( 137550 ) 2024/02/09 15:11:36 2 00 古市憲寿氏「小学館第一コミック局と脚本家の方のコメントを読みました。疑問に思ったのは…」スポニチアネックス 2/9(金) 8:49 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/f2e52758c2ca2acb93cb593d955deec316bcf13e |
( 137553 ) 2024/02/09 15:11:36 0 00 古市憲寿氏公式X(@poe1985)から
社会学者の古市憲寿氏(38)が8日、自身のSNSを更新。昨年10月期放送の日本テレビドラマ「セクシー田中さん」の原作者で漫画家の芦原妃名子さん(享年50)が急死した問題で、原作漫画の出版元の小学館「第一コミック局」編集者の一同の声明、そして、ドラマの脚本を担当した脚本家・相沢友子氏のコメントについて言及した。
【写真】「泣いた」…声明を発表した小学館「プチコミック」公式サイト
古市氏は「小学館第一コミック局と脚本家の方のコメントを読みました。疑問に思ったのは、2023年10月10日発売の最新刊を脚本家を含め、ドラマスタッフは読まなかったのかということ。『初めて聞くことばかり』というのは、あんまりじゃないか、と。え、書いてあったけど。脚本家の方を責めたいわけじゃなくて(OA直前の忙しい時期でしょうから)ドラマスタッフの誰かが共有することもできなかったのか」と指摘し、「残された情報から推察するに、芦原妃名子さんは誰もを責めたくないという思いがあった方でしょうから、誰かを血祭りにあげるのではなくて、もう誰も傷つかないで済むように、エンタテインメントの世界が前に進んでいけばいいと思っています」とつづった。
続く投稿では「なんだかやるせないね。いかなるときも必ず原作通りに映像化すべきだとは言わないけれど(うまくいっている例はたくさんあるから)、単行本も読んでなかったのかもと思うと、力が抜ける」と記した。
芦原さんは、昨年10月10日に発売された原作の最新第7巻冒頭で、8月31日付のメッセージとして、ドラマについて触れていた。ドラマは同24日放送開始。原作から大きくそれたと感じた部分は「しっかり修正させていただいてる」とし、物語の終盤は「あらすじからセリフに至るまで私が書かせていただいています。恐らく8話以降に収録されるはず」としていた。また、「いろんな実写化への関わり方があると思いますが…あれこれ悩みつつ今回はこういう形をとらせていただくことになりました」と心境をつづっていた。
芦原さんの訃報は1月29日に伝えられた。芦原さんは1月26日に更新した自身のXで、脚本をめぐり局側と折り合いがつかず、自らが9、10話の脚本を書くことになったとして視聴者に向けて謝罪。当初提示していた「漫画に忠実に描く」などの条件が反故になっていたと明かしていた。
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( 137554 ) 2024/02/09 15:11:36 0 00 ・私も脚本家の方のコメント『初めて聞くことばかり』に凄く違和感感じた。 そもそも原作コミックを読んですらいないとすれば、その物語の描きたい世界だって深く知ることすらできないと思う。 そして、原作ありきなのに忠実にすら描こうと努力しない姿勢もなんだかな。 初めて聞いたかどうかが問題じゃない気もする。原作あるんだから取り敢えずはしっかり原作読んで、その世界を忠実に描くことありきで脚本描くこと前提で考えていたら、ここまで芦原先生は苦しまなくて済んだのでは? と思えて仕方ない。
・いじめの自殺と同じことを大人、しかも一流大企業がしている。 加害者同士が顔を見合いながら、自分はそんなつもりじゃなかった。知らなかった。知っていればしなかったと慰め合う。 小学館は誰に原作者の意向を伝えたのか、脚本家は執筆にあたり誰からどのように伝えられていたのか。今回の2つの声明を信じるなら次はそこをはっきり明かしてほしい(違うなら違っっていたことを含めて)。問題の原因をつまびらかにしなければ芦原さんが可哀想でならない。
・才能がある原作者が自ら命を絶つことの無念さ、本当に残念である。 アニメに限らず、ベストセラー小説やシェークスピアなど戯曲が映画やドラマなどで映像化される事は古今東西珍しい事ではない。ただ、今回のようにドラマの途中(9話-10話)で原作者自身が脚本を書く事に至ったのは異常事態。脚本家は当然、その理由を知らされていたに違いない。なぜ、ボタンの掛け違いが起こったのか、理由はあるはず。関係者は誠実に正直に話をして欲しい。
・原作があるお話の脚本頼まれたら、普通に考えたら事前に原作と原作に関連した情報を出来るだけ漁って、そこを全て理解してからじゃないと書けないと思うけど、不思議すぎますね。 こんなのが今は普通のやり方なのだとしたら、全テレビ局は、原作のあるドラマ化の展開方法をこの機にしっかり定めるべきですね。
・契約回りなど含めた法整備をしてほしいと感じる。 法律を作るのも国会議員の仕事だし 赤松議員がいるのなら現在が不当な契約が横行したり契約自体を守ろうとしない現状が違法状態に感じますしそれを踏まえた上で管理した方がいいと思います。
・原作が良かったからドラマ化したんじゃないの?勝手な内容変更に報酬の低さ、漫画家への扱いがあまりにひどすぎますね。 著作権もってる雑誌社がもっと漫画原作者を守るべきだと思うよ。 本人の意向を守れる場合だけドラマ化映画化を受ければ、原作者本人が創作以外の余計な折衝で心折られずに済む 一番大事なのは代わりがいない原作者です
・原作者の作品をめぐって、それに関わった人間がいかに無責任かということが見てとれる。 脚本家の原作者に対しての理解も、小学館や日本テレビの雑な対応も。さらにはコメントを発信するのも遅すぎる。ひとつの作品を粗雑に扱った結果がひとりの尊い命を失う結果となった。 犯人探しをするのは亡くなられた原作者の方も望んではないと思うが、日テレ、小学館、脚本家もお悔やみは発信しているがどうも他人事のように感じてならない。
・なんか、間違い探しみたいになってきましたよね。
自分も脚本家さんのコメントには疑問を持ちました。
「初めて聞くことばかり」=「知らなかった」と書いてありましたが、そもそもの「原作をないがしろにしている」という指摘に対する明快な答えはなし。
そもそもの問題はその点にあったように思います。
原作者からの何度も修正があったのなら、創作のプロなら「なぜ、これでいけないのか?」と疑問に思うのが自然だし、脚本家の側から理由をプロデューサーなりに聞くのが自然(このケースに限らず、ドラマの脚本はどんどん修正させられると聞きますが・・・)。
ボタンの掛け違いというより、やっぱり創作(脚本化)に関して、軽く考えていた=原作をないがしろにしていたという疑問は全く消えません。
・このドラマをみて思ったのは、登場人物の思いや、伝えたい事にかなり時間を割いている感じがしました。 出て切る登場人物の心の動きを重視しているというか、大切にしている気持ちがなんなのかを視聴者に伝えたいのかなと(市毛さんはさすがに大女優)。 最初見た時は少し展開が遅いな~と感じましたがその分キャラクターの個性が非常に強く印象に残りました。 その点も作者さんの意図したことなんだろうなと、改めて思いました。
