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「女児の性的対象化につながる」H&Mの広告に批判殺到→削除し謝罪 消費者は広告とどう向き合うべき?識者に聞いた

まいどなニュース 2/16(金) 7:07 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/856ab5dd0d275ccac5d68602f7fae54f2f74d62a

 

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H&Mのオーストラリアでの広告が批判を受け、削除・謝罪されたことが話題になっています。

広告は女児の性的対象化につながる内容として批判を浴び、広告における性的表現や児童ポルノなどの問題を提示するオーストラリアの作家からも批判が出ました。

広告の問題点を識者として対処し、日本の広告の問題についても考察が行われました。

(要約)

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H&Mが子役モデルを起用し、オーストラリアで展開したキャンペーン広告(現在は削除済み) 

 

衣料品大手「H&M」が1月、オーストラリアで展開したキャンペーン広告に「女児の性的対象化につながる」といった批判が集まり、広告を削除・謝罪する騒動があった。日本でも広告の“炎上”事例は多く見られるが、われわれ消費者は広告における表現をどう見極めるべきなのか、識者に聞いた。 

 

【写真】ルッキズムの意識を植え付けてしまう…広告デザインに批判が殺到しました 

 

問題とされたのは、同社がオーストラリアのSNSユーザー向けに配信した広告。通学バスを模したピンク色の空間に制服姿の少女2人が立ち、こちらを振り返っている。「Make those heads turn in H&M’s Back to School fashion(H&Mの『バック・トゥー・スクールファッション』で注目を集めよう)」(※ バック・トゥー・スクールは新学期の意)というコピーが添えられており、この文言に疑問を投げかける声が上がった。 

 

広告における性的表現や児童ポルノなどの問題を扱うオーストラリアの作家、メリンダ・タンカード・リースト氏はXで広告を批判。「私が学校で関わる子供たちの多くは自分の外見に不必要な注目を集めたがっていない」「なぜ少女が自分の外見や体、スタイルに注目を集めるべきだという考えを煽ろうとするのか」とした。 

 

他のXユーザーからも「女児の性的対象化につながる」「制服姿で振り向かせようというニュアンスがある」「ルッキズムの意識を植え付けてしまう」といった意見があった。 

 

これを受け、同社は広告を削除。Xで「広告に不快感を感じた方々に深くお詫び申し上げる。今後の広告の方向性について検討する」と謝罪した。 

 

こうした広告の“炎上”事例は日本でもよく見られるが、我々消費者はさまざまな広告の表現とどのように向き合えば良いのか。東北学院大学の小宮友根准教授(社会学・ジェンダー論)に聞いた。 

 

ーーーH&Mの広告が批判を浴びた件について 

 

小宮氏:児童への性的虐待に対する危惧、女性がより性的対象にされやすい現状への問題意識などが議論のポイントになっていると考えられる。 

 

広告は一見すると、女の子を性的対象にする描き方はされておらず、むしろおしゃれをしようという女の子の主体性が描かれているともとれる。しかし、だから問題ないという話にはならない。あくまで広告には作り手がおり「どういう価値観を表現しているのか」が問われる。 

 

つまり「自身の性的魅力を気にする主体」として女児を描くことが、現実社会における性差別や児童虐待との関係でどのように見えるのかが問われている。広告を作るという行為自体が社会的行為であり、作品が社会から切り離されたところにあるわけではないという点は留意すべき。 

 

ーーー日本でもこうした広告の“炎上”事例は多い。広告が「性的である」といった批判、それに対する「表現の自由だ」といった反論、という構図の議論もよく見られるが、どういったポイントで広告について考えるのが適切か 

 

小宮氏:前提として、憲法の「思想の自由市場」という観点で、企業が行う広告に対して市民が批判や議論をし、それに企業が反応するーといったやり取りは望ましいものである。 

 

その上でジェンダーやフェミニズムに関する議論で言えば、「性的に」描かれることが問題なのではなく「性差別的に」描かれることが問題である。例えば女性ばかりが性的対象として描かれたり、家事育児をしているのが必ず女性であるといったスレテオタイプなジェンダーロールに従った女性像が表現されたりしているものもそう。端的に言えば「ステレオタイプな表現がなされていないか」という観点から議論が行われてきた。 

 

そうした議論が行われる背景には、現実社会で女性が家事育児の負担を多く担っている、性暴力やセクシュアルハラスメントの被害に遭っている、といったさまざまな現実の問題に対する認識がある。だからこそ、そういった認識の上にどのどうな表現が望ましいのか、という議論は必要。「性的な表現か、表現の自由か」といった不適切な構図が、必要な議論を阻んでいると感じる。 

 

「公的な空間に性的な表現が出てきてはいけない」という主張は性差別とは全く別の話で、むしろ歴史的には、フェミニズムの議論はそうした主張に反対をしてきている。例えば女性差別的ではない愛や性愛の描き方は必要であるし、より最近であれば性的マイノリティーの人たちの権利が強く意識されるようになり、多様な愛や性愛の描き方が求められるようになってきた。 

 

性教育的な文脈も含め、性的な事柄を語ること自体はフェミニズムの観点から見ても必要な場面はたくさんある。性的な事柄がいけない、という話ではなく「性的な事柄が語られる時にそれが性差別的でないかどうか」が重要で、文脈に照らして一つ一つの事例を考えていかなければいけない。 

 

(まいどなニュース・小森 有喜) 

 

まいどなニュース 

 

 

( 139852 )  2024/02/16 14:33:48  
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・広告に対する意見や反応が多様で、性的対象化やファッションに対する価値観の違いが見られる(まとめ)

( 139854 )  2024/02/16 14:33:48  
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・その広告は問題あり、と判断する人も居れば 私なんかは その広告を使用した企業がどうのこうの より、そういう「癖」を持った人がその欲求を抑えきれず、問題行動に出てしまう事の方がまずは第一に問題だと思う。 

 

 

・こういう問題が起きたら、逆に「問題無い」と思う人がどれだけいるのか、 

ネットのアンケートでいいから調べて欲しい。 

多分、ほとんどの人がそこまで問題とは思ってないと思う。 

結局、一部の過剰な人が大きい声を上げているだけで、 

実際は何の問題もなかった事が多々あったと思う。 

こういう事を繰り返すと、批判のハードルが下がり続け、 

最悪の場合、広告そのものが出来なくなる可能性がある。 

これだけじゃない、他の界隈でも少しでも引っかかる事があれば「不謹慎」だと責め、 

何もかもが息苦しい世の中になってくるでしょうね。 

 

 

・近代までは作者の意図を探るのが読みだったが、近代後の読みは読者に任されている。 

どれだけ深読みと言うか斬新な解釈ができるかが、その人の評価になる世の中? 

