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吉村知事「公用語を英語に」発言に失笑続々「カタコト英語で講義してどうする」「イソジンと同じレベル」

SmartFLASH 2/13(火) 15:43 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/53456ba22be130b76cd06b9ee25e4eee37d70623

 

( 138831 )  2024/02/13 21:53:34  
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大阪公立大学の国際化が議題になり、2027年度から段階的に秋入学の実施と公用語を英語にする計画が明らかになった。

これについては賛否両論があり、一部の学生や都政関係者からは異論も出ている。

SNSでも様々な意見が寄せられている。

一部の人は、英語で学問を行うことと英会話ができることは別であり、論理的思考が育たないと不満を示す一方で、一般の方が理解できる平易な日本語に変換できない医者が増えるという懸念も示されている。

(要約)

( 138833 )  2024/02/13 21:53:34  
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写真:つのだよしお/アフロ 

 

「大阪公立大学全体で英語を公用語にするのは、段階的にやっていくべきだと思っています」 

 

 2月9日に開催された大阪府と大阪市による「副首都推進本部会議」で、大阪公立大学の国際化が議題になり、2027年度から段階的に秋入学の実施と公用語を英語にする計画が明らかになった。 

 

「大阪府の吉村洋文知事は、記者会見で『グローバルな人材を育成するため』と発表しました。秋入学は留学生だけでなく全入学者を対象に導入を目指します。 

 

 そして、英語を公用語にすることにも言及したのですが、記者からは『民間企業も導入しているが、なかなか難しい』という意見も出ました。 

 

 吉村知事は『大阪がこれから国際化、もっと言えば日本全体が国際化を目指していかなければ、もう、どんどん衰退していくと僕は思っています。実際、衰退しています』と話しましたから、方針は固そうですね」(政治担当記者) 

 

「秋入学」は日本維新の会の代表だった橋下徹元大阪市長の「持論」で、コロナ禍で大学が長期リモート授業になったときにも提唱していた。だが、日本の受験時期や就職活動などの変更が難しいこともあり、実現には至らなかった。 

 

「英語の公用化は、すでに私学も含めて一部の学部や研究室単位で導入されていますが、『全学部』というのはハードルが高そうです。学生からは『日本史の勉強も英語でやるの?』と失笑が起きているようです。 

 

 ある都政関係者からは、『小池都知事も検討したが、実現するのは難しいと判断した』と聞きました。教員の英語レベルなど、複雑な事情があるのでしょう」(同) 

 

 この「公用語を英語に」のニュースが流れると、SNSには、さまざまな意見が寄せられた。 

 

《中途半端な英語で中途半端な知識を伝授するだけで、さらに教養レベルが下がるのは容易に予想できる》 

 

《英会話ができることと、英語で学問を学ぶことは全く違う。大学の公用語を英語にしても論理的思考は育たない。手段と目的を取り違えている》 

 

《日本語の教科書をカタコト英語で講義してどうするの》 

 

《日本語で専門用語を理解して一般の方が理解出来る平易な日本語に変換できない医者で溢れかえることになる》 

 

 なかには《イソジンと同じレベルのただの思いつき》と、新型コロナウイルス対策にうがい薬が効果的だと記者会見で発表した「しくじり」が揶揄されていた。吉村知事からすれば、思いがけないブーメランといったところか。 

 

 

( 138832 )  2024/02/13 21:53:34  
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(まとめ)多くのコメントから、大学が英語を公用語にすることに対する懸念と反対意見が見られます。

日本語での専門知識獲得の重要性、教育や研究における専門用語の違い、英語力と専門性の両立の困難さなどが指摘されています。

その上で、国際化やグローバル人材の必要性については理解を示すコメントもありますが、専門教育を英語にすることについては慎重な段階的導入や、英語力向上のための長期的な計画が提案されています。

また、日本語と英語、双方の言語能力を育成し、視野を広げることが望ましいとの意見も見られました。

( 138834 )  2024/02/13 21:53:34  
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・高等教育で重要なのは「専門知識と中身」だよ。そして、専門知識には、専門用語がある。「外国語の専門用語」には、必ず対になる「日本語の専門用語」が「1対1対応」で造語されている。専門の固有名詞の場合なら、一般の会話より難しくないし、専門家同士の意思疎通は、思っているほど難しくないと言われている。 

だから、目指すべきなのは「母国語で、知識を深める」こと。英会話ができることではない。欧米の方が研究が数段進んでいる分野の場合は、論文はすべて英語。その論文を読める専門英語と専門知識は必要。翻訳が出るまで待っていたらドンドン遅れる。 

数学や物理の場合は「数式」が一つの言語と同じ。それだけで理解できる。 

日本文学や日本史を研究するのに英語の必要性は感じない。 

専門分野ごとに、どの言語で研究し、考えるのが最短距離か考えて決めるべき。すべて英語が正解ではない。 

 

 

・英語を社内公用語にして失敗して日本語に戻した企業が多数あること知らんのかな。 

試しに大阪府役所市役所の公用語英語にしてみては。 

 

最近はDeepLとかAI活用して和訳英訳かなり自在になっている。近い将来英語が障壁になることもなくなるだろう。 

今更講義を英語にするってより、この先を見据えた教育法を考えた方が良いと思う。 

 

海外の小さな国とかは、教科書や専門書が英語しかなくて学んでいる。日本は和訳された本屋、日本語で書かれた素晴らしい教材がたくさんあるのだから、まずは日本語でしっかり学んだ方がいいと思うけどな。 

 

 

・理想としてはいいと思うけど。実際に英語で大学教育を受けた人の話を聞くと、毎日大学の課題に10時間かかったとか、家に帰っても寝るまで勉強漬けとか、そうでもしないと高度な内容を英語で理解して表現するのって難しいんですよね。もちろん英語ができるようになる価値はあると思うけど、問題は、大阪公立大がそれだけの時間と労力を捧げられるに値する大学なのかってことですよね。医学部除けば偏差値60前後の一般的な国公立大…。卒業すれば新卒でも年収3000万〜って専門性と英語スキルが身につくなら全然大丈夫だと思いますよ。 

 

 

・この計画の利点は、 

・留学生の入学者数の増加 

秋の入学は国際的な学業カレンダーに合わせて行われるため、より多くの優秀な留学生を海外から引き付ける。 

・国際競争力の強化 

公用語としての英語は、トップクラスの国際的な教員や研究者を惹きつけ、大学の評判と研究成果を高める。 

・国内学生の語学力の向上 

教室やキャンパスで英語に触れることで、日本人学生の語学力と雇用適性が向上する。 

・文化交流の拡大 

国際交流の増加により、より多様で異文化間の学習環境が促進される。 

 

 

