( 133722 ) 2024/01/29 22:05:22 0 00 ・自分が藤沢で飲み歩いていたころに顔馴染みになって何度も会っていたうっちーと呼ばれていた内田さんかも︎ と昼間のワイドショーで思い、ジェームスブラウンが好きとか2012年当時の写真などの後追いの情報で、やっぱりあのうっちーのような気がする。もしそうなら、彼が桐島だということも、亡くなったということも両方悲しいです。ちなみに前歯が何本か欠けていたのも印象的で、歯医者さん行けなかったのかな、と。
・何年も経つと事件を知らない人が増えて関心が薄れてしまう。だから、ポスター等で顔を広めるだけでなく、今時のショート動画や動画投稿等で、定期的に事件について紹介するだけでもより顔が広まり関心も強まるのではないかなと思います。それに、自分自身を思い返しても、携帯を見たり音楽を聞いたり、最近は周りの風景をあまり見ていない気がします。ポスターが目につかなくなっている時代ではないでしょうか?
・彼が起こした事件に関しての詳細はわからずに終わるのかもしれないけどこの組織の全容や一番大きな事件に関しては全員逮捕済みで詳細もわかっているから特にって感じがします。50年間どうやって逃亡してたかも40年近く同じ会社に勤めてその目の前のアパートで生活していたのだから概ね想像つくでしょう。最期に名前を名乗ったのは世間に何かを誇示したいのではなく単に本人として死にたかっただけだと思う、もし内田洋のまま死んでたら絶対に桐島聡にはたどり着かずに処理されていたでしょう。あと少し驚いたのがやっぱり死期ってわかるものなんですね。
・本来は気さくな人の様なので、普通に大学を卒業して、エリートで普通の家庭を持つ人生もあったかもしれない。 又は、一風変わった風来坊で、気ままに1人で音楽を聴きながら生きていたかもしれない。 道を間違え、償いをせずに何十年も逃げ続けた結果がこれか。謝罪すら無いし、もう出来ない。 被害者の方はたまらないだろうし、彼の人生を思うと複雑な気持ちにもなる。
・偽名を使ったとしても これだけ長い人生を送れたのだから 誰かしらのサポートや援助があっただろうし保険証とか税金の支払いとかどうやってたのか気になる。戸籍を買ったのか誰かになりすましてたのかも不明だし今後の捜査に期待したい
・桐島聡の所属していた明学のさそりグループは三菱重工の爆破をやったが、桐島聡はその事件でなく、別の建物の爆破で容疑がかけられ指名手配になっていた。人を殺した容疑ではない。 早くに捕まったメンバーの宇賀神は15年の刑期を終えてもう自由な身になり、普通の生活をしている。 大道寺と佐々木の国外逃亡が無ければ桐島聡はとっくの昔に時効を迎えている。 50年も最初から逃亡したことは彼にとって不幸な人生だったと思います。
・この時代の事件や学生運動については、今の当時と同じ年代の人には理解できない者だと思う。 げんに私も何でそんなに真剣になれるのだろうと理解は出来ない。 けど、こんな身近に誰にも気付かれずに居たのなら、やった人達がこれから現れたとしたらどんな思いで今振り返ってどう思うのかなどいろいろ聞いてみたい好奇心はある
・ここまで私生活を報道するってことは、まだ確認中ではあるけど本人で間違いないってメディアは判断してるんだろうな。
これで別人でしたってなったら、名乗った別人の私生活を全国ネットで放送しただけになるな。
・罪を犯しながら、社会生活を送りつつ、趣味も楽しみ、最後は本名で死ぬという自分の希望が叶った。通常の医療行為も受けられ、恐らく緩和措置もなされたと思います。結局罪を償うこともなく、この世を去った。私には罪を犯した罪悪感や被害者・遺族への謝罪の気持ちは無かったと思います。
・男の知人からは、音楽好きの良いおじさんで特にジェームスブラウンとか、 乗りの良い音楽が好きだったとのコメントをもらっているが、 内田洋という偽名を使っていることから、クールファイブのファンでもあったのではないかと推察いたします。 それにしても、自身が子どもの頃に内山田洋は前川清の別名だと思っていた人は私だけではないと思います。 もしくは、内山田洋さんて前川清さんにそっくりな人だなあと思っていた人もいたのではないでしょうか。
