( 134094 ) 2024/01/30 22:06:17 2 00 「死刑がなくなってほしい。誰にもこんな経験をしてほしくない」“麻原彰晃の娘”が語る、オウム真理教の教祖を父にもつということ集英社オンライン 1/30(火) 11:32 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/a611e70827e706d98d1d278011637a884ff650ed |
( 134097 ) 2024/01/30 22:06:17 0 00 松本麗華さん(右)
「松本サリン事件」から今年で30年。事件を起こしたオウム真理教の教祖、麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚の三女、松本麗華さんは40歳になった。事件後は就職も断られ、銀行口座も作れなかった彼女は、父が逮捕されたのと同じ年齢となった今、何を思うのか。被害者や遺族に対しての思いを語った。
【画像】「被害者の方にお会いすると、自分が生きていて申し訳ない気持ちになります」麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚の三女、松本麗華さん
ーー高校にはどうして通えることになったんですか?
高校は弁護士の先生たちが面談に行って、「こういう子なんだけど受け入れてくれないか」って話をしてくれたんですけど、どこからも断られて。最後にダメもとで出した通信制高校から合格通知が来て、高校に行けることになりました(松本麗華さん、以下同)
ーー高校生活はどうでした?
緊張しました。“普通”がわからないから、どんな会話をしたらいいんだろうっていつもどきどきしていた。月1回とか2回通って、その後はマックでおしゃべりしたりして。友達は私のことを知らなかったです。今も知らないかもしれない。でも、(月に1回や2回では)私が思っていた親友までは作れないと思って大学に行くことを考えたんです。普通に大学に毎日通うようになったら友達ができるんじゃないかと思って、勉強を始めました。
ーー大学はどうなったんですか?
大学はいくつか合格したんですけど、入学拒否されて、「ご了承ください」って言われました。でも(弁護士の)松井先生が、仮地位というのがあるよって教えてくださって。仮地位が認められて大学に入学できたという。
ーー仮地位とは?
この場合は、学生としての仮の地位を裁判所が認めるということです。ダメもとで大学に挨拶に行って面談にこぎつけて、会ったらこの子だったら行けそうじゃないという話になったみたいです。仮地位が出たら受け入れますからと言ってくれて。
ーー就職でも苦労されたそうですね。
父が執行されたあと就職したんですけど、(就職先の)本部に呼び出されて「麻原彰晃の三女ですか。間違いがあったらいけないので確認させてください」みたいに言われて仕事ができなくなったり。
ーー「そうです」って答えたらクビになるんですか?
「ご遠慮ください」みたいになっちゃう。あとは今も銀行口座が作れない。事件直後に作れなくなったわけじゃないんですが、どんどん状況が悪くなって作れなくなって。 行政主導でそういう排除も行われたし、マスコミ報道もあってそうなっていたんだと思います。
ーー大学や職場で拒否されたときはどう思いましたか?
寝込んじゃったりしました。自分の気持ちを感じる余裕もなく、なんで寝込んでいるのかわからないけど、寝込んいる感じで。
ーー改めて今、教団が起こしたことや被害者の方に思うことはありますか?
言葉にならないというのが正直なところです。あまりにも大きな事件で、悲しい、つらい気持ちになります。実際に被害者の方にお会いしたりすると、自分が生きていて申し訳ない気持ちになります。
ーー被害者の方ともお会いされたんですか?
被害者やご遺族にお会いしたことがあります。普通は謝罪すると思うんですけど、私は実感も湧かないし、やっていないし、私と同じように加害者家族になってしまった子どもたちにそれを負わせたくないと思うから、自分は謝れないし……。でも、すごくつらい気持ちになります。
ーー被害者やご遺族の方は、麗華さんのことをどう捉えているんですか?
それぞれだと思うんですけど、(松本サリン事件の被害者である)河野義行さんは「あなたは何もしていないんだから堂々と生きてください」とはっきりおっしゃってくださって……。それがまた申し訳なくなっちゃって、胸が痛くなりますよね。
ーー2018年にお父さんが死刑執行されたとき、どう思いましたか。
まず腰を抜かして、体ががくがく震えました。父は病気なので執行されるわけないと思っていたので信じられなかったです。
ーー麗華さんはそのとき、ものすごい精神的に不安定になったんですよね。
(たかまつ)ななちゃんが「頑張って生きてください」って言ってくれたけど、「頑張れない」とかって言って、長い時間、電話しましたね。
ーー本当に心配でした。死にたいってずっと言っていたし。
国に執行されたというのが大きかったんです。日本では死刑に賛成している人が多いと言われるじゃないですか。街行く人に、「あなたも賛成ですか?」「私の父が死んでうれしいですか?」って。みんなが賛成しているのだと考えたらすごく怖くなっちゃった。オウム事件の執行が終わったら死刑がなくなるんじゃないかって噂があったけど、それでもいいから死刑がなくなってほしい、誰にもこんな経験をしてほしくないと思いました。
ーー今、お父様に対して思うことはありますか?
穏やかに幸せでいてくれたらいいなと思いますね。父が笑っているといいなって。私はずっとお父さんのことを大切に思っていたよって伝えてあげたいです。父の人生がどうだったのかというのは父にしかわからないから、受け入れるしかないかなって。
ーー逮捕されたあとも、接見禁止のためお父様とはほとんど会えなかったんですか?
10年近く会えなくて。それで10年ぶりに会ったときには、もう誰かわかってくれない状態だった。父が外的刺激に反応しない「昏迷状態」にあるって精神科医の先生が言っていて、突然、大きい声で叫んでも、びっくりもしない。パーンと手を叩いても反応しない。だから話もできなかったし、名前も呼んでもらえなかったし、コミュニケーションは取れなかったですね。
ーー事件のことも聞きたかったですか?
いいことも悪いこともどんなことでも聞きたかったですね。今、私は父が逮捕されたときの年齢なんですよ、ちょうど。だからもっと対等な目で、前は子どもだから甘えきっていたけど、今は大人と大人で話せるから。
ーー麗華さんの著書『止まった時計』の中で「オウムは救済だという一方的な価値観の押しつけによって多くの人の権利を奪いすぎました」という風に書かかれていましたけども、どのような考えがあれば教団は事件を起こさずに済んだと思いますか?
