( 139803 )  2024/02/16 13:50:48  
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写真はイメージです Photo:PIXTA 

 

● 新年初出勤日に目についた 本部総務部からのメッセージ 

 

 【石川、富山、新潟、福井各県内の支店、支社への不要不急の電話連絡を禁ずる。郵送も同じく可能な限りEメールで対応のこと】 

 

 社内イントラの本部総務部からのヘッドラインの中で、このメッセージが目についた。 

 

 「そりゃあそうだよなあ…」 

 

 おそらく誰もがそう感じたんじゃないかと思う。元日に北陸地方を襲った震災から3日たち、初出勤となった1月4日の朝のことだ。今年の正月は例年のそれとは違う。おめでとう、というあいさつをあえて避けていたのは私の周囲だけではなさそうだ。 

 

 火事場のやじ馬というのは困ったものである。今回、こうやって本社がしっかり統制したことはよかったと思う。そうでもしないと、好き勝手に電話をかけまくるやつが現れるものだ。テレビを見ていれば、大変な状況であるということぐらいはわかるのに、直接現地の生の声を聞かないと済まないのか。それを聞いたところで、何ひとつできるわけではないのに。 

 

 正月のあいさつなどないまま、課長以上が支店長室に集められた。我々のみなとみらい支店が属する横浜エリアには他に3つの支店があり、一人の支店長が複数の支店長を兼任している。他支店の課長は自分の持ち場があるため、みなとみらいまで駆けつけることはできない。そこで、Zoomでの会議と相成った。 

 

● 東日本大震災の際の 支払い対応での失態 

 

 「さてと…集まったかな」 

 

 支店長がタブレットの画面を確かめる。 

 

 「とんでもない正月になってしまったけど、今年もよろしく頼みます。さて、新年早々に集まってもらったのは他でもなく、能登半島の地震に関して徹底しておきたいからです。まず、この中に北陸方面、新潟、福井も含めて、その地方の出身の者がいたかな?あるいは今、親や兄弟、親戚が住んでいるとか」 

 

 会議の参加者全員が画面をのぞき込むが、誰も挙手のリアクションはない。 

 

 「そうか、ならばおのおのの支店で部下やパート社員も含めて、今日の早い段階で全員に確認をとって報告してくれ。全員合わせて160人いるんだから、少なからず該当者が出てくるだろう。いれば見舞いをしたいんだ」 

 

 そして、本部からの緊急指示に話を移した。被災者に対して、通帳、キャッシュカード、印鑑なしで支払いに応じる特例対応だ。この特例対応は、有事の際に本部から指示が入り発動される。私の銀行が特別にサービスしているわけではなく、業界団体である全国銀行協会が、加盟行全行に対して対応を要請するものだ。 

 

 「気をつけろよ。慣れてないとか知らなかったじゃ、済まされないからな。対応してもらえなかったとか、SNSなんかに簡単に上げられてしまう時代なんだよ、今は。うちが最後にこの対応をしたのは東日本大震災の時だから、もう10年以上前になるし、若手なんか経験してないから、窓口で断ってしまうかもしれん」 

 

 東日本大震災の際、福島県の東邦銀行では停電や通信手段の断絶にもかかわらず、通帳も印鑑もカードも紛失した被災者に対し、1日10万円までの払い戻しに応じた。さらに、行方不明者の親族に対して、法的な相続手続き前であっても上限30万円(後に60万円)の払い戻し請求に応じた。 

 

 一方、我が行は2度目のシステム障害を引き起こし、3月17日には東北地方を含む全店舗のATMを停止。3月の3連休は休日返上で窓口を開け、通帳やカードのないお客にも10万円までの引き出しに応じた。だが、預金がないにもかかわらずうそをつき10万円を引き出した者が続出し、混乱はなおも続いた。このあたりは拙著『メガバンク銀行員ぐだぐだ日記』に詳しく記してある。 

 

 東日本大震災の時のような失態を犯してはならない…支店長もそのことを踏まえ発言したのではないだろうか。 

 

 

● 万一銀行がだまされたら 誰が責任を取るんですか? 

 

 「これは大事なところなんで、開店前にしっかり徹底しておくように。あー、そうだな。目黒課長に4支店の取りまとめと徹底を頼みたい。いいね?」 

 

 「かしこまりました」 

 

 長老の私には、いつもこうした取りまとめ役が回ってくる。開店まで残り15分しかない。限られた時間内で、この重要な徹底事項を確実に遂行するのはなかなか難しいことだった。 

 

 まず「能登半島地震の被災者が横浜エリアの支店に現れるわけがない」という先入観がある。でも、絶対に来ないだろうか?1日の地震から3日経過し、みなとみらい支店に来ないという確証はない。 

 

 0.1%でも可能性があるのなら、万全を期しておかねばならないのが銀行の姿であるが、部下たちの心の中では「どうせ来るわけがない」と思っている。そこに油断が生じて、銀行はとかくミスを犯す。これがヒューマンエラーの根本的な原因だと、私は考えている。 

 

 被災者の中には着の身着のまま避難所に駆け込んだ人もいる。運転免許証やマイナンバーカードを入れておいた財布すら、罹災した家屋に置いてきてしまった人もいる。銀行にとって真の預金者であるかどうかを判断するためには、本人確認資料の提出が必須だが、そうはいかないケースが有事には起こり得るのだ。 

