( 138739 ) 2024/02/13 13:40:21 0 00 ・世代間ギャップは色々ありますが、問題点を指摘するとハラスメントといわれたり……。
ざっくりとの表現ですが、「若い人」は怒られる経験や目上の人に対する敬意とかを知らないのだと思います。
先日、若手に仕事を教えたら自分勝手に進めて、間違えを指摘しても、その場では分かりましたと答えるのですが、何度も同じ間違えを繰り返し、少しキツめに怒ると、別の担当業務なら実力を出せると主張されました。
子供の頃に甘やかされて育てられ、生活環境も特に苦労することなく今に至っているのが影響していると思います。
こういう人達が社会の中で大半を占めるようになるのでしょうが、どんな社会になるのか不安です。
・人と人との繋がりが希薄化されているのでしょう。
例えば、今回は縁がなく取引不成立となったもののその時の繋がりから5年後に大きな取引に発展した、という経験を持っている人は結構いると思う。
その空白の5年間を大切と感じられるか、今の利益に繋がらないなら必要ないと感じるかは、結局経験値の差でしかなく、今の利益にしか目が行かない人には一生経験する事がないかもしれない。 もちろん、全ての繋がりが利益に発展する事はないけど、これを少しずつ積み重ねる事で将来の自分が如何に楽になれるか?が決まると言っても過言ではない程、大切な事だと思う。
ビジネスマナーというより、たった数分・数十分を自分の未来への投資と考えて時間を使う余裕くらいはあっても良いと思う。
・ビジネスは人と人との関係で成り立っているからね。 断るほうも申し訳ないなあ、という感情があるから、 断りのメールに対して何らかの返信があれば、次はお願いしようと思うけど、 何の返信もなければ二度と仕事の依頼が来ることは無いだろう。 返信のメールなんて5分もあればできる。 その5分の積み重ねが大切なのですね。
・この1往復だけでは相手が「断った」という事実を了解しているのかどうか分からない。何かの間違いでその情報が届いていない事もあるが、自分は送ったのだから責任はない、では済まない。その回答を受け取ったというレスポンスはあった方が良い。
仕事をただの情報のやり取りだと思うとそういう話が出てくるのも分かる。 でも仕事って情報をこなすだけの作業ではない。必ず人間関係が付いて回る。 この点に期待しないのであれば、その業務は正社員にやってもらう必要はない。アルバイトで十分だし機械でも良い。AIが進めば間違いなく取って代わられる。
・タイパか何か知らないが、なんでもかんでも省略してよいという事ではない。断った後に返信がないと、保留なのか再考しているのか終わりなのか判断できない。タイパどころか、悶々とさせられて迷惑だ。1往復主義を勝手に実行するのではなく、相手のコンセンサスを得てからやるべきだ。コンセンサスを取るのが面倒であれば、従来通りの慣習に従うのがビジネスマナーだと思う。
・全国的にそうなのか東京だけなのか関東圏だけなのか 地域別でどうなのかを知りたいですね 大阪人は会話大好き 出張で大阪や大阪周辺エリアに行くとず~っと喋っています 車移動中も車内で会話が途絶える事はありません 世代問わずという印象です 大阪に限らず地方に行くと東京の若い社員より格段に話します 相手からも話しかけてきます そんな対面でも会話大好きっ子の大阪人や地方の人達が 1往復で終わるとも思えません 個人的には東京だけの様な気がするけどどうなのでしょうねw
・若者でひと括りにするのはダメなのは分かるが、本当に若者がこのような失礼を働くことが多い。 電話はしてこない、かけても出ない。 メールでのやり取りすら、このようにぶつ切りされる。 電話に出られない、直接会っての打ち合わせも嫌。その上メールですらまともなコミュニケーションを取れない。 どうすればいいのさ?会話もメールもダメでどうやって仕事進めるの? どういうふうにしたいのか問いたい。
・自分側からmailで依頼した内容なら一往復半は常識だと思う。 受けて貰っても断られても、それに対してのお礼のmailは必須でしょう。
仮に断られたとしても、相手側としは①依頼mailの内容確認②依頼を受ける受けないの判断③返信という負担が発生している。 これに対するお礼は必須です。
断られて放置はタイパがどうこう以前に最低限の常識すら無いだけですね。
・別にテクニックとか深い考えでしていたわけじゃないけれど、断られたりした時こそ丁寧に返すのは意識していた。 断わるのは相手としても心苦しいのに心苦しい思いをさせて申し訳ないという気持ちが自然と出てくるから。 今となってはだけどそういう対応こそが後の信頼に繋がることもあったと思う。 やっぱり人間同士の気持ちの思い合いが自分の人生を支えていると思う。
・私は60を超え、有難いことに様々な年齢・階層・企業規模の方とのやり取りが日常の業務となっています。
あくまでも私の理解ですが、30年前も今も外部との関係性も含めて良質な仕事を進める方に共通しているのは、相手の立場に立って配慮できる方である。 残念ながら社長や部長レベルでも他責で自己視点な人は存在し、20代の方でも誠実で真摯な方はおられる。 結局は時代もツールもあまり関係なく、その方の資質によるものだと思っています。
誠実で真摯な方に信頼していただけるような言動を心掛けていたいと思っています。
・一往復主義が若い人のビジネスの常識になりつつあるみたいですが、記事やコメントにもあるように、長期的に見たらマイナスでしかないと思います。 これがこれからのビジネスマナーの主流になるのであれば、ビジネスが逆に成り立たなくなるのではないでしょうか。 依頼する側、される側ともに僅かであれ時間を裂いたわけで、断わる側が一言メールする時間が無駄だとは全く思いません。 若い世代の人たちには省略を考える暇があったら、沢山様々な人と出会い実際にぶつかったりしながら経験を積んでいって欲しいです。 私の取引先は断わる事があっても 必ず「またの機会があれば是非宜しくお願い致します」とメッセージが届き気持ちよくお取引きしてますよ。
・仕事はひとりで完結することは少なく 取引先や同僚が必ずいる
自分のやった事を次工程の人や取引先に申し送りする時、やったものをそのまま渡すよりも次工程の作業内容に応じて整理して渡す方が心象もよく短納期となったり遅れてお願いする場合等受けてくれることも多い