ただ、普通に起承転結でさっぱりホッコリとドラマを見たい人には少し展開スピードが重く感じると思うので、いつもお通り脚本を書いてる方からしたら ドラマはドラマつくる専門家にまかしてくんないかなあっていうおごり?的な物があったのでしょう。
国内ドラマが海外ドラマにかなり差を付けらた昨今ですが、セクシー田中さんは非常に好感持てました。 芦原先生のご冥福をお祈りします。
・そもそも出版社と漫画家の関係が、前時代的な奴隷契約のようなもので、ドラマ化の話が来て、『原作に忠実に』など条件を付けられるのは一部で、なおかつ話自体を蹴られるのは余程のつわものか大作家。出版社はメディアミックスで儲けたいのはわからないでもないが、作品は出版社のものではなく作家のもの、この辺の意識が変わらないと、コメント読んでも「やることはやってるうちは悪くない」という意識が透けて見える。
・いやほんとそれ、そこに一番ひっかかりました。いくら忙しくても、自分が脚本担当してる原作の新刊を読まないことある?本編だけ読んであとがき読まなかった?普通なら一言一句逃さず読み込むと思うけど… その一点のみにおいても、言い逃れようもないくらい原作へのリスペクトを欠いていると確信しました。 ドラマは原作者の作品ではなく自分の作品と思っていたんだろうなと… そういう脚本家やスタッフを育てる風土からして間違っているはずなので、大きな変革を要すると思います。本当に本当に、一次創作物が最も大事にされる価値観であってほしい。
・先生のブログから「6月上旬に数話の脚本を確認して実写化を許可」したが、その後「毎回原作とかけ離れた脚本」を提出され、許可後に提出された脚本には納得していなかったと思う。
自殺後、編集部は「先生の意向を制作サイドに伝えた」、脚本家は「ブログで初めて経緯を知った」、日テレは「最終的には許諾された」というが、
これでは「制作許可を得るため、先生の意向に沿った脚本は最初の数話のみで、その後は勝手にキャラクターや脚本を変更され、撮影スケジュール上やむなく先生が許諾した」としか思えない。
小学館の「一連の経緯を外部発信する予定はない」も隠蔽する気かと疑ってしまう。再発防止の為にも、一連の解明と公表を願います。
・シナリオ作家協会理事の黒沢久子さんは「私が対峙するのは原作であって、原作者の方はあまり関係ないかな」とおっしゃってましたけど、相沢友子さんは原作さえどうでも良かったのかと思いました。 黒沢さんも大概でしたが、相沢さんは上をいってましたね。
・原作を読んで内容を熟知していれば、原作にないストーリー展開があったとしても違和感は大分軽減されるだろう。
このキャラはこの場面ではこう言いそう。この場合ならこう立ち振る舞うだろう。
そういった細かい積み重ねが必要なのに、原作を読んでもいない者が好き勝手にやるからこのような事態になるのだ。
原作の熱烈なファンとまではいかなくとも、原作が好きな人でなければ誰もが納得する映像化はできまい。
・テレビや映画の制作現場では「原作」ってのは世間の人が思うほど重要視されてないってことなんでしょうね…全然別物扱いで全く違う種のものだと捉えられてるのでしょう。それがある意味で当たり前の常識として流れてる。原作に対して発生するお金(ギャラ)も相当に安いと聞きました…その辺を考えても原作がいかに大事にされてないかが分かる。その感覚が今回の悲劇を生んだのではないでしょうか。
・漫画原作でも実写化とアニメ化ではけっこうな差を感じる。 昔は酷いものもあったが、最近のアニメ化で原作レイプと言われるほど酷いものはないように思う。 だが実写化の方は未だにこういう問題が後を絶たない。もちろん同じ2次元の表現なのでアニメ化の方が実現し易い面はあるにしても、設定すら変えてしまうのであれば原作とはせず原案に留め、タイトルから変えて別ものにするべきではないか。
・しがない物書きをしております。 私自身、取材をするときの最低限のマナーとして、お相手の書籍やネットで確認できる範囲の記事は必ず全て目を通しています。 脚本の執筆ともなれば、私ごときがその流儀に口出しすべきものではないのかもしれませんが、原作に目を通していないとすれば、失礼にも程があります。 中には原作のイメージに左右されすぎないように、あえて読まずに執筆される脚本家もいると聞きますが、そういう方こそ原作者の感想や反応には気を配っているのではないでしょうか。 少なくとも相沢さんは、原作者が終盤の脚本を手がけるという異常事態に対して、不満を投稿する前にやるべきことがあったはず。 その時点ですぐにプロデューサーに経緯を確認していれば、最悪の事態は避けられたと思います。
・映像化する作品の原作を読まないという話はちょいちょい耳にしていたが噂レベルだったり、たまにはあるんだろう程度と思っていたがどうやら本当に、それも当たり前のようにあることだったんだなぁと驚いています。 そりゃコケた作品ばかりになりますね。 原作モノで成功したものは関係者インタビューで監督だったりキャストだったりがファンであったり原作何度も読み直してって言ってるものが多かったこともふと思い出し、やはりそういうことだよなぁと改めて思いました。
・素人の想像ですが、ドラマ制作スタッフ全てとは言いませんが、原作漫画の内容、ビジュアルに関わるスタッフ(演出、脚本、美術、メイク、衣裳など。勿論Pも)が原作を読まないことはあり得ないと思う。そこに寄せなければ批判されることがわかっていますから。事実、原作漫画にビジュアルを寄せたドラマや映画はそれだけで評判になっています。 その上で、ドラマ制作側で内容を改変できる立場にあるのはプロデューサーとチーフディレクターだけかと思います。 日テレは少なくともこの人物に状況を聞き取り発表をしなければこの問題を収束させることはもう出来ないのではないでしょうか。
・今回のことで、多くの漫画家、作家から実写化、映像化に関するMeTooの声があがっている。 それは残念ながら一人の才能が失われたことがきっかけとなってしまったが、みんな我慢の限界だったのではないだろうか。もちろん、例外はある。しかし、あってはならないことが起きてしまった以上、出版、メディア業界はルールをきちんと決めるべきだと思う。作品や原作者を守ることが出来るルールがあれば、それは読者、視聴者にも伝わるし、実写化、映像化した出版社、メディアにも利益に繋がると思うのだが。
・『初めて聞く』といった作り手側の原作に対する敬意の無さが見える部分は、ドラマを製作する上での『仕事の質の問題』に思います。
そもそもの問題は『原作に忠実である条件の反故』という『契約上の問題』とではなかったでしょうか。 日テレ・小学館・原作者の間に存在するであろう契約書はどうなっていたのか。一般的にどうあることが通例なのか。製作経緯の時系列を整理することも必要でしょう。
以下推測の範疇ですが、 御遺族のコメントが小学館を通じて出されたことを踏まえると、原作者の意向を代弁するような役割まで小学館が担うのが普通なのか。(契約後にドラマ製作側と原作者が顔を合わせる機会は得られないものなのか) もしそうであれば、小学館が原作者の作品を我が物顔で扱えてしまうリスクにもなります。 また仮に、書類などの守秘義務を理由に小学館が亡き芦原先生のアトリエに出入りするようなことは、してはいないでしょうね?
