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ひろゆきが論破された能登「集団移住論争」、石川県の人口ゼロ集落を全て回った研究者の本音は?

ダイヤモンド・オンライン 2/12(月) 5:06 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/fc629f20a2c22ad1699b34980f7d836239d2edba

 

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能登半島地震を契機に集団移住についての論争が起こっている。

元新潟県知事と2ちゃんねる創設者のひろゆき氏の対談が話題になり、ネット上でざわついたが、集団移住は重要な課題であり意見の衝突よりも被災地の未来に焦点を当てるべきだ。

特に、能登半島地震をきっかけに無住集落が増加する可能性がある。

これに対し、無住集落の研究をしている林直樹准教授は集団移住を「強制移住ではなく、住民の合意が重要であり、建設的な議論が必要」と指摘している。

また、石川県珠洲市の高齢被災者からは、集団移住を含めた将来の選択肢を真剣に考える必要があるという声があがっている。

(要約)

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住民がゼロになり荒廃した無住集落(石川県内) 写真提供:林直樹・金沢大学准教授 

 

 能登半島地震をきっかけに「集団移住」に関する論争が起きている。元新潟県知事と2ちゃんねる創設者のひろゆき氏が対談したところ、「論破王が論破された」とネットがざわつく事態に。しかし、集団移住は待ったなしの課題であり、場外乱闘を繰り広げている場合ではない。「無住集落」の専門家と、石川県珠洲市の高齢被災者に話を聞いた。(ジャーナリスト 高橋 徹) 

 

● 集団移住は待ったなしの課題 「論破した・された」ではない 

 

 能登半島地震を契機に、「集団移住論争」が湧き起こっている。発端は1月8日、立憲民主党の米山隆一衆院議員がX(旧ツイッター)に「維持が困難になっていた集落では、復興ではなく移住を選択する事をきちんと組織的に行うべきだと思います」などと投稿したことだった。 

 

 新潟県では、2004年に発生した中越地震をきっかけに集団移住をした集落がある。新潟県知事の経験を踏まえた米山議員の投稿だが、それに反論したのが、2ちゃんねる創設者で、論破王とも呼ばれるひろゆき(西村博之)氏だ。 

 

 「人が死んで埋まっているときにやるべきじゃないよねっていう普通の話を僕はしてるんですよ」 

 

 1月13日、ABEMA Primeという番組で米山議員と対談した際の発言である。「結局、平時だと注目浴びないから、じゃあ炎上した方が、わりと注目浴びるよねっていう、なんか“炎上芸人”的な動きの結果がいま(この議論をすること)なのか」と続けた。 

 

 “炎上芸人”という挑発的な発言に米山議員は、「そういう悪意はやめようよ、本当に。意味ないから」と返した。それでも重箱の隅をつつくような発言で食い下がるひろゆきさんを「ほとんど本質的じゃない」と、切って捨てた。 

 

 米山議員に対するひろゆき氏の発言には、視聴者から批判的な声が相次いだ。 

 

 「ひろゆきはマウント取りに躍起になるんじゃなくて、本筋のところで議論を深めて欲しい。こんな大事なトピックだからこそ、小競り合いに終始するのではなく誠実な態度で対峙(たいじ)しなくてはいけないんじゃないかなぁ」 

 

「ひろゆきさんの言ってることは感情論と屁理屈だけ。言葉尻をとらえて人を貶めることしか考えてないように感じてしまう。米山さんの言ってることが圧倒的に正しいと思うのだが」 

 

「ひろゆきってこんなんだっけ?行政が出来ることって視点では米山の言ってることは十分理解出来るものなのに、ディベートで勝つことしか考えてないから議論を深めることの邪魔にしかなってない」 

 

 「論破王が論破された」とインターネットがざわついた。しかし、集団移住は待ったなしの課題である。「論破した・された」ではなく、被災地の明日をどうするのか、考えなければならないはずだ。 

 

 「無住集落」という言葉がある。統一的な定義はないが、おおまかにいえば人口がゼロになった集落である。似たような用語に「消滅集落」とか「無居住集落」といったものもある。 

 

 

● 能登半島地震で「無住集落」の 増加が加速する可能性 

 

 「豪雪地帯を抱える北陸は、以前から無住集落の多い地域。今回の能登半島地震で無住集落の増加が加速するのは間違いないでしょう」 

 

 そう指摘するのは、金沢大学人間社会研究域地域創造学系の林直樹准教授だ。無住集落の研究を続けている。 

 

 林准教授は国勢調査の人口がゼロになった集落を「無住集落」と独自に定義し、調査・研究を進めている。国勢調査の人口は「常住人口」、つまり常にそこに住んでいる人の数である。石川県の無住集落(ダム水没などを除く)は、15年は33カ所だったのが20年には44カ所と急増している。 

 

 過疎地域から都市部への移動は止まらない。積雪への対応や子どもも含めた家族全員の暮らしを考えると、ショッピングセンターや病院が近く、交通アクセスのいい場所のほうが住みやすいと考えるのは当然といえる。一方、農地や山林の担い手不足も深刻で、無住化を促す要因になっている。 

 

 石川県内の全ての無住集落を回り、調査した林准教授は言う。 

 

 「石川県を対象とした調査では、『大字(おおあざ)』を一つの集落と見なしています。『大字』というのは、江戸時代の村の単位を指すことが多く、市販の地図でも境界線が確認できます。地方によっては、『大字』がものすごく大きいところもある。石川県の『大字』は、たまたま、認識する集落と近かった。石川県は江戸時代のまとまりが残っているので、研究しやすいエリアです。無住集落の全国的なデータはありませんが、増加傾向は全国一緒だと思います」 

 

 一口に無住集落といっても、いろいろな形態がある。朽ち果てた住居が転々と残っていて、生い茂る草木に飲み込まれそうな集落。人の営みの痕跡が消え原野に返ろうとする集落。その一方で牧草地として生き残っている場所もある。また、春から秋にかけて、住民が通いでやって来て田畑を耕している所もある。無住にも個性があるのだ。 

 

 集団移住は、いわば「事業として無住集落をつくる」こと。林准教授はこう指摘する。 

 

 「まず、強制移住は論外。まったくもって駄目な話です。一方、皆で話し合った結果、市街地などに移住した方がいいよね、というのならあり得ると思う。しっかり議論してから決断するといったプロセスが大事」 

 

 また、故郷を守るか・捨てるかといった、二者択一の議論は不毛だという。 

 

