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県立公園内の朝鮮人追悼碑、群馬県が撤去始める 知事「公益反する」

朝日新聞デジタル 1/29(月) 11:25 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/89f3dc575ec6743edd8dc0ab180b77fcf0906786

 

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群馬県の朝鮮人追悼碑が撤去されることになった。

この碑は、戦時中に労務動員された朝鮮人を悼んで建てられたもので、設置条件に反する政治的行事が行われたことから、県の不許可となった。

これにより、県は代執行での撤去を決定し、その工事が始まった。

県知事は、公益に反するとして決断したと説明しており、撤去は反日の意図ではないと述べている。

一方、碑を守る会は撤去を批判し、今後も碑の精神を次世代に継続して伝えるとしている。

(要約)

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太陽を浴びる朝鮮人追悼碑 

 

 群馬県は29日午前、行政代執行法に基づき、県立公園「群馬の森」(高崎市)にある朝鮮人追悼碑の撤去工事を始めた。安全面への配慮から2月11日まで公園を全面的に閉鎖し、撤去を完了させる方針。 

 

【画像】朝鮮人追悼碑撤去 アーティストが中止求め要望書 2日で2千人賛同 

 

 県が撤去するのは「記憶 反省 そして友好」の追悼碑。市民団体「追悼碑を守る会」の前身団体が2004年4月、戦時中に軍需工場や鉱山などへ「労務動員」されて亡くなった朝鮮人を悼む目的で建立した。当時の県議会はその趣旨に全会一致で賛同し、県が設置場所を提供した。 

 

 だが14年、設置条件に反する政治的な行事がされたとして、県は設置を「不許可」とした。守る会は不許可は違法だと提訴したが、「適法」とする高裁判決が22年に最高裁で確定。県は23年4月に撤去命令を出し、10月には年内に撤去しない場合は代執行すると「戒告」を通知した。守る会は応じず、代執行で撤去することになった。 

 

 山本一太知事は25日の会見で、「碑を公園に置いておくことは公益に反するため、知事として決断した。ルール違反だから撤去を決めたわけで、碑を『反日』とも思っていない。撤去することと歴史認識をねじまげることは私の中ではつながらない」と説明している。 

 

 守る会事務局長の藤井保仁さんは「県の代執行は、加害の歴史を消し去ろうとする行為を可視化し、助長するものだ。撤去されても、次世代に碑の精神をつなぐ運動を続ける」と話している。(高木智子) 

 

朝日新聞社 

 

 

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(まとめ) 

記事には、県立公園内に設置されていた追悼碑の撤去について、様々な意見がありました。

一部は、政治的な意図やルール違反があったため撤去は当然との意見や、最高裁の判断を尊重すべきだという意見も見られました。

一方で、歴史的な事実にかかわる追悼碑を政治的に利用しようとする者がいるとの指摘や、撤去に反対する声もありました。

また、一部の意見では公共の場に政治的なメッセージを掲げることに疑問を呈し、個人所有の場所に設置するべきだとの主張も見られました。

設置条件や政治的使用に関連する紛争や、適切な情報の提供、公共施設の運営などに対する議論が含まれていました。

( 133732 )  2024/01/29 22:16:28  
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・もともと、このように一部の思想信条に基づく方々が大切にされている工作物を、県立公園という、思想信条に関係なく楽しめる場所に設置したこと自体が間違い。その人達の思いを大切にするスポンサーが提供する私有地に設置すべきもののはず。国民誰しもが認める偉人や歴史的記念碑でさえ、中には私的な場所にひっそりと建っていますね。そんなに、熱くする問題ではありません。 

 

 

・裁判での判決であり知事の判断も良識的であり正しかったと思います。地元住民いこいの場にこのような政治的な建造物を設置することは問題がある。公共の公園であるから思想・宗教・政治信条とは切り離し楽しめる場所にしてほしい。 

 

 

・裁判で結果が出ているので今更議論しても始まらない。裁判の結果に従えない組織の施設が公共の場にあるのは問題だと思うので、知事の決断に賛成です。 

最高裁まで争ったのだから議論は尽きていると思う。 

 

 

・追悼碑を守る会が土地用意して移設すればいいのになんで公共の場にイデオロギーがあるものを置かなならんのだ。撤去反対って言ってる中には土地持ってるやつとか金持ってるのもいるんだろ。提供してやればいいじゃない。私有地にな誰も文句も苦情も言わないから。 

 

 

・戦時中の動員という、歴史上解釈のわかれる事実でないことを利用して設置を認めさせ、なし崩し的にその他の政治的活動につなげようという魂胆が見え見え。 

対して県としては設置を認める、規則を定める、違反があったので撤去を決める、最高裁で判決を受けるという粛々とした対応で一貫している。 

「反日的と思ったからだろう」という反論を通させない、きわめて理性的な経緯であり価値があると思う。 

 

 

・知事の判断を支持します。 

この様なまともな認識を持つ知事が居る群馬県民は良識ある県民の表れです。 

そもそも市民団体とかこの人達の素性をマスメディアはもっと詳しく一体どんな人達なのか説明しなければマスコミの意味がないんですよ。 

実際にはこんな追悼碑や慰霊碑など他にもたくさん全国各地にありますよね? 

