( 137711 ) 2024/02/10 12:27:20 1 00 「セクシー田中さん」の原作者である芦原妃名子さんが急逝したことについて、小学館とドラマ脚本家が相次いでコメントを発表し、ドラマが芦原さんの監修を受けて制作されていたことが明らかになった。 |
( 137713 ) 2024/02/10 12:27:20 0 00 ※写真はイメージです - 写真=iStock.com/takasuu
ドラマ「セクシー田中さん」の原作者・芦原妃名子さんが急死したことについて、小学館とドラマ脚本家が2月8日、相次いでコメントを発表した。企業のリスク管理を研究する桜美林大学の西山守准教授は「これまでの関係者の発信を読み解くと、ドラマは最終的に全て芦原さんの監修が入っていた。『原作が尊重されなかった』と主張しているのは第三者だけではないか」という――。
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■小学館、ドラマ脚本家が相次いでコメントを発表
漫画家・芦原妃名子さんの死に関して、小学館社内での説明会で「社外発信なし」との報道が出た翌日の2月8日、小学館は一転して「編集者一同」の名義で公式サイトから情報を発信した。その直前には、ドラマの脚本家である相沢友子さんもSNSに投稿。当事者が徐々に重い口を開き始めている。
脚本家の相沢さんのSNSの投稿、亡くなられた芦原さんがブログに投稿された文章(すでに消されてはいるが)も合わせて事実を探ると、現在メディアやSNSで語られていることと、全く異なった全体像が見えてくる。
多くのメディア、多くの人々は、大きな事実誤認をしていたのではないだろうか?
■原作者の意向は尊重されていた
芦原さんのブログでの説明の投稿、およびその後の死去にあたり、多くの人が「原作者(あるいは原作)が尊重されなかった」ことを激しく批判している。実際に、芦原さん死去の直後、脚本の相沢さんを批判する「原作クラッシャー」というワードがトレンド入りしていた。
しかし、過程はさておき、最終的に完成した作品については、芦原さんも含めて、当事者は誰一人としてそのような主張はしていない。むしろ、実態は真逆だったようだ。
にもかかわらず、過程だけが切り取られてそれが結果であるかのように語られている。
小学館から出ている文章の通り、編集者とメディア担当は、できるだけ芦原さんの意向を通そうと尽力したに違いない。日本テレビ側はまだ詳細の情報を出していないが、最終的には芦原さんの意向が尊重されていることは、芦原さんの削除されたブログの投稿から伺える。
最後の2話に至っては、脚本家は外れて、芦原さんの意向通りにドラマが制作されている。芦原さんのブログでもそのことは説明されていた。
■「原作が改編された」と言っているのは第三者だけ
日本テレビも芦原さんの追悼文で下記のように述べている。
---------- 日本テレビは映像化の提案に際し、原作代理人である小学館を通じて原作者である芦原さんのご意見をいただきながら脚本制作作業の話し合いを重ね、最終的に許諾をいただけた脚本を決定原稿とし、放送しております。 ----------
この文章は「責任逃れ」と見なされて批判されている。追悼文でこれに言及することが適切だったのかという疑問が残るのは事実だが、いまにして思うと、日本テレビは世の中に流布している誤解を訂正しようという意図があったのではないかと思わせられる。
完成版について「原作者の意向が無視された」「原作者の意図しない形に脚本が改編された」と言っているのは、ドラマ制作に直接関係していない第三者であり、当事者の誰もそんなことは言っていない。
これに異論がある方は、先入観を取り払って、芦原さんを含む関係者の発言を辿り直してみていただきたい。
■「原作をそのまま映像化する」のは不可能
ドラマ制作の過程で、様々な摩擦があったことは、芦原さんのブログでも語られていた。しかし、これは実写化の過程で必然的に起きてしまうものだ。
原作者は原作の世界観を大切にしたい。ドラマの制作者はヒットする(テレビドラマの場合は視聴率が稼げる)作品を作りたい。放映時間や放映回数も決まっている。視聴者の離脱を防ぐために、CMタイムや一話ごとの終わりに盛り上がりを作る必要もある。しかも、ドラマの制作には多くの人がかかわっており、スケジュール、キャスト、予算の制約もある。スポンサーへの配慮も必要だ。「原作をそのまま映像化する」というのは不可能だ。
だからこそ、原作者とドラマ制作側で摩擦や衝突が起きてしまう。様々な利害を調整して、プロジェクト推進を行い、映像作品として形にしていくのがプロデューサーだ。プロデューサーは責任者ではあるが、決して「絶対権力者」ではない。
■「本音では納得していなかった」は想像でしかない
今回の悲劇をきっかけに、多くの漫画家が声を上げているように、上記の過程において、本来は最も尊重されるべき原作者、すなわち漫画家側の意向が尊重されないことが多々あることは紛れもない事実だろう。
ドラマ「セクシー田中さん」においては、途中で様々な摩擦があり、多くの人は、その事実を見て、あるいは第三者から発信されている情報をもとに「原作者が尊重されていない」と解釈したのかもしれない。
しかし、ドラマの制作過程で芦原さんは何度もご自身の意見を述べ、脚本に反映している。芦原さんが関わったのは最後の2話(第9話、10話)だけではなく、1~8話も含むドラマすべてだ。実際、ブログでは「粘りに粘って加筆修正し、やっとの思いでほぼ原作通りの1~7話の脚本の完成にこぎつけました」と記していた。そして、最終的にはドラマは芦原さんも納得する形で着地し、制作されている。
「芦原さんは制作側の意向を嫌々受け入れた」「(本音では)ドラマの出来に満足していなかった」といった意見もあるかもしれない。しかし、芦原さんの過去の発言を辿ってみても、筆者はそれを裏付けるようなものを見つけることはできなかった。
■「原作者の意向を無視して原作を改編した」は的外れな指摘
芦原さんを死に追いやったのは何だったのだろう?
