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「セクシー田中さん」原作者急死 北村弁護士、過去の裁判もとに説明 「凄い」「これを早く知りたかった」

スポニチアネックス 2/15(木) 9:34 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/937ec9085449fe8bb63f8afce6eaa75f74f80cee

 

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北村晴男弁護士が公式YouTubeチャンネルで、漫画「セクシー田中さん」の原作者が急逝したことについて、脚本をめぐる問題などについて解説した。

彼は原作者の権利として「同一性保持権」があることを主張し、脚本を変更されることによる権利侵害や損害賠償が発生する可能性があると説明した。

また、原作者が作品の内容や表現についてチェックするには時間がかかるため、制作側が原作者の思いにそぐわない脚本を提出すると、原作者は大変な思いをすると述べた。

視聴者からはこの解説に対するさまざまなコメントが寄せられている。

(要約)

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北村晴男弁護士 

 

 弁護士の北村晴男氏(67)が、15日までに公式YouTubeチャンネルを更新。昨年10月期に日本テレビでドラマ化された漫画「セクシー田中さん」の芦原妃名子さん(享年50)が急死した問題について、弁護士の立場から見解を述べた。 

 

【写真】「セクシー田中さん」でベリーダンサーに扮した木南晴夏 

 

 芦原妃名子さんの訃報は1月29日に伝えられた。芦原さんは1月26日に更新した自身のXで、脚本をめぐり局側と折り合いがつかず、自らが9、10話の脚本を書くことになったとして視聴者に向けて謝罪。当初提示していた「漫画に忠実に描く」などの条件が反故になっていたと明かしていた。 

 

 この件に関し、北村弁護士のもとに「日本の法律では、原作者を守る法律はないのですか?」という質問が寄せられた。 

 

 北村氏は、「セクシー田中さん」について「2017年から連載をしていて、現在も継続中の漫画。大変人気のある漫画。その原作『セクシー田中さん』を使ってドラマ化するわけですから、原作者の芦原さんには著作者としての権利があります」と主張した。 

 

 続けて「難しいことはさておき、『著作者人格権』というものがあり、その中に『同一性保持権』というのがあります」と具体的に説明。「同一性保持権」とは、「著作物及びその題号につき著作者(著作権者ではないことに注意)の意に反して変更、切除その他の改変を禁止できる権利」だという。 

 

 北村氏は、これを「著作者の頭の中にある原作を勝手に変えてはいけない権利」と説明。法的にみると「損害賠償や“元に戻せ”と言う権利が発生する」と指摘した。 

 

 この権利は、過去の判例を見ると「一語一句変えることができない」「句読点ひとつをとっても問題になる」というが、一方で、原作者が「OK」といえば問題には問われず。「一般論ですが…“変えてもらっては困ります”と言わなければ、同意したものとみなされる」とした。 

 

 テレビ出演も多い北村氏は、番組制作側の立場も見てきたうえで、「原作者の思いとずれていくことは当然ある」と指摘し、原作者にはこの“ズレ”を「引き戻す権利がある」という。「だからこそ、原作者としての思いがちゃんと表現されているかどうか、これをチェックするには時間がかかる」と、“ズレ”を直していくには膨大な時間がかかると主張。 

 

 「芦原さんはおそらく、“大変だけれども十分チェックしていこう”と、そういう思いをもってこのドラマ化をOKされたんだと思います。ところが芦原さんの思いとは裏腹に、内容を変えないでくださいねという思いよりも、変わった脚本が上がってくる、そのたびにストレスを抱えながら“これじゃ困るよね”と突き返したり、“ここを変えてください”と言ったり、そのような作業をずっとしてきて…大変な思いをされたと思う」と私見を述べた。 

 

 この動画には「凄いわかりやすい説明ありがとうございます。勉強になります」「原作は恋愛ものではなくて人々が周囲と関わっていくことで自分らしさや自己肯定を学んでいく成長を描いた漫画だったんですけど、ドラマは大衆受けし易い恋愛ものになってましたね。原作が好きだったので読んでました」「風化させてはいけない」「海外では出版代理人がいて印税交渉や映像交渉などするのが普通なのに日本ではほとんど行われていないのですが理由はなぜですか?」「これ労災になりませんか?」「この件ずっと気になっていたので取り上げて頂けてありがたいです」「やはり法律で喋ってもらうとわかりやすいです」と、さまざまなコメントが寄せられた。 

 

 

( 139492 )  2024/02/15 15:32:19  
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(まとめ)原作者と脚本家、制作サイド、出版社との間での権利や意思の対立、認識の違いに関する問題や複雑な関係性が見受けられます。

また原作者やその作品へのリスペクト、権利行使や著作者人格権の重要性についての意見も多く見られます。

また、個人としての愛読者としての視点、違法行為や心情、人権、著作権など様々な角度からの指摘や憂慮が投稿されており、様々な意見が分かれています。

原作者や作品を守るための対策や改善策、公的な説明責任についての要望や提案も見受けられ、今後に向けた対応の模索が望まれています。

( 139494 )  2024/02/15 15:32:19  
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・芦原先生が多忙を極めるなか、疲労が増していったことは容易に想像できます。 

 

ドラマ化にあっては原作者の意向が最大限尊重されるべきなのに、それを良しと思わない脚本家の考え方がよくわかる、あの投稿。 

原作者へのリスペクトの欠片もなく。 

テレビ局関係者やドラマ関係者へ直接話したり相談したりと言うならまだしも、インスタというある種公の場へわざわざ投稿するなんて。 

 

結果責任は重大で、日テレや小学館、そしてこの脚本家は書面などでのコメントなどではなく、キチンと記者会見して説明責任を果たすべきだと思う。 

 

 

・内容を変えるのためには原作者側に権利があることはわかりますが、 

今回は、口出しする原作者をウザがるかのような発言を脚本家がSNSで放ち、ドラマ制作者の一部がそれに同意したことがわかっています。 

それに加え、目に見えないところで前々から、原作者を蔑むような言動があったのではないかと、危惧する声があります。原作者が苦しい立場を自信の単行本やSNSで訴えていましたし。 

 

人の命が失われていることなので、イジメ事件について追求するように、今回の件についても何があったのか追求されるべきではないでしょうか。 

 

 

・くしくも行列のできる法律相談所と同じ放送局の番組での悲劇。 

その昔、三谷幸喜さんが「ラジオの時間」で自身が体験した原作と全然違う放送内容になという話をコメディーとして映画化していましたが、放送業界ではいわば当たり前のように行われて来た事のようです。制作サイドは何の問題意識も持っておらず、パーティー収益を申告しなかった政治家を同じ局の報道番組がよく非難出来たものだなと感心するぐらいです。 

法的に違法な事だと弁護士先生が仰っているのですから今後は然るべき対応をされるのかと思いますが、原作者が抗議のために自ら命を絶つなんてどんな対応をされたんでしょうかね? 

 

 

・権利はあるが権利を行使できないとか行使しづらい雰囲気があるというのは一般的なハラスメントにも通じる話だと思う。 

出版社は出版社の利益や関係性を重視するし局側も当然そうなるわけで、原作者に完全に寄り添って原作者の考えを最優先してくれる存在がいないのが問題。 

今後は映像化等の交渉の際には原作者に代理人をつけるのが必須という流れにして、原作改変や使用料など頭を悩ませる問題は任せるようになっていくべきなのでは。 

 

 

・森進一さんの「おふくろさん」は作詞家の権利が守られましたね。歌の部分じゃなくて、前奏の部分に言葉を加えただけでもダメでした。 

楽曲は原作者の権利は守られる。音楽著作権にはJASRACがバックにいる。利権が絡んでいるけど、漫画界にはそれが無い。世界にも影響を与えている日本の漫画やアニメ。もう少し原作者を尊重してもいいんじゃないかな? 

