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「1時間弱って何分?」「鉛筆なめなめは気持ち悪い」日本語はムズかし過ぎ? 誤用も多い“曖昧な表現”

ABEMA TIMES 2/4(日) 10:57 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/09025755841b0e0697986dba2f3d74cbca055495

 

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若者が「1時間弱」を60分以上と認識することがあり、それが日本語の問題を引き起こしていると話題になっています。

日本語教授や若者に対する取材によると、曖昧な表現やことわざの意味が通じなくなってきているようです。

一部の言葉は本来の意味と異なる形で広まっており、コミュニケーションの不足やスマートフォンの普及も影響していると指摘されています。

しかし、言葉の変化は自然なものであり、使われる言葉が一番伝わりやすいという見方もあります。

一方で文化庁では、やさしい日本語の使用が増える一方で、日本語の難しさや曖昧さも魅力の一つであるとの意見も述べられています。

(要約)

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“1時間弱”=60分以上と答える人の姿も 

 

 1時間弱は60分以内と思うのが一般的…だが、若者が60分以上だと認識しているなどとXで話題になり、「最近、若者に日本語が通じない!」という声があがっている。 

 

【映像】“誤用の多い日本語” 3つの具体例 

 

 日頃から大学生と向き合い、著書に『じつは伝わっていない日本語大図鑑』がある山口謠司氏(大東文化大学文学部教授)は、「“白紙に戻そう”と言っても、“消しゴムで消せばいいですか?” と言われることがある」と述べた。 

 

 山口教授は、日本語を巡って世代間のギャップが生まれていると指摘するが、一方で若者からは「言い回しがややこしくて真意が分からない」「上司が“全員野球”と言うけれど、野球は全員でやるものでは?」「“鉛筆なめなめ”と言っているのを聞き、なんか気持ち悪かった」などの声もあがる。 

 

「1時間弱」などの曖昧な表現やことわざはなぜ通じなくなったのか。『ABEMA Prime』では、山口教授と当事者の若者を招いて世代間に溝を生む日本語について考えた。 

 

山口教授の著書「じつは伝わっていない日本語大図鑑」に書かれた具体例の一部 

 

「働き始めてから“足が出る”“色をつける”“鉛筆なめなめ”などの表現をよく聞くようになった」という社会人4年目でSEのどくみる氏は「本当に言うんだなという驚きと同時に、例えば、エクセルのシートに“色をつける”と、値引きなどで“色をつける”という言葉を使われた時、文脈によって聞き直す時がある。比喩表現がややこしいので、直接的に言ってほしい」と述べた。 

 

 また、「10人中10人が同じ認識を持っている言葉はそうない。個々人の一般常識や知識次第だが、他の表現があるなら、わざわざ回りくどい表現を使わなくてもいいのでは」と疑問を投げかけた。 

 

 お笑い芸人のパックンも「日本語は紛らわしい。若者が悪いというが、我々中年世代でも間違っていることはよくある。例えば、お金を募っている側のテレビ局が視聴者に“募金してください”と呼びかけるのは間違いだ。“寄付してください”と言うべき。変な日本語に気づいて直すのは良いことだが、みんな間違っているのだから、偉そうに指摘せず直すべき」と発言した。 

 

 一方、山口教授は「例えば“遠慮してください”という言葉は、ずっと使われてきたが、最近はもう“1、2枚だったらいいのでは”といった認識になってきている。状況をどう見抜くか、空気を読むことができなくなったということなのだろう」と解説。 

 

 しかし、パックンは「だって“遠慮”ではないか。紛らわしい」と反論。続けて「周囲の人々が本来の意味を間違って使っている表現もある。皆が使っているなら誤用でも合わせたほうがいいのではと思うが、どうか」と質問した。 

 

 山口教授は「言葉は変化していくものなので、皆が使う言葉が一番良いというか、わかりやすい。自分が正しい意味で言葉を使っていても、今度は人に伝わらなくなってしまう」との見方を示した。 

 

 

(フリップ)誤用の多い日本語の例 

 

 例えば、「確信犯」も本来は“自分の行いが正しいという信念に基づいて行わる犯罪行為”の意味だが、“悪いことだと知ったうえでの犯罪や行為またはそれを行う人”という意味が一般化しており、他にも(フリップ)の通り誤用されている日本語は多い。 

 

 山口教授は、「一本締め」を例にあげ、「手を1回だけ叩く意味で使うなら“お手を拝借”と言って“一丁締めで”と表現するのが正しい」と解説。「本来の意味を理解する人が少なくなった背景にはコミュニケーション不足もある。スマートフォンで何でも調べてしまい、LINEでみんなとやり取りする。例えばSNSのスタンプにも感謝などの意味はあるけれど、言葉で音を聞かなくなってしまった、音読をしなくなったとことも理由だ」と背景を分析した。 

 

 パックンは「日本語は、直接言わないことが美徳とすることが多い。代表例は去年の流行語大賞“アレ(A.R.E.)”だ。“優勝”と言うと不謹慎、あるいはジンクスになるから“アレ”と言った。それが毎日のようにメディアに使われた」と述べた。 

 

文化庁の「やさしい日本語」ガイドラインより 

 

 日本語は、中国語・アラビア語と並んで世界最難関言語に数えられる。実際、表記方法が漢字・ひらがな・カタカナが入り混じっていることや、元々の意味から離れたそれらの使い分けも、学ぶものを悩ませている。また、男女による言葉遣いの違いなども初心者を悩ませる点だ。 

 

 そのため、役所や公共交通機関では近年「やさしい日本語」が増加。また、文化庁の「やさしい日本語」ガイドラインでも、“できるだけ公共交通機関を使ってご来場ください”を“電車やバスに乗ってきてください”と、表現する等の例があげられ、漢字にはルビを付けることが推奨されている。 

 

 この傾向について山口教授は「昔からあることで、漢語でしゃべったことを日本語に直す、“寛容に”“ゆっくりと”“くつろいで”など別の言い方に置き換えていた。語彙力が低下してそれができなくなり、簡単な言葉を使う流れになっている。本を読まなくなったことも要因だ」と指摘。 

 

 一方、パックンは、外国人が多い渋谷区役所でやさしい日本語が使われている例に対して、「すばらしいこと。外国人だけでなく、様々なレベルの日本語をしゃべる国民がいる。例えば、業務連絡もなるべく簡単な表現がいい」との見方を示した。 

 

 そのうえで「僕は日本語の難しさ、曖昧さも好き。業務連絡は簡単な言葉でいいけれど、ぜひこの議論が後世にも受け継がれるぐらい、昔からある難しい言葉・表現も守り、我々の子どもや孫にも受け継がれるような時代になってほしい」と、難しさゆえの日本語の魅力に言及した。 

 

(『ABEMA Prime』より) 

 

 

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(まとめ) 

- 日本語の変化や言葉の使い方に関する悩みや混乱が、各方面で感じられています。

年代や地域、教育など、様々な要因が絡んでおり、特に若者と年配者のコミュニケーションギャップが露わになっています。

 