 「無住化を選択するとしても、『こんな無住の形もある、あんな無住の形もある、住まずに守るという形だってある。だから、どうですか?』という感じにしないと。『無住とは故郷を見捨てて…』みたいな議論で進むのはよくない。当事者にとって二択しかないというのはつらい。複数の選択肢を示した上で、建設的に議論をすべきではないでしょうか」 

 

 

● 石川県珠洲市の高齢化率は50%超 「議論を避けて通ることはできない」 

 

 日本海に突き出た能登半島。その最北端に位置するのが石川県珠洲市である。海岸線に半農半漁の集落が点々と続く。1954年(市制施行時)の珠洲市は人口3万8000人を数えたが、2023年は1万2000人を割った。高齢化率は50%を超えている。 

 

 元日の昼下がり、マグニチュード7.6、最大震度7を観測する地震が過疎高齢の半島を襲った。崖は崩落、海辺の風景は一変した。道路は亀裂が入り寸断し、多くの集落が孤立状態となった。住民およそ100人の珠洲市高屋町もその一つだ。 

 

 発災から10日余りを車で寝泊まりした男性(80代)は現在、高屋町からおよそ160キロメートル離れた加賀市内のホテルで避難生活を送っている。 

 

 「子どもの頃、高屋には100戸ほどありました。今は45戸か50戸くらい。能登は限界集落だらけですよ。それで、地震でみんな避難所行ったり、子どものところ行ったりで、バラバラになってしまった。もう高屋には住めないかもしれない」 

 

 集団移住についてどう考えますか?と聞いてみると、「そんな話があるんけ?」と逆に質問された。集団移住を巡り、ネット上がざわついている話をすると、 

 

 「へぇー、そうなんや。みんな帰りたいと思っとるとは思うけど…。海沿いの集落はもしかしたら消滅するかもなぁ。珠洲市の人口も、半分になってしまうかもしれん」 

 

 そして「『ひろゆき』って誰?有名な人?」と聞かれた。「論破した、論破された」という論争は、避難生活を送っている人にとっては“遠い花火”のように映るだろう。 

 

 林准教授に「今、集団移住の話をするのは不謹慎だと思いますか?」と尋ねてみた。 

 

 「確かに、いまだ安否不明者もいるし、車内で生活している人もいる。不謹慎というよりも、まずもって話が届かないと思う。水は?電気は?仮設住宅は?と、それどころではないだろう」 

 

 「でも、腰を据えて『さあどうしようか』という瞬間が近々来るはず。そのくらいで話し合うのがベターではないでしょうか。集団移住を選択するにしろ、しないにしろ、住民の合意が大切であり議論を避けて通ることはできません」 

 

 政治は、過疎とどう向き合ってきたのだろうか。建設的な議論が高まる場をつくること、それこそが政治の役割であるはずだ。 

 

高橋 徹 

 

 

( 138397 )  2024/02/12 13:17:08  
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能登半島の地震に関連して、地元の住民や他の地域からの声が寄せられています。

以下はそれらの声から見られる傾向や論調です。

 

 

1. 自衛隊の災害救助に対する感謝と、孤立地域の現実への理解。

 

2. 集落の道路や上下水道の維持にかかる費用や、災害時の孤立に対する懸念。

 

3. 高齢者の意向と、集団移住やコンパクトシティの必要性に関する意見。

 

4. 地域の人口減少による行政費用と移住費用の比較や、復旧地域の評価や選択に関する議論。

 

5. 集落の復興や移住後の地域の現状や課題についての指摘。

 

6. 離れることの感情的な面と、効率的なインフラ整備の必要性についての意見。

 

7. 地域のコミュニティの移転や、集団移住に関する先行例などについての指摘。

 

8. 林業や農業など地域資源の扱いや、地域の経済的な持続可能性についての提案。

 

9. コンパクトシティと集団移転の政策化が迫られているという理解と、国民生活の在り方や地域の未来に関する考察。

 

 

(まとめ)能登半島の地震に関する声は、地域の現実と将来に向けた懸念や提案、さまざまな視点からの考察があります。

地域の未来に向けた改善策や活性化策についての議論が進められる必要があると言えます。

( 138399 )  2024/02/12 13:17:08  
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・輪島市民です。 

 

限界集落というか、震災時はいわゆる孤立地域でした。自衛隊がきてくれたのが地震発生から3日後の1月4日。 

 

さすがに考えました。自衛隊さえ3日かからないと救助に来れないような場所は住むべきではないと。 

高齢者のさまざまな気持ちもわかりますが、集団移住は賛成です。高齢者を納得させるには、自治体や国の細やかな働きかけが必要。ぜひお願いしたいです。 

 

 

・小さな集落への道路の整備費用、上下水道の維持、どちらも莫大な費用が掛かります。 

今回のような大きな地震が起きれば、山崩れ等で道路が寸断されて孤立、上下水道の損傷で断水したりトイレが使えなくなったり、生活に大きな支障を来たします。 

こうした事態を避けると同時に、インフラ整備費用を抑えるために、住まい・交通・公共サービス・商業施設などの生活機能を集約し、効率化した都市“コンパクトシティ”を建設し、「集団移住」させるのも選択肢の1つとして考えた方が良いと考えます。 

 

 

・わたしの実家は田舎にあるが、最近、わたしの母校の小学校が定員オーバーで増設を検討してると聞いた。嘘だろうと思ったが、確かに田舎なのに新しい家がたくさん建っている。 

聞くと、田舎ではあるんだが、その地域では中心部で平野なので、奥の山間部の人たちが移って来ているようだ。 

地方でも、一定の地域に人が集まれば賑やかになる。チェーン店もいっぱいあるので、東京の不便な地域よりは便利で、コンパクトにまとまっている。 

能登半島も一定の地域に人が集まれば賑やかになると思う。 

とにかく地震前の状況に戻すのをやめて、山間部の人たちに移転してもらう方が長期的に地域が豊かになると思う。 

 

 

・私自身、数年前に田舎に引っ越して30分も車で少し走らせれば限界集落と呼ばれる場所を見ることができるような地域にいる 

住んでいる場所自体も町内会の7割が高齢者でいつまでこの地区も持つだろうかと思うところもある 

人口減少により10年後20年後には集落は減少していくことは避けられないことなので、その中で10年後に終わりが見えている地域があるということであればそうした場所の復旧に多額の税金をかけるよりは対象から外してしまうという選択も仕方のないところかなとは思う 

どの地域があとどれくらい持つかの試算は難しいところがあるし、単純な指標で決めてしまうとまだもつという主張も出るだろうから、いざやるとなると混乱は起こるだろうけど 

 

 

