( 138965 ) 2024/02/14 12:14:14 2 00 【独自】食用コオロギの会社が破産…その真相とは 経済ジャーナリストが分析「SDGsというきれい事だけではビジネスはできない。ベンチャー投資ブームが終わった」ABEMA TIMES 2/14(水) 7:02 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/985f526c523b08765958b83b1d047d7fa0ed4e4f |
( 138968 ) 2024/02/14 12:14:14 0 00 クリケットファームのHP
「食糧不足を救う」として注目を集めている、食用コオロギの会社が倒産した。
【映像】コオロギパウダー入りの給食にクレーム殺到
新規参入から、わずか3年で破産手続きを始めたのは、長野県茅野市に工場を持つ「クリケットファーム」。親会社を含めた3社での負債総額は2億4290万円にのぼる。クリケットファーム公式サイトでは「世界ではいま食糧危機への警鐘が鳴らされています。だからこそ、私たちは昆虫食に着目し、動物性タンパク質をとるための新たな選択肢を世の中に提案していきます」などと呼びかけていた。
茅野市や岡谷市のふるさと納税の返礼品
同社の手がけるコオロギパウダー配合の食品は、茅野市や岡谷市のふるさと納税の返礼品にも採用され、NHKや民放のテレビ番組でも取り上げられていた。しかし2023年12月分の家賃支払いが止まり、2024年1月に弁護士から倒産する旨の連絡が入ったという。
昆虫食はSDGsの観点で注目される一方で、街の声は「ちょっと苦手かも」「形そのままでくると、ちょっとうわってなる」「見た目が無理」などといった嫌悪感も示される。
岡谷市の吉田浩市議と中島秀明市議は、クリケットファームに注目し、当時の会派で工場内を視察していた。「食育」として学校給食への提供や、工場見学などの地域交流ができないかとの要望を受け、坪井大輔社長の印象を「すごく前向きな人で、チャレンジ精神旺盛。全部自動化していた」と振り返る。一方で中島氏は、「昆虫食にする必然性が見つからない」とも指摘する。この地域で昆虫食が定着したのは「タンパク質をとるために必然的に食べていた」ためだとして、ビジネスモデルの道筋が見えておらず、「まだ時代が早かったのかなという感じ」だと分析した。
昆虫食をめぐっては昨年2月、徳島県立小松島西高校でコオロギパウダーを使った給食を試食で提供し、「子どもに食べさせるな」といったクレームが相次いだ。給食にコオロギパウダーを提供したのは、徳島大学での30年近いコオロギ研究を経て、2019年に創業した昆虫食ベンチャーのグリラス。高校生の出したアイデアに協力しただけだったが、当事者ではない一部SNSの声で炎上し、逆風にさらされることとなった。同社はペット用のコオロギ粉末飼料を提供する「コオロギ研究所」の閉店を決めた。渡邉崇人代表取締役は、取材に対して「畜産物の増産には、限界がある」と言われるなか、牛や豚、鶏の値上がりが懸念され、「こうした事態を未然に防ぐため、『新たな選択肢』を提供することが、食用昆虫の役割だ」と語る。
「私たちは、決して、コオロギを食べたくない人が、無理にコオロギを食べなければならない世界を作ろうとは考えていません。むしろ、そうならないように、必要な時に、必要な人の手に渡るように、今から技術を磨き、研究に取り組んでおります」(グリラス・渡邉崇人代表取締役)
経済ジャーナリスト・内田裕子氏
これまでベンチャーの浮き沈みを見てきた元大和証券の経済ジャーナリスト・内田裕子氏は、社会課題の解決は、あらかたやり尽くされていて、「理念や志が高くても、商売にならないものは3年が限度」とされていると説明する。クリケットファームについては「SDGsというきれい事だけではビジネスできない部分と、ベンチャー投資ブームが終わったという2つが重なった事例」との見方を示した。
昆虫食は、2013年に国連の食糧農業機関(FAO)が「世界の食糧危機の解決に、栄養価が高い昆虫類を推奨する」との報告書を発表したことをきっかけに、まず欧米で関心が高まった。日本では2018年に国内初のコオロギパンが発売され、2020年に無印良品のコオロギせんべいが「爆売れ」した。
クリケットファームは、そんなブームの最中である2021年に設立され、2024年に倒産している。内田氏は「イノベーションを志すチャレンジは拍手を送りたいが、想像以上に需要がなく、時期尚早だったのではないか」と分析している。 (『ABEMA的ニュースショー』より)
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( 138969 ) 2024/02/14 12:14:14 0 00 ・結局のところ、仮に昆虫からタンパク質が摂取できるのであれば、先人たちは食べてるわけです。(イモムシを食べたり、イナゴを食べる文化があるように)それをしてこなかったということは、それなりの理由があるからで、やっぱり歴史は大事だなということを再実感できる内容だなと思いました。
・完全自動化等の巨額の投資をして始める事業では無かったのだろう。食用添加物などは様々な生き物が原材料で使われているので、いずれは受け入れられるのでは無いだろうか。 幼少期に一度だけ地方の親戚の家でイナゴの佃煮を食べた記憶があるけど幼かったからか抵抗は無く小魚の佃煮と同じ感覚だった。それ以来食べて無いけど、イナゴの佃煮は今でも食べられる気がしてる。
・『「まだ時代が早かったのかなという感じ」だと分析した。』
と言うか、そんな時代はいつまで待っても半永久的に来ないだろう。 コオロギを食べる必要性がある程に食料事情がひっ迫したら日本経済は壊滅し流通網も寸断されている。 生産も供給も不可能となっているはずである。
「環境」とか「脱炭素」とか「SDGs」とかの枕詞を付けたら誰かが資金を出す流れは今後も続くだろうけど、大半は水の泡と化すと予想される。
・現状では畜産や養殖業の飼料用のタンパク源としてくらいでしょうか。広く利用される可能性があるのは。ただ、既存の飼料と比べてコストベネフィットが出せるくらいに他の飼料一般の価格が高騰してくるまでは、ビジネスを大規模化していくのは難しいと思います。輸入飼料も価格高騰が続くのは避けられそうもないですから、いずれはそんな時代も来るでしょう。そういう意味では、「早すぎた」というのは正しいでしょう。
人間が広く食べるという意味で比較的抵抗感が少なさそうなのは、出汁取り用のパックとかでしょうね。風味が独特で、とても美味しい出汁が取れるような品種が開発できれば、じわじわと定着するのではないでしょうか。環境やSDGsよりも味覚で勝負できないと、人間用には厳しいと思います。
・最終的には必要となるかもしれないですが、それは通常の農業生産や漁業狩猟をしてもまだ追いつかない、ホントに最後じゃないですかねえ。
休耕田や耕作放棄地での作物栽培はもちろん、それでも不足となればゴルフ場や公園や河川敷も耕地にすることも可能なワケですし。(諸々の法律はひとまず置いておいて)
虫よりも鹿やブラックバスやザリガニの利用の方がだいぶ抵抗は少ないでしょうし。
