( 134063 ) 2024/01/30 14:59:35 0 00 ・週刊少年チャンピオンのデビューから、おせんの原作者であるきくち正太氏の大ファンである私は、コミックの巻末で激怒され連載も止められた(そのあと復活しましたが)ことで、日テレのドラマは見ないようにしていました。同じプロデューサーだったということで、マンガ好きとしてやるせない気持ちでいっぱいです。
また、改編が悪いわけではないが、改編した内容を原作者が「これ見てみたい!」って思わせられなかった時点で、脚本家の負けです。 少なくとも日本テレビは、三上絵里子チーフプロデューサーとオフィスクレッシェンドに聞き取り調査を行い、広告代理店の圧力など含めことの経緯を公表する必要があると思います。
・問題の一つとしてあるのは、最近のテレビドラマ全体的に言えますが原案を漫画など他の媒体に頼り過ぎな事です。 視聴率を上げる為に漫画の知名度を借りたいという理由もあると思いますが より大きいのは、昔に比べ有能な放送作家はいれど有能な脚本家が不足している事にあると思います。 一概には言えませんが、今の脚本家の役割はテレビ的に視聴率を上げる為に原案に手を加える程度の存在に成り下がっていて その要因は、テレビがバラエティー番組を優先するあまり有能な人材がみな放送作家に流れていて、脚本家の育成を疎かにしていたからでしょう。
一番の問題が誹謗中傷である事が前提にはなりますが 原案を漫画に頼らず、脚本家がしっかりした脚本を書いてドラマ化する流れになっていればこうした事態にならなかった気がしますし 日テレは今更言った言わないの逃げの口実でなく、こうなってしまった要因をもっと掘り下げる責任があると思います。
・亡くなられた後に哀悼ではなく感謝は違うと思う。 まして、制作に関してトラブルがあったため謝罪が全く無いのも違和感です。 本件は作品の生みの親である作者の考えを大切にすれば良かっただけだと思う。
・かなりショッキングな出来事です。 そんな短期間に死ぬほど追い詰められるなんて、気持ち思うとツラいです。
読者のためにマンガ描き続けて、何でこんな目に遇わないとならないのか。 しかもダムで発見って悲しすぎます。冷たかったろうに。 ご冥福お祈りします。
・>日本テレビは映像化の提案に際し、原作代理人である小学館を通じて原作者である芦原さんのご意見をいただきながら脚本制作作業の話し合いを重ね、
>最終的に許諾をいただけた脚本を決定原稿とし、放送しております。
日テレの保身待ったなしの姿勢が露呈してしまった感が否めない。
タイミング的にまずはお悔やみだけの方が心象は良かったよな。初動って大事。
・日テレのこの対応に関しては、不快さと不信感しかない。本記事の内容はまことその通りだと思う。 いかに原作や原作者をこれまで軽視してきたのか。こういう事態が起こり、これまでにもこういうことが幾度とあったのではないかと考えざるを得ない。 そこには「実写化してやる」「宣伝してやる」という奢りはなかったのか。 実写化されて不評だったドラマや映画は数しれない。実写化は必ずしも原作者の利益になるとは限らないのだ。そこには作品を提供する原作者のリスクも発生する。 実写化が成功するしないよりも、原作者が「納得」できるかできないかは非常に重要だと思う。 提供した以上口を出さない原作者も多いとは思う。しかし、芦原先生のように自身が「納得」できるものにするために制作サイドにお願いするケースも多いはずだ。そのすり合わせができてなかったことは日テレの落ち度と言わざるを得ない。 その上であのコメント。日テレはおかしい。
・日テレのコメントはこっちは悪くないですよ。と言ってるようなもの。 追悼というより、逃げの発言。 原作者さんがこんなことになるなんて残念でならない。原作者さんは監督や脚本家と会えなかったと言っていた。普通原作者さんとちゃんと会って話して詰めていくものじゃないの?そうでない制作過程にも疑問だ。 日テレは追悼文出して終わりにせず、脚本家含めしっかり説明して欲しい。 原作者さん、そこまでしなくてもと思う所もありますが、辛かったんでしょうね。 耐えられなかったのでしょうね。 心よりご冥福をお祈りいたします。
・まさにその通りだと思う。 製作者の責任として、自分は非がないと主張するのではなく、こんな悲劇が起こらないようにどう向かい合っていくのかを出していかないといけない。 製作者としての責任を放棄して、ただただ自分達の正当性を主張して、問題の本質に向き合ってないとしか思えないことが悲しい。
・日テレ・脚本家に記者会見させるべきでは?自殺させるまで追い込んだのは事実なんだし。経緯を説明させるべきでは?漫画を軽く見る風潮のせいで漫画家を安く使われ、尊厳さえ踏みにじられてそれをした当事者が表に出ないって事は許されるのか?ジャニーズ問題や松本問題の時以上に厳しい視線を日テレその他関係者に向けるべきだと思う。人が自殺するまで追い込まれてるんだ。才能ある貴重な漫画家の命が。紙一枚のコメントのみで終わらせてはならない。
・小説、漫画の実写化は原作とかけ離れたものになりがち。それは映像という別メディアで表現するから仕方がない面もある。プラダを着た悪魔を見たとき、書籍で先に知っていたため全く違う作品に感じた。ハリーポッターでさえもそう思った。有名な話では魔女の宅急便などもある。原作を尊重することは大切で、小説、漫画では面白くてもそのまま映像化するとつまらないこともある。 原作者、制作側が事前に細部まで契約を交わして遵守すること、場合によっては訴訟を辞さない覚悟でのぞむ必要もあると思う。