でもまず作品を受容する時点で、無色な受容は可能か?当然解釈も自分の中の蓄積によってなされる。 

この広告を見て何を読むかは、読む人のこれまでの環境によりさまざま。 

で、性的対象化、ルッキズムを読む人もいれば、うちの娘にも…と思う人もいる。 

世は言ったモン勝ちになっている。PCと言う錦の御旗は強力。自分の主張、思想を通せば自己肯定感バク上がりだろう。 

そうしてわれわれは多様な感想を持つことも許されなくなっていく。口に出そうものなら叩かれる。 

SDGsの多様性のと言うが、人々の思考嗜好を単一化と引き換えで、ただ家畜のように生きるの? 

我々が加害的嗜好を克復することは必要だが、多様な思考を維持しながらでなければ、成熟とは呼べないと思うが。 

 

 

・こういう発想を決めつけて発信する人は、間違いなくこういう思考パターンを持った人物という事で、こういう人こそ危険なのだろうと思います 

 

本人の中だけでその考えをとどめているならそこまで問題ではないかも知れませんが、ネットという媒体で広めてしまえば、他のそうした危険人物に気づきの機会を与え、スイッチを入れてしまうからです 

 

そもそも、何も思わない人は自然にああ、きれいだな かわいいなと受け止めるだけだし、危ない人は何見ても性的なものに結び付けてそういう発想をするでしょう 

 

昔から、木の股を見ても興奮する、なんて話もあるくらいですからね 

 

 

・少なくとも、日本だったら問題ないレベルだろうね。 

スクールファッションは、日本では以前から人気のあるアイテムの一つだったし、気に入った学校の制服でその学校を選ぶとか、普通にあります。 

むしろ、海外では、学校の制服が多くなく、自由なファッションなところもあって、馴染まない人も多いと思われます。 

なので、ルッキズムとか性の対象とかって、逆に、日本より制服などに対する感覚が「遅れている」とも言えるのかも知れません。 

何せ日本では、コスプレなど、良い意味での「ルッキズム」の文化が確立されていると言っても過言ではない。 

これも、多様性の一つ。日本では、既に、認知されていると言えます。 

 

 

・そもそもこの批判者の「大半の子供は注目を集めず一人で学生生活を楽しむことを望んでいる」というのは本当でしょうか?その服かわいいね、かっこいいねと言われてうれしくない人はほとんどいないと思いますし、言われたくない人は自ら目立たない服を着るでしょう。この方的にはみんなが同じ服を着て同じ髪型をすれば差別やルッキズムがなくなり良い世の中になるとでもいうのでしょうか。 

 

どんな広告があろうが興味ある人には刺さるし興味ない人には刺さらない。なんでも広告やメディアのせいにせず自分で判断し取捨選択すればいいだけのことだと思います。 

 

 

・実際はルッキズムも少女を性的対象と見る輩も減ってないのに 

こうして表向きには締め出されてるんですよね 

こんな広告批判する頭があったらもっと実際に起きている性犯罪や犯罪者をなんとかしようと声をあげてほしいですね 

 

 

・本当にルッキズムに対してある種ヒステリーとも言える反応する時代なのですね。 

 

小さな女の子でも、ものすごく身なりに気を付けてオシャレな子も沢山居るし、まぁ女の子はそもそもそういうものなので、そんな広告にいちいちケチをつけてもしょうがないと僕は思うのですが。 

 

そんなことより、そういった性犯罪をした人が再犯しないような仕組みをキチンと作る方に力を入れて欲しい。 

 

 

・女の子も男の子も自分がいいと思うファッションや身だしなみを追求すればいいと思います。もちろん保護者と相談しながら常識の範囲内で。 

結局のところ児童にそういった関心を持つ大人に問題があるのだと思います。お洒落な子が被害に合いやすいという統計もあったりするのでしょうか。 

一般的には「かっこいいね」「かわいいね」で終わりです。 

子供の頃から培われた身だしなみの感覚は一生物の財産になると思いますよ。 

 

 

・よくある広告炎上事案に対して、かなり踏み込んだ分析の優れた記事だと思う。牛乳石鹸の「子供の誕生日の夜に先輩としての後輩ケアを優先した父親」の炎上広告を思い起こした。 

 

対象の広告は、ファッション企業として、個性を生かした主体的に自分を表現しようとする、多様性推奨の立場を前提で広告が作られている、と私は思う。 

 

この広告は、それを着用する女性へ個性化・自己表現への励まし、と受けとめるのが適切だと感じる。女児の性的対象化が実際にあり、それへの批判もあるだろうが、その批判をこの広告に向けるのは筋違いだろう。 

 

ステレオタイプ的な決めつけもまた、自己表現と多様性への許容性を損ねる。「賑やかなクレーム」に惑わされない企業の姿勢もまた重要だろう。 

 

それにしても、この記事は単なる広告炎上の紹介から内容がかなり踏み込んでいると感じる。記事の量や論点への制約が少ないインターネットニュースならではだろう。 

 

 

 

・自分の意見が絶対と思い込み、さらに声が大きい人に目を付けられたら何も出来なくなります。 

個性は長所、みんな違ってもいいんだ。 

と言いながら容姿の良い人をモデルにした広告に対して性的と難癖付けたりする。 

 

こういった件にどう対応するかですが企業によっては社員を切り捨てクレーマーに寄り添う所もありやる事が逆。 

 

 

・YouTubeの放送禁止になった日本のCM映像集を見ると、個人的な価値観で「これはマズいでしょう。」というものから「どうしてダメなの。」というものまで千差万別です。 

時代や国によって許容される表現は変化するのでそれに合った表現をせざるを得ないのは致し方ないと思います。 

それにしても昭和のCMは自由な空気感があったような気がします… 

 

 

・個人的にはこの広告を見て「女児の性的対象化につながる」など、全く想像もつかなかった。 言われて見ても全くそんな目で見れない。  

 

この広告を性的に捉える事ができる人はどういう思考なのか本人の説明を聞いてみたい。  

記事を読む限りオシャレをする事自体が性的アピールであり、それを女児にさせることが女児の性的対象化になるとしか読み取れないが、それならば大人がオシャレしたり化粧したりするのも全て性的アピールだということなのか。 

 

であれば、老若男女全ての人が性的アピールしていることになるが、そういう感覚の人は四六時中性的アピールを感じて生きているのだろうか。 

自分も性的アピールしていると思われていると考えると、ちょっと近づきたくない人だな…。 

 

 

・ファッションの本質って、他人との差別化だと思う。身に着けている本人にとって、他人と差別=(少なくとも)他人から悪いように思われないという意識は常にあると思う。ただその差別化を図るうえで、個々の価値観はそれぞれ。目立ちたい子もいれば、人と同じものさえ着ていなければいいという子もいる。この広告は「目立ちたい」という子をターゲットにした広告ではあるのだけど、自分としてはこの広告に目くじらを立てるのは行き過ぎのような気がする。この広告が不可となれば、そもそも広告自体が不可能になってしまいかねない。 