・昆虫には、人間の腸では消化できないキチンが含まれていて、それは寄生虫、ガン、真菌の病気になる原因の餌になり得る。 また、稲だけを食べるイナゴではなく、雑食のコオロギを人が食べる事はデメリットでしかない。と以前何かで読んだ事が。
今後、またインフルエンサーを使って流行らせようとしてくる事もあるかもしれないけど、虫よりは草を食べたい。
・そもそもビジネスとして成立するのか?と。他国で虫の養殖があるということは、知的財産としての新規性は望めないからそれを活用した資金獲得は難しいいだろう。次はブルーオーシャン狙いか。ブルーオーシャンを狙っても資金力に勝る大企業には勝てないだろうから先はない。それでも知的財産を極めればまだ良かったのに、販売に重点を置くとか、だからこの結果か。
動物性タンパク質を得たいのであれば、魚をとればよい。日本は海に接している面積は他国に比べて優れている。未活用魚は虫に比べれば動物性タンパク質としての未来は明るい。
・食料としての可能性を否定しないが、コオロギを食べずに済むようにする努力の方がはるかに重要だし、コオロギを食料として普及させるよりも平坦な道だと思うよ。
・世界中を旅して見たわけでも全ての事象を知っているわけでもないけど、地球上には昆虫を食べる地域は少なからず存在しています。その地域の人は何世代も前からいろいろな虫を食べて食べられる物や食べてはいけない物を選択して現在に至っているのだそうですが、コオロギは食べないそうです。 コオロギの何が悪いのかは知りませんが彼らが住む地域にも存在するコオロギを食べないのには相応の理由があるのです。コオロギは繁殖育成が容易であるかと言えば記事などを読むと、雑食で餌は選ばないらしいが極端な暑さと15度以下の環境では生育できないので温度管理が必要だとの事でかなりのコストがかかっている。 こんな物がどうして救世主になるのか詳細な説明もなく国民に詳しい説明もなく食品に困窮しようとしたり、食べさせようとしたのは疑問しかありません。
・何でコオロギ?世界規模の食糧危機の前に日本に限ってなら、お店の廃棄食品や家庭での残菜等を見直すべきなんだよね。タンパク質を取るのが目的なら、余らせてしまっている牛乳をどうにかするとかさ。テレビで見たけど、世界的に需要が高まっており大豆の値段が高騰してるようだね。けど、大豆を作る農家さんがそんなにいないらしいじゃない。奇抜な新しいものじゃなく、今あるもの、安心して食べられる物で挑戦してくれたらよかったのに。
・子供時代にはイナゴの佃煮とかあって昆虫も食していましたが、他に何もなかったから食べていたのであって、様々な食材が自由に食べられるようになったら他の食材にシフトしていきました。 結局は率先して食べたいと思うようなものではないということだと思います。 また何も無い時代が来たら仕方なく食べるようになると思いますが、いろいろ好きなものを食べられるうちは好き好んで食べないと思います。 時代が早いと言うよりは時代に合わなかったということではないでしょうか。
・昆虫食は地球環境に深刻なダメージを与えると危惧していたので、少し安心しました。 このビジネスが軌道に乗ると、そのうち必ず安定供給を図るため、繁殖力が強く、環境変化に強い種を作りますよね。企業側は、環境には影響ない、外には出ないと主張すると思いますが、小さな昆虫ですからいずれは一匹、二匹外に漏れだします。そして、既存種を駆逐し、田畑を食い尽くしてしまうのではないでしょうか。外来種が繁殖していることより深刻な状況になるかと。 新しいことを始めるときには、表向きのきれいごとだけでなく、悪い面もしっかり検討してほしいですね。
・腕時計のシェアレンタルといい、このコオロギパウダーといい、新規参入された直後はマスメディアを通して時代の先端をいくビジネスとしてもてはやされたが、やはりブームだけでは長続きしない。生活の中に定着するだけの必要性を感じなかったことが大きいのかもしれない。 様々な価値観の中で、消費者の求める「本物」を見極めることは本当に難しいことだと思います。
・子供の頃、過疎地の田舎に住んでいて「いなごの煮物」を母がご近所さんからいただいてきました。家族全員でチャレンジしましたが、見た目がどうしても「昆虫」で無理でした。昆虫食など珍しい取り組みは最初は斬新で取り上げられるかもしれませんが、「持続可能」で受け入れられ続けるものではないと思います。 SDGsに関して国連が「投資家は企業への投資をする際に、その会社が環境や社会への責任を果たしているかどうかを重視すべき」という提言をしているが、日本は特に食べ物が安価で美味しい国なので昆虫食などが定着するとは到底思えない。
・何かの生き物展で、フリーズドライされた昆虫を買って興味本位で食べたことがある。いつか食糧難になったら、こういうものを食事に取り入れる世界になるかもしれないねと子どもと話しながら食べた。見た目から手を出せなかった昆虫もいたけど、かっぱえびせんみたいな味がした。味は悪くないけど他に食べ物があるうちは、なかなか買う機会はないだろうね。
・年明けの能登半島地震の時ですら、昆虫食に救われたという声は一切なかったくらいですし、需要なんて全く無いんですよ。 昭和初期〜戦後間もない頃にかけて、食糧難対策としてアフリカマイマイとかジャンボタニシとかが輸入されてましたけど、そんな時期ですら見向きもされず、逃げ出した個体が特定外来生物として害虫扱いされるくらいの社会問題になってますし。
・昆虫には、人間の腸では消化できないキチンが含まれていて、それは寄生虫、ガン、真菌の病気になる原因の餌になり得る。 また、稲だけを食べるイナゴではなく、雑食のコオロギを人が食べる事はデメリットでしかない。と以前何かで読んだ事が。
今後、またインフルエンサーを使って流行らせようとしてくる事もあるかもしれないけど、虫よりは草を食べたい。
・戦場などで飢餓状態になったときには貴重な食料となるでしょうが、少なくとも日本で昆虫が中心的な食材となる可能性は、将来的にもないように思います。 個人的にも昆虫は加工されても口にする気にはなりません。 食事は人間の一番重要な営みであり、楽しみのひとつです。 食べることには、理屈よりも感性が強く影響する面があるので、SDGsに貢献するとわかっていても、昆虫食は多くの方が理屈抜きに嫌悪されると思います。 特別美味である、薬になるという場合は別ですが、緊急の飢餓状態にある以外、あえてメインの食材として昆虫を食べる人は少ないのではないでしょうか。 また、昆虫を主食の一部として食さなければならない状況なら、他の生活要素や産業などもかなり行き詰まった状況になっているでしょうから、昆虫を食用に加工するプロセスが崩壊している可能性が高いと思います。 日本では、家畜の飼料やペットの餌とするのが妥当でしょう。
・まぁ仕方がないかな。別にコオロギを食べるという事を考えるのがね。ソレなら綺麗な水で育てたザリガニの方が良い。フランス料理にもうザリガニは出てくるくらいだし、鳩やどじょうの方が良い。あの黒い昆虫だと家の中を這い回るGの方を想像してしまうから受け付けない。イナゴや蜂の子を食べる人達も居るから解らなくもないけど、俺は嫌だ。もっと違う物を考えるべきだと思う。