・途中のライフラインは寸断されたままだけど、家は奇跡的に残ったなんて場合には、移住を勧められても納得は難しいだろう。 

行政の側が説得するにしても、住宅地の斡旋するには空き地なり空き家がまとまって確保できないと言いにくいだろうし。 

 

ライフラインの復旧費用と移住の斡旋費用を提示して、地区単位で説明し、選んでもらうしかないのだろうな。 

行政の側も、二者を比べて復旧費用が高いなら、移住費用は柔軟に出すよう割り切ることだ。 

人口減少が確実な社会で、いままでと同じインフラ整備はありえないんだし。 

 

 

・中越地震でもそうです。復興の象徴の様な扱いを受けた 山古志地域は結局村に戻った人は半分以下。若い人達は街の便利さを知って戻りません。冬になれば雪が多く降るため 

村までの道を多額の費用を掛けて除雪します 

地震の復興費用も もっと他の復興に使えたでは?って言ってます。メタバースで村民を増やそうとか 取り組んでますけど 更なる過疎化は止められないでしょうね。だから 色々問題もあるだろうし 昔から住んでるからそこが一番も分かるけど やっぱり 議論は進めて行かないと これから少子化で 行政も厳しい状況が続くでしょう。住民サービスだって行き届かなくなる。不謹慎かも知れないが こんな時だから検討出来ると思いますよ。 

 

 

・能登を丸ごと移転しろとは言わないけど、小さな集落を纏める必要はあると思う。 

東日本大震災後の三陸や福島浜通りを見ればわかるけど、小さな集落を復旧させても結局人は減り続けてるわけで。 

欲を出したり変なことをしようとしての失敗例も多いけど、コンパクトシティに持っていこうとしてる流れそのものは間違っていないと思う。 

 

 

・昔、平成の大合併の時に合併してもしなくても、人口減少で過疎の市町村は、結局は消滅していくというようなことを言っていました。たまたま、地震があり浮き彫りなっただけの話しです。対策はこの研究者が言っているように、それぞれの地区の特徴や個性に合わせ、その地区の人たちが行政等に任せるのではなく、自分たちで将来を真剣に考えることが大切だと思います。 

 

 

・移住といっても、別に珠洲や輪島から出ていくという議論にはならないだろう。 

限界集落を後にして、比較的インフラが整備されている輪島なり珠洲の市街地に移住するという話。 

転々と集落があるからこそ孤立化するのであって、ある程度まとまった市街地をつくれば効率もよくなるし、災害時の救援も楽になるだろう。 

とはいえやはり最大の問題は住居費用だろう。 

高齢者も多い地域でこれから自己負担させるのはかなり厳しいだろうし。 

新たに居住したり建て替えを制限したり、緩やかにやっていくしか無いんだろうとは思う。 

 

 

・輪島塗や漁業もある事から、市は残しても、小さな部落は移住を進める事も選択肢。瀬戸内海の島では移住をお願いした報道が過去にありました。道路や電気、通信のインフラコストも合わない現実があるので、そこは説明して理解してもらう努力が必要でしょう。 

 

 

 

・集落を維持する為のインフラの復旧・整備・再構築。 

それにかかる費用が当然税金で賄われる事を考えると、無制限な投入は当然できませんし、集落が今後さらに加速したら構築した事自体が無駄になる。 

こうした(将来的に確実にくる)現実を踏まえて米山氏は議論するべきと述べた訳で、ひろゆき氏の指摘は明らかな揚げ足取りだ、と改めて思います。 

東北大震災の時も避難先で「集落内でやりたい」と他者との共同生活を拒んだという話も聞きましたし、何十年、その集落の歴史を考えれば100年を超えるかもしれない「習慣」とどう折り合いをつけていくか、何を認めどこを変えていくか難しい問題ですね。 

直近で生きるか死ぬか、飢え死にするか否かだった太平洋戦争時の疎開よりははるかにましでしょうけど、それでもトラブルは溢れるほどあったでしょうし、その片鱗は映画「少年時代」等でも描写されていましたね。 

まずは問題提起から、でしょうか。 

 

 

・移住すれば解決する問題だけではないはず。その地で行われている農林業はどうするのでしょうか。 

 

「ぽつんと一軒家」を観ていても、普段は麓の集落に住み、農林業をしに 

昼間は登ってこられる人達はおられます。そうすると、道路の整備は必要です。 

 

電気は小型発電機、トイレはバイオトイレ等、水は山の湧き水で対応してもらうとしても、道路整備は必要でしょう。 

 

 

・国土交通省は10年以上前に「コンパクトシティ政策への転換」を打ち出しています。居住誘導により、拠点地区に集住させることに都市の効率をためるものです。これを進めれば当然「無住集落」が増加します。これはある程度ゆっくりと住民の合意と生活の保障のもと進んでいけばよいのですが、強制すると全体として効率化されますが、個々の生活は破綻することがあります。 

今回のように、災害などの突発的要因があるときには、早い決断が必要となりますが、住民が希望をもって移住できるよう大きな公助が必要でしょう。 

併せて、政府には手遅れな少子化対策よりも、人口減少下での国民生活の在り方、外国人労働力の活用など、現実的な政策を考えてほしい。 

 

 

・「春から秋にかけて、住民が通いでやって来て田畑を耕している所もある。」 

自分は金沢市内中山間地某集落の山の管理にボランティアで関わっているが、雪の積もる冬以外はこんな感じ。耕作放棄地を市民農園として貸し出している他、土日だけやってるパン屋さんがあったり、竹を切ったところに桜の木を植えたりして、元々の住人以外の人にも訪れてもらえる仕掛けを作っている。 

とは言え地元の方々は皆さん高齢化しており、今後どうするかについては親が地元を離れてから育ったその子供さん世代の意思がはっきりしないと自分たち地元出身以外のボランティアも動き辛い。 

自分らの集落は山奥とは言え金沢市中心部まで30分あれば行けるけど、奥能登は大変だろう。ダムに沈んだ集落のように、できるだけ近くに集落ごと移転するのが現実的なところかとは思うが、例えば能登アテで林業経営しているところとかもあるだろうし、そう簡単にはいかないだろう。 

 

 

・地震で駄目になったからこそ議論できるのだと思います。復興と移住とを天秤にかけ、復興のほうが、金額が安く、かつ、後継がいる場合には復興すれば良い。しかし、報道で見る限り、後期高齢者が多く、郷愁と慣れないことへの不安から帰りたいと言っているとしか思えないため、移住の方がベストでしょう。 

そして移住するなら、お得にしないと移住しない筈。日本人は変に個人の資産には補助しないとか、理屈を並べる。今後は、災害を機に移住する人には手厚い補助をする、などしてでもコンパクトシティは必須だと思います。過疎地域にお金を注ぎ込んで元に戻してどうなるのですか? 

