( 134494 ) 2024/01/31 22:00:46 1 00 1. 避難所には様々な背景や状況の人が集まるため、被災者の中には様々な人が存在し、支援物資に対する態度も異なる。 2. 過去の災害時には、被災者の中にモンスタークレーマー的な例もあったが、今回はそれが見られないように管理側に負担をかけないことが望ましいとの意見がある。 3. 災害時に支援物資の配布状況や避難所の環境にばらつきが生じ、その差に不満を抱く声や、そういった不平等に対する批判も見られる。 4. 避難所の運営や支給物資には限界や問題があるが、自らの力で適応することや、避難所を出て再建することなど各々の努力が必要だとの考えもある。 5. 避難所の状況についての違和感や意見がSNSなどで広く共有されており、避難所の優劣に関する不平等感や不満が表面化している。 6. 一部の声では、運営者側も被災者であり、互いに協力し合い避難所をより安全で快適な場所にするべきだとの意見が見られる。 7. 災害が発生すると、避難所の間で条件や環境に差が生じることが避けられないが、その差に対する不満や苦悩、またその対応に関しては様々な意見が存在する。 8. 複数の災害経験者の声から、避難所での生活は逆に危険になることや、公平な支援を受けるべきだとの理解が得られる。 9. さまざまな経験者からの意見で、避難所の状況や支援の不足に不満を持つ一方で、自助の努力や互いの支え合いが求められることが共通の認識として表れている。 10. 災害時における避難所に対する意見や感情は、その背後に個々の事情や経験があり、それぞれが異なる状況に対応する難しさや不満が表現されている。 |
( 134496 ) 2024/01/31 22:00:46 0 00 ・日頃、いい人だったり悪い人だったり普通の人だった人も、みんな被災者になりうる。だから、(被災をきっかけに人が変わってしまう場合もあるだろうが)被災者の中にだってすごくいい人もいれば、思い通りにならないと声を荒げる人もいる。
支援物資を遠慮する人もいれば他人の分まで取る人もいる。すべてを失ない、身一つになって避難所にいる人がどんなつもりでそうしてしまうのか、経験者でなければわからない。東日本大震災の時、そう言われました。
・東日本大震災を経験した者です。被災した当日は避難場所は大勢の方でいる場所がなく近所の集会所をお借りして過ごしました。当時、指定された避難先ではないと支援を受けることが出来ないと知って落胆した覚えがあります。なので色んな支援場所へ行き水と食料を夢中になって確保しました。小さな子供たちと共に。石川県は温泉施設での避難も可能なのでそういった施設をなんとか皆さん利用出来ないのでしょうか?こちらも優先順位などあるのでしょうか?こういった災害時に皆平等に受けられる避難場所の確保がこれから必要だと思います。
・避難所ガチャねぇ。 やっぱり日本は恵まれた国だわ。 震災が起こっても隣の避難所の環境と比べる余裕がある。 自治体の財政力や地理的要因で全く同じ環境を作る事は無理に決まってる。
過去の避難所では被災者がモンスタークレーマー化した例があったみたいだけど今回はないようにして行政の人間に負担をかけないで欲しい。
今の環境に不満なら自力で避難所を出て生活を再建するしかない。 自力で出れないなら行政の提供する環境に適応するしかない。
・石川県能登地方を震源とした「令和6年 能登半島地震」にて、石川県内に甚大な被害が発生しました。 犠牲となられた方々の御冥福をお祈りするとともに、被災された全ての皆様に心よりお見舞いを申しあげます。 さて、いつもながらの共同通信さんの報道の仕方に違和感を感じます。 多くのデータを取り客観的なデータが有れば信用に値しますが、一部を強調した記事は違和感のみです。 現在のようなデジタル化された時代ですから、しっかり対比データを持って、どこの現場にどのような課題が具体的に有るかを集計して、課題が有る現場の改善に寄与していただきたいと心から思います。 現時点では単なる思い付き記事でしょう。
・被災されて大変なのはわかるけど、被災者はお客様ではない。市の職員も皆被災者。 することないからただ寝てて、物が配られる、状況が良くなるのをただ寝て待つのではなくそれぞれできることを少しずつするといい。それでなくても年寄りは動かなすぎて血栓できて命が危ないようだから。 何もしないならせめて文句言わない。
・隣の芝生は青いは分かりますが、東北地震の時よりも道路が寸断されてたり、道路が無くなっていたり、隆起してたり、とにかく路面状態が悪すぎるので、何かと能登の末端まで支援しにくいのは事実。政府の対応遅れに、あの市民の代表とて、れいわ新撰組の山本太郎氏も議会で怒り露わ。とにかく、早く避難場所にアクセス出来る道路を対応してもらいたい。
・報道が面白がってか、ほかにネタがないからか知らないけど食べるところを出しすぎなんじゃないですか。全避難所に公平に暖かいものなどが支給されていればいいけれど、たぶん交通が回復した行ける範囲でしかキッチンカーとかは行ってないと思うので不公平な状況が生まれると思います。最近の報道は人としてもっと人道的なことを考えて仕事してほしい。例・何千人も被災者がいて数百食という食事で被災地に行ってやってきましたではなく、やるなら被災者全員に公平にやってください。
・「要支援者らが優先的にセンターに割り振られてきた」ってコレは仕方が無いでしょう。要支援者を支援が届きにくい場所に置いたら健常者より関連死に繋がる恐れがあるわけだし。
運もあるでしょうけど、それを言ったら命があっただけでも良いって事になります。亡くなった方は愚痴を言う事すら出来ないわけですから。 嘆いた所で現状が変わる可能性は低いわけですし、現状を変えたいのなら自分から動くしかないでしょう。まずは600メートル離れた無料相談所に行くことから始めて欲しい。何か変わるかもしれませんから。