・コオロギは「蛩」と書きます。つまり昔の人はこの昆虫は食べてはいけない、と知っていたのです。イナゴは「稲子」と書きます。つまり稲科の植物しか食べていない。だから人間が食べても問題ない。アジアで昆虫を食べるのは「主食」としてではなくて、「嗜好品」としてです。だから金額も高い。今の地球で280億人の食糧が賄えるので食糧危機は訪れないでしょう。日本も休耕中ばかりを増やすんではなくて、もう10%台に落ち込んでいる自給率を上げていかなくては石油と同じ様に輸出を止められたら終わりです。コオロギは単に投資詐欺に使われているだけです。
・東南アジアへ行くと、サソリの素揚げやらカブトガニのナントカやら、いもむしの大きいのやら、タランチュラやら、、、日本人感覚からすると「ええ、これ食べるの?」といったものが露店などで売られてますね。 イナゴの佃煮くらいなら許容範囲ですが、コオロギはまだちょっと、、、、というのが多くの日本人の感覚でしょう。 勇気ある人は食べますけどね。
・世界中を旅して見たわけでも全ての事象を知っているわけでもないけど、地球上には昆虫を食べる地域は少なからず存在しています。その地域の人は何世代も前からいろいろな虫を食べて食べられる物や食べてはいけない物を選択して現在に至っているのだそうですが、コオロギは食べないそうです。 コオロギの何が悪いのかは知りませんが彼らが住む地域にも存在するコオロギを食べないのには相応の理由があるのです。コオロギは繁殖育成が容易であるかと言えば記事などを読むと、雑食で餌は選ばないらしいが極端な暑さと15度以下の環境では生育できないので温度管理が必要だとの事でかなりのコストがかかっている。 こんな物がどうして救世主になるのか詳細な説明もなく国民に詳しい説明もなく食品に困窮しようとしたり、食べさせようとしたのは疑問しかありません。
・潤沢に食材が手に入る現状で昆虫食を推し進めるのには流石に無理があったと思います。飢餓に苦しむ国への食料支援も既存の高カロリー食品や小麦粉の提供を行っているので、今昆虫食が必要かと言えばそうでは無い。そして、食料危機が現実となった時に頼みの昆虫類が多く存在しているかも疑問です。備えは確かに必要ですが、やはりその時々に合った活動が無理なく行える活動だと思います。
・長野県出身の者です。 長野県は内陸の山間部なので、タンパク質を補うためイナゴとかハチの子を食べる文化が昔からありました。 イナゴは食べても、もっといくらでもいたコオロギは誰も食べなかったのです。 私も小さな頃にハチの子などを食べたことはありますし、今では高級珍味として売られてます。 でもコオロギは絶対にない。
コオロギには絶対に人体に悪影響の毒素があるからと言われてます。 現代になってそれを除去できるのかどうかわかりませんが、本当に除去しきれているかはわからない。 先人の知恵で食べてはいけないと言われているコオロギを私は何があっても食べません。
数年後十年後に何か体によくないことになってからでは取り返しがつきませんから。
・個人的には、反対でした。 昆虫食に投入する補助金を、現存の農業・漁業に投資すればいいと思っていたので。後継者不足で廃業する農家さんは多いので、本当に国が食料危機に対応していくなら、そこを活性化する施策をうてばいい。 日本の農業・漁業は、伝統も知識も経験もあり有能だと思います。
・虫に対して嫌悪感を持つ人が大半なので、共存なら仕方ないにしても口の中に入れると言う行為はなかなか受け入れられるものではないと思う。 但し漠然とタンパク質が摂れる位の理由ではなく、牛肉等と比較して質が高かったり、筋肉が付きやすい、バストアップに期待出来る等のメリットがあれば需要も高まったのかなと思います。
・そもそも、課題に取り組む順序が違うと思う。
昆虫食ではなく、まずは、日本中で大量廃棄される食品をゼロにする、これを最優先で、実行するべきだと思う。
それと、農業、漁業、酪農など、食料の生産業界の問題点を、法律改正や技術革新で抜本的に改革によって無くして、現在、食料の生産に携わる方たちが、苦しまずに仕事に従事できるようにするべきだと思う。
職場環境が改善されることで、現在、食料の生産に従事している方たちだけでなく、新たに、食料生産に関わる人材を確保し、食料自給率をあげていく事が重要だと思う。災害や戦争、感染症、異常気象が続く現代で、いつまでも外国からの輸入で食料を確保できるわけないですから。
昆虫食など、それらを実現させても、それでも、食料不足の場合に考える最終手段だと思う。大体、大量の食品ロスを続ける社会のまま昆虫食を進めても、昆虫食すら廃棄されるだけで意味ないと思います。
・良かった。 イナゴとかは食用に向いてると聞いた事あるけど、コオロギは向いてないと聞いた。食べれる虫ならまだ良いがそれでもそれが必要になった時の話で、今では無い。 助成金の無駄使いになってしまって残念。まぁチャレンジはどの分野にも必要だけれども
・ここでのトライが100年後に生きるかもしれないから完全に無駄では無かったと思う。 ただアレを食うってのは普通の食事とは違う勇気が求められる。 だって虫だもん。 どう前向きに捉えようとも虫は虫。 粉末状でも元は虫。 サバイバルでやむを得ず食うにしても、雑草以上ネズミ未満くらいの順位でしょ。 粉末だとしても強い覚悟が必要なものが食卓に普及するのは相当先のことだと思う。
・自分も農業やってるから、痛い程身に染みているが、食料不足は本当にそうならないと世論は動かない。昔米不足からタイ米を緊急輸入した時があったが、あの時は問い合わせがかなりあった。全く知らない業者から少しでも良いから米を分けて欲しいとか、くず米すら高額で買い取るという話があった。でも次の年はパッタリなくなった。日本の食糧自給率は米以外は低い。昨今の燃料や肥料の高騰、農機の高騰、もともとの高齢化など離農していく人が増える中、将来の生産量低下は火を見るより明らかなのに、それでも現在の不足がなければ皆無関心だ。スーパーにものがなくなった時だけ、食糧自給率を上げようと騒ぐのが我が国の国民だ。だから商売にならない。SDGSなんて綺麗事で投資なんて出来ない。これで飯食っていける世界ならどんなに良いことかと思っていた分、やっぱりコオロギこけたかって感じだった。
・そもそもビジネスとして成立するのか?と。他国で虫の養殖があるということは、知的財産としての新規性は望めないからそれを活用した資金獲得は難しいいだろう。次はブルーオーシャン狙いか。ブルーオーシャンを狙っても資金力に勝る大企業には勝てないだろうから先はない。それでも知的財産を極めればまだ良かったのに、販売に重点を置くとか、だからこの結果か。
動物性タンパク質を得たいのであれば、魚をとればよい。日本は海に接している面積は他国に比べて優れている。未活用魚は虫に比べれば動物性タンパク質としての未来は明るい。
・仮に食糧自給の時代が来るとしても、コオロギを食べようという前に国としても事業チャレンジとしてもできることはたくさんある。見渡せば休耕田が多数ある中で、国として奨励して作物の育成を促せばいくらでも手の打ちようはあるでしょう。補助金出すならそこじゃない?
