( 135218 ) 2024/02/02 22:46:19 0 00 ・原作者は関係ないに、人それぞれやり方が違うという言葉があったとしても、脚本家の思い上がりとしか思えない発言です。また、記事の中に余裕がないとも書かれていますが、余裕がないから好きにしてよいというのは、脚本家側の言い訳にすぎずそれをきちっとやるのがプロとしての仕事なのではと思います。自分たちの発言で炎上したらなかったことにする。脚本家とはその程度のプロ意識ということがわかりました。
・動画全部見ました。その上での感想。 この人たち、問題の本質をナンも分かっちゃいない。芦原先生の最後のメッセージについても、「攻撃したかったわけじゃないって仰ってるんでね、そうなんでしょうけど」って。そのメッセージを最期に絞り出した芦原さんの心のあり様とか哀しみとか、人の気持ちに全く寄り添っても慮ってもいない発言ばかりでビックリしました。行間を読むとか、人の気持ちを想像するのが全く出来ない人たち。 協会の公式チャンネルだから脚本家目線なのは仕方ないけど、いかに脚本家が大変なのか。皆んなその大変さを分かって、って話しに終始してて。自分の大切な作品を踏み躙られた芦原さんの気持ち、何も分かっちゃいない。 こんな人たちが書く物語に誰が心打たれるというのだろうか。
・1つ1つの発言は切り取りかもしれませんが、概ねSNS上で語られている通りに感じます。脚本家が進んで改変しているわけではないにせよ、プロデューサーや局の意向に合わせた変更に加担はしているのでしょう。
>原作通りと言っても、ドラマと漫画は媒体が違うので、同じにはならないとの意見が出た。とはいえ、原作者には変える理由を説明すべきで、余裕がないテレビ局のスケジュールからその調整が十分行われていないとも指摘された。
同じにならないのは百も承知。何を生かし何を削るか、変更するならどうするのが最善策かに知恵を絞り、原作者を納得させるのが仕事でしょう。余裕がないのは局の都合で、言い訳にならない。 また時間不足は俳優やロケ地を押さえるスケジュールが原因だったりしますが、芸能事務所のごり押しキャスティングで、登場人物を改変したり。自分都合が最優先で、原作者の意見は優先順位が限りなく低い。そこが変なのです。
・切り取られただの言ってもいないことが、とそこにこだわってますけど、だいたいの内容からしても炎上ものでしょう。TV局側の都合を一方的に述べているだけで、根本的にヒット作を使わせていただいているというリスペクトがまったく感じられない内容でした。まぁ私も文字起こしの要約を読んだだけなので動画そのものは見ていませんが、業界の論理が暴走すると契約も軽視してこうなるのか、とゾッとしましたね。自覚してないのが怖い。
・会話のニュアンスが全然伝わらない。 理事の黒沢が、 原作者には会いたくない、原作だけでいい、と、原作者の人格を完全否定する発言だった。 参加者は、それにはっきりと賛同するものではなかったため、黒沢は重ねて、 会いたくないことを繰り返し訴えていた。 伴氏に関しては貰い事故のようなもので、 ただ黒沢の発言を止めなかったため、暗黙の了解といった状況だった。 いずれにしろ、相沢にしろ黒沢にしろ、いい加減にしろと言いたくなるような不快な発言続きに辟易している。
・「原作に忠実に」そう約束が交わされた場合、大事なのは原作であって原作者じゃないとの考え方では、また問題が起きてしまいそう。 原作を見て感じたことなど脚本家さんが噛み砕いて表現するとなると、脚本家さんの思考回路や感性の影響が大きくなってしまうと思うので。 作品は、原作者さんの熱意や努力や想いがあって作られたものなんだから、原作者さんの事も大切にして欲しい。
・この動画の一番面白いところは、小説も書いてる脚本家さんに 自身の小説をドラマにするとしたら誰かに脚本頼みますか?という話があり、その方がうーんと悩んで、自分でやるって答えた部分。
誰かに頼まないといけないとしたら?とさらに質問が来て かなり悩んで、相当信頼関係ができてる方ならあるかもしれないけど、今はなんとも言えないというようなことを答えていて やはり自分の小説は愛着もあり、 どこの誰かもわからないような人には任せられないというような話の流れがあった。
それは芦原先生の置かれた心境と全く同じじゃないかと。自分のことと考えれば問題がわかっているじゃんと。
謎なのはではなぜ今回先生の身になった上でトークが進まなかったのか。 原作と脚本の共存がテーマなのに、なぜ脚本家の立場主義中心になったのか。 シナリオ協会という点を汲んでも、そこにこそ今回の悲しい出来事が起きてしまった本質があるのに。
・原作者が0から作り上げたものを、崩せば崩すほど「私は仕事をしています」「能力あるでしょ」「原作より面白いでしょ」「純粋な私の作品」と言っているように感じてしまう。 しかし、制作会社や監督の思惑と原作者の間で落とし所を担っているのが、脚本家なのかも知れない。 それはそれで大変な作業だが、原作がある同じ題名のドラマで、パクリやパロディー作品ではないのだから、全ての関係者はプロの仕事をして欲しいと思う。
・原作者がドラマ化の設定ストーリーを作るほうが問題が少ないと思う。ドラマ化脚本に関しては、原作者は不慣れだから脚本の制作は脚本家が書き、原作者は監修として関わる。ここで脚本家が恋愛要素を入れるなど自由な創作をすることを許すかどうかは話し合い。
>「とくに多いのは、『ミステリと言う勿れ』で、原作にはない恋愛要素を入れたことに対する批判ですね。ただ、『田中さん』にも言えることですが、恋愛要素を入れ込むのは脚本家というより、テレビ局の要望だと思われます。
