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生活に不安で「文学の研究を断念」揺れる院生の心 就職できるポストも少なく、道のりは険しい

東洋経済オンライン 2/9(金) 9:41 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/6133604f6038650db11655b4eb4988385156a719

 

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大学院に進学した山口さんは、大学院でしかできない研究や学びの意義を感じています。

彼女は国文学を研究しており、就職後に社会に出てみて、日本文学の古典を研究することの意義を改めて感じたと語っています。

また、大学院進学率が減少しつつある中で、山口さん自身も進路選択には経済的な事情や社会的な不安からの影響を受けたと述べています。

さらに、文学研究の将来に不安を感じつつも、彼女は大学院での研究を行っていて良かったと感じています。

(要約)

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大学を卒業後、一度就職してから、大学院に進んだ山口さん。大学院に進学して感じた学ぶ意義とは(※写真はイメージです)(写真:symmyy / PIXTA) 

 

日本の研究力向上のため、重要な担い手になる若手研究者を育てるのが大学院の博士課程だ。しかし、修士課程から博士課程への進学者は減少傾向にあり、最近は1割程度の進学率しかない。経済的な事情や卒業後の大学におけるポスト不足など、将来への不安から進学しない選択をしている院生が多いと考えられる。 

それでも、「博士課程で学ぶ意義は大きく、メリットもある」と現役の大学院生は語る。この連載では、人文系、社会科学系、理工系など、さまざまな分野の修士課程や博士課程で学ぶ大学院生に取材し、現状をひもといている。4回目は、博士前期課程で国文学について研究している大学院生に、学ぶ意義について聞いた。 

 

【グラフ】博士課程に進学する人は減少傾向 

 

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■大学院で国文学を専攻 

 

 「将来たくさんお金を稼げるようになりたいと考えている人にとっては、文系の大学院はあまり進学する意味がないのかもしれません。専門性を生かして就職することは難しいのが現状です。 

 

 けれども、大学院でしかできない研究はたくさんあります。研究を通して自分の考え方を確立するとともに、研究の成果を社会に生かしていくこともできます。文系大学院は、もっと社会に理解されてもいいのではないでしょうか」 

 

 「文系大学院で学ぶ意義を感じている」と話すのは、金城学院大学大学院博士前期課程2年生の山口朝香さん。文学研究科で国文学を専攻している。 

 

 金城学院大学文学部の日本語日本文化学科を卒業後、就職して1年間働いてから大学院に進学した。研究しているのは鎌倉時代に成立した歴史書の『吾妻鏡』だ。 

 

 「平安時代の軍記物の文学作品では、貴族たちが夢で神のお告げを受けたり、吉凶を占ったりするのに対して、武士たちは夢を信じない態度を取るとか、夢を信じるのは恥ずかしいと考える人たちとして描かれています。これが文学研究における平安時代の武士像です。 

 

 

 私は文学研究で言われてきたことから少し視点を変えて、歴史書の中では武士はどのように扱われていたのか、同じことが言えるのかというところに注目しています。実際は夢を信じないわけではなかった、と考えて研究を進めているところです」 

 

 山口さんは大学に入学した当初は『枕草子』に興味を持っていた。そこから、平安時代の文学に描かれている「夢」に興味を持つようになる。 

 

■社会に出たことで研究の意義を感じる 

 

 学部生の時は大学院への進学を考えていなかったが、いったん社会に出て働いてみたことで、日本文学の古典を研究することの意義を改めて感じた。 

 

 「社会に出てみると、いろいろな人たちが関わり合って成立していると感じます。一緒に関わっている人たちが、どのような気持ちで、どんな考えを持って日々生活しているのだろうと考えたときに、どのようなイメージを共有しているのかが気になるようになりました。 

 

 そのなかで、日本らしさとは何かについて興味をもちはじめました。日本らしさだと言われていることの中には、昔からそう思われていたのではなくて、昭和に入ってから文学研究者によって見いだされたものが少なくありません。 

