( 140312 )  2024/02/17 23:35:43  
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・テレビの番組制作や内容に対する批判や提案が多く、中でも「人権意識が強くなりすぎると番組がつまらなくなる」という指摘が多く見られる。

一方で、テレビ局や番組制作者の姿勢や発言には疑問の声も上がっており、その中にはコンプライアンスへの配慮が足りないとの意見も含まれている。

 

 

・番組制作における人権意識の扱いや、規制や制限のゆるさについての議論が多く、視聴者の関心が集まっていることが窺える。

 

 

・番組や制作側によっては、苦々しいと感じる局面もあるかもしれないが、それに対しての批判や提案は番組に関わる多くの人々の意見を代表するものであり、重要な視点と言える。

 

 

・これまでのテレビ業界に対する常識や規範が変化しつつあり、その変化に伴って番組内容や制作姿勢にも変化が求められているとの見方もある。

 

 

(まとめ)多くの意見がテレビ番組制作やコンテンツに対して情熱的な議論を呼び起こしている。

人権意識やコンプライアンスに関する考察や不満の声が多く見られ、これまでとは異なる視点での議論や提案がなされている。

( 140314 )  2024/02/17 23:35:43  
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・面白いものを作る、攻める 

 

言葉は勇ましいけど、やってることは 

内輪盛り上がりバラエティ、学歴クイズ、 素人カラオケ、鬼ごっこ‥ 

 

本格的な番組を作って、新しいムーヴを 

引き起こすくらいの発想がなきゃ 

もうダメだと思う。 

 

まだテレビに影響力はあるよ、 

無いのはコンテンツを作る力。 

 

 

・『人権』という言葉がさす範囲が、人によって、また、場面によって大きく違うことが引き起こしているもんだいも多々あると思う。 

例えばブラック校則問題では、髪の色について挙げられることがある。 

1つは髪の色が生まれつき茶色の生徒が黒に染めるように指導されるというもの。 

これは人権問題であると。 

ところが、髪を染めてはいけない 

というのも人権問題だという人が多い。 

いや、ちょっと待てよ。 

髪の毛を染めてはいけないというのが厳し過ぎるという個人の感覚として主張するなら分かるが人権問題だと言えば、それは人によって分かれるところだろう。 

オシャレすることまで人権だというのなら、もう制服そのものが人権問題なわけで、果たしてそうなのか?と言うと意見が分かれるところ。 

もし、そういうレベルの『人権』に対しての記事の発言なら、理解はできるかなと。 

 

 

・それよりも 

利益相反を生む互助組織化してる株主構成を何とかしなきゃ。 

 

買収防衛策としてなるべくしてなったというだろうけれど 

特定の組織や事務所に配慮しなきゃならないのは 

こうしたステークホルダーが固定化してるからこそでもある 

 

 

・他人を陥れて笑いをとることしか出来ないのであれば、そこから見直そうよ。 

「人権意識が強くなりすぎると、番組がつまらなくなる」のは、「人権」というものの捉え方がおかしくなっているからだと思う。あとは、「面白さ」とは何なのか、そこからきちんと考え直して安易なものばかりを取り入れたり、流されないようにすればよいと思う。 

最近騒がれている件にしたって、結局、ドラマの原作を簡単に既に売れている物から持ってくることしかしないから問題になっていると思う。 

 

 

・昔はバラエティのフジと言われていたけど、フジテレビは既に終わっている。 

ビデオリサーチの2023年10月~12月の1クールの 

バラエティの【関東地区】週間番組平均個人視聴率ベスト10で、フジテレビがランクインしたのは僅か2番組。 

13週130番組で僅か2番組。 

6位小泉孝太郎&ムロツヨシ自由気ままに2人旅 

10位THE MANZAI2023マスターズ 

 

フジテレビ番組審議委員が松本人志氏の番組を絶賛しているが、松本人志氏、あるいはダウンタウンの冠番組、あるいはMCの番組はこの1クールで一つもベスト10に入っていない。 

相方が個人でMCしている「プレバト」は入っている。 

「笑点」「ザワつく!金曜日」「ポツンと一軒家」はベスト10の常に常連。 

フジテレビ「人々が見たいものを見せるんだ」は思い上がりで、あなた方の作っている番組が面白くないから、こういう結果になっていることを自覚した方がいい。 

 

 

・マスターゲティングができない社会になったということだ。FODに資源を集中させ、地上波は災害時専用、平時FODの宣伝専門にするなど、対処法はある。 

 

 

・根本的に話が違うと思う。 

 

人権を意識するのは重要だが、 

それは「義務」ではない。 

 

もちろん人権侵害に繋がるようなことをすれば叩かれるのも当然だが、 

それも覚悟してどうするか?を考えるべきだろう。 

 

やり過ぎれば視聴者やスポンサーが離れる。 

ただそれだけだ。 

 

今は少しでも批判があったら、結局のところ「収益に影響する」から「とりあえず謝罪して黙っとこう」という姿勢だから、自分の意見も何もなく、これは民主主義とは言えない。 

 

米国だって今はリベラルが強いだけで、批判の意見も当然あり、トランプを代表例としていつもバチバチやりあってるが 

日本は結局「声の大きいクレーマー」が人権を「錦の御旗」として振り翳せばどのメディアも一斉に「右向け右」と黙り、これではまともな報道も世論もあったものではない。 

 

放送法での縛りで批判的なテレビ局も作られず、これは「思想統制」に近いと言っても過言ではない。 

 

 

・フジテレビの番組審議会は、お台場にあるフジテレビ本社の会議室で開催していると思ったのですが、有名ホテルで行ってたのですか、本社内で開催しついでに社内見学をさせても良かったのではと思いました。 

 

 

