( 138133 )  2024/02/11 14:20:04  
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東京・新宿から多摩地域および神奈川県北部に延びる鉄道路線を運営する京王電鉄。運転士など人手不足解消を目指して新しい試みを始めた(イメージ、時事通信フォト) 

 

 日本の生産年齢人口(15~64歳)は1995年の約8700万人をピークにして減少する一方で、2023年には約7400万人になり、今後も減り続ける見込みだ。足りない労働力を補おうと、高齢者の就業や多様な働き方を推奨するなどして労働力人口(15歳以上人口のうち就業者と完全失業者を合わせた人口)は2012年の6565万人から2022年には6902万人へと増加している。それでも人手不足は深刻だ。ライターの小川裕夫氏が、新卒者の確保と、いま働く人たちに長く仕事をしてもらうために京王電鉄が打ち出した独身寮の無償化や帰省費用の負担などの新制度についてレポートする。 

 

【写真】外国人運転士だった開業時の台湾新幹線 

 

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 新型コロナウイルスの影響や過疎化によって利用者が減少したローカル線は、採算面が厳しくなり、近年になって廃止議論が喧しかった。そうした赤字ローカル線の多くは、廃止後に代替交通として路線バスへと転換されるのが一般的だった。 

 

 しかし、そうした”常道”の雲行きが怪しくなっている。というのも2022年あたりからバスの運転士不足が深刻化しているからだ。バス運転士が不足すれば、当然ながらバスの運行はできない。バスが運行できなくなると、通勤・通学や買い物といった日常生活に支障をきたす人が増えてしまう。 

 

 バスに比べると、鉄道は一度に多くの利用者を輸送することができる。費用面からの比較も検討材料になるため一概に言い切ることはできないが、鉄道を残すか、バスを残すかといった二者択一を迫られた場合、多くの自治体は鉄道を残すことを選択する。 

 

 とはいえ、鉄道もバス同様に運転士不足の危機が忍び寄っている。決して楽観視できる状況にない。いったい、鉄道の運転士をめぐって、何が起きているのか。 

 

 国土交通省によると、地方鉄道140事業者のうち70事業者で運転士が不足していることが分かった。そうした事態を受け、国土交通省は鉄道局と100社以上の地域鉄道の運営事業者、オブザーバーのJRや大手私鉄と関係団体などで構成する会議を結成、2024年2月2日に「地域鉄道における運転士確保に向けた緊急連絡会議」初会合を開いた。 

 

 初会合では、新規に運転士になる障壁を低くし、より多くの中途採用をしやすい制度の変更が議題として検討された。例えば、「2024年度中に省令を改正して運転士免許の取得可能年齢を現行の20歳から18歳へと引き下げること」や、運転士だけでなく車掌なども含めて「外国人労働者の在留資格である特定技能に鉄道分野を追加する」ことなどが案として持ち上がった。 

 

 

 鉄道運転士の国家資格である「動力車操縦者運転免許」は、20歳未満は試験を受けることができないとされている。それを18歳へと引き下げれば、理論上では高校を卒業したばかりの新入社員も列車の運転が可能になる。また、外国人を運転士として採用できれば、人数としては人手不足解消の見込みが立つ。 

 

 そんな思惑が透けて見える案だが、仮にこの案が実現しても運転士を確保できるとは思えない。なぜなら運転士の処遇を改善しなければ、一時的に運転士が増えることはあっても離職する運転士も増えてしまうからだ。 

 

 運転士は鉄道業界で花形だが、その見た目に反してストレスの多い職でもある。もし、運転中に人や自動車、動物など接触するのを避けるために急ブレーキをかけたことで乗客を負傷させれば責任を負う。また、そうした労働環境に対して、驚くほど薄給であることから家族や今後を考えて離職する運転士も少なくない。 

 

 鉄道車両の運転以外の業務も担うことが増えている。近年は都市圏でもワンマン運転が増えているが、利用客から下車駅や到着時間を訊かれることも多々ある。さらにICカードのチャージ操作といったサービス業務もこなしている。 

 

 ゆくゆくは運転士になることが決まっている状態で新入社員として入社しても、いきなり運転士になるための訓練だけをすることは希だ。通常、駅員や車掌といった業務をこなしていくことで鉄道員としての経験を積んでから、運転士になるための学科を学び実技の教習を受け、ようやく国家試験を受ける。普通自動車運転免許のように、カリキュラムを終えて試験を受け合格すればよいというものではない。 

 

 なにより、鉄道運転士は単に列車を運転するための鉄道員ではない。運転士は万が一にも事故を起こさないように努めているが、地震や火事、車内に暴漢が現れるといった不測の事態が起きることもある。そんな事態においても、運転士は乗客の安全を守らなければならない。将来的に技術が向上して自動運転が実現できても、乗客の安全を守ることができるのは人間だけなのだ。 

 

 仮に省令が改正されて18歳から鉄道運転士の免許が取得できるようになっても、18歳の運転士が誕生することは可能性としては低く、若い運転士が多少、増えても人手不足を解消するまでには至らないことは大方予想がつく。そもそも、18歳から鉄道免許が取得できるように省令改正したところで、運転士になろうと考える18歳はどのぐらいいるのだろうか? 