・そもそも連載中の作品の2次作品を作成すること自体が問題なのだと思います。 常に更新される原作と同時進行でドラマを作ること、かつ、原作より先にエンディングを用意しなくてはならないなんて無理が出て当たり前ではないでしょうか? 出版社が売り上げ重視で原作者に寄り添っていない(連載中の雑誌が売れればよいという)スタンスがこのような悲劇を作った原因ではないか、すべてとは言えませんが、出版社が責任を負う問題だと思います。
・脚本家は聞いてなかったと言っているけど、それに対してテレビ局は応える必要があると思う 後半を芦原さんが書く事になったと言う事はテレビ局側が落ち度を認め 原作者側の希望をのむより他無いような状態だったのでは無いかと想像します テレビ局の怠慢なのか非人道的な振る舞いが罷り通るような力関係が出版社との間にも存在したのだろうか?とも思ってしまいます そして脚本家はどちらかというとテレビ寄りの立ち位置でしょうから ここでさも私は知りませんでした、私も被害者ですみたいな反応は??? 原作あっての作品に対する時に、心ある人間であれば原作者の方の意向を自ら得るくらいの気持ちにはならなかったのか? ならなかったからあのインスタのコメントだったのでしょうけれど、、、
・脚本家の人のインスタ投稿がなければ、ここまで傷つくことはなかったのではと思います。もちろん脚本家は今回の問題の一部に過ぎず、問題の本質的なところは、ドラマ化にあたる出版社、テレビ局vs原作者という図式になり、原作者の意図が尊重されないところだと思います。
実情を知らなかったとしても、脚本家の人が原作者について攻撃的な投稿をしたこと、同時期にインターネットの一部で原作者について批判的な書き込みがされたことは、こうした歪んだ力関係ゆえに起きたのでは。
誰にも傷ついてほしくない、は正直綺麗事だと思います。誰も傷つかないように最初に対策すべきだったのはテレビ局と出版社です。法治国家に住む以上、人を傷つけたり不当に人権を侵した人や組織は相応の責任を取るべきです。
・脚本家の「初めて聞くことばかり」って、知らなかったからと守りに入ってるけど、そもそも知らなかったのも問題で、脚本書いてるけど原作読んでませーんって言ってるのと同じなのでは? 漫画や小説をドラマ化するのって、もしかしたらあえて脚本家さんは原作読まない人もいるのかもしれないけど。 でもそれって原作者からしたら、ちょっと納得いかない気がする。
・実写化するなら、小説だろうと漫画だろうと読んだ上で脚本を書かれるものだと思っていました。だから、原作者が脚本を書きたいって言ったとか書き込まれるんでしょうね。それまでに、原作に忠実にされてない為に、手直ししてもらったという話もあったし、全く知らなかったと言うのは違和感があります。完結していない漫画で、最近出た単行本には作者の気持ちも書かれていたのを読んでれば、こんな投稿もできないと思います。
・日本社会では、個人よりも組織やグループを優先する傾向が強いことは事実だと思います。 しかし、その個人が持つ資質や個性をもっと尊重することは大切であることは間違いありません。 特に著作に関する評価が低い事は、経済的な問題だけでなく、個性を否定する行為になることは改めて認識を深くしました。
・実写とは全然違うけど、コミカライズするときは作品を全部読む、作家の方と打ち合わせをしてキャラデザとかもしっかりとして、細部まで作り込むらしいです。 今、読んでいるコミカライズの作品の作家がそうなだけかもしれませんが、誰かの作品を自分が表現することになるならば、読み込むと思うんですよ。 じゃないとこういうあらすじでこんなキャラがいて、まぁ、こんな感じですでは作品って作れない。 このセリフだけは入れてとか言われても、その前後に何があってこう言うことになったのかっていうのが必要になってくるはず。 古市さんの言うとおり、今回の作品に関わった人たちは作品を読んでなかった。 やっぱり「有名にしてやった」っていう驕りがどこかにあるんじゃないかなって思う。
・今までの事を時系列で見てみると、1〜8話で改変が激しすぎてその都度、作者はドラマ製作者側に文句を言い、9話と10話の脚本を自分でするという希望は通っているという事実を踏まえると、少なくとも小学館からドラマ製作者側に意図は伝わっていて製作者側もそれで動いてるんだよね。 最後まで足掻いていた脚本家以外は。 ということは、ていう事なんだけどまだ生きてる脚本家を守りたいがあまり、みんなはぐらかしてる感じ。
・一般論として視聴者側も理解しておくべきなのは、原作を映像化するのは新しい作品作りをするのと同じだということ。映像化にあたって尺もセリフ回しも予算内で出来る描写もすべて再度検討しなければならない訳で、原作者がちゃんと納得するシナリオにするには本当なら原作者と脚本家が合同で脚本制作しないといけない位繊細なものだと思う。シナリオがうまくいっても演出で台無しになるケースも多々ありますし。 今回の件は原作者へのリスペクトが欠けていたのではという疑念がありますが、この先原作モノが原作と異なるシナリオだった場合に「原作と違う、脚本家最悪」と安易にならないためにもちゃんと検証して欲しい。本当は有意義な映像化が出来ないならしないで欲しいし、もっとオリジナル脚本で勝負して欲しいところなんですけどね。収益が難しいのは分かりますが。
・原作者も脚本家も十人十色でしょうから、色々な意見もあると思います。
この問題って、原作とするなら忠実に再現し、原案とするならそれなりに脚本ありきとはならないのでしょうか。
著名な脚本家さんは、マンガを実写化するには表現方法の違いがあり、全く原作どおりにするのは無理があると言われていました。
原作どおりとは言っても、実写化に無理があるところは原作者との合意により多少の脚色はありとして、それなりに脚色する場合は、事前に「「原作者」「作品名」を原案にしたドラマであり、原作と異なる表現があります。」といった注釈をつけて放送すれば良いのではと思います。
勿論、どちらの扱いも事前に原作者の了解を得ることは当然ですが。
