( 138510 )  2024/02/12 15:29:03  
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「一体誰だったのでしょうか」伊藤英明 『海猿』原作者からの“新たな暴露”でまたイメージダウンのドツボ展開

女性自身 2/12(月) 6:01 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/134679aedbbe9f24f40f963df4c95b979425ccf6

 

( 138511 )  2024/02/12 15:29:03  
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映画俳優との初対面で"嫌なヤツだと思いました"と述べた佐藤秀峰氏に、伊藤英明さんがInstagramで応答し、騒動が波紋を広げた。

『海猿』の映像化について佐藤氏が不満を述べた中で、伊藤が対応を綴り、感謝の気持ちを述べたものの、佐藤氏の非礼については謝罪しなかった。

その後、佐藤氏が再びnoteを更新し伊藤の対応に疑問を投げかけ、時系列に矛盾が生じた。

ネット上では伊藤を擁護する声や伊藤への批判が交錯している状況。

(要約)

( 138513 )  2024/02/12 15:29:03  
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《映画主演俳優との初対面の印象について、「嫌なヤツだと思いました」と書きました。それに対し、俳優の伊藤英明さんが自身のインスタグラムを更新し、記事について言及しました》 

 

【写真あり】本人インスタグラムより 

 

2月10日に更新したnoteで、こう綴ったのは人気漫画『海猿』の作者である佐藤秀峰氏(50)。 

 

2日にnoteで伊藤英明(48)の“非礼”を暴露していたが、直後に伊藤がInstagramで“アンサー”を返し波紋を呼ぶことに。騒動は収束するどころか、より紛糾しているようだ。 

 

人気漫画『セクシー田中さん』の作者である芦原妃名子さん(享年50)の急逝に触れ、『海猿』の映像化において“自らの意思が尊重されなかった”と告白していた佐藤氏。 

 

『海猿』はドラマ化だけでなく、伊藤を主演とした映画が4作も製作された大ヒット作品。しかし佐藤氏は《映画はDVD化されてから観ました。クソ映画でした。僕が漫画で描きたかったこととはまったく違いました》などと綴り、映像化をめぐって不利益を被ったことや、製作サイドから雑な扱いをされたと明かしていた。 

 

さらに主演俳優からも“非礼”を受けたとして、映画の撮影現場を見学しに行った際のことをこう振り返っていた。 

 

《プロデューサーが主演俳優を紹介すると言うので挨拶に行きました。撮影前だったらしく、その俳優はピリピリしていました。プロデューサーが話しかけると「原作者? しゃべんなきゃダメ!?」と吐き捨てました。嫌なヤツだと思いました》 

 

いっぽうのフジテレビ版のドラマと映画4作で主演を務めた伊藤は、同日中にInstagramを更新。《記事を読みました》と切り出し、佐藤氏に向けた感謝の気持ちをこう綴っていた。 

 

《『海猿』は僕にとって一生の財産です。いまだにありがたいことに『海猿』が大好きでした、と声を掛けて下さる方、手紙を下さる方、インスタグラムにメッセージを下さる方が沢山いらっしゃいます。約20年前、現場に出向いて下さり佐藤先生に頂いた原画を今も大切にしています。撮影に携わった全員で過ごした時間も作品も自分の宝物です》 

 

この投稿に、佐藤氏から贈られたと思しき原画の写真もアップした伊藤。そこには直筆のサインと共に、「ドラマおもしろかったです。カッコイイ大輔に期待しています」とのメッセージが。原画の左下には、「2005.夏」と記されていた。 

 

しかしながら、伊藤は佐藤氏が明かした“非礼”については謝罪することなくスルー。そのためネットでは、《すごい嫌味》《作者に対して煽ってるでしょ?》と厳しい声が出る事態に。 

 

 

そうしたなか、再びnoteを更新した佐藤氏。冒頭のコメントに続けて《伊藤さんの大人な対応に、自分の未熟さを恥じ入るばかりです》と自省するも、伊藤がInstagramに綴っていた文章にこう疑問を呈したのだった。 

 

《ところで、イラストに書かれた日付を見ると2005年となっています。僕が撮影現場を訪れたのは2012年(もしくは2011年?)の一度きりです。2005年に伊藤さんが会ったという「佐藤先生」とは、一体誰だったのでしょうか》 

 

’05年といえば、同年7月に連続ドラマ『海猿 UMIZARU EVOLUTION』がフジテレビで放映。映画第1弾が公開された翌年のことだった。 

 

「約20年前、現場に出向いて下さり」と綴っていた伊藤だが、佐藤氏の“新たな暴露”によって時系列に齟齬が生じることに……。 

 

ニュースサイトのコメント欄やSNSでは《ものすごい謎ですね》《怖っ!》と驚きの声が上がると同時に、《当時伊藤さんも駆け出しでいっぱいいっぱいだったのでは》《もう水に流しても良くないかなー?》と伊藤を擁護する声が。 

 

いっぽうで、改めて伊藤の対応にげんなりする声も上がっている。 

 

《どんどん伊藤英明が株を落としていく》 

 

《伊藤さんは火消しに失敗し、逆に墓穴を掘ってしまった》 

 

《うわー あの時は自分も若輩で余裕がなくてって謝っておけば収まってたのに。何か謝れない事情があったのか? とかさらに疑念がわくじゃないか……》 

 

 

( 138512 )  2024/02/12 15:29:03  
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伊藤英明氏と原作者との対立が、業界全体におけるリスペクトの問題や制作班と原作者の確執を浮き彫りにしています。

一方で、俳優の挨拶の重要性や制作側の対応の問題、SNSでの炎上、原作者と出演者の確執が修復できない問題など、さまざまな論点や懸念が示唆されています。

原作者と出演者の関係性や制作体制、信頼の問題についての論議が繰り広げられています。

(まとめ)

( 138514 )  2024/02/12 15:29:03  
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・「原作者?しゃべんなきゃダメ!?」 

この言葉を見たときこれって伊藤氏だけでなく業界全体がそう思っているのか?って感じた。 

もし、原作者へのリスペクトが業界全体に有るのであれば、タイミングも有るのだろうけど、俳優もまず挨拶なりあると思うんですよね。 

それが無い慣習で過ごして来たからこそ、そんな発言がでてもおかしく無い。 

原作を世の中に周知させてやってるのは製作側、原作者?だから?って感じに思えた。 

 

 

・海猿がきっかけで伊藤英明のファンになりました。ドラマも見たし、映画も見に行きました。原作者の佐藤先生が撮影のどの場面の見学に訪れたのかわかりませんが、海猿の撮影は海中の中が多く、役者も命懸けの場面があったと思います。 

伊藤英明もいい大人なんだから、「あの時はすみませんでした。」の一言があったらここまで揉めなかっただろうに. . . 