 

 その一例が『言葉に魂が宿る』という考え方です。万葉集には数例しかなかった表現から、研究者が発見して、日本人らしさとして指摘しました。 

 

 また、四季も日本の気候の特徴と昔から捉えられていたわけではなく、日本の特徴を対外的に主張する際に和歌の文化の中で醸成された四季が強調されたとも言われており、現在でも季節のイメージには和歌で作られたものの影響が濃く残っていると考えられています。 

 

 文学を通して、日本を再解釈するのが研究の醍醐味です。その成果は、クールジャパンなどで日本の文化を海外に売り出す際にも、寄与できるのではないかと思っています」 

 

 文部科学省は2023年度の学校基本調査の確定値を、2023年12月20日に公表した。大学の学部卒業生の進路では、大学院などへの進学を選んだ人の割合は12.5%で、前年度よりも0.1ポイント上昇した。大学院研究科に進学した人数も前年度よりも989人増加し、6万5998人となった。 

 

 学科別に見ると、理学や工学、農業など、理系の学科はすべて進学者が前年度より増えている。工学系は393人増えて3万3792人。それに対して、減っていたのは11人の微減だった芸術系と、人文科学系だった。人文科学系は前年よりも118人少ない3442人で、人文科学系離れだけが目立った。 

 

 

 10年前の2013年度の調査結果と比べてみても、理系はすべて進学者が増えているのに対し、文系である人文科学系は566人減少している。長期的に見ても、人文科学系への進学者は減り続けているのだ。 

 

■大学院で国文学専攻の同級生はいない 

 

 山口さんによると、大学院で国文学専攻をしている同級生はいない。山口さんは高校時代にオープンキャンパスで講義を受講し、担当していた教授に学びたいと考えて進学した。ただ、後輩らと話す中で、みんな必ずしも学びたいことがあって入学したわけでもないと感じている。 

 

 「できるだけいい会社に就職したいから進学したと話す学生もいれば、違う大学に行きたかったけれども、合格しなかったのでこの大学に入ったという学生もいます。多くの人が就職先や大学名を考えて進学している感じですね。 

 

 就職先や大学名はもちろん大事だと思います。その一方で、私自身は大学で学びたいことを考えて、進学先を決めるのがいいのではないかなと思っています。大学での学びや、大学院での専門的な研究を通して、自分のアイデンティティや支えになるものを見つけることで、結果的に充実した時間を過ごすことができます」 

 

 山口さんは博士前期課程を卒業後、大学生協への就職が決まっている。学生や教授を支える仕事をしたいと思った理由から志望した。 

 

 一方で、博士後期課程への進学や、大学院での学びを直接的に生かせる仕事に進みたいという思いもあったが、「非常に険しい道」だと感じて断念していた。 

 

 「博士後期課程への進学に興味を持っていました。しかし、卒業後に教授を目指すといっても、研究者として就職できるポストも少なく、文学部自体も減ってきています。 

 

 教授自身も、今は博士号を取ったとしても、大学に就職できるまで何年かかるのかわからないと話していました。かなり険しい道で、興味があるくらいでは進めない道だと思い尻込みをしました。 

 

 また、博士前期課程を卒業した後の就職では、専門性を生かせる点で博物館の学芸員も選択肢として考えて、実際に資格も取得しました。けれども、採用がほとんどなく、あったとしても給与は家賃を払うとほとんど残らないような待遇でした。お金を稼ぎたいから働きたいというわけではないですが、専門性があっても生活できないような仕事しかないことに、高い壁を感じました」 

 

 

■学費の負担も進学を諦める要因に 

 

 もちろん、大学院で学ぶうえでは学費も必要になる。山口さんは実家から通っていて、給付型の奨学金を受給することで、学費の半分ほどを賄うことができた。そのうえで就職した1年間の貯金を切り崩している。しかし、それでも足りずにアルバイトもしてきた。学費をはじめとする負担も、博士後期課程への進学を諦めた要因の1つだった。 