 

 銀行窓口にとって、本人確認手続きは生命線ともいえる作業である。本人確認資料がないのに、どうやって本人であることを確認できるのか。経験の乏しい若手担当はそう思うだろう。案の定、会議を終えると1分もたたないうちに、馬車道出張所の名波課長代理から電話があった。 

 

 「目黒課長、今いいですか?通帳も印鑑もキャッシュカードもない。本人確認資料もないかもしれない。そんな人にどうやって預金の引き出しに応じるんですか?」 

 

 やはりこの質問だ。 

 

 「名波代理、年に何回か緊急事態における店頭対応訓練でもやってるだろう?可能な限り本人しか知り得ない情報を、本人に間違いないと確証が持てるまで質問するんだよ」 

 

 「いや、私が聞きたいのは、万一銀行をだまそうとした人に支払ってしまったとき、誰が責任を取ってくださるのかということです。わかりますか?」 

 

 

● 所長も課長も経験がないか やりたくないんじゃないですか? 

 

 「責任…誰?」 

 

 「そうです、責任ですよ。全員経験がないのだから、突然今日からやれと言われてもむちゃです。皆そう言ってます」 

 

 「『皆そう言っています』というのは、あなたの『推測』ですよね」と言ってやりたかった。彼女はしばしば、こうした発言をする問題児の一人である。会議が終わって1分もたたないうちに、全員に意見を聞くなんて不可能だ。 

 

 「いきなりやれって、心理的安全性って言うんですかね?思ったんですが、支店長から目黒課長が取りまとめを命じられたんですから、そこは目黒課長が責任持ってですね…」 

 

 心理的安全性。自分には経験や能力がなくても、不安を感じず業務に取り組めることを約束し、非難されることなく、誤っていたとしても罰を受けることなく、メンバーの誰とでも自分の意見を率直に言い合える「安全性」を指す言葉だ。エイミー・エドモンドソン教授が1999年に提唱し、グーグルが2015年に発表したことから、その概念が広まったとされている。 

 

 エドモンドソン氏は、心理的安全性を評価する7項目のアンケートを開発している。1項目目は「このチームでは、ミスをしても責められることはない」、5項目目は「このチームでは、他のメンバーに助けを求めやすい」である。 

 

 私はミスをしても責められない、さらに、他のメンバーに助けを求めてもよい…言いたかったのはそこだろう。回りくどく「心理的安全性」とはやりのビジネスキーワードを持ち出して、もっともらしく大衆の総意に仕立て上げるところなど、電話で聞いているだけでも腹立たしくなる。 

 

 「ですからー、目黒課長がですねー」 

 

 「支店長からは、各支店の特例対応がうまくいくように仕切れとは言われたけど、責任を取れとかそんな話じゃなかったけどね。馬車道出張所だって所長も課長もいるじゃないか」 

 

 「所長も課長もこんな経験がないでしょうし、やりたくないんじゃないですか?」 

 

 (それもあなたの「推測」ですよね?) 

 

 「わかったよ。今日一日、該当するお客が来て判断に迷うことがあれば、すぐに僕の携帯電話に電話してください。馬車道出張所からの電話は最優先で対応するから安心してください」 

 

 「ハイハイ…」 

 

 電話を一方的に切られた。しかも「ハイ」が2回だった。私がはっきりと責任を取ると言わなかったことが、よほど不満だったんだろう。 

 

 

● 銀行に「顧客利益の追求」が 浸透するのはまだまだ先 

 

 たまに、このような役職者に遭遇する。どうしてこいつが役付きになったんだろう?と首をかしげざるを得ない。「給料は高いに越したことはないが、責任を取るのはまっぴらごめん」というわけだ。上司の最大の責務とは、まさに責任を取ることではなかったか。 

 

 午後3時、閉店の時間だ。結局、年始の初日に私の在籍するみなとみらい周辺の支店、出張所には預金払い出しに来た被災者はいなかった。そして、今日に至るまで来店はしていない。 

 

 「ああ、よかった」で済まされる話ではない。しかし、こんな役職者がのさばっている支店に被災者の方々が来店し、不愉快な気持ちにさせてしまうことがなかったことに、私は安堵(あんど)した。 

 

 地震や台風による災害の後、家電メーカーが自社製品を利用している人に向けて、修理の案内を行っているのを見かける。「ただ作って売るだけではない」という姿勢は素晴らしいと感じる。 

 

 一方、銀行には、有事において、本人確認が不十分であることを理由に追い返してしまいたい、しかしそれはできないので、せめて責任は取りたくないという役職者がまだいるのが現実だ。 

 

 「お客様に寄り添う」 

 

 接客業の多くが、このフレーズを口にする。聞こえがいいのは確かだし、何よりも現在、金融機関が前面に出す「フィデューシャリー・デューティー(Fiduciary Duty:顧客利益の追求)」にふさわしい態度だ。ところが、自社利益ばかりを躍起に追求してきた年齢層の社員には、その精神がない者がまだまだいる。残念だが、浸透には当分時間がかかりそうだ。 

 

 入社して数十年もの間、つらいこともあった。喜びもあった。お客や同僚に怒鳴られたり、感謝されたりもした。今日も、この銀行に感謝しながら勤務している。 

 

 (現役行員 目黒冬弥) 

 

目黒冬弥 

 

 

 
 

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