いったん壊れたからこそ、議論できることです。 

 

 

・まず今考えないと原状復帰の政策が策定されてしまうんですよね。 

私も東日本大震災で被災しましたが、土地を離れるほどの被害があったわけでもないので言える立場じゃないかもしれません。 

 

しかし東日本大震災では数百年に一度の津波のためのとても高い堤防が建設され、津波のあった地域では土地を高くして家が再建されました。 

しかし時間がかかったのもあって再建された家に戻った人は多いとは言えません。 

多額の税金をかけたのに結果が良かったとは言えませんでした。 

 

気候変動で災害が増加されること推測されると共に、日本の国力は低下しています。 

将来的には6千万~8千万人になると言われてます。 

大昔に気候変動があった時に人は移住しています。 

 

研究者のおっしゃるように、多様な形の移住を全ての地域の人が考える時ではないしょうか。 

気候変動による災害はどこで起きるか予測はできません。 

 

 

・災害地に限らず、過疎地に住んでいる高齢者の移住はあってもいいと思う。 

交通の便が悪い地域に住む高齢者ドライバー問題も、他人の命に関わる話だけど車がないと日常生活に困るわけで、ならば買い物や病院など便利な場所に住む方が効率的だし安全。 

 

 

・問題は、自治体サービスは人為的に提供できるものと言うこと。人が集まれば当然に発生するものではない。 

集落生活不可能高齢者家族の移転先となる能登専用「集団移転先」を県なり自治体連合なり国なりが準備しておくことは必要なのでは。新能登村のような大きな場所が必要。生活のしかたや文化は集落それぞれあるだろうが、都会に出るよりは近いもの似た者同士。同じ能登の人や家族同士で生活できる場所を作り、意思に基づき安心して住まってもらうのがよい。 

これをいつ議論すべきだったかは、ひろゆきさんは地域感情優先の考え方だが、現実を考えれば米山さんだろう。 

 

 

・冷たいようだが、被災地の「復興より移住」を優先すべきだ。人口減少がもっと穏やかならば別だが、これからの日本は「撤退戦略」が求められている。 

悲しいことだが、ふるさとを捨てるのも、限界集落を放置するのも仕方ない。現実的には「断捨離」の発想で考えるしかない。 

日本が縮小しても、それなりに豊かな生活環境の為に「撤退戦略」の先取りとして、能登半島の被災地で住民の集中度をある程度上げて、行政効率を考えるのは仕方ないだろう。 

 

 

・田舎も限界集落が多いですが、地方都市なんて街中は空き家だらけ。 

新しい家は郊外の田畑だったところに建ててるから、市街地の空き家は放置されたまま。 

怖いし汚いし、そりゃ観光客なんて来ないよね。 

リノベーションだの、シャッター街の復興だの、頑張ってる方々もいますが、焼け石に水感は拭えない。いっそ全部壊して更地にすればいいのにって思う。 

 

 

 

・個人的には 

何億か何十億掛けて 

1つだけでは無い 

何か所か何十か所かの 

過疎地域までの道路を整備するより 

過疎地域の人達の土地を買い上げて 

たり 

立ち退き料を支払ってでも 

県内で人口の多い地域に 

過疎地域の人達を 

集約させた方が 

後々の補修費まで考えたら 

無駄に税金を使わなくても 

済むのかなと思ってます。 

 

 

・米山さん自身も言っているように、能登半島だけの問題ではなく全国的な問題。 

人口減少・超高齢化が避けられない中で、今のように限界集落が散らばっている状態では、まともな行政サービスすら提供できない。 

「コンパクトシティ」という都市政策があるけど、もう一歩進めて「コンパクトタウン」も考えていいんじゃないかな。 

 

 

・人口減少化の中、コンパクトにするのは致し方がない。 

 

公共施設から離れた場所にはインフラを敷けないし、それは自己負担という感じで徐々に期間を設けて範囲を狭めていくのが良いのではないかな。 

 

結局、津波もあるし、沿岸部に家を建てるのは制限しないと壊れて建ててを繰り返すのは建設的ではないよ。 

 

 

・こういった議論では小さな集落へのインフラの維持はコストがかかるという方がおられます。 

しかし一方、首都圏などでは人口が集中しすぎたことでの住環境の悪化、道路環境の悪化や地域的な学校の不足(=増やしても十数年後には無駄になる可能性)などインフラの不足、首都圏でも懸念される災害を考えれば人口の分散をした方が良いのはわかっているのに、人の分散を言わずインフラを強化しろと言われるわけですからね。 

今の環境から変わりたくないは誰も同じなんですよ。 

 

首都圏のインフラは第二次大戦後の復興を「経済回復の為、まず都市圏を復興を優先させてください。その暁には地方の整備を行います」と地方からの資金で整備を行ったわけです。言い換えれば地方は首都圏インフラの債権を持っているともいえ、そこから得られる経済的収益の配当を交付金として頂くのは正当という見方も出来るのですよ。 

 

 

・社会に効率性が求められるのは当然のことだ。どんな辺鄙な場所に住んでいても平等に公共サービスを受けられるほど日本は豊かではない。提供できる公共サービスに限界があることを理解した上で残る選択をする住人の意見は尊重するべきだが、そうでない住民に選択肢を提供するのも行政の仕事だ。 

 

 

・15年程前、能登のとある集落が集団移住を決断した事例があったな。ゴミ処理場を作る場所の候補地になったのが切っ掛けで、集落の住民で話し合った結果、土地を全てゴミ処理会社に売り払って集団で移住していった。原因はやはり高齢化と農地の後継者が居なかった事。能登には、孤立化しやすい限界集落が多数点在している。 

 

 

・物理的に投入できる労力や資金は限られてるんだから、故郷を離れるかどうかというのはは最終的な話にしないと話が進まんよね。 

後で戻ってくる前提で、一旦早めにインフラ整備できる場所に仮住まい作って住んで、元の場所のインフラ復旧がいつ頃になるかわかってから判断すればいい。 

正直結構な地域が数年とか十数年後になりそうな気がするけど、インフラが通ってないところで長期間暮らすのは無理があるよ。 

そういった地域への支援は非常に労力や資金がかかるし、それだけ全体に回せる分が減れば全体的な復興が遅れることになる。 

故郷を捨てるのではなく、一旦離れて故郷に戻れる日が来るのを待とうよ。 

月日が流れて故郷に戻る気が無くなるのが嫌なのかもしれないけど、それだけの長期間不便な生活を続けたらストレスで早死にするよ。 

まず長生きしてから考えよう。 

 