愛国者の人達が各地方自治体に出向き行政交渉を一生懸命してます。 

その言ってる内容や受け応えてる自治体の公務員の発言などはYouTubeでも色々とご覧になれます。もっと多くの日本国民は知るべき事がたくさんあるんですよ。 

一括りに差別だヘイトだと言論や行動を封じてる側の危険性をもっと知った方がよい。 

 

 

・群馬の森は、小学生が遠足に使ったりする、地元民いこいの場です。 

 

そういう場に、政治的な意図がからんだ建造物はどうかと思う。 

 

はにわや、山ノ上碑などの三碑等々、見どころは多いのだし、これからも憩いの場であってほしい。 

 

 

・守る会事務局長の藤井保仁さんは「県の代執行は、加害の歴史を消し去ろうとする行為を可視化し、助長するものだ。撤去されても、次世代に碑の精神をつなぐ運動を続ける」と話している。 

 

最高裁で県の不許可が確定してるので、法的根拠に従って撤去するだけども、そんなに大切な物なら、私有地移設しないのかな? 

守る会の主張は、最高裁を無視した負け犬の遠吠えに聞こえる。 

 

 

・争点にすべきなのは、政治的主張をしないという点。 

市民団体側も、それを受け入れた筈。 

それを破ったのが問題の始まり。 

ルールを守っていれば、この問題は起きなかった。 

そこを忘れてはいけない。 

この手のニュースは、本来なら韓国側からも抗議や不満の声があがるだろうが、この件に関してはそれがない。 

何故なら、約束を破ったという事実があり、それを認識しているからだ。 

日本の市民団体だけが騒いでいるのであって、韓国側は意外と冷静に見える。 

 

 

・事前に取り決めしたルールを守らない、最高裁判決も守らない 

当たり前の対応だと思う。 

 

徹去費用を請求するらしいが、逃げ得だけは許さないで欲しい。 

絶対に税金で賄うことを許してはいけない。 

 

 

 

・第二次世界大戦時ユダヤ人がナチスに虐殺された過去があったが、今度はユダヤ人がガザの住民を虐殺している。 

アメリカはイラクにロシアはウクライナに侵略戦争している。 

だがそれらの国があやまちを認める事は無い! 

第二次世界大戦で日本は戦争に負けたからあやまちと思わせられているだけで、議論しても正解は無い。 

正解が無い事なのにこんな政治的思想を持った碑を作るべきではないと思う。 

こんな碑を作るから余計な議論や争いが起こる。 

そんな議論は学者がやればいいのであって公園を政争の場にはしないでもらいたい。 

 

 

・良い傾向ですね。素晴らしいことです。 

はっきり言って公共の場にこんな物が設置されている事が異常なんです。しかもそれをシンボル的扱いをされて政治的集会が繰り返されている訳だ。 

そもそも司法判断に従えないというなら代執行も止むを得ないでしょう。これを蛮行というのは当て付けにしかならないですね。 

それに記事では「市民」と表現するが、裁判所の決定に従えず、騒いでる連中は社民党や共産党、民団や総連の息が掛かった極左団体であって、彼らの日本国の主権者である「国民」の総意ではない。これでは悪質な内政干渉ですね。 

 

 

・朝日はどこの手下だか知らないが、記事にするのは勝が、事実はきちんと述べろよ 

 

追悼碑は2004年に市民団体が10年間の設置許可を得て設置 

しかし政治的主張を行わないという設置条件に反したとして、2014年、県は設置許可を更新を拒否 

市民団体が取り消し訴訟を起こし最高裁まで進むも請求を棄却 

 

撤去は当然なのだが、朝日はなにが不満なの? 

 

 

・この碑が公益に反するとは思わないけど、これを利用して政治活動をされては公益を害す部分も出てくるだろうね。 

慰霊は静粛に行い政治は政治で別の機会に苛烈にやればいい。 

ゴチャ混ぜにするのが良くない。 

 

 

・事務局長は元教員の方らしいが、自分たちの主張する「人権」の前に、社会規範や常識を学ばれたほうがよいと思う。 

 

 

・団体側が約束を破ったのが全て。 

 

思想信条以前に「約束を守れるかどうか」という人としての初歩的な問題です。 

 

彼らは「設置さえすれば、後はやりたい放題」と思っていたかもしれませんが、特定の地域や人によくある「やったもの勝ち」「泣き叫ぶ子供は餅を多くもらえる」的なゴネ得は、日本では通用しません。 

 

この件に限らず、公は憲法上の制約から特定の政治思想や個人に肩入れすることも逆に邪魔することもできません。団体側が特定の政治思想の象徴として碑を使った以上、公有地に置いておくことはできないのは自明の理。 

 

本性がバレてしまった以上、特定の信条の象徴としての石はさっさと持ち帰ってください。 

 

 

・いつもの悪意に満ちた記事です。 

 

 最高裁まで争って判決が出ているとおり用地について事前の申し合せと異なる政治的な使用状況であったこと、かつ代替地の提案に応じなかったことから代執行となったものであり、知事側に糾弾を受けるような落ち度はありません。 

 

 この事実をスットばして、あたかも代執行に非があるような書きぶりは、いつものとおりと感じます。 

 

 

・この碑はあくまでも「群馬県の許可の下」に設置されたものであり、設置許可を延長するもしないも、県に裁量権があるわけですよね。 

 

県としては「政治的な集会を行わない」という団体との約束を信頼して、設置を許したのであって、その約束が反故にされ、信頼が崩壊したので裁量権を行使したというに過ぎないのではないかと思います。 

 

既に最高裁判所からも判断が示されている上、その対象が外国の資産でもなく、日本国内の内政問題である以上、粛々と法に則り執行するのが意義であって、それを否定するのは日本という国、憲法、社会に対する挑戦ではないかと思います。 

 

 