・良くない劇団の代名詞になった【宝塚歌劇団】だけれども、「ベルサイユのばら」の舞台化に当たり、原作者の池田利代子の原作漫画を演出家であり脚本家でもある植田という人だけではなく、「漫画を読むのが大変だった」と漫画に不慣れなベテラン生徒(劇団員)も単行本を読んだということだった。 演出として当時の大俳優の長谷川一夫を招聘したことも話題になった。 漫画ファンからの「剃刀入りの手紙」などが生徒に届いたそうだったが、無事に大盛況で終わったそうだ。 少なくとも、この当時の宝塚歌劇団の原作者への対応は今の小学館や日本テレビよりも良かったのかもしれない。 原作を読んでから「大変多い場面を2時間余りに纏めないといけない。」と脚本には苦悩したとも言っていたから…。 原作を大切にしてほしいと原作者が望むときは、それを守って欲しいと切望する。
・全体的に手抜きだったのだと思う。時間をかけずに作り続けていた結果原作を読むことすらしなかったのでしょう。テレビ局って以前は体を壊す程長時間労働でそれがクオリティを支えてたけど今は労働基準法遵守で長時間労働が無くなりそれは労働者にとってとても良い事なんだけど、同時にクオリティが落ちるという弊害があるのだと思います。
・日本テレビは主演女優にベリーダンスをやらせたかっただけではないかと思ってしまう。ビジュアルのインパクトが大きいから、つかみとしては十分。実際、番組の宣伝にも多用していた。
その設定のみを使えれば原作は用済みで、芦原さんが作品に込めていた大事な部分なんて、気にしなかったんだと思う。内容に抗議がきても、従来通りスケジュールなどを盾にして跳ね除けようとしたが、折れてくれなくて、ドラマ制作を遅らせるやっかいな要因くらいに認識されていたのではないだろうか。
・大胆な発言の多い古市さんですが、この件については同感しました。 特に「誰かを血祭りにあげるのではなくて、もう誰も傷つかないで済むように、エンタテインメントの世界が前に進んでいけばいいと思っています」 娯楽であるエンタテインメントが魅せる事ではなく、やり玉に上げるあら探しの標的とならないよう萎縮していってしまうのであれば、淋しいです。
・もともと原作者がSNSでいきさつを開示するということは危険なことで 面識もなく意思疎通したことのない相手に対してするのは、どう受け取られるかがわからないことしているのと、経緯という内情を明かすことは手の内を預ける形になる。突拍子もないことをしたなと思った 一般社会において、意思疎通が始まる前に経緯を打ち明けるということは 私はその打ち合わせに出席してない。それ後出しジャンケンじゃないですかとなりやすい。 原作者はモヤモヤした中では原作の続きを書けなくなってて、だから経緯を開示して早期にモヤモヤ感を払拭したかった。言ってみれば脚本家にヘルプを求める心境だった。お互いがわかり合える形になれば、続きを書くことができるという意図だったと思う そういうのを指摘するのが社会学者であって、 一方側に偏る指摘をするのは、社会学者としては失格だし、その資格はない。
・もし脚本家が原作を読まずに書いていたとしたら、仮に業界的によくあることだとしてもNGだと思います。その場合は原作のタイトルを使ってはダメ! 原作を使わせてもらう以上、原作者と思いを共有するぐらいに読み込んで書くべきではないでしょうか。それができないのなら、0から1を生み出すオリジナル専門の書き手になって下さい。改作専門の脚本家さん達、これ以上悲しい思いをする人を増やさないで!
・普通は、原作があってその脚本を書こうとしたら、原作を徹底的に読み込んでその世界観を自分の中で共有しようと努めます。でなければ書けないはずだから。だからその作業は当然あったものと勝手に思ってました。そしてその最新刊が出たら、一刻も早く読みたいと思うものなんじゃないかな。 何も知らなかった状態では書けないし、実際に何度も修正が入ったなら、詳しく説明をされなかったら自らその経緯を尋ねるんじゃないでしょうか。 結局、いまだに何が起こっていたのかはよくわかりません。誰かを責めたいわけじゃないけれど、こういうことを繰り返さないためには、関わった人たちはこれを他人事のように考えず、もう一度しっかりと検証してほしい。
・元からのファンじゃなくて「原作に忠実に」という条件を知らなければ、ビジネスと割り切って流し読み程度で脚本を書いたりすることもあるんじゃないかな。
現場スタッフなんかも余分な知識を入れず脚本に集中するために、あえて原作を読まないこともあるかもしれない。
日テレやプロデューサーの方針が原作よりもスポンサーや芸能事務所を向いてるなら、そういうスタンスの方が仕事しやすそう。
この脚本家の過去のドラマを調べてみたら、以外にも結構原作に忠実な作品もあったから、そういう指示があったら読み込んで忠実な脚本に仕上がった可能性もある。
やっぱり知らなかったんじゃないかな?
そもそもSNSコメントの話はともかく、ドラマが原作よりになるかどうかは日テレとプロデューサーで決まるからね。 脚本家なんて所詮は下請けでしかないよ。
・やっぱりナゼか詳細な時系列を報じ無いよね?
主演女優のヒトがベリーダンスを習いはじめたのが昨年の5月から… 少なくともその前から彼女を主演に企画が進行してたんでしょう?
でも原作者さんがドラマ化を許可したのが6月になってから…
主要キャストは毎熊さんを除いて全てホリプロ… さらには例の脚本家もホリプロ出身… これはよくある配役ありきの実写化だったのか? 例の脚本家も原作クラッシャーとか異名が有るみたいだけど… それでなおも起用され続けてるって事は配役ありきの大手芸能事務所御用達の脚本家だったって事かな?
強気なInstagramへの書き込みとそれに賛同したりおもねったコメントしてた同業と思しきヒトタチもその背後関係を知ってたからかな?
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・原作者へのリスペクトがどうとか、そんなことはどちらかというと些末な問題だと思っています。 最大の問題は「原作に忠実に」という約束事、契約を日テレと小学館は守ろうとしていなかったことではないでしょうか。
ドラマ化にあたって原作を改変することは必要なことだったのでしょうし、両社は事前にわかっていたはずです。 ですが、原作の改変を前提にすれば原作者の了承を得られません。 なので、両社はドラマ化することを優先して、現実には不可能な守る気も無い契約をしてしまった。 これでは不誠実な態度と言われても当然です。
日テレも小学館も契約を守るという当然のことができない、守ろうとしない会社だと言われても仕方が無いのでは?