キャストの年齢から、原作では弟と姉をドラマでは兄と妹にしたいなら話し合い。原作が大事で原作者はそうじゃないは違う。
・具体的な作品名は控えますが、個人的に好きなある漫画があって、ネットでいろいろとその作品について調べようと思ったときに、実写化作品の方ばかりヒットするという経験がありました。原作のファンとしては○○と言えば実写だろと言われているようで、なんとなく置いてけぼりをくらったような気持ちになりました。 きっと原作者の方も映像化に賛同してるからこそ実現し、それが成功したことは良いことなんだ、一ファンがモヤモヤすることではないんだと自分に言い聞かせていましたが、芦原さんの訃報を皮切りに明るみになった映像化作品界隈の原作者軽視の風潮を目の当たりにして、やはり何かおかしいのではという思いが再燃してきました。 全部がそうとは思いませんが、原作のネームバリューだけを当てにして、原作者やファンの作品への思いなんて全く考慮してはいない作品もかなり多いのではと思い始めました。
・実際に動画は見てないけど、批判が殺到してる事から記事の内容や他の情報はそこそこ正確なんだろうね。
脚本家の協会や個人が倫理崩壊してるなら、何言っても理解出来ないだろうから、職業倫理を法的に徹底的させるために脚本家という国家資格にしたほうがいいと思う。 そうすれば原作者を無視する事は越権行為になるし、処罰や免許剥奪もできる。 ここにきて一般社会との乖離を理解出来ない人は脚本家と名乗るべきではないし、自称で脚本家を出来るのは問題だと思う。
・「原作通りと言っても、ドラマと漫画は媒体が違うので、同じにはならないとの意見が出た」この発言が今回の問題を端的に表している。 それならば初めから「同じにはできない」というべきだった。「できる」と言ってドラマ化を承諾させておきながら、承諾後に「できない」というのは明らかに契約違反。著作者の許諾なしに著作物を改変することは許されないとする著作権法第20条第1項に違反している。 これが常態化しているということは、TV局のコンプライアンス欠如だけでなく、著作権の保護を監督する文化庁の怠慢である。TV局は約束事に対してはきちんと契約書を作り、文化庁は著作権を守るような契約書を取り交わしているか、TV局を指導監督するべきである。
・自分も、原作者が存在する作品作りに携わったことがある。 少なくともその現場では、原作者はプロデューサーレベルの発言権を持ち、 鶴の一声がかかり、何か月も納期が延期になるような変更が加わることもあった。 でも、それに不満はない(大変ではあったけど)。 それが創作活動に対して通すべき筋なのは現場の誰もが判っていたし、原作者に妥協の思いを出来る限りさせたくないという思いは職場全体にあったと思う。 たしかに、小説やマンガとドラマやアニメやゲームなど…媒体が変われば表現しきれない部分も出てくる。だが、その道のプロなら原作者と落とし所を探り、折り合いをつけるのは当然の責務。 端から折り合いをつけようともせず頭越しに押し通し、進捗をタテに脅し、あまつさえ「売ってやってる」とでも言いたげな態度を取るのはあまりにも言語道断だろう。
・原作付きの作品を、映像化する事は大変な困難がある事は間違いのない事。 逆に、映像作品を小説などにする場合だってあります。 大事な事は、「原作」に対する考え方でしょう。 原作の世界観を、どのような形にするのかは、結局、原作者と映像化、小説化する立場にいる人達とのコミュニケーションに他ならない。 その中で、一番、あってはならない事は、お互いに「反目」してはいけない事でしょう。 お互い非難し合って、良い作品が生まれるはずはないと思えます。 間に、出版社や制作局がはいると、ややこしくなるらしいが・・・ここにも、問題がないとは言い切れないよね?
・言った言わないの内容はこの際あまり関係ないと思います(はっきり言ってどうでもいい)
動画を見ましたが、発言の端々から、出演者たちの根底にある「ドラマにしてやる(だから原作者は黙ってろ)」という脚本家やテレビ関係者たちの傲慢が手に取るように伝わってきました。 これは切り取りではなく全体を通して感じたことです。 それを視聴者たちは怒っているんですけどね…分からないかな…
ドラマ原作者が亡くなり、世間が脚本家に対して不信感を抱いている今この時期に、何故こんな動画を上げたのか。炎上を見越せなかったというなら、感覚がおかしいとしか思えません。
・少なくとも、原作が連載中の場合に、テレビドラマ化する側は、原作の世界観を壊さないよう、話の大筋を変えないようにするのは、当然のことだと思う。テレビドラマによって勝手に世界観や話の大筋を変えられたら、その後の連載はどうしたら良いのか。そんなことは脚本家なら想像できるはずで、それが想像できない、あるいは想像できても気しない脚本家はあまりにも身勝手だ。彼らも有名脚本家になる前は漫画や小説、あるいはオリジナル脚本を書こうとしてゼロから産み出す苦労を経験したことがあるはずで、産み出せたものがどれだけ愛しいもので、大事に育てたいものか知っているはずなのにな。原作者は原作をまだこれから愛しみながら大事に育てて生きたかったんだよ。
・原作通りではドラマとして成り立たない場合もあると思うので、脚本家の方も脚本家なりに、原作者は原作者なりに見せたいところに相違が出るのは仕方ないと思います。問題は話し合いですよね。お互いの歩み寄りが必要なんでしょうね。どんなに良くなるとしても改編には賛成しない原作者もいるでしょうし、そこを変えたら違う話じゃんてとこもわかります。私もガリレオシリーズでバディが女性になった時「え?」と感じました。あれはあれでよかったけど、原作とは別物として観てました。原作へのリスペクトというか、原作者へも脚本家へもファンへも、全てに対してリスペクトが足りなかったのかなー