結局、SDGsの聞こえのいい名前の補助金ビジネスの利権から始まってるからうまくいくはずもないし、むしろうまくいかなくて良かった。チャレンジした人は事業として頑張ってみた方々なので、その精神をぜひ本当の食糧自給改善に活かしてほしい。
コオロギ食べたくありません。
・世界的な食糧不足、だから昆虫を食べる。 という発想は日本では違う様な気がするな。 日本では耕作放棄地が増えており、食料自給率が伸びないことが問題なわけで、それの解決策としては昆虫食ではない。 それよりも、一人でも多くの人が農業を始めることが大切だ。 実家の畑に行っても、周りは耕作放棄地ばかりだ。都市部の生活もいいが、田舎で畑を耕すのもいいですよ。
・先行しているミドリムシですら活用しきれていないので、先ずは日本の農業や畜産業の振興、育成と活用と国内自給が第一だと思う。 途上国への食糧支援としての研究など、将来的に昆虫食はアリかもしれないが、日常食としては本当に最終手段で良いと思う。
・結構テレビでも話題になっていて何度か見たけど最近は取り上げられなくなっていたみたい。やはり本当に今ある食材がなくなってしまったなら工夫して美味しく食べようと思ったと思いますが、普段の食材の方が安いし、栄養価も飛び抜けて秀でている物があったら食べようと思ったと思います。 将来本当に食料不足が起きないように日本の自給率をあげる取り組みを政府が真剣にやってくれたらと思います。 昔母がイナゴのつくだ煮を食べていた事があったけど、私達の世代は食べる習慣がなかったから私は食べれなかった。 将来食料に困らないようにする取り組みは素晴らしいと思いますが、今は食べたいと思えない。
・少々独善的な考え方になるかもしれないが、昆虫食が栄養面や安全面も確立できているのであれば、特に何年か前にアフリカでバッタの大量発生で農作物に甚大な被害を与えた事例があったと思う、それならそのバッタを食用にできるのなら、彼の地での食料不足を補える事にならないか?またそれが食用コオロギと違って人間の食用に向かないとしても、飼料用に転用できないのか?は価値あるテーマと思うのだけど。ベンチャー企業に出来る事業ではないかも。
・まあこれがビジネスだと思います。市場原理ですね。昆虫食に補助金を入れて国を挙げて研究するという動きもあるが儲からないということは世の中に求められていないということ。リソースの無駄だと思う。実際の飼育コストなどを考えると栄養価あたりのコストは既存の肉などの食物に比べてむしろ高いと言う説もある。それも研究を続けて普及していけば下がるのだろうが、今はどちらかというと家畜や魚の養殖、野菜などの農業を効率化して既存の食材の生産効率を上げる事を優先して欲しい。ほぼ無法地帯と化して漁獲量が減り続けている漁業に科学に基づいたルールをもうける、農業に対して政府が生産量などを指定したり新規参入を妨げている規制を撤廃して自由化するなどのほうが日本の食糧生産にとってプラスになる。
・日本にも、イナゴ、蜂の子、ザザムシなどを食べる文化があります。イナゴの佃煮は好きですし、蜂の子も安ければもっと食べたいです。 この会社が昆虫食を始めたとき、粉末にするという点が間違っていると思いました。栄養価が落ちる、加工にエネルギーがかかる、混ぜ物が入る可能性があるからです。虫の姿はグロいかもしれませんが、実店舗の片隅や通販で売ったりして、地道に理解を広げてゆくべきでした。
・一時期、コオロギクッキーとか昆虫飴などが自販機とか店頭で販売されてたが見かけなくなったね。一過性のブームというか、ブームにすらならなかった。これに限らずだがSDGsに関わる事は本質を解決するにはあまり関係のない事をさも大袈裟にやりたがる傾向がある。昆虫食をビジネスにするのはまだ先だろうし、昆虫でなくともそれまでに代替のものは考案されると思うよ。
・個人的な意見ですが、そのままでも食べられるコオロギをあえて粉末に加工する意味がわからないんですよ。見た目に抵抗がなくなった方が食べやすかろうという考え方は果たしてSDGsに見合うのでしょうか。 味が気に入ればいなごみたいに炒って食べるでしょう。 食料危機は塩すら調味料として手に入らないかもしれません。それなら味付けは出来ないですが、加工する余裕はあるんですか? 食うに困っている時に加工するためのエネルギーをコオロギを食べて補うのでしょうか。美食のためならともかく、薬買うために健康を維持して働くという矛盾が心理的に起こると思うのです。 昆虫食は世界中昔からする一種伝統食なので、蜂の子かコオロギか、あるいはゴキブリかもしれないものをわからずに食べるというのは私は怖いです。 生きる楽しみはたくさんあります。 食もその一つです。 ひもじかればコオロギも食べるだろうでは生きる気力を奪うと思います。
・一時期、卵が値上がりしたがそれも落ち着き、物価が高騰しているけど肉はグラム100円を切る価格で買えるものもある。乳製品もまだ安い。それに対し昆虫食は小さな袋に入ったものが500円とかだったりする。虫を食べるという”遊び”のためのおもちゃであって食料ではない。食料危機が来てないんだから大学での基礎研究ならまだしも起業するには早すぎた。昆虫食なんてものが事業として成立する時代が来ないことを祈る
・あまりに見切り発車過ぎたかな。 食べたいと思う人はほとんどいないのに食べる以外にコオロギを生かす方法はあったのだろうか?