どんな理由があっても他人の権利は侵害しちゃいけない。絶対に踏み越えちゃいけない一線がある、ということを理解していれば違ったのかなと思いますね。何を信じても自由だけど、行動するときに相手の権利を侵害することであったらやっちゃいけない。そういう信仰とか内的なものと、行動を分けないといけなかったと思います。
ーー加害者家族の方で苦しんでいる方がたくさんいらっしゃると思うので、最後によかったらそういう方に向けてメッセージをいただければと思います。
とても苦しくてつらくて、孤独で、相談できる人が誰もいない状況にあると思います。その状況で諦めてしまわずに、誰でもいいから助けを求めてほしいです。私も理事をしている一般社団法人「共に生きる」もありますので、相談していただければなと。きっと今が一番つらい。これからちょっとずつ、よくなっていくと信じていきましょう。
取材/たかまつなな/笑下村塾
(関連動画)学校から入学を拒否され、仕事もクビに…麻原彰晃の娘・松本麗華さんが語る"加害者"家族の苦悩とは?【オウム真理教】 https://youtu.be/mC5Ekw9NxS0
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( 134096 ) 2024/01/30 22:06:17 1 00 (まとめ) 日本の一連の犯罪に関する記事には、加害者家族や被害者遺族に対する異なる視点や感情が多様に表現されています。 | ( 134098 ) 2024/01/30 22:06:17 0 00 ・“加害者家族に罪はない”は、そのとおり。 麗華さんにとっては“父”だった人への思いも変えられないもの。
けれど加害者家族として顔を出して発言するなら、もう少し配慮が必要かと思います。彼らがしたのは”権利の侵害”を超えて“殺人”です。信者でもない無関係な人達に対する無差別行為が含まれます。この点言葉を変えて話されると、どのインタビューを読んでもモヤモヤが残ってしまって、せっかく話された加害者家族の現状さえも受け取りにくくなってしまいます。
・こんな思いをしてほしくないって、殺人事件の被害者遺族はそれ以上の辛い思いをしていますよ。加害者遺族以上に被害者遺族は苦しんでいますよ。 この人は自分のことばかりで、被害者やその遺族には思いを馳せないんですね。
・たしかに娘として生まれただけなのにとても苦労されたと思います。高校も行けるかギリギリで、銀行口座すら作れないなんて普通の家庭に生まれたらまずありえないですからね…。そこは大変だった(今も大変でしょう)と同情します。 しかし、あれだけ恐ろしい事件が起きてしまったから、警戒する側の気持ちもわかるんです。誰だって自分を守りたいし関係者を守らなければならないから。どちらも満足できる結論は出せないんじゃないかなと個人的には思います。
・この人がどういう人生でどう考えるのかは自由で誰もそれを変えることはできないと思います。しかし公の場であれほど多くの人命を奪った凶悪犯の死刑を否定する発言は不適切だし、マスコミも取り上げる必要はありません。嫌悪感と怒りだけが募りこの人にとっても遺族にとっても良いことは何一つないと思います。
・家族が殺されるってショックでしょうね。 でもサリンの被害者もそうなんですよ。 むしろ被害者には何の非もないのですし、裁判を受けたり抗弁する機会さえ無かった。 死刑って簡単に出る判決じゃないです。人を殺しても出ないことの方が多いです。それでも死刑になるってのはどれだけのことをしたのかという話。 二度とこんな思いをさせたくないというなら、防ぐべきは死刑ではなく無差別殺人の方です。
・確かに親がした事で、子供が当たり前の事が出来ない。というのは可哀想ですがそれだけの事を親がしたんですよね、、、 私は死刑は被害者に対する救いだと思っています。 無差別に人を殺めたのだからその命を持ってして償うのは当たり前。 その人が死刑になったからと言って被害者や遺族の心が癒える訳では無いけど、それでも前を向くきっかけになるかもしれない。
・私はサラリーマン時代に神谷町駅で降りていました オームサリン事件が発生する一ヶ月前に転勤のため営業所が変わりました あのまま転勤がなければ被害にあっていた可能性はありました 私の同僚は不幸にも被害者になりました 暫くは頭痛がしたり働くことが出来ませんでした 本当に今でもオームに対しては怒りを覚えます 不幸にも殉職された地下鉄の助役さんの事を思うと胸が痛みます この記事を見て当時の事を思い出しました
・結局、最後の段落が言いたかったことか。
自分が罪を犯した訳ではないのに虐げられる辛さは想像できないが、この人はそれをアイデンティティにして生き、意識の中では被害者なんでしょうね。
だからこそ、被害者及びその遺族ではなく、加害者遺族を優先した旨の発言になるのでしょうが、そうした自己中心的な思考があの様な事件を引き起こしたとも思えますがね。
・こんな思いをしたくない、それは被害者の家族も同じだと思いますよ。 加害者の家族に罪はない、それも確かです。 されど、日本の緩い司法制度の中で、死刑に値する犯罪を犯した故に最高刑を言い渡されてるのだと私は思います。
何の罪もなく、まだまだこれから先の素晴らしい人生を絶たれた被害者、被害者遺族の心情も鑑みるべきかと思います。
・死刑以外にありえないような犯罪がある限り残すべきだと思います。問題点は冤罪をどう防ぐかと死刑とそれ以外のギャップが大きすぎる事でしょう。何らかの苦痛を与えるような刑があってもいいと思うんですけど欧米的には非人道的って事になるんですよね。でもやっぱりその間を埋める刑があってもいいのかなと思います。
・「被害者やご遺族にお会いしたことがあります。普通は謝罪すると思うんですけど、私は実感も湧かないし、やっていないし、私と同じように加害者家族になってしまった子どもたちにそれを負わせたくないと思うから、自分は謝れないし……。」 これを堂々と言えるところがきっと一般人の感覚とは違うんだろうなと思います。
確かに自分は何もしてなくても自分の親が万が一にもあれだけのことをしてて、それを知ってるならこんなことなかなか言えないと思う。
この人には何の罪もない人が殺されることと、死刑を執行されるほどのことをした人が死刑を執行されることの意味の違いがわからないのかなぁ。
・加害者家族の視点も大事だけど、この内容だと逆効果になりそうな気もする。 ちょっとした表現の仕方で同情にも反感にも変わるので、取材したからには責任を持ってもっと慎重に記事を書くべきと感じる。 反感が多くなればただ晒してるだけで、加害者家族にも被害者側にもプラスになることは何もない。
・死刑はなくせないです。死刑がなくなる時は犯罪がなくなる時です。殺人を犯した人は生きられるはずだった人の権利を侵害しています。加害者家族の方からすれば家族が死刑になるという体験は辛く苦しいものだと思います。ですが、それ以上に被害者家族は突然日常を奪われて更に苦しんでいるはずです。 命を奪うという罪を犯した以上、本来なら命で贖うべきです。 懲役刑などではなく、命を奪ったのならその罪は自分の命で償うべきです。 その人が死刑になっても亡くなった人は戻りませんし、被害者遺族の心が晴れるわけでもないですけど……。