・大体が誰もが憩う公共の場所にこういう政治的メッセージの強い物を設置したのが間違い、それに県との約束を破りそこで政治的集会話やったのだから誰の目から見ても設置した側が悪いよねとなる、当然県は撤去命令を出すだろうし裁判したって県の主張が認められるのは当然の事、「県の代執行は、加害の歴史を消し去ろうとする行為を可視化し、助長するものだ。」と事務局長さんは宣っているがそんなに憤慨してるならご自宅のお庭にでも移設すりゃ良いでしょうに、そもそも県は貴方が言ったような歴史がどうの強制労働がどうのと政治的発言はしない前提で設置許可しているのです、それを自ら破ってるんですから文句言う資格なんか無いでしょうに。 

 

 

・2004年に県議会全会一致で決まったけ事を一部勢力が求めた様な誤解をしている者がいる。記事をしっかり読んで欲しい。 

 

設置条件に反する事が行われたならその行事を問題にすれば良い。 

 

辺野古と同じ様な事が再び起きた。裁判所の動きに注意する必要がある。 

 

残置する方法としては民地所有者に協力してもらうか土地を購入する方法がある。 

 

 

 

・この碑石自体は、もともとは全会一致で党派をこえた可能な表現(友好とか未来とか)による追悼となっていた。 

ただただお亡くなりになった方を追悼するだけであれば問題ないし、国際友好にも資する。 

ただ、どうしても戦前の朝鮮人について、追悼以上に賠償とかそういう主張がまだあるうちは、公共の場の安全を守るためと言われたら仕方ないと思う。 

 

全会一致のときの、右派の方の寛容さと信頼を踏みにじってしまったのは、本当に残念だ。 

 

 

・設置条件に反する政治的な行事とは何かと思い調べてみたら、2012年追悼式での式辞に「強制連行」を使用したことか。 

設置条件に政治的行為は行わないと定められていたが、結局政治利用されかねない一線を踏み越えてしまったわけですね。 

設置を続けていたら、今後もこうした問題が繰り返されることが予想されるため、撤去は仕方がないかな。 

 

 

・愛知トリエンナーレでもそうだったけど、「日本の公的施設で一部公的な資金も使って行われたイベント、あるいは設置された設備」という名目で「日本の政府や自治体がその内容を公的に認めている、つまりお墨付きをもらっている」ことにするのが目的なんだと思う 

純粋に過去の悲劇を後世に伝えようという気持ちでやっていることだとは到底思えない 

 

 

・撤去後は、幕末から維新にかけて、日本のために奔走され、朝鮮で暗殺された首相伊藤博文氏の功績を讃える碑を博文像とともに建立するのが良いのではないでしょうか。 

 

 

・>県は23年4月に撤去命令を出し、10月には年内に撤去しない場合は代執行すると「戒告」を通知した。守る会は応じず、代執行で撤去することになった。 

 

撤去命令が出ているのに撤去する意思がない場合は代執行はもちろんのこと、罰金刑などの刑罰を科すような法律を作るべきだ。 

撤去するにも多額の税金が使われるわけで、撤去費用も支払わせるべきだと思う。 

 

 

・なんか言ってるけど、撤去の理由は守る会が政治利用などに使わない、という設置条件を破ったから。 

条件をちゃんと守ってれば撤去もされず、今もそのまま設置されていた。 

そこを指摘しても話を逸らすだけなので、裁判になり、代執行まで進んでるわけだから、まぁ仕方ない。 

 

 

・地元民です。そもそも群馬の森は、陸軍第15連隊に関わる岩鼻火薬製造所の跡地で、輸送のため鉄道も倉賀野駅から日本ケロッグー日本原理力研究所(群馬の森)まで敷設されていた日本初ダイナマイト製造発祥の地である。昔の名残りで日本火薬が隣にある場所。 

朝鮮人追悼碑が有るのも不思議では無いのだが…碑の内容が全く裏付けの無い捏造文章である。 

当時から地元民は違和感しかなく、近づかないようにしてた。こんなもんをよく県は許可したなぁって…ね。 

 

 

・戦時中に軍需工場や鉱山などへ「労務動員」されて亡くなった朝鮮人を悼む目的で建立したと言う事だけど、日本人やそのほかの外国人の人で該当者はいなかったのかが疑問。その他の該当者がいる場合はそれこそ不公平な扱いになるのでは?何故に朝鮮人の方だけの追悼碑なの? 

労務動員で亡くなった方を悼むのであれば朝鮮人の記載無くし、労務動員で亡くなった方への追悼碑とすべき。現状の朝鮮人追悼碑と限定であれば個人所有の場所でその方たちだけへの追悼を掲げる人たちだけで追悼すれば良い。 

 

 

・設置の際に決めたルールとは「政治的行事を行わない」との条件だったが、その後の追悼式で出席者が「強制連行の事実を訴えたい」などと発言。 

条件に反したとして県は更新を認めず市民団体が不許可処分取り消しなどを求めたが、令和4年6月、最高裁は市民団体の上告を棄却、「式で『強制連行』という文言を含む政治的発言があり、碑は中立的性格を失った」とする高裁判決が確定した。 

 

これが事実です、知事側に落ち度は全くありません。 

 

 

・約束をして追悼碑を設置したのに、「政治的行為」をしたなら設置許可は取り消される。 

最高裁でも既に設置許可は取り消されてる。 

県当局による代執行は合法で当然の行為、文句があるなら「政治的行為」をしないという約束を守るべきだった。 

これを差別だと訴えるなら国内にある類似の施設は設置許可が取り消される可能性があるよ。 

 

 

 

・公共の場である公園だからな。  

公園を利用する人の中には、この碑に掲げている文言に賛同していない方もいるだろうに。  

その人達からしたら、公園にあるのは公平性に欠けると思うだろうな。 

如何にも当時の県議員達が、事の善し悪しより時勢に乗っかって許可した感は否めない。 

 