・芦原先生が亡くなるに至る経緯だけでなく、その遠因となった背景等も考えようってなった時、この「消された動画」の中で語られていた事は割と重要だと思っている。 動画が事の経緯や脚本家、原作者、双方が出したコメントの中身も踏まえてのものだったのか、あるいはちゃんと知らないまま、芦原先生の死を受け脚本家に非難が集中している状況「だけ」を見て擁護の目的も込めて出したものかってだけでもだいぶ違う。 ただ雰囲気として、芦原先生が自分が出した条件は守ることが難しいものとわかっていたし、だからこそ大丈夫なのかを再三確認していた、というあたりのことは知らないで対談してたように感じる。 きちんと経緯もふまえず同業者を擁護したいだとか、流れに乗じてバズりたいとかの目的で出した動画なら本当に短絡的で浅はかだと思う。
・映画の興行収入を見れば一目瞭然なんだけどね。
原作者とうまくやったほうが、収入は伸びる。
原作を好き勝手変えて大きく稼げるのは巨匠パヤオぐらい。
テレビは視聴率が取れる芸能人に頼ることから抜け出せなく、どうしても芸能事務所のイメージ戦略という原作にまったくない要素が入ってくる。
大量に芸能人を投入し宣伝しまくったウエンツ版ゲゲゲの鬼太郎より、水木ワールドを昇華しながらもひっそりこっそり上映を開始したゲゲゲの謎のほうが興行収入が上回った事をテレビ業界、広告業界、スポンサー会社は真剣に議論したほうがいいだろう。
売れてる漫画の原作ファンは、一塊の芸能人のファンより多いことをそろそろ学んだ方が良い。
・公平に考えて
脚本家には脚本家の思いが有って
原作者には原作者の思いがある
プロデューサーにはプロデューサーの考えがあるし
一番良いのは原作を変えて欲しくない原作者はメディア化は絶対にしないとするか
オファーが来たら脚本家の作品とその映像化の原作を読んでからOKするかを決めるしかないね
また脚本家は原作者が「絶対に変えて欲しくない」ところを絶対に守るべきだよね
・今回の件に関しては脚本家の事情だのドラマの裏側だのは関係なく、契約したことが守られていなかったことに尽きる さらには、それに原作者の芦原先生が耐えていたにも関わらず、脚本家の方がいらぬ暴露をした事が発端であり、この脚本家たちの「愚痴動画」は全く的はずれで時期をわかっていない不謹慎そのものだったと思います
・申し訳ないが切り取られた発言とか、 動画の削除を止めたとか言われておりますが、 今伝わりし内容ではやはり炎上は必至の情況だと思われます、 やはり自身の擁護、弁明にしか見えません、 これでは原作を使われる作者様方も今後、自身の作品の使用を躊躇される事は容易に考えられる事です、 自身の作品を使われながら、自身の要望が通らない、それどころか自身の存在すら疎かに扱われる、 コレは誰の生み出した作品なのか! 脚本家様と呼ばれる方々はソコから考え直された方がよろしいのではないかと思います。
・アーカイブとされる動画を視聴しました。 モヤモヤが解消された反面、別のモヤモヤが生まれてしまいました。
上手く言えないのですが「セクシー田中さん」の一件が「蕎麦屋に入ったらラーメンが出てきた」とでもいうような、根幹から変えられたと芦原先生が感じて9、10話の脚本をご自身がかかれたことをご理解いただけてないようでした。
また相沢氏がSNSで不満をぶちまけてそれに呼応した脚本家の方などがいた、という前段がなければ芦原先生の投稿は無かったこともご理解いただけて内容で、そこもモヤモヤポイントでした。
「脚本家もオリジナルをやりたい」という話もありましたが、それなら「映像化が望まれる原作を自分が用意すればいいだけでは?」というのもあります。
原作者へのひどい言い様は無かったと思いますが、「原作者でも脚本家でもない第三者」に責任をすり替えているように感じる内容でした。
・動画を全部観ました。 進行役の人は終始ズレた印象。 この人は「私は原作者の方には会いたくない派なんですよ。私が対峙するのは原作であって、原作者の方はあまり関係ないかなっていう感じですね」と確かに発言している。
他の参加者は大体真っ当な事を述べていました。そして進行役の発言を持て余すというか、戸惑い気味な空気感がしばしば感じられた。 東野圭吾氏を「あんなやつ」呼ばわりもしていなかった。
進行役の人は、知らないのか知ってて触れないのか、相沢氏がSNSで嫌味な攻撃をした事には全く触れずに「原作者さんは説明しただけで何も悪くない、何も知らない誰かを責めたい人が脚本家に向かっていって、そういう世間が対立構造を作って攻撃するような状況を起こした」という事を言っている。今回に限らずの原作改変への批判も、原作遵守していないからだと思っているようで全体的にズレてるし理解できてない印象でした。
・アニメ「HELLSING」では平野先生が設定を変えられテレビ版にブチギレ、特典画像書く事拒否し、送られたDVDは即刻売りに行ったあと原作忠実OVAを作り売れる事でテレビ版作品と制作会社の面子を粉微塵にした事が知る人には知られてますね。ここまで後味爽快な事はドラマでは規模が違い過ぎて無理だとしても原作者を軽んじる風潮はどうにかって欲しいものです。
・「大切なのは原作であって、原作者の方はあまり関係ないかな」という言葉だけは人と人で行う仕事だということを軽視し過ぎていると思う。 ただ、脚本家はプロデューサーや出演俳優の事務所、スポンサーなどから改変を要求されることも日常茶飯事で、それらを断る権限も無いことを考えると 脚本家だけが改変の元凶のように言われるのは気の毒ではある。
・原作というより「原案」のような形で脚本家がとらえたことが そもそもの行き違いだったんじゃないかな?