・今回は脚本家の方に少し勘違いがあったのではないかと思っています。最近はやたら「売れっ子脚本家」などの表現で持ち上げられる事の多い職業ですが、あくまで原作あっての脚本家です。すでにある原作を原作者の意図を読み取って脚本にする事が大前提ではないでしょうか?自由に改変する事は求められてないのでは? 無から作品を生み出した原作者への敬意は絶対的に必要だと思います。
・日本テレビは、トカゲの尻尾切りというか必死に火の粉を振り払い、責任回避に努めてますね。 その保身ぶりがいやらしい。話の本質は、立場の弱いフリーランスがテレビの力に振り回されて死に追いやられたという内容ですよね。 法的責任はないかもしれないが、やはり倫理的責任や道義的責任はありますよ。
・放送するには当然「芦原さんの許諾」が必要だから、許諾をもらっているだろうが、芦原さんが問題視しているのはそこに至るまでの「過程」であって、許諾するまでに大変な苦労があったから告白したんだろう。 それをすっとばしって許諾もらっているから自分たちは責任ないよっという保身の姿勢しか見えない。このタイミングでこのコメントを出すのをよく上層部もOKしたな。
・テレビ制作の現場も、プロデューサー、脚本家も様々なんだろうが、今回の事件や女子プロレスラーの方の事件、痛ましい結果を招いてしまっている事実と責任は重く感じて欲しい。 個人攻撃は良いものではないが、他人の人生や作品を我がもの顔で扱って、結果には法的責任を取らされないのなら遺族の想いはどうなるのだろうか…。 追い詰めた当事者がコメントで、協力して作品作り上げただの、感謝だのと語るのは死人に口無しとばかりに印象操作しようとしているとしか感じないわ。
・『みかみえりこ』と『あいざわともこ』 上記2名に記者会見への参加を希望します。 もちろん、最終的な全責任は日本テレビにあると思っていますが、 今回のような悲しい出来事が二度と起こらないように、 原因究明と適切な対応、全ての情報開示をお願いします…
・原作の再現レベルの高い実写版も多々あるし、いい意味で原作を翻案してヒット作のポジションをキープしている「孤独のグルメ」のような作品もある。 自分も10年以上コミックやラノベといったコンテンツのメディアミックス展開をビジネスにしていたが、やっぱり実写化の伴う原作者との打ち合わせは絶対に外してはならない。原作キャラクターは作家にとっては子供みたいなもの。 担当編集(中には作家と一心同体くらい超優秀な人もいますが)やコンテンツ担当と原作者は体温差が絶対にあるからね。
・テレビ局側の悔やみ文と主張(言い訳)が一つの文章に混在していて、読みづらいとは思いました。 発信するタイミングについては、それが適切であったか不適切であったか、実際のところ自分にはよくわかりません。
高評価を受けていた「セクシー田中さん」ですが、その裏側では、原作者と制作スタッフ側の対立があり、結果的には全ての人たちに計り知れないダメージを負わせてしまったのかと思うと、非常に残念です。
・従来から漫画を原作とした実写ドラマ化・映画化は問題のある作品が少なくないですね。 ファンの目から見ると「これじゃない感」が半端なくてうんざりする物が多い印象です。 原作者を死に追いやったと言っても過言ではない日テレはこれまでの経緯をきちんと検証していただきたい。
漫画原作の実写化が難しい中でうまくいっている作品はドラマ・映画の制作者が原作・原作者へのリスペクトをもって作られた作品だと思います。 漫画原作のアニメ化は比較的良作が多いと感じます。「蟲師・メイドインアビス・着せ恋」などは原作へのリスペクト・愛情を非常に強く感じられて原作漫画とともに大ファンです。
・芦原妃名子さんは漫画好きにとっては尊敬すべき憧れの存在です。 一方で漫画家には、いわゆるオタク的な感じの人も多いです。逆にTVドラマのプロデューサーや脚本家といえば学生時代からカースト上位にいた人種でしょう。そういう観点から見れば、テレビ局側の人間が漫画家をどう扱うのか、自ずと見えてくる気がします。 私は以前、自分が好きな漫画がアニメ化されたことがありましたが、どこかお人好しな女性漫画家と男性アニメ監督の組み合わせでした。それなりにヒットをしたのですが、そのアニメ監督は非常に出しゃばりで、原作の重要なセリフを変えまくったりSNSでもヒットの自慢話ばかりしていました。 はたして原作者がプライドが高い男性だったら、その男性アニメ監督はここまでやりたい放題出来ただろうかと思わされました。
・私は漫画もドラマ観ていない、そんな一人です。 ですが日本テレビのコメントに違和感を覚えました。 追悼を表したというより、当社は正しい手順で進めました、仰ぐべき判断は仰ぎました、 そう、聞こえました。
私自身が何かを生み出す能力がある訳でもありません。だけど、自分が生み出したものを評価していただくのはありがたいことだけれど、微妙なニュアンスやその後の展開に必要な描写、絶対にこの表現で伝えたい。 そんな思いを抱えることもあるだろうな、とも感じます。
ドラマの制作過程で歪んでいくことも多々あったのも想像できます。 それでも最終話手前まで何とか漕ぎ着けたのでしょう。
考察などでSNSでも盛り上がる事もあるのに、この件だけはどうしてそうなってしまったのか。
弁解弁明折込みの作文ではない、敬意と温かさを感じられる表現はできなかったのでしょうか。とても残念に感じました。
・プロデューサーがぱぱっと処理した感じを受けてしまいました。 本当に保身と冷たい内容で「感謝しています」なんてこの訃報のコメントにくっつけて出すのだろうか?と。自然死や病死の方に対してなら、これまでの事を感謝するのは分かりますが、騒動の最中の自死に対して「感謝しています」なんかほんと…酷いなぁと感じました。