・死刑に関しては被害者の権利を踏まえた上で論議すべきで、他人の生存権を踏みにじった人間の権利を優先すべきではないと思う。 加害者家族についても直接に殺害に参加をしなかったとしても、殺人宗教の幹部として被害者達の上に直接君臨してのであれば未成年であったとしても許されるものではないのだから時効関係なく裁かれるべきだと思う。
・単純に。
罪もないのに生きる権利や健康に生きる権利を奪われた被害者が沢山いて 被害者家族、遺族もいらっしゃるわけで。
確かに加害者の子供に罪は無いです。
だけど、その思いの丈は発言して欲しくないですね。
通帳作れない学校も行けない。家族は辛いから死刑反対。などなど不満があるようだけど
そんな立場だから支援者がいて生活に困ることは無かったのでは? なんの罪を犯してないけど高校に行けないお子さんもいっぱいいるし、大学なんかもっといる。
思っても口にしちゃいけない。
・たまたま凶悪犯の子として生まれてきただけの事で辛いことも多かっただろう。不憫に感じる。
しかし悲しいかな現実、それを受け入れるしか無さそうな気もする。 事件が事件だしね。
自分の家族、子どもや親戚など身内が世間から後ろ指さされないよう、いくら腹立つ事があってもグッと我慢せねばと思うことも多々。
・被害者家族からしたら有り得ない考えでしょうね。
加害者家族に罪は無いかも知れませんがそれを公の場で発言するのは被害者家族を更に苦しめる事でしか無いと思います。
特に麻原彰晃と言う人間の指示の元どれだけの人が亡くなり遺族が苦しんだかもう一度遺族の方々の立場に立たれて考えてもらいたい。
・加害者の子どもとしての立場で辛い思いをされたのは理解出来ます。そういう立場で親を失い、辛いということも感情的にはあってもいいと思いますが、インタビューの内容を読んでいるとどこかで他人事のように感じているような本当に被害者の方の気持ちや被害者の方の家族の気持ちを考えているようには思えないなと思います。 加害者は自分の犯した罪によって、命を失ったわけですが、被害者の方々は何も悪いことなんてしていない。なのに、理不尽に命が奪われたのです。これが、事実であって、加害者が犯した罪は絶対に許されてはならない事です。 私は死刑がなくなることには断固反対します。
・欧米で死刑廃止の方向に向かっているのは、人間の行動はかなりの部分が無意識に行われているという、神経科学的な知見が反映されているので、オウムのような集団での計画的犯行から死刑廃止の議論に向かうのは少々無理がある。出版社には犯罪者家族の人権という観点からの報道を望みたい。
・死刑執行までには法的な手順を踏んで凄く長い時間を掛けてる。万が一にも間違いは無いかと慎重を期して。 一方、一連のオーム事件で亡くなった人達は、訳も分からず瞬時に命を奪われた。勿論、死刑が執行されても被害者家族の方々の気持ちが癒えることは無いと思うけど、今も麻原が生きているよりは、小さな心のケジメには成っているのではないかと思います。
・加害者家族にも苦しみがあることは承知の上で書きますが、 自分の父親が司法によって殺されたその悲しみを感じるのであれば、それ以上の苦しみを前触れも無く強いられた、あまりにも多すぎる被害者遺族に対して最大限配慮をする、ということを、この方には学んでほしいです。
この記事での書き方、ご本人の語り方では、ただ自分のことを悲劇のヒロインとしてしか捉えられていないのでは、と感じざるを得ませんでした。
・加害者の家族には責任がないと思いたいが、読んでいて何となく他人事に聞こえてしまいました。 父親が犯した犯罪で娘が大変な思いをする。 逆に何の関係もない人々が突然命を奪われ、本人の無念さは勿論の事、残された家族の悲しみや怒りは計り知れない事でしょう。 だからこそ同じ家族として同等という訳にはいかないのも事実。 家族が殺されても犯人は生を全うできる世の中はあまりにも理不尽であると思います。
・日本は法治国家です。死刑は法律で認められた刑罰です。 死刑反対論者は少なくありません。理由は冤罪であれば取り返しがつかない。残酷な刑罰である。命では罪のつぐないにならない。 などでしょう。 犯罪によって命を奪われた被害者とその家族の無念の気持ちははかり知れません。 死刑をなくすには、法改正しかありません。 終身刑は日本にはありません。あるのは無期懲役です。1年かもしれない刑罰です。
・死刑が一定程度犯罪抑止力になってることはまちがいないと思う。オウム事件のような残忍な犯罪に対しては合理的な刑法だと思う。 麻原彰晃が事件を起こさなければ娘さんは「こんな経験」はしなくて済んだかもしれない。それは死刑による経験ではない。死刑はあくまで結果だ。酷な言い方かも知れないが多くの被害者、遺族がいる限り、受け入れるしかないと思う。今の日本社会の犯罪者家族に対するあり様の是非はわからない。被害者遺族がそうするしかないように、加害者家族も受け入れるしかない。
・加害者家族、死刑囚家族への偏見、差別は許されるものではありません。 いろいろな意見があって然るべきだとは思いますが、死刑制度の是非とは切り離して考える必要があると思います。 命を奪われた方、今も後遺症に苦しんでおられる方、そのご家族もおられます。 死刑制度は、国が加害者の命を奪うことで罪を償わせる究極の刑罰です。 終身刑制度(無期懲役ではありません。)のないまま、死刑制度だけを廃止するというのはどうなんでしょうか。 被害者側の処罰感情にもよりますが、どんなにひどい罪を犯しても天寿を全うするまで生き永らえるということには違和感があります。
・こういった加害者家族の苦しみが、加害者になろうとしている人を止める一つになればいいのですが。加害者に近いだけに、色々制限がつくのは仕方のない部分もある気がします。単純な加害者家族というよりは犯罪組織の幹部になってたこともあるから、若いから何もわからなくて無関係と言えるかどうか微妙な年齢だと思います。学校も行ってなくて彼女の世界はすごく狭かったから、精神年齢はもっと幼かったのかもというのはなんとなくわかりましたが。親がなんかしたら私なら謝ると思います。まあ、謝り切れるレベルの罪じゃないのもわかるけど。 この人が思っていることを言葉で全て伝えられているとも思わないし、それを理解できるとは思わないけど、とりあえず私の意見は死刑廃止側には傾かなかった。
・自分がやったわけじゃないから被害者に謝らないというのは言ってることはわかるけど違うと思う。罪を背負えという気持ちではなく、被害者の気持ちを逆撫でするようなことをしたらダメじゃないの?と思います。心の中で「私は悪くない、やってないし」って思ってていいと思いますが、加害者家族として表向きだけでも誠意を見せないと負の感情の連鎖は終わらないと思います。
