( 137675 ) 2024/02/10 00:00:25 2 00 指揮者の小澤征爾さん死去、88歳 戦後日本のクラシック界を牽引朝日新聞デジタル 2/9(金) 19:00 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/46451edf1369c661c84953546b2cc9a5b05b8d1a |
( 137678 ) 2024/02/10 00:00:25 0 00 子どもたちに温かなまなざしを向ける小澤征爾さん=2013年、大原れいこさん提供
世界の楽壇の第一線に立ち続け、戦後日本のクラシック音楽界を牽引(けんいん)した指揮者の小澤征爾(おざわ・せいじ)さんが6日、心不全で死去した。88歳だった。葬儀は近親者で営んだ。後日、お別れの会を検討しているという。
【写真】25歳で見せた歴史的瞬間、西洋に起こした革命 小澤征爾さん
1935年、中国・瀋陽(旧奉天)生まれ。ピアノに才能を示したが、ラグビーで指を痛めたため指揮に転向。高校時代に作曲家の山本直純、名チェリストでもあった斎藤秀雄のもとで指揮の勉強を始める。桐朋学園短大を経て渡欧し、59年に仏ブザンソン国際指揮者コンクールで日本人初の優勝を果たした。
カラヤンに弟子入りし、61年にはバーンスタインにも才能を認められ、ニューヨーク・フィルの副指揮者に。ウィーン・フィルやベルリン・フィルなど世界の名門楽団と共演を重ねた。武満徹が和楽器とオーケストラの融合に挑んだ「ノヴェンバー・ステップス」の67年のニューヨーク初演は世界的な話題となった。
カナダのトロント交響楽団を経て70年、米タングルウッド音楽祭の芸術監督とサンフランシスコ交響楽団の音楽監督に。73年から29年間、ボストン交響楽団の音楽監督を務めた。2002~10年にはオペラの最高峰、ウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めた。02年には日本人指揮者で初めてウィーン・フィルのニューイヤーコンサートに登壇した。
朝日新聞社
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( 137679 ) 2024/02/10 00:00:25 0 00 ・学生の頃、水戸室内管弦楽団さんと小澤さんが学校に来てくださり 楽しい時間を過ごしたのが思い出されます。 とても貴重な体験でした。 開演〜閉園まで 私たち学生が楽しめているかすずっと気にしてくださっていた事を後に先生から聞きました。 ここまでの地位に登り詰めた方が、田舎の数百人の為に頭を悩ませていたなんて到底考えもしなかったです。願わくばもう一度と考えていた矢先でした。
ゆっくりお休みになられて下さい。
・ロンドンでシェーンベルクの「モーゼとアロン」というオペラに出演していたイギリス人の歌手が話してくれたのですが、小澤さんはあの難曲を暗譜で全ての歌手に歌い出しのきっかけを示したそうです。普通オペラは暗譜で振らないし、ましてや現代曲でそれをやるというのは大変な努力家である証です。人間力としても後の指揮者はなかなか到達できない境地にいた人だと思います。
・昨年のセイジ・オザワ松本フェスティバルで30年ぶりに来日したジョン・ウィリアムズ指揮の公演後、サプライズで小澤征爾氏が車椅子姿でステージに現れたシーンがとても印象に残っています。様々な病気と闘い衰えきったその姿はとても痛々しいものであったが、それでも映画音楽界の生きるレジェンドであるジョン・ウィリアムズ氏の盟友である小澤征爾氏と念願の再会を果すことが出来たことは互いの一生の思い出となることでしょう。 世界のオザワと称された名指揮者の功績を讃えると共に、心より御冥福をお祈りします。
・ここ数年、体調が優れない状態でも意欲を出されていたのには、感服しておりました。先日江戸京子さんも亡くなられて、1つの時代が終わった感が有ります。またウィーン国立歌劇場総監督のポストは戦後に置いて、日本人が国際的に評価された最も重要ポストの一つと言えると思います。早く小澤さんに肩並べる指揮者が出て来て欲しいです。御冥福をお祈りします。
・広く知られた日本人指揮者の顔が遂に。 Yahoo!アプリが号外で通知が出てこなかったのですが、 私だけ号外にならなかったのでしょうか? 年齢的にも仕方がない事ですが、偉大な指揮者だったので寂しいですね。 戦中戦後を生き、日本人が差別された時期もあった中、早くから世界に通用するだけの腕を磨き習得したことは、 同じ日本人としてとても誇らしい方でした。細身で小柄でもオーラが違いました。 ご冥福をお祈りいたします。
・ウィーンに行かれた時は分厚いヨーロッパの伝統というイジメに遭ったと聞いた。どこの国にもあるが、「外人が握った寿司は寿司じゃない」的な圧があちらこちらにあってかなり神経をすり減らしたそうです。先駆者ですね。ご冥福をお祈りします。
・長野オリンピックの開会式で、小澤さんの正確さがブルーインパルスのドンピシャのタイミングでの上空通過につながったとテレビで見ました。 戦後の日本を勇気づけてくれた人だと思います。ご冥福をお祈りいたします。
・カラヤンに師事した数少ない日本人指揮者という印象です。小澤さんが世界的な名指揮者となれたのには、カラヤンの薫陶があっての賜物と思います。 数々の世界的な楽団で音楽監督を務められ、クラシック界に残された功績は計り知れないです。日本が誇る世界的な指揮者の喪失は本当に惜しまれます。 長年にわたり数々の名演をありがとうございました。謹んで心よりご冥福をお祈りいたします。
・15年前くらいにウィーンに旅したとき、コンサートホールみたいなとこの屋外モニターに、指揮されてる小澤征爾さんの姿が映し出された。 その広場でくつろぐウィーンの人々、そんな想い出。 ウィーンの人々は親切で、私が日本人かどうか知りたがり、話しかけてきた。 とても過ごしやすい旅でしたが、小澤征爾さんのおかげも多少あったような気がする。
