( 137714 ) 2024/02/10 12:27:20 0 00 ・毎回原作と大きくかけ離れたプロットが提示されてきた、とはっきり書かれていたはずです。ですので、原作は改変されていたのです。 それを修正するために、本来は必要なかった労力を割かねばならず、心身にストレスを溜め込んでいったことは間違いなさそうです。 この記事はそこを見落としてないでしょうか?
・ドラマ制作側や小学館側に問題があったのは時々でしょう。SNSで騒がれたのも原因の一つではあると思うけど。脚本家のSNSでの芦原さんを責めるような内容も原因じゃないのかな。 芦原さんのブログの経緯説明ではドラマ化にあたり原作を壊さないように条件をつけたが 守られることはなく毎回修正しなければいけなくて、改変はやめてくれと訴えたが聞き入れられなかった。漫画も連載中で疲れてしまった。ラストはセリフもこちらが決めるということになっていたがそれも守られなかった。8話9話は修正が間に合わず自らの手で脚本を書くことになったと書いてあった。 なんでこの事実を無視して全部一般人のせいにするのかな。卑怯じゃないか。
・制作対自分っていう孤立孤独な構図と、許容できない改変に対する度重なる修正、修正要請、めんどくさがられてるのはわかってるが言わなければならない、その間ですでにもの凄いストレスの連続に加えての、勝手な改変を止めない脚本家がやめて自分が書けるようになったのはいいが意図せず反発を買う側になり得る人事的なことにまで介入しなければならない異常な事態になって対立構図はものすごいものになり繊細なひとならその時点でストレスが凄い。それではすまず超多忙ななかでの執筆で、結果、自分的にも対外的にも納得のいくものができなかったとなれば肉体的疲弊、徒労感が凄いので精神的な疲弊が凄い。自分なら壊れる。
・当初の取り決めに従って原作者が口を挟んだことを、その取り決めを理解してない脚本家がSNSが不満を述べ、それに対して原作者が経緯を説明しようとしたら、第三者への個人攻撃が始まり、原作者が責任を感じてしまったということでしょうか。 本来、関係者すべてが知らなくてはならない取り決めごとを周知徹底しなかったことで、原作者の現場への介入に不満を持つ人が生じたこと、そしてそれをSNSという公の場で不満をぶつけたことの2点が問題のように思います。特にいい大人が仕事の不満を関係者に確認することもなくSNSで発信するということがあり得ないことだと思います。
・死人に口なしだから、本当のことはわからないは、たぶん事実だと思います。
しかし、大手のメディアである出版社や放送局に忖度するのは、今後の広告収入からの分け前を確保することには十分メリットがあるので、署名記事だからといって、死んだ人にも責任や原因があるという主張は、現行の民法にてらしても触法性があり、遺族から民事訴訟を受けても当然だと思う。
冷静に客観的な事実を追いかけるのであれば、今の時点で分かったような論評を書くことに、素朴な疑問を感じる。
・有名ラーメン店をカップ麺やチルド麺にするのに似てる気がします。 そのお店は取材お断りお店だったけど、改装費用か必要だったのと熱心な営業にまけてチルド麺出したことがありました。時間ばかりかかって完成したのはスープはわりと忠実だけど麺は中太麺とはちがう細麺になっていました。 常連はわいわいと再現度を楽しみましたが、本人はだんだん納得できなくなったようで契約の延長をすることなくスーパーの売り場から姿を消しました。 そもそもインスタントだってみんなわかってますけど・・ おかしなものを世に出してしまった。という後悔だったのかも知れません。 有名店監修のカップ麺みたいに、もっと別物感を出して作者にプロットをお任せするというの方が暖簾に傷がつかないのではないですかね。 カップ麺食べた人が店に行くか? たぶん行った気で終わりじゃないでしょうか? 客数に変化はなかったようです。
・芦原先生は、ドラマ化をやめたいと苦しみながらも、最後まで脚本を直し続け、最新刊でドラマ化の大変さと読者へのメッセージを出していました。マンガはまだ続くので、ドラマ最終回は違うけどよろしくね、と。 いろいろあったけど、ドラマの件は終わったものとして切り替えていたと思うんですよ。 最後まで読者に納得いくものを描こうと。
脚本家は本当に経緯を知らなくても これまで全くコミニュケーションを取ってこなかった原作者を非難する文章をSNS投稿するよりも、自分に仕事を依頼してやり取りしてきた日テレ制作側へ質問なり文句なり言えばよかった。そうすれば、原作重視って約束だったんですよという回答がもらえたはず。 それなら、あの投稿をする必要はないですね。 それに芦原先生のXが出たあと、すぐに謝罪投稿をすればいいものを、鍵アカにしてダンマリ。知らなかった悪かったと思うなら、ご本人にすぐに謝れますよね。
・ドラマを先に見て、原作も読みました。 原作の世界観と違和感なく、どちらも良かったと感じました。そこに至るまでが、かなり苦労されたのだと思います。
マンガの7巻の後書きに書かれていた通り(言葉は選ばれていたかと思いますが)なのかな。と思います。
その後のSNSでの騒動が苦しめてしまったのは間違いない。心中察すると辛いです 続きが読めないのも悲しいです ご冥福をお祈りします。
・芦原先生を苦しめ追い詰めたのは両方だと思いますが…最終的には納得された内容のものが放映されたわけですが、そこに至る過程で、当初の約束が全く守られずに毎回修正作業、最後の2話はご自身で脚本執筆される事態となり、相当疲弊していたと(消されたブログで)仰っていました。SNSでの炎上に心を痛めてしまわれたのも間違いないでしょうけれど、ドラマ制作中に長く続いた疲労の蓄積がなければ、あのような結果にはならなかったと思うし、そもそもブログで経過を公にする事自体が異常事態ですよね。制作過程が先生の希望に沿っていて順調だったら、こんな事にならなかった。 …
・テレビ局の取引先は多種多様。 取引先がとても多いと思うけれども口頭発注が横行しているのは良くないと思う。 弊社が行っている業務契約においては必ず業務開始以前に発注仕様書を作成の上、行っている。 書面で両社が内容を取り交わす事って大切
パワーバランスで何故かテレビ局は未だにトップって意識が物凄く強いけれども企業コンプライアンス意識も高く持つべき。
原作者お一人が全て背負ってしまって悲しみの中、人生を自分の手で終えた事を考えるといたたまれない。 単純に仕事のやり方が悪いだけなのに… 連載を抱えながらドラマ用の脚本の事まで気にしなければならなかった心的ストレスは想像すると劣悪だったと思う。
上場企業であればそれにふさわしい行動基準をとるべき
・最終的に原作者の意向が通ったといっても、何度も修正などを行い最終的に脚本までやる事になったというのは、それまでの制作側の行いに原作者に対するリスペクトが無いからではないでしょうか。何より脚本家側の発信を見て、原作者にリスペクトを持っていると思える人間は皆無だと思いますが。それがあったからこそ芦原さんが経緯の詳細を発信し、こうした事態になったと考えるのが自然だと思います。制作側に原作者の意向を尊重する姿勢があれば、起きなかった悲劇であるのは事実だと思うのですが。