・極悪凶悪犯罪に対して、死刑が被害者家族側の唯一の望みになるならば、死刑は廃止するべきではない。そして加害者側の家族がこんな風に表に出て意見を言うことも、被害者に対して失礼極まりない。もう一度自分の父親がした罪を、誰をどんな風に殺したか、亡くなった一人一人の命に向き合ってほしい。
・自分が辛いからこんな思いをさせたくないって思うなら、死刑廃止を訴えるのは御門違いかなと。諸々の辛い思いをしたのは父親が犯罪を犯した結果であって、白い目で加害者家族を見た人が悪いわけでもないし社会制度が悪かったわけじゃない。自分の辛かった思いを父親にぶつけられ無いからすり替えてまったことを自覚していないんだね。父親を愛しているけど、愛しているからこその心の痛み悲しみをきちんと受け入れないとね。
・犯罪者の家族、特にその子供の立場である人は気の毒とは思います。生きていく上で想像を超える苦労をするのでしょう。 ただ、それ以上に理不尽な目に遭い辛く悲しい思いを一生抱えて生きていかなければならないのは被害者やそのご家族、周りの方々です。
死刑というものがなくなってしまえば、それに相当する極悪人をいつまでも税金で生かすことになります。 死刑に反対する人は その犯罪者がその後一生罪を犯さないという責任を持てるのでしょうか?監視し、生活の面倒を見られるのでしょうか?それができて初めて反対していただきたいです。 自分や自分の大切な人が心や体に一生消えない傷を追い、それでも「全ての命は平等」「根っからの悪人なんていない」なんて言えるのなら。
・死刑判決を受ける様な犯罪を犯した事を親族として良く考えて欲しいかな、加害者家族に罪は無いかもしれないがそれ以上に被害者遺族は苦しんでいる事を理解し加害者遺族として出来る限り被害者遺族へのサポートや対話等をする事が出来るなら互いの心が多少なり癒されるかもね。
・こう言う記事や思い…悲惨な人生をもっと報道してほしいです。 あとはそれをどう扱うか…おそらく多くの人は同情すると思います。だって事件には無関係なんですから子供に罪はない。 でもそこが重要だと思います。 一線を越える時は衝動的な事も多いと思います。 許せないとか怒りとか理性を失って行動に移す。 でもそれを踏み止ませる何か。 やっぱり残された家族や親族にこれだけの悲惨な人生を歩ませてしまうと言う事を常日頃から植え付けておくべきかと思います。 自分一人では揺るぎやすい心ですが 大切な人や子供や両親、兄弟罪のない真っ当な人間を地獄に巻き込んでしまうと考えた時、最悪な選択を選ばずに済むかもしれません。 よって死刑は必要だし。 社会的に制裁?銀行口座や融資、入学拒否や入社拒否は個人の判断に任せて、規制する必要はないと思います。
・死刑反対を言う方は殆ど関係ない方や死刑執行の身内が多いと思います、確かに死刑は残酷かも知れないが死刑になる人はそれだけ許されない罪を犯した人物であり重罪抑止の刑罰で必要だと思う反対の人は身内が酷い殺され方をしても反対出来るか?人は勝手な生き物なので第三者だと反対する、もっと事前に考えて欲しい私は罪状と犯罪抑止の為に死刑は必要だと思います。
・この人自身が何かした訳ではないし、事件当時この人はまだ幼かったのだから、罪はないということはよくわかる。でも、この人にインタビューに行く暇があるのなら、被害者遺族の方々にインタビューに行ってあげて欲しい。この人も辛いんだろうが、被害者遺族の辛さとは質が異なる。何の罪もないのに、あんな無惨な殺され方をしたのだから。あなたがインタビューを受けることで、その記事を見て当時を思い出して辛い気持ちになってしまう遺族の方々もいらっしゃるだろうに。マスコミももっと配慮すべき。
・物事の考え方が主観過ぎて俯瞰で見れていない。年齢から来るものなのか、これまでの環境から来るものなのかはわからないが、もうちょっと多角的に物事をとらえて考えて話すようにしないと、自覚がないまま他人を傷つけてしまいかねない。良い助言者が現れるように願う。
・加害者家族であることで進学、口座の開設が困難であることは改善すべきだと思う。ただ、死刑が無くなってほしいというのは加害者家族が言える言葉ではない。家族を愛する気持ちはわかるけれど、家族が亡くなってほしくないと願うのは被害者家族も同じだった。それだけでなく、被害者には何の罪も無かったのだから。 この人が考えるべきなのは、死刑を無くすことではなく、死刑になるような犯罪者を少しでも減らすことだと思う。
・コメント欄を見ていると「被害者家族はもっと苦しんでいる」という意見が見られるが、そんなことはこの方だって百も承知だろう。インタビュー内容を見れば分かる。
この方が加害者家族として生きづらい思いをしたのは事実である。日本では1年間に900件超の殺人事件が発生しており、生きづらい思いをする加害者家族というのも一定数いるだろう。今回のインタビュー記事はこういった人達の立場を理解するためにも必要だと思う。
・先ずは第三者が何か言えることではないと思います。 加害者も被害者もその関係者ではない人がいくら言っても、その当事者ではないしその関係者の人も沢山の人が沢山の考えや思いもあるでしょうから、あかの他人がとやかく言えることではないと思います。 関係者の方は、起こってしまった事実は変えることはできないので致し方ないと割り切るしかないと思います。他人が同情しても同情されても、どうやっても魔法がない限り事実は変わりません。 冷たいと思われるかもしれませんが、何もかも受け入れるしかないと思います。
・死刑がなくなってほしい 娘さんにとっては父親だから、気持ちは分かるけども、オウム事件で被害に遭った人達は、問答無用で殺された人もいる。家族を洗脳から救おうと頑張った男性や、それこそ、小さな赤ちゃんまで。その度に、その家族がどれだけ泣かれたかも。たまたま麻原を親に持った事は、この人も数奇な運命を歩まざるを得ず、それも麻原の罪だと思う。ただ、メディアに出られる限りは、発言にもう少し配慮を持った方が良いと思います。
・この間判決が出た甲府放火殺人事件もそうだけど、加害者側って本当呑気で自分のことしか考えられない身勝手な人が多いんだなーと呆れるばかり。 何の落ち度もない身内が急にある日殺された人がいる、それを殺したのが自分の身内だとしたらこんなこととても言えないと思うけど。 他人の痛みも分からない人間たちに囲まれてたから、あんな残虐なことが出来たのかと逆説的なことすら想像してしまう。
・確かに彼女が犯した大罪ではないが麻原彰晃の娘と言うだけで耐え難い思いをしてきたと思う。それだけ日本では血の繋がりを重視しているんだと思う。被害者及び遺族からすれば死刑執行したところで亡くなった方は生き返らず虚しさは残るが一つの区切りにしている方もいると思う。死刑制度廃止には人を殺める凶悪事件が無くならない限り難しい気がする。