ルッキズムへの批判が過ぎると、それこそ映画やドラマに出演する俳優も批判の対象になってしまう。精々が雇用機会の均等という部分において適用される基準であるべきと思うのだが。 

 

 

・学力に順位が付きます。 

運動能力にも順位が付きます。 

なので見た目にも順位が付いてしまいます。 

残念ながらこれらは現実で、それぞれ上位が羨ましがられます。 

このことから目を背けてみーんな水平な能力と見た目になったら世の発展はありません。 

皆が興味のあることで上位を羨ましがり、形は違えど努力をするから発展するんです。  

逆に興味のないことには努力も投資もしません。そこは個人差があっていいんだと思います。 

 

つまり広告ぐらい好きにしてくれってことです。 

 

 

・この広告を見て、どう性的対象化につながるのかがよくわかりません。 

そして、広告としてどこに問題あるのかもわかりません。 

色ですか? 

女の子ですか? 

過剰に反応しすぎではないでしょうか。 

誰かが性的対象化につながると言えばそう思えてくるのではないかというくらいのことでは、と首をかしげてしまいます。 

この広告を見て気に入らない人もいると思いますが、それってどのようなことにも当てはまると思います。 

敏感になりすぎではないでしょうか。 

 

 

・そもそも万人受けする広告を作る方が難しいと思う。 

広告は狙ったマーケット層に響くように作られているのであって、ターゲット層から外れてる人が自分の好き勝手に解釈して批判するのは違うと思う。 

暴力表現や直接的な性的表現等でないなら、表現の自由として受け入れるべきだと思う。 

 

 

・私達日本人か感じる印象とこのポスターにクレーム入れた人の印象とは違う気がする 

個人的には性的どうこうより子ども服の宣伝なのに笑顔じゃなくて真顔なのがひっかかってた 

学校に行ったり遊んだりする時に着る普段着なら、明るい場所でもっとはしゃいだ感じにするんじゃないかなって 

ということは、あちらのイメージとしては日本由来の制服風コスプレという感じなのかな。日本のアニメや漫画に出てくるような服を着せて写真を撮ろう、みたいな 

 

 

・明らかな過剰反応。子供服のモデルに子供を起用するのは当然だし、子供がおしゃれを楽しんだって良い。この広告を見て「女児を性的対象化している」と感じる人はほとんどいないのでは? 

メンズやレディース、キッズでデザインやサイズが違うのだから、それに合わせたモデルを起用するのは自然な流れ。勿論ユニセックスのデザインもあるだろうし、女性がメンズの服を選ぶこともその反対も自由ではあるが。 

歴然とした男女差がある給与など社会的な格差の是正は必要だが、物理的な性差、年齢や体格差など埋められないものをあげつらえて何でも「性的対象化」と批判されては、広告でモデルを起用すること自体が不可能になってしまう。小児性愛者がいるからといって子供の存在を消し去ることはできない。 

 

 

・海外の女性は薄着で歩き回っている印象だろうが、実際は性犯罪の危険が日本の比じゃない、危険と隣り合わせの社会だということを忘れてはいけない。海外に住めばわかるが、安全と言われる都市でも毎日アンバーアラートが鳴り響き、子どもが誘拐される社会である。登下校なんて日本みたいに子どもだけでできる訳がない。一瞬子どもから眼を離しただけで一生会えなくなる危険性がある。また、家庭内でも女児の父親からの性被害がとんでもない件数ある。こういう背景だからこそ、この広告は問題になるんだろう。日本の場合、小児への性犯罪はあるにしても、女の子がファッションを楽しめるぐらいに安全だから、この広告は許されるのだろう。日本はジェンダー意識が低いだの、何かと日本を卑下する人は、一度でも海外の恐ろしさを味わえば、どれだけ日本が恵まれているかを思い知るだろう。 

 

 

 

・微妙なラインだなあと思いました。この年代はそれなりに服装や見え方を気にし始めますから全くオシャレをしないわけではないですし…。 

ただ、制服があればそこまででもないですが…海外のほうというところでどうなのかなとは思いました。制服でもかわいくありたいというのはどこでも同じではないのかなと。 

 

 

・見る者の価値観が見た時の印象に反映される 

ある人が何かを持っている状態を見て、「拾い上げた」「観察している」「盗もうとしている」など様々な解釈が成り立つ 

女児の振り返り姿を見て、「性的」なのか「個性の強調」とみるか、単に「かっこいい構図」とみるか、見る者の価値観、あるいは品性のいやらしさが投影される 

それを超えて、ほとんどの人が性的とみて嫌悪感を募らせるならともかく、この広告でそれを言うのはこじつけに近い 

自分は、そのまなざしに「頭よさそうだな」というのが第一印象だったな 

 

 

・さすがにやり過ぎだと思う。 

なんでもかんでもイチャモン付ければいいみたいな感じになってる。 

この画像を性的な画像として捉えるほうがおかしい。 

本質からどんどんズレまくってますよね。 

痴漢が多いから電車の本数減らしましょうとか、こんな狂った主張を言い出す風潮があるけど、 

本来やるべきなのは、痴漢をした人間を取っ捕まえて厳罰を科すべきなのであって、 

電車を減らすことではない。 

イジメもそうで、いじめられっこに転校を促してもイジメは解決しない。 

イジメをする側の人間を取っ捕まえて隔離して反省を促すことです。 

 

 

・子供がファッションを気にすることを煽るような広告はどうかなあとは思ったが、「性的対象につながる」というのは飛躍しすぎじゃないの?ファッションに興味を持つ子供も、気にしない子供も両方いていいと思うから、価値観を押し付けるような広告が良くないのであって。 

性的対象につながると言い出すなら、子供がファッションに興味を持つこと自体が「危険」「悪」ということになるよね。それは行き過ぎかと。 

 

 

・デザインとして良いかどうかだけでなく、どんな価値感を反映しているのかを分析して見ることも重要だなと思った。何気なく何でも受け入れてしまうと、知らないうちに染まってしまう。子供が使われている場合は特に、このような警鐘を鳴らすのは、重要だと思う。何でも禁止にしろと言うわけではなく、流されずに考えようという意味で。 

 

 

・SF映画などでよく未来人が、みんな同じ宇宙服の様なスーツを着ているシーンがありますよね。 

昔からなんでだろう、むしろ未来はファッションも多様化していくんじゃないか、と思って観てましたが、このままルッキズム排除が進んだ未来には、ああなる可能性があるという事かもしれませんね。 

女児だって、例えばリボンひとつでも好きな色の方が喜ぶでしょうが。オーストラリアは違うんですか? 