・昔ながらの英語が喋れる人は凄い的な発想。日本人が英会話が苦手なのは、社会で必要がないから。私の周りで英会話が出来る人は英会話が仕事とかで必要な人か、以前、外国に住んでた人。会話は社会での必須道具だから、教育で目指しても無理が有って大学では英会話が必要な学部以外無駄で有る。因みに私は理系の学部出身だが、英文の読み書きで十分で友人はプラント関係の仕事の海外生活とかで英語を流暢に話していた。この吉村知事はコロナの時もそうだが、思いつきとかで話してしまう弁護士出身の人とは思えない稚拙な人だ。こんな人が地方政治のトップとは恐ろし事だ。 

 

 

・大きな改革を実行する時は常に高いハードルがある。 

また、 

声高に叫んだことを引っ込めることは、自身の評価を下げるだろう。 

 

国際的な競争力を高めるためには、 

どの分野においても専門性の高い言葉を使えなければ話にならない。 

 

英語の公用語化は 

様々な国の人たちと本格的な討論をできるようになり、 

単一になりがちな日本人の思考方法や知識の幅を広げ、 

大学のレベルを底上げすることにつながるだろう。 

 

しかし、一気に変えるのではなく、 

分野ごとに優先順位を決めて、段階的に導入していけばいい。 

 

中でも、研究開発をする理系は役に立つ可能性が高い。 

 

導入には、各種方面に協力を仰がなければならないが、 

賛同されるかは別としても、 

まずは、方針を深く理解してもらうことが重要だろう。 

 

最終的に、 

日本語と英語の両方を使いこなせて、 

視野の広い人材が育成されるようになれば一定の成功を収めたと言えるだろう。 

 

 

・国際的に通用する人材は英語が喋れる人でなくて母国に対するアイデンティティが確立している人です。まずは日本の歴史、いにしえの歴史も大事だが特に近代史に関してしっかりした考えを持ってなければいけません。でないとこいつ日本国籍だけど適当にあしらっておけばいいわな、と軽ろんじられてしまいます。吉村さんどこまで英語公用の世界をご存じなのだろう。 

 

 

・私は英語を話せるけど、そこまでして英語を強要する必要はないと思う。 

英語を学びたい人は学べば良いけど、専門教育を英語にした影響で理解度が下がるデメリットの方が大きいと思う。 

それに日本は英語力で他国に遅れを取っていることは事実だけど、そのおかげで日本独自の文化が海外から見てユニークに映る部分もあり、それがビジネスになっているところもある。なんでも国際色豊かにするよりも己の文化を大事にした方がいい。 

 

 

・国内でも有数の「コミュニケーション不全」人物である吉村氏が 

日本のコミュニケーション力について語る、 

というところに失笑を禁じ得ない所以がありますね。 

 

英語教育の前に、国語教育です。 

詭弁を振り回す道具としてしか日本語を使えない稚拙な吉村氏に 

大学内での言語の扱いなど決められることではありません。 

 

行政にしろ教育にしろ、 

昭和的思考しかできない維新の会の面々にできるような低レベルの物事ではないのです。大阪こそ早急な政権交代を目指さなくてはいけない局面に来ていると思います。 

 

 

・日本の第一言語たる日本語を話させないというのは日本の大学としてどうかと思う。日本の学校なのだから公用語まですべて英語にする必要があるのか。確かに英語を学びたい人たちは英語を習い、英語で話せば良いけど、普通に英語も志願してないような人にまで英語を話させるような必要はあるのか。日本の大学が無理に海外の流れに乗る必要があるのか正直疑問だ。 

確かに国際化が重要だという点は確かかもしれないが、だからといって日本の今までの春入学という「当たり前」を無理やり変える必要があるのだろうか。この変更は日本の文化やそれに伴う教育がおそろかになるように感じるのだが。 

 

 

 

・日本で英語が公用語にならなかったのは、日本語が世界でも稀なレベルの高等言語であり、英語やその他の言語で置き換えなくても社会のすべての分野で不足が無かったから。 

法律、教育、産業、娯楽、もちろん日常会話もすべて母国語で賄えるというのは、ものすごく貴重な文化であり、後世に至るまで大切に守るべきものだ。 

もちろん英語も自在に使えるならばそれに越したことはない。日本の文化を世界に広めるためには英語に堪能な日本人が必要だし、世界中の知見を吸収するためにも必要な能力だ。 

外国語を学ぶうえで日本語が邪魔になるという考えなのかもしれないが、それは日本の歴史や文化に対する冒涜に近い。 

 

 

・講師陣が英語で堪能で、テキストも全て英語ならば、そういう大学が1つの選択肢として存在してもよいと思います。でも、既存の大学をこれからは英語が公用語!としても、あまり成果は期待できないでしょう。 

だいたい大学の教員は成果を求められて論文作成に追われたり、目先の研究成果を求められたり、研究資金は民間から自ら調達とされたりと、いろいろ煩瑣なことが増えました。英語での講義準備などに手が回るのかどうか。 

AI翻訳などが急速に精度を上げている昨今、こうしたサービスをうまく活用する層と、開発を担う層とをそれぞれ育成する方が効率的でしょう。 

 

 

・大学生の英語教育自体の水準を上げることには賛成だが、英語を公用語とは、学部限定でやればよい、又、卒業後も全て英語での対応が必須となる人間も全てではないと思いますね。 

実用的で高度な英語学習も、大学生にとって必要だが、高度な日本語の研鑽も同時に必要だと思います。 

もっとも首長による公立大学への思い入れであって、先ずは、直接納税者である該当自治体の住民の意見が尊重されないといけないとは思いますが。 

 

 

・グローバルな人材になることと英語が話せることは本来は別の話。そんなことも分からないとしたら致命的です。だいたい、全ての授業を英語で行える教員がどれだけいるんですか?そこまで言うなら知事の記者会見も府議会も全部英語でやってみたら?って思う。 

 

 

・当時受験生だった時代に、現文の過去問で「日本人が他国に比べて英会話できる人が少ないのは、高度な研究を日本語で行えるからだ」という長文が出ていたことを覚えている。他国では専門用語を表すために母国語では表現できないことが多いが、日本語は対応した日本語の専門用語があるから大学で英語が不要と考えられてきたらしい。 

言語が発展している日本でそれをする必要があるのかは検討した方がいいと思う。単なる思い付きで公用語提案をしたのだとすれば、一度周囲の人の見解を聞いてみることを勧めたい。 

 

 

・日本の英語教育は、体育館で水泳の泳ぎ方を教えているのと同じような事。と言った人がいましたが、そのとおりです。実践する場がないのです。日本国内にいれば英語をしゃべらなくても何もこまりません。なので英語の勉強したって、実践する場所がないのです。海外にでも行って生活したり、日本にいても仕事でどうしても英語が必要になれば、必死でしゃべれるように勉強するのでそれでいいと思います。なので、根気を身につけさせることが、子ども時代には必要だと思います。 