ちょっとした配慮が結果として、事後のことで活きてくる訳だが、タイパという怠慢行為が後で問題となる
見た目の無駄が後日活かされることがあることを学んで欲しい
と思う
・図解にあるタクシーの座席については新社会人の時に戸惑いました。 営業車やレンタカーであれば筆者の言うかつての末席が3の乗り方ですが、タクシーの場合支払いがある。 領収書の処理を考えると4が面倒なので一番下が4の位置に乗ることが社内では多いです。 また体の大きな人は4の位置に座ると言うことも多いです。 メールの返信1つにしても何が一番周囲の人との関係性が快適なのか考え、コミュニケーションを日頃から取ることがトータルで最もタイパが良いのではと日頃から感じています。
・定期的にこういった世代間の対立を煽る記事が出ますが、どうか一回落ち着いてほしいです。 おそらくこの記事で想定されている「若者」世代ですけど、周りにそんなタイパ重視の人間はいません。あと読点(。)に威圧感を抱く若者や、何でもかんでもハラスメントだと言う若者もごくごく少数だと思います。 テレビやネットのニュースに過度に影響されないで、まずは目の前の人に敬意を持って向き合ってほしいです…何かうまくいかなくても、それを調整するために私たちはコミュニケーションを取ることができるのですから。
・正直言って不要なやり取りもある。 慣習化しているものとか、そういうのは省略しても良いとおもう。 ただ必要なこともある。 若者は〜ではなく双方歩み寄る必要があるが、年長者である我々の方がウェイトは大きいだろう。 若者が悪いというよりは教育が時代に合っていないのではないか。 今の学校どうなんでしょうね、正解がネットに転がっているから教師もちょっとでも変なこと言えば検索されて馬鹿にされたりと本当にやりづらいと聞きます。
・少し前ですが、ご飯や飲みを上司に奢ってもらった翌日、改めてお礼を言う必要はあるかみたいなのが話題になりましたが、それと似ているような気がします。
このような返信も、改めてのお礼もタイパで言ったら必要ないかもしれませんが、こういった小さな事に時間を使える人、気遣いが出来る人は必ず自分に良いものが返ってくるかと。
これに限らずですが学生時代に上下関係が学べる環境に身を置いていた人と、そうではない人の差ってって結構大きいと思います。
・若者だけではないと思います。仕事でメールをすることが多いですが、断られたり、思い通りにいかないと1往復で終わらせる人がほとんどです。
「また機会があればよろしくお願いします」というような社交辞令を言える人はほぼいません。
タイパではなく、単純にめんどくさいのだと思います。メールやメッセージは顔を合わせてやりとりするわけではないため、他人がどう思うかは関係ないのでしょう。
デジタル化で便利になった分、コミュニケーションが希薄になった印象を受けます。
・現役を卒業した高齢者ですが、現役時代は商社に勤めていたせいか記事のような1往復主義では仕事が完結しない意識が自然とあり、必ずお互いの意思が確認出来るまでは連絡し合うのが普通であり、今でも常識と思っている。仕事を卒業した今は家族や友人、兄弟とのやりとりぐらいで有るが、そんな間柄の連絡ですら1往復では不安に思ってしまう。親しい間柄でのやり取りでは決まりきった社交辞令の返信をするのもおかしいので、私は最後の締めが自分と感じた時はメールの絵文字を1個送る事にしている。今の絵文字は気持ちを表すマークが色々有るので助かります、最近は相手からも同じように絵文字1個の返信が来るようになりました。それが来たら連絡終了です。
・Eメールの場合は、送信者側がメールを読んだかどうかがわからないため、メールを受け取ったら返信して「受信しました。」という意味でのメッセージを送ることが必須でした。
LINEでは、メッセージが既読になったかどうかは、一目瞭然です。 そのため余計なメッセージを送ることは、蛇足であり、意思疎通の阻害要因になる。って感覚なんだと思います。
しかし、発注を断られた時や、別れ際の態度で今後の関係性が変化することは、大いにあります。今時の若者っていうよりも、すべての若者は経験不足のため、そういうことが肌感覚ではわかっていない。 10年も社会人をやったら、そういうフォローの積み重ねがいい仕事につながるって分かってくるとおもう。 かくいう自分もそういうタイプの若者でした。
・これやられると、大した事ない内容だったらいいんだけど、大切な内容だと、ちゃんと届いたの?読んだの?って気になる。 だから、本当はラインのように既読マークついてほしい。 企業から来る案内などは、お手数ですが、読まれたら「確認」と返信ください。 と添えてあります。 きっと、この記事のように、読んで終わりって方が増えてるんでしょうね。 私は一言が添えてなくても、絶対に確認いたしました。の一言を返します。
・好きにすれば良いのではないかと思う。自分が行った対応に対する結果は自分に跳ね返ってくるだけです。受け側からしてみれば1往復と1往復半どちらが心象が良いかという事でしょう。先人達が少しでも次回に繋がるように考えてきた仕事のやり方だと思います。今回は断られても次回に繋がる可能性が有るかが結果としていずれ分かってくると思います。自分であれば同程度の優先度の依頼で、過去に片方は一往復で片方は1.5往復あれば、前回断って次回はお願いしますと一言添えてくれた1.5往復の方の仕事を選びます。
・私も必ず返信をするタイプです。
やはり相手に既読した事を伝える目的と次回の機会でまた何か繋がりがあればという思いだ。 また礼に始まり礼に終わるという点からもだ。
就活の学生が不採用通知があればその後返信をしないのは分からなくもないが、やはり選考する側、選考される側もそれなりに時間を費やして関わっているわけで礼に終わる事は大切だと思います。
また、良いも悪いも色んな人との関わりの中で自分が生かされているという感謝の気持ちは人生において大切だと思います。