 

 

 鉄道事業者が運転士を確保するために手をつけなければならないのは、なによりも鉄道員の処遇改善だろう。実は、そうした処遇改善が必要なことは鉄道事業者も理解している。しかし、コロナ禍で大幅な赤字を出し、今後も少子化などで需要増の見通しが立たない。そんな苦境の中で、処遇改善などと言い出すことはできない。下手に言い出せば、経営を逼迫させて会社そのものが立ち行かなくなる。処遇改善は、鉄道事業者にとってパンドラの箱なのだ。 

 

 そうした中、京王電鉄は福利厚生面に力を入れることで新入社員の採用を強化している。 

 

「弊社は沿線の東京都府中市や神奈川県川崎市・相模原市に独身寮を保有しています。これらの独身寮の間取りは1Kですが、2023年12月から無償化しました。併設している駐車場も、自己負担が発生しますが利用できます」と話すのは、京王電鉄広報部の担当者だ。 

 

 1Kとはいえ、東京近郊でアパートを借りれば月5万円はかかるだろう。それらの家賃負担がなくなることは、新入社員にとって経済的にも大きなメリットになる。 

 

 これまで京王は、自社沿線を中心に高卒新卒者を採用していた。少子化によって新卒者自体が減少し採用が思うようにいかなくなる。そこで福利厚生の充実を図り、地方の高校生、特に東北や九州の採用に力を入れるようになった。独身寮の無償化は、その一環でもある。 

 

「独身寮には管理人が常駐しており、地方から上京して初めて一人暮らしを始める社員も安心して生活できる環境を提供しています」(京王電鉄広報部)という。 

 

 京王電鉄は新宿駅を起点に京王八王子駅を結ぶ本線格となる京王線のほか、渋谷駅―吉祥寺駅を結ぶ井の頭線、ハイキングなどで行楽客が多く利用する高尾山口駅のある高尾線などがあり、東京圏では知名度が高い。 

 

 しかし、採用担当者が力を入れていると口にした東北や九州に京王の電車は走っていない。そのため、東北や九州での知名度は決して高くない。以前に東京近郊に住んでいたとか、相当な鉄道ファンでなければ京王の名前を知っている高校生は少ないだろう。京王の新卒採用の求人を目にしても、鉄道会社と認識できないかもしれない。 

 

 そうした懸念から、京王は東北や九州での採用を強化するにあたって東北や九州でもテレビCMなどを放送して知名度アップを図る取り組み進めている。さらに、帰省費用を年度内に2往復分まで支給する制度も開始した。 

 

「帰省にかかる航空券料金、鉄道およびバスの乗車運賃および特急料金を補助します。なお、帰省にかかった費用のうち、1往復当たり2000円を超える部分を会社負担としています。会社負担の上限は、1往復あたり3万円です。これら帰省費用は、当該年度内に2往復分まで補助します」(同) 

 

 地方の高校を卒業した新入社員を採用するにあたり、こうした福利厚生の充実は訴求力を持つだろう。 

 

 

 一方、経験を積みスキルのある中堅・ベテラン社員の離職も鉄道会社は防がなくてはならない。特に、安全に直結する部門は、機械でカバーできず人の目と手で確認する作業も多い。 

 

 そうした技術系社員の処遇に関しても、京王は2023年12月から夜間の設備保守や夜間・休日の緊急動員にも手当てを支給する制度を開始した。 

 

「乗務員とは違い、技術部門で働く社員は鉄道輸送における縁の下の力持ちです。そうした技術系社員に対して日々の業務の重要性にスポットを当てるという思いを込めて手当を新設しました。深夜時間帯の工事や保守業務における責任者に対する手当、休日の緊急動員などに対する手当です。これらは人によって支給額は異なりますが、一定の処遇改善につながると考えています」(同) 

 

 鉄道事業者は沿線で多くの事業を展開している。系列に百貨店やスーパーマーケットを抱え、そのほかにもマンションを建設・管理したり、スポーツクラブを運営したりしている。こうしたグループ会社の事業を福利厚生に取り入れて、会社の魅力をアップさせることは採用力の強化にもつながる。京王のように、抱えている物件を社員に無償提供するだけでもインパクトは大きい。 

 

 2023年の合計特殊出生率は1.26と過去最低を記録した。2024年も少子化が改善される兆しはない。その一方で、団塊の世代が75歳を迎える。労働力の減少は今後も続くことが見込まれるが、労働力が減少しても公共インフラの鉄道は1日も休まずに走り続ける。鉄道が動かなければ、私たちの生活は成り立たない。鉄道運行が滞れば、日本経済も混乱するだろう。 

 

 処遇改善を急がなければならないのは、全国の鉄道事業者に共通した喫緊の課題だ。それだけに、会議でちんたら話し合っている時間的な余裕はない。地域の足を守るため、一刻も早い処遇改善が求められている。 

 

 

 
 

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