 

 

・権利があって事前に「原作そのままで」と約束したにもかかわらず大きく改変されるというストレスは当然のことながら、その都度その修正作業とTV側とのやりとりを繰り返すというのは身体的にも精神的にも相当辛かったと思う。 

自分もそうだけど、仕事上でも相手のミスを指摘するって変に気を使ってしまって言いづらかったりするのでそういう意味でも先生は精神をすり減らしてたのではないかと思います。 

 

 

・よーくわかってたんだろう両企業とも。 

だから直接原作者に折衝させずに小学館はメディア担当者を間に置いて原作者をなだめすかす。 

放送しちゃえばこっちのものと言わんばかりにね。 

プロデューサーは原作者に直接決定稿に判を押して貰わないといけないようにしないと。 

わざとなぁなぁになりやすい進行形態をとっているように見える。 

 

 

・ドラマ制作者サイドの「原作を採用してやる、売ってやる」という上から目線の意識を根本から変えないと同じようなことは今後も必ず起こる。 

 

もっとも潜在視聴率を持つ売れっ子俳優のスケジュールを押さえるところからドラマ制作がスタートするのだから、その時点でかなりの無理が発生しているのだが。 

 

本当は「この面白い漫画(や小説)をぜひドラマ化したい!」という熱意が先にあるべきだよね。 

 

 

・通常の連載中の執筆に加えて、毎回、提出される多くの修正が必要な脚本。 

心身ともにかなり疲弊されていたというのは想像に難くないと思います。 

過去に連載中を理由に断っていた「セクシー田中さん」の映像化をなぜ承認してしまったのでしょうか。 

利益相反の可能性がある小学館が代理人だっったことが問題だったのではないかと思います。事実関係を公表して、再発防止に繋げて欲しいと思います。 

 

 

・原作を知らずドラマを大変楽しみに拝見しておりました。ガチガチの恋愛ドラマはもう卒業年齢です。恋愛というより、一人一人の考え生き方、人間性に心打たれ、一生懸命だからこそクスッと笑う展開もあり、是非原作を読みたいと、思いました。 

 原作者と脚本家の方と話し合ってドラマを製作されているのだと思っていました。複雑なTV、出版会社の世界があるのでしょうか?大変素晴らしい作品でしたのに残念でしかたがありません。本当に素晴らしい作品です。 

 

 

 

・俺の好きだった漫画、沈黙の艦隊の実写版がアマプラで始まってるけど、女性の副艦長がいたりなど、原作とはキャラ設定から違う。 

原作を全く知らない人にとっては、これが沈黙の艦隊なんだろうけど、原作知ってる人にとっては、あれこれケチをつけたくなる。 

ただ、映像として見る沈黙の艦隊も迫力があって面白いけどね。 

 

 

・昔、すももももももという漫画がありアニメ化されましたがアニメ・特撮界では人気のベテラン脚本家に色々とアレンジされまくってました 

そのことを当時の編集の方が振り返ってましたが大手ではない出版社の若い編集と新人漫画家がせっかくのチャンスを不意に出来ないと色々と了承して結果的にはアニメもヒットし漫画も売れたけどやっぱり作家側にはわだかまりはあったそうです 

原作側は強い権利を持っていてもそれを扱えるだけの立場でないと『力』を使うには勇気と覚悟が必要になるんでしょうね 

 

 

・今回の問題では、ドラマが原作を改変する形で制作され、原作者自らが脚本を担当したことで、脚本家が不満を漏らしたことが発端となった原因が良く取り上げられているが、自分としてはそのことは原作者自らSNSを投稿し、事実を知らしめることでそのことが原作者の自死に繋がったとは考えにくいと思う。 

それよりも、原作者がSNSを投稿した後に何らかの圧力が掛かり、当該コメントを削除し、原作者の謝罪の投稿までの経緯が自殺の原因だと思うのでそのあたりを徹底的に究明してほしいと思う。 

 

 

・そもそも、連載中のものをドラマ化するのに無理があったと思う。ドラマが先に流れてしまえば、連載はそれに引っ張られる。テレビのタイムスケジュールからすれば熟考の時間は無かったでしょう。ドラマと原作を比べたが、連載が完了している部分については台詞までほぼ原作通りと感じた。一方で、ドラマのエンディングは取ってつけた感があって「あれ、こんな終わり方なの」とちょっと違和感があった。原作者には耐えられないものだったのでしょう。 

 

 

・起こった事象は戻る事は無いので、これだけ話題になったのだから、利用して改善につながる雰囲気が作れると良いです。 

 

法律といっても、指針であり、その時その時の解釈で変わっていくものです。 

 

権利は人を守る鎧では無い。 

有利にしてくれるだけです。 

自らが守らなければ、守れないのが現実に起こっている事です。 

 

共同で仕事をする時に、一番の問題は時間なんです。 

それで折り合いながらチームで進める。 

時間には経費がかかります。 

それを、誰が支払うのでしょうか? 

 

権利を主張して必要となった経費には、各々の責任が生じることも、今後は契約書に記載すると良いでしょうね。 

 

 

・小学館の現場サイドから出されたコメントでも『著作者人格権』は示されていました。 

そして今回堰を切ったように原作者側から多くのコメントが出されました。 

これまでテレビ局が『著作者人格権』を無視していたケースが多いことが明確に現れました。そして今回も騒動を収めようとする姿勢が日テレ側にはなく沈静化をひたすら待つ姿勢のようです。 

視聴者として出来ることは日テレを観ない、そして未だに日テレに広告出稿しているスポンサー商品の不買かと思います。私たちが影響を与えるまで徹底出来ていない状況がテレビ局が「これでいいんだ」とのさばらせている要因と思います。 

 

 

・芦原先生はドラマにも自分の作品に対しても、とても責任感が大きい人だったと思う。だからこそ大きなストレスになってしまったんだと思う。 

 

脚本の修正も初回の頃や少しある程度なら、ストレスも大きくないでしょうが、毎回大きく修正させられれば、誰でも馬鹿にされてると思う。 

 

しかし、契約したからには決してドラマを投げ出さず、連載の多忙な中でも毎回脚本をきちんと修正し、不信感のある制作サイドに対しても本当に誠実に仕事をこなそうとしたのでしょう。 

 

本当に「マジメな人ほど馬鹿を見た」ようで、とても悔しいし悲しいです。 

絶対に小学館と日テレにはこの事件の解明と改善策の公表を求めたいです。 

 

 

・とりあえず、日テレからの詳細な発表がなければ、憶測や推測だけがどんどん広がる貞享だが、このまま知らぬぞんぜぬで通すのだろうか? 