 

 

・今の時代、英語できる人は日本で就職せず海外で就職目指す時代。国内で、地方でがんばる人を育ててほしい。 

日本語は学習を深く行うのに適した言語。表現法が沢山あるから大学で深く勉強したい人は日本語使うべき。 

ただ、英語学科などは全部英語で授業でも構わないと思う。講師が見つからなくても、文系であれば遠隔で優秀な英語を話す講師も見つかるだろう。 

 

 

・国際化は将来のビジネスチャンスや他国との経済競争に大きく響くため、将来の日本社会の豊かさを追求するのならほぼ最重要の要素だと個人的には思いますが、公立大学の英語公用語化が今または今後20年以内で取り組む事なのかと考えると、それは現実的ではない気がしています。 

 

国民がついていけない水準の大学教育の国際化は、必要性を感じている人に向けて部分的に行うのが妥当だと思います。 

 

 

・今やスマホひとつあれば、音声通訳も文章通訳も、相互に意思疎通する程度なら誰でも行えてしまう時代。それどころかAIの進化もやばく、通訳AIさえあれば何千時間という膨大な学習時間をかけるより、そういったツールを使いこなす事をまず覚えた方が、他の事に時間を使える分遥かに良いと思うが。それに今は大学、高校、中学、小学校で「問題文を理解出来ない生徒が多い」との先生たちの嘆きが。まずは母国語を通じて思考力、論理力、文章力、推理力、表現力、など基礎的な能力を向上させるのが急務じゃなかろうか。 

 

 

・世界で認められた漫画、アニメは主題歌まで、日本語の原文を理解するために日本語を学ぶ人達が少なくない。  

学術や産業でもトップレベルのものを日本語で発信すれば海外の権威がこぞって日本語を学ぶことになる。  

それが日本にとって本当のグローバル化でしょうね。  

求められるのは知識や技術そのものであって、いちいち英訳する親切心ではない。 

 

 

 

・米国系国際学校の教員だった者です。日本で英語での各科目の講義は、講師陣の英語力が要る。国籍問わなければ、人財はいます。同様に日本籍教員も本気で英語をネイティブに近い級で話せないと、英語で各科目の講義は無理です。 

 ですが、「英語力」と「専門分野力」の両方を対等に持つ人財はかなり希少です。いるにはいます。 

 参考に、海外大学院正規課程了の修士や博士取得者が、その人財として可能性ありです。又、日本企業派遣駐在員ではなく、海外企業で現地採用された現地正規社員だった方もです。見つけるのは、大変ですが、やるなら頑張って見つけられると思います。 

 勿論、米国 カナダ 英国 豪州 南ア等、英語圏の大学の歴史専攻では、日本史や世界史を英語で研究をします。当たり前。他のコメントを見ていると、日本史も英語でやるのか?等の「英語力不足感から来る不安そうな意見」がありますが、現実やってみないとわかりません。 

 

 

・こんな日本史の記述を思い出した。 

日本を除くアジア諸国では、大学での授業はほとんど英語(あるいはフランス語)だそうだ。 

なぜ、母国語での授業ができないのか。理由はこれらの諸国では、(欧米の)人文科学や自然科学で使われる概念に対応する翻訳語彙がないので、そもそも翻訳することが難しかったという歴史からだ。 

 

拙い英語の授業ではレベルがしれている。そして、いまは英語力を翻訳ソフトで補うことができる時代だ。 

 

 

・ある企業が社内公用語を英語にしてみたけど、英語じゃ細かいニュアンスを伝えきれないため、会議の場で「大事なことなんで日本語でお伝えします」て非効率この上ないやりとりが多発したのは有名な話。それどころか思った以上に業務効率が落ちて、社内公用語を日本語に戻した企業さえある。 

その他、職員が英語で授業が出来るのか、そういう方たちを集め切れるのか等懸念はあるでしょう。 

その辺りを踏まえて計画を推し進める覚悟があるのであれば大賛成。 

 

蛇足ですが、在校生や新1年生はダブらずに卒業しないと大変なことになりそうですね。 

 

 

・これは、大阪公立大学というレベルの大学でやるのが間違いだと思う。 

同じ大阪の大阪大学ですら英語の講義についていける学生は少数だろうに、それ以下のレベルの大学でやったところで、「なんか英語喋っててよくわからなかったけど単位きたからいいや」で終わる。 

 

やるにしても、まず阪大の一部の学部からスタートして様子を見るべき。 

 

 

・英語教育は高校教育までにしっかり組み込まれているのに、日本国民の大多数は出川イングリッシュにすら達していない会話レベルの人が多数。まずそこからじゃないのかと思う。あとどなたかも書かれているが、テクニカルタームは業界ごとにあるわけで、外国人ともその分野内では通じる事も多い。まずは日本語での知識の構築がやはり優先されるべきではと思う。 

 

 

・AIのさらなる進化によって、ごく近い将来言語習得の意味も無くなっていくのではと思う。 

そんなことよりも、日本語力の低下の方にこそ目を向けて欲しい。 

行間や文脈を読む能力が著しく欠けて来ているように思う。言葉の思考力、洞察力といった基本的な母国語力の底上げは、AIを動かす、検索する、論理的思考を持つ、などこれからの時代においても特に必要だと思う。他国語の習得なんかよりやるべき事があるではないか。 

 

 

・言語の多様性が尊ばれるようになっているのに何を言っているやら。 

万が一英語が公用語になったら、ある程度の時間は必要だけど日本語は死語になると思う。 

何故なら、話すにしても読み書きするにも一般論としては英語の方が簡単だから。平仮名だけでアルファベットの大文字小文字合わせたより多いし、それにカタカナと、膨大な量な上、複数の読み方が当然の様に存在する漢字が加わる。話すにしても英語には数が少ない敬語、更に「雨」に代表されるような英語では一つの単語しかないのに日本語だと振り方や時間、シチュエーションによりいくつもの単語がある例もあり、事もあろうに他の言語ではほぼ必須級の「主語」を入れなくても会話が通じる事も非常に多い。 

勿論専門領域まで踏み込むとその限りでは無いけど、そこまで修める人は専門性が高まれば高まるほど少数になる。 

 

 

・結局は公立だけに限られてるし、大学からとなると出口だけ英語で教えるみたいな形になると思うので上手くは行かなそうだけど、まず英語で教えられる教員を育成するところから始めて高等教育からではなく、小学校から公用語を英語にする事をかなり長いスパンで考えるなら有意義だし、長期的な計画ならそれなりに実績も出るんじゃないかな。 

そりゃもう数十年単位で見るのが前提だけど。 

あと文法を形式的に教えるのではなく体感的にもはや覚えてしまうような教え方が必要だと思う。 

 

 

