( 138674 ) 2024/02/13 12:25:51 0 00 ・産まれたての子豚の写真はアカン。 誕生の瞬間から人間の為に生命を失う運命が決まっている、ということを強く意識させられる。 でも、たぶん明日には豚肉を美味しく食べられる。本当にエゴだと思うけど、誕生した豚の赤ちゃんの写真を見せられると心にくるものがある。
・私は腎バンクに登録してますが ヒトからヒトへの移植には何の抵抗もありません。生かせる命があるなら 使えるものは全て使って欲しいと思っています。ただ 私の中のあなた という作品にあるような その目的のために生を授けるというのは違うと思ってしまう。豚であろうとそれは同様で その方向へ進歩するのではなく ヒトの身体のほんの僅かな部分を使って再生医療を進歩させることを目指すべきだと思います。
・医療の発達はとても良いことだとは思いますが、ある程度のところで区切りをたけることも大切だと私は思います。 明日ママがいない、と言うドラマを是非見て欲しい。
日々新しいウイルスや人間の免疫など変化して新しい病気が発生しているこの時代。 それらを止めようとすることも大切だと私は思う。 日頃から良い食生活、適度な運動、などで生活習慣を整えて健康である努力、手洗いうがいなどで感染を防ぐための最低限の努力、がん検診を毎年受けるなど、できることはやるべきです。 それで防ぐことのできない病はもちろんあると思いますが、病にかからないようにする努力も大切。
・この地球に 人間という生き物がいなかったら、どんな地球になっているんだろう!
汚染もなく 美しい空気、自然が沢山の地球でしょうか?
殺される為に生まれる命を作る、 殺される為に改良された命。 命って誕生って生きる為に生まれるのが地球の方法のような気がするので このようなやり方はその場しのぎで いずれは何かしら とんでもない取り返しが効かない事になりそうな気がする。
・自然界では確かに自然交配した雑種は存在する。また、人工的に掛け合わされた魚もいる。その生け簀から逃げ出した魚もいる。自然界では先ず巡り会う事のない野生動物の人工交配された雑種も存在する。ペットの犬のほとんどが人工的な掛け合わせですね。 果物、野菜も穀物も品種改良されたものが多い。しかし、人間の臓器移植の為に豚の遺伝子を操作することが、正しい選択かと言えば複雑ですね。 今までにも、猿やマウスを臨床検査をするために使ってきた。核や化学兵器の実験の為に羊や牛を使ってきた。 将来的に何らかの影響が遺伝子レベルで100%現れないとはいいきれない。隔世遺伝、突然変異のリスクへの安全性はまだ確率されてない以上、功名心からの人間への移植をしそうで怖いね。
・自分は医療とサイエンスの両方に従事したことがある人間です。そのぼくでさえ、この写真を見るとかわいそうに思う。動物実験では俗に3Rと言って、数を減らす、他の方法を考える、苦痛を和らげるという絶対的な鉄則があるのですが、動物を使わない、より洗練された方法が新たに開発されることを切に願います。
・人間への臓器移植用に遺伝子を作り替えられ、この世に誕生させられる生命。 正直言って、これは手を出してはいけない領域に感じました。
私は生きていく為に、植物も動物も食しています。食べられる為に産み出される生命と何が違うんだ、と言われてしまうのだろうな。
でもやはり、これは違うと思ってしまう自分がいます。臓器移植を受けないと死なら、それを静かに受け入れたいと思います。
・自然界に誕生する生命を、人間のエゴで遺伝子操作して いわゆる自然界の『正常』を人間の手で『異常』にして作り上げるわけで、 そんな 正常からかけ離れて造られた生命体を移植に使用して 何年、何十年と正常に機能し続けるものなのだろうか... それこそ、これからの臨床が必要になるのだろうけど、遺伝子を弄り倒して人間の好きなように改変するなんて、人間は神様のような事が出来るようになってしまったんですね。
・先日15年生活を共にした愛犬を亡くしました。白内障で両目はほぼ見えず亡くなる1週間前から歩けなくなりました。抱えてご飯を食べるのがやっとでしたが、最期は眠るように死んでいきました。あまりにもあっけなく、桜が散るような死に方に涙しましたが、かくあるべしと思いました。 移植をしないと生きていけない方々がいるのも知っています。特にお子さんなどは本当に気の毒です。でも、人間に移植をするためだけの動物まで産ませるのはどうなんでしょう?