・人生色々だなぁ。犯罪者が普通に社会に馴染んで身近で生活していたと思うとぞっとする。 ウッチーと呼ばれ親しまれていたらしく写真も見たが良さそうな感じの人に見えるし人間の多面性、奥深さ、を感じて複雑な気持ちになる。 自分の中では社会に馴染んで潜伏しながら償ったつもりだったのか…それとも…してやったりの気分だったのか… 気持ちを想像してしまう。大人しい人だったと言われていたが大人しくしていたんだろうな。 普通の生活が出来ていれば保険証も持て安く病院にも通えたり車の免許を取り車に乗れたり色々出来たのに。 不便さはあっても犯罪者にとっては充分な生活をおくれていたのだろうか。70歳で病死。人間誰しも平等に訪れる死。死を間近に何を思ったのだろうか。苦しみながら罪の意識にさいなまれたのだろうか。 警察の負け。確かに。未解決事件は沢山ある。身近に犯罪者が馴染んで生活しているのかもと思うと怖い気持ちになる。
・自分という存在を世間から無くしたように生活する50年間は長い。どのようにそれを可能にしていたのか…周辺から全く孤立してしまっても、それはそれで目立つ昨今だ。そんななか、身分証明もなく、住民票も得られない過酷な生活の不遇や不便で当然困窮もあったのではないか。 一旦過激思想に取り憑かれた人間のその後にも、人生はある。むしろその後の方が、圧倒的に長いではないか。 今回重篤ながん罹患で、発覚に至った容疑者。ドラマや映画ならここで終わりだが、容疑者の過ごした50年間がまだ明らかにされてはいない。 彼の目にはこの50年間の日本の変遷はどう映ったのだろう。アナログな昭和から、時代のあらゆるシステムは激変している状況で、気配を消しての生活は、もう限界だったのかも知れない。
・勝手な人間だと思いますが 同世代として言えるのは彼らの思想として当時は大企業は反革命勢力として 見ていた。彼らのテロリズムの対象は人ではなく大企業や政府だった。 特に戦争がイメージされる企業は狙われていた。 日本政府は米国のベトナム戦争を黙認していたから若者の反感は根強かった。 日本は戦後30年程度なので戦争忌避の感情がかなり強かった。
・写真はその人の本質を瞬間的に微分して表現する、だから写真うつりは嘘をつけない、と言ってた写真家がいたけれど、いかにも悪そうな人相の指名手配犯の顔写真ばかりの中でこの人だけが微妙に爽やかで異質だなと子どもの時から感じていた。 行った犯罪は許されるものではないけれど、テロ組織であれ建設会社であれ属する組織の中では従順で素朴な人だったんじゃないのかな。 もし間違った道に進まなかったら意外と普通の人生だったのかも。
・転職するもの難しかっただろうし、保険証がないのであれば治療もできず、色々と不便な生活だったろう。
知り合えば、学生時代の話や家族の話をすることもあるが、彼は出来ず、音楽しか他の人と詮索されずに話せることはなかったのではないだろうか。
逃亡生活は、そういう意味では刑務所生活に近い辛さはあったのかもしれない。
早い段階で罪を償った方が幸せだったのでは?と思うが、それも結果を知ったから言えることなのかもしれない
・この事件あった時はまだ生まれてないけど、よくこの容疑者の指名手配の顔写真や街でもネットでも見かけたけど、普通に日本国内の病院にいた潜伏していたことは驚いた。 ただ、半世紀も警察の捜査に怯えながら、肩身の狭い生活を送っていたと思うと、桐島容疑者に同情するつもりはないけどとても複雑な思いになる。一人の若者もとある特定の思想に染まればここまで豹変するのか と…。自首していたらどんな判決が下されたかは分からないが、まだしっかり刑罰を受けていた方が良かったのではないかなとすら感じる
・他の指名手配犯も普通に生活してるかもね。 警察は昔ながらの捜査員による顔確認ではこうなるわな。 時代に合わせ警察は捜査にもっと今の技術取り入れないとダメだと思う。 顔認識のAIと捜査員とではどちらがより確実で効率的に手配写真から監視カメラ映像にて犯人特定できるのかな?? 税金使って捜査してる警察はキチンと結果は出して欲しい。 捜査員と顔認識AIで公開比較実験をして欲しい。 捜査員削減しその分の予算でより高度な顔認識システム構築するとかできないの?
・難しいですね! 雇い主さんも所得税や健康保険等 雇用関係にあればなすべき義務も生じた筈 逃亡中の弱みに漬け込み低賃金で働かせていたとするなら少なからず罪はあると思うし 他にも罪があるのではと勘ぐってしまうけど…せっかく本名を名乗るならもう少し事件や潜伏生活を明かしていていてくれるとよかったかなぁ!
