( 140118 ) 2024/02/17 13:32:42 0 00 会話が通じない「落とし穴」になりがちな、日本語の興味深い例をご紹介します(写真:Luce/PIXTA)
スマホ社会の現代日本。 若者たちは黙々と動画やゲームの画面と向かい合い、用事は絵文字を含む超短文メールを素早く打つばかり。 時間を割いて他人と会って話すのは「タイパが悪い」とすら言う彼らと、「生きた」日本語の距離がいま、信じられないくらい離れたものになっています。 言い換えるならそれは、年配者との間の大きなコミュニケーションの溝。 「日本人なのになぜか日本語が通じない」という笑えない状況は、もはや見過ごせませんが、「その日本人同士と思うところが盲点」と、話すのは、言語学者の山口謡司氏。
【こんなにある】声で聞きたい日本語
『じつは伝わっていない日本語大図鑑』と題された一冊には、日本人ならハッとする指摘が満載。
その中から、会話が通じない「落とし穴」になりがちな日本語の興味深い例を紹介してみましょう。
■メールに句読点を打たない若者たち
今の若者からスマホで来るメールは、ふつう句読点が打たれておらず、受け取った年配者は違和感を覚えることが多いのではないでしょうか。
言ってみれば、中高年の人々は「ガラケー・メール派」とでも呼べる世代で、メールの文面には、あたかも書類や手紙を書くように「、」や「。」をきちんと打ちながら綴る習慣がついています。
できるだけ短くした中にも自分の意図が正しく伝わるよう工夫して。
一方、現代の若者は「LINEネイティブ」であり、そこでは彼ら独特の書き方を実行してきた経緯があります。
すなわち、句読点を使用しない文です。
じつは、この一見「垂れ流し」とも見える文でも、むやみに「チャン」や「クン」などのカタカナを使わない――など、一定の了解事項が込められていることを、旧い大人たちは、ほとんど気づいてもいません。
なかでも「。」は要注意。
たとえば、若い部下が、休みの希望やその他の業務上のあれやこれやで、「~してもいいですか」と許可を求めてきたようなとき、「了解しました。」と「。」を打ったらどうなるか。
若い彼らにとって「。」は、怒りや不愉快さを表すもの、とされています。
これを「マルハラスメント」と言うそうで、略して「マルハラ」とも呼ばれています。
よりわかりやすい例を挙げると、食事会かなにかの開催で、幹事から「〇〇店はどうか」というLINEが来たとして、「いいと思う。」と返したのでは、「あまり賛成していない」というマイナスイメージに取られてしまうのだと。
本音として賛成ならば、「いいと思う」と、「。」をつけないのが、若者の正解。
より賛意を表したいなら、「いいと思う」のすぐ後に、相手が喜ぶような絵文字を添えるのもアリなのだとか。
少なくとも、それが現代若者のLINEルールなのだということを、年配者は知っておく必要があります。
会社においても家庭においても、コミュニケーションの食い違い・行き違いをできるだけ避けるためにも。
しかしながら、スマホ社会において、人と人との会話というものが、音声を伴わずして、字面(じづら)だけで取り交わすやり方が主流となっている現状に、日本人と日本語の今後に、一抹の不安を抱かざるを得ません。
小さな平たい画面上で、手短に打った文字に、送り手の感情はどこまで載せることができるのでしょう。
気持ちが伝わらなければ、無味乾燥なワードの羅列でしかない、と言ったら言い過ぎでしょうか。
■その人の顔が浮かび、声が聞こえる言葉
それでなくとも、いまや一人で黙然とスマホのゲームや動画に長時間費やす人々は増える一方。
他人と笑い合い、時には言い合いもする豊かな直接コミュニケーションの機会が減り続けており、一部では、若者の喜怒哀楽の表し方が乏しくなっているという危惧の指摘もあるほどです。
若者が喜怒哀楽のこもごもを上手に表出できなくなった一因として、コロナ禍でマスク生活が長らく続いた(続いている)ことも、少なからず影響を与えているのかもしれません。
マスクを着けたままでは声がくぐもってクリアに聞こえないし、目以外、顔の大部分が隠された状態では、表情をうかがうのはなかなか難しい……。
よく知られていることに、欧米人のマスク嫌いがありますが、口が覆われてしまっては、誰と話しているか不安で気持ち悪いと、聞いたことがあります。
そういえば、アメリカン・コミックの人気ヒーロー、バットマンやキャプテン・アメリカたちが着けているマスクは、目出しの上半分だけで、口は覆われていないもの。
それと結びつけるのは少々うがちすぎかもしれませんが、口の動きと声音から相手の感情を読み取ろうとする傾向は、日本人より強いのは確かなようです。