・母国語で高等教育が受けられるメリットをわざわざ手放すなんてどうかしてると思います。アフリカに数年間住んでいたのですが、母国語で教育を受けることができないために授業を理解できず、学校をドロップアウトしてしまう子が多いのは大きな社会問題でした。日本では日本語で大学院まで行けると言ったら、ものすごく羨ましがられました。いま日本の国立大学の1年生ですが、ネイティブの先生の英会話の授業が一クラス30人超、先生と会話する機会なんてほぼ回ってこない。英語のエッセイの課題は多いけど、これじゃどれだけ真面目に授業を受けても英会話はできるようにならないよな…と思います。世界と対抗するためには英語は必須ですが、そのために得られる知識の質を下げてしまったり知識を得るためのハードルを上げてしまうのはバカバカしいと思います。英語力をあげたいなら、もっと少ない金額でもっと効率よいやり方は色々あるはず。 

 

 

・英語で講義できることが採用の条件になるので、東大で学位とった人よりも、アメリカの三流大学で学位とった人が優先されるようになります。研究力より英会話力が重視されるからです。教員のレベルも当然下がっていきます。 

また、このような大学が増えると国内で学位をとるメリットが少なくなるため、国内大学院の空洞化が進むことも予想されます。 

 

 

 

・公用語というより、外国語が堪能な人が増えて欲しい。スウェーデン人の若者に会ったが自分は米国人だと思っていた。一緒にいた米国人が英語圏に住んだことが無くてどうしてそんなに英語が喋れるんだと聞いたら、小学校から英語の授業があるから普通のことだと答えていた。日本は経済大国なので外国語が喋れなくても問題ないと考えている人が多いのに比べて、英語圏でない小国の人達は外国語が喋れないと仕事が出来ないと考えている。自分は航空業界に勤めていたが、国際会議で発言できる能力と英語力を備えた人材は非常に少なかった。社内間、知人とのコミュニケーションがいかに達者でも社外、初めて会う人達とのコミュニケーションは全然別のレベルが要求される。 

 

 

・国際化に対応するためには、クォーター制を導入する必要がある。職員を派遣に頼るのが、府政の基本なのであれば、国際化に対応可能な職員を派遣で確保可能なのか。今は、夏季休暇期間中を業務閑散期として、人件費を算定しているはず。クォーター制を導入すると業務閑散期は存在しなくなるのでは? 

 

 

・英語公用語化については国際教養大学のように徹底できるのであればある程度の効果は見込めると思うが、秋入学については高校の卒業時期や会社の新卒入社時期とずれが生じるので社会に混乱を生む可能性があるので慎重に進めていただきたい 

 

 

・英語の語彙力を高め、英語に知悉しようと思うならば数万の単語では足りず、加えて文化的背景も知る必要がある。特に後者は教養と呼んでいるものだと思うのだが、結局それは日本語を母語にする人間にとっては日本語の語彙を上げることこそ近道なのではないのか?という気がしないでもない。 

大学で英語ベースの授業もいいが結局それは最初から大学で一からというより英語圏で、語学学校で、あるいは自力でベースを学んだあとのものなのではないか。相当な手当か学生の選抜なしには混乱しか招かないような気がする。 

 

 

・「公用語を英語にする」ことに反対はしませんが、「何のために」が先でしょうね。 

国際的交流を進めて国際的評価を高めたい、ということでしょうか。 

「グローバルな人材を育成するため」という話が出ていますが、その方策が「公用語を英語にする」なら少し拙速ではないでしょうか。 

やろうとしていることに反対はしませんが、何事も段階を踏む必要がありそうに思いました。 

 

 

・一概にムリと決めつけるほど無茶苦茶なアイデアじゃないと思います。 

この大学の方針が受け入れられないなら、受験しない自由がありますし、大学で教養とともに使える英語も身に付けて、グローバルに活躍したいと思う人は意気に感じると思います。 

ただ、英語も出来る優秀な学生と英語しかできない学生に二極化するおそれもあるので、まずは国際関係の学部からとか段階的に始めてみるのもいいのではないかと思います。 

帰国子女と留学生の駆け込み寺化するのは避けたいところですね。 

 

 

・AIの進化で、素晴らしい同時通訳ソフトが出来つつあります。 

カタコト英語では、かえって意思の齟齬を招いてしまいます。 

そんな苦労をするより、母国語で専門知識を深める方が得策です。 

 

 

・全学部というと英語が必要ないところもあると思うが、英語の公用語化を求めて各学部学科にどう実現できるかを問うているのだろう。現実的には、理工系の大学院では英語は必須だし、公用語となることで優秀な留学生が増えて有意義なディスカッションが行える機会が格段に増えるだろう。 

 

 

・大学の公用語を英語でという発想は昭和の時代からあって、実際、国際教養大学なんかは100%英語授業と謳っている。ただ、英語はあくまで伝達の手段であり、一般的な学問の内容とは関係はないことが多い。まずは日本語での勉強の充実が先。手段としての英会話は別に習得すればいい。 

 

 

・特に反対ではないけど、日本の学生の英語レベルがあんまり高くないから、授業を設計するのが簡単ではなさそう。非英語圏のヨーロッパ大学のファンデーションコースを基準に考えると入学時には最低でもTOEFL 80、IELTS 6.0 以上のレベルじゃないと教える側も学ぶ側も大変そう。大学教育を英語で学ぶなら本来TOEFL100とかIELTS7.0ぐらいあっても全然ついていけないことあるんだけどね…。 

 

 

 

・日本が衰退しているのは、英語が苦手で世界に打って出られないという側面も確かにありますが、それよりも自分に自信がないためリスクを取れず、チャレンジできない心理状況(これは大人もそう)が大きいのではないかと愚考しています。英語に習熟する前に、子供たちが自信をもって自立して豊かな人生を歩めるような教育が必要だと思います。 

 

 

・公用語を英語にすることが衰退対策にはつながらない。 

ヨドバシカメラに中国観光客向けに中国語と日本語を喋れる人を置いているんだけど、必要だからやってるわけで、将来インド人が増えればインド語堪能の人が必要になるかも知れない 

グローバルな人材を目標にするというのは、実際には必要とされる人材になるかどうかわからない。なぜならグローバル化の理想は英語を喋れることだよねっていうだけであって必要に迫られているわけではない。 

例えば中東の原油が欲しかったらアラビア語堪能であったほうが有利だと思う 

英語とひとつに決めるのではなくて、公用語と決めるのではなく、 

いろんな言語に興味を持つ人を増やすほうが人材に広がりがあるし 

ひいてはグローバルな人材をそろえることになると思う。 

 

 

・否定的な人、おそらく英語で論文を書いたことがないのでしょう。学会のワークショップでディベートしたことがないのでしょう。 

英語での学問が先にあって、後から国際化が付いてくるのでは有りません。授業を円滑に進めるためや研究室内でのコミュニケートには、必要で避けて通れないから第一共通言語が英語に、なってしまうのです。 

だって、大学院生の4人に1人、研究室の3人に1人が、日本語ネイティブじゃないんですから、必然のことなんです。 

逆に言えば、授業や公用語が英語になって付いていけない人は、幾ら優秀でもこうしたコミュニティには入れない。授業や公用語を日本語に固執すれば、幾ら優秀な人材が希望してくれても日本語運用力の壁を建てて大学の方から排除してしまう。そんな大学で、ホントに良いんですか? 