- 言葉の意味や使い方の変化は不可避であり、柔軟さを持って受け入れることが求められますが、文脈やニュアンスを理解するための基本的な言語力も維持されるべきという指摘もあります。

 

- 教育やメディアの影響、コミュニケーション不足などが文化や言葉の変化に影響を与えているとの意見もあります。

言葉の大切さや、過去と現在の言葉の使い方に対する理解が呼びかけられています。

 

- 未熟さや誤解を避けるために、相手の立場や意図を考慮する必要性についての声もあります。

このようなコンテクストを理解するためには文脈・想像力・相互理解を重視することが求められるとされています。

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・1時間弱は1時間に足らず、1時間強は1時間を少し超えるなんだから、それを変えちゃうのはどうかな?さすがに知識不足な気がする。もちろん鉛筆をなめるとかは言わなくなったので通用しなくなるのも仕方ない。いわゆる慣用句、英語でもスラングとかは時代・世代によって変化するし 

若者が昔の言い方を知らなくてもいいけど、かつてそういう言い方があったことを否定しなくてもいいよな、とは思う。極端な話古典で「いとおかし」って今は言わないけど、別にそういう時代もあったってことだし、無知をいばるようなのはチョットな~と感じる 

 

 

・今の言語には、サラリーマンがよく使う言い回しや、芸能界などで使う業界用語、若者が独自の文化で使用する若者言葉など、多種多様な言葉がある。それに方言など標準語とはかけ離れた使い方をする地方も数多ある。 

 

言いたいのは、言葉は使っている世代や地域によって異なるということ。若者が大人が使う言葉が多少わからなくても、その状況にあれば覚えるだろうし、もしかしてら間違った使い方を覚えるかもしれない。それらを含めて今の日本語があるんじゃないかと思う。 

 

一丁目一番地という使い方は、よく聞く言い回しだが、いつ聞いても違和感感じる。最優先事項とはわかっていてもその言葉、僕は使わないかな。人それぞれ何でしょうね。 

 

 

・社会は未成年から定年退職嘱託まで18歳から65歳と幅があります。表現や慣習にも幅があります。これは社員間だけでなく、お得意先やお客様も一緒です。特定の世代だけの問題はとても小さなことです。若い人も年寄りも表現には世代間ギャップが在るのはわかっていますから柔軟に対応しましょう。 

 

 

・曖昧な表現をわかりやすくしていく事自体は悪い事ではないと思う。(個人的には鉛筆なめなめは本来の意味とは別に音としてあんまり好まないなぁ…) 

 

ただ、問題点は通じるかどうか、ではなくて、初めて聞く言葉や表現に対する態度の問題だと思う。初めて聞いた表現を「わからないから分かりやすくしてほしい」という態度を取る人の一定数には、言葉以外のこと、例えば業務内容とかで自分の都合の悪いことややりたくない事に対しても同じように「拒否する」様子が見られる。 

つまり、自分の都合に合わないものは受け入れない。 

 

見直しも大切ではあると思うが、まずは何故その事があるのか、という根本を考えていくと、それまでの過程の全てが無駄とは限らないので、学び思考する態度は忘れないで欲しいな、と最近よく思います。 

 

 

・20年ほど昔ですが、結婚式の二次会でラフな格好でとあったので、綺麗目のラフな格好で行ったらみんなスーツだった。別の二次会で前回の失敗も踏まえてスーツで行ったらみんな普段着で決めすぎだろと言われた。文字で判断せず、新郎の友人の服の趣味的なこともあるのでしょう。色々勉強になりました。 

 

 

・言葉は生き物だから変遷するのはいいとして、個人的には「~世代」とか「昭和が~」とか固定概念を生み出す言葉によって隔たりを生むのが問題なんだと思う。分けてもいいんだけどそれを棲み分けの材料にしない方がいいと思う。国語科でいうところの「他者理解」、一般社会でいう「聞く力」いずれも大切な技能だと思います。 

 

 

・想像力が乏しい若い子は増えたかな、と最近思う 

記事に出た言葉もシチュエーションを考えたらわかる言葉も多い 

まず小説を読まないらしい 

漫画も読めば良いし、小説も読んだほうが良いよ 

いずれにせよ仕事ができる子はちゃんと理解してる 

仕事ができない子というよりも知識がない子を育てるならそれなりに時間をかけてあげるしかない 

 

 

・「全員野球」と言う言葉があるのは、野球というスポーツのプレーに特性から来てる言葉だよね。 

「野球」はともすると、ピッチャー・キャッチャーとバッターだけが対戦してる感じになってしまうし、特に攻撃側がバッターとランナー以外はベンチ内で試合に関係なく休憩しいてるようにも見える。   

そんなことから「そんな事ではダメだ。 ベンチにいる人間、外野を守ってる人間も全員でやらないと!」って言う意味で「全員野球」って言葉があるんだよね。 

つまり、ちょっと見ただけでも、全プレーヤーがフィールド(コート)内で動いてるサッカーやバスケでは「全員サッカー」「全員バスケ」なんて言葉はありえないだと思う。 

 

 

・これは教育だけの問題ではないと思います。 

核家族化やご近所付き合いの減少により、家族以外の大人との交流が昔より少なくなった事も原因の一つではないでしょうか? 

例えば買い物一つとっても商店街で店主らと雑談しながら買うのと、スーパーやコンビニで殆ど口を開く事なく買うのとではコミュニケーションの量はまったく違います。様々な年齢や立場の方と会話することによって知る言葉も多いです。子供が育つ過程において50年前と今とでは触れ合う人間の数がかなり違うのでしょう。それによって身に付く常識や風習や言葉も減っていると思います。 

 

 

・アラフォーです。 

最初はIT業界に就職したので、世代ギャップは、あまり感じなかった。 

当時はホリエモンやらサイバーの藤田さんが30代前半で社長だったので、上の世代は年齢差が15歳位まで。 

鉛筆なめなめは、違う業界のIT部門に転職をして初めて聞いた。 

 

でも、ニュアンスは伝わるしだんだん馴染んでいった。 

バラすとか、てっぺんとか、業界用語もあるし、何が一般的で何がビジネス用語で何が専門用語なのかもよくわからないって気持ちもよく分かる。 

 

でも、スラングはどんどん出来て、若者言葉は分かれと言ってくるなら、古いスラングも使わなくてもいいけど、理解してよって思う。 

 

 

 

・「遠慮して」「控えて」とかは今や曖昧な表現なのかもしれないですよね。 

 

「飲食はお控え下さい」と書いてある場所で飲み食いしている人は「控えめなら少しくらいは飲食OK」と思ってるのかもしれないし、「ここでの撮影はご遠慮下さい」と書いてある目の前で写真を撮っている人を注意したら、「遠慮しつつ2、3枚ならOKという意味かと思った」と言われた話も聞いたことある。 

ハッキリ「飲食は禁止です」「ここでの撮影は禁止です」って表現しないと全員には伝わらないし、それが正しいのかもしれないですね。 

 