 

・コメントには「公共の場所に置くべきではない」とあるが、それはまた違う話で、今回のケースは「設置条件に反する政治活動があったため条件を満たさなくなって設置不許可となった」というところ。それに対し法廷で争った結果、県(設置不許可)側が勝訴し確定した。 

ここまで争って確定したんだから、県は撤去する正当な権利があるし、撤去しなければならない。そこに相手方が何を言おうとも、最高裁まで行って決まった事項に文句を言っても日本では通用しない。 

 

言いたいことがあるなら日本国の法に則った適法範囲内で活動すればいい。それは憲法で保障されている表現の自由という正当な権利だからね。 

 

これらを混同して特定の思想や表現を妨げる意見は、逆に日本国憲法の軽視につながる=日本国民としての格を下げるので避けた方がいいと思う。 

 

 

・政権が変わっても、その都度、民意の後押しを得るため、同じ訴訟を繰り返している韓国という国は?日本も投票率の低さや政治への無関心を正当化する人が多いと思いますが、国と国で、国際的に決着した事を、何故、何度も言うの。韓国が、日本から受け取ったお金を基金を通じて、しっかり補償していれば、こんな話しは、何度も起きないはず。韓国人の友人も考え方がおかしいと言って、韓国人として恥ずかしいとまで、言ってくれました。でも、日本の国政だってと思います。 

 

 

・これはとても大事な話が含まれているので日本国民としては 

しっかりと理解していなければならない問題です。 

なぜ韓国や日本の一部市民団体が「強制動員」や「強制連行」、 

「強制徴用」などと「強制」という言葉に拘るのか。 

それが成立するためには本来は徴用できない人を徴用した場合 

という意味付けが必要です。 

例えば本来であれば徴兵できない女性を無理やり兵士にした場合 

は「女性を強制的に徴兵した」という表現になります。 

そして徴用できるのは「国民」と「植民地人」だけであり 

占領地の住民の徴用は国際法で禁止されています。 

韓国や一部市民団体は併合は違法であり朝鮮は日本が違法占領していた 

という主張をしたいので「強制」という言葉が必須なのです。 

これを認めるという事は朝鮮併合は違法な統治であったと認める 

という話につながるのですよ。 

なので決して「強制」を認めてはいけません。 

 

 

・公園内はふさわしくないとして撤去するのはやむを得ないとして、別な設置候補地を選定して移築計画しているのなら理解はできる。 

まさか、撤去してハイ終わりでは道理も理屈も無いではないか。 

国籍を超えて人間の尊厳を軽視する判断は誤りであり決して許容できる話ではあるまい。 

 

 

・歴史を重要視している割に追悼対象になる当時の犠牲者の数もちゃんと調べてない団体だから。歴史の真実よりも日本を叩ける理由があればそれで良かったのだと思われます。だからこそ、ルール違反とその後の態度を許してもらえず代執行に至ったのでしょう。 

 

 

・20年間設置していたし、法的手続きを経て撤去まできたわけで、時の流れでいいんじゃないかなと思う。 

しかもこうして話題になることで、改めて関心のある人は調べたり中身を知る機会を獲たわけで。 

 

 

・山本知事も言っていたように、追悼碑に書かれた文言は今回は何も関係していない。 

公の場に政治的な文言を刻んだ追悼碑の建立に難色を示す県側と追悼碑推進派との話し合いでお互いに譲歩しあって約束した事を推進派が破った事が撤去の理由です。 

裁判所で争う結果になったが最終判断として県側の言い分が認められた訳だ. 

 

そもそもが、県と交わした約束を違えたのが全ての原因。 

慰霊碑の文言に関係のない次元での結論です。 

追悼碑撤去反対派は、約束違反が原因だということを考えて言動を慎むべきだ。 

 

 

・同時設置に至る真の目的が理解されないままに承認されたと思います。事実に反する像が、のちに事実とされている現状があるので、撤去は正しい判断だと思います。 

 

 

・慰安婦の方が兵士より給料が高かった等新たな事実も出てきている。それに、いつまでも賠償などと言ってる国に忖度する必要は無い。それに、日本は既にそういう連中を優遇するシステムが出来上がってしまっており、これからはそれを無くす方向に向かって行かなくてはならない。そういう意味で、違法なものをいつまでも残す事自体が間違い。 

 

 

 

・慰安婦問題についてもユンミヒャン先生は事実を逸脱して活動されてるのが問題で事実は事実として隠すことはない。事業への動員についても虚偽は広めるべきではないが事実は隠してはならない。活動する人もたくさんの人が見れるる場所を失わないよう配慮すべきだ。先ずは事実を知らすような活動を展開すべきでこの様な活動を中立性を装った圧力に正当性を与えてはいけない。 

 

 

・県立公園内に設置するならきちんとルールを守るべきだったんでしょう。県立公園にふさわしくない行為があったのなら当然に撤去されるべき。国際慣例に反して慰安婦像を大使館前に設置することができるような韓国とは異なり法治国家なので勝手なことは許されない。 

 

 

・コメント自体がすでに政治的な発言が多いが、山本一太知事は「ルール違反だから撤去を決めた」と説明しているので、ルールに反するかどうかを議論の中心にすべきだ。 

 

>当時の県議会はその趣旨に全会一致で賛同し、県が設置場所を提供した。 

>だが14年、設置条件に反する政治的な行事がされたとして、県は設置を 

>「不許可」とした 

 

許可から不許可となった経緯と具体的事実が分からない。 

「設置条件に反する政治的な行事」が実際に行われたなら撤去は当然で、それ以上でもそれ以下でもない。 

 

 

・駄目と言われた事をやったら撤去と分かっていたはず。 

 

それ以前に守る会というのが何にも理解していないのはビックリ。 

 

そもそも当時の朝鮮人労働者というのは、正しくは「朝鮮民族の日本人」なんだよ。 

当時の朝鮮半島は日本だったのだから。 

 

他の「日本民族の日本人」と共に動員されたわけで、朝鮮民族だけ動員されたわけでもない。 

そして朝鮮民族も日本人として敗戦したのであって、被害者ではない。 

 

70年以上も前の事にこだわっている割には、事実を正しく理解出来てない。 

日本に住んでいれば容易に遡れる過去なのに、なぜ? 

