( 135835 ) 2024/02/04 15:17:10 2 00 《クソ映画でした》…「海猿」原作者が苦悩を告白 主演の伊藤英明が放った失礼すぎる一言日刊ゲンダイDIGITAL 2/4(日) 9:06 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/e1b69f3a2411f63c6e87660d844e4f8bfc820445 |
( 135838 ) 2024/02/04 15:17:10 0 00 伊藤英明(2004年)/(C)日刊ゲンダイ
《「漫画と映像は全くの別物である」と考えました。そうしないと心が壊れてしまいます。》
元CAと交際4カ月で結婚…伊藤英明の華麗なる「女の履歴書」(2014年)
「海猿」「ブラックジャックによろしく」などの作品で知られる人気漫画家の佐藤秀峰氏が2日、自身のnoteを更新し実写化に至る様々な苦悩を明かした。また、日本テレビ系の連続ドラマ『セクシー田中さん』の原作者・芦原妃名子さんが亡くなったことに対し「とても悲しいです」と追悼した。
佐藤氏によると「ブラックジャックによろしく」は連載開始から2年経たずにテレビドラマ化され、「海猿」もその少し後に映画化。出版社が企画を進め、詳細を聞かされない中で企画が決まっていたという。話が進む中、内心は嫌だったが、映画化は名誉なことだという固定観念から契約書に判を押したという。あれだけの大規模な映画「海猿」でも原作使用料は200万円だったと明かした。
《試写会に呼ばれたかどうか記憶が定かでありません。映像関係者には一人も会いませんでした。脚本? 見たことがありませんでした》
"心が壊れる"と思い、漫画と映像は全く別物と考えるようにしたという。
《映画はDVD化されてから観ました。クソ映画でした。僕が漫画で描きたかったこととはまったく違いました。》
■「原作者? しゃべんなきゃダメ!?」と吐き捨てた主演男優
結局「海猿」は第4弾まで大ヒットしたが、佐藤氏が一度映画の撮影現場に見学に行った際のエピソードも明かしている。
《プロデューサーが主演俳優を紹介すると言うので挨拶に行きました。撮影前だったらしく、その俳優はピリピリしていました。プロデューサーが話しかけると「原作者?しゃべんなきゃダメ!?」と吐き捨てました。嫌なヤツだと思いました》
佐藤氏は名指しこそしていないものの、ここでの“主演俳優”とは伊藤英明(48)であることは明らかだ。しかし、佐藤氏のnoteが公開されるやいなや、主演の伊藤英明は自身のインスタで「記事読みました」と投稿。《『海猿』は僕にとって一生の財産です。》と思いを綴り、さらに佐藤氏が現場に見学に来たことについても、《約20年前、現場に出向いて下さり佐藤先生に頂いた原画を今も大切にしています。撮影に携わった全員で過ごした時間も作品も自分の宝物です》と言及し、額に入った原画の画像も投稿した。
原画には「伊藤英明さんへ ドラマおもしろかったです。カッコイイ大輔に期待しています」と佐藤氏の直筆メッセージが書かれている。
「伊藤さんは記事を読んだとしたうえで、こういった裏話をしているわけですから、佐藤氏は"クソ映画"とか"嫌なヤツ"と言っているが、『実際は現場にやってきて絶賛するメッセージを添えて手書きの原画をプレゼントしていたクセ』に、と遠回しに嫌味を言っているように見えますね。余計ドロドロした関係にも見えます」(テレビ局関係者)
佐藤氏は、その後テレビ局にアポなし取材を受けたり、関連本を無断で出版されたり、嫌な事が重なったため、契約更新をしなかったという。
そして映画「海猿」が消滅すると、批判が来て、「死ね」「売ってもらったクセに思い上がるな!海猿はファンのものであってお前のものじゃない!」などと中傷を受けたという。
佐藤氏は最後に《芦原さんについて「繊細な人だったんだろうな」という感想をいくつか見かけました。多分、普通の人だったんじゃないかと想像します。普通の人が傷つくように傷つき、悩んだのだと思います。》と思いを巡らせた。
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( 135839 ) 2024/02/04 15:17:10 0 00 ・伊藤英明にしてみれば、「ドル箱の主演作という金のなる木を余計な口出しで潰した、ウザい原作者」という印象が強いのでしょう。 そしてそれは、主演俳優のみならずテレビ制作側のほぼ全ての共通認識であり、恐らく一緒に儲けた出版社側にとってもそうであった気がします。
メディアミックスで大きな利を得る側は、二次創作の制作側と出版社。 原作者が自身と作品を守るには、あまりにも数と影響力の差で多勢に無勢で、強引に押し潰されてしまう構図が元々出来上がっていたのでしょうし、伊藤英明の佐藤秀峰氏にケンカを売っているかのような白々しいコメントもその長いものに巻かれている感じを受けました。
日本シナリオ作家協会員の「原作者には会いたくない。私が対峙するのは原作であって、原作者の方は関係ない」という何様だとしか言えない驕りも含めて、この界隈にはグロテスクな話が多すぎる気がします。
・俳優です。 伊藤明英氏は悪くないという擁護が多く見受けられますがそんなことはありません。 社会人なのですから人と会う時は気持ちを切り替えて丁寧に接するのが常識です。 撮影前だからという言い訳は通用しません。そんな言い訳を聞いてくれる社会などありません。 むしろ俳優なのだから一瞬で気持ちを切り替えて原作者をリスペクトする人物を演じるべきでしょう。 撮影前にセッティングしたプロデューサーが悪いなんていうのも言い訳です。 人と人が会うのにいちいちアポを取ることの方が少ないです。それが社会です。 一言で言えば俳優の甘えです。
・こういう一部の俳優はただの原作ぐらいにしか思ってないのでしょう。制作者側は1から作るより人気がある漫画や小説を使ったほうがヒットするから原作の設定やキャラだけ借りてストーリーやキャラのイメージを変えちゃう場合もあるかもしれません。でもそれは原作者と話し会って納得されての話の話、この海猿も利用されただけなのかもしれません。海外で作ったDRAGON BALLなんか見れたもんじゃないです。 これからは原作者を尊重して作品を作って欲しいです。
・伊藤英明さんを好きでも嫌いでもないけど彼がホントにそんな事を言ったかどうかわからないのに当時から評判悪かったアイツならやりそうとか、マジックマッシュルームだもんなとか、後ろ暗いから原画出してきたとか、事実を知らない人達がネットで袋叩きにするのはどうなんだろうと思う。態度や言動が事実だとしても相手に誤解されて伝わってしまう事だってよくある事だと思うけどな。それと佐藤さんをせめる気は毛頭ないけど、亡くなってしまった芦原さんに対して普通の人とおっしゃってたけど伊藤英明さんだって役者として一生懸命、ある意味命がけで挑んで演じた作品をクソ映画よばわりされたらそれが自分の演技に対するモノでなくてもガッカリするだろうし、傷付くと思うよ。普通の人間だったら。
・伊藤氏の発言を、嫌味と取るかは人それぞれだよね。 私には記事にされて騒がれるほど険悪な関係ではないと、弁解してるように見える。 嫌味だったと書いてしまうと、余計に溝が深まるのでは?