・これを批判するなら畜産だって食べられる為に生まれてくるのにって議論になるのかな。 しかし、これは率直に、命を道具にしているようで受け入れ難い。 しかも遺伝子操作したのなら、より安全にするために、改良の先はより人間に近くなる可能性も高い。 こんなことまでして延命したいのかな。 命って、自由にならず、儚いから尊いものだと思うのだが。
・動物の生命の尊厳も守らなければならないという前提ですが、しかし事実認識は偏ってはいけないと思います。
それは、「生命の食用以外での利用」というのは「臓器用豚」に始まる話では無いということ。
あらゆる医療技術、薬剤、化粧品、食品、その他諸々の技術や製品、そして医療系、生物系、その他諸々の研究などは、動物実験の恩恵によって成り立っています。我々――自分の日常生活ひとつひとつが、おびただしい数の動物実験が土台となっているわけです。
例えば、蛇口をひねって綺麗な水が使える。これだけでも無数の研究が基礎になっており、その無数の研究ひとつひとつに莫大な数の動物の生命が使われている。薬を飲む、化粧品を使う、食材を買って使う。それらも同様です。
それらを良しとするかどうかという議論は別として、個別的に行うべきだと思いますが、前提となる事実認識は正確にしておくことが大切だと思います。
・いずれは生物から切り出すのではなく、臓器単体を直接作ることを目指し、そこに到達すると信じている。倫理的、情緒的な問題回避もあるが、その方が効率が良いから。この分野の技術がさらに進歩し価格がこなれることで、全世界で行われている貧しい人々の子供や攫われた子供を素材として用いる犯罪が成立しないようになることを希望する。
・人の命には 限りがあるからこそ 一生懸命 生きれる。難病で長生き出来ないとわかっていても 生きれることに日々感謝している人も沢山いる。人間長生きしても120歳くらいで どう生きたかが大切なことなので、これは あんまり 賛成出来ないな。家族としては1日でも長生きして欲しい気持ちはあるだろうけれど 動物にも生きる権利はある。人間が 食べていく為にするのとは、また違うと思う。
・すごくすごく難しい問題、課題だと思います。 倫理観もですが、成功例がどのくらいあるのかとか。 以前、海外で豚の心臓か何かを移植して、しばらくして亡くなった記事を読んだ記憶があります。
しかし、難病や心臓の病で命があと僅かかもと思った方の希望なのかもしれません。
昔だったら豚の臓器を人間に移植とか考えられなかったと思いますが、すごい時代になりましたね。
・過去に放送された世にも奇妙な物語のストーリー、ある日気づいたら体に番号が書かれていて、自分が臓器目的のクローンだった話しを思い出した。
科学はどこまで進化するのだろうか、悪事に使われず難病患者の朗報となる事を期待します。
・闇の子どもたちという映画を思い出しました。人身売買が横行するタイが舞台の昔の映画だったけれど、今もきっと人身売買で消される子どもたち、大人たちいそうですよね。そしてエスカレートしたらクローンでいつか移植用の人間をつくりそうで怖いです。子豚ちゃんたち、生まれたてで人間の赤ちゃんみたいだし。。いつかまた、自然や動物からのしっぺ返しが人間にふりかかりますね。。
・医学の進歩をありのまま喜んでいいのかたまに考えさせられます。特に遺伝子の組み替えなどに関しては。
それで救われる命もありますし、それを期待しながら今か今かと生きている方ももちろんいる。一概には言えないです。
医学の進歩が一人歩きしないよう、安全面や倫理的な部分で慎重に検討していくことが求められると思います。
・何だか悍ましい。まるで映画で演じられた人間のクローンを見る様だ。大金持ちの細胞からクローンが再生され普通の人間として隔離された施設で育てられ、提供者が病気などで代わりの臓器を必要となった時に育てたクローンの臓器を取り出し取り出されたクローンは廃棄されるという内容だったと思うが、こんなのを思い出してしまいこのまま行けば実際に同じことが起こり得るのではと寒気がしてきた。
・昔「アイランド」という映画を見て、こんな世の中が来たら恐ろしいなと思ったけど、豚は良いのか? クジラとか馬は世界から批判があるけど、豚は良いのか? でももし自分や身内が豚からの移植で助けられたら、喜ぶんだろうな。 現に今は肉好きでよく食べるし、複雑だけどやっぱり「命をいただきます」って大切なんだよね。
・難しいですね。 人間を生かす為の動物を誕生させ、人の命が救われると同時に動物の命を奪う。
こんなことが許させるのかと思う反面で、もし我が子の命の為となった時、この選択をしないと断言出来る自信もない。
動物を犠牲にしない別の方法の研究が進むことを願います。
・違和感はあるが移植しか生きるすべがない患者にとっては希望でしょう。 しかし、このまま医療技術が発達して人間が死ななくなったら大変なことになる。地球に住める人間は有限なのだから新たな子供が生まれる余地がなくなることを意味する。不老不死は医学の究極の目標だろうが、同時に絶対に到達してはいけない技術でもある。
・「人間のために」とか確かに遺伝子操作をすることは倫理的にもとか思うけど、助かる命が有るのならとも思う。そもそもが畜産業も食べるために産ませ育てて出荷と食卓へ並んでいる。その豚でも牛でも血統を掛け合わせて脂肪を減らしたり、サシを多くしたりとやっていることは変わらないんだけどね。私達は生き物の命を貰って生きている。「いただきます」「ごちそうさま」の精神さえあれば間違いないと思うけど。私が言えるのは仮に移植したら豚に「ありがとう」だよ。
・食物連鎖の中で他の生き物を食す、というのなら残念ながら分かりますが、生き物の内蔵を人を生かす為だけの道具にするのはちょっとどうなのかなと 例えば遠い未来に「この柴犬の臓器は人に移植される臓器を持っているので、ペットとして飼うのに最適ですよ!」という時代が来たなら、自分は耐えられないかもしれません その子の命を犠牲にしてまで生きたいとは思いませんし 昔々手塚先生がジャングル大帝レオの漫画の最終回で、ヒゲオヤジの命を救うためにレオが自ら犠牲になる話を描きましたが、子供の頃にそれを読んだとき涙が止まらなかったことを思い出します 臓器移植という医療技術を全く否定しませんが、それはあくまで人同士で行われるのが同義かと そうではない生き物の臓器まで使って生きたいと願う人がもし増えるなら、個人的にはそういう世界になる前に天寿を全うしたいです 動物の肉を食べるのとはちょっと違う感覚になってしまいます
