( 137075 ) 2024/02/08 12:40:59 2 00 なぜ「セクシー田中さん」の改変プロセスを説明しないのか…日テレの「冷たすぎるコメント」がもつ本当の意味プレジデントオンライン 2/8(木) 9:17 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/b6ab094e31cae46986468c17456fd4270ccf7e8a |
( 137078 ) 2024/02/08 12:40:59 0 00 日本テレビ(東京都港区、2021年2月5日撮影) - 写真=時事通信フォト
人気ドラマ「セクシー田中さん」(日本テレビ系)の原作者・芦原妃名子さんの急逝をめぐって、日本テレビの出したコメントが批判を集めている。元関西テレビ社員で、神戸学院大学の鈴木洋仁准教授は「日テレの薄情なコメントは、危機管理の点では100点満点だが、少しでも血の通った対応はできないのだろうか」という――。
【画像】日本テレビが出したコメント
■「セクシー田中さん」のサイトに出されたコメント
昨年放送されたテレビドラマ「セクシー田中さん」(日本テレビ系)の原作者で漫画家の芦原妃名子さんの急逝が報じられた。芦原さんが亡くなるまでに至るドラマ化をめぐるトラブルについては、業界全体を巻き込む議論に発展した。
日本テレビは、2024年2月5日時点で2つのコメントを出している。
ひとつは、テレビドラマ「セクシー田中さん」のサイトにある、次のものである。
---------- 芦原妃名子さんの訃報に接し、哀悼の意を表するとともに、謹んでお悔やみ申し上げます。 2023年10月期の日曜ドラマ「セクシー田中さん」につきまして日本テレビは映像化の提案に際し、原作代理人である小学館を通じて原作者である芦原さんのご意見をいただきながら脚本制作作業の話し合いを重ね、最終的に許諾をいただけた脚本を決定原稿とし、放送しております。 本作品の制作にご尽力いただいた芦原さんには感謝しております。 ----------
このコメントについては、テレビ東京でドラマ・プロデューサーを長く務めた、桜美林大学教授の田淵俊彦氏が、「自己防衛としか思えない言葉が並んでいた」と述べるように、多くの批判が集まった。
■日テレの対応は「冷たすぎる」
そのためなのか、日本テレビは、会社全体のウェブサイトの最も目立つ場所(トップ)に、こう記している。
---------- 芦原妃名子さんの訃報に接し、哀悼の意を表するとともに、謹んでお悔やみ申し上げます。 日本テレビとして、大変重く受け止めております。 ドラマ「セクシー田中さん」は、日本テレビの責任において制作および放送を行ったもので、関係者個人へのSNS等での誹謗(ひぼう)中傷などはやめていただくよう、切にお願い申し上げます。 ----------
2つ目のコメントは、関係者=脚本家やプロデューサーが「炎上」している事態を受けてのものであり、会社としての責任を強調しているのは、批判の矛先が同社に向けられているからと見られる。
2つのコメントから、どんな印象を持つだろうか。
冷たすぎる。それが、私の感情である。
ではなぜ、日本テレビは、こうしたコメントを出したのか。いや、出さざるを得なかったのか。それを考えねばならない。
■文面から伺える「社内で協議を重ねた跡」
組織を守るため、というのが、まっさきに挙げられよう。
日本テレビは、会社ぐるみで芦原さんの命を奪いたかったわけでは、もちろんない。奪おうとしたのでもない。
亡くなった理由は、芦原さんご本人にも完全に説明するのは難しいのかもしれない。
日本テレビは、たしかに、どちらのコメントでも、まっさきに芦原さんに「哀悼の意を表するとともに、謹んでお悔やみ申し上げます。」と述べている。その突然の逝去にあたっての態度には、過不足がない。
社内で協議を重ねた跡が見えるし、弁護士をはじめとするリーガルチェックも受けたに違いない。亡くなったのは会社の責任です、とは言えないし、そう考えていないとみられる。
1つめのコメントでは、芦原さんの意見を踏まえるだけではなく、相談を続けたこと、さらには、最後のOKをもらえたことを、事実として伝えている。原作者の意向や立場を最大限に尊重した上で、許しも得ていた。その点を明らかにしている。
それだけではない。
末尾では、芦原さんへの謝意を示している。
追悼の言葉と、事実確認、最後には礼を尽くす。この流れは、まったくもって正しい。正しすぎるほどに正しい。組織に揺らぎをもたらさないためには、これ以外の答えはない。
だからこそ問題なのである。
■「危機管理」の観点では完璧だったが…
日本テレビは、芦原さんが亡くなってから、一度も公式に記者会見を開いていない。先に引用した2つのコメント以外には、何も発表していない。
週刊誌やネットメディアに出ている情報は少ない。テレビ局には、新聞記者が常に出入りしているにもかかわらず、社員や関係者の声は、ほとんど報じられていない。
箝口令が敷かれているのだろうし、内部からのリークによって「関係者個人へのSNS等での誹謗中傷」が起きるよりは、救いがある。
企業として欠点のないコメントを出し、情報の出所を絞り、内部を統制しながら、外に対応していく。その姿勢は、危機管理の点では100点満点と言えよう。
感情がないわけでもない。文章の上では「哀悼の意を表」しているからである。
「自分の身内が同じ目にあったら、どうするのか」、との批判にすら応えられる。組織を守りながら、人としての思いも見せているではないか。そんな反論も準備してある。
■日テレには「同情を禁じ得ない」
多くの社員を抱え、組織を続ける上で、真相が明らかになっていない時点で、安易に責任を認めるほうが、かえって無責任である。そうした理屈も成り立つし、実際、日テレが、もし謝るとしても、誰の、何に対して、どうするのか。
少なくとも芦原さん自身が、日テレどころか、誰も名指しで非難していない以上、謝罪のしようがない、との考え方は、ありえる。
ここで、日テレを擁護したいわけでは、まったくない。
あるいは逆に、日テレに向かって「人としてどうなのか」といった、道徳の面で異を唱えたいわけではないし、私の抱いた「冷たすぎる」との思いは、感想にすぎない。
それよりも、完璧すぎるコメントを出さざるを得ない日テレに、逆に、同情を禁じ得ないのである。同社は、芦原さんの死に対してだけではなく、今回の事態に対して、いかなる感情も持つ余地がないからである。
■ネット社会における「組織の限界」
このドラマにかかわった人だけではなく、日本テレビで、あるいは、日本テレビと働く人の誰も、芦原さんの死を望んだわけではない。それどころか、こうした最悪の結末を招くなどとは、夢にも思っていなかったのではないか。