 

 「やはり1年間の蓄えだけでは足りませんし、博士後期課程に進学するのは難しいです。アルバイトをしようと思っても、学会を控えた時期などは忙しくてできません。なかなか思うようにはいかないのが現実です」 

 

 前述の学校基本調査によると、2023年3月に博士前期課程を修了した7万4258人の進路状況は、就職した人が5万7483人。全体に占める割合は77.4%で、前年度よりも1.3ポイント上昇した。 

 

 一方で、博士後期課程に進学した人はわずか7504人で、10.1%にすぎない。これはすべての学科を合わせた数字なので、人文学系、さらには文学研究で進学したのはわずかな人数しかいないと推察される。文学研究の未来は、もはや危機的状況にあるのかもしれない。 

 

 大学院で文学を研究をするのは、就職やその先の進学を考えると確かに厳しい面がある。 

 

 それでも山口さんは「大学院で研究してよかった」と感じている。 

 

■文系・院・進学はやめたほうがいいのか?  

 

 「社会の中にはいろいろな人たちがいて、技術的に発展していくことで生活をよくしていこうと考える人は多いと思います。でも、それだけではなくて、自分の心の中をどうすればよくすることができるのか、どういう心持ちであればよい生活を送ることができるのか、といったことを考えることも大事です。 

 

 私自身は文学を研究し、教授や先輩、後輩とディスカッションする中で、自分の考え方が定まってきました。先日研究発表をした際にも苦戦はしましたけど、自分は大事な研究をしていると改めて感じました。人生は長いので、そういうことを考えたうえで社会に出られるのはよかったと思っています。 

 

 インターネットで『文系 院 進学』と検索すると、だいたい『やめたほうがいい』という言葉が出てきます。就職を考えれば厳しいのは事実なので、無責任なことは言えません。それでも、研究をしたいと思って、文系の大学院への進学を検討している人がいれば、私は『おいでよ』と言いたいですね」 

 

田中 圭太郎 :ジャーナリスト・ライター 

 

 

( 137497 )  2024/02/09 14:21:40  
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この文は、文系大学院進学や博士課程に関する様々な意見を示しています。

一部のコメントは文系の大学院進学や研究職の厳しさや価値に疑問を投げかけており、自己実現や趣味的なものとしての学びを重視する立場を示しています。

一方で、文学研究の重要性や社会的な役割について語る意見や、実学との対比において文系研究の位置づけについて議論するコメントもあります。

 

 

また、研究職への進路や実務での活躍の難しさ、学問の偏った価値観など、文系大学院進学のみならず、理系大学院や就職における課題や現実に関する意見も含まれています。

一部には、地方私大やFランク大学の立場や就職への影響に焦点を当てたコメントも見られます。

 

 

総じて、文系大学院進学や研究職に対する社会的な認知や価値、それに伴う進路選択の難しさについて、多角的な視点が示されています。

 

 

(まとめ)

( 137499 )  2024/02/09 14:21:40  
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・社会人として博士後期課程を修了し、博士(文学)を取得した者です。社会人なので、学費はそんなに気になりませんでした。3年間、仕事をしながら研究し、論文を執筆することにより、自分の仕事以外での幅広い調査能力、分析能力などが高められ、本来の仕事にも大いに役立ったと思っています。退職後も、学び続ける意欲と行動力が人生を豊かにしてくれています。 

 

 

・学問の探求と生活のジレンマは常についてまわる。これは芸術の分野も近いものがあるだろう。あるいは基礎科学の分野も近いものがある。直ちに経済に直結しないものを無駄と排除するのは簡単である。が、しかし、文化的、創造的であることも人類にとっては必要なことの一つともいえる。経済が冷え込むとなかなかそうした分野に金がまわらなくなるのだが、経済活動で利益をあげた企業が社会貢献として財団等を設立し、学術分野に一定の基金を提供することもまた企業価値ととらえられる時代になるとよいのだが。 