・これは豚の話だけど、臓器提供のために人工的に誕生させられたクローン人間の小説、ノーベル文学賞を受賞したカズオイシグロの「私を離さないで」を思い出す。 いくら何でもそれは非現実的だろうと思っていたが、これを読むと絶対にないとも言い切れないかもしれないと思った。 じゃあ豚ならいいのかと言うと、それも複雑で答えが出ない。 記事を読む限り現時点では異種移植のためなら問題なしと世界的に認められているようだが、人間の病気を治すためだけに何十カ所も遺伝子操作されまくった豚を人工的に誕生させて用が済んだら死んでもらうというのも、生命倫理的な観点で本当に問題がないのか…考えさせらる話だ。
・美味しく育てられた豚も臓器移植の豚も、
豚にとっては人間の為に生まれてきたという同じ人生で、かわいそうと思います。
食べる目的以外だと倫理観の問題も感じますが 、 でも安全性が確立された未来、
自分が、最愛の人が、臓器移植で助かるとなった場合、
豚に感謝すると思います。
・かなりインパクトの強い記事ですし、倫理的な問題もあるでしょうが、そもそもブタは人間が食べるために育てられている家畜で、歴史もかなり古い。 その肉は食べても平気なのに、その臓器を人間が自身の体で利用する為に遺伝子改変するのはダメだと思う。 また、ダメだと思っている人のほとんどは臓器移植が必要ない人で、移植を必要としている人にとっては福音でしょう。 つくづく人間とは業が深い生き物だと思いますが、この技術のおかげで、人間同士の臓器移植問題が解決するのなら、大きな意味があると思う。
・臓器移植を待つ患者には嬉しいニュースなんだと思います。でも、昔は出来なかったことが技術の進歩でできるようになりました。助かりたい人が助かりたい、自分もそうなったら医療を受けたいと思うかもしれない。でも、臓器のスペアを人工的に作って生きられるということに、これは今までの許容閾値の上だという思いをどうしても持ってしまいます。そこまでして生きたいか?という人のエゴをどうしても感じぜざるを得ない。人工では無い臓器の移植では無い(臓器売買ではない)から倫理的には相対的に良いのでしょうが、でも良いとは言いたくない
・豚の心臓移植した人は2ヶ月後に死んだってニュースあったけど、拒絶反応はやっぱりあるし、IPS細胞とかで自分の細胞使って臓器作れるところまで医療技術進まないとやっぱり厳しいのかな
遺族の了承得て、脳死患者使い豚の腎臓移植して一ヶ月問題無かったってニュースも見た もし脳死で臓器移植に生前了承した人だったとしても、誰かに移植されて生かすではなく、医療技術の発展の為、そういった実験に使われることは想定してたんだろうか
・倫理観の問題で、ほとんどが批判なのは百も承知ですがコメントさせてください。 当方、30代前半女性です。 30歳になってすぐ、igA腎症という難病を発症しました。 お酒やタバコはやりません。 成長期の子供がいることに加え、病気になるまで自身がずっとバレーボールをしていたので、食生活はめちゃくちゃ気をつけていました。 それでも病気になってしまいました。 扁桃腺摘出やステロイド治療など、できることは全てやりましたが、残念ながら寛解することなく慢性腎不全となり、子供が4歳の時に透析が必要な体となりました。 「そういう運命だったんだから諦めなさい」と言われることはわかっているのですが、それでも子供が成長するところを見たい。 一緒におにごっこがしたい、旅行に行きたい、受験の時には夜食を作ってあげたい。 〝普通の母親〟として子供と生きたい。 そんな私にとっては、本当に希望です。
・人間は、つくづく業の深い生物だと思います。この研究が自身の功績、探求心の為なのか、難病の方々の為なのかはわかりませんが 臓器を取り出す為に生を受ける豚に対して悲しい思いを受けます。確かにそのような臓器であっても移植を望む方の気持ちもわかりますが、人間には天命があり抗うことは出来ません。仮に今回の様な豚の臓器を取り出したあとの肉などは、ポイ捨てされるのでしょうか?鯨の用に無駄にしないように全て食肉や材料にされるのでしょうか?ポイ捨てならば命を何だと思っているのかと疑問に思うし、食肉ならばカニバリズムになるのではないのかと疑問に思います。その為、最後をどうするのかまで考えたうえで研究をして欲しいものです。
・この記事を見て希望を抱く患者や家族はいるだろうけど、複雑な思いで見ている人も多いと思う。食料も医療も人間のエゴで動物を犠牲にする事は、永遠に悩み続けるテーマだよね。不老不死や医療の発展による、寿命の飛躍的な伸びで得られるのは、長く人生を過ごせる幸せと、世界人口の爆発的増加による食糧不足やエネルギー不足。そしてそれに伴う争い、戦争。結局、寿命を延ばせても戦争で亡くなっていたら、死に方が変わるだけで、それが幸せと言えるのかどうか。
・移植を待つ方々には 申し訳ないことですが… それも運命 生まれ持っての運命なのだと私は思います。 骨髄移植などの 提供する側も生きた状態で人を助けてあげられることは とても素晴らしい助け合いだと思うのですが、 ここまでくると 人間のエゴでしかないとしか言いようがありません。 この豚の命は 人間の為の生贄なのでしょうか。 動物の命も尊い命なんですよ。 神の領域に反したやり方ですね。 理解できません。
・我々が食べてる畜産や農業の生産物は、やり方こそ人為的手作業的な交配でローテクながら、遺伝的に作り変えられた動物や植物が人の生産カンリできる食物である、という前提がここのコメントで倫理だなんだと言う人から抜けてるように思える。 今回の中身はハイテクかつ人体内に移植という目新しいものだが、本質的には人間がずっと工夫してきた事の延長線。 そういった節目ごとに倫理を考えるのは良いことだが、まるでこれまで遺伝子改変に関わってない音型も受けてない、だから声を上げる、みたいな前提の人が見受けられるが改めたほうが良い。 そして最も危惧すべきは中国。 軍事にも産業にも使えそうなハイテクは全てスパイを使って盗み出そうとしている。共産主義によって共産党の権威主義によって宗教的倫理や道徳は排除され、共産党や個人崇拝を是とする危険な人類にとっての思想犯のようなもの。 そんなノーブレーキの国が技術を手に入れたら…?