・改編自体が悪いわけではないです。そもそも改編しないと尺の決められたドラマには収まらないし、映像表現と漫画表現の違いもある。今回の問題は、少なくとも原作者が納得できるようにうまく上手く改編できていなかったドラマ製作陣の制作能力と、この悲しい出来事が起きてしまったあとの日テレの対応でしょう。これは本当にこのまま看過してはいけない出来事だと思います。
・至極真っ当なご意見と思います。
実写のドラマや映画化にあたっては、多かれ少なかれ原作の改変は付きもので、それに声を挙げる原作者方々も、過去にもいるにはいらっしゃいましたが、多くは原作者さんの泣き寝入り状態の中、意を決して行動を起こされた芦原先生が、こんなことになってしまうなんて…。
そんな私もドラマ自体は家族と楽しく拝見していましたが、今回の一件特に脚本家氏の一連の言動を知ると、その印象はかなり変化する気もします。 ドラマの陰で芦原先生が、これほど辛く悲しいお気持ちになられていたと考えると…。
せめてもの哀悼の意を表するには、一巻だけ読んだ原作本の二巻以降を読むことかも知れません。 一巻で感じたドラマとの乖離を、はっきりさせることにもなりそうです。
・芦原先生も作品を心から大事にしていたが故に、小学館とも協議に協議を重ねて提示した条件であったでしょうに……
先生の意向を無視した改変まみれの脚本の頻出、作品を必死に守りたい自分自身のことも無下に扱われているかのように感じ、作品づくりを続ける傍らで度重なる修正指示に疲弊しどんどん精神的にも追い詰められ、先生はどれだけの絶望を味わっていたことでしょう。
その挙げ句にあのコメント。先生に対し本当に感謝していたのでしょうか。 今回の件に疑問と悲しみを持つ誰もが納得のいく、詳細な経緯説明をお願い致します。
・視聴率が全ての民放ですから、制作サイドも含めて原作者の想いなんてどうでも良いのです。松っちゃんの件だって視聴率が取れるかメディアが売れるかが全て。だって、昨年あれだけ騒いだジャニーズ問題だって、旧ジャニタレが普通に大勢テレビに出てるし。テレビ局にまともな企業倫理なんてないよ
・脚本家の方の評判もいろいろあるようですが…。 結局のところ原作者と脚本家がサシで話してるわけではなく、間にプロデューサーと小学館の担当者がいるわけですよね? そこがきちんと折衝しながら互いの認識を合致させていかなくてはならないんだと思うよ。 テレビドラマは走り出したら止まれないし、毎週必ず放送しなきゃならないから限られた時間の中での作業になるけど、それが「仕事」だからね。 原作者としては「作品に忠実に、作品の世界観を損ねることなく」は当然の思いだと思うし、 脚本家としては「テレビ的にはこのほうが理想」というのもあるでしょう。 そのバランスを取るのがプロデューサーと小学館の腕の見せ所かと。
・この記事も他の記事もそうだけど、そもそも芦原妃名子さんがドラマについて投稿したのは脚本家の方がインスタグラムに脚本に関するトラブルをオープンで投稿し、他の脚本家の方複数が素人呼ばわりしたりしたり一連の流れを一方的に非難したことが発端だったというのを頑なに書かないのがものすごい違和感がある。 もしかしたら関係ないかもしれないからというつもりなのかもしれないけど、これがテレビ局関係の話じゃなかったら本当に関係なさそうなことまで存在するかもわからない自称関係者の匿名コメントなどで牽強付会に結び付けて記事にする姿勢を今回も発揮されてはいかがでしょうか
・芦原さんの作品に対する想いもあるし、ドラマ制作陣も生活がかかってるし下手なドラマは作れない。原作を40分×10話前後のドラマに上手く収めるのが大変なのも分かる。主張をぶつけ合うのは結構だけど、結果として亡くなってしまった。そこで日テレのこの言い分はないな。
・大変ショックです。 設定もキャラクターも斬新で、ドラマを毎週楽しみに見ていました。 脚本のいざこざがあったとは知らず、最近もめているニュースを見て漫画家さんの気持ちを知り、こんなに熱意、愛情を持った漫画家さんの作品なら、きっとドラマより面白いんだろうな、これからコミックスを読んでみよう!と思っていた矢先でした...。 才能あふれる方がこのような形で...悲しいです。 漫画家さんの才能、作品があってこそのドラマや映画は、なによりも原作をリスペクトするべきだと思います。 漫画家さんを守りきれなかった出版社も、テレビ局、ドラマ制作サイドにもっと怒っていいのではないですか?
・芦原さんの訃報のあと、急に知識人ぶった輩が「犯人探しはすべきでない」などともっともらしい顔で言い始めたが、この件は組織だとかシステムだとかフワッとした原因でまとめるではなく、徹底的に犯人探しをするべきだと思う。 芦原さんをあのような状況に追い込んだ人間がいるはず。ダブルスタンダードで原作者と脚本家にいい顔をした人間がいるはず。許してはいけない。
・終わらせたいというコメントだという感じを受けます。 映像化にあたり原案が小説でも漫画でもやっぱり原作者さんの物を借りて脚色していくのであり、許諾をとりながら進めれば製作側も脚本家も本品を壊すことにはならないと思いますが無かったのですかね。特に進行中の原作に対し脚本家が前に出ることも高慢で、クランクインしてからの制作のスピードが繊細に生み出していく原案者を追い詰める事はあってはならず、気をつけてほしいと思います。 ダムに行って終わらせてしまったなんて悲しくなりました。
・詳しい事は知りようもないが、自分の大切な作品を提供した原作者が、テレビ局に約束を破られて、どういう心情かは判らないが、死に至ったという事実。 これに対して、自己肯定のコメントを発する日テレを私は正しいとは思わない。昨年、弊社が日テレのテレビドラマにオリジナル商品を提供した時の感じも、「職務遂行」だけの対応で良い気持ちは残らなかった。他人の事にもっと敬意を持って接する必要があると思います。