できることなら、ひとりの人間の思いを率直に打ち明けたい。芦原さんに向かって謝りたい。そう願う人も少なくないのではないか。
しかし、そういった行動は、誰にも許されない。
もし、ひとりひとりが自由にモノを言ったり、動いたりすれば、その時点で、組織は崩れてしまうからである。正確に言えば、崩れてしまうのではないかと、警戒しているからである。
その背景には、まさに日テレが2つめのコメントで懸念した「関係者個人へのSNS等での誹謗中傷」がある。
日テレの関係者の誰かが、実名にせよ匿名にせよ、あるいは、庇うにせよ非難するにせよ、その発言をした途端に、猛烈な誹謗中傷に晒されるだろう。実名はもちろんのこと、匿名であれば特定されるまで追いかけられるし、肩を持てば社畜呼ばわりされ、批判すれば無責任だと言われかねない。
■「テラスハウス」をめぐるフジテレビの対応
どんな立場で、何を言おうとも、どこからでも矢が飛んでくる。それが「SNSでの誹謗中傷」にほかならない。女子プロレスラー木村花さんの死を忘れてはならない。彼女は、フジテレビが制作したリアリティ番組「テラスハウス」をめぐってSNSで激烈な誹謗中傷に見舞われたからである。
あのときも、フジテレビの対応は冷たすぎた。
「冷たすぎる対応」しかできなかった理由は、今回と同じである。ひとたび責任を認めてしまえば、組織を維持できない。そんな恐怖心がフジテレビにも、今回の日テレにもあったのではないか。
日テレに求められるのは、プロセスを明らかにする態度である。脚本家の野木亜紀子氏が当初から求めている道筋である。
野木氏が、NHKで放送されたテレビドラマ「フェイクニュース」のシナリオブック末尾で述べるように、「ネットも現実だけど、ネットの中に人生はない。あなたの人性は誰かに決めつけられるものではない」。
だからいま、自分たちは何をしているのか、していないのか。何ができるのか、できないのか。その迷いや悩みや、戸惑いを、そのまま言葉にしてもらえないだろうか。
■愛情がなければ、テレビドラマは作れない
完璧な対応をしていればよい、叩かれすぎないほうがよい。そんな専守防衛の態度では、亡くなった芦原さんがあまりにも報われない。そう思うのは、日テレの態度は、天候によってダイヤが乱れた時の「交通機関のお詫び」に似ていると感じられるからである。
先日の大雪によって関東地方では電車やバスが遅れた。仕方がないし、どうしようもないから、誰の責任でもない。それなのに、駅では「大変ご迷惑をおかけして、申し訳ございません」とのアナウンスが繰り返された。あたかも、駅員や鉄道会社のせいであるかのように装いながらも、その実は、何の感情もこもっていない。
謝っておけばいいだろう。そんな血も涙もない、通り一遍の対応と、今回の日テレのコメントは通じているのではないか。
もし、日テレがドラマに対して愛情があるならば、いや、愛情がなければテレビドラマは作れないのだから、少しでも血の通った対応をしてほしい。たとえそれが、ネット社会における禁じ手だと思われているとしても、今からでも遅くない。
それこそが、せめてもの弔いになるはずである。
---------- 鈴木 洋仁(すずき・ひろひと) 神戸学院大学現代社会学部 准教授 1980年東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学等を経て現職。専門は、歴史社会学。著書に『「元号」と戦後日本』(青土社)、『「平成」論』(青弓社)、『「三代目」スタディーズ 世代と系図から読む近代日本』(青弓社)など。共著(分担執筆)として、『運動としての大衆文化:協働・ファン・文化工作』(大塚英志編、水声社)、『「明治日本と革命中国」の思想史 近代東アジアにおける「知」とナショナリズムの相互還流』(楊際開、伊東貴之編著、ミネルヴァ書房)などがある。 ----------
神戸学院大学現代社会学部 准教授 鈴木 洋仁
|
( 137079 ) 2024/02/08 12:40:59 0 00 ・ドラマ制作側から出てきたプロットを毎回加筆修正してようやく最終原稿に漕ぎ着けた。このような経緯や未完の原作に影響を与えないよう9,10話の脚本は芦原先生自身が脚本を書くことになったという内容の芦原先生のXを読んでしまうと、、 日本テレビの「…原作者である芦原さんのご意見をいただきながら脚本制作作業の話し合いを重ね、最終的に許諾をいただけた脚本を決定原稿とし…」というコメントには、白々しさと憤りを感じた。
日本テレビは「原作に忠実に」という原作者との約束を反故にし、原作レイプのような脚本を出し続けておいてよく言える。。
・謝るかどうかの論になっているかと思うけど、おそらくは日テレ批判の一番は、その前段階の経緯調査確認の状況についてまでも口をつぐんでいることなんだよね。
問題が無いと考えるのならばそう説明してみればよい、問題があったのであればそれに対して改善を図る姿勢を見せればよい、グレーであればそう考えるところを示せばよい。 僅かでもこの様な姿勢の一端を見せていれば、今世間に渦巻く様な疑念はもう少し和らいだと思うんだよな。 もちろん、日テレも大企業。 様々なステークホルダーがいて、それぞれの立場を慮らなければならないこともあって、完璧にこの件に説明することは難しいと思うけど、少しは再発防止への取り組むような姿勢を見せないと。
小学館と同じく、ダンマリは悪手だよ。
・原作未完の作品を映像化することに無理があるのではないでしょうか。 仮に例えどんなに原作をリスペクトとしていても、アニメやドラマにするにあたりワンクール内で綺麗に完結しなければならないとあれば、どうしても原作改変は生じます。 あとテレビは分かりやすさに舵を切り過ぎていて、キャラが単純で深みのない、言い換えれば人間味のないキャラになりがちだと感じます。
・原作を改変しようが、未完で映像化しようが、 喜んでくれる原作者もいるし、そこを含めて、 しっかり話し合って映像化するのか、しないのか 決めて欲しい。
映像化できないなら、できないで、あきらめるって 意識を持ってほしい。
・漫画家は原作に沿うを条件にしていた。 でも、蓋を開けてみると改変だらけ。 だから耐えられず最後の2話は漫画家自らが脚本を担当する事になった。
テレビは約束を大切なものと考えていない。 ロケも平気で当日に中止ってやる。 取材をしてもやっぱり尺の問題で放送無くなりましたとかもある。
ドラマもそうなのだろう。プロデューサーは原作者には原作を尊重しますと伝え、許可を取ってしまえば、後で好きなように改変出来ると思っていたはず。 ドラマ効果で漫画が売れたら文句はないでしょうだったのでは?
脚本家も酷い。 最後の2話がつまらないのは私のせいじゃない。 原作者がわがまま言って勝手にやったからだと発信している。 ゼロから作品を産みだした原作者を下に見ている。 テレビ脚本家はそんなに優秀で偉いの?
