだと思います。 

 

 

・朝生のスタイル=田原氏の意向・スタイル。 

 

それが時代に合ってるのなら構わんが、意向に合わない所はCMになったり割り込みされたりすりゃ、話にならんよね。そりゃもう独演会だもん。 

 

局も番組の在り方を真剣に考えてみる必要あるんじゃないかと思う。 

 

 

・まさにその通りだ。色々な意見をぶつけ合うから面白いのであってそれを自分の意見と違う事を発言者がすると話の途中でがなり立てて遮る(田原も他の出演者も)からこちらが聞きたい事が聞けずにストレスがたまる。とにかく出演者が自分の主張で相手を論破したくて来ているだけで政治を動かす力に全くなっていない。スタジオ内で勝ち誇って満足しているだけだ。 

 

 

・政治とは相手を論破するとか、貶めて相手を蹴落とすことではなく、利害が反する問題に落とし所を見つけるために議論して、バランスをとることだって口では言うが、結局我侭を通すために怒声と金切り声の応酬になるのよね。 

だから朝まで生テレビは「政治」じゃなくて「政治ごっこのプロレス」だってちゃんと最初から最後までテロップをだして置かないとダメでしょ。 

 

 

・以前は時間に余裕があれば、見ていました。 

最初の頃は言い合いも面白く見ていたのですが、数年前から田原さんの言動が怪しくなり、机を叩く、相手の意見を遮って怒鳴り散らす、相手を指差して「あんたは間違ってる」と否定するなど、とても司会者とは思えない状態でしたので、あまり見なくなりました。はっきり言えば、下品で面白くありません。 

田原さんは自分の知識が全て正しいと思っているのでしょうが、思い違いをしていることもあると思います。相手の意見を遮り、聞かず、その全てを否定するのは司会者、ジャーナリスト以前に人としていかがなものでしょう。 

テレビ局も「怒鳴り合いが面白いから」ではなく、田原さんをそろそろ引退させてあげてはいかがでしょう。 

 

 

・朝生が討論番組とカテゴライズされているのが違和感で、「ご意見プロレス」と考えれば問題無い。まぁ、面白いかは別ですが。 

 

新たなファシリテータを立てて再構築する方が現実的だと思うな。 

いまならVtuberとかAIとかバックボーンが無い存在がやったほうが面白いんじゃないかと。 

 

 

・自分がずっと言いたかったことを音喜多さんが全部代弁してくれた。 

田原さんの時代は、議論の際、怒鳴り合うのもアリだったかもしれませんが、 

今の若者は、それをやられると恐怖に感じる人が多いと思います。 

異論があっても人が喋り終わるまで待つべきだし、 

最後まで話を聞かなければ、間違いかどうかの判断だって正確じゃなくなる。 

自分の考えと違う人の意見は、怒鳴って制止するとか、 

あんなのフェアな議論とは言えないです。 

 

 

・この番組が面白くないのは出演者の話や議論が面白くないからに尽きる。単に学歴が高かったり弁の立つ人を出したところで大抵言うことも想像できるわけで、もっと本音や真理の話ができて知識や経験も豊富な人を出さないと単純に見ていて参考にもならず面白くない。 

 

のべつ幕なしに意味のないことをしゃべり続ける人よりここぞという時の一言が印象に残る人というか、自分の意見をハッキリと言える人を出してほしい。 

 

 

 

・若者に政治に関心をもってもらおうとしてやってる番組じゃないだろ。 

叫ぶ、吠える、話をぶった切って熱くなる、彼らを観る番組でしょう。 

そういうのを観たい方をターゲットにしている番組でしょう。 

 

若者に政治に関心を持ってもらうための番組は、池上彰さんにお願いしておけば良い。 

 

 

・この番組は内容の良さなんかではなく、意見をカットカットで細切れにして、出来るだけ種類の違う具を皿に盛るガーベッジプレート方式で人気を得ているのだと思う。おもしろくない、という意見はこの場合は学びがないという意味であり、朝生に学びを求めてもしょうがないと思う。田原さんの行動は番組のコンセプトと一致している。あんなの普通考えて、やめてくれと言われることが続いているのは番組の方針なのだよ 