・藤沢市民で、駅周辺で飲んでますので、どこかでお会いしてたのかな。 やったことは許されない事、遺族には恨まれても仕方ない…ですが、 擁護ではないが、藤沢が居心地よくたまに、語らう仲間がいて、誰かが気づいて捕まることを待っていたのかなとも思ってます。 最期はプラマイゼロに戻ると思っているので、隠れ逃げてきた半世紀で、十分な反省もしたのだと信じたいです。
・病院に行くのをギリギリまで我慢してたのだろうから、自分が命に関わる重い病気で、そう遠くなく死ぬのは本人も分かっていて、そのときが来たらどうしたいかを考えた末の「最後は本名で迎えたい」だったのかなと 今となってはその意図すらわからないけど、最後の望みが、自分が何者かを認めてもらうことというのは哀れ
・安保闘争からの学生運動の凄まじかったこと、今でも左翼系の学者やコメンテーターがもっともらしくエネルギーが有ったとかそれに比べて今は政治に無関心だとか誉めているが自分はとてつもない時代を過ごしてきたと思っている、会社の同僚の女性が旦那は警視庁機動隊員だと、今朝出かけにもしかすると学生運動のデモ隊に殺されるかもしれないと言って家を出ていった心配だと言っていた言葉が今てもおもいだす、マスコミやコメンテーターが警察はやり過ぎだと言っていたが、いや実態は反対なのですと思いましたしだいです。
・私は事件を知りませんが、被害を受けた方は、本人だけでなく、家族も同様に人生を狂わされ、一生その傷を持って生きていくわけで。 人の良さそうな人がひっそりと身を偽って隠れながらも最後は本名を名乗って死んでいった、という世間の同情や憐れみを誘うようなことはあってはならないはずですよね。
・彼が目指した革命がなされなかった日本で、彼自身が50年間その経済発展の恩恵を受けながら生活したことに対する思いを彼に問いたい。当時、反革命分子と定義した大企業の中には、巨額の不正会計を犯しながら何の刑罰も受けずに生き続けている企業もある。一方で、彼が信奉していたテロリズムによって是正された政治と宗教の問題もあったことも否めない。
・金曜日に最期は自分の名前で死にたいと言って表に出てきて 今朝、亡くなるというのは 彼にとっては本望だっただろうな。 警察病院で治療を希望とか考えて出頭したのかなとか思ったけど 本当に死期を悟っていたのかな。
仕事はしてたみたいだけど 税金とかどうしてたのかなぁ
健康保険や年金もあるだろうし。 かけたとしても偽名なら 使えなかったとかかなぁ・・・
若いころ どういう義憤に取りつかれて 変な正義感の元犯行に及んじゃったけど そう考えると寂しい人生だったのかも。
・正直、二度と見つからないと思っていました。海外に高飛びして既に亡くなっているとも思っていました。 まさか、日本で生活していたなんて。しかも50年も。
追われている身なので、常に警察に怯えながら、社会保障は一切受けられず、狭くて小さくて綺麗とは言えない家に隠れるように住んでいたことを考えると、刑務所生活の方がまだマシだったのかもしれません。
50年にも及ぶ潜伏生活とその最後が、桐島容疑者への罰になったのではないでしょうか。
ともあれ、逃げ得はあってはならないので、まだ見つかっていない指名手配犯も゙、今回の桐島容疑者の例を参考にして、見つけられれば、と思います。
・身分証が無いから保険も入れないし、住み込みで給料も直わたしなので勤務先からは訳ありの人物程度には認識されていただろうが、本当に誰も疑わなかったのだろうか。青春時代を懐古するような趣味に、余命幾ばくになってからの名乗り、息を潜めた半世紀の生活でも、罪の意識もなくプライドの高い未熟な精神性はまるで成長していなかったのではないかと思われます。
・犯罪者の気持ちが全くわからない 私は見た目がやばいのか職質はよくされる 趣味が未知の路地歩き 住宅街は路地を散策してます そして挙動不審ときた そらそうだ散歩が趣味で 未知の路地に初めて入るのが好きなのだから 以前あまりに腹がたったので 散歩をするルートを警察署に事前報告と 持ち物はスマホと財布 ボディーチェックしてくださいと願いました 人を見た目で判断するのは よくない、イカツイけどクロちゃんみたいな優しい優しい人が大多数ですね。