ミドリムシもだいぶたつけど、食事に活用するには一般的にはまだまだ程遠い。けどやってるよね。
ミドリムシは代替エネルギーになったり、食べる以外に活用が出来る。今のエネルギー高の時代むしろそちらに期待している。 融資する方もロードマップが見えると融資しやすい。 たった50万のクラウドファンディングも集まらないコオロギの方は今後のビジョンが見えなかったみたいだな。
・昆虫食と言われてすぐに浮かぶのはイナゴの佃煮ですね。 私は食べたことありません。 以前知人がどこかから買ってきた蚕(かいこ)のお菓子?を食べたことがあるのですがハッキリ言って虚無の味でした。 昆虫メインとはいかずとも徐々に浸透させていくのが現状ベストかと思います。
・有名メーカーがコオロギ粉末を入れたパンを作ると聞いてから、そのメーカーのパンを買うのを止めました。
勿論、パンは限定的な物なので全てに入っている訳ではありません。 しかし、知らぬ間にリリースされてコソッと混ぜられていても嫌だな〜との思いから、一人で不買運動しています。 そのメーカーは安く売られている日もあるのですが、ぐっと我慢して他のメーカーのパンを買うようにしています。 能登半島の震災で、炊き出しで良かれと思って健康に良いとされるサプリを投入する人もいるようですからね。 コオロギパウダーでは無いとは思いますが、服薬している人は何かと注意です。 何処かで知らずに口にする羽目になるかは分かりませんが、選べる間は拒否したいですね。
・昆虫を人間の食用にするための加工・宣伝活動に経費が掛かったのではと思います。 その前に加工に経費が少ない家畜の飼料・魚の養殖の餌・農産物の肥料として、開発すべきだったと思います。 昆虫の大量生産と生産コストの問題がありますが。
順序の間違いで、倒産したのでは。 再挑戦を期待します。
・歴史的に昆虫を食していた文化ってのは日本にもあるけど、 それが廃れているわけで。 理由付けしても新たにそれが受け入れられるとは限りません。 食べていた時代とは価値観も違うのです。
世界的にまだ食糧不足であるのなら、そのコウロギをそういったところに輸出すればいいと思います。 それをしない理由として考えられるのは ・日本で育てたコウロギが現地に行くときには高価になってしまう ・そもそもそういった所でも昆虫(コウロギ)は食材として受け入れられない
と言う事でしょうか。
・仮に食べるとしても分からない形にしないと無理だろう それこそ粉末状にして他のものに混ぜるかどうかって程度 振りかけの中に何%か混入とか、味噌汁とかスープに少し入れるとか、練り物とかパスタに少量いれるとか けどそこまでする必要があるのか?って事だと思うんだよ、逆にコストがかかるだろうし。 やっておいたという試みは今後の為にアリだとは思うけど、まだそこまで瀕していない状況で受け入れるってのは難しいかなと
・昆虫食も一つの方法でしょうが、その他にも培養肉とか捨てられてる魚やジビエや代替え食品など各分野で取り組みが進んでいる。それらを総合的に活用していく必要があると思います。だから昆虫食の研究も止めないでもらいたい。必要に応じて活用出来る柔軟性と対応力が求められると考えます。
・コオロギから摂取できるタンパク質の量は、コオロギを育てるための餌に含まれるタンパク質の量よりも少ないと何かの資料で見ました。 であれば、タンパク質を摂取することが目的なのであればコオロギではなく、コオロギに与えている餌を直接人間が摂取できるようにするほうが効率的。
・だって日本では食料不足と言われてもピンとこない。 畑では作り過ぎた野菜が山のように放置され、某パン工場では作り過ぎたパンが毎日コンテナに山程廃棄されてる。 賞味期限も記載されており、賞味期限は切れておらず普通に食べられる物だ。 どうした理由でそうなるのかは解らないが、あれを目の当たりにした時はショックでした。 コオロギ云々よりも先ずはこういう所を何とかする事から始めないと。
・数年前、いっときしきりにテレビで紹介していましたね。タンパク質もとれるしSDGsだなんてメリットばかりが報じられていたけれど、しばらくしてからエビやダニのアレルギーがある人は、コオロギでもアレルギーを起こしやすいと小さく報じているのを見て、コオロギ食を紹介するなら同時にアレルギーのこともちゃんと教えてくれないと!と、強く思ったことがありました。
当時は牛のゲップが地球温暖化を促進するからという理由で、主にNYでコオロギ食に切り替える人も報じられていたけれど、その後、問題だった牛のゲップについての研究も進んでいますよね。エビやダニより牛肉アレルギー人口の方がずっと少ないと思うし、ゲップのメタン問題さへクリアになれば、やっぱり虫より美味しいものをいただきたい。時期尚早だったし、多くの人も求めていなかったのだと思う。
・ほとんどの起業が3年という節目で限度がくるの原因は融資の流れや軌道に乗るための期間が最長3年なのだと感じている。 軌道に乗れた数十%の起業家だけがその後の安定期に挑戦できて、10年後には10%未満にまでになる。 それは資本主義社会では正常な姿なのだと思う。 様々な新しいものにチャレンジしては成功と失敗を繰り返す。 まさにトライアンドエラーだよね。 自分もせっかく資本主義社会の時代に生まれたのだからトライアンドエラーを繰り返して楽しい人生にしたい。 昆虫食は良いアイデアだったと思う。 次は何にチャレンジするのかな? こういうニュースは、もし何かの拍子に大成功をしたとしても、守りに入りたくないという気持ちを強くさせてもらえる。
・今の日本で食料不足を言われても、それをリアルに実感している人って少ないと思う。そうなると昆虫食をすすんで食べようという人もいないし、ある意味、価値観を変えるようなビジネスだから、より時代のタイミングとか受け入れられるための方法とか慎重に考える必要あるよなぁ。
・今後たんぱく原が危機的になると言われていても、虫を食べる事が日本人にはただ気持ち悪いが勝ってしまうのではと思います。 外国では、昆虫や幼虫も日常的に食べる文化もあるので。 エビは大丈夫でも、やっぱイナゴとかハチは抵抗あります…
農家さん、家畜を扱う方々に感謝と、今後も途絶えないような仕組みを国が補償して欲しいです。
・まず、エビ・カニに対する食物アレルギーがある場合に、昆虫は大丈夫なのかとか、食品としてのポテンシャルについて未解明の部分が多すぎる。
「コオロギ」の姿揚げなら嗜好品や珍味レベルだけど、粉末にして様々な食品素材とするのは、現段階ではいろいろ難しい。
私の大学時代の知人は、ある昆虫の鱗粉でアナフィラキシーショックを起こして生死をさまよった。発見がもう少し遅ければアウトだったかもしれない。
食物アレルギーは様々な食品で起こりうるので、昆虫食のみを過度に警戒する話ではないが、一般化していないものはアレルギー検査しにくいから食品会社も、なかなか手が出せないだろう。