日本人皆が同じように動員され学生までもが労働していたんだよ。 

例えば広島で原爆に遭った学徒動員の話なんか誰でも知ってるはずなんだが。 

 

 

・>守る会事務局長の藤井保仁さんは「県の代執行は、加害の歴史を消し去ろうとする行為を可視化し、助長するものだ。撤去されても、次世代に碑の精神をつなぐ運動を続ける」と話している。 

 

そもそもこの公園は県が運営してるんですよね?運営費は群馬県民の税金ですよね? 

 

無償で設置してたのか利用料を払って設置していたのか知りませんが、無償なら文句を言う資格はない。 

 

利用料を払っていたのなら文句を言いたくなる気持ちは分かるが、裁判所が決めたことなのだから別の場所を探して利用料を払って設置すれば良いだけでは? 

 

そもそも80~100年前の出来事を現代の感覚で現代に照らし合わせて考えること自体が間違っているんですよ。 

現代の価値観で考えたら100年前なんて世界中が罪を犯してると言っても過言ではない。 

当時は日本だけでなく欧米各国もアジアやアフリカを植民地支配し搾取していたのだからね。 

 

 

・県庁に配信ブース作ったり、魅力度ランキングに苦言を呈したりと、ちょっと的外れ感否めなかったけど、これに関しては圧倒的支持ができる。 

県民として、こういう改革が進むなら一太には頑張ってもらいたい。 

 

 

・この碑のどこが政治的で公益に反するというのか全く分からない。 

これは歴史であり日本人が忘れてはいけないことなのです。 

撤去は「歴史的事実・不都合な事実」を抹消しようとするもので、韓国や中国・ロシアの歴史抹消行為となんら変わらない。 

 

県議会一致で許可されている。 

 

問題は「碑」ではなく、それをシンボリックに公園内で「政治宣伝」を行った輩である。 

 

知事は自分の政治信条に反する「碑」を捻じ曲げた理由で排除した。 

危険な行動です。 

 

 

・>「撤去することと歴史認識をねじまげることは私の中ではつながらない」 

 

この知事の言葉通り、歴史認識とルールに反する追悼碑の撤去は直接関係がない話。 

 

それがなぜ歴史と関連するかと言えば、市民団体関係者が「違法な」強制動員という事実に反する発言を行っているからだ。仮に認識を改めなければならない人間がいるとすれば、それは歴史認識を捻じ曲げている韓国側、及び市民団体関係者以外にない。 

 

そもそも、日韓基本条約には朝鮮併合及び日本による統治が「違法」であったとは書かれていない。結局の所、韓国、及び市民団体の目的は日韓基本条約を韓国有利に書き換え、戦前の日本の行為は全て「違法」として「道徳的優位」を確保した上で謝罪と賠償を求める事であり、そのために追悼碑も最大限政治利用しようという事なのだろう。 

 

 

・>設置条件に反する政治的な行事がされたとして、県は設置を「不許可」とした。守る会は不許可は違法だと提訴したが、「適法」とする高裁判決が22年に最高裁で確定。県は23年4月に撤去命令を出し 

 

それで「設置条件に反する政治的な行事」って何をしたのか? 

それがわからないと何とも言えない。 

記事は片方の言い分だけを取り上げて終わりではなく、 

双方の言い分を取り上げ、もっと正確に書くべきだ。 

 

 

・他の記事でも記載があるように強制連行と表現したことが「政治的」と問題視するのは、「中立」の皮を被った差別行為ですね。 

判決が確定していたことは今日の報道で知りましたが、こんな判決が出るようでは、もう日本国ではなく、大日本帝国と名乗られてはいかがでしょうか。嫌な世の中になりました。 

 

 

 

・歴史的事実による反省について、それをイデオロギー(主義・思想)だとすり替える歴史修正主義的な保守的思考(それこそ、イデオロギー)には、注意が必要だ。 

 

一方のイデオロギーは、歴史的事実に対し、それを同じイデオロギーとして取り込もうとする傾向がある。しかし、イデオロギーと歴史的事実は異なる。歴史修正主義こそ、イデオロギーであり、歴史はイデオロギーではないことを確認しておきたい。 

 

しかしながら、設置条件に反する政治的な行事が行われたということであるから、それを裁判所も重く見たとみられる。この碑が出来て日が浅いことを考えれば、設置条件と碑の重み等を比較衡量の結果、設置条件を優先させた裁判所の判断を、必ずしも非難することは出来ない。 

 

冷静な判断が求められる。 

 

 

・本件の設置云々は司法の元、取り決めの元、粛々と進めればいいが山本一太の功績等とは捉えないで欲しいが。元々山本が就任する前からの出来事であり、しかも取り決めを破ったから法に基づいて撤去するのであって山本が良くやったと言われるべきことではない 

 

 

・県がこういう行為をするのは非常にまずいのでは?当初から無断で設置したのなら理解出来るが、議会の全会一致で許可された事案を後になって不許可にするとは民主主義の根幹を揺るがす事態出だし、約束を守るという人としての常識を覆す行為だよねぇ。施設が物理的に危険なら園内の別位置に移動するか、フェンスを設置すれば済む事でしょう?強制代執行の費用よりはフェンス設置の方が費用も少ないと思うから、やはり何か別の理由が有るのかと勘ぐってしまうなぁ。費用が少なく済めば税金の節約になるのに何でかなぁ? 