遠くにいつも輝く星のように存在した方で、それが太陽や北極星のように、私に勇気を与えもした。 ご冥福をお祈りいたします。
・最近は体調を崩され車椅子で移動されている様子が伝えられておりました。 見るからに病によって痩せてしまった姿を拝見し、それでも指揮台に立って指揮をしている姿は神々しくありました。 ご冥福をお祈りします。
松本市で開催されているセイジオザワ松本フェスティバルは師匠である齋藤秀雄氏の功績を讃えるために設立されたサイトウキネンフェスティバルに起源があります。 これからも同祭で市民オペラなどの活動が小澤氏の遺志のもとに永く音楽家を育てる場として継続していく事を願います
・若き日に渡欧した際の記録「僕の音楽武者修行」は音楽家を目指すだけではなく、普通の若者の冒険心や悩みを書き連ねていた。 バイクの知識を身に着けバイクで当時のヨーロッパを回った記録は、まだ戦後の香りがするヨーロッパを描写していて、紀行文としても興味深い。
・自分にとっては、小澤征爾さんって、日本の誇る最初のマエストロですよね。 ヘルベルト・フォン・カラヤンさんに指導され、レナード・バーンスタインさんに才能を認められるなんて、音楽界ではそれこそ名誉な事だと思いますし、長年指揮をされていて、本当に素晴らしい演奏を引き出す事に、日本人として誇りに感じました。
氏のご冥福を深くお祈りいたします。
・遂に日本のクラシック界の巨匠がお亡くなりですか…。 ご冥福をお祈りいたします。
小澤さんの音楽を生で聴く機会はありませんでしたが、CDではお聴きしております。 小澤さんがいなければ私が好きな指揮者・大植英次さんの今はありません。 小澤さんの招きで渡米したことで巨匠バーンスタインさんの助手となり、指揮者として身を立てられ、大フィルの音楽監督を務められました。 大植ミュージックという一級河川には、小澤征爾という大切な源流があってこそだと私は思っております。 日本のクラシック音楽は小澤征爾という大きな山からどれほどの恩恵を受けたか計り知れません。 本当に日本クラシック界を支えていただき、ありがとうございました。
合掌
・小澤先生の数ある名演の中でも自分はやはりチャイコフスキーの弦楽セレナーデにとても心が動かされておりました。またあの情熱溢れるエネルギッシュな指揮とオケとの共演、サイトウキネンオーケストラとの演奏を是非拝見、拝聴したかったです。近年は闘病生活でお辛かったかとも拝察致します。どうぞ安らかにお休みください。心よりご冥福をお祈りいたします。
・毎年松本市で行われているセイジオザワフェスティバルを牽引されていた小澤征爾さん。 ここ最近は、もう指揮をすることは難しい状態でしたが昨年も松本市に来ていらしゃって フェスティバルへの情熱を感じました。 かなり弱った様子を拝見して指揮者はかなり体力と神経を使うものなんだと(勝手な推測ですが)思っておりました。世界に誇る素晴らしい指揮者が亡くなられたことはとても残念です。
・日本の指揮者として世界で最も高い評価を得た方ですね。 ウィーンフィルのニュイヤーコンサートを指揮した唯一の日本人でした。 ここ数年ご高齢で大曲の指揮は難しかったようですがまだまだ若い日本の 音楽たちを見守って頂きたかったです。 これほどのカリスマ性を持った日本人指揮者は今後出ないのではないでしょうか?日本のクラシック音楽界の一つの区切がきた感じがします。 ご冥福をお祈りします。
・10年以上前ですが、偶然某路線の電車内で隣に立たれている事に気がつきました。非常に驚いたのと、自身も当時学生オーケストラに所属していた事もあり思わず話しかけてしまいました。 小澤さんがとある駅で降りられるまで一緒に会話していただいた事は一生の思い出です。 亡くなられてしまい本当にショックです。哀悼の意を表します。
・個人的には学生時代に新譜で買って繰り返し聴いたいくつかのアルバムを思い出す。 ひとつはウィーン・フィルとのドヴォルザーク。いきいきと闊達、開放的なライヴ録音だった。 それからボストン響とのフォーレ。ヴェールのように繊細な和声の襞にうっとりしたものだ。 名実ともに日本の国際的指揮者のフロンティアだった。
・サイトウキネンフェスティバルで、松本城の広場で何度か小澤さんの指揮で吹きました。フルートだったので本当に目の前で振ってもらったのですが、“世界のオザワ”に圧倒されっぱなしでした。 もうあの指揮を拝見することは叶わないのですね。ご冥福をお祈りします。
・自分が中学生くらいのときにクラシックを好きになりましたが 当時から名前は有名で ボストン交響楽団で活躍されていました。 カラヤンに認められカラヤンの弟子ということも聞きました。 当時は中学生ながら海外で活躍され とても凄い方だなと思っていましたが 当時はレコードも高くあまり小沢さんの音楽に触れることは できませんでした。 自分も年をとり愛知県芸術劇場で 「セビリアの理髪師」「マーラー/交響曲第2番<復活>」の2回の実演を聞き 演奏のすばらしさを身をもって体験しました。 ウィーンフィルやベルリンフィルの世界の超一流オーケストラで活躍され TVやDVDで演奏を楽しませてもらいました。 癌になられてから体調がよくないようでしたが 9月のサイトウ記念オーケストラ公園で Jウイリアムズとうれしそうに舞台に出てこられたのは 感動しました。 CD、BDで全集がでるとすぐに買います。 ご冥福をお祈りします
・大学生の頃、卒業旅行で訪れていたオーストリアの空港で、偶然、小澤征爾さんをお見かけし、思わず声をかけてしまいました。 見ず知らずの学生に突然声をかけられたにも関わらず、とても優しく接してくださり、快く写真にも応じてくださった。 クラッシックとは無縁な私でも知っているくらい有名な方なのに、偉ぶる様子もなく、本当にただただとても優しい方でした。 その時一緒に撮っていただいた写真は、私の一生の宝物です。 小澤征爾さんのこれまでの様々なご功労に敬意を表するとともに、心よりご冥福をお祈りいたします。
