( 138640 ) 2024/02/13 00:01:31 2 00 高齢者だけじゃない『ソフト老害』が話題に 放送作家・鈴木おさむさん「40代でも行動次第では老害に」関西テレビ 2/12(月) 17:54 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/b339dba2c42bc6c6cf8c5aa368c27d3bce36ce0a |
( 138643 ) 2024/02/13 00:01:31 0 00 指導的立場にある高齢者の「硬直した考え方で組織の活力が失われること」
「老害」。この言葉の意味を知っていますか?辞書では、指導的立場にある高齢者の「硬直した考え方で組織の活力が失われること」とされています。この「老害」という言葉について放送作家の鈴木おさむさんがXに投稿した内容が話題となっています。
■【動画で見る】高齢者だけじゃない『ソフト老害』が話題に 放送作家・鈴木おさむさん「40代でも行動次第では老害」
32年間続けた放送作家を辞める決意した鈴木おさむさん
【鈴木おさむさん】「上のプライドを傷つけず、下の意見をうまいことまとめたつもりでも、下の世代から見たら、その行動が老害に見えてたりするということに気づき、それをソフト老害と名付けました」
ことし52歳となる鈴木さんは、先月発売した著書「仕事の辞め方」で自分が「ソフト老害」と気づいたきっかけを記しています。
ある番組会議で鈴木さんが意見を出したところ、番組の構成が変わり若手ディレクターが準備していた映像がカットされたことがあったそうです。 後に、その苦い経験をディレクターから聞き、自分の一言によって若者たちが必死に考えてきたことを妨害する、「老害」になっていたと気づいたというのです。
これをキッカケの一つとして32年間続けた放送作家の仕事を来月辞めると決意しました。
【著書「仕事の辞め方」より】「大切なのは40代でも行動次第では老害なんだという考えを世の中に広めることなのではないかと思い、僕はこれを書いています」
街でも若い人が感じる、30代・40代の老害は
街でも若い人が感じる、30代・40代の老害について聞いてみると…。
【10代】「バイトで、そのメイクどうなんみたいな…。(ルールなどで)定められてないところで自分がどういうメイクするかは別に自由でいいんじゃないかなと思ったんですけど」「あれかな?一方的なありがた迷惑のイメージある」「善意だよね」
【20代】「年齢が近いからこそ親身になってる感出して、口出してくるケースは感じます。『お前の気持ちわかるよ』っていう的外れなのはしょっちゅうある気がしますね」
【30代】「めっちゃ言ってるかもしれん」「思っても言わないようにしてる。(アドバイスを)あんまり聞き入れないかなって」「また言ってきた、じゃないけど」
SNSマーケター・後藤迅斗さん
30代の若い上司からの”老害”などによって、仕事を辞めた人もいます。建築関係のメーカーに勤めていた後藤さんは…。
【SNSマーケター・後藤迅斗さん】「一番最初にあったのが『若いからガッツを見せてくれ』みたいなことを言われたことがあって。もっと長時間働けるというか、覇気を出してくれという感じかなと。自分の中でおかしいと思いながらも先輩のいうことだから逆らえないなと受け入れて。その葛藤で悩んだ時期はあります」
後藤さんは仕事を辞めてからは、自分らしく働くための方法などをSNSで発信しています。 「老害」となってしまわないよう、どんなことに注意すべきなのか聞いてみると…
【SNSマーケター・後藤迅斗さん】「指摘したい、注意したいことはあると思うんですけど、そういう時はなるべくポジティブなワードを含めるというか、『こうすればもっと良くなるんじゃないか…』とか前向きな言葉にすると、トゲがなくなっていいんじゃないか」
「老害」はもはや、高齢者だけでなく、30代・40代も意識すべき問題なのでしょうか。
(関西テレビ「newsランナー」2月12日放送)
関西テレビ
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( 138644 ) 2024/02/13 00:01:31 0 00 ・当方20代前半ですが、アルバイトで新しく入ってくる年下の人に注意や指摘をする事が多々あります。それも「老害」になるんでしょうかね。
私もいわゆる「最近の若者」になってしまいますが、同じ世代や同期が使う「老害」って言葉って、結局は自分に都合の悪い事を言われたりされたりした事を全て「老害」って一括りにしているだけだと思う。
同世代の人に言うのもなんだけど「他人に優しくしてもらいたいという甘え」「逃げる癖」があるうちら20代、とても多いと思う。同じ世代としてすごく情けない。
・昔に比べて叱ることが難しい時代になっているので、叱られ慣れていない人が多数派になれば、ちょっと叱られたり注意されると、すぐに老害やパワハラと騒ぐ人が増えるのは仕方がない。
いかに相手の立場を考えた物言いをしても、受け取る側の精神年齢が幼ければどうしようもない。 ただ、相手がどう受け取ろうが、言い方は良く考えた上で、言うべきことは今後も言おうと思う。
・最近、こうゆう若者目線の記事多いですね。 「老害」って失礼な言葉ではないですか? 年上を敬う文化はなくなってしまったのでしょうか? 時代が違う人の発言は「あなたはそうなのですね(私は違うけど)」程度で流せないのかしら? 何でもかんでもハラスメントや老害に該当させようとすることに違和感があります。 年を重ねると世代間ギャップは当たり前です。 生きづらい世の中ですね。
・私は企業人でないながらも、該当は会社員です。30代前半です。 一般企業では基本的に年功序列の給与形態で、役職手当も出る。上の指示に従って構成員が動くのは当然のこと。ただ若いからたくさん働けるよなとかは違うと思っている。まずは与えられたタスクをこなしていればOK、あとは健康管理。 高給取りな方は責任と経験を持っているのだから、安月給で働く若手をしっかり応援する、ミスがあれば一緒に対応策を考える、フォローをする。ハラスメントとかの問題は社会問題ではあるが、組織内の信頼関係がしっかり構築されていれば解消されていくはず。 そして何より新しい知恵やアイディアをやってみよう、というフォローアップをすることが最も大切。老害と呼ばれる人はそういった局面で抑圧しかできない人のことかと思います。そうならないように、これまでもこれからもやってきたつもりですが、そのうち老害と呼ばれる日が来るんでしょうね、、
・会社員の頃は毎日20代後半、30代後半の部下に注意してたけど、仕事上そのミスが重大なミスに繋がるから注意してるんであって、こちらもわざわざ注意したくはない。言われたくなければ、ミスしなければ良いだけだし、ミスするってことは一人前ではないって事。大抵、上に立つ人はわざわざ注意なんてしなくて、ミスが起きた時に責任を当人に負わせるだけで同じ部署であってもあくまで本人の責任にさせてる上司が大半なんで注意してくれるだけ有難いと思って欲しい。自分のミスに気付いて事前に防いでくれるんだから。