 

 

・当時の日本人の上層部がしたことは反省すべき事なのかもしれない。 

 

が、今の日本人にはそんなことは関係ない。 

80年以上前の事なのに、60年以上たって碑なんて立ててどういうつもりなのか。 

いや、慰霊碑なら立てても良いが今更国や県自治体として建てるものでもない。 

記憶にも無い事をなぜ反省等と書かれなくてはいけないのか。 

 

追悼碑とやらの存在はあっても良いとは思うが、文言は気に入らない。 

 

 

・今更この手のニュースに驚きはしないが、撤去前にこの場所に配備された異様な数の警官の配置の様子とか撤去までに至ることをしっかり報道してください。そもそも「政治的な意図が絡んだもの」を目に見えるところから次々排除して、市民同士で是非などを討論することを避けることをするからこの国の投票率が恥ずかしいくらいの低さになることを忘れてはいけない。 

 

 

・自分たちが率先して約束破って、「設置条件に反する政治的な行事」をしちゃったんでしょ?どんなことなのかは分かりませんが、自分らで設置できないようにしてしまったんだから、本来であれば、きちんと責任もって撤去すべきでしょ。 

誰も差別とか歴史的何ちゃらとかの理由で撤去しようとしているわけではないのだから。 

 

 

・県所有の土地ならそりゃ一部の思想の為の碑を設置するのは利にかなってないわ。政治的に利用される恐れもあるしね。市民団体側が自分達で土地を購入して 私有地に設置したら?まあ 地権者が売ったり貸したりしてくれるか 疑問ですけどね。 

 

 

・裁判の結果を実施するまでの群馬県の行動。当然のこと。 

 

純粋に亡くなった方たちを慰霊すれば自然なのに、追悼碑以上の政治的活動の道具にすれば収まるものも収まらない。 

墓を掘り返し、恨みと怒りを再生産する活動では仲良くできることも仲良くできない。 

 

 

・ちょっとだけ関係がありますが、お宮の中には子ども奉納相撲をやるお宮があります。 

責任は宮司、総代の方々になりますが、子どもか違う地区の友人を連れて来る場合があり、もめましたが、保険料と住所氏名を書けば参加を認めることにしました。 

もちろんお宮の境内です。 

景品が奮発されるので、どんな信条なのか不問ですし、お宮の由来とか神道とは、なんてことは一切口に出しません。 

 

 

・戦時中の「労務動員」が加害であるということ自体が間違い。当時は彼らは日本国民だったので、日本人と同等の義務を果たしたに過ぎない。設置を認めた当時の県議会の決議が間違っていたとしか思えない。 

 

 

 

・朝日新聞なので、司法判断には詳細に触れず、市民団体の声を取り上げているあたり、韓国が絡む問題だけに差別や歴史修正主義などの問題にすり替えたいのだろう。 

 

しかし「式で『強制連行』という文言を含む政治的発言があり、碑は中立的性格を失った」と高裁判決が確定しており、これは知事の独断や、嫌韓グループなどによる政治的な撤去ではなく、司法判断に基づいた撤去なはず。 

 

韓国が絡んだ歴史問題になると必ず、極端な嫌韓主義と、日本人の名誉や利益を犠牲にしてでも韓国の利益優先せよとの左派主義とが衝突するが、この件に関しては司法判断が全てであり、正しい判断だと思う。 

 

 

・どこの公共の場でも特定の政治信条・宗教・思想にまつわる理由では貸すことは出来ません。普通に憲法違反です。 

今回は追悼の意であり政治的なことは行わない、という約束のもとで貸し出された訳ですが、設置条件に反する政治的な行事がされた、という約束の反古を行ったのです。よって、撤去は当然ですね。 

本当に撤去されたくなかったのなら、守る会がその政治的な行事を止めるべきだったのです。 

まぁ、二度と貸して貰えることはないでしょうね。止めもせず黙認していたのですから、朝鮮側の人間であると、どこの自治体も認識されたかと思いますので。 

 

 

・記憶を刻むならば「記憶」と「反省」だけでいい。お得セットみたいに友好の文字はいらない。石碑の前で強制連行されたんだという行事が約束違反で撤去に至る理由、あったものをもみ消すために撤去する訳じゃないの。裁判は勝訴の件は守れと迫り棄却は完全に無視、判決を根拠作りとしか考えてない。 

この手の団体は石碑を作りたがる。生き甲斐なのだろう。 

 

一つ聞きたいけど、なんで友好になりたがってるの? 気に入らない相手と、その、およそ友好になりたいとは一切思えない言動と態度で。気に入らないなら敵視でいいじゃないの。なんでそこまで"好く思われたがってる"の。 

 

 

・記事や反対する方々のご講釈見ました。 

 

これは行政法上「許可」の要件を失ったんで行われるれっきとした法律による行政行為です。 

 それに憲法判例公共の施設の利用不可の要因、集会が行われそれが危険緊急を要する判例です。 

 個人で土地を買いそこに建てることは何も問題ありませんよ。 

この撤去に差別も過去の不幸な歴史とやらも無関係です。 

 