確かに伊藤氏が実際に発言しているなら無礼だし、人の褌借りてる態度ではない。
ただ、それだけ良い作品を作ろうと演技に集中しているならと、寛大な気持ちでいて欲しいとも願う。
悪いのは、そのタイミングで原作者と顔合わせさせようとしたスタッフなんじゃないかな。 伊藤氏も原作者に向けて言ったのではなく、スタッフに言ってるんだから。
・伊藤英明さんは過去の事件からまぁ、あまり意外性は無い。海猿撮影期間中いたずらでは済まされないような危険な事を水中の共演者に楽しそうに仕掛けていたと言われていたし。そんな人がTV制作者と親和性が高いのだろう。周囲のマネージャーさんなりが常に取りなす必要のある人だろうからフォロー漏れの無いようにこれからもっと管理して欲しい。でなきゃ原作ファンもドラマファンも嫌な思いをしてしまう。
・海猿で200万円って,びっくりしました。安すぎる気がしましたが,結局,原作というのは,その程度の扱いなのだと理解もできました。つまり,映画やドラマの制作現場は原作は着想程度の扱いで,そこから自分たちの意図やスポンサーの意向を入れ込んだ新しいストーリー,映像を作っているのだと思っているということですね。 とはいえ,「原作があります」「人気のある原作です」といえば,映画やドラマを作成するときにスポンサーを得やすいという意味もあるのでしょう。 ここには原作者がないがしろにさせるシステムが存在することになるわけですね。納得です。
・だいぶん昔に漫画がアニメになった作品があり、さらにアニメの脚本を担当した人が小説に書き下ろしたのを読んでました。原作はほのぼのそれぞれのキャラが個性を出し合うギャグ漫画でしたが、アニメ化されたのは、ギャグの要素は残ってましたが、主人公が王国の姫という設定で、幼馴染と協力して変身して悪者をやっつけるといった内容でした。脚本の人がその小説の後書きに原作とかけ離れた内容だったのに、原作の〇〇先生は何一つ嫌な顔をせず、このアニメ化の内容を受け入れてくださった、みたいなことを書いてました。まだ当時こどもだったので、原作と内容が変わることが許せない原作者が普通なのかな?とふんわり思ってたけど、大きくなって、この出来事で不意に思い出しました。当たり前ですよね。漫画の内容結末すべて変えてしまったら、自分が伝えたいことが、変わってしまう。
・この記事を読むに漫画を掲載するにあたって出版社が一方的に有利になっているのでは。それでも作者に対して敬意を払っていればこのようなことにはならなかっただろう。出版社は漫画家をお金儲けの道具と思っているのではないのかな? 経営者=権力者の考えがこのような問題を引き起こしているのではないのかな? この国は弱いものを救済・保護するシステムが抜けているように思う。人を尊重し個人の力が発揮される社会が望ましいと思うのだが。
・原作者にとってドラマ化や絵画化がどれだけ嬉しい事なのか。 以前の私は原作者にとったらドラマ化を目標にしている人もいるのかと思ってましたが 今回の一件で原作者の意図は無視され、 原作者という立場だけで他の何者でもない扱いを受ける事を知りました。 改善され、ドラマ時代が甦ることを願ってます
・佐藤秀峰先生と言えば、海猿、ブラックジャックによろしくなど、表情のシワ一本一本までリアルな筆致の深い人間模様の描写の作風で、アニメより実写ドラマに向いている(剣や魔法、人間離れした力で闘うとかでは無い)と思うので、だからこそ、実写化に当たっては作者の意向を可能な限り正確に掬い上げないと、作者の伝えたいものとかけ離れたお涙頂戴的なエンタメ作品になってしまいかねないのかもしれません…。
・原作者(漫画家)がいなければ、その作品は生まれなかったわけで、それを考えれば原作者に対するリスペクトはないといけないと思います。
あんまりにもリスペクトが無さすぎるなと思いました。漫画家さんが心血を注いで作り出した世界観やキャラクター描写が実写を形作っているので、それをアレンジした人やそれに関わった人の意見が圧倒的になってしまうのはおかしいかなと思います。音楽で本家が大事にされるのと違い、漫画家さんは立場が弱いなと思います。
もう実写化の元ネタを提供しなくてもいいのではないかと思いました。それなしで面白いドラマや映画を作れる優秀な方々ばかりなんでしょうし。
・伊東英明氏の事は、よく知らないが、私の中では「海猿」が代代表作だと思っている。
何作も続いているのだから世間でも、そう思っている人は一定数いるのはずです。
代表作に押し上げてもらい、その対応は思い上がりも甚だしいと思う。
自分も演者として作り上げるのだから作者に対しても同じ作り上げる人としてリスペクトして良かったのでは。
・最近のドラマや映画は漫画の原作ばかりでオリジナルのものなんてほとんど無く、脚本からストーリーを練り上げず、楽な制作してるくせに一旦OKが出たらまるで自分たちの作品のように好き勝手に内容変えて作ってるという勝手な私の印象です。 初めからオリジナル作ってれば誰の文句もないし傷つく人もいないと思う。VIVANTはその点とても良かったと、この漫画の二次制作問題の度に思う。
・実際は現場にやってきて絶賛するメッセージを添えて手書きの原画をプレゼントしていたクセ』に、と遠回しに嫌味を言っている
この人、社交の常套句って知らないの?色紙はこれ原作者の常套句だし、出版社にかかと言われりゃ書くでしょ。それに最初は多少期待していたのかもしれない。 どちらにせよ、原作者に対して、いい大人が失礼な対応をしたという事実は変わらないし、年取ってもなおも、一言も謝罪も述べられず、あんたも来た時は喜んでたジャンという対応をするとは、この俳優も契約解除で原作者に腹立ててる側なんだろうな。問題あったのは制作側なのに。
・テレビ界だけではなく、映画界も自作能力が無くなったのだろうと思います。そこに米国のコミック本の実写化が隆盛を極めた。じゃあ、ってことで日本でもアニメの実写化が盛んにおこなわれているが、そもそも1から作品を創りあげる能力もなければ、手間も金も無いから酷評モノの連続になる。名探偵コナンなんて良い例で、あれを実写化したらオオコケだろう。兎に角音楽界もそうだが、日本人っていつのまにかクリエーティブ面では枯渇している。これからは「本編はアニメ〇〇を元に新たに創作した物語です」とクレジットを入れたらどうかな。
・海猿については、最初はNHKだけど、その次の当初はフジテレビじゃなかったはず。企画が盗まれたというか、今騒がれているテレビ局に持ち込まれる前に、踊る経由でフジ行ったんじゃないかな。