 

・そもそも、理想論的なコンパクトシティを持ち出す前にその先行例と現状を認識して欲しい。その多くが失敗しているのが現状ではないか。 

更に言えばこの手のコンパクトシティ論では国土保全や国防の観点が抜け落ちている。国土の無人地帯が広がる事が如何に多くの弊害を生むか改めて考えるべきだろう。 

 

 

・能登半島の自力復興は高齢化率を見ても不可能です。熊本あたりに集団移住をして、能登半島は国内の米軍基地を集約させるのが良いと思います。日本には普天間、横田、岩国といった巨大基地がありますが、これらを能登に集約すれば膨大な量の土地が手に入ります。特に横田は東京にありますから、経済効果は計り知れないものになるでしょう 

 

 

・腰を据えて話し合うタイミングで、というのに賛成。 

 

インフラ以前に田畑や家があっても、使い物にならなくなっているかもしれない。水道無くても湧き水や川で生活していたのが古くからの集落です。熊本地震でも発生しましたが、水が枯れたり流路が変わるとどうしようもない。 

 

合わせて、田舎都会問わず限界地の閉鎖議論を始めるべきでしょう。 

都会は限界団地や住宅地が実はかなりある。近場のスーパーがなくなったから買い物いけない若い人も来ないな住宅地。自ら野菜を栽培しタンパク質を確保する生活力が無い高齢者が多数集まっていて極めて行政依存、地方と違い自治会が機能しておらず助け合いの自活力も低い。少子化の今、他力本願で自活力がない高齢者を救うのはもう無理です。 

 

地震と言うなら太平洋側のほうが日本海側の数十倍規模も頻度も高いので、日本海側のほうがまだまし。 

 

日本全国で自治レベルに合わせ進めるべき議論です。 

 

 

 

・外から半島の付け根までドライブで来たら、好きな人は先っぽまで行ってみたくなる。 

先に集落があればガソリンスタンドもあるので安心。一度行ったけど、とんでもなく長いよ。 

 

それに、国土の接岸できるところに集落があることで、密入国の抑止にもなると思う。 

警備隊を配置しないでも自らそこで生活してくれるなら、国としては有難いのでは。 

 

 

・これは、能登に限らず待ったなしに行政が取り組むべき課題でしょう。 

限界集落は、今住んでいる高齢者が亡くなれば若い人は入ってこないので加速度的に減る一方。消滅するのは時間の問題。 

それならば、先手を打って集団移住を行政主導で行うことも、住民、行政双方にメリットがある。 

お墓や畑をどうするのかという個別の問題はあるが、国が補助金等のメニューを拡充して政策誘導すれば、後は自治体と住民が話し合って決めれば良い。 

故郷を離れたくないという心情は分かるが、水道等の行政サービスも無限ではない。 

その原資は税金なのだから。 

 

 

・人口が減少している事を無視出来なくなってきた証拠ですね。毎年80万人づつ減ってるのだから、災害の有無に限らずこういう事は本気で考えないと行けない段階に入ってきました。 

馬鹿げたお金の使い方を辞めるためにも政府や行政はしっかりと向き合って欲しい。 

 

 

・生まれ故郷に居たいのは当然やが 

危険な場所やから他に移動する人達も増える 

残された人達だけになると更に過疎化する 

インフラを整えるにも銭がかかる 

やがて高齢者となり個々で自宅にはおられん 

近くにも人がおらんなるで 

安全な近い場所に1人用のバリアフリー 

介護も出来る団地を作り 

そこに集まったほうが知り合いも近くて楽しめると思う 

また団地内にはディサービスも入って貰い 

パチンコやスロットに麻雀など 

出来るようやとより楽しめる 

高い老人ホームへは 

これからの国民には厳しいと思う 

こうした場所を作り安く入れて 

面倒を見て貰う方法がええと思う 

 

 

・昔、限界集落関連の記事で  

数名の集落で、 

道路が崩れ生活が困難に、なんとかしてほしい 

という訴えに対して 

億を超える費用で修復をした 

しかし、1年ほどで集落の住民は亡くなったり 

老人ホームに入居して誰もいなくなった 

 

なんとかしてほしかった、真のニーズは 

道路ではなく、彼らの生活であった 

そんな事例もあります 

 

 

・東日本震災の津波被害地域、原発事故被災地では集団移転コンパクトシティ構想が上手く行っています。1ヶ所に居住区、お医者さん、商店、郵便局等を集合させてお年寄りも買い物に行くにもそう遠くない非常に良いことだと思う。今する話しかって、林さんじゃないが今でしょ、今じゃなくてぼちぼち戻ったら再度の移動は進まない。中途半端な構想で終えてしまう。そうなると余計なお金がかかるということに成る。 

 

 

・古くは、富士山の宝永噴火の際、火山灰や火山礫などで麓や神奈川などの集落に被害が出た。特に酒匂川などは火山灰などの堆積物により、頻繁に洪水を引き起こし、また、畑も火山灰などによる被害があり、農家は勝手に土地を放棄できない時代だったが、逃散する農民か出て、ついにある村では、土地を捨てる事を代官所に届け出る事をしている。 

私も福島第一原発事故での避難、復興政策には行方不明者の探索を続けても、土地の放棄は必然で、国が買取り、放射性物質環境汚染解析及び土地除染研究施設などを作る方が良いと思っていた。 

ダム建設のために村が集団移転して、村をダムの底に埋めた事例もあり、生き埋めになっている人と現在、生きながら得ている人の生活は、区別して考えるべきです。 

その方が、家族を亡くして悲しむよりか、生きながら得た事を大事に思う事の方が大切であり、行政も早急に集団移転の検討を始めるべき時期に来ていると思う。 

 

 

・大きな地殻変動は、1000年に一度とか。現在、地震の少ないエリアに変わり、同様の被害を受けることもあります。能登半島内での新しいコミュニティを作る事もありだと思います。 

 

 

・集団移住(移転)を自治体(や国)が主導した場合、移転費用等、税金となる 

財源は?他の国民の負担? 

 

「法の元平等」とは言え、好きで住んでいる所、 

インフラ整備や救助・支援の遅れはやむなしと言う事で、自主移住(移転)で良いのでは? 