 

 

・欧米や、論文は最初に結論やアウトラインを語ります。日本人は口語では大事な意見を最後に語るスタイルです。遮ってしまうと本当に言いたいことはサッパリわかりません。都合良く批判しているだけの番組で見ていて面白いと感じたことはありません。ディベートは相手を批判しつつもお互いの意見の妥協点を見いだし、より良い結論を導きだしてこそ意味があります。単に批判し合うだけの番組として視聴者に浅さを見透かされているのでしょう。 

 

 

・まさに仰る通り。 

痴話喧嘩みたいな言い争いを楽しんでいる層は他人事だから楽しめる。それは政治に関心があるのではなく争いごとに関心があるだけである。 

良いものを突き詰めるのに他人の意見を途中で制止する必要はない。良ければ残るのだ。それを全体に諮る行為を妨害している。アンフェアとしか言いようがない。だから無駄にマンパワーが強く口うるさいものが勝つ世の中になっている。 

辟易しているんだ、そういうのは。いつまで昭和の紛い物の議事で物事を決めるつもりなのかと。 

 

 

・人が話しているときに話を遮らないってのは基本中の基本ですからね。 

一人が独演会のようにずっと喋っていたり、明らかに誤った知識を前提に話を続けていたりする場合のように、例外はありますけど。 

 

朝生は大人が口々に自分が言いたいことを自分の言いたいタイミングで言ってるだけで議論が深まることはほとんどない。 

大人が口喧嘩しているのを見せられているような感じになる。 

そんな番組を見ても「政治に関わると喧嘩になるだけだからめんどくさい」としか思わないでしょう。 

 

 

・昔は大島渚、野坂昭如、高市早苗、辻本清美、大手スーパーの会長、福島などのそうそうたるメンバーぞろいだったよね。毎回、何時ごろになると大島さんが怒りまくるなんて言うのが話題になったので、見始めたんだけどね。その時からみんな人が話していてもかまわず話し出していた。そのころは田原さんは調整役だった。 

しかし今は大物は見当たらず、一人が話しているだけなのに、話が気に食わないと田原さんが話をさえぎる。こっちはその話をもっと聞きたいのにね。 

もうずっと前から年のせいか、耳が遠くなりよくええ?と聞き直す。これがなんかストレスだよね。何言っているのかもよくわからないし。 

今は番組があると子守歌替わりに1時間のタイマーかけて布団の中で聞いているけど、すぐ寝てしまうんだよね。 

 

 

・この番組を視聴する上で最大のストレスは論客の意見に対してではなく、田原総一郎氏の横暴な司会っぷりにあるのは今に始まったことじゃなく20年以上前から変わってない。 

討論番組自体は嫌いじゃないのでうっかりたまに見るとより一層酷くなっていて、結局1分も持たずにチャンネルを変えてしまう。 

この人が司会じゃなければもっと見てると思う。 

 

 

・田原さん・事務所の方と仕事する機会があったが、娘さんがマネージャーをされているけど、全く娘さんたちの話を聞かず打ち合わせ無視、痴呆とまでいかずとも高齢者独特のマイペースさが全面に出ていて、ネームバリューなかったらもう厳しい人材だと思いました。娘さんたちも謝ったりして気の毒で… 

 

 

・田原氏は優れた論客だが、人の話を遮るのは常套手段であり、たしかにそう思うわ。 

ズバリと核心を突いた批判をよくしたと感じる。こういう批判のもとに、よいディベート番組が育まれていくといいね。 

人の話をよく聴けとはいったもので田原氏は学ぶ必要があろう。また、隣席に補助者を配して規制していく必要もあろう。 

 

 

・なんか…僕らみたいに、24時間働けますか~!?の世代が20代の頃にスタートした番組だと思うが、その頃は怒鳴ったり机をバンバン叩いたりする「激論ショー」をニヤニヤ楽しんでいた程度だと思う。 