・ウィーンフィルの音楽監督を日本人がやる事のインパクトをクラシックファン以外に説明するのは難しいが、例えばレアル・マドリードの監督を日本人が10年近く務めたと言えば、その凄さが伝わるかも知れない。 とは言え自分としては小澤さんはボストン交響楽団のイメージが強いかな。 特にボストン交響楽団とマーラーの交響曲の組合せは秀逸。金管群のダークサウンドと相まって凄い完成度で今でも時々聴いています。 カラヤンやバーンスタインが去り、小澤さんが亡くなられた事で、クラシックのひとつの時代が終わったと感じます。 今までありがとうございました。
・ピアノをやっていたのでコンサート何回か見に行きました。 子供のとき暮らしていたところの近くの会場によく来られていたので1番よく見ていました。子どもの頃は指揮者の凄さってよく分からずコンサート楽しんでいましたが、、、親に連れられていくそのイベントはとても楽しい時間でした 中学生くらいになってから指揮者と息を合わす重要性を感じるイベントなどもあり、、その時よく見ていたのがやはり幼少期の思い出が多い小澤征爾さんの指揮のコンサートでした。 親が好きだったからビデオがあったという意図せずですが、私の子供時代を彩ってくれたクラシックはほぼ小澤征爾さん 思い出深い人が居なくなるというのはこんなに悲しいことかと今寂しい気持ちに打ちひしがれてます。 きっと、私みたいな人多いのではないかな 去年の坂本龍一さんに続き……私の10代に素敵な音楽を運んでくださってありがとうございます ご冥福をお祈りします
・今テレビに速報が出ました。 「僕の音楽武者修行」という小澤さんの自伝を読んで知った方でした。スクーターでヨーロッパに渡り指揮者になるなんてワイルドなスタートをきり、カラヤンやバーンスタインからも認められたたマエストロ。村上春樹さんとの対談も印象に残っています。 世界に誇るべき日本人の1人。素晴らしい音楽をありがとうございました。
・カラヤンとバーンスタインという相容れない二人の巨匠に師事し、更にシャルル·ミュンシュにも師事しているなんていう独米仏に股がる王道の継承者は小澤征爾ただ一人だったのではないか。個人的には決してファンという訳ではなかったがやはりショックは大きい。YouTubeで見られると思うが、VPO、ウィーン国立歌劇場choとのフィデリオのフィナーレは圧巻の一言。それからタングルウッドでのライブ、「グレの歌」はこの曲のこれ以上の演奏は無いと個人的には思っている。 ご冥福をお祈りいたします。
・クラッシック界の巨匠、日本の宝のような方だったと思います。何年か前まで、小澤征爾さんの近所に住んでいました。何度も道でお見掛けしましたが、小澤征爾さんから声をかけてくださったり、とても気さくな方でした。レストランで、たまたまお隣の席になったこともありましたが、子供のお相手をしてくださり、今も大切な思い出になっています。ウィーンに仕事を休み行きましたが、タイミングで小沢さんの指揮を見ることができなかったのが心残りです。喪失感でいっぱいですが、、ご冥福を心からお祈りしております。
・日本のみならず世界中で小澤さんの死を悼んでいることでしょう。現役指揮者の多くも小澤さんの背中を見てきたのではないでしょうか。自分の中ではボストンフィルの印象が強く、ホルストの惑星は繰り返し聴いた。火の鳥も。ベルリン・フィルだったかな?音楽が精密で明快な気がする。指揮もそう。クラッシック初心者にも受け入れ易いのではないかな。著書も読んだり、村上春樹との対談本もとても興味深かった。 素晴らしい功績、財産を音楽界に残してくれました。
・音大卒業後、ヴェスパに跨って指揮させてくれる管弦楽団を探して欧州横断という溢れるロマン武勇伝は戦後日本の活力を体現している音楽家だった。高校生時代、彼と新日本の地方公演でベト7を聴いたのが記憶するクラシック生演奏の初だった。シャープで奥行きのある弦楽器の響きに生オケとレコードの違いを知った。当時愛聴していたベト7はフルトヴェングラーだった。その後メータと小澤が上昇アジアのニューフェースだった時代に小澤マーラーを聴き漁った。やはり同時代のデモーニッシュなマエストロだったバーンスタインへの橋渡しをしてくれた。朝比奈ブルックナーにも。音楽への「情熱」を内外に示してくれた小澤さんに心より哀悼の誠を捧げる。
・学生の頃「小澤の指揮だから」とさそわれて、新宿文化センター(だったと思う)であったコンサートへ行ったことがある。最初のシベリウスの楽曲が日本で初演だということで2回演奏して下さった。 聴衆に話しかけるときにニコニコされて、なんとなく敷居の高かったクラシックを身近に感じ始めたのはその時からだと思う。 感謝とともにご冥福をお祈りします。
・日本の音楽界の最高の宝を失ってしまった。 クラシックファンにとって、喪失感はハンパなく大きい。 村上春樹さんとの対談を楽しんでいる最中でした。『ボクの音楽武者修行』に,ワクワクして以来の大ファンです。 サイトウキネンとのブラームスのシンフォニーが好きで、何度も聴かせていただきました。 さまざま、ありがとうございました。お疲れ様でした。ごゆっくりお休みください。
・元々クラシック好きのワタシ、学生時代地元オーケストラを指揮されると聞いて、1番安い席をやっとの思いでゲットして聴きに行きました。 それ以来、一度でいいからお会いして一言でいいからお話してみたい、それと小澤さん指揮のサイトウキネンオーケストラを生で聴きたい、と願い続けていましたが、叶わない夢となってしまいましたT_T 日本人としてはウィーンフィルニューイヤーコンサートを指揮されたのはまだ小澤征爾さんただ1人、録画は永久保存にします。 本当にありがとうございました。心よりお悔やみ申し上げます。