撮影がスタートする前に、原作者と役者など関係者の顔合わせなどの機会を設けたらいいのにと思いました。 

 

 

・自分はこのシリーズ観たことないけど、まわりの多くがドラマから入ってはまって原作を読んでました。ハリーポッターと同じ現象でした。違いを楽しんでいるとの事でした。 原作者の意向は、勿論納得いくまで反映されなければならないけど、あれだけの大ヒット、、映像を観て原作に触れる人の多さを考えたら、原作の素晴らしさを広めるきっかけと考えていいとも思う。 

しかし芦原先生の件で、原作者は制作側にぞんざいに扱われた記憶が蘇ったとしたら、確執みたいなものは他の現場にもたくさんあるんだなと感じました。伊藤さんもそんな言葉がでるほど制作側全体が原作者へのリスペクトがないのかなって。 

 

 

・こち亀の秋本先生は、せんだみつお氏が両さんを演じた映画版をせんだ氏が先生に対して非礼な態度を取った事に不快感を持ち、再放送やソフト化に対してOKを出さずに封印状態にしていると聞いた事がある。 

原作者と出演者の仲がこじれるとなかなか修復できないと思う。 

 

 

・いつも思いますが 

SNSって個人名を出して悪口を言う場所なのでしょうか・・・ 

嫌な人ってどこにもいると思います。 

それをこう言う場で広げる事自体おかしいと思わないのでしょうか 

もう善悪の区別ってどうなっているのかな・・・ 

伊藤さんが嫌な人だったのならその時に 

聞こえていたことをどなたかに伝えてもらえば良かったと思いますし 

たとえ本当の事でもこう言う場で発言することなのか疑問です。 

なんだか改めて怖い世の中になったなと感じました 

 

 

・相手の正体は置いても、原作者を名乗る人に対して非礼を働いたのは確かなのだから、回りくどい言い訳や見え透いたゴマ摺りなどせず、素直に謝罪していれば良かったと個人的には思う。プライドの高さ故か、自分に非はないと思っているのか分からないが、この人の経歴に染みが付いたのは間違いない。今後の活動に何かしら影響があるかも。 

 

 

・イベントなら何かしら当時の記事などが残っていて、どちらの勘違いかハッキリしたでしょうけど、現場なんですよね。他の出演者及びスタッフで何か写真撮ったり、記憶にあるような方はいないのでしょうか? 

 

原画には、ドラマは良かったようなことが書いてあるので、原画のコメント含め本物なのかハッキリさせて欲しいです。本当に原作者が書いたのならなぜ今さらそんなことを言い出したのかという話になりますし、偽物なら大問題です。 

 

 

・混沌としてきましたね。 

伊藤英明さんがインスタに上げた「2005年夏」と書かれたサイン原画では、「ドラマおもしろがったです(原文ママ)」と書かれてますが、ドラマは7月から放送なので、放送前に見たのか、サインとペンが違うので、後日誰がが書き足して渡したか。 

この”誰か”は、佐藤氏はいつの間にか「原作者と名乗る人が居た」とも発言しており、伊藤さんに渡したサイン原画はその(原作者と名乗る)人が渡した可能性もありますね。 

そうすると、佐藤秀峰氏が2012年(もしくは2011と発言)会った時、伊藤さんは佐藤先生の事を原作者とは認識していないことになります。 

因みに、佐藤先生は、2012年7月公開の映画版4作目(BRAVE HEARTS)のクランクアップが2011年12月13日なので、2011年内に会ったと思われます。 

 

 

・四面楚歌の泥沼化ですね。 

 

個人的には、原作者から相当嫌なヤツと思われていると思います。 

原作者としては世間体から役者など直接的な接点がない有名人はリスペクトすると思います。 

そもそもの発言からして「嫌なヤツ」と伊藤英明氏が思っている時点で相手は相当嫌なヤツと感じていると思います。建前上、普通言葉にはしません。 

勘違いによる一方通行は大抵自分だけであり、性格や個性もあると思いますが、立場のある原作者から露骨に嫌な態度を感じるのは相当だと思います。自分は誰からも愛されているとか頭お花畑なのか、世間の流れ的にタイミングが悪く失言だと思います。また、「海猿」に関するトラブル問題を知らないと思える行動は出演者としてどうかと思います。 

イメージダウンは当然だと思います。 

 

 

・伊藤のその問題ある態度は業界の常識を反映したものだろう。伊藤にとってそれが当たり前。テレビや映画のプロデューサーを頂点とし、その下に製作部隊があり、原作者は更にその下なのだろう。本来原作者は全く別の所にいるはず。原作あってのドラマなのだが、業界の使ってやってる意識を強く感じる。 

 

 

 

・佐藤先生の作品、海猿はまだ読んでいないけど、 

「ブラック・ジャックによろしく」は 

読みました。 

当時の医療現場及び研修医の過酷な環境下での 

医療提供、「普通の人」である主人公の葛藤、 

心境が細かく描かれた名作です。 

 

あんなに素晴らしい作品を生み出せる方が、 

作品の映像化によって作品を汚された、 

踏みにじられたと思わざるをえない現状が残念で、 

悲しい気持ちでいっぱいです。 

作品を愛するファンとしては、先生方が 

納得できない映像化は、堂々と「NO」が言える 

ようになってほしいです。 

 

 

・昔から思うのだけど、いわゆる演劇や芸能を生業とされる方の間の共通感覚として、自分達が演じる舞台は自分達のもの、面白くなれば表現は自由っていうのがあると思う。 

古典文学に新たな解釈をいれてみたり、悲哀の物語をコメディータッチで描いてみたり。 

成功すれば評価される世界だし。 

もちろん原作者がまったく別物という認識であったり、容認してくれているならいい。 

でも、昨今のテレビとかはドラマ=別物と認可みたいな勝手な図式を作るからこうなる。 

 

 

・この記事が事実だとしたら、2005年に撮影現場へ自称・原作者と称した人物に現場への潜入を許してしまったか、撮影現場スタッフが偽の原作者を現場に入れて、原作者から応援を受けている…と世間を騙す行為も横行している可能性を示唆しているかと。 

 

だとしたら、相当昔から撮影現場での原作者軽視をされているということですから、俳優本人のイメージダウンよりもドラマ制作者への疑いをより強めているのでは?記事が俳優のイメージダウンと誘導して、制作サイドへ飛び火しないようにしているように見えます。 

 

SNSが浸透してきて原作者の考えや思い出が身近に出せるようになった今、過去の現場が誤魔化してきた内容はより明るみになるのでしょう。これもまた、言論の自由の範疇ですから、報道の自由を謳いつづけたテレビ局への因果応報でしょうね。 

 

 

・海猿はまた別の問題な気がする。海猿には、漫画の表紙にもクレジットされている取材担当の原案者がおり、他にも「原作者」と勝手に名乗る輩がたくさんいて佐藤先生と揉めていたらしい。 

その中の誰かが2005年の撮影現場で原作者に成り済ましたか、伊藤さんに会わせた人が原作者と紹介してしまったか。原作者と著作権に対する扱い方や映像化の際の収入の配分には出版社側にも問題ある気がする。 

 

が、この場外乱闘のような揉め事をセクシー田中さんの問題とごちゃ混ぜにはしないでほしい。 

 

 

・SNSでの発信、メッセージのやり取りは非常にこういう齟齬が生まれやすい特徴があります。 

自分の意図する意味を書いたつもりだが、相手がマイナスの別の捉え方をされてしまうケースも経験した方も多いのではないでしょうか。 

場合によっては真逆の捉え方をされるケースもありました。 

書き方が悪いと言われればそれまでですが、活字での文章とは本当に難しいなと思わさせます。 

出来れば、面と向かって、それが難しいならせめて電話などで直接話されるとお互いに理解しあえると思います。 

 