・全てはこの脚本家からの投稿から始まった。 この投稿さえなければ、最悪な事態は防げたはず。 この脚本家のコメントを見ても「事実が分からない中、憶測のみで、原作者に責任を押し付けているとも攻撃的とも受け取れるようなSMS投稿をしたのでは」ということは推測できる。
物書きの最大の武器であり誇りである言葉で人の命を奪うきっかけを作ることになるとは、、 ペンは剣より強しというが、使い道を誤ってはならない。 この脚本家はそれを誤って使ってしまったことに気づくべき。
・映像化ならではの表現もあるだろうし、そこは脚本家の腕の見せ所。 脚本家が入ることが悪いとは思わない。 漫画ならではの表現で、映像化すると不自然になるようなことはカットするとかもあるだろうし。
それって、原作者が認められないほどの改変じゃないと思うんですよね。 むしろ、プロの仕事っていえるんじゃないかな。今回はそういうのを求められていたと思う。
勝手に恋愛要素を強めるとか、キャラ変とか、そういうのは全く求めてないってこと。そもそも約束とも違うわけで。 古市さんの話からすると、わたしも原作すらよく読んでないのかもって思いました。 そんなことあり得るんですかね?
原作はあくまでも原作者のもの。了承なく好き勝手していいわけない。 リスペクトできないならやらないという選択は必要だった。 プロデューサーも脚本家も、修正を軽く考えてたんだよ。リスペクトはなかったんだろうね。
・この件は、作家マネジメントとしての在り方と、脚本家連中の意識の問題に分けられると考える。
作家マネジメントでは、小学館という作家側に立つべき会社が、原作者の多大な修正を必要とする脚本が上がってくることに対して、なぜ受け入れたのか。小学館は脚本初校を原作者の目に入れる前にはじき返すべきで、「今のままだとドラマ化させません」と言うべき立場。
その上で脚本が変わらないなら、日本テレビの横暴。言っていないなら、小学館は作家マネジメントの資格がない。今は小学館の姿勢が問われている。
そして、原作を実写などの脚本にする脚本家としての意識。原作者に会わなくていいなどとのたまう脚本家連中の驕り。作家が悩んで創作し、面白くて人気が出て、人気があるから実写化・アニメ化する。と、原作が人気コンテンツになるまでの過程でなんの寄与もしなかった人間が、妙な特権意識を持っていることが問題。
・急遽、残2話を原作者が書くことになったと認識していたわけだから、知らなかったんでしょうね。知っていたならば、困惑することではないはずだから。そして、最新刊の巻頭言も、読まなかったのでしょう。漫画そのものを読まなかったかどうかは分からないことですが、最新刊の発売を個人的にチェックして購入するとも考えにくいので、契約時に既刊本を渡し、それを読んだのみかもしれません。
・鬼滅の刃なんかは、きちんと原作を再現してますよね。 再現しつつ、いかに迫力ある映像にするか、見栄え良くするか、見応え良くするかというのは、コミックではなかなか表現しにくい部分なのでアニプレックスのスタッフさんは凄いですよね。 原作者へのリスペクトを感じます。
原作にはないスピンオフな小話も、原作には全然影響与えていないし、あくまで閑話休題的。
・やはり日本テレビによる経緯の説明が必要ですね。 原作者の「原作通り」などの条件をちゃんと脚本家に伝達していたのかなどの 説明がないと納得できない部分がありますよね。 ちゃんと伝わっていないのなら日本テレビが意図的に無視したという話ですし、脚本家が無視して改変したのならなぜ日本テレビ内でその脚本を確認しなかったなどの疑問が払拭できません。
・恐らく初めから原作に忠実にドラマ実写化するつもりはなくて、ドラマの脚本家として仕事をしただけ。なんだと思います。 ただそこに有る仕事をしただけ。仕事をね。 ソコに愛はあるんか!!
漫画家の芦原妃名子先生は大切な作品を愛を持ってドラマ化して欲しかったけど、原作を大切に愛をもって実写化したドラマではなかった。それだけでしょ。 多少なりのオリジナリティがあっても、先生が感動できたり、納得できる作品だったらOKだされてたんでは?それは原作の漫画をしっかり読んで理解しててもらえればできるオリジナリティであって、読んでない人がオリジナリティ出したらもはや別の作品。 先生、辛かっただろね。自分の漫画が違うものになっちゃってたんだもん
・原作者から脚本家の間に何人の方が入っているかは分かりませんが、物語の大事な部分に関わる事なので口頭やTELで連絡と言う事は絶対に無い筈です。連絡手段に何を使っているかによりますが、どこで伝達の間違いや未実施が発生したのかは調べれば簡単に分かる事だと思います。 人一人の命が失われているのに何の調査行わずに有耶無耶にして、個々の編集者や作家さん当事者の脚本家のコメントのみで事件が忘れ去られるのを待っているような対応をとるのは日本テレビ・小学館の企業としての姿勢に大きな疑問を持ちます。
・脚本家のコメント、なんだか納得できないコメントでした。 1話から8話、かなり原作者から修正されたとのこと。 ならば、脚本家には原作者が原作に忠実にとの思いが少なくとも伝わるはずです。 それを感じ取れなかったのだとすれば、脚本家は原作をどう思っていたのでしょうか。 例え原作者側の意向を聞いてなかったとしても、感じ取ることはできたはずです。
・たとえ誰も責めたくないというのが願いだったとしても、実際にはそれをせずには作品も原作者もドラマ化の現場もすべてがある程度ハッピーになれる仕組みになっていなかったとわかったのが今回の問題です。 同じ事を繰り返さないためにも、責任の所在をハッキリさせるのが何より大事。 責任の所在が個人にあるなら、その個人の責任を追求しないのは犠牲者に対する冒涜であり、亡くなった方の願いを叶えるために必要な事でしょうに。
・今回一連の騒動で思うのは、誰も大人の対応をしなかったということ。 放送されてしまったものに対してああだこうだいっても仕方がないし、亡くなってしまったあとに時計の針を戻すこともできない。 ただそれに対して全員が話し合い、大人の対応をすればもっときれいな形に着地することはできたはず。
・経営と現場の考え方の乖離は、どの世界でもあることだよな…。 それが今回は小学館だった。 経営陣は原作を1作品でも多くマルチ展開して、一冊でも単行本を売り円盤の販売や配信で利益を上げたい。現場は作家を守るためなら最悪の場合は中止になってもいいくらいの覚悟を持つことだってあるはずで、その立場の差がハッキリと出た。 経営陣は今回なら日テレを優先し幕引きを図ろうとして、現場は芦原先生の尊厳を守ろうとした。 小学館の社長は世襲の4代目だから作家を大切にするような感覚がないのかもしれない。 でも、役員の中には藤子F不二雄先生の担当だった人や、あだち充先生の担当を務め(マンガ誌の編集長などを務め)たような人もいるんだから作家を軽視するような姿勢なら止めて欲しかった。
・去年はYOASOBIとかスピッツとか原作を相当読み込んで作られたであろう主題歌が大ヒットしたよね。
エンタメ界にとってはこういう流れこそ大事だと思う。
・私が疑問に思ったのは、どちらのコメントも原因究明については全く言及されていないことでした。 今回の問題は作家の意思がどのようにドラマ制作側に伝わっていたか(伝わっていなかったのか)、それはなぜなのか、というところです。これが曖昧である限り問題の解決にはまったくなりません。 それほどに最も重要で本当はどの関係者も外部へのコメントとして言及すべきところなのに、どちらも避けるかのように触れていないことです。 これでは近い将来同じ問題が再び起きてしまうでしょう。根本解決を目指さない会社に対し、創作(作家)側は一段の警戒をしておかなくてはいけません。 「気持ち」だけ述べても一部の人が騙されて終わりです。
・なんか「漫画実写化の難しさ」の話になりがちだけど、本質は違うんじゃないのかな。
①脚本家がSNSで原作者批判をした ②番組公式がドラマに批判的な意見にだけいいねしてた
ドラマ制作の構造的な問題じゃなくて、悪意を持って嫌がらせしてやろうって行動を起こした結果なんじゃないかな?