・LINEだと、相手のメッセージに対していくつかのリアクション(返信ではない)で終わらせたり、既読が付けば相手が読んだ事が分かるので、わざわざ返信しなくても完結するといえば完結するとは思うけど、あくまでもそれは友人や仲の良い者同士でのやり取りだと思う。 ビジネス上のメールでのやり取りでは、先方にも確認したという事実を残した方がお互い分かりやすいと思うけどね。 何かの依頼を断ったところで、返信がなければ、いつ相手が読んだのか、ちゃんと確認してもらえてるのか心配になるのでは? 少し違う話だけど、コロナで休んだ人の仕事のフォローを頼まれ、確認しますと答えた後、わざわざこっちの仕事を調整してオッケーの返信したのに、もう他の人に頼んだから…と言われた事がある。 それならそうとはよ言えや!ってなった
・こういう問題は相対的なもので、時代が変わっていけば、対応の良し悪しも変わっていくと思います
短期的なタイパを重視する考え方が主流になれば、返信する方が効率の悪い人と思われて一緒に仕事したくないとも思われるようになるかもしれない
今は、年賀状の文化も無くなりつつありますが、昔は直接挨拶に行かずに年賀状で済ませるのは無礼なことと言われたらしいですし
今後どのようにコミュニケーションの形が変わっていくのか興味深いです
・メールを含めて一般的な通信にはプロトコルと言う 通信手順があり、本文の後には必ずその伝文を受け取ったと言う確認応答が必要です。 応答が無いと本文を受け取ったのか、本文が届かなかったのか判断が出来ません。 通常のプロトコルでは応答が無かった場合には本文が届かなかったものとして本文を再送信します。 それを何回か繰り返していずれも応答が無ければ通信そのものをエラーとして通信が無かったことにします。
こうして通信が確実に届く様にしています。
・相手の気持ちを推し量る、相手を思いやるといったことが出来ない若い人が多いのだと思います。 それは今の若者だけではなく、昔から若者たちはそうだった様に思います。
自分自身もいつの間にか若い世代ではなくなってしまいましたが、自分たちも上の世代から教育されて(時にはタイヘン厳しく)社会的なやり取りを覚えていったのだと思います。
それが最近では厳しい指導はハラスメントと捉えられ、優しいアドバイスは重要ではないと受け止められ、若者たちが短い人生で身につけた正しさを全面に押し出しているので、ギャップを感じているのだと思います。
このまま世代交代が進んでいくと寂しい世の中になりそうですね。
・マナーは時代と共に変わってゆくものなので、余計なやり取りは省くのが主流になるのであればそれはそれでいいんじゃないでしょうか。 実際メールのやり取りは面倒だし。
ただ近年はコスパだタイパだと何か効率化が重視される時代ですが、個人的にはもう1つ「好感度パフォーマンス」も重要だと思ってます。
仕事における人間関係って好かれておいて損は無いんですよね。その方が評価されやすくなったり、助けてもらえたり、頼みをきいて貰えたりするので。 そういう意味ではちょっとの手間で相手に好感度を与える事ができるのであれば長期的にはパフォーマンスを良くする事に繋がると思うんですよ。
なので今時点ではメールの返信くらいしといた方が得かなと思ってます。
・就職超氷河期世代です。当時彼らと同じ考えでしたが、先輩からこっぴどく怒られ嫌になりました。結局その会社は2年目すぐに退職しました。
当時は個人的には確かにその場限りでもう先はないから返事しなくて良いなのですが、忘れた頃にその相手から仕事の依頼が来たりと縁って意外とあるので、仕事の場合は可能性は無くとも次に結びつける終わり方にした方が良いです。なんだかんだ言って再度ビジネス上の縁が生まれたりします。10年以上ぶりに連絡が来て仕事が来るようになったりして驚くときがあります。
コロナ禍前に結婚式場探していたときに、都内で誰もが知る有名な式場でやりとりしていたのですが、他に決めたと連絡したら一切何も返事来なくて妻と驚いたことがありました。
イメージ的には電話のセールスや訪販みたいで、後味が非常に悪い終わり方です。
・人間関係に関わるもの、対人的な物事についてはタイパよりもコストかけた方がいいと思う。 プレゼントをもらうときとかそうだけど、人って自分にコスト(時間)をかけてもらったことって凄く嬉しいから、手間は省かない方がいい。
まして記事に書かれているような程度のことなら、コストと呼べるほどの時間ではないし、潜在的なプラスの効果も期待できるから、やっておくべきでしょう
・ビジネスに関わらず、デジタルで発する言葉が軽くなってきていると感じる。匿名性の高いSNSでの誹謗中傷問題にも通じるテーマだと思う。
併せて1対1でのコミュニケーションが能力が低下しているのも原因にあると思う。親しき中にも礼儀あり。ビジネス相手なら尚更。ささいな事の積み重ねが相手に安心感を与え信頼関係に繋がる。何でもかんでも馬鹿丁寧にするのではなく、相手を見ながら疎通を図れば良いとおもう。相手が納得し意思疎通できさえいればそこに問題はない。
ただ、コミュニケーションは相手と過ごす時間の積み重ねであり、その効率化とは相手との時間を減らす行為でしかならない。 世代やデジタルのせいにするべきではない。むしろデジタル社会になったからこそ大切にしていきたい部分だと思っています。
・恐らく今後は、ちゃんとコミュニケーションの取れる若者と全く取れない若者でとんでもない差が生まれるじゃないかと… 現在でもそうなんですが、ものすごくコミュニケーションが上手な若者と心配になる位その能力が欠如している若者が同じ場所に混在している感じです。
多分出来る若者はこういう記事を見てシメシメと思ってるじゃないでしょうか。ここまでコミュ力の格差が問題にされるってことは、きっと普通以上に他の世代と交流が出来るだけでものすごいチャンスなので…
・個人的には1往復半を続けています。 が、すでに中堅も卒業しかけている年齢ですが、私が若手の頃から1往復半の文化は終わりかけていました。 最後のメールがないとこちらは不安になるので、相手にはそのような思いをさせたくないと続けてきましたが、正直ないことのほうが多いです。 これは長年、私が乙の立場で仕事をしていたからかと思っていました。 しかし、最近部署が変わり甲の立場となってからも、相手から1往復半の返事がないことは多いです。 働き方改革で時間がないのだろうと推察し、それでとやかく言うことはしませんが、私はやはりあったほうが安心感があります。 しかし、最近最後のメールを送るのはもはや邪魔なのかな?とも思うようになりました。
・タイパを重視しているわけではなく、LINEのようなチャット形式の交流が常態化していることが一往復で終わる理由なのでは?