 

・スタッフ側に寄り添うと、命を削って漫画を描いている原作者に来てもらうなら、せっかくだから大規模な場面を見てもらおうと日程を調整するかもしれない。 

 

俳優の気持ちに寄り添うと、命懸けの職業を題材にした漫画の実写作品の撮影の本番間際だと、もしかすると生半可な状態ではやってはいけない命懸けの場面だったかもしれない。 

気持ちを入れている所や手順を繰り返し確認しているタイミングでスタッフに突然言われ、「今会わなきゃダメ?」となったかもしれない。 

それでも会うことになったなら、役者魂で和やかにリスペクト溢れる話し方で接したかもしれない。 

 

原作者に寄り添うと、めんどくさそうに「今会わなきゃダメ?」と言っているのを聞いてしまい、印象最悪だろう。 

 

想像ですけど。 

 

今は原作者側の気持ちばかりがクローズアップされていて、読み手側もそこに同調してしまいがちかもしれない。片方の主張をそのまま受け取るのは危険。 

 

 

・色紙に添えられた佐藤さんの言葉を見直すと、直接佐藤さんが手渡したというより、主役の伊藤さんと会う誰かに色紙を託したもののように思えます。 

 

海猿をウイキペディアで見ると「作者佐藤秀峰、原案・取材小森陽一」となっています。 

 

この色紙を渡したのが原案を提供した小森さんだった場合、伊藤さんが小森さんを作者と誤認して今回の話になっている可能性はありますよね。 

主役に宛てた特別な色紙だから佐藤さんは全てわかって言ってるんじゃないでしょうか。 

伊藤さん自身に思い出してもらいたいんじゃないのかな。 

 

 

・近頃漫画が原作のドラマ・映画が激増し、薄々原作者の方たち 

よく我慢しているなと思っていました。 

我慢しているのではなく立場が軽んじられていたのですね。 

作品はご本人の子どものような分身のようなもの。 

拒否する権利も口を出す権利もあって当然。 

一個人を守る流れが出来つつあるのは良いこと。 

大企業、有名人、大人数、よりも原作者様の世界観大事! 

 

 

・海猿自体は、全く漫画とドラマが異なる設定になってしまっている。原作ファンとして、佐藤氏がフジテレビにいいたい気持ちはわかる。ただ、伊藤氏に批判を向けるのはどうかなあ…。 

 

 ただ、海猿が、逆風をうけたように原作者が意図しない改変自体は、ビジネス上あり得る話と思う。それを著作権者が主張するなら、今までの正規ルートでは無理って話になるんじゃない? 

 

佐藤先生は、こんなつまんない話するより、海猿やブラックジャックによろしく以上の作品を期待しています。今はそれができる時代だからね。 

 

 

・原作者の事は当時も今もどうでもいいと思ってるんだろう。どれだけ原作と映像がかけ離れた物になったとしても原作がなければ映画もない、ピンポイントで会う、会わないは色々な状況があるからなんとも言えないが原作者、会わなきゃダメは原作者なんかどうでもいいと言ってる様なもの。今は時間がないが別の日で挨拶だけでもしたいから改めて連絡しますと対応していれば原作者もここまで不快な思いをする事もなかっただろう。今回も取ってつけた様な言い訳をするからこんな事になる。芦原先生の詳細はまだ分からないが映像化する製作陣が原作者、原作をいかに蔑ろにしているかと言う事なんだろう 

 

 

 

・色紙自体は編集部経由で伊藤さんに渡されたのだとは思う。 

つくづく謝っておけば、とは思うけど本人からしたら言った覚えがなく、安易に謝って認めるのも癪だと思った可能性はある。 

 

 

・役者はさぁ、現場の監督とか、脚本に対して責任を持って仕事をしているんであって、原作者がどうとかで不手際だって言われても、そこはマネージャーとかに仕切ってもらいたいところだろうよ。 

あっちこっち気を遣うのが苦手な人だって世の中に多いのに、演技以外にも周りへの気遣いがあってこそいい俳優、って、そう思うのは自由だが、私はもっとお互いに寛容な気持ちを持つべきだと思う。 

原作者がないがしろにされていることに対する責任は、制作体制全体の問題なのに、その歯車の俳優に怒りをぶつける気持ちもその場の当事者は仕方がないかもしれないが、ヤフコメとかメディアまで現場の俳優を非難するのは解せない。 

 

 

・もし双方も真実(実体験)を書いているのだとしたら、伊藤英明さんに挨拶した2005年の原作者って出版社もしくはテレビ局が用意した別人...てことになりますね。 

写真を撮るなどをしなければ相手の顔も忘れますし、1:1でなくその場に関係者がいあわせれば話す内容だってコントロールできるし、結局中身のない挨拶だけで終われる。 

 

サインやそれに添えられた文章等の筆跡が本物なのかにもよりますが、ある程度は本物を出版社の協力で用意できます。伊藤さんが日付を書き加えたなら完全にギルティーですけど。 

 

伊藤さんが実際の原作者さんに言い放った言葉はマズイものですが、もし、出版社やテレビ局が何度も伊藤さんに原作者や関係者を装った誰かを会わせて、注目の作品だ的な圧をかけていたのだとしたら、あーもうウザイな!また来たのかよ!という対応になってしまうかも。 

 

本当に、何がどうなってるのやら。 

 

 

・私はよく映画やドラマを見てから本を読みます。 

文字で表現されたものを形にするってすごいなーと感心します。 

海猿はまだ見たことないですが、きっとこれもすごい人たちが一生懸命ドラマや映画にしたんだと思うんです。 

今更だけどこんなの俺が思って書いたものじゃないとかクソの映画とか言うのはおかしい気がするんですよね。 

私たちが楽しんで感動したものはなんだったんでしょうってなっちゃいます。。 

セクシー田中さんでも最終話見た時から続きがあると面白いなーと心から思いました。でも何がいけなかったんでしょう。死ななきゃいけないくらい。。それは本当に悔しいです。 

なんでみんな仲良くできないんだろう。揚げ足ばかり取るんだろう 

映画もドラマもみんなすごいのに。。。 

だんだんなんか見る気持ちがなくなってきます。もちろん読む気持ちも。。 

団結してもっと感動することのできる作品頑張ってください。 

 

 

・この問題って脚本家にしろテレビ局にしろ出演俳優にしろ、たぶん原作を「借りてやってる」「使ってやってる」って考えなんだろうね。そして本来は原作者を守るべき立場の出版社も「世間にもっと広げてやってる」って考えでいるんだろう。 

少しでも原作を「貸してもらってる」「使わせてもらってる」って考えがあれば、原作を書いてる原作者への敬意はあると思う。 

そして数年とか数十年前の事を蒸しかえすのも、そういった考えの制作陣に抗議しても聞いてもらえず我慢していたが、今はSNSの発達でファンや世間に直接暴露できるようになったことが大きいと思う。 

 

 

