( 137188 ) 2024/02/08 14:46:55 0 00 (写真:metamorworks /PIXTA)
日本企業に勤めていても、海外の顧客や取引先とやり取りすることは少なくない。だが、目的が同じだったとしても、異なる文化や背景を持つ人たちが集まった場合、双方が驚く事態に発展することも……。本稿では、ドイツやフランス企業などの日本法人で26年間働いた経験を持つ筆者が、日本人と外国人が会議や交渉を行う際の「すれ違い」を解説する。
【写真】日本の会社を怒らせたのは、タイヤ開発に関するフランス人エンジニアの提案だった
■「本音と建前」は難しい
外資系グローバル企業の日本法人で働く中で悩ましいことの1つは、日本の顧客とのビジネスを開拓しようとする外資系企業の日本法人は絶えず日本の顧客と海外本社の板挟みになることだ。文化や商慣習の違いによって双方とも相手の考えが理解できず、うまくコミュニケーションができないからだ。
最初に困るのは日本人の「本音と建前」である。
日本では、あまり付き合いのない相手との会話では「建前」を多用することが多い。これは相手に対する「敬意や思いやり」あるいは「おもてなし」の心が根本にあり、ある意味で日本人の大切な文化の1つだ。
だが、こうした慣習が文化の違う外国人とのビジネスでは障害になる。私が外資系企業に勤めていたときの実際の事例を紹介しよう。海外本社の役員が来日し、初めて日本の顧客に対して新製品のプレゼンを行った際の話だ。
予定していた1時間の会議が終わろうとしたとき、日本の顧客の責任者から「御社はグローバルな企業で技術力も高いと理解している。今日のプレゼンはよかった。来てくれてありがとう」と言われた。海外本社の役員は「いい会議ができた。新製品の売り込みはできそうだ」という手応えを感じて帰国する。
1週間後の日本法人の担当者から顧客をフォローした結果のメールで「顧客はあまり新製品に関心を持っていない。プレゼンの内容にも目新しい情報はなく興味は持てない」と告げられる。
こうした場合、海外本社の反応は大きく2つになる。
1つは「日本の顧客はうそつきだ、興味がないのならなぜ会議でそう言わなかったのか? 信用できない」というもので、もう1つは「日本法人の日本人は顧客の関係がマネジメントできていない。自分が直接やらないとビジネスはできない。日本法人のメンバーを一新しよう」というものだ。
■会議で日本人が「本音」を話せる工夫
これではビジネスの拡大はおろか、顧客とのきちんとしたミュニケーションすら成立しない。そこで、私は「日本人の本音と建前」について資料を作り、海外本社で経営幹部に説明した。日本を訪れる海外本社のメンバーにも来日のたびにこれを使って説明し、啓蒙活動を続けた。
一方、日本の顧客に対しても外国人との会議では「本音」を話してもらうように根回しした。とはいえなかなか会議の場にふだん付き合いのない外国人がいると本音で話しにくい。
そこでそうした会議の場では事前にヒアリングしていた顧客の本音を誘導尋問の形で会議の場で発言を促していた。その会議の結論をその場でホワイトボードに書き出し、海外本社のメンバーと顧客とでズレないように確認した。
さらに海外本社のメンバーと顧客とで会食をして、時にはカラオケに行ったりするなど、お互いの距離感を縮める場を設けた。時間と手間はかかるがこうした手順を繰り返すことで外国人と日本の顧客との関係が深まっていった。ビジネスの話をする前にこうした相互理解の関係を作ることは重要だ。
日本人の「建前」で外国人が困惑することを紹介した。次に外国人の「本音」で日本人が困惑する事例を紹介したい。
1994年から12年間、勤めたフランスのタイヤメーカーの日本法人での出来事だ。日本の自動車メーカーの設計エンジニアから、「自社の車をフォルクスワーゲンのような車にしたいのでゴルフに採用されている御社のタイヤを使いたい」という話が舞い込み、ビジネスチャンスだと日本法人のメンバーは大いに沸いた。