LINEの場合、連絡が届いたかどうかは既読の有無で分かるし、チャット形式であるため話の区切りを付けずに交流が途切れることも多々ある その常識をビジネスメールの世界にそのまま持ち込んでいるため、年配の方にとっては違和感があるのだと思う
・40代ですが。 メールを開封確認通知の設定にしておけば、最後の返信不要じゃね?とはずっと思っていました。忙しい時ほど、この返事いる?と思っていました。 しかし、「かしこまりました。また次の機会がありましたら〜」の返信を送っているかどうかが、自分のスケジュールを見て検討したかどうかの履歴になるので、 見た・見てない、言った・言ってないを防ぐのに役立ってもいた。 メール見たけど、その後どうしたっけ?って時の確認にも使えた。
昔のメールって、LINEみたく時系列のスクロールじゃなかったから、大量のメールに埋もれてメールを読み逃したり、開いただけで別件に追われて中身を読んでなかったりもあったから、そう言う意味でも「読みました」って意思表示のために最後の〆メールは送ってたなぁ…
若い人の間ではそれは送らないのが常識なのか。仕事ができる人ならそれでも安心していられるけど、ミスの多い人だと心配かも。
・これ若い人だけじゃない。中年あたりの人もやるかも。何かを頼んだ時にやってくれるかどうか返事がない人もいる。 同じ職種の人がそうだから上の人が教えてるかどうかとか、上の人も返事とか挨拶メールしないとかでそうなってしまったのかなと思う。 返事がない時はやるって事らしいけど、メールを読んでないこともあるから返信は欲しいかな。 こういうのは上の世代が形で見せる事が大切なのではないのかな。
・タコパをする時は、タイパとは逆の頭で挑まなければなりません。
タイパでタコパをすると、中が半生だったりソースがしっかり浸透してなかったり青海苔がスルーされてたりするので、せっかくのタコパがタイパのせいでグチャグチャになってしまいます。
やはり良いものを作るには、それ相応の時間やこだわりが大切です。
私の知人はタイパの鬼みたいな人がいます。 彼とタコパをした時は驚きました。 容器に小麦粉と生タコ、水とソースを入れて混ぜてそのまま飲むように食べてました。 「これぞタイムパフォーマンスに優れた食べ方だ!」と。 「まだ日は明るい」と言って「じ!」と言って走って帰って行きました。 ちなみに、彼が言う「じ!」とは、「じゃあな!」という言葉をタイムパフォーマンス化させたものです。
すべてを短縮化させて何に時間を使いたいのかは不明ですが。
と言うことで、タコパにはしっかり時間をかけましょう。
・30年前の私も記事のようにビジネスマナーもわからずに仕事していました。上司にアドバイスもらったり自分で見たり聞いたり、失敗を繰り返しながら今に至っています。 そも会社の仕事なんて入社して3年くらい経たないと一人前の仕事なんて出来ないし、会社も求めていない。この3年の中でビジネスマナー覚えたり、仕事の進め方を習得したり、、基盤を作ることです。受け身の気持ちさえあれば一人前のビジネスマンになれます。3年間は謙虚に仕事に向かい合うことです。
・タイパもあるけど、これはスタンスの切り替えが理解できていない可能性も。
昨今だと社内メールでは不要な返信をしないことが一般的になってきているのでビジネスのやり取りは簡素。会話もメールではなくビジネスチャットを使うので、既読確認や「いいね」で了解したことが伝えられる。とくに最後の無意味な返信はいいねやエモに置き換わっている。
でもメールではそれができない。外部のお客さんも基本的には簡素なコミュニケーションを好むけど、記事にあるような場面では有効なこともある。
・この現象には、「設定によってはメールのやりとりがどんどん伸びていき、本来の用件がどこかに埋没してしまう」という技術的な課題もあるように思う。 自分で使いやすいように設定できれば、挨拶だけの返信を挟んでも煩雑にならないが、若者は案外、ソフトウェア周りの設定が自分ではできない。さらに、職場側が設定を決めてしまっていて、自分で変更できないところもある。(打合せ中の相手先がそれで、自然と検索しやすいメールの文章だけにやりとりが整理されていった経験があるので)
マナーとか、「お気持ち」の部分の意見も、否定する気はないが、それ以上に「必要なメールを検索できる、相手とのやりとりの履歴を時系列で確認できる」といったスキル(IT系の資格試験とは直接関係しない、データの整理・把握能力)を念頭に置いた文章の書き方を身に着ける必要もあるのではないか。
・長期的なタイパとか言うが、形式的に送られるだけのメールに負い目を感じ次回は便宜を図る保証があるかといえばない 一通のメールを送付することで書く側にも読む側にも双方に時間がかかることは確実 さらに仕事のフローが途切れる
私は入社時にもらった冊子でメールでのお疲れ様ですといった定例的な挨拶は無駄と教えられたので実践していた
・コスパだタイパだ言うのはいいけど、結局仕事は人間対人間でやっているというのを忘れてはいけないよね。「この人に頼まれたら頑張るか」ってどうしてもあるしその信頼関係を作るのはこういった細かい気遣いだと思う。別に必須ではないけど、長い目で見たときに同世代と差が出るのってこういうところだと思うんだけど、そもそも今の若い子は出世とかに興味がない子も多いらしくそういう教え方も特にモチベーションにならないようなので本当に難しい。
・年齢は関係なくないですか? 確かに世代毎に仕事やコミュニケーションの傾向はあるのかもしれませんが。 自分は30半ばで中間的な立ち位置ですが、40台以上でも、何も言わずとも察しろよとか、嫌な思いをしたら無視をしたりする人はそれなりにいます。 逆に若手もメール一往復ならまだ良い方で、メールを送ったのに返信すら無い方もいます。 ベテランも若手に歩み寄る工夫は必要ですし、若手もそれに甘えず自ら学び道を切り開く努力は必要かなと思います。
・最近の若者は、根拠なき自信があると感じる。やった事もない事を「出来ます」と言い、任せると出来ない。その理由が「指導が無かった」や「頑張った点を評価してほしい」。 出来ないのであれば、「指導してほしい」や「手伝ってほしい」と言えば良い。また、学生なら「出来なかったけど、良く頑張りました」と経緯も評価してもらえるが、社会人は違う。どんなに頑張っても結果がダメならダメ。逆にどんなにサボっていても、結果を出せば基本的にはOK! 子供時代や学生時代に、叱られる事なく褒められて育てられた弊害かな? もちろん、全てのではなく一部の若者の事だが・・・
・自分がそうだったが、一往復半のやり取りの必要性を知らないだけの可能性もあるのでは。 断られての返信だけでなく、「ありがとうございました。」、「了解しました。」みたいな一言の返信も周りのやり取りを見ながら取り入れて実践していくケースもあると思う。 更には若いうちは余裕がないケースも多いので、周りがフォローしつつ将来的に重要性に気付いて実践できるようになればと長い目でみて良いのではと思う。
・今の若い世代が子どもの頃には、昔に比べて近所付き合い、まして「手紙のやり取りくらいの付き合い」なんて希薄だろうし、単純にマナーとして知らないのではないか 昔は大人同士が書簡でやり取りしている様子を郵便物から見て何となく学習していただろうけど、メールという当人同士にしか見えないやり取りが主流になると、そうした様子にも触れない メールやメッセージのやり取りなんて、家族友人同士としかやらないだろうし 「外の人」と関わらないし、関わり方(礼儀)に触れないまま社会人になる人が、昔と比べてずっと多いんじゃないか 一方で、「思考力やアイデアを磨く」教育は昔よりずっと力が入っているから、学生のプレゼンや文章力など企画提案に関する能力は高い(らしい) でも比喩でなく礼儀を「知らない」なら、無礼な若者に見えるだろう そういう点が苦手だと若者自身も自覚しているから、就職先としてコンサルが人気なのかな?
