( 137540 )  2024/02/09 15:00:40  
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セクシー田中さん脚本家「初めて聞くこと」に古市憲寿「単行本読んでなかったのか」

まいどなニュース 2/9(金) 9:34 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/211d255690eea1c1c46446dc727567bf9315c9cd

 

( 137541 )  2024/02/09 15:00:40  
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古市憲寿氏は、ドラマ「セクシー田中さん」の脚本家に対し、原作を読んでいない可能性を指摘しました。

また、脚本家以外のスタッフが原作の尊重に関する芦原妃名子さんのメッセージを共有していなかったことに疑義を投げかけました。

一方、脚本家の相沢友子さんは後に脚本交代した経緯について言及し、「今後同じことが二度と繰り返されませんように」と述べました。

なお、相沢さんは過去の投稿を削除し、慎重さを反省するメッセージを残しました。

(要約)

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古市憲寿 

 

ドラマ「セクシー田中さん」の脚本家、相沢友子さんが2月8日に投稿した芦原妃名子さん死去のコメントに対して、社会学者の古市憲寿さんが「単行本も読んでなかったのかもと思うと、力が抜ける」と指摘した。 

 

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相沢友子さんは原作者、芦原妃名子さんが「必ず漫画に忠実に」「原則変更しないでいただきたい」と求めたドラマ化の経緯について「私にとっては初めて聞くことばかり」と芦原さんの意向を知らなかったと説明した。 

 

一方、ドラマの放送前に発売された「セクシー田中さん」第7巻冒頭に、芦原妃名子さんが「キャラやあらすじ等、原作から大きく逸れたと私が感じた箇所はしっかり修正させて頂いている」「物語終盤の原作にはまだないオリジナルの展開や、そこに向かう為の必要なアレンジについては、あらすじからセリフに至るまで全て私が書かせて頂いてます。恐らく8話以降に収録されるはず」などと2023年8月31日付でメッセージを残していた。 

 

古市さんは「疑問に思ったのは、2023年10月10日発売の最新刊を脚本家を含め、ドラマスタッフは読まなかったのかということ」「『初めて聞くことばかり』というのは、あんまりじゃないか」と疑問を投げかけた。 

 

「脚本家の方を責めたいわけじゃなくて(OA直前の忙しい時期でしょうから)ドラマスタッフの誰かが共有することもできなかったのか」と脚本家以外のドラマスタッフも含めて、原作尊重を求め続けた芦原妃名子さんのメッセージが共有されていなかったことに重ねて疑義を呈した。 

 

古市さんは続く投稿で「なんだかやるせないね。いかなるときも必ず原作通りに映像化すべきだとは言わないけれど(うまくいっている例はたくさんあるから)、単行本も読んでなかったのかもと思うと、力が抜ける」と書き込んだ。 

 

脚本家の相沢友子さんは2023年12月、9、10話で脚本交代した経緯について「最後は脚本も書きたいという原作者たっての要望があり、過去に経験したことのない事態で困惑しました」「今回の出来事はドラマ制作の在り方、脚本家の存在意義について深く考えさせられるものでした」とドラマ終盤の脚本を原作者の芦原さんが担ったことを「苦い経験」とつづり、「どうか、今後同じことが二度と繰り返されませんように」とつづっていた。 

 

相沢さんは2月8日更新のインスタグラムでは過去の投稿をすべて削除し、「SNSで発信してしまったことについては、もっと慎重になるべきだったと深く後悔、反省しています」「もし私が本当のことを知っていたら、という思いがずっと頭から離れません。あまりにも悲しいです」「事実が分からない中、今私が言えるのはこれだけですが、今後このようなことが繰り返されないよう、切に願います」などとメッセージを載せた。 

 

・よりそいホットライン 

0120(279)338(24時間対応) 

・いのちの電話 

0120(783)556(午後4時~午後9時) 

0570(783)556(午前10時~午後10時) 

 

まいどなニュース 

 

 

( 137542 )  2024/02/09 15:00:40  
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脚本家に関する意見や傾向としては、以下のポイントが挙げられます。

 

 

1. 原作者や原作へのリスペクトが欠如しているとの声が多数ある。

 

2. 脚本家のコメントに対し、他人事のような印象や謝罪の不足を指摘する意見が見られる。

 

3. 展開やセリフなどが原作と異なることに対して批判があり、原作リスペクトの欠如が指摘されている。

 

4. 原作への理解不足や異なる視点からの物語創造に対する反感も多く見られる。

 

5. 脚本家と原作者のコミュニケーションや意向確認についての指摘もある。

 

6. 漫画や小説を脚本にする際には、原作への理解や尊重が重要であるとの意見があった。

 

 

(まとめ)

( 137544 )  2024/02/09 15:00:40  
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・小学館は日テレに伝えるべきことは伝えていた。 

そして脚本家は初めて聞くことばかり、と日テレに責任を押し付けた形になっている。 

今日にも日テレは何らかのコメントを発表するのではないかと見ている。 

 

しかし、気になったのは脚本家のコメント。 

「今後このようなことが繰り返されないよう切に願います」と記している。 

なにか他人事のような印象を受けるが、自身の発言がそもそもの事件の発端になっていることを理解しているのだろうか。 

 

 

・人を感動させる役者さんは、原作者の意図するキャラクターを演じる為、 

原作は勿論、その作家の意図する意思を理解する為他の作品を読み、 

時代背景や世相すら研究すると言う話を聞いた事があります。 

 

原作が漫画であれ、作家は明確なテーマがあった筈です。 

原作も読まず脚本を書かれたのであれば、この事件は起こるべくして起こったとも言えるような気がします。 

 

原作者の持つ著作人格権なるものがあまりにも軽視され、原作者が深く傷つき疲弊した事を関係各所は深く心に刻み、良い作品を原作者と共に作って欲しいと思います。 

 

 

・脚本家が現場のドラマ制作者として仕事の自負があるのなら、その事はちゃんと発信したほうがいいと思う。実際漫画に引けを取らず納期に追われる仕事だから楽ではないだろう。 

今回の事件は、原作とドラマ撮影現場の間に立った日テレと小学館が作り手の人格や現場の事情を理解せずに話を進めた事が一番の原因じゃないか。 

こういうのって、漫画の映像化限らず色んな仕事で起こる事だとも思う。 

 

 

・せめて原作のマンガは読み込んでおこうよ…って思いますね。原作のマンガを読まずに脚本ってどうやって作るのかな?ざっくりのストーリーと登場人物で作ってくのかね? 