今の時代、音喜多さんの世代は「激論ショー」がおもしろいと思わないという事なんだろうね。至極まともな感覚だと思う。 

 

 

 

・田原総一朗の過去の実績などは認めるしかないと思うけど、年齢的にももう引き下がっても良いだろう 

この年になって今更柔軟性を持つようなことは無理だろうし 

他国では30代で大臣になるようなこともあるのに日本は50代でも若造扱いされる政治家の世界もおかしい 

無条件に若返りすれば良いとは思わないけど、年齢層としてはもう少しバランス取れた感じにならないとダメではと思う 

 

 

・89歳という年齢を考えるとしょうがない面もあるかもだけど、昔は今とはもう少し違った進行ぶりだったと思う。ここまで長く司会を続けてると局としても今更他の人に変えるわけにもいかないのかもね。 

 

 

・話を遮ることが、番組が面白くない原因かどうかは分からないが、視ていて気持ちの良いものではないですね。 

 

小学生時分から、「人の話を最後まで聴く」を美徳として教育を受けてきた一人としては、テレビに出演するような社会的権威者が小学生にでもできる当たり前の討論スタイルに劣ることを、呆れた気持ちで見ています。 

 

せっかく扱っているテーマが、専門的で格式高い内容なのに、討論ではなく罵り合いのように見えてしまいます。 

 

学校教育で培われた美徳と真逆のことを、この番組や国会、地方自治体議会でしている状況下に、若者は「あのような大人になりたくない」と冷めた視線を向けているのだと思います。 

 

 

・自分勝手に人の発言中に話し出したり、その雑音に負けず話し続けたり、それを交通整理しようとする人がいたり、「もうちょっと、もうちょっと、これだけは」とか「人が話してるだから、黙ってろよ」とかね。 

 

さらに話が論点からずれようとすると、司会者が軌道修正するどころか、そのずれに乗っかってたり、自ら話を違うほうに持っていったりする。 

 

しかしながら、これらを矯正して、模範的なディベートにしたところで、この番組が面白くなるのか。なるはずもない。今もそれがウケるかどうかは別として、この番組がこれまでウケてきたのは、無秩序な発言の応酬や小競り合いがあったからなのだから。 

 

 

・そもそも与党代表と野党代表を出演させても堂々巡りになるのは決まって居る。結局証拠が無い以上言い訳で終ってしまう。そもそも会計責任者が自分の雇い主に収支報告書を提示しない会社など何処にも無い。結局証拠が見付からなければ言葉だけが優先される。3000万の線引きも何の為か国民には理解出来ない。過去のドリル優子も証拠隠滅を図って居る。要するにいつの間にか閣僚の大物達と検察の大物達が裏で繋がって居ると言う事だ。黒川の定年延長策が物語って居る。 

 

 

・出演者の年齢の問題もあるでしょうね。 

基本人間は歳取ると人の話聞かなくなってどんどん頑固になります。 

高学歴な人ほどプライドが高いので特にそうです。 

若い人の方が冷静なのは年齢のせいもあるということを心得てほしい。 

 

 

・このような討論番組を他の民放も放送すべきだ。深夜などではなくもっと多くの人が視聴できる時間帯に。そして年寄りが番組を仕切るのではなく、これから日本を背負って立つ若い人が議論を引っ張っていくような番組を。かつて日テレで『太田光の私が総理大臣になったら』という政治家が議論に参加するバラエティがあったが、こういう番組も不定期でいいから復活してもらいたい。朝から晩までグルメ関連の情報をこれでもかといわんばかりに垂れ流し続けている今の日本のテレビは世界的に見て異常だと思う。 

 

 

・昔は田原さんに対抗できる「怪物」的な人もいましたからね。 

大島さんとか、野坂さんとか。年齢的にも田原さんにものが言えた。 

今はもう、そういう人がいないから、この番組続けるなら、メンバーは総どっかえしてもいいんじゃないかな。 

 

 