 

・かつて、上司の言い回しを理解出来なかった氷河期世代の私は、社会人としての未熟さを恥じ、ビジネス書を読んだりして後から調べていました。 

しかし、管理職になった今、自分達が入社した頃の4倍ほどいる若手から「どういう意味ですか」「わかりません」等と堂々と言われ、圧倒されるやら、年寄りだと再認識させられるやら、冷や汗をかくこともあります。 

良い、悪いではなく、ビジネスマナーも言葉も生き物なので、柔軟に対応できる感覚だけは極力忘れないよう心掛けています。 

 

 

・かつての世代は人の背中を見て言わずもがな学んでいたところがあるが、今の若者には面と向かって教えてもらわないと学びに繋がらない人が増えていると感じる。わからないこともわからないままにしてなんとなく自己理解してやり過ごす人も多いような、無頓着なのか無関心なのか。この記事の表現方法のように、必ずしも知らなくてもいいことは知らないままで良くない?という心理が働いているのも一因な気がします。 

 

 

・時代は若者に移っていくものだけど、若者の知識不足、常識不足に合わしていくのもおかしなことだと思う。 

直接的な表現だとキツく感じるから、曖昧な表現も時には必要で、これが日本文化の良いところでもある。 

何でもかんでも、若者に合わせたり、海外に合わせたりする必要はない。 

もっと日本の良さを誇っていいと思う。 

 

 

・世代間のギャップは仕方ないと思う。 

私は50代、部下は20代。 

生きていた年月も違うし、最近の事は疎い50代。 

お互い分からない事は聞けば良いし、教えれば良い。 

表現の仕方も世代間で違います。 

私が20代の時、上司50代が何を言っているか分からない時もあった。 

これも世代間ギャップでしょう。 

今の20代も50代になれば新たな20代とギャップが出る。 

当然だと思います。 

 

 

・年下のうちは上の人たちにある程度合わせて理解してあげた方が上手く行くことが多いと思うよ 

合わせる義務はないけどそうした方が上からの覚えも良いし取引先や顧客でもそう 

結局仕事の進捗や業績にも関わるからそうした方が良い 

心配しなくてもそのうち今の若い子たちが主役になり、その頃には新たな世代が出てきて永遠に繰り返されるのがどっちが合わせるべき問題だよね 

 

 

・紛らわしい日本語に関しては若者と同感な部分もある一方で、読書をしない若者も増えているのではないかな。 

年配の人も若者も、どちらも歩み寄る必要があると思いますけどね。 

年配の人は、若者に伝わらないかもしれない言葉はなるべく使わないとか、使ってもわかりやすい言葉でフォローするなどすればよいのかと。 

また若者は、自分の知らない言いまわしを否定するのではなく、ひとつひとつ覚えていけばよいのかと。 

そうすればお互いに壁は感じにくくなるような気がします。 

 

 

・言葉はホントに難しい。 

今はYouTubeでもショートがバズるし、サビ始まりの歌が増えたのは前奏が長いとブラバされてしまうからと聞いたことあります。 

つまり時短で直接的なのがウケるし流行ってるわけですよね。 

言語も曖昧な表現や比喩表現に関してはそこに自分の頭で考えるための時間が必要で、ここに時間をかける意味があると思うかどうかが大事なんだと考えます。 

もしこれからの人たちがより時間をかけず、言い回しに気を遣うことすら意味がないと感じるのであれば敬語ですら省かれていく時代がくるのかもしれないですね。 

 

 

・仕事など、年配の人たちは現代のスタイルに順応する様に求められていますが、若い人もこう言った昔のスタイルを受け入れる必要はあると思います。 

良い点、悪い点あるかと思いますが、今の日本の土台だと思うので、お互いに自分のスタイルを貫く視野の狭い人間にならない様にしたいと思います。 

例えば【飲みニケーション】も上の人が酒の席に仕事を持ち込みさえしなければ、悪くはないと思いますよ。 

 

 

・子供時代、本の虫で国語の成績は良かったんですけども、恥ずかしながら 

「一時間弱」の正しい使い方を知ったのは成人した頃、家族との何気ない会話の中でした 

なので、耳の痛い記事です。 

日常的に当たり前に使われる語句ほど、「こういう意味だろう」と思い込みで使っていることがあるんだなと学びました 

以来、簡単な言葉ほど自分できちんと辞書を引くようにしております 

 

 

 

・何でもかんでも若者に分かりやすくとか配慮するだけでなく、若者も年配者が培ってきた文化とか考え方を理解して歩み寄ることも必要だと思う。ダイバーシティとか言われて久しいが、世代間や性別の相互理解が大切だと思います 

 

 

・テレビや役所なら歓迎する簡単な日本語。 

仕事で、特に専門の知識では難しい言葉じゃないと、説明出来ないこともある。角運動量とか遠心力とか摩擦熱や摩擦係数とか、そして、それらは増大するのか、大きくなるのか?わかりやすく言うと大きくなるであっているけど、増大すると認識した方が後からの理解のヒントになる。たまに英語ではちゃんと統一してある記載が、日本語版ではバラバラに言い換えているので、それは文脈から推測する脳内変換も加わって、いろいろ難解になっているのでは?とも感じる。名詞とか、用語とか、きちんと辞書もあるから調べる習慣も必要だろうね。で、一事が万事簡単な日本語での専門家の説明をもてはやすのも、結局は理解している気分になるだけだから、あとから何がどうなると何という状態になるっけってなる。 

 

 

・人生に中で何度か「一本締め」をしたが正しくは「一丁締め」というのは知らなかった。中には「一丁締め」と言った方もおられて自分が勝手に脳内で「一本」に変換してたのかもしれないが。 

長く生きて来ても知らない事だらけなので日本語は難しい。ちょっとずれるけど関東から関西に来た営業マンが「考えときます」「考えさせてもらいます」という返事に希望を持って待ってしまったという話も聞いた事があるしネットが発達しリアルな人とのやり取りが少なくなると ニュアンスで伝えるというのは困難になり細部まで丁寧に表現するというのが必要になってくるんだろうなと思った記事だった。 

 

 

・古いから、新しいからダメ、使わないではなく、両方使えるようになると今まで以上に豊かな表現ができるようになると思います。また時代で言葉の意味が変わるからというのもそのとおり、あまり誤用を許容するとミスコミュニケーションになる可能性があるので、都度本来の意味を確認する癖をつけたりした方がいいと思います。 

 

 

・本来のものと意味を変えるレベルの言葉って、個人的には「役不足(本来は役割の方が能力に追い付いていないという意)」とか「確信犯(本来は正しいと信じ込んでいる意)」くらい、誤用の方が浸透してないと、かえって混乱しそう。 

 

1時間弱なんて社会人ならまず取り違えない上に頻繁に使うんだから、間違える若者が多いのであれば研修等で正せばよいだけ。 

 