・テレビにこだわる必要はない。 

時代の流れで廃れるものもあれば流行るものもある。 

ラジオの地位をテレビが奪ったように媒体が変わればパワーバランスは当然変わるものだ。 

以前の地位にこだわるのではなくテレビならではの強みを大事にした方がいい。 

 

 

・例えば昔のクレイジーキャッツの動画などを観てみれば良いのですが、品性や文化教養のある、誰も傷付かないのに馬鹿馬鹿しい笑いに満ちています。 

そういう大人も笑ってしまうような番組が国民的な人気だった頃のほうが、平和だと思います。 

 

怒鳴り散らす、頭を叩く、相手を貶めるといった笑いは、クレイジーキャッツなどの前時代に対する単なるカウンターカルチャーであって、実は幼稚としての居直りでしかありません。 

 

過激さも、結局飽きられます。 

なにごとも楽をしてはいけないということ。 

 

 

 

・だいぶ前のことだけど深夜のテレビで落語をやっていた。 

確か立川談志だったと思うが、話の途中で音声が何度も何度もカットされたので、面白いかつまらないかの前に、どんな話なのかすら全くわからなかった。 

 

倫理上カットするのも仕方ないとは思うが、最近は話の奥行とか物事の本質を読み取れないような人が多くなった気がする。 

 

 

・昔はSNSなんてものが世になかったから、ダイレクトに世間から批判もされなかったし批判が拡散されることも起きなかった。 

今はそれがあるから攻めた番組を作りづらいってことでしょ。 

スポンサーも絡んでくるわけだし。 

つまり90年代までのインターネットがない世界に戻らない限り解決はしない。 

ジェンダー問題も、差別問題も、やたらと過剰になりすぎてる要因の一つにSNS社会がある。 

便利である反面、良くない習わしを多数派に導ける危険なツールともいえる。 

人々の思考を簡単にコントロールできてしまうのがSNS。 

特に日本の10代〜30代の若い世代が簡単に情報に洗脳され、洗脳されていることにすら気がついていない。これがSNSの恐ろしいところ。 

 

 

・テレビがもつ影響力は強い。 

例えば、凶悪犯罪ばかり報道すれば世間は「近年犯罪が多くなっている」という印象を受ける。 

しかし実際は、犯罪件数は減少傾向である。 

また、凶悪な犯罪者が捕まれば、世論は死刑にしろという意見が多くなるが、酷い冤罪事件だとわかると、死刑制度は再検討すべきという意見が多く出る。 

それだけテレビは事実を放送するだけでも、違った印象を視聴者に植え付けてしまうほど影響力は強い。 

 

そして、人権意識が強くなると番組がつまらなくなるという。 

それは昔のような過激な演出、差別的発言、行い、パフォーマンスなどで高視聴率を取っていたという認識の上での発言だろう。しかし、そういった番組を放送すればテレビのもつ影響力で悪影響を及ぼす。そんな番組しか制作できないのなら、つまらなくてかまわない。 

 

 

・ある意味正論かもな。綺麗ごとばかりで面白くなるほどエンタメは甘くないし。ただアクの強いものばかりだとやっぱり食傷気味になりそうだけど。人権意識強いのものもあればアクの強いものもある。色々な方向性のエンタメがあるから毎日テレビを見たくなるようになると思う。あとは視聴者が何を選択するかに任せればいいんだよ。本当にみんなが求めてるなら色々な番組があるなかで人権意識強い番組とやらが視聴率を取るはずだし。自由な発想のなかで利用者によって淘汰されていくからその分野に発展があるんだと思う。 

 

 

・一番の問題はどのTV局どのメディアでも視聴率とPVを取るのに異常に固執している所だと思うなぁ…これがどの番組構成や人選をミスしがちだと思うし、時代に合わせると言うのがワンテンポ遅れていると思う。また出演する芸能人や俳優、コメンテーターも状況状況に合わせアップデート出来ない人が多いように見受けられる… 

 

 

・規制が厳しいから面白い物が作れないっていうのが 

以前はよく言われていたけど 

最近の特にネット配信での規制が緩い事を謳う番組を見ても大して面白くない 

よく考えれば漫画やアニメやゲームも別に昔と比べてつまらない訳でもなく 

コンスタントにヒット作が出て海外でも評価されているのを考えると 

何故日本のバラエティだけがそんな事を言われていて 

だから仕方がないと、本当は面白いのにと言われるのかよくわからなくなった 

単純に実力がなくなった事の免罪符に使われてるようにしか感じない 

 

 

・テレビは世の中の価値観を反映して作られるものではあるが、一方でテレビの影響力は大きく、テレビ放送が世の中の価値観=常識を作り上げていく面もあることを理解せねばならない。 

「差別」「いじめ」を解消させようというのが今の価値観=常識であろう。 

テレビがその流れに竿をさし「差別」「いじめ」が許容されるかのような放送を行うことは、もはや許されないと考えるべきだ。 

 

しかしドラマなど「フィクション」の枠組みの中では自由な表現が許されている。それこそ人が殺されても、背徳的なストーリーでもそれが「フィクション」であるがゆえに許されている。自由な表現を追求するならドラマなどの形で表現すれば面白い番組はたくさん作れるのではないか。 

実際面白いドラマや映画は常に作られて続けている。 

 

 

・自分の実生活を思い浮かべてもまず人の反応を見て皆が会話に参加しているかどうかなど気を配りながらユーモアを表現できる人があまりいない。 

手近な人をいじったり過激なことを言って面白い風に見せかける自称面白い人ばかりだから、それこそがお笑いであり楽しいことと勘違いする人が多いのだろうか。 

コンプラに逆らえば面白いわけじゃないよ。 

 

 

