( 135504 )  2024/02/03 14:59:38  
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昨秋に総務省に出戻りした平松寛代さん。民間企業で働いて初めて、自分の”持ち味”に気付いたという(記者撮影) 

 

総務省総合通信基盤局で番号企画室長を務める平松寛代さん(46)は現在、5人の部下を持つ管理職として、電話番号の制度整備や運営を担当している。実は平松さんは、民間企業への転職を経て2023年10月に復帰した、総務省初の“出戻り官僚”だ。 

2000年に国家I種で郵政省(現・総務省)に入省。入省して間もなく、郵政改革を進めていた小泉政権下で新法の作成業務に携わり、夜中3時に家に帰って5時に起きるような日々を送る。 

 

【図表で見る】10人に1人が5年未満で退職、霞が関を去るキャリア官僚は増加傾向ある 

 

過酷な若手時代を乗り越えた後は、電波政策やサイバーセキュリティ政策に従事したほか、財務省、在英日本大使館といった省外での勤務も経験。消費者問題を担当した入省6年目の頃には、児童が携帯電話のインターネットを通じた買売春に巻きこまれないようフィルタリングの商慣習を見直すなど、国ならではの仕事も体験した。 

周囲からは「エース級」(総務省幹部)と目され、順調にキャリアを積み重ねてきたように見える平松さんだが、2022年6月、管理職の情報流通高度化推進室長を最後に、総務省を退職。オムロンの事業子会社「オムロンソーシアルソリューションズ」に移り、経営戦略や新規事業の立ち上げに携わった。 

 

そしてそれから1年3カ月後、経験者採用の枠で総務省に再び戻ってきた。 

なぜ22年続けた官僚を一度辞め、また古巣に戻ることを決断したのか。平松さんに話を聞いた。 

 

■お堅い総務省内で“出戻り”が話題に 

 

 ――平松さんは「出戻り第1号」の総務官僚になりました。総務省では、管理職としての経験者採用も初めてだと聞いています。率直にどう感じていますか。 

 

 省内では話題にはなっているみたいで、“第1号”というよりかは、“私が戻ったこと”を誰でも知っているような状態です。ただ、霞が関では初めてではないですし、珍しいですけど、すごいことだとは思っていません。 

 

 年次を超えた人事をしている経済産業省などと違って、テレコム(旧郵政系)、旧総務庁、旧自治が統合されてできた総務省は、割と堅い官庁だと思います。そういう意味では私が戻ることについて、いろいろ調整をいただいたのかなと本当にありがたく感じています。 

 

 ――そもそもなぜ、新卒で官僚という仕事を選ばれたのでしょうか?  

 

 官僚になりたいと思ったのは大学生の時です。「国のために仕事をしたい」という思いが1番の本質としてありました。 

 

 

 また一生働きたいと思っていたので、女性が働きやすいという職場では公務員がいいのかなと考え、グローバルに仕事をしたかったこともあり、国を選びました。 

 

 旧・郵政省を選んだのは、官庁訪問をする中で、職員と話が合ったのが大きいです。女性が多くて仕事がしやすそうで、当時は(民営化する前の)郵便局を拠点にした地域活性化ができないかとも思いました。 

 

 もともとデジタルやインターネットに詳しいわけではなかったのですが、仕事になれば勉強の連続になりますし。刺激的で、やりがいのある業務ができると感じて入省したという経緯ですね。 

 

 ――やりがいを感じる仕事も経験し、順調にキャリアを積まれる中で、2022年夏に民間企業へと転職されました。どんなきっかけがあったのでしょうか。 

 

 プライベートと仕事の悩みが合わさり、さらに今は転職しやすい状況にもあると思ったのが理由です。 

 

 もともと主人も総務省の人間で、(私が退職する)1年前に転職しました。その時に生活のバランスが崩れたことが1番大きいです。 

 

 彼は夕方には家にいるようになりましたが、私はつねに終電に近い状態で、こういう生活でいいのか、と感じるようになりました。また役人同士だと機微情報を含めて話せますけど、彼は民間企業に行ったので、家で何を話していいか、距離感がわからなくなりました。個人的な生活に大きな変動があり、メンタル的に弱くなっていたと思います。 

 

 そうした中で、当時はスマホにマイナンバーカードの電子証明機能を載せる仕事を担当していました。スマホの構造やネットワークに関する知識が必要になり、「デジタルのことをほとんど知らないまま来たかもしれない」という反省を感じました。デジタルや民間企業の業態がどうなっているのかを見てみないと、自分の経験が全部上っ面になる。そんな思いもありました。 

 

 私は総務省に育ててもらった恩をすごく感じていますが、同じ組織に20年いると「ダレ」も出て、今後もモチベーションを維持して働けるのかという問題もありましたね。人生1回だし、1回民間企業で勤めようと思って辞めました。 

 

 

■転職活動を始めて1カ月で決まった 

 

 ――総務官僚は、通信業界やコンサルへの転職も目立ちます。転職先はどう決めましたか?  