さすがに「一丁目一番地」「鉛筆をなめる」あたりは若くなくても分からない人(自分も知らなかったし聞いた事ない)は多いだろうから、ビジネスの場では平易な表現に変えて欲しいとは思う 

 

 

・昔と違って新聞読まない、テレビニュースを見ない、が少なからず影響してそうな気がする。 

言葉は生き物で、今のお年寄りも若い頃はずいぶん言葉使いを注意されてたはず。 

でも1時間弱はさすがに・・色々なシーンで影響出るんじゃないかな。 

 

 

・やはり言葉を理解する力が無いのと空気を読むことができないのも要因の1つでしょう。若者の間では通用する言葉や認識でも大人の社会ににおいては誤解を招くことがあります。日本語が難しいのではなく、使い方を知らないだけではないでしょうか。SNS等で使われる言葉をそのまま社会で使用しても無理があるかもしれないです。高校生や大学生らにあるテーマについて意見を書かせても正しい日本語表現ができない学生がいるのも事実です。 

 

 

・言葉が通じるとは、学習と共有のプロセスを経て初めて可能になる。 

ここで話題になっている言い回しは、かなり前の世代からビジネスシーンで一般的に使われている。(一般的と断ったのは、ある業界にだけしか通用しない言い回しというものもあるからだ。) 

 

そこで、こういう言い回しだが、社会に出たての若い世代が知らないのは当然だ。ただ、知らない故に曖昧に聞こえるから、明快な表現に言いかえるべきだ、というのは若者側の論理で、いわば、学習と共有のプロセスを拒否しているということだ。 

 

この問題は、単に言語の問題ではなく、若者が、伝統的なビジネス社会の慣例やしきたり自体を忌避しているということに他ならない。それは、若者なりの合理性なのだが、上の世代から言わせれば、自分勝手で、協調性がないという評価と一体なのだ。 

 

日本語が難しいのは確かだが、単なる言葉だけの問題ではなく、相当根の深い現象とみたほうがよい。 

 

 

・曖昧な表現が多いということは、聞き取る側からすれば確証がつかめないということ。 

なので「思い込み」や「考え過ぎ」などの精神的ストレスが掛かってしまいます。 

40代の私は、上司や先輩から「曖昧な表現」の言葉を掛けられたとき、その意味を聞き返したら 

「自分で考えろ」 

と叱責されたものでした。 

 

仕事にしても普段の生活にしても、曖昧な表現とその意味を考えることは極めて無駄な時間です。 

皆が明瞭な表現を心がければその意味を考える時間が減り、安穏な生活ができると思います。 

そんな私も「曖昧な表現者」。気をつけます。 

 

 

・世の中には「死語」が多くなった。 

若年層が間違うのは教育の問題だ。 

躾については家庭で行うべきだという意見があるが、最近の親自身が本来の躾というものを身に着けていないから子供に対して間違った躾をする。 

最近はスマホがあるので、意味が分からなければその都度調べるということをすれば納得できるはず。 

ゲームやLINEの遣り取りもいいが、「言葉」というものを調べるために活用する癖をつければ恥をかかなくて済むこともある。 

 

 

 

・私は40年間会社員でしたが「鉛筆なめなめ書くのではダメ」と言われたことがたった一度ありました。それは年配のコンサルタントの人が講師での勉強会でのことでした。後で他の参加者に聞くと、ほぼ全員が正確な意味を理解してないようでしたが「まあダメだというのだからたいした意味ないだろう」とそのままやり過ごしたようでした。 

 

 

・この件については、自分にも言えることだけどただただ語彙力がないだけだと思う。 

語彙の意味が変化するのは別にいいと思うけど、分からないから使うなは情けなくないかな、、、その辺理解できないから語彙が少なくなって言葉から相手の気持ちも読み取れないようになってきてるんだと思う。 

 

 

・昔に演劇の師匠の経験として、ある舞台の稽古をしていたときに… 

 

「衣装は厚手の上着で手袋もして、舞台セットにストーブがある小屋に入ってきて、ストーブまで駆け寄りながら発する『いやー!寒いの寒くないの、外はとんでもないな!』というセリフに対して『これは寒いんですか?寒くないんですか?』と真顔で聞かれたことがある」というエピソードを話してもらいました。もちろん前後の文脈も展開も寒い雪国前提のストーリーです。 

 

それ以来は誰かに何かを聞かれたら、「そんなこともわからないのか」と1ミリも思わずに教えるようにしています。 

 

逆に私は性格上、わからなければ「そんなことも知らないのか」と言われそうなことでも聞くことができますが、世間的にはそのハードルは高いみたいですね。 

 

まぁ、何かあったら教えてあげましょう。 

私に聞かれたら教えてやってください笑 

 

 

・かつては、これらの日本語表現は中学や高校になって新聞を読み始めたり、本を読んだりしてるうちに自然に覚えた。映画やドラマなんかを見ていても、こういった表現はいろいろ出てきて、それを楽しんでいれば、社会に出る前に身についた。 

しかし、最近は新聞をとっている家庭は減りり、SNSで素人の書いた文章にしか触れていない人が増えた。映画やドラマ、本もタイパ重視とか言って、まとめサイトの情報だけで済ませたりする。日本語の豊かな表現が身につくわけがない。 

 

 

・言葉は変化するもの。相手はこういう感じのことを伝えたいんだなというのが分かれば問題ない。結局文脈を読めない人が自滅してるだけ。 

仕事で「この問題は非常に悩ましい」とか説明すると、一昔前まで空気読めないオジさんに「悩ましいの使い方がおかしい」とか言われたもんですが、今はそんなこと言う人の方がおかしいぐらい浸透しました。 

 

 

・何が問題かって、スピードなんよ。 言葉の意味が変遷するのは仕方ない。しかし、そのスピードが速すぎる。 おじさんと若者でこれだけ真逆の意味使いになるのはコミュニケーション破断で困る。これは、学校教育でやるべきことだと思う。 例えば、「気の置けない」はちゃんと習った。習えば、少なくとも正誤の有無があることを知るので、使った人に真意を確認することもできる。使う人も気にしながらの人もいるだろう。 でも、1時間弱は、キツイ。頻繁に使うからいちいち確認なんてしない。そんな所で相互誤解があったら駄目でしょう。この前、息子に聞いたらマジでそうだったからショックだったよ。 僕も含めて、 これだけ好きなことだけしてりゃそうなる。 頼むよ、文部省!! 