・確かにまだ早かったですね。 でも、おかげで農作物への関心が高まり、農業や農地が大事なんだという気持ちを芽生えさせたというところでは社会に貢献いただいたかもしれませんね。 昆虫食しか選択肢がない時代が来ないことを祈ります。 と、いろいろ言っても、関東ではイナゴの佃煮売ってますけどね。 今はタンパク源とは言わないですけど、昔は本当に貴重な蛋白源だったんですから、とにかく自然を食べ物を大切に生きていきましょう。
・食糧ビジネス(主に海外からの食糧の輸入)に20余年携わっている者です。
コオロギは日本では収益化は厳しいだろうなと思いつつ、 収益化がうまく行って欲しいな、とも思っていました。 何故か?日本は”たんぱく質”の自給率が非常に低いためです。 大豆は約9割が輸入。家畜を育てる配合飼料も約8割が輸入。 何かがあった時に、日本国内はタンパク質不足に見舞われます。
記事の中に、
”必要な時に、必要な人の手に渡るように、 今から技術を磨き、研究に取り組んでおります”
という談話がありますが、「本当にその通り」と私は思います。
昆虫食は”何かがあった”時に、日本国民が十分な たんぱく質を確保できるように、細々とでもよいから 絶やしてはいけない技術、研究です。
・牛や豚を育てるのにコストが高いのはわかる。 で、同等量のタンパク質を摂るためにはどれだけコオロギが必要でどれだけコストがかかるのかずっと疑問。 牛や豚は内臓や脂肪、骨、国によっては血もソーセージに使うし、皮にも糞にも用途がある。コストの比較するなら丸ごとしてくれないと公平じゃない。あと鶏や兎とも比較して欲しいな。
それから、給食に出して批判されたのは、提供されたら食べるしかない(食べなけれ食事抜き)状況だから。しかもパウダーにして混ぜ込まれたら避けることも出来ない。昆虫食とか発案者が誰とか頼まれただけとか関係ない。過去には輸入肉や輸入米でも批判はあった。誘われた時に「選択肢を与えられる社食や学食などに対象を変えた方が良い」と提案すれば良かったと思う。今回は不足からの代替ではなくて、子どもから懐柔しようとしてるように見えたからね。
・最近は知らないが、昭和の頃には「減反政策」と言って農地を減らす努力をしてきた歴史がある。食べ物が足りなくなった時、まず考えるべきことはコオロギを食うことではなく、処分してきた田畑の再生であるはず。あとタンパク質が重要というなら、大豆栽培の技術を推進してほしい。
・コオロギを人間が食べるのではなく、コオロギを食べた動物を人間が食べればいい。 レストランはいろいろあるが、あまり知られていないメキシコ料理とかアフリカ料理は受け入れられない。やっぱり、みんなが慣れているラーメンやカレー店が流行る。人間は、慣れていないものは食べないのだ。 コオロギを食べる人が日本で増えるには、数千年掛かると思う。それよりは、コオロギを食べた豚やニワトリを売った方が確実に売れる。
・コオロギ食が流行らなかった理由としては、日本ではコオロギは虫であり食用と言っても受け付けられない考えがあるからがというのが大きいでしょうね。 第二には人間の体に合っていないという点かな? 多くの危険性があり、実際に体の異常を訴えている人がいる。 安全性が証明されていない。 確かに自分としてはたんぱく源としては取ってみたいものではあるが、そういった点から安全性が確実に証明されてからでないと難しい。
・食糧問題に対する一つのアプローチではあったけども、昆虫食を食べようと思えない心理的問題を解決できなかったのが最大の失敗。 そしてその失敗は解決するには、飽食の時代にあってはほぼ実現不可能でしょう。
昆虫食は、同じ質量で肉や魚に比べて栄養素が豊富、1kgの可食部を生産するための飼育量=飼育変換率が牛豚に比べて格段に高い、可食部がほぼすべて(牛は40~50%)、など既存のたんぱく源より遙かに効率的ではありまが。 但し、食は五感でするもの、という言葉もあるように、見た目にも「美味しそう」ということも大事。 見た目の忌避感から粉末まで加工する必要があります。
結局は、食糧難に自分たちが直面しないと、この忌避感を上回ることはできないのでしょう。
・食べたことがないから何とも言い難い部分はあるにしても、時代が・・・というより順番が違うように思う。
まずは、皆さんがおしゃっているように食品ロス問題や農業の休耕田の利用など、先にやるべきことはあると思う。
それと、コオロギを人間が食べなくても、家畜の餌になどのしてはどうですか、穀物の大半は海外からの輸入の頼っていて価格が上がっていたり安定供給に課題があります、だったら重要なたんぱく質として、家畜に与えて人間は牛や豚、鳥を食べれば良いじゃないかとも思う。
いずれにして、順番が違うように感じる。
・コオロギ食が人体に悪影響を与えることもある、という視点は一切無視されている記事だと思いました。人類はこれまで何度も飢饉や戦争による食糧不足を経験しておりますが、その都度食べられるものを求めてなんでも口に入れてきた歴史があります。その結果、日本でもイナゴや蜂の子などの「珍味」が食文化になりました。しかしコオロギを食用にしている民族はほとんどなく、それは受け入れられなかったそれなりの理由があるからだと思います。ただ単に量産しやすいからという理由でコオロギを飼育しても、歴史が拒否してきているわけで、定着させるには無理があります。そもそも毒性があると言われているのにコオロギ飼育を推し進めるのはやはり補助金などが出るからであり、消費者のほうにきちんと向き合っていないからで、このような結果になるのは当然かと。
・昆虫食そのものも、好みやアレルギーなど、様々な要因に対しての印象を変える努力が不足だったのではないかと思います。また、粉末になることで様々な食品に入れられてしまうのでは?、商品の原材料からも使い方によっては表記されないのでは?など、消費者側に選択権がなくなってしまうのではないか…という不安ばかり先行して、それを払拭しなかったのですから印象が良くなるはずがありません。コオロギ食を食べるアピールした政治家も含め対応が悪かったとしか言えません。 ビジネスとして新しいことに挑戦するのは素晴らしいことなので、新しい事業で頑張ってほしい。昆虫食に力を入れるくらいなら、日本の農業を充実させる努力を政府はしなさいとしか言えないかな。 日本の農業は素晴らしいので。
・老人に必要な脂肪酸などが多いので、漢方薬に近い使い方にするか、あるいは 餌用のために大型、省力化で単価の安いものにするかですが、今までは良いものだから高く払えという理論が先行しすぎでしたね。コオロギを生産した経験者としてのコメントです。魚粉の代替では確実に使えますが、問題は単価。 今後、魚粉の価格は確実に上昇してゆくので、それを踏まえた売り先、利用法のための継続性が重要でしょう。コオロギは約1.5か月のサイクルで拡大しますから、その意味では、他よりも優位性があるでしょう。それらを理解して批評してほしいです。