・避難所の隣の芝の色を気にする余裕が出来てきたのでしょうかね。あくまで一時避難所なはずですから、自分たちで良くしていく努力も必要だと思います。あとは、こういう発言をするのがプロ避難者でないことを祈ります。
・当たり前の感情ですね。
避難所で不自由な生活を強いられ、疲労やストレスが溜まる中で、隣の避難所の方が環境が良いと知れば、羨ましいと感じるのが普通だと思います。
ただ、その環境差を無くすのは非現実的なので、羨ましい、ガチャだ、と思いつつも、我慢するしかないのが現実。本当に大変だと思います。
1日も早く元の生活に戻れることを祈ります。
・東日本大震災の支援の映像で、ボランティアが食事の配達を避難所近くの家で暮らす家庭にまで行っていたのに違和感があった。寝たきりでも無い、若い人も多くいるのだったら自分で取りに行けば良いのにと。 避難所でも、健康なのに一日中寝ている人もいるんだろうなと。お客様じゃ無いのだから、自分でできることは自分でやれば良いのにと。
・すべてが同じ条件や状況でないから避難所の優劣みたいなものはどうしてもあるかと思う。避難所に世話にならざるを得ないのはわかるしご苦労もあるかと思うが、運任せの意味でしょうがガチャ呼ばわりするのも違うのではないかなとも思う。皆さん、手を差し伸べてくれているかと思うので。
・避難所は運営する側も被災者と思う
私もとある大規模災害後、避難所を利用させて頂いたけど 私自身も仕事場を日中必死で復旧したり回しながら、夜は避難所でも家族と一緒に自分ができることをできるだけしていた記憶しかない 職場も出勤できる人がはっきりしないし休みなんてなかった
避難所はホテルじゃないし 被災者はお客様じゃない できることを探して助け合って避難所を安全で少しでも過ごしやすい所にするしかないと思う
・「避難所ガチャ」本当に避難所にいる被災者の方がこの言葉を用いているのでしょうか?その根拠(ソース)となる情報が自分には見つけられませんでした。情報発信元が、あえてセンシティブなワードを使用しているのかもしれません。ですが、それだけ深刻な支援の不足が生じている地域があるのであれば、それはそれで一刻も早く十分な支援を投じるべきであると思います。ただセンシティブな言葉であるために、反発する感情を生じさせる可能性もあります。 正確な情報を待とうと思います。
・身近に比較対象があるとそりゃ良いなぁってなるけど、対応に当たっている方々も必死にやってくれているわけで。 上手くいく避難所とそうでない所の差は、被災者側が文句だけ言って何もしないお客様タイプか率先してできることをやる協力者タイプかによって決まるそうです。
・少し厳しい言い方になりますが、避難所に避難されている方はお客様ではありません。最低限、自分自身で出来ることは自分で行う義務があります。 避難所で業務に就かれている方も多くの方は被災されている方です。避難所は共助によって成り立っていることを忘れてはならないのではないでしょうか。
・東日本大震災の際、当初自宅が半壊し、4月の大規模な余震で全壊しました。 その間、カーポート下や車内で数日過ごし半壊した自宅で被災生活をしていましたが、行政からの支援は水1滴米1粒すら受け取っていません。 津波被害は無く、誰も怪我をしなかった事も有り支援情報も無く100%自力で過ごしました。 状況にもよりますが、支援される事は当たり前では無いと思います。
・1次避難所については、SNSで発信する人がいる避難所と、そうでない避難所とで格差があったという話は聞きました。
2次避難所は、基本的に避難者の希望を聞いた上でのマッチングの結果のはず。 遠く離れた県外でも食事付きが良い、食事は無くても金沢の中心部が良い、地区の方々と集団で過ごせる場所が良い、など。
・先日、ニュースである女性老人の被災者が話してましたが、孫から電話でおばあちゃん大丈夫?って言ってくれるのですよ、嬉しくて嬉しくてねぇ、と話してましたが、孫や身内がいるならそこで世話になれよと思いました、また身体に何も不自由ないのに何故、支援する人とされる人に分かれてしまうのか、身体に不自由無いなら少しは支援の手伝いもできるはず、一日横になって、水が、食事が、着るものが、トイレが、と不満ばかり言ってるのもどうかと思う。
・岩手県民です。 自身も被災しましたし、職業上から復興にも従事しました。 うやむやな言葉を使わずに言うと、被災地支援を一律にするのは不可能です。 被災地支援には様々な団体等が本気で関わっています。行き届くタイミングは地勢的な面が主になると思いますが(表現は適切ではないかもしれませんので御容赦下さい)末端に近づくほど技術も資金も時間も要します。幸いにも、日本はどちらも高度なものを有しています。 関わる方々はすべてベストを尽くしています。過去の経験を活かそうと生命を繋ぐことを最優先にやっているはずです。 ガチャという方々の主張どおり、全てに対して行き渡るというのが望ましいですが、出来ますか? 24時間不休で交代しながらライフライン復旧に携わった経験がお有りでしょうか。 自身も被災し、身内に犠牲者を出しながらも地域の復旧に尽力される方々の結果を表す言葉として、ガチャという言葉は無いと思い書きました
・東日本大震災でもそうだったが、大規模避難所でアクセスの良い場所は荷下ろしもいちどで済むしマスコミも入っているから企業アピールにもなる。 善意による支援なのだから、それは仕方ないことですよ。 自宅避難者は情報や物資の面でももっと不便な生活をしている。 時間とともに平均化していくでしょう。 他人と比べ一喜一憂してるほうが精神衛生上良くないと思う。 そして生活物資を貰うのが当たり前になる前に、いち早く生活再建に進んだほうが自立した生活に早く戻れると思う。
