( 133631 ) 2024/01/29 13:40:14 0 00 Photo by iStock
---------- コンプライアンスが叫ばれる昨今、罰ゲームやドッキリなど「痛みをともなうことを笑いの対象とする」バラエティ番組への風当たりが強くなっている。しかし、こうしたバラエティ番組は、本当にすべてが「悪」なのだろうか? 元テレビ東京プロデューサーで、著書に『混沌時代の新・テレビ論』がある田淵俊彦氏と考える。 ----------
【写真】いったい何が…「キムタク」に起きた、まさかの異変「最近、様子がおかしい」
Photo by iStock
2021年8月、BPOは罰ゲームやドッキリ企画などが含まれる「痛みを伴うことを笑いの対象とする」バラエティについて審議入りさせることを決めた。
視聴者や中高生モニターから、苦痛を笑いのネタにする番組は「不快に思う」「いじめを助長する」などの意見が継続的に数多く寄せられてきていることを重要視したのである。
寄せられた意見の一例としては、「どっきり企画で、男性芸人の下着にハッカ液をぬり悶え苦しむ姿を面白おかしく放送していたが、この上もなく不愉快な気持ちになった。子どもがマネをし、いじめに繋がる可能性もある」といったようなものだ。
出演者に痛みを伴う行為をしかけ、それをみんなで笑う「苦痛を笑いのネタにする番組」というと、私がテレビ業界に入ったころに放送していた日本テレビの『スーパーJOCKEY』の名物コーナー「THEガンバルマン 熱湯風呂(別名:熱湯コマーシャル)」を思い起こす。
当時まだ宣伝の場としては効果が大きかったテレビでコマーシャル(宣伝)をしたい人が参加してルーレットで熱湯に入る人を決め、熱湯に浸かるのを我慢できた秒数だけ宣伝できるという企画だ。
出演者のリアルなリアクションや先ゆきの見えないハラハラドキドキ感が人気を呼んで、日曜日の13時台という時間帯にもかかわらず20%を超える高視聴率を獲得していた。
このように当時、多くの視聴者を熱狂させてテレビに釘づけにしたのは「苦痛を笑いのネタにする番組」だったということも事実なのである。
Photo by iStock
この番組には、A「熱湯を熱がる人」←→B「熱湯を熱がる人を見て喜ぶ人」という構図があった。
一見、Aは一方的に「損をする人」だと思うだろうが、実はそうではなく最終的に「宣伝ができる」というメリットを得る可能性がある。そしてさらには、「おー、頑張るね」といった称賛や評価を視聴者から得ることができるかもしれない。
つまり、「いじめられて終わり」ではないということだ。
「男性芸人の下着にハッカ液をぬり悶え苦しむ姿を面白おかしく放送」する企画の場合も、同じような構図だと考えられないだろうか。
芸人にはコマーシャルをすることができるというメリットはないが、「テレビを通じて名前を売る」ことや「すごいね、この芸人」的な称賛を浴びる可能性がある。
それを期待するからこそ、芸人はこういった企画に乗るのだ。
BPOの審議には、3つの視点がある。
放送倫理と放送番組の質向上を目指す「放送倫理検証委員会」、放送により人権侵害をされた人を救う「放送人権委員会」、そして青少年が視聴する番組の向上を目指す「青少年委員会」である。この分類に注目してほしい。
今回のこの「痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティ」に関する見解は青少年委員会の審議結果であり、放送倫理や人権に関することではない。
青少年委員会は、青少年の親や本人から意見が寄せられるとそれに関して検討しなければならない。昔とは違い、さまざまな情報が得られる環境のなかで人々の意見や要望もさまざまなかたちで噴出し、ゆきかうからだ。
一昔前だと気づかなかったことに気がつくし、気にならなかったことも気になるのが、現代の情報社会の特性である。そんななかで、人々の感覚がコンプライアンスに過敏になってゆくのは自然なことである。
「苦痛を笑いのネタにする番組」は、時代の変化とともに注目されるようになってきたテーマだ。であるから、昔は看過されてきた「弱いものをいじめてみなで笑う」といった差別やいじめを助長するような表現を「青少年の教育上よくない」とBPOが問題視するのも納得できる。
以上を前提として、提言をしたい。
前述したような「出演者側にもメリットがある、もしくはメリットを期待できる状況」にある場合と「単なるいじめや差別、ハラスメント行為」である場合との間に、はっきりとした線引きをするべきである。
BPOには、ぜひ両者の混同を避け、違いを明確化して審議をおこなってもらいたい。
コンプライアンスは両刃の剣である。
過剰になると「表現の制限」や「自己規制」を生み出してしまい、クリエイティヴな創造力をそぎ落としてしまう。そして結果的に、視聴者に「本当の姿」が届かないことになって「知る権利」を損なわせてしまう恐れがある。
テレビ局側もこの「線引き」をよく理解して番組作りに臨めば、制作者が萎縮することなくバッターボックスに立つことができるはずだ。
田淵 俊彦(桜美林大学芸術文化学群ビジュアル・アーツ専修 教授)
|
![]() |