ま、どうでもいいけどねー。
佐藤秀峰氏をもってしても、原作者がこんな扱いを受けるとはね。
・原作があってのドラマ化や映画化だから原作を尊重しなければいけないのは当然の事だとおもう。売れれば良い、面白ければ良い、ビジネスとして成り立てば良い、色んな視点はあるでしょうが、原作が曲がった形で伝えられるような事があってはならない。原作の意に沿わない形や表現は盗作といっても良いのではないでしょうか。 韓国のアパレルブランドで有名ブランドに似たものを安く売り捌いてるサイトがありますがそれと一緒です。 作者が身を削って作り上げたものを簡単に真似したり作り替えたりするのは、当事者ではありませんが悲しく憤りを感じます。
・これだけ話題になったし、原作を知ってても知らなくても映像を観て、良かったと思う人は多かったと思います。伊藤さんがどんな人かは知らないけど、言葉だけを切り取られて文字にすると最低な人だけど、出番前のピリピリしてる時ならそう言ってしまうのかなと思いました。大人気ないって言えばそうだし、言われた側からしたら腹立つかもしれませんが。どれだけ原作が曲げられてしまったかは本を読んでないので分からないけど、これからもこんな話は出てくるだろうし、売りたい制作側と原作側と話し合い上手く行かない場合、漫画にしても小説にしても実写化はやめた方が良いのかなと思います。
・この原作者も、今だからどれだけ傷ついたかがやっと言えるのだと思う。 渦中の時に、「あれは別物」と必死に思い込むことでなんとかやり過ごして自分を守ってきたのだろう。 原作者がこれほどまでに追い込まれていくのを知らなかったので、せめて今からこれから業界には変わっていってもらいたいし、原作者を守るモノを作り整える必要があると思う。
ファンにしてみたら、イメージと違う映像化のショックに加えて原作者には心の傷という、商業化される旨みは全くの部外者にある事実に改めて驚かされる。
・原作通りに映像化するのは難しいからって、それを改悪してはただの手抜きだと思う。 そのままは無理でもイメージを壊さずに出来る限り再現してこその映像化でしょう。実際それが出来ている作品もあるわけで。
海猿の時、結構問題になったのにテレビ局は何も反省せず原作者のことを考えずに好き勝手やった結果が今回ですよね。
テレビ局は漫画のドラマ化をやる資格ないと思います。
・メディアが違えば表現は変わる。 それは当然だと思うが、原作者が明確な方針や意図を持っているなら、確認方法まで含めた方針を徹底する内容を契約に盛り込むべきなんだろう。
信頼関係が築けていない相手との仕事は、映像化に限らず同じ事。
原作者が作品の出来に口出しできないなら、演者はプロデューサーと監督、そして観客の反応しか目がいかないのも当然のことでもある。
契約にあれば、原作者がどう受け止めるかが、制作陣のクリアすべきミッションの一つになるわけで、おのずと尊重される。
現在日本のクリエイティビティの才能は、かなり漫画の作家に集まっているので、原作者をないがしろにすると、業界として自分の首を絞める事になると思うよ。
・原画のプレゼントなんてしなけりゃ良かったね。無理してやることで、みんなが勘違いして悪い方向にどんどん進んでしまうから。 芦名さんの死が世界の原作者たちを良い方向に導いてくれますように。
・当時佐藤氏は社交辞令もあって当たり前のことをしてくれたのだと思う。伊藤さんにも作品にも期待をして、原画もプレゼントしていたのだろう。 でも実際訪問したら主演には失礼な対応をされ、作品は勝手に変えられ、期待とは裏腹なことばかりで嫌気が差したのは想像できる。 伊藤さんは原作者のクレームのせいでシリーズ化ができなくなったくらいにしか思ってないんじゃないか。この作品は自分にとって大事だとアピールして、佐藤さんが気を悪くしたことについて触れないのは、私も嫌味だと感じた。
・原作者は自分の大事な作品に映像化をという話があったら、嬉しく感じるだろうし、自分の作品に魅力を感じていて好きだから映像化したいと思ってくれているんだ…と信じているのでは? だから話せば分かるとか、誤解を解きたいとか、真摯に応じようとするのでは? でも悲しいことに、映像制作側は、ゼロから作るのは面倒くさいし、宣伝の手間も省けるし、漫画のファンや俳優のファンが見るだろうから視聴率も見込める楽な仕事…としか思っていない気がする。 映像化したらついでに漫画も売れるだろうから感謝しろーって。 旧式なやり方じゃなくて、きちんと法律家を間に挟んで契約書交わすようにしないといけないなーと思いました。
・こういった場合、いった方はまず覚えてなくて言われた方は何十年と記憶にあってふと思い出すときもある。
原作は呼んだことなく、映像の海猿は好きでDVDセットを買ってました。 映画シリーズも続くのかなって思ったけど終わって、裏ではこういった事情があったのかと残念です。
原作料が200万とか安い高いはわからないが、直木賞作家が言っていたが なにかの作家協会でこういった契約の場合1000万が上限の規約があるそうで 守る必要がないが高騰を防ぐために決められたそうです。 小説と漫画では違うかもしれないがこういった規約も見直す必要もあると思う。 出すほうも利益が見込めなければいくらでも出すこともないしある程度で 双方納得の金額になるのではないか。
・最近やたらとアニメや漫画をすぐに実写化したがる傾向にある。 原作者からすれば嬉しい話かもしれないが、海外版ドラゴンボールみたいな悲劇となれば本当に悲しい限り。 原作を知るファンからすればガッカリ…。 何故なら、作品によるが大抵はクオリティが低いうえにストーリーがめちゃくちゃ。 るろうに剣心のように原作の1つのエピソードを1本の映画にすれば無理の無い範囲で原作を忠実に守れる。
・佐藤秀峰氏も当時から至極全うな要望や告発をしていたにも関わらず、その後の世間の受け止め方は、原作者が面倒なこと言ってるというような感じで。
これってメディアに誘導されてる?と思ってしまいました。 続編の公開当初はまだ、原作ファンのコレジャナイ批判が結構ありましたので。
ドラマ化・映画化時に、当初の話と違う展開や内容にされたり、どころか作者との正式な取り交わしや、原作者には交渉権もないような状態でメディア化されるのが割と常で。
それで原作本も注目されたり再販・増版されるので、だから我慢しろ的な風潮が、本来著者を守るべき側のはずの出版社側からもあり。