 

 

・人文学、文学の研究は大いに進めてほしいと思うのですが、問題は、この文学研究が他の分野に応用できることを、社会もこの学生さんも認識できていないことではないでしょうか。博士号を取った後にビジネスの世界に入っても能力的に活躍できますし、そういう仕組が整っていくべきだと思いますが、現状では企業も学生の側も、博士課程での研究が何に活かせるのか全く分かってないことに問題の根深さを感じます。統計的に諸外国に比べ勉強しない日本のビジネスパーソンよりも博士課程の学生はずっと勉強への適性がありますよ。 

 

 

・20代で大学院で修士号、40代で働きながら別の分野で2つ目の修士号を取得。今は学部レベルがだいぶ落ちているのを実感しました。大学院でようやく昔の学部3。4年生レベルでしょう。企業も大学院出身者をもっと活用してほしいし、学生の側も研究分野が変わっても活躍できることを知ってほしいです。 

 

 

・子どもが春から心理系大学院へ進学します。 

臨床心理士(公認心理師も取得したい)の資格取得のため院への進学は必ず必要なので進学しますが、学部から合わせて最低6年間勉強と実習を重ねても、その後の就職は殆どが非正規で低賃金、掛け持ちが当たり前だと聞きました。 

全てを理解の上それでも心理学を学びたいと言うので応援しますが、安定は望めそうにありません。 

 

 

・たしかに、文系・院への進学は誰しもがその専門性を生かせる仕事に就けるわけではないので、博士後期課程への進学は将来性においてはかなり厳しい道だと思います。でも、この記事の方のように生協に就職するように、別の仕事をしながら研究を続けるというスタンスもありですが、経済面や労力のバランスも必要で、大変なことに変わりはありません。 

理系は大半が修士課程に進学する事が多くなりましたが、理系の場合も、博士後期課程の後の就職先が限られてくるので、こちらも厳しいのでは。 

 

 

・フランス文学で修士号まで取りましたが博士課程には行ってません。 

フランス人の英知の積み重ねは、これからも読み継いでいく意義があります。書き残された膨大な記録を読み継ぐためには、それなりの人手が必要です。読み継ぎ手が居なくなったら、知識の宝庫である書物もただのゴミとして扱われます。 

国立大学でフランス文学専門の教員が減ってきてるようで、地方のとある国立大にはかつてフランス文学科があり七人の教員がいたところ、今は国際文化云々といった名称で文学も歴史も哲学もひとくくりにされ、フランス文学の教員が二人になってました。その大学図書館で除籍された本のバザーがありましたがフランス文学系の本が多く驚きました。ごっそり買って帰りましたけど。 

 

 

・実力が問われる領域では「学位」を取ったから成功できるという確証もないわけで、紫式部の「まひろ」もその知性が活かせる場に出会えなければ、そっと悶々とした生活をしたでしょう。小・中・高校の教員はかつては学問に触れていたい人にとって一つの選択で、中にはそこから大学で研究者の道に行く人もいないではなかった。今はきっと教員は忙しすぎる仕事でなかなか研究する時間も取れないのでしょう。研究は好奇心と切り離せないですから「研究を断念」といって断念できるものでもなく、してしまうものです。働きながら研究してもよし、YouTuberで国文学を語ってもよし。お金を誰から貰うか。大学や会社から貰うのであれば、くれる人の理屈がある。大学教員はクソ忙しいので自分の研究が出来ていない研究者は沢山います。私立大学は学生と授業コマ数が多すぎて研究できず。地方国公立は事務作業で研究できず。兎角世の中は上手くいかないのである。 

 

 