・誰にも肩入れしないと言いながら、テレビ局側に味方しているような記事。 この問題が表面化されたのは2週間ほど前…先月の月末ごろの原作者のブログでの経緯の説明文で、そこから多くの人に知れ渡ったと思います。 でも原作者の中では、ドラマ終了直後の1ヶ月間に例のインスタに同調した人や他の脚本家仲間や一部(?)の制作関係者の原作者への攻撃に加え、ドラマ制作段階での数ヶ月間の制作側の約束破りや本職があるのに脚本を書かされ、他諸々の問題などでの原作者の心身の疲弊が積み重なっており、この記事ではその部分が抜け落ちてます。
・原因となる要素が、少しずつ積み重なってしまったのではないか。 芦原先生のコメントや編集部の声明によれば、先生はドラマに対してできることはやりきっていた(制作サイドに疎まれる可能性まで示唆していた)。 そこに脚本家のインスタ。制作サイドに何も伝えられていなかったことに、先生は落胆したかもしれない。 そこから脚本家や先生に批判の声が上がるにつれ、そういった負の声を払拭するために、説明責任を果たそうとした。それが先生のコメント。穏やかで誠実な方らしく、言葉を選んでいたと感じる。 先生は先生なりに、作品に関わった様々な人やものを護ろうとした。それこそ想像に過ぎないけれど、私はそう思います。
・この記事には、今回の問題を考える上で重要なポイントが抜けています。 ①結果としてドラマ作品は原作者の意向が反映されていたとはいえ、その過程において当事者(特に原作者)が苦労されていたこと。(最終2話で原作者が脚本を書いたという事実、原作者および脚本家のSNS文章から分かります) ②セクシー田中さんのマンガが休載になったこと。この休載に関して、小学館から「これはSNS炎上の以前から決まっていたこと」とリリースしている。 これらの事から、原作者はSNS炎上以前に相当な心労を負っていたことは容易に想像でき、そこへSNS炎上という新たな心労を負う問題が追加されたことで最悪な事態になってしまった、と考えられます。 いずれにしても、この問題に関してはドラマ制作という企業活動の中で起こっている問題が根幹にあり、その解決には企業として問題を把握・精査し改善を図る(場合によっては関係者を処分する)べきです。
・『死への引き金を引いたのは、ドラマ化に伴うストレスではなく、意図せぬ攻撃を招いてしまったことへの自責の念ではないかと思う。』というのはこの方の想像でしかなく、後半で自らも書かれているように、亡くなった本当の理由は芦原先生ご本人にしかわからないです。
ドラマそのものは終了して、それで終わったはずだったのです。
だからこそ、この問題の発生源が脚本家のSNSであり、プロデューサーやドラマ制作側が脚本家のその投稿に対してすぐに事態収拾に動けば良かったのでは、つまり裏で何か隠さねばならないことがあったのでは、と思います。
本当の理由は永遠にわからないけど、直接のきっかけはわかるんですよ…。
・改編の交渉も上手くいかず、意見も聞き入れて貰えない、脚本をご自分で書かなければならなくなって、にっちもさっちもいかないところに、脚本家の方の投稿がとどめを刺したのかな、という印象です。 誰も味方になってくれない‥とても苦しかったと思います。 ドラマは見ておりませんでしたが、小学館と今回の脚本家が手掛ける作品は、今後見る事も手に取る事もないつもりです。
・芦原先生の訃報が報じられた当日、シナリオ作家協会があげた動画には「私は原作者の方に会いたくない派」「私が対峙するのは原作であって原作者の方はあまり関係ない」「状況が生んだボタンの掛け違いで世間が対立構造を作って攻撃するのが私はとても悲しい」と発言があった。世間が攻撃するのが悲しいと今回のことを世間のせいにしつつ、原作者はいらないと明言しました。それは今回、セクシー田中さんの脚本家のXでの発言と、それに賛同する脚本家仲間たちの発言に見える原作者への考え方と一致していました。脚本家たちが原作を自分の脚本のための素材のように扱い、作品を作り出した作者と作者の意思を全く無視してきたことがそもそもの問題だと思います。
・「最終的には芦原さんの意向が尊重されていることは、芦原さんの削除されたブログの投稿から伺える。」
芦原先生が、約束を破った改変を修正するために、どれだけ疲弊したかも、先生の文章から感じましたけど。 最終的には、って、終わりよければ全てよし、みたいな無責任さを感じます。
私は、約束を破った改変を修正することに沢山のエネルギーを使い疲弊していたところに、ネットの騒ぎが起きたことで、元気な時なら乗り越えられた事も乗り越えられなかったのではないかと思いました。
・このような投稿は初めてです。原作も全て読んでおりドラマも毎週楽しみに観ていました。先生が亡くなられてから、この記事のように、色々な人が色々な立場で発言されているのを、毎日気が狂ったように読みました。あの日から私は日本テレビを観るのは止めました。好きな番組も有ったのですが。それに加えて、他局番組でもプロデューサーと脚本家の名前を確認するようになりました。何かが出来るとも思いませんが、自分がこのような行動を取ることに驚いています。
・どちらもだと思う。何故原作者があのように修正に苦労していると書かれたのか、やはり当初の話と違い、自分の意向とは違うように改変されていたからだと思うし、今は消されているかもしれないけど、脚本家さんの不用意なSNS投稿は何も知らなかったと釈明されたにしても、原作者への配慮を欠いたものだったように感じられた。ドラマの制作者側は今回の問題から逃げず、もっと原作者に敬意を払い、守る仕組みを作って欲しいと思った。
・関係者の発信にお願いがあります。このような事件は子供たちも理解でき、いつか我が身と思って今後に注目します。見守る立場の大人がいつか子供を叱ることもあるでしょうし、そんな子供たちが大人になり自分の子供を叱ることもあるでしょう。ですが、今回の事件は後々に子供たちを叱ることができなくなる要素が多くあります。知らないから仕方ない。まさかこんなことになるなんて。などなど、関係者の皆さんにはなるべく配慮ある言葉をお願いしたいです
・私もどちらかといえばSNS炎上が引き金だったのでは、、と思います。脚本家の相原さんがどんな方か今まで全く存じ上げないので脚本家としてどうこう言うつもりはありませんが、いい大人が仕事の不満を(しかも本人はそのつもりはなくても特定個人がわかる内容を)SNSにあげることに一般常識を疑います。その後の「いろいろ知らないことばかりで」との釈明に至っては呆れます。不満に思った時に関係者に話を聞いたりもしなかったということですよね。私はひとりの人間としてこの軽率な行為をこそ問題にし反省してほしいです。原作者や脚本家についての議論は今後なされると思いますが、私は一時の感情に任せて自分の思いをSNSなどにのせることの危険性についてももっと問題にしてほしいです。
・自殺の本当の原因は本人にしか分からない。それは、その通りだと思う。真面目過ぎて「自分さえ死ねば全て収まる」と考えがちな人は、ちょっとしたことでもきっかけになりうるし、年齢的にも鬱を発症しやすい時期というのはあったかもしれない。
ただ、この記事の筆者が根本的に勘違いしていると思うのは、「漫画を原作通りに映像化するのは不可能」という点。
確かに、カメラワークやセリフの一言一句を同じにすることは不可能だろうし、尺の問題で、エピソードをカットしたり、逆にオリジナルエピソードを加えたりせざるを得ないことはあるだろう。