原作者の方は読者の事を考えて原作とあまりズレないようにと言われていたんだろうけどね。 

同じ実写化でも、銀魂やシティハンター(フランス版)は原作大好きな人が脚本書いてると思いますよ。作品見てるとものすごく伝わってくるから 

 

 

・脚本家がこのタイミングで投稿するのであれば、 

まずは自分がSNS投稿したことが今回の発端になったことについて、 

「不用意に投稿して原作者の尊厳を傷つけてしまった」点を 

深く反省して悔恨と痛切な謝罪が必要なはず。 

 

それなのにひたすら知らなかった、初めて聞いただけを 

連呼して内容に、ただただ呆れてしまった。 

原作へのリスペクトがないこと、原作への愛がないこと含め、 

原作のあるドラマ化に脚本家はどうあるべきか、真摯に取り組んでいくべき。 

 

 

・この脚本家さんにとって芦原先生の訃報は 

迷惑とかとんだ災難くらいなんだろうな。 

 

作品を読んだこともなければ 

制作にあたって会っているわけでもない 

自分の脚本に難癖つけ続ける素人 

何なら敵 

という立ち位置の人なんだろう。 

だからお悔やみの言葉も 

私は何も知らなかった 

お気の毒 

こういうことが繰り返されないよう気をつけてほしいですね 

といった感じの冷たいものになる。 

自分も先生を追い詰めたものの一人とは絶対に思っていない。 

先生が本当に可哀想。 

 

 

・ある脚本家は「脚本家が向き合うのは原作者じゃなくて作品」と言ったらしい。それはそれで、言いたいことはわかる。言葉が足りてないけれど、おそらく「原作者を伺いながら脚本を書くよりも、作品の世界観に没頭して書き上げたい」ということなんだろう。それでは作品をまともに読み込んでいない脚本家は何と向き合ってるんだろうか。 

脚本家としての矜持は高いひとが多いみたいだけれど。 

原作者が面倒くさい、などと思う人は「オリジナルでしか書かない」とキッパリ言えばよいと思う。 

 

 

・世間からのバッシングを考えれば、知った上で無視してたとは言えないだろうけど、本当に知らなかったとしたら、窓口になっていた小学館とプロデューサーどちらかがもみ消したって事になりますよね。 

小学館側が早々に「一連の経緯を外部発信する予定はない」と発表したところを見ると、小学館側がきちんと伝えていなかった可能性も大きいと考えます。 

 

 

・原作がある物を映像化しようとする時に、原作って読まないんですかね? 

 

普通は読みますよね…? 

脚本家なら尚更、どんな感じの物語なのか気になるだろうし、どうやったら面白くなるのか原作者さんと擦り合わせたりして探る意味でも。 

 

それすら無かったというのなら、普段から原作の名前だけ借りて別物を作ってきたという証明なのではないでしょうか? 

 

 

・OA前に発売された単行本に芦原先生の気持ちが書かれている以上、脚本家さんの知らなかった等の言い分は全く通らなくなったように思います。 

芦原先生の言葉を読んでいたならもちろんの事、読んでいなかったとしたらまさに今手がけている作品の原作に目を通すこともしなかったという事が明らかになる訳で……どちらにせよ原作を軽んじていたという事が露呈しました。脚本家としてあるまじき姿だと思います。 

 

 

 

・未完の作品だという事で最終話などどうすれば良いのか?と普通は原作者さんの意向を聞くのではないかと思うのだけれど(その後の原作の事を考えて) 

 

単行本読んでなかったかな?そこは読まなきゃ始まらない気はするけど。 

 

脚本家さんは原作者の意向をそもそも知る必要性を感じなかったのだろうと思った。配慮と気遣い、会って意見交換するだけで変わるはずなのにね。 

 

プロデューサーの方の意見も聞きたいですね。 

 

 

・私は小学館編集部のコメントで初めて知りましたが、 

脚本家は「著作者人格権」を知らない事ないよね? 

オリジナルだって書くのだろうし。 

 

経緯を知らなかったのは事実でも、原作ありきの作品を原作者の許可なく改変することは許されないと知っておくべき職業だと思うのですが。 

 

あたかも自分の書いたものを壊された被害者かのような最初の書き込みが発端であり、原因であるので、このような事が繰り返されないかどうかは脚本家たちの意識を変えていけるかにかかっていると思います。 

つまり他人事ではないということです。 

 

 

・海猿の原作者が書いた文章を読む限り、原作者と製作側を繋ぐはずのプロデューサーが文句言われたら面倒だからくらいの理由でざわと要望を伝えないこともあるみたいだね、 

脚本家が原作ありきの作品を実写化するにあたってそれを読み込んでないのは以ての外だけど、その脚本家に情報共有をする環境が出来上がってなかった可能性は高い。海猿の件を考えればむしろそれが普通というか、情報共有なんてしないほうがスムーズに仕事が進むくらいに思ってるんだろう。そういうクリエイターへのリスペクトを怠った文化が積み重なって最悪の事態になってしまったと思うとあまりにもやり切れない。 

 

 

・私が好きな漫画ベースの映画はエンディングが原作とは違います。ですが、監督が原作をお読みになり、幾度となく改稿を重ねたどり着いたエンディング。原作者もその姿勢を評価してSNSで感謝を述べていました。原作者が他にいる場合、その姿勢こそが大切だと改めて感じる。 

 

 

・原作読んでなかった、ってことで間違いなさそうですね。脚本家の方も、漫画家さん同様に、いろんなことを想像して仕事されるでしょうから、それぞれに意見はあっていいのだけど、やはり文字通り原作だから、そこはリスペクトして内容を押さえないと。マストでしょ。 

 

あと、「どうか、今後同じことが二度と繰り返されませんように」 

 

この他人事感には違和感あるね。 

古市さん同様、脱力した。 

 

 

・実写化だなんだで『本当に原作読んでるんか?』って思う時は多々ありますが、本当に読んでなかったって人が要ることに驚きました。 

 

別にそういった考え方や作品の作り方もあるんだろうな~、とは思いますが、流石にオリジナルを考えた人からしたら、自分が大切にしてきたモノをベースに大喜利やられているような感覚にすらなるんじゃないでしょうか。 

 

 

・少なくとも原作を読み込んでいたら作者の意図するところも理解できただろうと思うし、余計な改変が作品の質を低下させる事くらい分かっていたはず 

だが、この人は原作クラッシャーと呼ばれるくらいの人だから、たとえ原作者からの要望が届いていたとしても原作の設定を無視して好きなように改編したのではないかと思います 

原作は叩き台くらいにしか思っていないのでしょう 

事の経緯から察するにこの脚本家のコメントは本心とは言い難く、責任逃れの自己保身をしようとしたとしか思えません。 

 

 

・脚本家の森下佳子さんは、漫画家よしながふみさんの「大奥」の大ファンで、NHKより作品ドラマ化の脚本担当のオファーがあり、心から喜ばれたと語るインタビュー記事を以前に読んだことがある。森下氏によると、連載漫画のドラマ化で一番苦労するのは、長編作品をドラマの放映時間、いわゆる「尺」に収めることだそうで、彼女は原作を熟読しているが故に、心の中で作者と登場人物に手を合わせながら、泣く泣く台詞をカットしたこともあるそうだ。 

今回の出来事では、このような原作者と脚本家の良好な関係でなかったことが残念でならないし、ようやく出てきた脚本家のコメントがあれでは、原作者は浮かばれないなと感じた。 

 

 

・ひとは多くが他人から良く思われたい、悪く見られたくないと行動や言い訳や取り繕いをする。 

だからこの脚本家がこの言い訳て少しでも私は悪くないと言いたいのは本能なのでしょうが、これはひとが亡くなる様な重大な出来事、些細なミスの言い訳とは違います。こんな時こそ正直に本当の思いや謝罪をしないのならいつするのでしょうか。この方は再生の機会を失った。 

 

 

・私が子どもの頃は脚本家を「ライター」と言って軽んじている傾向が強かったから、今はいろいろ言える立場になってそれはそれで良かったとは思います。 

でも、イジメの構図と同じで誰かの立場が良くなったら今度は他の誰かが攻撃されるみたいに原作者が軽んじられてはいなかったでしょうか? 