・世の中には大学に行きたくても経済的理由で行けない人が少なくない。 

ましてや大学院に行くとなると余計に学費がかかる。 

博士課程を出るまで最低5年間はほぼ無収入。 

給付奨学金もわずか。 

今の日本で、大学院博士課程に行ける人は恵まれているということ。 

博士号を取るのは個人の目標なら良いと思うが、 

それが即大学などの研究職につながると考えるのは浅はかだと思う。 

日本では博士課程をもっと社会人に開放して、年齢に関係なく行きたい人が行けるようにした方が良いと思う。 

 

 

・昔は中学や高校の先生にも研究者いたけどねえ。中学の社会科の先生のライフワークはため池史の研究だった。おじさんは平家物語の研究で大学院でて結局、高校の古典の先生しながら研究してた。学校の先生が研究者ってのは生徒にも受験勉強以外の意味に触れる機会になるのではと思うけど。ただ知人の現役高校の先生によれば、そういう人は昔はいたけど今は、教育熱心な先生はいるけど研究者の先生ってのはあまりいないそうですね。 

 

 

 

・>山口さんは博士前期課程を卒業後、大学生協への就職が決まっている。 

 

良かったですね。ただ、大学生協なら、大学卒で就職できたでしょう。 

 

>金城学院大学大学院博士前期課程2年生の山口朝香さん。文学研究科で国文学を専攻している 

 

ここが、文系大学院の厳しいところで、文学研究科で国文学を専攻なら、東大を筆頭に旧帝大に軒並み同様の院生がいて、地元の名古屋大学大学院にも教授の道を目指す方がいるでしょう。普通に考えれば、どちらに勝ち目があるかは明白です。 

 

学者の世界にかかわらず、文系は、単位取得退学した大学院より、卒業した大学が優劣を決めるのが日本の現実ですよね。 

 

 

・家の中に絵か文学に凝る人がいたらその家は潰れる、というのは明治の後半くらいから今日まで日本の常識。 

 一代や二代は遊んで暮らしても大丈夫、ガッハッハ、と言えるくらいの大金持ちではないのなら、中学か高校の国語の教員になって古典文学の研究は趣味として続ける、みたいな選択をするべきでしょう。 

 

 

・生活と文学研究は別物です。昔からそうですし、修士に進学する際も確認されます。あくまでも学問研究であり、就職がある(有利になる)とかではないことは念を押されます(良識のある大学であれば)。博士課程進学の際には、それこそ「仕事と学位は関係ない」ことを前提に話されると思います。昔から博士課程進学の際には常識でした。ある意味、自己責任でもあります。 

 

 

・金になることは放っておいても会社や企業がやる。大学の役割とは実社会でやらない人間文化についての研究を護ること。金銭に結び付きずらいからといって切り捨ててしまうことがないように保護するのが大学。大学のポストも限られているだろうから、進路の判断は慎重にやるしかない。 

 

 

・>専門性を生かして就職することは難しいのが現状です 

 

理系と違って、文系は利益を生み出す結果に繋がりにくいですからね。 

 

企業だって業績に直結しないスキルを持っている人なんか正直いらない。 

文系の大学院に行った職歴無しの24歳と、高卒だけど資格をたくさん持った職歴6年の24歳が来たら、高卒の方を採用するでしょう。 

業種にもよりますが即戦力ですから。 

 

哲学や文学を極めても、有名な哲学者になれるか・文学賞をとれるような文章をかけるようになるか…と言われれば疑問ですし。 

 

そもそも、普通の生活をしている中で、文系の専門が役に立っているという実感が何もない。 

理系だと、機械の高性能化などのように時代とともに生活が便利になっていくだという実感があるのですが。 

 

文系大学院は不必要…とまでは言えませんが、現実的な生活を考えると進学は難しいでしょうね。 

 

 