契約内容と違う原作からかけ離れた脚本を書かれる、だけなら自ら命を絶たなかったと思う。
・原作者と直接会って意向を聞け!とまでは言わないが、ドラマを作るにあたり原作者は元作品を通じて何を表現したかったのか、制作サイドは最低限、原作漫画を熟読すべきでしょうが…! 俳優も役を演じるにあたり、台本を読み込みながら演じる方も居ます… 脚本家はドラマ化に置いて、脚色も必要な部分も有るでしょうが、原作の趣旨から逸れ無いように配慮すべき…ソレを恨みがましくSNSへ自分の感情を投稿するとは悪意が有ったと思われても当然でしょう…? 各方面でこの件に関し収拾がつかない事態になっている限り、利害関係の無い識者による第三者委員会の立ち上げは必須でしょう!
・結局芦原先生の伝えたかった作品のテーマをこの脚本家は理解できなかった。 漫画に忠実にという条件をしらなかったとしても、毎回原作者に直されているうちにもう少し原作を読んで理解しようとか、じゃあ忠実にやってみようとかならなかったのか。 あえてセオリーを外した展開が王道に改変されていたと先生はおっしゃっていた。 それをやったら連載中の原作はどうなるのかとか考えなかったのか。 大衆は王道が好きなので、ドラマを見てから原作をみたら印象が変わってしまう。 先生が描きたかったテーマが意味をなさなくなる。 知らなかったからどう変えてもいいという話ではない。
・アニメの制作をしています。
脚本家連中の一連の発言は幼稚な物が多く、擁護したいわけではないのですが 現場に回ってくるコミックスは本ではなく今はデータ(pdf)であることが多いです。 そのデータにあとがきまで含まれているとは限らないので 今出ている情報だけで「原作を読んでいないのか」と責めるのは早計と思います。
一番あるパターンは、やはり「伝達役の人が伝えていなかった」というのです。 一度伝達を遅らせてしまうと「今更言えない」という心理になり どこかで破綻するまで黙っているという状況になるのはままあります。 今回小学館側なのか日テレ側なのかは分かりませんが 作者さんの要望が現場にちゃんと伝わっておらず 最終2話で「自分で書きます」となった時に 現場には「いやぁ、作者が急にこんな事を言い出しまして」と伝えてしまう というのは目に浮かぶ光景です。 その場にいない人を悪役にするのは楽ですから。
・あの、脚本家が10月10日発売の最新刊を読んでいなかったとして、そんなに問題なんでしょうか。 7巻に書かれた芦原さんのメッセージ(8月31日付)によると、その時点で原作を元にした脚本は、修正を含めてあらかた仕上がっていると読めるんですよね。それ以外の8~10話の分はドラマオリジナル展開という事ですが、その脚本家が関わったのは8話まで。最新刊が出る10月10日頃には、脚本家としての作業は、終了していたのではないでしょうか。 そうなると自分が関わった作品とはいえど、仕事が終了した後も読むかと言うと微妙だし、個人差があるように思うんですよね。 責めるつもりじゃないんでしょうけど、結果論で語るのも何か違うような気がします。
・私も原作者の方は、誰も責めたくなかったとは思いますが、その結果、脚本家はどう反応しましたかね。
原作者の優しさを利用し、条件を無視し続けた制作陣。
その結果が悲報に繋がってます。
残された者は、次の被害者が出ないようにする事、その原因を取り除く事だと思います。
出版社、制作陣、どこかに、原作者を蔑ろにし、原作を壊す者がいます。
原作者との約束を破り、原作を壊す者には関わらせない。
これが大事です。
原作者の方々には、知る権利があります。
私たちも断罪する立場にはありませんが、実写化をした時、原作者を蔑ろにする者を知り、視聴しない権利はあります。
亡くなった方の思いは、わかりませんが、課題となった事は明らかです。
課題となった事は、やるべきでしょう。
・原作を読まないと脚本は書けないよね。だから読んでないことはないと思う。 ただ漫画の作家コメントを読んでないと言いたいのだろう。 脚本家の都合の良いコメントに思えるね。
ただ脚本家のチェックは日テレドラマ班がするはず。おそらく視聴率やスポンサー受け重視でやりましょう!的な会話があった気がする。
脚本家も逃げずに真実を語れば良いし、日テレはプロデューサーやディレクターの調査に入って結果を公表すべき。
・こうなった以上、小学館だけの話じゃない。ジャニーズじゃないけど、大手出版社とTV局の癒着、忖度の話にもなる。 今まで泣き寝入りしてきた原作者らも集団訴訟を起こすくらいの気構えが必要かもしれない。 今後、契約のありようをしっかり精査して再発防止にしなければならない。
・この脚本家さんは自分で著作したものがないのかな?脚本にも著作者人格権ってあるはずでしょうに。それを踏みにじるような結果になったというのは、どこかに私がこの本の脚本やってやれば、本が売れるんだからいいだろっていうおごりがあるように思えます。マスコミ特にテレビ、新聞の人と話すと、私がこう映します・書きますから、こうなるんで都合いいでしょといった、上から目線の話し方する人が多いので、本当に嫌になります。
・脚本家本人のみであれば、雑誌連載の方で最新追い続けてたから単行本は見てなかった、とか いうこともあるかもしれませんが、スタッフが一人も単行本チェックしてないとすると残念ですね。
・原作読んでリスペクトした上での改変だったらまあ納得できたのかもしれないけど、世界観もぐちゃぐちゃでの改変やったら別物やんとなるもんね。。。 一番初めにどういうふうに描くのか契約書があるんだからそれをよく読んでそれに沿って脚本を書くのがプロなのかなと思う。
・仮に単行本を脚本家本人が読んでなかったにしても、周囲の関係者まで全く知らない、脚本家の耳に一切入れない、というのは不可能でしょう。初めて聞くことばかりというのは無理がありすぎます。 また「頭が真っ白に」なって数日云々というのも、芦原さんのコメントの後に女優さんとインスタで楽しくやり取りして、「痛くも痒くもない」風を吹かしていたところを見ているのでこちらも無理があります。 この脚本家には「周囲に二度と繰り返されないことを願うのではなく、自分自身が深く悔いて二度と繰り返さないでほしい」と言いたいです。