でも、問題は、主要キャラクターの人格を180度変えてしまったり、展開を変えてしまったり、下手すると作品の主旨そのものを改変してしまうことが、今回だけでなく過去の漫画原作ドラマで、恒常的に行われてきたこと。その歴史含めて、読者や視聴者が怒ってることを全く理解していないと思う。
・何度も何度も言われていますが、その苦労や心労が先生を自死に追い込んだのではなくて 「基本もう終わったこと」をクリスマスの日に脚本家が事実ではないことを書きつらねてインスタに投稿したことが今回の最悪な事態を招いた引き金です。 きっかけはそうです。
時系列が本当に今回大切です。だから第1コミックの部署がだした長文コメントはその事実関係や時系列を改めて示唆したのだと思います。
自死の原因は一つではないという表現は分かるのですが、私は先生は疲弊し体力的にも精神的にもまだ回復されていない中でも作品を作ることをやめていなかったと思います。 脚本家のインスタ投稿がなければ、先生の中ではとりあえず終わったことで、私はセクシー田中さんを描くことに専念されたと思います。
テレビもネットのどこでも、だれも、脚本家のインスタに触れません。 触れないかぎり皆の悲しみ憤りは増すばかりです。
・原作に忠実にと言う約束も守られず、結果最終2話を脚本する事になり、それを脚本家に『残念ながら』『困惑』『苦い経験』等、晒される事になり、そうなった経緯を伝えた事で脚本家が炎上。芦原先生は矛先が脚本家に向かってしまった事にも心を痛めてらした。 本当に繊細な方だったんだと思う。今更責任の所在よりも、真実の解明をする事で2度と同じ様なトラブルが起きないように願うばかりです。
・事件の経過についてこの記事に書かれていない重要な点について一つ。 「芦原さんがブログへ投稿した後、相沢さんは(ネットで)激しく攻撃されることになる」と書かれているが、最初にネットによる攻撃を受けたのは芦原先生。相沢氏のインスタへの書き込み後、ガルちゃんや5ちゃんでかなり激しい芦原先生への攻撃が始まっている。この点を無視してはいけない。
・その通りだと思います。 発端は脚本家の不用意なSNS発信。 根本的な問題は、制作側の原作ビジネスへの向き合い方。 直接的な原因は、先生の発信に反応したSNSなどの世間の声。
編集部のメッセージにあったように、「優しくてフェアな方」であったからからこそ、自分の発信をきっかけに思いがけなく大きなムーブメントで制作側に向かったことに心を痛めたのでしょう。責任感の強い方だったからこそ…。
発端となったのもSNS。 やはり使い方を、一人一人が今一度考えて、リテラシーも向上させなきゃならないと感じました。
・どちらが悪いか?というのは、意味のない議論。 複数の要因が重なって不幸な結果が生まれたなら、要因の一つ、あるいは複数を除ければ、不幸な結果の再発は防げる。 原作の改変、脚本家の発言はかなり強い要因だと思うが、 例えば連載と並行というスケジュール(脚本修正に時間がかかるなら、連載を休むという手段はとれなかったか)、SNSでの書き込みで便乗して燃え上がらせた野次馬、いろいろな要因の影響が考えられる。 どれが一番とは言えないかもしれないが、どれか一つ、あるいは複数が欠けていれば、また別な結果になったかもしれない。
しかし、人は「誰が一番悪いか」を探したがる。 それは、自分以外の「一番悪い人」を見つけ出せれば、「自分は無罪だ」と感じることができるから。
一番悪くなくても、簡単に取り除ける要因があれば、取り除く、それが再発防止の基本。 「誰が一番」「どちらが」という論はだいたい、自己弁護
・芦原さんを苦しめたのは両方の理由なのでしょうね。 脚本家に変わって書いた2話の出来に関してはすごく評判を気にされたのではないだろうか。そんなメンタルにあの脚本家のSNS。苦しかったと思うし自分の選んだ選択が正しかったのかどうかも悩んだと思います。 あのご本人のブログを出すにあたっても悩んだでしょうし、恐らく小学館の担当さんにも相談した上でのことだったと思うんですよね。出したら炎上するかも、という認識もあったと思うのですが自分が思う以上の状況になってしまいさらに悩むことになったのでは。あのブログを出すにあたった経緯を担当さんに説明して頂きたいなと思っているし、いまだにダンマリの日テレサイドの『言い訳』も気になります。
・「原作改編」によって本来の約束ならば生じない作業(脚本の修正、脚本の執筆)が生じて芦原さんを苦しめた点を軽視し過ぎている。 睡眠時間を削って作業にあたっていたのでは、という推測も容易に成り立つ。 ああした選択を誘発するほど連載作家を精神的にも身体的にも追い込んだ「原作改編」の責任は重いと思う。
・このロジックだと、原作の尊重を望む原作者の作品がドラマ化が難しいなら人気だからと手を出すのではなく、人気であろうともテレビ局が手を出さない節度を持っていれば起きなかった問題とも言えるのだが? それでもドラマ化を希望するのであれば、今回の様に双方に齟齬が起こっても傲慢に進めるのではなく、立ち止まってでも双方が納得のできる相互理解の上で進めるべきだったのではないのだろうか? 結局は「お前の原作を使ってやっている」というドラマ制作側の傲慢な対応が悲劇を引き起こした様にしか見えない。
・あくまでも個人的な印象だけど、間に入って調停するような人がいればよかったのかなって思う。最終的には納得のいく仕上がりになったとしても、そこに至るまでひとりで交渉していた負担が先生の精神を削いでいた感じ。 脚本家も交えて話を進めた方がよかった。結局蚊帳の外の置かれた脚本家が不満を投稿した結果、ネット民が騒ぎ始めて騒動が拡大し、精神的に余裕のなかった先生を追い詰めていった印象。 もし脚本家にも事情が通じていれば、そんな投稿がなされることもなかっただろうし、騒動に発展することもなかったと思う。 単純に原因がひとつというわけじゃなくて、多重事故の結果、先頭車両の運転手の命が犠牲になったという感じ。たぶん事故がひとつだけだったら死人が出るまでにはなってなかった気がする。 今後こういうことが起こらないように、問題に関わった人それぞれに見直す点はあると思う。
・どっちもでしょうっておもうけど、やっぱり原因作ったのは原作改変ですよね 原作改変が無ければああいう発信も、脚本でドラマに入ることもなかったわけですから 度重なる原作改変と、それに対する介入、さらには普段の仕事が重なり肉体的精神的な疲弊の上にSNSの炎上、脚本家からの見下し発言 大元を辿れば原作改変が間違いなくそこにあるわけで、理由を分けるのはちょっと安易かなって思います
・原作者である芦原先生が最後まで粘ったため、結果として世に送り出された完成形のドラマは改編されていないものになりました。 しかし、毎回大幅に壊変されたものが原作者の元に提出されていたのは事実です。 これは、原作者側が提示した条件が無視された状態で、芦原先生は不要なストレス・不信感を抱えなければならない状態になったわけです。ここを無視して、結果だけ見て改変されていないと結論付けるのは視野が狭すぎます。
お亡くなりになった直接の原因が誰にもわからない、この点についてはその通りです。 だからこそ、客観的事実として問題のあった部分がなかったのか、経緯を明らかにすることが、再発防止に繋がるわけです。 組織内での通例などがある場合、自発的に問題点を明るみにするのはどの企業も難しくなってしまう場合があります。 第三者機関を設置して、しっかり調査し、問題を洗い出すことは、犯人捜しではなく必要なことです。