いろいろな発言を聞くと脚本家がいい気になってたのは確かでしょうね。 

 

 

 

・本当に、そう。 

どこからかでも、芦原先生の言い分を知るチャンスはあったはずなんですよね。 

 

脚本家があんなに不満を持ったのなら、どうして?と思ったはずなのに……まず、知ろうとしたのか?と疑問に思いました。 

 

その上で、最後の 

「今後このようなことが繰り返されないよう、切に願います。」 

この言葉に目を疑いました。 

 

願いますって、自分に願ってる訳じゃないですよね? 

だから、ああ、この人はまた同じ事が起こっても、どこか他人事で、人のせいにするんだろうなと感じました。 

 

 

・要するに全部周りが悪かったんですね。強いて反省するとすれば、みんなに見える道具を使ったのがまずかったと。 

文面から判断するしかないが、この脚本家の頭の中と人柄がよく分かる文章でした。 

聲の形の川井さんに似てるってよく言われないかな。 

 

 

・時間と手間を優先で話し合い飛ばしたと思います。 

結局、原作者と脚本家の顔合わせ出会いもなく直接的なトラブルも抗論もなかったと思います。 

そもそも脚本家が初めて聞くこととか単行本読んだ形跡もなければ、原作者のベリーダンスに関する不満も納得だと思います。 

今、脚本家の批判より、原作者リスペクトもなく進行していたドラマ制作に問題があり、脚本家の発言だけでも原作者の条件を満たしておらず、脚本家が初めて聞くと言うなら日テレ側は話していなかったと思います。 

今の水掛け論では平行線の時間の無断であり、第三者委員会設置して調査するべきだと思います。 

既にファンだけの懸念ではなく、今後のドラマ制作やアニメ制作によって原作ファースト注目され、原作者の権利の保護と再発防止を世間は気にしていると思います。 

今必要なのは、詳しい調査が必要だと思います。 

 

 

・脚本家さんには脚本家さんのスキルがあって、それに伴ってプライドを持って仕事をしてるのはわかるんだけど、原作があるものに関しては「人のフンドシで相撲をとっている」と言うことを忘れてはならないと思います。原作を読んでいないというのは推測・憶測に過ぎないことですが、これまでの言動でそういった敬意がみられなかったことから言われてしまっているのだと思います。業界あげての意識改革を求めたいです。 

 

 

・少なくとも原作をしっかり読み込んでからだよね。どんな良いアイデアだろうと勝手に解釈を変えたらダメ。中には先々に影響する伏線だったり実は重要なポイントの可能性もある。だからこういう展開にしたいとか、ここのセリフこう変えてもいいでしょうか?と原作者とよくすり合わせする必要がある。 

姿勢やセンス、作品への愛を認めてもらえれば先生もお任せしますになるんじゃ無いだろうか。 

推しの子のエピソードを模範にしてほしい。 

 

 

・今まで、漫画がドラマ、映画になり漫画を読まない人にも作品が広まっていくのがとても嬉しく喜んでいました。 

原作が1番.これは当たり前のことだと思っています。なぜなら原作無くして、実写化は成り立たないから。原作とズレているものは見ません。面白くないから。 

読者にとって、お金になりそうだからと言う理由でドラマ化するのは悲しい現実です。単行本を熟読しその作品をリスペクトした人がドラマ化、脚本担当、そして配役、演者になるのが当たり前だと思います。 

今回は小学館、日テレ、脚本家皆さんが芦原先生を軽く扱ってしまったからこの様な事態が起きたのでは。 

今更言い訳して、各自責任逃れしたところで芦原先生の作品を2度と拝見することのできなくなった読者の怒りは収まりません。 

セクシー田中さん、最終話まで読みたかった。先生を軽んじた小学館、日テレの方には到底理解できないと思いますが、最終話まで読めない事が悲しいのか。 

 

 

・ドラマ化するにあたり必ず単行本は読むでしょう。 

読んでいないとなると、どう作られたのか? 

ある程度読んで、付け加えたのか、全く読んでないのか、それなら原作者をリスペクトも出来ないし作品も馬鹿にしている。 

傷ついて原作者の方は亡くなられてます。 

日テレと脚本家のやり取りこそ、そこきちんと原作者さんをおもきに会議されたのかな? 

私が脚本家なら原作者さんと色々コミュニケーションとりながら原作を忠実にしますがね。 

自分自身の作品じゃないのに、勝手にしたいならオリジナルを自分自身で作るべきです。 

原作者さんは蚊帳の外じゃないですか? 

人1人亡くなられた現実が今あります。 

他人事のように関係者はしない方が良い。 

 

 

・要は、ドラマ化の時に原作者とTV局(制作)側でどのような契約だったかで、その内容を脚本家に伝えていたか否かが問題ではなかろうか 

原作とドラマが違うなんて普通にある事だと思いますが・・ 

有名どころでは、サザエさんなんて、原作とTVでは別物で、フネさんのキャラ付けもかなり違うと思いますけどね。こちらは、長谷川町子さんとフジテレビの話し合いの上でそうなったそうですけど。まぁ、そのおかげて現在も新作が書けるみたいですが・・ 

逆に、ある学園の荒廃に闘いを挑んだ熱血教師たちの記録。高校ラグビー界において全く無名の弱体チームが、荒廃の中から健全な精神を培い、わずか数年で全国優勝を成し遂げた奇跡を通じて、その原動力となった信頼と愛を、余す所なくドラマ化した物は、原作者の意に反して全く別の話になったため、原作者は2度と映像化させないと心に誓ったらしいですが。 

 

 

・自分で生み出した漫画、ストーリーもキャラクターも相当の苦労があって生み出せたものなはずなのに、本意ではないテレビドラマ化と、勝手に改変する脚本家。それを指摘したら邪魔者扱いされて、死を選ばなければならないほど追い詰められた芦原先生が不憫過ぎる。自分で考えた物語りなのに。 テレビ局、小学館、脚本家は、人ひとりを追い詰めて死なせた事実をきちんと償わなければならないと思う。 

 

 

・原作者に会わなくても、ちゃんと原作読み込んでいれば、よほど読解力ない限り、原作者をここまで落胆させる脚本にはならないのでは。 

例えば、動物のお医者さんという漫画がドラマ化したとき、北海道の話が東京近郊っぽい話になっていて、まともに作ったらお金掛かりすぎるシーンはカットされてましたが、登場人物の性格や関係性はそのままだったので、違和感なく観れましたし、きのう何食べた?は、原作リスペクトが溢れているのに感動しましたから。 

原作者に会わなくて良い、原作に向き合う、と言ってるのなら、原作とすら向き合ってなければそりゃあり得ないです。 

 

 

 

・これまでの過去作品と脚本スタイル見れば、この脚本家の原作軽視は言い逃れできない。 

 

知らなかったというより、これまでもセクシー田中さんにしても、原作をそもそも読み込んで作ってないでしょってドラマばっかり。 

あの問題のSNSの書き込みに全てが表れている。 

 

原作者の意向を知っていようともいなくとも、この脚本家のドラマづくりにおいては原作設定変えるなんていつものことだからね。 

 

ミステリと言う勿れも鹿男あをによしもビブリアもトレースも。 

 

 

・多くの人は原作に忠実なドラマを求めているのでは? 