ファッションは人に観られるだけでなく、自分が好きな物を身につけたいという願望からくるものだってあるんですよ。 

ルックスにコンプレックスがある人間が騒いでいるだけとしか思えません。 

 

 

・なんで批判されたのかわからない私、この写真から感じるものは何も無いですけどね。 

女の子が二人、やや派手な色をバックに立ってこちらを見てるだけ。 

そもそもこれがその企業の広告だともわかりにくいです。 

これが性的対象に見えると指摘する人は、女の子であれ女性であれ、何をしてるところであってもそう見えるのではないですか? 

せっかく人とお金と時間を使って制作した広告をあっさりと引っ込めて、しかも謝罪までする必要があったのでしょうか。 

 

 

・文化の違いありきだと思う。 

いろいろファッションを楽しむ文化が日本は主流なのが前提にあって、制服や校則があれば従う。職場も学校もみんながオシャレなら合わせる。地味なら控える。でも基本、着飾るのが好きなんよ多数派が。 

親がケチっても子供可愛くしたかったり。 

ただし「子供の化粧」の方には違和感ありの人が多い。 

多分、日本人の真面目な家庭で、子供が化粧やヘアカラーして学校になんて、って思う感覚なんだと思う。 

 

 

・明らかに嫌らしいポーズや意味も無く肌を露出していればダメですが、これがダメと言うなら世界中で子供を使った広告はできなくなりますね。一部の凝り固まった意見が大多数の意見として通すと、もう全て何をやってもダメとなるので世界基準の審査員みたいな人が判断する様にしないとね。 

 

 

・もう人間の欲自体が否定される世の中になってしまった。 

綺麗な格好をしたい モテたい 注目を浴びたい センス良く自分を着飾りたい 

これらの欲がファッション界の経済活動を支えているのは間違いない。 

大人でも子供でも老人でも同じこと。 

企業はこの欲に沿って商品を開発してその欲を引き出す為に広告戦略を立てる。 

ここを否定する事は人間の欲を否定し、古代から続く服飾の文化を否定する事。 

そちらを問題視する声も上げるべき。 

どちらが適切かを皆で議論すれば良い。 

 

 

 

・これ、これと対となす男の子のバージョンもあれば批判されなかったのでは? 

 

ただ、もしスカートをはいているのが女性でズボンが男性というのがダメって事も考えられるけど、それは別バージョンで相互の服を入れ替えたポスターも用意すればいいんじゃないかと・・・。 

 

ただ疑問なのはそのモデルが用意された服を着たくないと思っても、平等の為に無理やり着させることがあったとしたら、平等ってどういう事だろうと思う。例えば男の子がスカート履いてって事を嫌がる場合ね・・・ 

 

 

・三重交通はこんなクレームを毅然と跳ねのけてくれたけど、こちらの会社はうろたえてしまったんだね。企業の腰の強さみたいなものが問われてるのかもね。 

せっかくの広告、モデルになった女の子たちにとっては貴重な実績になるのに、取り消されてしまった。ギャラはもらっただろうけど自分らのキャリアに「ミソ」を付けられた格好。 

埼玉での水着撮影会が中止になったときも、その日のために必死になってプロポーション造りに励んできた女の子たちの努力が無為になって、悲しくて泣いてた子が何人もいた。性的対象とか何とかいいながら、そうやって若い子たちの努力をぶち壊してるんだよ。 

 

 

・ルッキズムの意識は周りの大人が身だしなみを整え、機会によってはオシャレをしていることで、子どもたち自身がそうなりたいと思う憧れそのもの。単純に広告によってのみ煽られるものではない。 

どちらかというと高まった意識に対してオシャレの例示をするためにこの広告はあると思うので、子どもたち自身の需要にしっかりと応える、必要な情報と思う。 

これを見て性犯罪云々は、犯罪者自身やら過剰反応する潔癖症の方やらの課題では。 

 

 

・議論することが大事、これが記事内で伝えたいことなのかなと思いました。 

 

広告を見てどう思うかは千差万別。 

不快に感じた消費者はメーカーに伝えるべきで、 

メーカーも批判があればすぐ引き下がるのではなく、どういう意図で広告を作ったのかのリリースを出すべき。 

 

その議論の結果が広告の取り下げや継続なだけであるのかなと思います。 

 

とりあえず人の価値観がおかしいと断罪するのではなく、相手の考えを慮る人間でありたいものです。 

 

 

・自分が学生の頃、特に女子は制服をどう着こなすかに神経割いてた。カーディガンやバストをどこで買うか、その色、サイズ、スクールバックは男子校のものがトレンド、ローファーの色、リボンの大きさや結び方… 

今30代ですが、そんな学生時代だった上に海外居住経験もないので、単に女子が通学スタイルを自分の好きにカスタムして楽しめよという広告と捉えました。 

この手の記事に書き込む人はグローバルな方や海外居住経験者、ジェンダー意識が強く、また普段からそれに触れてる方々が多そうだなと拝見していて思ったので、私のこの感想は生粋の日本育ちで外を知らない中年の1感覚のコメントです。 

せいぜいピンクの色どぎついなくらい。性的メッセージとまでは思い至らなかったので、ここのコメント民さまたちからしたらまさにジェンダー意識から取り残されてる典型的日本人でしょう。 

日本の女性用ファッション誌ってこんな感じばかりだよね。 

 

 

・女児が性的被害を受けてもいいなんてことは一切思いません。 

もちろん、そういった意味ではしっかりと保護する対象だとは思います。 

 

だったら何で(日本でいうところの)キッズモデルや子役という職業があるのでしょう? 

子供服を売るためにモデルの子たちに着てもらい、撮影して、広告として発表する。 

 

このポスターにそんなに(というか、全く)性的な意図があるようには見えないし、問題になるようなポスターだとは思わない。 

 

 

・うーん。 

これのどこが性的対象化になるのか理解に苦しむ。 

日本はアニメやゲームなどで、少女の胸が異常に大きく描かれていたり、そういうものが溢れているが、ある意味そちらの方が批判されるべきなのではないだろうか。まさか、生身の人間とアニメの違いがある、とか言わないだろうな。 

 

難しい問題ではあるが、こじつけに近い形で批判してしまうとクリエイティブなことができなくなる恐れが出てくる。性犯罪を防止するという観点で言えば、もっと別の議論(例えば厳罰化など)があっていいように思うが。 

 

 

・日本では、女児のファッションは、母親のものである。 

女児を生むことを願い、かわいい服を着せたい、大きくなったら一緒にショッピングしたいと望んでいる。 

この広告を見て性的な何かを心に抱く人は、この広告じゃなくても抱くだろう。 

そもそも、二人使うならなぜ男女にしなかったのかな? 