・誰からも愛された小澤征爾氏。 でもその指揮者としての歩みは波乱万丈でした。 N響事件や昭和天皇への直訴。度重なる体調不良。 特にウィーン国立歌劇場音楽監督の時は病でほとんど活動できなかった。 小澤氏本人が一番残念だったでしょう。 でも斎藤秀雄氏をはじめ沢山の師に恵まれ、最後まで聴衆にも愛され続けて88歳まで「現役」で居続けたのだから大往生だったといえるでしょう。 80歳を過ぎてから演奏回数は激減しましたが、2022年11月、宇宙ステーションの若田光一氏に向けたベートーヴェンのエグモント序曲が最期の演奏になりました。 小澤氏の音楽は宇宙に鳴り響きました。本当にありがとうございました。合掌。
・私が高校時代楽屋に行ってサインを求めると演奏直後で疲れているのに浴衣姿でにこにこしながら気さくにサインをしてくださいました又講習会のときに頭の中に沢山の引き出しを持ちましょうといわれていいことばだなと思いました斉藤門下のお弟子さんたちは自分に厳しい先生ばかりなのでストレスも大変だったと思いますが日本の楽壇を世界的な位置に引き上げてくれた功績は言葉にならないほどの大きさだと思います長い間辛くてご無念だったとは思いますがどうぞ天から又美しい音楽を届けてください、どうもありがとうございましたそそ手お疲れ様でした。
・去年、ジョン・ウィリアムズの指揮の公演のあと、サプライズで舞台に顔をお出しになったのをテレビで見ました。
車椅子に乗り、あまり大きな声も出せないようなお姿に驚きましたが…とても残念です。
小澤さんの単身ヨーロッパに渡り修行した若いころのことを書いたエッセイ、私の愛読書です。
当時は今と違い、外国に行くのはより大変なころでした。そのバイタリティは読んでいてとても感銘を受けました。
どうか安らかにお眠りください。素晴らしい音楽をありがとう。
・四半世紀前のことです。私が中学バスケ部時代、自分の学校が試合会場になることが多かったのですが、そこによく小澤さんが息子さんの試合を観にこられていました。いつも端に座ってニコニコ観戦していました。こちらのコメントで色々な学校に出向いて音楽を広める活動もなされていたことを知り、どれだけ多忙な中でも自分の子供だけでなく他人の子供にすら愛情深い方だったのだなと思いました。
・山の中の小さな学校で教員をしていた頃、オーケストラキャラバンで訪問してくださいました。 子どもや地域の方々が生の演奏に触れることができたこと。終演後は地域の手作り料理を一緒に食べて交流してくださり、みんなにサインして大サービス。 素敵な思い出でした。
・自分が、若い時に、どう言う訳か、サンフランシスコの空港で、2度お見かけし、お話しさせて頂きました。サインも、快くして下さり、なんと、10年後に、東京行きの、飛行機内で、再度、お会いし、これは、何かの縁だと、連絡先まで、頂きました。
気取らず、高ぶらず、誰にも同じ目線で、 心から、笑顔で、お話しして下さる、まさに、世界に通ずるホンモノの小澤さんに出会う事ができ、深く感銘を受け、自分の生き方まで、変わりました。陰ながら、ずっと応援し、ご健康を案じていました。
世界的なご活躍に、最大の敬意を表すると共に、安らかに休まれます様に。本当に、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。
・ボストンでお会いした時マエストロなのに気さくに誰にでも挨拶されているお姿に感動した事を思い出します 日本のレジェンドである事は元より世界的な指揮者であり誇りです ニューイヤーコンサートでの誰でも惹きつけられるオーラは永遠に忘れません
心からご冥福をお祈りします
・そこまで詳しくない中で親とコンサートに行ったことがありますが、無知の私でしたが始まった途端衝撃が走り、ものすごく感動しました。あれから更に2回ほどコンサートに行けましたが最後に行けた2019年を最後にずっとまた行きたいと思っていた中でショックで言葉がありません… こんなに無知な私にクラシック音楽、オーケストラ、オペラの素晴らしさを伝えてくれた小澤征爾さんに感謝しかありません。ありがとうございました。心より、ご冥福をお祈りいたします。
・子供の頃から名前を聞き、楽器をやっていたので憧れの存在でした。 小澤征爾さんが日本を飛び出し、バイクで海外を走りコンクールで優勝してカラヤンやバーンスタインと会い、、、という自伝的な本を学生の頃に読んでクラシック音楽にとどまらず人間味溢れる魅力のある人だなと魅了されました。 25年くらい前でしょうか、サントリーホールで演奏を聴いたのが唯一でした。 本当に大きな功績を残されたと思います。 日本人の誇りです。有難うございました。 御冥福をお祈りします。
・まさに全世界で屈指のマエストロであり、日本にプロのクラシック音楽家が数多いる中で一人飛び抜けて次元の違う存在であった。 にもかかわらず、尊大な雰囲気は微塵も無く、最後まで謙虚で《普通の人》だった。周囲の人全てから常に神のように扱われていれば、誰でも多少なりとも横柄にふんぞり返るようになるのは避けられない。生身の人間である限り。しかしついにそうならなかった稀有な方。 もちろん私自身がこの方の間近で接してそのように知っているわけではない。しかしテレビ画面に映っただけでも、上から目線な人間はいくらそれを隠して低姿勢を装ってもこちらに伝わってしまうものだ。 とにかく、惜しんでも余りある日本の宝を我々国民は失った。しかしオザワさんは我々の心の中にいつまでも生き続けるに違いない。
・日本人が西洋音楽にどれだけ迫れるか、彼は自分は実験台と語った。 そして最高峰であるウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めた。 日本人が西洋音楽の頂点に認められた証ではないだろうか。 もちろんそれ以外にも世界中を駆け巡り多くの数え切れない功績を 残した。小澤さんの音楽にかける情熱を私達は決して忘れはしない。 また一人偉大な日本人が去ってしまった。冥福をお祈り申し上げます。