 

・まあ歴史的云々を除いたとしても現段階で撤去の反対運動にそれに反対する街宣車や抗議集団、警護する警察 

これらが市民や県民の憩いの場である公園に集まるんだからさっさと移転するなりしないとね 

個人的には中央区の隅田川沿いとかオススメだね 

撤去に反対してた某政党さんも喜ぶでしょ 

 

 

・この話は日本会議の女性グループ『日本女性の会 そよかぜ』が騒ぎ出したもの。反日とだから反対と言う。しかし、日本会議は統一教会とべったり、統一教会こそが反日のかたまりですよ。日本から戦争の罰としてお金を取り上げることを教義にしています。日本会議の国会議員は安部派を中心にして票を貰い、反日団体に便宜を与えている。まずは日本会議、そよかぜの解散を求める。 

 

 

・設置された時には議会の多数が賛成し、その後2014年に政治的行事があったとの理由で知事が更新許可をしなかった。その後は議会のほうも不賛成という事に変わったのでしょうか。 

 

在日の方々は戦後、とある理由で祖国に帰れなくなって、その後わたしたちと共に苦楽を共にしながら暮らしてこられたわけです。 

苦しい中、卓越した技能を身に着けて企業の幹部や経営者になり貢献される方々は少なくありません。 

しかし、中には激しい恨みや復讐心、日本人に対する敵愾心を燃やし続ける方も少なくなく、そういった方々は日本人に対する警戒心を持ったり、集団となって個々人を追い詰めたりと、政治的ないし恣意的な活動の取り組みをされているのも事実です。 

ただ、この日本列島で長く暮らしてきたわけですから国籍の違いなどを乗り越えた友愛もたくさん芽生えています。その良い関係を伸ばして信頼関係を築いていって欲しいと思います。 

 

 

・この件について色々なメディアで報じられている。 

 

改めてこの様な事態になった経緯を調べてみると群馬大学の憲法学的考察の論文があって事実と県と団体側の交渉の経緯や内容についての概要が掲載されていた。 

当時の集会の様子が動画で挙げられていたり韓国の新聞?に掲載されたり。 

 

個人的にはその様な集会の様子はよく目にするしいつものガヤ騒ぎとは思ったが、碑を立てる際の事前申請に対して県との約束やその集会が県の施設内で行われた事がアウトだったのかと。 

 

県としてそれを見過ごすことは彼らの行動を是認容認したことになりそして彼らはその事実を別の機会で利用する。 

 

県としては碑の設置趣旨等について事前に折衝し双方了解の下で許可を出していたわけだが。 

その許可をいつの間にか権利と勝利に履き違えてしまったミスなのかと。 

 

 

・結局、この手の問題って、教育なんだと思う。戦後の日本は戦争=悪、敗戦国=悪、という占領下の刷り込みで、日教組がどんどん日本のアイデンティティーをそぐ教育をして、自国の矜持より他国への遠慮を優先した結果、日本=悪いという日本人を一定数生み出したわけでしょう。 

だから、他国では自国を貶める自国民はほとんどいないけど、日本はそれが多いし、他国からの文化的、精神的な攻撃に対して、身内からそれに加担する人間がいる。しかもその他国に加担している当人たちはそれが正義と信じて盲目的に活動するからタチが悪いよね・・・ 

 

 

・場所は選んだ方が良いけれども、戦中に工場に出向いたりして働いた人は良いんじゃないの? 

戦後帰国した人もいるけど、今の朝鮮籍の人って北朝鮮でもないし韓国人でもない。 

早ければ明治初期から日本にいた人達。 

それで半島の言葉も知らなくて帰っても生活が出来ない人もいるのだから。 

差別があって日本に居て差別で職探し大変だった人達。 

併合というのが日本の言い分ならば戦中・戦後も仕事を与えるなどすれば悪い事をしなくても済んだ人もいる。 

 

 

 

・裁判で県側の勝訴となっているし、仮に移設とかになるなら市民団体有志で模索したらと思うし、そもそもが公共の場に何故に許可を出したのかが気になる。 

 

 

・>だが14年、設置条件に反する政治的な行事がされたとして、 

 

まあ、大体想像の着く「政治集会」だったんでしょうね。 

 

「当時の事を思いやる」のまではいいけど、現時点の政府批判は、違う所で別の目的で行うのが良いのでしょうね。 

 

政治活動をするために碑の建設を推進したと、言われても仕方がないことだったのでしょうね。 

 

そりゃ「外地人」はおられたでしょうよ。それが「強制/契約」なのかは、わかりにくいことだよな。給与の支出は記録されている。それを吸い上げている第三者機関があるなら証拠を集めろって。 

 

祖母は戦中から鶴橋南東部で町内会の役員だった(猪幸會1940-46)。非合法な口入屋(職業斡旋業者)は告発していた方だけど、今里で2件。猪飼野ではゼロだったんやけどな。どこの業者やねん悪いことしたんは。教えてくれや。 

 

 

・何で県立公園に設置する必要があるのか 

個人の敷地内に作るならどうぞ 

日本国は憲法で認められていますから。 

 

県立公園内なら政治・思想・信念を絡めてはいけないです。 

 

 

・県が撤去するのは「記憶 反省 そして友好」の追悼碑。 14年、設置条件に反する政治的な行事がされたとして、県は設置を「不許可」とした。 

この反省っていうのは日本が反省って事かな?日本がやらかしたって事での反省?ですか? 政治的な行事とは、ただお参りして線香でも上げてじゃなく 反日的な感じで何かしら行事をしたんでしょうか? こういう方々も静かにお参りして終わればこんな事にはならないだろうに。残念 