 

国民の公共の財産である電波の利用許可を国からもらっている放送局には、徹底したコンプライアンスと公平公正な情報発信が求められるはず。 

 

コンプライアンスには、制作に携わる人の人権への配慮も含まれるはずで、著作人格権は原作者の人権を守るためのものであるはずだろう。 

 

放送事業者として、適切な番組作りが行われていたか、番組制作の結果として自死者を出したという事態の重大さから、総務省がしっかり動いてほしい。 

 

これは、遺族の意向の有無に関わらず、人権に対する意識について、日テレが放送事業者としての適格性があるかどうかの問題だから、総務省は第三者による検証を厳命してほしい。 

 

 

・あくまで一般論ですが、著作物を媒体の異なるものにする場合、ドラマなどの製作者側が「著作者人格権の不行使条項」というものを契約書に入れてくることもあるそうです。 

 

そうでもしないと、著作物をそのまま放送するぐらいしかできなくなる場合も出てきます。不行使条項が入っていない契約書自体TVなどのメディア側が受け入れることはあまりないと聞いたことがあります。 

 

それに対してクリエータ側は、不行使条項を認めた上で、自分で監修したい範囲を契約書に記載していくことが望ましいとされているようです。 

 

芦原先生は長年クリエータとしてやってこられたので、それもご存知だったはずです。少なくとも小学舘が知らないはずはありません。 

 

そういった契約内容をどこまで小学舘がアドバイスしていたのか、どの程度まで日テレに守らせようとしていたのか、など気になることはあります。 

 

 

・「著作者人格権」については、 

小学館の第一コミック局編集者からのコメントで触れられていましたね。 

 

漫画家の先生とやり取りをし、その作品を管理する小学館としては「著作者人格権」については理解しています。という発表だったのでしょうが、ではなぜこんなことになったのか。結局、法律を小学館は遵守せず原作者搾取が蔓延しているということなんでしょう。本来、守る立場が無視するなら先生本人が立ち上がらなくちゃいけない。それは職場の人を敵に回す行為で、そのストレスの大きさは計り知れないと思います。それでも、芦原先生は努力されて、疲れ果ててしまった。小学館は「知ってます」なんて報告じゃなくて、きちんと「守ってます」と胸を張って言えるのか。 

こんなに被害者本人がズタボロになってもまともに機能しない法律って、なんのためにあるのか考えてしまう。 

 

 

 

・映像化にともなって一瞬原作の売上が上がるくらいはあるが、殆どがヒット後に映像化の流れなので、広告効果も利益も、原作側には良し悪しコミで大したことがないらしい。 

映像化の使用料も大きな額ではなく、出版社としては使用料をちょっと貰えるくらいのボーナス程度。 

他人の仕事であまり労力はかけたくないモノなんだろうな。 

原作者にとっては大事な作品で、作品イメージと自分の今後の活動にも影響するから儲からなくても敏感にならざる得ない。出版社と原作者の温度差が凄いのは分かる気がする。 

 

 

・芦原先生は心優しい方だったんだと感じてます。そんな方だからこそ、自分の意思を伝える度に、制作側のことも考えられて、でも、自分の作品を守りたいと思って、それが辛かったのだろうと思います。まるで、自分がわがままを言っているかのように迷惑をかけていると感じたり、思われたりしていると感じたりしていたのではないかと思うと、本来ならば自身の作品で、作者に権利があったにも関わらず、誰も「当然の権利だから堂々と言えば良い。わがままじゃない。」と言ってくれなかったのではないかと、悲しくなります。こんな方が亡くなられて、関係者たちがだんまりで、無かったことにして生きていくなんて、やりきれない…。いじめと一緒じゃん。 

 

 

・北村弁護士の動画見ました。 

「著作者人格権」、「同一性保持権」といった原作者が本源的に持っている権利を分かり易く説明されながら、自分の作品を必死に守ろうとされた芦原先生の苦労を慮っておられ、北村先生の優しさも伝わってくる動画でした。 

 

北村弁護士は動画で、芦原先生の大変な苦労と覚悟を偲ばれていました。 

 

芦原先生が著作者人格権について把握済みで、それを踏まえ脚本は全部チェックし必要ならば自身で脚本を書くという条件でドラマ化に同意されたのだろうと。そして、それがとても労力がいる事は承知で、大変な思いをされただろうと。 

 

日テレ制作側は、そんな芦原先生の原作への思いをどれほど受け止めていたんだろう? 原作者の権利も大して認識しておらずリスペクトもなく、単なる一つの仕事としてルーチン的にドラマ化をしていたのかなと思わされてしまいます。 

 

 

・立場上権利の行使がしづらい場合があること 

優位とされる側がそれを利用するのが問題だ 

 

以前漫画を映画化された作家さんが 

「タイトルは変えないで、副題でもいいから残して」と言ったのに見事に無しにされた話をされていた 

 

権利があるのに好き勝手される。 

これは立場を利用してのハラスメントを泣き寝入りさせる状態に似ている。 

 

芦原さんの犠牲を無駄にしないためにも、この原作使用の権利の問題は、深く掘り下げて業界に周知徹底していただきたい 

 

 

・同一性保持権については某漫画で知っておりましたが、もし漫画の通りであれば許諾を取り下げれば違約金を出版社側が払う事になるんですよね?それが本当であれば出版社側は一度許諾したからには取り下げる事は無いでしょうし、原作者側ではなく局側の味方になるのも頷けます。 

漫画からの知識程度なので事実どうなのかは分かりませんが、事実であれば著作者人格権ってあって無いようなものなのではと思ってしまいます。 

 

 

・プロデューサーは原作者が根を上げると思って追い込んだけど、なかなか諦めてくれなかった。さらに脚本家とその仲間が追い込んだら違う意味で諦めてしまった。プロデューサーと脚本家が暗に責任を擦り付け合ってる。とはいえ裏では手を握ってるのだろう。お互いの責任を明確にしないことが両者の落とし所。脚本家は私のせいじゃないと言いながらも、プロデューサーの責任には一切触れていない。本当に何も知らなかったのならプロデューサーの責任を問うはず。両者はこれからも一緒に仕事をしていくつもりなのだろう。 

 

 

・芦原さんはこの権利を行使したら良かった。海猿の作者は使いましたよね。第三者委員会を設置して検証し世間に報告するべきです。 

 

原作者の方は1人で悩まれたと思います。終わった後にさらに追い打ちをかける年末の脚本家の言葉は本当に酷かった。あれさえなければ原作者が反論することも悲しい結末になる事もなかったと思う。 

 

まだ続編が見たかったファンも多い。今後原作を実写化する時は自己顕示欲の強い制作者や原作クラッシャーとして有名な脚本家などは必ず外すべきです。金儲けしか頭にない制作集団から自分と自分の作品を守れるのは原作者本人だけだとわかりました。 

 

 

・漫画発信だけでなく、小説の漫画化や映像作品の漫画化という事にも繋がってくる。小説にはなかったオリジナルキャラやストーリーが漫画に出てくるってこともあったり。「創作物」全般としてどうしていくかを考えていく必要があると思う。ドラマも映画もマンガももっと言えばアニメもすべてオリジナルでやるようになればこういう問題もなくなるんだろうが。転用作品が一切なくなるのも寂しいなぁ。 

権利と作品の問題でいえば、悪意のある原作者がわざと転用制作会社を苦しめようと完成直前でひっくり返したりみたいな事例もありそう。 

暫くは業界的にも転用作品が減っていくと思うけど、その中に正しい在り方が決まっていくんだろうなぁ 

 

 

・映像業界が原作ありの作品を扱うときにスケジュールや予算、スポンサーの意向やプロダクションとの力関係など、原作とは無関係の様々な制作側の都合があることは理解できるし、それを聞き入れて改変に応じる原作者ももちろんいるはず。 

 