なぜ改変したのかプロセスを説明すべきだと思う。
・ドラマ面白かったので 原作と同じように その裏で上がってくるものが違ったり原作者さんは大変だったのだろう その間を取り持つ方も大変だったかもしれない 脚本家さんも自分なりにドラマにするならと頭に描いていたものがあったかもしれない 原作者さん通りに変更するのは慣れているとは思う 俳優さん、スタッフさんも頑張って出来た作品にかわりはない 急な変更もあったかもしれない 地上波ドラマでハマるものがなくなった昨今、素敵なドラマを見られて感謝してはいるけれど、こんなにも悲しいことが起きるのならば、 ドラマ化する前に何かしら気付ければよかった
・色々権利関係の意識も10年くらいで様変わりしてるんよね。2013年にテルマエで山崎さんが作者の権利について言ったときは結構原作者は漫画(小説)宣伝になって売れるんだから我慢しろって意見が多かった。多分、今なら漫画は漫画、映画(もしくはドラマ)は映画という意見か多いと思う。出版社が代理人を務めるのは結構便利なのだけど、原作者と出版社の利益は相反するので(原作者には雀の涙の金をやって出版社は制作委員会に入って儲ける形だと原作者に権利やらないほうが制作委員会の儲けが増える)代理人は別に立てたほうが良いと思う。もめたり、不本意でも代理人いれば矢面に立たされづらいし
・結論としてテレビドラマはテレビ局内で作家がシナリオをつくり脚本家が脚色してオリジナルでやればいいだけ。よそ様の作品を使ってドラマ、映画化しようとしなければこういった事も起きない。安易に漫画とかで人気があるものを使ってドラマ化して視聴率をとろうって仕組みを無くせばいい。結果として一人の尊い命が無くなってしまって、その原因がテレビ局にも脚本家にもないかの様な対応、表現されるのであれば今度作者も出版社も全て拒否して命(人も作品も含む)を守るのを最優先してほしい。再発防止なんも無いし、過ちも認めない現状が変わる為にはまずは認め謝罪し、次のステップに進むことだと自分は思います。
・> 危機管理の点では100点満点 ちょっと、意味が分からない。小学館や日テレの問題は、直接的には作者の死ではなく、業務プロセスや契約履行のプロセスなどで仕事をしている人を守る事の一方、それらのプロセスが正しく運用されていたのかを管理する事である。 このような問題がおきたときに、すべて末端の見える言動だけに問題や責任が集中するようにすり替えているように見えるような行動は、100点と言うより、点数を評価する以前の問題である。 企業は社会貢献とその対価(利益)を得ることが目的であり、今回の対応は、その社会貢献も対価も得ない前提の対応として抜けがないのだろうが、目的を最初から棄てている。 本当にこれを100点と思っているなら、この大学は学生に出来るだけ企業に属さず、個人事業主になって直接契約社会にした方がいいというべきである。
・そもそも制作側の対応がおかしいから原作側も納得できる出来では無かった筈だし、脚本側も一方的に原作者を責めることはなかった筈である。一体何を持って許諾したと言っているのか、それを脚本家側に説明したのか。そこのところの真相がスポッと抜けたままで隠し続けている。 各陣の怒りの矛先は互いの対立へと変わり、原作者と出版社とのビジネスモデルにも飛び火した。
・>日テレがドラマに対して愛情があるならば、いや、愛情がなければテレビドラマは作れないのだから、少しでも血の通った対応をしてほしい。
確かに愛する人が喜ぶことをすることが仕事をする理由の一つです。しかし、基幹テレビ局はそのような感情ベースで放映するものを作る要素はもうほとんどないと思います。経済が衰退している日本。制作予算はどんどん削られ、新しいメディアが急速に成長し、オールドメディアはどうやって対応すればいいのか妙策はまだ見つけられず、感情的な表現をすれば悶々としている。そういう背景を考慮すれば、今回のような今までも発生していたが力業で潰してきた案件を、今は軽々には扱えなくなった。そんなかっての花形産業の黄昏時がいまなのだと思います。
・日本テレビが責任を持ってドラマを制作・放送したと言ってるのだから、日テレ自らに説明責任が有ると思います。 そもそものこの事件の発端も、ドラマ脚本家のインスタグラムへの投稿だし。 経緯を説明したところで世間が納得するかは別の話ですが、まずは一体何が有ったのかをきちんと説明してもらいたいです。
・原作者が亡くなってしまったことにより、どこか、生徒の自殺とイジメの有無、教師や学校の責任はどうなのか、という問題に似てきた。何らかの責任を認めてしまうと、個人がバッシングを受けたり、今後のドラマ制作に大きな影響が出て、ヘタをすると漫画や小説ら原作もののドラマ化が困難になるなどを危惧しているのだろう
・記事の主旨には賛成だが「危機管理としては完璧だったが、感情的に冷たすぎて受け入れられない」という言い方は日テレの問題点を矮小化している気がする。
「危機管理」は別に突っ込まれることへの防禦を意味する訳ではなく、緊急事態に適切に対処することである。追悼コメントが冷たすぎるという印象を広く与えるならそれはそれで危機管理として不十分だと思う。 また、問題は感情的なものだけではない。芦原さんが映像化の経緯について詳しく説明し、さらに最終2話の脚本を自ら書かざるを得なくなった背景を説明した。それは原作者と制作側の齟齬を窺わせるものである。しかしその後原作者は突如自死してしまった。映像化にまつわる発信が原因である可能性が極めて高い。 芦原さんの死に制作側が法的責任はないにせよ、道義的責任は問われて当然だし、法的にも制作時の了解への対応の問題があるかも知れない。日テレの沈黙は批判されて当然だ。
・小学館がビジネスとして、原作者の権利をどのように扱っていたが一番の問題。制作チームに原作への愛があろうがなかろうが小学館・出版社が原作者の意向を代弁できれば何も問題は起きない。 出版社が原作者を生贄にして、メディアミックスで利益を貪る姿、週刊ポストや女性セブンはどう報じるのか。果たして今の自民党や芸能人を叩くだけのポリシーを持ってるのか、しっかり見てみよう。
・脚本家が居丈高だったって指摘もあるけど、一番の問題はそういう風潮を作っていたテレビ局、日テレだと思う。要はいちマンガ家がテレビ局様のやることにケチをつけるなって態度が日テレ全体にあったんじゃないの。 宝塚で亡くなられた方が出た時、ミヤネ屋なんかは組織の問題点、運営サイドの傲慢な対応などを徹底して糾弾してたよね。人の命が失われたことの重みと向き合って下さいと。同じ言葉を日テレは自分自身に向けてほしい。組織として検証するべきだよ。ジャニーズや宝塚、松本人志のことは追及出来ても、自分の問題だけは自己検証しないというのは最悪だよ。権力と戦うって言いながら、テレビ局が一番の権力者になってるんだから。