・自種を存続反映させるために他種を犠牲にする。 これは地球上の生命の根幹です。全ての命が逃れられない宿命です。 宿主にとりついて繁殖するウィルスしかり、太陽光を求めて背を高く育ち低い草花を枯らす樹木しかり。 人類もまたそういった地球上のルールから発生したもの(かつ史上最も狂暴な捕食者)であり残酷な性質からは逃れられないということを心にとめておくことが大事だと思います。 善人ぶっていると気分いいでしょうけどね。
・日本では、子供の臓器移植は厳しく規制されているにも関わらず、重度心臓病の患児は何千万円もの寄付を募って、渡米して移植してくる事例がしばしばです。日本でしたら違法な移植をアメリカでなら合法だからって、アメリカでは大麻が合法だから、大麻やるならアメリカで、見たいな、ある意味脱法行為でした。患児の命は地球より重いけど、臓器移植のドナーの命も重いから、移植に制限をかけて、制限が緩いアメリカでならOKって、完全なダブルスタンダードでした。移植出来る豚の話は、普及すればダブルスタンダード解消に繋がる朗報ですが、次は遺伝子を輸入では無く、国内で開発して欲しい。
・情緒的な意見も理解できるが、ラム肉は生後1年以内、仔牛は最短で生後1〜2週間、通常5ヶ月ぐらいで食肉化されるらしい。人の命は他の生物(植物含め)の犠牲の上に成り立っている。それには抗えないので、常に感謝の気持ちを忘れないことしか我々にはできないと思う。情緒面を優先させるなら、人の命を救える可能性のあるこの技術を否定するより、誰もが取り組めるフードロスをゼロにすることを心がけるのが良いのではと思う。
・コメントを見る限り、この記事を読んで違和感を覚えた人がたくさんいる。 私もすごく嫌な感じがした。 でもこれまでたくさんのお薬の開発に、新しい治療のために、数多の動物が実験で命を落としているんですよね。 きっと動物実験用に生まれてくる動物がたくさんいるんですよね。 もちろん食べられるために生まれてくる動物たち、食べられるために産まされる卵、、、 人間はもっともっと感謝の気持ちを持たなければいけないですね。
・腎臓って本当に複雑な構造をしているし、細胞の種類も多い。IPS細胞などで1から作れるようになるのはまだまだ先の話。あるいは作れないかもしれない。それと比較するとかなり現実味のある研究で、ぜひ実臨床に反映されるようになってほしい。透析患者さんにとっては1年でも2年でも透析を離脱できるのであればそれは夢のような話であり、医療費軽減にもつながる。安全性の担保が最大の問題でしょうか。
・日本は戦前までは牛や豚を食べる文化はなかった。 むしろ動物の死体などを処理する人が差別されるくらいだから、それを食べるという発想もなかったはず。 ホルモンの語源由来は『放るもん』、要するに価値の無いだからという説もあるくらい、多くの日本人は動物全体に忌避感を抱いていた。 それが昭和30年代に豚や牛を食べるのが一般化し、今では何も思わず食べている人の方が圧倒的。 人間なんて本質は変わらないので、豚からの臓器移植も30年も経てば疑問も持つ人もいなくなると思う。 食べるか移植かの違いなだけで、人間の一部に成ることには違いはないし。
・食品売場にある豚肉や食肉加工を行っている企業の豚を見ても殆どの人間が何も問題を感じないように、人間への臓器移植の為に生み出された豚を見ても全く問題を感じません。 ただ、彼らが人間の役に立ってくれている点で感謝をしなければならないのは確かですね。 臓器不足を解消できうる手段になり得るなら実用に至るまでに徹底的に研究を行い、多くの人間を救う手段になれば良いと思います。
・以前に読んだ本。 白血病の娘のために計画的に妊娠して、妹を出産した夫婦。 その妹は、姉のために定期的に骨髄移植を繰り返し行なう。哀しい話でしたよ。 今世界中で子供の誘拐が起きています。移植に使われる子供も多いらしいです。 豚さん、ごめんなさい。人間の子供を使わないで済むなら、ネズミやブタで、病気の子供を救って欲しいです。 人格形成された人間やクローンよりは、私は、気が楽です。 ごめんなさい。
・食用の豚がどうやって「生産」されているか、生後何か月で「出荷」されるか 人間のために、どれだけ「品種改良」されてきたか
屠場では、生後半年の豚が殺され、その瞬間、ぶら下げられて、どんどんばらされ、数分で枝肉になり、首も斬り落とされているのに、けいれんしながら、工場の中を流れていく。
これで移植が実用化されれば、違法の臓器売買の対象にならなくて済む人たちが助かるという現実もある。
牛も鶏もそうだけど、畜肉の農場もとい工場を無視して、ことさら移植臓器だけがアウトみたいな主張やロジックはどうかと思う。
もし、自分の命をかけても救いたいと思う人(恋人でも家族でも)が、臓器移植で助かるというのなら? 小さな子供が心臓移植するのに何億円もかかるのは、医療費もそうだけど、より高いお金を払うことで、順番待ちしている人に割り込むことができるんだよね。
・寿命がそこまでなら仕方がないことだと思うから、尊く、神秘的な命を人造人間みたいにいじってまで生きようと思わない。いつどうなるかわからないから、せめて家族にだけは全力で愛情を注ぐべき。 人間だからこそ成せる技術かもしれないけど、人間として本来あるべき生き方をしたほうがよほどいいと思う。
・日本では臓器移植に同意する遺族が極端に少ないので、朗報だと思います。批判的なコメントを書いている方たちは、自分が臓器移植以外で助からない状況になってないからそんなことが言えるのだと思います。患者さんは文字通り藁にもすがる思いですし、これで十分な臓器が提供できれば多額の募金で海外まで臓器を移植しにに行かなくて済みます。 豚がかわいそうという方は、家畜の肉を食べたことがない人ですか?薬品の試験動物にお世話になっていない人でしょうか? 人間の生活は散々動物の犠牲の元に成り立っているのだから、今更かわいそうだから批判するのは滑稽思えます。