・プライベートならいざ知らず、仕事である以上は利益を上げる事が最優先なわけで、その場においては若かろうと年いってようと関係無いでしょ。 若者に過度に気を使う必要もなければ老害と呼ばれる事を気にする必要もない、年齢に関係無くどちらのプランが最大限の利益を産むかと言う一点で評価されるべきだと思いますけど。
・最近は少しでも気に入らないことがあると、「老害」だとか「ガチャ」だとか、なんでも単語で一括りにして社会を批判する傾向が強すぎる気がする。それぞれの問題はもっと複雑で根が深く、ケースバイケースで考えないといけませんが、安易に流行り言葉を濫用すると細部にまで考えが行き届かなくなると思います。
・> ある番組会議で鈴木さんが意見を出したところ、番組の構成が変わり若手ディレクターが準備していた映像がカットされたことがあったそうです。 後に、その苦い経験をディレクターから聞き、自分の一言によって若者たちが必死に考えてきたことを妨害する、「老害」になっていたと気づいたというのです。
一般には、それは老害化ではなく権威化でしょう。 権威化で番組にマイナスの影響が出るなら引退もやむなしでしょうが、プロデューサーなりディレクターなりがしっかりしていればクリアできることの気もします。
・弱者を救うのは喜ばしいことだが、救う事と甘やかすのは違う。 無知な者は、その違いもわからず立場やルールを使って相手を飲み込もうと、もしくは潰そうとする。 性別、年齢差、趣味嗜好も違う。 色んな人がいるから楽しいし、若い時は色んな先輩方に振り回されながらも世界観が広がった。 年下には今の流れを教えてもらったりして楽しい。 全てが違うからこそ、自分にない物で楽しみが増える。 その中で押し付け、他人を認めない、話を聞かない、狭い世界の事だけをぶつける人といるのは本当に辛い。
・ご自分が52才で、ややもすれば初老と言われてもおかしくない年齢に当たるのかもしれませんが、、いくら何でも30代40代の方々をつかまえて、自分たちの老加害にも気をつけろはさすがにないと思います。 若い人と考え方や多様性などの価値観の差が明らかにあるとしても、それを老害とくくるのではなく、せめてご自分を示すいわゆるY世代と、その後に生まれたゆとり世代・Z世代との世代間ギャップやリテラシーの違いを意識しましょう、くらいの言い方が相応しいと思う。 違い=間違いではなく、せっかくのコミュニケーションの機会なのだし。
・とりあえず、「ソフト老害」だなんて また新しい言葉を勝手に作らないで欲しいですね。
そういう言葉を作るからそこに括られてしまう。 というのも少なからずあると思います。
・言われた側が気に入らなければ、すべて老害扱いなんだろうな。人を小馬鹿にした便利な言葉だよ。現代は言われた側がどう感じるかですべてが決まってしまうおかしな世の中になってしまった。ただの注意でも言われた側がパワハラだと思ったらそうなってしまう。年下から老害だと思われたらそうなってしまうんだろうな。
・会社組織の中にいる以上、ある程度は上の意見を取り入れていかなくては駄目なんじゃ無いかな?って思います。それ自体は老害では無いと思います。 ただ、上の意見が全てではないでしょうが、実際、会社等の運営をされているのは上層部なんだと思います。しかし私自身も50代ですが、若い方の奇抜なアイデアや発想でも、会社の運営や、利益につながる様な考え方であれば、取り入れて行ってます。 若い方の全てを否定するばかりで無く、良い意見や考え方とうは、どんどん取り入れて行くべきだと、個人には考えています。
・ビジネスの場では最低限のマナーは身につけて欲しいし、顧客に迷惑をかけないこと、同じミスをしないこと、利益を上げること。 これらも注意できず、老害なんて言われてしまったら、仕事が成り立たず日本の社会は崩壊してしまう。 若手は注意や指摘をされるのは当たり前だし、できなくて当たり前。 新入社員の頃はミスが怖かったし、先輩も怖かった。 40代となった今も不甲斐なく思ったりできないことも沢山ある。お金を稼ぎ生活する為に、堪えなければいけない。 でも、良い同僚にも恵まれて働けることに感謝している。 老害という前に、できないから注意されるし、今後の会社を担う為に、教育してくれるのだから、素直に聞いて欲しいけど、それもどお伝えるか難しい世の中になってしまい残念。
・冷たい言い方かもしれないが、守られて育てられてきた世代が責任を持つ40代頃になる20年後ぐらいが楽しみですね。守られすぎて成長できなかったつけがその時に支払われると思う。その頃には私は引退しているので、なんとか今気づける方は早めに気づいて欲しい。世の中甘い言葉ほど危険なものはない。叱ってくれる方が叱ってくれてる間に気づいた方が効率的だと思う。
・とりあえず言われた本人にしたら相手のことをそう思ってしまうことの方が多いと思います(自分も含め)ただ、もう自分自身もその年齢になった時に昔その年になったらわかるよって言う言葉に感じては、とても納得いく事の方が多いと思いますよ。やっぱり人生の経験値は大きいと思います。
・ジェネレーションギャップなんて5年10年あればどんな世代にだって 発生するんだよ。受け取ってる情報や経緯、周辺環境が変わっていくんだもの 50,60代はその洗礼を受けた、あるいは受けている 30,40代は今から違うギャップに苦しむ 10,20代もこの後受けることになるだけ
・自分たちが若い頃には『老害』って言葉は無かったけど。上の年齢の先輩や上司を毛嫌いする人は若かりし当時周りにもいた。合う合わないもあると思うし、確かに老害なタイプの人もいたけど。飲み会の二次会になると自分の上司を仲間外れにして逃げて、携帯のメールで仲間内だけ集める手法のやり方をしてる人がいた。それはそれで嫌だった。巻き込まれるのは迷惑だったな。じゃあ、今自分はどうなのかと言われればわからんけど。こういう記事を見ると、若い人にどう接すればいいのかわからないし。傷つけたつもりもないのにハラスメント扱いされるのも困るので、なるべく必要以上に接しないことにしてる。仕事の事だけは普通に接する、困っていそうな時は声をかけるようにしてるけど。飲み会などもどうせ話は合わないし、来ても来なくてもいいと思う。
・若い人を指すのが20代だとすると、それこそ前半は社会人になって間もない頃ですよね。その社会人になって間もない人間のいう事が、全て正しいのかよくわかりません。言われたくないこと、受け入れたくないことを老害と捉えられると、社会は成り立たなくなると思います。20代であっても、30代であっても、それ以上であっても、学ぶことはあるし、更新していけば良いと思います。老害と一言で片付けるのはどうかと思いますがいかがでしょう。