・「原作代理人である小学館を通じて原作者である芦原さんのご意見をいただきながら」という点がポイントのように思われます。 つまり、代理人である小学館を引き込んでしまえば、実際には原作者がどれだけ苦しんでいようとも表向きは原作者が許可した形にできてしまうのです。 小学館の倫理観については、「しろくまカフェ」の案件やガッシュ作者との案件を鑑みてもろくなものではないと推察できます。
・未完結のマンガ作品なら、ドラマ化が困難であるという判断も下せた可能性があります。 しかし、日テレは何らかの理由でドラマ化させてしまい、原作者からの契約である「履行義務違反」行為をしてしまったら、責任を取らざるを得ません。 それなら、「セクシー田中さん」の配信を止めたり、4月から無期限の日曜ドラマ休止にして、問題点を利害関係とは無縁の関係者で調査する必要があります。 しかし、今回の影響で日テレ制作ドラマは、視聴率爆死・動画配信の不振を自社で招きさせてしまいました。
・最後のところは理解出来ないな。 天候が理由で交通機関が乱れるのは、交通機関側に一切非はない。交通機関側が感情のない謝罪をしても問題ないんだよ。天候は人の意思で操れるものではないから。 今回は少なくとも日テレは制作に関与している。 原作者の本意でない脚本を納得してもらったのか、納得させたのかでは話しが変わってくる。 関与している以上、交通機関側程度のお気持ち表明だけじゃ足りない。
・原作の改変について問題提起され、日本テレビが悪いだとか小学館が悪いとか言われているけれど、事の発端は脚本家による原作者批判だからね。 いつのまにか今回の対応についての批判になってしまっているけれど、先ずは脚本家のあの発言だろ? あの発言をした脚本家が、いまだ一言も今回の件について発言していないことが問題なんだよ。
・人一人亡くなった大問題にも関わらず、有耶無耶にして逃げ切ろうとしているかに見えてしまう。自局内を当事者らが出入りし、記者やアナウンサーやら報道部門やら抱えながら、会見もせず詳細を明らかにしないとは、この問題に関して全くやる気無しと感じる方が自然な見方だろう。
・この記事で書かれていることは、現実的によくよく考えるとそうなんですよね。
芦原さんが亡くなられた理由は、もちろん推測はできるけれど、現時点ではまだ確定はしていません。実はドラマとは無関係な理由だったということも、全くあり得ないわけではありません。 遺書などでドラマ制作の影響が明確になれば対応は変わるはずですが、そうではない段階で、芦原さんが亡くなられたことに日テレとして責任があるという前提で対応することはできないでしょう。
また、芦原さんが書かれた制作に関する経緯も、もちろん様々な形で残ってはいるものの、本人が削除された以上、現時点では「存在していない」という扱いにせざるを得ない。
ただ、それではあまりにも釈然としないのは確かで、そうした思いが記事の最後の方には書かれているのだと思います。
なので、芦原さんが書かれた制作の経緯は、小学館として改めて公開すべきではないかと思います。
・原作者と小学館と日テレとその委託を受けた制作会社などの現場スタッフ。 利害関係者が多数いる中でそれぞれの言い分を全部聞いてたらキリがないってのは分かるんだけどね。今回の場合原作使用許諾を得る段階での契約内容について、果たして日テレ側のやり方が適法かどうかが問われてる。恐らく今はそこら辺を日テレの法務や弁護士などが精査中なのではないかと。なので迂闊にコメントできないのだろうなと思われる。
・自死する者が絶えない。なぜなんだろうか、人には寿命があって必ず死はやってくると言うのに。逃れることができないだけでなく、いつ死ぬのか、なんで死ぬのかも全く分からないのにね。だから自分は、出来る限り生きていこうと思っている。どんなことがあっても生き抜く。最低限の目標は、子としての務めを果たす事で両親をあの世に送り出す事だ。親から生まれて親に葬ってもらうなど、これ以上がない親不孝だ。なんとしても親を送り出し、弔いを十分にして仏の国に旅立たせる事が出来たら、次は親の年齢まで生きる事。親に負けるわけにはいかない。くそじじーと言われようと因業じじーと言われようと親を超えないとあの世で親に「早かったな」なんて絶対に言わせない事。皆さんも嫌われるくらい長生きしよう。生きてさえいれば、良いこともあるから。
・いや、誰かのせいにしたいわけじゃない。
国民の公共の財産たる電波の利用許可を受けて、公平公正な情報発信の義務を持つ放送局の番組制作の結果、自死者を出すことになった、
その経緯と原因、再発防止策を、公共の電波利用者の義務として発表してほしいのよ。
・原作者さんがあまりに可哀想… 色んな取り決めを守らず脚本家がSNSです呟いて、現場責任者・テレビ局 テレビがそれほど上なのか?小学館もなぜ原作者を守らず、有耶無耶で終わらせる。今は地上波だけでなく色んなツールがあるのだから… 脚本家が自分で良いものを生み出せず漫画と言う良い素材を使ってアレンジして出しても、作り出した人の了解をキチンと 受けて作るのが当たり前、それが出来ないのなら自分達のオリジナルを作れば良い。 原作者・読者を軽んじるな。
・日本テレビは、ドラマ制作の責任者です。 しかし、日本テレビのコメントは、責任者としてのコメントではありません。 冷たいとかではなく、責任の無い立場からのコメントです。 ネット等の投降者の要望は、責任者としての責任を果たせということに尽きると思います。 本当にプロヂューサー、脚本家への非難中傷を止めたいのであれば、事実を公表することです。公表して問題がある内容であれば、謝罪をすべきです。 このまま時が過ぎれば、などと考えているとすれば、更に最悪の結果を招くと思います。
・この記事の最後「愛情がなければ、テレビドラマは作れない」は大間違いだな。 すでに、いろいろな関係者が口を開いてTVドラマの参上は顕になっている。
そもそも有能なクリエイターは独立して作家をやるので、TV局や出版社にいるのは有能ではないクリエイター。 なので、出世争いとマウンティングだけの人生になる。それは、TV局社員が出身大学の名前を後生大事にしなくてはいけないほどに痛々しい人生。
幾人かの口から出てきたTVドラマとは、TV局社員のマウンティングツール。 お金のためですら無い、斜陽産業の痛々しい末期症状。
・日テレの内部からは何も出せないだろう。みなサラリーマンだから。 だから「テラスハウス」のようにBPOの審議申し立てで何があったのか外から解明される必要がある。