・家族や友人を亡くした方、そこで生まれ育った方、皆さんそれぞれ色々な思いをお持ちでしょう。 しかし、土地が隆起したり、インフラの職場や学校の復活が見通せなかったり、避難生活が期待より長くなるかも知れません。 国の支援も徐々に細くなって行きます。 元気なら戻ることも出来ます。 まずはご自分の命を大切にして下さい。
・このような意見が出始めたということは、災害当初のいき死にの極限の状態は過ぎて、ストレスとの戦いの期間にはいったのでしょうね。本当におつらいと思います。 先の見えない恐ろしさとの戦い。 さっきまで地震におびえ隣でお互いに支え合っていた人も、敵のように見えることもあります。 早急に住宅へ移り、プライベートの保てる環境で落ち着いた生活に移行出来ればいいですね。
・熊本地震でも九州道路や熊本空港に近く、支援が届き易い益城町は震度7に2回襲われました。町の避難所で避難所格差はあったと思いますょ。避難者から避難所格差などを言う事はなかった。パンを食べ放題の避難所などなかったと思います。能登半島地震の避難者はなにを考えているのか?考えられない。女性一人で避難所生活している女性らしい方を見つけたら、あちらに移動されたらいかがですか?との話はありました。 あちらの避難所とは女性だけの避難所が開設されたからです。
・被災者は避難所の方だけではない。役所の方も被災者を運営する職員だって被災者。避難所に来たらお客様お客様扱いしてほしい。そう言う人もいるかもね。避難所にいられるだけでいい。ペットや障害者のいる人は車中泊、半壊の家に避難するしかない。避難所ガチャ、そんなことを言う人いるのですか?避難所ガチャ、不満があるなら避難所を出て住む家を見つけ、仕事もして、自らの力で生活を立て直せばいい。
・今回の避難場所でビジネスホテル等への二次避難が進まない理由に一次避難場所では無料で食べ物もらえるけど、二次避難場所だと自腹の場所があるからなんですってね 物凄く手間とコストのかかる一次避難場所維持してるのが、どう考えても不合理すぎます 無料サービスを長期間続けるから避難民が甘えちゃってる構造にしか思えません 食事くらいは有料にすべきですね
首都圏直下や南海トラフの様に千万人単位の被災者出る場合は、自力で安全地帯に移動して自腹で暮らしていくしかないのは簡単に想像できますが・
・避難所あるあるですね。 熊本地震の際の話ですが、熊本市中央区にある某県立高校(県内偏差値№1)の避難所は、偉いOBの方がたくさんいらっしゃるのか救援物資であふれかえっていましたが、市の外れにある創立してまだ歴史の浅い県立高校にはなかなか物資が届かないって話はありました。 今のやり方ではこうなってしまうのでしょうが、偏らない対策を次に活かして欲しいです。
・親しい人のご主人が宿泊施設の支配人をされています。
お勤めの旅館は二次避難所として客室を提供する申請をしたそうですが 現在のところまだ一人も来られていないそうです。 どんな経緯で受け入れ先の二次避難所が選ばれるのかわかりません。
ホテルや旅館に移られた方が体育館よりもプライバシーなど尊重されて良いのではと思うのですが、 コミュニティがないことの方が辛いのかもしれませんね。
私は、人と関わることより個の生活に重点を於きますが 厳しい自然にさらされながら共に生きてきた能登地方の方は相互互助の精神が強いので、コミュニティは譲れない部分なのかもしれません。
何も悪いことをしていないのに、辛い目に遭って命からがら逃げてきた方々に 我儘とか言うのは違うと思います。 現在の環境が少しでもよくなりますように
・「避難所ガチャ」初めて聞きました。うさんくさい言葉です。 避難所への支援にはばらつきができて当然だと思います。場所によってニーズは違いますし、行政等も今の段階でできないことは多々あります。2次避難についても避難した場所によって違いはあります。違う施設に避難すれば環境が違うのは当たり前です。 今後は最低限の水準の支援(ライフライン含めて諸々)が達成できたら次のフェーズの支援をしていくと言う方向に向かっていけばいいのだと思います。 支援は簡単なものではないです。ただ、石川県の支援体制が未だにしっかりとしていないと石川県民である私は思っています。
・日本は恵まれているのかなと感じます。 被災者じゃないから言えるのかもしれませんが、生活レベルが上がってしまうと、下げることが出来なく、雨露しのげて食べていける事への感謝の気持ちが無くなってしまうのでしょうか。 支援している方も、差をつけたくてつけているわけでは無いでしょうし、人の事は言えないけど隣の家の芝生は青く見えるでしょうけどね。 政治への不満も重なって、税金たくさん収めているのだから、もっと支援をと思っていらっしゃるのかもしれませんが。
・家が無事で家を再建できる人や家が倒壊したり火災で消失しお金があり自力再建出来る人は、再建するまで避難所や賃貸借りて生活をする 家もなくなり住むとこがない人は避難所でその後出来る仮設に入らないといけないと思う 自力再建できない人は住み慣れたところを諦めていずれ出来るであろう復興住宅に入るのも検討しないといけない 避難所で最後までいると大変なので、早期に住むところを考えないといけない いつまでも支援があるわけではなく、時間が経つにつれて支援も少なくなってくる
・東日本大震災で被災しましたが、軽かったのと皆が無事だったのでボランティアを避難所でしました。やはり被災の程度により言葉の暴力が酷いところもありました。私が経験した中では、大人の男性がキレやすかったです。年寄りも含みます。同じ被災者にもボランティアにもキレてました。ただね自分よりガタイの良い強そうな男性にはキレてませんでした。家をなくされた方、身内をなくされた方、特に酷い被害を受けられた方と避難場所はしばらくすると分けられてました。特に酷い避難所もありました。そこには女性やボランティアの人は向かわせないように配慮されてました。赤の他人と避難生活するのはホント大変だと思います。より弱い人弱い立場の人がサンドバック状態でつらくなりました。東日本大震災から13年たっても避難生活が変わってなくて残念です。