だけどそれは原作者と制作の間で丁寧な擦り合わせを行って妥協点を探り出してこそ。 

そのように円満に映像化が行われたケースも当然あると思うが、制作に多くの人員と費用を掛けていてもう後戻り出来ないという状況で半ば無理矢理原作者から同意を取り付けることが常態化していることは想像に難くない。 

 

ちびまる子ちゃんの原作者さくらももこさんの自伝ドラマでもさくらさんの脚本がまるっきり無視されたという話が出てきている。 

 

今回の事件を機に業界が襟を正して原作者を尊重する方向へ軌道修正されることを願ってやまない。 

 

 

・問題は、『権利の行使』が出来る状態にあったかどうか。 

 

今回の件で言えば、原作者のOKが出る前からの俳優のキャスティング及び 

ダンスレッスンの開始。 

約束の反故の連続にあいながら、撮影・放送のスケジュール等による圧迫。 

約束通りにならないとは言え、いったん受けた仕事への責任感。 

 

これだけ多くの人たちが関わり動いているのに、その権力を行使するメンタルがあったのなら、今回の悲劇は無かった。 

権利は著作者が持つが、それを行使出来うる状況にするには出版社側の体制が 

不可欠ではある。 

 

権利を行使せず、真摯に向き合いひたむきに対応された原作者に報いるためにも、事の顛末を詳細に明らかにすべきである。 

 

 

 

・本件の個別の事情は抑えていないが、原作に対するリスペクトと同様にドラマ制作現場に対するリスペクトも重要。ChatGPTが脚本を書いて、ディープフェイクが演じているのではない。相手は道具ではなく人間なのだから一緒にドラマを作り上げていくという意識が両者に必要だし、視聴する側にも同様の認識が必要。原作者は漫画作品の中では全知全能の神だが、ドラマ制作では原作者という役割分担の一部を担っているに過ぎない。重要な一部ではあるが全てではないという事は認識しなくてはならない。 

 

 

・>「海外では出版代理人がいて印税交渉や映像交渉などするのが普通なのに日本ではほとんど行われていないのですが理由はなぜですか?」 

 

記事内にあるこれが今後の対策だと思いますね。 

法律に詳しい代理人が交渉をして原作者を保護するべきでしょう。漫画原作者の全てが法律に詳しく交渉慣れしている訳がないので。 

 

日本の文化・商習慣に馴染まないと感じる方も居るかもしれませんが、そんなことありません。魚の取引では目利きの仲買いが悪い魚を売りつけられないように店の依頼で代理購入することはあります。それによって零細な居酒屋でも多くの場合で一定水準以上の品質が保たれているのです。 

 

製作者が作者を謂わば騙して都合の良い契約を押し付けるのと構造は似ています。相応しい代理人がいれば防げると思います。 

 

 

・原作者は1話から7話まで加筆修正をしている、自分好みにする機会はきちんと与えられている。 

原作者は脚本家を変えてほしいと要求。9話と10話は原作者が自分で脚本を書いた。これは前代未聞のこと。脚本家が反発するのは当然。10話の出来が明らかに悪い。竜頭蛇尾。原作未完で結末を隠そうとしている?「原作に出来るだけ忠実に」これは実に曖昧な言葉で、ならば新人の脚本家に依頼すればよかった。相沢友子さんなら安心という視聴者もいる。ドラマに原作マンガの完全コピーを求めるのであればベテランを起用することもなかった。見てないが『ミステリーという勿れ』は良好な関係を保てたのか。 

 

原作マンガが完結してからドラマ化すべきだった 

 

完コピを求めず、アイデアだけドラマにくれてやってほしかった。愛読者にとって一番の無念は原作の完結を読めなかったことだろう。ドラマもおもしろかったが原作マンガは深い。そんな評価が得られたはず 

 

 

・契約不履行で余計な仕事(加筆・修正・脚本執筆)が増えたために心身疲弊したことが自死の一因であるとすれば、所謂「過労死」にならないでしょうか。 

 

契約内容を知ってるのに、原作者にクラッシュ脚本を押し付け続けた日テレ・プロデューサー・脚本家に、損害賠償責任があるように思うのですが。。。 

 

原作者がオーバーワークで疲弊しきっているのを知りながら、漫画連載を「一時休載」する等の援護策を講じないて、「メッセンジャー・相談役」だけに終始した小学館の不作為も、「有責」だと思います。 

 

 

・昔見た、「蟲師」のアニメは 

原作の雰囲気を壊さないための尽力されたと聞いたことある。関係者全員が原作を読み込んで読み込んで話し合って、原作者にちくいち確認したと。 

 

「攻殻機動隊」においては原作者が何人かいてそれぞれのバージョンがあったが、世界観に違和感はなかったと思う。 

 

 

・途中漫画の場合は、脚本を全部書いてもらって「これでいいですか?」と了解得る方が良いと思う。特に最後の終わり方が、完結してない場合は難しいから。この原作者は恋愛を軸にストーリー仕立てしてないから、恋愛に的を絞った作り方すると、この原作者が書こうとしてる漫画の主旨が薄れてしまうのが問題だったと思う 

 

 

・実写化の難しさがあるんだと思う。制作前の合意時点では原作者の完成形のイメージとドラマ制作陣のイメージを制作前段階で一致させるのは困難。原作者もその時点では多少なりの変更があると考えていたと思うが、完成したものがあまりにも乖離していた。結局原作者のイメージに沿う形かどうかは完成したものを見るしか確認する術がなく、それが違ったからと言って放送を遅らせたり中止させたりするのも原作者の判断に任せるというのも難しい。 

原作者の防衛手段としては実写化を頑なに拒否する以外に思いつかない。 

 

 

・二次的著作物の創作性を盾にとり改変を正当化する人もあるようだが、確かに二次的著作物については一字一句何も変えないという方がむしろ二次的著作物として認め難い。 

仮に漫画の映像化作品を作るとして漫画をそのまま画像に撮り紙芝居のように展開して台詞を声優が読み上げた音声や劇伴や効果音を付けた場合、映像作品自体は手が加わっており二次的著作物となり得るが、ただの引用とされる可能性もある。仮に脚本が存在したとしても独自の創作部分がないと見なされて脚本は二次的著作物ではないとされ、二次的著作者の著作権が否定される可能性も高い。 

が、創作部分というのは原作に対して翻案者の独自の解釈や独創を加えるとかいったことを意味しない。 

原作の表現がそのままでは、映像に適さないまたは原作の意図を伝え切らないために変更を行うのも創作性であり、作者が原作に忠実にという条件で映像化を許諾したならその範囲内で改変するしかない。 

 

 

・しかし、訴える人がもう居ない 

出版社も問題は無かった、納得済みと言う 

TV側は脚本家がデタラメを言ったきりだんまり 

社会的道義として説明義務があると思うが、無視することに罰則はないだろう 

こうした場合被害者の遺族が真相解明のために動くのが常だが、今回は一切聞かないあたり、そういう方もいらっしゃらないのだろうか 

このままだと、不買運動や責任追及の声だけが風化するまで続く 

 

 

・大衆向け恋愛モノを許容する折り合いは付いてたけど脚本家(もしくは制作サイド)が成立させようとしたカップルは原作無視で連載の今後にも影響するから是正とか、原作者はメディアミックスを許可した以上原作と制作サイドの思惑とのバランスを成立させなきゃと頑張って頑張って相当労力を持ってかれた。それをうざ絡みとSNSで中傷するような脚本家は今後はオリジナルだけで勝負してって下さい 

 

 

 