・音楽を学んだ者としては、小澤征爾さんの指揮のもとで演奏は実力的に無理だとしても、生の演奏を聴きにいきたかった。音大時代は自分の練習で精一杯。プロの演奏を聴きに行く時間も金銭的ゆとりもなかった。 今は音楽とは無縁の仕事をしているが、いつかはサイトウキネンなど行けたらとずっと思っていましたが…。 去年、ジョン・ウィリアムズ来日の際の演奏をテレビで見て、最後に車椅子で小澤征爾さんがステージに出られて姿を拝見することが出来て良かったです。御冥福をお祈りいたします。
・1982年7月に兵庫県尼崎にあるアルカイックホール柿落としでブラームスの第一交響曲を指揮した小澤征爾さんを見たのが最初で最後でした。大フィルが朝比奈さんの時とはまた別の響きを聴かせて感激したのを覚えています。早めに入場できたホール内で支援者らしき女性から渡されたフルーツケーキのアルミホイル包みを持って私の目の前を通り過ぎたマエストロにはスターのオーラが漂っていてただ見送るばかりだったことを思い出します。46歳の小澤征爾さんでした。ご冥福をお祈りいたします。
・去年のサイトウ・キネン・オーケストラで数々のアメリカを代表する映画作品を作曲したジョン・ウィリアムズさんと久しぶりに対面してウィリアムズさんがニコニコして小澤さんの手を賑ったのが印象に残っております。車椅子の姿で厳しかったけど一緒にお会い出来て良かったと思います。
もうあの力強い指揮が見れないと思うととても残念です。日本どころか世界を代表する名指揮者でした。
心より御冥福をお祈り致します。
・24年前に姫路駅の新幹線のホームでバッタリ出会ってビックリ️仰天したこと思い出しました。その日はコンサートがあったようで、帰京される最中だったのかなぁ?団員とハイタッチされたり、身体全身でリズム取ってノリノリに歩いておられた、その姿は正真正銘のミャージシャンでしたね。クラッシック界のパイオニアで、最大の功労者でもあります。本当に惜しい方を亡くしましたね…謹んで御冥福をお祈りします。
・子供の頃、NHKのドラマで野村義男さん主演の小澤征爾の役の自伝的ドラマを見たのが初めて小澤征爾さんを知った知ったきっかけでした。日本にもクラシックでこんなすごい人がいるのだとあのドラマで知りました。 大人になって幸運にも小澤征爾さんが指揮するコンサートを聴いたことがありますが、とても素晴らしい一生の思い出です。
・長野県民の一人としても勿論、世界の音楽界の方々にとっても大変ショッキングなニュースが飛び込んできました。 今から20年以上前ですが、小学生の時に招待してもらったサイトウ・キネン・フェスティバル松本(現、セイジ・オザワ 松本フェスティバル)で小澤さんが指揮されていた光景は今でも忘れません。あの時の感動を皆、忘れていないと思います。唱歌『ふるさと』を全員で合唱したのが懐かしいです。今一度、小澤征爾さん、ありがとうございました。
ご冥福をお祈りします。
・長野オリンピックの開会式で小澤さんが指揮された第九がリハーサルから本番まで1秒も狂わず指揮され、ブルーインパルスが飛行するタイミングの合図になったと知り、衝撃を受けミーハーですがファンになりました。
それからテレビや動画で拝見し、お世辞にも大きいと言えない体であんなにパワフルで繊細な指揮をされて更に衝撃を受けました。
とても残念ですが、今まで本当にお疲れ様でした。 ゆっくりお休み下さい。
心よりご冥福をお祈りします。
・今から約40年前、大阪のシンフォニーホール開館記念コンサートで小澤さん指揮、新日本フィルの演奏でベートーベンの第九を聴きました。4楽章のクライマックスのところで指揮者、演奏者、観客が三位一体になり、我を忘れて演奏にのめり込んだことを思い出しました。もちろん、演奏が終わると多くのブラボーがホールに響きわたり、小澤さんが何回も出入りされていました。生涯忘れ得ぬ演奏のひとつとなりました。 ご冥福をお祈り致します。
・中学生の時に音楽鑑賞の校外学習で水戸芸術館へ行きました。 はじめて入る本格的な音楽ホール、本物の管弦楽団の生演奏、当時すでに著名な指揮者であった小澤征爾さんの指揮、とてもドキドキワクワクして真剣に鑑賞したことを今でも覚えています。 素晴らしい体験を中学生の自分に与えてくださってありがとうございました。
・長らく常任指揮者を務めたボストン交響楽団を率いて”凱旋公演”をした際に、NHKが中継をするという事で、番宣のために演奏プログラムの一つであったヴェルリオーズの<幻想交響曲>第四楽章”断頭台への行進”を頻繁に流し、盛んにアピールしていた事を思い出した。 おや、あのNHKがとうとう・・と感じた覚えがある。 マエストロとは色々な確執が喧伝されておりようやく雪解けか、と大いに感じ入った。 いつかはこの曲をマエストロの指揮で聴いてみたい、と思いながらついぞ叶わぬ夢となった。
巨星墜つ・・・
そう言えばつい先日、元奥様の江戸京子さんの訃報が聞かれたばかりでしたね。
お二人に合掌。
・また1人日本を代表する音楽人が旅立たれたのですね。とても残念ですが、私は大往生だったのではないかと思います。
日本だけに留まらず、世界的に影響を与え、日本を代表する指揮者にまで上り詰め、 世界の小澤とまで言われるまでになった…。
私は趣味でバンドをしてギターを弾いていますが、 そんな私ですら小澤さんの事を知っています。 私の妻も音楽人ですが、小澤さんのニュースを聞いて2人で話題に尽きません。
こんな小さな島国から世界へ羽ばたき、この小さな島国に住む私たちに大きな可能性を示した小澤さん 本当に誇りに思います。
どうか安らかにお眠りください。 ご冥福をお祈りします。
・世界の巨匠がひとりまた逝った。ご冥福をお祈りします。さよならマエストロとか、それが答えだ、などドラマ化された配役の中に、小澤さんがモデルなのではと思わせるようなシーンが組み込まれている。 戦後のクラシック音楽界を引っ張っていた。昭和も遠くなり、平成も距離が離れていく。その足跡は、忘れることは無いだろうと思う。