・私は、映画関係者です。 今回の件は、映像作品に関わる人達全員が、よく考えるべき問題だと思う。それは単純に脚本家やプロデューサー、監督だけでなく、テレビ局や芸能事務所、俳優等も含めて。 「主演の○○が髪型を変えたくないと言っているから」「キスシーンをさせたくないから」「役者Aよりも役者Bの方が格が上だから、Bの見せ場を作らないと…」「予算が足りないからこのシーンは削る」等の理由で原作を改変されてきた場面をたくさん見てきた。 変える側は軽い気持ちでも、原作者にとってはその一つ一つに想いが込められた場合もあると思う。今回の件は、本当に胸が痛い。
・攻撃ではなく、なぜ同じ問題が同じプロデューサーの元で起きてしまうのか。 日テレは考えて欲しいです。
「おせん」の作者のきくち正太さんも映像化で気持ちを大きく揺さぶられしばらく連載が止まり、別タイトルにまでして再出発されました。 0から1を生み出した原作者の方針に沿った映像化を心から望みます。
・その通りで、制作を委託していようと最終的に問題が起こらないよう放映する責任は日テレにあります。なのに、脚本家側からも苦情は出るし、原作者はこのように儚くなってしまった責任は取らないつもりなのでしょうか。企業防衛は私企業にとって重要なことですが、ここで責任逃れする様だと、政治家の秘書任せを批難する報道はできないと思います。
・どちらかと言えば、アニメやドラマの後でコレって漫画なんだと知る事が多いタイプです。
メディア化するにあたって原作とかわる部分はしょうがないと思うしそうしないとその期間に終われないとか、商品やタレントの起用がしたいとか色々あるんだと思います。
でも、そこは原作者のOKをちゃんと得ていたらOKなのではないですかね。。 どの様なやり取り、裸感だったのかは外野は分かりませんが、もっとちゃんと擦り合わせて、それでもダメならメディア化は見送るとか、そうすればこんな悲しい結末にはならなかったかもしれないですよね。
制作側には真摯に受け止めて今後に生かして頂きたいと思います。
最近はただ作品の起用というだけでなく、原作の知名度でドラマ化してる感じが強い印象もあるので各所、ちゃんと話し合って欲しい。
テレビもドラマ化させてやるんだぞ!って強気は良くない様にも思います。
・命がけの訴えに対する答えがこれだと今時許されないと思う。 一昔前なら、会社なんだから、人一人の命と天秤にかけたら、たまに思い詰めて死ぬ人がいても、組織としてそれに対応することはできない姿勢って、「理不尽に納得できなくても、許すしかなかった」けど、今時、この理不尽を許す風土は無いと思う。 勘違いしてる人がガチガチに縛られて不寛容な世になったと言う人もいる。 昔から理不尽を誰もが許していないと思う。 ただ、昔は「諦めるしかなかった」「事故だと思うしかなかった」だけで、緩くて寛容な社会だった訳ではない。 進化したから、理不尽に答えを求めても許される寛容さが社会に産まれてきた。 強権者はゴリ押しが許されないから当然不寛容になったと感じると思う。 そこには踏みにじられた尊厳と涙が沢山あって、その沢山弱権者の悲しみや苦しみに対してやっと寛容になれてきたと思う。 局にはきちんと対応してもらいたいですね
・この記事の提言は日テレのコメントに疑問を持つ多くの人の違和感を的確に表していると思います。このような問題意識をどうか、どうか、漫画家作品のドラマ化を扱うテレビ局全体で共有して、二度とこのようなことが起こらなようにしてもらいたい。作家は己の身を削って作品を生み出しているのです。テレビ局はその重大さを理解して欲しい。自死だという理由で事件を取り上げないように、という動きも出ています。でもこの事件は有耶無耶にしてはいけない。テレビや漫画制作に関わる全ての人が真正面から議論を尽くして欲しいです。
・そしてさらに最悪なのは日本テレビの各情報番組やニュース番組も同じ文章を読み上げるだけの最小限の扱いに留まり、まったく何の議論もしていないということ 日テレが改悪したドラマ化をしなければ、作者が死ぬ事も連載中の作品が打ち切りになることも無かったのに 漫画家の皆さんは以下のことを契約に盛り込むべきだと思う
①原作者はすべてのスタッフキャストより権限があり、場合によっては即座に放送公開配信などを止めることが出来ること ②著作権料として全売上の最低5%以上を原作者に支払うこと
これくらいやれば映像業界も何が一番大事か分かるんじゃないかな
・かつて「ラヂオのじかん」という作品がありましてね、原作が現場の都合でどんどん変わっていって、最後は原作者が「もうこれは私の作品ではありません。私の名前で放送しないでください!」て叫ぶシーンがありましたが、そのときのプロデューサー、ディレクター、演者の表情が得も言われぬ雰囲気を醸し出していたのを思い出しました。
・全く同意見です。日テレのドラマ作りがルール的に正しかったかどうか、そんなことは知ったこっちゃない。現実に取返しのつかないことになってしまったことに対して感じるところはないのか。悔やむところはないのか。まるで血の通っていないあのコメントをあのタイミングで出して芦原先生のファンや友人、遺族の方々がどう思うか想像できなかったのか?日テレは今回のコメントをもう一度見直して、しかるべき責任者が自分の言葉で思いを伝えるべきだと思う。
・ドラマは大人になってからは見ない。面白くないから。80年代になってトレンディドラマとか言われるようになって、つまらなくなった。最近のドラマは妙に漫画の原作が多い。やはり数字を取りやすいのだろう。テレビが斜陽になってテレビ業界に焦りが見える。今回の件で脚本家のXはいただけない。自身のプライドもあるのだろうけど、もう少し原作者に対する配慮があってもよかったのでは?
