( 133601 )  2024/01/29 13:05:30  
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写真提供: 現代ビジネス 

 

 いつも口数の少ない人ほど、キレたらなにをするかわからない。決められないと笑われていた岸田が、追い込まれた末に決めたのは「みずからの手で自民党を焼き払って、更地に戻す」ことだった。 

 

【写真】暴走・岸田総理の秘策は「金正恩との会談」…? 

 

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 異様な光景だった。 

 

 口をへの字にした麻生太郎と、仏頂面の茂木敏充のあいだに挟まれて、岸田文雄はこらえきれずに笑みをこぼしている。 

 

 宏池会(岸田派)に所属していた中堅代議士は、党の「政治刷新本部」で岸田が見せた表情に、なかば怯えてさえいた。 

 

 「怖い。あの人がなにを考えているのか、本気でわからない。先のことを考えているのかどうかも、わからない……」 

 

 「正気なのか」「あとは野となれ山となれ、か」 

 

 いまだ自民党内では、「派閥の破壊」を決めた岸田への怨嗟が渦まく。 

 

 ――知ったことか。 

 

 岸田派解散を知った日、麻生は「聞いたぞ。なんだこれは」と、岸田に電話をかけてすごんだ。が、腹を決めた岸田の耳には、間の抜けた「遠吠え」としか響かなかった。 

 

 ――どうせアンタに根回ししたところで、口をとがらせて文句を言うのがわかりきってる。言う意味がない。 

 

 そもそもこれは、麻生を潰すために岸田がしかけた、乾坤一擲の政局なのである。 

 

 1月21日、ホテルオークラ「山里」での会食。「急遽セッティングされた」と報じたメディアも多かったが、実際には、岸田と麻生の面会は以前から決まっていたという。いつもの個室で、言葉少なに淡々と杯を重ねた。 

 

 「うちはやめないから」 

 

 「そうですか。うちは解散してケジメをつけますから」 

 

 どうぞご自由に。 

 

 「総理はブチ切れているんですよ。総理からすれば、ずっと麻生さんにマメに報告してきて『現職総理が自ら長老を立ててやっているんだ』という思いがあった。なのに麻生さんは、次の総裁選で茂木さんに交替させようとしているんだから。 

 

 去年9月の内閣改造でも、岸田総理は幹事長を茂木さんから森山(裕)さんに替えようとしたが、麻生さんが猛反対してできなかった。それ以来、麻生さんへの不信がどんどん大きくなっていった」(岸田派関係者) 

 

 支持率低下を騒ぐ周囲の政治家に対して、岸田が「衆参両院で多数を持っているのに、なんで退陣しないといけないんだ」「俺がやめて、なんになる?」と繰り返すようになったのも、麻生が自分を「見限った」と察知してのことだった。 

 

 岸田が派閥解散を口にしたあと、SNSではこんな動画が出回った。自民党本部のエレベーター前で、麻生が岸田の腹心・木原誠二を呼び止め、なにやら耳打ちをする。 

 

 〈きっと「岸田に時間作るように言っとけ」と伝えたんだ〉〈ボスの風格〉 

 

 麻生は、ネット世論がそんなふうに自分を贔屓するのを知っている。岸田をしっかりグリップしている、という印象を周囲と世間に与えられる……。そう踏んでの行動だったが、岸田のほうが一枚上手だった。前出と別の岸田派関係者が言う。 

 

 「そもそも岸田さんは、木原さんや(自民党事務総長の)元宿(仁)さんと派閥解散について相談し、タイミングをはかっていた。裏金に関して潔白な森山さんが自派の解散を決めたのも、麻生派と茂木派だけが取り残される状況を作れるからだ。菅(義偉前総理)さんや二階(俊博元幹事長)さんと近い森山さんは、麻生さんとはあまり折り合いがよくないしね」 

 

 

 機先を制した岸田は、忌み言葉と化した「派閥」にこだわる守旧派というレッテルを、麻生と茂木に貼ることに成功した。 

 