 

 

・「カタコト英語で講義してどうする」というがカタコトOKで授業進めたらいい。完璧英語前提の授業ではいつまでも日本人の英語の力は変わらない。私自身もさっぱりだが。 

仕事で知り合いのフィリピン人になんで英語わかるのか聞いたら、公立小学校の時から特定の教科で英語の授業があると言ってた。小学校の時に授業で自然に覚えたと言ってる。 

文科省も教育委員会も、先生が生徒に笑われながらも開き直って授業やることを認めなければ100年たっても変わらないと思う。 

 

 

・「大阪公立大学の国際化」のための施策がなぜ「学内の公用語を英語にする」ことなのか、当の吉村知事ご自身は疑問を持っていないようですが、そもそも国際化とは何ぞや、それによってどんな成果に繋げるのか、というビジョンからきちんと説明できないと、誰も理解できないのではないですかね。 

まずは大学としての専門性を高めることが何よりも先に来るはずです。大阪公立大学はすでに世界レベルであり、言語の課題さえクリアできれば飛躍が約束されている、とでもおっしゃるのならまだ分かりますが、とてもそんな話ではないのでは? 

留学生比率が何倍になりました!国際化完了!なんてオチだけはご勘弁願いたいものです。 

 

 

・グローバル企業経験ありの身からの意見ですが、日本語による日本のビジネスの品質を極めた上で、必要であればカタコトの英語でコミュニケーション取れば十分だと思います。 

海外は先進的と言った宗教じみた発信がありますが、創造性(クリエイティブ)という観点では、日本はやはり革新的だと思います。 

 

 

・大学では講義だけでなく、考えることをしなくてはならない。考えるのを日本語で行うのと英語で行うのとでは、日本人の場合は日本語で考えないと深いところまでたどり着けないだろう。英語で話すだけではなく、学問的に深いレベルで考えるには大学の4年ではなかなか難しいでしょうね。 

 

 

・かつて勤務していた大学では多数の留学生がおり、それに即した授業(当然オールイングリッシュ)が展開されていた。それについて行ける日本人学生は参加可能というシステムだったが、授業はディベートが多く、意見を英語で論理的に述べ、反論にも論理的に対応しなければならない。そもそも、これに対応できる教員は「英語ネイティブ」ばかり。参加可能な日本人学生も数名。それも授業を重ねる度に減っていく。学生食堂等での「インフォーマルな場での英語communication力」とは大きな差があるもの。それが多くの大学での実態だ。知事の発言は影響力が大きい。だからこそ現場を知らない方からの情報提供には慎重な姿勢をもっていただきたいもの。この手の発想が上手くいく土壌が、そもそも日本にはない。何より必要な「英語Listening力」をつけるには「地道な自宅学習の反復」が不可欠。それを学生に求める環境作りが先決のはずだ。 

 

 

・ここでネガティブな意見を滔々と述べてる人は、沖縄や静岡に公立大学があるとの仮定で知事が記事のような発言をした際に同じことを言うだろうか。全員ではないとは思うが答えはノーだろう。結局吉村知事、維新、大阪をたたきたいだけ。大学が独自の政策を掲げて実行していく事は素晴らしいと思う。うまくいかなければ修正すればよい。トライすること自体をできない理由を並べて否定するその態度が日本の大学、延いては日本自体が衰退していることの一因と思う。大阪公立大学には党派性に満ちた東京マスコミ、ネットの意見等気にせず、自らの道を進んで行って欲しい。 

 

 

・ポケトークみたいなものから発展していいって、外国の方とのコミュニケーションに英語が必須でなくなれば、これまでのように英語学習に割いていた時間と能力を他の学問に費やすことが出来るので、英語学習が重用される時代ではなくなってくるかも知れませんね、可能性のひとつとして。 

 

 

 

・社会人になって英語で自分の意見を伝えないといけなくなって苦労したから、興味ある人には良い機会じゃないかなあ。フィンランドに行った時に皆英語の発音がきれいで理由を聞いたら、先生の資格に英語圏の大学院卒が必須で、発音も丁寧に教えてるって話だったから羨ましかった 

 

 

・ここでネガティブな意見を滔々と述べてる人は、沖縄や静岡に公立大学があるとの仮定で知事が記事のような発言をした際に同じことを言うだろうか。全員ではないとは思うが答えはノーだろう。結局吉村知事、維新、大阪をたたきたいだけ。大学が独自の政策を掲げて実行していく事は素晴らしいと思う。うまくいかなければ修正すればよい。トライすること自体をできない理由を並べて否定するその態度が日本の大学、延いては日本自体が衰退していることの一因と思う。大阪公立大学には党派性に満ちた東京マスコミ、ネットの意見等気にせず、自らの道を進んで行って欲しい。 

 

 

・英語教育に関わっている者です。これは素晴らしいチャレンジだと思います。最初はおそらく難航するでしょう。でもそれを恐れているといつまでたっても日本は他の国に追いつく事ができない。「公用語を英語に、なんてできる訳ない!」と批判する人に限って英語ができる事の重要性がわかっていないと思います。何事もやってみないと。 

 

 

・いつもながらに近視眼的と言うか、長期的な視点が欠けていると思う。 

企業は確かに“今”、海外の人材とガンガンコミュニケーションを取れる人材が必要なので、社内公用語を英語にするのも1つの方法だと思います。 

一方、大学は学生の“将来”を見据えた教育機関です。年々色んなツールが進歩して、外国語をきちんと学ばなくても海外の人とコミュニケーションを取ることが容易になってきている今、英語習得に大学での時間を費やしてしまって良いのか?もっと様々な学問を深める事に注力すべきじゃないのか?そう思えてなりません。 

 

 

・東南アジアから来た言語学の留学生が言ってたんだけど。 

 「公用語に近い形で英語を使えることで確かに活動の幅は広がった。でも、母国の社会全体がそうなることで母語によっていたレトリックや比喩表現などの表現が消え、昔の小説を読んでどういう構造かは分かるけど、それを自然と感じることは自分にはできなくなっている。 

 言語は貴方が思う以上に文化、風土の根幹を担っている。日本はそうなるべきではない。」 

 

 映画字幕や漫画の海外版見れば分かるけど、雰囲気を活かすために発言内容が変わってたり、内容を正確にするために発言から受ける印象が変わってたりする。 

 まあ、英語圏文化万歳、日本のなんかだめだ!って言うなら仕方ないけど、言語って思う以上にいろいろなところに影響を及ぼすものだと思う。 

 

 

・今、日本の大学は、危機に立たされています。 

今後、優秀な日本の高校生は、海外の大学に進学し、 

海外で就職することになっていきます。 

 

やや遠い将来ですが、講義はオンラインとなり、それぞれの大学で 

するのではなく、著名で授業が上手な教員の動画を 

世界中で見るようになり。 

大学は、実習や演習をするところに、なると思われます。 

 

地方の大学は、学生不足で、どんどん、つぶれていくでしょうし 

その中で、どうするのか。 

 

文部科学省も、外国人の教員や学生を 

増やせと言っております。 

 

そのための対策で、向こう何十年かで、 

取り組むつもりでは、ないでしょうか? 