・東日本大震災で被災し、5か月間避難所生活をしました。 山間部の避難所に入った為、支援物資や芸能人の訪問などは中央の大規模避難所が優先気味でした。ですが、雨風を凌げる建物が有り、食べ物や風呂など様々な支援を頂いているだけで有難かったし、これといて僻みも何も徳には感じませんでした。当時は今ほどSNS等は普及していなかったので、避難所ガチャなんてしょうもない言葉も無かったし、格差が生まれるのはある程度は仕方がないと思います。
・避難所ガチャなんて言葉を用いる人はきっと若い人だろうと思うけど、その言葉の引用だけ取り上げて被災者の心境や態度の表れみたいに批難するのは違うと思います。震災から1ヶ月経過しても間仕切りもない冷たい体育館の床の上で生活するのはお年寄りには辛い。東京五輪で話題になったダンボール制のベットとかこう言う時に利用できるといいのだけど。。。プライバシーが守られて空調管理された居住空間を一刻も早く届けてほしい。
・避難所はどこも不自由だし設備になんらかの不満はあると思います。ニュースで炊き出しや自衛隊のお風呂などやってても数に限界はあるし、これは一部の避難所のことだろうなと思って見てます。 だからせめて情報だけは公平に全体に行き渡るようにしてあげてほしいです。
・被災された方々は大変なのだろうと理解した上で… Twitterなどで簡単に周辺の情報がわかるようになったから、自分がいるところと比べて不公平だと思う感情は理解できます。 ただ、自分たちのためにと眼前でサポートしてもらっている状況を当たり前と感じてしまうことには大きな違和感があります。
誰しもが自然災害の被災者となる可能性がある国ですが、私はこの様な人間になるまいと思いました。
・能登半島の地震は何度も揺れて被災地の避難所にい続けることが逆に危険なのではと思っていた。家財のそばにいることが必要であったり、家族が救助を待っているなど事情はあったかもしれないけど、みんなで被災地の避難所に閉じこもる必要はなかったと思う。 物資は届くのに地震被害の少ないところへ被災者を運ばない、受け入れ先が無いのは被災があったときに広い範囲に国の指示命令が出来ていないからなのではと感じた。 国に対する批判では無くて、できれば今後は家屋が倒壊するような被災があったときは被災地では無い場所で安全に被災者が過ごせることを物資の供給や避難所の快適性より優先したらどうかと思う。 各地に被災者用の住居トレーラーなどが分散されないかと思う。
・そのセンターはそんなに遠いのだろうか? 弁護士の無料とかどうせ予約だろうし、一回行って明日聞いてとか予約できないのかな?別に3-4日後でもいいわけだし。 炊き出しがあると暖かいのがあるのは嬉しいのはわかる。
が言わないとわからないよ? あと、炊き出しは鍋とかもらって自分らでしたらダメなのか? 料理位自分らですればどうかな? どうしても避難所にいたいなら、自分たちで道具や材料はもらっても運営するのは必要と思う。 やってもらえて当たり前は違うし、支援者も被災者では?
あともっといい待遇を望むなら、いっそ二次避難を受け入れて他に移動するのが一番いいと思う。 避難所は所詮避難所。 一か月だけ二か月だけでも二次避難は有効と思う。 皆が二次避難したら、市役所職員やその他の支援者の手が空いて他の作業に移れる。
・わたしは東日本大震災で死者数が4000人弱ともっとも多かった市に 住んでいますが、雨風凌げるだけで十分でした。(それだけの人数でした..) 『避難所ガチャ』などど言われる方が次に言うことに察しがつきます。 次はきっと『仮設住宅ガチャ』 ダイワハウスさまなどの様々なメーカーさんが作ってくれるのですが、 施工メーカーさんでクオリティが違う仮設住宅なので、こういった方は 文句言われるんだろうなと思います。 プライバシーが確保された仮設住宅を『急いで』作ってくれてるのに。。
・ひとつの町の事例にすぎませんが、岩手県のある町では、指定避難所ではない、お寺や神社が高台にあり、とにかく高台へ、と坂道を登ってきた方々へ寝所を提供していました。宗派ルートで支援物資が届き、また津波の被害を免れた近隣世帯から米などの基礎食糧の提供をお願いし、自宅避難者も含めた方々へ炊き出しを続けました。 他に、帰宅が間に合わなかった児童や教職員らを、町内会でまとまり、複数の家庭で一時的に預かり、迎えが来るのを待っていたところがありました。 あるいは自動車部品工場で、事務室を仮の避難場所として提供し、一般車は使わない峠道を使い物資を内陸部から運搬、などなど共助の例を、いくつか聞き取り、それらは民間の研究助成を受けて公表してきました。 自家発電が可能で、湧水が枯れることがなかった、ガスはプロパンで、地域の業者が無事だったから、可能だったかもしれませんね。能登はもっと厳しいのでしょう。
・嫌々ながら、自治会の役員になりました。 必然的に地域の防災訓練にも強制参加です。 そこで知ったのは、避難場所に指定されている場所(学校の体育館とか)でも、不十分な事だらけで長い時間過ごすのは難しいということでした。
仮設トイレは5コ、絶対に足りません。 多分、長蛇の列になって、自分の番が来るまでに漏らす人か続出でしょう。
極論を言えば、雨風が凌げるならば自宅で過ごした方が多少不便でも精神衛生上は良いという事です。 日頃から備えをしておく、特にトイレ。
いざと言う時、自治体や自治会はアテにはなりません。 自分の家族が1週間は過ごせる準備をしておく方が良いと感じました。
・まず指定の避難所自体も、古い建物か新しい建物かの格差もあるし、広いか狭いか、選ぶのは利用する側だからね。
物資が早く届いた所、待たされた場所も能登半島特有の事象だったと思います。
被災した方々が、手を挙げて率先して避難所を運営に関わった方が、より良く改善されやすいのかな?