・当方20代男です。 今の30〜40代の世代は上司や教師から理不尽な暴言や暴力を振るわれるのが当たり前だった時代を過ごしてきたからか物腰の柔らかい人が多い印象です。肌感覚的なものですが。 少しでも自分の意に沿わないことを言われると一括りに老害と言ってこき下ろす場面にたびたび遭遇します。 こんな感じだと、上の世代の人もなるべく若者と関わらないでおこうとなりますよね。 私は熱意を持って叱ってくれる上司に愛情を感じます。
・色々な「老害」の形態があるとは思うが、「老害」レッテルを貼って片付けようとする習慣がついてしまうと、思わぬ落とし穴と気づきの機会を失うことにもなりかねない。 確かに救いようがない性格的な歪みやジェラシーも中にはあると思うが、後から考えると成程ということもある。時間が経ってからわかることもあるので、短気を起こさないことも大切だ。
・これから生活の為に、定年後再就職される方も多いと思う 私がこれまで会った困った人たちは 「以前の会社では…」「私はこうやったほうが…」 新しい会社では一年生ということを理解しないとお互いが大変だ プライドもあるだろうがそこを上手く振る舞うのも頭の良さだと思う
・若い世代に対して「敢えて空気を読まない人達」が増えて頼もしいイメージを持っていたのですが、記事を読むと空気を読み過ぎて「見えない敵にも白旗あげる」人ばかりが取り上げられてる印象です。 他記事でのLINE「。」で圧を感じる人とかも同様。
キツイ事言えば、記事に出てきた【SNSマーケター・後藤迅斗さん】もセクハラでもなくパワハラでもなく、圧に耐えられずに仕事を辞めた人に自分らしく働くための方法などをSNSで発信できるのでしょうかという疑問。 いや、そこを肩書にしちゃう強さを見習わなくては。
・若い業者と行き違いがあって、その会社に電話したとき、若い社員の離職率が多いらしくすごく気を使っていて、結局尻拭いは4.50代の人達。自分もその世代なのでなんとも言えない気持ちになりました。 正直、誰にとっても優しい時代ではないですよね。 上の世代のメンタルのほうが気になります。
・数年違うだけでもギャップがあったりするので、それぞれにズレが生じるのは仕方がないことでしょうね。ただ気遣いを的外れだからといって腹の中で嘲笑しているようでは人間の程度が知れます。上の年代の人達も馬鹿ではないので、サイレントで見限られる原因にもなりますよ。今の若い世代には熱を持たずに機械的に対応するのが得策になりつつありますからね。
・自分は20代ですが、筋の通った指摘やアドバイスをありがたいと思うことはあっても、それを「老害」と思うことはないですね。 「老害」という言葉の範囲がどんどん広がってきていて、自分が気に食わない歳上=老害って短絡的に考える人が増えてきているのかもしれません。 自分からすると、他人のアドバイスを聞き入れることすらせず自身の狭い価値観に固辞する若者の方がはるかに老害に近いように感じます。
・『若いからガッツを見せてくれ』といのは、確かに言われても困るだろうなと思います。
老害の定義はわかりませんが、とにかく感情的な印象です。相手を説き伏せる、納得させるにはとにかく大声を出す、嫌味を言う、みたいな。
そうじゃなくて、穏やかな口調でも相手を納得させるような術を身に着けたいですね。今後の目標です。
・難しい問題ですよね。 会社の中枢となる50代、培った能力で会社を盛り上げる40代、活気盛んに仕事をする30代。 職場によるのでしょうが、大体の会社は年代別に稼ぎ方が違うと思います。 そして新しい風として入ってくる若い20代や10代。 彼らも自分の実力を信じて稼ぎにきた同志。 ですが、彼らを指導する3.40代の先輩社員と衝突や意見の食い違いは絶対に生じます。 若い子の可能性を信じていきたい一方、先輩には先輩のメンツやプライド、仕事のやり方、そして若者には負けたくないと言う意地があります。 お互いの腹の中を理解することが出来れば理想なんでしょうが、現実はそううまくはいきません。 若者は年上を老害と言い、年上は若者を若いくせにと罵り合うんです。 若いから、歳食ってるからとかではなく、腹の底までわかり合おうとしないからギスギスするんでしょう。 私も部下を指導する立場ですが、未だに正解がわかりません
・若い人は歳上の方々を敬い、素直に従ってみる。それで思うことがあれば質問や意見。歳を取ってきたなという方々はいわゆるその老害と言うものに注意して、若い人等ならではのパワーや発想力、チャレンジ精神を認めつつ潰さないように見守れば良いのでは。これからお世話をしてもらう、助けてもらったりする(助けてもらっている)身としてえばらない、慎ましく、間違いやできないことは素直に認める、助けてもらう…どっちが悪いとかではなく。それである程度は衝突や嫌な思いが防げる気が。理想ではありますが。
・仕事ではないけど、50代ともなると20代、30代の人とは時代とか考え方が違うのかもしれないと感じることがある。
その一方で、若い人には古臭く見えるようなことでも、実はそれなりに意味があってとても大事なのだけど、歳を取らないと分からないこともあるなと思う。
結局、自分の知識や経験、体験でしか物事を判断したり語ったりできないから、「老害」と「今どきの若い奴らは」との戦いになってしまうのだけど、それをただの罵り合いにしないで、互いに何か良いことを引き出せるようにしたい。
・40代で仕事で高校生や大学生の子達教えてますが、正直注意も何も出来ない。 反対に怖いです。 トイレ行っては10分以上帰ってこない、何も言わずに仕事場すぐ離れる、無断欠勤、遅刻する。 正直、最近こんな風に言われてるから注意も出来ないし、色々と言い方気をつけてあげないといけないし、仕事代わったり被ってあげないと駄目だし、仕事で給料貰ってるならと思います。 このようなニュースする必要ありますか? 本当仕事を教えたりするのが、怖いです。
・「あれやこれや言われたくない!」で過ごしてきた人が 管理職になったときに、どういう仕事ができるのか、気になります
……別に今はじまったわけでなく、何十年も前から そういう人は一定数いるわけなので、 あれやこれや言わなかった結果がどうなるのか ジョブトレーニングに活かされていてほしいですね
・こういうワードが一人歩きして、腫れ物に触るようになる、ご機嫌を伺う、共感するふりをする、甘やかす、をする人が必ず出てくる。 怒鳴って厳しくしろとか、自分の信念を貫き通せとか言いたいんじゃなくて、まずどうしたって通じないという認識をハッキリ持って、一定の距離を取って、ただしルールは守らせる。 ルールは見える化する。 守らない場合はちゃんとペナルティは加える。 ルール見える化は手間がかかるけど、こんなこと言わなきゃわかんないのかは通用しない。 ペナルティは厳しく与えないと本人だけじゃなく周りもグズグズになる。 (説教ペナルティはダメだよ。) そこは冷徹に。 君はルール違反したからOUTだと。 それで落ちていくヤツは追わない。 そのくらいのリスクは取らなきゃ。 緊張感て重要。