テルマエロマエのヤマザキマリさんは、割と早い内から歯に衣着せず、まんま言ってましたね。
それでメディアに出すなというお達しが広まったのかどうかわかりませんが、話も面白いし人前に出るのも嫌じゃないはずなのに、表に出てない時期がありました。
・漫画と映像は表現方法や制約が全く異なるということは分かるが、それなら最初からオリジナル脚本でやるべき話。要は「詳細な企画書を作る手間が省け、話も通りやすいから漫画原作でいこう」と、最初にディレクターが手抜きしていることが問題。 ドラマはTVerで大人気のドル箱。現在毎クール30本以上制作されている。人気のある漫画はとっくに喰い荒らされていて、マイナーな作品、そもそもドラマ化には向いてない作品にも声を掛けなければならない。そこには原作に対するリスペクトも何も無い。 企画が通れば、後は出演者やスタッフの確保が大変。同じ脚本でも人気俳優を使えるかどうかで売上が数倍は違ってくる。人気俳優を使いたいから芸能事務所側の言うことに逆らえなくなる。ドラマ制作が飽和状態だから脚本家も足りず、能力よりコネと使い勝手の良さで選ぶ。その結果、原作とは似ても似つかない別物になる。
・結局はドラマ化だろうが、映画化だろうが、漫画や原作の二次創作なんですよね。 つまり、コミケと同じなわけで。 原作ありきであるべきでしょうが、リスペクトさえあれば何でもOKが二次創作。人気と売上が貰えるからと、原作を無視した設定なんて二次創作に溢れ返っています。
商業利用なのだから、二次創作だろうがプロらしく、と言いたいですが、莫大なお金が絡む以上、ある程度の諦めと打算は必要なのかもしれません。
これ以上、原作者さん達が苦しむ事がないよう、これからの映像化への良い影響がありますように。ご冥福をお祈りします。
・自分が好きな漫画原作のドラマや映画はいくつか見たけど、大抵変なエピソードが加わっていたり 大事なところが端折られていたり 大事なシーンのセリフが微妙に変えられてニュアンスがおかしくなってたり 変なオリジナルキャラクターが出しゃばってストーリーがおかしくなってて 心から面白いと思えたものなんて一つもない。 読者から見てもこうなんだから、原作者はもっともっと複雑な気持ちでしょうね。
・漫画原作著作料は上限1千万円で200〜400万円が相場だそうですね。其の御金も直に原作者に渡るのではなく、出版社に支払われた後、何割かが原作者に支払われる仕組みの様です。而も原作者には印税が入らないシステムの為、映画が大ヒットしようが、関係ない様で御座います。 売れっ子漫画家なら様々でしょうが、駆け出し漫画家など強い要求でもしようモノなら連載打ち切りや漫画界から干されてしまうでしょうね。 此の様な仕組みも変えていかなければならないでしょうね。
・映画もドラマも海猿、テレビならではの分かりやすさで面白かったですよ。変えられることが問題というより、変えて良いか、どの程度までなら変えて良いか、先に決めておかないといけないし、あいまいな部分は戦って守っていかないといけないんでしょうね。
・200万円というやすさは驚きですが… 脚本家は、やはり売れなければ仕事にはならず、演出家、役者も含めて原作以下ではなく以上のものを作りたいという思いはある。 また、映画のリメイク盤でも、かなり脚色されている事も多々ある。昔「華麗なる賭け」がリメイクされて「トーマスクラウンアフェアー」として公開されたとき、一部批判的な意見も見られたが、みやすさとか、時代背景だとか、殺戮シーンがなくなっているとかリメイク盤のほうが良かった!と感じることも多かった。
いわゆる契約時の約束を守れてないのが問題であって、韓国映画のように日々ストーリーが変えられていくのと違い、脚色等の許容が可能か不可能か事前打ち合わせしてすべての関係者がよりより物を作るために注力すれば良い話ですね。
・それはセッティングした人の問題ではないのかな。原作者に来てもらい俳優に会わせるなら、事前に来る事も時間も伝えてセッティングしないとそうなりますよ。何もセッティングせずに原作者を呼んだ人が原作者をなめていると思いますよ。
・海猿ファンです。劇場版一作目とドラマまでは原作の雰囲気が残ってたけど『LIMIT OF LOVE』からおかしくなった気がする。でもそれが大ヒットしたもんだから原作そっちのけのただの人助け映画にしてしまった。最後の『BRAVE HEARTS』はあまりに原作からも現実からもかけ離れすぎて楽しめなかった。旅客機が海上着陸して全員救出って。原作じゃかなり犠牲者出てるし。
・ここで伊藤英明氏が言う原画は当然、挨拶より前に描いたものだろう。 もっと言えば、プロデューサーに渡した後に挨拶があったのではないか? 伊藤英明氏は問題の発言の際、まさか聞こえる場所に原作者がいるとは思わなかったのかもしれないが、原作者としては許せないのも分かる。 映画だけを観たファンはストーリーが違えば原作ファンにはならないだろうし、逆もまた然り。 いずれにせよ、この一連の騒動によって、漫画や小説の映像化を見る目が変わったのは間違いない。
・原作者と出版社は「原作を売りたい」という目的に対し、実写化を作る役者や会社は「本作と主演が売れること」が目的になっている。 この双方の利が一致することを期待して企画が動く。 しかし双方の目的は「利に繋がる期待」だけしか一致する箇所がなく、各々が目的を実現する上での優先順位というのは基本的に噛み合わない。 原作者と出版社でも原作が売れることが目的であると言っても、原作の忠実再現という情熱はよほど理解や共感を得られていなければ出版社側には原作者ほどの必須条件ではないのも事実。 作品の善し悪し問わず最終結果が増刷して売れさえすればそれで出版社側の目的は果たされるのだから。 この認識は映像作品を作る側も自分サイドで同様と言える。 制作陣が原作再現を優先してくれるほどの熱意や愛を持っている事の方が運命の出会いレベルの奇跡に等しいのが現実。 実際問題難しいよ。目的や優先順位を全員綺麗に一致させるのは。
・ひとつのネタを使って大勢が儲けようとするのだから、そりゃそうだろうというのが、見聞きした人の感想だと思う。そして「漫画と映像は全くの別物である」と考えるのが正だろう。今回は「当たった」場合の話であるが、外れた場合は「やっぱり漫画を実映にするのはムリ」と批判されて映像化側が責められることになる。原作者は淡々と続けていける。 ドラゴンボールや攻殻機動隊なんて、ハリウッドでも使われたが原作とはかけ離れた世界を作られているが、命を懸けるほど問題にしていない。このくらいの判断の重さで良いんじゃなかろうか。