・小学館、日テレは早急に記者会見を開いて責任者が事の経緯を説明し、どう責任を取るのか、再発防止をどうするのか明らかにした方がいい。あっちこっちに延焼している。 

セクシー田中さんの原作者の芦原妃名子さんが、ネットリンチともとられる状況で亡くなりました。死をきっかけとして、クリエイターを軽視する業界の傾向が明らかになり、まだまだ非難合戦です。 

そうした状況で、伊藤英明さんは、なぜ反撃に出たのでしょうか。投稿するなら当時の非礼を詫びることから入るのが良かったのかなと思います。もし記憶にないなら、ないなりの投稿ができたのではないでしょうか。 

すごく嫌味な投稿と感じ、本当に性格が捻じ曲がってんだなーと思いました。きっと反撃しないと気が済まない性格なんだろうし。 

 

 

・原作とアニメ版の場合、それぞれに良さがある出来栄えになることはある。 

マンガ原作と実写版の場合、邦画の実写版が過去に原作を超えたこと、今後も超えることは決してない。 

 

 

・何かあったとき、単にあやまるのではなく 

プラスの言葉で返す対応がよい、と指導されてる人はたくさんいる。 

それをやってる人をたくさん見かける。 

論点を外して評価を上げるテクニック。 

 

 

・俳優などの役者さんは撮影前は集中や役柄への同調などで一番重要なタイミングだと思う。思った事が口に出てしまい、それを聞かれてしまっただけで本当の普段の考え方や人柄と違う感じが出てしまったのでは無いかなぁ。 

感情やメンタルで受け取りの違いで揉めるってありますよね。 

 

 

・時系列的にはサインに書いてある2005年は映画、ドラマ化されてた頃みたいだから、ヤングサンデー編集部が佐藤先生に頼んで書いてもらって伊藤さんに渡した可能性は高い。 

その時に編集部を通じたら「喜んで書いてくれた」というような事も勝手に付け加えても不思議ではない。 

 

 

 

・なんか気味が悪い話になってるけど、現場での役者の態度については仕方ないかな。 

漫画で言えば決めゴマを書いているとこに話しかけられてるような感じなので、そのタイミングで原作者を連れて来た奴が悪い。人としてはどうかと思うけど、役柄に入り切ってる時に仕事場でどんな態度を取ろうとも、役者が謝らなければならない話ではない。 

 

役者が向き合ってるのは、原作でも原作者でもなくて、作品で演じる人物そのものだからね。そのために原作を大事にする役者もいれば、脚本でどう再解釈したかを突き詰める人もいるし、自分のやりたいように演じる人もいる。そこもやはりキャスティングの話であって役者に責任はない。 

 

 

・今更との意見もありますが、これまでの原作者の出版、映像の構造に対する鬱憤が吐き出されたものなのか、原作者の方が「めんどくさい」人であるだけなのか。 

ただ、こうした発言がなければ原作利用に係る問題があまり表に出てこないのも確かです。多くの作者は言いたいことがあっても抑え込まれてるのでしょうから。このやり取りを通して「セクシー」事件の問題点が少しでも表面化して解決されるものであればいいと思います。 

 

ここで原作者にしつこいから黙っててというのもありますが、うるさい原作者はダメ作者、いい原作者はいなくなった原作者だけ、というのも嫌だなと。 

俳優の方はコメントがヘタというか、下手だよねとしか思えない。 

 

ということで、両者燃え上ってください。 

 

 

・これ、伊藤さんに身に覚えのないことかもしれない。 

一方的な言いがかりに素直に「ごめんなさい」というわけにもいかないし、 

否定しても水掛け論になるだけだし、 

ああいうコメントしか出しようがないのでは… 

そもそも、本人の目の前でそういうことを言うものなのか? 

伊藤さんに取り次ぐ際に、マネージャーさんか誰かスタッフの人が 

本番前の伊藤さんを気づかって発した言葉がドア越しに原作者に聴こえて 

伊藤さんの言葉と思い込んだ可能性もある。 

原作者に聴こえた言葉は正確には別の言葉であったが、 

その時に解釈した様に再構築した言葉を書いたかもしれない。 

ともかく、片方の話だけ聞いて一方的に伊藤さんを非難するのはどうかと思う。 

 

 

・原作が人気があるのということは、あくまで原作者側にファンはいて。原作に忠実、もしくはより魅力的に演出され且つその作品を大切にする姿勢がなければ、今はもう実写化する意味はないと感じます。(アニメ化も同じですけど。)少し人気ある俳優で引っ張るのは無理です、見ていられない。 

 

 

・撮影現場に訪れたとする、2011年か2012年に撮影してたとなると 

wikiによると映画4作目と言う事になるみたいだけど 

それまでドラマから一度も撮影現場に訪れた事が無く 

映画4作目で初お目見えなのだとしたら原作者の記憶は正しいとなる。 

 

忘れてるだけでもしドラマの撮影の時に一度でも行ってたのだとしたら 

海猿 UMIZARU EVOLUTIONが丁度2005年に撮影されてる事になるから 

あながち時間軸としてはありえない事では無い。 

(初回だし顔出してる可能性は否めないと思われる) 

初めての実写化の2004年から2011年頃まで一度も撮影場に行ってない 

キャスト陣にも会ってないとはちょっと思えないけど・・・ 

 

まぁ、でもそれは本人達以外でもスタッフや製作側でも確認取れる事でしょ 

はたして事実は伊藤と原作者とどっちが記憶違いをしてるんだろうかw 

 

 

・知らんけど、この騒動で伊藤英明や作品を落とす必要ある? 

 

撮影現場で、撮影に関係ない仕事が入ったら、誰だって面倒くさいよ。 

それを表に出すかどうかは人それぞれだけど。 

 

人間なんだから忙しくてイライラするのは仕方ないし、しっかりお膳立てしなかったスタッフにも責任あるでしょう。 

 

もちろん原作者側の気持ちもすごく分かりますし、原作へのリスペクトがあれば、今回のようなこともなかったし、海猿スタッフ含め映画関係者の対応も違ったとは思います。 

 

ただ、映画の人も頑張って人気作にしたのに、とばっちり感が。。。 

 

 

・この件は正直いきなり俳優のことを持ち出してしまった原作者も迂闊ではあるが(現場の雰囲気を端的に伝えるためとはわかるが)、役者も「その節はすみません」とだけ言っていれば「大人の対応」として株が上がったのにね、というところ。本人からすれば思ってもみないところから石を投げられたと感じたのでしょうけれど、本筋でなかったものを自ら足を突っ込んでいっている。ある意味、若いね。 

 

 

・ネットには今回伊藤さんがインスタに出したカラー原画のサインと、佐藤先生が別作品で書いたサイン色紙と比較して、本物がどうか検証する人も出る始末。確かにサインが似てるけど違うような気も。佐藤先生のサインって、色紙に黒マジックで登場人物の顔と名前のサインなんだけど、日付もきちんと年月日まで書かれるんですよね。伊藤さんのには「2005.夏」しか書いてないし、現場に行ったなら、色紙に直筆で漫画含め書き下ろしで描きそうだし、仕上がったカラー原画にって違和感。挨拶で会ったのは本当に誰だったのかな? 