・最近の人権、多様性確かに大切だし、それで傷つく人もいるが一方で、自分のモノサシに合わないものを、排除してるようにも見える。そういう意味では言ってる本質はわかるし、みんなでみえない自分達で作り出した敵と戦って苦しんでいて、どこを目指してどうなれば理想郷なのかが見えないよなー。わーわーいってるだけで。人権や多様性がわかんないひともいる、それを認めるのも広い意味で多様性じゃないかな?バランス感覚って難しい。極端に振れ幅過ぎて。。。人権、環境、共生。。。 

 

 

・昨今のTVの面白さが無くなったのはあまりにもクレームを気にしすぎるからだと思う。 

そもそもTVに品なんて必要?と思うので万人ウケなんて狙わずに面白いと感じるものを素直に表現して欲しい。 

そこに多少人権がとかコンプライアンスとかあったとしても笑えたならばいいと思う。 

昨今のハゲもダメとか言い出す人がいるとかなんてナンセンスだと思う。 

個人的に老眼になったけどメニューを遠目に見てるだけで笑ってくれる人も多い。 

なんでもかんでもアカンが多すぎる。 

 

 

 

・コンプライアンスやハラスメントの線引きが曖昧すぎて、具体的なルールになってないと感じます。BPOも後から言うだけでなく、番組制作に加わるなど、後出しの注意ではなく率先して介入しても良いのでは?と思います。 

 

 

・最近のテレビ番組は安易というか安っぽいというか、そんな感じがする。人気のある芸人なんかをMCに据えて、スタジオでVTRを見てちょっと喋って終わり。番組内の1企画が当たればそれに費やす時間を増やして、気がついたら1番組全部そればかり。タレントか制作か、誰がめんどくさがってるのかわからないけど、そういうのって視聴者にはバレるんじゃないかな。 

 

 

・昔はドリフターズやひょうきん族のような「腹を抱えて笑える」番組があり毎回楽しみにしていたが、現在はそこまで楽しみに待つ番組が無くなり大笑いする事もなくなった・・・。 

 

人権や規律は勿論大事ではある。だがお笑い番組等においては少なからず枠からはみ出る表現が含まれるからこそ笑えるし楽しめる部分もあると思うし、それを取り払ってしまうと「笑顔の無いつまらない」番組や世の中になってしまうのではとも思える。 

 

 

・何だかんだ言っても、世の中は老若男女で成り立ってます。 

健康な人、病気の人もいます。 

それぞれ共感できる物事には違いがあって当然です。 

その違いを認めて受け入れていくことが本当の平等なのではないでしょうか? 

万人に共通する価値観なんて存在するわけがありません。 

 

 

・今の若者はテレビより、YouTubeやSNSだろ。 

YouTubeやSNSよりテレビの方がコンプラを重視している。 

SNSはザルなのにテレビだけ規制してもそれだけでは意味がない。 

 

また、最近の素人アクシデント動画で笑いを取るのはOKで一昔前の笑いはNGというのはどうかなとは思います。 

 

 

・>>人権意識が強くなりすぎると良い表現ができなくなり 

「俗悪番組」をやり玉に挙げたのはPTAなどの、一定発言力のある全国的な団体でした。昔から「良識ある」人は問題を指摘しましたが、メディアではスルーされていたと思います。 

それがSNSの普及で事情が変わり、個人の発信がネット経由で拡散されるようになりました。だから、これまで無視できていた声をテレビは無視できなくなった面もあると思います。 

また、本当に人権意識が過剰に強くなっていると感じているのなら、テレビ局としての見解をもっと示すことも必要でしょう。でも、「そんなことをしたら余計炎上する」と事なかれ主義で萎縮しているだけかもしれません。 

 

 

・人権意識が強くなりすぎると良い表現ができなくなり、テレビ局の挑戦も締め付けられ、番組がつまらなくなり、世の中から見捨てられてしまうのではないか。今の世の中その中で、みんなが生きているのでは?コンプライアンス、セクハラ、パワハラなんて昔はなかったのでは?今はその中で誰でも生きているのでは?業界だからなんて通用しないのでは? 

 

 

・コンプライアンスの中で、人権保護に関するものと、一般的な表現に関するものを分けて考え、前者は極めて厳密に、後者はある程度緩く扱えばいいんじゃないでしょうか。 

 

フジ関連の番組で毎年のように出演者から犠牲者がでていることは、重く受け止めてほしいものです。(自分はそのたびに放送免許をとりあげろと言ってますけどね) 

 

文句を言われてそこで済む程度なら、大目にみれば? 

 

ただし、NHK教育のような「学び」を面白さにできないようなら、低俗なおもしろさでしかないですね。 

 

 

・個人的にはコンプライアンスを緩くするなら、お笑いの比率を下げるべきだし、 

今のような右を見ても左を見てもお笑いの状態では今程度のコンプライアンスは維持されて然るべきだと思う。 

昔が緩かったと感じられるのは、相対的にここまでバラエティーが無かったのもあるのでは? 

あと攻めたという炎上を味わいたいなら、もうネットを見た方がいいよ。 

あくまでテレビは「公共」物ですから。 

攻めたものはお金を払って有料で見るかネットで楽しめばいい。 

 

 

・ホテルオークラでの正午からの会議だからランチを食べてからの懇談か、懇談してからのランチか、いずれにせよ真剣に議論するという会ではなさそうだ。そもそも議事として「2023年11月発生の事件を報じるニュースで、容疑者として別の人物の顔写真を誤って放送 」という放送事故事案があがっているが、この事故について委員がコメントした記録はない。いかにフジ幹部との懇談のための会合かが窺える。 