・ドラマ化や映画化の話しがきたら断れない空気があるんでしょうかね?原作者と脚本家の間には出版社やプロデューサーらがいて意思疎通が難しいのでしょうが、互いに旨みがあるとしたら契約書をハリウッド並に厳格にするしかないのでは?アガサクリスティにしろハリポタにしろ原作と違う点はあるにせよそれ起因のトラブルは聞いたことがないよね。
・20年以上前の話ですが北九州で海猿の一作目の撮影に来ているといるクルーの皆さんと伊藤英明さんを接客したことがありました。 私達はホステスのような立場だったのにも関わらず、すでに売れている俳優だった伊藤さんは全く威張る事なく物腰柔らかく接して下さったのを記憶しています。 海猿っていう海上保安官の映画があるんです!と目をキラキラ輝かせてお話されていました。長時間ご一緒させて頂きましたが最後まで印象は変わりませんでした。 一個人の意見ですが、コメントの表現の難しさはあるものの伊藤さんが当時から海猿に強い愛情と感謝を持っている事は間違いないと感じます。また以前は若くて売れて調子に乗っていた、という話には個人的にとても違和感を感じます。
・作品を創作物として大事にしたい原作者と、商品として売りたいドラマや映画の制作者の、どちらもプロ意識だと思います。 メーカーでも営業側と制作側は相容れない部分がありますが、それでも同じ会社なので有耶無耶で済ませてます。 割り切って事細かい契約書を作って、ビジネスライクに進めるのが良いのではないですかねぇ。 それにしても原作料200万円は妥当とは思えませんが。
・「芦原さんは繊細な人と思われているが、そうでは無くて普通の人だと思います。」 これ、一番心に突き刺さりました。 私も普通の人以上に繊細だから対象者に挑むのでは無くて、自死という形を取ったのだと思っていました。 でも考えたら普通の人がそこまで追い詰められてしまったほど、酷い仕打ちだったと言うことですね。 としたら今度は逆に今や世論の猛バッシングに晒されている相手の人の精神も危ないですね。 まさか自分の所為で原作者が自死を選ぶなんてまでは想像してはいなかったと思いますから。 まぁそれも、どのような態度で今後対応するかによって、普通の人なのか性根の悪い人なのかが分かりますけどね。
・映画は俳優はもちろん、現場だけでも音声、照明、美術、衣装…とてつもない人たちの仕事で成り立ち、いい作品を目指して情熱と誇りを持って取り組んでいると思う。海猿の大ヒットは、その賜物でしょう。でも、根っこの部分で致命的な不義理があった。となると、現場の情熱も全部意味なさないんですよね。いくら自分にとっての宝物でも、それは心の中に秘めておけばいいのでは。根底に嘘があり、人を傷つけているんだから。しかも酷い発言もしてるし。
・YouTubeもTVもそうだが、有名になるということは得られる金や名声と同等の屈辱やリスクを伴うということ。 売れればいいという訳ではない。 あと、今回のことで何人かの脚本家は自己意識が強く、まるで自分が書いたかの妄想をもっていることにも驚いた。 協会が掲げる原則も原作者のことは一言も触れられておらず、業界として認識が誤っていることを強く感じた。 自分たちが、0から1を作れない人間だと自覚してほしい。
・セクシー田中さんのドラマ面白かった。原作は見たことない。海猿も見たことある。もう内容を覚えてないけど、面白かったと記憶している。原作は見たことない。原作を知らず映画を観た私は、映像と原作は違う物として観てる。映画化されたもの全部を追いかけてみる時間もお金もない。きっと原作はもっと素晴らしいのだろうと思う。けど、そこまで映像にも原作にも執着しない。原作者は命懸けで我が子を産み落とす様な苦労をして作品を作るので、映像化して原作と違ったり不出来だと苦しいのだろうけど。映像化でしか観ない人にはそこまで拘りはない。原作からのファンで変態レベルの人でない限りごちゃごちゃ言わないと思うし、大多数は気にしてないから自殺なんてしないでもらいたい。攻撃してくる人は無視でいいと思う。せっかくセクシー田中さんを楽しく見て、原作はもっと良いのだろうなぁと思ってたのに。とても残念で悲しい。
・制作側からすれば原作が大事であって、原作者は大事ではないですよ。 これは実は難しい問題。世に出た作品をあとからどう他人が解釈しようが自由なんです。 ただ、原作者がいなければ原作もないわけで、原作映像化を進めるなら、価値観を改めていかないと!とは思います。
・伊藤英明さんって、いっとき性格が悪いって記事を何度か見た頃があります。 確か、この頃だった様な気がします。若気の至りで俺売れてるって感があった可能性がありますね。それが原作者さんへの態度に出たのかもしれませんね。
あの頃は今以上に映画やドラマといった映像系、テレビ局がかかわるものが一番だと言う風潮が強かった様に思います。 今は昔よりマシになった様な気がしますが、それが一般人にとってであり、テレビ局に関わる人はまだまだ自分たちがやってやるのにと言う風潮があるのだと、今回の件で初めて知りました。 しかし、確かに昔はテレビ局が流行りを作っていたけど、今はテレビ局は一歩も二歩も乗り遅れていて、流行なんて作ってないし反対に流行に乗らせてもらってる様な気がします。それを自覚して、もっと謙虚になって欲しいと思います。
・面と向かって吐き捨てたわけではないと思いますね。 恐らく撮影に備えてイメージトレーニングでもしていたところに 背後から紹介者に話しかけられて、咄嗟に発言してしまったのでしょう。 よもや聞こえる範囲に本人がいるとは思ってもみなかったのでは? 現場の状況を誤解の無い様に詳細に伝えることは大切ですよ。
・映像化されることにより更にファンが獲得できるメリットもあるだろうが、原作者と映像制作側との間にスゴク深い溝を感じる。映像化は二次的なものだが、原作発表の一次的な段階でも、原作者は出版社から、ここを直せとか注文を受けて意に沿わない変更をしてると思うが、それについてはどうなのか。
・思い詰めて自殺まで追い込まれてしまうのは繊細な人と思われがちですが、そんなことないです。人は誰しも傷つきやすく、平気そうに見えても実はかなり傷ついていて、痛みを我慢していたりするものです。死んでしまうかどうか気分次第だったりしますよ。傷つきすぎたらみんな死ぬと思っていいと思います。
・原作者がいなかったら海猿も生まれなかったんだけどね?