・ハラスメントと一緒で、受け取る側がどう感じるかで変わってくるので、最近は、教える側も言い方とかに神経質になったりしてコミュニケーションが取りづらくなっている気がします。 間違ったことをしても、変に気を使い言いにくくなったりと相手も間違っていることに気がつかないままで、人材も育たちにくくなる恐れもありますね。難しいです
・目的や責任を共有すべき場所において、できないやらない若輩者の言い訳から来る「老害」発言なら無視していいと思います。 力のある存在の意見に忖度している様に見せかけて、無気力なだけの逃避行動から来る「老害」発言にも耳を傾ける必要はないと思います。
目的や責任を託すための準備をして整えていく。 力や経験を引き受ける覚悟を見極めていく。 成長の邪魔をしない事が大事だと思います。
・少子高齢化社会の中、若者目線の価値観をあまり推していかない方が良いと思います。もちろん若者の意見は未来を担っていくために重要ではありますが、日本の文化はいつまでたっても精神年齢が幼く成熟を良しとしない傾向があるので。人は皆年をとります。経験を重ねた人の意見にも敬意を持ち耳を傾ける社会でありたいです。理想は子供から老人まであらゆる世代が堂々と生きられる社会ですが…。
・自分には人生の恩師や恩人がたくさんいる。 ある人にとっては老害なんだろう。 結局陰湿なハラスメントと教えを与えてくれているかは自分で判断するしかない。 その時々のケースで分かれるだろうから。 怒るという感覚はナンセンスだと思っている。 でも自分の学んだことを次の人へ伝えるのは大切なことだと思う。 学んだことが間違っていることもたくさんある。 でもだからといって躊躇していたらせっかく学んだ良いことも伝わらなくなる。 間違えているかもしれないからこそ緊張感を持って慎重に考える。 老害という言葉は悪いハラスメントだけを指す言葉であって欲しいと思う。
・こういうことを主張するなら、一回若い人が、若い人だけの感覚で世の中を回してみたらどうでしょう。 若い人の中にも、それなりに年齢を重ねた人の中にも、きちんと仕事を、事を、道理を全うしている鳩の方が多いのではないでしょうか。 自分がおばさんだからとかではなく、良いもの、正しいものを見極めることの大切さに気づいてほしいですね
・『最近の若者は』と一括りにしないで個人一人一人をみるように心がけながら医療現場で臨地実習生の指導をしています。 命を預かる現場なので厳しくする必要がある場面が必ずありますが、伝え方や言い方や場所等に配慮はしております。 世代によって特徴はたしかにありますが、その特徴は悪い所ばかりでなく良い所もあります。 どんな所が際立つかは個人によるのでしっかりと見極めてあげたい。 そして、若い世代も『老害』と一括りにせず、個人をみて学ぶべきは学んでほしいです。 お互いに理解し合える環境をお互いに作っていけたら良いなと思います。
ただ、私個人が困るのは黙り込んでしまう子をどのように指導するかなんですよね…。多忙な業務内で黙り込んだ実習生を何分待つ(待てる)か…。 なにか良い方法があれば教えてほしいです。
・自分は昭和生まれだけど、今どきの若い人は親に甘やかされたとか育った環境で叱られ慣れてないからじゃない?どんな職でもはじめから何でもできる人なんていないですよ。 所作法も社会性も分からないといくつになっても子供のままでいい大人になれませんから、どんな仕事でも下積みがあって忍耐力を身につけて成長するものです。憎まれっ子世に憚るとも言うし、叱って教えてくれる人がいないと絶対にダメ人間になります。 分からないことは先輩に素直に聞く。 そして、若者のあなたたちが大人になったときに、後輩に伝授していきます。それが大人の階段ってものですよ。どうしようもない例外の人もいるけどね。尊敬する人をきちんと選べば間違いなくかっこいい大人になります。若者よ。応援してます。
・新しい意見で使えるなら使う、使えないなら既存のを使うって普通だとは思いますし、既存の使いまわしってのは楽なんですよね。 新しい事をやって効果が出るとか、同じ効果だけど今後に生きていくとかだったらやる価値はあるけど、ビジネスとして効果無いのに新しい事やる必然性は無いので、そこはトップが舵をどう切るか次第かなと。
・なんでもルール化しないと、それ守らないといけないんですか?とかいう人が多い。たから組織は、ハラスメントにならないように規則に盛り込んだ方が安全です。飲食店なら(ネイル禁止)(髪はまとめる)、接客業なら(制服着用)(長髪禁止)など様々です。 例えば航空会社のCAやホテルの受付で変な身なりや、好き勝手にしている人はいません。その仕事に就きたいならちゃんとルールは守りましょう。自分の思い通りが良いなら個人事業主になればいい。わざわざ文句いってまで他人にあわせたり、組織にあわせなくていいと思います。日本には職業選択の自由があります。バイトでも起業でも好きにすればいいのです。
・昔は終身雇用が当たり前であっただろうし、会社が「家族」という意識もあったのだろう。それが雇用が流動化し、会社も忠誠を誓うようなところじゃなくなって上司と部下の関係も当然変わってきているのだろう。いまの30代後半くらいまでは昔風に上司や先輩の言うことに従うのは当然であったかもしれないが、そういう意識すらなくなってきているのだ。どうしてルールでもないのに従う必要があるのかというそれはそれで当然な反応が出てきている。旧時代的な意識で何とか維持できていたサービスは今後維持できなくなるだろう。郵便物とかまともに届かないような欧米のような「普通」の国になるかもしれないね。
・最近は不慣れな仕事などをしている新人に「頑張れ!」と言うのも問題になるらしいですよね。「頑張れ」は圧力になり精神を病んでしまうこともあると。 常々怒鳴ったりはもちろん問題なのは分かりますが、頑張れでも病むって精神弱すぎじゃないですかね?子供の頃からちゃんと親や教師に叱られて、時には正座をさせられてお説教くらいは受けて耐性を付けておかないと、大人になって困りますよね。今は正座も体罰らしいですが。まあ、叱られずに育ってきた世代も教師になってますから、今からこれをやったら、やりすぎてしまったり、加減が出来なさそうですけど。
・今で精一杯の若手と若干余裕が出てきた中堅以上とでは目線も違いますし、生きてきた時代も同じではありません。よって世代間格差なんて一生埋まることはないですね。むしろ自分が年を取るにつれてかつての諸先輩方の気持ちがわかることもあります。 若手の気持ちを汲みつつも、言うべきことは毅然と伝えるべきですね。