脚本家は自分の爪痕を残すために、あるいは視聴率のために 脚色しオリジナリティーを加えたいだろうし プロデューサーも番組側に忠実な脚本家を重宝し 大がかりな脚色なり改変を良しとしてきたんだろう
ただ今回は原作者側が原作に忠実にということでOKした経緯がある それを反故にされたうえ、脚本を交代させられた脚本家がインスタで 「過去に経験したことのない事態で困惑」 「こういうことが2度と起こらないように」と 上から目線で批判したことがいちばんの原因だったんだろう
原作とテレビドラマはまったく別と考えて 改変に違和感ない原作者もいるだろう でも芦原さんは違い、変えない契約だった
全体をまとめるPがコミュニケーションを取って インスタやXで本人たちが主張しないようにしなければいけなかった
・もう、脚本家達は言い訳をするのはやめて「私達は思いあがっていました。申し訳ありませんでした。これからは心を改めて原作を尊重し、原作者と話し合い、その意向を最大限汲み取って良い作品を作っていきます。」と、テレビ局と脚本家達が真摯な謝罪と意思表明をし、それを実際に実行するしかないんじゃないか。 世間に通用しない業界の薄汚い考えを表明したり、炎上したからと言って逃げの姿勢でだんまりを決め込んでいても誰も納得する状態にはならない。 まあ、それでもこれまでの言動で定着したテレビ局と脚本家に対するマイナスイメージは好転することは難しいだろうが・・・・。 やっぱりテレビ業界は腐ってますな。
・物語は描けない部分はその人の思いで埋めるし、描かれてるところでも人によって印象が違う。 映像→漫画→活字の順でその幅はデカいと思う。
脚本家が想定するのは映像初見の大多数の人にも分かり易い描き方やろ。 漫画は売れるかどうか分からんが描いてみたも多いのかもしれんが、 脚本は売れてなんぼで原作を解釈するんやろ。
原作者と合えば、描かれた意味を正確に聞けるんだろうが、 売るだけなら必要ないと思う人もいるやろな。 それを原作通りと強弁するのが駄目なんやと思う。
・どんな発言も、敵視する人には悪意に解釈されてしまうので、釈明的なものってあまり意味がないんですよね。
今回の脚本家に釈明を求める意見も多いですが、結局、釈明をまた攻撃して吊るし上げたいだけなので、どんな釈明も正しく伝わることはないし、それなら黙っているよりないということになります。
関係者に本当のことを語ってもらうには、聞く側が理性的になり、誰かを叩きたい、吊し上げたいという意志ではなく、原因追求と再発防止の観点に立たないとだめなんだろうな、と思います。
・>「大切なのは原作であって、原作者の方はあまり関係ないかな」という発言だった。ただ、「人それぞれでやり方が違うので」とも付け加えていた。
本音なのでしょうね。 番組に必要(大切)なのは、原作の中でウケているエッセンスなのであって、作者が読者に伝えたいことではない。 番組の製作側は、その原作エッセンスに、いま世の中にウケやすいエッセンスを振りかければ(二次脚本家の得意とするところ)バズる・視聴率が上がる・パッケージが売れるとの計算しかしていないと思います。
これでドラマ化NGの作品が増え、枠を埋めるためのつまらないバラエティ番組が増える。そしてますますテレビ離れが加速する。 自滅に突き進んでいると自認すべきですね。
・伴一彦氏の方はまだ割と穏当な発言をされていた印象ですが、黒沢久子氏の方はどうも、著作者人格権を根本的に理解されていないんじゃないか?というような印象。
どうも黒沢氏の方が『原作を変えるなんて当たり前ですよね?』というような意見を引き出そうと伴氏に色々と投げかけて、伴氏の方はそこまで明言はせず、「まぁ設定を変えちゃうことは珍しくはないけど、そこは原作者の方ともうまくコミュニケーションを取らないと…」みたいな感じ。
ハッキリ言って、黒沢氏は「脚本家に責任はない」という結論に持って行きたくてあれこれしゃべって、結果的に他人事というかリスペクトがないような話がボロボロ出てきてしまったという感じでしたから、あの動画を公式で公開し続けるのはやっぱりリスクしかないのではないかと。。
・これはこれでわかる気が。マンガを原作にテレビドラマ化する際に、版元側が原作に忠実にやってくれる脚本家を立ててそれを受け入れればドラマ化していいよとやるか、そうでないかのどちらか。そのへんを曖昧にして進めてしまったことがこの悲劇を生んだ。出版社もテレビも反省するべき
・「消された動画」は別動画でつい先ほど視聴しました。声だけで発言時の表情が読めず正確なニュアンスはわかりませんでした。 原作付きドラマは、テレビ局・プロデューサーから降りてくる要望のもとに脚本を書くのであって勝手に書いているのではないこと。 今回の事例は テレビ局・プロデューサーが、小学館側としっかり意思統一しなかったことが大本の問題であること。 以上のことを言いたかったのだと理解しました。
ただ、この動画に出ている脚本家の人達は「脚本家も大変なんだ」ということをどうしても強調したくなっており、「言葉が足りない」がためにいらん誤解を自ら買っているととも受け取れました。
動画を見て思ったのは、たとえプロデューサーからの指示に従うしかなかったとしても、脚本家は原作を読み込むことはしなかったのだろうか? 原作者がこの作品に込めた意味を読み取らなかったのだろうか? という疑問です。
・全編聴いてみると、脚本家目線での本音が聴けて案外興味深かった。
MC役が終始「脚本家だって頑張ってるのにね…こっちにも事情があるのよ」「本当はオリジナル作品を書きたいのにね」と言わんばかりのスタンスだったことが悪印象過ぎて炎上したのでしょうが、脚本家が悪いと一方的に批判され、今後の作品作りに影響が及びかねない今回の問題を受け、脚本家側にも言い分はあるだろう。
多くの人が疑問を持っているであろう「何故脚本家は原作通りの脚本を作らないのか?」に関しても、媒体が違う、プロデューサーの要求(恋愛要素を加えたいなど)、時間や予算の問題。 そうした様々な条件によって、原作に手を加えなきゃいけないこともあるのかなと。
今回の一件を受けて脚本家批判がされがちだけど、脚本家にも原作がある作品の脚本を担う産みの苦しさはあるでしょうし、それをこの配信で脚本家同士が語りすぎてしまったのかな?って思った。
・原作へのリスペクトが必要だ、原作者に権利がある そんなことは当然の大前提なんだが あまりにも脚本家側が叩かれすぎてて可哀想に感じる 原作ありだろうがなしだろうが、面白いテレビドラマには必要不可欠な存在の筈なのに こんなに批判されてしまったらそりゃ脚本家側だって人間なんだから言い返したくもなると思うけどなぁ
・そんな穏便な内容じゃなかっただろう。
オリジナルをやりたいけれど企画が通らないから原作付をやり、脚本家の成長のためにもオリジナル要素は必要とか 原作者の要望は半分くらいやれば十分とか SNSでの誹謗中傷やめようとかいいつつも発端となった脚本家のSNSでの原作者攻撃にはほとんど言及しないとか