 

 

・ジェンダーやフェミニズムといった問題は価値観を定量化するのが難しく、どうしても「個人の思想」や「各々の印象」といった抽象的な価値観が議論の全体を支配してしまうことが多いため、社会的な正解を見つけるのが難しい。 

 

そもそも国の歴史的な発展によってその国の価値観は様々であるので、日本人の価値観と海外の価値観が異なることもザラにある。 

 

日本の場合はアニメやゲームといった所謂「二次元」で性的描写をオープンにした価値観が存在するし、広告のような女の子が出てくる創作物は山ほどある。 

 

どちらの価値観が正しいか分からないが、 

表現の自由を保証したうえで、その時代の声に合わせた配慮を行うことが無難かもしれない。 

 

 

・ルッキズム絡みはイマイチ理解がし難いというか・・・ 

個性や十人十色を尊重する「多数派」と思われる主張とはぶつかるし、人間に限らず「綺麗」なモノには価値があり、そこを目的として技術の切磋琢磨というものも生まれるので、「ルッキズム」という主張自体は非常に矛盾や反経済的な部分が大きい主張だと思うので反論が容易だと思うのだけれど・・・ 

 

なぜ、この主張に企業が怯え、従っているのかが分からない。 

そんなに、この主張の数が多いのだろうか? 

 

 

 

・これが問題になるなら、古代の絵画や宗教絵画も問題になりそう。私の古い記憶を辿ると、初めて性を意識したのはそれらの裸で競技をする男性、裸でポーズを取る女性、そして裸の天使達。何で裸なの?から始まっている。 

何に対して性を感じるのかは人に依って異なるから、それらの要素を全て消し去るなら、人はただの感情を持たないロボット、カラクリ人形であるべきと主張する様なもの。返って性欲の暴走を誘発しそう。既にそうではないかと思われる事件は、世界中で古来より散見されるが。 

 

 

・「「自身の性的魅力を気にする主体」として女児を描くことが、現実社会における性差別や児童虐待との関係でどのように見えるのかが問われている」とのことですが、「どのように見えるのか」と言われてもどのようにも見えない人が世の大半ではないでしょうか?そうしたよくわからない理由で目の前の広告なり表現なりが炎上することに、キャンセルする側の特権性のようなものを感じる人が現れるのはやむを得ないかと思います。 

「「性的な事柄が語られる時にそれが性差別的でないかどうか」が重要で、文脈に照らして一つ一つの事例を考えていかなければいけない」とは一見尤もらしいまとめではありますが、世間の人々は始終性的な事柄について思いを巡らせていられるほど暇ではなく、常にアンテナを張っているキャンセル界隈の人々だけがブラックボックスで特権的に可否判断を下せる構図を補強しかねない実に歪んだ議論と感じました。 

 

 

・ファッションで注目を集めること自体が、性的興味を煽っていると批判されるのか。すごいな。 

だとすると、もはやデザイナーは子供向けの服などデザインできないんじゃないの。 

子どもには、地味で目立たない、昔ながらのありきたりな服だけ着せておけば良いってことになる。 

 

 

・美少女アニメなどがが女子児童への性的対象につながるかどうかは、 

宮崎勤事件の頃からずっと議論されている事。 

 

ツイフェミやマスコミの指摘は、個人的な感情的な部分も含まれているのかも知れないが、そこは一旦置いておき、美少女コンテンツを愛好するユーザーはそこについて考慮する必要性もあると思います。 

 

 

・こう言う問題はいつも「そう思ったやつが1番エロい」になると思うんだよね。 

中にはそれを狙ったものもあるだろうが、普通にコミュニケーションが取れれば理解出来る内容を曲解しているものが多いと感じる。 

予防線を張ることは大事だが常に多くの場合を意識し過ぎると必要の無い不安を意識して生活しなければいけなくなるので、同じような問題が起こるたびに精査していく必要があるのだと思う。 

 

 

・ポスターを見ると、まず女の子だけ、しかも背景がピンクという時点で、時代遅れな感じはする。 

ファッションは女の子だけのものではないし、ピンク色は女の子を象徴する色でもない。 

そういう点も批判の声が多く上がっている理由になっているような気がする。 

ACの広告で、漫画風のイラスト画に吹き出しがついていて、「ごはんだよー」「それでは資料の7ページ目をー」など様々なシチュエーションを表すものがある。 

そしてその最後に「あなたにはどんな人の声が聞こえましたか?」という問いかけがある。 

自分は欧米での生活が長く、一般よりもジェンダーに対する認識が解放されていると思い込んでいたけれど、この広告の台詞次第で女性や男性を無意識に想像していることに初めて気付いた。 

こうした事の個人的な良し悪しの判断は別として、無意識に刷り込まれたもの(バイアス)に、日頃から疑問を持つ必要が求められる時代になってきたのだと思う。 

 

 

・なにも問題ないとしか思わないし思えない。 

こうしたことに大きな声を出す人たちの正体が知りたい。 

 

今までにこのようにどこぞの誰かに叩かれ、即引っ込まされたものが数多くあるが、それらで誰がどのように害を受けたのか? どんな被害が”実際に起きた”のか? 

そうしたことに対して何一つ報告なんてされてないでしょ? 

 

それらの”圧力”というよりも、ただただ”迷惑なだけの輩”に対応する必要なんてないとしか思えませんが。 

取り下げなければ商業的等々に不利になるなどということも、まずないと感じます。 

昨今のくだらない「多様化ブーム」同様、優先更るべきは誰なのかということが捻じ曲げられた非常に悪い状況と感じます。 

 

 

・ただのスクールファッションでミニスカでもないし、必要以上に肌を見せている訳ではないし、女児の性的対象化につながるという考えが私にはわからないです。 

海外のスクールファッションは服かわいいなぁぐらいですね 

むしろ日本でもそうですが逆にそういう考えになる=そういう見方になってしまう方々が大丈夫なの?って思ってしまいますね。 

 

多様化と言いながら女の子らしいスカート姿は性的対象化につながると言う。 

これを批判した人の周りにはこんな格好したい子はいないって、それこそ勝手に決めつけて多様性を批判しているのではと思ったり‥ 

 

これを批判する人の考え(世界観)ではそもそも女の子はメディアにでることすらできないですね 

 

 

・なんでもかんでも批判するのが流行っているみたいですが、そういう見方をするというのはそういう意識をもってるからじゃないのかな? 

普通に見れば、なんてことないものを、妙に掘り下げて、上や下から右や左から見るからヘンな見方になるのでは? 

CMやテレビなどはそこまで真剣に見るべきものなんですかね? 

