( 137823 )  2024/02/10 14:38:36  
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開発コンセプトは「大人の豊かなパーソナルライフを演出する、本格グランドツアラー」(写真:SUBARU) 

 

 1980年代後半から1990年代初めにかけての、いわゆるバブル景気の時代には、それまで考えられなかったような贅沢なクルマが、日本から次々に登場した。 

 

【写真】全面ガラスのキャビンが斬新!ジウジアーロが手掛けたアルシオーネSVXの超デザイン 

 

 ホンダのスーパースポーツ「NSX」や、16年ぶりに復活した日産「スカイラインGT-R」、北米ではレクサス「LS」として販売されたトヨタ「セルシオ」は、多くの人が覚えているだろう。 

 

 この時期は、それ以外の自動車メーカーもチャレンジングだった。中でも印象に残っているのが、1989年の東京モーターショーでコンセプトカーとして出展され、2年後に発売されたスバル(当時の社名は富士重工業)のパーソナルクーペ「アルシオーネSVX」だ。 

 

20~30年以上経った今でも語り継がれるクルマが、続々と自動車メーカーから投入された1990年代。その頃の熱気をつくったクルマたちがそれぞれ生まれた歴史や今に何を残したかの意味を「東洋経済オンライン自動車最前線」の書き手たちが連ねていく。 

 

■スバル・フラッグシップの2代目として 

 

 「アルシオーネ」という車種は、それ以前からあった。スバルは「レガシィ」の前の主力車種である「レオーネ」の4WDが北米で人気となったことから、北米市場を重視することになり、フラッグシップとして開発されたのがアルシオーネだった。 

 

 しかし、極端なウェッジシェイプのフォルムは好き嫌いがはっきり分かれたし、当初のエンジンはレオーネと基本的に同じ1.8リッター水平対向4気筒ターボだったので、パフォーマンスはいまひとつだった。 

 

 途中でシリンダーを2つ追加した2.7リッター水平対向6気筒自然吸気エンジンを投入してグレードアップを図ったものの、デザインはそのままだったこともあり、挽回はできなかった。 

 

 こうした経緯もあって、2代目アルシオーネであるSVXは、スタイリングをジョルジェット・ジウジアーロ氏が率いていたイタルデザインに任せることにした。 

 

 

 ジウジアーロ氏が関わった日本車といえば、いすゞ「117クーペ」、初代「ピアッツァ」をはじめ、スズキの4代目「キャリイ」や「SX4」、ダイハツの2代目「ムーヴ」、トヨタの初代「アリスト」などがあるが、スバルとのコラボは初めてだった。 

 

 スタイリングは、エッジを効かせた初代アルシオーネとは対照的に、滑らかな曲面で構成されており、大人っぽさを感じさせた。前後のブリスターフェンダーも控えめで、品の良さが伝わってきた。 

 

 初代ではリトラクタブル式だったヘッドランプは薄い固定式とされ、グリル部分もクリア素材を使用することで、一体感を表現。リアコンビランプも薄型で、SVXのロゴが入った樹脂製ガーニッシュでつないでいた。 

 

 LEDでないことを除けば、最近のデザイントレンドにも通じるディテールであり、前後の処理を共通として「クルマとしての統一感」を表現したことを含めて、ジウジアーロが非凡な才能の持ち主であることを、改めて教えられる。 

 

 飛行機メーカーをルーツとするスバルらしく、キャビンがルーフを除き全面ガラス張りで、飛行機のキャノピーを思わせたことも印象的だった。 

 

 そのため、曲率の小さいサイドウィンドーは真ん中にフレームを通してその下だけが開閉する、ミッドフレームウィンドーを採用した。外国車ではランボルギーニ「カウンタック」などに例はあるが、日本では初めてだった。 

 

■流麗なデザインはインテリアにも 

 

 インテリアは、社内デザインスタジオが担当。メーターからセンターパネルにかけては、1989年発売の初代レガシィに似ておりオーセンティックだが、インパネからドアのアームレストにかけての流麗なライン、アーチ型のヘッドレストなど、独特のエクステリアデザインを反映したような造形も見ることができた。 

 

 4スポークのステアリング、L字型のセレクターレバーとパーキングブレーキレバーは、当時スバルのデザインスタジオに在籍していたミュージシャンのパラダイス山元氏が担当したという。 

 

 クーペでありながら、後席にも大人が座れるスペースを用意していたのは、パッケージングを重視するジウジアーロ氏が手がけたおかげかもしれない。筆者が所有したアルファロメオ「2000GTヴェローチェ」やマセラティ「3200GT」もそうだった。 

 

 

 メカニズムは初代レガシィと共通部分が多く、初代ではリアにセミトレーリングアームを使用していたサスペンションは、前後ともマクファーソンストラットとなった。 

 

 エンジンは水平対向6気筒自然吸気のみとなり、レオーネに積まれていたEA系をもとに開発されたER27から、レガシィのEJ系をベースとしたEG33に一新され、SOHCからDOHCに進化していた。 

 

 3.3リッターという排気量は、レガシィの輸出仕様として用意され、その後国内にも展開された2.2リッター4気筒の1.5倍で、シリンダーのボア×ストロークは共通だ。 

 

 最高出力は240ps、最大トルクは31.5kgmで、3.0リッター自然吸気で280psをマークしたNSXにこそ及ばないが、トルクを含めてレガシィの2.2リッターの1.5倍以上であり、ハイパフォーマンス志向のチューニングだったといえる。 

 

 トランスミッションは、初代では5速MTもあったが、SVXでは4速ATのみとなり、駆動方式は北米仕様に前輪駆動も残されたものの、日本仕様は4WD(AWD)のみとなった。 

 

 しかしながら、SVXが発売された1991年9月は、すでにバブル崩壊のモードに入っていた。330万円以上という当初の価格は、当時のスバル車としては高価であり、販売は伸び悩んだ。そのため、5年間での日本での販売台数は、6000台にも満たない。 

 

 ちなみに海外向けも含めたトータルの生産台数は、約2.4万台となっている。うち半分以上が北米市場でデリバリーされ、欧州では4WDであるためスイスでの人気が高かったようだ。 

 

■独自の味わいに評価高まる 

 

 アルシオーネSVXが現役だったころ、筆者はすでに自動車メディア業界に身を置いていたこともあり、このクルマには何度か乗ったことがある。 

 

 その前に登場した初代レガシィも、レオーネ時代と比べてさまざまな部分で洗練されていたが、SVXはそれに輪をかけており、イタルデザインが描いたスタイリングにふさわしい走りの持ち主になっていた。 

 

 当時、筆者は30歳前後だったので、スカイラインGT-RやNSXの高性能版タイプRなど、パフォーマンスを前面に押し出したスポーツモデルにも惹かれた。それに比べると刺激は薄めだったけれど、独自の味わいにはあふれていたので、自分が歳を重ねていくにつれ、その評価は高まっていった。 

 

 「500 miles a day」、つまり「1日で800kmを余裕で走れる」というキャッチコピーどおり、高速道路を使ったグランドツーリングは得意中の得意だった。「アイサイト」などの先進運転支援システムはなかったけれど、今や多くの人が認めるスバル車の安定感や安心感は、この時代にすでに確立していたのだ。 

 

 今は世界的に2ドアのパーソナルクーペが生きにくい時代だが、一方でクーペタイプのSUVやクロスオーバーは注目されている。持ち前のロングクルージング性能を、スタイリッシュにユーザーにアピールする車種なら、今もクーペの存在意義はあるのではないかと思っている。 

 

森口 将之 :モビリティジャーナリスト 

 

 

 
 

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