原作者を死に追い込んだのだから、パワハラ認定レベルの圧力などがあったのではないか。例えば日テレが小学館に原作者の脚本手直しやSNS発信を抗議して、小学館が連載打ち切りも含めた威圧をかけたとかあるかもよ。
・日テレが我が身を守るために完璧な?コメントを出したことはわかりましたが、それで全ての説明責任を果たしたとは到底思えない。 小学館とのせめぎ合いがあるなら、2社並んででも経緯を説明してほしいと思います。 事実を説明してくれれば、憶測や要らぬ非難も止むと思うのですが。 ダンマリなら今以上に非難を受けるようなことしかしてなかったんだなと想像します。 今後はドラマ化する漫画や小説を見るたびに、原作者たちは本当に納得しているのか、苦しんでいないか気になってしまうなと思います。
・もっとシンプル。当事者双方が断片的に経緯を明かし、それが事実なら制作体制に相当の問題・原因があったと容易に想像できる状況にも関わらず、一切対応どころか調査すら素振りを見せないからでしょ。「早急に事実関係、経緯を調査し」くらい言っとけば、ここまで叩かれることはなかった。
・”もし、ひとりひとりが自由にモノを言ったり、動いたりすれば、その時点で、組織は崩れてしまうからである。正確に言えば、崩れてしまうのではないかと、警戒しているからである。”
契約した脚本家がインスタで自由にモノを言った時点で組織防衛の前提が崩れたと見るべきでは。 トラブルを公に発信したのは番組スタッフであり、それを公に収拾するのは番組スタッフとその所属組織ですよね。
・なぜ「改変プロセスを説明しないのか」なんてタイトルを付けるのだろう。 きっとこの人も原作、ドラマどっちもみてないんだろうな。 たしかに制作過程で揉め事があったけど、原作者が骨を折ってくれたおかげで完成した作品は改変などほとんどなく、原作好きが観ても満足度の高い作品でした。面白かった。 批判するならするでせめて作品みてから批判しようよ。 多分、原作者がショックを受けるほど改変されたと思ってる人いるよね。
・結局、この問題は、原作家と出版社⁺放送局の力関係が源泉にあるのでしょう。翻案(映像化)にノーを突き付けられるほど発言力の強い作家なら出版社⁺放送局に自分の人格権を認めさせる事も出来るし単純に映像化にノーも言える。 しかしそうでない作家は、出版社⁺放送局が主導して映像化を始めてしまい、作家は追認のような立場に置かれてしまう。 それでも人格権を主張する事は可能だろうが、出版社が作家に寄り添わず放送局の味方をすると、作家は孤立無援になってしまう。 多分小学館は護らなかったのでしょう。 日本の場合、ドラマ化、映画化に支払われる原作料は数百万円~500万円程度だ。正直余りにも安い。単純に比較できないがハリウッド映画なら億単位の許諾料を払い、その代わり契約で人格権行使を放棄させている。 日本でも人格権を事実上放棄させるのであれば、少なくとも数千万円程度を支払わなければ割に合わないだろう。
・原作者が自死したという悲劇の幕開けはどう見ても脚本家が最初に投じたSNSにある。 日テレも被害者のひとりなのかな? あるいは日テレはお亡くなりになってしまった原作者より生きて知らん顔している脚本家との今後の付き合いが大切だと考えているのかな?
・日テレも小学館も初弾として「取り急ぎ事象を確認し、公表し、対応を説明するとともにトラブルの発生について謝罪する」、これについてはできていました。しかし、次弾として、「調査し、報告し、公表する。問題があれば解決策を出し、責任があれば謝罪する」という危機管理の手順が必要だと思いますが、これができていません。おそらく調査はやっているでしょうし、幹部陣に報告もされているのでしょうが、何らかの理由で、何かを隠蔽する必要があり、公表はできないのでしょう。 そのため、推測まじりの記事が山ほど出て、その推測記事に基づいて議論が勝手に進んでいるといった現状です。時間がすぎればすぎるほど沈静化はしていくので、それを狙っているのでしょう。ただ、同じような問題がおきれば再炎上するので、少なくとも内部では同じような問題がおきないよう対応するはずで、それにより原作者、作品の保護が少しでも前に進めばいいかなと思います。
・制作著作テレビ局の仕組みを続ける限り再発すると思う。営業と制作と放送の分業化を法律で義務付けるエージェント制が必要だと思う。例えばグループAはエージェント、報酬はざっくり5%。グループBは制作、原作者・脚本家・アニメーター・アニメ制作会社ら、報酬はAとCを控除した中から配分。グループCは出版社・放送局・映画館、報酬はざっくり50%。漫画家がCのコンテストに入選して連載決定したら漫画家はBと契約し、BとAが契約。Aがクライアントを探してAとCが契約。BとCが作品を作るにあたってBの不利益にならないよう、AはCと交渉する。
・これはビジネスではないのでしょうか? ビジネスなら契約をちゃんと交わす 契約書にきちんと書く そして、契約違反したらそれを基にと
まさか、今の時代に「口約束」?
もそそうなら、問題はその契約の在り方ではないのでしょうか? そういう分析の上にもうこの問題はステージを挙げたらどうでしょう? もう二度とこんなことがない様に それにはどうするのか? そこにステージをあげて考える
・原作は必要だが原作者は関係ないから という意識は、 どちらにも少なくともあったのでしょう。
なければ、 脚本家のSNSに対して、 小学館は苦情を言うべきだし、 日テレも下請け業者の管理責任から この時点で謝罪と投稿の削除をさせるべきだった。
この時点で、 両社ともまったく危機管理が出来ていないわけで、 危機管理が100点であることは有り得ない。
しかも、日テレは投稿にイイネをしており、 社として、投稿を認識していた 事実がある。
このコメントは組織を守るためではなくて 上層部の保身の為でしょう。 何もしなければ、 脚本家は名前が出るたびに批判と中傷が起こり スポンサーはつかず廃業の可能性もある。 漫画家も、 日テレのドラマ原作は断るだろうし、 小学館もこの会社には近づきたくないと思うかもしれない。 どうしても組織にそれなりの影響は 出ると思う。
・しかし!原作者の死の抗議にも関わらず 何事もなかったようにテレビ界は突き進む
げに恐ろしき体制だな!
創作物は原作者の物・・原作者が言わんとすることは、何人たりとも 変えることは許されない
其れが嫌なら・・テレビ界は常に新しいもので勝負したら良い
しかしこうも言える その版権を買った以上テレビ界は内容を変えることも出来る
変えたくない原作者は絶対に版権を売らないようにすることが 今の現状をを打破できるかも
其れか契約時に紙面で条件を付けることを必至とする
破った時点賠償金が生じる手立てをする
これを徹底すれば原作者の権利は守られるのでは!