まあ、俳優さんからしてみれば、限られた現場での仕事、制作側から採用されているわけなので、その意向に沿わねばならない部分もあるのかも。 監督がOKと言わなければ、降板もあり得るだろうし。 でも、会っておいた方がいいんじゃないの? 原作者が作り出した世界観なんだし。 それにさ、だったらさ、そんな人の物を横取ってやるんじゃなくてさ、自分たちでオリジナルで、別の面白い何かでも作り出したらいいじゃない? 人の物を勝手な改造したりするんでなくてさ。 何か卑怯だと感じる。
・人気があるからと、漫画を安易に実写映画にする弊害じゃないかな? やっぱり漫画だから良い。アニメだから良いって言うものがあるよ。漫画と同じままだと変だから、変えるんだから。 世の中なんでも金掛けずに商売しようとする風潮はもう止めて欲しい。プロの映画ドラマの監督が物語の、構想をねり、脚本家が映画の脚本を作ってしっかり作り込み、歌曲は作曲家と作詞家の地位を上げて曲を作り込む。頑張ってもゴーストライターの地位なら誰が作曲家に憧れて作曲家になろうとするのだろうか? 漫画を原作者の意図しない方向へドラマを作り替える事をせざる得ない映画業界で、誇りを持って映画作りが出来るのか? 良いものが出来る筈がないと思う。
・伊藤氏を庇うつもりはないが、撮影前に「アポなしで原作者訪問」の面会で、急に一つ二つ会話をしなきゃならないとなれば、 >「原作者? しゃべんなきゃダメ!?」 このような発言も、一定の理解はできますけどね。 しかも、聞いた人の記憶で「原作者? しゃべんなきゃダメ!?」となっているが、「今?しゃべんなきゃダメ?」と、「今なの?」というニュアンスがあったかもしれない。 曲がりなりにも原作者と挨拶となれば、物語の内容等々に立ち入る会話をするわけだから、セリフやキャラ設定が飛んじゃうかもしれないし。
楽器の演奏でも言えるが、鎮魂歌を演奏する時に、亡くなった悲しみで頭をいっぱいにするはずがなく、「〇〇小節目の頭のブレイク、絶対に音を出してはいけない」など、演奏としての重要部分に集中します。 そんな時、亡くなった悲しみの話なんてしてる場合じゃない、となります。 悲しみ後回しだろ、今は。となります。
・これは間を取り持った制作関係者が悪い。 出演者が一番ナーバスになっている現場ではなく、事前の制作発表会や撮影後の打ち上げとかにするとか配慮はできたはず。 今回の件もそうだけど、原作者と映像側が揉めるのは、ほとんどの場合テレビ局や映画会社が双方の間を取り持つことができなかったのが原因である。もっと言えば、そういうスキルの無い社員を安易に配置した彼らの責任は非常に大きい。
・これを読んだら原作者の方、映像化されるメリットあるのか疑問ですね。 200万円の契約とは、すでに漫画で生計たてられている売れっ子作家さんならそれほど固執する金額でもないだろうし、それどころか『なめてんのか?』くらいのレベルで失礼だと思いました。 こんなことでは良い作品なのに映像化が叶わないという残念なこともたくさんあるんだろうなぁ、とテレビ大好きなので残念な気持ちです。
・当時フジテレビが猛プッシュしていたのでドラマ版海猿はヒットしていたし、その後の原作者様お怒りからの続編中止はショックでしたね。 今にして思えば佐藤先生の英断は正しかったのでしょう。 映画版の海猿がヒットして喜び勇んでアメリカに持っていったら沈みゆく船の緊迫感の中で始まるラブシーンで大爆笑をとったことでもお馴染みですね。 マジックマッシュルームと合わせて記憶しております。
・そもそも漫画の実写化に反対派ですが、それは個人的な意見なので置いといたとして、全ては原作ありきなので、やはり原作者は敬うべきかと。
人のふんどしで相撲をとるわけですから、尊重すべきところは尊重してあげないと原作者が可哀想ですよ。
原作を忠実に再現すると売れないと脚本家が思うのだとしたら、実写化しなければ良いのに。
まぁ色んな大人の事情はあるかと思いますが、素人の考えでした。
・海外の実写映画でシティ・ハンターが作られて絶賛されてたが見てみたら本当に良かった。 製作者の原作への愛が伝わってきて日本の漫画を実写化したのかと思えない程感動した。 あいいった作品増えて欲しい。 北斗の拳やドラゴンボールの海外実写映画はクソだったな。
・この記事の登場人物から言えば、主演俳優が、書いている通りに原作者に合うこと自体を面倒くさがっていたのなら、その俳優は確かにおかしいが、私たち社会がメスを入れるべきは、俳優がそう発言するに至った過程にこそあると思われる。 それは演者と原作者をつなぐ人間に真の問題がある。(つまり制作陣と出版社) なぜなら、それぞれのステークホルダーの意図をつなげないばかりか、自分たちのいいように重要なステークホルダーの原作者をハブにして色々好き勝手やったからだ。そういう進み方で話が進めば、原作者に合うことに演者は重要性を持つだろうか?