とにもかくにも、コロナ防止という社会情勢が強いたマスク着用の影響は、はじき切れないにせよ、スマホ普及と反比例状態の「生きた」会話の希薄さが、LINEにおける「。」添付の有無問題を生じさせているのだとしたら――。
私たちが大事にしている日本語は、そんなに底の浅いものなのでしょうか。
■「お前は息子でも何でもない」に込められた意味
たとえば「ばか」という言葉。
漢字で書けば「馬鹿」、あるいはカタカナの「バカ」。
スマホ画面では単なる2文字でも、そこに送り手の顔が浮かび、声が聞こえる気がするならば、さまざまな感情が受け手に伝わってくるはずです。
本当に罵っているのか、あるいは言葉と裏腹に甘えや愛しさを込めたものか……などなど。
文末に「。」があろうがなかろうが、機器相手ではなく、きちんと生身の人間相手と密な関係を構築している人には、きっと理解できるのではないかと思います。
そういえば最近、言葉に関する次のような話がたいへん印象に残りました。
昨年秋に亡くなった歌舞伎役者の父親(市川猿翁=三代目猿之助)を偲ぶ会で、息子の俳優・香川照之さんが初めて明かした告白です。
両親の離婚で、母親に連れられて幼いころ家を出た香川さんは、父親とは45年間絶縁状態にあったと伝えられていましたが、じつは25歳のとき、無性に父親に会いたくなって突然、楽屋に訪ねていったそうです。
「僕を見て父はひどく怒り、『お前は息子でも何でもない。帰りなさい!』と。
でも、その言葉は僕には『お前を愛している』としか聞こえませんでした」
まさに気持ちが言葉を凌駕している、としか言いようがありません。
こうした例もあることを踏まえれば、なおのこと――、「。」を打ったり、絵文字を添えるだけで、人と心からのコミュニケーションが取れていることになるのか……と、どうしても思ってしまいます。
今どきの新入社員は、電話恐怖症だという話をあちこちで耳にします。
■声で聞きたい、味わい深い日本語
知らない他人と言葉を交わすなんてそんなコワいこと……。
まして顔も見えないのですから、まぁ嫌がる気持ちもわからないではありません。
「LINEやメールで十分なのに、なんで電話を使ったりするんだろ」。
そう言った若者も知っています。
けれども、『声に出して読みたい日本語』ならぬ、「声で聞きたい日本語」とも言うべき言葉が、わが国にはたくさんあることを、ぜひ見直してみてほしいのです。
人肌の温もりがあり、そこはかとないユーモアがあり、憎めない言葉たち――。
それらが持つ味わいは、無機的な機器からは決して立ちのぼってはくれないと思われます。
日本の家庭では、そうした言葉は、お母さんの口から発せられることが多いかもしれません(我が子を諫めるとき、お父さんへの愚痴がつい洩れるとき、ほか)。
しかし、若い方たちは、どこかで聞いている言葉なのに、なんだか意味がわからないまま聞き流していることが多いようで、それは本当に残念なこと。
ほったらかしにせず、ぜひ意味をくみ取ってほしいです。
もちろん、理解されていないのに気づかず、独りよがりで言い続けているのは、日本の年配者の典型的な悪い癖なのですが、ここにそうした頻出例をいくつか挙げてみますので、世代をまたいでぜひ参考にしてください。
手始めに、2問ほどクイズを――。
【よく聞くお母さんの言い回し:力試しクイズ】 問:次の□の中は数字です。正しく入れてみましょう。 ★仏の顔も□度 ★□の□の言う (※答えと意味は、記事の最後に)
それでは、他の憎めない言葉たちも、紹介します。
■よく聞くお母さんの言い回し・例&意味
●言わずもがな……言うまでもない。言わなくてもわかることだ。また、言わないほうがいい、の意も
●御(おん)の字……うれしい結果や良い結果に、「しめた」「ありがたい」などと思うこと
●おんぶに抱っこ……人に甘えて全面的に頼ること。特に金銭面でのことに言う。幼児が「おんぶして」「抱っこ」して、と甘えてくることから
●それ見たことか……それ見ろ、私が言ったとおりじゃないか。自分の予想から忠告をしたのに聞き入れなかった相手に対し非難する言葉。思惑がはずれてしょげている相手をなじって、言う
●煮て食おうと焼いて食おうと……どのようなひどい扱いであろうと。気のすむように。好きなように
●言い得て妙……ある事柄を見事に言い当てている表現だ。実にうまく言っている
●付けが回ってくる……「付け」とは未払金のこと。その請求書が来るということから、放っておいた無理や不都合なことの始末、また悪事の報いなどがめぐってくる意
●つうかあ……「つう」と言えば「かあ」。つうかあの仲、などともいう。お互いに気心が知れていて、ちょっとの言葉だけで言いたいことが相手に伝わること。気持ちが通じ合う仲良し
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