単なるアラ探しで、批判して、注目を浴びたいだけなようにも思えます。 

 

 

・リアルはすべて性的対象化に繋がるから、この場合はすべてアニメや漫画のキャラにするといいですね。例えば全部プリキュアにしてしまう。非実在なキャラクタで。 

 

不必要な注目を浴びないように、必要な注目を浴びないようにする。このような多様性にもエンパワーメントの獲得にも反する行為は10年後、100年後に残るものとも思えませんが。 

 

 

 

・リアルはすべて性的対象化に繋がるから、この場合はすべてアニメや漫画のキャラにするといいですね。例えば全部プリキュアにしてしまう。非実在なキャラクタで。 

 

不必要な注目を浴びないように、必要な注目を浴びないようにする。このような多様性にもエンパワーメントの獲得にも反する行為は10年後、100年後に残るものとも思えませんが。 

 

 

・ルッキズムが問題視されていますが、私は本当に不思議で仕方がない 

ルッキズムとは見た目に過剰な価値観を抱くこと 

じゃあ、価値観を抱かないってどういう事かってのは無関心だと思う 

つまり、可愛かろうが可愛くなかろうが、本当に価値観を感じていない人は気にならない 

私も気にならないから、おじさんと言われようがデブと言われようが気にならない 

健康の面ではデブは気になるが。。。笑 

可愛いものは可愛いで良いと思う 

その言葉に強い意味を持たせる人は価値観を感じる人 

 

それを問題視する事は逆から言えば見た目に価値観を感じているからでは?って思ってしまう 

本来、勉業が出来る、可愛い、デブ、痩せている、等々、様々な言葉は状況を表しているに過ぎない 

学歴主義者は勉強が出来る出来ないに価値観を感じるし、ルッキズムは見た目の表現に価値観を感じる 

 

ルッキズムと批判している方こそ価値観を感じているのでは?と思ってしまう 

 

 

・ルッキズムか。 

着るもので見た目の良し悪しが変わるから、それがその人の評価に酷く関わるんじゃないか、っていうことか。 

服装選びってそんな薄っぺらいものじゃないでしょう。  

 

服選びには自分の内面を表現したり、周囲への配慮の表れという面があるわけで、 喪服は尊重と悲しみを、学生服は清潔感と一体感を、レースの日傘や着物の薄物は見た目の涼やかさを、周囲に向けて表現する意味があり、周りに見る人がいなければ着ないものも多い。 

周りへの配慮をする人が高く評価されるのは自然なこと。 

 

ところでこの広告を見て性的な何かを感じる人がいるということか。私にはそれが怖い。 

 

 

・ファッションそのものが、当人の目的はどうあれ「外見を装う」ものだから、ルッキズムとは常に折衝するんだから、広告主は、制作時には配慮はしながらも世に出したなら毅然とする姿勢でいってほしい。 

 

 

・この写真のどこが?! 

 

マイクロビキニとか着させてるなら、そういう風に捉えてしまう人が出てくるのも仕方ないけど、普通の服装でこうして難癖付けてくる人の心境が全く理解出来ない。 

 

ジュニアアイドルしか表現出来無いことだって沢山あるし、子供の純粋な気持ちや思いを表現するCMで使えるなら使って欲しいと思います。 

 

 

・なるほど、大っぴらに、子供にはオサレを推奨してはならない時代という訳ですね。かわいいとか素敵とかも商業的に使うには気を使う時代と言う事ですか。あとネット広告、SMSの類いはリアルタイムでの連発可能な訴求活動が利点だが、昔の印刷等に比べ、構成やチェック、第三者の目や、制作時の高揚感が冷めた落ち着い時の見直しが甘くなると思う。 

 

 

・正直、問題なんだろうけど興味ないからか 

暇な人間が多いと思ってしまう 

その広告程度で騒ぐ必要はあるのだろうか?別々の問題にしろ、もっと女児を守るべき問題がいくらでもある中で 

面倒くさい世の中になったな 

 

というか、あらゆる意味で日本より規制を多くしてる海外の方が異常性愛犯罪が多く悪質である事、今の何でも規制を強める姿勢がそれほど抑止に役立っていない事を省みてもいいだろうに 

別の観点からの対策に切り替えるべきなのでは? 

 

 

・画像一瞬見て色明るいがシャイニングの双子のイメージ浮かんだけど、右側の子の表情がほーんの少し強気に変えてあるに気付いたら一気に画像に生気感じて面白いなーと思った。 

これを性的に感じる人が逆にヤバいのでは。 

少数なら色んな人がいるでまだ理解できるが、広告引っ込めるほどの苦情の量というのが理解できない。 

 

 

・自分は娘がいるが、女の子は子供であってもおしゃれには関心があるケースは多い。かつ、あまり目立ちたくないという子供は、こんな広告があったからといって飛びつかない。そういう意味では、オーストラリアでの批判はやや的外れな気もする。 

 

ただし 

親の保護下にある子供に対して、企業が直接手を突っ込んで嗜好を煽ろうというキャンペーンは、このジャンルの場合は許容範囲を超えていると思う人もいるかもしれない。 

例えばおもちゃや、子供らしいアクセサリーならよくある手法だけれども、大人に近いファッションの話となるとね。 

 

 

・昔と違い幼少の頃から”お洒落”を親が強要、もしくは雑誌やネットでもお洒落をさせる傾向にある。それで目立つなは無いだろ。ならばそう言ったアイテムや服を規制しろと言えばいい。で犯罪が減るかは別。実にくだらないと思う。なんでも気に食わないから噛みついているようにしか見えない。それで犯罪が減るとも思えないし良い社会が出来るとも思えない。 

 

 

 

・別に露出は高くないが、キャッチフレーズを含め、子供に無邪気さを排除した大人びた表情、メイク、ポーズをさせ、「外身は子供だけど中身は大人女性ですよ」と言う手法で、そこに危うさが無いとは言えない、危うさを魅力としたグレーゾーンだと思う。 

 

 

・女児なら問題だと騒ぎ立てるが、男児でも同じ様に声を上げたのだろうか? 