ところが、海外本社から来たフランス人のタイヤ設計責任者は、その顧客に「タイヤだけ変えてもダメですよ。タイヤと車体をつなぐ部分の設計を全部見直す必要がある。うちで設計までやりましょうか」と提案した。日本の顧客はこの言葉に激怒して、「出入り禁止」のような状況になってしまった。
フランス人エンジニアにすれば、そうした開発をする能力もあり、ヨーロッパの自動車メーカーとはそのような開発を共同でやっていることも多かったので、彼にとっては「普通の提案」だった。しかし、日本で部品メーカーがこのように直接会議の場で思ったことをそのまま発言することは当時なかったので、日本の顧客は困惑したのだ。
■欧米では自分の意見を述べることが「誠実な態度」
欧米では会議において自分の意見をきちんと述べないことは、その会議に対しても会議の参加者に対しても「不誠実だ」と考える。当然、TPOに応じた振る舞いは求められるが「場の空気を読んだり」、相手の気持ちを「忖度する」ことは念頭にない。自分の意見を述べることこそ誠実な態度だと考えている。
その後、日本の顧客との関係修復のためにそのエンジニアをヨーロッパ本社の開発センターに招待。世界中の路面が再現されているテストコースや、車両の開発評価ができる施設などを見てもらい、その機会にヨーロッパの道路を一緒に日本製の車とヨーロッパ製の車を乗り比べながら1週間ほど一緒に過ごす機会を設けた。
この間、昼間の活動だけでなく、夜は各地の料理や酒を楽しみながら人間関係を深めていった。これによってお互いに「本音」で話ができるようになり、わだかまりは解消できた。
外資系企業で仕事を始めた1980年代、異文化対応に悩んでいた頃、さまざまな本を読んだ。その中で最も印象に残った本が『ハーバード流交渉術』(フィッシャー&ユーリー著)だ。その本で紹介されていた逸話で重要な気づきを得た。それは次のような逸話である。
「2人のふたごの姉妹が1個のオレンジをめぐって喧嘩になった。そこに母親が来て喧嘩をやめさせ、そのオレンジを真っ二つにして2人に分け与えた。その半分のオレンジを姉は中身だけを食べて皮を捨てた。片や妹は皮をオレンジピールにしてチョコレートケーキ作りに使い、中身を捨てた」というものだ。
■自分と相手の常識ではない「第3の道」
その本を読んで以降、私の異文化対応における基本の戒めになっている。
文化や慣習の違う相手との関係構築には、相手の考えやその背景、裏側にある「ものの見方/考え方」を理解することから始める必要があるし、自分の考えを丁寧に相手が理解できるように組み立てて伝える努力が必要だ。
そうした努力によって相互理解が深まれば、それまで信じてきた自分の「常識」とも、また相手が信じている「常識」とも違う第3の道が見つかることも多い。それはまさに「多様性」があるからこそ生まれてくる新しいアイデアであり、それによって多くのイノベーションを生み出すことができる。
異文化という大袈裟な話でなくとも、日常生活において意見が違う人との付き合いは避けがちだ。面倒だし、エネルギーも必要だからだ。「本音」で話すことはどうしてもそうした軋轢を生むリスクがある。「和」を重んじる日本人には特に苦手なことだろう。
「建前」でやり過ごすことでそうした場面を避けることは、無用な摩擦をうまないためにも有効だとは思う。一方で、その場の雰囲気に合わせて、自分の意見を言わないことや、相手が本気で意思を表明しないことでせっかくの「新しい考え方」に出会う機会を失っているとも言える。
今は、多様性に対する意識も肯定的になってきている。「人と違う意見」を持つことは本来自然なことだ。国籍だけではなくジェンダーやジェネレーション、生活する地域の違い、趣味嗜好、思想信条など日本の中にも多くの多様性があることに目を向け、違う意見を寛容に受け入れると同時に自分の意見や想いを丁寧に伝えていく社会の雰囲気を作っていきたいものである。
四元 伸三 :きづきアーキテクト 匠/シニアカウンセラー
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