・あのリリースを見る限り、原作者に納得してもらってました = 自分とこの脚本家には寝耳に水でドタキャンまがいの横槍にしか見えないことをしました、としか読めないんだよ。仮に原作者には筋通したってんなら、脚本家にはドえらい不義理をしてました、で脚本家が「そんなもん聞いてない!!」とつぶやいちゃった、そしたら原作者から経緯の説明があり、「そんなことになってるとは知らずにごめんなさい」的なことになり、結果こうなっちゃった・・・んじゃないかって気がする。 日テレも遅まきながら脚本家を守ってるといえばそうなんだが、結局は「ボク悪くないもーん」で済ませようとしてるようにしか見えないのが納得いかん。
・テレビというのは自分たちに不都合な問題が起きたら一度は取り上げて声明やら謝罪をしたら以後その問題には触れないで「時間がたてば忘れる作戦」を毎回とる。 すべてのテレビ局が利害一致しているから作戦に協力する テラスハウスの問題でも他局は深堀していないんだから、今回のセクシー田中さんの問題は他局は深堀しない
文春のような週刊誌のほうがまだ健全。松本問題で週刊女性は文春の公開したLINEの続きの「お礼のメッセージ」対抗するように記事にした。協力関係にないから対立する媒体がある。 ただ週刊誌は拡散力が弱いから、拡散力が最強のテレビがどの週刊誌の記事を広めるか選択できるので世論を決めることができる。
テレビは無敵。
・これは日テレが自分だけの主観で言いっぱなしにできることではない。外部なり第三者委員会なり会見で質問されるなりしないといけないことだ。脚本家への誹謗中傷に話をすり替えたり(仲を取り持つことをしなかった自分達の責任は棚上げする)、週刊誌の過度なやり口の話題が多くなっていることを利用して沈静化させようとしたりする傾向がSNS上で多い上に、読売日テレとの系列とはあまり知られていない報知やENCOUNTでその方に誘導もしている。
・今後、日テレをはじめ各テレビ局は漫画や小説が原作のドラマをどうやって作っていくのでしょうか。
今回の件で制作側に問題はないので、何も対応を変えず同様に作り、その作品を視聴者に観てもらえると考えているのでしょうか。
・責任を認める事と、事の経緯を説明することは同意ではない。 説明できないのなら、それはどこかに任務が遂行されていないのを認める事。 『原作者の意向を伝える事』 どこかでその責務が全うされなかったのなら、それを正さなければならない。 責任は責任として粛々と受け、誤解があれば解いていき最後は襟を正すこと。
そして責任逃れの言い訳てんこ盛りのコメントに、100点付けるセンスは疑問。
・これ原作のファンだった人は作者が亡くなったことで作品の完結が見れることがなくなり、かなりショックだろう。 制作陣のイジメで追い込まれて自殺したようなもんだし、内容が悪すぎる。 すいませんじゃ納得できないしどう落とし前をつけるつもりなのか。
・企業なら再発防止策を立案し、それを公表する義務がある。それが見えないから批判を受けているのだ。日テレ、小学館どちらも同じだろう。 脚本家は違う。日頃から原作者軽視が現れているし、引き金を引いている。SNSが悪いので脚本家との対立構造にしないでと、これまた可笑しな意見がある。SNSで批判をしたのは脚本家であろう。他のSNSの誹謗中傷と変わらないだろうが。
・想像主である原作者が脚本家の作品解釈に対して「これは違う」って指摘した部分は誰が何と言おうと違うのだろう。そういった状況になった時、脚本家が原作者の意見を差し置いて「私の設定の方が正しい!」とふんぞり返るような態度をとれることそのものが不条理。
・日テレと小学館は経緯をしっかりと調査して公表するべきです。説明責任があるはずです。 このままでは芦原先生が不憫です。ご遺族も読者も視聴者も誰も納得しないですよ。 原作者の方々が悲痛な声を上げています。あやふやにせずに記者会見をしてください。
・連載が終わっていない漫画を、この時点でどうしてもドラマ化しなければいけなかったのでしょうか? 本当に、TV界って、オリジナルを書ける脚本家がいないんですね。 結果として、原作者が亡くなる事になってるのだから、日テレ及びプロデューサーは猛省をしていただきたい。 皆を納得させる発表一つできないなんて、情けなさ過ぎます。
・どこが危機管理100点なの?? 問題点は冷たいかどうかでもないし。 冷たくてもいいよ、こっちは単純に取引に値しない企業だと思えば付き合わなければいいだけだし。日テレは見ない、スポンサー企業も支持しない。関連企業排除、社員に対する評価など小さい力だがやれることはたくさんある。 問題は原作者の要望と契約を完全に無視した形で制作を進行するその体質と姿勢でしょ。それに対しての危機管理は0点だろ。
・公共の電波を使う基軸の放送局でありながら営利企業でもあり 利益を出す事と公を両立するのは大変な事なのでしょう
という建前はありますが ドラマやアニメで当たりを出す美味しさに いつの間にか自己保身と欲が出て 社外の人間(この場合、作家や原作者)を 単なる下請けのように扱い 蔑ろにする事に何も感じなくなっているのかな と思いました
・何か釈然としない記事。 擁護する気は無いみたいに書いておいて、ビックリする程がっつり擁護している。 追悼文はよく見る関係無い時にも出す定型分の様な内容。とても考えられたとは思えない。 勝手な発言で組織が崩壊する。誰1人の謝罪さえ許さない組織なんか崩壊しても問題無いと感じます。 例えも悪い。駅構内の案内に感情が無いとは酷い。 大雪が降った事に謝罪する訳ない。大雪が降って対応出来ない事への謝罪だと思うんだけど。 ドラマ愛がある?事故だったらまだしも制作の条件トラブルで人が亡くなったりしない。愛を持って携わるスタッフさんがいるのは重々承知ですが、この件に関して言えば別だと思います。(特に制作責任者の方々) 果てはコメント書く人に、他の方の文言を引用して諭す様に書いてありますが『黙ってろ』と。 読んで率直に擁護と貶しでガッカリした感想です。
・大衆なんてものは熱し易く冷め易い。
日テレが冷たい声明を出そうが1年後にはこの騒動は表面的には忘れ去られてしまうだろう。
喉元過ぎれば〜と言うが結局はそういうものだから、後に響きそうな文言は出さない、という会社の姿勢は護るためには必然なんだよな。
それにしても原作者の嘆き苦しみを考えると、残念でならない。
・日テレと小学館はこの事件の調査し、詳細を発表すべし、同時に再発防止策も発しないといけない 中でも改変に至った原因と経緯の発表は必須だろう また、最初にSNSで自分の主張を発信した脚本家が事の発端である以上、脚本家は逃げずに発言するべき
・ここ最近、知る権利とやらが大きくなりすぎて、 独り歩きしている気がする。 個人の契約内容や事の経緯を片一方の都合だけで、 守秘義務を無視して一般に公開して良いはずがない。 遺族が公表に同意するとは到底思えない。
・>日テレの関係者の誰かが、実名にせよ匿名にせよ、あるいは、庇うにせよ非難するにせよ、その発言をした途端に、猛烈な誹謗中傷に晒されるだろう。実名はもちろんのこと、匿名であれば特定されるまで追いかけられるし、肩を持てば社畜呼ばわりされ、批判すれば無責任だと言われかねない。