・健康保険証や運転免許がないだけで、 かなり普通に生活してたっぽいですね。住所や職業を転々としてた形跡もなさそうで。桐島容疑者の指名手配ポスターは子供の頃から見てますが、こんなどこにでもいそうな(50年前ならさらに)顔写真で逮捕協力呼び掛けていた公安警察も本気で捕まえようとしていたのかと疑問に思ってしまいました。
・その是非はさておき、本気で革命を志したからこそテロに加担した末に潜伏生活を余儀なくされた人生だったのだろうが、こうして逃げ延びられてしまえるほどに影響力がなかった点については、どう受け止めていたのだろうか。或いは何かしら自分に都合良く解釈して誤魔化していたのだろうか。 容疑者を一人の犯罪者として逮捕・起訴できなかったことは確かに日本政府の敗北かもしれない。が、容疑者も容疑者で「犯罪者」という烙印を拭い去れなかった以上、必ずしもこれは容疑者の勝ち逃げではなかった可能性もあるのではないだろうか。
・想像の域を出ないけど、死ぬ直前に本名を明かしたのは親族や仲間へのメッセージだったのではないかな。それもただ単に「自分は生きていたよ」もしくは「自分は死んだよ」というシンプル極まりないメッセージ。
・本人にとっては実りのあるそこそこ充実した人生だったんだろう。彼が事件を起こした時代は若造である俺には分からないが、今の時代にはないその時代だけの感情や熱意で起こしたんだと想像する。 事件については許されない事だが、とりあえず今は冥福を祈る。
・やったことは決して許されるものではないのだけれど二十歳そこそこのまだ分別もおぼつかない年頃の時に取り返しがつかないことをしてしまい、その後の半世紀人生の大半を怯え後悔し病院に行くことも出来ず生きてきた。そして自分の終りを悟った時にこの世に初めから存在しなかったかのように消えていくことに恐怖を覚えたのだろうね。だからこそ名乗り出た…堪らなく哀しい話だ。
・何十年も他人の名前を語り、工務店の寮に住み込みで給料も現金渡し。長い間、不自由な暮らしを続けている間に世間はどんどん自分と比べれば豊かになって行く様を見ながら一体、何を考えていたんだろうか?捕まりたくないの一心で逃げ続けた福田和子と比べると、この人も同じ理由だと思うが生活水準が前者より随分と低かったと思われるし、何故にここまで逃げ続けたんだろう。福田は逃走中に家族に連絡をしていた事から未練の類が有ったと思うがこの人は今の所、その類の話は聞かない。何に未練があって逃げ続けてこんな寂しい人生を何十年も送って来たのか最期に話して欲しかった。
・58歳の時の写真が他記事で出てますね、ふっくらしてますね。手配写真では特徴が伝わりづらいためか近くに居ても気づかないかなぁ。数十年工務店で仕事しながらウッチーと呼ばれながら馴染んでいる。この狭い日本で数十年も他人として生きてたのも逆にすごいな。
・この記事を読む限り音楽好きで仲間も居て暗い感じはなかったので、学生運動に参加していなければ家族を持って今頃は孫も居たのかと考えると何だか寂しい気持ちになる。 逃亡などせずに自首して刑務を終えていた方がその後の人生は幸せだったのかも。
・当時の事は記憶に定かではありませんが、この様な事件を起こし、50年もの間逃げてた、と報道や交番前のポスターでは見てました。事件当時思想に嵌り、犯行を思い立った人がその時、描いた将来だったのか?と言うところは物凄く興味があります。 最後は桐島聡として死にたい、はこの世に生を受けた1人の人間としては全く同意ですが、であるなら何故その時代にあの様な事を企図し、実行し、そしてその様な末路を辿る迄逃げ続ける選択肢しか選ばなかったのか?自主する等の手法もあった中、普通の人生としては余り良いとは言えない生涯を過ごさなければならなかったのか?罪を犯したものでしか分からない葛藤や自責の念を持って生きてきたそのものを生きている間に公にして頂きたかったです。社会を揺るがす重犯罪でしたが、やった責任を負うべきですし、不特定多数の罪のない人の命を奪っても自分は生きたいのか等、質問したい事は山のようにあります。