 

 

・数年前大学のグローバル化が流行ってたけど(SGUとか)、図書館(デジタルでもいいけど)の洋書ってほとんど増えなかったんだよね。全授業を英語化するのはいいと思うけど、レファレンスの英語資料としても図書館の本の半分以上洋書に更新するぐらいの勢いでやってほしい。いま円安で洋書が倍以上になっててかなりきついと思いますけど。 

 

 

・そもそも吉村知事、英語喋れないですよね。 

今の日本の教育カリキュラムで英会話を取得するのは事実上無理でしょう。 

まず、英語の先生の殆どがちゃんとした発音で英会話を出来ないし、英語でのコミュニケーションも出来ない。 

日本人に英会話を本気で定着させたいのなら、教育システムそのものに手をつけなければ無理。 

TOEICテストの点数は取れても喋れない人は多い。 

読み書きと聞き取りまでは出来ても喋れない人は多い。 

喋るという反応は、特に年齢が上がるほど難易度が上がるため、定着させるためには低年齢から教育が必要となる。しかし母国語の言語の定着との対立もあり、意見が分かれる部分だ。 

18歳以降の早めの段階で集中的な訓練を施せばある程度の会話力を取得することは可能だが、授業で必要な語彙や論文を書くほどの英語力はそれ以前からの学習で取得する必要がある。 

出来ますかね? 

 

 

・そこで得た高等教育を英語圏で活用するならそれもありだろうが、日本で活用するなら、その母国語で理解することが肝要だろう。 

ましてや、秋入学とかならその学生にその学校を卒業する年の半年(企業側の対応がなければ1年)を無駄に捨てろと言ってるようなものである。 

企業側も1大学のために秋年度対応するのは負荷が大き過ぎよう。 

そして同期の連中は、少なくとも半年(もしくは1年)先を行くことになる。 

 

 

・英語の公用語より文部省の英語のカリキュラムを見直した方が有効です。中高6年習っても話せない人が多過ぎる。日本人が英語を覚えられないのは習う順番が悪いから、読む·書く·話す·聞くが1番覚えられない順番です。実践的な聞く·話す·書く·読むに変えるべきです 

 

 

 

・そもそも日本人には英語の音は理解しにくい民族なのでそれを一律英語でというにはかなりの無理があると思う。 

グローバルとよく世間では言うが外国人になることがグローバルではないと思う。日本には日本の文化があり言葉があるのでそれを大事に世界に溶け込むのがグローバル。英語は必要な人が使えればいいと思う。 

片言でも十分。 

 

 

・大統領になる若手の適材がいないことを見ても明らかなようにますます斜陽傾向が顕著なアメリカの国語を今時学んでどうする。今やAI同時通訳全盛の時代が訪れるのは常識。通訳などは不用。違った言語でお互い会話できる時代が来る。漢字の読めない子供が増えている。むしろ日本語を広めるべきだ。 

 

 

・日本はそれだけ外国から留学させる魅力がない国とされてるし、日本から外国へ留学して世界をみてやろうという人も少ない。 

これの何が問題かというと、日本がどの位置にいて諸外国がどの位置にいるのかがあらゆる意味・分野で分からなくなってしまう事。自国の何が問題か、他国の何が問題か、何が優れているのか、何なら改革できるのかすら分からない。 

まずは自国語だと言われる方もいらっしゃるが、世界の標準語はアメリカ英語なのを考えるとその標準語が分からないと研究すらままならない。研究なら論文が分かればと言う人もいるが、論文に書かれてる事が全てではなく場合によっては他国の研究者に聞かないと理解できない事や協力しないと解決できない事は山ほどある。 

 

 

・「英語の公用化は、すでに私学も含めて一部の学部や研究室単位で導入されていますが、『全学部』というのはハードルが高そうです。学生からは『日本史の勉強も英語でやるの?』と失笑が起きているようです。 

 

この知事って大局観がないんだよな、すぐ飛びついて。 

外国語学部や世界的な研究をする 

研究室なら英語導入には意味があると思いますが、関係ない学部まで巻き込む理由が全く分からない。 

英語を公用語にする会社もありますが、国際競争力が目的じゃなく安い外国人労働者を働きやすくするのが目的だったり、内向きの理由なんですよね。 

全てが軽いんですよ、この人は? 

 

 

・本気で神戸大を抜きたいと思ってるなら、 

これでは無理だと思いますよ。 

まず職員全員英語が堪能なのか。 

中途半端な英語で質の高い講義が出来るのだろうか?特に理系。 

吉村さんは嫌いではないけど、先走りすぎというか思慮は深くないのかと思うことが多い。 

たとて無償になったとしても、カタコト英語の講義を受けるくらいなら大阪公立大を受験するのは止めておこうとなるのでは。 

英語だけに勉強時間をかける訳にいかないですし、英語だけに費やす時間を他の教科にも充てれば更に上の大学目指せそうですしね。 

 

 

・赤ちゃんの頃から大人へと育つにつれ 

どんな音にも反応できる柔軟な脳だったものが 

親とのコミュニケーションができる 

必要な音に限定して聞き取れるよう脳が処理し 

不必要な音をスルーするようになる。 

 

調整しきった大人になった頃に 

聞き慣れない音(英語)を耳に入れたところで 

相当苦労する。 

 

これでは大学で研究したい学びたい事が疎かになり 

英語が話せるようになるだけのことであって 

むしろ研究能力が衰退する。 

 

音に取捨選択が明確になっていない 

幼稚園、保育園、小学から第二言語として 

もっとしっかり授業を増やすべきであり 

英語圏の生徒をどんどん受け入れることが重要。 

英語圏の生徒は子供に限らず大人でも構わない。 

と、私は思う。 

 

 

・sakamo 

英語をいきなり公用語にと言う発想は維新っぽい強引なやり方ですね。もっと色んな意見を聞いてやればいいのにと思う。研究者は論文の発表で必要だし英語を必要とする環境だから英語は使っているでしょう。あと英語が必要なのは沢山やって来る外国の観光客に接する労働者です。田舎の観光施設では英語が通じなくてトラブルが生じることがある。観光客がいっぱいいるのに誰もコミュニケーションを取ろうとしない光景も吉村氏とは違うが日本が心配になる。中高の英語で何とかコミュニケーションは取れるはずなのに、全くできない現実を何とかした方が良い。 

 

 

・学内公用語を英語にする…必要に応じてやれば良い。日本文化を学ぶときは日本語で…英文学を日本語訳で学ぶ大学はないでしょう、同じことが日本文化、日本文学を学ぶ場合も言えるはず、それを学ぶ最適な言語を用いれば良い。公用語とは別の話ではないか? 