表現の規制や尺の都合で多少改変は仕方ないとしても。 

原作も読んでないのだとしたら、作者もそのファンにもあまりにも失礼ではないか。 

 

オリジナルストーリーで最も成功したと思うのは、古いアニメだけどシティーハンターのさらば、ハードボイルドシティーの回かな。 

あれは原作へのリスペクトが感じられた。 

 

 

・今回、非常に悲しく残念な結末になってしまったことで、 

 

多くの原作者が声を上げ、 

 

創作者の作品が蔑ろにされてきた実態があることが如実に示された。 

 

彼女の死は、 

業界の体質を改善させ、 

また、原作者の方々が不満を抱えれば、 

世間に訴えて、助けを求めることが出来るようになる。 

 

1人の犠牲が 

今後、全ての原作者たちを救うことに繋がるだろう。 

 

 

・業界の仕組み上、原作者と脚本家は直接つながりはなく、プロデューサーが間に入っています。そしてプロデューサーは売れっ子脚本家を得るため、「好きなようにやってください」などと甘言を囁きます。当然原作者には「要望を聞き入れる」とは伝えてあります。 

番組作りの仕組み上、プロデューサーがこうせざるをえないのが一番の問題点です。ここがテレビ局側が改革できなければ何も変わりません。 

 

脚本家は立場が弱いので、「原作に忠実に」と言われればそうします。視聴率の欲しいテレビ局側が売れっ子脚本家にすり寄ってしまった結果です。 

一般的な脚本家については、小説や漫画原作者に尊敬の念を抱くような人間は少数派のように感じます。もちろん人にもよりますが、これはその職業柄としかいいようがありません。 

 

 

・多分ね、「漫画原作をそのまま忠実に再現」っていうのが「初めて聞くこと」だったんだよ。 

つまりは、原作に忠実に脚本を作るなんて今までこの脚本家さんの世界にはないことだったから。 

題名、登場人物、おおまかなキャラクターやあらすじ以外はどうでもいい、という世界に生きてきたらそうなるよね。 

だから脚本家さんも、え?原作通りに作るの?はぁ?って感じだったのでは。 

もう、生きてるスタンスから違うから話をしても食い違うばかりなんだとおもう。 

北極圏の人が赤道近くの人と日常の暮らしについて話すくらい違う世界なんだよもう。、 

 

 

・ドラマの脚本に限らず、物語というのは、読む側や観る側に「先はどうなるんだろう、早く続きが読みたい、観たい」と思わせ、生活に張りや生きる活力を湧かせるもののはず。今回、たとえ意図しなかったものだとしても、自分の書いた文章で一人の人間とその読者らからその活力を奪ったことを脚本家としてどう考えているのだろう。そもそも知らなかったから書いたと言うが、その事情を説明した原作者の言葉に反応した言葉なのだから、言い訳にはならない。最初の投稿があった時点で内々に問い合わせることは出来たはずだ。 

 

 

・カメラが趣味なのですがあるとき知人にコスプレ写真を撮って欲しいと頼まれたことがあり何も知らないのは失礼だからと事前に作品名を教えてもらい作品を読んだり見たりしてその知人の要望もなるべく事前に聞いた上で撮影に臨んだことがありました。脚本やシナリオに関わる人達がわりと原作や原作者を軽視してるように見受けられるのが不思議でなりません。 

 

 

・この脚本家さんは、原作の一部だけチョイスして再構築する脚本家さんで、脚本で自己実現をされていらっしゃるご様子で、原作へのリスペクトは毎回ありません。 

今回のSNSの発言に対しても、「原作者うるせえな」という心の声が聞こえるようでした。 

ドラマは俳優さんが演じますので、原作のイメージ通りにいかないことが多いと思います。ドラマとして魅力的にする為に俳優さんに寄せていく必要もあると思います。それを皆さん否定はしていないので、脚本家の方にはよくよくお考え頂きたいと思っております。あなたの発表会じゃないので。 

 

このようなことが二度と繰り返されませんようにわたしも本当に願います。 

 

 

・「今回の出来事はドラマ制作の在り方、脚本家の存在意義について深く考えさせられるものでした」 

「どうか、今後同じことが二度と繰り返されませんように」 

 

これは芦原さん生前時に件の脚本家が不満を表した投稿文ですが、 

芦原さんが亡くなってしまった今では、脚本家自身もドラマ制作サイドも、投稿時とは全く意味合いの違う教訓としてこの言葉を捉えるべきだと思う。 

 

 

・漫画ブリーチのアニメ脚本家の方のインタビューでは、漫画がアニメになるがための最低限の変更はつきものであることに付随し、だからこそできるかぎり自分の色を抜くことを意識している、という点を強調されていたかと思います。 

メディアの今後を思えばこそ、原作に寄りそう姿勢から見直すべきだと感じています。 

 

 

 

・原作者と脚本家、制作の間に入る人が多すぎるのが問題。 

ほんの一文、一語のような簡単な伝言ゲームとは違う。原作者のニュアンスを正確に伝えて脚本家まで届けないといけないはずなのに、それがどんどん通す人たちの立場や理解度で変質していって全く別物になる。 

少なくとも、原作者と監督、脚本家、プロデューサーは一回面と向かって細かい擦り合せをすべきだろう。 

 

 

・多くの原作者が、井上雄彦先生のスラムダンクのように、監督まで努められる訳では無い。 

 

リアルやバカボンドなどの井上雄彦先生の作品が、映像化されないのは、間に入る人達に作品を汚される事を嫌うからだと思っている。 

 

今回のこのタイミングで、悪しき習慣をなくし、原作者と映像制作者が、Winwinの関係になる事を望みます。 

 

 

・普通に考えれば、仕事を引き受けた時点で、既刊のものは単行本で読むだろうが、最新話は連載誌で読んでいるだろう。 

 

その漫画が好きな人なら、連載でも読んで単行本でも読むのは当たり前だろうが、脚本家の人は好きとか嫌いとかではなく、仕事として読むわけである。 

 

そのため、趣味の読書のように連載で読んで、単行本が出たら単行本も読むというのとは違うと思う。 

 

新刊の単行本は既に雑誌で仕事として嫌というほど読んでいるのだから、改めて読み返さないのではないかと思う。 

 

 