・子供が移植でしか助からない病気だと仮定したら、人の命を奪って生きるよりは豚の方がいいと思った。移植を待つのも、自分の子が助かることを願って他人の子の死を願うようで辛いなと思ってた。今は豚の命を借りて臓器を育てているけど、いつかそうしなくても完全に培養できたらいいと思う。
・飲食業をやっています 豚肉。。。。 料理として使うのもどうしていいものかと先々の事を考えるとどうしたものかと。。。考えてしまいます。 ですが、他では実際行っていること、日本でも1人でも多くの人命が救われるのであればなんの抵抗もなく長く楽しくその後を過ごして行けるようにと、切に願います。
・生きたい生きたい、という生への執着は、物質のみしか信じられない人間の弱さだろうと思う 死んだら最後だと思うからだ 仏陀は生を含めた執着を戒めたし、ジーザスは信仰の為に死を覚悟することも弟子に説いた 生きる事よりも大事なことがあり、物質よりも大事な世界があると教え続けた
この神さま二人がこの状態を見た時に「畜生」以外の評価はしないだろう それでも自分が、家族が、となれば豚にも縋ってしまう 間違いだと分かっていても生への執着は凄まじい
・ドクターKの漫画の中に、自分のクローンから臓器を取るだったか、とかく臓器提供用に思考能力等を持たないように操作された人間を作って。って話があったような気がしますが、そんなようになるんでしょうか。 食用の畜産動物や養殖の魚。動物園や水族館で展示動物として管理される生き物。ひいてはペット達も、大きくくくれば人間の為に作られてる命に囲まれて、それらと変わりがないと言えばそうなんでしょうが、あのように数字が書かれた写真を見てしまうと複雑な気持ちにならざるを得ません。 ただ、医療として待ってる人がいるのは確かなんですよね。私も自分の身1つだけなら諦められる気もしますが、家族や子供と考えるとそうはいかない。世紀を超えてでも、いつか臓器単体での製造に至ると信じています。
・iPS細胞で全ての臓器が作れるようになればこの様な事はしなくて良くなるし、倫理的にもそれが一番将来的に活用される技術になっていくだろうとは思うけれど、現実的にまだ時間がかかる事であるならば動物を使ったやり方も同時に研究を進めていくべきだと思う。 2025年までにサルへの移植実験が始まるというのは多いなる希望でありとても期待している。
・正直、素直に賛成はし難い。「生きるため」といえば食用と大差ないという考えも出てくるのだろうが、移植用とされる臓器を摘出したらあとは用済みとされてしまうのだろうか。 様々な視点、方法で移植問題にアプローチするのは良いことではあるが。。。
・医学が進歩して助かる人が増えていくことは良い事なのだが、なんか気持ちが割り切れない所があります、食べられるために飼育されている家畜なのはわかっているのですが、モヤモヤが残ります。臓器だけを作る技術が早く実用化されないかとも思います。
・心臓よりも、もっと難しいだろうけど、脳を作り出して移植出来たら、豚人間が出来るのか?モンスターだなぁ。 核やAI技術なんかもそうだけど、科学の発展で恐ろしいもの手に入れてるな。ウクライナ侵攻も核兵器があってこそ、出来ることだし。 最終的には、これらを扱う人間の心次第で大惨事にもなり得る。科学の発展で、人間の心が試されてるって思う。
・実験に使われる豚やサルが可哀想とか思ってる人も大勢いるんだろうけど、そういう人も重い心臓病など、病気で苦しむ子供たちを見れば、「可哀想だからなんとか救ってあげて欲しい」って思うはず。 家族が病気になれば「どうか助けてください」と懇願する筈。 高度な現代医療の礎となってるのは動物実験。 長い歴史の中で、このような動物実験の尊い犠牲の積み重ねにより、現代の医療技術の発展があるわけで、それがなければ、人類は病気を制圧なんて出来ておらず、平均寿命は平安時代などと同等な30歳とかその程度。 平均寿命が85歳くらいになってるのは豊かになった食生活も当然あるが、病気で亡くなるリスクが大幅に減ったからなわけで、それは実験動物を始め、多くの犠牲の上に成り立っている現実。 現代の高度な文明を享受していて、「動物実験は許せない」はさすがに違和感を感じる。
・なんとか細胞もそうだけど、医療の発達で今後人間の寿命が更に伸びた場合年金問題とか社会保障、介護とかをどうするんだろうかと思う。 長生き=元気なままとは限らない訳で、ずっと寝たきりや要介護のご長寿も多い。 そういうご老人が今後更に増えたら社会の大きな問題になるのは確実。 もし人間と同じように働けるロボットが開発されたら多くの問題を解決出来ると思うけど、それはまだまだ先の未来で50年とか100年は先の事だと思う。 難しい問題だ。。。
・人間も自然界の一部。遺伝子改良を行える知的レベルの突出した生物が地球上に存在しているというだけのこと。種の存続のためにあらゆる手段を講じてより強い種として進化していく。それが生物の本質。人間は特別な存在ではない。もし倫理が勝つならこの技術の利用が現時点では種の存続に不利益、あるいはリスクがあると判断されたというだけのこと。倫理や道徳は本質ではない。生物はどこまでも利己的である。
・何故か、異なる種の間で人に移植する臓器は豚が一番に相性が良いのだよね まだ、種として近い、チンパンジーやゴリラの臓器と人間のそれが相性がよいのならわかるが 種としてはかなりかけ離れている豚と相性が良いのだから、わからないものだがな 豚の臓器を人に移植するのは、倫理面で抵抗が大きい事はわかるが 正直なところ、私はそんなことよりもどこまで可能かの方が気になるね 人間同士の移植で拒絶反応が凄いのに、幾ら相性がよくても豚の臓器を移植して大丈夫かって感じ