 つまり、岸田が壊したのは自民党のシステムだけではなかった。自身を総理に押し上げたキングメーカー・麻生の支配と、政権を支えるトロイカ体制をも、その手で手仕舞いにしたのである。 

 

 ――麻生さんも茂木さんも「うちはなにもしていない」と言うが、そういう問題じゃないんだよ。これは戦争なんだ。 

 

 岸田には「俺は生まれたときから宏池会」という口癖がある。父・文武の代から籍をおき、故・加藤紘一らに忠誠をつくした自負から出る言葉だ。総理になってからも慣例に反して会長をつづけたのは、「権力を持ちつづけたいという以上に、宏池会が好きすぎるから」(前出の岸田派関係者)ともいわれる。 

 

 いっぽうの麻生は「いずれは大宏池会」などと言うが、かつて河野洋平とともに宏池会を割って出たのは、ほかならぬ麻生自身である。岸田に言わせれば、なにをいまさらといったところだ。 

 

 「今回岸田さんは、宏池会の創始者・池田勇人の義理の孫にあたる寺田稔(元総務大臣)さんにも、前名誉会長の古賀誠さんにも伝えずに宏池会の解散を決めた。さすがに筋が通らない、という声もありますが……」(岸田の地元後援会関係者) 

 

 ――知ったことか。宏池会は俺のものだ。だから、俺が決めるんだ。 

 

 失うものをなくし、孤独をつのらせて捨て鉢になった人を指して、誰が言ったか「無敵の人」と呼ぶ。いま進行しているのは、国の最高権力者が「無敵」になってしまうという異常事態だ。 

 

 しかも、ときにそんな「無敵の人」による一撃が、盤面ごとひっくり返して局面を一変させることもある。事実、岸田以外の自民党重鎮は麻生のみならず全員、目算を狂わされてしまった。 

 

 もっとも動揺しているのは、麻生に次期総理へと押し上げてもらうはずだった茂木だ。国民からの人気がゼロに近く、派閥内の基盤さえ心もとない茂木は、麻生の後ろ盾だけが頼みだった。 

 

 「茂木派の議員には、解散した派閥の議員に『うちに入ってくれないか』と声をかけている人もいるが、さすがにこの状況で入れるわけがない。いま派閥拡大をはかるのは、センスがない」(岸田派中堅議員) 

 

 一連の騒動の発端となった安倍派は、放っておいても瓦解していたことは間違いないが、加えて従来の意味での派閥そのものが禁じられたことで、萩生田光一や世耕弘成、西村康稔ら幹部もしばらくのあいだ再起不能になった。安倍派にいた若手衆院議員が言う。 

 

 「安倍派の再結集はありえないと思う。『五人衆』と塩谷(立)事務総長にはメンバー皆、激怒していますから。 

 

 とくに塩谷さんと世耕さんに対しては『あれだけ下には何も言うなと箝口令を敷いておいて、自分たちだけ逃げようとしやがって』『あげく、派閥解散の決断が遅れて岸田さんにしてやられた。ふざけるな』という感じ」 

 

 悲哀さえ漂うのが、まもなく85歳になる二階である。二階派にいた衆院のベテランが語る。 

 

 「二階さん自身はそれほど落ち込んでいないようだったけど、派閥がなくなればタダの人になるわけだから、まずいよね。二階派はほかに比べてパーティー券のノルマが多くて、派閥で集めたカネが二階さんの威厳の源泉だった。それを封じられればどうしようもない。 

 

 しかも、最側近の(秘書の)梅沢修一さんも立件されてしまった。もうじき三男の伸康さんに地盤を継がせて、梅沢さんに面倒をみてもらうつもりだったのに、これじゃあ議席を守ることもおぼつかなくなってしまう」 

 

 自民党の基盤である派閥を破壊した岸田は、政界の誰もが予想しなかった「秘策」をあたためている。その詳細を続報【「菅義偉と組む」「金正恩と会う」…派閥と自民党をぶっ壊した岸田文雄が「麻生太郎の退場」のあとで考えていること】でさらにお伝えする。 

 

 (文中一部敬称略) 

 

週刊現代(講談社) 

 

 

 
 

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