映像化に際して改変が必要であり改変無しは不可能と言っているのも印象深い。 原作現に表現されていないことを補うような脚色は当然必要だが、キャラの性格変えたりとかは映像化と関係ないだろう。
制作側の都合での改変もあるだろうから拗ねて脚本家側が悪いとは言わないが 軽視して当然というような言動には製作側の原作軽視と同じような上から目線を感じる。 これらコメントのほとんどが日本シナリオ作家協会の理事である方が言ったことと言うのも重要。 同協会は原作者なんて便利な道具程度にしか思って無いということでしょう
・記事とはあまり関係ないですが、個人的には原作ありのドラマ化やアニメ化については、契約を原作者があまり全面には立たないようにして、代理人や何らかの組織を挟む形で実施した方が良いのではないかと感じましたね。 脚本家にすれば、叶うなら自分の色を出したいから原作をできる限り弄りたいでしょう、でも原作者からすれば限度があって当然。出版社やテビ局からすれば、売れさえすれば、という考えはある意味当然ですので、そういった状況で、多くの契約素人の原作者の思いを守るには、間に何かしら挟んだ方が良いように感じました。 ひとつ間違えればより悪化する可能性もありますが、上手くできれば、金銭面も含めて大きく改善するかも、と勝手に考えました。 スポーツの選手会とか代理人制度を参考には出来ないかなぁ、と思ってます。
・原作者であり、今回のケースとよく似た立場でもある佐藤秀峰さんの話とも整合性がある動画だったと思う
立場の違う両者が言いたい事の本質は「構造上の問題」で、特にテレビ局やプロデューサーといった立場にある人達に問題があるということだと思う
佐藤秀峰さんは脚本家ではなく、演者に対する不満も述べてはいたけれど、それにしても文章を読めば演者ではなく演者への配慮に欠けたプロデューサーだということも分かるはず
動画内でも語られていたけれど、そういった問題であるのにマスコミ含めて「脚本家VS原作者」という対立構造に仕立て上げ、それに乗せられる事には違和感と危機感がある
誹謗中傷や脅迫を理由に削除したというのは建前で、その本音はテレビ局やプロデューサーといった立場の人達からの圧力だったんじゃないかとすら思ってしまうよね
・>今回は、原作者と脚本家がそこまで対立していたわけではなく、分かりやすい対立構造で語られてしまったと嘆いた。
対立構造を作ったのは脚本家のインスタ投稿ですよね?脚本家が勝手に表に出てきてお気持ちをぶちまけたんですよね? 身勝手な不満を持って自分の武器である文章で原作者を攻撃しておきながら、矢面に立たされてしまったかのような表現はおかしいと思います。
二次創作脚本家は原作者と対等に並べられる存在ではありません。 「対立」と表現されるように、勝手に原作者と対等かそれ以上の立場であるような言動をしたのは脚本家です。 この動画の削除までの流れを見ても、脚本家の思い上がりが伺えます。
・この対談動画は消される前に聞きました 一言二言の言った言わないなど内容の印象に影響などありませんよ 切り取り、誇張との事ですが、聞くに耐えない内容を耐えて最後まで聞いた感想はSNS上での評価で妥当です 脚本家と言う生き物がどんなものであるか、非常に勉強になりました
・相沢さんも黒木さんも芦名さんも女性。女性が偏屈印象になっている。脚本家は版権がない題材でドラマ化で良い。ドラマ嫌い。揉め事はもっと嫌い。分かろうともしない業種なら決別もアリ、だと思う。
・先ず「緊急対談:原作者と脚本家はどう共存できるのか」って、 タイトルで動画配信をしてるのに、脚本家の黒沢久子氏は
「私は原作者の方に会いたくない派なんですよ」 「私が対峙するのは原作であって、原作者の方はあまり関係ないかなって」
自己矛盾を引き起こしてる動画なんですよ、 切り抜きがどうのこうの以前の問題です。
原作者が改変が原因で悩み追い込まれて、自ら命を絶つ事態にまで至っているのに、 人として倫理観、道徳観が無い発言ですから、批判は当然でしょう。 原作者はこんな方に脚本をして欲しくないでしょうね。
・消された脚本家さんの対談動画を見ましたが社会一般の企業常識からかけ離れた業界の体質がうかがい知れます。少なくともここで対談の脚本家は原作や原作者の言うことなど自分たちには直接関係が無いし原作者の要望や約束事が仮にあったとしてもできる範囲で聞いてやるよというような俺様的なスタンス。それを自慢さえしているかのような言動。これが死者に鞭打つような発言ととられても仕方がない。更に対談の進行役はシナリオ作家協会の理事であり日テレの脚本家でもあるから余計にそう思われしまうだろう。自ら火に油を注いでいる感じ。
・そもそも「共存」とはおかしな言い方。 原作があってこそのドラマ化や映画化でしょ。 脚本家でも野木さんのように、原作者への配慮や、原作の世界をを大切に脚本を書かれる方もおられると思います。
しかし、原作者を下に見て、原作を平気で踏みにじる脚本家が沢山おり、偉そうに振る舞っていることに衝撃を受けました。こういった方々には、脚本家を名乗って欲しくないですね。 原作を読み解く力も無ければ、表現力も怪しいです。物書きなのに、言葉を大切にできない。自分達が発する言葉の影響力を甘く見ている。 むしろ「脚本屋」では? 視聴者も舐められたものです。
これからは、脚本家やプロデューサーで選ぶ時代かもしれません。 原作者も視聴者も。
スポンサーの皆様、その点をご理解下さいますよう。
・いまヤフコメはじめネット民の意見の主流は「原作者をリスペクトしろ!」の一点で凝り固まってるよね。 映像化にあたっては様々な意見の交換やぶつかり合いもあるわけで、必ず脚本家のワガママが勝つとかプロデューサーの調整能力欠如といった「わかりやすい話」だけで説明がつくことばかりではない。 ましてや原作がそのまま映像化できるほど簡単な話ではない。 結局、リスペクト云々といったって脚本家も原作者も自分の領分のことしかわからないし、そこを譲歩するのは自分の領分を侵されることになる。 だからこそ話し合いは大事なわけだけど、ことヤフコメでは原作を知るであろう人らによる「リスペクト」の濫用が目立つ。
始末が悪いのはドラマを見たことも原作を読んだこともなさそうな人らが、単にマスコミ叩きや脚本家という「新たな標的」を見つけて「これは叩けそうだ!」となって、作品のことも知らんくせにバッシングに参加してることだよ。
・問題の動画の削除理由として ≪出演者・関係者への誹謗中傷や脅迫等がございましたので動画は削除しました》 とあります。
誹謗中傷 脅迫 と言う言葉を記し、 まるで自分達が被害者で有るかのような印象を付けるための悪意と操作を感じます。
これが、言葉を操る集団のやり口です。
・ビジネスとして考えた場合でも利害関係者と帳尻を合わせるのは当たり前のことですよね まして原作者は著作権法における最も尊重される存在なのに なぜ別にいいかなみたいな扱いができるのでしょうか
・著作権が切れているやうな古典作の脚本と混同してるんじゃないかな? そういう場合は どうオリジナリティを出すのかが重要かもだけど、全部 一緒にしか 考えられないようでは ダメではないですか?