・毎日無くなることがない食べ放題の豚、牛、鳥、魚、等。。 そこにも疑問ですね。 人が食を満たしたり、経済を回す為に、生まれては消える生命は、毎日どれだけあるのか。 ほとんどの人が知らないところで、とんでもない殺戮が繰り返されている。 肉や魚がいつでも並んでいるスーパー、取り放題のビュッフェ、冷静になって見方を変えると、とても異様な光景に思えます。
せめて、必要な量を必要に合わせて日々いただくとか、一日の消費量を制限するとか、多少の不便があっても大事にいただく世の中になればよいなと思います。
・私は、動物たちの畜産に置ける状況や動物実験など、それらも考えるべき事が多いと思いますが、この記事を見て率直に「なんか変だよ」「おかしいよ」そう思える自分でありたい。 色んな理由をつけて、この事実を飲み込もうとするのではなくて皆どこかで思っている、違和感を大切にしたい。
・この子豚はある程度大きく育てば、臓器を必要としている人の為に臓器を移植されるのでしょう。その人はその臓器無しには生きていけないのかもしれない。いや、恐らく長く生きていくことはできないでしょう。もしかしたら一刻を争うほどの状況かもしれない。 私はその人を前にして、その豚の臓器が使われることを反対することなどできません。もちろん豚は可哀想です。しかし、私は人間です。同じ人間が苦しんでいるのなら、苦しみから解放して生かしてあげたい。たとえ豚の命と引き換えであっても。 蟻は同じ仲間の為に命を懸けるでしょう。ライオンも淘汰の為の命のやり取りはすることはあっても、それも種の生残りの為の手段です。 私はこれが、文明を獲得した人間の未来への生残りの方法だと思っています。 もし仮に種痘を悪魔の仕業と断罪する世の中だったとしたら、人類は滅んでいたかもしれません。
・14歳の娘が肉腫になり抗がん剤治療、筋肉、神経、血管、骨と切除し放射線治療を行いました 意見は分かれると思いますが人間から移植が出来ないならブタからとなると時代が追いついていないと思う もう普及されていてしっかり管理され、ほぼ全ての臓器が移植となれば意見も違う様に思う 自分が大切に思う人が臓器を必要となれば藁をも掴む思いになりますよ 既に遺伝子組換え野菜も普及しているが誰もコメントしていないのと同じなのでは? 食料不足で昆虫を食べる時代が来るとなればそれも時代なんでしょうね 養鶏場のニワトリなんて劣悪な環境で餌しか与えられていない 人間なんて自分勝手な生物であり、海が70%の地球の中で蟻の様なモノ 核爆弾は確かに環境を変える威力があるが実際人間がいなくて蟻が増殖し30%の陸地を制圧すれば食べる物が無くなり全滅する 極論の蟻ですがナイロンの服を着ている時点で環境破壊はしています あとは倫理観
・悲しいです。 だけど、ドナーの順番が回ってくる前に命が尽き、若くして亡くなった叔父のことを思うと、こういう医療がもっと先に進むよう、例えば自分の細胞から一晩で肝臓ができるとか、自分の細胞を使って3dプリンターみたいなのができるとかに希望を持ちます。
・数十か所、拒絶反応を抑えるために関係遺伝子の改変したり、遺伝子が働かないように操作したりする程度で大丈夫なんだろうか。人体というか、生物、とりわけ哺乳類の体はもっと複雑な仕組みのような気がする。そのうち、何かしっぺ返しがある気がしてならない。 一方で、臓器移植を待つしかない人々にとっては希望の光であることも確か。
・他の生物の命をもてあそぶべきではない、大真面目に言ってる人達多くは、ペットを飼うという行為に否定的な意見を持っていないと思います。 ですが、ペットを飼うというのはその動物自身の意思を全く無視した行為で、動物という命をモノ扱いして、人間が好き勝手にしてよいという考えがなければ、できない行為です。 なので、ペットを飼うことをおかしなことだと思わない人が、豚に人間の臓器を作らせることを批判するのは矛盾してますね。
・我が家の次男坊は重度の水頭症で寝たきりの障がい児です。 経鼻経管栄養の医療行為のお陰で成長しています。
医療行為が必要な障がい児が生きていけるのも医学の進歩のお陰と思っている中で、記事にある移植用の臓器を持つ豚に戸惑います。
臓器という事はいずれこの豚は人間の為に死ぬんですよね。
もし、自分や家族の臓器が病気に侵されて死ぬことになったとしても豚を殺してまでも臓器をお願いします。とは言えません。
脳死判定を下されたご家族の方々が臓器提供します。使って下さい。の方がいいなとどうしても思ってしまいます。
医学の進歩も此処迄くると、歯止めが効かなくなり人間以外の生き物を粗末に扱っているようにしか見えないです。
人間のエゴが1番残酷な気がします。
・心臓弁は何十年も前から豚の物は使われてる。 臓器移植したくないなら しない選択ができる。 提供するか、しないかも。 食用は良しで移植目的は駄目? 出産前検査は?病気なら産まない?命だから産む? それも選択できる。 脳死移植は提供者の善意だから良い? 家族間で生体移植もされてる。 健康な人の臓器を貰ってまで? 薬も動物実験されてる。 そんな薬は嫌だから使わない?それも選択できる。 実際既に豚の心臓移植はされた。 生きたい本人と、医療従事者が開拓してる治療法。 先陣で自分が新しい治療をやるなんて怖いし無理だけど、 挑んだ実績が10年安定して生きます。 となると家族が居たら、恩恵を受けたい。
・実際の写真を見るとまざまざと命を感じさせられるので抵抗を感じる人がいるのは当然だと思います。なのになぜ豚肉は当たり前に食べているのか。それは加工された後の肉に命を感じないからじゃないでしょうか?例えば「この豚肉はこの写真の豚でこのように屠殺されました」という情報がいちいち分かったとしたら抵抗を感じる人は増えると思います。
・自分がもし命の危機にあって、臓器移植によってしか助からないというような状況にあれば、残酷とも言えないのかもしれない。産まれた時から、命を消費される運命は残酷だという意見もあるが、現に食肉も食べられる為の命ではある。もし、宇宙人が自分達の命の為に、人間を臓器ようにクローンしたり、番号の入った人間の胎児を管理していたら恐ろしいだろう。人間は罪深い存在ではある。