 テレビがつまらなくなっているのは確かだが、人権やコンプライアンスのせいというよりは、訳もわからず非難炎上だけを避けたいと思っているから窮屈なのではないか。フジが世間に受けていた80年代、90年代には今で言うコンプラ軽視の番組で受けていたと思うが、それ以前はテレビのタブーは結構あった。ある意味でテレビという媒体が伝えられる内容に制限が戻ってきたので、人権はほどほどに、という意識でテレビが面白くなるとは思えない。 

 

 

 

・フジテレビ凋落を示す象徴的な番組のひとつがめちゃイケだった 

ある時期までは岡村隆史をはじめ武田真治に至るまで自ら全力で身体を張って臨んでいたからこそ奇跡的な笑いが生まれていた面があるように思う 

めちゃイケもヨモギダ少年愚連隊など素人をイジる企画はあったけどもそれ以上にメインのメンバーが身体を張っていたからイジりにそれほど嫌悪感を抱かなかったのでは 

メンバーの加齢や岡村の療養などもありある時期からは身体を張る企画がなくなっていき番組の輝きも失われたように感じた 

ジャルジャルが岡村にボールをぶつけ続けて炎上したのもめちゃイケならではの「メンバーが身体を張る笑い」ではなかったからだろう 

人権コンプライアンス云々考える前に過去の番組がなぜ受けたのか再考するほうが面白い番組作れると思うが 

 

 

・フジテレビは、あの黄金期の深夜番組が好きで本当によく見ていた。 

「カノッサの屈辱」とか「たほいや」とか あと「三番テーブルの客」とか 

こういう独創的で楽しみに溢れた企画が 

人権意識が強くなりすぎたから作れなくなったわけではないと思うけどね 

 

 

・テレビが人権に縛られているかは、今般漫画を原作としたドラマで起きた出来事で著作権を蔑ろにしていることが明らかになったことで怪しいと思うようになりました。 

 

勝ち組であることを述べられていますが、それを併せて思い浮かべてみると、 

 

テレビの世界はその内側で内心で著作権や人権を大事だと思うから手足を動かせなくなっているのではなく、凄む力の強いもの声が大きいものつまり力に弱くなんでもかんでも自粛し当たり障りないことでやり過ごすことを志向し、つまりスポンサーや行政やクレームには不当であっても尾を巻き従い、いっぽうで弱いもの大きな声を上げ(られ)ない存在には人心がないほど驕ったり不遜に振る舞い、相手の正当な著作権もそれこそ人権も足蹴にして平気、テレビ自身がそうなって来て今、ということなんじゃないかな、と思いました。 

 

見直すべきは社会ではなくテレビ自身、改心するべきというほどに、なんじゃないか。 

 

 

・新しい壁を乗り越えるからこそ新たな話題ができ視聴者が見たくなります。世間は新しき方向に向かっていますから、発言の放送局の規格では相手にされません。 

この発言者はテレビ局が今迎えている新時代を切り開く的確な審議委員には当たりません。 

 

 

・「攻める」とかっていかにもフジのテレビマンが好きそうな表現だな。要は怒られるか怒られないかのギリギリのところを狙うってことで、それをやらないのはツマラナイってことなんだろう。まるで中高生が、親や先生、警察に怒られないか、ヒヤヒヤしながら犯罪スレスレのイタズラをやるような感じ。 

非常に幼稚な感じで、大人になったなら、人に迷惑かけず、もうちょっとまっとうに生きろよって思います。 

 

 

・面白いよね 

「面白く無い」と言いながらも電源を押す人(笑) 

視聴義務も無く 

視聴料を払っても無いのにテレビしがみつく人 

 

制作側は、視聴者に合わせて制作すると喜ばれるのは間違い無いからターゲットを絞った制作に走れば何とかなるんじゃないかな 

 

 

・そんなにコンプライアンスを苦々しく思ってるなら、スポンサーなしでやりたいような番組を作ってみればいいんじゃないの。大ウケして視聴率もすごく高ければ、口出ししないからスポンサーさせてくださいといってくる企業が出てくるかもしれない。 

 

ま、時代に合わせられないのは自分たちの創意工夫が足りないだけだと思うので、やりたいことをやれる環境を求めて、テレビ局を離れるのも選択肢だろうね。ほんとにやりたいことがあるなら、だけどさ。 

 

 

・いやいや、ズレ感、ではない。これは重要な本質である。 

この間も、ディズニー映画が全然面白くなくて、失笑を買っていた。 

人権という人工物が、真実を覆い隠して、人権活動家のいいように利用されていると多くの国民が気づき始めている。 

人権意識が、ということなのか、人権活動が、なのか、言葉の選び方はあるかもしれない。しかし、「行き過ぎた人権」があることは、もはや隠せない事実である。 

一方的な人権、マイノリティの人権、弱者の人権、と言いながら、多数者に対して、優越や特権を手にしようとしていると多くの人がわかってしまった。 

これからの人権は、少数者のためではなく、多数者の視点で語られなければならない。なぜなら、人権とは、全員に等しくあるものだが、今は、少数者のためにだけ拡大しているからだ。 

 

 

・テレビはネットと違って、コンプラにしばられてるから自由にものを作れないってよく言うけど、今どきネットもすぐ炎上するから、わざわざ変なことをやる人は減ってるし、個人であってもすぐ拡散されて叩かれてしまう 

過度なクレーマーみたいなのは問題だけれど、どこを向いてもうるさいのはテレビだけの話じゃない 

作り手の人権についての指摘どおり、自分たちに人権感覚がなければ、ジンケンジンケンと言われたところで、得体のしれないものに振り回されているような感覚だろう 

また、テレビの違法アップがネットでバズったのを「人気の◯◯」と何も考えずに逆輸入していては、他人の著作権は尊重できないだろう 

 

 