筆者は、2月3日に公開された記事(なにが漫画家・芦原妃名子さんを追い込んだのか…SNSで拡散した「原作者擁護、脚本家批判」という善意の地獄)で、本件について論じた。その当時は、まだ小学館、脚本家から情報発信はされていなかったが、現時点で振り返っても大筋で間違いではなかったと考えている。
最新の情報も加味して、要点をまとめておきたい。
発端は脚本家の相沢友子さんの昨年12月24日のSNSへの投稿にある。最新の相沢さんの投稿で「芦原先生がブログに書かれていた経緯は、私にとっては初めて聞くことばかりで、それを読んで言葉を失いました」と述べられている通り、この時点で相沢さんは何も事情を聞かされていなかったと思われる。
SNSに投稿してしまったことは不用意ではあったと思うが、相沢さんが急に担当を外されてしまったことを不本意に感じたことは十分に理解できる。
芦原さんがブログへ投稿した後、相沢さんは激しく攻撃されることになる。しかし、「原作者の意向を無視して原作を改編した」といった攻撃は、最終的に芦原さんの意向がドラマに反映されている事実を加味すると、完全に的外れなものであったことは、いまにして改めて理解できるだろう。
「ドラマの制作過程で原作を大幅に改編した脚本が提案された」ことが、いつしか「芦原さんが納得しない形で日テレがドラマを強行放映した」ことに置き換わっていたのだ。
■意図せぬ攻撃を招いてしまったことへの自責の念
また、相沢さんの投稿内容が「芦原さんを批判した」と断定することもできない。そう解釈する人もいるかもしれないが、それはあくまでも「第三者の解釈」である。解釈すること自体は良いのだが、それがあくまでも既成事実であるかのように流布したことは問題であった。
相沢さんのほか、日本テレビ、特に同社のプロデューサー、小学館も批判された。挙句の果ては、出演者も含むドラマ関係者まで批判にさらされた。
芦原さんはブログを閉鎖し、SNSの投稿もすべて削除した。最後に、「攻撃したかったわけじゃなくて。ごめんなさい。」という言葉だけを残して亡くなられた。
ドラマ制作の過程で、多くのストレスがあったことは想定できるし、ご自身もブログで述べられている通り、連載と平行して最後の2話の脚本まで書かれたのは、精神的、肉体的な負担も大きかっただろうと思う。
しかし、芦原さんの最後のメッセージを読む限り、死への引き金を引いたのは、ドラマ化に伴うストレスではなく、意図せぬ攻撃を招いてしまったことへの自責の念ではないかと思う。
途中で様々な紛争はあったかもしれないが、原作の漫画はもちろん、ドラマ「セクシー田中さん」も芦原さんの作品と言ってよい。少なくとも、芦原さんはドラマの制作に多大な尽力をされたのだ。それを無下に否定しては、亡くなられた芦原さんも浮かばれないだろう。
■日本テレビからの説明が待たれる
ドラマ化における最大の当事者は、日本テレビである。日本テレビが説明責任を求められるのは当然のことであるし、いずれ日本テレビからも何らかの情報発信がなされると思われる。
では、日本テレビにはどのような責任があったのだろうか? 現時点で言えることは、同社のプロデューサーが「脚本家と芦原さんの間のコミュニケーションをうまく図ることができなかった」ことくらいではないか。
実態が公表されていない現時点では何とも言えないが、少なくとも「原作者の意向を無視した」とまでは言えないように思う。今後、実態が明らかにされたところで、「日本テレビがすべての元凶だった」という結論にはなりづらいように思う。
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