・ニュースで見た時、臓器を取られるために生まれてくるんだなぁって思って複雑な気持ちになった。 人間の身勝手さ、豚の哀れさと共に、「じゃあ自分の大切な人が移植以外に助かる術がないとなったら‥‥」とも考えてしまう。 それに、用途が違うだけで食肉用として生まれてくる家畜と変わりないのかもしれないし‥‥ 人間のクローンを作ってそこから臓器を取り出すのは倫理的にダメでも動物ならそこは問われないのかな。 早く目的の臓器だけを培養して作れるようにならないかな。
・…ここは私の感情は殺すべきか。
前に、背中に人間の耳のような物をつけたネズミの画像を見た事がある。 ずっと研究されてきた事だけど、グロテスクだとやっぱりどうしても思ってしまう。 でも、それを必要としている人もいる。 この小さい子豚はいずれ、その心臓を誰かに渡す為に死なねばならない。 でも、自分の小さな可愛らしい子どもが病気で苦しんでいたら、やっぱりどうにかして助けたいと思うだろう。 人間はそれを叶える方法を見つけてしまった。 他の生き物にも、生きる為に、生かす為に他の生き物を使うものもいる。これらは悪い物だろうか。 そもそも我々は日々の食事で他の生き物を食べる。縊り、毟り、掘り起こし。欲を満たすのに必死だ。 可哀想などとは、今更か。 私には難しい。 せめて、助かる人がいると良いと思う。
・透析に携わってるものです。 倫理的な問題とはいうけど、既にブタの心臓の弁は使われてる。それこそ食用の豚は美味しく頂いてる。
臨床研究を通過し、実際に臨床使用出来るようになったら是非使用してほしい。それだけ透析というものは時間がかかり患者を拘束している。
経済的にいえば透析は1人年500万かかるといわれてる。診療報酬は毎年改悪されているが、透析を主体としているクリニックがその利益を享受している。患者の平均生存年数は5年。
これらを加味すれば2500万程で腎臓が提供出来ればクリニックとそこで働くの仕事場ば無くなり新たな職業へ流れることとなる。
以上を加味し、技術革新があるのなら是非行ってほしい。そして是非とも規制や癒着、既得権益とか言って諸外国にて臓器移植を行っていくのならそれはやめて頂きたい。そしたら日本は確実に貧困が加速する。
・動物実験の予備として管理され、実験が終了してまとめて殺処分予定だったウサギを譲ってもらい飼っています。 ウサギはストレスなどによる突然死が多いため、一連の実験につき予備の子ウサギが複数発注されるそうです。 予備だけど出番がない間は血漿製剤を作るために半年間ほど採血の日々だったと聞いています。 我が家に受け入れ当初はわずかな音でパニックを起こして自傷してしまうほどでしたが、今では撫でて欲しくて鼻でツンツンしてからお腹を見せて寝転がります。 人間のエゴで辛い思いをさせてしまった本兎やその兄弟分たちの分も幸せになってほしくて、日々「生まれてきてくれてありがとう。出会えて本当に幸せだよ」と伝えながら世話しています。 この豚さんたちにも少しでも幸福があることを祈ります。
・この画像をみるとこの子はなんのために産まれてきたんだろうと思ってしまう ごめんなさいと でも普段豚肉も食べてる でも胸が痛い 矛盾しているのは分かってるけど だから自分の細胞を使って早くどうにかできるようになればと思う 人間は奪いすぎのような気がする。。
・人間が生き延びるために豚が犠牲になっていると考えてしまう。人間ではなく豚だからオッケーは感覚が麻痺してるようでならない。同じ命として臓器用ニンゲンがダメなのは人間のエゴでしかない。 しかし普通の食用豚なら私も食べるけど臓器を取り出した後の豚は食用としては食べれないかも。豚さんに感謝するしかないね。
・必要としている人にしたら生命がかかっているんだ朗報でしょうね。 必要でない人からしたら疑問と嫌悪が出るだろな…。 人人か中々に難しいもので、それに代わりうるものがあれば使いやすく安心できる。 食肉としても活用は必須である豚の役が増える…。 生命っては必ず他の生命を利用して生きるものなんだろうけど、中々に難しい領域へ入って行くんだなぁとは思えた。 ならば尊厳死も認めて欲しいやなぁ…とかとかも思ったりもした。 生きるも死ぬもどこかで線引きが必要なんだろうと思うが…難しいねぇ。
・本当に困っている方々にはありがたい治療法なんだけど、私はこの治療法で生き延びたいとは思えない。 与えられた天命を受け止めて、そこまでを全うしたい。 愛する人がこれで助かるとなれば、幸せだと思うけど、それも自分のエゴなんですよね…。複雑です。 でも医学の発展は素晴らしいことです。
・よく遺伝子組換えの食品は発がん性物質を持つと言われている、同じ喩えで遺伝子組換えした豚の臓器を移植して仮に成功したとして、癌発病は無いだろうか?
山中教授の唱えるIP細胞であらゆる病気の治療が可能と言っていたが、一部の教授は『全ての治療は不可能』と言っていた。自分も後者の教授の意見のほうを支持する。
別に自分は病気になったら、『諦めなさい』なんて言わないし、手術は自由だと思います。でも人間以外の動物から移植はタブーと言うより無理な気がする。人から人への移植手術だって失敗するのに、豚から人への手術は無理だと思う。研究は無駄では無いが、自分ならしないと思う。
ただ、何度も言いますが、お金がなんとかなって手術を受けたい方がいる場合、その決断は支持します。
・最後はお肉にされるけれど,家畜って人間に飼育されることで種を保存して生きて行けてるんだって,何処かで教わりました.つまり,最後にお肉にされる以外は,外敵に襲われることもなく生きられるし,御飯の心配も無いから幸せ・・・,いや,ちょっと違う気がします.
だって,この豚の赤ちゃん,人間の赤ちゃんと大きくは違わないもの.
どうか,臓器移植用の人間だけは作らないでくれ. そんな時代が来たら,さすがに自分も自分の子供も親も死んだ方がましですよ.