・私の職場でも同じ傾向があります。 ただ、効率重視している若い世代も最後の気遣いができるできないで人の協力を得られるか得られないかは大きく違っています。 コロナ禍で人と会わなくていいリモート中心を支持していた若い世代も、最近は人と会って仕事をすることや対面の必要性を気づいた人も多くなりました。 要はメールだろうが対面だろうが、効率的にでも気遣える人は仕事の成果に大きく差が出ています。 私の職場では男性が育休を取る時にそれが顕著に出ます。もともと仕事ができる人は休む前の引き継ぎ計画や周囲への気配りがあり、お互いが気持ちよく仕事ができています。 逆に自分本意な人は急に育休を決め計画性がないので引き継ぎも気配りもなく、サポートする側が不満爆発という結果に。いい仕事には結びついていません。 今の経済発展が低迷しているのは以前の人を敬う気持ちが欠けてることも仕事に現れている結果かなと思っています。
・正しいとされてきた挨拶は最初はベストプラクティス的な形で普及したが形骸化しているものもある。そしてその挨拶をすることだけで評価されてきた種類の人がしがちなのは、それができない人を指さして自分の優位さを保持しようとする事ではなかろうか。 上にいる人からのメールにはそういった挨拶がなかったりする。既に優位なので今さら挨拶で優位に立つ必要がないから。 ではその挨拶必要なのでしょうか、そろそろ考えても良い時期なのかもしれません。
・一往復半の半の部分。将来への投資と思えば安いものだと思うのだが。 バブル崩壊以降、更にはリーマンショック、あらゆるムダを省こうとして将来的に必要なものまでカットしてきた結果、後になっての咎めに苦しんでいる企業のなんと多いことか。 個人も同じ。わずかの手間を省いて後で大きな損失を被る。逆に小さい気遣いの積み重ねが大きなリターンの元になると思う。
・断れたところでメールは完結しているのにメールを送ると、ただでさえスパムメールも多い昨今、相手のメーラーに無用なメールが増えることになったり、厚かましい人間に思われないように、逆に気を遣いすぎて返信しないという人もいると思う。 接客業などで二重敬語なんかが目立つのもそうだけど、繊細な人が増えているのも1つの要因だと思う。
・これもアフターコロナが生み出した企業における営業機会の損失で有る事は間違いない。メールで一往復しかしない営業マンはおそらく相手先への訪問なんて一回すれば終わっていると思われ、諦めの早さにより顧客のニーズを引き出せていないと思われる。 メールにより数打ちゃ当たる営業→効率的、と勘違いしている節もありそうだ。 昭和時代の営業スタイルにも、精神論が有ったりしたので無駄な事はやる必要は無いがコミュニケーション能力が余りにも無さすぎて、若手の指導にも頭を悩ます人も多そうだ。 折角、コロナも明けたのだからメールばかりやって無いで、顧客の顔色、会社の雰囲気、社員の活気、倉庫の状況等、自身の五感を使った営業活動を行って頂き、報告をあげて欲しいね。
・返信するのは礼儀だけじゃなく、確認の意味で必要でしょ なにかの手違いで断りメールが届いてない場合もあるし、読んでなくて引き受けてもらえると思って噛み合わなくなっても困るし 若い人に物事を1辺からしか見れずに結論を出し、大局を見れない人が増えている こういう事があると困りますから、確認メールは必ずしましょうねと丁寧にマニュアルに書いてないとできない、自分の頭で考えれない 予防ができない上に、結果問題が起こっても解決するのは本人じゃないんだよね、そして叱ったらハラスメントで叱られない努力はしない 持ってるのはいずれ無くなる若さだけだよ
・メールについてはやはり国語力・文章表現力の低下が影響しているとも思います。 私は比較的親切というかはいこれで最後です的な文言で終わるようにしていますが、時に面倒に感じる事もあります。 昔、アマチュア無線では、通信の最後に男性なら73、女性なら88で終わるような習慣があったことを思い出しました。 現代的に簡素に返信ができてお礼と通信の最後がわかる表現もひつようではないか。
・記事の内容、概ね賛同できます。もう40年近く前の話ですが、某大手経営者から『お金と人は気持ちが良い方へ流れる』といった話を聞きました。社会人になりたての私にはピンときませんでしたが、経年と共にその意味が良く理解できるようになりました。ビジネスシーンにおいて効率化やタイパは必要ですが、その本質を見失っては本末転倒ではないでしょうか。業種業界にもよるでしょうし、相手との親密度にもよるでしょう。人間が一切介在する事無く完結可能なビジネスモデルなら良いですが、人間は感情の生き物ですからやはり心地良い方へひかれます。言った言わないを防ぐ為にもメールは有効ですが、事案が完結するまでの総時間を考えると『電話で良くない?』と思う事も多々あります。お金を払う側と受け取る側の立場がいつ逆転するかもわかりません。最後は人だということを痛感します。
・実際に若者のビジネスマナーになっているか否か、タイムパフォーマンス重視であるか否かは全く関係なく、要するに自己中心的な判断か否か、コミュニケーションなので相手方がどのように感じるか、を考慮することができるか否かでしょう。 この記事中の「1往復半」といっている「半」の部分は、相手方の意思表示に対しての回答部分です。対面では無視することはないと思いますが、非対面のコミュニケーションにおいて省略するということは、対面コミュニケーションではしない省略をすることであって、自分の作業時間中心の発想で、相手方への配慮などが欠けている点が最も問題であろうと思います。 中長期的な関係を築いた相手との共有された認識において行うことは問題ないと思いますが、ビジネス上の相手のみならず、プライベートの相手であっても相手に失礼である以上に自己中心的な対応だと反省し、心すべき事項かと思っています。
・腑に落ちる話です。日本の将来が不安になりますが、これが現実なのでしょうね。以前、早稲田大学を卒業し、今はMARCHと日東駒専の間くらいのランクの大学教授をしている知人に聞いた話ですが、「私たちの頃だったら、この大学くらいのレベルの学生が今では早稲田に行っている」とのことでした。昔も今も早稲田は難関ではないかと尋ねると首を振り、学力偏差値が70以上といっても母集団が異なるから比較にならないとのことでした。自分たちのときの方がはるかに受験競争は熾烈で、合格した級友たちも優秀だったのに対し、今の学生はそれほどではないとのことでした。確かに、今は有名予備校などに通って要領よく点数を伸ばしてしまうことが可能のため、高学歴でも案外中身がないということも納得です。その上で社会常識も欠落・・・もしかして、私たち中高年世代が彼らの感覚に合わせとでも? 例外に期待しましょうか。少しはいるでしょうから。