日本の各自治体が、改めて避難所を見直して改善してもらいたい。
・避難所生活は長期化すればする程ストレスも溜まってくるでしょうから、どこかで愚痴を言いたくなるのかもしれないですね。 まぁ、逆に言えば愚痴が言えるだけ震災時よりも余裕が出来てきたといえる訳で、被災していない私たちは非難するよりもあたたかい目で復興を応援していきたいですね。
・集落、町の規模が違うんだから、避難所に使う集会所、公民館なども違う。 普段の利用状況が違うのだから同じ建物には出来ない。 それを非常時に「避難ガチャ」と言うのはいかがなものだろうか。 支給される食事は平等であるべきだが、設備に嘆いてもどうにもならないだろうに。
・避難先によりどうしても差が出るのは仕方がないと思います。ただ、確かに差は大きいです。震災半月後まで避難所に入れなかった人は行政の支援が全く受けれませんでしたし。(輪島市:避難所が一杯で避難所に入れなかった人は食料品など配布は15日まで全く受けれなかった) ただ、多くの人は生きていただけよかったと考えていますがすぐそばで好待遇を目にすると僻むのは仕方がないと思います。 2次避難先でも差があるようですし。行政は二次避難を推奨していますが、申し込み後二次避難先に受け入れていただけるのが1か月以上かかるのですが?あれだけ二次避難を進めるのに、避難できないのは、避難者の拒絶以外に行政の手が足りないようですね。
・避難所ガチャとかこういう言葉をあまり 真に受けない方がいいと思う。一部の人は不満を口にしているだろうが 多くの人は 黙って我慢していると思うしもちろん みんな 感謝しているはず。困った時はお互い様で助ける人 助けられる人がいる中で一部の人の不満を大きく取り立てるのは助け合いに水を差しかねない。それと逆に、見方を変えれば、黙っているとストレスになってしまうので不満を口に出した方が良いという考え方もあると思う。
・311でボランティア行った時に、コーディネーターさんに平等に接するようにとか、誰かと仲良くなっても優遇したり何かあげてはいけないなど毎日ミーティングで言われてました
被災者の中で特別扱いが生じる(またはそのように感じさせてしまう)と差別意識や妬みなどが生まれてしまうからだそうです
1か月がたとうとしているにも関わらず、ただでさえ満足な状況からほど遠いのに、その中でも差が生じるというのはとても辛いと思います
・地域の避難場所が開設された場合は役所のどの窓口が担当するのかをまずは決めるべきです。そして避難者から募集して班を作り各担当の責任者を決めるなどマニュアルを作るべきです。日本全国で地震は起きます。被災後の混乱を避けるためにもいろんなマニュアルは必要かと思う。
・過ぎ去ったことついて文句言っても仕方無いけど、私が阪神大震災を小6で被災した時は、毎日、灯油のポリタンクに水を汲みに片道1キロぐらい歩いて2往復してました。水道、ガスが復旧するのに数ヶ月かかりました。 家は半壊。全壊した地域は当然、避難所やその後の仮設住宅に入れて、いろんな支援が優先的になされる。悲惨な地域の近くや、ホントか知りませんが、議員などの息のかかってる地域から優先的に復旧もしていってると言われてました。近所での買い物は当然品薄、避難所とかに入るわけでもないから、物資の支給も無い。親戚が車で食品などいろいろ届けてくれるのに助けられました。家は住める状況とはいえ、ガス、水来ないって辛かったですよ。 という経験からして、助けて欲しいし、支援は手厚くして欲しいけど、格差があっても仕方ないですよ。
・『要支援者が優先的に振り分けられた。』そこにサービスが集中している理由ですよね。
隣を羨ましいという気持ちは分かります。断水地域で暮らしていますが、自宅避難者には現在給水支援(タンクで水を汲みに行く)のみです。お風呂や洗濯、食事は一部の避難所に集中しています。
自宅の方は入浴したい、洗濯したいと思っても仕事によっては1週間近く出来ず、また片道1時間以上かけて遠くへ行きます。またガソリン代含む費用がけっこうなものです。(家族全員だと尚更。無料開放は更に遠方なので利用出来ず)金額的な支援はありません。
地震関連のニュースを見て、炊き出しやお祭りなどイベント、自衛隊風呂、洗濯機が入ったなどは全て避難所。情報は入ってこず、後になってそれを知ります。正直羨ましいと思う気持ちは少しあります。
けれどそれを言ってどうなる。家や店が全壊してもボランティアに励む人もいる。自分だけが可哀想じゃない。
・災害は不平等さを生みます。震災を島で経験した人としなかった人、津波を経験した人、水が長い間でなかった地区の人、後にお金が出た人出なかった人 お隣りはオ−ル電化だからお風呂入っているけど家はガスがまだだから入れないなど。 寒い中パンを買うために並びながらそんな話しをしていました。時が解決する事もあるけれどずっとわだかまりが残る事もあります。わかってはいるけれど消せない気持ち。災害でも一括りになんて出来ない。これから精神的なサポートが重要になってきます。
・YouTuberの方々が炊き出しに行って満足そうにその様子を投稿しておりますが、それは一般車両も通れるアクセス良好な一部の避難所のみの話ですよね…
どうせ行くなら全ての避難所に行かないと、他の避難所が不満持って当然です。
道路は荒れて使える道路は限られておりますし、余震も続いています。ガス欠や事故を起こして緊急車両の通行を妨げたり、帰宅できず自身も被災したりし、逆に被災地の負担を増やす可能性も十分考えられます。
居ても立っても居られない気持ちは分かりますが、迷惑をかけず、且つ、どの避難所も平等に支援するには、現状募金が1番有効的なのです。
・最近、何かと『ガチャ』と表現されるケースが増えて来ていますが、今回のように支援される側、救助される側として発して良い表現では無いと思うんですけどね。
勿論、避難する場所によって快適さは雲泥なんて事は有ると思いますが、それはその自治体の人が頑張って「備えて来たから」という事も多いんじゃないでしょうか?