・孤独で過酷なんかじゃないですよね。 むしろ趣味を楽しみながら人とも交流していてエンジョイしてたように思えます。 藤沢は田舎ではなく、海アリ買い物も便利、楽しめる土地です。 趣味も楽しんでいることから、私より人生謳歌してると思いました。 指名手配犯に日常生活が負けてるかもしれないと感じる人もいると思います。
・当時は大学構内や寮にヤバい組織のチラシが貼られてたな。そういうのに感化されテロに加担した若者いた。20歳そこそこで間違いを犯したものの、主犯でなく従属的でこの男の犯行では直接の死者は出ていない。自首すれば長期刑にはなっただろうけど、死刑や無期は回避できたでしょう。罪を償ってほしかったね。
・事件を知らない人が大半になった今、写真やこういう記事を見たり読んだりすると、昔は何かやったらしいけど、桐島と言う、人のよさそうな人が癌で亡くなったんだなという印象を抱かせてしまう。その意味でも裁判で真実を世に知らしめてほしかった。
・潜伏生活なんていうけれど本人は若い頃の指名手配写真がずっと掲示されてるから時に隠れたりしなかったのだろう。木を隠すなら森の中ではないが、変に人付き合いを避けたりする方が不審がって逆に目立つ。またひとつ昭和の歴史が閉じた気がする。
・なんだか極悪人が逃げ勝ちしたみたいな印象あったけど、この方は死者が出た事件には関わってなかったんですよね? 正直なところ罪の意識もそれほどなく、後悔したことはあっただろうけど、のらりくらりとフーテン生活をやりきった人生だったんじゃないですかね 最期は本名で死にたいというのが嘘偽りない本心なら ちょっと切ない気もします
・色々な記事が出ているが。
それらを見て思うのは数年前に逮捕された大坂容疑者との違いかな。
後者の場合組織的な支援を受け逃走しそして匿われ逮捕時も結構身なりは整っていたし健康そうだったし。
孤独な逃走生活だったのかな?
・潜伏していたとしても、新たになにかを企てようとしていた訳でもなく、シンパ活動を地下でしていた訳でもない、ただただ身分を隠して細々と暮らしていたようだ。自首しても前科が付いて刑務所行きが怖かったのか。政治的な信念も無さそうで、何となく気の弱い普通の人間だったのだろう。青春時代のほんの一瞬、面白半分に爆弾騒ぎを犯した代償は、50年間の無為な生活を送らなければならなかったことを本人はどう思っていたのか、今となっては誰一人判らない。何故もっと早く自首しなかったのか。人間って言うのはわからないなあ。
・容疑者が亡くなったから真相が分からなくなった…なんて言われているが、真相なんて大層な物はないだろう。 何かに意義を唱えて事を起こせば頭が良い、注目される、と言う程度の理由だろう。 何故ならその後は何も主張せず、息を潜めて死ぬ間際まで細々と生活していた。事件を起こしたのは若気の至りと思って、最期に謝ろうと思ったのでは…
・逃げ切りな上、最後に名乗れて完璧、 とか言ってた人々もいたけど、そうかなあ??
逃げ切りかどうかは知らないけど、 半生を名無しで過ごす羽目になった上、 最期を「自称、桐島さん」で迎えてしまうのって 「自分の名前を取り戻した」と言えるのだろうか??
アイデンティティーの最も大切ともいえる、 名前をを取り戻したかわからないまま亡くなるのって かなり上位の不幸に思えるけどなあ。
・早く自首するべきだったかと。 逃避行を続けるというのは自分を隠し嘘をつき続けるということ。 死ぬまでそれを続けるというのはつらいことです。 自分のやったことが間違いだったと反省することはあったのだろうか? 爆弾事件を起こしても何も変わらず罪意識だけがのこるのは人生を棒に振ったという後悔だけでしょう。
・これは物語になりますね!勿論その後映画化して語られる事は非常に面白いことですね!身近に警察の目があり日本中に顔写真が貼られて居るその中50年も隠しとうした人生ジャンバルジャン、おそらく悪い事はせずいいおこないをして周りの人に溶け込んできたのでしょうね!