・ホントわかりやすい。 

芦原先生はきちんと伝えたんだよね。 

それを良しとしなかった人が強い力を出したように 

思えました。 

脚本家さんだけが責められる話ではないのかもしれ 

ないけどそれならあんな発言にするのはアウトとも 

思いました。 

テレビ局側、プロデューサー、脚本家さんに事実 

確認しっかりして解明していかないとですね。 

 

 

・ドラマ原作者の「#MeToo」がドンドン出てきている 

今まではなし崩し的にやっていたのかもしれないが、原作のファンがドラマを見たときに「原作と違う」と幻滅していたのではないだろうか 

そうなると何のためのドラマ化なのかわからなくなってくる 

ドラマだけでなく映画でも同様かな 

実写版ガッチャマンの(恋愛要素を入れてしまった)ような稚拙な脚本の例もある 

 

こんな状態が続くと原作者から「私の作品のドラマ化は認めません」と言われるようになりかねません 

彼女の死を無駄にしないためにも、同様のトラブルが出ないような仕組みづくりをする必要があるのかもしれません 

 

誰か旗振り役が出てくれるといいのですが… 

 

 

・以前、講談社から出版されている小説を、 

NHKがドラマ化したいと要望してきたので、 

原作者とも協議し、原作の内容を変えないことを条件の許可した。 

が、講談社の再三の要請を無視し、NHKは脚本の案もなにも示さず、 

撮影準備をどんどん進めた。 

撮影開始直前になってようやく脚本の提示があったが、 

その内容は原作者も講談社も、到底承服できないほど小説の意味するところから変更されており、結果、講談社はドラマ制作にストップをかけた。 

すると、NHKは講談社に対して、ドラマ撮影開始までにかかった経費、なんと購入した小説代なども含めて、6000万円の賠償請求を求める裁判を起こした。 

挙句、裁判の場で、NHKの幹部は講談社の態度を「検閲だ」とまで言い放った。 

裁判結果は、当然NHKの完全敗訴。 

いかにテレビ局が腐っている事例かよく分かる。 

原作者も講談社も、よく頑張ったと思う。 

 

 

・同一性の保持は写真や絵画をトリミングしたり、イラストのカラーを変更するといったことについてで、小説や漫画の映像化については表現方法が根本的に異なるので「そのまんま」を主張することは現実的には不可能と思います 

原作者が作品を守るためにできることは、映像化を完全拒否できるように映像化権を版元から引き上げることで、実際にそのようにしている作家もいます 

池波章太郎は「鬼平犯科帳」のドラマ化に際してオリジナルストーリーを禁止していましたが、複数のエピソードを1本にまとめたり、他の池波作品からの転載は許諾していました 

原作者自ら戯曲化するケースでも翻案は避けずらい印象です 

 

 

・著作者人格権が有っても、個別のやり取りで暗黙的に了解させられてしまったら無効になってしまう。大人になりましょうよ、これからのお付き合いも有るじゃないですか、から始まって最後は、もう書く場所が無くなるかもしれませんよ?まで密室で詰められるような事が有ったりしないのかなと邪推してしまうんだよね。対抗策が有るとしたら、脚本が上がってくるたびに逐一確認せずに「お任せします、放送も一切見ません。但し原作に忠実に作られていないと判断したら違約金を請求します。著作者人格権が有りますから。」と丸投げする。それで訴訟事例が幾つか積み上がれば制作側も舐めた真似できなくなっていくかもしれない。但し大変な労力と年月が掛かるだろうけど。 

 

 

・つまりは、テレビ局側は原作者の権利を守ろうという努力はしたという事になりますね。 

 

ただ、原作者をこのような状況に追い込んだ「道義的」責任は免れず、それに対して何らコメントしないテレビ局は誠実さが足りないと言えます。 

 

すでにいろんなところで書かれていますが、テレビ局側は、原作者の根負けを期待して、脚本チェックを依頼し続けたのかもしれません。もしそうならもはや道義的責任ではなく、意図的な取引圧力でしょう。 

 

いずれにしてもいまだにテレビ局がきちんと謝罪してないことに憤りを感じます。 

 

 

・この問題で、忘れがちなのが原作はまだ連載中だったという事。 

なのにテレビ用のストーリーも書かないと行けなくなる事は、かなりの負担になるだろう。 

この人が発信しないと何も進まない。 

それを今か今かと待たれるプレッシャーが2倍、しかも急遽なら2.3倍のプレッシャーになる訳で。 

その状態で、脚本家からのコメントや何やら。 

 

大変な精神状態になっていたはず。 

 

 

・著作者人格権と言ってもハリウッドなんて”ズレ”まくりの極地だと思うけど、ドラゴンボールや他の大人気漫画の映画化での大惨事は記憶に新しいが、それこそ日本の漫画原作者たちは何も言って来なかったのだろうか!?相手がハリウッドだから泣き寝入りしてきたのかね、、、とは言っても映画はどんな形であれ「原作」があって、逆に映像化でどこまで原作に肉薄するか、はたまた原作とは全く違うラストなんてのも楽しみに一つだと思うけど、、、これからは原作者は「売り切り」で別作品と割り切らないと命まで削ることになりかねない!! 

 

 

・過去の判例という事は、実際に裁判沙汰になった事あるんだ…。 

第三者から見たら「訴えたら勝てる」と思うけど、漫画家は我々会社員とは違いスケジュールは過酷。 

そんな中裁判の原告だなんて想像を絶するでしょう。 

いくらコミックス等の印税が入るとはいえ、働かない訳にはいけないだろうし。(芸能人と違って完全フリーでアシスタントは直接雇用のはずだし) 

脚本家はそういうことを知って原作クラッシャーという商売をしていたのかと思ってしまう。 

 

 

・この法律って結構有名だと思ってたけど、結局ドラマとかになるような作品の作者って、忙しくてちゃんとチェックするような事は出来ないんだよね 

本当はそれを支えてチェックするはずの編集者もテレビ側だから、チェックなんてまともにしないだろうし… 

 

最初に契約段階で弁護士を入れなくてはいけない、とか規則作りしてくれれば、多少は改善されるかな? 

 

 

 

・辻村深月さんの小説のドラマ化に実際にあった事例 

NHKが、作品に込められた作家の思いをまったく理解せず強引に進めたため、作者と講談社は容認できないとし、ドラマ化を白紙にする 

するとNHKが講談社に対し訴訟を起こした 

 

NHK幹部は裁判で「我々が作る編集内容に関して第三者が口を出せるということを認めてしまうこと自体が認められない。ほとんど検閲に当たります」と主張した 

 

結果はNHKの訴えが棄却された 

 

講談社はこの裁判を受け、次のような声明を出した 

「管理委託を受けている出版社が、原作者の意向を受けて脚本に意見を述べることを「検閲」と捉えていることに、衝撃をおぼえた。「作品は原作者のものであり、作家の意志を尊重せずに作品を一方的に改変したドラマが制作されることはあってはならない」という立場に立つ弊社としては、この発言は到底受け入れがたく、見識を疑わざるを得ない」と 

 

 

・テレビ局は自由に改変する権利を認める契約を結ぶ方向に舵を切ると思う。 

原作者がひっくりかえせる契約なんて放送できなくなるリスクを抱えると言うこと。それは絶対に背負えないリスクなんだから、いままで以上に原作者に口出しをさせないでしょう。 

それを認めてくれない作者とは契約をしなければいいだけなので。 

 