・全ては想像でしかない、芦原さんの死の原因は誰も断定できないと述べておきながら、「意図せぬ攻撃を招いてしまったことへの自責の念ではないか」と、自身も想像で「考察合戦」に参加している筆者。分からないことは知りたい、それが出来ないならば想像で埋め合わせてでも……が人の性なのだと思い知らされる。 まぁ、考えてみればマスコミの人たちは、それで生活しているわけだから仕方がない部分もある。 しかし身内でも熱心なファンでもない大多数の一般人くらいは、一人の人間の死を一人の人間として、ただ受け止めて悼む事が出来ないのかと思う。 少なくとも自分には、これ以上誰かを傷付けないための手段が他に思い浮かばない。
・原作改編が最も大きい。当初から連載中のため、原作に忠実にと要望していたはずが守られなかった。プロデューサーや脚本家らによって原作の世界観が変わってしまった。それを修正するなかで、小学館の日テレとの仲介担当も上手く調整できず、芦原先生は孤立感が募って疲弊していったんだろうね。 そして、脚本家の裏事情を暴露する投稿。芦原先生は攻撃の意図はなく、事情、経緯説明したら炎上…。 誰も理解してくれないと憔悴してしまったのでは。
日テレ関係者、脚本家らが芦原先生の意向をドラマ化決定以前に理解していれば、ドラマ化を止めることもできたはず。実際は小学館も含めて、ドラマ化有りきで話が進んでしまったんじゃないのかな。
・何が原因かは亡くなった当人しかわからないことだと思います。 原因が一つとは限らないし、最後のトリガーがあったかもしれませんが、そこまで精神的に追い詰められていたことも十分に原因になり得ると思います。 今回、原作に忠実に、が守られず、毎回生じる多くの脚本修正、最後には脚本を自ら執筆するに至っています。原作者の疲弊は想像以上のものがあったと思います。 精神的に疲弊した状態でなければ、脚本家のSNS投稿が無ければ・・・と悔やまれてなりません。
・そりゃ、SNSも心労を増やしただろうし、一人一人が見直さなくてはいけないと思うよ。 でも、脚本家を始め関係者に批判・敵対したかったわけじゃないであろう漫画家さんの、そういう人の良さ、交渉の不慣れさを利用して不利な契約を交させることが、そういう状況に追い込む業界の慣習の方が今回は嫌悪感を覚える。
初期のSNSをクローズアップして、話をすり替えようとしているように感じる。
・この方の語られている通り、芦原先生は、自責の念で命を絶たれたのでしょう。それもありえますが、自分は少し違います。命を絶たれたそこに至った事を考える必要があると思います。何故原作者の著作権完全無視のドラマ制作を行ったのか、原作者の自ら脚本を書くことになったのか、脚本家がSNSにあのようなことを書き込んだのか、芦原先生の想いを一任していたはずの出版社が制作テレビ局にちゃんと伝えていたのか、芦原先生はたった一人で、周りに味方になってくれる人がいない状況で闘っておられたと思います。そう云うところが見えています。自分はこの方の記事は、芦原先生の亡くなられた原因を有耶無耶にしてしまうと感じ取れましたので、語らせて頂きました。ただここにコメントを載せている方達は命の尊さを考えてほしいと思って意見を載せています。自分はそう想っています。
・この記事の中で「第三者の解釈」と言ってますが、SNSは読んでもらいたい特定の人を含めた大勢の第三者に向けた物だからほとんどの人が騒動の最初からを知っています。事の発端である脚本家が投稿した内容は、暗に芦原先生を責めていました。文章の中に悪意があったのは明白です。そして芦原先生は最初から原作を改変しないで欲しいと伝えていた事が日テレと脚本家に伝わっていたのかどうかわかりません。ここが問題じゃないですか?伝わっていたのに勝手に改変したかもしれないし、意図があり伝わっていなかったのかもしれません。だから9.10話の脚本を芦原先生自らが担った事が事実です。何故その説明を詳しくされた先生が亡くならなければいけなかったのでしょう。この記事は印象操作をしています。
・作者が最後に一般に残した言葉は攻撃するつもりじゃなかった、ということ。これを見れば明らかに、自分が書いたことの取り上げられ方に傷ついたとわかると思う。世の中に攻撃的な意見を吐き出して憂さ晴らししたい人たちのせいで苦しむ人がいるのに、今もこの記事に攻撃する人がいる。そのことを自分の胸に手をあてて考えてみてほしい。
・作者の発信を見ていてもテレビ局側がが約束を破って原作改変していたのは明らか。 それを知ってか知らずか、脚本家がSNSで不満を述べたのも良くない行動だった。 これらを無視して一般人に罪をなすりつけるようなことをするのはどうかと思います。
そもそものきっかけを作ったのはテレビ局と脚本家だし、彼らが作者に多大なストレスを与えていたのは確実だと思います。 責任逃れをしてはいけません。
・相沢さんのコメントに「初めて聞くことばかり」とあったと思います。芦原先生が訴えてきたこと、全て脚本家の相沢さんに伝えられていなかったとしたら?検証は必須だと思います。誰が、何が、先生を苦しめ死に追いやったかは想像でしかない。 今回のことで様々な先生方の記事も上がりました。芦原先生が訴えてきたことは事実だということです。作者の権利、著作料など、いまここで改善されるべきものと考えます。そのために日テレの検証は絶対不可欠なのだと思います。
・この表題の二択は愚かな設定だね。 どっちかとかじゃない、(約束と違う、そしてまだ未完の連載中)原作改変がそもそもの苦しみ。それだけで死ぬ訳がない。 しかしそれがなければ7巻に書き込まないし、その後に脚本家が発信して被害者ムーブしないし、それを受けて原作者も改めてSNS発信は実施してない訳で。 最初の原作改変は重要な根っこであって、そこから派生した一連の騒動がさらに原作者を絶望に陥らしてしまった訳で。 どっちが理由とかじゃないよ、(約束を違えた)原作改変無ければそもそもSNS発信始まって無いでしょ。
・すごく良い視点の記事だと思う。 SNSにあれこれ書き込む人は、まるで自分の発言が当事者には届かないかのように好き勝手に書く。 しかし、SNSにしてもヤフコメにしても実際は公の場での発言であり、その向こうには当事者がいることを絶対に忘れてはいけない。
居酒屋で仲間内で喋ってるのと同じ感覚で発信してはいけないと思う。
・脚本家なのにあんな物言いSNS書く事からしてどうなんでしょ。普通にドラマ見ていたら未完の漫画なのでそこも含めての脚本って思いましたけど難癖付けるのはこんな終わり方じゃないって思う方々でしょうか。もうその時点で原作から改変されたものを考えていたでしょうね。今回の1〜8話の脚本家さんはこれからオリジナル作品を書いていって欲しいです。
・何度も何度も脚本の修正が必要で、最後は自らが書かないといけないような状態を「原作者の意向は尊重されていた。」と言えるのでしょうか? 原作者の意向が尊重されていたのであれば、脚本の修正も軽微なもので、自ら書くことにもならないです。
原作を忠実にドラマでは再現できないとはよく聞くTV業界からの言い訳ですが、原作者も自身が大事にしている作品の要素が改悪されなければ、全く同じになるとは思っていません。 たいていがTV業界の都合で改悪されているから原作者の人々も苦しんでいるのです。 芦原先生が脚本の修正に多大な労力をかけていたのは先生のブログを読んでも明らかです。