・カラヤンと並んでクラシック業界の勝ち組でしたね。運命の第一楽章 カラヤンと速さを争って、小沢さんの方が短く話題になりましたね。またヨーロッパデビューはマルセイユまで船で行きそれからホンダカブでパリまで、ホンダの協賛で成功の足掛かりをつけましたね。味わい深い演奏と言うより、カラヤン直伝のスマートでスポーツカーに乗ったクラシックと言われましたね。でも晩年入院されても病床でスコアを読み音に触ると表現されてました。素晴らしい音の表現者でした。ご冥福をお祈りします。
・日本のクラシック界の巨人というだけでなく、世界においても寵児としてトップスターの地位にあった。クラシック後進国の日本から米国のメジャーオケやウィーンフィルの主要ポストに就くのは歴史的偉業だった。今でこそ珍しくないが、東洋人が客演するだけでも話題になった時代だ。 カラヤン、バーンスタインという世界の巨匠に認められたことが大きかったが、気さくな人柄で誰からも愛され後進の指導教育にも熱心だったところはバーンスタインにより近い。 若い頃のN響事件等は若気の至りと、頑迷な日本音楽界の因習が原因だったのだろう。膨大な録音を残しているが、海外での評価や人気に比べて日本の評論家は冷たかった。彼らは本家本元の本場ものにこだわるからだ。
・ボクの音楽武者修行 という単行本が何十年も自分の手元にある。価格は240円。読書家でもない自分が何度も読み返す数少ない本の一つである。「世界のオザワの自伝的エッセイ」と説明書きにあるが、冒険記の様な内容で、成し遂げたい何かを見つけ自分を見失わず、けれども軽やかな様は時代を超えても尚、折に触れ自分に勇気の様なものを与えてくださっています。 音楽の素晴らしさの理由となっている人柄を少しだけど知ることができた。音は残っていく。でもそれだけではない。御冥福をお祈り申し上げます。
・私が中学生の頃、NHKニュースで「小澤氏が名門ボストン交響楽団の音楽監督に就任する」旨の報に接し、たったそれだけで一生忘れられない思い出となった。ボストンと言えばハーバード大学など超高度な知性が集結する地域、驚嘆せずにいられない。 今では、スポーツ・芸術分野で世界トップクラスの日本人は珍しくないが、小澤氏はその先駆者達の一人であり、後進日本人の士気を鼓舞し続けてきた。事実、日本の指揮者や交響楽団は世界トップクラスに成長していて、最近、特に個人的に感銘を受けたのが若手女性指揮者の素晴らしいこと。
小澤氏が渡欧米した当時、「東洋の猿に西洋の芸術音楽がまともに演奏できるのか?」類の偏見があったかもしれない。 それを押し退けての快挙につき、小澤征爾氏と彼の恩師齋藤秀雄氏に、改めて、拍手喝采を送りたい。
・10年以上前、小澤征爾さんが指揮をされる公演をライブビューイングで見ました。クラシック音楽はのだめカンタービレで好きになったくらいの素人で、たまに地元の音楽団の演奏を聞きに行っていましたが、たまにうとうとしていました。しかし小澤征爾さんが指揮されている公演は全く眠くなることがありませんでした。むしろ次はどんなのが来るんだろう、と前のめりで聞いていました。今まででこんな経験無かったのでビックリしました。 心よりご冥福をお祈りします。
・いつかは、とは思っていましたが、とうとう小澤さんが逝ってしまわれたのですね。 以前仕事でご一緒する機会に恵まれました。当時60代の元気溢れる小澤さん。ご自分で車を運転して家族を連れて回り、とにかくどこに居ても情熱的で周りが華やかになり、演奏が始まればファンを酔わせるタクトさばき。 ありがとうございました、ご冥福をお祈りします。
・小澤さんのコンサートの思い出、昭和女子大生の妹が管弦楽やブラバン好きの俺を昭和女子大内で行われるコンサートに誘ってくれた。学生は半額で見れると言うので学生に化けて入った。ドキドキしながら聴いたから最初は誰の何なのか解らなかったけど、落ち着いてきたら小澤征爾とベルリンフィル演奏の第九。最高の組み合わせでした。小澤征爾、岩城宏之、山本直純の3バカ大将の物語に親しんだ世代です。小澤征爾のお母さんとはクリスチャンだったんで、その関係でも親しみました。
・「巨星墜つ」という言葉が浮かびました。日本がまだクラシック教育黎明期だった頃、世界へ飛び出して行った青年が世界的な指揮者になるとは、当時思われなかったかもしれません。ただ純粋に自分の音楽を信じて向き合ってきた結果なのでしょうね。某指揮者がベルリンフィル を振ると騒ぎ立てられた事がありましたが、そんなの比じゃないくらいの大きな功績と感動を届けていただけたことに、同じ日本人として誇りに思います。今夜は彼の録音を聴きながら哀悼の意を表したいと思います。
・なんと言っても東京オリンピックでの開会時の自衛隊機の飛行時間を1秒のくらいも無い小澤さんの音楽の指揮に合わせて飛ばせた、と言う話しは有名ですね。 元々ピアノだったのが怪我をして指揮者になったこと、大学は短大出だと言うことも驚きですね。 まさに日本が誇る世界の小澤でした。 ご冥福をお祈りします。
・その昔、オーケストラがやってきたというテレビ番組があって、 子供ながら毎週 とても楽しみにしていました。 その頃 若い 小澤征爾さんが 日本のクラシック音楽 発展のためにどれだけ努力をなさって来られたか という思いは 今の日本の音楽界を見ればわかると思います。 たくさんの素晴らしい音楽の楽しみを私達に与えて下さり、 心より感謝いたします ありがとうございました。
・昔小澤征爾さんは山本直純氏の音楽番組のゲストによく出演されていらっしゃいました。ハガキをせっせと出しては公開録画の会場に行っていたことが懐かしいです。ウイーンのニューイヤーコンサート行きたかったのですがチケットが取れなくて残念でしたがTVで見て感動しました。日本が世界に誇る巨匠がついに旅立たれてしまったのですね。ご冥福をお祈りいたします。