皆さん簡単に原作を改変しないなんていうけど、改変しなければ尺に収まらないし、内容によっては放送できないし、視聴率を稼げないので、それなら改変させてくれる作品を選ぶよ。 

原作リスペクトなんて個人には大切かもしれないが会社にとっては利益が一番大切。みなさんのお勤めの会社もそうでしょう。 

 

 

・「原作は恋愛ものではなくて人々が周囲と関わっていくことで自分らしさや自己肯定を学んでいく成長を描いた漫画だったんですけど、ドラマは大衆受けし易い恋愛ものになってましたね。原作が好きだったので読んでました」 

 

↑ 

これ、違うよ。 

大衆受けしやすい恋愛ものになって無いですよ。 

ちゃんと個性など自分の大事なものを大切にする様にドラマは進行してました。 

自分、見ていてへ~珍しい展開のドラマだな~って強く感じましたもの。 

それだけ芦原さんが必死にドラマの内容も原作に忠実にしようと頑張ったんじゃないでしょうか。 

 

 

・こういった、原作をもとにドラマ化、アニメ化、ゲーム化等する場合に必ず出てくるのが、「著作者人格権を行使しない」という契約です。これはメディア展開する際のほとんどの契約に必ずかかれている文言で、原作者(著作者)はこれに同意しているはずです。 

 

なぜこのような契約が存在するか、は調べれば出てきますので省略しますが、もしこれが認められないと、原作を”より良い方”に改変することすらできなくなりますので、メディア展開は実質不可能に近いものとなってしまうようです。 

 

 

・なぜ権利が抑止力として機能しないか。 

それは交渉の窓口になっているのが出版社だからです。 

 

出版社は当然様々な案件で局やクライアントと繋がっていますので、既得できるであろう利益を守るという意味で問題を起こしたくないですし、儲けたいという意味ではどちらかというと局側に近い立場。そんな立場の出版社に窓口を任せるのは市場原理的には無理があるわけですよ。 

 

ですから本来であれば作家さんは100%自分の側に立って交渉してくれる代理人を立てるべきなのですが、作家の生み出す利益を囲い込みたい出版社はそれを敬遠しますし、担当さんとの関係を崩したくない、またはここまでお世話になったし、と情で考えてそれをしない作家さんがほとんどなのです。 

 

これは音楽関係やお笑い、そのほかタレントなどを有する芸能事務所、制作プロダクションなどと同様の構造で、やりがい搾取の巣窟となっています。 

 

 

・つまり、芦原さんが裁判を起こせば勝てる案件だったってことですか 

 

でも、単に原作者が裁判を起こすだけでは、世間はその真相を知ろうともしないし、結局、原作者が巨大な権力とやり合って損をするだけになる 

 

なので、芦原さんの死を無駄にしないためにも、今、声を上げることが必要だと思う 

 

芦原さんの件に乗っかってるみたいな批判の声もあるだろうけど、それはまったく逆で、芦原さんのようなケースを繰り返さないためにも、ドンドン声を上げ議論することが大事だよ 

 

それにしても、これだけの大問題が起きているのに、国会でまったく扱われないって異常でしょ 

これ、明らかに法的な不備や法の運用がしにくいために起こっているのにさ 

 

 

・根拠のない妄想ではあるが、原作者が死の選択をするほどの衝撃を与えたのは、このところ節操がない一般民からのコメントやDMだったんじゃないかと。 

 

心が荒むほど追い込まれた根本は原作改変にあるのだろう。 

だが、それに対して最後まで戦い、最後の2話は自身で脚本を取るほど積極的に向き合ってきた人だ。 

脚本家が不用意な発言をXにあげたことが大きかったとする向きもあるようだが、それも双方なりに意思を表明し合っていた面もあったろうと思う。 

 

鋭利な言葉は具体的な事実や客観的な正しさよりも人の心を抉る力を持つことがある。 

 

原作者の意志は最大に尊重されるべきことを改めて確認するのは大事なことだ。 

だが、彼女の死の原因をそれと断定して話を進めるのは分けて考える必要があるのではと妄想した。 

 

この時代、すべての人が発信者になる。 

たとえ顔が伏せられた一般民であっても、言葉選びは厳戒に行うべきだろう。 

 

 

・リスペクトはもちろんなんだがそれ以前に、明確に著作者人格権を放棄するとは全く言っておらず、それでも無視した進行をしたとすれば、本来なら法律違反 著作権法違反。著作者人格権を犯しているとなる。 

 

ちなみに著作権法違反は刑法犯なんで(実際にどの程度で立件されるかはあるが)、民事はもちろんだけどそれで済む話ではないのよ。 

 

ただ著作者が最後の最後で無理矢理かも知らんが同意してしまったようなことになったんで、問われないかもしらん。 

著作者は本来は人格権の行使をして小学館が反対するかもしらんけどテレビ局に放映中止と賠償を請求するのが(本当に嫌だったら)やるべき行為だったということなんだろうね。 

 

ただそれは大きな流れに抗うことだからそう簡単ことではなく 

それを見越してテレビ局、特にプロデューサーが問題。わかっていて押し通したということでしょうから。 

正直、社会的制裁を加えないと再発するよ。 

 

 

・芦原先生が連載を抱えながら脚本をチェックし手直しや9,10話の脚本を 

心身共に疲弊しながらも書いたのは原作を守ろうとする一心だったと 

想像に難くありません。 

チェックや脚本執筆に関して小学館は連載を休止したり、先生がSNSで 

発言しなくても良いようにサポート出来なかったのか? 

日テレが先生の労力に見合ったお金を支払っていたのかも気に成ります。 

まさか無料奉仕では無いですよね? 

今後このような悲劇が起きないよう、原作者の権利が守られるように 

違反の際の賠償金等を盛り込んだ契約書を交わして放送局が勝手な改変を 

しないようにして欲しい。 

日テレと小学館は放送局と出版社という不特定多数に情報を伝達するマス 

メディアで有りながら説明責任も果たさず恥ずかしくないのか 

 

 

・これまで作品と向き合う机作業のひとが、いろんな人と交渉する外部の世界に入ったことが、そもそもの不幸の始まりだったのかもしれない。交渉はマネージャーか編集者が代弁するなりしたら、また違った展開になったのかもしれない。 

 

 

 

・芦原先生がもっと早くこの見解を知って、北村弁護士のような良心のある先生のサポートを受けていればと悔やまれます。 

脚本家含めてテレビ局も「原作者は関係ない、自分たちのやりたいようにやる」と傲慢に思っているからこのような悲劇が起こったのだと思います。原作者の権利が守られるルール作りを心底望みます。 

 

 

・当たり前のことだよね? 

脚本やシナリオライターの仕事も分かるけど、それほど変更するのであればそもそも原作要らないじゃないということだと思う 

原作の看板や有名さは欲しい、でも内容は自分たちが作る、それは絶対にオカシイし、二次利用で原作者に権利やお金が渡らないのも業界の悪習 

結局テレビ局や、出版社などのメディア側が作品を利用してお金儲けしか考えていない、その流れに乗っかった脚本家が、自分が作品を作っているような錯覚に陥って勘違いしているだけ 

ピカソやゴッホの作品と同じなんですよ、あるがままを利用するのが原則でその権利は二次利用だろうが、三次利用だろうが原作者の許可と支払いが大前提、大体原作者は現役なんですよ、その注文や権利に対して煩いとかありえないし、直したいなら先に明示して許可を取るべき 

それほどメディアも自分たちが作品を作ったと言いたいなら原作から作ればいい。ゼロから生み出す労力を舐めすぎ 

 

 

・原作が意図せず改変され、原作者の同意を得ぬまま放送され、その結果自殺した。 

くらいの認識で皆話してるように感じるときがある。 

実際は、原作者によって修正され、最後は原作者本人が脚本を書いた。 

そのことを脚本家がSNSに書き、ネットが騒ぎ、現実が「攻撃したかった訳じゃない」と残し自殺したんだよね? 