 

海、川の側、崖の上、裏がすぐ山とか、狭い路地に木造家屋密集とか「被害受けるだろう」と言う所に住んでいる人って… 

 

あの東日本大震災の時、「この先住むなと先人が石碑に刻んで教えている中、別に災害が起きなゃいいんでしょ」と住民は住んだ訳だし。 

(行政も建築許可出した点は気になるが) 

 

 

・外野が言えることは、復興支援のお金は有限で、いろいろお世話になった部分とかあるけれども、出せるのはこれだけなので、その範囲で復興して下さい。 

ってところだと思う。 

 

魅力の部分で、一緒にやりたいって若者とか、リタイア世代が入っていく場所なら、そう言う人の資源が使えるけれどもね。 

 

ってだけで、一線低くのが大事だと思う。 

 

 

 

・災害が起こりやすい危険の蓋然性の高い地域なら故郷を離れるつらさも加味して十分な生活保障をしたうえで都市部への強制移転はやったほうがいいと思います。今後少子高齢社会が加速して地方の行政には道路や水道などのインフラ整備でさえままならなくなるでしょうし、 

 

これも憲法の私権制限にあたるからできないんでしょうね、 

 

 

・基本的にどこに住もうがその人の勝手なんだけど災害が起きた時は助けやすい所、まとまった所に住んでいてくれたほうが救助しやすい。 

高齢者は特にそうじゃないかな。 

今回は正月で帰省していたから被害者が増えたという事もあったけど帰省していた労働者世代の若い方が普段より多かったから動きがよかったという見方もできる。 

これが普段の平日に起きていれば高齢者だけ取り残された集落が増えていたのでは?と思ってしまう。 

あくまで推測だけど。 

 

 

・首都圏の過密も、不効率だと思う。どこに居てもネットで何でも買えるし、仕事もPCで十分という人も多いでしょう。そして首都圏は人が密集しているのに生活コストは高い。人が密集している都会も、効率的だとは言えないんじゃ無いか。 

計画的に、効率的に、というのを進めれば、共産主義がベストということになる。決められた場所で決められた仕事をする。それがいいというならば、共産主義を採用すればいい。 

コストが高く無駄の多い首都圏に住む権利があるのと同じで、生まれ育った故郷で生活する権利もある。 

 

 

・能登半島地震の復興についてのYouTubeの米山氏とひろゆき氏の討論を観ると 

米山氏が能登半島地震の復興について新潟県知事の経験を踏まえて一般大衆が納得する現実的な意見を言っているのに対してひろゆき氏の反論は極論又はごちゃまぜにして反論しているのでひろゆき氏が反論した瞬間はひろゆき氏が討論に勝ったような印象を作っているだけである。 

YouTube動画を通して観ると米山氏がほとんどの人が納得する正論を言っているのに対してひろゆき氏は米山氏の揚げ足取りをしているだけです。 

 

ひろゆき氏は人の揚げ足取りをする天才的な才能があるけどそれだけの人である。 

 

 

・石川県小松市の廃町、集団移転は結構あって 

 

①昭和38年の豪雪で雪に閉ざされて、廃町を決めた 

②ダムの建設でインフラが寸断されて、廃町を決めた 

③航空自衛隊小松基地爆音により町ぐるみで集団移転を決めた 

 

他、山奥の集落で市街地から畑仕事や山仕事しに通ってる、ポツンと一軒家状態 

 

高齢者ばかりの集落はやはり最近は施設に入る人が増えて 

たしかに空き家が増えてる。 

 

行政はそこに住んでいる人のために水、電気、水道、道路を整備しているが 

ポツンと一軒家のために税金を使うのは無駄と全く思わんよ。 

 

 

・独裁国家でもあるまいし、結局は住む人の意思でしょうが、もしある程度まとまった町で住んでくださいと言うならちゃんとした家がたつくらいの補助金を出さないとですね。それでも離れたくないならしょうがないし、どうせインフラ整備なんて建設国債で賄うんですから他の国民も負担ないですしなんでもやりようはある。政府がまともならそんな悩んだり議論したりしなくても良いと思う。 

 

 

・無住地区の増加は、治安の不安定化を招くのは必至なので、入り込める様な空き家等の完全撤去が必要になります。そうなれば治安維持の警察力費用、そして人の居なくなった地域での国防上の費用、対比してみるとつくづく地方を守れない国に将来はあるのかと思わされる 

 

 

・本当に40年後を見据えた復興計画をたててほしい 

ある程度人口はまとめないと行政サービスは成り立たないんですよ 

復興を期に集団移住することによって田舎の自治体の崩壊を緩やかにするモデルケースにしてほしいですね 

例えこのあと少子化政策が成功しようとも生まれた子どもが大人になる20年後には大半の田舎の自治体は崩壊してなくなってるんですから 

 

 

・論理的には 

小さな集落のライフライン、アクセス等 

以前の状態に戻す為に 

かかる相当な費用を考えると 

集団移住した方が費用対効果も高い 

 

ですが、感情論で言うと 

先祖代々の土地、故郷 

思い入れがあるから離れるのは 

嫌だって気持ちもわかる 

その殆どは高齢者 

 

子供達は都市部で生活している 

 

地震が来なかったとしても 

遅かれ早かれ 

おとずれる問題なんですよね。 

 

 

・先祖代々守ってきた土地。という想いが強いのが日本の高齢化集落の原点。しかし、高齢化の為に集落を維持できていない。今後経営できない。という肌感はあっても誰も言い出さないのもムラ社会のマイナス面。 

行政が、その立場から投げかけてムラ社会で議論してもらうしか道はない。 

孤立集落など、自分たちの生活の為にどのくらい行政コストがかかるのか?他の地域の方に頼って生活があるのか?自覚していただくところから膝を突き合わせて話すキッカケになるのだろう。 

 

 

 

・それぞれの家に歴史があり、守るべきものがあるでしょう 

自分の代で潰したくない家の歴史 

でも今生きているのは自分達でありご先祖様ではない 

過去の偉人とそれにまつわる遺産、遺物、技能を継承伝承するのは意味があっても、今を生きる我々がそれを出来るとは限らない 

途切れ途絶える歴史を記録だけしていかねばとも思う 

 

 

・そもそも能登半島は人間が作ってきたというのであれば、人間が至る所で議論することは、やぶさかではありません。しかし、能登半島は「人間が作ってきた」というよりも「神仏が作ってきた」という日本の伝統的な田舎と言える場所です。 

 

その場所の歴史の息吹を感じることができる人とは、能登半島に身を置いている人達です。そして、その息吹を感じなければいけない人は、そこに身を置いていないが、その人達の生き方に対して責任を持つ人達でしょう。 

 

復興のための議論に参加する人達には、神仏が作ってきた能登半島の息吹を肌で感じることができる場所に身を運び、そこで大いに精神性の議論をして欲しいものです。そこから、新しい能登半島のイメージが想像できるような気がしてなりません。 

 