・私もこの日テレの言葉を聞いた時違和感があった。自分達は悪くないという主張と芦原さんが亡くなられたのに「感謝します」と軽く言っている… 漫画原作者がドラマ化で蔑ろにされるエピソードが「押しの子」でもあったけど、本当にあるあるなんだろう。ある漫画家の人が作品は我が子と同じと言われていた。テレビ局は原作者にちゃんと敬意を払って、作者とファンの存在を忘れないで。 今後はちゃんとした法的契約を最初にして、後から違う事をされたら訴える事もありだと思います。
・原作者が対面せずにすり合わせを行って、その結果が納得いかないまま実行に移されたとしたらそれは多分原作者と制作者が原因であることは最大要因ではないのではと最初に思いました。
個人的な感想ですが、多分原因は出版社の担当やそのグループではないかなと思う。出版社は版権を販売するにあたり当然金銭が発生し、ドラマ化がうまくいけばいい商売です。
原作者はそれは理想だが原作以上の優先順位はなにものにも代えがたい。制作側は版権元にOKをもらうことが至上命題です。 この2極の話あいはなかなかに難しく、どちらかに譲ることが必要。 一方で中に入る者はどちらも泣かすことでバランスを取ることできる。
本当に交渉のプロ的な教育をうけた担当が当たっていたのか疑問です。
・脚本家個人を攻撃してはいけない、というようなコメントもみうけられるが、脚本家も含めた製作者側の対応についてはしっかりと検証されるべきだと思う。 また、日テレの発信を鵜呑みにするなら、代理人として間に入った小学館も問題になりそうだが、実際のところどうだったのだろう。 今後の、小学館の対応にも期待したい。
・原作と映像作品は別物だから~という原作者の方の発言も多かったように思います。ある部分原作者が諦めてしまったような・・・。ただの観覧側からの思いとしては、何で優れた原作に変更を加えるのだろうという思いです。映像化しやすい、分かりやすい演出が必要なのはまだ分かりますが、登場人物のキャラや相関関係、プロットの変更により、作者の書きたかったことまで改変してしまうことはよくあることです。改悪ですね。 優れた脚本家は原作を読み込み、主題を変更せずに映像化するために脚本を練るのであって、イージーにウケが良いように変えることはしません。また、その大元はプロデューサーがどこまで原作を理解しているかが鍵でしょう。脚本家はプロデューサーの意思を汲んで書くので。 どれだけ原作者とプロデューサー、監督、演出家、脚本家が濃いコミュニケーションを取ったのか? 怠れば良い作品にはならないと思います。
・原作をもとにしたドラマや映画をいくつか見たことはあるが、全く別作品に変わっていることがほとんどだった。マスコミ側は売れなければ商売にならないので、そうせざるを得ない事情はあるのだろう。
ここで問題になるのは原作者とのつき合い方だろう。記事やニュースを見る限り、原作者は要望を出版社に伝えたが、テレビ制作者の方には反映されておらず、その理由を何度も問い合わせてようやく交渉のテーブルに出てきたが、今さら大幅な改変は無理という状況だったというようなことを聞いている。
芸術家というのは得てしてこだわりが強く、気難しい人が多い。しかし、それは自らの仕事に妥協をしたくないというものであるし、何より作品は「我が子」であり、勝手に変えられるのは我が子を連れ去られて勝手な躾をされるようなものだと感じている人が多い。自死を選んだのは残念だが、それだけ強い思い入れがあったのだろう。
原因解明を強く望む。
・今目に見えることとして分かるのは、脚本家が「原作者が素人なのに脚本に口出てきた。最終話の出来は自分のせいではない。このようなことは二度とおこりませんように。」と原作者さんを何度も批判していたことと、原作者さんが「連載中の漫画のため、ドラマ化するにあたり条件を出していた。条件について承諾をもらっていたのにそのようにしてもらえず、自分が手を加えることとなった。」という訴えのみです。 テレビ局側としては、ちゃんと調査してから文書を出す必要があったのではないでしょうか? 原作者さんと脚本家が直接やりとりしていたわけではないのなら、関係ないでは済ませないでほしい。 そして、なぜ原作をリスペクトできないであろう脚本家を選んだのか?忖度があったのか?説明してもらいたい。 人がひとり亡くなっています。 テレビ局側も脚本家も、逃げずに今後のことも含めて真剣に考えてほしいです。
・何事も協議した内容を記録して残しておく必要があると思いますし、この件にしたってそういったものがあるはず。 その記録を協議後速やかに関係者間で共有、確認し、異議がなければ「承諾」となるわけでしょう。 この段階で日テレに落ち度はありません的な先手を打つようなコメントを出すくらいなら、協議記録や契約書も一緒に出したらどうだろうか。
・もう何を言っても無意味だな....
ニッチなテーマでここまで面白い漫画にする才能、、結末まで書けなかったのは本当に無念だったと思う、、、 忙しい中で映像化に時間を使ってくれていたと思うし、、 決定からキャスト集めて脚本におこして撮影ってものすごいスピードで決まると思うし、、コスト的に自転車操業的に撮影するのがセオリーなんだろうけど、、それでもやっぱり原作者に合わせて事前にでも熟考する必要があると思う.... 主演の木南さんはすばらしい役作りで見せてくれただけに、、 本当に残念....