・脚本家が原作を全く読まずに作ってましたと暗に認めた。正直リスペクトすら無かったんだ。番組の公式サイトから作品の原作を探して読んでみるくらいは出来たはずなのに(原作を知らない視聴者なら原作を読んでみて世界観を感じてみたりするのに、、、)原作タイトルググったら色々出てくるだろうし、そういう作業すらしなかったの?!一体何時の時代を生きている脚本家なんだろうね。
・こういう時系列的にもはっきりしてて言い訳できない印刷物での証拠となる情報まで揃ってるから、テレビ側と、もしかしたら小学館も原作者さんの意見をないがしろにしていたであろうことは一切誤魔化せないのに「行き違い」で済ませようとしていて不信感がどんどん増大していく。
特に脚本家。本当に「何も知らなかった」のだとしたら、「原作にかかわるもの」など目を通す必要すらないという姿勢だったから単行本の文章も読みもせずスルーだったと自分から言ってるのと同じ。
原作と原作者にリスペクトが全くないことを自分から出した追悼文で自分から改めて世に発表してる形になってるのに、まだ誤魔化せてると思っていたとしたら相当頭がおめでたい。
・想像ですが・・・。 相沢友子氏の「初めて聞くことばかり」というのは・・・ 原作者と日本テレビの契約時に「原作に忠実にすること。忠実でない場合は原作者が手直しをすることがある」ということを日本テレビ側から聞かされていなかった可能性。 そして1~8話で原作者から何度も直しが入り、9~10話は原作者本人が脚本を書いたことについて、日本テレビ側が一方的に「こんなワガママな原作者は初めて。相沢さん、ここはひとつ折れて、原作者のいう通りにしてください」などなど、相沢氏の機嫌をとるために適当にごまかしていた可能性。 日本テレビ側から一方的に原作者がひどい対応をしていると聞いていたので、騒動のキッカケとなったX(旧Twitter)のコメントをした可能性。 想像ですが・・・。
・小学館の被害者面とも言えるあの声明には本当に驚いたよね。そもそも原作者さんが自ら前に出て戦い心を痛める必要は無かったのに間に入るべき出版社がただの伝書鳩じゃどうにもならない。 守るべき原作があって金を稼がせてもらってるのが出版社。ボランティアではなくただのビジネスでもない血の通ったやり取りをするのが出版社の大切な仕事でしょ。 それを中身のチェックすら原作者にやらせてここまで追い詰めるのって、普段からやり取りしているのだから分かってたはずでしょう。なぜ出版社としてNGを出さなかったのか。結局はテレビ局の意向と利権でしか仕事をせず原作者を食い物にしてるとしか考えられない。今回亡くなってるにも関わらずテレビ局も出版社も対外的に何もしないと宣言する有り様。
原作者さん達はユニオンなり組合を作ったらいいと思う。結局は金の為だけで誰も守ってくれないのよ
・脚本家の言葉の端々に原作を置き去りに自分達でより良いものに作り変えてやる的な姿勢が滲み出て嫌なほど優越意識が感じられる。 そもそもこの脚本家は原作者へのリスペクトが感じられない。インスタにも名前でなく、原作者としたのもその証拠かと思う。
・原作にリスペクトがあるかどうか以前の問題なのでは。原作があるのに内容も知らない人があらすじ聞いてドラマ作る。脚本家というか製作チーム適当すぎる。こんな方々は原作ありきでなくオリジナルだけ出せばいい。その才能があればね。
・セクシー田中さんの連載が終了してからドラマ化すればよかったと思う。芦原先生の代表作の砂時計を小説化した作家の人が芦原先生はからは何の注文もなかったと言っていた。田中さんは連載中だから原作の世界観を大事にして欲しかったんだろうと思う。ドラマの中の田中さんが別のイメージにされてから漫画の続きを読んだら確かに違和感を感じると思う。小学館と日本テレビが芦原先生の許可が出る前に勝手にドラマ化を進めた気がする。役者さん達には何の責任もないし気の毒に感じる。やっとコメントだした脚本家と日本テレビには不信感は残ります。
・原作の世界観をドラマで体現するなんて相当な力量がないと無理だと思う。特に脚本家は厳選しないと。 耳目を引く設定だけ原作からつまみ食いして視聴者受けするドラマを作ればそれでいい。そういう制作側の姿勢が原作者を傷つけてしまった。 あまりにも原作へのリスペクトを欠く行為だ。
・(うまくいっている例はたくさんあるから)
この考えが現状を生み出していると思います。 確かに原作とは違う内容になった映像作品の中には 「成功」と呼べるものは多々あります。
しかし その作品を原作通りに作っていたらどうなっていたか は誰にも解りません。 もしかしたら「成功」では無く「大成功」を したかもしれないのです。
もちろん 予算上の都合・放送倫理上の都合・制作技術上の都合などで どうしても映像として再現できない箇所があるのは 仕方がありません。
もし映像制作側の提案する改変案を 原作者がどうしても許容できない内容であれば 原作者の意向を最優先すべきです。
確かに興行収益や視聴率は大切です。 ただ、全ての原作者が それらだけを際限無く求めているワケではありません。
映像制作側の価値観を原作者に むりやり押し付ける慣習が 今回の悲劇の根本原因だと思います。
・本当のことを知っている人が必ずいるはずなのに、それを公開しようとしない。 原作者の方ももちろんですが、脚本家の方もこれでは浮かばれません。 2次被害、3次被害が出てしまったときにまた後悔しています、とか二度とないように…とかで終わらせますか? 大人は子供に相手の気持ちになって考えて行動するように注意しませんか? 大人ももう一度、相手の立場になって行動しませんか?そうすれば、泣く人もいなくなるとは言えないまでも、少なくなるのではないでしょうか?