・この記事の登場人物から言えば、主演俳優が、書いている通りに原作者に合うこと自体を面倒くさがっていたのなら、その俳優は確かにおかしいが、私たち社会がメスを入れるべきは、俳優がそう発言するに至った過程にこそあると思われる。 それは演者と原作者をつなぐ人間に真の問題がある。(つまり制作陣と出版社) なぜなら、それぞれのステークホルダーの意図をつなげないばかりか、自分たちのいいように重要なステークホルダーの原作者をハブにして色々好き勝手やったからだ。そういう進み方で話が進めば、原作者に合うことに演者は重要性を持つだろうか?
・最後の一言は重いな。 悲しくなった。まぁそうだよね。何十年も荒波乗り越えて漫画描き続けてきた人だもん。むしろ強い人なんだろう。 しかし原作者の立ち位置が、こんなにも雑だとはね…。 NHKでドラマ化された岸辺露伴はどうだったんだろう。私からしたらすごく忠実だったように思うんだけどね。
・視聴率至上主義で、原作のタイトルを看板に使い、原作で設定された背景、キャラクターを視聴者が喜ぶであろうストーリーに二次創作する。これなら半沢直樹のようにせめて原作からタイトルを変えて別物としないと絶対におかしい。原作者がそれを望まない限り、テレビ局側が二次創作するのは完全なルール違反だしもはや盗作と言える。
・そもそも原作がなければ、映像化もできませんよね? それなのに原作に200万て少な過ぎませんか? 原作者もなぜそんな端金で合意したのだろうか? 脚本とか映像化とか偉そうな事言っても、結局は原作者のアイディアがなければ一銭も稼げないレベルのクリエイティブさしかない連中です。 原作者の存在や意見を無視して仕事したいなら、ゼロから自分たちで考えて作ったらいいだけの話です。 脚本や映像技術で別次元の作品を作る事を否定する気はないけれど、「原作ありき」だという事は認識すべきだし、原作者へのリスペクトは無くてはいけないと思います。 そもそも日本は他の先進国に比べて、人権や著作権など、権利というものへの意識が低すぎるので、こんな問題が起きているのだと思います。 メディアが他者のアイディアを毟り取って、手っ取り早く金儲けできる野蛮な時代はとっくに終わっている事をまず自覚すべきだと思います。
・伊藤英明と聞くと「陰陽師」の棒読み演技が思い出されてどうしても笑ってしまう。あれを見たせいで「海猿」もあの頃全く見る気がしなくて、結局1度も見ないまま再放送などがされなくなってしまった。
・人は期待していた通りに相手が動いてくれないと怒りの感情を持ちます。 原作者の方は、自分が尊敬の念を持って相手が受け入れてもらえると期待されていたのかもしれませんね。ですが今のタイミングでこの出来事を公表することは、俳優の方が必要以上にバッシングを受ける事はわかっていたはずです。 原作者の方は今の状況を望まれていたのでしょうか。
・この記事の佐藤さんの最後の数行のコメントが非常に重い。 人は勝手に「繊細すぎる人だった」とか「純粋すぎた」とか、信じがたい結果に特異感をつけてショックを和らげようとしてしまうのかもしれないが、それはこちら側の勝手な解釈でしかなく、実はなんの変哲もない「普通の人」を追い込んでしまっていたという事実から遠ざけたいという意識に対して盲目になってしまっているのかもしれない。 改めて考えさせられます。
・映画化やドラマ化されて更に人気が出る作品はあるだろう。文章で書かれたものは読み手が勝手にイメージする。そこに映像との微妙な差が出る事はある。魔女の宅急便の角野栄子さんも、ジブリではかなり原作をいじられたと言っていた。主演俳優は、作者なら変更に拘れば次からは簡単に変わってるだろう。別に伊藤英明じゃなくてもヒットしただろうから。
・それぞれがそれぞれの仕事を一生懸命やっているのはわかるから失礼なのはお互い様に見えるけれども…。こうゆうちょっとしたイザコザとかケンカ程度のものがネットを通してそれぞれのファンと関係ない悪意の人を巻き込んでいくことで取り返しのつかない事態になるんだろうなと思う。
・SNSというツールで、当事者の状況が当事者の言葉で説明できるのはいいが、結局それを見たあらゆる人が介入してきて、喧嘩の応酬が過熱し、負の連鎖が止まらなくなるのではないだろうか。心配します。
・SNSというツールで、当事者の状況が当事者の言葉で説明できるのはいいが、結局それを見たあらゆる人が介入してきて、喧嘩の応酬が過熱し、負の連鎖が止まらなくなるのではないだろうか。心配します。
・そうそう。この人に話を聞くべきだと思っていた。 まあ俳優については若気の至りとか、キャラクターに向けての気持ちの向け方が分からなくなるとかありそうだし、 個人が悪いわけではなく、やっぱり体制が悪いとは思う。関係ないけどキノコ あとは原作者の利益があまりに少なすぎるので今からでもなんとかするべきだと思う
・この原作者の方も積もりに積もって溜まってたものが、今回の日テレの事件で、世の中に言うことを決断したのでしょうね。 伊藤さんは反応する必要があったのでしょうか? ご本人は発言自体を覚えていないと思いますが、言われた方はすごく傷ついて覚えてるものなんですよね。 伊藤さん自体、過去の行動とかかなり派手で目を覆いような写真とかも出てましたが、今は家族を持たれて、だいぶ雰囲気も変わられたような気もしています。 伊藤さんからすると、過去の事はあまり掘り返して欲しくないような気がしてるんでしょうね。 漫画の原作者の方は過激な発言ではありますが、それだけたくさん傷ついたんでしょうね。
・原作者にそのような態度を取るというのは、間違いなく伊藤英明は原作ファンでは無いのでしょう。
流石に主演を張った作品を「読んでいない」という事は無かったと思いたいですが、作品のファンになり思い入れがあれば、原作者は寧ろ演者側から会いたいと思うものです。
長いお付き合いになれば、諫山創先生と梶裕貴さんくらい信頼しあっている原作者と演者もいますし。
こんな揉め方をするというのは人間性の問題だけだと思います。
・ドラマも原作も両方見ました。どちらも良かったです。確かにドラマの大輔は普段は少しチャラかったり、恋愛要素が多かったりしたけど、広く一般的に見られるドラマだとその方がウケるのかなーという印象です。
原作者も伊藤さんも、どちらに肩入れするわけでも擁護するわけでもないですが、シンプルに原作者がクソ映画だと思ったポイント、描きたかったポイントは知りたいなと思いました。
・今後は、作品を提供する原作者は減るだろうね。でも、それでいい。芦原さんは再三原作に忠実に、と確認を取った上で契約したのに裏切られた。詐欺と一緒。他の業界ならば訴えられてしかるべきことが悪習としてのさばっている。0から1を生み出すことは、1を10にするよりも遥かに苦しいし大変なこと。何よりも尊重されるべきだし、守られないなら自衛するしかない。理不尽すぎる世界だ。
・原作があってこその実写化なのは理解してますが、海猿は原作を知らず、ドラマを観て、映画を観てファンになった自分の様な人達が圧倒的に多いはず。俺は今でも好きな作品の1つですね。ドラマ、映画で知ったからこそ原作を読んで見ようと思った人達もいたのでは?