・なんかイマイチ話が変わってるけど、今回の話はそもそも「ストーリー」が変えられてて脚本とかのレベルじゃないよね。
マンガを実写化する中で演出とかを変える必要があることは原作者は分かってるから「好きに変えていい」と許可するわけだけど、
表現の仕方とか演出変えるのはいいにしてもキャラを変えるとかはもう「二次創作」でしょ?
それを「○○ってこういう作品」みたいにしてテレビに出されたらそりゃ腹も立つでしょ。
ようは脚本家が「こっちの方が面白いだろ」と塗り替えてるわけで、そこにリスペクトは無く「レイプ」と言われるのは言い過ぎではないよ。
ドラえもんののび太が気ドラマで映えないからからといってのび太を「ちょっとグズなイケメン」に変えて、ストーリーもそれに辻褄合わされたら、それならしずかちゃんも結婚するよね! って、それはもう”ドラえもん”じゃない訳で。
そんな感じで、この話は脚本家が悪いよ。
・対立構造は、今回の脚本家が持ち込んだのが発端じゃないか しかも、女優とツーショットの写真に添付する形でInstagramに上げて、いかにも制作現場に原作者が過剰介入したと言わんばかりの悪意ある文章で そこを無視して、対立を煽るなとか言われても
・>今回は、原作者と脚本家がそこまで対立していたわけではなく ここ丸っきり違くないか?ではなんで原作者は必死に訂正修正を行い最終部分は自分でやるしかなかった状況だったと思う 確かに原作は完結していないのでドラマの結末は色々紛糾するところではある しかし、脚本家に任せられず自ら行うと言うのはよほどの事で信頼感が喪失していたと想像できる 大きな対立は存在したと想像できる
・この動画は保存されて拡散されてますね 黒沢久子さんは「うーん…」等の間投区を入れてソフトな語り口調ではありましたが、確かに「向き合いたいのは原作。原作者ではない」と言った意味のコメントはしていましたね
・脚本家の発言を「切り取り」っているのが問題で「誹謗中傷だ」と言いたいようだが、それなら原作者に無断で「改変」するのはいいの?そっちのほうがはるかに問題でしょ?それがOKなのだとしたら消された動画の内容だとして自由に脚本家の発言内容を改変して拡散することもOKになるけどほんまににそれでもいいの?
「脚本家は原作者が死んでせいせいしたと言っていた」という風に改変してもいいことになるよ?
実際テレビ関係者が「あ(・_・)、誤解なきように言っとくけど、良い『原作者の先生』も居ますよ、世の中には。一切口を出さないとか、もう死んでるとかね」とか言ってるしね
・一応、この協会の対応が最悪だと言った人(この記事に名前が出ている人物)は、原作のないオリジナルの脚本を結構出してる人(無論、原作ありの脚本も存在するが)で、問題があると思える発言をした人とも違う。
「全ての脚本家が何らかの原作をベースに脚本を書いているわけではない」という点と、「誰がどういう流れで発言したのか」という点に関しては正しく認識しておくと、事実とかけ離れた単なる誹謗中傷にならずに済む。
・三万歩くらい譲ってこれまでは業界の慣習でそうだったのかもしれない。原作者とテレビ制作者が没交渉の中で、お互い食い違ってしまった部分があるのかもしれない。 では結果はと言えばどうだ。大きく改変されたシナリオや、性格の変わったキャラクター、ピントのズレた物語にファンは阿鼻叫喚といった作品が多々あったのが現実だろう。原作者どころか本来なら作品の一番の視聴者になるべきファンにすらソッポを向かれた作品が何個あったか。 そういう作品は、脚本家として、テレビ制作者として失敗しているわけで何故そこで真摯に反省し、改善しようとしない。 脚本家もテレビ屋もプロで自身の仕事にプライドがあるのは分かる。原作者がその分野において門外漢であることも分かる。だが数々の失敗を経てもなお改善できないのはそれは無能という事だ。
・リンク動画観ながら書き起こし読みました。 ①今回の件、原作者と制作側との意思疎通や連携が上手く行ってなかったと思う。 ②脚本家は粗筋を勝手に変える事は出来ない。それはプロデューサーの仕事。 ③原作者も私達も同じクリエイター。10あるうち半分を聞いて半分は譲歩してもらう。 ④原作は大事だけど原作者は別(ガンダムで例えると、自分たちはアムロで原作はガンダム。僕が一番上手く映像化できるんだ的な。テム・レイは別にいいやって感じ) ⑤物語を別の媒体に落とし込むのに100%反映は無理。 ⑥最近は原作を上手くトレースするのを視聴者やファンが強く求めてる。しかしそれでは実力も上がらず文化が衰退してしまう。 ⑦敵と味方の二極論で対立を煽らないで欲しい。
二次創作必要論で争ってる印象。 原作ファンは原作が好きなんであって同人なんかいらんわと思ってるだろうけど、同人作家にもファンはいるんですと言う主張。
・論点はそこじゃないでしょ! 原作者と脚本家(脚色家?)が対立する構造問題、じゃなくて 脚本家(脚色家?)が原作者(と原作)を見下す業界体質でしょ! 「どうしたら共存できるか」って、まずは「自分が作品の生みの親」って思い上がってる脚本家を教育しなおせ!