なんか改変されたから自殺した。脚本家がSNSに投稿したから自殺した、という考えばかりが広まって、ネット民の動きがいつも省略されているのが違和感なんだけど。 

 

 

・セクシー田中さんは原作もドラマもノータッチな者ですが、原作の漫画や小説をアニメや実写にした時に演出や設定を変えてスゲーってなるパターンと 

何でこうしちゃったんすかね?になるパターン 

どちらもあるのは何でなんですかね? 

るろうに剣心、デスノート、テルマエ・ロマエは 

アニメも実写も大好きで原作と演出、結末すら変わっていましたが、マジでスゲーになりましたね。 

 

 

・権利があるのはわかっている、それが守られるかのほうが重要 

原作者個人がテレビ局や出版社を相手にするのは限界があるから原作者側の権利を守るための組織を立ち上げる必要あると思う 

 

 

・この件、経緯からして脚本の原作改変が延々と続くのは変です。 

権利的には原作者にプリオリティがあるので、最後は聞き入れるしかないのだけれども、修正をやり続けて、相手が折れるのを待っていたのだと思います。 

 

物凄くネチネチしていて嫌なやり方です。 

小学館側はそれなりに原作者に寄り添ったことは経緯からわかります。 

日テレサイド、特にプロデューサーと脚本家に完全に責があると思います。 

 

原作者は折れずにやり切ったのは本当にあっぱれです。 

日テレのPと脚本家の嫌がらせに孤軍奮闘したことを心から讃えたい。 

だから悔しくて相沢友子氏はSNSで書き連ねたんでしょう。この頃またその後、相沢氏本人のスタンスで、ネット上の各所に匿名で原作者に攻撃的な書き込みがされていたことが知られています。 

 

精神的に疲弊し切った原作者にこの嫌がらせは余りにも、でした。Pの三上氏、相沢氏の行動は本当に問題があったと思います。 

 

 

・原作で描かれている部分以上の話を映像化する必要があるのかなぁ? 

単行本7巻も出ている原作だから、原作の範囲内で終わらせたら良いだけの話じゃないの? 

これなら連載に影響は出ない 

原作が未完なんだから映像化作品でエンディングを作る必要はないだろう 

なんなら俺たちの戦いは続くって終わり方でもいいはずだよねぇ 

 

 

・どんなにお願いしても、まったく聞いていないかのような脚本に対し、毎回の修正依頼。どんなにタフでもめんどくさくなったり根負けしたり。それは決して変更を受け入れたわけではないのに、おそらくひとりでずっと戦っていらしたんでしょう。もっとこの権利は知られていくべきかと思います。 

 

 

・「急死」が引っ掛かるな。遺書はあるし警視庁も自殺とみているって報道があるのに、なぜ一部メディアは急死扱いにしているのか。 

これからは漫画家のもとに実写化したいというオファーが来たら、弁護士同席のもとで交渉のテーブルについた方がいいな。あらかじめクギを刺しておかないと、原作者の希望を無視した悪質な改変は無くならないと思う。 

 

 

・まぁそんなのは分っているけど、結局、著作者代理人も自社の利益やTVメディアに対し忖度し、原作者の意向をないがしろにした点が大きな問題であり、現状の課題なんだろう。視聴率を上げる上では視聴者受けするように脚本家が変えたいと言えば、それに従わうのだからさ。TV等でヒットすれば二次的な収入も増えるんだから、少々原作が変わろうが、いいだろう!っていうような感じだろうし。 

自動車などの大手メーカーが下請けを従わせる言わば一般的な構図とあまり変わらないよ。 

 

 

 

・>芦原さんの思いとは裏腹に、内容を変えないでくださいねという思いよりも、変わった脚本が上がってくる、そのたびにストレスを抱えながら“これじゃ困るよね”と突き返したり、“ここを変えてください”と言ったり、そのような作業をずっとしてきて…大変な思いをされた 

 

この過程は相当に負担が大きかったと思う。 

そして脚本家による誹謗中傷。それに対して弁明しなければいけなくなった事。 

疲労に次ぐ疲労。キャパシティを超えたんだろうな。 

局側は、一人の人間をここまで追い詰めた事実を決して風化させてはならない。 

 

 

・ドラマを全て撮り、完成したものを原作者に見て、確認してもらってから放送すればいいんじゃないかな。原作者のダメが出たら双方で話し合い、修正して放送する。制作費が掛かって無理かもしれないけど、訳のわからんアイドルの役者を使うよりも、無名の若手俳優で作った方が良い物ができるかもしれない。でも、日本のドラマを視聴する層達は、内容よりも好きなアイドル、俳優目当てで見るからね。今の若者向けのドラマなんてほとんどがアイドルのPVみたいな物だと感じる。 

 

 

・ここでこの弁護士さんが説明している法律については既に小学館編集者によるコメントで説明されています。 

未だに日テレとチーフプロデューサー三上絵里子はダンマリで逃げている状況。今検証が必要なことは、芦原さんが自死に至るほんの数日間に脚本家相沢友子を含めどのようなやりとりがあったのかです。ここの部分において法的説明が欲しいと思いました。 

 

 

・最近の松本人志の件もからめての意見です。 

性被害にあったかないかにかかわらず8年前や20年以上前の被害を訴えて裁判にまで持っていく人達がいます。 

だったら、 

この原作者達の約束を守らなかった脚本家や制作者達やテレビ局を何年も前だろうと訴えでも良いですよね。 

性被害の人達の人権を何年も前でも訴える事が今の時代に出来るなら、原作者の人権を守らなかった人達を訴えて裁判で裁いてもらう方が良いのでは。 

泣き寝入りはしなくて良いんですよね。 

 

ただ、ただなのですが、これってじゃあ80年近く前の戦争の時の被害を訴えて良いし訴え続けて良いよね、となれば隣の国みたいだし、じゃあ原発落とされた日本はアメリカをずっと訴えても良いよねって事でしょうか。 

 

性被害は訴えても良いけど言葉の暴力や国同士の被害は訴えては駄目とか時効があるとかないとかならば、被害に好悪つけるんですかね。 

 

何だかね。 

 

 

・橋田壽賀子さんは、渡鬼を脚色してはだめ、 

息継ぎも文章の句読点に添い話させる。 

勿論、俳優さん独自が行き成り思いつき台詞は絶対に認めなかった。。。 

 

自分が心血注いだ作品は何一つ一語一句正確に俳優に演技させることに拘った方だ。 

 

亡くなられた原作者だってそのような気持ちで作品とドラマとを比較しながら長い時間をかけて悩み、 

ドラマにしたのだろう。 

 

橋田壽賀子さんは脚本家だ。 

原作者は漫画家だ。 

 

絶対的に! とゆうリスペクトは  

原作者く脚本家 とゆう構図があるはずなんだ。。 

 

おそらく、長い長い歴史上でいつの間にかに 

原作者く脚本家 となっていったに違いない。。。 

 