これもまた能登半島の復興ボランティアの一貫ではないでしょうか。 

 

 

・集団移住など無責任な発言が多い。 

なぜそこに人が住んでるかを十分に考える必要がある。 

孤立集落が悪いような話しもあるが、孤立集落がある事で管理費用は格段に安く上がる。 

日本が日本であるには国土保全も視野に入れて考える必要がある。 

 

 

・自分の好きな所に住む権利がある。それは正論です。ですがそれを言うなら、商売人だって自分の所で商売する権利がある。商売人は人口が少なく商売が成り立たない所からは撤退する。将来的に最寄りの商店まで10キロ以上も離れた集落が出てきますよ(既に地方では出てきています)。若者なら車で買い出しに行くことが出来ますが、高齢者はそれも無理です。 

 

 

・最終的に決断するのは、その村の人々であるし、外野がとやかく言うべき事ではない無いのだろう。 

しかし、政治や行政が選択肢として準備をしておく事は絶対に必要だろうと思う。 

また、そうした集落が担って来た林野保全の役割をどうするのか。それも考えるべき時期かもしれない。 

田舎は少子化以上に若年流出が厳しい。 

 

 

・北陸、特に能登の人達は忍耐力がとてつもなく強い。 

 

加賀藩に虐げられれた時代から始まり、 

全てに於いて金沢・加賀優先で能登は後回しの現代。 

 

そんな困難を幾度となく繰り返されても 

自分達の力で工夫して考えて乗り越えてきた。 

そんな土地柄なので、 

誇りと愛着があり常に前を向いており、 

悲観的になっている人は少ないはず。 

だから、二次避難者も少ないし、 

したとしても直ぐ能登へ戻れるように極端に遠い場所へは行かない。 

 

そんな事情も知らずに、 

外野が好き勝手言い放つことではない。 

それを主張したいから、 

件の論争を引っ張り出してきたのでしょう。 

 

 

・色んな事が一変に起きてまだ先の事を考える余裕が無い時に 次はどーする? って急かされても答えが出るとは思わない。 どーすれば良いのか解らない 決められない事だらけ 

先ず プライバシーが守れて安心して落ち着いて生活が出来るようになってからじゃ無いのかな? その為にも一旦 被災地から離れて ゆっくり休もうよ。 急かされて急いで出した答えは後から後悔する。 

 

 

・いっそのこと能登のどこか一箇所、被害が小さくて液状化のリスクもほとんどないような場所に、新しく街を作ったらいいのでは? 

 

その場合、先住民とのゴタゴタもないだろうし、都市部から若い人間の移住も見込めるだろう。そういう後に繋がるような税金の使い方なら、悪くないと思う 

 

 

・集団移住の話は東北の時にもあった。 

過疎地域ではただでさえ 

 インフラ整備にかかる費用>>>>住民から得られる税や経済効果 

なのに、さらに復興費用も掛かるのでは税の公平公正に反する。 

こういった数字の話への反論が、「情」に基づくものしかない。 

選択して集中しなければ、立ち行かない。 

 

 

・「論破した、さられた」ではないと言いながら、「それでも重箱の隅をつつくような発言で食い下がるひろゆき」とひろゆきを批判してるのはなぜ? 

私は被災地にいますが、YouTubeで見たとき米山が「被災地の人はどうせ見てないから大丈夫」とか言ってて非常に怒りを感じた。 

「今、話すべきことではない」という、ひろゆきの意見は震災直後の被災地に寄り添った真っ当な意見だったと思う。 

 

 

 

・福島原発事故に関連して、市町村の合併や再編が、初期に話題になったが、すぐに消えてしまった。今もタブーになっているようだ。嫌われる、嫌なテーマだが、現実を直視して本気になって取り組むべきだ。 

 

 

・非常に皮肉な話だが、 

被災した地域だからこそ、 

移住について話ができる。 

 

少し落ち着いたら 

本腰入れて話すべき。 

 

本来なら、能登だけでなく 

日本中の限界集落で話し合わなくては 

ならない話題。 

 

言っちゃ悪いが、山奥の年寄りひとり 

のために億単位のインフラ費用を 

かけてはいられない。 

 

政治家や行政任せではなく、 

国民一人ひとりが考えるべき。 

 

 

・今の段階だから被災地以外では違和感ない議論に思えるが、米山さんが発信したのは1月8日で、まだ盛んに捜索活動してた時期です 

そんな時期に国会議員が持ち出す話しじゃないって言うひろゆきさんの言い分はよくわかる 

なにも偉そうに地元選挙区でもない国会議員に御指南されなくても県知事地元首長も当たり前に考えてる事だろうし 

米山さん地元の新潟でも液状化被害多数出てるが触れてもいない 

 

 

・自分がその立場だったら、移住はしたくない。 

やっぱり故郷は離れたくないですね。 

ポツンと一軒家…みたいな感じでも、故郷で暮らしたいと思います。 

ただ…また同じことがあれば救助とか迷惑をかけることになるのだろうから(自分は救助していらないと思っていても)、複雑なところではありますが。 

 

 

・何年かすればいなくなってしまう高齢者のために、震災で壊れたインフラを金かけて直すか?その金の出所は市区町村ではなく、国や県だろう。 

また、それらの維持費も市区町村の独自財源ではなく、地方交付税等の補助金(あえてそう書く)で賄われてるはず。 

下手に集落を残すと市区町村は移住者を募りそうだし、無くした方が今後にとって良い。 

 

たまに海外はインフラ整備して地方創生が上手いったとか言う学者がいるが、それは開けた平らな土地が多い国の話。 

 

 

・「でも、腰を据えて『さあどうしようか』という瞬間が近々来るはず。そのくらいで話し合うのがベターではないでしょうか。集団移住を選択するにしろ、しないにしろ、住民の合意が大切であり議論を避けて通ることはできません」 

 

「その時」には、残されたリソースもすでに足りず、合意に向かう議論の余裕もなく…となるのでは。 

 

「政治は、過疎とどう向き合ってきたのだろうか。建設的な議論が高まる場をつくること、それこそが政治の役割であるはずだ。」 

 

政治に限らず、「建設的な議論が高まる場をつくる」 

2024年になってこのようなことを言わねばならないほど 

多くの国民にその価値観、習慣が根付かずに済んだ状況に「向き合う」ことからではないでしょうか。向き合えないから建設的な議論が高まる場所を何十年もつくれなかった。 

 

 

・米山氏の発言は、政治家として日本をどう未来へ導くかという観点であるべき発言だと思う。そしてそれを発言すべきは今であるという点でも正しい。 

無責任でもよい単なる一般人としての発言ならひろゆきのもありだと思うが、そうならば政治家と一般人の立場の違いなのだから、ひろゆきが米山氏を批判するのはお門違いというもんだ。ひろゆきはチラ裏してればよかったのに。 

 

 

・動画見たけど、ひろゆきは論破されたの? 