そういった趣味の人だっているし、声の大きさに反応しすぎだろう。 

人が着るから服として成立するんだから、モデルがどうのこうの言うのは、明らかに性的な模写でない限り不毛な議論でしょう。 

 

 

・この広告を見て真っ先に「女児の性的対象化につながる」と感じる人の方がよっぽど危険思想の持ち主なのではないかと思うが。 

ただそういう難癖つける輩というのはどこの世界にもいるので仕方ないとは思うが、私が残念でならないのは企業はクレームがあったからすぐに謝罪するのではなく、「自分たちは〜というコンセプトのもと作成している」とちゃんと説明し自分たちの意思を貫かなかったこと。 

分かってもらう努力をしなくなったのは日本ばかりではないんだな。 

ほんと嫌な世の中だ。 

 

 

・世の中の流れだと思う。セクハラ、モラハラ、パワハラ、アルハラ、スメハラなどの様々なハラスメントやルッキズムも昭和や平成の最初の頃バブル崩壊頃までは普通にありふれていたが、それが普通だと思っていた。クラスでも、可愛い女の子に先生が君はミス日本とかコンテストに出てみたら?なんて笑いながら授業中に脱線しちゃったりして話してた事もあったし、この前改めて美味しんぼのアニメを見てセクハラすごいな…と思った。二十歳の娘はドン引き。職場の営業先でこんな可愛いお嬢さんとかこのお嬢ちゃんとか、同僚にオールドミスとか結婚は女の幸せ的なニュアンスの話やら亭主への料理がダメだから旦那が帰宅したがらないとかまあ昭和50年生まれの私でも引くレベルだった。 

話がそれたが結局時代の流れ。これだけ話題になる程不快に思う方が世の中に存在するご時世、避けた方が無難。多分あと30年したらドン引きレベルになってる可能性有りですね。 

 

 

・ルックスやスタイルに注目を集め集めたくない子ももちろんいるだろうし、反対にルックスやスタイルに自信がある子だって当然いる。 

もちろん自信がなくなたってちょっと冒険してみたい子もいる。 

多様性ってうたう割には偏ったものの見方しかしてないからこういう意見嫌い。 

性的どうこうは広告打つ側じゃなくて、それを見て性的なことを考える人間の問題でしかない。 

 

 

・厳格な付属校から大学へ上がった時に半分くらいは知っているメンバーだったから私服になった時に流行りにうまく乗って輝いていた子は内部生外部生の両方からすごい注目を集めて輝いていた。高い物に身を包むことが良しでなく、ファッションの全てが似合っていたからだ。むしろ同性のファッションが気になるのだから、この広告を見て性的なものを感じる人間の方が変態で排除しなくてはならないのは、そちらの方だと思う。ファッションは個性で皆んな一緒で目立ってはいけないなら、目立ちたくない人がそうすればいい。いちいち訴えてくる人間は自分の考えを押し付けていて多様性を否定しているのは貴方なのではないでしょうか。 

 

 

・エレベーターで乗り合わせた女性に警戒されて不愉快だったと発言した芸人の方がいましたが、こういう立場の違い、見えているものの違いなのだろうと思います。 

毎日ウンザリするくらい性犯罪のニュースがあるのに、小児性愛者の犯罪を助長するようなものが許されるはずもありません。それは表現の自由を侵害することとは違います。日本では慣れてしまっている表現も海外ではあり得ないものです。表現にもTPOがあります。 

 

 

・≫「私が学校で関わる子供たちの多くは自分の外見に不必要な注目を集めたがっていない」 

 

全く問題無いと思うけどね。 

逆に聴きたいが、メリンダ氏は何故この広告で少女を性的な目で見る恐れがあると判断したのか。服を着た少女が並んでいるだけである。普通は性的な感情湧きませんから。 

それだけで性的な目で見ると言う事は、自身が小児性愛者ではないのかね。 

小学生ともなれば、特に女の子は着る服も好き嫌いが出てくる年齢である。オーストラリアの事情はわからないけど、日本では好きな色や、形等もどれか良いとか子供が選んでくるからね。 

更に子供に少しでも似合った服を着せたいという親御さんも居ます。 

企業が消費者に訴求するように出した広告に、反応して買い求めるお客もいるのです。 

メリンダ氏は逆に自身のズレた考えが間違っていると気付いたなら謝罪して欲しいですね。 

 

 

・日本のアニメが世界的に人気である事 

ルッキズムやLGBTに配慮した 

鼠の国のアニメ映画の不審を見るに 

行き過ぎた配慮になってる事は明白なんだよね 

一部の声の大きい人達の意見を取り入れるうちに 

どんどんおかしな方向へ行ってしまっている 

 

日本人の自分からしたら今回のCMを見るに 

スクールバスならピンクである必要があった? 

黄色で良かったのでは?くらいなんだけど 

生きづらい世の中になったものだなと 

 

 

・テレビ番組や広告など世のありとあらゆる所から 

【子供の写った映像、女性の写った映像、スポーツ選手が写った映像】など全て禁止になった世界線を考えたら殺風景な世の中になるのは間違いないですね。 

何かとクレームつける方はそういうのが見えなくなるメガネでも開発してあげたいです。 

 

 

 

・テレビ番組や広告など世のありとあらゆる所から 

【子供の写った映像、女性の写った映像、スポーツ選手が写った映像】など全て禁止になった世界線を考えたら殺風景な世の中になるのは間違いないですね。 

何かとクレームつける方はそういうのが見えなくなるメガネでも開発してあげたいです。 

 

 

・ほとんどのケースで何の問題もない物を叩いてるので、一部の困った奴らが大騒ぎしてるだけと割り切らないと何も出来ない とりあえず日本ならほとんどのケースで無視するだけでいい 海外だともう地獄その物で、規制を叫ぶ女性に銃撃される事すらあり得る 身の安全の為に仕方なく対応しなければならない 

 

 

・何だかヤバイよね。 

何でもかんでもジェンダーやら性的対象とか言い出して、今迄で普通に見ていた、聞いていたものが一瞬で異質なものに変えられていきそうな、そんな感じだな。 

 

桃色背景のバス車内に2人の制服を着た少女が振返る姿…コレに性的な感情を持つ人の意見を尊重するのも今の時代の流れなのか? 

 

心配なら制服に防犯ベルを取付けて販売すればいいだろう。 

ついでに防刃素材で作ったものも有れば売れるかもよ? 

 

 

・児童ポルノのおぞましさを思えば、悪の芽をひとつひとつ摘み取ることに繋がる貴重な勇気ある活動だと思う。 

個人的にはこの広告はおしゃれで可愛く感じたけど、鈍感な人間にはない嗅覚で児童ポルノを撲滅してほしい。 

 

 

・内容が分かりにくい、というコメントがあるのを見て記事を読み直した。 

ことの発端の広告そのものと記者さんの主張の内容とが微妙に切り離されているのが原因かなって思った。 

記事では、記者さんの元からある価値観のみが語られており、この広告で問題視されたビジュアルの部分には言及されていない。 

西洋文化でのピンク色の意味、子供、思春期のメタファーの制服。これを同居させたら、そのキーワードをすくい取って反発する人がいるのは当然だと思う。 

けど、こららのキーワードは見る人が普段触れている社会的背景に依るところが大きく、見る人全てに同じ作用を及ぼすわけではない。 

議論のための問題提起はすべきだけど、頭ごなしに批判するのはちょっとリスキー。 

今回の広告に限っては、全体の雰囲気、構図(特に女児の配置)など、サブリミナル的に性的な印象を与えるものとなっているとの指摘は間違いではないと思う。 

 

 

・見る側の捉え方で判断が分かれる難しい問題だ。同じシーンがあったとして、映画などの作品であれば見る人が選べばいい話しだが、CМやポスターなどは否が応でも見ざるを得ないし。1万人が見れば1万通りの捉え方になる。「正しい」の線をどこで引くのかという話しになるのだろうか。 

 

 

・お洒落で可愛い広告としか映らなかったけど。見方が違うと解釈も違うのですね。 

色々な見方があるのは当たり前で理解できるけど、企業は広告のコンセプトをちゃんと発信したらいいのに。叩かれたらすぐ謝罪と削除では、ブランドの方向性はどうなる?消費者は品行方正を求めてるわけじゃないよね。 

 

 

・その時にしかできないファッションとかってあるしなあ 

まあ子どもより大人がさせたいんだけど 

体が自由に年齢を選べたらね…ファッションデザイナーとかも自分でできない服を着せている面もあるでしょう 

性的消費なんて無くならないんだから性被害に合わないことを頑張るほうが身があると思う。 

極論子どもを写さないことが至高という話でしょ? 