原作者=脚本家 になるような世の中になってほしい。 

 

 

・これを実際に起こったことに当てはめると、日テレは法律をわかった上で制作しているから9話・10話を芦原さんが書くのを了承するしかなかった。一方で脚本家の相沢友子は原作ものを多数手がけながら不満を言っていたのだから、こうした著作権に関する知識が全くなかったと言える。原作を使ってお金をもらうんだから少しは勉強しなきゃダメだし(単行本すら読んでない)、そんな人を使うテレビ界にも大きな問題がある。 

 

 

・>「海外では出版代理人がいて印税交渉や映像交渉などするのが普通なのに日本ではほとんど行われていないのですが理由はなぜですか?」 

 

先日、吉本ばなながTV局からSNSでコメントを求められた件が炎上していたが、そのとき吉本は「出版社を通さないお話は全部断る」と言っていた。つまり日本では出版社の編集者が自動的に著作権者の代理人になるのが通例。 

 

その場合、著作権者の利益より自社の利益を優先するので作家を守らないことが多い。今回も小学館の編集者が芦原さんの代理人的な位置にいたので、日テレの要望を芦原さんに伝えるだけしかせぜず、芦原さんを追いつめた。 

 

 

・これは仲介している小学館とテレビ局の問題でしょ。 

一雇われの脚本家の話ではなくて、局と出版社が忖度なしにやり取りしなかったせい。 

特に、出版社側は原作者がSNSで発信する際、「会社と相談して」と時系列でことの有り様を発信した。 

なのであれば、原作者が不満を持っていたのは認知のはず。 

 

局側のプロデューサーが握り潰したのか?出版社側が忖度したのか? 

 

ここが問題の焦点なのでは?? 

 

 

・人はその渦中にあるときは無我夢中というか頑張って乗り切っていても、それが過ぎた後に火が消えてしまうっていうのはあると思います。 

納得がいったわけじゃないけどやれるだけのことはしたという徒労の中にいきなり脚本家から責められたわけでしょう? 

事実と異なるから説明したらなぜかそれが「責めた」ことになったわけですが、誰がそんなこと言ったんでしょうか。 

誰かが言ってそれによって先生は以前の投稿を全部消してごめんなさいなんていうことになったのでは? 

世間には先生の味方が沢山いて作品のファンも先生のファンもたくさんいたのにその声よりも投稿を消す原因になったことが大きかったんだと思う。 

 

 

・漫画に忠実よりも、現場のスケジュールを優先していったんだろうなと思います。放送日は毎週来るわけで、そして、現場が気にしていたのは、原作者の意向より、放送させることに重きを置いた。ことが、ドラマ業界の悪しき慣行なんだとも思います。すべての原因は、日本テレビのドラマ班だと思いますよ。都合のいいこと言って、原作者から取り上げ、あとはもうこっちにまかせろ的な。そんなことを先生は望んでいなかったですし。だからこそ、日テレ的には、どんなコメントも出せないんだと思う。 

 

 

 

・芦原先生がSNSで田中さんの9話10話の脚本を書かざるを得ないと判断した経緯説明の最後に、このドラマのキャスト、ドラマ制作スタッフ、読者、視聴者に隈無く感謝していました、 

いかにもフェアな芦原先生らしくて読み返してみたら切なくて切なくて。。 

脚本家がSNSであんな糾弾さえしなければ、、 

悔しくて許せないです。 

 

 

・幾ら結果的に原作通りのドラマになったといっても、原作者が脚本の手直しせざるを得ない時点で制作側の契約不履行だと思う。これ絶対ドラマ化の了承を得る前に脚本書き始めてたよね。 

あと、この記事の最後の方のように、メディアがネットの意見を拾い上げる部分は意見を誘導するような気がして好きじゃない。 

 

 

・素人の私には考える知恵が足りないのだけど、脅迫的な脚本家のSNSや投稿を削除した証拠隠滅、それを引き金として集団的共犯者が多数現れ、結果として人一人が亡くなったことは、刑事事件にできないものでしょうか。やったもん勝ちというのは、あまりにも惨い世の中のように思う。この件から日本テレビや小学館、果てはそれを支援するスポンサーに至るまで、私の中で人として惨いと感じるようになってしまった。人一人の命の重さはと義務教育中に学んだことだけど、学んだ意味はなんだったんだろうかと最近すごく虚しく感じます。 

 

 

・漫画や絵の仕事をする人、編集部や取引先との契約書で「著作者人格権を行使しない」ことを条件に出されることがほとんどらしいですね。著作者人格権は放棄できない絶対の権利なので「行使しない」ことを強要されるのだとか。 

契約書を書き直させる猛者もいますが、ほとんどの人は立場が弱く飲まざるを得ないようです。 

 

 

・今回の件について、「一般論」と「個別論」がごちゃ混ぜになっている気がします。 

問題の本質はテレビ局と出版社にあって、脚本家と原作者との対立構造ではない、ということは確かにそうなんでしょう。 

「一般論としては」です。 

しかし、こと今回のことに言及すれば件の脚本家が、かなりの皮肉交じりに原作者を挑発するような投稿をしたことに端を発します。 

このことを一般論のなかに紛れ込ませてなかったことにしてしまってはいけないのではないでしょうか。 

「原作者が望まない変更は良くないよね」という話は当然であって、皆が共有しなきゃいけない道理ですが、それと原作者がこのような事態になってしまったということは別に論じるべきだと思います。 

 

 

・まあ、それはそうなんだろうけど、法的権利を貫き通すには裁判までしなきゃならない。 

 

キャンディキャンティの原作者と漫画家の裁判は最高裁まで争ったけど、ここまでやるには失うものが大きすぎる。 

 

芦原さんの場合、戦う相手は出版社とテレビ局になってしまう。 

 

私の印象では漫画家さんってよくも悪くも個人で活動する人だから、交渉事とか根回しとかうまく立ち回ることが得意な訳じゃない。 

 

おせわになってる担当者さんとか困らせたくない、既に始まっちゃってるドラマの演者さんや視聴者に迷惑かけられない、って思い詰められたんだろう。 

 

法的に権利ぎあったからって主張するのは無理な場合もある。 

 

 

・原作者が詳細にチェックするなんてものすごい負担でムリなんじゃないのか、それにそれをやられたら映像化も完成までの日程が見込めないのでは。だからみんなどこかで折り合いをつけてきてるんだろう。 

 

 

・テレビ局はコンプライアンスと言って健全化をはかっている風に装っているけど、著作権法違反という刑事でも民事でも大問題になる事を今まで平気でやってきた事にちゃんと向き合わないといけない。 

日テレは遺族に謝罪や賠償をしっかりやってほしい。 

 

 

・法的にもそうなんだって学びがある 

そもそも一般的な感覚として、作品の名前を借りる訳だから原作者の意見が一番強いのは当たり前 

もちろん短いドラマ向け、テレビ向けにするための脚本家の仕事は否定しないが、作者にNGを出されて更には脚本家を降ろされるのは実力不足に他ならない 

原作の思いを変えずに作るのが仕事 

原作者の思いを反映せず、最終的に放映した日テレももちろん大きな責任がある 

 

 

・要するに法律違反ですね。 

証拠が残っていますし損害賠償を請求できる案件と言う事になりますね。 

ご遺族の方は面倒でしょうが、作家の方やファンがバックアップして戦うべきではないでしょうか。 

有耶無耶にしたら作家さんの権利はいつまでも守られない。 

 

 

 

 
 

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