・昆虫食とカロリーメイトなどのバランス栄養食とどちらかを選べと言われれば迷わず後者で命繋ぎます。 バランス栄養食のもととなる材料が無くなり、コオロギしか選択肢が無い状況が訪れれば別なんでしょうけれど、そんなこと起こりえませんよね。 そもそも何故に動物性タンパク質にこだわる必要があるのでしょうか? 食糧危機が昆虫食に繋がる過程がいまいち理解出来ないですし、こじつけな気がするのです。 そりゃあ技術やコストや文化の面で昆虫食べてきた国はあるでしょうけれど、日本が無理矢理そっちに寄る必要も無いでしょう。
・「いずれ必要とされるだろう」けれど、「今の時代では売れない」というものはたくさんある。
昆虫食もその範囲で、現状ではごく一部のマニアにしか受け入れられず、また必要性も(今は)無いという事なんだろう。
となると、マニア向けに細々と売る分にはいいが、設備投資をしてある程度の規模でやろうとすると失敗をする…、企業家が良くやる失敗のパターン。
いずれ来る食糧難で必要だとしても、現状では細々と生産し、ノウハウの蓄積と啓蒙活動を行うしかない段階なのだと思う。
もっとも、得てしてこの手のものは、「後から想像もつかなかった解決法が出てきて、実際に将来に役に立つかも微妙」なもんだという気がするけれど。
・イナゴの佃煮が流通しているのは、限られたごく限られた地域だけでしょう。その地域はたんぱく源の食料が不足して、それをイナゴで補った風習がそのままの残ったのだと思います。
人間は、大飢饉や戦争で食料が無くなれば、コオロギでも何でも食べると思います。でも現代は食料は豊富で、より美味しい食材を求める状況です。食用コオロギは歓迎されず、ビジネスとして存在できる環境ではないでしょう。話題としての面白さはありますが、投資対象ではなかったと思います。
・クリケットファームに伺ったことがあります。 家畜に比べて、少ない餌、土地で育てることが出来るため、将来の食糧危機に備えることが出来る。という触れ込みでした。 しかし、共食いを避けるため、東南アジアの種を使う=30℃程度まで加温必須、十分なたんぱく質を含む飼料が必要=人間の食糧と被る、という欠点があります。 また土地利用効率的には、ブロイラーに敵いません。 金額的にもかなり高価でした。 そのため、コオロギ関連デマによるアンチが無かったとしても、早々に立ち行かなることが見えていました。
・イメージというものがわかってなかったですよね。 例えば、ユーグレナもミドリムシのことですが、ミドリムシは虫じゃないけど、名前にムシが入るので、虫をイメージしてイメージが悪いからユーグレナとしている。 今回はコオロギだから、そのまんま、虫なんですよね。なのに、なぜあえてコオロギなのか? 既に食べているイナゴじゃダメだったのか?とかね。 また、動物性たんぱく質と植物性たんぱく質の違いとか明確に答えられる人も少なく、必要性も感じないというのもあるでしょう。 むしろ一般向けにするよりもプロテインの原料とかにできなかったのでしょうか?
・昆虫食という分野やこの企業個別の問題は別にして、ベンチャーなのでつぶれることは普通にあるだろう。失敗した時にこぞって失敗理由をあげつらうのは日本らしいが、一方ではリスクをとる投資、企業を奨励している。リスクをとれば失敗することもある。再起できるなら再起したらいい。
・「SDGsというきれい事だけではビジネスはできない。ベンチャー投資ブームが終わった」 この分析は非常に貴重な経験によって生まれたものだと思います。 日本でも蜂の子やイナゴが食用として認知されていますし、海外で食べない食材が日本ではポピュラーというものもあります。結局は「なんとなく嫌」という感情論でも「既存食品からの切換メリットがない」という論理性でもうまくいかなかったようです。冒頭の分析の通りですが、一般企業が営利目的でやるには難しかったでしょうが、その信念はどこかの研究機関で引き継いでくれればなと思います。
・近未来には絶対に必要になるので発展を楽しみにしていましたが少し焦りすぎたのでは無いでしょうか。 昆虫を食べるのに嫌悪感を抱く人もいるでしょう、世の中には美容のためと鳥の糞を顔に塗る人も居ますし、世界ではタコなど食べないが日本では食べる フランスではカエルやカタツムリも食べているそうです、 自分も子供の頃バッタの油炒めを食べたことがあります、 町では蛇を焼いたものも売ってました、 全ては慣れの問題だと思います。 未来の人類のため昆虫食の研究を続けてください。
・コチニールという着色料が虫からできていると聞いて、一時期苦手になりました。
でも虫を食べる文化は世界にあるし、日本にはそぐわないけど 食糧難のときには必ず役に立つ技術だと思う。 ウクライナの戦争を見て、いつ、何が起こるかわからないと思った。
チャレンジしたことはいいと思う。 また新たに頑張ってほしい。
・理念だけでビジネスが成り立つというのはほとんどない。利益、実益がないと。コオロギ食は本当に食糧難が実感できるレベルにならないと利にならないと思うし、日本ではもともとなじみがなく、蜂の子とかイナゴとかともまた違う。あとは、アレルゲンとして「えび・かに」などの甲殻類アレルギーのリスクもあり、すぐに必要という状態でなければ、難しいのだろう。 日本ではなく、食糧難の国々で、安く提供ができるレベルであれば、FAOなどのサポートも期待でき、ビジネスになりえたかもしれない。たしかにベンチャー投資ブーム(ブームというほどか?)は終わっていて、ビジネスになるうることを考えながらやらないといけない。その点では、ベンチャー投資というよりは、これからはクラウドファンディングのほうがあってくるのかもしれない。
・長野に行ったときイナゴの佃煮をはじめて食べたが、普通に美味しく食べられた。とはいえ珍味として賞味したのであって、あれを主食として毎日食べるのは難しい。ましてコオロギがうごめく様子はほぼGである。今の世代の多くには無理だろう。 想像だが、これからの世代には生まれた時から昆虫食に親しみを持てるような「洗脳」が必要なのではないだろうか。たとえば昆虫を題材にしたアニメとかぬいぐるみとかで、「昆虫は可愛い」という価値観を幼少時から植え付けえるのである。価値観の大変革が無い限り、恋人同士がディナーでコオロギを食べたり、映画を観ながらポップコーン代わりに芋虫のフライをほおばる、といった世界は到来しないだろう。