イヤな世の中になりましたね。 「女子プロレスラー木村花さん」のように攻撃しまくられる人が出ることを考えると当事者であればあるほど竦んで発信をためらいますよね。 こうした状況になると、当事者は恐怖から何も発信できなくなりますし、当事者でない周囲(シナリオ協会とか)が炎上するという流れで、獲物を求めてオオカミの群れがいるような世の中ですね。 故人の「誰かを攻撃したかったわけじやない」という遺志を思うと空しくなりますね。
・根本的に、だったら実写化なんてやらなきゃいいだろ。に行き着くだけと思う。 無理ゲーに向かうところで、ちゃんとしました、しっかりしました、では成らない。 それは、学校でのいじめ問題と同じ。学校側は懸命に取り組みました、ケアをしました と説明しても、親は「だったら子供がジサツしたのは仕方ないって言うんですか!」と怒るだけ。 この世界に、どっぷりと漂う弱い人たちを追い込むシステムに何もしない雰囲気のまま。 だったらもう、日テレ、出版社以外の第三組織に法務とカウンセリングを持たせる方が いいと思う。 原作者が不当な対応としたら、第三組織が、局と出版社を訴える事が出来るように。 オトナ的なことばっか押し付けるなら、漫画家もチカラを行使するしかないよね。
・>愛情がなければ、テレビドラマは作れない その通り。
かつてのような基幹テレビ局はそのような感情ベースで放映するものを作る要素はもうほとんどなく、制作予算はどんどん削られ、テレビドラマが昔よりも作れなくなる可能性は高い。
一方で新しいメディアが急速に成長するのは当然であり、経済の変化が凄い日本となった。
今後は日テレのドラマ枠を大幅に減らしてもおかしくない。
・長々書いてるけど、内容薄すぎ。 いつも政治家や問題を起こした組織等に上から目線で「説明責任を」と迫り、望む答えじゃない限りは「説明不足だ」と言い続けてる側が、己の問題になると無難な声明を出しただけでだんまりを続けてることが問題だと思うよ。
・事の経緯、内情を全て公開して批判されるより、隠蔽して批判されることを選んだということでしょうか。 まぁ、後ろめたいことが実際にある場合には、確かに究極の選択と言えますね
・放送から4カ月前に原作者の元に話が行くというプロセスが意味するのは テレビ局側の怠慢なのかそれとも出版社側の窓口機能の脆弱性なのか 制作プロセスはちゃんと明かすべきだと思う
・>少しでも血の通った対応をしてほしい。
仮にそのような対応が出来たとしても、「ネットの矢」ってのは、一種「正義の衣をまとった大衆の狂気」だし、鎮まるものではない。「血の通った対応」すらも集中攻撃するだろう。日テレの「冷たすぎるコメント」の本質は「ネットの矢」に向けての組織防衛だし、ダンマリは必然だ。これを動かすには、当事者による裁判沙汰しかないのではないか。遺族が経緯説明や賠償請求の裁判を起こし、なぜ「冷たいコメント」になったのか、その構造を被害者側から捉えていくしかないと思う。外部の正論は全くその通りであるが、私たちは被害者ではない。「血の通った対応」はもう遅いし、なによりも世間に向けてのものではなく、遺族に向けてなされるべきものだからだ。 、
・ドラマ制作の過程で、結果大切な命が奪われたと思っています。 芦原先生の作品はもう読めないんです‥ 冷たいだの感想で済まされるものではありません。日テレには経緯説明/説明責任を果たす気がないよう見えます。どうせ世間はそのうち忘れるとたかを括っているのかもしれませんが、人命を軽視している企業、個人的には日テレはもう視聴しません。
・〉改変プロセス
原作は「未完結」との事 ドラマ(やアニメ、映画)には放送回数、時間が決まっている。 連載漫画の様に人気が有れば、連載継続、人気が無くなれば打ち切りと言ういい加減な物とは違う。
決まった枠に収めるなら改変をするのは当然 そんな内部事情を説明する必要なんかないだろう
原作者も決められた時間・枠に収まる様にシーズン1は「ここまでに」と終わりを提示しなかったのか? 勝手に自死した様だがその理由も明らかになっていない(遺書で訴えればまた、話は変わっただろう)、単に精神病んでいただけでは?(別の理由とかで…今となっては真相は闇)
・企業、政治家には説明責任を押し付けるのに 自分を守るときは何の説明もないから理解は得られないよ 契約内容、脚本修正経緯を公開できないのはやましいところがあると思われてもしょうがない
・責任は一切無いと即公表したことがおかしい。 調査もせずに「イジメはなかった」と決めつけるどこかの教育委員会のようだ。 小学館(週刊ポスト、女性セブン等)もそうだが、他社が何かを起こしたら厳しく責任を追求するのに自分の事になると全く説明責任を果たさないことに呆れる。 崩れたクリスマスケーキを届けただけでも記者会見開く会社もあるというのに・・
・公平な第三者の立場で話をやたら強調してるけど、あからさまな日テレ擁護の記事だな。 記事では、神戸学院大学の鈴木洋仁准教授の言葉を引用して日テレの薄情なコメントを100点満点だ完璧だと褒めている。 あくまでも裁判で責任を戦う場でならの話であって、作者を自死にまで追いやった責任ある立場の言葉とは思えない。 言葉を切り取り引用された鈴木洋仁准教授もいい迷惑だろう。 日テレと小学館は、全てのやりとりを中継したのだから、原作者とのトラブルの経緯を明らかにする責任がある。明らかにしない場合、プロデューサーの三上絵里子と脚本家の相沢友子には、2度とマンガ原作のドラマの仕事はできないだろう。その覚悟があるならこのままでも沈黙を続けるてもいいだろう。
・>ひとたび責任を認めてしまえば、組織を維持できない。そんな恐怖心がフジテレビにも、今回の日テレにもあったのではないか。
そんな血も通わぬ組織なら「潰れてしまえ」と思う。
小学館しか、情報=内部の様子についてはニュースや漫画家さんのXで明らかになっているが、編集の人たちは今回の件に対する会社の対応については不安に持っているようだ。
おそらく日テレもそうではないか。 そんな社員がいるのなら、血の通った対応をしても組織は維持できるはず。 上層部は何を怖がっているのだろうか。
・日テレの対応は少なくとも0点とは言わないが落第点だ。
a.いかにSNSで攻撃されようが、無実なら反撃は可能。フェイク・言いがかりについては止めることも損害賠償を得ることも可能。飽和攻撃だから無理というのは言い訳にすぎない。特にひどい人間に対して行えば他は雲霧消散。
b.問題は日テレ・小学館と原作者との間に利益相反があったのではないかという疑いがあること。 これに対して、他の原作者たちが過去の自分たちの仕打ちに対して声を上げ始めているし、逆にテレビ側・出版社側は100点満点という名の全くのゼロ回答しか出していない。
c.そりゃ組織防衛するよな、ここを崩されれば出版社もテレビ局もお金を稼げずに潰れるしかなくなるから。
d.一言だけいうと「そこに愛があるのか?」「全く愛が見えないドラマばっかりなんですけど。愛なんかなくてもいいけど、少なくともちゃんと面白いドラマには仕上げてください」
・原作者にドラマ化の了承を得る前にプロジェクトが動き出していた。 原作者をないがしろにした証拠としてはそれだけで十分ですよ。権利をもつ原作者を置き去りにして小学館と日テレだけで好き勝手進めていたんですから
・このご時世がそうさせているのか、昔は(愛情のこもった)良いドラマが沢山あったような。 「俺たちの旅」なんかは今でも忘れられず、自分の人格形成のひとつにでもなっている気がしてなりません。