・大学行くような家庭環境だったから歴史科でいったけど、ゆるされるなら高卒で働きたかった。さすがに大学院はいやいや行って中退。 

辞めて働き出してスッキリした。 

勉強するより自分でお金を稼ぐ方がよっぽど面白かったし、振り返れば実学のほうがはるかに興味あった。数学が壊滅的にできなかったから理系大学があきらめたけど、行けるなら高校の時点で工業高校に行きたかった。 

この点本当に文系は学位取るのが目的の「学んでどうするの」っていう分野ではある。 

もうほぼ絶対給与に結び付く仕事はない。教員か塾講師ぐらい。 

心持を置き去りにしているから今の人って病みやすいのかもしれないが、置き去りにしても実学を優先しないと食っていけないほうが深刻だ。 

食う努力をしなければ社会保障にもありつけないのが現実だと思う。 

 

 

・大学側が大学院へと薦める時代。就職に有利は工学部なのでしようか。文系や哲学は就職先は難しい。研究をより深く続ける人ための大学院だったのに、就職難の駆け込み寺のような時代になっているような感じがしています。 

 

 

・研究職を目指すのなら、できるだけ早い段階で東大などの有名難関大、もしくはその分野で最先端の研究をしている大学へ移りましょう。たとえ文系であってもです。 

そういう大学のほうが設備や資料も揃っており、キャリアモデルも多く、外部資金獲得や研究成果発表のノウハウも豊富だからです。 

残念ながら、地方の小規模大学から研究職を目指すのはほぼ不可能です。 

 

 

・うちの証券会社にも京大の理系院卒の女の子がいるが、メーカーは年収低いからこちらに入社したと言う。非常にもったいない。早く人間が労働しなくていい(研究や文化活動に全振りできる)社会になって欲しい。 

 

 

・文系の大学院へ行ったら就職は非常に厳しくなり、一生稼げなくなる可能性が高まる。だから、親が資産家で、その遺産で一生稼げなくても生きていける人くらいしか、文系の大学院には行けないでしょうね。まあ、考えてみたら、文系の学問を極めても、ビジネスに繋がらないのだから仕方ないです。 

 

 

 

・文系理系問わず、目先の利益に無関係との理由で予算が削られる風潮は日本国の衰退につながる、ということを政府は理解していない。これは伝統産業にもあてはまる。職人、学問文化芸術をないがしろにしないでください。官僚の方々、勇気をもって奮起してください。 

 

 

・働くなんて、俺みたいなアホでもできる。お金を稼げばいいだけのこと。 

でも、研究は、能力と情熱と少しのお金がないとできない。研究には、社会を変えていく力と価値がある。 

能力と情熱を持った若者には、研究を続けてほしい。それをサポートする少しのお金を給付できる社会でありたい。 

 

 

・どこの国でも同じ 

文学研究で博士をとっても研究のポストはそうないよ 

東大京大の博士課程も同じ 

高校の教員になりましょう 

それが社会貢献だと思う 

 

 

・文系の研究は理系よりお金にならないし、軽んじられる。でも、自国の歴史、文化に関わる研究ができないような国は文化の豊かな国と言えるのでしょうか。優れた研究者の育成は個人だけの問題ではなく、国家としての問題です。 

 

 

・いわゆる文系の研究はどこまで言っても趣味の領域だしなぁ 

古文をいくら読み解こうが社会には何の影響も及ぼさないし 

知的好奇心を満たすためだけの研究は自分の金でやるべきですね 

 

 

・>将来たくさんお金を稼げるようになりたいと考えている人にとっては、文系の大学院はあまり進学する意味がないのかもしれません 

 

・・・うーん、MBAはもちろん法律家をめざす法科大学院、会計士をめざす会計大学院、上級公務員や国連をめざす公共政策大学院などは十分行く価値があると思うが・・・。 

 

わざとなのかどうかわからないが、「文学」と「文系」を同義にするのは、それこそ国語能力ゼロの記事だと思うが・・・。 

 

 