自分も同じような災害が起きたら孤立するんじゃないか?って場所に住んでいるんで『生きている事を有難いと思え』なんて事は流石に思わないですが、言って良い事と悪い事って、やはりあると思うんですよね。
・東日本震災に遭いました。 自宅周辺は無事でしたが、近くの小学校が避難所になり浜からの避難者が殆どでした。 近隣の方々がボランティアで炊き出しや子供達への相手などしておりました。 回覧板で食料や日用品や不足している物のリスト化され寄付を募り、かなりの品物が寄付されていました。
同じような事が能登でもある事でしょう。 被害に遭われた方々はこれからも大変かと思いますが、今の生活を支えてくださっているのも周りの力かと。ガチャ?はあまりにも悲しい言葉ですね。
・被災してなく冷静な第三者なら同じような意見になるでしょう。でも、やはり被災者は全員善人ではないが被災して日常を失っては事実。人間誰しも欲望には歯止めがかかりません。 行政はストレスも溜まるでしょうができるだけ被災者に寄り添いできることをしっかりやってほしいです。頭が下がります。
・被災者も支援する側もみんな頑張っての「今」だと思います。 そんな中で「嘆き」や「ぼやき」や「苦情」が出るのも感情有る人間ですから当然の事だと思います。 そんな被災者の「嘆き」や「ぼやき」や「苦情」を聞いてあげるボランティアの支援が有ればどうでしょうか? 誰かに聞いてもらえるだけでもモヤモヤした気持ちが晴れて軽くなるような気がします。
・実際格差はある。それ自体は被害状況に応じてアクセスの難しさもあるから仕方ない。
企業からのキッチンカーが来たり、いつも外部の団体が来られて炊き出しが提供されるところもあり、「支援の輪が広がってます!」という報道を見たら、支援の少ない被災者がそう感じるのは仕方ない。
ただ、その思いをそのまま世の中に発信するのは他の被災者らの心象を悪くするだけだし、ありのままの声だとしても発信するのは自重した方がいいと思う。 少なくとも言葉を選ばないと。
・しょうがないんじゃないかなあ 快適にっていうより命を守るようにっていうレベルなんだし 1次避難所では感染症がまん延して断水のために対策も十分にとれず高齢者が多い地域だから命の危険性が高くなった そして断水が長引きそうなので1.5次避難所が設けられたという経緯だと思うから
・被災したことは気の毒だと思う。 でもよほど劣悪な環境ならまだしも、命があって当面の命を繋ぐための物資も環境もあることが当たり前に存在することか素晴らしい反面、その環境があることが「当たり前」の認識になってしまうところに人間の怖さを感じた。
記事にする方もただ避難所の格差に文句言ってるだけなんてつまらない記事を書くより、そう言ったことに言及する方が価値がありだろうに。
総じて日本って平和だなと思う。
・①支援方法をシステム化をする ②二重以上の担保を作る ③要素においては一定の基準・水準を満たすもので統一する
これは国や行政において、備えにおける段階で実行可能なものです。 有事に必要なものは平時に備えなれば、速やかに提供・実行することができません。 我々国民は、国や行政のやり方に妥協をするのではなく、協力をしつつ是正を求める方が皆にとってよりよい未来を作ることができると思います。
・被災された皆様また避難されてる皆様、本当に寒く、寂しく辛いでしょう。 私も阪神淡路大震災で自宅が被災したけど、ライフラインに携わる仕事でしたので、復旧作業を発災翌日から仕事をしてた事もありました。また今回も仕事柄また、ご恩返しの思いから珠洲市にて微力ながら復旧に携わらせて頂きました。 確かに避難所の待遇の横並びを見れば、納得出来ないことや、怒りも有るでしょう、しかしそれが現実なんです、行政で出来ることにも限りが有りますし、また行政区によれば格差もあります。 行政に頼るよりも、しんどいですが自分が何が出来るのか考え、地に脚をつけて少しずつでよいから前を見て一歩を踏み出してください、必ず助けて頂ける方々がいてます。
・避難所ガチャ、それはしょうがないでしょ避難所の立地とか、もろもろの事情があって、同じにしたくてもできない現状を理解できない人が言い出す、なんでも平等主義かな、どうやってもあり得なことを嘆いていてもしょうがないと思いますよ。自分のできることからやるしかないし、支援してくれる人たちもできることをやっているのだから、このようなことを声に出しても妬まないことが大事だと思います。
・自治体職員も、皆被災者だ。家族のもとを離れ、被災者の為に尽力している。被災者は、文句も言わず職員に協力し働く人もいれば、職員が全てするのは当然だと、何もせず文句ばかりの人もいる。皆が協力する自治体ほど運営は上手くいく。
・余分なお金は必要無い、と良く言います。 が、余分なお金というより余裕のお金があると、こういう時に自費でホテルや旅館に泊まれますからね。 3.11の時の被災地に知り合いがいましたが高齢で身体が少し不自由でした。 避難場所での生活は不安で隣の県の旅館に長期滞在しました。 本人も蓄えが無かったら死んでいたかも、と言ってました。 日本はこういう時には皆我慢しますから、弱者にとっては辛いですね。