・たしかにこの番組の悪い所の一つが出演者の姿勢や番組のスタンスだと思う 

NHK討論のように順番に話すのではなく、声のデカい人が我を通す形だから自分が自分がとなりただうるさくなるだけになりがち。姜尚中教授のように静かに話す人がいるとがなり合いが成り立たないのでそういうときは静かになることもあるけれど。 

それと田原氏の問題で発言者の話の腰を折ったり茶々を入れたり、ときには危険な発言もあったりともはや討論番組としての体をなしていないこともある。 

 

 

・毎回論じるテーマがあり、それに対して識者を集めて論じるのがこの番組の趣旨だと思うのだけど。 

 

渡辺宜嗣・下平さやかの両名は、そうした議論を音喜多駿氏が指摘した様な番組進行を行いたい態度が各所に見て取れるのだが、田原氏が全共闘の様な議論形式にし続けて来て、テレビ朝日報道局政治部長の藤川みな代氏をテレ朝コメンテーターとして横に座らせてテコ入れしたけど、変わらないのが現状。 

 

田原氏の政界に深く入り込み見続けてきた生き字引としての知識は認めるのですが、現状の政治ショーではなく、本来の議論形式として生まれ変わるべきではと思う。 

 

 

 

・大昔の録画を見せてもらったことがあるけど、田原さんお若く、メンバーこそ違えど、話していることが今とたいして変わらないんですよね 

しかもそのテーマに上ったある国際問題も、数十年たって状況何も変わってない、あるいは悪化しているという 

議論は大事だけど、番組はあくまでエンタメ、その場でわーわーやってるだけですよ。当然ながら、事件はスタジオで起こってるんじゃないんだなあ、と改めて思いました 

それでもこういう番組が変わらず存在することを否定はしないです。ただ、司会者もお年ですし、劣化の誹りは免れないのかなと 

 

 

・昔はハマコーとか土井たか子とかが大声で言い合いになってて 

机叩いて怒鳴らないと話が全く止まらないようなのばかりだったけど 

今はそうでもないのに昔のスタイルに固執しているんだよね。 

深夜に政治討論ってスタイルはいいと思うけど司会者は替えた方がいいよ。 

何よりずっと交代論が出るほど高齢になってるのに。 

 

もう朝生を見なくなって十数年経つけど見なくなった理由が正にこれ。 

論客は穏やかなのに司会者だけヒートアップしたりするんだもの。 

 

 

・さすがに生放送を観る元気はありませんが、今も録画して観ております。最近は田原さんの司会スタイルに批判が多くなっていますが、私もそろそろ交代時期ではないかと思っている一人です。司会のワンパターン化がひどく、田原さんの進行テクニックが陳腐化・劣化してしまったと感じています。 

「なんで」「なんで」を繰り返して誘導尋問し、まるでご自分が持論や異論を差し挟める機会を窺っているだけのように見えます。その機会を捉えると有無を言わせず話を取り上げ、大昔の政界や経済界の有名人との付き合いの自慢話をするのが定番となっていますが、まだ生まれる前の話を聞かされても若い視聴者は何も訴えず、政治に関心も持たないままでしょう。 

各界の論客に現代の諸問題を激論して貰うのが、この番組本来の売りだったと思うのですが、時代錯誤の司会進行では若者が離れていくのは自然でしょう。 

 

 

・国会中継見ていても同じ印象を持っていた。野党も与党も、ほとんどの人が答弁を聞いていない。ヤジるか寝てるか、周りとおしゃべりか、スマホ見てるか。 

だいたい国会答弁も台本が合って、ほとんどの人がそれを読むだけだし、だから少し外れた質問をされると答えに詰まるか「繰り返しになりますが」と前置きして同じことの繰り返し。その台本も役人があらかじめ作っておき、それを答弁前に交換しておくのだから、ドラマを見させられているかのようだ。 

なので、麻生太郎氏は難しい漢字が読めずにいた。自分で作った原稿、自分の頭の中にある思い、なら間違えるはずがないのに。 

 

 

・ユーチューブにもあるけど、昔の田原さんは出演者がブチ切れて食ってかかってきても、眉一つ動かさず顔色も顔色も声色も変えず冷静に捌いていたし、それが凄くかっこよく見えた 