・他人の才能にあぐらをかくだけにとどまらず やりたい放題やりきって作者と原作ファンの 精神を引っ掻き回し傷付け倒した
日テレは罪の重さを知りドラマ制作の姿勢を 改めるべきだと思う
当事者の日テレはあのコメントを出すことで 今回の件を勝手に終わりにした感があり 改善はさず同じことを繰り返しそう
作者がドラマ化の話に乗らないことで 人生を守るしかないのかもしれない
・>燃え広がる議論に押しつぶされそうになりながら、芦原さんさんがこうした悲劇が繰り返されないことを強く願われていたとしたら
私もそう感じる。 自分が発信した事で誰かが責められている事をとても重く感じてしまった。 でも作品を守りたい気持ちも大きい。 そんな中でどれだけ苦しんだのだろうと。 原因はわからなくとも、これまでの経緯を局としては重く受け止めなくてはならない。 保身に走ったコメントは出すべきではなかった。 この件では誰かを責めないでという旨のコメントが同業の方から出されているが、局にはこの事を真剣に考え、心で感じてほしい。 作品で彼女が何を伝えたかったのか、それをリスペクトを持って受け止めようとしていたのかを。 彼女の思いが無駄にならないように。
・原作者にとったら作品は血肉を分けた分身なのに…そんな思いでいっぱいです。 昨今、アニメを実写版に置き換える事が多いのは、それだけアニメが優秀な作品の証。 ただ、原作者の思いは最後まで大事に持ち続けることを忘れると、悲劇になってしまう…原作者にも、役者にも、スポンサーにも苦味が残ってしまう。
・原作者にとって作品は自分の子供のようなもの。その子供を『テレビにしましょう、有名になれますよ』何て言われて連れていかれて結果、顔も性格も勝手に変えられてしまったら産みの親は絶望するのは当然。脚本家の人のインスタでも、原作者のかた、何て表現はなく、原作者、といいはなち、明らかに上から目線、本当に、先生がお気の毒でならない。
・亡くなった本当の理由はかわらないが、映画でも実写でも映像にする時は、原作者の作品を1番に考え、原作を大切にして欲しい。漫画家は命を削って作品を生み出しています。どうにでもなる商品ではありません。悲しい出来事でした。
・脚本家も原作者も、創作に関わる方は事務に長けているわけではありません。往々にして強烈な個性の持ち主であり、偏りや歪みもある、そういう中で人とは異なる見方や感じ方を以て、優れた作品を生み出すことがあります。だから、その間に立つ事務を担う人こそが前に出るべきでした。プロデューサーこそが、脚本家の不本意な気持ちを汲み、原作者の苦衷を理解して、お互いの間を取り持つべく、泥を被るべきでした。そういうことを厭い、何も言わないことこそが事態をやりすごす最善の方法だと思い込んでいる管理職が実に多い。
人の上に立ち管理業務に携わる方々は、不作為は時に極めて重い罪になるということをしっかり認識していただきたいです。
・再発防止のためにも、ウヤムヤにしないでBPO案件にした方がいいと思います。 テレビ局は「許諾をいただいた」とか「感謝」とか綺麗事で逃げ切るつもりでしょうが、それでは悲劇がまた繰り返されます。
原作者との約束と違う脚本を脚本家が書いたことは事実であり、間に入ったテレビ局が双方にどういう話をしていたのかはBPOで解明されるべきです。そもそも原作に忠実にという条件が脚本家に知らされていたのでしょうか? 最近でもNHKとTBSがやらかして逃げようとした案件をBPOで断罪しました。今後のためにもBPOにかけることが必要です。
・原作者にとったら、作品はわが子みたいなものだろう。 子供を変にイジられるのはヤダよね。 少なくとも最大限原作者の意見は尊重されるべきだし、小学館を通じて……じゃなくてともに真摯に話し合いができてれば良かったですね。 少なくとも命が失われた問題に対して、哀悼の意に釈明を入れるのはどうかと思います。
・日テレに限らず、最近のドラマは、漫画の人気作品を原作としたものが多い。このドラマなかなか面白いと思ったら、たいてい漫画の実写。最早、面白いと思って見れるのは、海外ドラマか漫画の実写。 日本の脚本家の質が低い?脚本家の質が高ければ、原作者も満足できる作品にできたのでは?
・脚本家が居丈高だったって指摘もあるけど、一番の問題はそういう風潮を許していたテレビ局、日テレだと思う。要はいちマンガ家がテレビ局様のやることにケチをつけるなって態度が日テレ全体にあったんじゃないの。 宝塚で亡くなられた方が出た時、ミヤネ屋なんかは組織の問題点、運営サイドの傲慢な対応などを徹底して糾弾してたよね。人の命が失われたことの重みと向き合って下さいと。同じ言葉を日テレは自分自身に向けてほしい。組織として検証するべきだよ。ジャニーズや宝塚、松本人志のことは追及出来ても、自分の問題だけは自己検証しないというのは最悪だよ。権力と戦うって言いながら、テレビ局が一番の権力者になってるんだから。
・きくち正太先生の名作「おせん」はドラマ化が原因で講談社から幻冬舎に出版社を変えたんですよね。講談社にも問題ありありだったんじゃないのかな… 幻冬舎さんのおかげで、今も連載が読めるの、本当にありがたいです
・好きな作品であればあるほど、ドラマ化など実写化には抵抗あったし、好きな映画の続編も1だけで良いんだよ!っていう拒否反応あった。好きな作品はその世界感というか、空気感を愛しているんだよね。自分にとって、実写化なんてそれを壊すリスクでしかなくて。今回の件で自分はますますそう思った次第です。
・それは、この方を含めて同じ。 脚本家とプロデューサーに、原作者潰しをしてばかりという発言は良くないと思うけど。 漫画家さんも、自分の主義を発言するのもおかしな話です。 まずは、お悔やみだけで良いんじゃないかな。 ご家族は、喪失感で悲しみの中にいるので、不用意な発言は苦しめるだけです。 しかるべき時期に、思いを言えばよい。 間違っているかな。 改めて、お悔やみ申し上げます。
・このドラマ制作にあたり、関係者 プロデューサー、相沢氏へ擁護した脚本家など様々 関係者がいますけど 主立っては、 原作者芦原妃名子さん、脚本家相沢知子さんのお二人だと思う。 芦原妃名子さん、とても真面目な方だったんでしょうね。 事情はあったとは思いますが、 お二人とも半世紀近く生きてこられ、それなりに人生の経験があったのにも関わらず お二人が直接対面でお話しすることも叶わず、行き違いのSNS という形でしか 互いの意志を確認、表現することができなかったということが悲しすぎる。