・脚本家の謝罪文で疑問に思ったのが 

「初めて聞くことばかり、知らなかった」 

これで全て説明しようしているところ。 

 

情報として「なぜ知らなかったのか」が抜けているのは説明不足だ。 

例えば 

 

制作初期で好きに書いていいと言われていました。 

ところが8話までに大量の校正が入り、原作に沿った内容になった時点で疑問に思いました。 

どの話数かは覚えていませんが、プロデューサーに「原作者と話をした方が良いのでは?」と確認しましたが「その必要はない、残り2話も好きに書いていい」とのことでした。 

しかし、残り2話は原作者が手がけることになりました。なぜ制作陣と原作者の間に齟齬が生じているのかを追求すべきでしたが、脚本家の自分としては納得がいかない部分があったことがあのような投稿に繋がりました。 

 

おそらくこの位は書かないと「知らなかった」の部分はずっと憶測を産み続けると思う。 

 

 

・プロデューサーの大井氏はインタビューで「原作にとても魅力を感じ、そのよさを壊すことなくドラマにすれば心打つ作品になると考えた」と答えています。インタビューの内容を見ても、原作をしっかり読んでいることは感じられました。スタッフ全員が原作へのリスペクトを持っていなかったわけではないのでしょう。 

しかし大井氏はまだ若くキャリアも浅いですから、チーフプロデューサーをねじ伏せることはできません。 

ドラマ制作における総責任者はチーフプロデューサー三上絵里子氏です。元を辿れば、この方が約束通りに「原作に忠実に」という方向性で指揮していれば起こらなかった悲劇なのです。いくらスポンサーや芸能プロの意向があったとしても、そこを調整するのもこの方の役割です。 

 

相沢氏もこの方の指示を聞く立場ではありますが、元から原作改変に自分の作家性を乗せたいという志向の持ち主であることはインスタのコメントから見て取れます。 

 

 

・この人オリジナルより原作があっての脚本を書く事が多い人ですよね。仕事を行う上で原作をまず読んで理解して取り掛かるのが本当のプロでは。原作と別物になる事を望んで提供する原作者はいないと思います。このコメントじゃあ「私、悪くありません」と自己防衛にしか感じません。間に出版社やテレビ局が入るにしても、原作者の意向を自ら探っていくのが原作ありの脚本を作るプロでしょう。あまりにも無責任です。なぜこんな人に脚本を任せるのか不思議でたまりません。 

 

 

・なんか脚本家の方の発言を見ていると、 

芦原先生は9~10話の改変に対する(視聴者からの)苦言が原因で亡くなった、とでも思っているかのようなスタンスで…。私は脚本家同士がSNSで原作者のわがままだと好き放題言ったことが原因と思っていますが。自分は当事者ではない、知らなかった、なんて言うなら芦原先生が亡くなる必要なんて本当になくて、、自分は一読者に過ぎないけどとても虚しいです。原作者と脚本家が直接対話する機会があったらこんなことは起こらなかったのではと思ってしまいます。 

 

 

・言いたいことは分かりますが、単行本の発売日の頃には、脚本家の仕事はとっくに終わっていて、次の仕事に取りかかっている状況ではないかと。 

既に原作者さんがドラマ向けの脚本を書き上げていて、原作漫画とも異なる展開になっている状況で、原作漫画の単行本を読もうという流れはなかったのではないかと思います。 

脚本家を擁護する気はないですが、多くの漫画家さんが批判しつつも冷静にコメントされているのに対し、外野が感情的批判ばかりやっているのはなんだかなあって思ってしまいます。 

 

 

・もう間に脚本家が入るドラマ化、アニメ化は拒否するしか無いのではないか? 

原作者は忙しくて大変だろうけど、原作をぐちゃぐちゃにされるよりは納得できるのでは? 

世の中には、いろんな人間がいますから、原作者の想いなんてどうでも良い、自分が売れて称賛されるのだけが大切だと考えるスタッフだっています。 

もし、脚本家が入ることを許可するなら、内容をどう改変されても仕方ないと納得するしか無い。 

ドラマ化やアニメ化は大ヒットのきっかけや目安にもなり、ある意味「ゴール」というイメージもあるけど、作品がメチャクチャになって命を落とすことになるよりは、きっぱり断る方が良いに決まっています。 

 

 

・結局芦原先生の伝えたかった作品のテーマをこの脚本家は理解できなかった。 漫画に忠実にという条件をしらなかったとしても、毎回原作者に直されているうちにもう少し原作を読んで理解しようとか、じゃあ忠実にやってみようとかならなかったのか。 あえてセオリーを外した展開が王道に改変されていたと先生はおっしゃっていた。 それをやったら連載中の原作はどうなるのかとか考えなかったのか。 大衆は王道が好きなので、ドラマを見てから原作をみたら印象が変わってしまう。 先生が描きたかったテーマが意味をなさなくなる。 知らなかったからどう変えてもいいという話ではない。 

 

 

 

・自分は今全くテレビを見ないから直接見た訳じゃないけどジャニー喜多川の犯罪に間接的とは言え加担していた事に対する反省の弁を述べてたTVの関係者が多かったらしいんだけど、結局はどいつもこいつも世間の手前、良い人ぶって表面上反省してる振りをしていただけだったんだなぁと改めて実感する。 

 

 

・天才バカボンが最初にアニメ化されたときに無職の大人がありえないということで植木屋になった。 

それを覆すためか、元祖天才バカボンが作られた。 

ゲゲゲの鬼太郎は、時代に合わせてこねくりまわされた。 

これらは、原作の評価が定まっているのでいいですが。 

 

勝手に結末を作られては、創作意欲に影響しますねを 

 

 

・誹謗中傷が原作者を追い込んだというのに、未だに脚本家を中傷し続けるコメントが多いことに違和感しかない。 

 

脚本家は当初の条件が知らされぬまま仕事をし、原作者の希望で途中で降ろされたという連絡しかなく、不満を抱いた。 

原作者は脚本が毎回条件に沿っていなかったことに不満を抱いた。 

この流れではお二人はたぶん面識もないだろうし、相談もなにもしていない。 

 

間に入った人たちにミスがあったのは明らかで、一生懸命やったがゆえに不満を抱えた2人が自分の見える範囲の状況から考えて発信してしまったが故に不幸な状況に追い込まれている。 

 

野次馬は無責任な正義感を振りかざすべきではない。如何にがっかりしても別物としてみればいいだけのことだ。 

 

 

・脚本家は原作者ではなく日テレに雇われている。 

もし、日テレが普段から原作者の意向を尊重する姿勢を示していたら脚本家だって自然とそうなる。  

雇用主だからね。 

脚本家がこれだけ原作者を蔑ろにしているということは日テレがそうだということです。 

端から原作に忠実になんて考えてませんよ。 

最初は口約束をしても後から何度でもなんと思っていたのでしょう。 

だから脚本家には何も伝わっていなかった。 

小学館も編集の方々は原作者に近いところで仕事をしていたのでコメントを読んでも深い悲しみが深く伝わってきた。 

でも、メディア部門の人達はどうなのかな。 

日テレと組んで儲けましょうとしか考えていなかったのではなかろうか。 

 

 

・恐らく原作は読んでいたと思う。 

ただ、その読み方に違いがあってのではないでしょうか? 