・言葉は道具。 

道具だからあると便利だから作られた。 

人権と言う言葉も。 

何のために作られたか。 

基本、世の中は自由。弱肉強食。 

弱い者は虐げられる。 

だから、虐げられないように人権と言う言葉を作った。 

平等に通じる。 

強い者も弱い者も平等に人権がある。 

むやみに虐げるのを止めさせるため。 

しかし、平等は理想であることは明らか。 

理想の修飾語のついた人権が可愛そうなことになっている。 

訳の分からないことになっている。 

人間、人それぞれ。 

人それぞれの人権なんか誰も理解できない。 

なのに、偉そうにその言葉を振り回す。 

訳が分からいのだから、遠慮がちに振り回せば良いのに、偉そうに振り回す。傷つく人が沢山出る。 

現状はそんな状況。賢くないことだけは明らか。 

 

 

 

・そもそもスポンサーや有名芸能人の子女らが多く属するキー局社員が貴族や王族の様に君臨し、実際の番組は制作会社に丸投げというピラミッド型の既得権構造を壊さない限り、今後もTVで魅力的なコンテンツが作られる事は期待できない。 

 

 

・人権意識を持つことは大切なんだけど、ダブルスタンダードが横行していたり、白黒の線引きが曖昧だったりで、頭の悪いクレーマーに過剰に迎合した事勿れ対応になったりしていることが問題だと思いますがね 

 

 

・確かに人を貶めて笑い飛ばす番組を見て嫌な思いをする事もあるが、基本嫌なら見なくていい、それを楽しみにしている人もいるし、それが子供の教育に悪いと思うなら、それは親の教育に問題があると思います、人殺しの映画見て普通の人は人を殺したいとは思わない、家庭内教育をテレビのせいにしないで欲しい、そんなことをネチネチテレビ局に言ってくるような人はろくな親でもないと思います、子供は親の教育が最も影響を受けるからです、テレビではなく普段の人権をしっかり、教育してください。 

 

 

・バラエティ番組に関して言えばお色気シーンがなくなったり何故か東野の天パにあんかけをかけるシーンがあるなどおふざけも必要だと思うけど 

報道(ニュース)番組は一切の演出は要らんと思うし関係者の人権を最大限配慮して 

被疑者の写真を取り違えるレベルの人権蹂躙を行った誤報があれば担当記者を解雇する責任感も必要でしょう 

 

 

・語弊無く言えば、突拍子も無い事や世界の事故事件の面白動画を集め視聴者の興味を引く番組が増え、堅実に計算された番組が激減してる。他力本願な番組作りが、多すぎると思う。自身で責任を負いたくないのだろうが、映像媒体を世界中から購入しナレーションと司会者の手腕で何とかしてる番組がやたらとある。 

 

 

・人権意識が強くなりすぎると、番組がつまらなくなる。 

それはその通りだけど、第四の権力として腐っている。規制改革を唱えながら、自分の規制は改革しない。主張は一方的で反対意見は無視。いつまでたっても両論併記はしない。 

 

人権意識より、自分たちの意識を変えないと。 

 

 

・別にその感覚はズレてはいないですよ。 

独占状態の電波を使いスポンサーのお金で作るコンテンツはそれが出来ないっていう話です。 

制作側だけでなく演者もそれを分かってない方が多いです。 

造り方と発信する場所を変えましょう。 

 

 

・実際、品のない番組が年々減っていき、教養めいた番組などが増えた感じはありますね。 

 

とはいえ、品のない企画はいつの時代も需要があるわけで、一部の人たちがYouTuberとしてその受け皿になった印象があります。 

 

 

・かなり前に 「テレビを見てたらバカになる」ってコメントを読んだことがある  

当時は ピンと こなかったんだけど 今は わかる 

 

報道 ニュース 情報系は 野次馬目線が強すぎ 大袈裟で 

まるで 印象操作しているようだ 

視聴者に合わせてるって言われればそれまでだけど・・  

 

バラエティも見てたけど ほぼ見なくなった  

「笑わせる」が人気芸人だったのが いつからか  

「笑われる」のが人気芸人に 変わったあたりかな  

これ自体も 人権意識の低さを感じるところもある  

 

でも バラエティに関しては もとに戻ってほしいとは まったく思わない  

人権意識が強くなりすぎる云々で 番組がつまらないのであれば それでいいかな 

 

 

・「人権意識が強くなりすぎると、番組がつまらなく…」フジテレビ番組審議会が物議を醸した“ズレ感”の本質 

 

責任転嫁の典型だ。 

番組がつまらないのと、人権意識とは、別個のものだと思う。 

なのに、自分たちが都合のいいように、自分たちの一方的な価値観を押し付けて、上から目線で人権?をいじって、上手くいってたと過信していたんだろう。 

偏差値40を照準にしてこれまでやってこれたけど、それが行き詰ったというだけだろう。 

以前から、テレビに対して不快さを感じてる人は多いはずだ。 

過激な人権団体だけじゃなく、上から目線のメディア団体に不愉快さを感じてる人は、どのように訴えればいいのだろう? 

 

 

 

・このライターさんは過去に『ファミマ「お母さん食堂」抗議、高校生の声を封じ込める感情的な大人たち』という記事を書かれていた方ですね。 

かなり偏った思想を”絶対的に正しい”と主張する独善性の強い方のようですね。 

 

>拒否反応を起こす人がいる前提で、それを包摂し乗り越えるための教育が必要であり、 

 

この上から目線で、「お前たちを啓蒙してやる」という感じはよろしくないですね。 

 

「人権意識が強くなりすぎると、番組がつまらなく…」これは別にズレてはいないと思います。 

 

その証左に、ポリコレやコンプラに振り回される状況をコメディタッチに描いているドラマ「不適切にもほどがある!」が、大変注目されています。 

 

海外でも過度にポリコレやコンプラに振りすぎたディズニーは不振に陥り、軌道修正を余儀なくされています。 

 