 

 

・それを見た距離とか、 

面と向かった態度だったかは、全く定かでない。 

 

駆け出しの俳優にとって、 

撮影前は周りが想像する以上に集中力必要になる瞬間では。 

なのにその合間に、 

大切な主役と原作者との挨拶のタイミング設けるスタッフ側の意識こそが非難される事では? 

 

俳優はスタッフに言われた事に対応が雑だったのであって、 

「本人と相対して」挨拶を拒否した訳ではないと感じる。 

 

伊藤氏が、 

20年も前の「スタッフへの自分の態度」を今更非難されるなら。 

20年も経って芦原氏の被害者的立場に同調したからと、今更自分が「受けた、ではなく見た」俳優の態度を公然と非難すべく「晒し」、 

自分も被害者かのように語る態度は 

それ以上に非難に値される非礼ではないでしょうか? 

 

 

・果たして俳優は本当に原作者に会ったのか? 

テレビ局が用意した、例えば当時のアシスタントとかだったとか 

原作者があったのは、本当に当人だったのか? 

同じ俳優の、別の撮影現場の時に紹介してないだろうか? 

松本さんの記事もそうでしたが、 

今や何十年前だろうが掘り起こされて 

記事や話題になってしまう。 

当時身に覚えのある、俳優や芸人、関係者は 

他者から指摘される前に、早めに自分から告白したほうが被害が少なくて済むかもしれませんね 

 

 

 

・海猿の伊藤英明さん大好きでした。 

しかし、バラエティー番組で彼女と同棲して犬を飼った話をしていましたが、どう聞いてても愛情を持って育ててるように感じませんでした。結局彼女と別れ、粗相した退去代の費用が何百万でした。と話、みんな犬はどうなったの?と当時ヤフコメで話題になってしました。 

それ以来めちゃくちゃ苦手です。個人的な意見ですみません 

 

 

・なんでみんな「佐藤先生」の記憶のほうが正しいって思い込むんだろう。佐藤先生が正しい分だけ伊藤なんとかさんが正しい可能性もあるのに。ネットは原作者との親和性が高くて議論が多少偏り加速してる雰囲気。 

原作のいらない脚本家が育つことを祈りたい。 

 

 

・原作者も命懸けなら演者も命懸けだ。本番前に気を散らされたくない。原作者だろうと誰だろうとしゃべりたくないのは当たり前。現場に来ないでほしい。映像化を許可した時点で、原作と似ても似つかぬものになるのは覚悟したほうがいい。何かしらインスパイアできただけで名誉と思うべきだ。映画 「砂の器」 は原作からの改変が甚だしいが、松本清張は 「原作以上だ」 と鷹揚なものだった。村上春樹は 「ノルウェイの森」 の映像化に際して厳しい注文をつけ、映画はヴェトナムの俊英トラン・アン・ユン監督の黒歴史になった。 

 

 

・映画とかテレビドラマって、尺とか原作の進み具合の問題もあって、全くその通りにはいかないと思います。 

制作側は最初の約束(契約)の通りにドラマや映画を作り約束を違えてないと思っていても、原作者がこれは僕の物語への思いが伝わっていないと感じれば、不満に感じるのかもしれません。 

また、表面的には何もドラマ(映画)の内容は契約を違えてないのに、制作側の原作者へのほんの小さな言葉や対応の配慮が足りなかったことで、雑に扱われたと原作者が気に入らないと思うのかもしれません。 

俳優さんも必死になって演じている最中に、原作者やスポンサーなどに気を回しておべっかを使わなくてはならない。それがたまたま運悪く態度に出てしまい仲違いしたのかなと思います。 

海猿原作のコミックは読んでないけど、ドラマも映画もすごーく感動しました。 

原作者は、気に入らなかったんですね。 

 

 

・撮影の真っ只中で集中力を高めているときに、誰とも会いたくないってことはあるでしょ。原作者に限らず、どっかの偉い人だろうが家族だろうが。別に原作や原作者を軽視しているわけじゃないでしょ。伊藤氏はあまり好きな役者ではないが、この言いがかりはかわいそう?原作者だって、無償で作品使わせているわけじゃないし。配役や脚本が気に入らないなら、文句を言うのは役者じゃないでしょ。サインだって会ったときに書いてもらったとは言ってないよ。こんな絡まれ方すると、漫画からのドラマに出演するのがリスクと思う役者が出てきてしまう。 

 

 

・片方からの証言で、ここまで批判を盛り上げようとする。ゴシップの怖ろしいところですね。悪意あるコメントだけを拾い上げればどんなドツボも演出できてしまいます。そのコメント自体、本当にあるのかどうか何の保証もないわけですが。 

 

はたして仕事中いかなるときでも見学者に即対応できるものなのでしょうか?実際どのように断ったのかも判りません。どんな状況だったのかも判らない。言葉のニュアンスもよくわかりません。なにせ佐藤氏は悪印象を受けて何年も溜め込んでいたのですから、実際よりも悪意を込めて書かれていることは想像に難くありません。話半分でいいんじゃないでしょうか。 

 

それにしても原作者は神様として、総理の被災地訪問のように万全の体制でお出迎えするのが当然なのでしょうか?どんな立場であろうと見学者は、お邪魔しているものとわきまえたほうが人として正しく感じます。 

 

 

・当時、伊藤さんのキャリア以上の海猿大反響のイメージ。演出家や監督から色々言われて追い込まれてた所かもですね、全体的に芸能界は混沌とした闇があるのかな…。その中にいる人は、本人の意志とは関係のない渦に巻き込まれる危険な所なのかも。芸能界どっぷりなタレント俳優以外の一般人は、???となる事が本当に多く感じる世界ですね。 

 

 

・俳優さんの良くも悪くも持つプライドではないかと思います。 

 

ある意味、『己の想像で、自分なりの主人公を演じたい』という… 

見方によっては原作無視なんだと思うのです。 

 

原作を読むと、自分が持つオリジナリティーが出せない...とか。 

ただ、それもトンチンカンとも思えるよね。 

彼に限らず。 

監督が良いっていう演技を納得いかないという人もいたり。 

 

もちろん原作者も映画化やドラマ化というリアルな人間が静止でなく動きのあるもので表現しようとする場合の伝わるかは難しい。 

これは永遠に埋まらない。 

だからこそ双方のリスペクト。時に歩み寄りも必要なのでしょう。 

原作のこのカットの表現は、このように解したうえで演技をした。そう解すべき出ないなら、これはどうか。と 

オリジナル(原作と)それを介した上でのオリジナル(演技演出)。 

作品を作るには双方にそれぞれ二律背反するモノがあるのかなぁ 

 

 

・私の中では今回の件で一番イメージが落ちたのが佐藤秀峰氏ですね。 

今は原作者の苦言を、『何も考えずにすべて真実だと受け止めて無条件で正義にしてくれる人たち』が湧きに湧いている時期です。 

文句を言えば原作者=正義派が叩いてくれます。 

 

伊藤英明氏も現場で「原作者がきました」と言われればそう思うでしょうし、その人が色紙をくれれば原作者だと思っても不思議はない。 

佐藤氏が言われていた『自分以外の原作者の出現』と矛盾しません。 

「原作者の顔を把握しておけ、それが礼儀だ」とでも言われるのでしょうか?(ちなみにこの手の失礼クリエイターたち、「原作を読まない」と公言されてる俳優や声優に対して今まで「失礼だ!」とか言ってないんですよね) 

 

佐藤氏については、この機に乗じて映像化の際に感じた鬱憤を晴らそうと頑張ってらっしゃるようにしか見えないのが『私の印象』です。 

嫌なヤツだと思いましたw 

 

 

・佐藤先生は、撮影現場に行ったのは2011年か2012年と言っていたけど、例のカラーのサイン色紙を書いた記憶はあるのだろうか?もしくは、筆跡を見て、書いた記憶はないけど自分が書いたんだろうと思っているのか? 