・昔、NHKのドキュメンタリーの「Ozawa」を何度も観たし、彼の指揮振りが大好きで常に憧れの存在だった。もう高齢だったし、そろそろとは思ってたけれどやっぱり心の支えを失った気分。音楽も素晴らしく、何といっても全てのスコアを暗譜する勤勉さ、人間的なオーラ。本当に感謝しかない。 たぶん世界中のファンが悲しんでいると思う。 ご冥福をお祈りいたします。
・カラヤン、バーンスタイン、に次ぐ三大指揮者の小澤征爾さんが旅立たれました。 小澤征爾さんは、ボストン交響楽団、サイトウ・キネンオーケストラを率いて素晴らしい演奏を見せてくれました。 またタングルウッドで、若手の演奏家の育成に貢献しました。 今、大植英次さん指揮のN響定期公演を聞きながらこのコメントを書いています。 是非、小澤征爾さんに国民栄誉賞をあげてほしいですね。 ご冥福をお祈りいたします。
・小澤先生の御冥福をお祈り申し上げます 30年ほど前に たまたま先生のお宅の近所に住んでいた時期があり近くのお蕎麦屋さんでお見かけしたり息子様とご一緒に歩かれているのを駅前でお見かけしたりしていました 一番驚いたのは小田急線の電車に乗った時にすぐ同じドアから先生がスタッフの方々数名と入って来られたときです こんな方が電車移動なさるのだと驚きました 直接タクトを振られた演奏を聞く機会はありませんでしたがボストンでの夏の野外コンサートをテレビで拝見したり 現在は長野県で暮らしており松本で開催されたビデオ演奏を拝見する機会がありました 世界のマエストロとして御活躍された小澤先生先生に心より感謝と御礼を申し上げさせて頂きたく思います。
・大学時代、小田急線で小澤征爾さんにお会いしました。私が「小澤征爾さんですか?」とお声がけしたところ「えー!君みたいな若い子も知ってるの?嬉しいなぁ〜」ととても気さくな方で、見ず知らずの男子大学生も途中から参加して、3人で楽しくお話しさせていただきました。 素晴らしい才能をお持ちの方ですが、それ以上にご本人が魅力的で素敵な方でした。 とても寂しいですが、あの時の思い出は今も大切に残っています。
・首里城火災直後、無礼とは分かりつつも「首里城復活を目指してチャリティーでコンサートをしたいので「応援メッセージ」を書いて下さいとお手紙を書きましたら、「首里城復活ガンバレ!」と色紙に書いて送って下さいました。その直後コロナ禍になってしまい、 残念ながらコンサートは実現しませんでした。 指揮者としても超一流でしたが、人としても超一流でした。小澤征爾先生、有難うございました。今度は小澤征爾先生の「復活」をお祈りします。
・戦後の小澤征爾氏の活躍というのは、単に日本人音楽家が海外で活躍したこと にとどまらず 『音楽や芸術が理論や民族種に関係なく人間の精神で紡ぎ出されるもの』 であることを世界に実証したことを象徴する出来事だと思う。
しかし帰国して 『世界で認められたありのままの自分』でNHK交響楽団に接した結果 『生意気な若造』のレッテルを張られて挫折を味わうことになった。
彼がその後ボストンを第二の故郷として世界で活躍を続けることができた のもひとえには「ムラ社会」根性丸出しだったNHK交響楽団の陰の薫陶が 大きかったといえるだろう。
・20年くらい前かな。 小澤さんの指揮が見たくてついに念願叶って 新日本フィルと小澤さんとロストロポーピッチ共演のドボルザークチェロ協奏曲を聴いたのは今でも感動が残ってます。 それ以前にミッシャマイスキーの別府音楽祭の同じ曲も素晴らしい感動が残っていて、小澤さん指揮はまた全然違う曲想に感動がアップデートされた感じでした。
キーシン小澤のラフマニノフピアノ協奏曲第3番がまた名盤で聴き過ぎて買い直したくらいです。
偉大な音楽家たちと沢山の音楽を奏できた偉大な指揮者小澤さん。 もしかしたら天空でバックハウスと出会ってブラームスピアノ協奏曲でも演奏しているのかも。
・素敵な音楽を沢山ありがとうございました。 日本人で初めてウィーンのニューイヤーコンサートで指揮を振った快挙が思い起こされます。 晩年はサイトウキネンをセイジオザワキネンに昇華させ、後進の育成にも熱心に取り組んでいらっしゃいました。 印象に残っている演奏は、なんと言っても2002年ニューイヤーコンサートでのヘルメスベルガーⅡ世作曲「悪魔の踊り」と、晩年のラヴェル「子供と魔法」でしょうか。あと、個人的には初めて出会ったボストン響とのレスピーギ「ローマ三部作」も忘れられません。 私たち音楽家みんなのお父さんです。これからもあたたかく見守っていてくださいね。 お疲れ様でした。
・ちょうど20年前にウィーンのオペラ座で題目は忘れてしまったが小澤征二さん率いるオペラを拝見しまった。なかなかチケットが手に入らず劇場前にいたダブやさんから少し高めのチケットになったが満席で立ち見だったが小澤征二さんが指揮している姿に日本人として誇りに思えたことを覚えている。今迄の活躍と勇気を与えてくれて本当にありがとうございました。合掌
・約50年前、私が高校生の時、小澤先生と新日フィルのコンサートとコンサート前のリハーサルを聞くことが出来ました。終了後、気さくサインも頂き、それから今日までずっと、先生のレコード、CD、YouTubeと、色々聴きました。一番の思い出の曲は、神奈川県民ホールでの、ボストン響との幻想交響曲です。これからも一生、小澤先生の音楽を、聴いて参ります。本当にありがとうございました。お疲れ様でした。ご冥福をお祈りいたします。
・小澤さんは今頃はもう、天国で名だたる世界の音楽家と楽しい時を過ごしておられることでしょう。悲しい言葉は言うまい。 私が自分で勝手に厳粛で無骨で堅苦しいと思ってたブラームスの交響曲が、実は優美で柔らかい旋律の宝庫だと、小澤さんとサイトウキネンは教えてくれた。本当に目から鱗が落ちる思いがした。素晴らしい音楽をありがとう!!!