・過激派というのは社会に溶け込むことが1つの目的だから潜伏していたことも周囲と交流していたこともあまり驚きがないです。 約50年ですから社会も相当変化し折り目、折り目で気づかれなかった辺りやはり活動家らしいといったところでしょうか
・地方で受験勉強に集中して、或る意味、純真無垢な状態で、東京の大学に合格して単身、上京。そこに、特定の歴史観を正義として説かれて行くと、それにのめりこんでしまうという傾向。純真であればあるほど、免疫がなくその特定の思想に取りつかれてしまう。まだ、全体的・総合的な判断力が育っていない状況で。その時の周りの環境に動かされてしまう。 ほんのわずかな環境の違いで、進む道が大きく外れてしまう。 運命のいたずら・・・と言おうか。
・この事件もハイジャック事件で超法規的措置で釈放され海外逃亡した容疑者がいなければ、すでに時効になっていた事件。そしていまだに海外逃亡した容疑者が捕まらない限り、事件は解決していない。
・この事件もハイジャック事件で超法規的措置で釈放され海外逃亡した容疑者がいなければ、すでに時効になっていた事件。そしていまだに海外逃亡した容疑者が捕まらない限り、事件は解決していない。
・これだけ写真が全国的に知られているのに普通に生活していて全く気づかれない。クセのない、相当普通の人だったのだと思います。 逆に言うと社会にすんなり溶け込めて幸せに生きることができたはずなのに。 人は生まれ持って与えられた幸運とは反対のものに憧れあらがって生きるんだな。
・ほんの少しだけ、彼の生涯に同情する。彼らの行動はオウムのような私利私欲の攻撃では無かった。不当に盗られた日本の国家体制、アメリカの属国となった日本政府に、立ち向かった国民、庶民は過去の歴史の居ただろうか? 日本が揺れた明治維新でも、若い侍たちが命を掛けていた。 今の日本で、それだけの情熱を掛けて、誇りある国家を、取り戻そう、と戦える日本人は何人、居る? 桐嶋も闘争に参加せず、シレ、っと就職でもしていれば幸せな人生が歩めただろう。然し、爆撃で命を落とした人、障害者となって一生を台無しにされた人も居た。もし、霧島が隠れながら家族でも持っていたら、これまた違う感想を述べるが、彼なりに贖罪の一生を背負っていたのかも知れない。いずれにせよ、誰も幸せにならなかった事件で、クーデターだったね。 でも、もう存命でないだろう桐嶋の両親、息子は息子となって帰って来た。共に冥福を祈ってあげたい気持ちはある。
・それなりに充実した暮らしを送れていてもやっぱりしんどかったでしょうね。最期に自分が桐島だと告白した点から見ても。
仲良くしてた周りの人たちから見れば、指名手配犯だったんだ、とかではなく「どんな気持ちで過ごしていたんだろう。」という気持ちになるものなんですかね。
・仲間と連絡とってたかもわからんし 犯罪期間はわずかでも 残りの人生のほうが遥かにながい その間考えることもあったろう ただ、やったことの無意味さや 亡くなった方への贖罪 まあそんな気持ちがありゃ自首してるわな どう思ってたかは 聞いてみたかった気はする
・病気になっても病院に行かず偽名で働ける所は結構ありますね。企業が社宅など提供して損害保険も企業が負担する形で請け負いで働く感じです。このように最後は行き倒れてきな死に方になりますが、かなりいますよ。
・軽犯罪、重犯罪ひっくるめて日本の刑法犯検挙率は46.6%と、犯罪を犯しても半分の犯人が捕まらずに一生を終えるというデータがあります。彼もそのうちの1人でしょう。 マイナンバー制度が全国民に完璧に行き渡り、10年ほど経つと、検挙率は大幅に改善するらしいです。ほんとかどうかしらんけど。
・手配犯のなかでも一番顔を覚えてる人。 福田和子みたいにTV捜査の番組があればどうだったか。今ならインスタやYouTubeのショートで今の顔の想像写真出すだけでも効果あるかも。この情報社会の中で堂々と市民生活営みながら逃げ切ったってどう理解したらいいのかな
・この事件を知らない世代です。 この人の手配書すら見た記憶もない。 でも、娘は通学路に2ヶ所貼ってるから知ってました。 それにしても、亡くなる前に本名でって、何だろう?私個人の見解としては、反省はしてないし、警察や世間に対しての勝利宣言のような気がする。50年弱、大変な事もあっただろうけど、ここまで亡くなるまで捕まらなかったのだから。
・同じように偽名で住み込みで働いて潜伏してた市橋達也は周りは金をせびろうとしてくる輩ばかりでいつ懸賞金目当てで通報されるかわからず恐怖で点々としていた。 桐島容疑者の場合はよっぽど良い人ばっかり集まるような所に入れたんだろうな。 身分証明できないどこの馬の骨かわからない人物を特に詮索もせず数十年も雇ってくれるなんて希少な存在だろう。