・よく死刑制度に反対する人がいるが 仮にその人達の大切な家族が何の理由もなく 殺されても、その犯人に対して死刑反対ですと言えるのだろうか…。 確かに加害者家族からしたら例え人を殺めたとしても大切な家族かもしれないけどね でも交通事故や不慮の事故と違って加害者の勝手な都合で人を殺すって絶対に許されないことだと思うし、死を持って償うに値する重さだと思う。
・小さなコミュニティの長で満足していれば良かっただけ。信じられる人と物に囲まれて、幸せに暮らしていれば良かっただけ。それを他人の権利や幸せまで首を突っ込んで、あまつさえ大きな権利を欲しがり事件を起こしたんだから、それは償いがくる。その業が家族にまで及ぶなら普通の人は立ち止まって、小さなコミュニティで幸せに暮らすと思う。
・批判覚悟で言うけど、この人が死刑が無くなってほしい、と言って良い立場じゃないと思う。 被害者は何の落ち度も無いのに命を奪われ、日常を奪われ、後遺症やPTSDに未だに苦しんでいる。 私だったら、自分の父親がこんなことしたら、たとえ自分が何もしてなくても、被害者に会う機会があれば、謝罪する。 謝罪したって許されるはずないけど、それでもする。 もし、願うなら、こんなカルト教団が二度と現れないことを願ってほしい。
・罪を犯した本人は相応の裁きを受けなければならない。それが揺るぎない最優先事項であると確信します。加害者家族への配慮は残念ながら順番的には後の方の配慮事項だと思います。しかしいわれのない迫害は避けるべきで、社会が成熟する必要があると思います。
・前の晩に友人の結婚式があり深酒したんですね、で酔っ払って自転車を駅前に放置し帰宅してしまった。 翌日は月曜日で職場の先輩が珍しく私の貯まった仕事を手伝ってくれると言い出してくれたためいつもより1時間早い東横線に乗るはずでした。 しかし自転車がなくどうにもダルくて走る気もせず目の前を乗る予定だった急行列車が走り去ってしまいました。 先輩が待っているのに走って間に合わせようとしない自分に腹がたちましたがとにかく足が動かなかった。 で、その東横線急行から接続する日比谷線のいつも乗ってた前から2両目の真ん中あたりのドア付近でオウムがサリンをばら撒きました。 オウム以降も地獄へ堕ちるだの天罰が下るだの脅迫系の新興宗教は跡を絶ちませんが、たぶんまったくそういうものを信用しない私が無事に今まで生きてこれているので何かに人が守られているとすればそれは宗教ではないと思います。
・お父様に対して今思うことって質問で穏やかで幸せに笑って欲しいか... それをサリンなど様々なオウム関連の事件で亡くなったり人生がめちゃくちゃになった人の前でも同じ事言えるか?
確かに父の犯した罪なのだから関係無いという気持ちはわかるし、それで人生めちゃくちゃになったと言う意味では彼女も被害者であると思う しかし昔から強い恨みがある時は末代まで呪ってやるや祟ってやるって表現もされる 被害者や遺族からしたら罪の無い娘たちにも憎しみの対象になるのはある意味当然だと思う
・加害者家族にも確かに人権その他、人として生きている上で享受できる全ての事への権利はあると思います。 また、刑が執行され遺族となった方にその罪を償えというのはお門違いかと思います。
しかしながら、死刑でなければどんな刑罰が相当と考えるのでしょうか? 一生を税金で養うことになる終身刑でしょうか? 被害者とさせられた方々や、そのご家族にまで、加害者を養う一端を担えと言うのでしょうか?
被害者にさせられた方々は何の罪も謂れもなく、一方的に被害者にさせられ、ある方は命を、ある方はこれからのあたり前の人生を奪われたのではないでしょうか?
そういったことを理解しているのでしょうか? 加害者家族にもあたり前の権利をと主張するのは勝手ですが、メディアを使ってまで発信するのは、あまりにも身勝手ではないでしょうか?
・死刑囚の娘が迫害されるのは別個人なのでおかしいが、自分にとっては優しい父があんな大事件を起こした事をもう少し真剣に考えて欲しい。 私の父が死刑になってうれしいですか?と言われてましたが、遺族や被害者にその事を聞けますか? 個人に罪は無くても、染み付いた物が残っていたら、普通の生活を自らがどんなに求めても手に入らないと思います。
・この方も、被害者といえば被害者なんだろうが…加害者家族でもある。父親が侵した罪は何があっても到底許されるものではなく、非人道的な所業は断罪し、死刑相当が当たり前だと認識して発言して欲しかった。家族が死刑になる事は辛いかもしれないが、それには相当の理由があるので仕方ない。相当な理由もなく無差別に殺された被害者家族の方があなたより辛い目に遭ってるのです。最後の方に語ってた言葉は…上から目線で語ってる様にしか聞こえなかった…正直残念ですね。
・オウム真理教に対し、何の影響も受けてないのでどうでもいい。貴女が己の環境に負けて死を選ぼうが、ここまで生きてこようがどうでもいい。ただ、被害者家族にとっては、国により裁判で死刑となった事実には、国からの税金をかけない最良の結果だと思う。自分が罪を犯して死刑になったら自分の周りの人まで、色んな影響をもたらす事を周知させることで、犯罪の抑止力になればいい、と思う。
・加害者家族は不幸だと思うが、それよりも被害者とその家族のことを考えて欲しい。 加害者側にたつ意見はもう見たくない。死刑はなくして死ぬよりもつらい重罰を与えれば犯罪が減ると信じています。重罰で犯罪は減らないとか言う統計至上主義の意見はうんざりです。 犯罪を犯す輩には刑務所での更正よりも重罰による恐怖の方が有効です。
・第3者として、お父さんが勝手にやった事で自分は子供だったんでわかりませんと言いたいのはわかる。うちの亡くなった父親も家ではいい父親で仕事もちゃんとしてたけど、外で借金作って自宅がなくなった。お父さんにはもう一つの顔があると当時親戚に言われた事思い出しました。まあ大人になってからは嫌いだったけど。 ただ被害者の中には大学に行けなかった人いると思いますよ。自分が被害者の子供だったら加害者の子供が自分より幸せなのは絶対に許せないと思います。
・実の娘であっても、彼女は被害者でもあると思う。彼女が幼少期の環境を選ぶことも、また自身をコントロールする事も出来ない中で他に選択肢があっただろうか?被害者の方への思いから、自身の存在さえも疑問に思っている彼女の言葉は何とも言えぬ気持ちだ。 犯罪者の取り巻きすべてが犯罪者、それは違うと思う。彼女にもう少し、普通の人間としての生きる機会を与えてほしいと切に願う。
・日本にも死刑廃止論者は一部にいますが、彼等の主張で納得出来るものは一つも有りません。 そもそも死刑に該当する犯罪が起きなければ、誰もそれを起こさなければ、死刑が存置されていても誰一人死刑にはならないわけです。
先ずその刑罰を無くそうと云うのはおかしな話で、そういう犯罪が起きない社会を目指すべきです。 そうすれば法律上は死刑が有っても死刑判決が出ることも死刑執行されることも有りません。 それが一番望ましい姿でしょう。
「冤罪の可能性」と言う人もいます。 しかし死刑廃止しても冤罪は無くなりません。 無期懲役なら冤罪でも良いと言うのでしょうか。 それで獄死したらそれは緩慢な死刑です。