・サラッと 原作者である先生にご納得いただけるまで脚本を修正していただき、
と、非常事態な内容をそうではないように書いてますが、 芦原先生は忙しい中で作品を守る為に1〜8話修正、9,10話を執筆した。これは普通じゃないことでしょうに。
実はあるべき論を書き連ねてるだけで、感動を喚起して、焦点をずらした巧妙な怖い文章だなと思いました。 寄り添った親身な味方だったなら、芦原先生が最悪の事態になる事はない筈ですよね。
・問題の脚本家の『初めて聞くことばかり』コメントに唖然とした。原作者側と会っていなかったとしても、原作者側からの意見や要望は全く聞いていなかったのか?しかも、原作マンガを読んでいなかったとすれば、それでよく脚本を書いたと思うし、最初から原作へのリスペクトもなく、単なる「やっつけ仕事」でしかなかったとしか思えない。更に、未だに日テレは今回の事件について簡単なコメントだけ出して「説明責任」を放棄している方も問題です。
・コレは想像。周囲に有無を言わさずに仕事する脚本家先生であった場合。スタッフが何か進言したり、原作者の意向を伝えると、仕事降りる!とか脅してくる方であった場合、周囲は何も言うことは出来ない。結果、そりゃ、聞いてないわな、言えないんだもん。ってなる。 パワーハラスメントとかも往々にしてこういうので発生するよね。言うと怒られるから言わなかった。後から聞いてない!って怒られる、みたいな。
・初めて聞くことばかりとのコメントを見て、 脚本家の方もある意味被害者なのかなと思っていたが、 よく考えたら、以前脚本家の方自体が仰っていた異例なぐらい脚本に修正を加えているんだから普通の感覚ならおかしいことに気づいて原作者側に問い合わせるか、空気を読んで原作に近づけるなりするんじゃ無いかと思ったら 初めて聞くことばかりが流石に言い訳じみて見えるようになった。
・漫画は絵があるので、相当縛りが利くけど、それでも原作の再現は無づかしい。 小説の映像化は、まず、別の作品の創造といってもいいだろう。 原作者は拘りがあるならば、原作の提供に際して、そこは十二分な取り決めをしなければならないが、それは、脚本家、監督の手足を縛ることでもある。 何とも難しい話だ。 脚本家について書いているが、これも難しい話。原作者の意向が、どういう風にどの程度伝わっていたのか知るべくもない。また、今回、こんな事故をなってしまったが、彼らにとっては、クレームも含めてそれが日常であろう。取り立てて、悪行を行ったのか。配慮へ向かう誘引はあったのか。わからない。 そして、自殺という結末に至った原因は、脚本家なのか。 私は、無責任なネットが、少なくとも、直接の原因(加害者)であると思う。
・結局は日テレの制作陣、あとは小学館上層部あたりの問題が大きいのでは。 脚本家の思い上がりもあっただろうけど。
視聴率、スポンサー、制作期限とかを口実に原作を勝手に変えることを何とも思わなかったのだろう。 俺等の力で売れるものにしてやる、くらいの考えでしょう。 小学館上層部も日テレとのビジネスがあるからコメントを出さなかった。
でも小学館側の現場に近いは人達は我慢ならなかったのでしょうね。
・編集部の方々が綴った文面と 脚本家の出した文面から伝わってくるものの違いは明確すぎます。 お詫びの一文を入れるなと誰かに指示されたのでしょうか。 芸能人、元芸能人で文章表現が上手な方はたくさんいらっしゃいます。 しかし、この脚本家の方は これまで人生の機微をじっくり考える時間を持たずに、 歳を重ねてしまった印象を受けます。
・実際の出来事や気持ちを忠実に言葉にして話せる人間は先生と呼ばれる政治家連中ですら出来ません
個人だし反省してない様な態度や行動もしていないのならばある程度気持ちを汲み取ってあげればいいじゃないの
しかし組織やグループによる忖度や空気感や圧力的な上下関係などはな問題検証は必須かな
人は立場により組織やグループ内では別人格役割をするパターンもあるかもよ
・原作者が許可を出したなら、漫画とドラマは別物が原則。 契約の範囲内で例えばプロットだけ借りて自由に創作することだって自由であるべき。 どこでそう思ったのかよくわからないが、必ず原作の?最新刊を読まなければならないという理屈は理解できない。
・ホントにこれですよね。 あの編集部の声明が出て、声を上げてた漫画家さんも振り上げた拳を降ろせて、ホッとしてる感があるし。
真相の究明という視点では、あんな文章では変わらない。
けれど、これ以上社会的なヒエラルキーの上位を攻撃し続けるのも難しいのでしょう。
やはり第三者委員会の立ち上げしかないのでは?
・古市氏が持たれた疑問については、原作単行本の新刊を手に取ることはないんじゃないかなあという印象を私は持ちました。ドラマ放送開始2か月前の日付で新刊に芦原先生のそのコメントが出ていた、となっていたのだから、その時期にはもう新刊収録分は本誌掲載のものを読んでいたと想像できます。すでに読んだものを原作コミックで追える状況かというと制作進行のタイミングからも疑問です。 原作を読んでいないわけではないし、芦原先生が出されたコメントを見逃すことは脚本家さんについては十分にあり得たことではないでしょうか。ドラマ放送終了後も、何も知らされていないまま不満を持っていたのであればわざわざ新刊は読まないでしょう。その点は脚本家さんが責められる謂れはないと思うし、論点はそこではない気がします。
・前々から思っていましたが、漫画のドラマ化映画化は作品の世界観や再現性を描ききれないので止めた方が良いと思います。映像関係の脚本家さんが頑張れば、漫画ばかりに手を出すテレビ局も減るでしょうし、今回のような悲しい出来事も無くなります。
・脚本家の方を責めたいわけじゃないけど、脚本家の方が『初めて聞くことばかり』というのは彼女にとっては本当のことだったと思います。 では日テレ側が原作者の意向を説明しなかったかと言うと、それも違うと思います。脚本家が理解するまで念入りに説明したわけじゃないでしょうが「原作者はこう言っている」くらいのことはどこかで言っているでしょう。脚本家がそれを聞いてなかったから記憶にないだけ。 世間にもいますよね、こっちが説明しても全然聞いてくれない人。興味がない話は全然聞こうとしない、後から確認したら「そんなの聞いてないよ」と真顔で言う人。
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