サイン色紙は自分が書いたものではないとは言ってないから、やっぱり書いたことは書いたんだろうと思う。 

2005年に誰かに頼んで伊藤英明に渡してもらい、それとは別に2011年に撮影現場に行った、のでは? 

 

ところで、佐藤先生と伊藤さんはお互いに会いたいと思ってたのだろうか? 

プロデューサーが、原作者に会わせてあげますよ、主演俳優に会わせてあげますよ、と言っていただけで、特にお互いに会いたいとも会いたくないとも思ってなかったのでは? 

 

 

 

・伊藤さんはこのサインについてしっかり説明して欲しい。いつ誰から渡されたのか?伊藤さんが嘘をついてるのか? 

 

原作者があれは自分ではないと言っているのにサインには「ドラマ楽しかったです」とは恐ろしすぎます。テレビ局の人間が適当に書いて渡したのですか?そしたらフジテレビはもはや詐欺が横行するような犯罪的な組織になってしまうのでは。 

 

あと「原作者?挨拶しなきゃダメ?」も自分が口にしたならきちんと謝るべきです。「あの頃は未熟ですみませんでした」ですむのにカッコつけてしまったので取り返しがつかなくなってしまいましたね。残念です。 

 

 

・海猿は見ておりません。ただ名前は知っております。私の様な状態の方が大半では無いでしょうか?テレビや映画化されていなければ名前も知らなかった作品。作品を作ったのは素晴らしい事と思いますが原作と切り離して世に名前が出るだけ有難いと思う事も大事だと思う。 

 

 

・一般人レベルでできることは原作漫画の1コマや1ページをスタンプ代わりにしないことだと思います。 

まだ作中での喜怒哀楽や意味合いに沿った使い方ならともかくとして、 

煽りや意味合いを無視したパワーワードとして使うのは原作者への敬意がないと思います。 

 

 

・ドラマ化する段階で、原作とは別物になる。 

 

そこを許容出来るか、否か。 

 

原作通り、っていうのはあり得ない。 

 

クソ映画も何も、『別物』なんだから、ドラマ側からしたら「は?原作者?会う必要ある?」ってなる。 

 

漫画、ドラマ、表現方法が違う訳で、双方共に大原則を忘れてはいけない。 

 

原作に忠実に、って原作者が希望している段階で、映像化は難しい。 

 

今一度、そこを徹底して考えて、キチンとルール化しないといけない。 

 

 

・日付や、サインや 伊藤英明さんの名前などを見て、 自分の字なのかは、わからないの? まずは、そこを書かないと、自分が訪問した日付と、サインの日付が違うのは、どうでもいい。書かれている。 日付や、サインの字が自分の字なのか 

見て、わからないの? このマンガ家は? 映像の海猿は、救助シーンなど スタントマンを使わずに俳優自身が、やってる。メイキングを見れば 危険なシーンばかりです。 集中しないと、怪我をする。マンガ家自身も、マンガの締め切り近くに テレビスタッフが来て、 マンガ家は、フジテレビと絶縁宣言しましたよ。 その後 フジテレビ版の海猿の新作は 制作されていません。 10年だった今 何を騒いでいるのか? 炎上させて自分に注目させて、自分の、マンガを読んでもらうためですか? 

 

 

・私はLAに長年住んでるのですがもう随分前だけど、こちらの流行ってるクラブで私の知り合いのプロモーターのテーブルで女の子たちと派手にパーティーしてるのを何度か見かけたなあ。そこは一晩のチェックのビルが軽く1万ドルくらい行くとこだったけど。こっちでも派手に遊んでたのでしょうねよくあることだけど。ハワイの写真が出てきた時全然びっくりしないそのままのイメージだったな。 

 

 

・自分は昔「ドラマ化や映像化すると原作も売れてお互い儲かってWin-Winだ」ってイメージを勝手に思ってました。 

「ショムニ」や「バトルロワイヤル」とかドラマや映画で知りましたし。 

世間や業界もそんなイメージだったのかな? 

そしていつの間にかドラマ化は原作の番宣をしてやっているってテレビ側が思うようになって"テレビ>原作"って構図が出来上がってしまったのかも…。 

それが当たり前に思われてしまったらテレビ側は横柄になるし原作者はあまりにも悲しい。 

「見たくなければ見なきゃいいじゃん」ってヤツを制作サイドは本気で思ってたのかも。 

 

 

・出来事じたいは、伊藤さんのスタイルもさることながら、現場の調整不足に他ならない気がする。だって、そういう俳優さんなのわかってたでしょ…。そりゃこうなってしまえば、実際言われた側は不愉快なのは当然で、失言した伊藤さんが責められるのは致し方ないですけども。 

そうならないように調整するのも大事な仕事。製作側のミスですよ。このことが不信の1つとなり、続編やメディア化の壁になったなら責任問題です。 

 

ただ今回の返信は伊藤さんご本人の失態かもですね。佐藤さんの話が本当なら、直接会わずに渡されたときの色紙を、お会いしたときに頂いたと発信してしまったわけなので…。どうせ大して覚えてないんだろ、と言われても仕方ないですよね。 

 

 

・著作物を映像化する際に詳細な契約書を交わすようにすれば、様々なトラブルが無くなりはしなくても少なくはなるでしょうね。 

その上で著作権者が、リスクを承知の上で著作権使用料を得るかどうか判断すれば良いだけ。 

 

 

・テレビは報道番組は忖度あり、情報番組はどこも同じでネットニュースと動画紹介ばかり、バラエティはコンプライアンスでおもしろくなくなりクイズやグルメものばかり、アニメは少子化でゴールデンタイムから消え、ドラマは原作者を怒らせ死に追いやる…。 

NHK含めて電波のあり方、使い方を見直すときにきている気がします。 

 

 

 

・原作者にリスペクトしないのも問題ですが、映像スタッフ・キャストの方々にもリスペクトは必要です。 

この方ではないですが、原作者やスポンサーがあれもこれもと口を出すタイプの方だと、指示系統が乱れ、一貫性のない綻びを隠したチグハグな映像になります。 

「話さなきゃ駄目?」「やな奴だと思った!」は、双方リスペクトが足りず、自己防衛の為に出た言葉だと思います。 

まずその事を認識しないと、世論を味方につけたい一心から、建前と本音で嫌味な行動が続くと思います。 

 

 