・物事の本質を見ない人たちなんだな、と。 芦原先生は過去に2度実写化しています。 全てが全部原作準拠じゃなかったはず。それでも今回のような事は起きなかった。 1から100まで原作通りは無理だって先生自身理解を示していても、どうしても作品の芯の部分は変えたくなくてそこだけは譲れなかったのに蔑ろにされた。そこは本当に大切にしなければならない部分じゃないのでしょうか。
国語でよくある『作者は何を考えて作品を作ったのでしょうか?』 その答えを作家さんの口から聞けるって読み手側からすればお金払っても聞きたいのに、ただ売れてる作品の舞台装置しか興味ないんだなって。
・正直、昔のドラマ全盛期はオリジナルドラマが沢山あったあの時代の脚本家は上からなのはまだわかるが 現在の原作があってこそのドラマしか作れない脚本家がなんでずっと上から目線なのか...少なくとも原作者の下じゃね?と思う。
・またぞろ、「出演者が発言したとされる部分が取り上げられる」と一部分を切り取って脚本家を批判している、とする最近よく使われるフレーズを使って脚本家を擁護しているが、この動画自体が最初から最後まで「ひどい言い様」で、それが証拠に、一人の原作者が亡くなったことへの哀悼の言葉は皆無であった。
・原作者と脚本家の「共存」とか言っている時点で勘違いだろ 原作ありの脚本なら脚本家は原作者へ「従属」しろって 原作者側も視聴者側も多勢の意見として出そろってる 原作者が改編OKを出したらそれで良いし、ダメなら徹底的に従え、と 原作側も視聴者側も両側から多数意見として挟み込まれて まだ脚本家の主体性みたいな事を主張するのは人格を疑う
・>脚本家が原作をすべて変えているわけではないと訴えた。
当たり前でしょ。 すべて変えてたら、それはもう別の作品でしょうよ。 どんなに取り繕ったって、原作者を無視した改変は今までも行われてきており、それに伴って作品を作れなくなった原作者もいる。 そんな問題が、一人の命と引き換えにしないと大事として扱われなかった今までに問題がある。 そもそも、原作があっての脚本家ですよ。 オリジナリティをだしたいのなら、自分で原作から手掛ければいい。 すでに出来上がっている世界を自分のエゴの為に壊していながら、それに罪悪感すらない。 数人がかりで作者を虐めたのと同じことをしたのに、それに気が付いていない事が怖いわ。
・>「大切なのは原作であって、原作者の方はあまり関係ないかな」という発言だった。ただ、「人それぞれでやり方が違うので」とも付け加えていた。
それって結局、原作者を無視するやり方でも良いって言っているように聞こえるんだけどな。この方々自身が出してる「脚本契約7原則」とかいうものに、「(1)「オリジナル企画」および「オリジナル脚本」の脚本家は、原作者として尊重されなければならない。」とあるそうなんだが、矛盾していないか?
・割り切るか割り切れないか人による 日本で最も有名な漫画ワンピースなんかはアニメで原作お構いなしな設定もあったりするけど、尾田さんはアニメのエピソード関係無しに続き書いてたりするし 難しいね
・>「大切なのは原作であって、原作者の方はあまり関係ないかな」
原作を十分に理解していると原作者に言えるほど読み込んでいるなら「原作」だけが大切とも言えるだろうが、プロットとキャラクターだけを見てこれを使って自分好みに変えよう、という原作にただ乗りするつもりなら原作者には会いたくないでしょうね。
・ミラー動画見てきたが、黒沢某氏の発言全てが理解できなかったね。 とにかく言い訳ばかりで見苦しい。原作者が原作に拘るのは当たり前で当然の権利。 「あなたの作品を映像化したいんでどうかお願いします」 って立場側だろあんたらは。 原作つきの作品の映像化に関して、なんで脚本家と原作者が対等だと思えるんだ?
・そもそも動画のタイトルの『密談』ってどういう意味で付けたのだろうね?
密談といえば「こっそり」ってかんじだけど、動画はYouTubeで公開していた… 大っぴらに公開しておきながら「こっそり」って矛盾してるような気がするけど、要するに 「密談だからみんな騒ぐなよ?」とでも言いたかったのだろうか?
・テレビドラマとかは慣例的にタイトスケジュールで作成が進むし、広告に巨額の費用を投資し、人気俳優などを抑える場合など、なおさら顕著になりプロデューサーや脚本家が「原作者のわがままにかまってられない!」言いたくなるのは理解できますが、、、それは明らかに怠慢でしょう。 まあ、この辺りのOriginalをリスペクトしないのは日本の悪しき文化ですね。
・シナリオ作家協会って、同人専門作家の組合みたいなもんだよね。何偉そうなこと言うてんねん、と思う。 好き勝手描いてる同人誌作家なら原作者に会いたくないのも当然だし、違うのはシナリオ作家のバックについてるのが大企業ということだけかな。だから偉そうなこと言える。やってることはどちらも単なる二次創作。
・オリジナルでやれという意見に対してオリジナルは通らない原作があるほうが数字が読めるから通るスポンサーが付くみたいなこと言ってるが皆が怒ってる理由が全く理解できてない 媒体による表現の違いという表現をしてるがそれは原作の意図しているところを表現できて初めていえることだと思う 恋愛ものではない作品を恋愛ものに仕立てる改悪の意味が本当にわかってない
・全部甘えにしか聞こえない 忠実に原作どおりか自由にやっていいかは原作側が考えることであって、二次創作者どもは何にせよ原作者の指示に100%従え 物語世界の創造主であり神である存在に二次創作者ごときが要望を出すな
媒体の違いなどという理由で作者の言うとおりに出来ないなら実写化をやめろ 漫画家からすれば無理やり実写化にするメリットはゼロなんだぞ? 実写化は映像業界側の都合に過ぎないんだからな なんか勘違いしてないか?