・勿論、全ての若者ではないですが、若者は年上の人間が何も言えない事を良い事に世の中が自分たちの意見に賛同したと勘違いしているのでしょうね?年配者は若者の意見に合わせようと必死ですが、おじさん、おばさんは、普通の事とだとやっている事を若者は古いと揶揄する。馬鹿にしているというか、ハラスメント行為だと思います。おじさん、おばさんは、別に流行りについて行きたい訳ではない。お互いがリスペクトしあって共感できる世の中になればと思います。
・年上だと立場が上であることが多いので老害という言葉なんでしょうけど、相手の意図や価値観に理解を示して前向きで建設的なコミュニケーションを目指すっていうのは普遍的な問題なんじゃないですかね。 逆に若い人も年上の人の話をウザいだけで片付けるべきではないですし、お互いの思いやりや想像力が重要なんだと思います。
・良かれと思ってあれこれ言うのは別に構わないけど、その言葉のほとんどは相手には届いてないと思った方が良い。人間てのは何を言うかじゃなく誰が言うかの方に重きを置いている。口うるさい上司がいくら正論を吐いても誰も聞かない。でもその上司が誰よりも真剣に仕事に取り組んで誰よりも自分に厳しかったら?言葉は同じでもより多くの人に届くかもしれない。重要なのは、相手をどれだけ共感させられるか。バックボーンが多様化する中で、響く言葉も多様化している可能性がある。
誰々の考えはもう古い、これからは何々だ、なんて太古の昔からあったことだろう。それを最近は老害と呼ぶだけで、それ自体は大した問題じゃない。それよりも、多様化する認識をどこまで認識できるか、これが重要だと思う。
・硬直した判断は、何も高齢にならなくてもする人は時々居ます。 したがって「老害」という言葉はあまり適切では無いと思いますね。 かなりの高齢になっても柔軟に思考出来る人もいますし、若くして凝り固まった考えで周囲に迷惑をかける人も居ます。 学び続ける人や謙虚な人が老害に成る事は少ないようですし、異様にプライドが高い人が自己の価値観の拘りすぎて、周囲に迷惑をかける事に成ることはしばしばです。 「老害」とは違う言葉で表現することが望ましいと思います。
・老害とパワハラは別かと。。 もちろん違う世代同士心地よく仕事ができる気配りはお互いに大事だと思う。 ただあまりに気にしすぎると本当にもう何にも喋れなくなる。 世代が違えば考え方や価値観が違うのは当たり前で、お互いの価値観を自分の価値観と違うからとネガティブに捉えるのではなく、それぞれの価値観を尊重しポジティブな方向に歩み寄る気持ちを互いに持つのが大切だと思う。
・私は40代中盤、職場でもベテランと若手の真ん中くらいです。 私が新米社会人だった頃のベテランはとても厳しく、よく怒られて泣いたものです。 そのときの中堅クラスの人からは「気にすんな」「頑張れよ」という励ましがありました。 今は厳しくすればすぐ「パワハラ」、励まそうとしても「先輩の励ましよりSNSの友達に聞いてほしい」なので、世代別の繋がりが希薄になりました。 私はそれでいいと思いますし、働きやすさを感じます。 仕事に慣れて怒られなくなったと言うより、怒る人がいなくなった気がします。 リモートでできる仕事が増え、少子化による人材不足をAIやロボットが補う時代が来るので、 「必要以上に関わらない」ことが、業務を円滑にするのではないでしょうか。 欠勤連絡もLINEで可能。退職も代行屋さんを使ってフェードアウト。やかましく説教する機会が減っただけで、老害とは関係ないと思います。
・お節介が当たり前になっているような人は苦手です。
相手が自分の意向を受け入れる前提で発言したり行動したりする人はいて、どうやら自分も人も人間は使われるべきとの思考以外を受け付けない人はいると思います。
私は、自分のことは自分で答えを出していく時代と考えているので、人にやってもらおう、有無を言わさずわかってもらおう、といった意識を持つ人や依存思考の人は、私に関わらないでほしいという思いはあります。
ただ、社会において、自分1人ではできないことや間に合わないことというのは、仕事以外においても日々発生しますので、
強制や強要以外であれば、話を聞く、共感する、一緒に考える、ことは大事にしたいです。
今は、受け止めるにしても、断るにしても、主体的な姿勢は大事なのではないでしょうか。
・異なる意見に触れるのは社会人として大切な事です。相手の意見を聞くことも大事だし、自分の考えを相手にわかるよう伝えることも同じくらい大切です。多様性の時代、人種の違いや性別の違いだけではなく、世代の違いも認めて、人間の幅を広げよう
・社会というのは、いろいろな人が携わって1つものを作っているからね。ああそういう考えもあるね、と思うことが大事ですよね。今の若者の、フォローされて当たり前、の考えはたまに苛立たしいけれど、鋭い指摘をしてくれる時もあります。彼らのエリアを残してあげることが大事かと思います。
・30歳手前の世代の育て方に悩んでいる40代成り立てです。 感じているのは、今の22〜26歳って多感な時期に震災があったりキャリア教育をきちんと受けてきている世代で、少し教えるだけでもすぐ吸収して調べてモノにして頭角を現してきていること。 それに比べると、そのすぐ上の世代の28〜32歳あたりが、論理的に考えるとか仕事を効率良く進めるとかそういった話をすると混乱するのか突然休んでしまったり出勤しても仕事が明らかに滞っている。仕事に目的ややりがいを見いだせないらしい。そろそろリーダーを任せたい年齢になっているが、難しそうで不安が先に立つ。多分後輩が先に出世するだろう。 もちろん個人によるもので全員がそうではないが一人二人の話ではなく、下の世代との違いが顕著すぎる。 なぜなのかなと思っていたけど、そうか。その世代に『ソフト老害』と思われていて、そもそも響いてないのかも。老害という言い方はナイけど。
・「ある番組会議で鈴木さんが意見を出したところ、若手ディレクターが準備していた映像がカットされたことがあったそうです。 後に、その経験をディレクターから聞き、自分の一言で若者が必死に考えてきたことを妨害する、「老害」と気づいた。」
事の本質は、それで上手くいったのかどうかで、それ抜きで良し悪しは語れません。
確かに、これまでの常識にとらわれない若い世代の斬新なアイデアは常に必要です。 それを引き出す現場の雰囲気作りやチームビルディングは重要で、若い世代間でも声の大きい人の意見が通りやすかったりします。
一方で、仕事では常に良いものだけが正義とは限らず、時にはクライアントや上司の好みなど、求められているものに答えることも重要で、それは経験の浅い若者には分かりようのないこともあります。
「若者 vs.年配」という、あえてバズりやすい対立軸を作り出そうとする意図が透けて見える気がします。
・耳の痛い話ですね。
自分が若い頃に尊敬していた先輩は「先ずやって見ろ」と一定の仕事を若手に任せ、自身はフォローに回って色々とアドバイスして貰った記憶があります。