・コロナで営業が変化しているので、客層にもよります。 たとえばBtoBの場合、ガバナンスが効いてる会社だと担当者の心証の入り込む余地はないし、個人でもメールでのやり取りが常識化した世代だと中身のないやまびこのような定型文が返ってくることこそ心証が悪いです。
逆に、LINEで繋がった相手にはまめったく連絡をするので、webメールで営業したりされたりが常識の層は、意識のアップデートをしておかないとデジタルネイティブのニーズをつかめないと思います。 若手のマナーを不安に思う前に、自分の常識を古くなってないかと疑うことから始めるのが、ビジネスの基本だと思います。
・前提として、内容によっては効率的だろうから区別は必要だと思う。
今後の関係性を考える相手からされた場合には「次の機会」には連絡しようとは思わない可能性はある。それだけのことかな。相手に求めても仕方ないし。その時の文面や状況もあるので一概に言えない、その判断すらしたくないということなんだと思う。逆の立場で「なんだこいつ」と思う日が来れば気付く事もあるのかも。
電話をどちらが先に切るか(どっちでもいいけど即切りは印象悪い)も似ていて【相手への印象】という形でどこかに残る気がする。
・メールは1往復半を普通にやってきた。礼儀というか気分が良い。最近20代、30前後の人とのメールでは1往復が割とあって、最初は肩透かしを喰らった感覚があった。ただ、外資で働いていると外国の人とのやり取りの多くは1往復。英語で「今後も何かあったら..」とか返されたら逆に違和感。断ったのにその人から即メールが来たら「まだ何か問題あったっけ?新たな要求?」とか焦ってしまう。 でも日本人相手だと1往復半に慣れている。なんとも不思議な感覚。 個人的にはどっちでもいい。
・悩ましい問題ですよね。 世代間でマナーにギャップがあったり、どこかのメディアがそれが正しいといえば大勢がそうし始めてそれがマナーになったり、企業の利益を求めるPRがいつの間にかマナーになったり…。 結局は人様相手なので、その時々で相手様に失礼にならない範囲で、あるいは相手様に合わせてその時々のマナーに従うしかないと思います。 ただ相手様の立場、自分の立場をわきまえる必要はあるのかな、と思います。
・自分はもう定年に近いですけど、1往復メールは数え上げたらきりがないですね。自分もやりますし、やられることもしょっちゅうです。 それは日本国内に限ったことではないですし、1.5往復の方が特に好印象ということもありません。 仕事にもよると思いますが、油断すると大量の未読メールがたまるような仕事をしていると、お互いに簡略化が進んでいくのであって、世代は関係ないと思います。
・昔も今も日本の仕事のやり方は、世界規模で考えると遅れをとっているのは明らか。ただ、なんでもかんでも世界基準に合わせる必要性は無いと思ている。日本人同士のコミュニケーションの取り方は独自性があって欧米化されたやり取りはむしろ雑に思える。丁寧だからこそ生まれる信頼感。そこを大切にしてもらいたい。
・私は新卒一年目ですが、若いかそうでないかとかの問題ではなく単に世代間ギャップをお互い受け入れずシャットアウトし合ってるからだと思います。怒られ慣れてないだとか甘やかされてるだとか記事で言ってますが、別に私たちが最初から望んでそうなったわけではありません。各家庭の親の教育方針で多少差はあると思いますが、国として甘やかした方針の教育にした結果ゆとり教育が生まれ、そのゆとり教育を決定した世代が今の「若い人」と呼ばれる世代をなぜかこうして批判している。もう大人なのだから自分で善悪の判断をしなさいと言われてもそもそも教わってきた常識が違うことだってあるんです。結局は若い人もそうでない人ももう少し相手に歩み寄る努力をお互いしないとこういった議論は一生続くと思います。
・時代とともに変わっていくものもあるので、前時代の人が嘆いても仕方のないことです。 前時代の人たちも前々時代の人たちのやり方を改良して新しい世の中にしてきたはずなのですから。 私の以前の上司で再雇用の人も、取引先の人との約束や連絡事項をメールではなく、必ず電話でしようとします。先方が20代後半で明らかに迷惑そうにしていても、そのやり方を変えようとはしません。それがビジネスの礼儀だと。 そして記録が残らないため、何回かに一回は「言った・言わない」の行き違いを起こしてしまい、仕事の一部をやり直さなければならないこともしばしばです。また、電話の度に相手の時間を奪ってしまうので、とても非効率です。 次の世代に伝えなきゃいけないことがあるのも分かります。しかし、その判断は次の世代の人たちに託しましょう。 次の時代を生きるのは、私たちではなく彼らなのですから。
・先般話題になった「。」もそうですが、人生経験の乏しい世代の常識に忖度する必要は無いと思っています。 確かにデジタル世代にはまどろっこしい作業も多いのでしょうが、社会に出て学んで行く中で色んな世代の方々に触れ、学生間での常識とは違う事に気付く事でしょう。 我が家の若者はまだ鼻息荒く持論を述べてますが、肩身が狭くなるのは自分だし、身についた時には後輩を諭せるようにはなると思ってます。
・ビジネスとはどちらにとっても有益であることで成り立つ。そして多くの取引の場合、買ってもらう側が買う側より配慮を行うことが多い。
私はメールでのやり取りは、顧客に対してはどんな内容の返信をもらおうが、必ず自分で終わることを心掛けている。それが当たり前だと思ってきた。 それがここ数年で、こちらが客である場合の取引担当者(全員20代半ば)は、客側からの返信が最後であってもそれで終わることが圧倒的に多い。
育った環境や教えがそのように変化させているものだと解釈がするが違和感は覚える。
・時代が変われば慣習も変わるのかもしれませんが、最終的には人と人のやり取りですからね、仕事も。
相手がどう感じるかであって、自分の判断だけで無駄と考えてやめてしまっていいのかは難しいかと。