・日テレの説明責任はもちろんですが、第三者委員会の設置が必要かと
今回、同じような経験をした漫画家さん達がコメントしてますよね 日テレのみならず、各局似たような事が起きてると思います 今回、声をあげてもらった事が、無駄にならないように視聴者は見張っていかなければなりません
・これは視聴者には凄くショッキングです。 原作者が放送局と、何かトラブルが起き結果こんなに傷つき苦しむ方がいる。
これは作者と共に、出演者した俳優こちら側の観る側。 辛すぎる。 決してその通りにならなくても、皆さまでご苦労様です。と終わらないのならば、いくら視聴者側が満足しても、後からのごたごた悲しみしか残らない。
まだ連載の途中との事。 これを悲しむ仲間や同じように感じている著者は沢山いると思う。
・お悔やみ申し上げます。 なぜ主張を入れたのか。現代日本のこの「告発社会」を渡るために必要だと考えてのことでしょう。詳しいいきさつを知らない私は、残念で、悲しいことだとしか言えません。そして、作品が売り出されると、自分の所有物であるべきものが、人の物にもなってしまうのです。売れっ子の画家でも、売りに出さず、生涯自分の元に置いておく絵もあるでしょうし、作家によっては、実写化や映像化を望まない人もいます。そういう現実があるので、今回の出来事は、誰が悪いというわけではないと思います。
・人が亡くなっているというのに、悲しさや後悔よりも自己保身を考えている企業だということがよくわかりました。 ZEROの冒頭で扱うべき案件だと思って見ていましたが、3つめの取り扱いで日テレが出した文章をそのままアナウンサーが読み上げるだけで深掘りもせず幻滅しました。 私はこんな企業の作り出した作品を好んで見ていたんだ、と子どもの頃から昨日までの自分を恥じると共に絶望しています。 まだ受け入れることができません。
・以前から、漫画の実写化には異論が絶えない(特にヤフコメ界隈では常に批判されてる)けど、こういう事態は予想外だし、個人的には実写化? もっとやれ派だったからショックだった。 これで原作者とスタッフとのコミュニケーションがもっと深まる様になればいいんだが、日テレ側の対応見てるとそういう考え方は持ってないのかなぁ? 残念です。 そんな中で元他局とは云え、西脇さんみたいな主張できる人がいる、というのが救いに思えたりはしますが。
・今回、クローズアップされていないけど、出版社側の責任は大きいのではないかな。芦原先生を守るのは、出版社しかいない構図なのだから、本来なら原作者側に立たねばならないけど、TV放送されることへの下心が前に出たのかも。
・日テレのコメントには違和感しかなかったが、それを具体的に示してくださり、ありがとうございます。 悲しみより怒りが大きくてもやもやしていました。 自己防御が全面に出たコメント(!!)だったからの違和感でした。 こんな終わり方は悲しすぎます。 ドラマづくりの現場で、もっと原作が大事にされる世界になってほしいです。 オリジナル作品なら、好きにいじれるのに。 原作ありきではなく、一から生み出す作業をしてほしいです。
・今の日本のドラマは10話前後と短く、1、2話の数字を見て脚本を変えたりする。 配信で稼ぐと言っても、10話程度では海外であまり売れず、しょせん国内向けのタコツボビジネスでしかない。 すっかり安くなってしまった日本で、ドラマの自転車操業は、もう限界なのではないか。
小林よしのりの「おぼっちゃまくん」が、インドでアニメ化が進んでいるらしいが、シナリオは全て小林氏がチェックしているという。 人口が桁違いだし、他国でも放送されたら同作の大ブームが来るかもしれないが、本当に原作をリスペクトしていたら、時間と金をかけるし、シナリオチェックも厭わない。
原作レイプの意図を隠し持ってドラマ化を企画するなら、テレビのオワコン化をさらに進めるだろう。
・この人は法律の専門家でありながら(ご自身の経験が大きいのもあるのだろうが)トラブルに巻き込まれた人たちの気持ちにまず寄り添うところから話を始めるのでとても納得がいく。
残念ながら日本テレビにはこういう人材が皆無なんだろうな、とつくづく思う。 責任を回避するどころか問題に正面から向き合おうとすらしないのは卑怯だし大変悪質である。
・この弁護士さんの文章には大変共感した。哀悼の意を表するとしながら自己弁護的で、かつ作品への原作者の貢献に謝意を評しながらも、そもそもの作品の生みの親は原作者であることを忘れた軽い謝意だなと感じた。言ってみれば「原作者が脚本を書きたいと言ってきた」とSNSに書き込んだ脚本家の傲慢さと通底する匂いがする。 原作者の死に日テレとの間のトラブルが関わっていることが明白な以上、トラブルの存在に触れないこともおかしい。 日テレはもう一度一からコメントしなおした方がいい。このままでは自分も日テレの番組を一切見たくない。
・個人的には今朝のテレ朝の報道の仕方も心に引っかかりました。アナウンサーは「まず芦原さんがドラマについてXに投稿、その後~…」というような言い方。ちょっと待ってよ、そもそもその前に脚本家の方が中々な内容のインスタを上げてたんですよね?なぜかそこには一切触れなかった。この件に興味ない人達はニュースを見て、芦原さんが自発的にsnsへ訴えて騒動を起こした、と受け取るんじゃないか?と思いましたよ。 芦原さんは騒動を受けて「実は〜斯々然々…」と説明する意味合いでのX投稿されたんですよね。至って冷静に丁寧なご説明をされていて、個人的な批判というのも無く、何なら最後謝罪までして…。 脚本家を攻めるなとの声が上がっているようですが、一般論としてはそうでしょうね。でも今回の場合そうでしょうか?報道するならば事の発端が何だったのかイチから説明してください。フェアじゃない。私が遺族の立場ならば腹立たしい。
・作者の文章が公開されていますが彼女がいかに原作を大切にしてきたかがわかる一方、日本テレビ製作側の酷い対応がわかりました。製作側の杜撰な対応が原作者の自殺の一因になったのだと思います。映像化するにあたって原作者と交わした約束を守れないのならば日本テレビは二度と漫画をドラマ化するのは止めるべきでしょう。人が一人亡くなっているのですから事の重大さを考えてください
・宝塚の会見と一緒だよね。後ろめたい事実があるからこそいち早く身の潔白を主張したい。本当にシロなら純粋な弔意だけでいいもの。
・芦原先生を静かに偲び 声を上げていない漫画家さんや作家さんはいっぱいいるとおもいます
今じゃなくていいんです 業界団体として声を上げる事は出来ないでしうか?