「抑止力は無い」と言う人もいます。 死刑は単なる刑罰であり、抑止力は有るとも無いとも証明出来ません。
死刑の有る国と無い国。 どちらに住みたいのかです。 私は断然前者ですね。
・さだまさしさんの「償い」という曲では、交通事故で夫を亡くした妻と、加害者のやり取りが描かれている。 加害者は只管、自分が仕事で得た給金をそのまま被害者の妻に送り続ける。
曲の最後の方で、妻は彼を赦そうとする。 赦した、ではなく、赦そうとするのだ。 彼もまた、その言葉で自分が赦されたとは思ってはいない。 しかし彼は「行為を認めてくれたこと」に感謝し、涙を流す。
…心を閉ざしてしまった麻原は、結果としては救われず、赦されず、何も得られぬままに死んだのだと思う。 周囲に多数の傷を残しながら。
死刑は誰も救えなかった。 そして、今でも「無敵」と言われる人が、何も得られぬままに怒りと憎しみだけに燃えて、意味もなく死んでいく。
虚しさだけで、誰も救えないで、何が法だと言うのか?。 死刑は存在すべきでは無い。
・この文章を被害者やそのご家族が目にしたらどう思うか。加害者家族として発言するならば相応に配慮が必要と思います。 殺人はこれまで数多くありましたが、死刑判決はそう簡単にはでません。 死刑がなくなる時、それは凶悪犯罪がなくなるときです。 無差別殺人を防ぐ方法を考えるべきで、このインタビューには今後への日本社会への不安が募る内容でした。
・加害者家族の苦しみはあると思いますが、個人的には加害者=お父さんを肯定してはいけないと思います。 何の罪もない人が、あなたの父親の教えがおかしい方向にいったおかげで、亡くなっています。そこは娘として理解して発言された方がいいのではないでしょうか。 ただ加害者家族として、進学や就職に障害があるのは、それは間違っているのではないかとは思います。 自分の立場だったらどうするだろうと考えましたが、家族が加害者になったら出家するかな。一生祈りながら暮らす気がします。
・加害者側が死刑がなくなって欲しいと願うなら被害者側は殺人がこの世からなくなって欲しいと願うでしょう。一般世間ではまだまだあの親にしてこの子ありという感情はそう簡単には拭えないのかなと思います。被害者側に加害者側が寄り添った場合、そう易々と死刑廃止なんて口走れるだろうか。命の重さを考えてほしいものです。
・あれだけの事を仕出かして死刑は当然だと思うけどね。 加害者家族の経験や思いと言うのを被害者遺族の前で同じ様に言えるのかな? 言えないのであればインタビュー等で語るのは違うと思う。 加害者家族には罪は無いのかも知れないが、 被害者遺族の心中に配慮する必要はあると思う。
・亡くなった方の生きる権利や今尚後遺症に苦しんでる方の権利はどうお考えなのか? 親だから庇うのも分かりますが、結果テロ犯罪の首謀者。自分が被害者ならどう思いますか?と私は聞きたいです。何も知らなくても子供であるならきちんと向き合うべきだと思います。大学に行きたくてもいけない子供も沢山います。
・途中で読むのを止めてしまった。
確かに娘さんに罪はないとは思う。たまたま麻原の子として生まれてきただけ。でも、父親の凶行でどんなにたくさんの人が苦しみ亡くなったことか、それでも父親に生きていてほしかった、死刑制度をなくして欲しいとよく言えたものだと思う。被害者側にすれば何度執行されても許すことはできないほどの思いがあるというのに。
家族に罪はなくても十字架は一生背負わねばならず、その苦悩と実態を世間に知らしめることで罪の大きさを知ってほしい。家族を思いとどまる事ができるならこんな事件はおこらないはず。だから死刑制度はあり。
・死刑廃止論って、諸外国に倣って日本も、って考えの方が多いらしいですけど、私が聞いた話だと、死刑廃止してる国には警察官の現場の判断で犯人を射殺することが多いらしいです。 日本では射殺しないと犠牲者が増える状況でもなければ犯人を射殺したりしませんね。 昔、銀行強盗が立てこもって殺人をやってしまって射殺された事件がありましたけど、その件以外には珍しいと思います。 そもそも死刑判決を受ける被告の罪状は殺人が多く、死刑になりたく無いなら殺人をしないことだと思ってます。 普通は誰だって死にたく無いから、自分の権利を尊重して欲しければ他者の権利も同じように尊重すると言う当たり前のことであって、それが当たり前で無い国は治安が悪い国であり、日本は比較的治安の良い国だと思いますし、そうでないと言う方は日本が嫌いな反日主義者のイメージがあります。
・やはり自分の親には変わりなく、血は切っても中々切れないもんだし、死刑執行となればショックも大きいし、国や刑罰を恨みたくもなり、麗華さんの気持ちはごく当然であり、痛いほど理解出来ます。 遺族側への配慮がないと、かなり批判的なコメントが多いけど、彼女は犯罪者ではありません。 罪を本人が犯した訳ではないし、別に配慮する必要はありません。 インタビューでは今までの人生や父に対してどう思うか問われている内容なので、その答えは当然麗華さんの主観であり、直接的な被害者遺族側へ向けた配慮と言葉選びは無いかも知れないけど、今まで生きてきた40年の人生を通して複雑で様々な苦労や思いをしてこられる中、遺族側について嫌というほど考えだと思いますよ。 私が生きていて申し訳ないという思いこそ遺族側に対して気持ちではないかな。
・こういう考えであるということを学校や企業や銀行や行政が聞き出した上での「ご遠慮ください」なら、仕方なかったろうなと思う。なんかそんな印象を受ける。父親がしたことに対して、考えが一般と乖離しすぎていて一般人のような自由のある生活を与える訳には行かない理由があったのでは。
・死刑によって父親が亡くなった事にショックを受けた彼女の気持ちは否定しないが、『死刑を無くして欲しい』は違くない? 殺された被害者の方々はある日突然、何も悪い事してないのに殺されたのですよ? ある日突然、「お父さん」や「お母さん」、「我が子」という存在を殺されたご家族が沢山いたのです。 死刑執行されたのには理由があるからでしょう。 でも、被害者には何の理由もない。
身勝手な殺人犯と、犯罪とは無縁の生活を送っている人との命の重さが同じだとは私はどうしても思えない。尊重出来ない。
・結局、娘として生まれた事、残念だが運が悪かったとしか言いようが無い。 誰も親を選べないから。 基本的に親と子は別人格で分けるべきだと言う認識ですが、物事には例外があり、これはさすがに親の罪が異常で大き過ぎる。
可哀想だと感じる面もあるが、被害者の方が理不尽で外野からは計り知れない位残酷で可哀想だから。 諦めないといけない事があるんですよね。 切り捨てるのは良く無いとわかってても被害者の気持ちを考える事を第一にするとバランスは取れない。
あり得ないが、もし被害者全員が許すのなら、それならもう外野がどうこう言う問題では無いかと。