・この事件は全く知らなかったが高校生と中学生の子供が駅でポスターを見ていたようで「捕まったの」と話していた。やはり警察が駅に掲示する事で知名度は上がるような気がする。
・逃亡して全国自転車で逃げ回っていた奴が数年前に捕まったがつい最近の写真でさえわからない状況、歯形や目球とか指紋とか変えるに変えられないものでないと人の顔を見ているようであまり見てない。
・逃げ切れたかもしれないが はっきり言って懲役実刑もらって その後の人生を自由に送った方がよほど幸せな人生だった可能性が高いと思うけどな ボロアパートに1人ひっそり人生を送り、まともに医療も受けられず末期癌で70歳で死亡なんて絶対後悔してたはず
・名前を公表してこうやって世間に過去の事件を思い出させたこの方は、やはり何かをずっと訴えかけたかったのでしょうね。 やり方は肯定出来るものではありませんが。 しかし、何でマイナンバーを取得出来ないような人が隠れて生活を続けられる世の中なのでしょう。そっちが不思議です。
・70年の人生で うち50年を偽名で生きた人生。まだまだ犯罪後の人生長かったのだから罪を償い服役して生きてく道もあった中で、偽名を使い 周りの人と酒交わし、家に人招きって それなりに楽しんで生活してたのなら罪の意識は低く、最後は本名でって自分中心な人生で、被害者遺族は報われませんね。
・半世紀生きた者として、自分の幼い頃から小中高までの思い出全て、その時彼は逃亡してたんですね。何とも言えない不思議な感覚です。 桐島よりうっちーとして長く生きたんでしょうか。 悪い事は悪い。罪を償って欲しかったですね。
・結果的には逃げ切り成功かもしれないけど 最後は自分に戻りたかったって言うんだから いつも追われてるような身で落ち着かない人生だったんだろうなと思う
・他の仲間とは連絡を取っていたのか、支援者はいたのか、逃亡生活はどんな様子だったのか、事件を起こした動機など本人の口から語られることも、裁判で裁かれることもないだけにやるせない。逃げ得みたいな感じで許せない。
・勤めていた工務店がかなり怪しい。正規にせよパートにせよ給与を払っていれば雇用者には源泉徴収が義務付けられている。桐島の様に住民票が無い人間はこの段階でバレる。工務店としても給与を経費として落とそうとすると必ず「どこの誰に払ったか」が必要。 工務店は事情を知ったうえで、何らかの不正経理をしていたと思われる。
・もしかしたら昔の仲間や逃亡を手伝った人や、親族などに自分が亡くなった事を知らせたかったのかなと。あと事件に巻き込まれた方とかにも。自分は今日まで生きていて、逃亡、潜伏していたけれど、 これで終わりですよと。そして最期に自分なりの美学を貫いて逝きたかったのかなと
・海外逃亡されたらどうしようもないけど、せめて国内では潜伏して生活できない仕組みを作るべき。 給与を現金手渡しでやってたみたいだけど、口座振り込みを義務化にしたり、健康診断を義務化したり。 多分保険証作らなかったからここまで悪化したんだろう。 普通の国民なら何も問題ないけど、犯罪者には不都合な縛りを何かしら作った方がいい。
・若気の至りじゃ済まされない事件を起こして、華々しい若い時代を捨てて、その後50年も別の人間として生きてきた人間。全く同情しないが、どういう気持ちでどう言う生活を送ってきたか聞かずに終わるのは残念だし、そもそも最後に、自分を名乗って死んで満足するなんて、到底許せることではないし、ずるいなとは思う。
・こんな50年を過ごしてでも自分は正しかった!と思っていたのか? あんなことさえしなければ普通に過ごして今頃孫でもいたのかなぁ‥と思っていたのか? もう知る術もありませんがお亡くなりになった方々、負傷し心身共に傷痕が残った被害者に謝って欲しかったです。
・この人物は孤独だったのだろうと同情的なコメントがあったが、世間に堂々と姿を晒すことができなくなったのは本人の行いのせいだし、警察に出頭せず逃亡したことは強く非難されなければならない。
・情緒的に報道しようが重罪人に変わり無く ましてや自首することもなく、逃亡してた人間なんだから自省する事も無かったんでしょう。 最後に本名を名乗るんでなく、もっと前に本名を名乗り罪を償うべきだったね。
・罪の意識とか、最期を覚悟して改悛したとかで本名を名乗ったのかと思ったけど、 これじゃ逃げ切った勝利宣言みたいになっちゃったな…本人がどっちの意味で、 今際の際に本名を名乗ろうと思ったのかわからないし、出来たら改悛の情があって 本名を名乗ったと思いたいけど…