一人で戦うには辛すぎるとおもうんです
意識の高いクリエイターさんが多いので、既に動いているのかも知れませんが 作品とご自身を守るために声明が上がる事を望みます
・当初の約束が守られていなかった?約束というのは「契約条件」と同じでは?本質はここでしょう?その「検証」が一番重要なことでは?それによる精神的なストレスでなくなったとしたら、それが因になるから?「契約違反」になったしまうのでは?テレビ局だから許されるなんて話のレベルではなくなるのでは?しっかりとした説明をする責任をテレビ局は負うのでは?
・漫画と異なりテレビドラマはそれなりの演出にしないといけない事情はあるとは思うが、原作者とろくな折衝もなく一方的に歪められてテレビ放映されるのが日常・常識ということなのだろうか。これが原作者が数十〜百億円の版権も握った大物レベルだとまた事情が異なるのだろうけど。
・何だかTV側のコメントは自分達は悪くないと言ってるようで嫌な印象です。確かに原作者には確認を取られてるかもしれませんが、これだけ苦悩して命まで立たれたならその脚本が原作からかけ離れていたのを押し切られたんじゃないの?って思いました。 自己主張ではなく、原作者の気持ちに寄り添われるコメントを出されるべきだったと思います。
・昨日の夕方の日テレのニュースでこのニュースを取り上げて、その後で命の電話の電話番号を伝えた。日テレが言う事じゃないんじゃないかと思った。 今朝の朝の番組では、他のチャンネルで安曇アナが、このニュースはSNSなどで様々な情報が入る時代ですが、 一旦このニュースからは興味を背けてはいかがでしょうか。 というような事を言った。 すごく違和感を覚えました。
・まさにこの書き込みだと思います。
日テレ及び脚本家の方は、原作者の死を悼む前に訴訟対策を行ったように見えるんです。
いじめ自殺があったときの学校や当事者と著しく類似しています。
人一人死んでるんですよ。多くのファンが心を痛めて納得できない気持ちでいっぱいです。
何より保身が大事ですか?
ずっと政治家や大企業のこんな姿を見せられ続けている気がします。
・日テレが報じてるテンプレなコメントに違和感を感じる、そのうえ最後に付け加えられる生き辛さに悩んでいる人へ「命の窓口」の連絡先… 芦原さんが亡くなった事と全く無関係とは言い切れない日本テレビの報じ方としては何だか他人事過ぎやしないか?
少なくとも該当の脚本家やドラマのプロデューサーにヒアリングを行うなどの姿勢が局として必要。
・日本テレビ側のコメントには違和感しかない。 まさに『自分達には責任はない』と言っているようなもの。 実際、原作者が制作側が用意した脚本に納得できなかったので自分で脚本を書いたと投稿している。 脚本家だって、批判的な投稿したともある訳だから、原作者と制作者側とトラブルがあったと誰もがわかる。 原作者が亡くなったという経緯や因果関係はどう考えても『ドラマ制作にあたってのトラブル』としか判断できない。 制作側の脚本家の投稿やそれに対しての原作者の投稿などさまざまな要因があって、数日後の自殺。 それで、関係ないなんて誰が納得するのか。 しかも、日本テレビ社内ではなく番組ホームページ。 本来なら日本テレビ側がコメントを出すべきだし事の経緯などを説明、謝罪すべきでは? それがあったら原作者だって最悪の選択をしなかったはず。 いい関係でドラマを作れていたらこんな事にはなってない
・これが芥川賞や直木賞取ったような作品が原作なら、原作者に対してそこまでの扱いが出来ないし、脚本家も改変迄出来ないでしょ!ましてや、日テレもこんなコメント出せないでしょ。漫画家先生にはそういう扱いをするという例だ。漫画は我が国が誇る財産だよ。悔しいなら、テレビ局や脚本家が原作から作ったらどうかな。
・脚本家が内容を変更して、芦原さんとトラブルになってたみたいだけど、本人が死んだ以上、放送したテレビ局も「哀悼の意を表するとともに、謹んでお悔やみ申し上げます」では済まないでしょう。放送の期間が決まってるとはいえ、ご本人の意思を無視して放送しては。この件が自殺につながったかは、本人が死んだ以上わかりませんが、このままテレビ局の「謝罪会見なし」で済ましていいのでしょうか。
・大事な作品を預かる覚悟がなく、ウケそうだからオファーしたって事なんでしょう。 オファーを受けた原作者の気持ちを理解せず、OK出したでしょ?って事しかないのではないか? 1人1人の許容範囲って違うのに、ドラマ化ってこんなものだからと自分たちの枠組みで行動し、寄り添わなかった結果でしょう。
・日テレとしては、結果として原作者との合意に基づき脚本が仕上がり放送されたのだから問題はないと言いたいのだろう。 だが、原作者側の経緯説明によると、一話一話の脚本が原作者の納得できる物になるためにそのたびにいちいち大変なやり直し作業があり、原作者の「こんなはずでは」という思いが積み重なりどんどん疲弊していった様子が見て取れる。 大前提として原作重視と言っているのに、なぜ最初からその前提に沿った形で脚本が描かれなかったのか。脚本家には最初からその前提を伝えてあったのか。原作よりも脚本としてのヒットの法則を重視してしまったのか。局側としてその点に関しては何の説明もないが、それこそが一番重要な点に思える。
・作者の「原作に忠実に」という条件を軽く考えていたんでしょうね。この脚本家はこれまでの実績もあるし原作に忠実な脚本なんて最初から書く気はなく、自分に頼んできたなら大胆な脚色を期待してると思ったんじゃないですか? ドラマ化の条件にふさわしくない脚本家を起用したってことです。
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