・加害者の側が死刑を無くすべきというのは反感しかないな。 加害者にも家族がいるのはわかる。 その方たちが辛い経験をしなければならないのも不憫だと思う。 でもそれと死刑制度をなくすというのは違うんじゃないか。 死刑判決を受けるというのはそれだけ非道な事をしたということなんだから、その罪は本人にしっかり償わせるべき。 病気だから執行されないとか逆に意味がわからないし。むしろあれだけの期間執行されなかった事の方がおかしいんだから。
・死刑制度の是非を問う記事なのかと開いてみると、いち個人の経験を紹介しているだけだったので拍子抜けした。
この方の経験していることが犯罪をした人とその家族に向けられるものと同じかと言えば、少し違ってくるように感じる。 行われた犯罪が特殊である。特殊であることでこの方が置かれた環境とその生きづらさを知ることができる記事だが、見出しとのギャップで無意識の反感を持った。それを消すのに時間がかかった。
別の事件だが、息子の死刑判決を受けて取り乱す親の映像を観たことがある。 言葉の全てに、「私は悪くない、私を責めないで、死刑になる人間を産み育てた親にされたくない」というニュアンスがあって驚きと怒りとで困惑した。この息子さんは虐待されていたそう。 そのこともあってこの記事を死刑囚の家族が置かれる環境への関心の入り口に個人的にはしたい。他の家族も取材してくれれば読むだろう。
しかし、見出しが、、、
・彼女に罪が無いのはわかります、 けれど縁もゆかりも無いところへ養子縁組して改名し、全く別の人生を歩む権利も法律も制度もあります。
それを選択せず教祖の娘としてこのような発言を続けるところに彼女の根本的な社会とのズレと、社会からの反発を受ける所以があると思いました。
たかまつななさんも偏った思想活動をなさっている方なので、このようなインタビューの形と結論になったと思います。
・誰にもこんな経験って…のが他人事感あるのよ。本人がやった行動の結果が死刑であり、死刑が無くなる前に犯罪が無くなって欲しいと思うのが普通。 この人も親によって普通を奪われたから分からんのだろうけど、家族が殺されたら死刑を望むのが一般的な感覚で、死刑された側が死刑無くなって欲しいと思うのは普通じゃないと思うよ。
・犯罪者の家族として苦労をしたことには同情する。だが、法律にのっとって死刑判決が出て、法律にのっとって死刑執行された。麻原の死刑執行をのぞんでいた人は多い。それは当然のことだ。日本では二人をやると死刑になる。直接手をかけたわけではないが、たくさんの人をしいする命令を出している。二人やると死刑なら、麻原は複数回死刑執行されても仕方がないことをしたわけで、それを反対意見を述べることに違和感がある。
・被害者の遺族にも加害者の遺族以上に罪はない。被害者は加害者が死を待つ時間など無くこの世から消されます。加害者は何?死刑判決出て準備の時間あるじゃない。死刑を日本が言い渡すのにはそれ相応の残虐な事をしたからです。被害者や被害者の遺族こそ罪はない。日本はまだ加害者に優しい国だと思いますよ。私が遺族ならこんな日本耐えれない。死刑で確かに亡くなった方々は生き返らないケド同じ恐怖を味わって欲しいだけ。どれだけ被害者が怖かったか苦しかったか痛かったか加害者が手をかけたのだから加害者はそれ相応の罰を受けるべきだとおもう。これ以上日本を被害者じゃなく加害者を守る国にしないで頂きたい。
・家族だから父親がこのような形で亡くなる事は無念だとは思うが、その父親が起こした事件というのは、とんでもない出来事であったという感覚はこの三女には無いのだろう。まるで他人事のように聞こえる。 あの事件で亡くなった人達の家族が今の三女の感想を聞いて一体どう思うだろうか。 私だったら絶対許さない。 執行されると思わなかったって、あれだけの事をしたのだから死刑ですら生ぬるいでしょう。 麻原の家族であった事自体が不幸ではあると思うが、周りに不平不満を持つのではなく、自分の両親にその矛先を向けるべき。責任は父親の起こした事件にあるのであって、周りや社会にそこまでの責任は無い。 死刑判決を受けるというのは、自らがそれだけの事をしたという事。判決が出たのだから、もっと死刑執行までの期間を迅速に行うべきと思います。 被害者、被害者家族の気持ちを考えていないのだなという思考が垣間見えるインタビューですね。
・死刑に値するような犯罪がなくなれば、こんな思いをする人はなくなるのです。坂本弁護士事件、殺された子どもさんと同じくらいの年齢の娘がいたので、手を下したオウムが許せなかったことを思い出します。その上無差別殺人のサリン事件。子どもには罪はないけど、お父さんはそれだけの罪を犯してしまったのです。ここで死刑廃止の話は違和感があります。
・なんていうか「気持ちを正しく伝える力のない人」だなと思った。
被害者感情とか加害者遺族とか死刑の是非とかいろんな問題があるけど、「父の死刑が執行されるとは思わなかった」なんて本音を語られたら聞いてる側は「なんで!?」って違和感を覚えるよね。
ご自身が辛い思いをされてきたのは大変だし、この人にはたしかに非がないのは分かるけど、たった一言「父が全て悪く、父はとんでもない凶行をしてしまった…」の弁はどこで話すにしても付け加えないと。
誰でもパパが好きなのは当然。しかしそこだけでは、麻原彰晃を肯定しているように受け取られるよ。とても残念なことだと思う。
・確かに自分の父親が死刑になるのはショックだと思います。しかし個人的には死刑賛成派です。世界的にも少ない方だと言われますが、この極刑に処されるにはそれなりの理由があります。そしてソレにあたる罪人は、自分の意思で行動を起こし大抵が身勝手極まり無い理由で殺人などを実行しています。ソコにもし酌量の余地がある様なら死刑は免れるかも知れません。ソコの判断に至るかどうかは、個人的な感情などは抜きにして様々な証拠や多くの情報を基に決められて行きます。死刑を避けたければ、そうした犯行をしない事です。しかし何故か犯行は繰り返し起きます。どうしてなのか理由は分かりませんが、もし今死刑が無くなったらその後世の中はどうなるでしょう?そして被害者遺族はどう感じるでしょう?終身刑という選択もありますが、私はそんなモンでは生温いと思います。勿論冤罪ダメです。コレも今は正確性が増してる。だからまだ死刑は必要だと思う。
・私は三女のこれはしっかりしたコメントだと思いました。又、河野さんも心の中ではやりきれない思いがありながらも、「貴方に罪はない」と言うその心の優しさに胸を打たれました。 信仰の自由があるとはいえ、他者の(自身の子供も含めて)権利を侵害してはいけない。本当にこの言葉に尽きると思います。そして、ここで彼女は語らなかったのですが、やはり今後に必要なのは「教団が監視される義務(やましい事が無ければ問題ないはず)と、「教団の教えに問題があれば外部が指摘でき、改善されないようであれば精査して良い権利」があるべきでしょう。もちろん神道だって例外ではないです。処分するからと言って、馬に高い山を駆け上らせて大怪我をさせて豊作を占う行為、これは動物愛護法違反では?