・50年と簡単に言うけど、私がまだ5歳の幼稚園の頃 この頃から潜伏していたとは気が遠くなる あれから50年、私もいろんな人生を歩み、彼も怯えながらも生きて来たのだと思う ずっと偽名を使い続け、本名を名乗ってわずか4日で亡くなってしまった 半世紀逃げ続けて、わずか4日の桐島聡だった
・公安は、実は公式発表前に確保していて、ある程度の取り調べが済んでいたのでは、と裏読みしますが、発表通りで、逃亡のことが不明のままならば、捜査当局の完敗ですね。 逃げきった五十年を知りたかったです。
・革命組織は革命後の世界を顕す。内部で殺し合うような組織は、革命を成功させた後もそういう未来しか作れない。何も良いものを生まずに周りを傷つけ、自らは追われる身となった数多くの自称革命家はそのような基本的な事が分かっていなかった。
・秩父事件の首謀者、井上伝蔵を思い出した。 欠席裁判で死刑判決を受けるも北海道に逃げのび、 法律に詳しいことを活かして商いを成功させた。 事件から34年後に死期が迫ると妻子に正体を明らかにし、 やってきた記者に写真を撮影させた直後に息を引き取った。
・革命組織は革命後の世界を顕す。内部で殺し合うような組織は、革命を成功させた後もそういう未来しか作れない。何も良いものを生まずに周りを傷つけ、自らは追われる身となった数多くの自称革命家はそのような基本的な事が分かっていなかった。
・秩父事件の首謀者、井上伝蔵を思い出した。 欠席裁判で死刑判決を受けるも北海道に逃げのび、 法律に詳しいことを活かして商いを成功させた。 事件から34年後に死期が迫ると妻子に正体を明らかにし、 やってきた記者に写真を撮影させた直後に息を引き取った。
・犯罪に手を染めていなければ保険で病院に受診できただろうし年金の蓄えもできただろう。いっそのこと早いうちに自首をしてやり直すこともできたんじゃなかろうかと思う。やっぱり逃亡していると病気になった時が堪えるというのがわかったと思う。
・後ろ盾があったにせよ、病院でもろくに治療出来なかったろうな。 今も昔も盲目で真っ直ぐな若者は騙されてやすくテロリストとか宗教に利用されるよな、やられた側もいるから同情もあまり出来ないけどもよく50年も逃げてたなと思う。
・ジェームスブラウンでグッチ裕三の『ハッチポッチステーション』音楽パロディジェームスブラウンカンを何故か思い出しグッチさんのことをWikipediaで調べたらやはり同年代 う~ん、こんな言い方アレだがもしあんなことをしていなかったならばそれこそグッチ裕三さんと同じ様に人を楽しませるおじさんだったのか ?一回り上の人に言うのも変だけど 不適切にもほどがあると思うけども 若気の至りで人生棒に振ったんだな そう思うと勿体ない気もするけども それもまたあの世代なのかなあ・・
・誰もが海外にいるか日本にいないと思ったはず。交番のポスターにある他の指名手配の人物は、いまだ国内にいるかもしれないな。しかし、身を隠すのではなく、普通に働いて接してるって、そんなに分からないものなのかな。
・学生の時分に過激派に傾倒しなければ他人に危害を与えることも殺傷することもせず、堂々と幸せな人生を送っていたかも。 潜伏期間中、保険証も無い状態だよね。病院にかかっていたという事は今までずっと実費で治療していたのでしょうか。
・古ぼけたエセ左翼が言うことではないが、選ばなくてもよい人生を選んで、多くの他人を傷つけてた挙げ句に長過ぎる潜伏生活を経て行き倒れのように死んでいく。 若き日に掲げた理想がその日々にあったのだろうか。 若き日の同僚たちに向ける顔がなかったからこそ、そんな隠れた日々だったのではなかろうか。 語る言葉を失くしたから、語らず市井の唄を歌ったのではなかろうか。 言葉を持っていたら、語りたい続けるのが最低限の使命のことはわかっていたはず。 けっきょく、安保とはなんだったのか。 生きることに頓着しない自分は、老いと共に死んでいく。 そして執着した自分だけが残る。
・よく偽名で50年近く仕事出来たのが不思議 普通、会社にバイトでも保険加入するのに住民票が必要だと思うのだか、アパートと契約とか、どうやってクリアしたのか興味深い。
・「自分の言葉で事実を話し、罪を償ってもらえたら」 負傷した被害者の方の言葉通りと思います。
ここまで正体を隠し続けた中で、今回癌になりこのような事態にならなければ、彼は恐らく身を明かすことはなかったのだろうなと。
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