 

 

・こうした類の話題は平成時代にもテレビの番組や新聞雑誌の記事などで目にしたと思います。昭和と平成で世代の違いとか当時はゆとり教育世代というのもあったのでそれを揶揄するような昭和世代寄りの書き方や番組演出、動画の編集などだったと思います。若い世代、高齢層どちらの側にも立つことなく日本語の言葉自体も生活の中で変化していますし、表す意味も変わるという感覚を持っているか、変化には対応する気がないのか結局は人それぞれでしょう。 

 

 

・ただの不勉強では。 

最近新卒に「日本語の書く方がわからないから報告書を細かく添削してほしい」と言われて愕然としたことがありました。 

おじさん世代だって若い頃にいろんな表現を知らなかったけど、アルバイト時代や入社後に大人とコミュニケーションを取ることで覚えてきた。 

 

また、後から言語学を学び直したけど、曖昧で断定しない表現は相手との距離感次第では関係を保つ上で非常に重要。 

これは日本語だけではなく、言語一般的に普遍的な現象。 

最近は若者一般だけではなくメディアまで日本語の誤用が多くて、言葉に対する意識なんてどうでもよくなっている気がします。 

 

 

・いくつかの要素が入り混じっている話だね。 

まず、知っている知らないの視点でいえば、親が子供と話すときに子供に合わせて話しているというのがあるだろう。赤ちゃんに赤ちゃん言葉で話しかけるように子供の基準に合わせて話す。 

次に、想像力の問題。前段の話にも関連するが、話した内容を推察する機会がないと言葉に対する想像力が育たない。言ってるシチュエーションも含めれば全く想像のつかない言葉は少ない。最初は間違って解釈しても何度か話していればその間違いには気づく。 

鉛筆なめなめなんて普通は大人になるまで聞かない。でも、最初に聞いたときに意味が全く想像がつかないかと言えば決してそういう言葉でもない。 

起点は世代の違う人とのコミュニケーション不足。次に大人世代が子供に合わせてしまっていること。結果として想像力が欠如し聞いたことがない=知らないとなってしまうこと。 

 

 

・なんでも分かりやすくすりゃいいってもんではないのでは? 

 

日本語ネイティブじゃない人や子供に対しては、易しい表現を使うのは当たり前。一方で、なんでもシンプルに直接的にしすぎたら、日本語のもつ豊かな表現がどんどん失われてしまう。両方理解した上で、その場に合わせて使えばいいだけ。 

 

海外で、日本語を学ぶ人と話す機会があった。日本語の色んな表現を知りたがり、それらを面白がってくれた。 

 

言葉は国民性が強く出る。文化そのものだと思う。日本独自の表現はなくなって欲しくない。 

 

 

 

・曖昧な表現をされてどういうことなのかわからなかったら、相手に尋ねてみるのが一番だと思う。 本当に 認識の仕方とか考え方が違う人っていうのは自分と考え方の幅が違うから 分からない時に尋ねて相手の 思考パターンを集積していかないと相手に合わせたりを 

相手の動きを予測することは絶対にできない。 

 

 

・今さらゆとり教育の弊害でもないだろうが、学校出たばかりの若者にいきなり一般社会で用いられる慣習や言葉遣いをしろと言っても無理だろう。 

しかし、学校では習わない、例えば1時間弱等の知らない言葉は覚えればいい。 

それを習ってないから、昭和の言い回しだからと拒否するのはいかがなものかと思う。 

まぁ、若手社会人なんだから、学校でのお勉強よりも、しっかりと教養を身に着けてください。 

 

 

・自分は高校卒業して飲食店でバイト始めたときに、注文取りに行ったら「兄ちゃん、おあいそ」って言われたけど言葉の意味が分からなくて、でも恥ずかしくてお客さんには聞けなかったから裏で先輩に教えてもらったことがあるな。 

ただこれも調べてみると、正しい使い方ではないとも出てくるね。 

 

時代によって言葉の使い方は変わるもので、例えば「我慢」なんかも忍耐の意味で使われるようになったけど、本来は仏教の教えで「自分の我を押し通そうとする慢心」という人間の煩悩を指すネガティブなものだったという。 

でも今の現代でこれを誤用だと指摘する人はまずいないし、例え本来の意味に戻そうとしたところで忍耐の意味で定着してしまったのでまあ不可能だろう。 

 

言葉の正しい意味や使われてきた歴史を知ることは大事だが、言葉の変化は時代の性なのだろうと思う。 

 

 

・言葉は、時代と共に変化するのは、古今東西から続いてきている事。江戸、明治。昭和初期、昭和中期、昭和後期、平成、令和といきなり変わって来たのではなく、徐々に変化して来た。今更、取り上げる事ではない。一つ言える事は、昭和時代に比べて、曖昧な表現や受取側によって、個々に違う表現が増えてきた事。 

 

 

・面接官やっていた時の話。 

「服装は自由です。」と募集欄に記載。 

自分は服装はそこまで気にしなかった(ジャージや短パン、クロックスとかなら別。これも変な話だが)。 

しかし、年配の先輩曰く、私服の地点でアウトで報告していたとか。 

いい加減、茶番やら空気読むやら真意を読めとか無駄だからやめてほしい。 

ハッキリとした指示を出してほしいと今も思う。 

 

 

・そりゃ子供の頃から日本語を使っていた訳じゃないパックンに言われてもなぁって感じです 

若者代表のような言い方をしていますが結局は日本語が分からない人に合わせろよという郷に入れば郷に従えとは真逆の発言だよね? 

 

自分達が分からないからもっと分かりやすくしろというのは言っている事はわかるがそれをしたら余計本来の日本語のニュアンスを読み取る事や文節の間を読み取る事が益々出来なくなり結果昔からあったものを失っていく 

文章なり会話なりで共通認識が出来ていないかもと思ったらお互いの認識を合わせるコミュニケーションを取れば良い 

 

言葉が時代の流れにあわせて変化してゆくのは良いと思うがはっきり分かりやすい言葉を使えというのは違うと思う 

 

 

・文法面では、東京弁(標準語)より関西弁の方が複雑で難しいと聞く。なるほど、確かにそう思う。標準語はシンプルにしようと思えば、かなり簡単にできる気がする。 

 

「やさしい日本語」のムーブメントは社会的に良いことだと思います。 

 

 

・国語の授業を見直すべき 

 

数年前ラジオで聞いた話だと、大学受験生の読解力が無くなってきてる、との事。なので問題の意図を読むことが出来ず、結果間違える人が多いのだとか 

思うに、教科書参考書にわかりやすい記述が多くなり、大事な事はカラーで書いたり線が引いてあったりするので、全体を読むことが少なくなったのでは、と思っている 

「大事な部分」しか読まないので、読解力も語彙力も増えない 

少なくとも教科書からは太字の記述等はなくした方が良いと思う 

 

 

・>比喩表現がややこしいので、直接的に言ってほしい 

 

人間社会には直接的に言えないことが多いです。人の言葉の裏の意を斟酌できるかどうかでその人の人間度がわかるのではないかと思います。 

戦国武将太田道灌の山吹の花の歌にまつわる話は有名(新宿中央公園にもその場面の銅像があります。)ですが人からそのような奥深さがなくなってしまったら世の中はずいぶんと殺伐としたものになってしまうような気がします。 

 

 

・50代で現役を引退してた頃は、社会で大人として接する年齢幅はそれほど広くなく、互いに子ども、老人と理解して通じなくて当然として優しく接してきたが、いつまでも働くようになり、同僚としての年齢幅が広くなると、文化背景がズレて通じない言動が増える。 