逆に、それが当たり前だと思っているところに、丁寧に返信する人が出てきて自分のビジネスチャンスを奪われることになるかもしれない。
なので、自分の判断だけで、効率性だけ重視するのは避けた方がいいのではないかと思います。
・一往復派です。 定型的なものであれば、相手からの返信に対していちいち返事はしません。 私は、業務内容的に30人近くの相手に一斉メールするので30人に個別に返事するのが無駄に感じます。また、かつてはこういう依頼しますのでよろしくお願いしますと一人ずつ電話もしていたようですが、それこそ無駄なのでやめました。 ただ、個別案件的なもので個別にお願いをするものはメールで返事もします。急ぎの場合は電話もします。 一往復半を求めるような非効率な人とは一緒に仕事したくない。
・この記事に賛同します。
ビジネス、特に社外の人とのやりとりは相手基準で考えないといけないと思う。 社会のキーパーソンはまだまだ30〜40代以上が多いと思う。その人たちに違和感のある対応をしていると結果的に損するのは自分。 思うことがあるなら自分が偉い立場、社長になってからぜひ取り入れたらいい。
断られたあとの返信がないのは、若いからとかチャット文化だからではなく、単に気遣いができる人が減った結果だと思う。 若い人でもできる人は沢山いる。
老害と言われようと、最低限のビジネスマナーができてない人は不信感を持つし、それが業者なら当然ちゃんと対応できる会社を選ぶ。
・>>最初の依頼を断ったことに対して、人は心理的な負い目を感じる 来れもタイパ重視の若い世代には、「だめなら別の人」としてに頼もう」と、当てはまらなくなるかもしれません。 ただ、筆者も言っているように、ビジネスは相手の年代や考え方を把握した上で対応することが大事だと思います。同年代相手の場合と、自分より年上の世代との場合とで、それぞれにあった対応ができる方がビジネスチャンスが広がるはずです。
・その一往復で終わる若者は双方のコンセンサスのズレが業務にとってどれだけわずわらしいか経験してないからだと思います。 先方から仕様や納期の変更依頼が来て、断ってメール不通にされたら、本当に元の契約書仕様書通りに納品してくれるのかわからないまま悶々と過ごします。 稀に言った言わないの押し問答になったり、メールならログが残りますがメール消されちゃったら、消しちゃったら結局押し問答。 そういう面倒くささを経験すると一往復半に自然になるのかなって思います。 自分も若者の頃は一往復で終わらせて、承知しました。またの機会に〜って定型文のようなメールなんかいらないって思っていました。
・そもそも、自分がされてどう思うか基準で考えてしまうと、どうしても世代間のギャップは埋められない。 記事にあるような若手にとって別に返信があろうがなかろうが気にしないのでは?むしろメールが続く方が面倒くさいこともある。
今までそうだったからと言う慣例で判断する人があまりに多いから日本の就業環境って無駄なものがあまりに多いと思うし、若手もそんな中高年に少しでも寄り添ってあげれば、もう少し世代間のギャップって埋められるような気がする
・色々な意見があると思いますが、本来はまわりくどいビジネスメール送るよりも、いいねボタンとか了解した旨が伝わればいいですし、同世代同士のやりとりだといちいち無駄な返信するなって思うのかもしれないですね。世代を超えたやり取りだと失礼に移るかもしれないけど、Z世代が高齢者になるころにはわざわざ返信してくるやつは非常識となるかもしれないですね。
若者のタイパ重視って、上の世代からは「今どきの若者は~」って文脈で語られることが多いですが日本にはびこる無駄な習慣やマナーを無くすことが出来るチャンスかもしれない。
・一応様々な分野で『マナー』として共通のルールはあるのかなと思います。
ただ、根本的な部分としては、正誤や善悪以前に『相手の立場に立ち、可能な限り相手によりそう事』が重要なのかなと。 自分だったらどう思う、という事ではなく、相手だったらどう思うってのがコミュニケーションの一歩目ですしね。
・自分も最近、一往復で済ませる人、また、こちらからアクションしても既読スルーをする人が増えている印象があり、ほぼ若い人にその傾向があり、不思議に思っていました。 この一往復後の"半"のやり取りは、めっちゃ大事だと思いますし、それで損をしている人も多いのではないかな、と思いますし、目先しか見ずに結局は自分さえ良ければ、と考えている人なのだろうと判断してしまいます。 ほんの少しの時間を掛ければ、将来の投資にもなるのになぁ、と個人的に思っています。
・マナーには経験則から心理学的に効果的な意味が内包されている場合も多いが、若手は マナー=全て意味のない前時代的な作法にすぎず無駄 と捉えてしまう事があるように思える。 若手には、効率化を求める一方で、すべて無駄と思考停止せず、そこに隠された意図を読み取る工夫をして欲しいと思う。
・メールには既読マークがないので、「承知しました」の返信がないと送り手が読んでもらえたかどうか分からない。
という事を想像できれば返信しようと思うのが普通では。タイパを意識しすぎて業務のパフォーマンスを落とすのはもったいないと思ってしまいます。
近いうちにメールもTeamsチャットなどに置き換わっていくだろうから、そうなればスタンプだけでの反応になると想像はしています。
・一同に集まって開催していた店長会議を、 それぞれの店舗で行えるオンライン会議は、 タイムパフォーマンスを重視していると言えますが、
メールで断られた後に返信しないのは、 コミュニケーションが下手な事を棚に上げて、 タイムパフォーマンスのせいにしているだけの合理化だと思います。
仕事が出来る人は、 そもそも断られる率も低いでしょうし、 仮に断られても、もう1返信して次回に繋げる結びの文を送っていると思います。
ただ、40代50代でも気の回らないタイプの人で、 断られた後に返信しない人普通にいます。
・腑に落ちる記事でした。こうしたビジネスマナーは、これまでOJT(現場の先輩や上司を見ながらそれを盗んで身につける)で暗黙知的に扱っていたと思いますが、心理学の理論だとか説得力がある論理があれば、若い人たちは簡単に理解するのではないでしょうか。利益があると判断すれば1往復半のやり取りに勤しむと思います。”1往復半をしなさい”と諭すだけではダメで、それが意味があることであり、投資として合理的だという論理を教えることが重要だと感じました。教える方も大変な時代ですね。
