( 136748 ) 2024/02/07 12:55:36 0 00 (写真:USSIE/PIXTA)
「セクシー田中さん」の件をきっかけに、映像化における原作の脚色に注目が集まっている。そんな中、劇作家で演出家の鴻上尚史氏が、「原作者と脚本家の問題にしてはいけない」と発信した。
【写真を見る】原作から大幅改変された注目作品『関心領域』の一場面
鴻上氏は、X(旧ツイッター)を通じ、「映像化において作品を改変しないで欲しいと要望する人と、製作側に一任する人に分かれるが、それは原作者個人の判断であり、問題は『変えないで欲しい』という原作者の意向を出版社がちゃんと伝えたのか、そしてそれをテレビ局がちゃんと受け入れたのか」であるとも主張。
もしそれが違っていた時に対応するのも、「原作者ではなく、原作者側に立つ出版社。それに対応するのも、脚本家の前にテレビ局、つまりプロデューサーだ」とも書く。
筆者はその意見にまったく同感だ。脚本家はプロデューサー、この場合はテレビ局に雇われているのであり、彼らの意向に従って仕事をするに過ぎない。原作に忠実にするのか、改変するのかについて、脚本家も意見はあるかもしれないが、大きな決定権は上層部にある。それを無視して上層部が気に入らないものを頑固に書き続けたなら、切られて別の脚本家に仕事を奪われるだけだ。
■ハリウッドで映像化された場合
事情はハリウッドでも同じだ。だから、ハリウッドでも映像化された際に原作者やファンから文句が出ることは多々あっても、脚本家がターゲットにされることはない。批判の対象となるのは、作品のリーダーである監督と、その監督を選んで任せたプロデューサーとスタジオだ。
小説なり、グラフィックノベルなりの映像化権を売る時に、それがどんな形で映画あるいはテレビドラマになるのかをしっかり確認することは、ハリウッドでもそう容易ではない。
そもそも、映像化権が売れたら必ず映画かテレビになるわけではなく、ベストセラーになったり、賞をもらったりした出版物であっても、何年も形にならずにそのままになるケースはたくさんある。その間、プロデューサーや監督がやって来ては降板し、その都度方向性が変わり続けるということもしょっちゅうだ。脚本家が脚色しても、新たな監督が来てボツにされたり、別の脚本家も呼び込んで大幅な書き直しがあったりする。
たとえば、M・ナイト・シャマラン監督の『ノック 終末の訪問者』(2023)の原作小説を書いたポール・トレンブレイ。プレミアで完成作を見た時には、「自分が思い描いた通りで涙が出た」こともあった一方、見ていられなくて「劇場を飛び出したくなったこともあった」と、彼は「Los Angeles Times」に語っている。
映画版『ノック 終末の訪問者』は、結末が原作とまったく違う。ただし、その点は原作者は最初から承知していた。映画の資金を集める段階で、「子供が死ぬという結末はそのままにできない」と言われていたのである。
それほど知名度のない彼がよく考えもせずに映画化権を売ったのは、本が出版される半年前。契約上、彼に意見を言う権利はなかったものの、プロダクション会社のエグゼクティブは脚本を見せてくれ、意見も聞いてくれた。脚本はシャマランが監督に決まる前の段階に書かれていたものからすでに原作と相当に違っていたが、トレンブレイは脚本家をまったく責めない。
シャマランがやってきてさらに変更された完成版について、彼は「ナイトは、『選択』というテーマを重視したようだ。彼はこの映画版で、僕とは違う文化、宗教経験からそこに迫っている。それは理解できても、僕はまだ葛藤を覚える」と、複雑な心境を語っている。
■改変されて原作者が大満足のケースも
しかし、原作に忠実かどうかだけが原作者の満足につながるというわけでもない。『ブレードランナー』(1982)は原作とかなり違うにもかかわらず、フィリップ・K・ディックは映画を大絶賛している。『クレイジー・リッチ!』(2018)の原作『クレイジー・リッチ・アジアンズ』の作者であるケヴィン・クワンも、結末をはじめいくつか改変がなされているが、映画化版を気に入ったようだ。
イギリスとアメリカで大ベストセラーとなり、続編も多数出版された『お買いもの中毒な私!』(2009)も、舞台をイギリスからアメリカに変えるなどいくつも変更があったが、筆者がインタビューした時、原作者ソフィー・キンセラは、「映画化される時には改変もあるものだから」と理解を示していた。
映画化したのはディズニーとプロデューサーのジェリー・ブラッカイマーで、興行成績、批評ともにふるわず、原作ファンから批判されたのも彼らだった。
スティーブン・キングが映画史上において傑作とされるスタンリー・キューブリック監督の『シャイニング』を嫌っていることは有名な話だ。その理由は原作と違うということだけではない。それについてはキューブリックが十分語っている。
事実、スティーブン・キングは昨年の『ブギーマン』をはじめ、原作と変えられた自作の映画化版を褒めることもある。変更があったかどうかが彼にとって好きか嫌いかの基準になっていないのは明らかだ。
■今年5月、日本公開の注目作品『関心領域』では?
また、今年のアカデミー賞に複数部門で候補入りしているホロコーストをテーマにした映画『関心領域』(原題:The Zone of Interest)は、驚くほど原作と違う。原作小説が出版される前に抜粋を読んだジョナサン・グレイザー監督は、その後たっぷりリサーチを重ね、実在したナチ将校を主人公に置き換え、ストーリーも大幅に変えて映画にしたのだ。
しかし、何年にも及ぶ製作過程で、グレイザーは「原作を何度となく読み直した」とも、筆者との取材で語っている。グレイザーにとって、この本は断然「原作」に基づくものなのである。
原作者のマーティン・エイミスはカンヌ国際映画祭で映画がプレミアされたのと同じタイミングの昨年5月に亡くなっており、彼が完成作をどう思ったのかはわからない。映画化権を取得してから、プロデューサーのジェームズ・ウィルソンとグレイザーがエイミスとどんなやりとりをしたのか、映画化権取得においてどんな契約が交わされていたのかも不明だ。
しかし、映画は大傑作で、多くのことを観客に伝える。ここまで観客にインパクトを与える映画になったのだから、エイミスもきっと評価するのではないか。もちろん、それはこちらの勝手な想像だ。もしかしたらエイミスは気に入らなかったかもしれない。そうだったとしても、責める相手はプロデューサーのウィルソンと監督としてのグレイザーで、脚本家としてのグレイザーではないはずだ。
理想は、観客、フィルムメーカー、ファン、原作者、みんなが満足する形で映像化されること。どの作品においても、それはみんなが願っていることに違いない。実際には難しいのだが、できるだけの努力は必要。実現できるために、かかわる人たちが良心をもちつつコミュニケーションを取ってくれるよう、願うばかりである。
猿渡 由紀 :L.A.在住映画ジャーナリスト
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