 

・第一に人権、というのも何かなぁとは思う。 

普通を語れば「普通から出ている人のこと考えたことないのか!」と言われ、「普通」という言葉自体使えなくなる時代が来るのも遠くない。 

人権による表現の過剰な抑圧は心の豊かさを削る。 

 

こういう書き方もいずれ反人権的として弾圧される対象となる時代が来るのだろうな。 

 

 

・これはテレビ局の断末魔か。 

もうダメだってことか。 

テレビがつまらなくなったのは、人権意識の高まりが原因ではなく、企画力や制作力が弱くなったからだよ。 

その象徴が、マンガや小説のアイデアだけを利用して、テレビ流に原作とは違ったものに仕上げることだろう。 

また偏向報道が激しく、ネットが普及してから容易にウソがばれるようになり、信頼を失ったからだ。 

テレビがつまらなくなったことをほかのせいにするなんて、相変わらず自省しない体質が続いているってことの現れだと思う。 

 

 

・テレビは民衆のシャーデンフロイデの上に成り立って来たって事実があるからね。 

例えばちょっと前まで「抱かれたくない」だの「キモい」だのって散々言われてる芸人を引っ掛けて酷い目にあってるのを観て「ザマァ!」とばかりに笑ってた視聴者も多いだろう。 

そういう番組で「きちんと本人の了解取ってやってます」って注釈付けられてたら正直興醒めな訳。 

お笑いもネタでどう面白いか?なんて一々説明してたらシラケるのと同じで。 

だから人権人権って縛られてたら詰まらん物しか出来ないよね?って思考になるんだろう。 

 

 

・ジャニーズ問題を受けて、高い人権意識を持って取り組むと仰っていましたが 

誰に向けての話だったのでしょう? 

 

これじゃ、「TV視聴者ってそういう人権意識の低い奴等なんで、相応の娯楽を与えてやってるんですよ。」 

 

というのが製作者の本音ということになってしまうと思うのですが、 

それでよろしいのでしょうか? 

 

 

・この内容だと審議会も局への忖度が前提と興醒め… ダメなものはダメ、反省や失敗がどう反映されたか自分らが明確じゃない、BPOが自主規制もダメ、勝ち組じゃ無くタダ同然の放送権料に胡座をかいてきたのでは?、ワイドショーや報道の在り方にスポンサーの局離れが加速しただけでは?、松本が居なくなって局員が安堵しているらしい体質が劣化している証では? 

 

 

・内輪の議事録が外に出るのがかわいそうな気がするが、迂闊な発言と取られても仕方ないわな。 

 

人権を軽視した時に誰が一番制限迫害に遭うのかといえばそこの会議の参加者たちだということがわかってるんかな?と。 

 

コンテンツそのものの衰退の原因は結局創ってる人たちの力なんやなってよくわかりますな 

 

 

・人権侵害は駄目なのは当たり前として、人権侵害では無い事や創作物にも、人権侵害につながる可能性があると決めつけてバッシングする人たちが一定数存在して、そちらに配慮させられているのが現状。 

表現規制を繰り返しているとただの閉鎖的な社会になるだけ。規制を喜ぶのは誰かって事だな。 

 

 

・いろいろ批判はあるけどNHKを見てみろ。丁寧な作のドキュメント72時間、ギリギリを攻めまくるねほりんはぽりん、実は制作費が安いけど深いブラタモリ、意外性の番組2355、0655、24時間テレビに喧嘩を売ったバリパラ、ドキュメンタリーやサイエンスのわかりやすさ、面白さ。 

 

民放は自らの企画力のなさをコンプライアンスのせいにしているだけ。 

 

 

・別に今更テレビが無くてもほぼほぼどうでもいいだろってことだけどな。「人権意識が強くなりすぎると、番組がつまらなく…」って言うなら「面白ければ人権とか人を馬鹿にしてもいい」って考えなのかね?だったらテレビは報道以外は必要ないでしょうね。 

 

 

 

・コンプラ云々言われて久しいですが、肝心のテレビ側がこの体たらく… 

 

元々必要であり、不快に思っていた番組作りのアレコレが、コンプライアンスという単語を得て顕在化しただけなのですがね。急に堅苦しくなった、自由度が無くなる、つまらなくなると「人を馬鹿にしない、傷付けない」を軽視した結果ですよ。 

 

何でもそうだが、一般常識の中で生活していれば校則も、刑法も全く気にせず生きている人がほとんどであり、あれこれ裏をかこうとするから引っかかり文句を言う。屁理屈をこねる。ホリエモンやマスクおじさんもそうでしたよね? 

 

 

・「昔の方が面白かった。自由だった」というのは結局のところ声を上げてもかき消されてきた人々の涙の上に成り立つ「面白さ」であって 

ネットはその方々の声を届けられるようになっただけで別に新たな声が出てきた訳では無い 

それでもそういう番組がやりたいというのならネット配信で好きなだけやればいい 

その場合スイッチつければ嫌でも目に入ってしまう可能性があるパブリックなメディアからは降りていただくしかない 

 

ちょっとワガママすぎやしませんか? 

