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名古屋市で、成田幸男さんは90歳を超えながらもおしゃれに気を使い、百貨店を訪れる姿が報じられました。

彼は成田きんさんと蟹江ぎんさんという国民的な姉妹の四男で、母親の影響で長寿を考えていると語っています。

きんさんとぎんさんは国民的な人気者となり、長寿の秘訣としておしゃれや色気を大切にしていたことが語られています。

(要約)

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おしゃれをして百貨店を訪れた成田幸男さん=名古屋市で2023年9月27日 

 

 淡い紫のシャツに薄いグレーのジャケット、胸ポケットからのぞかせたハンカチーフが人目を引く。通りかかった若い女性が思わず「わあ、すてき」と笑いかけた。 

 成田幸男(ゆきお)さんは、名古屋の繁華街・栄を足取り軽く歩く。90歳を超えても張りのある肌は、母譲りだ。 

 「元気に長生きできるのも遺伝かな。やっぱりうれしいね」 

 

【写真まとめ】お茶の間の人気者になった「きんさんぎんさん」 

 

楽しそうに妹の蟹江ぎんさんと語らう成田きんさん(左)=名古屋市の自宅で1998年9月14日 

 

 30年あまり前、テレビCMをきっかけに国民的な人気を集めた長寿の姉妹がいた。成田きんさんと蟹江(かにえ)ぎんさん。幸男さんは、きんさんの四男だ。 

 母はいつもにこにこして、誰からも愛された。自由奔放さに振り回されることもしばしばだったが、自身も長く生きて、母に教わったと感じることもあるという。 

 昨年9月末、栄の百貨店に着くと、幸男さんはまっすぐ1階のアクセサリー店に向かった。女性店員から小箱を受け取ると、水色の石が埋め込まれたプラチナのネックレスを胸元にあてた。 

 「この石の色、いいでしょう? 自分で選んだんだよ」 

 そうつぶやき、笑った。翌週に控えた93歳の誕生日のために頼んでおいた、自分への贈り物だった。 

 「長寿にはね、しゃれっ気が大事なの。それは、母も同じだったよ」 

 

 母と叔母の「デビュー」は、1992年に放映されたダスキンのCMだった。1892(明治25)年生まれの双子の姉妹が床の間の畳にちょこんと並んで座り、「きんは百歳、百歳。ぎんも百歳、百歳」とはにかむ。「きんさんぎんさん」は、またたく間に全国のお茶の間の人気者となった。 

 きんさんは4男7女をもうけたが、5人は生後すぐに亡くなり、3人の姉は嫁いで家を出ていた。海軍帰りの長男は「道楽者で、よく母に金を無心していた。包丁持って暴れることもあった」(幸男さん)。きんさんはそんな兄を勘当して自宅を引き払い、「おみゃあが一番優しい」と末っ子の幸男さん宅で同居していた。 

 

春の園遊会で成田きんさん(右から2人目)声を掛けられる天皇、皇后両陛下(当時)=東京都港区の赤坂御苑で1993年5月20日 

 

 フィーバーが始まった当時、幸男さんは61歳で、定年退職の翌年だった。きんさんの「マネジャー」としての日々が始まった。 

 講演やイベントに呼ばれ、全国を飛び回った。台湾では高速道路を警察車両が先導した。東京・浅草で天ぷらを食べていると、どこで聞きつけたのか、外に人だかりができていた。「『触ると御利益がある』と言われてね。みんな母に触りたがるんだよ」。そんなきんさんにいつも付き添っていたのが、幸男さんと妻の菊枝さんだった。 

 個人情報の概念が薄く、住所もオープンだった時代。面識のない人が「会いたい。お祝いしたい」と急に自宅を訪れることもあった。それでもきんさんは断らずに受け入れてしまう。そのたびに幸男さん夫婦が右往左往した。 

 こだわりも強かった。取材やイベントのために菊枝さんが選んだ着物を、出かける間際になって「こりゃあ違う。あっちの出せ」と振り回されるのはしばしばだった。 

 言いたいことを歯切れ良く言った。名古屋市長に「あんたもしっかりやりゃあよ」と注文を付けた時には場が沸いた。「緊張して何も言えなくなったのは、天皇陛下に会った時くらい」と幸男さんは振り返る。 

 

 

成田幸男さんが百貨店で購入した指輪=名古屋市で2023年9月27日 

 

 そんなきんさんの大往生は2000年、107歳だった。自宅でいったん起床したが「眠てえで、もうちょっと寝てるわあ」と言って再び目を閉じた。30分後、そのまま息を引き取った。 

 「前日もテレビ局の取材を受けて、自分で風呂にも入った。最期はあんなふうに逝きたいね」。別れはさみしかったが、長く続いたフィーバーが終わることに、どこか安堵(あんど)するような気持ちもあったという。 

 自由に振る舞いながら親しまれた母を見て「俺も長く生きてみるかな」と思うようになった。おしゃれに精を出し始めたのは、それからだ。両手には三つの金色の指輪が光る。外出や趣味の写真にも忙しい。 

 「どこに行っても70代に見られる。60代って言われることもある」 

 

外出を前に帽子を選ぶ成田幸男さん=名古屋市で2023年9月27日 

 

 しゃれっ気以外にも、長寿の秘訣(ひけつ)があるという。 

 14年、妻の菊枝さんが亡くなった。3年後、86歳で会社員時代の部下だったよし子さんと内縁になったが彼女も3年前に逝った。かつて母と同居した家に一人で暮らし、何でも自分でこなす。食事、洗濯、掃除。特に料理が楽しいという。食材は自分で買い、週に2、3回は好物のマイタケの天ぷらを揚げる。「食い気も大事だよ」 

 月に何度かは、80代の「ガールフレンド」と喫茶店で落ち合ってデートをする。「いつも服、買ってやるんだ」。最後の秘訣には「色気」を挙げた。 

 いつまでも若く見られたい。うまいものも口にしたいし色も失いたくない。そんな欲が日々の張りを生むと幸男さんは気付いた。長く生きていれば、思わぬ楽しみがある。母に教わったことだった。 

 きんさんの子で健在なのは、幸男さんだけになった。「120歳まで元気だったら、私にも取材、殺到するでしょう」。今も丈夫な白い歯を見せて、笑った。【春増翔太】 

 

   ◇ 

 きんさん死去の翌年の01年に108歳で亡くなったぎんさんには、5人の娘がいた。生後すぐに亡くなった次女以外の4人は、全員が90歳を過ぎても健康で、10年ほど前までは「長寿4姉妹」として雑誌やテレビにもよく出ていた。 

 親族らによると、唯一健在だった三女の津田千多代さんが、105歳になったばかりの昨年10月に天寿を全うしたという。16人いたきんさんぎんさんの子どもで存命なのは、幸男さんだけになった。 

 

※この記事は、毎日新聞とYahoo!ニュースによる共同連携企画です。 

 

 

 
 

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