・当時を考えるとお互いに若かったと思うし、伊藤さん側は失言されてるが暴露されていますが、当然言い訳には出来ませんが、過酷な撮影の最中での言葉でスタッフとのやり取りを盗み聞きした…とは取れませんか?。また佐藤先生が伊藤さんの「大人な対応…」と言われてますが、これも嫌みに聞こえる方は少なからず居ると思うのです。人違いな原作者のをスタッフが伊藤さんに紹介したとしたら?会ったことのない原作者です、初対面です、もし…記事を読むあなたならその方が本物の原作者と思って挨拶したりしませんか?。悪いのはテレビ局やスタッフで、俳優さん、原作者さん共に被害者では?。暴露合戦…、原作…映画…共に作品が青春で、色んな想い出が有る者としては…、どちらも大人気ないのでは…?っと思ってしまいます。長文失礼しました。 

 

 

・撮影の直前でピリピリしてる俳優に挨拶に行って、それで邪険にされても仕方ないと思うよ。訪問を前もって知らされてた訳でもなかったようだし。喋んなきゃダメ?と原作者さんに直接言ったのではなく、挨拶を促したスタッフに言ったのが聞こえてしまったのですよね。それは根に持ってはいけないと思う。 

 

 

・この俳優さん、確か子供の時分は体が弱くて苦労したそうなのですが、どういう訳か俳優の仕事で売れて以降、豹変したとされています。両城の二百階段などでロケをされたそうですが、実際はあんな宅地内でボンベ背負って登るなんて事はないですし。変な演出でおかしくなっていたのでしょうか。 

 

 

・12年だとすればまさにフジと因縁が出来た4作目が公開された年であり、この作品について、原作者の許可が無いなどともめていた。さらにフジテレビがアポなし取材を行うなどをして激怒していた。その年にわざわざ映画の現場に出向いたという事になる 

11年だとすると、ドラマは当然としても映画の撮影も全くない年であり、何の現場に佐藤が訪問したのかわからない 

2005年はまさにドラマの撮影が行われていた。この時はまだ佐藤もフジテレビともめておらず、佐藤が現場に出向いたというのも自然 

少なくとも現場に出向いた年という意味では、伊藤の発言の方が信憑性がある 

 

 

・作家さんのmetooや田中さん絡みのコメントが続々出てきてるが、この件だけ俳優さんへの苦言になってる。最初は海猿を違うものにされた恨み、俳優さんへの私怨、そのアンサー投稿へのツッコミ・・伊藤さんの投稿にどういう意図があったのか、純粋な投稿だったのかはわかりませんが、”大人の対応”で見過ごすことは出来なかったのでしょうね。 

 

 

・海猿というテーマだけもらって、あとは好きに改変して気持ちよくアドリブ入れまくりで悦に入った演技をしたいんですよ 

原作者なんて会いたくないし、原作リスペクトなんてないてすよ 

加工大好きなんだから 

0から1はとても難しいけど、1を違う1にしたり0.5にしたり、場合によっては2にしたり3にしたり・・ 

日本は古来より加工が得意な気質なのです 

そこに原作者云々なんて気持ちはないです 

軽んじるとかリスペクトとかの次元ではなく、第一次生産者のことはなんとも思ってないのです 

 

 

・「大人な対応をして頂き〜」が佐藤先生の上手な大人の嫌味だったら面白いですね。そして矛盾はしっかりぶっこんでくる。当時からリスペクトの無さがうっかり漏れ出てしまい、今になってもすいませんと潔くも言えず又テキトーで間違えてるのか。自分がスターになれたのは何故か、感謝があればこうはならないと思います。 

 

 

・芦原先生の作品に忠実な脚本が書けない脚本家との問題と、俳優が原作者に「接待」しなかった問題とは違う! 

 

なんでもかんでも原作者を優先優位っていうのはおかしい。ずいぶんと怠慢な原作者だな 

 

海猿みたいなハードな撮影の前、事故が起きないようスタッフだって出演者だってピリピリしてるんだよね?そんなときにニコニコと原作者さま出演できて光栄ですって言わなきゃなんないの?それ期待してノコノコ行く原作者もどうなんだろうね。 

自分が書いた内容わかってないのか?恋愛モノを救助モノへ脚本家に変えられたのか? 

 

 

・原作を大切にすることは大事なことだと思うが、子どもの喧嘩になって、どんどん本筋から離れて行っている。今更昔のことをほじくり出して便乗して私怨を晴らしているだけのように見える。セクシー田中さんファンはひたすら今回の悲しい結末に涙し、怒りを感じているだけ。 

 

 

 

・海猿は小森氏が原案・取材としてクレジットされてるからその方を周りが原作者と勘違いしてたのはありそう 

実際、他の海保を舞台にした作品では原作(マガジンのトッキューとか)をされてるからね 

ただ海猿はあくまで原案までで作品としてはまるまる佐藤氏の名義なのよね 

 

 

・小学生の頃に受けた衝撃的な出来事、中学高校で受けた嫌な事などは、前後に曖昧なことがあってもその瞬間だけは今でも目の前に蘇るくらい鮮明に覚えていたりする 

伊藤英明さんは自分がしたとされるぞんざいな態度に記憶が無いのかもしれないですね 

だから謝るに謝れない 

なので敬意という形で発信 

ただ、今回の場合は記憶に無かったとしてもそういうことがあったかも…と思えるなら、佐藤氏への謝罪の言葉を載せておいた方がよかったかもしれない 

そうすれば、海猿に関する佐藤氏の嫌な思いも少しはマシになったかもしれない 

 

 

・『海猿』ってそこまで“演技”に集中しないといけない場面が多数あるものじゃないよね。伊藤英明みたいに舞台俳優からでなく、モデルから転身した顔がいいだけ君だったよね。最近はおじさん気味だけど。 

俳優やスタッフの経験もない人たちの妄想コメントが多いけど、一流の人間はどんな時でも一流で、ファンを大切にします。ましてや原作者を足蹴りするなんてことなどしない。 

映画『海猿』(パート1)を劇場で観たら、男優たちの全裸シーン目当てのおっさん・じいさんが多かったのだけは覚えてる。 

 

 

・この記事を書いた人は海猿の原作者を佐藤先生だけにしてるが、原案やプロットを考えたのは小林 義則という人でファンの間では原作小林 義則、漫画を佐藤先生って風に認知されてる事すら知らなさそうだな 

イベントとかでも呼ばれて原作者として紹介されるのは小林 義則さんで、佐藤先生は殆ど呼ばれない事が面白くなくて喧嘩して海猿から距離を置いてた 

 

記事を書いた人は佐藤先生からしか話聞いてなさそう 

 

 

・撮影前って書いてありますが、本番前にセリフや演技を必死に忘れないように集中していたところへ配慮なく話しかけてきた〈プロデューサーに対して〉イライラして、キレ気味に「原作者?(今)話さなきゃだめ!?」と、プロデューサーに向かって強く言っているのを聞かれてしまい原作者にイラついているように誤解されてしまった…とかはないんでしょうか。 

 

 

・下手なプライドとか自分を良く見せようと云う考えで、相手には決して謝らないけど如何にもスマートな返しをしたつもりなんだろうけだ、カッコつけたつもりが余計にカッコ悪いね。 