作品そのもののストーリーや原作者の想いを巡らせ感情移入しつつ読むのと 

自分だったら“こう”するって独自の解釈を含めツッコミながら読むのとでは全く異なります。 

始めから脚本家が独自の解釈をする事に重きを置いていたことが根本的な原因であると思いますが全く本人は意に介していないのが残念でなりません。 

 

文字や言葉を生業としているなら、 

もっと伝え方や表現の仕方があったと思うのですがココまで責任逃れの様な事ばかりだと呆れてしまいます。 

 

 

・脚本家からしたら設定だけ貰えば後は自分等の力で面白いもんを作るっていうプライドしかないんでしょう。むしろ漫画読んだら変なバイアスがかかるぐらいにしか思ってないのでは? 

正直、ドラマ化は最初から設定だけ渡してオリジナルキャラ、オリジナルシナリオでやってもらったほうが原作者もファンも悲しまなくていいんじゃないだろうかと思います。 

実写映画の進撃の巨人みたいに「人の巨人化」「壁」「立体機動装置」みたいな設定以外は原作に触れることを禁じて外伝として勝手にやってもらう。その方が脚本家の腕も魅せれるし、つまらなくても原作者は痛くも痒くもない。 

 

 

・単行本読んでなかったとは思えないな。 

それじゃ脚本書くのが難し過ぎる。 

恐らく未完の作品なのでラスト2話をどのように進めるかで原作者と脚本家でズレがあったのだろう。 

 

脚本家は「原作に忠実に」という事を聞いていない状況で脚本を仕上げたら製作者サイドから「原作者がラスト2話は原作者が脚本を書きたいと言っている」と聞かされ、不満に思ってのポストだったのかな。 

だから 

初めて聞く事=原作に忠実にと原作者が言っている 

だと思った。 

 

俺は思うんだけど、相手がいる不満をSNSとかでつぶやいても何も良いことは起こらんね。直接本人に言うか胸にしまえと思う。 

どうせ呟くなら良いことや、相手が絶対特定されないレベルじゃなきゃいかんわ。 

 

 

・ワイドショーなんか視ないので、事件をあまり知らなかったけど、原作をドラマに提供したら内容を、大切な作品を意に反する方向に勝手に変えられ、それを阻止するために、あとは自分で脚本を書くことにしたら、脚本家から「どうか、今後同じことが二度と繰り返されませんように」と、あたかも原作者が悪者のような投稿をされたんですか。 

作品を奪われた上にこれじゃ、メンタル的に追い詰められるなぁ。 

 

 

・脚本家が原作も読んでないなら何を基にストーリー作ったんだろうか? 

プロデューサーが絵コンテ書いて、これを本にして!って書かせたのか? 

だとしたら、今後はテレビ局側は漫画等の原作者に対して完全オリジナルストーリーにするのでタイトルだけ売ってくださいとでも言えばいいと思うわ。 

原作読んで無いなら忠実な形にはどうやっても作れないよね。 

プロデューサーの問題か 

脚本家の問題か 

出版社の問題か 

今後のテレビドラマは完全オリジナルストーリーだけで頑張ればいいよ! 

 

 

・この事を著名人の方が指摘して下さって良かったです。 

この事は真相を知る糸口になると思っているので。 

本来共有されるべき事柄がなぜされなかったのか? 

いや、されていたのか、されていなかったのかからも調べて行かないとね。 

この細い糸をたぐって行くことが大事です。 

この糸を絶対離しちゃダメです。 

 

 

 

・この脚本家は自身のオリジナル脚本でヒット作を出たらいい。 

というかそれ位しか脚本業で生き残る、自分が見直される方法がない。 

個人的には原作と原作者への最低限の誠意と脚本家の実力があれば愛はなくてもいいと思う。 

今回の炎上は誠意も当然ながら、実力がない事も原因である事を自覚した方がいい。 

原作者にこういう解釈もあるのか、おもしろい、と唸る様な脚本を書けばこんな炎上しないしあんな悲しい結末にもならなかったですよ。 

 

 

・「初めて聞くこと」というのは古市さんの推測とは違うのでは? 

流石に原作モノに携わる以上は目を通すはず。 

相沢さんの最新の発信で「何も知らなかったというのは芦原先生と編集部の意向のことだろう…。 

マンガとドラマでは2次元から3次元に表現法が変わるから台詞に違和感が出てくることもある。(その程度の改変なら芦原先生も理解を示してたと思う。) 

その改変のバランスについては、原作の設定が過激であること(それを確信犯的に描き問題提起してた部分もあるはず)、スポンサーや時間帯などから日テレ側が大まかに決めて実現可能な脚本家にオファーを出したはずだし、芦原先生の意向について止めていたのか、例えば相沢さんには「芦原先生が煩い」、芦原先生側には「相沢さんが頑なに変えない」と伝えていたなどあらゆる可能性があるから、絶対に第三者による調査が必要。 

 

 

・映像化する側は興行的に成功すれば脚本家や映画監督の功績、失敗したら原作の責任くらいにしか思ってないんだろうな。作品をゼロから作る熱量、それも文字ではなく絵を描いて動かしていくんだから自分の子供みたいな思い入れがあるのは当たり前だと思う。そういう作品を映像化するんだという気持ちは本当にあったのかと言いたい。 

 

 

・単行本読んで原作の理解を深めた人に撮って貰いたいなら契約にうたわなくちゃ読まないことだってあるよ 

個人でやられてる漫画家さんにそういうアドバイスをするのが小学館の仕事なんだけどな 

 

映像作品を撮る側の立場だと、原作のコピーでリモコンを望まれる現場なら最初からそのつもりで受注するけど 

そうじゃないなら食材をこっちで味付けしなくちゃ、そんなの別の俺じゃない誰かが撮ればいいし 

原作完全コピーをした撮影者に次の仕事はどんなのが来るのかって言ったら、完全コピーの依頼なわけで 

 

つなぐ役割をしてる会社の責任 

 

これがPVとかなら原曲のイメージが大事だから、移動中も常にその音楽を流し続けるんだけどね 

 

 

・芦原先生のファンの方、日本テレビのドラマ視聴者等今回の件に詳しい人達は沢山存在するのに、「知らなかった」でかたずけて逃げるこの脚本家の人間性、人としての資質が今回の文章からも読み取れますね。この脚本家にこれからも仕事を依頼される場合は採算がとれなくても是非オリジナルをと思います。この脚本家自身も書いている通り、二度とこんな脚本家に才能有る原作者が遭遇することを無いように。 

 

 

・ほんと、それ 

毎回の手直しされてんのに、初めて聞いたはないわ 

この方は、原作を変える事しか考えてなかったんじゃないかな 

原作を変えて自分の方が面白いでしょって言われたいんじゃない? 

いやいや、ファンは絶対原作が好きだからファンになったの! 

そこを履き違えないでほしい、これは全ての脚本家に心に止めて置いて欲しい 

原作ファーストで! 