小学館も日テレも脚本家も死人に口なしとばかりに真実を語っているとは思えませんし、何とか逃げ切ろうとしています。
脚本家が何も聞いてなかった。のも無理があります。 小学館は編集者一同のお涙ちょうだいコメントで逃げ切ろうとしています。
・脚本家さんはSNSに投稿した事に対して「もっと慎重になるべきだったと深く後悔、反省しています」 と語っているが、この方に限らず、公に発信するのであれば、きちんと裏どりをし、当事者と話し合ってから公にしないと、誤解や認識違いが悲劇を生むのだと思う。SNSは災害時等、活躍する反面、怖い面も多々あるのだから。
・本当の原因はご本人にしかわからないし、あくまでも想像でしかないけど、 原作改編を試みる制作側と、それを修正するためにものすごい負荷がかかりながら必死に修正を試みた数か月と、それでも不十分ながらなんとか自分の納得できる着地点を探れた気持ちだったのに、脚本家に「うるさい原作者の口出し」と当てこするような書き込みをされ、あまりの理不尽さに、経緯の説明だけは発信したいと思いつめ、小学館とも協議しながら事実だけを発信したつもりだった…。 そうしたら炎上状態にまでなってしまい、日テレや脚本家に批判が殺到し、「攻撃したかったわけじゃない」のに、他者にまで攻撃が向かってしまった事実に「自分のせいだ」と、また思い詰めてしまい…。 気持ちが切れるには十分だったのではないかと思います。 「原作改編」を阻止するための心労と「SNS炎上」をまねいてしまった責任感に瞬間的に押しつぶされた、原因は両方だと思います。
・こういう結果になった時に 脚本家を攻撃することのないように との声に擁護するのかと感じる人もいるかも知れないが、あれはまず凶器をしまえという意味だと思う。 何をしたとは言わないからもう暴れるなと。 これでドラマ化などに関する慣習を変えるのは結構なことだとは思うけど、 肩がぶつかったキッカケで事件が起こったから肩がぶつからない社会にしようとしても凶器は握られたままというのは向き合わなければならない。
・何かを擁護するために本質的な問題にから目をそらし、副次的な問題を取り上げるという典型的な駄目記事。 本件は漫画を実写化する際に原作者が「原作に忠実に」という要望を出した場合、ドラマ作成現場がその意向を反映させたか、またはさせることが現実的に可能だったかという点が本質的な問題。 その意向を実現出来ていれば、最終2話のシナリオを不慣れな原作者自らが記述するという事態には陥っていない。また、脚本家がその事態についてSNSで不満を述べている点も、その意向が現場で徹底されていなかったということを露呈させている。 とすれば我々が日本テレビおよび小学館に求める説明は、本作において原作者の意向を反映させるためにドラマ作成現場は具体的に何をしたかという内容のみ。 現実的に原作に忠実に実写ドラマを作成することが出来ないのであればその事情を説明してもらいたい。今回に限り出来なかったのであればその理由が知りたい。
・人間が自殺するのは、耐えがたい苦痛があって死ぬ以外に逃れられないときと、生きていられないと思い込むほどに自分を責めるときで、 逆に自殺しないのは、苦痛から解放されたときと、他人が自分を攻撃してきて怒りを覚えたときだと思う(自分じゃなく相手を殺したいと思うと思う)。 だとすると、原作を守る作業が耐えがたい苦痛だったなら、ドラマが終わってそれから解放されたタイミングで死ぬのは不自然だし、 原作を壊されたことへの怒りが強かったなら、その結果自分を殺そうと思ったのは不自然。
最期の「攻撃するつもりじゃなかった」という言葉を踏まえると、死の直接の引き金は原作破壊ではなくSNSで騒ぎになったことだというのは、結構遠くない推測だと思う。 それは原作破壊が無かったことを意味するわけではないので、記事の言い分は横暴だけど、 世間が怒るポイントを間違えてる可能性をもう少し考えるべきというのは、言えると思う。
・近しい人を自死で亡くしたことがありますが、その後、自死の理由をいろいろ悩み考えたとき、結論として出たのは「本人以外に理由なんてわからない」でした。 友達同士のトラブルかもしれないし、男女のもつれかもしれないし、未来への絶望かもしれない。もっと違った理由かもしれないし、そのすべてかもしれない。
今回のSNSの動きや報道を見ていると、自死の理由を、原作改変かSNS投稿の2つに求めているところが気になります。 今回の問題とは直接関係ない原因があったのかもしれませんし、そのすべてかもしれません。 正解は亡くなった人以外にわかりません。それなのに勝手に他人を攻め立てるのは、結果的に亡くなった人の心を冒涜することにつながると思います。
・どちらもではないですか? 原作改変は確かにあった。ただ芦原先生が必死に修正しただけ。それは大変な作業だったでしょう。脚本家さんが映像化の条件を知らなかったからそうなったのであれば、それはやはり検証されるべき問題です。 検証は誰のためなのか。それは一般企業に例えるなら、従業員、関係各社、顧客に向けての釈明でもあります。検証し、問題点を発表し、改善を示す事が消費者への誠意です。
芸能界、出版界、各種メディア、その他あらゆる仕事が、一般大衆を顧客として広く商品を提供して経済活動をする限り、商品の流通過程に問題があれば追求されて当然です。一斉にメディアが追求するのが常ですが、相手が自分達サイドだとどうでしょう?
SNSやネットでの個人攻撃は論外としても、自浄作用がない世界は炎上しないとそのままよね、とは思います。
・問題は「最終的に」原作者の要望が通った、ということではなく、なぜ原作者の要望を無視したかのような脚本が「全10話すべてで」作られてしまったのかだと思うのだが。 「結局原作に沿ったドラマになったんだからいいでしょ」って言うのは本当に暴力的な考えだ。 それが結果として脚本家のプライドを気を悪くさせ例のSNSにつながり全ては起こってしまったのだから。
プロット、キャラクター、上がってきた脚本が全く最初に提示した条件と全く違う状況がずっと続く絶望を想像してみてから記事を書いて欲しい。 とてもじゃないが最終的には原作者も納得できたんだから不満はないはずなんて言えるわけがない。
・最終的に原作者のチェックが入っていたのだから、問題はなかったのでは?というのが、この教授の要旨かしら? しかし、改変が凄かったら、チェックの手間も大変だし、最終的には原作者が脚本書くことになってしまっているし、これって異常事態ですよね。 もちろん、原作者が自死されていることで、みんな感情的にはなっている、これで脚本家に何かあれば、どうなるんだろう?と厭な予感もあるし、落ち着かなくてはならない。 誰かが死なないと、問題が顕在化しない、事なかれ主義の問題もある。 それにしても、原作者が改変に鷹揚な場合もあるんだろうけど、神経質なときはそれに合わせて原作を素直にトレースするとかは、どの程度難しい作業なんだろう?という疑問は残った。
・この方は原作とドラマどちらも全部見た上でこれを書いてるのかな?私も見てないですが、作者の方が何度も脚本の書き直しを求めたという点からして、原作とはだいぶ逸脱した内容にドラマ化したのでは?もしくは、原作の核となるスピリット的な部分をないがしろにされたのでは? せめてこういう記事を書くなら、原作愛読者で、かつドラマ全部視聴するというのは必要ではないでしょうか?