 

 

・「守る会事務局長の藤井保仁」 

こういう人間が居るから逆に関係が悪くなるんだよ。 

ダメな事はダメとはっきりと言うべき。 

この山本知事は、素晴らしい。 

いつまでたっても弱腰・逃げ腰・及び腰と遺憾砲しか言わない日本の政治家とは違うね。 

 

 

・純然たる追悼だけならともかく反省は余計だ 

当時は日本国民だった人を雇って何が悪い 

その結果亡くなったのは不幸だし追悼しても構わないが、反省する必要は無い 

 

いや、安全管理を怠った雇い主が反省するのならむしろ当然だが、何でその罪を日本人全体で負わなければならないんだ 

追悼も反省もしたい人だけでその人の私有地で勝手にやってくれ 

他人を巻き込むな 

 

 

・公益に反するなら公益に反しない方法があるはず。何故それを代替案として承認せず一方的に撤去するのか。少なくとも日本のために犠牲になってくれた海外の方たちなら、未来にわかるように残しておく事は大切ではないでしょうか。強制労働があった事は国としても認めている案件だと思うので。あくまでも自分が把握している内容のみでのコメントです。 

 

 

・誤った歴史観に基づくあらゆる物は、速やかに撤去処分するべき事だと思います。時間が経過すればするほど既成事実化して、後づけの由来も次々にわいて出てきます。ウソも100回言えばマコトになるのを認めては 

末代までの恥辱になってしまいます。 

群馬県は偉い!撤去費用もキッチリ取るんですよ。額の大小では有りません。差し押さえをしてでも回収です。 

 

 

・難しい問題です。 

こんな事が有ると守る会は北朝鮮に通知して拉致された方を帰せなくされたら、拉致されたご家族は泣く様です。 

拉致されたご家族は群馬県に相談する事も良いかも。 

最高裁の判決は何を基準に考えて判決したのでしょうか? 

単純に群馬県を勝たせたかったのかな? 

どんな気持で代執行命令出したのかな。 

難しい問題です。 

 

 

・自分たちでわざわざ金掛けて撤去する気など始めからないだろ。税金で代執行させた方が良いと考えたんか?一太知事撤去費用請求するんですよね?我々の血税使って撤去で泣き寝入りですか。更地になった後その上を飛び跳ねるぐらいでは心収まらない市民も多いよきっと。そんな金の使い道するなら他の事にまわして下さい。 

 

 

 

・群馬県知事は、追悼碑がそれだけ価値や事実認証に役立っていたことを認めた形になった。 

影響がなければ、そのままであったろう。ただ、事実は歴史上いや反省として残してほしかった。 

後援がだめなら、募金でも募って近所に土地を購入して追悼を続けるべきである。 

正しい歴史は消し去るのでなく追悼を続けるべきである。 

 

 

・話題にするから、話が大きくなってしまうので、こっそりやればよかった気がする。それもい嫌なら、これをおく土地を提供してくれる人がいれば、そこに移せばよいのではないでしょうか。事を荒立てる問題でもない気がします。 

 

 

・>「県の代執行は、加害の歴史を消し去ろうとする行為を可視化し、助長するものだ… 

 

最高裁判決を無視しておいて、よくもまぁ…。 

 

しかもキッカケが設置後のルール違反ならば、酌量の余地も無い。 

 

それだけこの場所に拘るのなら、近隣に居るであろう守る会とやらの、お仲間の私有地にでも移設すれば、代執行で強制撤去されることも無かったでしょう。 

 

最高裁判決から、移設するには時間的な猶予もありましたが、それを無視して放置した結果が代執行ですよね。 

 

 

・「亡くなった方々を悼む」ていうことには、政治的な意図は関係ない筈です。それなのに、何故今になって「撤去」なのでしょう。日韓友好のためには、重要な施設だと考えます。「政治的意図は無い」というなら、「何故今になって「撤去」なのか」を、納得できる言葉で知事の口から説明して頂きたい。 

 

 

・これだけの情報では内容を理解できないが、最高裁の判決に従わないのは問題がある。 

危険と言う理由であれば別なところに作ればいい事。 

公的なところに作るかどうかは県民が決めればいい事。 

 

 

・>設置条件に反する政治的な行事がされた 

 

県有地で県の設置条件に反する行為があったのであれば、撤去もやむを得ないのでは? 

政治的な行事がしたいなら、事前に県の許可を取ったうえで行うか、許可を取るのも難しければ私有地でやれば良い。 

 

 

・このルール違反があったということを深堀して報道しないと意味がない。 

これまでは公園内に設置していても大丈夫だったのに、ルール違反の問題があったゆえ撤去に至ったわけだから。 

 

 

・そもそも県立公園に設置されたこと自体がおかしい。 

そして、政治利用をして、最高裁でも負けているのに撤去しないことが余計に政治的意図がある事を証明している。 

これを撤去に持ってった群馬県はちゃんと行政してると思うわ。 

 

 

・どうしてもその追悼碑が必要なら、自分達で土地を探して土地を買って、そこに建てればいいんじゃないですか?県立公園に建てなきゃない理由なんて最初からなかったんだから、撤去は当然ですね。 

 

 

・他都道府県民から見ると、まず「群馬の森」って名前で一笑いします。理由は言いませんけど。それはさておき、公園のような公共性の高い公用地に他国の何かを崇めるものを建立するのなら、今回であれば群馬県民の承認(県民投票)は必須でしたでしょうね。対象が対象なだけに、実施されるとなれば群馬県に住民票移してましたけどね。 

 

 

 

 
 

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