理系学部は英語でいけるだろう…慣れれば案外スムーズでは、大事なのは論理的であることで、表現に凝ることではないので。 

秋入学の方が疑問ではあるが、通常受験失敗組が1年浪人するよりは半年遅れの方がましなのでその点で人気出そうだが、初めからの第一志望にはならないでしょう…それでも存在意義は出てきそう。 

まあ社会実験としてやってください…大阪だし 

くれぐれも唯我独尊で周りを巻き込まなように。 

 

 

・ノーベル化学賞で英語スピーチできなかった日本人受賞者がいたこと思い出した 

普通は英語ができないとその分野の専門知識が母語(英語以外)で訳されてないから、結局英語のマスターも必須になるはずなのに、なぜ英語できなくて受賞するレベルまで極められたのかって。日本語の守備範囲が広すぎるからじゃないか説が上がって、だったら一般の日本人も母語で事足りるんだから英語の習得率が低いの当たり前だよね、みたいなこと海外の人から言われてた 

 

 

・グローバルな人材と言うのは、なにも海外と取り引きしたり海外の人間と交流する事だけではない。グローバルな視野、意識改革のことだ。 

日本国内で日本人だけとの交流でも、国内にしか目を向けない島国根性の人もいれば、日本語しか話せなくてもグローバル意識の高い人はいる。 

なぜ英語を公用語とか、カタチから入ろうとするのかわからない。 

英語が話せるようになってもグローバルな視野、知見が育たなければ何の意味も無い。 

それに語学を学ぶ授業はどうするの? 

日本語はないがしろか? 

喋るだけなら英会話で済む話。 

変な見方をすれば、吉村知事のお膝元の大阪のおばちゃん達は身振り手振りで外国の人と交流するよ。日本語とジェスチャーだけで何とかなっちゃう。そのほうがよほどグローバルだ。 

要は、それだけ肝を据えて度胸があれば、グローバルなんてできるって事。 

知識だけでは本当のグローバル化は無理ですよ。 

 

 

 

・日本は「英語を話せる」という事に対してハードルを上げすぎです。 

カタコト英語でも通じれば良いんです。ハードルを上げすぎると永遠に日本語しか話せません。 

 

吉村知事に対する不満、怒りが手伝って批判的な意見が出ているのだと思いますが、日本には他国で十分やっていける技術を持つ人材が多い。 

もっと海外に出て行かないと勿体無いです。 

 

 

・途上国が先進国の技術と経済をいち早く取り入れるために、公用語に英語を取り入れるのは、戦略的にはあり得ること。 

一方で。 

先進国として、ましてや技術立国として資源のなさを補いながら国際競争力にある研究開発人材を育成するためには、まずその国もジョリティの中でより高度で発展的なコミニュケーションがなされ、教育機会、高等教育がちゃんと市民の生活、経済活動と密接な繋がりを持ち、深い相互理解の中で人材、技術が育っていく環境づくりが何より大事。 

 

公用語を英語にすることで一体全体何が得られるのだろう? 

海外人材の獲得に有利? 

確かに海外人材確保には有効だろうね。でも一方で、国内人材の育成機会が極端に減り、教育格差で劣化し切った公教育の立て直しは加速するんじゃないかな? 

 

英語が当たり前に理解され、使うことができる言語である事と、公用語であるということは全くの別物。 

そこが根本的に理解できてない。 

 

 

・公用語にするしないはともかく、 

もっと英語力入れないとダメなのはその通り 

各国の企業見てても資本主義まともにやれてるところはもっと資産家が稼いでる。 

 

日本は国民の半数を貧困にして低賃金働かせる事でコストカットし利益を出してる。 

大企業の延命のために日本を貧困化させたのが現実。 

だからトリクルダウンで下に滴るなんて事はなく、あくまで上(中の上)層だけが潤うだけなのはそのため。しかも微増。 

 

それを解決するには日本の中を貧しくした以上、外資で獲得するしかない。 

今の日本人は下に問題があるのではなく、上の方に問題があるんだよ。これを言う人が本当に少な過ぎる。 

 

英語ができないことが外資獲得の遅れにつながっているのは明白。 

そのほかにも、日本の売りのものづくりの労働者を軽く見ているなどの構造も影響してる。 

とにかく外から稼いでこないといけないし、外に欲しがられるような企業を育てなきゃいけない。 

 

 

・誰が教材を作るのか、誰が生徒に教えるか。まさか日本人が全て賄うわけではないでしょうね。本気で英語を公用語にするとおっしゃるなら、日本語を使えない環境を作らないと甘えが生まれますよ。英語が好きな生徒は伸びるでしょうが、そうでない人は英語を使えないとやっていけない環境で必死にさせるべきと思います。 

 

 

・フィリピンみたいに英語を公用語したら、日本人の英語力は上がると思う。比例して今まで学んで使ってきた、漢字を少なくして、中学卒程度で平仮名、カタガナ、ローマ字をマスターして、日常会話に和製英語でなく、英語を導入したら、少しは英語に馴染んで行くと思う。日本語も時代と共に生きた日本語を目指すべき 

 

 

・単語テスト、文法テストと同様に会話テストがあれば最低限の会話は誰でも出来るようになる。でも、学校の授業内で専門知識を他言語でやるとなると、母国語を削って学ぶか課題を3倍にしてやるかしかないから公立だとかなり難しい様に思う。 

 

 

・本当に「対等」に英語が母国語の人々と国際的なビジネスシーンで渡り合うためには、大学の講義レベルの英語を学び使えることが必要だと常々考える。 

東南アジアの非英語公用語の国々でもトップの大学ほど英語での授業比率は高い。 

日本でも東京帝国大学の黎明期は教授は海外からの招聘者が多く、授業はもちろん英語だった。ドラマ「らんまん」の田邊教授のように洋行帰りは日本人でも英語での講義を行った。 