・なるほどね。 誰にも責任追及させない手段は、結局SNS炎上のせいにしておけばいいってことですよね。 ですが時系列を鑑みても、やはり脚本家の方があのような発言をされなければ、先生も経緯を説明することは無かっただろうなということです。 炎上をさせるにもやはり何かしらきっかけがあるわけで、そのきっかけを招いたのは脚本家の方だったのは間違いような事実だと思います。 その経緯が無ければ先生は今も・・・と考えるとやはり悔しい気持ちで一杯になります。
・「しかし、過程はさておき、最終的に完成した作品については、芦原さんも含めて、当事者は誰一人としてそのような主張はしていない。むしろ、実態は真逆だったようだ。 にもかかわらず、過程だけが切り取られてそれが結果であるかのように語られている。」
事件や事故に正確な過程や原因究明は大事ですよ。終わり良ければ的な考えは違うかと… なぜメンタルやられるほどの改変された脚本が芦原さんの手に渡り何度も修正させられなければならなかったのか? それに「多くの人が納得する」?そうじゃなくて一番答えを求めてるのはご遺族や近しい方々だと思うのは私だけですかね? この方大手広告代理店19年勤務とあるので元々が大企業側の思考なのでは?作家さんの立場での思考が出来てない印象でした。
・脚本家が原作者の意向を全く知らなかったというのは無理がある。この記事にあるように原作者から手直しを求められたなら原作を尊重したい意志があったのは明白だろう。 漫画の映像化を芦原先生が本当にしたかったのかは分からない。小学館の担当からの要望を通していたのなら制作サイドと日本テレビの責任は重いだろう。個人的にはこの脚本家が批判を集めている事には全く同情出来ないけれど。
・今後、作家・漫画家さんは自分のストックを、アニメ・ドラマ化するに当たって、メディアと交渉する時に録画・録音を行った方が良いのでは?。そしてもし予期せぬ事が起きた場合(改編とか)、交渉のやり取りデータを証拠として、相手と交渉する(バックアップを取った上で、かつ第3者同伴が良いかと思う。作家・漫画家さん寄りの)か、それでも納得が出来なければ、それをネット(YouTubeとか)・SNS・週刊誌等に公表すれば良いかと思う。
・芦原さんの意向がドラマに反映されているなら9話10話も脚本家に書いて貰っていたはずである。 1話から8話は原作者の意向に反していたのが事実と考えるのが普通の考え方。
自死をどの時点で考えたか。 最後の言葉がXに関することからXが原因と考えられる。 脚本家相沢のXの投稿で傷つき、自分のXの投稿の皆の反応で再び傷ついたと考えられる。
気になることはXの皆の反応には、プロデューサーなどテレビ局側の反応も含まれてると思われる。 つまりプロデューサーかテレビ局側の誰かの反応の一言が自死へのトドメとなったと考えられる。 プロデューサーが沈黙してる理由にはトドメの一言を言ってしまった事もあると考えられる。
・自死は決して単純なものではなく様々な要因が重なって起こるものです。筆者は「SNSとネットメディアが殺した」とおしゃってますが、日テレ、脚本家、小学館は、それまでの対応や、コメントの内容とそのタイミングに瑕疵があったケース。明らかにその対応ミスが要因になっており、どこかで別の対応やコメントがあれば、違った形に決着したはず。 起こったことの原因を究明したいと思うのは「もう2度とこんな事態を引き起こして欲しくない」という思いから。ネット民はその思いで記事を読み、書き込みをしています。様々な要因を分析し、そこで感じた憤りを言葉にしています。その結果、小学館の編集部の誠意あるコメントや脚本家の懺悔につながりました。そこは評価すべきでは? 何よりこの記事そのものがネットメディアであり、その意味では説得力を欠く主張ではないかと思います。
・こういう騒動は様々な意見が発言されて記事にされて次第に本人たちの意図以上の無関係な意見まで足されてややこしくなっていく…
今回も改変された言い出す他作品に関わった他の人や過去の別の騒動を記事にしていくマスコミ、発信した本人への誹謗中傷まで出ておかしな流れになってしまったことが、最終的に本人を追い詰めたのだろうか… この記事の言う通り騒ぎが大きくなりすぎた。
私はこの騒動が始まった頃、本人が存命の時は特に気にしてもなかった…揉めてるけど当事者同士で解決することだと思ったからだ。 周りの意見が原作者が生命を経つことになったかもしれないのに、まだマスコミや他の著名人があることないこと憶測と私見をごちゃ混ぜに語るのは宜しくない。
日テレや小学館、脚本家の発言や対応が素晴らしかったとは思えないが、本人も内々に話し合えばいいことをこうやってSNSに上げなければここまでならなかっただろうな…
・小学館による過労死案件でもあるように思う。
ドラマ化が決定してから週何時間労働することになったのだろう。
異常な量の労働になる前に小学館は連載は休ませることができたのでは?
そもそも連載中にドラマを監修することは難しそうだし、作家はドラマ化に拒否権があったのか。 小学館は無理矢理働かせてないことを証明する義務があるように思う
・僕は、脚本家の相沢さんが芦原先生と同じ道を歩むという、 『ふたりめの犠牲者』 が出ることを、強く危惧しています。
「はじめて聞くことばかり」という言葉が真実なら、 彼女も『ずさんな進行』の被害者だった、 という可能性が充分にあります。
「原作はあるけど自分の作品のつもりで思い切りやってくれ」 と言われて仕事を受けたのに、脚本案を出すたび 「いやあ、原作者が意固地な人でさあ」 なんて言われて全面リテイクが何度も入り、あげくのはてに、 「原作者が自分で書くって突然言いだしたんだよね」 と言われていきなり外された、みたいな感じですよね。
だからSNSで芦原先生を攻撃していいとは思いません。 ただ、相当のストレスだったでしょうし、 そりゃあ、脚本あげてから原作の新刊なんか読みません。
彼女を『死の元凶』と決めつけ、 激しく糾弾する方が多いようですが、 まず、事実確認してみませんか。
・「プレジデントオンライン」さん、どこかピントがぼけた記事ばかりと思ったら、小学館と同じ一ツ橋グループなんですね。
グループ内の別の企業を使って、この件についての記事を量産するのであれば、小学館のほうから直接会見などされ、存分に思いを主張されてみてはいかがでしょうか?
・どっちがではなくどっちもが正解じゃないですか。 毎回加筆修正しないといけないくらい持ってくるプロットが的外れだったってこと、それを全部修正して放送されたんだからドラマ自体は納得したかたちで放送されてたと思う。完全ドラマオリジナルの8~10話に関してもやっぱり改変して上がってきた。そりゃ脚本家変えてほしいって言いますよね。新しい脚本家を用意できなかったから先生がご自身で慣れない脚本を書かれて完成させた9,10話だったということ。 連載を休まないといけないくらい心労がたたってたところにSNSが炎上してしまったので何かのスイッチを押してしまったのかもしれませんね。 それにしても、きっかけは脚本家のインスタだったって事をを忘れてはいけませんよ。
・一見公正客観的なようであって、表面に出ていないことは無いこととして扱った記事と見受けます。 先生が不幸な一線を越えてしまった本当の原因は誰にも分りません。部外者が憶測を含めて語ることも先生のご遺志に沿わないかもしれません。 であればこそ、関係当時者が果たすべき責任があると考えます。 他スレにも投稿したとおり、最大責任者が混乱を招いた日テレ(プロデューサー含む)、その次が作家を守らなかった小学館と考えます。小学館の現場よりは、現時点、最大の表意がなされたと感じます、 次は、日テレ、小学館上層部が責任を果たす番ではないでしょうか。
・自分らも類似の事例に思い当たることがあって、明らかになった場合は同様に叩かれうるからSNSの一般人に責任転嫁してテレビ局や出版社への批判を沈静化するのが狙いかな? 他の漫画家や小説家、中には脚本家の方からも類似の経験や本件に対しての日テレや小学館の姿勢に苦言が呈されている点からも「事情を知らない一般人が騒いだから」で済ませたら今後も同じような悲惨な結果になる事例は無くならないでしょうね。
・芦原先生としては「原作に忠実に」を飲んでドラマ化されたなら、脚本を加筆訂正しなければならないとしても、「このセリフは外さないで」や「この場面はもう少し穏やかな感じで」くらいのレベルで想定されていたのではないだろうか そのレベルじゃないプロットや脚本が手元に届き驚きながらも連載の締め切りもありつつ加筆訂正しなくてはならず疲弊が積み重なったのかと なんとか一応納得出来たドラマが終わり、次へ進もうとしてたら脚本家のSNSからの騒動が始まり… 何か一つに原因を「決めつける」のは無理がある
ただきっかけが脚本家の「SNS」であった事は間違いないと個人的には思ってる
・記事の途中に、「原作者の意向は尊重されていた」と書いてありましたが、それはあくまでも、実際に放送されたドラマの内容がそうなっていたというだけの話で、原作者さんの話では、おかしな脚本が何度も上がって来たので修正し、ドラマスタッフが「仕方無く」、原作者の指示に従ったとしか思えません。最初から原作者の意向が尊重されてたのなら、わざわざ脚本素人の原作者さんが、最終2話の脚本を書くなんて事をしなくても良かったはず。別に特定の誰かを犯人にして批判する必要は無いですが、日テレと小学館の上層部達が、何の説明も謝罪会見も無く黙っているから批判されてるだけでは?