・2次避難になったら、家族とか介護とかの条件を除けば、空いている避難所が割り当てられるようなものだしなぁ 避難先のホテルなり旅館なりが、個別に支援してくれたりした避難所もあるとは聞いたことがある
・公助の内容に格差が生じることは多々あるので、現実を受け入れるしかないのではないか。
公助に頼りなくなければ、自助で、生活を継続できる手段を考えざるを得ない。BCP(企業を対象とする事業継続プラン)に対して、最近ではLCP(生活継続プラン)も必要になってきている。
・2時避難に割り当てる時になるべく地域の人が一緒になるように配慮して欲しい。 同じ地域の人同士なら孤独感も少し薄れるのではないのだろうか。 別々の2時避難所でも近いところにしてあげられたら嬉しい。
・そろそろ体育館ザコ寝のような避難所は閉じるフェーズに入っているので、そのようなところに居るのであれば、そこから出ることを考えるべき時期でしょう。間も無く閉じるのですから、現状維持のまま待遇改善はありません。改善されたところに移ってもらうか、きちんとした住居らしいところで新しい生活を始められる人には、そうしてもらいたいのです。
避難所後の生活について相談したのだが、それがなかなか上手くは話が進まないという話であれば改善すべきだろうと思うけど(被災地域内に実際に今でも稼働している仕事・復旧可能そうな職場があり、そうそう遠くには居住できないのだが、紹介される住居は遠すぎる等等)、避難所の生活改善は「良く無いところは順次閉じる」が対応策なんだということは、理解させていくしか無いだろうね。
・あくまで一次避難 多少の差は出るのは仕方がないのでは?一生そこで暮らすわけでもないし。 理由あって二次避難できない。なんて話も出てますが 長期に渡る復興作業が見込まれるので 辛い選択も しなくてはならなくなる日も近いと思います ガチャだの何だのと言う前に大事な選択が迫ってますよ
・これはワガママではなく、結構深刻な問題。特にトイレや着替え場所。 国が主導ではなく、自治体任せだからこうなる。 自治体は被災地であり、職員も被災者。 元々自治体ごとに体力差はあるし、そこへ災害で体力がさらに無くなる。 また、東日本大震災の時もそうだったが、ホテルや旅館へ避難した人達は毎食のように豪華な料理を無料で受けていたのに、近隣の避難所は地域住民が自宅から物品や食料を持ち合わせしたり、非常食の毎日だったことが問題になった。 案の定、ホテルや旅館へ避難した人達は、なかなか次の避難所や公営住宅などへ移動せず。 いずれにしても災害時は自治体任せにせず、国が主導して自治体の負担を減らさないとならないと思う。
・支援格差があっても支援が届いてるだけありがたいとおもうけどね... 道路事情や避難所の規模で同じ支援を同時にできるわけでもないし...
地元で水害が発生した時、やっと仮設住宅ができて抽選に当たった人がTVで「浴室に段差があるのが使い難いですねぇ」なんて愚痴ってたけど、私は「当選して感謝の言葉はないのか!俺の居る体育館より快適だろ!」とテレビに向かって文句言ってました... 支援するほうも精一杯支援してる訳だし、県外から大渋滞の中支援物資を届けるトラックドライバーもいるんだよ? 差別してる訳じゃないんだから感謝しようよ
・色んな人がいるから避難所ガチャとか言っちゃう人もいるとは思う。ストレスの強い環境ですし。避難所のクオリティも先進国の中では遅れていて改善しなければならない課題と挙げられていますが、多大な費用がかかるため大きな改善は無く、トイレでのレイプ対策に手をつけ始めたりしている所です。 格差があり、それに対して不満を持つ。そして揶揄してしまう。 どこでもありますよね。 事実をありのまま伝えるのがジャーナリズムなのであればこの記事はこれで良いし。 それよりもコメントで贅沢言うな的な事言ってる人がいて驚いた。 同じ立場になって、どんな処遇を受けても文句言わないのでしょうか? 隣の人だけ高待遇を受けても我慢できますか?我が子に我慢させられますか?
・これは早急に、できるだけ支援の格差を是正する必要がある。
初期の頃、2次避難所が開設された頃、ラサール氏?が無料なのかと指摘もあり、話題になり岸田総理は無料と発言。 その際、無料であることを知らないのか、常識、勉強不足などとネットではラサール氏に批判の声が集中。だが、。その当時NHKの報道を見て、施設によっては食事の提供がなく有料といったところもあると分かった。正確に言えば、必ずしも全て無料ではなかった。対応に温度差があったのだ。 当時、ラサール氏の指摘をしっかりと受け止めて想像力を働かせていれば、少なくとも食事代が有料のところは無料にすべきなどの支援の公平化などに思いが馳せていたはず。
もう遅いが、今からでも早急に、少なくとも食事も無料で食べられる支援は必要だろう。彼ら彼女ら派避難者なんですからね。 暖かい支援の手を差し伸べるべきです!