ただし、これらが成立するのは講義する側、受ける側の基礎英語力が一定水準以上あって初めて成立する。 

日本人の英語力は周辺国に比べても極めて低いという現状がある。しかも、その危機意識も必要性の認識も一般的には存在しない。 

大阪府知事はこうした現状を考慮し、敢えて刺激的な提案をしたのだろうが、反発の強さは予想通りだろう。 

結局、語学のハンデなく国際舞台で活躍を目指すには、初めから海外の大学を目指すのが近道だろう。 

 

 

・これやたら非難されているけど絶対にやるべきだと思う。なぜなら日本の大学は日本人が教えると生温いから人材が育たない。言語云々以前に他国に比べ最高学府というに相応しくないレベルに甘んじている。そして講師や教授は英語圏から引っ張ってくる。彼らは欧米の大学のようにガチでやる。課題も山ほど出す。もちろん講義中の発言の数や質、グループ討議での積極性も成績に反映する。バイトなんかやってる暇はない、図書館は24時間開放して皆深夜2時3時まで必死に勉強して、それを4年間やり切ると卒業にすればいい。苦手な英語でそこまでやり切れば外資系企業から高額のオファーもらえるし、高額の米英の大学に留学しなくていい。日本語で論理的思考が、とかまず専門用語は日本語でとか言ってる人は従来型の大学が腐るほどあるからそこにいけばいいだけの話。そういう人材が絶え間なく出ると外資も寄って来るから最終的に大阪の復興になる。 

 

 

・大阪公立大学を他の大学と差別化して行くには良いことだと思います。 

みんな東京と同じことをやっていては大学は生き残れないでしょう。もし実現できたら、外資系企業がこぞって大阪の公立大学から採用するでしょうね。 

私はありだと思います。 

 

 

・英語力も重要だけど、誤訳もあるがAIで翻訳は簡単にできる時代になってるからAIを使いこなせる人材をもっと増やしたほうが良いかもね… 

英語以外の言語も翻訳できるしプログラムのコードも書いてくれるし…でも、もとの言語の知識ゼロだと間違いに気が付けないけないし、プログラムもそのままコピペでは使えはしないだろうけど… 

全部英語で授業するのは英語が母国語じゃないから日本人にはキツイと思う…というかまず先に給料あげないと英語ペラペラになった日本人は海外で就職しちゃうから、まず政治の力も使って上げるのが先なのでは…? 

 

 

 

・英語力も重要だけど、誤訳もあるがAIで翻訳は簡単にできる時代になってるからAIを使いこなせる人材をもっと増やしたほうが良いかもね… 

英語以外の言語も翻訳できるしプログラムのコードも書いてくれるし…でも、もとの言語の知識ゼロだと間違いに気が付けないけないし、プログラムもそのままコピペでは使えはしないだろうけど… 

全部英語で授業するのは英語が母国語じゃないから日本人にはキツイと思う…というかまず先に給料あげないと英語ペラペラになった日本人は海外で就職しちゃうから、まず政治の力も使って上げるのが先なのでは…? 

 

 

・将来的には日本語をマイクでしゃべった瞬間スピーカーから同時に英語で発せられるものが出てくるだろう。通訳アプリのレベルは現時点でもかなり進んでいると思う。日本国内で英語を公用語にするという発想はもう古いと思う。 

 

 

・端からガチガチの英語縛りにするより、近畿大学さんが数年前から開設されている英語村のようなコンセプトを導入した方が、自然に英語が身につくだけでなく、異文化交流による国際理解と、グローバルコミュニケーションができる人材が育つのではないかと思います。 

 

 

・何でもかんでもイチャモン付けるのではなく、挑戦を見守ればいいじゃない。俺の大学のゼミ担当教授は日本人だがエール大学卒でゼミで使用するテキストは全て英語だったしゼミ内での講義や議論も当初全て英語でやろうとしていた。会話の方は結局頓挫したがテキストは最後まで英語で、俺達は死ぬほど苦労したが英語の文章力は相当に向上したようで社会人になってから凄く役にたった。 

 

 

・まあでも、本気で将来の日本のことを考えるのなら英語を第二公用語、というか第一公用語にして、日常の基本言語は英語にするくらいのことをしないといけないと個人的には思っています。 

 

英語が自由に話せて使えるだけで日本人は海外のどこにでも躊躇なく出ていくことができるし、ネットでも世界に向けて情報やコンテンツを発信できるし、世界から色んな情報を得られるし、ウソの情報への対応も慣れます。 

 

日本語はとても大切な言語だと思うけど、しかし日本語にこだわることがやがて日本と日本人を衰退させる大きな原因のひとつになるような気がしてます。 

 

日本語も大切だけれども、日常から当り前に英語に接して英語を自由に使えるようになることはこれからの時代とても重要だと感じます。 

 

 

・英語力を身に着けさせるには必要な事だと思う。問題は知事にそのコストを負担する覚悟があるのか?って事。英語力が必要という経営者もコストを負担したくないから採用試験を英語でしない。大学もコストを負担したくないから英語の授業をしない。で、結局はタダで働かせ放題の小学教師に英語授業を押し付けているのが現状。 

 

 

・元々、国の会計年度は7〜6月だったのだけれど、財政危機から7〜3月に、翌年度から4〜3に 

国の予算に合わせて学校入学も4月になったもので、4月入学は子供の為でも日本企業の為でもなく、日本だけです 

 

4月入学は、ハーバードやマサチューセッツなど、優秀な学生が大検を受けたり、浪人させるなど足枷にしかなっていません 

卒業時期も違うので留学先から帰って来ない事もあり、デメリットばかりですね 

変革の時は大変ですが、数年すれば落ち着くので9月入学は良いと思います 

 

 

・日本語は専門用語や高度な概念にも対応する単語があり、非西洋言語なのに高度な学術的思考ができる稀有な存在である。 

あまり必要性がないから日本人の英語力は伸びないのであって、難しい学問をやろうとすれば英語が必須になる多くの国とは違うのだ。 

 

 

・公用語を複数持つ国はたくさんあります(有名なところではカナダは英・仏語)。日本でも英語をねぇ、戦後すぐからいろいろ言われてきた論ですが、個人的には現状からみればちょっと無理筋、もしくは現状での不便は小さいと思います。  その上で見出し、吉村さん発言主張中心について。英語を公用語にするってことは、全国民が英語を使えなきゃダメってことじゃないんですよ。カナダにだって仏語しゃべれない人間はいっぱいいる。つまり、見出しのまずさは「公用語を英語に」じゃどうも「日本語じゃなくて英語」って感じがすること。日本国憲法を日本語で言っちゃあイカンなんて言われたら困る。 

 

 

・「学部も学科も関係なくとにかく英語で」って言ってるなら賢いやり方じゃないよね。 

その方針なら大事なのは英語で学ぶことじゃなくて、英語が必然的に求められるカリキュラムと、ネイティブと交流する機会だと思うが。 

本気でやるなら海外に姉妹校を設けて交換留学を必修にするくらいすればいいのに。 

 

 

 

 
 

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