 

 

・政治ショーなら時には机バーン!でもいいかもしれない。 

でもそれじゃあ飽きられてしまうよね。 

番組のコンセプトとして、若い人に政治について考えて欲しいなら、一人の主張を最後まで聞かせるような番組にしないと。 

今の若い人はすごく真面目だと思います。 

だから、観ていてなんの学びにもならんと思ったら観ないし、他人をリスペクトせず自分の主張を繰り広げる人が政治家だって思ったら政治に関心なんか持てませんよ。 

 

 

・僕自身40代と若い世代ではないですが、今回の「人の話してる途中に被せてくるからオモロない」に関しては朝生に限らず全ての番組に対して常々思ってたし、全くその通りだと思う。 

確かに「何言うてるねんコイツ!」と思う発言もありますが、それでも話してる途中で自分の主張を被せてられると、それが正論であっても聞く気が失せます。 

 

そもそも人の話さえまともに聞けない政治家が、例えどんな正論を持っていたとしても国民や日本のために動けるとは思えないのです。 

どこか教授や賢い評論家にしても同じです。 

人の話も聞けない奴が、人を諭して人に物事を教える資格なんて無いと思うし、人の言葉も聞けない奴に何かを論評する資格はないと思います。 

 

例え間違ってようが意見に相違があろうが、まずは相手の話を全て聞き、それから自身の意見を述べるべきだと思います。 

それが公共の電波を使っての放送なら尚更です。 

 

 

・ディベートになってないんですよね。 

論理と論理が拮抗するのではなくて、田原さんが誰の意見を採用するかのプレゼン合戦になってしまうんですよ。 

こっちの立場はこう言ってる、そっちの立場はこう言ってる、中立の有識者はこう言ってる、田原さんがそこに視聴者(素人)の意見や疑問をぶつけて、新しい意見を誘発する、それが理想形なのに、いつの間に田原さんも論客になってしまった。 

 

 

・賛同はしかねる。人の話をさえぎらない内容にすれば視聴者は減ると思うし、政治に興味を持つ人も減ると思う。議論を徹底してエンタメ化してるから長く続いてるし、社会や政治に関心を持たせる一定の効果を発揮している。 

 

 

・老人特有の人の話を最後まで聞けない、話を遮り、指差しをして相手を恫喝するような発言をする。番組の中で評論家を始め国会議員も大人しくしているが、あの様な態度を許してはいけない。司会進行役としては不適切だと思うが、テレ朝は面白いと思い使っているのかもしれないが、語尾も言語もハッキリせず、時々発言内容を忘れた様な態度もいかがなものかとと思う。音喜多氏よく発言してくれました。 

 

 

 

・立憲と維新の絡みが面白かった。 

立憲は『立憲』だから、法律に基づき行動する、善し悪しより法律(ルール)の有無が重要視されている。 

 

記事にも書かれている『話をさえぎる』事については、同意。 

まず「人の話しは聞けよ」と思う。 

 

朝生に限らず、 

国会中継を見ていて『ヤジ』ってなんだろ、いい歳こいた大人が発言をさえぎってまで、する必要があるのか? と、内容が無いヤジに思う。 

 

ゆるく育った世代、誉めて伸ばす世代は、 

話しをさえぎられる事やヤジなど嫌うだろうなぁw 

 

ただ、選挙(投票)に行かないのは、別の事。 

嫌だ(嫌いだ)と言うなら、変える(変わる)行動をしないと変わらない。 

若者の有権者を増やす様に、選挙権を20から18に増やしたのは現在の与党。 

それでも変わらない、やはり受け皿が問題か。 

 

 

・この番組に限らずだけど、テレビでの政治家の討論番組は論点ずらしが甚だしい。 

誰かが良い問題点を指摘しても、次の人が別の話題を話し出し、論点がどんどん変わっていき結局議論によって何も解決していない。 

お互いの意見を聞き自分の考えを改めることもできない。 

そして司会者がその論点ずらしを正さない。 

今はこの議論をしてるから、関係ない議論はしないようにと話を戻すのが司会者の役割ではないのか。 

 