・そうか~小説でも漫画でも、原作者が別の作品なので好きにしてくれれば良い、全く見ないとか言っているのは、単純に私の創作物ではない、手から離れたから好きにして良いですよと言う肯定的な気持ちじゃあなかったんだ。 むしろ突き放す、一切関係ないという決別に近い感情からだったのね。『響 小説家になる方法』で描かれていた契約の問題とかは、現実的にありえない話で、漫画上の演出だけのものかと思っていたら、本当のことだったんだとは。信じられませんね。今後、考えや見方を変えます。
・ドラマ化の際にヒロインの一人を男性にされ、二人分の設定を合体させて一人のキャラにされても文句を言わないどころかSNSで宣伝してあげる原作者もいるので、漫画家全員が改変を嫌っているわけではないんですよね。 その後、自分でスタッフやスポンサーを探して自分の同人誌をアニメ化させていたので、なにかしら思うところがあったのかもしれませんが。
・主演が決まった時に原作を読んで 作者の伝えたい事を理解し リスペクトしていれば 挨拶の時も原作と映画では 主役の設定は違いますが 根底には原作の主人公の 気持ちで頑張りますと 答えれば100点だったのでは
・進撃の巨人の原作者は「映画化するなら完全オリジナル。原作を使うなら(映画化は)認めない」と言ったそうですね。
原作が改悪されるのを心配したんでしょうが、これぐらい割り切らないと作品を守れないのかもしれませんね。
・自分も感じたことあった、小説で読んで 映画化、ドラマ化された物を見た時あれ? と思った部分一杯ある。 小説の中での部分が映像では一切無かったり 同じ様な場面(文)でも違ったりで、小説の方が面白く感じます、自分は? 読者、視聴者がそう感じるのだから原作者さんはもっと思うのでは。
・原作者さんは契約の際に興行収入の何%の利益を使用料として貰う。っていう権利を最初に締結した方が良いと思う。200万とか言いくるめられたぼったくり価格でしょ。
成功すれば収入が増えるとなればいい作品を生み出そうとする原作者さんも増えるし良いこと。
何も知らない原作者を言いくるめて利益を自分達だけで独占しようとする出版社と二次製作者関係の人間は恥を知った方が良い。
・状況によりますよね、伊藤さんサイドの。 伊藤さん本人が悪いわけではないように思います。 原作者が軽視されている環境の中ゆえのその一言に嫌な思いされたのでしょう。それぞれの立場を敬い職場でないと歪みは出てきます。
それにしてもInstagramあげていた脚本家がダンマリなのが問題だと思う。
・結局のところ感謝が足りないんじゃ無いでしょうか。製作者側の。出演している俳優さんも 抜擢されそれが縁となってヒットしたなら 感謝すること。お互いに…と言いたいところですが、原作者の方がドラマ化を望んだわけではないでしょうから製作者側の感謝やリスペクトが足りんと思います。 傲慢や、金儲けで考えるとそういった対応になるのでしょうね
・伊藤さんのお人柄を詳しくは知りませんが、役者さんは役者さんで、役になりきる仕事面と、自分の精神を守る安全面の魔法として、鉄壁な役作りが重要でして、カメラが回ってない隙間時間はそれを解いて偉い人への挨拶タイムにされたら今度は役者組合が立ち上がると思います。日本はお客様は神様でお金を払った人の天下、パートナーであるべき原作者は下で蚊帳の外っていう土壌があるとしたら、変えていかなきゃいけないと思います。
・これは「(今)喋らなきゃダメ?」と言う意味ですよね。私はむしろ、これから本番いく直前の人に話しかけようとする方に落ち度があると思います。撮影って他の人達の時間も奪う事だから、一人一人が真剣にですよね。その空気が読めないで割り込む方に非はないんですか?言葉だけならまだ優しいですよね。普通、怒声か睨むと思いますよ。 それと、コマ割りの漫画と映像の連続の映画ってそもそも違いますよね。台詞の決め場も全体から見たら変えた方が良いって判断されるかもしれない。どうしても変えて欲しくないなら事前に良く打ち合わせするしかないですよね。 そしてつまりは撮影側の裁量で作られた「映画」はやはり別作品という事。世界は違えど同じ創作業ならク〇映画って言い方はないのでは?脚本家だって立場がありますよね。それにその映画を見て楽しんだ人達も、そういう言い方されるとどう思いますかね。ちょっとみんな一度冷静になるべきです。
・海猿の映画は見て原作漫画は見てないという視点。 海猿の映画一作目の物語展開ってTOPGUN。 両方の作品を足した二次創作の映画という印象。 エロ同人でも似たような手法が使われると聞いたことがある。
・これって、原作者と伊藤さんが悪いんじゃなくて、完全に間に入った人が悪いと思う。 撮影の直前に誰かを連れてこられても困ると思うし、まあ伊藤さんも、もう少し人間が出来ていたら違う言い方もできたかもしれないけど。 いずれにしても地上波がメディアの最高峰に位置していると思っている人達による、全て自分たちの思い通りに出来ると言う過信が有るんでしょうね。でも、色々な選択肢が増えた今、地上波が最高峰に居られるのも時間の問題ですよね。
・面倒かもしれないけど、事細かな百科事典の様なページ数の契約書交わさないとダメなんじゃないですか? 不文律とか原作者に対する忖度とか、通用する世界では無いですよね? 原作使用料にしても、+興行収入の何%を支払う。と、云う契約を交わす事が必要だと思います。
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