・どちらかとかではなく、もう複合的なことでは。 原作漫画を隅々まで読んでもいないだろう脚本家が8話まで世界観を破壊した脚本を出してきて、先生が修正される苦労が無ければ。 最終2話分の先生の筋書き通りに脚本をかけるだけの原作リスペクトとその力があれば、先生自ら脚本を書くという本来の仕事ではないものに時間を費やす必要は無かった。 何より、脚本家が最終2話の評価について私ではないと言いたいがために内情をSNSで言い、お友達脚本家たちが尊厳が傷つけられたんですねーなんて非難し合わなければ。 先生は本来の仕事ではない脚本家の仕事の肩代わりをして、世界観を守って一丸となって作品を作り上げていたはずだったところが、終わってから汚されて。 個人的にはダンマリ決め込んでいる関係者の中に、先生に投稿は攻撃だと迫った人物がいると思っています。
・完成版が、と何度も書いているけれど、その完成版を仕上げるためにどれほどの苦労を芦原先生がされたか、この記事を書いた人は全く考慮していない。完成版が原作のストーリーから外れなかったのは、勝手にキャラクターを変えたり余計な恋愛要素を盛り込もうとした脚本を、芦原先生が必死に止めたからだ。それを「原作者の意向は無視されなかった」と言うことに憤りを感じる。 日テレがずっとだんまりを決め込んでいるのは、この4月から件のプロデューサーが担当し、未完の人気漫画を原作としたドラマが始まるからだと思われる。あまりにも「セクシー田中さん」と似た状況で、これが公になれば注目の的になるのは確実だろう。 そのドラマをなんとか無事に世に出すため、こんな記事が出るのだろうが、テレビ局は悪くないとか、SNSが問題だったとか今更言われても、全く説得力はなく、むしろテレビ局にたいする不信が募るだけだと思う。
・原作のままにドラマは作れません。ましてや連載中のものを話数限りあるドラマにするのはもっと無理です。 だからこそ、位置的に対極にある原作者と脚本家とを繋ぐのが、出版とドラマ作成者です。 何度か僕も書いてはいたのですが、記事にあるように、クリエーターを守るためにその仕組みを出版界と放送界とで考え方を統一したルール作りが必要です。また放送界だけでなく数多ある配信を作るネフリのような業界も同じです。 クリエーター、制作者、お互いのボタンをかけ違わないように。。
・この記事は結局、最終的には原作者の意向通りのドラマになったのだからいいでしょう?と言っているのだが、あってる? プロセスを全く見ていない。プロセスに相当苦しめられながらも、芦原先生は自分の大切な作品を守るため戦った。言い回し、背景などを変えられる、省略されることで全然意味合いが違う。原作を変えないでとお願いをし、そうしてもらえる脚本家に変えてほしいとお願いしたが聞き入れてもらえなかった。しかたなく、最後の2話は原作を壊さないようなストーリーにするため自分で書いたということ。スケジュールがパンパンの漫画家にその重荷を負わせたのは制作サイド。ドラマ化の最初から原作に忠実にとお願いしていたにもかかわらず、大幅に改変されたプロットと脚本が届き、手直す羽目になったのだ。その過程も見ず、最終的には意向に沿ったものになったのだからというのは失礼にもほどがある。感情論というかもしれないが、大事なことでは?
・SNS炎上が大きかったでしょうね。 最初の経緯の説明の時には、自分が手がけたドラマ脚本について責任を感じているのだなと言う感じはしたけれど、自分の代弁かのように脚本家へ攻撃が向ったことにすごく心を痛めてさらに責任を感じたのではと思います。とても真面目で心優しい方だったのだろうな。 脚本家のSNSは本当に傲慢でずるい。 言ったもん勝ちと思ったのだろうけど、1対1での仕事でもないのに個人攻撃するようなことを勝手に発言するのだから。まだ日テレ側がどう脚本家に伝えていたのか明確ではないけど。それでも芦原先生に攻撃を向けること自体が筋違いで、遠回しな嫌味で自分のプライドを傷つけられた腹いせとしか見えない。 芦原先生個人が、あの嫌味な投稿に対して自ら矢面に立つ事をしないで済むように小学館側に守ってほしかったです。
・過程の苦労、要望が伝わらない心労など、様々な負担があったことは察するに余りあるので、著者に反論したい気持ちもあります。私は、発端は原作者の要望が伝わらなかったこと、制作陣過程の各所でのコミュニケーションにあると思ってるので。
しかし、この記事の骨子は、私の思うところと重なる部分が多いです。 (先生に心労をかけたけっかではありますが)最終的に放映されたものは、先生も了承しています。じゃなければ流せないのは先生も書いてたこと。 そして、より大事なのは、炎上は我々第三者が起こしていたということです。当時者がそれぞれ動かざるを得なくなったのも、我々が影響しているのは紛れもない事実と思います。 だからといって、各関係者の責任が軽減されるとかではないですよ。我々も省みるべきがあるだろう、という話です。
・凄い違和感のある記事だ。 最初からリスペクトされていて事前の相談なども密にした上で8割程度出来上がっていた初稿が上がって来ていたのならそうだろう。だが現実は、かなりの手直しを必要とする初稿で、最後はと仕方なく本人が書き起こす事になったものですよね。結果だけ見てそれで良いだろうなんて言う方が、よくそれで文章を生業にしていると言えるのか不思議です。
・最終的に原作者が妥協して、テレビ局側が嫌嫌脚本家を変えて無理やり原作者の意向通りっぽい筋書きに間に合わせただけだと思うな。もちろん「攻撃する意図はなかった」はそうだと思うので、SNSの過剰な攻撃は避けるべきなので「本当に悪だったのか?」と考え、踏みとどまるということは大事ですが、原作者さんが散々苦しんでなんども交渉をしたものに対して「原作者の意向に沿っていたのではないか?」と外部が勝手に認定してしまうのこそ失礼だと思う。コストカットのために本来の耐震構造を無視して建てた家、見た目上建ってて崩れてないんだから良いよね?じゃないでしょう。 あとはここまで触れて脚本家のSNS投稿と、原作者を蔑むようないいねに触れないのは確信をあえて避けてるように見えます。
・この記事は、「はっきりしていない」という一点を以て、日本テレビと脚本家を擁護するものになっている。 しかし、そんなことはどうでもいい。 「著作者人格権」と「同一性保持権」が守られていないと原作者が感じ、これ以上続けると原作に悪影響があると判断された場合は、番組は即打ち切り。 打ち切った場合の損害は、権利を主張した原作者側が負担するのではなく、権利を侵害した番組制作者側がすべて負担する。 このような法整備を一刻も早く行うべきである。