・日本の場合、その前に死に対する概念を変えたり、移植の制度を整えたりし、多くの人に死後、臓器提供するように呼びかけるのが先だと思う。その方が当然移植される側のリスクも軽減される。コロナでワクチン打たせたように、マスコミも協力したり、国も協力金を払うことで脳死や心停止の臓器提供も増えると思うけど。
・倫理上の禁忌に手を出す用意が出来てしまったのですね。臓器移植をファームで製造して屠殺後に全て臓器パーツ単位で全国の移植待ち患者に提供し手術で延命措置を行う。 自然の摂理から逸脱したこの遺伝子組み換え豚の問題は遥か以前から提起されていたが結局正しい解決策が見出されなかった事が残念ではある。 心臓の様に一生動き続ける高性能高耐久臓器は抗原抗体反応ですぐにボロボロになるだろうから人工心臓の方が将来性が高い、それでも赤血球が破壊されてしまうので長持ちとは言えないが。 移植対象を若年層の難病を抱えている子供達などに限定した方が良い気がする。年金受給者は移植対象から外すべきだろう。あるいは人間臓器のドナーが現れるまで待つべきだ。 超少子高齢化社会の是正には必須の流れだと感じる。それでも金持ち病人は臓器を買ってくるだろうから。
・ノーベル文学賞を受賞したことで数年前日本でも話題になった、カズオ・イシグロさんの作品「わたしを離さないで」を思い出しました。臓器提供をするために作られたクローン人間のお話です。 読んで倫理的に複雑な気持ちになったし、このニュースにも似たような感覚を抱きました。
・人間が利用するために命を生み出すことに対して倫理的な問題を感じてしまうけど、言い出したら畜産や養蚕もそうだし、殺虫剤や殺鼠剤などの研究のための飼育もあるし、動物に限らず植物も含めたら農業なども該当するから、人間が利用するために生み出された命はたくさんある。 でも本件については、それってどうなの?という感じがする不思議。
・脳死からの臓器移植が日本で許可されたときに メディアがボコボコに叩いてまだ生きてるのに臓器を取られるなどと書き立てて提供が進まなかったことを思い出しました その後、日本人がアメリカに臓器買いに行く流れになったのは皆さん周知のとおりです メディアの関係者さんから買いに行く方が出て特番組まれてから 不思議と叩くの止めましたよね?
今度こそは日本だけ研究が進まない、移植ができない、ということにならないよう メディアの皆さんには猛省の上、冷静な報道をお願いしたいです
・確かに、替えの臓器があれば助かる命もありますよね。 人間の命は助けたいけど、そのために作った豚の命は亡くなってもいいのか。 そんな正義感もありますけど、もし、自分の子供が今、病気になって、豚で替えの臓器を作ります!助かります!って言われたら、喜んでしまう自分もいる。
・この事で命が助かる人たちがいる。でも、今のところその必要ない自分にはそんな事して良いのだろうかとも思う。罪の意識のような。この研究者たちもどういう思いで携わっているのだろうか気になる。 でも既に人類は自分たちが生きていくためだけに大規模に生き物の命を管理している。日々、何とも思わずに簡単に取り入れている。この研究もその一環だと思えば罪悪感なく受け止めるようになるのだろうか。
・医療の進歩は、その道を目指す人にも、患者となる人にも、朗報なのかなと思います。
ん〜。でもな〜…
なんかな〜…
なんでしょう?自分なら自然淘汰の範囲と思って、それを受けない選択をするかな。
でも、その選択ができるくらい生きたってのもある。
動物はめっちゃ好きやし、そんなことに動物を使うな!みたいなことも医療に携わってる以上、言えないだけの犠牲のもとに成り立ってるのは理解してるから省くけど。
何歳かとか、経済的な部分とか、生活面においての日常のサポート体制や、公的な支援の利用の可否など鑑みて…
人として生まれて、生きて、その時間を自分のものと納得して終わることの選択もあるなと、まだ見送ることしかしてないけど、あれば良かったのかとは言えない。
ある事で悩むとか、なければ迷わなくて良かったとか。
私は子供を先に失ったけど、どんなに医療が進歩しても、持って生まれた順番には抗わない
・難病で苦しむ方にとっては素晴らしいことだと思う。でも神の領域を超えて良いのだろうか?いや、神が許されたから知恵を授かり実現に至ったのだから良いのだろう。気持ちは複雑。自分や親なら仕方ないと諦めるとしたも、もし我が子の命がとなると考えは変わる。
・人間と言う種を守る為に他の種を食い物にするが、それを続けてはいけないと思う。今だけは犠牲になってしまうのは仕方ないかもしれないけど。 いずれ人間は全ての種に恩恵を与え、恩返しができるようになって欲しいと思う。
・カズオイシグロ『わたしを離さないで』を思い出した。恐ろしい。ペットの大蛇のエサ用に大量のラットを同じ家の中で引き出しに詰め込み繁殖させてはシメて食わせる動画を楽しげに視聴する大蛇愛好家達も思い出した。彼らは言う。人間だって食肉用の豚や牛など同じことをしてるくせにと。生きる為に感謝して命を分けてもらうことは仕方ないと思うけど、趣味、楽しみ、道楽でペットを増やしてそれをすることや自然の摂理を超えてまで臓器を手に入れて生き続けようとしている人類の傲慢さが恐ろしい。
・「可哀想」の感情でどうこう言う内容では無い しれっと普通に今日のお昼、豚の生姜焼きだったりするわけだし
「食べる」のとは訳が違う と思いがちだけど、豚にとっては同じ事
人間が生きるための物という意味では食事でも移植でもそんなに変わらない訳で
家族や友人の命と、豚の命どちらを優先する? と言われた時に「豚が可哀想」と豚の命を優先する人なら批判したらよいと思う
・非難の声は当然と思う反面、食用家畜を良しとするなら、矛盾も感じる。そして、自分の子どもの命を繋ぐ少ない望みなら、肯定する親が大多数だろう。 技術が確立しても、使うシーンを選ぶ必要がありそうだが、線引きが難しそう。
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