 

ひろゆきは終始『タイミング』を言ってたと思うけど。 

行政側の議論として集団移住があるのは彼も認めていたし、それを『公に議論するにはタイミングが早い』というのが彼の言い分だったと思う。 

被災者個人や被災した行政機関が議論することであって、外野の個人(米山氏)がとやかく言うタイミングではないと私も考える。 

 

 

・限界集落とかに住んでる人はまぁ金もないだろうし移住したくてもできない人達が多いのかな 

多少税金を投入するのは仕方ないから、トータルでコストを抑えられるようにコンパクトシティ化は絶対必要 

 

 

・移住や街の集約自体は賛成なんだけど、日本海に面していて外国のこともあるので手薄にならないようにはして欲しいと思う 

 

 

 

・記事で仰っしゃる通り。 

前に向って進むだけ。辛い苦しい長い道のりを。 

 

被災した人は希望を失わず、周りの人はできる限りの最大限の支援を続けて行くことしか 

出来ないのではないだろうか。 

 

 

・移住強制は論外、その通り。 

だけど公共インフラは撤去しちゃっていい。 

残りたい奴はし自由に残れ。公共インフラ無い?自力で整えろ。 

でいいと思う。 

自由を押し通すにはそれなりの財力も必要。 

憲法の文化的最低限度生活権利保証との兼ね合いについては「移住受け入れますし、公共インフラは移住先で完備してますよ。選択権はあなたにあります」でいい。 

 

 

・社会インフラコスト敷設費用(水道電気ガス)を住民の数で割ったら良い。とても高くて住めないだろう。問題はこの金は誰が出しているのかと言う話を誰もしない。当然ながら都市部の住民が出していると言うことになる。 

 

 

・これについては、ひろゆきの言っていることが正しい。 

集団移住するにしても、当事者不在で議論しても仕方ない。 

避難中の当事者は、それどころではない。生活が落ち着いてから話し合うべき。ひろゆきの話を「感情論」と言う人は、人の感情が分かっていないと思う。 

 

 

・自然に任せたらいいだけの話。既に6大都市に人口の6割以上住んでる現状で黙ってても淘汰される地域は出てくる。仮に東海都市部、関東近辺に人を集めて南海トラフ地震が起きたら日本は終わるで。 

 

 

・気がついたら舳倉島や能登半島がロシア領とかになっているのは勘弁してもらいたい。人が住むというのはそういうことであり、定住へ国防費を充てることが必要だと思う。つまり住むことが広義での防衛であり仕事。 

 

 

・行政的には住区をコンパクトにまとめたいというのは分かりやすい。ある程度、自分でインフラ整備して過疎地に住みたい人がいるのも認めてほしいです。 

 

 

・集団移住なんて聞くと、社会主義や共産主義の中国やソ連みたいだと感じる。 

人が居ないんだから、人を移住するより元の原野や森林の姿に戻す努力をもはやするべきだと思う。 

 

 

・どなたでも認知されている少子高齢化問題で、何かにつけて行政が行政がと 

言うが、行政にも限度がある。全て限界集落を元に戻すとすると、行政破綻続出する悲惨な事になるけどね。 

現に珠洲市長のインタビューで市の予算では限界!とおっしゃていました。 

 

 

・無住集落に避難ではなくて移住ですか?無住になるのは何らかの理由があるわけで、そのような住みにくい僻地に集団移住して生活再建出来るとは思えないです。 

 

 

 

・ひろゆきさんが論破王って言われてるけど、全然そう思わないんだけど。結構次元が低いこと言っていると思う。ユーチューブでなく紙面で議論すれば、分かると思う。他にもっと素晴しいユーチューバーはたくさんいる。 

ただの揚げ足をとり屋に過ぎん。 

 

 

・ひろゆきは今のスタンスを続けて将来どうするつもりなんだろう。嫌われるどころか忘れ去られるよ、きっと。 

私が住む市にも限界集落はあって、昔は小学校もあり林業の栄えた地だったのですが、今通年で住んでいるのは1人だけ。家族は市内に住んでいて爺さんだけが残っています。人がいるとインフラ整備が必要と言う人もいるけれど、そこへ行く道路は1本残して封鎖だし、水道は地下水、新聞は配達しない、携帯は通じません。その爺さんが亡くなればゼロ集落となり自然消滅です。 

昭和の時代から老人しかいない地域はいずれゼロ集落になっている訳で自然に任せれば良いんじゃないかなと思っています。 

 

 

・林准教授のお話は、米山隆一氏よりむしろひろゆき氏の発言に近いのではないか。ひろゆき氏は別に集団移住を否定しているわけではなく、「今する議論なのか?」という事を言っていただけだと思うんですが。 

ひろゆき氏は正直あまり好きではないが、このところの米山隆一氏アゲは、何か不自然な感じがする。 

 

 

・カネの問題はおいといて、防災減災・気候変動対策の観点からいえば同じ市内でも安全性を確保できるエリアで町作りした方がよさそう 

 

 

・高度成長期には山奥集落は行政として街に移ってもらった 

その後ふるさと創生あたりから始まったバラマキ政策の名目のため温存された 

結局自分が得する利益誘導政治の罪は重い 

 

 

・ダムの水没集落は移住させるんだから、同じような仕組みというわけにはいかないのかな。補償金の財源は問題になるかもしれないが。 

 

 

・あまりに限界集落的になってしまったらインフラ整備も難しくなるので集団移転など検討した方が良いでしょうね。 

 

 

・理由のわからない理屈です。それだけの広大な土地があるなら大きな工場や発電所などを誘致すれば良い。いつまでも個々人が土地の権利にしがみついてるから何もできないのですよ。 

 

 

・そうなんだよなー 

日本人てそういところがあるよねー 

 

同じ事を言っても、言った人の立場で変わる。 

 

有名人が言った、東大出身者が言った、企業のトップが言った権威が言った、TVで言ってた。等々、自分の頭で考えないでそんなしょうもない事で物事の価値が決まる。 

 

本質がわからないから、同じ失敗も繰り返す。 

それでも問題に気付かない。 

何故なら、自分で考えられないからその時々の利権者がTVやSNSで言えば簡単にそちらに靡いていまうから。 

 

 

・極端に人口の少ない集落に住むのは自由だが、インフラの維持費など相応の負担は必要だと思う。 

 

 

 

 
 

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