バブル崩壊以降、日本の社会全体が人を育てる土壌を放棄してしまったように思えます。 今日の人材不足の原因は人口減少だけではなく、効率だけを重視して人材を育てる気風を失った現代社会の方向性に誤りがあるのだとも感じます。
・言葉を何でも拡大解釈しすぎると思います。例えば蛙化とかでしょうか。 意見が相反するからと言って一概に老害とは当然言えない。 逆に言えば、何か指摘を受けたとき、組織全体を見て、活力が阻害されているか。大きな木があって枝ばかり注視しては組織は回らない。そういう人は同志が集まって働けばいい。スタートアップ企業は今支援を受けられるんだし。全体像を見る人も必要で、そのバランスが大事だと思います。
・今の若者が年を取った時に同じことが起こります。 ジェネレーションギャップは古代から存在します。 あと意外と年は関係なく柔らかい人硬い人が存在します。 つまり単なるミスマッチなんです。 我慢できるか、出来ないかもその人次第です。
・色々書いてあるけど結局昭和の時代から根性論とか言って殴るは蹴るはやり過ぎが生じてパワハラと呼ばれるようになり悪質なイジメで事件になったりあったので仕方ないと思う。怒られてやる気出る人って少ないと思う。鬱や精神病って我慢し過ぎて自信無くしちゃう人達何だと思う。楽しく仕事をやる姿勢がまずは大事かと思う。注意も言い方何だと思う。ガツン!と言われるよりは普通に言えば良いと思う。不真面目なら怒られて当然だが真面目に頑張ってる人にガツン!というのは本人もイラッとしたり萎縮するだけなんじゃないかな?って思う。 何でもありな昭和や平成初期の考え方では今は難しい気がする。
・私も40台ですが、既にジェネレーションギャップは感じますよね。
自分の知る知識が「古き良き」物であるかどうか、 より有効な手段を若い側が持ってるんじゃないか、 というのは、基本的には「老害」側がきちんと確認するべきなんでしょう。
我々「大人」の言う事はなんてものは、 本当に良いものなら拾われて、そうでないなら道端に捨てられる、 そういうものであるという覚悟は常に必要なんだと思いますよ。
・老害という言葉を気軽には使って欲しくない。本当に大事な事を年上の人が教えてくれようとしているのに、それを理解できず、簡単に老害扱いする人も少なからず存在する。教えてくれている大事なことを、一方的に全部拒否する恐ろしい言葉。ベテランから学ぶ姿勢が無い人にとっては、便利な言葉。「老害」という言葉だけで、自分の行動を簡単に肯定できる。知らない人からすれば、納得もしやすい。確かに、完全に老害と思える人物も存在するが、経験をたくさんつんだ年配者をあまり軽く見過ぎるのも自分にとってはマイナスとなりうることは理解しておいた方がいい。
・今の若い人たちも何十年かすれば、若者から煙たがられる存在になり得るのです。考え方は人それぞれだし、世代間でも考え方が違うのは当然です。考え方は違えど固執することなく、そういう考え方もあるんだね。と柔軟な姿勢を取れば何ら問題はないのでは。
・「孔子曰く後世畏るべし」と書いていますが、その世代を経験してきた人に対し対抗心や嫌悪感はどの時代でもあると思います。ただ考えの転換期は急激なことではなく、ここで書かれている言い回しの「老害」ではなく、「老婆心」と考えた方が自然な移行で良いのではと考えます。デジタルによりあまりにも情報や編纂が速くなり、その一つ一つの言葉や文字が認識される前に定着してしまう時代になったと思います。すべての年代で共有できる言葉が存続できなければ世代間での誤解が生じ、しいては将来の子孫への伝えたい心情や文化も含めて日本語の使い方も無くなってしまうのではないでしょうか?2000年代になってから日本人は白か黒かを追求してグレーは許さないとなぜなってしまったのかと感じます。
・「老害」とは何かの定義が必要かと思います。 少なくとも、若手個人に対する発言や示唆、アドバイス、叱咤が、された側個人に受け入れ難いものであったとしても、組織や全体の目的、理に適うものであれば「老害」には当たらないでしょう。それを「老害」扱いするならば、その人の成長もそれまでです。 ただ、簡単に自分が受け入れられないものに「老害」などのレッテルを貼りながら嘲笑するような風潮は、真面目にやっている人や信念をもっている人、政治に向き合っている市民に対して、しばしば向けられているニヒリズムとかなり似ているものがあると感じています。 なので「世代」や「世代間」の問題ではなく、この社会がもっている、もたせてきた気質が、新たな形で顕在化しただけに過ぎないのではないでしょうか。
・個の時代なので、世代の違いというより個の違いと捉えています。 誰しも”自分は違う、一括りにしないで”という思いを抱いたことがあるのではないでしょうか。 若者はとか学生はとかXX大生はとか、何かしら一括りに語られたときに感じた違和感。 今年の新卒はとか、20代はとか、なるべくまとめずに一人一人の違いに目を向けたいと考えているところです。 ここ数年の新卒は男性に比べ女性が優秀だなとか、実際のところ多少グループとしての傾向を感じるところはありますが、結局はその行先は人それぞれなので、結局個を見て伸ばしてゆくことが現実的な対処と思います。
・自己都合退職後、ここ数ヶ月人と話をしていなくて、久しぶりに会話できるのが嬉しいのかヒートアップしてしまう。 転職活動も終わり、仕事開始まで自宅待機のみとは言え、頭が硬くなっている実感が少しあります。やっぱり何かしらで人と接するのは大事だなって思いはじめている。
・何故か書き込めないので、縮約板を。
自分は50代なんだが、先日とある移住に関するセミナーで自分の進路選択の源泉を語ったところ、若者に「かっこいい!」と言われ、内心「意外〜」と思って聞いていました。 外野(SNS)でヤイヤイ言うくらいやったら、当事者になってやろうやないかい!というのが、応募の強い動機で。
自分は妻子もいないし同年代の誰もが、自分のように行動できると思わないけど、身軽さが若さゆえとするなら、発想が若いと同意を得られやすいのかもしれない。 確かにあんまり否定はせんかなぁー、明白な誤謬は別として。
・もう、注意も改善のアドバイスもほめるも何もしない方が身を守れる。 自分がしていたい思いをした失敗や会社の損失に繋がる事を自分の経験をふまえ説明しても、ありがた迷惑と思われる可能性もあるんでしょうね。
私自身は先輩の助言で助かったり、お客様に喜ばれたことの方が多いです。 もちろんうざいと思うこともありますが、そのウザさも頭のほんの片隅に置いておいたら、数年した時役に立ったりする場合もありました。
でも若い方は注意やアドバイスはいらない。ポジティブな言葉が欲しい。ならそれだけの事をしてください。態度をとってください。
ある意味あなたの態度次第で相手の対応も変わると思います。
でもこれからはいいことも悪いことも「へぇー」で済ませようと思います。所詮会社だし、もし辞めても顔知ってるくらいのおじさんおばさん、なんか年下の子。で終わるしね。
・そんな言葉つかうのやめませんか?