・それ以前に、倒壊家屋からの救出が「応答有り」が優先されたと不満を訴える声が有ったり、救出隊すら来なかったとの地域も有った。 全ての被災者に公平な支援など無理だ。要支援者を、より良い施設にという判断は致し方無い。 給水施設でも、時間帯は別として、容器持参かペットボトル・給水バッグ配布かが、地区や場所に依り異なる。 ボランティア氏に「うちも手伝え」と宣う被災者をニュースで観たが、その方にすれば「何故あそこは実施して、うちは後回しなのか?」と感じられただろう。センターへの申込みをされていなければ、ボランティアも派遣されない。 今朝のNHKモーニングショーでは、視聴者からのアンケートを公開していたが「被災者一人一人丁寧に寄り添う、ケアマネさんのような支援が欲しい」との意見が有った。ここまで来ると正直な処、絶句してしまった。
・この記事は、おそらく誇張していると思う。避難所にいる人たちが「差別されている」という趣旨のことは言わないだろう。言っても冗談に近いのではないか。
というのは、自分がいる避難所以外の避難所の実際の様子を観察することなんてしないだろうから。
支援に格差があっても実際には気づかないし、そんな目先のことばかり気にしてはいられないはず。
・避難ガチャという単語が生まれるほど各避難所に税金が行き渡り、最低限の支援ができていると理解しました。 避難所ごとにお金で贅沢の優劣をつけられるように老人ホームのようなランクづけをすれば解決するかも知らないですね。
交通の便の悪い場所、人が少ない場所のクオリティが下がるのは当然の話なので不満のある方は自ら移動し、能登を離れるべきかと思います。
・「被災者を平等に!」というなら、一番の平等は「行政は何もしない」が最終的な解決地点になるよ。 まぁ、そんなことは無理だし、行政もそんなことは望んじゃいない。 しかし、土地によって多少の便利さに差が出るのは仕方ない。平時でさえ、市役所が遠い、バスが少ないなどの差は出てくるもの。 避難所はあくまで一時的なものであって、最終的には市民が各自で生活を再建していく必要がある。 何もかも被災したからと言って行政が面倒を見てくれるものではない。
・避難させてもらえていて、炊き出しもあるだけありがたいと思う。そもそも避難すらできず命を落とした人もいるわけで。 公的支援に不満があるなら、頼らなくて済むように事前にしっかりと防災対策をしておけば良い。それこそ地下シェルター作って数か月分の備蓄をしている人を見習ってから不満は口にしたらいい。
・震災からもう一ヶ月経つし、被災者の方にも不満が溜まりやすくなっているだろう 支援する側も手を抜いてる訳ではないが、差が出るのはどうしてもある 今はそれを嘆いても仕方ない 被災された方が一日でも早く普通に生きていけるようになりますように
・避難所ガチャって、被災して避難してる人が 言ってるの?ニュースなどを見てるとちょっとした事でも感謝してるように思います。 避難所によって支援出来る事に違いがあるかと思うけど今は仕方ないと思います。道路も まだちゃんと整備されてないから。頑張って欲しい。東北の人たちも負けなかったから 能登の人たちも負けないで下さい。
・こういった記事の出し方がそもそもどうなのか? 別に被災者が公的支援を受けられないわけでも、隣の避難所だから受けられないわけでもない。 相談があるならそちらに行けるのに、行かないのは怠慢なだけであって、しかし、本当にそういう人が本当にいるのかもこれだけでは確認できない。 被災した方にこうした疑念を抱かせるような報道のあり方が問題では?
・一番は地震ガチャ。 あと、線状降水帯とか、 後から分析してわかった気分になるけど、結局は、その被災する時や場所は運命。元旦の夕方に能登半島が隆起するなんてね。ガチャですら無い。ある日突然被災者になるかも。少しでも備える。
・一時的、短期間なら嫌だ、じゃあ長期的なら離れたいのかと言えばこの地がいいと離れたくない、あっちは物資が来てるらしく羨ましい、でも俺たちはここから動きたくないみたいなこと言う方はテレビの取材受けないほうがいい被災者の印象が悪くなる 東日本の時被災したけど携帯繋がらないネット繋がらないで周りがわからないからある意味良かったのかも。確かに地域格差はあるし移動するにも手段が無い人も居るから不満もあるだろうけど不満の声の報道が多すぎて嫌になる
私ならむしろ一時的を好意的に受けれていい環境から次の行動に移したいと思うけどな。ここから動きたくないからここの環境を良くしろってテレビで言うのはわがままですよ
・健常者と要支援者を並べた時にどちらが優先されるのかは判りきったこと。逆に健常者優先していては、それこそ批判されるでしょ。それに、「全てを平等に」なんて無理だよ。支援する側も頑張ってやってくれていると思う。支援されて「当たり前」なんて考えがあるから不満がでるのでしょうね。 日本は災害に対して迅速に対応するし、海外に比べたら恵まれている方だと思うけどね。
・不公平性ができるだけ取り除かれるように、定期に出張所などの工夫はあっていいと思う。 常設でないが故のサービスへのアクセス頻度に差はあっても、アクセス機会そのものは、皆に提供されるべきだと思う。
・もう少しすると 仮設住宅の差も出て来ますよ
5月初旬頃に入居した我が家は 完全プレハブでしたが 7月に入居した親戚は積水ハウスが請け負ったようでバルコニーや玄関アプローチなどもありなかなか快適だったようです
そうは言っても 5月に入居出来たのは 地区最年長の祖父が居た事で 優先入居だったわけで… 入居の抽選に当選した時に関連死していたのは まぁやむを得ない事ですが それはそれは大顰蹙で 地区の方には辞退を迫られたり 色々ありますよ
和を重んじるのか 我が道を行くのか 人それぞれです
なんだかんだ言って 自分が1番可愛いんです 自分の身は自分で守り、図太く生きても 良いかもしれません
・何でも、運任せのガチャガチャに例える風潮は良くないです。人生はガチャガチャで決まるものではありません。当たりも無ければ、ハズレもない。運は勿論あるが、何もかも自分が望む最も欲しいものが、自分の前に現れなかったからと言って、それを悲観的に捉える必要はない。誰の子に産まれるか、どこの国に産まれるか、どの地域に産まれるか、当然に差異はある。
・東日本の時、避難所は今みたいに仕切りもないし、ずっと大変だったと思うんですが、中高生たちが避難所の運営に活躍していたのが印象に残っています。今回は高齢者の割合も高く、二次避難の動きを早急に進めたので、取り残された気持ちになった方がいるのかもしれません。
・SNSが普及して、こういう意見を共有して「うちは、あっちは・・」と拡散されるんですね。 避難所運営されてる方もほとんどが被災者ですよね。 阪神大震災では、避難所のTVに他の避難所の状況がうちよりいいと分かったときは、愚痴は出ましたが、避難所に入れてもらい、食事やお風呂などの環境があるだけで感謝してました。
・この記事を読むとそうだろうなぁ〜と思ってしまいます! 北海道もブラックアウトした時に やはり最初に通電したのは 真ん中の地区 大きな病院があったり 変電所とかある所は先に通電してましたし 同じ地区でも配線の関係で明暗がわかれました。 避難場所も悩みます。小学校は5分以内にあるのですが マンモスの公営住宅がお隣にありそこの方達で占められるでしょうし 500メートル離れた所に公立高校はあるけど 築40年位経ってるみたいだし その直ぐそばの小学校は ここ数年建て替えており 耐震の面でも1番安心出来るけど 皆 大体 同じ事考えるでしょうから 避難場所 ないですよねー
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