・去年、配送の高島屋のクリスマスケーキが崩れている出来事がありました。 そのときワイドショーは消費者、配送業者、生産者のところまで押しかけ これでもかと責任追及をしていましたね。 今回、ドラマ関係者の対応ミスで人命を失われた事件に関しては 追悼コメントのみでドラマ関係者のコメントは全くなし。 日テレも小学館も記者会見すら開かない有様。 日本で一番責任を取らない職種がマスコミです
・「冷たく見えるようなコメントの他には出せるものがない」ということは、それ以上のことをちょっとでも言えばつつかれるような「アラ」が沢山あって、それがなんなのかにも心当たりがある、という意味ではないのか。 それほど叩かれるようなことじゃないのに何を言おうと誹謗中傷しかされない、というのはネット上の嫌がらせでも起きる。 そういうテンションでこの件を叩いている人も少なくはないだろう。 けれど今回もフジテレビの木村花さんの件も、大した理由もないのに誹謗中傷されているのでは決してない。 そしてまた、なぜ「冷たく見えるようなコメントのみにとどまっているのか」の本当の理由は、内部の関係者でない限り分からない。 こうして当事者のだんまりに対して周囲の非難が強まる中、部外者が無責任に類推するものばかりが増えること自体が「風化」の始まりだと思う。 語られるべきことが語られてほしい。
・>社内で協議を重ねた跡が見えるし、弁護士をはじめとするリーガルチェックも受けたに違いない。 >追悼の言葉と、事実確認、最後には礼を尽くす。この流れは、まったくもって正しい。
一般人の感覚では全くそう思えないんが…??ダムへの投身自殺に感謝しますとかあり得ない。 むしろ法的専門家がチェックしたら最悪手の声明だと思う。
・ネットが存在しない、一方的な情報発信で何かやらかしても目立って批判されなかった時代だったら今回のテレビ局側の対応は通用したのかもしれないがな。
・この記事書いた准教授筆折れよと思う。 日テレ側が約束を守らず改変を進めようとしたことが発端。 それがなければ原作者が苦しむこともなかった。 相沢友子に攻撃されることもなかった。 そもそも危機管理の意識があったらこんなことにはなってない。
・日テレと言う巨大組織が言う許諾って、 一個人にとっては、強制になることがある、 と言うことがわかっていない。 放送中のドラマが途中で中止できるわけがない、 おそらく日テレ側はそれが当たり前と思っていたはず。 完全に制作側の勝手な理論だけどね。 それを楯にして許諾が強制された可能性は 十分にある。 揉めた時点で、日テレ、制作側は、 間違っていたんだよ。
・視聴者は事情がよくわからない。だから日本テレビは説明する責任があるのに、逃げている。日本テレビと小学館は、第三者委員会でも作って、検証し、説明しなければならない。そうでなければ再発防止も何も無いだろう。口先だけでごまかしたり、発言を封じるな。責任逃れ、論点ずらしはするな。ジャニーズ事務所、松本人志、そして「セクシー田中さん」改変、すべてテレビ局の問題なのに。
・かつてあれだけブイブイ言わせていたフジテレビが今の状況になるのに10年もかからなかった。日テレもこのまま対応を誤ると、同様の立場に落ちていくのもそんなに時間がかからない気がする。
・>ドラマに愛情が無ければ作られないのだから
これじゃないですかね、今のテレビ界の本質は。視聴率の稼げるものをつくる、金になる、ていうだけのために作られるもの、に成り下がっていて、愛情とか、好きだからこそ湧く創造性とか、ワクワク、などが制作側に少なくなっているのではないかと。なんていうか、今ほんと金が全て、金稼ぐこと=良いこと、社会人としての成功、人生の目的、になっていて、プラスそこに承認欲求という、見方によっては汚い欲望が乗っかり、もはや低俗な価値観が日本国民のベースになってしまっていると感じる。 つまり愛情がないのに作ってるからこういうことになるし、つまらない、演技も下手くそで見ていられないドラマが多いのではと思うわけで。愛情あったって必ずしもヒットするわけでは無いわけで、まあネトフリとか見てると日本のドラマは学芸会レベルなものが多いですしね。
・直接脚本を書いたことでどれくらい漫画の世界観が守れたかはわからないが、せっかく8話まで手直しして映像化した世界観は要領を得ないまま終わったことで壊れた。
原作者は原作者の立場があるが、視聴者の立場からすれば「急ごしらえで出来ると考えてるほど脚本を舐めすぎじゃね?」と思った。
・>危機管理の点では100点満点
そうですか? 自社の不祥事を報道しないことで、報道機関としての信頼を失ったと思いますが。 今後放映される実写ドラマも視聴者は厳しい目で見るでしょうし、日テレでのドラマ化を拒否する作家も出てくるでしょう。 「日テレのしている事業は信用できない」という印象を与える対応で、とても危機管理できているとは思えません。
・人一人亡くなった責任なんて しっかり償おうものなら億単位のカネが出る。 日テレは全責任は日テレに~なんて言ってたけど、 このままだんまりで収束を狙っているんだろう。 実際調査したら、誰が関係していたのか当然わかるんだろうけど、 人を殺したなんて雰囲気になってしまうので、 特定、発表はしたくないんだろうね。
・「誰の責任でもない」という便利な言葉。 責任はあるだろ?責任を取るべき組織が逃げ回って闇に葬ろうとしてるだけだでしょ。 数年後にまた同じ悲劇を繰り返す気か? この問題は絶対に風化させてはならないし、原作者は巨大な組織の犠牲になったようなもの。 徹底追求すべき!頼むぞネット民!
・改変前の脚本を世に出せばいいのでは? 制作側は原作者の意見を考慮して脚本にした自信があるはずなんだから どちらがどう解釈してたのかは読めばわかると思うけど まぁ、出せないでしょうね。
・どうも日テレと小学館がグルになって、原作者や脚本家双方に都合のいいことを言ってドラマを作っていたんじゃないかな?と思えてきた。
で、我慢の限界を超えた原作者がSNSで脚本家への不満をぶち上げたけど 実は中に入っていた小学館と日テレが元凶だったと知って謝罪の言葉とSNSを削除して自ら…
そんな展開なら出版業界にとってもテレビ業界にとっても最悪中の最悪。
だって、小学館も日テレも何も言わないから真相なんて何も分からないよ。
・>企業として欠点のないコメントを出し、情報の出所を絞り、内部を統制しながら、外に対応していく。その姿勢は、危機管理の点では100点満点と言えよう。
まあ皮肉だよね。逆に内部を統制できず、社内向け方針があっさり外に漏れてしまった小学館のほうが叩かれているのが今現在の状況なわけで。
・「冷たすぎる」など、感情の問題にするのは違う。 当初の約束を反故にして原作と違う脚本を上げてきた経緯を説明しなといけないでしょ。 日テレはこのままだと、平気で約束を反故にする視聴者の信用なんかどうでもいい説明したくない、というスタンスの企業だって事になるよ。
・これが危機管理上は100点というならば ・お悔やみテンプレの一文 ・事実を都合良く歪曲した簡素な説明 ・我々を攻撃するな あとは箝口令を敷いて全て隠蔽 一切の責任は取らない
これで危機管理は満点ってことになるけどそうか??
|
![]() |