世代を分裂させるような表現は,いつか自分がその年齢になったときに跳ね返ってくるだけです。
実際,ご高齢の方でも若者に負けないくらい思考が柔軟な方々を多く知っています。
いろいろ聞いていると,自分たちのやり方に合わないから老害と呼んでいるケースも多々ある気がします。
わたしもそろそろ老害といわれるのかもしれないけど,「こうこうだと思うんですけど,どうでしょうか?」というような対話につなげられるよう頑張ります。
・そんな言葉つかうのやめませんか?
世代を分裂させるような表現は,いつか自分がその年齢になったときに跳ね返ってくるだけです。
実際,ご高齢の方でも若者に負けないくらい思考が柔軟な方々を多く知っています。
いろいろ聞いていると,自分たちのやり方に合わないから老害と呼んでいるケースも多々ある気がします。
わたしもそろそろ老害といわれるのかもしれないけど,「こうこうだと思うんですけど,どうでしょうか?」というような対話につなげられるよう頑張ります。
・やはり年代のジェネレーションギャップやその個人個人の考え方でしょうね。20代でも年寄りくさい若者もいるし、50.60代でも若い人に沿った考え方の人もいるし…【老害】って頑なに自分の生きざまを押し付けたり、命令口調だったりと自分を中心に考え押し付ける人だと思います。でもそれは仕方ないことで昭和の戦時中や終戦後間も無く生まれた方、(80代)と平成に生まれた方とでは何もかも環境も考えも違いすぎます。また、高度成長期に生まれた方、(60代、70代)の方と令和に生まれた方も同じだと思います。40代、50代になると、新人類と呼ばれた世代でもあるため、わりとフラットに考えられる方が多いと思いますが、やはりこの年代も昭和生まれ。新人類とは呼ばれてもまだまだ昭和の考えの強い方もたくさんいますよね。どちらが良い悪いではなく、どちらの考えも尊重しつつ対応できる人こそ年代問わず優秀ではないでしょうか?
・私は50代半ばの会社員ですが、諸先輩方から引き継いできた顧客や自分たちが開拓してきた顧客が会社としての財産となっている。若者が老害と指摘している人達が築いた土台に自分たちが立っている事は忘れてはならないと思います。理解し合うことは、できないかもしれないが、努力は必要と思います。
・仕事の場なら、老害と言われようと言わなきゃいけない事はあるからそれは別として。
プライベートな場でいう所の老害の根本的な思想は「自分は正しいと思っている」 これに尽きると思う。
年を取るほど、積み重ねた経験値が多くなる事でその心理はより一層強くなっていく。 その結果「間違っている奴に正しい事を教えてやる」という考えや行動になりやすく、それが老害と呼ばれる事になる。
人間、「正しさ」を振りかざした先には必ず他者を攻撃する形になる。 とある漫画の好きなセリフで「お前は正しい事を言っているが、それを振りかざす所が間違っている」というのがあったけど、この問題は正にそうだと思う。
個人的には、人間同士のコミュニケーションで一番大事なのは「正しさ」よりも「優しさ」だと思う。
・「老害」という言葉が近年出てきただけで昔から変わっていない。 いま老害してるおじさんも若い時は上司から老害を受けてたわけで。 「最近の若者は…」というセリフは枕草子にも出てくるし、最古だとソクラテスの時代にも書かれている。 「最近の老害」も「最近の若者」もつまるところ同じで、お互いのコミュニケーション形式の違いを認識して配慮していない。本来は世代、時代で区切るのはよろしくなく、個人のコミュニケーション能力の範疇だと思うけど、対面中心コミュニケーション世代と、SNS中心の非対面コミュニケーション世代のギャップはかなり大きい。互いに違うルールで動けば当然事故る。
・こういう話題になったとき 自分はどうだろうかと 振り返ることができる人は きっと老害になることは少ないと思う。 そして、そういう人達こそ 自分は老害にならないようにと 自身で抱え込み過ぎてしまう。 そうやって良い人材から先にどんどん リタイアしていく。 本当は、気付いた時点で 辞める必要はないのだと思うけど そこを配慮しながらというのは とてもストレスのかかることで 一人一人の個性に合わせて、となると 負担はかなり大きい、とも思う。 なんて理不尽な世の中だろうと つくづく思う。
・自分は10代20代から60代70代の話しは大切に聞いていたつもりだけどね。その頃も若いから年上の人の考えは古いなとは思いつつも、なんか良いなーとか思ったもんだけどね。上下関係の厳しさも好きだったし、上下の信頼関係が保てた時やっぱり頼れる年長者と感謝できた。感謝してくれる後輩がいた時、それは間違いじゃないのじゃないのかね?