ただしこういった勘違いを是正できるのは動画を出してくれたからこそだ それを消したシナリオ協会こそ一番許せん
・脚本家は編集なしで会話を配信しない方が良いと思った 一貫して話してる事が脚本家擁護 何か言い訳言ってるなぁってね 原作者に会わない発言とか 自分の中では問題ないことだったんだろう 好きな原作が実写化する場合 どこの局なのか?脚本家やプロデューサーは誰なのか?を知りたいと思う 場合によっては反対署名するかもな
・Youtubeに1時間弱の動画再アップしている人がいたので聞いてきました 43分40秒あたりからですが 黒沢「まあ、私は原作者の人に会いたくない派なんですよ」 伴「うん」 佐野「えええ」 木崎「え、なんでですか?」 黒沢「うん?いや私が対峙するのは原作であって原作者の方はあまり関係ないかな」
J-castニュースは 大切なのは原作であってと 書いてますが正しくは
黒沢「うん?いや私が対峙するのは原作であって原作者の方はあまり関係ないかな」
ただどちらにせよ聞いた人は 脚本家の方にとって原作さえあれば原作者はいらない、原作という素材だけ欲しいという意味に受け取ることができ 一般的な感覚としては原作者へのリスペクトがないひどい言い様であるのは確かです
また発言している黒沢久子という方は日本シナリオ作家協会の理事であり この発言をした場所は協会の公式チャンネルであることに注意が必要です
・本動画の削除は、原作者(小説・漫画)+スポンサー対応だろうね
文字起こしと有志再アップの感想欄を見たけど、「原作者への「ひどい言い様」」は個々のとらえ方だとしても、感想欄は批判が9割以上のような気がする。感想欄で特に名指しで批判されてる理事がいるけど、その脚本家様に原作重視の原作者は作品提供を躊躇するだろうし、スポンサーも金出しにくいよね、アンチを自らの発言でつくっちゃったから。 業界にいるのにそんなことも考えられないことに逆にビックリだわ
・いずれにしろ、作品は原作者のモノ。 それに群がる人々は、原作者の意向に沿うの筋。 「日本シナリオ作家協会」とか言ってるけど、作家はいるのか? 作家がいるのなら、原作に頼ってないでオリジナルを作ればいい。
・>今回は、原作者と脚本家がそこまで対立していたわけではなく、分かりやすい対立構造で語られてしまったと嘆いた。
なのにあのセクシー田中さんの脚本家はいきなりあんな風にどう読んでも原作者に問題があったから自分は降りた、みたいにしか読み取れないようなな投稿をしたの?
なんかもう認識おかしくないですか?
そしていくら媒体が違おうが、原作者に無断で様々な設定やエピソードを変えて良いと思ってるのでしょうか?
他人の褌で相撲を取ってるんですよ。あなた方は。プロデューサーと脚本家、テレビ局はものづくりという事を何もわからない人だという事が露呈しただけの事
・原作物の映像化に関しては、進行中の話も進めようとしてる話も、少なくとも数ヶ月はことごとく頓挫かな。 原作者は怖くて話に関わるのを拒否しそう。
・冷静な記事。 煽るために嘘情報を切り取って拡散した人はなんらかの責任に問われてほしいくらいだ。今の世の中、不特定多数の匿名による悪意の暴走には特に気をつけないといけない。
・協会がここで動画を削除しちゃうような時代遅れだから脚本業界も時代遅れなんだろうなあと 個人事業と思いきや徒弟制の名残があってかなり前に大御所が若手にセクハラしたと告発があったけどTV局がガン無視して話題にならなかったことがあった これから業界ごと火だるまになりそうだね
・脚本家は、自分が書いた脚本を 別の人が"この方が良くなる"と改変されて別物になっても納得するの? 納得するなら原作者から駄目出しされたら受け入れますよね? でも受け入れず、原作者を否定しますよね? 自分の書いたモノの改変は嫌、原作の改変はOKは通らないと思う。
自分が作り上げたモノを否定されるのは誰しも気分が良くないはずなのに、作り上げられた漫画や小説を扱わせて貰っているという考えが欠損している。
・今全編見れる動画ありますよね?
え?切り取られて中身をきちんと見てない?
全編見ても印象全く変わりませんが。
一部脚本家が本気で原作者は邪魔だと感じているのがよくわかりましたよ。 その他参加者がドン引きしているのもよく伝わりました。
・あったことは、切り取りとは言わないよ。そういう擁護はやめた方が良い。記事を書くならば全文を掲載してからにした方が良い。既に既存メディア自体が切り取りと恣意的な誘導文章しか載せていないのだから。
・「大切なのは原作であって、原作者の方はあまり関係ないかな」 いや、言ってるやん。この言葉は前後関係なく酷いわ。脚本家、シナリオ作家連中ってほんと原作者に対する敬意を持ち合わせないのな。
・原作ものを作るなら撮影しながら放送とかの余裕のないスケジュールじゃなく完パケでやりゃ良いと思うんだよね。 制作側の言い訳って大体時間的な余裕がないとかでしょ、何で関係ない原作者がその理屈に合わせなきゃならないんだか。脚本家含め制作側の傲慢さが今の自体を招いてると思うよ。 海外はもうアニメもドラマも大体完パケ方式じゃん、アホみたいなタイトなスケジュールで制作なんてしてるから業界ごと衰退してんだよ。
・普通、言論について脅迫されると、卑劣な脅迫には決して屈しません、断固戦います、っていうもんなんだけど、政治家でさえね。脅迫が怖いので引っ込めます、脅迫がなくなったらまた戻しますけど、って珍しいよね。業界の利益を守るために会費を取ってる協会なんだよね。
・伴さんは当事者ではないんじゃないのか?このドラマの脚本家のSNS投稿が消されていて、その後のニュースでもコメントでも無かったていで報道が進んでいく。そのことがおかしいんじゃないのか。
・>原作者と会うことについては、否定的な意見も出た。それが、「大切なのは原作であって、原作者の方はあまり関係ないかな」という発言だった。ただ、「人それぞれでやり方が違うので」とも付け加えていた。
やり方が違っても、原作者が関係ないになるのはおかしい。原作者あってこその原作だろ。
・そっか! 脚本家って、通常は、著作権者にならないからか!
映画や放送の場合は、映画制作者か放送事業者のみが、著作権者だった。
つまり、脚本家は、著作権の面でエセクリエーターだから、真のクリエーターの痛みに共感不可能なのね。
・ディズニーはこの問題の対策として、外部原作をお断りして、すべて内製・続編にしている。我が国もインボイス問題の解決に当たってはこの方法しか残されていない。
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