原作を崩さないドラマを作ってこそ評価されると思ってほしい 

それが嫌ならオリジナル脚本で勝負しな 

 

 

・単行本を読まずWEB媒体で本編のセリフだけ確認していたんだろうね。 

同じ脚本家でも世界観や作者の考えを深く読み取ろうと研究する人もいるけどね。相沢さんは作者の実写化に対する意見や思いなど聞く気はなかったと思う。 

 

 

・なんか論点に違和感がある。芦原先生は実際に何度も脚本に加筆して修正したと言ってるし、その上で実際に放映されたドラマ自体にケチをつけてはいない。最終的に最後の2話分は自分で脚本を書いた事に、脚本家が噛みついたのでは無かったのか?この言いっぷりだと、脚本家は自分の脚本が修正された事を知らないと言ってるのか?自分が書いたドラマを見ていないのか?とても違和感がある。 

 

 

・ドラマ化までのいきさつについて初めて聞くことだったということだと思うんだけど。単行本を読んでないとするのは飛躍していると思う 

漫画は読者がコマのセリフを読むところや決め絵をみるところなど時間をかけることができて、一律に時間が流れるということはない 

ドラマは、どんな優れたセリフでも時間が一律に流れていくので間を開けない限り次々と流れていく。そのために山場をつくったりする必要があって 

原作の再構成もありうる。原作の内容が一致してないからといって必ずしも未読というわけではない。 

そもそも、原作通りとするなら、脚本家は別に誰でもいい 

それこそ尺感覚のある新人脚本家でも十分仕事を任せられるはず 

そのかわり、長い会話をカットされたということからして、役者の負担(暗記しないといけないので)そうとうなものになる。視聴者も眠くなる 

つまらないというレッテル貼られる可能性も高くなる 

 

 

・自らのインスタ投稿が発端なのに脚本家の「今後このようなことが繰り返されないよう、切に願います」という他責思考には呆れる。 

 

飯塚幸三の「安全な車を開発するようにメーカーの方に心がけていただき、高齢者が安心して運転できるような、外出できるような世の中になってほしい」というコメントを思い出した。 

 

 

 

・コミックスは連載から1ヶ月以上経過してから発行されるので、すでにドラマ制作が進んでいる段階で脚本家が原作者のコメントが載っている最新刊を読んだ可能性は低いと思います。 

 

既刊本と連載中の漫画、あとは打ち合わせなどでドラマの内容を決定しているのでは。 

その打ち合わせの場で「原作通りに」が伝わっていないのをおかしいと指摘するならわかりますが、時系列的に最新刊は関係ありません。 

 

原作無視で暴走する脚本家は世の中にたしかに存在しますが(何人も事例が思い浮かびます)、この脚本家がそうなのかは知りません。 

 

ドラマ制作現場ではもしかしたら打ち合わせのみで原作を読まないのが慣例になっていた可能性はあると思います。そんな印象を受ける脚本家の発言内容なので。 

ただそうした慣例は、視聴率優先で改変も厭わないテレビ局の考えから来ていると思うのですが…。 

そこまで脚本家とは絶対優位の存在ですか? 

 

 

・脚本家の姿勢を叩く人が多いし気持ちも分かるが、原作者と脚本家っていう属人的な関係に原因を矮小化するべきじゃない。 

原作と脚本の間には最低でも日テレと小学館が入ってるわけで組織間で仕事をする際のシステムがきちんと出来てないことご一番の問題。つまりは最初の段階で厳格に契約を交わすべき。 

そもそも脚本家はよほど売れっ子でもない限りテレビ局や制作会社に対して優位にある訳じゃない、基本的には制作の方針に従って本を仕上げる。 

人同士ではなく組織同士の慣行の見直しをしっかりやらないと同じ様な問題は繰り返される。 

 

 

・小学館の編集部の声明は出たが、あれって会社としての声明とは受け取れないよね。会社の一部が発表しただけだから、役員クラスはいつでも否定出来る。 

 

あれで漫画家は満足したとしても、やはりファンや視聴者は納得しないよね。 

特に日テレと脚本家の調査は必要。それを公式に発表することが、原作者への報いじゃないかな。 

 

 

・『今後このようなことが繰り返されないよう、切に願います』 

これは、脚本家ご本人に今後是非とも願いたいです。 

 

脚本家としての立場とか、プライドとか、いろいろ辛いこともあっと思うけど、ろくに事情も知らなかったんなら、SNSで原作者を貶める様な発言はすべきでなかった。 

 

今後、原作付きの作品に携わる様なことがもしあるのであれば、『今後このようなことが繰り返されないよう、切に願います』です。 

 

 

・もうね、原作者はオリジナル作品から派生される、ドラマや映画、舞台は「別物」、自分の原作をベースに新たに作られた別の作品として割り切るしかないだろうね 

放送、上演時間の制約やマンガや小説ならではの表現、演出を完璧に移植するのは難しいことだってあるし。 

私個人的には、演技は何よりもセリフにつきると思ってるので、制約の中で移植できない部分がある以上作者は別物として受け取らないとやってられないんじゃないだろうか 

タイトルもテレビ版とかThe movieとかつけて、別物印つけさせてさ。 

その代わり原案料としてしっかり印税含めてもらえるようにすればね。 

 

 

・事の本質は、創作という孤立無援の行為の、原者にとっての重さ、生みの苦しさなんだと思います。 

 

批判されるとすれば、放送局という異常なほどの権力を握った組織でしょう。創作の意味など関心すらなく、視聴率だけで動いているのでは? 

そんな軽さと創作は対極にあるのに。 

 

売れっ子の漫画家が脚本という不慣れな創作を自らやらざるを得ない状態に自分を追い込まざるを得なくなり、生みの苦しみに加えて責任感、気配り、思いやり、やらに振り回されたあげくの事態なんだと想像します。放送局側のわずかのサポートがあれば避けられたのかも知れないし、そうでなかったかも知れない。原作者の創作にかける気持ちの重さを考えれば、早すぎたドラマ化が本当の原因かも。 

 

 

・脚本家のおごりでしょうね。特に今回の脚本家は。 

全てではないと思いますが、脚本家は原作者よりも偉い、偉い私が原作を改変するのが私の役割、売れる様に作り直したので文句を言うな、と言う考えが見えてきます。 

なので「単行本なんて読む必要はない」「読むと自分の脚本の創作に邪魔になるだけ」と考えていたんでしょう。 

 

欧米のように「脚本」家と「脚色」家を分けるべきと思いますよ。原作が有るものは全て「脚色」家が行うべきです。趣味、趣向をねじ込む「脚本」家は、お互いに不幸になるだけです。 

 

アニメ現場で原作者が作成した絵コンテをことごとく無視して、別物を作るアニメータはいないです。 

件の脚本家は、せいぜい「作画監督」ぐらいの位置つけだったと言う事を理解すべきだったと思います。 

そして、他の脚本家の先生方も、「脚本」の仕事と「脚色」仕事を勘違いしないようにするべきですね。 

 

 