 

 

・まぁYoutubeやTikTok等がテレビと同等のコンプラ意識になれば、また変わってくるよ。 

審議会がやることは、違法動画アップしまくりの会社は海外の企業だから早く制裁かけるように動くことが大事だ。 

 

 

・問題は当人が笑われてるか笑わせてるかが問題で外野が言うかとではないのに無駄にかつ過剰に反応する世の中がダメ。ドリフターズの総集編してたけど、なぜあれは許されるの?なぜならいかりや長介、志村けんなら許される。だからでしょ。バカ殿の昔は凄かったよ。(コンプライアンス無視でしょ)でも美談(コロナ)で亡くなった志村は許されます。 

 

 

・結局学校のクラスで人気のワンパクいたずらオモシロキッズがそのまま大人になって番組つくっていたってこと。 

 

学校ではイジリも、からかいもオモシロければ勝ちみたいなドメスティックなルールがまかり通る人権意識など無いいわば小さい治外法権。 

それを世の中が変わっても続けていたからズレが生じる。 

 

そしてその者達は考え方が学校のキッズと同じだから番組がつまらなくなる理由をそんな言い訳で取り繕う。 

 

ま、それを一緒になって笑い楽しむほうも同罪だがね。 

日本人は未だにテレビなどに固執する者が多いから、「こどおじ」どころか全体として考えが幼い者が多い。 

人権を含む社会問題、政治、経済に何かしっかりとした視点と意見を持つものも少ない。 

いつまでそんな感じなのかね。 

 

 

・今のフジテレビの番組は、本当につまらない。それは、ジャニタレかアイドルのお嬢ちゃんかちっとも笑えないお笑い芸人が出演して、ただ悪ふざけをしているだけのような番組が多いからだ。人権意識とは関係なく、斬新なアイディアもなければ、予算もかけていないからつまらないのだと思える。 

オジさんの「昔は良かった」式に言わせてもらうと、「冗談画報」「カノッサの屈辱」など、次の放送を心待ちにするような面白い番組を、かつてのフジテレビはいくも抱えていた。「冗談画報」はともかく、「カノッサの屈辱」のような番組は、現在のコンプライアンスの下でも面白いものができるのではないだろうか。フジテレビがなぜつまらなくなったのか、フジテレビ自身は理解していないように思える。 

 

 

・視聴率を稼ぐ方法は、いつもきまって、人気タレント(高い出演料) 

そして、出演者が問題を起こすと、総叩き。 

もともと、出演者頼りの番組しか作ってこなっ方のだと思います。 

 

テレ東さん辺りは予算が低いので、高い出演者はいなくて工夫で番組を作っています。そもそも、金に物を言わせてきたテレビ局。 

想像力、創作力は乏しいはずですね。 

 

 

・ま、フジだけじゃなくメディア全般に言えることだが、ズレが大きくなりすぎてもう修正不可能なところまで来ているよね? 

 

日テレ×小学館の汚ねぇコラボもそうだけどね。 

社会とのズレをズレと思えてないし、ズレを許容される特権階級と思っているフシがある。 

こうなると、一度焼け野原にしないとダメだろうな。 

 

元々マスコミなんざ「売文稼業」と言って卑下される存在だった。 

戦後までは。 

 

それが広告代理店と組む日本独自の形態となり、ビジネス的に成功したもんだから、壮大な勘違いをしたわけで。 

俺たちは偉いんだぞ!とw 

 

まぁ、それにつられて高学歴の人材が押し寄せたわけで。 

勘違いするのもムリはない。 

 

で、高学歴だか社会経験皆無な人間が、ズレた意識のまま役付になり増長していく。 

周りを見下す。 

 

こうなりゃ何をカイゼンしてもムリ。 

ビッグモーターよりも深い闇だわな。 

 

 

・実際つまらんやろうな。気をつけるレベルなら理解できるが。義務化するとそれ以上に過剰に抑圧される。 

テレビ局はスポンサーシステムを変革してスポンサーに迷惑がかからない形で運営できないと誰も見なくなるだろう。 

AbemayaraYoutubeの方が自由にのびのびできてる。 

 

 

・うん、その通り。テレビはもうオワコン 

 

せめて自分の意思で観るコンテンツくらいはコンプライアンスレスで良いと思うのだが、そこにまでモラルを押し付けられる。 

 

もう社会全体がつまらなくなっている。 

 

 

 

・そうではなく、「田中さん」の件は「原作者さんとの契約内容や意見を無視してやった事」に対してだし、もはや「テレビマンが「これは面白い!」と考える事」が「センスが古すぎて視聴者はクスリともしない」ことに気づいて無いだけでは? 

 

 

・産経新聞とフジテレビ。 

 

自民党忖度一辺倒で裏金や癒着を放置。 

 

旧統一教会に至っては、「世界日報」を吸収合併したり 合同結婚式を宣伝したりと、云わば「関連団体」。 

 

ジャニーズ性加害に関しても沈黙と擁護に終始。 

 

今回の人権軽視を含め、本当にこんな不遜な団体を、全国規模の報道機関のひとつとして扱ってよいのかどうか、広告企業がまず真剣に考えていただきたいものだ。 

 

視聴者の「見ない」や読者の「買わない」以上に、企業の「広告出さない」こそ効き目のあるお灸ですから。 

 

 

・少なくとも、他人を笑いものにするエンタメは公共の電波で流さないでほしい。 

それを見た笑う人は少ない方が良い社会。 

 

他に娯楽の乏しい時代の田舎の中卒じゃあるまいし、面白いからテレビを見ている訳ではないので。 

 

 

・人権以前に著作権法違反で、しかも契約違反。犯罪を犯しているという自覚がない。動画サイトでぷじテレビ作ってフェイクニュース流しても文句言わんとフジテレビは言うのか?企業と違って立場の弱い作者を守るための法律。フジはこんな状況で堂々と改編して何が悪い?といっているのを自覚してるのか? 

 

 

・人権を軽視しているような、そんなゆるいノリでやってるからつまらなくなるんだと思うよ 

今のままなら、不快なだけならまだしも、つまらない 

 

真剣に真っ正直に、あるべきように向き合っていけば、絶対に面白くなる 

他人の権利をないがしろにするっていうのは、誰だって気持ちがいいはずない 

 

 

・「審議会」? 委員がコメンテーター、脚本家、タレントって、身内のお手盛り会議みたいなもんじゃない。どこが審議なのか。これでよしとしているフジテレビは論外だが、この面子ではこのレベルの内容の話をしていても不思議ではない。しかしこれを恥ずかしげもなくネット上で公開しているというのもあるいみ凄い(笑。 

 

 

・人権って意識の問題なのかな? 