社会的地位が高く、気を遣ってもらう老人は働き続ける意思が強いが、若い方に合わせる事を求められる層は、早く現役を退きたいと思っている。いつまでも現役で働く事の生きづらさを感じさせる記事に感じた。 

 

 

 

・最近の若い人は使わないけど、 

10時5分前っていう表現も相手が混乱するから使わないでほしい。 

年配の人に多いです。 

10時5分前って9時55分を指しますが、社内の多くの若者が10時4分とか10時3分と勘違いする人が続出。 

9時55分と言えば正確だから、敢えて使わないように心がけてます。 

 

 

・若い人は・・とは新米の社会人についてよくいわれるが、新米であろうとベテランであろうと、社会人は皆プロとして扱われるんだから、日本語の常識は身につけていかなければ。自分の勉強不足を棚に上げて、いまの時代は・・という問題にすり替える問題ではないと思いますが。 ちなみに、中学受験する小学生6年生は、並みの大人より、こうした国語をよく勉強させられていて驚きます。 

 

 

・曖昧な日本語を使うから、若者に通じないだけ。何時何分と断言すれば良い。自分達だって若い頃に目上の人が言う言葉がわからない事あったでしょうに。わかりやすい例だと、旅行など地方で方言を話す方が自分の言葉が通じないと感じると、標準語に切替て会話してくれるパターンだと思えば良い。相手に合わせる事はいつの時代も必要です。 

 

 

・「新人類」と呼ばれた世代も今や「今の若者は」と 

言う笑 

生きてきた中で「歩み寄る」って経験をせずにきた 

訳でもないと思うから、相手を理解しようとする対 

話をすればいいのにとは思う。 

もちろん、一方的にではなく、相手にも歩み寄って 

もらう事は必要だけど。 

同時に、相手に対する、尊敬と緊張感を忘れずに。 

 

 

・言葉は変わっていくものであり,「曖昧な表現」とするのは違う. 

だから,「一本締め」を一丁締めの意味で使ったり,「募金」や「課金」を「お金を払う」という意味で使うというのも,世間で広く認識されていればそれを正しいと認めざるを得ない. 

しかしながら,「一時間弱」や「一時間強」はそれぞれ「一時間より少し短い」と「一時間より少し長い」という意味での解釈が今のところは多数派だろう.今後どうなるかは分からないが. 

それと,日常会話と仕事上の会話で語彙が変わるのも当然のこと.この記事で紹介されている若者というのは入社何年目の人たちなんだろうか. 

会社に入る前まで自分たちのコミュニティで使ってきた言葉と違う語彙を受け入れられないだけではないのだろうか? 

今「オジサン」と言われる人たちも会社に入る前からそうした言葉を使ってきたわけではなく,世代差というよりはコミュニティの差でしかないのではないか? 

 

 

・俺の感覚では10年程度で社会の価値観、考え方って変化していっているなあって気がするけど、その間に自分も年齢を重ねて立場も変化してきているわけであって、自分ら人生の先輩たちは、常に次の世代の考え方を尊重していかなきゃよくないな、ということを実感しますね。 

それでも突き通さなきゃならないことだってありますよ。そのときは懇切丁寧に説明してあげる、露骨な上から目線にならないってことだけは気をつけています。ネット社会の影響もデカいですね。「老害扱い」されている政治家の先生たちの振る舞いとそれに対する世間の声が、俺ら中高年層の意識を変えさせてくれているような気もしますよ。 

 

 

・現在話されている日本標準語は,明治維新以後の義務教育化された小学校で教え始めた。自然発生的な言語ではなく,言語学者が作った人造語だ。江戸時代までの「お国はどこですか。」と言う国は,日本国を意味するのではなく,武蔵野の国とか丹波の国というような現在の都道府県や地方に相当した。当時の国では独自の方言が強く,青森の津軽弁と鹿児島の薩摩弁では全く言葉が通じない。それでは富国強兵の元,産業振興や軍隊の指揮命令も通じないので,明治政府は,日本標準語を全国民に聞き話し読み書きできるよう徹底した教育を小1の幼少期から行った。だから方言しか話せない事を無教養とする風潮が生まれた。日本語を正確に取得するのは非常に困難。若者だろうが年配者だろうが正しい日本語を意識していなければ間違いや分からないのが当然だが,それを意識できず逆ギレしていては語彙は増えない。新しい言葉も古い言葉も習得しておけば良いだけのことだ。 

 

 

・まぁ、便利だなって思う言葉や、波風立てないで済むなって思う表現もあるので、気に入れば使って気に入らないなら使わないのがいいかも 

 

10年前くらいかな、結婚して、私の妻ですと紹介したら上司に怒られたことがある。妻と言うべきではない、家内と言いなさいと。 

時代、時代での言い方があるでしょうし、新しい言葉もうまれ、わからなければ聞けばいいと思います。 

 

 

・「そろそろ潮どき」とか「私には力不足」とか言ってる中高年普通に居るよね。潮どきは、そろそろやるかという意味。漁師が「そろそろ潮どきだな」と言って漁に出ていたので浜辺を去るというところから“そろそろ去り時”という意味に誤用されていった。力不足は、物足りないという意味。自分にはもったいないという意味で使われているが、もっと無いのかと催促する失礼な意味になる。若者だけに限らず中高年だって結構間違った意味で日本語を使ってて意味が通じないことはたくさんある。 

 

 

・日本語は生きているなんて言う人もいるけど、そうではなくて、誤った認識まで許容しなければならない状況になっているという方が正しい気がする。私も間違って認識している語もきっとある。日本語が難しいじゃなくて、逆にその認識を訂正して正そうという意識が欠如しているように思えてならない。 

それは若者だけではなく、年齢を重ねた方も同様。正せばいい。 

それを年齢に関することを引き合いに出してみたり、伝わらないと意味がないという理論を言っている人がいたり。じゃぁ聞く力はどうなっているんだ。読解力はどうなっているんた。という自分の能力を見つめ直すことも大切だと思います。私も見つめ直し、何かわからないことがあれば辞書を引く習慣を身につけたいと思います。 

 

 

 

・確かに交通機関の例は、はっきり言うのは日本人の美徳に反する、という高年齢層の考えと、はっきり言われなければよくわからない、という低年齢層の考えのギャップがよくわかる典型的な例ですね。 

 

自分はおじさん世代になりますが、わからないことは恥、知らないのは自分が悪いのでまず覚えよう、というのが今までの流れだったと思います。 

 

ジェネレーションギャップを感じますね。 

 

 

・初めは知らない言葉でも会話の中でニュアンスを覚え意味がわかるようになる。おじさん達も最初から知ってたわけじゃない。 

つまり今の若者の多くが圧倒的に他者との会話が足りてないということだと思う。電話で話すことができない若者が多いというのも衝撃だった。 

 

 