 

 普通に(転職サービスに)登録しました。採用する企業側は当然、これまでの役所での知見を生かしてほしいと思っているわけで、そうした理由もあって役人だと渉外系に行く人が多いです。 

 

 でも私は、やるならそれまでと全然違う経営戦略、マーケティング、新規事業の立ち上げといった仕事ばかり探しました。社会的な誤解を招くのは嫌だと思って、これまで関係したところはいっさい受けませんでしたので、企業は限られましたが、熱心に来ないかとおっしゃってくれた会社があり、転職活動して1カ月で決まりました。 

 

 役所を辞めても国のために役立つ仕事をしたいという思いはあり、会社は利益を出すためにありますけど、最終的には事業を通じて世の中に貢献できます。 

 

 転職先の会社は公共交通にかかわる事業を展開していて、世の中を効率化して人の負担を減らし、人間が人間であるための世界にすることに取り組むという考え方にも共感できました。 

 

 ――しかし転職から1年3カ月で、総務省に再び戻ることを決めました。 

 

 (前職では)管理職として新規事業部門の統括をお任せいただきましたが、結局、その時に役立ったのが役所で培った能力でした。 

 

 新しい事業を運営していくうえでサステイナブルなオペレーションを作っていくことが必要になったときに、どういう風に物事を回し、問題をトラブルなく済ませるのかという、処理能力が生きました。戦略をこうやると物事がこう動くというのを間近に見られましたし、会社にだいぶ貢献できたとも感じました。 

 

 ただ、自分の一番の持ち味を考えると、広い視野でいろんな物事を俯瞰的にみることで、それは結局、役所にいる時にずっと訓練されてきたことでした。それが自分の強みだったと思うにつれて、これからのキャリアでこの作業を続けていいか不安になりました。 

 

 

 「国のために仕事をしたい」という本筋に戻ると、会社を強くすることは当然国の経済力を強くすることにつながるけど、若干遠い。このままどうしようかと思い始めたときに(総務省で)経験者募集の話があり、民間で得られた知見を有効活用したうえで具体的な政策立案したほうが自分の中ではもっと貢献できてやりがいがあると思い、戻ってきました。 

 

■出戻る“リスク”を書き出した 

 

 ――とはいえ待遇面も変わりますし、1度辞めた組織に戻る抵抗感はなかったのでしょうか。 

 

 小恥ずかしさはありましたね。周りの反応はすごく気になりましたし、内心「何コイツ」と思っている人もいると思います。 

 

 でも、そんなことを言っても進まない。戻る前に、自分が今の会社に残ったほうがよい面や、総務省に戻るリスクを書き出しました。 

 

 総務省に戻ってきて給料は下がりましたし、拘束時間も長くなっています。ただ、それに比べても霞が関ほど勉強できるところはないと思いますし、世の商慣習を変えるような大きな影響力のある仕事ができる経験はなかなか民間では難しい。戻ったほうが自分自身楽しいし、やりがいがあると思いました。 

 

 国全体の基盤を強化するうえでこういう(出戻り)ケースを作っていかないと、という思いもありました。どういうふうに処遇されるかわからないし、周りにどう思われるかもわからない。正直チャレンジングでリスクがあることをしていますけれど、後悔は全然ありません。 

 

 ――平松さんは室長として戻りましたが、入省同期は室長級より格上の課長級になっています。年次主義の印象がいまだ強い霞が関で、その点での不満はありませんでしたか。 

 

 むしろ、そのほうがいいかなと思いました。戻ってきて急に同じだと目立って嫌だから、課長では戻りたくないって私自身思いましたし、総務省としてもいきなり課長はさすがに難しかったでしょう。初めてならば、ある程度仕方がないと。 

 

 ただ、(出戻り)希望者がもっと増えれば、この状況が続くことはよいとは思いません。霞が関の仕事は、国会対応といった民間とは違う特殊性もあるので、国としては行政経験がない人を管理職で採用する不安はあるとは思いますが、出戻りの場合は経験もあるので、課長補佐で辞めた人間が管理職で戻るなどといったキャリアアップにつながるようなルートができていけばよいと思います。 

 

 

 
 

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