人類が近現代にかけて整備していったもので 

権力から人々を守るために欠かせなくて 

民主主義の根幹にもなっているものでは? 

今のグローバル社会の礎もそこだと思う 

 

「人権意識」ってなに? 

感覚が昭和のままなんだろうね! 

 

 

・何年か前に女芸人に、罰ゲームで尻に吹き矢というものがあった。あれには本当に驚いた。針を大事なところに刺すってどういうこと?全然おもろくない、イジメだと思った。全く意味がわからない。 

 

 

・テレビは無料で見られるのだし、嫌ならすぐにチャンネルを変えられるし、消すこともできるのに、苦情を言う人の気がしれない。自主規制も異常なくらいに感じます。 

 

 

・「人権意識が強くなりすぎると良い表現ができなくなり、テレビ局の挑戦も締め付けられ、番組がつまらなくなり、世の中から見捨てられてしまうのではないか」 

 

訂正 

「人権意識が低くなりすぎると倫理感に欠ける表現ばかりになり、テレビ局の制作するものは粗悪で幼稚なもので占められ、番組がつまらなくなり、世の中から見捨てられてしまうのではないか」 

 

 

 

・人権だけでないよ。もはや言葉を発すること、コメントを出すこと、全てOUT。世に出れば、賛否両論。このままでは人類は、進化か退化かわからないが、言葉を失う危機。片方だけに偏ったマスコミ.メディアのせいで、報道の自由を優先するあまり、完全に言論の自由が侵されている。それに気がつけない我が国のマスコミ.メディアに明日はないし必要なし。何でも欧米の言うことが正しいという姿勢にはうんざり。悪の枢軸たちの言っていることも勉強しな。たまには国益にかなった正しい意見もあるのだから。 

 

 

・若者はすでにテレビなんて見てないですから、クレームを言ってくるのは、まさにテレビと共に育ってきた中高年世代なのでは? 

つまり、それがテレビがやってきたことに対する世間の評価なんですよ。 

 

 

・文中のurlにある第533回 番組審議会の出席者ですが下記だそうです。 

 

井上由美子、小山薫堂、最相葉月、齋藤孝、舞の海秀平、三浦瑠麗 

 

個人的には、そういうこと言いだしそう、と。 

人選ミスの気がします。 

 

 

・ここ50年弱、邦画以外の映画映画館で見てますけど、どんどん面白くなくなった!なんてのはないね。 

 

時代に合わせて面白い映画がどんどん出てきてる。 

 

この人たちの面白いは一体なんだろね。 

 

 

・視聴者おいてけぼりで、身内ネタで盛り上がってるトーク番組 

〇〇チャレンジと言う名の食い物番組 

〇〇ランキングという名の宣伝番組 

芸人が食べ歩きするだけのバラエティ 

 

補償もどうなったか、どうなるのか定かでもないうちにもうジャニタレだらけ 

吉本に忖度した三流芸人だらけの情報バラエティ 

人権どうのこうの以前に、面白い番組など皆無だよ 

 

昔で言えば、ドリフのコントに人権問題あったか? 

ひょうきん族にはあったが(アダモちゃんとかヤバイ)、そういう意識が世界的にもまだ無かった頃だから別として、特に人権など意識するような「面白い番組」などないよ 

 

面白いだけじゃなく、野生の王国やまんが日本昔話、世界名作劇場、そういった番組すらない 

ただひたすらジャニタレや吉本芸人を使って下らないバラエティ作るだけ 

 

PTAから苦情殺到したって視聴率取れれば番組作るくせに 

都合良い時だけ「人権問題」のせいにすんな 

 

 

・時代にあった番組の企画力の無さとそれを思いつく「テレビマン」の実力の無さが、番組をつまらなくしている原因でしょ。 

 

無難な番組を作るからつまらなくなる。どの番組も似たり寄ったり。 

それまで豊富な企画力があったからこそテレビは盛り上がったわけでしょ。 

 

時代のせいにしてたら、テレビは終わりだよ。 

 

 

・少し前に、さんまさんが「あんまりコンプライアンス、コンプライアンスとばかり言われると芸がやりにくい」というような趣旨の発言をしているのをこの欄で読んだ。ちょっと似たような話。まあこいうのはほぼ須らく程度問題。過ぎたるは及ばざるがごとし。 

 

 

・バラエティーなんかBPOを無視するのが一番なんよ。「ご意見ありがとうございます。参考にさせて頂きます」ぐらいね。 

作り手の苦労も知らないで外野の上から目線で我が意見は世間全般の声みたいに言うのはハッキリ言って単なる営業妨害ですよ。 

そのくせ報道番組の偏向報道は完全スルー。 

自分達があまりに左にいるからちょっと右でも問題にしたいのでしょうね。 

あと人がドンドンなくなる内容のサスペンスドラマには何の意見も言わないのでしょうか? 

ホンマBPOは完全に組織として無駄な事ばかりしていますね。 

 

 

・「安易な取材方法も散見 負のスパイラルは続くのか」 

既に表面化している事件とか、X等での著名人の発言、 

それにセットでSNS上でのコメント等の反応を 

まとめただけの記事しか書けないメディア目立つしねぇ… 

 

取材して発掘や深堀する能力とか皆無の所が多いと思うわ。 

 

 

・自分のとこの番組がつまらないのを人権意識などに転嫁しているようではダメだね 

 

同じグループの産経新聞は広告に頼らず、内容の濃いコンテンツになって頑張ってるよ! 

 

 

 

 
 

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