・アラフィフおじさんです。 

言葉は変化するものなのだろうけど、五臓六腑に染み渡るのように、言葉も体験から身に付く事が大事と思う。 

しかし今はITデジタルが支配しつつあるので、耳や目から得る言葉が多くなっていると思う。 

 

ちなみに確信犯、一本締めは記事の通り、間違った意味で受け取っていた。 

 

 

・やはり生身のコミュニケーションの裏付けがなくなってきた表れですかね。 

言葉は生き物なので時代によって変わっていくのは当然だと思います。消えていく言葉、共有される言葉、新しく生まれてくる言葉、はどれも何かで繋がっているものだと思います。 

 

 

・災害が起きるとアスリートがよく使う「被災者に勇気や感動を与えたい」って言葉もおかしいですよね。 

義援金や支援物資は「送る」「届ける」のに勇気や感動はどうして「与える」ものなのかと。 

私はアスリートが勇気や感動の言葉を「届ける」「与える」のかでそのアスリートがちゃんと被災地のことを考えているのか判断しています。 

 

 

・曖昧な表現は誤解を生む。 

ビジネスの場面では、相手に分かりやすく伝えるのが仕事を円滑にすることに繋がるんじゃないかな。 

 

私は社会人15年目だけど、知人が、肩たたきをされたと言っていて、何でマッサージをしたの?と思っていたら、話が噛み合わなくて… 

意味を知って驚いた。 

これは常識なのか、私が無知なのか、まだまだ知らないことが多いんだなと感じた出来事だった。 

 

 

・主に女性が用を足してくることを『お花を摘みに行く』なんて現代でも言ったりするが、そういう表現は(日本語の面白さという意味でも)残って欲しいと思うけどね。 

 

すでに『用を足す』の時点で遠回しな言い方なのでストレートに言えば『トイレ行ってくる』なんだけどこれを直接的に表現したくない場面はあると思う。 

 

そもそもトイレですら『御手洗』と表現するのが一般的だけど、大体の場合手を洗うのが目的でない事は日本人なら暗黙の了解だと思う。 

 

直接表現すると嫌らしいよね、下品だよねという意味で少し遠回しな言い方をするのは言葉として難しいかも知れないけど日本語の美点・面白さと捉えることも出来ると思います。 

 

 

・「言葉は変化していくもの」確かにそうだ。だが本記事の感想として、国語力の不足とか、世代を超えた人とのコミニケーション欠如などがあるように思う。言語と文化は切り離せない。急速なグローバル化も影響大だろう。本件、深く追求すると現代日本の明と暗が見えてくるような気がする。 

 

 

・これも自分達が上の世代になると今度は下の世代からこう言われるので結局は同じことの繰り返しなんです。 

社会は自分の会社の仲間だけではなく幅広い世代の人で成り立っているので世代間ギャップは受け入れてうまいこと対応していかないといけないですね。 

 

 

・日本語が問題じゃなく、主語を省略する風潮が浸透しすぎている。また、結論を言うのに背景から経緯を話すから長くなる。 

この辺を意識しない方が多く、どんどん荒れてきているのは確かかな。 

 

だからその場は良くても、後々でトラブルが起きる。メモもスマホで取るけど、情報整理してない人は活用にならない。 

 

仕事できる人とできない人の差がどんどん大きくなってる。 

 

 

 

・戦後、日本語をやめて英語を母国語にしようと言う話があったそうですね、 

戦勝国の言葉を押し付けると言うだけで無くて、日本語はあまりにも難解複雑で国民はこの語学の習得だけで時間をロスするので、比較的簡単な英語にすれば語学習得の時間を他の時間に回せると言うアメリカ側の配慮もあった、と聞きました。 

英文学者などの賛成は分かりますが、驚いたのは志賀直哉など名だたる日本文学者達の何人かが賛成した事です。 

一番日本語を大事にしているはずなのにと思ってしまいますが。 

この話はかなり以前にどなたかの随筆で読んだのですが(作品も作者名も思い出せません)書いた方も物書きなので、大御所の日本文学者達のそのような発言は、日本語で作品を書く際の苦労から発せられたものでは無いかと言う事でした。 

つまり真摯に日本語に向き合うのは苦労が多いと言う事でしょうか。 

今や世界共通語は英語ですが、自国の言葉はもちろん大切ですね。 

 

 

・家庭と学校の教育の問題… 

 

 

ですが、 

新人類と呼ばれたころから 

人々が変わり、平成ベビー 

と呼ばれた子供達が今じゃ 

ほとんどお父さん、お母さん。 

 

デジタルやITがまだそんなに 

進化してない時代は、 

人と人のコミュニケーションは 

友達と面と向かって話したり、 

電話で感情を伝える。 

解らないことを先生に聞いたり 

言い回しや単語など、 

新聞や本を読んで自然に覚えた。 

 

色んな昔の文化が効率化の下に 

忘れさられて今の若者が出来ている 

のでしょう。 

 

 

・言葉は移ろい行くもになので本来の意味ではなくとも長年使われているとそちらがみんなの共通理解となる。ビジネスの場ではイディオム表現は避けるべきだ。また日本語は曖昧というので思い出すのは、街角や店先、観光地などで禁止事項を知らせる場合、「日本語で◯◯はしないでください」というのを英訳すると多くの場合頭に Please 〜としてしまう。丁寧な言い回し、下さいをPleaseに訳す。しかしこれは英語ネイティブにはPleaseはどうぞ◯してねと早合点する。彼らの頭の中にはPlease don'tという言葉がないから。Don'tから始めて下さい。 

 

 

・外国人が難しいというのならわかるが,若い人が意味がわからないというなら,教えてあげればいいだけの話。年寄りも若者が使う言葉を知らなければ,必要なら覚えればいいし。 

 

この手の世代間ギャップ云々という話は,どちらがいいとか悪いのではなく,お互い教えたり教えられたり,学ぶという感覚が抜けているような気がする。 

 

 

・話は優しく、正確に、単純にが一番です。世代間でとかいうけどちゃんと言えば伝わるし伝わらなければ解説すればいいだけ。使う人、使わない人、わかる人、わからない人みんなそれぞれです。 

誤用もいつの間にか正しいことになったりするし造語も正当な言葉となることもあるわけで変化や変革はしょうがないでしょう。その時代時代でいいように使うべきではないでしょうか。 

 

 

・それまで、学校という場所で同世代としか交流が無かった子供たちが、社会に出ていきなり多種多様な年代の人間と交われば、とまどいますよね。 

 

でも、そうした社会生活を通じていろんな物事を知っていくわけです。「デッパツだ」とか「デモもストもない!」なんて言葉なんて、令和生まれには初めて耳にする言葉でしょうが、オジサン世代がよく使うので、そのうち若い世代もいつしか使うようになります。 

 

知らないからと拒否をせず、はーそういうものなんだと聞いておけばよいのです。あとから、取引先の重役とかと会話する際に、あんがい役に立ちますよ。 

 

 

・まぁ世代が違えば色々あるよね 

若い人にはおっさんの言葉が判らないし、おっさんには若い人の言葉が判らない。 

そんなもんじゃない? 