・親が認知症で施設に入ってます。 認知症に至る経緯を近くで見てましたが、今は短期記憶ができなくて、こちらがうんうんと言うばかりです。例え家族構成や最近の話しに間違いがあっても指摘はしません。混乱させるし、会話が円滑にいかないので。 その前は私の話しが理解してても言いたいことだけを言って会話のキャッチボールになりませんでした。 そのずっと前は言いたいことを吐き出したいから話しに賛同しないと怒ってました。 そのずっとずっと前は反省しないといけない部分があると憂鬱になってました。 会話の基本として、自分の意見と相手の意見を交互に話し理解して落し所や新しい考えになるきっかけや違いを楽しく話すものだと思います。 それらができなくなることはもう性格を通りこして凝り固まった考えも含めての老いなのだと思います。 それが害をなすかどうかはまた別として。 歳を重ねても若々しく方は会話を楽しんでると思います。
・30代でも40代でも50代でも仕事の上司として人生の先輩として後輩社員には気付いた事があったら積極的に指導、アドバイスをして上げましょう。それを受け入れるか否かは別として、年上の人間には上司として先輩として人としての責務があると思います。当たらず触らず見て見ぬふりの時代が続けば近い将来とんでもない世の中になってしまいます。
・私も47歳の年になる。 気持ちはまだ若く、若者に寄り添い楽しく仕事したいのですが、つい自分が若い頃は!昔は!と言ってしまう。苦労話しを自慢の様に話して、日々後悔して居ます。幸い慕ってくれる子なのか?頭が良いのか?上手く行っているとは思うのですが? 正直思うのは、自分の意見を言わず、年配者や長く居る者にまかれる!そんな子が多い。 会社に損害を与える位の失敗なら私は怒らないのですが、お客さんに迷惑かける様なら、強めに言います。正直人材不足なので、気を使います。
・自分の40代を振り返ると、仕事のノウハウを身に着け進め方や手順に自信があり、まだ体力もあり一番能動的に仕事ができいた時期だから、20代とか若い人には、嫌な思いもさせてかもしれないね。
自信があるということは、自分の型にはめて人を動かそうとするからね
まあ、最近の40代は、その身に着けたノウハウが、3年前に買ったスマホがもう新しいアプリに対応できないので買い換えと、同じ勢いで使い物にならなくなるから、より柔軟な考えで若い人の意見も聞かないと駄目だから大変だね。
・注意されないと分からないことも多い。特に若いうちや、親から教わっていないことは、社会に出て注意されないといつまでも分からないし、ずっと周りに迷惑をかけることになる。注意されたくなかったら自分で自分を律してほしいが、注意されたくない人間が自律的になれるとは思えない。優しいと甘いは違うと言いたい。
・40代、団塊の世代との戦いを征してのし上がった実力者も多くの企業にはいるかもしれない。 デカい顔して威張ってるのが、この世代の中にはいるかもしれないね。 いずれにせよ、先輩でも後輩でも、人を大切にする気持ちを忘れてはいけない謙虚さが人生には必要だと思う。
・年齢関係無いかな、、、。いくつになってもどんな立場でも、歳下からも歳上からも学ぶことは沢山あると思う40代です。
教える側、教わる側、指示する側、指示される側、視点が違うのにどちらかがどちらかを決めつけて害扱いするのは、何の成長にもならない。
その場に相応しく無い受け答えや、結果が伴わなかったとしても、相手に敬意を払って対応をすることなのかなと感じています。
こう言う極端な記事が世間一般の声みたいになる方がなんか違和感。学ぼう、成長しよう、変えていこう、受け入れてみよう、取り入れてみようって思ってる人は多いし、そう言う人たちと仕事してたい。
・鈴木さんの言うようなことなら、年下の部下が硬直した考えを改めないで仕事をされる上司も「老害」の被害にあっているということになりますね。 「老害」という言葉は誤解の素になるので使わない方がいいと思います。 この例は「鈴木おさむ」というネームバリューが忖度されて新しい案がつぶされたということで、時代に合わない古い考えによる「老害」ということでもないでしょう。
最適な意思決定に向けて、権威におもねることなく、前例踏襲に頼らず、多様な意見を遡上に載せて、簡略化せずに結論を出す気運や気概で臨めているかということでしょう。
むしろスマホで苦も無く自分に都合のいい情報が得られるせいか、若年層の中に相当な割合の硬直化した考えがまん延しているように思います。
・老害って勿論ある。固定概念に固執しだしたり。経験に囚われたり。脳の老化もあるし。でもその逆もある。若いがゆえにまわりがみえなく、暴走してしまう。歳をとるからじゃない。老害って言葉はもはやそれこそ偏見でそうでない人もいる。老害という言葉で高齢者のチャンスすら奪い、若い人に偏見を植え付けるのでは。いつの時代も年代の隔たりはある。教育も時代背景も違うのだから当然。歳をとることへの抗いや、そうなりたくないという抵抗感からむしろ、本人が作り出しもいけない。年齢に関係なく、今の年寄りは、今の若い人は、とすることがおかしい。違いや老化、若い人の未熟さを受け入れる教育に転換していけばいい。
・意見のくい違いや指摘、指導の仕方が気に入らない、話が面白くないなど、違う年齢層との接し方は、どれが正解なのか難しい時代になってきました。肝心なところは真面目に、時に厳しく接する場面が必要な時もあるでしょう。気に入らない人なら、老害やはずれガチャと、なんでも決めたがるのもどうなのか。まずは悪く捉える前に、少し心にゆとりを持って、自分がそうならないように気をつけようと、勉強になったと思えればいいのに。
・若者たちが必死に考えてきたことを妨害する、「老害」になっていたと気づいたというのです。
この若者たちが必至で考えてきたことの内容はどうだったのでしょうか。若者が必死に考えたからと言って良いものでなければ採用に値しないと思いますが。上に行くほど責任が重いのだから、権限が大きくなるのは当然です。責任があるから権限も大きい。この権限のことを老害と言うのは認識が間違っています。責任とは結果が得られること。一生懸命やればいいのは若者だけ。この人は立場の違いと、世代の違いをごちゃ混ぜで考えていませんか。
・人に迷惑かけるのは老害だけど、若者への指導教養範囲は老害ではなく、忠告(自分がした失敗をさせない等)や経験の伝承の意味もあると思う。部下や後輩にムダなことをしない様、経験させない様に言うのを何でもかんでも老害で括らない方がいいのでは。 執拗なイジメみたいな指導等は老害だけど、受け手もある程度は聞く耳持つべきではないかな。一言で変更するのは自信がないからで、自分の考えを上に言っていくのも成長過程には必要だと思います。
・そもそも老害という言葉はいいのか?
この方はおそらく辞めても、貯蓄があるか、パートナーが稼いでくれてるか、親が資産があるかとかだと思う。
僕は30代前半だが、家族を守るためまだまだ仕事をして稼がないといけない。おそらく60歳過ぎても働かないといけない。会社に尽くして歳を重ねても必要な人材として認めてもらい続けるように精一杯がんばる。
歳を重ねて、ポジションや仕事内容、後輩への接し方は臨機応にしていく。
この人みたいに途中でリタイヤして、その理由を老害とするような卑怯な人は大嫌い。
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