・騒動の発端はたしかに脚本家の発言だろうが、芦原先生に「攻撃したかったわけじゃなくて」と吐露させたのはネット民の過剰な脚本家叩きであることは明らか。 

 

自分の作品が蔑ろにされた悲しみに、それとは別種の無力感や罪悪感を覆い被せられ重みに耐えきれなかったのであろう。 

 

覆い被せたのは何を隠そう我々ネット民であることを全く無視し、現在もなお脚本家への人格攻撃(および批判であるという正当化)が続いている現状って本当にネットの自浄作用が機能してないなと思う。 

 

 

・どうなんだろうか?もしかしたら、各人が責任逃れを図って居たのかも知れない。唯一の責任所在は、奇しくも放送をした「日テレ」日テレ担当者が、原作者の「意図を」脚本家さんへ、包み漏らさずに伝えてさえ居たなら、悲劇は起こらなかったのでは無いかしら?脚本家さんもかなり、精神的に参っていらっしゃる。原作者のファン方々も決して、脚本家さんを誹謗中傷したりしては成りません。これ以上の悲劇は防ぐべき「日テレ担当者が」脚本家さんに謝罪をしましょう。脚本家さんの投稿が、本当ならば。 

 

 

・小学館が、芦原さん、相沢さんにどのように話を持ちかけどのように契約しどのように確認・運営・進行していったのか。 

 

脚本というものがどうあるべきなのか専門的なことはわからないけど、「登場人物のせりふは変えないで」という話があったなら少なくとも役者さんのせりふは漫画と同じはず。 

この場合、脚本がせりふを指示するものだとしたら、その意味での脚本は不要だったのでは? 

 

ではなぜ脚本家を間に挟んだのか? 

編集の誰かが原作からせりふを抜き出して役別に縦書きにすればいいだけだったのでは?  

ト書きが必要だった? 原作漫画併載の脚本じゃだめだったの? 

 

漫画に限らず、原作を翻案する場合の問題が、あちらこちらにある。 

 

 

 

・この話は、時系列がおかしい。 

ドラマが始まる前に発売された単行本に書かれていたということは、 

その時点で最終話までの脚本が完成していたということではないだろうか? 

ということは、脚本が完成した以降に発売された単行本を読んでいなくても不思議はないと思うが。それよりも前の段階で不愉快な思いをしてるのに、原作を引き続き新刊が出るたび読み続けるようなことはさすがにしないだろう。 

 

 

・相沢氏の投稿は正直言って軽率だったと思う。それは相沢氏が一番分かっておられるだろう。だが、もうその報いは十分に受けたのではないか。原作の改変が相沢氏の一存であったはずもなく、基本的に事態の責任は制作体制全体にある――だからこそ、今後そのそもの制作体制を変えなければならない――と考えるのが妥当だろう。従って、相沢氏一人を責めるのはフェアではない。 

 

敢えてはっきり書くが、私は、正直言ってこのままだと相沢氏まで後を追う事になるのではないかという恐怖を感じる。ここだけではなく、ネットには何千万という相沢氏を責める言葉が溢れかえっている。このような状況に耐えられる個人などいない。批判するならドラマの制作体制、あるいはメディアが人格を軽視しキャストや見せ場をとるという価値観の方にするべきだろう。相沢氏は、もう、そっとしておいてあげてほしい。 

 

 

・放送は、民主主義の精神にのっとり、放送の公共性を重んじ、法と秩序を守り、基本的人権を尊重し、国民の知る権利に応えて、言論・表現の自由を守る。(日本民間放送連盟より) 

 

総責任者としてドラマプロデューサーが説明責任を果たすべきだと思う。 

そしてご遺族は著作者人格権を侵害されたとして告訴しても良いんじゃないか?と思う。 

 

 

・原作をドラマ化するにあたってなぜここまで原作者の言うことを聞かなきゃ行けないのか?そして最後は自分で書かれたとなれば確かに脚本家なんかいらないって、自身の存在意義を考えるし、脚本家としては苦い経験でしょう。 

(本当に経緯を知らなかったのでたれば) 

原作者→出版社→ドラマ制作→脚本家このどこかの流れがおかしかったか。 

なぜ原作者と脚本家が伝言ゲームではなく、同じテーブルの場に着くことは出来ないのでしょうか? 

毎回映像化で炎上する最大の原因はこの辺にあると思えて仕方がない。 

 

 

・この件とは関係なく脚本家はオリジナルでやりたくても制作側は既に一定の人気(視聴率)を見込める原作ありきのドラマをやりたい。 

そのズレが原作者の意図を無視することにつながる場合があると感じます。 

どちらにしても三者の密な連携は今後不可欠です。 

 

 

・芦原さんが原作を尊重してほしいと随分と前から言っているにも関わらず、その原作となる漫画を読んでいない制作や脚本家はどんな脳みそをしているのでしょうか 

この様な出来事もしっかりと法で裁かれてほしいです 

 

 

・このドラマの場合は、原作のセリフや描写を脚本にたくさん取り入れていたから脚本家が原作を全く読んでいないということはないと思う。 

それでも脚本家が最初のようなコメントを出したのは、原作を軽視して都合良く利用しながら全部自分の手柄のようにしていることが現れている。 

日テレが「責任は全てうちにある。個人攻撃はしないで」という旨のコメントを出した。 

そこで脚本家は「個人攻撃をしないなら、日テレから自分には反論されないだろう」と思って「聞いてない」と言い出したのではないだろうか。 

 

 

・原作もドラマも観てないからどれだけ展開が違うのかわからないけど原作に忠実にというのは映画でもない限り難しいと思います。 

ドラマだと毎回見所を作らなきゃいけないし次も見たいという展開も必要。 

 

原作者に撮影に入る前に脚本チェックとかしてないのでしょうか?ドラマスタッフが圧力をかけたり変更できないとか言って原作者の意思を無視してたんじゃないですか? 

 

 

・すべてが脚本家だけの責任とはいわない。 

だが、この脚本家のコメントを見るに、 

申し訳ないが、心に響かない言葉と表現の乏しさ(常にシメは「繰り返されないように願います」)といい、、仕事に対する態度(原作を読み込んでいない)といい、芦原先生の原作を脚色するにふさわしい脚本家だったとは思えない。 

原作を損なわない脚色には、原作を読む力があることが前提だ。 

逆に言うと、原作の価値が理解できないからこそ、原作の世界観を損なう改変を平気で、できてしまう。 

相沢友子氏はまったく役不足だったのだ。さらに、相沢氏をこのドラマの脚本家に起用した人間の責任が問われるべきだ。 

 

 

・読み込んで作るべき派だけどドラマ撮影のスケジュールっていつからいつまでなの? 

もう撮り終わってたってことは無いの? 

…って思ったんだけど、連ドラって反応見ながら作るみたいね。。 

それなら制作スタッフの誰かは読むよね。 

お粗末過ぎるだろう。 

日テレさん、このままだと末端のスタッフにまで火の粉が降りかかりますよ。 

早急に調査報告と再発防止策の公式発表を求めます。 

 

 

 

 
 

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