・昨年、派遣で勤務した会社 若い世代が多いから?なのか本当に社員同士が会話しない 勤務してすぐ、システムの使い方が分からなくて質問したらチャットにしてくださいと言われ困惑(ひと言で済むのに、文章だと説明が大変) 新しい仕事の分担依頼も部下全員宛に上司からメールが来るが誰も返信しないので放置 逆に、自分の担当なのに他の人が勝手に処理しているのを知らず、後で他の部署から二重に処理されていると指摘されたり(ひと言、終わってますと言えば済む) とにかくやり難くて、殺伐とした雰囲気が苦手だった
・メールであっても「人と人」のコミュニケーションションには違いないしな。 言葉足らずや無礼には気を付けたいよな。 時代が変わろうが世代が違おうが「人を思いやる気持ち」があれば、ツールが何であっても使い方に人間性が現れると思う。 時短や効率化は否定しないが、使い方を誤ると様々な支障も出ることがある。 ちょっとした気遣いは相手の心に残るものだしね。
・うちのまわりにはそんな若者いないけどな。 むしろ能力も高く仕事も頑張る子が多い。
たまに気遣いが足りない時があるけど、理由とどう行動したらいいかを一緒に考えたら次はうまくやってくれる。
目上だからと一方的に教えるのではなく、相手の意見も聞いてどうやるのがベストか話し合って決めるようにしている。
・プライベートのLINEならそれで構わないですけど、仕事ですし、Eメールだと既読されているかわからないですもんね。相手側の人が丁寧な人だと、メールが見逃されているかもわからないから、念のため電話も入れた方がいいかななんて、気を遣わせてしまうこともあるかもしれない。ビジネスですから、返答メールちゃんと頂きましたよという意味も込めて、一言でもいいからやはり御礼メール(返信)は必要なのでは。
それに、たとえ今は必要とされなくても、いつか断られた相手から求められる時が来るかもしれない。断りメールに対し、丁寧な御礼メールをもらって印象に残っていると、つぎ何かあったときに、あ、あの人にお願いしてみようかな、なんて思い出してもらえるかもしれない。かもしれないのためにすることが非効率だと言われたらそれまでですけど… 仕事も、人対人ですもんね。最後はやっぱり人柄=心象も大事なんじゃないかなと、私は思います。
・社員同士や気の合う仲間同士であればタイパも良いとは思うが、顧客として相手が関わる接客業務や販売業務での営業としてどうでしょうか?再契約に繋がる印象付けや、第三者に勧めてもらうと考えれば自分として不利に感じます。
・大事なのはパフォーマンスの部分。その仕事に対してだけ考えれば、断られれば終了だが、その後もその人に仕事を依頼する可能性があり、その人が最後の「ありがとう」をウザイと思うような人でなければ、最後の「ありがとう」は無駄とは言えまい。さらに1往復主義が世の常となれば、1往復半は個性にもなり、強みとなりうる。人の心も変わるので、長い目で見て1往復半に追加パフォーマンスが本当にないのであれば、無駄な習慣として廃れるだろうが、普遍的な人間性のあり方に依っては、案外「成功する人の1往復半」などということになるかもしれない。
・今は教えてもらうことが少なくなってきており、口出ししないことでこのようなことが常態化するのだろうと思います。 新人の時は宛先に必ずccで上司も入れるようにされていました。 そのためメールの文章や業務の流れが把握できるようになっていました。 現在はメールだけでなくサイボウズ・teamsなどのツールが増え、全体像が逆に把握しずらくなっているように感じます。 時代が変わっても、人との関係性は大きくは変わらないので押さえるところは押さえたほうが何事もスムーズに話が進みます。 あいつだったらやるしかない。。。。ということが多々あります。
・仕事でなくても一往復半は基本だと思います。 プライベートで遊びに誘うとしても「どう?→ごめん行けない→わかった」くらいは欲しい。断ったあと、相手から何も返事がないと伝わったのかがわからない。
ここで「相手に伝わってようがいまいが構わない。だって自分はちゃんと言ったから」という考え方なら、それは自分の言いたいことを一方的に話す演説と一緒。双方向なコミュニケーションではないと思います。
・私は30歳後半の女性で部門長を任せられたので、新入社員の教育をしてます。
20代は、高価な商品の納品時にお客様が留守だから玄関前に置いてあった「不在時はこちらに荷物置いてください」という所に置き配し苦情が来て、上層部が危険と感じ内勤へ転換。
40代は住所氏名が書かれた個人情報保護を約束した書類を間違えて2箇所に送付し、謝罪に行くと、翌日退職したいと申し出。
50代は女性から教わりたくないと、入社1ヶ月で社長に訴え、昨日付けの退職届を提出。
年代問わず、最近は想像を越えることをする方が増えてきました。 時代なのか...考えることをしない方が多いと感じます。
・字数制限が緩和されたタイミングで発注先が社用携帯になった関係でSMSでやりとりをすることが増えたのですが、失礼にならないように丁寧にやろうとすると、どこで打ち切るかは確かに悩みますね SMSは既読スルーができるだけまだいいですがメールにはその機能がないので更に難しそうです
・AIが流行ろうが、世代が変わろうが、人間社会である限り主人公は人間。 その人間は結局最後は感情で動く。
コスパ、タイパと偉そうに言っても、そのパフォーマンスを実証出来ない限りはあくまであいまいな期待値のまま。
人間性を印象付けることも仕事には重要だと思う。
・そもそもビジネスマナー、一般常識の定義がなくなっているのかもしれない。 定義の1つは相手に不快感を与えないことだと思います。昔からそうだから、みんなしてるからというのは日本固有の鎖国的な考えを持ってマナーや常識と呼ぶのも間違えてると思う。 一例をあげるならサラリーマンはネクタイをしないといけないなど。ネクタイをすることが正義的な。 また年上だから敬え的なのも違うと思う。 敬えるような人間なら自然と年下であろうが上であろうが相応の扱いを受ける。出来ていない人に限って言いがちな気がする。 若者どうこうより環境の影響が大きいので、親、先生、上司など根本を伝えたり、環境整備をすることが大きいと思う。
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