・日本のクラシック音楽界を背負ってきた小澤さん。中学生のころ、小澤さんの「僕の音楽武者修行」という本を読んで、自分の夢を膨らませたものでした。 音楽は詳しくありませんが、小澤さんの指揮するブラームスの大ファンでした。たくさんの素晴らしい音楽をありがとうございました。 安からにお眠りください。ご冥福をお祈りいたします。
・とてつもなくショックです... 昔、病気で心が病んでいるときに友人からチケットがあると誘われ、足を運ばせていただきました。クラシックコンサートは殆ど行ったことがなかったのですが心底震えました。 こんな感じになったのは小澤さんのフェスティバルが初めてでした、良き思い出です。その後、フェスティバルを何度も体験させていただきました。 本当にありがとうございました。ご逝去に心からお悔み申し上げます。そして安らかにお眠りください。
・食道がん治療のための休養から復帰された後に松本で聴いた『幻想交響曲』『子どもと魔法』大西順子さんやマーカス・ロバーツと共演した『ラブソディインブルー』には感動しました。その一方、ベートーヴェンをはじめとするドイツ系の作曲家の作品は物足りなさを感じました。まだまだやりたいことが沢山あったのではと推察します。ご冥福をお祈りします。
・巨星墜つ、日本のみならず世界のクラシック界の損失は計り知れないですね… このところは体調が優れないご様子でしたが、もう一度生の音を聴きたかったです 心からお悔やみ申し上げるとともに、謹んで御冥福をお祈りいたします 空の上で、カラヤンさんやバーンスタインさんと今の音楽談義をしつつ、薫陶を受けたお弟子さんたちの活躍を見守ってください
・とうとう、ですね。 昨年のジョン・ウィリアムズ さんとの再会をTVで拝見し、弱ってしまわれたお姿にもうあまり遠くはないな、と思ったものですが、この日が来ないでほしかったのが本音。 実際にコンサートホールで指揮を拝見したかった。 でも、きっとあちらで先に逝かれていた旧友に再会し、またパワフルな指揮を披露され楽しく過ごされることでしょう。 ご冥福をお祈りいたします。
・ご健康に不安があるということで最後になるかもとコンサートを見に行き、そのあとまたお元気になられ再びコンサートを見に、ということを何度か繰り返し最近のご様子がわからず心配しておりましたが大変残念です 先生の情熱的なお姿、音楽や人生に対するお考え自分の中に大切に生かしていきたいと思います ありがとうございました
・学生の頃、小澤征爾さんのコンサートを聴きに行き、その後楽屋で浴衣姿の小澤さんとお話しをさせていただき、僕の名前入りの直筆のサインをいただきました。 そのサインを今でも大事に保管しています。 長年にわたり数々の名演をありがとうございました。謹んで心よりご冥福をお祈りいたします。
・もう10年以上前、京都でお付きの方とお二人で地下鉄に乗っておられるのをお見かけしたことがあります。お荷物無くとても軽装で、想像ですが多分コンサートホールから、ちょっと地下鉄で行ってみようよ、という感じだったのかなと思いました。 皆気付きながら話しかけられずもじもじ見ている中、中国の方々が握手を求められ、気さくに応じておられました。彼らが去った後、いやー、彼らは明るいよね!と、とても楽しそうにされていたのを覚えています。そのお人柄にファンになりました。 亡くなられたと聞いて、あの素敵な笑顔を思い出しました。寂しいです。ご冥福をお祈りいたします。
・youtubeに上がっている,小澤さんがN響を指揮した「運命」と「管弦楽のための協奏曲」のライブ動画はまさしく名演です。旋律を歌い,様々な楽器を一体化させ,オーケストが大きな塊となって悠然とクライマックスに向かっていく,ストーリーを作り上げていく小澤さんは名伯楽指揮者です。あの動画は永遠に私たちを勇気づけてくれます。
・子供の頃から音楽好きでしたので、一つ二つじゃない、小澤征爾さんに関してはいろんな思い出があります…。 ご高齢で健康状態が思わしくないのは知っていましたが、訃報に接し、ズシンと胸にのしかかるほどの寂しさを感じています。 今まで私たちに音楽の楽しみや感動を与えてくださり、本当にありがとうございました。 ご冥福をお祈りします。
・音楽は指揮者によって全く違うものになりますよね。 それを、私に教えてくれたのは小澤さんが指揮した。 02年のニューイヤーコンサートでした。
TVで見てただけでしたけど、すごく感動したのを今でも覚えています。
クラッシックのすばらしさを教えていただいたと思っています。 ありがとうございました。
ご冥福をお祈り申し上げます。
・近年、個人的に好きで、偉大な音楽家達が亡くなることが続いていて寂しい。そして悲しい。
小澤征爾さんのウィーンフィルとのドヴォルザーク、聴いたのは2000年以降ですけど、日本人がこんなに堂々と指揮をするのかと感動した覚えがあります。(確か1991年の録音だったと思います)
88歳、いつまでも生きていて欲しいと願うのは、ファンの勝手な思いなのでしょうね。
素敵な音楽をありがとうございました。 心よりお悔やみ申し上げます。
・本当にショックです 以前から 体調をくずされて療養されていた事は報道で存じておりましたが 回復なさって更に活動も再開されていたとので お元気でいらっしゃる事と思っておりました 小澤征爾 先生は 水戸市芸術館館長としても とても親しみを感じておりましたので とても寂しく 残念です 小澤征爾 先生の指揮されるお姿は オーケストラよりも存在感があり 力漲る躍動感溢れる姿で とても好きでした
長年にわたるご活躍 芸術家小澤征爾さん ありがとうございました
・発売したてのホンダのスーパーカブで、 ヨーロッパを走りまわる代わりにスポンサー料を得ながら音楽活動をしたという、若かりし日の小澤征爾さんのバイタリティは凄まじいものでした。
これからも輝き続ける日本の偉人。 ご冥福をお祈りいたします。
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