 

 

・人が一人でも死ぬ映画やドラマ、医療ドラマも死ぬことを想起させるから、最終的に殺人につながりかねない!すべて放映禁止にしよう! 

 

というのと同じ話。 

犯罪や差別をするのがわるいのであって、想起させることは悪ではない。道徳の問題。思想・良心の自由というのもある。 

 

 

・少数派でも声を上げたもの勝ち的な現状。 

そして、それに企業が屈してしまう状況。 

 

確かに声をあげた人の思想が少数派であっても、影響力がある人が言えば洗脳・誘導されてしまい、不買運動などに発展しかねない。 

 

この広告デザインに至った経緯を説明すればよいのでは? 

 

H&Mに限らず、広告のデザイン料などは企業の売上から出ている訳で、こういうことが続くと商品の価格が上がってしまうのではないかとちょっと心配。 

 

何をやっても全員がOKというものは皆無です。 

 

 

 

・いや、それは一部の人の見解にしか過ぎなくて 

そういう風に定義づける必要なんか無いんですよね。だったら何の絵を使えばいいのと、なっちゃうと思うんで。 

そういうものは、あくまで見る側の捉え方なんで。 

10人居れば10通りの景色があるんでね。 

一概に定義づけるのは違うと思います。 

 

 

・日本人は、こうした問題に残念ながらとてもとても意識が低い。 

 

何年か前にも海外の有名ブランドが出した広告が、やはり児ポをイメージさせるとして大問題になった事がある。 

 

幼児に、ボンテージ衣装のクマのぬいぐるみを自分の体の前に重ねる様に抱えさせている広告で、それだけでなく画面の中には児ポを扱った裁判資料を紛れ込ませる手の込みようだった。 

 

それが海外で指摘を受け大問題になり、ブランド側は謝罪して広告を取り消し、内容が悪質だった為に広告を手掛けたプロデューサーを訴えたと後から話題になっていた。 

 

そんなあから様な広告でさえ、当時のヤフコメ民は「何でもカンでも結びつけすぎ」「ボンテージのどこが性的なんだ?」「フェミどもめが」と言う始末だったからね。 

 

 

・女性にヒジャブやブルカが必要な国もあるし、最近話題の 

「まるで裸」のようなドレスを着るセレブがいる国もある。 

このCMもオーストラリアでのこと。 

動物愛護にしろバタリーケージが禁止されてたり、魚類や甲殻類の 

人道的な捕獲、さばき方まで、ガイドラインがある州もある国。 

良いか悪いかを言ってるんじゃなく、それぞれの国で 

それぞれの考え方がある、と思う。 

日本の識者に聞いても意味があるのか? 

 

 

・うわぁ、とうとうここまでくるようになったか 

さすがポリコレでは先進的なオーストラリア 

これってもうイスラム教のように布で覆わないと許さないみたいな流れじゃん、言ってるの絶対極一部だと思うけどいいんだろうか 

燃やしたもん勝ちの世界が来ている 

 

 

・難しいけど、例えば日本の4千万人いる男(適当)のうち一人でも刺激になって事件起きれば世の中的には大問題だから企業は極力リスクは避けるという選択はあってもいいと思うが、外から批判するのもどうかと思う。 

 

 

・うーん・・・ 

 

このポスターだけでは性的な興奮を覚えたりしない。 

コレに性的興奮を覚える人は、コレじゃなくてもカワイイ女児を見るだけで興奮するだろうから、そもそも子供を広告に使わないって以外はどうにもならんのでは? 

 

子供を性的に見られたくないって気持ちはわかるけど 

そんなら汚い恰好をさせるのか?って事になるし 

 

流石に敏感になりすぎな気がします。 

 

 

・女の子がカワイイ服を着る男の子がカッコいい格好をするってのはダメな事なんだろうか、なんか逆否定的にも感じるんだよな、その内その否定が定説化されれば同じ事の繰り返しなだけだと思うんだがな。そして性的対象化とは言うが正直どんな格好(極端な格好以外)をしようが興味ない人には興味無いし興味ある人には興味あるまんまだと思う、極論見えない事にフェチを感じる人もいるしカッコいい女の子にフェチを覚える人もいる、本当に性的対象化を無くしたければ広告自体を廃止するしか無いと思う。胸が小さい=ロリコンみたいな風潮が流れ、最近はアニメのキャラも胸の大きい子ばかりが書かれるようになった、その内胸の大きいキャラばかりを書けば女性を性的対象として見てるなんで言ってくるだろう、結局は性的対象なんて時代でかなり変わってしまう事な気がする、禁止されれば新たなフェチを産み出すだけなんだよな 

 

 

・私は気が付かなかったけど、これがおかしいと感じる人はその性癖がある人なのかな。例えば教師や小児科など子供の対応をする職業人にこういうものを多数見せて反応を確認するよう義務付けて異常者の炙り出しに使えないものだろうか。 

 

 

・アパレル業界が服装での好印象をアピールするのは当たり前だと思うんだが??? 

そしてそれを「ルッキズム」と批判するのはナンセンスでは?自分が好きな格好をするんだから良いでは無いですかね? 

むしろ受け手側の感覚の問題だと思うんだけど 

「女児の性的対象化に〜」って思う思考の方が怖い 

もちろん、そういう趣味嗜好の人は居るだろうけど、その人らが犯罪をするのが問題であって、子供達が好きな服着て着飾るのは問題じゃ無いでしょ!「そいつらを刺激するから、子供はかわいい格好するな!させるな!!」って言ってるのと同じよ 

 

 

・海外も制服があるのか。日本独特なものかと思っていたが。 

しかしこういうのもそうだが、言ったもの勝ちというか、声の大きさや誰が言っているかで本来とは違う解釈をされていってしまっている可能性がある。正直、こんな写真を見てそういうことを想起すると本気で思っているのだろうか? 

 

 

 

 
 

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