・昆虫食というのは、そもそも魚介の恩恵を受け難い大陸内陸部における貴重な蛋白源の摂取機会であり、日本でも物流発展前の山間部では普通の事でした。 しかしながら、保存方法の確立などもあって江戸の昔には山間部でも魚介が食される様になっています。 日本人は虫の代わりに貝を食べてきた。それだけの事ですし、海洋資源に恵まれた島国でワザワザ昆虫食を普及させようとするくらいなら、もっと海産物を食べてください。
・蜂の子を食べるのは高タンパクだからとか言ってるけど、実態はそうじゃない。本来ならば肉を食べれば良いのだが、それが食べられなかった時代の代用品としてその中でも「高タンパクだから」選ばれていただけのこと。 もちろんそれが特産物みたいになったのはスゴいことだけど。
さて、食用コオロギに目を向ければ、まだ『それひとつで会社を興す』ような状態ではない。何かの副産物としてそういうモノを用意するくらいで良かったんだと思うよ。 面白いとは思うけどね。
・コオロギの育成は早いが、食べられる量として考えるとそこまで多くはないのかなと思う。 タンパク質で見れば大豆を海外依存から国内生産にシフトして行くほうが良いように思います。 食は人間の必要な要素であると同時に、娯楽的な要素も大きいです。 万人が食べたくなるようなものを必要数生産できるようになったほうが良いかと思います。 ただ、コオロギのようにメディアに注目されたりする事は無いでしょうけど…
・食べたい物は身体が自然と欲してきます。地産地消や身土不二の考えでなくても、地元の新鮮な食材が一番美味しいと感じます。 父の故郷の長野へ子供の頃行った時には、いなごの佃煮を食べましたが、美味しいかといわれたらその記憶はありません。 日本には海があり、現在の漁獲高でもその半分以上が名前もない雑魚で捨てられてるとききます。タンパク質が不足してるならまずそれを 生かした方が無理はないかと思います。
・これは、食料の基礎研究として必要不可欠なものとして理解するが、事業(商売)として社会的インフラ、一般認識が未完な現状では無理がある。 かといって、基礎研究は重要であり、公共研究機関、政府補助で進められることを期待したい。万々一、海外からの食糧を止められる事態となった場合、必要な研究であると考える。
・コオロギは「食糧危機」「環境問題」「SDGs」といったキーワードで注目を集めましたが、実際に消費者の支持を得られなかったことが破産の主な原因と考えられます。
コオロギに対する嫌悪感、価格の高さ、昆虫食の必要性に対する疑問などが、消費者の購買意欲を阻害したのでしょう。
昆虫食が普及するには、克服すべき課題が山積しています。
消費者の嫌悪感を克服する: 見た目や食感、昆虫食のイメージを改善する必要がある。 価格を下げる: 大量生産体制の構築や、補助金の活用などが考えられる。 昆虫食の必要性を明確にする: 食糧危機への対策としての有効性を訴求する必要がある。 これらの課題を克服できなければ、昆虫食ビジネスは今後も厳しい状況が続くと予想されます。
コオロギ以外にも、様々な昆虫食が開発されています。今後は、消費者のニーズに合致した昆虫食の開発や、新たな販売方法の模索などが求められるでしょう。
・たぶん、鳥類や爬虫類の研究をした方が良い。なぜやつらが昆虫を生でうまそうにもしゃもしゃ食べることができて、感染など病気にならずに栄養にできるのか。人が同じことをできるならしてると思うんよね。大昔は食べてたかもしれませんけど、進化なのか退化なのか、今は安全に食べられないと思う。これからもっと食べられない様になると思う。特にキレイ好きの日本人は。 昆虫を肥やすための飼料を人間が食べられるならそれを直接食べた方が良いし、昆虫を食べる動物を食べた方が良いし、間にある昆虫を食べないといけない必然性はないと思うね。
・今まで大抵の人がコオロギを食べ物と認識してこなかったのだから抵抗感が強いのは理解できる。 ただ、見た目が…という人はエビとかシャコとかそういう海の幸も、実はなかなかの見た目をしているのになぜ平気なのか? やっぱり昔からすでに当然に食べ物として認識してるかどうかの違いな気がする。
あと、給食に入れた件は、心理的な問題以前にアレルギーの問題があるからやるべきではなかったと思う。 私は甲殻類アレルギーで、調べてみたらコオロギにも反応する可能性があるので、無印のコオロギせんべいも食べてみようと思ったこともあるけど食べられない。 虫を食べる食レポで、エビみたいな味がするといっているのも何度も見たけど、たぶんその類は全部食べない方が良さそうだと思ってる。
食材として馴染みのないコオロギよりも、日本に昔からあるイナゴとかハチノコとかを普及させるのが先。 それが無理ならコオロギも無理でしょう。
・日本人は虫が苦手という人が増えていると思う。女性はもちろん、最近は男性でも少し大きくなると退治すら無理という人も少なくない。特に黒光りしている虫退治のためのサービスが人気だったりする。種類は違えど虫をさらに食べるとなると抵抗を感じる…。食べ物に困っていない現時点で昆虫食は日本では一般化するほど受け入れられないと思う。
・コオロギよりも大豆・米・麦のプラントの方が遥かに需要があると思うけど。
野菜の工場生産とCO2固定化を合わる。 平面の生産ではなく立体での生産による生産の効率化と安定供給。サイクルが安定すれば輸入に頼っている物の一部を国内生産に切り替える事も可能だろう
ただ大規模になるだろうから、初期投資に見合った回収は先のことになるけども。
人口が減り、農家人口も減るのであれば、コオロギに頼るよりこっちの方が遥かにマシだと思う。
なんて事を常々考える。
・昔はイナゴの佃煮を自家用で作ってたのを思い出した。 話は変わりますが、昨今は生きた動物から食料を得る行程が隠されており、食用動物への感謝の念も薄くなっている。その意味ではたとえ昆虫でも生きてる物を処置して食料にする行程を経験する事は意味ある事だと思います。
・タンパク質が効率よく摂取できる概念から始まったコオロギ養殖ですが、そもそも食料危機になったときには、身体の腸内細菌の種類が変わっていき、空気の中から窒素成分を取り込むことすら出来るようになりますから、この考え方は成分表オタクのバイアス思考もしくは、プロバガンダのようにも思えます。 これほど巷に食料が余っていて食品ロスが毎年50億トンも出ている日本で、やっていることがチグハグ過ぎるように思えます。コオロギよりも食品ロス問題や古来からの伝統食文化を見直した方が良いように思えますけど。
・フードロス問題を解決した向こう側の話だと思うのよね。店頭での廃棄ももちろんだし、製造段階での廃棄も。豆腐製造でできるオカラとか、出荷量調整で棄ててしまう牛乳とか。 そういう廃棄問題を極限まで減らしたうえでまだ食料不足であるとなったら考えなければならないけれど。
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