こう云う時は素直にゴメンナサイしちゃった方が良いんだよ。当時はまだ若く未熟でしたとか、今思えば失礼な事をしましたとか言っとけば。 

まぁ若く未熟でって言っても、海猿やってる時はもう三十路超えてるんだから別に若造でもないし既に俳優としてキャリア積んでたんだけどね。 

この件に限らず、世の中の様々な報道を見てると思うよ。 

下手な自己弁護や水面下で口裏合わせしたりしないで、ダンマリ決め込んでSNSのアカウント削除したりしないで、さっさと「私が悪うございました」って謝っちゃった方が傷口は浅くて済むんだよ。「反省してまーすチッうるせーな」とかは論外だけどね。 

 

 

・原作ファンで映画は観た事はないので、映画への評価は出来ないが騒動は知っている。 

まあ、原作者が来たから撮影を止めて挨拶を、なんて事はないだろうし事実なら失礼だ。 

ただ、佐藤氏が今回皮肉を言いたくなる気持ちは想像できるけど、伊藤英明はリスペクトも示しているわけで、この話を続ける意味はないと思う。 

 

 

・最初に会った偽原作者が彼に対し、何かやらかしてる可能性もありますよね。 

 

映画やTV用の脚本書いた人を作者と思って会っていたとか。 

 

だから、本当の原作者が会いに行った際に、心の中で、「また会うの?あの人会いたくないんだけど。前会った時偉そうにされて態度めっちゃ悪かったし。それに、一度挨拶終わってるのに、今更この忙しいタイミングであいつと何話す事あるんだよ‥」 

 

って思った可能性もゼロじゃなくなってきましたね 

 

 

・結局、原作者が映像化の段階で発言力を持つには、ある程度世間に名を売って影響力を持っておく必要があるということですかね。 

 

ただそれは「世間と対峙する」ということで、しんどい上に向き不向きもあるでしょうから、すべての原作者さんが出来ることではないでしょうね。 

 

 

・真相はどうあれ、誰も得していない不毛な小競り合いですね。海猿より酷い実写映画化は沢山ありますから・・・個人的には約束のネバーランドですかね。ビブリア古書堂もかな。原作者はよく了承したなと思いました。ポリコレ的にはいいのかもしれなが、原作は明らか海外の人なのに全て日本人でやる事に無理があるなーって思いました。 

 

 

 

・どこにでもあると思うけど、業界内の 

序列があるんでしょうね 

 

きっと原作者は、生みの親ではなく 

ただの下請けと思われていると思う 

それが業界内にあるんじゃないかな? 

 

もし、伊藤さんの発言が本当なら、 

こういう所から直さないと良くは 

ならないよね 

 

 

・どっちかの記憶違いじゃないの? 

原作者は伊藤に言われたと書いてないんだから伊藤が直接コメントするのはおかしいし、ドア越しとかじゃないの?ニュアンスもわかんないし。文字で見るよりごく普通なことなのかもしれない。 

 

とにかく原作者が言ってるのが無条件に正しいみたいな扱いはやめてもらいたい。 

どうも漫画家ってちょっとおかしな人多そうだよ。この騒動のおかげで発言する人増えて、いくつか見ててそう思う。 

 

 

・日付が入ってるんだから、2005年にもらったんだろうよ。 

原作者が色紙を書いた日付を全部覚えてるなら、その証拠を示して突っ込めばいい。 

海猿は映画第1作2002年から始まった。ドラマ化は映画の高評価を受けてのことだ。2011年ともなれば、「海猿の伊藤英明」と世間から見られていることを嫌でも意識する頃で、自分の地位を上げた作品、その作者に対する態度を弁えるだけの年齢と作品年数を経ている。 

逆に2005年のこととすると、若い、コケられない、映画とやり口の違うフジドラマ、にイライラして「(今)挨拶しなきゃダメ?!」となっても納得できる(人として)。 

だいたい色紙を偽造して伊藤英明に何のメリットがある? 

原作者が「絶対2005年に会ってない」証拠があるなら、吊し上げるのは「2005年」の日付か色紙を偽造した「誰か」に対してだろう。 

 

 

・こういうのを見聞きするたびに、ちっとも論理になっていない単なる口喧嘩を「論破」などと称する、下司なものが流行りになった罪を感じるよね。「謝ったり詫びたり赦したりしたら負け。」みたいな。勝ち負けの問題じゃないものを無理矢理勝ち負けの話にして、恍惚としているから双方に傷が深くなる。 

 

 

・こうやって更にSNSで炎上を煽るような記事はどうなんでしょうか? 

仕事中一番集中をするような状況は誰でもピリピリすると思うし、それは原作者の方が締切前にピリピリするのと同じなのではないのかなぁ? 

原作者の方が過去にご自分の描いた作品の事で憤慨した事は理解できるけど、このようにSNSで俳優を攻撃し続ける事は違うと思います。 

一方の話しだけで判断するのも違うし、変な世の中になってしまいました。 

 

 

・原作の方と伊藤さんと、どちらにも肩を持たず冷静に眺めてる1人なんですが、不思議なんですがなぜあまり『原作の方の記憶違い』という意見が出てこないのでしょうか。 

20年近くも前のことなので、ご本人が忘れてる可能性も大いにあると思うのですが、、、 

 

 

・伊藤さんの方は、そのような対応をしたことすら覚えてないのかなと思います。原作者の方に対してもだけど、お互い集中してる時に中断されたり話しかけられると困ると思うのですが…。大人としての対応をしてなかったと言われたらそうだと思いますが、原作者の方も、クソ映画と吐き捨てるのは頑張って演じた俳優さん達まで貶めてる感じで嫌な感じがします。セクシー田中さんのドラマから、色んな声が色々とあがってきてるけど、視聴者にしたら映像しか見てなければそう言う話なんだとしかわかりません。実写化したりする場合、原作者の方とよく話し合ってお互い納得するものになるようにしてもらえれば、嫌な思いをする人は減ると思います。 

 

 

・そもそも、ある人物に10数年前に会ったか20年前に会ったかなど正確に覚えている人の方が少ないだろう。色紙が偽物だというなら問題だが、そちらには言及していない。指摘の仕方が相当に陰湿に感じる。 

そしていつもの事だが、誰かを悪者に祭り上げてビューを稼ぎたい思惑が見え見えな女性自身も相当に陰湿である。 

 

 

・どんな経緯でも、ケンカ腰になったり不快感を表すのは良くない。原作があってこその映画だし、歯が浮くことなど言わなくても「頑張ります」でいい。脚本は読んだけど、原作は読んでないってこともあるだろうし。 

また、一度会って不快に感じた一俳優について文字や言葉にしてしまうのも大人気ない。心の中で「あいつが出るなら、今後は映画化させない」って思っていればいい。 

作家にもファンがいて、俳優にもファンがいるのだから、名前を出して不満を言えば何かしら騒動になるのは予想できる。 

誰だって仕事してれば、ふざけるな!の連続だけど、グッと堪えて対応している。 

その点は職種など関係ないと思う。 

 

伊藤さん、つい先日、鷹匠になる番組を見たけど、頑張って。 

 

 

・重鎮的な原作小説家なら、役欲しさに身を差し出してまで近づく人間もたくさんいます。またその関係から、ゴリ押しキャスティングにまで決定権があるのも小説家ならではのこと。それに比べると、漫画家の立ち位置の低さは酷いものですね。漫画家にも地位向上を。 

 

 

 

 
 

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