・工学研究科は工学の進歩に必要な人材を、医学研究科は医学の進歩に必要な人材を育てます。では文学研究科は文学の進歩に役立つ人材を育てているでしょうか。誰も読まない論文書くだけの評論家なんて需要があるわけありません。 

 

 

・大前提として、文学なんて大学院でやって、研究職の就職まで考えるなら、旧帝大や早慶の院に行かないと。 

 

地方私大の院じゃ、専門知識を生かすとしても高校の先生ぐらいでしょ。 

 

 

・Fランク大学は研究者雇用の受け皿でもあります。Fランを批判する人も多いですが、博士課程を出た人の就職先として維持する必要があります。 

 

 

・それなすぎる。某有名国立大学文学部を卒業しても、お金にならないからIT会社に勤めたりする。なんのために学んだのかさっぱりわからないし、文系を生かせる働き方口が少なすぎる。 

 

 

 

・出版社に就職できれば御の字。図書館司書とかは手取り14万ぐらいか。 

まあ確かに就職と連動性が希薄な事はその通りだと思う。 

 

 

・金城学院は名古屋のお嬢様学校。私立の女子大としては悪くないが、所詮小金持ちの家庭のお嫁さん育成くらいにしか思われてない。金城学院大学で研究してます!とか言われても。 

 

 

・明治以来、日本の人文科学系学問は、所詮「アクセサリー」です。文部科学省も遅まきながらそれに気づきました。ただし、自己の満足と救済の為の進学の意味しか持ちません。 

 

 

・状況に詳しい人に確認したら、大学院卒業後文系の人と理系の人が大分差があるらしい。それから、男女の差と。男性の理系が優先。 

 

 

・なんかいろいろ社会の役に立つみたいなこと言ってるけど、 

要は自分の趣味、興味を突き詰めたいってことだろ? 

 

別に良いんじゃない? 

自分の稼ぎで好きなだけ突き詰めておくんなさい。 

 

 

・スポーツでプロになっても殆どが喰えないのと一緒で 

一部の上澄み以外は食うために興味のない仕事に就くことになるよね 

 

 

・少なくなってきているけれど、後期課程満期修了退学だと学位は修士だったりする。 

差別化できる学歴的なメリットもない。 

 

 

・大学生協に就職が決まったって、 

単に大学から出たくなかった人なのかな。 

別に悪いことではないけれど 

 

 

・保険として、国語の教員免許取っておけばいいだけの話。終了。 

 

(ついでに言えば、学芸員資格は保険としての価値なし。以上。) 

 

 

・やはり趣味の世界に生きるのは簡単ではないですね 

 

 

 

・文系はね… 

教員になるか、研究者目指すか、コネで就職するかって言われてたな 

 

 

・でも、文系博士は、理系博士より、獲得は困難。 

 

 

・実家が太くないと厳しい 

 

 

・理系もだけどどうしても実学が優先されがちで、理論系や哲学・教養系の大学院はお金になりにくいので進みがストップしてしまう。 

ただ社会で働いていて、やはりそういった基礎学問や教養系の大切さを感じることはあるので、もっとそういった研究者たちに助成金とかを出してほしい。(あんなボケた爺さんどもの裏金になるくらいなら、古典文学や理論物理・数学にお金を回して研究者を育てた方がはるかに将来のためになると思う) 

 

 

・名古屋では、金城ではねー、といった思いの人が多いと思います。 

 

名古屋の女子大の地盤沈下は甚だしい。共学化した所が多い。 

 

 

・文系の大学院なんて無駄そのものやろ 

だって学部時代からダラダラ暇してて、その上さらに修士、博士課程って… 

どんだけ時間の無駄、効率悪い生き方なんだよ 

文系の教育内容なら4年で修士、博士課程くらい余裕やって 

そんなダラダラしてた奴を採用する企業、そりゃ無いのは必然だわ 

 

 

 

 
 

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