・原作が尊重されたかについては少なくともストーリーは芦原さんの意向にそって修正されたのは確か。 問題は脚本家と話し合う機会が最後まで作られず、自分で脚本を書かざるを得ない状態になって、 満足ゆく脚本でなかったことをドラマ視聴者に説明したのが芦原さんの本意だったと思う。
ところがブログをメディアが取り上げて全国に拡散し 先立って相原さんが脚本担当を降ろされたことをインスタグラムに上げていて ヤフコメなどにそのことを書くコメントもあって脚本家を袋叩きにする炎上が発生し、 芦原さんは炎上にに困惑して追い詰められ「攻撃したかったわけじゃない」とブログを削除したのだと思います。
原作者の意向を脚本家にどう伝えたのか、原作者と脚本家の顔合わせがなかったのはなぜか、許諾を得たのだから良いという姿勢じゃなかったかは日テレが検証すべきとして、直接芦原さんを追い詰めたのは炎上した世間であると思います。
・SNSがなければ、当事者同士の話し合いで済んだし、原作者が死ぬ事態までいかなかったかもしれない。 原作者が追い込まれたのは、心を尽くして説明しても、正しく伝わらない現実のせいかもしれないと思いました。
自分は冷静なつもりでも、感情的になって、脚本家に反感を持っていただけではないか?脚本家を攻撃する事が正義だとどこか自分に酔っていたのではないか?(実際に攻撃はしませんが、自業自得と蔑んでました) …そう自省する記事でした。昨日もブロガーの方が書いていた同意見の記事を読みましたが、改めて私は自分が冷静ではなかったと気付かされました。 芦原先生の作品好きでした。 だからこそ、一ファンとして冷静に事の次第を見守っていきたいと思います。
・この記事のように日テレが説明すればよいがその兆候は見えない。芦原さんのブログによれば日テレ制作に対して脚本に関してかなり明確に条件をつけた上で合意している。単なる「原作者の意向尊重」よりかなり具体的だ。ところがその条件が守られていないと芦原さんが感じたところから脚本書き直しで多大なエネルギーを強いられた。最終的には芦原さんの意向が通ったにせよ、芦原さんを疲労させたことは間違いない。 小学館によれば2月からの休載が決まっていたとのこと。ブログ記事は休載を読者に説明するステップでもあったのかもしれない。 現状で推定される日テレの責任は記事の筆者が言うよりは重く、原作者・出版社と合意した事項を制作体制に徹底せず、原作者を不必要に困憊させた事があると思う。ただ、芦原さんが亡くなる引き金となったのは予想を越えたSNSの反応、特に脚本家など特定人物を攻撃する大波であった可能性が高いとは思う。
・私は芦原先生の雑誌で追うほどのフアンで一連の時系列からもこの記事の状況は概ね間違ってはいないと思う。でもそれは「表に出ている部分」からだけの推測だとも思う。 芦原先生が、ドラマ直後じゃなくて一ヶ月も経過してから突然「釈明文」を投稿しなきゃならなかったこと。 「ドラマスタッフによる原作者にパワハラされたという苦言」への「釈明」が、なぜか正反対の「原作者がドラマ改変に苦言」と芦原先生の意図ではないSNS炎上が始まったこと。 それを芦原先生のフアンが必死で「脚本家側の嫌がらせへの釈明」と訂正し続けてもそれはすべて無視されたこと。 それでもフアンも担当編集さんも支えていたから先生も耐えていたけど亡くなる直前に休載が決まっていた。それも無視はできない。 水面下で「ワガママな原作者に嫌がらせして思い知らせてやろう」という局側の工作が見え隠れしている。出版社にも圧力かけたと思う。
・本質的でない部分を強調して、矮小化させたいように感じます。
起:「セクシー田中さん」問題で考えるべきこと ↓ 結:「原作者の意向を無視した」とまでは言えないし、実態が明らかにされたところで、「日本テレビがすべての元凶だった」という結論にはなりづらい
要約すると、事実を明らかにしても無駄だから、うやむやにすることがベスト…という内容に思えてしまいます。
世論は責任を追及することではなく、事実を明らかにして「どう再発を防止するのか」を求めているのでは? 必要なのは、過激な責任追及が起こらないように、第三者による冷静な事実解明が行われることでは?
・SNSの使い方を間違えた脚本家の行動が引き金だったけど、脚本家がSNSで原作者の文句をたれたきっかけは「原作を歪める権利」を脚本家とテレビドラマのプロデューサーがもっているという意識から来ている。
その権利意識は原作者が原作を守ることを迷惑かけられたと思うほど強いものなんだろう。 「原作を歪める権利」 それってすごいよね。このプロデューサーでドラマ「おせん」が作られた時は原作者がショックで断筆している。過去にそんなトラブルもあっても平気なほど「原作を歪める権利」の意識は強い。 きっとテレビって速さと手軽さが制作者に一番求められるんだろうね。アイディアとパッケージは借り物で撮りやすい中身に添加物満点で加工しまくってあちこちの都合を吟味してレンチン的に作成する。もっとそれに見合うレンチン的なレベルの漫画もあるだろうに。 出版社もそこは守らないと。 みんなの悪い部分が合わさった結果だと思うけど
・元に戻せないくらい改変されてしまった。しかも合作となった脚本はそこそこヒットしてしまったことこそが原作者にダメージを与えた。しかも1人で書いた脚本は不評。つまり自分が書きたいテーマは世間に受け入れて貰えない。続編を描く意欲が無くなり、生きていく意欲さえ失ってしまった。原作通りに指示しなかったテレビ局も悪いし、嫌がる原作者に無理やりドラマ化を受け入れさせた小学館グループトップも悪い。おそらく一番の味方である編集は小さな子会社所属なので圧力に屈したのでしょう。誰一人味方が居ない中で孤軍奮闘した原作者には頭が下がります。
・亡くなった人がどういうことに苦悩していたか、それを言うのは、語弊があるかもしれないがペットにとって何が幸せかを考えることに等しい。 何を考えようが、それは考えるほうの独りよがりに過ぎない。 なくなってしまった人も、動物も、何を思っているか知る方法はないからである。 この問題で考えるべきことは、そんなことではないのじゃないか。 どれが一番作家にとって苦悩だったか、それは作家が亡くなる前に考える事であって、今考えても意味はない。
・どちらもだと思う。 いくら言っても改善されなくてドラマ化を今からでもやめたいくらいだと何度も訴えていたのだから。 それでもやっと終わった。仕事って辛かったりしても終わった後はいい経験だった思える事もある。原作者がそう感じたかはわからない、もうこりごりって思った可能性かある。 そういう中でも一緒に仕事した人たちからお疲れさまって言われるのと、あのような書き込みをされて経緯を説明した後も無視でしよ?辛いに決まってる。仕事の辛さと人から受ける心ない辛さはどちらかではなくどちらもでしょう。
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