 

・今さら良く言ったなどと言う前に、テレビ局なりスポンサーなりが田原に言うべきではないか。彼は自己主張する前に司会者の立場で出演している訳だから、要するに出過ぎた真似はするなという事である。 

此れも朝日の特徴で、中身がないのに拘わらず相手の名前や評判を基準に忖度したりこき下ろしたりする。それと権力に対抗しているように見せて、その実は媚を売っている。実に信用ならない存在なのである。テレビも新聞も雑誌もだ。 

 

 

・そもそも、田原氏の滑舌が悪くて何を言っているのか解りません。言葉が聞き取りにくいから中身が入ってこない。若い人達に道を譲る時だと思いますね。豊富な知識と経験は流石だと思いますが、人間は引き際が大事だと思います。 

 

 

・高校生から大学生くらいの頃、よく観てたな。この番組のお陰でニュースについて行けるようになった。最近は見てないけど、昔からずっと人の話に色々いう人いた。でも、そんな言葉の節々からもいろんな知識を学べた。 

 

 

・時代ですね。 

そう、今の若い人たちには、これぞ朝生という激論は生理的に受け付けなくなってきている。生理的な感覚は理屈じゃないからどうしようも無い。 

これも、「子どもの人権を守る」教育の賜物ですね。 

 

昭和の人達には弱々しく映るのでしょうが、そういう教育を進めていたのも昭和の人達です。体罰、いじめ、そして、恫喝すら学校から排除され、今や家庭内の体罰でさえ「虐待」となり、子どもが通報して親が逮捕される世の中です。 

 

そうして育た子どもが大人になりつつある。 

そりゃ机叩いただけで嫌悪感も持ちます。 

変われない昭和の人達はそろそろ引退するか、自分が変わるかの選択をしないといけないのでしょうね。 

 

 

・音喜多だけでなく以前から他のパネラーも時々指摘はしてたけどな。なんで音喜多だけ昨日今日と2日も記事になってるのか不思議。 

自分は田原さんの遮りは良い時もあれば悪い時もあるから何とも言えないけど、田原さんがよくする昔ばなしは講壇師みたいで嫌いじゃない。特に "アメリカの言いなりになってる日本" の話しは聞き応えがあって良かったね。 

 

 

・ジャニーズや吉本の一件を見ると、昭和が遠くなった気がします。違和感を感じても声をあげる機会もなかったのに、今は世の中の当たり前、当たり前でない、が本当に昭和の時代と変わった。この司会者もそうですね!年を取って人の話を遮るのに拍車がかかっています。 

 

 

・音喜多氏は理由はどうであれ田原総一朗に苦言を呈したのだろう。 

また田原総一朗の「まったく違う」の即答は指摘を受けたことで腹が立ったから返した言葉に過ぎず、彼の司会進行の在り方をもっと考えるきっかけとなった。 

確かに結論の出ない議論の行く末などどうでもよく、識者たちが集まってワーワー騒ぎ、ときに罵り合って田原も識者を恫喝してというスタイルを面白がっている視聴者もいるだろう。 

しかし、その方面の専門家を集めておきながら十分な議論ができないのはいかがなものか?視聴者も識者の話を聞きたいのに最後まで話をさせず、田原が割り込んで別の話を振ったり他の識者に振ったり、ときには彼のチンプンカンな持論を聞かされたのでは不満も出てくる。 

「朝生」は悪い番組ではないが、89歳にもなる田原総一郎も寿命からすればそう長くはMCもできない。同じ方向性の番組を別に考えてもいい時期ではないかと思う。 

 

 

・もう随分と”朝生”見てないです。人の話を遮るというのは確かにその通りですね。田原さんも年齢に合わずいつまでも棘が取れず圧が強すぎますね。もう90歳近くなのだからもう少し柔らかさが出てもいいのに。まあ活舌も悪くなって聞きづらいので若手のバトンタッチしても良いのではと思います。 

 

 

 

 
 

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