・ご自身も普通がわからないと言っている位、本当に特殊な環境に居たのは間違いないですよね。 私達も怖いんですよ、特殊な環境下で育った子がどの様な人間かわからないから。 異常な犯罪を犯した親の影響をどれくらい受けているかわからないから。 娘さんが犯罪を犯したわけでは有りませんが、今も苦しむ人達が居るのですから、せめてひっそりと生活をして欲しいです。 遺族に謝る気が無いなら、表に出ない方がお互いの為です。
・死刑囚の子どもだからといって虐げられるのはおかしいと思う。そこは共感した。 でも私みたいな思いをする人が出ないように死刑には反対というのは理解できない。 「どんな理由があっても他人の権利を侵害しちゃいけない」と言うが、それをしたのが死刑囚。何人もの人の生きる権利を奪った人間に対して罰を与えるなら、生きる権利を奪う以外に方法は無いと思う。
・加害者の家族に罪はない。それは頭では分かっている。 でも、それを言ったら、被害者の家族にも罪はないし、死刑になるような相手に殺された被害者にも罪がないことが多い。 死刑がなくなってほしい。 でも、その前に殺人がなくなってほしい。 だから殺人を思いとどまらせたり、殺人の再犯者を出さない為にも日本では死刑は必要だと思う。 加害者が死刑になったからと言って被害者遺族が喜ぶことはない。 ただ、ひとつの区切りができるだけだが、それも重要だ。 被害者家族が前を向いて生きていくために。 ちなみに、死刑囚の家族は、被害者遺族に向かっても「死刑はなくすべきだ」なんて言えるのか? それは、被害者遺族を二度苦しめることになるとは思わないのだろうか?
・加害者家族としてとても辛く大変な道を歩いてこられたんだと思うし、もう少し加害者家族に対しての社会的な配慮もあってもいいのかもしれないと思った。
しかし「私の父が死んでうれしいですか?」という発言は100%不適切。 大勢の命が理不尽に奪われ、被害者の家族は苦しんだ。その報いは受けなければならない。あなたの父が死んで嬉しい人なんて誰もいない。結局死んだところで命が奪われた人は帰ってこない。 非常に残念な気持ちになった。
・たとえ罪人でも、その子どもとして生まれてきた子にまでは罪はない 単に罪はその罪人のみのもの この人には大悪人といえど、やはり父親という点は変わりないし、この父親のせいでもしかしたら普通の人生を送れたはずがなくなってしまうのもね ただ、死刑をなくせは流石に暴論だと思う それは被害者遺族の感情としては死刑をなくすことは、死ぬまで加害者が生きてることに対して更に精神的なダメージを負わせかねない
・この方の置かれた立場は、単なる加害者家族とはまた違う
危険思想を持つテロ組織の長の血縁 そしてそのテロ組織は解散命令後も残党が活動し続けている
対する相手としては、心情的な問題の前に現実的なリスクが大きすぎる ご本人からすれば当然「無関係です」だろうけど、その言葉を信じてリスクを抱えるのは中々厳しい
・加害者家族であるこの彼女には全く罪がないのに、苦労する人生を送っていることは本当に気の毒には思う。だがそのことと死刑の是非は別問題。人の人生を身勝手な理由で奪い取った人間には、己の命で罪を償う以外方法はない。加害者家族の感情より被害者遺族の感情のほうが優先されることは当然。
・彼女が幼かった事もあり責められるべき対象ではなく、その重たすぎる十字架はとてつもなく苦しめた事は容易に理解できます。 様々な方からの支えもあり生活されている事も含めてとても感心してしまいます。 しかしこの事件は死刑をもってしか償えないし、遺族の事を考えると今はどこかで笑って安らかになんて微塵も思いません。それは遺族・被害者を始め同じ時間を生きていた人は皆一緒なのではと思います。
・信用を積み重ねてきたからこそ今があると思います。犯罪者ではない人の家族では問題にされないことも家族に一人、人殺しがいるとその親兄弟は同じ目で見られてしまいます。今まで積み上げてきた他人との信用が一瞬でゼロになります。それはマスコミや情報通信で一瞬にして世の中に知れ渡ってしまうからで本人の家族について情報を出したらその記者ないし個人は人権侵害だと逮捕すべきで家族でも関わりの無い家族はまったく関係ありません。
・被害者側は、割り切れないし心の整理は中々付かない。そこは、考えて欲しいと読んでいて思った。身内が中心で自分たちの集団がした事をしっかり理解してほしい。 当時は未成年だし別人格だから、社会から弾くような真似はすべきでない。身内がした事は許されないが、被害者でない第三者は関係無い。
・直接の罪は無くとも本当に衝撃的な事件でしたし、主犯が執行されこの世に居なくなるとフラッシュバックした遺族の感情の矛先は加害者家族にも向きかね無い所もあると思います。 被害者遺族も加害者遺族も重いものを背負って生きて行くしかないんですかね。日本では。
・加害者家族に責任も無いし、それを過度に気にする必要も無いと同じく被害者の家族に対しても同じかそれ以上の配慮が必要。
つまり被害者の遺族が望んでもいないのに、公に自分の家族がした事を語る必要はないという事です。
加害者家族に責任がないなら、それについて語る言葉に重みはない。心の中に留めておいてください。
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