 

でも日常には言葉遣いが明らかにおかしなこともあるよ 

私が一番気になるのは、コンビニなどでお金を払う時、 

代金が700円を千円札で払うと 

『1000円頂きます→おつり300円です』みたいなの 

1000円はあげないよ 

『お預かりします』だろ?って突っ込みたくなる 

 

皆さん気になることはありませんか? 

 

 

・この対象の若者が具体的に何歳くらいで職種は何かというのが分からないので何とも言えないけど、 

 

うちの次女が中学生で、会話の時に伝わらない表現があるので一々説明しているのを思い出しました。 

 

要は社会人になったばかりの相手(若者)が中学生くらいだと思って「あ、これ言っても分からないな」と対処すれば間違いないんじゃないでしょうか? 

 

 

・時代によって意味が変わる、下手したら逆転するなんてことは珍しくないとは思うんだけど、1時間弱の意味の変化の仕方ってどうやって生じたんだろう?1時間程度とか1時間前後と混同された結果なのかな? 

にしても、若い人の「誤解」の仕方って自分に甘い方に振れがちな気がする。はっきり書いてないから自分に都合の良い様に解釈しちゃおうとか計算してるんじゃなく、素でそうやって読み取っちゃうんだよね。…若い人に限らないか。 

 

 

・50代です。この記事は、若者から年配者への提言ですが、いつの時代も年代差で言葉が通じないのなんてあることじゃないですか?若者の言葉の使い方で意味わからんなーと思うことも多々あるし。記事内での一丁目一番地はもちろん私は知っていますが、そんな言葉使わなくて良いんじゃない?わかりにくいと思ってしまいます。いちいち記事で煽ることにより世代間ギャップが広がります。お互い教えてもらって、理解深めればいいじゃん。 

 

 

 

・前から違和感を感じるのは「自粛しろ」という言葉ですね。自粛は自分で考えてするかどうか決めるものであって他人に強いられるものではないのに。 

あと、気持ち悪い言葉は「空気読め」です。何をしてほしいか言わずに何かさせようとする、そして思うようにならなかったらまた「空気読め」という、卑怯というか陰湿というか、そういったものを感じます。 

 

 

・すでに気付いている人もいるだろうが近年「日本人的なもの」が急速に失われてきている。 

今後AIが普及しそれが一般化する頃には日本人が本来持っていた感覚はAIに侵蝕され、日本の文化は得体の知れない何かに変質しているだろう。 

そして問題は今の若者の多くがそれを自覚していないことだ。 

 

 

・かなりの割合で勘違いがあるということで「〇〇弱」は使うべきではない事がわかった。仮に「1時間弱」では間違えなくても、「マイナス30度弱」と言われるとどちらか混乱する。 

 

素直に「50分くらい」とか「1時間以内」などと言えばいいかと思う。「私は1時間弱歩いた」という文章は、「私は約1時間歩いた」か「私は50分程度歩いた」にすればいい。 

 

またやや後ろめたい事を伝える時にわかりにくい表現が使われがち。 

 

重要な事は明確に伝えるべきだ。 

 

 

・40代前半です。日本語は本当に難しい。 けど、一時間弱、一時間強など考えなくてもわかると思うけど。 その言葉を読み取る力がなさすぎ。 足がでる。色をつける。も使うし。ご遠慮下さい。お控え下さい。も使うし。2時50分なら3時10分前とか平気で使います。幼少時に親から教わった部分もあれば、自分自身でその言葉を読み取ってました。読み取る力や想像力がないのでしょう。 

 

 

・公文書に用いる用語や法令の用語は、できるだけ正確に物事を表すためにまわりくどく複雑に記されている。 

それは法令や公文書はある意味、役人や組織を正確に動かすためのプログラム言語であり、専門的な作成と解釈の技術が求められるのは当然のことであり、民間の文書や用語であっても専門的な世界では、その世界の言語を覚え活用法を身に付けるのは社会人としてプロとして当然のことだ。 

なんでも簡単でいいならプロは要らないし、プロでないなら高い給料を払う必要もない。 

 

 

・ニュアンスというか雰囲気での会話が難しくなってるんですね。マニュアル通りでないと通じない人が増えたのかと。 

でも、なるべく多くの人に伝わった方がよいに決まってるので、現実を直視して誤解を産まないような言葉を選んで話すようにしてます。 

それでも油断すると若者には通じなかったりしますけど。 

もちろん逆の場合もあるので、若者は年配の人にも通じる言葉で話すべきでしょう。 

一方通行なのはダメです。 

 

 

・古文、漢文が今、全く使われなくなってるわけではなく、名残もたくさんあって時代に応じて変遷してきているだけであり、古今東西、たくさん学べば古い日本語も理解が深くなる。ただ、自分自身の知識の無さをひけらかしているようにしか映らない。若い人で一括りにするのも乱暴な気もする。後生畏るべしと思うこともよくある。 

 

 

・「1時間弱」は「1時間強」と対になっているってこと知っていれば,すぐわかりますね. 

「約1時間」「およそ1時間」「1時間前後」などは1時間を中心に短い方も長い方も含むし,そのズレは「強」「弱」含めだいたいは5分程度,長くてもせいぜい10分くらいまでかななどというニュアンス含むだろうし,「1時間以内」だと30分でも50分でもピッタリ1時間でも含む意味になる. 

 

 

・そもそもこの文章を書くに当たって若者とは何歳を指しているのかということがすでに曖昧である。一般的には十代から三十代を指すのかもしれないがそれも人によって捉え方が変わる表現。 

誰に向けて書かれた文章なのかもはっきりしていないためメッセージ性が薄くなってしまう。 

また、1時間弱という表現などは地域によっても捉え方もあり、私が住んでいる地域では1時間以上を指す。それは、年代問わず普段の会話で使われている。 

それも含めて日本語は曖昧な表現であると言え、この文章自体が何に対して何を訴えたいのかとても曖昧なものとして仕上がってしまったと言える。 

 

 

・恥ずかしながら、鉛筆なめなめは今初めて知った。(なんとなく意味は想像できたけど、一応意味は調べました) 

聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥じゃないけど、知らなくてもそんなわかりにくい言葉使う方が悪い!と怒る、避けるのではなく、知識として蓄えて行けばよいだけでしょう。 

個人的には誤用が多い言葉も出来る限り正しく使うようにしているが、あまりにも誤用が多い役不足だけは別。以前理系の友人に使ったら、私は能力が足りないのか…と凹んでしまったので、役不足と力不足の説明をする羽目に…。 

正しい意味で使っても相手が正しい意味を知らなければ、相手の機嫌を損ねる可能性がある。またそれを避けるためにあえて誤用しようものなら、正しい意味を知らない愚か者とも思われ兼ねない。機嫌を損ね兼ねない言葉をわざわざ使っても、リスクが高いと思えるので私の中では使わない方が身の為ワードに指定して使わないようにしている。 

 

 

 

 
 

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